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2017-09-10

5分でわかるカタルーニャ住民投票独立問題

このへんの話。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2

事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。

5分でわかるまとめ

補足説明

背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼ必要があります

1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペイン王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデター鎮圧したことで即位直後は民主化守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王クーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える

閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペイン単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語バスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府トップスペインに帰国し、民主化が進展します。このときフランコ体制下で抑圧されてきた「スペイン多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます

(ここでいう「民族」ってのは、英語ネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペイン単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人バスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)

民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペインナショナリストフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペイン統一、つまりスペイン単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。

Section 2

The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.

太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインひとつネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティ存在することが謳われていますナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまりネーションひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。

(ところで、この憲法からもわかる通り、スペイン連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語自治州国家体制といいます

この憲法にのっとってカタルーニャ自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府公教育カタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語使用助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語スペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています

助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)

ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。

Section 3

C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.

C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.

C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.

そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人カタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります

この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育カタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州言語政策も、たとえば「お店のメニューカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルカタルーニャ語を使う義務」「企業広報活動カタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。

ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペイン自治州には基本的徴税権がありません。バスク自治州ナバラ自治州には歴史的事情(ありていに言うとスペイン継承戦争官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金カタルーニャから徴収され、多額の税金カタルーニャ還元されています

しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャ交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしていますしかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャ高速道路整備も中央政府拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。

こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派社会労働党)との交渉徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。

これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペイン統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定違憲となり、カタルーニャネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャ学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。

ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャ自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子だってカタルーニャ暮らしているわけですから独立に傾きます

2014年カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州非公式の投票を決行しましたが、中央政府憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけますちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後カタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています民主主義とは。

このような国民党政府対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。

スペイン政府オプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。

Section 155

1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.

2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.

ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識必要だろうと野暮を承知解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。

参考文献

この増田のパクr……ネタ元です。どれもネットで読めます

違憲とされたカタルーニャ州法の条文が詳しい解説が。

スペインにおける地方分権についての基本書。

現代カタルーニャ入門書

インド系カタルーニャ人独立派についての記事

そもそもなんでカタルーニャスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!

2016-01-25

日本宗教の変遷について。(近現代

http://anond.hatelabo.jp/20160125135604

いろいろあった。

で、廃仏毀釈が行われた。

廃仏毀釈はいろいろ言われているが、理由の一つに明治政府戸籍管理寺社から奪いたかったいうのがある。

これと王政復古を背景とした天皇権威向上もあって、神仏分離令から国家神道の成立となる。

で、国家神道

国家神道大日本帝国実質的国教だったわけだが、建前として、神道宗教ではない、ということにされた。

これまたいろいろな理由があるのだが、外国との通商条約改正するにあたり、キリスト教排斥をしていると交渉の場に立つことすらできなかったとかがある。

初詣などが宗教行事ではなく、日本の慣習・習俗であるなどの論法はこのころに広まった。

で、敗戦

GHQにより国家神道解体された。昭和天皇人間宣言象徴的やね。教育勅語墨塗りされた。

ただでさえ、宗教行事が単なる慣習に過ぎないとされていたうえで、宗教的教義は完全に破壊された。

で、復興期。

東京一極集中政策帰結として、地方人間東京に集った。

地縁から切り離された人間の拠り所として、本来なら宗教大事役割があったはずなのだが、前述のとおり破壊されてなにもない。

こういう拠り所を求める人間を鴨として新興宗教が猛威を振るったわけで。そうかそうか。

で、現在

あらゆる宗教的儀式は、外装だけを奪われて、商業的なマーケティング材料になっている。

心の拠り所を求める人は、多いが、それを宗教に求めることは少ない。

あるいは、それを宗教として意識することは少ない。

2014-08-01

霊圧は王政復古なのに従わない馬鹿ども

もう諦めたら?

すでに世の中は30年以上前に戻ってるんだよ。

2011-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20110808111337

啓蒙主義フランス革命を起こしたよ。

まあその後反動独裁政権虐殺起こしてナポレオン戦争開始して王政復古するけどな。

ちなみにフランス革命共産主義ファシズムは共通する所が多い。これ豆な。

2010-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20100826020539

かつての古き佳き日本神の国だった

臣民は天皇陛下の赤子として精神の安寧を得られた

それを無神論者サヨクがぶち壊したんだわ

無宗教で頼れる物がないからカルト宗教代替医療に走る

日本が救われる道は神道再生王政復古

2009-08-14

国家神道

国家神道って王政復古の尻馬に乗った神職とおもに平田派の国学者たちがでっちあげたものだから、たとえば出雲派なんかとは軋轢を起こしている。寺院幕府の出先という役割を負っていたために神職僧侶に支配されていた。そのルサンチマン廃仏毀釈なんかの過程で、かなり恥ずべき所行をした。このときの調子に乗った連中の行いは、実際、愚劣の一言に尽きる。

