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はてなキーワード: 葛藤とは

2018-06-18

身近な人が一番大切という気持ち大勢を殺す

しょうがないよね、いくら人権がどうのといっても身近な人の為なら遠い人がどうなってもいいのが普通なのかも。

住む場所人種価値観などそれぞれの尺度自分に近しい人は大切で、離れれば離れるほど忌避して死んでも仕方がない人間になる。

この身内が一番大切という気持ちが争いを生み過激にもなる原因だというのに、そこから離れられない限界をひしひしと感じてしまう。

私自身がまさにそうで、共産党員日本においては左寄りだという自覚もあるけれど、やはり身近な人たちのためにささやかながらも自分的には殆どリソースを費やしている。

でも日本の子供を一人救うリソース貧困の子供を3人は救えるわけです、そういう情報知識は否応なく入ってくるのです。

そこに葛藤はあるけれどどうしても身近な人を助けたいと思ってしま気持ちって本当に正しいのか、ネトウヨと大差ないのではないかと考えるも答えは出なくて。

右翼の人たちも自分の好きな相手気に入った相手には本当に親身になるところもあって尚更思うわけです。

彼らと私の違いはどこなのか、本当に違いはあるのか。

恐らく私には公平さが足りない、おかしな話だけれど右翼共産党員ということになるのかもしれないくらいには思っている。

2018-06-17

民族同一性障害(ethnic identity disorder, EID)

人種同一性障害と訳されることが多いようだが、ethnicity(民族性) と race(人種) はぜんぜん別の話だろう。

EID は正しくは民族(あるいは民族性同一性障害と訳されるべきだ。

私は民族同一性障害を抱えていると思う。

私は自分日本人であることに違和感を覚えている。

できれば別の民族の一因になりたかった。たぶん一番しっくりくるのは英語圏だが、東南アジアあたりでもいい。

とにかく自分日本人だと思うと悲しいし、しんどい

上手く言えないが、私はとにかく日本人の持つ根本的な発想法、彼らが作る組織運営方法が好きではない。

激しく違和感を覚える。私はずっとその葛藤の中で生き、かろうじてなんとか生き残れる場所を見つけてギリギリのところで生き残ってきた。

こういうことを言うと、「そんなに日本が嫌いなら外国に行け」と言う人たちがいる。言われなくても、なんども私は、実際、外国に行き、そこで住んできた。だが、日本まれ日本人外国で長く住むのはたやすいことではない。外国では日本語は通じないから、英語や現地語を話して仕事をしなければならない。ビザの維持も難題である外国に住むと私の民族同一性障害から来る症状は和らぐので精神的には楽なのだが、主に経済的理由日本に戻ってこざるを得なかった。

私は意識としては日本人である自分嫌悪しているものの、日本語は確かに母語だし、国籍日本にあり、それゆえ日本ではビザなしで働くことができる。経済的事情を考えれば、少なくとも当面日本に住まざるを得ない。

日本にとどまる限り、EID には救いがないという意味地獄だ。日本で、外国人と接触してみたが、これもダメだった。当たり前だが、日本に長くとどまる外国人は何らかの理由日本が気に入っているからそうしているのであり、日本文化に対して肯定的・受容的だ。ある意味、彼らも半分「日本人」なのである。こういう人たちと私は心から打ち解けられないことを知った。

人生を振り返るに、私がわずかに心の平安が得られたのは、どこかの国に言って、日本人ほとんど付き合わず現地語だけで現地の人たちとだけ付き合っていたときだった。彼らは特に日本のことも知らないし、興味もなかったが、私を人間として受け入れてくれた。だが、そういう環境では私はカネを稼ぐことができなかったのだった。日本人は、よほどのことがないかぎり、外国に行っても、日本と全くつながりのないところでは行きていけない。たいていは、日本企業など日本組織団体との関わりの中でカネを得て生きている。

私が海外にある日本料理店が嫌いだ。そこに日本風のカラオケとかおいてあるのを見ると吐き気がする。ところが、そういうところが大好きで、絶えず日本に戻りたくて仕方ない日本人たち(大企業駐在員とかね)と一緒に仕事をしない限り、カネは稼げないことがほとんどなのだ

はい日本で働いて暮らしている。あえて外国事物は見ないようにしている。海外旅行にもほとんど出かけていない。外国事物を思い出してしまうと、日本に住まざるを得ない自分が悲しくてたまらなくなるからだ。日本に対する嫌悪が胸をいっぱいにしてしまうからだ。

