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はてなキーワード: 考古学とは

2020-05-20

anond:20200520132835

イエス誕生直前のイスラエル嬰児虐殺かなー

あとノンフィクションでは南米のほうの考古学少年少女のいけにえ?死体が崖の上掘り返したらめっちゃたくさん出てきたやつあったはず

2020-05-16

anond:20200516185904

考古学遺跡の発掘次第。

昔は商王朝遺跡までしか確認されてなかったが、殷王朝遺跡(二里岡文化)、夏王朝二里頭遺跡)の遺跡と思われる遺跡が発掘され、遺跡の作られた年代推定されたから伸びた。

ただし、夏王朝あたりになってくると「文字」がないので、伝説夏王朝といわれているものが本当に二里頭遺跡かの疑問も断定しづらい。よって人によって年代が分かれている。

2020-03-20

とりあえず何でも「祭祀の道具」にする説

考古学者はとりあえず何でも「祭祀の道具」にする説

将来、宇宙考古学者は失われた人類地球文明遺跡を発掘して

「この精巧人形偶像であり、棚に飾って日夜跪拝していたに違いない」

「この人形の姿が描かれた薄い本聖書であり毎夜祈祷が捧げられていた」

「この巨大な建物には大量の偶像薄い本があり信仰の中心だったはずだ」

「この大陸辺の島は信仰深い人々の住む聖地だが一夜にして津波で滅んだ」

……とか言うに違いない。大体合ってるっちゃ合ってるが。

anond:20200222013301

2020-03-14

歴史肥大化

俺は2000年くらいまでのところを歴史としてしっかり習ってそれ以降は「最近はこんなこともあります」って感じで流されたけど、たとえば2500年に生まれ子供(それまで人類耐えてるかな)は2500年くらいまでの歴史をやるわけじゃん

歴史学とか考古学進歩するし情報の保存方法も増えるから今後の歴史資料は増えこそすれ減りはしない(核戦争とか起きたら別だけど) 今1600年代映像資料はないけど、2500年に2100年代映像資料はたぶんある

人類社会を維持し続ける限り歴史ってどんどん増えていくと思うんだけど、将来どうやって勉強するんだろ やっぱ細かいとこを切り捨てていくのかな そうすると4000年に歴史の教科があったら(なさそう)すごいデカ事件だけを掻い摘んでいく感じになってるんだろうか 第20世界大戦であるんならまあ十字軍的な覚え方になるよなあ

あとどうでもいいけど、現代っていつまで現代なんだろう 2150年くらいには2020年も近代扱いされてんのかな

2020-03-12

anond:20200312055705

考古学とかタイムマシンができれば意味のないものになるのにバカみたいにやってて本当にバカだよなあ

anond:20200311201100

考古学ってのがあってな。

それはそれとして、世界各地の古代巨石文明とか、中南米アンデス文明とか、面白い謎はあるぞ。

2020-02-14

anond:20200214173128

言ってることは判るが、それは設定や見せ方がどうこういうより尺の問題として、主人公や主要敵以外の人間が強さを発揮するシーンなんて描写する時間無駄なんだよね。

 

モブが強さを発揮もせずに2秒で死ぬんだからそれは雑魚に見えるだろうなあ。せいぜいジョンウィックいかに強いか描写することで、相対的モブの強さを上げていくしかいか

 

考古学者がどれくらい強いかはしらない。あいつら考古学知識あんまりしたこと言わないし。

雑兵の強さ

アクション映画とかバトル漫画とか見てると雑魚敵・雑魚味方が弱すぎる

組織の末端構成員とか兵士とか衛兵とかそういうやつ 主人公なり悪役なりと戦うと10対1とかでも普通に負ける

まあ無双シーンに気持ち良さがあることは否定できないし、名無しの雑魚主人公が延々苦戦してたらストレスっていうのは分かるんだけどそれはそれとして切ない気持ちになる

ジョン・ウィックが2秒で殺すヤクザだってそれなりに裏社会で生きてきてるはずだし、秒殺される鬼殺隊員にもそれまでの人生とかドラマがあるんじゃないのか

戦闘経験を積みまくってる天才主人公がクソ強いのはまだ許せるとしても、非戦闘員みたいな雰囲気でも主要キャラクターだったらクソ強くて兵士バンバン倒せる!みたいなのはマジで納得いかん アクション映画でよくある考古学者のヒロインが敵(戦闘プロ)をひとり倒すみたいなの観るとかなり複雑な気持ちになる 一般人に負ける兵士ってなんだよ