その後も権威を背景に持ってるもんだから、民間の神道思想家というのは、まあ、ひっどいもんで、碌なものではない。もちろん、廃仏毀釈が落ち着いて以降は、地方神職たちは、別に普通で、非難すべきものでもないんだが、このあたりの民間のプロ神道思想家たちのイデオロギー的で誇大妄想的なことといったらない。

平田派の思想というのはキリスト教にヒントを受けた一神教的発想で神道を再編成したものだから、非常に観念的で神道の実際の伝統とは切れている。

現代の神道の問題は、皇室祭祀との関係から政治とも皇室という特定の家系とも縁を切れないこと。もっとも似たようなことは英国国教会にもいえるけど。

2008-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20080421224209

情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。

そりゃ携帯ゲーム機プログラマーみたいな仕事もあるから、そういうのでアセンブラもどきのCソースが出てきてもおかしいとは言わないけど、一般の感覚としてはちょっと外れてると俺は思う。

だいたい、Cやアセンブラが使える人間JavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。

言外の常識レベルで「必要」なんですが。普通現場では。

あと、C++Javaはちゃんとやろうとするとむしろアセンブラよかずっと難しい(というか「ややこしい」)ので、そう舐めてかかるのはいかがか。

どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家C++で書いたコード普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。

やー、C++をいまだに重い重い言う人が多いからなあ。確かに枝葉末節なんだが、スルーしきれない。

そりゃ数値計算ではFORTRANに負ける部分が確かにまだあるが、Cと比べてなら、そこまで酷いってことはないはずなんだがね。

CでSTLよりも高速なコレクション処理を書ける人にはそういうことを言う権利があるいはあるのかもしれんが、俺はそれでもSTL使えって言うね。後々を考えて。

俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。

うーん、個人的には、自力でアセンブラレベルからコレクション処理を書き起こすなんてばかげてると思うけどね。

明治維新だって王政復古を唱えていたが、どう考えてもあの政体は西洋からの輸入品でしょ。

明治維新って、薩摩幕府天皇にかこつけて喧嘩してただけだろ、民主主義とあんまり関係ない。

2008-04-21

http://anond.hatelabo.jp/20080421141701

やっと言いたいことがわかったのでまともに話ができるかもしれん。

俺はその反論1の質にしか興味がない、というか、その例1を引き出すための挑発として最初の質問を仕掛けてる、という側面があるんだよね。で、案の定真っ先に例1で応じてんだから世話がない。

だったら釣られた俺が馬鹿だったし、あんたも相手を間違えた。それだけのことだな。

あと、興味はないとはいえ一応指摘しておくと、その例1例2例3といくつも用意するやり方においては、例1と例2と例3が矛盾対立するようなものであってはならないはずだろう。でなければ、ためにする議論になってしまう。話者に一貫したスタンスというものがなくなってしまうからね。

言いたいことはわかる。ただし、俺のスタンスはいわばメタなもので、「この前提は絶対に正しいからまず認めろ」というのがまず嫌なんだよ。むしろ、「あんたが絶対と信奉している価値観は別に万人が無条件に認めるような絶対的なものではない。あんたと相対立する価値観にもそれなりの合理性があるはずだ、例1、例2、例3など。さて、どこを議論の出発点にしようか?」ということを誰に対してもまずやる。逆に言うと、俺が信奉している価値観を正しいと押し切る根拠なんてどこにもないと思っているから、価値判断の源泉については「見せろ」と言われなければ見せない。宗教論争になるのがいやだからね。

ちなみに、こんな話もある。細部は違ったかもしれん。

釈迦が人に「神はいるのか」と問われて、「いない」と答えた。ところが、次に人が来てまた同じことを問うたとき、「いる」と答えた。これを見ていた弟子が「どうして矛盾する答えをするのか」と問うと、釈迦は「あの二人が『神』という言葉のもとに思い描いていたものは違うではないか」と答えた。

別に自分を釈迦と並べているんじゃなくて、「神」の定義が違う人間が二人で言い争うのは嫌だということね。相手の土俵を推定して、相手の土俵でものを言わないといかんだろうと。