独立した個人海外で長く住む上で一番重要なのは経済力だということをさまざまの経験から知った。だから私はまるで出稼ぎ労働者のように必死に働きカネを貯めようとしている。いつの日、日本を出ていき、二度と戻ってこなくても済むように。どちらに転んでもつらいし、おそらく私のような人間理解してくれる人たちもほとんどいない。どうせ増田に書いても、どこかの「国士様」たちからさんざんにけなされるだろう。まあそれもいいさ。とりあえず吐き出さないと気が狂いそうだったので、とりあえず書いてみた。

だけど、もし私に似たような人がいるとしたら、私は声を大にしていいたい。あなたのような人は一人ではない、と。私も同じだと。たぶん、世界中に同じような人たちはたくさんいると思うのだけどね。最近まで、性同一性障害者が社会で虐げられていたように、世界国境線で分割され移住が少しも自由でない現代は、まだ民族同一性障害者にはつらい時代だ。いつの日か、人々が自由自分民族性国籍や住む場所を選べる時代が来ることを願っている。

私が子供を嫌いな理由

おそらく私は私の子供が嫌いだ。

自分のやりたいことの方が優先で子供と触れ合う事自体タスクの一つと思ってしまうほど。

元々は子供好きで他人の子供の面倒を見るのは嫌いではなかったはずだが、

いざ自分の子供にはどこか冷めた部分がある。

理由を振り返ってみて思い当たることとすれば、

子供が出来てからの妻の私への思考と態度が変わったことが大きいと思う。

それまで世にいうバカップルのような接しかたをしてきた、

今までの彼女の中ではお互い依存するレベルでの付き合いであったが、

お互いがそれを望んでいたしこれからずっとこのままだと思っていた。

が、子どもができた事で一番が子供になった。

もちろん当たり前な事である理解はしている。

その結果、妻と触れ合う機会がなくなった。

正確にいえば拒否されるようになった。

日頃の子供にくっつかれてるのに夜は旦那にくっつかれるのは苦痛だと。

これにより私の中で子供に妻を取られたという思考形成されてしまったのではなかろうか。

依存体質な妻は子供スイッチしたため、私は依存先をなくしてしまったため趣味に逃げた、下手して他の人間に拠り所を求めないために。

自ずと妻も自分のしたいことをしだした。

妻が私を拒否する以上仕方ないことだとおもう。

しかし妻はそれすら否定した。

もっと子供と私を見てくれと。

昼は子供相手、夜は一方的な妻の話し相手

もはや日々のタスクとして消化する日々になってしまっている。

妻に話そうにも自分のやりたいことをやる時間と妻と触れ合う時間が欲しいなど自分ワガママを通したい主張をいうのもエゴだとわかっているので口が開かないし、伝えたところで父親としての責任をみたいなことを言われてる終わりなのが目に見えている。

これが私が自分の子供を冷たい思考と態度をとる理由なんだと思う。

もはや子供だけでなく、妻や同僚、周りの人間すべてに対しても同じ対応をしている気がする。

どうすればいいんだろうか、誰にも相談できないのでここに記しておきます

父親と夫と彼氏っていう立場責任狭間自分のやりたいこと望むことへの葛藤を世の中の人たちはどう克服しているのだろうか。。

2018-06-16

anond:20180616165019

登場人物内面葛藤も何もかもお話の都合ありきで薄っぺらいことこの上ない。

最後はどっかで聞いたような陳腐人生訓垂れたら都合よく問題解決

2時間サスペンスの崖のしょうもないやり取りレベル

2018-06-08

アル中DV父親の元で育った、おっさんの心境的なもの

母親はこう言う

あなたには昔から才能があったのよ」

はあ、そうですか

もしあるとしたら、大人になってから発揮されたのは

子供の頃の生活に、何か足枷があったってことですかねぇ・・・

自分は親のようにはならない、難しいかもしれないけど同じことはしない

ずっと自分に言い聞かせて、必死にやってきただけなんだけど

自分としては、悩みや葛藤挫折は物凄かったんだけど

それも「生まれが恵まれていた」という論にしちゃうんですか

えっと、20年以上、俺の何を見てきたんですかねえ・・・

自分彼女恫喝暴力を振るうのではないか

この恐怖をずっと抱えて、危うくそうなりかけた場面もあって

それで、何年も付き合う相手作るのやめた時期もあったんですけど

実際に克服したと思えるまで、10年は掛かったんですけど

随分と都合の良いことを仰りますなあ

俺があなた達に対して、家族や友人に持つような親近感がないと言ったとき

すげーショックを受けてたみたいだけどさ、え、分からなかったの?