雑兵がまともに強くて、戦闘慣れした主要キャラクター埒外の強さ そういう感じにしてほしい

2020-01-24

1000年前の骨が出土!考古学的に新発見!みたいなの見るたびに俺はすぐ土に帰りたいのにそんなに残るやつもいるのかよっておもう

2019-11-24

キメラって…

新しいポケモン化石ポケモン話題になっていて、ずばりギリシャ神話キマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。

そいつドラゴン」とか「龍」とかい呼び名でよばれているんですけど。

個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承リュウ意識しています西洋伝承との比較話題ときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。

ちょっと前にNHK特集ドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。

テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話ドラゴンって話題に出すときには、地理学勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というもの話題にすることができるってのは面白いなと思います

生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。

番組ではルーマニアで有名な翼竜化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情考慮するならば自ら悪魔敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付ルーマニアで、空を飛ぶ恐竜化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事記述とかあるならそれは想像捗るので素敵な話だと思います

比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。

まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴン想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。

それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまます。そんな絵でした。

ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書記述すら読み書きの技術を持つ教会神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想風景自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまますよね。

ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかたこであるように思います

恐竜化石にしたって、伝説に語られるファブニールヒドラのものしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんからそもそも恐竜化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います

最後歴史学人類学宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人から受け売り知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。

まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います

ラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴン悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います恐竜人間を食べそうだから怖い、ドラゴン人間を食べるから怖い、悪魔地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴン悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカン神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回し日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になりますぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓提供し続けている親からすれば、それを子供台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキル言語センス必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔地獄で罪人を責め苛む悪魔ドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴン悪魔に与えることでみんなが神の御言葉もっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人悪魔ドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴン英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説宗教に組み込まれた結果、聖ジョージドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代場所があったということです。

この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型であるように思いますね。何故地獄燃えいるかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやす都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史話題にするなら、ロンドンテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKドラゴン特集受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄イメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます火事から助かったとしても家も財産食べ物燃えしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者瀬戸際発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります火攻めとか言われる戦法で、この場合侵略者火事が同時にやってきます侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災惨事記憶が、架空風景である地獄イメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?

その上で更に別の解釈を交えます地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴン地獄に住まう悪魔ペットであることと、ドラゴンイメージ形成するのにひと役買ったらしい恐竜化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山噴火しているともなれば人間生存圏はもっと狭くて、地球人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間マグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエ舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂テーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56

2019-11-06

はてな村モラハラ村だったのか

手斧と言っていたものモラハラ斧だったのか

ある野良考古学者はダムに沈んだ村の廃墟を発掘しつつ移住先のツイッター村の民俗を語る語り部を探し始めた

2019-08-31

歴史学考古学

文献や遺跡調査して、あーだこーだと思案して、それらしい説を唱えるよりも

タイムマシンを開発して過去に行った方が早いだろ

 

真実を知ることがそんなに怖いのか?

2019-08-16

anond:20190816184811

改修する際に影響範囲が最小となるようなプログラムの描き方、とやらをする人間が、改修手順書までは作らないから、考古学になるんだろ

プログラミング設計・書き方に対する違和感

なんかなぁ、皆キレイに書いてるつもりなんだろうけど

修正しようとした時にいろんな処理がいろんな場所に書いていて

どういう設計意図で書いてるかとか、影響範囲とかを調べるのに、考古学のような作業が始まる

これは果たして正しいんだろうか

 

色んな場所のいろんな影響範囲を全部洗い出して

必要修正をして、また元に戻す

なんか知らない動物の開腹手術にも似てるな

2019-08-09

自分哲学必要になっている。多分

今日からフーコーの「言葉と物ー人文科学考古学ー」を読む

本の理由は憧れる人の曲にディスクールが出てくることと“言葉にならない”ことがどういうことなのか知りたいか

よろしく

2019-08-05

anond:20190805083003

大河とかVチューバーとモーションキャプチャーでやればいいのでは??

そもそもネタがすでに一巡してかなりトリビアになってない? 

男尊女卑とか倭寇リアルにやるとポリコレつらくない?

てか悪役の地元肩身せまいとか薩長会津がとかやってると

まじでどこの地元にも揉めずにやれるネタがそうそう残ってないやろ?