ディベート戦術としてでも、なんでよりにもよってこんな反論選ぶんだ、と俺は思ってしまうわけだ。

あんたに納得してもらいやすい話を選んだつもりが裏目に出たというだけだよ。正直、あんたのことを当初の言動から「学校勉強なんか役に立たん、英語コミュニケーション能力だけがあればよいのだ!」的な反知性主義者だと想定したもんでね。さすがにそれが釣りだとは想像できなかったが。

うーん? それ英語言語としての性能とは関係のない議論だよなあ。

俺が言いたいのは、あなたのように公平性を重んじる価値観からは、英語採用する理由は全く出てこないだろうということ。言語の性能(性能というより習得の容易さだな)はその中の例示の一つにすぎない。

別に俺は古典教育の廃止を唱えているわけではないんだよね。何度か言ったけど。

廃止と言わぬまでも、量を減らせとは言っただろう?なし崩し的にゼロになってしまう論法だから反対したわけだ。正直、「上を下に合わせさせる」というのは暴力的だと思う。

どこかの象牙の塔の一室ではそれで通用するのかもしれんが、企業社会ではちょっとダメだそれ。

情報工学」全般の話をしているのに企業社会だけを想定する必要などなかろう。大雑把な言い方をすれば、大規模情報システムだけがITの全てではないということだ。

だいたい、Cやアセンブラが使える人間JavaやらC++を覚えて標準的な書法で書くことは、好き嫌いはともかく本質的には難しいことではないわけで。道具の使い方を覚えるということに対して「必要があればやるけれど、必要がなければやらない」というのは非常に当たり前の立場だと思うがね。

で、どのC++クラスライブラリが重いというのか、とか、C++FORTRANについての議論については、君は全面撤退ってことでいいのかな? 具体的に質問に答えなくなっちゃったからなあ。

どっちでもいいよ。だいいち、数値解析の専門家C++で書いたコード普通の数値実験屋がCで書いたコードの性能の比較なんて問題は非常に枝葉末節じゃないか?そもそも、「普通の数値実験屋」がどういう奴かという範囲の取り方でいくらでも恣意的な結論が出てくる話だから、議論して実になるとも思えない。

そもそもそんなことを言えば、FizzBuzzすら書けない奴がCで書いたコードより速いコードPerlなんかで書くことさえできてしまうかもしれないが、そんなの別に自慢にもならないし、(たとえば)数値計算Perlを使っていい理由になんてならんだろ。俺も論旨を混乱させた責任はあるが、そもそも話がずれすぎている。俺が言っているのは、「速いコードを書くことが理論的に可能かどうか」ではなく、「速いコードを書くために本人が持っているべき素養」の話をしているわけで。

そしてそもそもこの話自体「素養」というものが必要か否かという点から分岐したものだから、その意味でもこの話は必要なかろう。


以下蛇足。

あと、ギリシャ民主主義については明確に誤解。ギリシャ伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。

それ相当偏った歴史観じゃね? ためにする反論なのか、それとも本気なのか、どっち?

俺はむしろ君の方が相当偏ってると思うけどね。だって古代ギリシャ民主政が途絶えてから一体何年経ってたわけ?それに、市民革命の基盤になったのはむしろ封建議会の方なわけで(これもいちゃもんはつけられるけど)、これはむしろゲルマン文化のはずだよ。それをどうギリシャ文化の伝統と理解するのかかなり不思議明治維新だって王政復古を唱えていたが、どう考えてもあの政体は西洋からの輸入品でしょ。同じことだよ。あんな政体が歴史日本存在したことはなかった。なんで戦前、あんなに後醍醐天皇があんなに高く評価されたと思う?

いや、貴族階級は言いすぎだろ。市民階級でいいと思うんだが、そこは。元々民主制って始まりはそういうもんだろ。惣とか寄合から近代民主主義を導けるというならやってみてくれよとしか。

ちょっと調べてみたが、貴族階級は余り適切でなかったようだ。そこは撤回

導けるわけがないから聞いてるんだよ。ただし、始まりはそういうもんに決まっているが、それが本当に現代と連続性があるのか、と俺は聞いているわけなんだが。

そもそも、都市が自治を行うのはギリシャポリスじゃなくても歴史的に普遍的な話なわけで(英語Wikipediaを引いたら戦国時代の堺が挙げられていてびっくりした。さすがに思いつかなかった)、誤解してるかも知れないけど日本江戸時代でさえ町役人って町人階級だからね。つまり、民主主義にとってはギリシャ思想が必要不可欠なものであるという根拠はますます疑わしいと思うんだ。だいたい、それを言い出したらアメリカはなんなの?あれこそ、草の根民主主義たる植民地自治政府の発展じゃない?

 
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