ほんと、何を見ているの?地に足を付けて生きてんの?どうなってんの

なんか、そんなんだからなあ

周回遅れでグラウンド走ってるから

ちゃんと走れるだけで有り難いとしか思わないんだけど

自信持てとか言われても、まだ追いついてないし

まあとりあえず、おっさんは懲りずに生きることにするよ

捥がれた手足を探して取り戻すような人生だけどさ

それはそれで宝探しみたいで面白いよな

素直に人生を走れてる奴はがんばれよ

まあ、子供は大切にしてやってくれ

2018-06-07

「負のバブル化する東京圏」に未来はあるのか

狂気ゲリラバブル住宅高騰が発生している横浜市は、地価の高騰が社会問題になっている川崎市と隣接している。その川崎市に隣接しているのが東京都再開発&地上げラッシュが起きている地域だ。通常では考えられない問題が、奇しくも同時期に、近所で起きている。

都市部地方格差拡大問題はすでに多くの人に取り上げられてきたが、ここにきて、大きな問題として浮上しているのが、都市問題である。見えてくるのは「負のバブル化する東京圏」という問題だ。

東京圏というと、日本の中心とか、観光地のすがすがしさや、文化情緒などをイメージするものだ。そしてそういう豊かさもあれば自然文化もあるような、勝ち組豊富さにひかれた人々が集まった結果日本国民の20%が住む人口の規模に発展を成し遂げたのも事実だ。

ところが、そういう魅力のあった時代は、どれも2011年より前に偏っている。東京都だって2012年以降はハッキリ言って無機質な再開発が進むだけで、池袋にせよあるいは下町極北として知られる23区東部にせよ、その時代は昔に偏っている。

東京圏には街ごとの序列意識がある。実際には、地価も安く店舗交通網の多い郊外下町地域の方が住むにはい場所で、むしろ山手線の内側や中央線沿線西側治安リスクインフラ事情の貧弱さによる問題や何より高齢化問題を抱えているのだが、東京圏はとにかくそのような事情無視するのである

私は2011年以降を「東京圏の黒い時代」と名付けている。都市圏との境目までは延々と個性ある光景が広がる。境界線から都市側に行くと、ある段階で急にその流れが終わる。神奈川県を抜けたら、山手線周辺に入ったら、埼玉県千葉県を抜けたら、急に、歴史ある土地柄とは思えないファスト的風景や無機質な風景になるのである

地域性がハッキリしているのが日本都市とは言われている。阿佐ヶ谷亀戸のように、駅名だけでイメージがつく。八王子なら高尾山風光明媚さ、立川なら公園みたいに。しかし、東日本大震災以降の、「東京圏の黒い時代」は、はっきり言って、似たり寄ったりのものが増え続けているのである

私は東海道線横浜から東京に行くたびに、電車を降りて駅を出て歩いたときに見かけるあの「同じ都市風景」に、思うことがあった。赤羽でも、秋葉原でも、新小岩でも、渋谷でも、練馬でも、そして東京都の外の川崎横浜でさえも、既視感のある風景特別理由があるわけでもないのに妙に没個性化していて膨大な人や金が凝縮される感じ。

たまたま職場に近かったから」「たまたま学校に出やすいから」「たまたま住みやすい家があるから」「たまたま生活に便利だから」という、都会人の生活に至る中継点としての、半端な利便性関係性を抜きにすればあまり成立しないところに、いびつな成長を遂げた姿があるのである

こういう場所で、このような社会問題連鎖して起きているということが、私にはとても気がかりなのである昭和裏社会もののようなイメージもあるバブル期ではなく、アベノミクス時代の方が実は事態が深刻で、市民悲鳴を上げていて、頻繁にクローズアップされる現実は、日本人として見過ごせない。

大阪などよりは景気がよく、おまけに賃金水準日本でもトップクラスで、多様性もある。その代割り、それ以上の価値はあまりないという場所に生きる日本人たちは、いったいどのような意識形成するのだろうか。私とその家族も、あなたたちも、ほぼ同じ環境にいるはずだ。