今までのアーカイブをオンデマ有料放送して

さら現代考古学者に

史実で嘘ってわかってるのはこことここ!とか制作当時はホント男尊女卑ひどくて!でも大筋めっちゃあってるのはこのシーン!」って指摘添えたほうがおもしろくない? 

新作はもう勇者ヨシヒコなみでいいよ

脚本おもしろくして現代人でもおもしろがれるぶっ飛んだ解釈すればいいのでは?

史実を下敷きにした完全新作フィクションです

って添えてな

2019-07-05

幼児教育無償化するべきじゃないと思う

自分はアホ大学に通うアホ学生で、専攻も政治経済には一切関係ないものなので この文章素人考えの極致みたいなものだと思う。でも、なんとなくずっと考えてきたことなのでなんとか文字に起こしてみたかったんですよ。もしかしたら内容がところどころ間違っていたりするかもしれないので、そのときはごめんなさい。

クッソ長ったらしくなってしまったのでかい摘んで内容をまとめると

・今でも保育士さんのブラック待遇は大問題になってるのに保育園タダにしたらもっと大変になるのでは?それなら 無償化に充てる資金保育士さんへの支援を行ってはどうか

幼児教育云々よりも、子供大学に行かせられるかどうかが子作りするか否かの決め手になっていると思うので、成績はいいのに金がなくて進学できない学生への補助をもっと手厚くするなど 高等教育への補助をいま発表しているものより広範なものにするべきではないか

みたいな感じです。


今年の10月から幼児教育無償化が始まるらしい。といってもどんな家庭でもいくらでもタダになるわけではなく、もちろん金額適用条件も限定されている。それでも、要項を読んだかぎり 適用される範囲がだいぶ広い(所得の高い世帯子供が3〜5歳なら特に制限なく支援を受けられる)ので、この無償化にかなりの税金がつぎ込まれることは間違いないと思う。

他方で保育士さんへのいわゆる やりがい搾取は、ここ最近になって頻繁に取り沙汰されるようになり、特にネット上では重大な問題として扱われている。もちろん 保育園がタダになったからといって保育士さんの給料ゼロになるわけではない。けれど、今以上に新規の園が増えて更に保育士需要高まるだろうし、お金を気にして子供を家で育てるつもりだったカップルが、無償化を受けて子を保育園に預けるようになるかもしれないので、現在でも深刻な保育士不足がもっとひどくなって もっともっと保育士さんへの待遇がひどいことになるかもしれない。

かもしれない が2つもあるので、その時になってみなきゃ分からんだろうが という人もいるだろう。でも、今現在だって保育士さんは大変なのに、園の収入が減るようになって楽になるはずがないと自分は思う。

個人的には保育園無償化せず、保育士さんへの福利厚生しか使えない制限のついた補助金なんかを与えるようにしたらいいんじゃないかなと考えている。


そもそも幼児教育にいろんな優遇政策をほどこそうと政府が考えた元々の要因は少子化だ。子供を育てるのが楽になるよ!とアピールしてみんなにたくさん子供を産んでもらうのが狙いだろう。

でも、子供幼稚園保育園へ通っている時間なんて人生タイムラインで考えれば一瞬で、その子人生に大きな影響を与えるのは幼児教育が済んだあとの学校教育のほうだ。実際、結婚しているのに子供を作らない予定の夫婦のうち「我々の収入では、もし子供を産んだとしても大学まで通わせてあげることはできないだろう。そうなると我が子はきっと幸せにはなれないから、自分たちは子供を作らないほうがいいだろう」みたいな考えを持っている人はたくさんいると思う。

一応、義務教育中学校までだが、そんなのはもう形骸化しており 今現在では中卒や高卒は不可触民みたいな扱いを受けている。社会が高度化している以上、子供にそれなりの学歴を与えてやるのは親として当然の義務となっているふしがある。(大学が「就職のための学歴」をエンチャントするための装置と化しているのはよくないとは思う。詳しくはあとで書く

でも、大学授業料は高額だ。大学は自ら学ぶ意欲のない人間以外は必要ないところなんだから好成績者以外は利子つき奨学金で苦しんでもしょうがないだろと考える厳しい人もいるだろうが、ここにそもそもの歪みがある。