しかし、2010年代くらいになると、地方しかなかったファスト風土光景が一気に都市部に広がり、凝ったチェーン店文化はより高次のニーズを満たす街中のそれらに客を奪われる形で潰れ、貧困高齢化多文化共生などのあおりを受け、都市部繁栄の広がりは陰りをみせてきた。

オタクだったら池袋秋葉原関係池袋の方が本来は規模が小さいが、力をつけている池袋側のオタク文化歴史多様性以外なにもない秋葉原は負けてしまう。オタク企業も西に移っている。そして西側の方が多様化が進んでいて成長が著しい。結果秋葉原文化は6年ちょっとでどうなったか。もう、電気街さえ。

じゃあ池袋がいいかというと、多摩地域と同じで一定インフラ群はあっても、妙にひっそりしていて、千葉都市部もっとオーラを悪くした感じなのである昭和時代に無機質に造成された建物がくすんでいる。人口も減りかけているだろう。

限られた都会の極地以外は、過去のように「勝手に集まって勝手に増えて勝手にぎわう」流れは通用しないでいる。とにかく輝きといえるような流れも何一つない。

2000年代の大阪と何も変わらないような環境なのである

しかし、大阪と違うのは外からの「東京圏人口が最も多く、資源に富んでいて、日本の中では一番豊かで洗練されていて上等な部類に位置している」というイメージはあるということで、やはりギャップ葛藤するのである不都合現実、分断、ゆるやかな荒廃。こういうのを一番痛感するのが私たちだ。

でもこの「東京圏の黒い時代」にこそ、社会の急激な流れを感じる人が多い。現在では過酷セクハラ常態化し「セクハラされた男社会4ね」という女性叫びネット上に飛び交う。

この「東京圏の負のバブル化」を本気で考えなければいけないのが、今の東京圏の現状だと思う。これらの場所オーラ改善させ、2000年代までのような自・他ともに認める固有の性質を各地が確立でき、いびつな偏りのない競争が起きるくらいまで調整する役割を、私たち放棄してはいけない。

2018-06-04

https://anond.hatelabo.jp/20180604155423

自分もP5のアニメ組で原作プレイなんだけど、

改心と称して人の自由意志を捻じ曲げて自分たちの都合の良いように操ることに無自覚で、ソレに対する葛藤が肝なんだろうなって思ってたんだけどそういう掘り下げはなさそうなのか。

他人自由意志を踏みにじり思うがままにする悪党であり、どこまでいっても盗人という犯罪であるという自覚をもって英雄として完成するピカレスクロマンじゃなかったのか……

2018-06-02

anond:20180602224617

どんな能力を持ってても「国を救う」の定義で終始葛藤しそう

アメフト問題の中に無形のコモンズを巡る葛藤を見る」

うわあ、馬鹿が小難しい表現で中身のないことを書き散らかしてるなあって感じ

http://d.hatena.ne.jp/essa/20180601/p1

2018-06-01

腐女子ってなんでこんなにたくさんいるんですか?

なぜこんなにも女オタクの中で「腐女子」の割合が大きいのでしょう。

前提として、誰かの嗜好を否定するつもりはありません。

びっくりするほど長くなりました!ごめんなさい!

はいわゆる二次オタクと呼べる趣味を持っています。もうちょっと若い頃は男性向け~女性向けまで幅広く好きでしたが、

最近は人気のアニメソシャゲ女性向けのタイトル以外で課金しているのがFGOくらい)、ジャンルわず漫画を楽しむ程度です。

二次創作は支部SNS検索する程度には好きです。イベント等にはしばらく足を運んでいません。

最近女性視聴者を中心におっさんずらぶも流行っていて、やっぱりBLって全体的に受け入れられやすテーマなのかなと思ったりしてます

まわりのオタク友達女性)は、8割がいわゆる腐女子です。みんな良い人です。

私はBL嫌悪感はありません。二次創作としてゲイ設定でない男キャラ同士の恋愛を見ることにも、抵抗はありません。

ひとつ作品として楽しく読めます商業BLなんか、自分で続きを求める程度には普通に好きです。それでも私は、公式非公式わず男女のカップリングを好きになることが多いタイプでした。

まりオタク同志の交流必要としてなかった頃は「腐女子か~」くらいの認識

それでも年齢を重ね、SNSなどの普及でネット上でのオタク友達が増えるとその腐女子の多さに驚きました。NL勢はもちろんいるし、夢女子もいるけれど、作品の枠を取っ払って「女オタク」という括りで見た時に腐女子割合が圧倒的に多いなと感じました。