まず、お金がなければ優秀な成績を得ることはできないのである。『蛍雪の功』はもはや遠く儚きファンタジーであり、学校放課後に塾に通い、家庭教師を雇い追加で勉強に励むことのできる環境にいる人間しか“進学”することは許されない。公立学校特に中学高校公立進学校もあるので一概には言えない)はうんこなので 高名な大学に通いたければ中学から私立に通ったほうがよい。子供中学受験をさせ、中高一貫に通わせ続けられるような潤沢な資金のある家庭がそう多くないということは、普通の人なら分かるはずだ。“一般家庭”で一生懸命に勉学に励んだとしても 手に入るのは僕の通うようなF欄の新入生挨拶の機会くらいである。いや、それくらいの成績があればF欄なら無償奨学金がもらえるかもしれないので、じゃあそれでいいじゃんと思えるかもしれない。だが、果たしてF欄卒にまともな就職先があるだろうか。企業様が大卒と認めてくださるレベル学校に入るには親の資金力がどうしても必要なのだ

日本民主国家だが このようにして教育というふるいによって階級再生産が粛々と行われているのである。その証拠に、いくつかの高校教科書簡単ものと難しいものの2種類に分けられ、地方うんこ公立に通う学生には簡単なほうの教科書が与えられる。もちろん入試では難しいほうからの出題が圧倒的に多い。

2020年から高等教育無償化も始まるらしいが、そんな限定的なことではなくもっと早い段階、つまり進学の時点からきちんとした援助を行い、家庭の都合で勉学にお金をかけられない子でもしっかりとした受験勉強に励めるような環境を作っていく必要があると思う。本人に意志さえあれば どんな環境からでも上を目指していけるという空気が醸成されるのは、国民にとっても精神的な希望もつながるのではないだろうか。


というかまず、大学学歴というステータス学生に与えるためだけの新卒生産工場と化している現状がおかしい。大学は一応 教育機関でもあるが、それは研究機関として新しい研究者を生産するための機能であって、社会にユウシュウナガクセイを出荷するために教育を施しているわけではなかったはずだ。僕も母校をF欄と侮辱しているが、入試必要偏差値が低いからといって大学価値まで毀損されるのは大学が完全に就職予備校と化してしまっていることの最大の弊害である。僕は真性のクソ学生だし入試必要偏差値はだいたい50ちょいだったが、うちの大学考古学部は京大東北大に比肩するレベルで優秀なのだ。他の学部は知らん。僕のお世話になった教授は とても優秀な方で、本当なら研究もっと注力したいだろうに学生就職について色んな仕事を任されていた。大学がいわゆる就職予備校化している現状はいろんな方面にとって害毒でしかない。政府は早急に国家主導でほんとうの就職予備校設立すべきだし、企業はそこを出た学生さんを大卒と同じ待遇で雇う義務を負うべきだ。

そうして大学就活の楔から解放し、補助金をドバドバつき込んでなんでもできる組織へと強化していく必要がある。選択と集中なんてクソ食らえだ。


子供を産んだばかりでてんやわんやのお母さんの目の前にニンジンをぶら下げて票集めに励んでいるひまがあったら、学校教育正常化をおこなうべきなのだ。今まで埋もれてしまっていた優秀な人材が正当な教育を受けられる機会が増えていけば、子供の数が増大せずとも社会は少しくらいは良くなる……はずである。というか日本がここまでグダグダになったのはたぶん学校教育がうまくいってなかったせいだと思う。今からでは遅いかもしれないが、だからこそ早いうちになんとかすべきではないのか。

あと教育現場オウムも真っ青の奇怪なカルト宗教を持ち込もうとしている連中を全員処刑してほしい。ああいう人たちが政治どころか社会のものの中枢に居座れてしまうという現状が、教育問題だけでなく企業体質など諸々の日本ダメなところの表れなんだよ。親学ってなんだよクソが。


ブラック企業問題ついては、たしか教育関連よりもずっと少子化に貢献しているまさしくこの国の癌ともいえる存在なのだが、補助金というよりは法整備必要な方向のものだと思ったので今回は取り上げないことにした。

なんかとりとめもない文章になってしまって自分の頭の悪さが露呈しているみたいなのでとても恥ずかしいのだけれど、とりあえず ここまで読んでくださった根気強い方に感謝を申し上げて 終わりにしたいと思います

2019-06-25

俺たちが地球第一知的生命体って運悪いよな

何百年後かに人類が滅亡したあと、何千万か何億年後かに新しい知的生命体が生まれたら

化石やなんかから痕跡を辿って知的生命体としての叡智を取り入れながら発展を目指せる

考古学知的生命体の先端学問になる

そんな世界に生まれたかったわ

2019-05-31

anond:20190531105439

考古学でも非実在説が通説。

だが、この通説には疑問が残る

すみません、言ってみたかっただけです...

anond:20190531100655

小学生でも分かるように言っただけだぞ。考古学でも非実在説が通説。根拠ググるなり定評のあるアカデミックな本を読むなりしてくれ。自称専門家じゃなくて学者の本な。

2019-05-23

お勧めの完結済み漫画

特に順位無しで俺が電子書籍や蔵書として購入した、漫画喫茶で読んだ、完結済みのおすすめ漫画を紹介。

リストにない面白い漫画があれば教えて欲しい。

特に順位はつけないので出て来た順序は適当と思ってくれたら。

追記

すみません三月ライオン、終わってないんですね。リストから消しときます

追記2)

ブコメありがとうございます。いろいろ参考にさせてもらいます。そう言えば、手を出してないなぁって漫画もあるんで、Kindleで漁ってみます

読んだけど、好きでも嫌いでもないので上げてない完結漫画もわりとあったりします。ブコメに上がってるのだと、フルアヘッドココやBASARA、シュトヘル皆川作品全般は、そんな中に入ってる感じです。

ブコメに上がってないものだと、銃夢ナルトとかBLEACHとかカイジ金色のガッシュベル戦国妖狐ソウルイーターるろうに剣心とかの著名どころもそんな感じですかね。

長編漫画を始発待ちの漫画喫茶でまとめて読むのが好きな傾向があるのでメジャーどころしかないという。漫画好きの人の参考にならなかったら、すみません(陳謝)

おすすめ出来る完結漫画

H2

夏が来ると必ず読みたくなる。傑作揃いのあだち作品の中でも最高傑作だと思う。タッチみゆきクロスゲーム、どれも感動しますけどね。

趣味野球?てめえらにゃ一生ムリだ。

じゃじゃ馬グルーミンUP

三角関係がほのぼので好き。ゆうき作品もたいがい読んでるけど、一番好きなのはこれですかね。俺はパトレイバーよりも好きです。

プラネテス

自分の夢や目標を見つめなおしたくなる。ほろ苦い大人の味。

狂四郎2030

微妙エロくてNTR属性覚醒させられるかもしれない。隠れた名作だと思う

シドニアの騎士

弐瓶作品の中では一番良かった。つむぎかわいいよつむぎ

うえきの法則

異能バトルものゴミを木に変える能力一つで、何が出来るかって発想の豊かさが面白かった。

MAJOR

主人公クズっぷりにヒロインの寿くんが振り回される姿に震えろ。

MONSTER

1回読んだだけでは何が何だかからないけど、とにかく引き込まれ何度でも読み返す、そんな漫画

エアマスター

僕は金次郎になりたい。色んな格闘技が出てくる異能各党漫画だけど、キャラが濃くて立ってて捨てキャラってのがいなかった。だから最初から最後まで面白い

彼岸島

多分九州くらい大きな島なんだろうな。二度読むと絶望する矛盾だらけ、勢いだけの酷い漫画なんだが、しか丸太無双すぎて最高のギャグマンガなんだよ。酔ってる時に読んでくれ。

結界師

異能バトルもの。単純な能力を使って工夫をしながら戦っていく展開が、どうも俺は好きらしい。決壊で妖を囲んで消滅させるというシンプル能力の奥深さと世界観が好き。

嘘喰い

最後の方はダレまくりだったけど、単なるバトル漫画になるまでは面白かった。

ACMAGAME

少年漫画の知恵比べ系ギャンブルゲーム漫画の中では、テンポの良さとゲームの設定の面白さが異色でお勧め。照朝ほげ

BabyStep

終わり方には納得いかないが、超天才テニスプレーヤー主人公があり得ない速さで強くなっていく漫画。もう少し才能のない所を見せて欲しかったなぁとは思うけど、戦略的に戦っていく展開が好きだった。

Capeta

熱い天才を描かせたら並ぶものがいない作者の名作カーレース漫画天才が順当に天才っぷりを発揮して周囲を驚かせてくだけなのに、全然しらけないし、なんか熱いものが残るんだよねぇ。シャカリキめ組ダイゴ、昴と、作者に天才を描かせたら本当に熱いし、どれも面白いけど、Capetaが一番熱かったです。

クレイモア

人間を食う化け物を倒すため、自ら化け物となって戦う少女たち。圧倒的過ぎる強敵、仲間たちとの友情、受け継がれる意志主人公覚醒ジャンプらしい王道漫画ですね。アリアドネも化けてくれ。

カフス

喧嘩最強のヤクザの魂が、貧弱小僧に乗り移って大あばれ。格闘技漫画の癖に格闘シーンがつまら漫画も沢山ある中、バトルの描写と工夫に特徴があって、トリッキーな動きと工夫が楽しいです。

DANDOH

天才が順当に天才っぷりを発揮するだけのゴルフ漫画。でも、Xiまでは面白かった記憶あんま覚えてないけど。

EDEN

人類結晶化させるウイルスとの戦いと、人類同士の覇権争いに翻弄されながら、沢山の大切な人物死ぬ鬱展開の連続でヤク中になりながら成長していく主人公が魅力的な漫画。周辺キャラが魅力的で、設定も詳細で面白かったですね。

天才クライマー三歩が、山岳レスキューに命をかける漫画。前向きで真剣ストイックな三歩を通じて山と人生のすばらしさを教えられる漫画です。読了後の感動がいつまでも消えず、いつか南アルプスコーヒー飲みたいって気になりました。

現代医師江戸時代タイムスリップして、チートっぷりを発揮する漫画。様々な病を現代知識を使って解決する無双展開の中で、女性作者っぽいベタだけど心地よいロマンスもあり、医療知識とか歴史を学べて、その辺りが気に入ってた理由ですかね。

マギ

シンドバッドの冒険モチーフにした異能バトルものではあるんだけど、バトル描写だけ見れば少女漫画で。薄く面白くはないです。設定と世界観キャラクタの理想同士のぶつかり合いが、練りこまれていて結構良かったなぁという記憶

マスターキートン

砂漠では背広がいい、ナイフは銃より近距離では強い、とか謎のサバイバル技術を駆使しながら、時には伝説軍人として、時には保険調査員として様々な事件解決しつつ、考古学者として自らの研究を追い求める主人公活躍も楽しめる大人漫画ですね。

無限の住人

不死身の剣士が、多彩な剣士色物と言っていい厨二武器厨房剣術にぼろ雑巾にされる漫画ですね。キャラクターが魅力的過ぎるんですよ。特に尸良w あん無茶苦茶な奴、見た事ない。クライマックスに向かうにつれて、登場人物戦闘がカッコよくなっていくのが最高ですね。吐鉤群がカッコよすぎ。

Psyren

メルゼズ・ランス! 岩代さんの漫画ブレークしない理由が俺には分からない。謎のテレホンカードを使って異世界へいき、超能力を駆使して訳も分からず敵と戦う。戦いの日々の中で、異世界真実が明らかになり・・・面白いのになんで打ち切りなんや

アホガール

タイトルに偽りなし。アホすぎて爆笑必死ヨシコみたいな友達が欲しかった。彼女には欲しくない。

からくりサーカス

藤田作品は全て好きです。邪眼も好きだし、短編から長編に至るまでハズレがない。中でも、からくりサーカスは最高傑作だと思うよママ

スラムダンク

言うまでもなく名作。もっと褒めてくれ?いや、お前は叩けば伸びる男だ。

やったろうじゃん

原作品は好きなものが多い。恋愛ドラマの切なさ、涙なしでは読めない苦しい展開の中で、自分を許せない主人公甲子園を戦うクライマックスH2にも匹敵するくらい心揺さぶる名作です。ほんとうに皆に読んで欲しい。泣け!

愛がゆく

超能力バトル漫画。遥か未来から文明を持ってやってきた未来人が、謎の装置で知能の低い奴を無差別虐殺していくって設定が衝撃的でした。

がんばれ元気

グダグダ言わんと読んで泣け!元気があまりにも不幸で健気で報われなくて、がんばれって応援しながら、俺も頑張ろうと泣きながら思える。そんな漫画です。

めぞん一刻

「お願い...一日でいいから、あたしより長生きして...。もう、一人じゃ、生きていけそうにないから...。」管理人さんと出会って結婚したい人生だった。

蒼太の包丁

駆け出しの和食料理人の蒼太が様々な出会いをしながら、料理人として成長していく物語。いいから雅美と蒼太を結婚させろって!

大使閣下の料理人

ベトナム大使公邸料理人大沢公が料理を通じて政治ベトナム文化に関わっていく漫画政治料理を関わらせながら、料理に込めた人の思いが織りなすエピソードが爽やかで読後感のいい漫画。フォアかわいいよフォア。

沈黙の艦隊

わずとしれた名作。潜水艦独立国家になる。その設定だけで熱狂した思い出があります

勇午

超人交渉人勇午が様々な無理難題解決していく漫画物語根底にある各国の文化歴史と、事件解決に向かう推理を楽しむのが本筋なんだけど。絶対拷問される主人公と、関わった女は全員惚れる勢いのジゴロ属性も見どころ。

魔王 JUVENILE REMIX

超能力バトルなんだけど、主人公能力がしょぼい。「他人自分の思っていることを話させる力」とかいう、どう考えてもバトルに不向きな能力で戦っていくってんだから、どうなるんだか気にならないはずがないでしょう。20巻位に膨らませて欲しかったですね。

ぼくらの

戦闘ごとにパイロット死ぬロボットを操って地球を守る少年少女たちの物語少年少女の割にはあまりにも濃すぎる人生を送るパイロットたちの物語を中心に、謎のロボットや戦う理由が明かされていくスリル面白かった。しか最後は鬱展開でした。

東京喰種

連載中は好きではなかったんだけど、一気に読み直してみると面白かった。ヒナかわいいよヒナ

殺し屋イチ

変態変態変態変態!それだけなんだが、変態が突き抜けすぎてて面白い

寄生獣

わずとしれた人類の宝。

ジョジョ

4部までと、STEELBALLRUNは面白かった。神父、お前は要らん。

蒼天航路

曹操が好きなんで、演戯視点よりは全然好き。曹操ってのは中国史10指にはい天才だったと思う。軍事政治文化それぞれ単体なら、もっと上が居るけど。総合能力の高さは天才のもの。地味に法政に注目してくれたのも嬉しかった。作者の勢いと画力の高さが魅力でしたね。

ブルーワールド

SF漫画ブルーホールという次元を結ぶトンネル現代から恐竜時代タイムスリップした軍人科学者サバイバル物語原作があるだけに物語と設定は重厚面白いです。星野さんのSF漫画はどれも面白いけど、一つあげるとしたらブルーホールかな。

華麗なる料理人

カレー知識が増えていいのと、女の子可愛いのと、ストレスなく読める作品で読みやすいのとで、時間を潰したい時にお勧め作品

赤ちゃんと僕

赤ん坊から時に理不尽にふるまう弟と、しっかりものに見えて時に子供らしく暴発するお兄ちゃんと、その心優しい父親物語。温かい缶コーヒーを握りしめた弟が「にーちゃああったかいねー」って言うシーンで号泣

狼の口

あの糞野郎のケツに杭がぶっ刺されて貫かれて死んだシーンで、ザマァアアアアアアと叫んでしまう位、野郎は憎たらしかったし面白かった。

あんま好きじゃなかった漫画

ファンもいると思うので理由は書かない。

一騎当千
GANTZ
DEATH NOTE
鋼の錬金術師
らんま1/2
アイシールド
封神演義
3×3EYESサザンアイズ
ホーリーランド
アカギ
ファイアパンチ
エリアの騎士
エアギア
BTOOM
アイアムアヒーロー
バキシリーズ
20世紀少年

今も追っかけてる漫画

ワールドトリガー

復帰してくれてありがとうゆっくりでいいんで丁寧に頼んます

人形の国

だんだん微妙になってる気も・・・二瓶ワールドすな

ベアゲルター

完結する気がしないけども。

ベルセルク

活きてる間に完結する気がしないけども、糞展開化したかと思ってたら、最近、再び盛り上がっててよい。

未完のまま終わってしまったのが悲しい

ソードゲイル
ドクターコトー

はじめは見てたけど、もう読むの折れた

色々な理由でついていけなくなったけど、途中までは好きだった

キングダム
弱虫ペダル
ろんぐらいだぁす
ワンピース
ジャイアントキリング
青の祓魔師
進撃の巨人
はじめの一歩

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

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