※中には「夢要素含む腐女子」「NLも好きな腐女子」「恋愛面については男×男以外地雷な腐女子」と様々なタイプがいます

腐った理由は?という問いの答えでよく聞くのが「間違えて読んだ作品BLだった」「BL二次創作にうっかり萌えしまった」「男同士だからこその葛藤に惹かれる」など様々。

リアルに仲良くなった腐女子数人に失礼であることは承知で「あなたから見た腐女子」を聞いてみました。

ネガティブ系の意見が多くなってしまいましたので、不快に思われたら申し訳ありません。

腐女子の数が多い理由は単純に非オタより男女の恋愛にひねくれた思想を持っている部分があるからだと思う。

・男女CP地雷の人は特にだけど、男女の恋愛トラウマ劣等感を抱えている人が多い。現実男性が苦手な子も多い。

自分女性としての性にある意味自信がない人が多い。(外見や内面わず

・受けもしくは攻めに自己投影している人もいる(キャラ恋愛したいと思っているが、複雑な心理で「夢女子」にはなりたくない)

上記のような人は、当然だけど図星に近いことを言われると否定する。本当に無意識な人もいる。

純粋男性×男性恋愛を楽しんでいる人は特にCPを下げるようなことは言わない。マナー問題というよりは、精神面が安定しているから誰かと比べない。自分劣等感がない。

・男同士だからこその関係性が萌える部分があり、それは友人関係で十分成り立つのも分かるのだけど、男性に比べて女性はどうしても「恋愛」に結び付けたい思いがどこかにあるからこそBLという境地にたどり着いてしまうのかもしれない。

BLCPとして人気のある男性キャラ公式非公式わず女性の人気CP相手がいる場合、今より若いころ(中学高校)は本当に嫌いになってしまうことも多かった。割り切って考えられなかった。

 理由は「その女キャラ性格が~」とか理由をつけていたけど、結局はBL理想押し付けていた部分がもちろんある。結局は女を好きになるのか…という思いが生まれ、何故か耐えられなかった。

・昨今のLGBT応援の風潮を過度に笠に着ている人もいる。(もちろん現実LGBTについてはもっと理解されるべきと思っている)

上記のような理由はもちろん私の知り合いの腐女子から見た一面でしかないので、全体に当てはまるわけではないでしょう。

NL好きに当てはまる部分も少しあるかもと思ったので腐特有というには信憑性もないかもしれません。

ただ、こういった話は聞く腐女子聞く腐女子みんなから程度の差はあれど出てきました。

時々見る、「私以外の女と〇〇が恋愛するくらいなら、男にとられたほうがマシだから男×男は好き」という意見も興味深いです。

恋のライバルが女なのか男なのかで、嫉妬するしないの差が生まれるということなのでしょうか。

私は腐女子がなぜこんなにもたくさん生まれるのか知りたかったのですが、色々聞いていってもネットで調べても限界はあり、簡潔な答えは出ませんでした。

調べていくうちに腐女子心理分析()みたいになってしまって話が逸れてしまったのもあります

繰り返しになりますが、腐女子はなぜこんなにも多いのでしょうか。

市場規模どれくらいなんだろう。

男×男の恋愛を描いた二次創作や漫画作品を、私は少女漫画などの男女の恋愛を描いた作品と全く変わらない気持ちで見ています

それなのになぜ二次創作などで男女の恋愛の方に重きを置いてしまうのかと言われれば、そのキャラたちが基本的には異性愛者として描かれている/ゲイバイだという描写がないからかなと自己分析しています

そのキャラたちを恋愛と結び付けた二次創作が見たい!となった時に、自然に異性を当てはめてしまます同性愛を軽視しているわけではないと思うのですが…。男性キャラ同士でどれだけ絆で結ばれた相手がいようと、その関係にどれだけ萌えようと、あえて私自身の思考により恋愛関係に持っていこうという流れにならないのです。

純粋に疑問です。気になります腐女子としての思想を一端でも理解してみたいです。

不思議です。私もBLに抵抗はない。読む。楽しい。でも一番好きってわけじゃない。腐女子BLが一番好き。そこの違いってどこからまれるんでしょう。

男同士の恋愛を皆さんはどうやって楽しんでいるんだろう。私とはやっぱり違うのでしょうか。それとも意外と同じような楽しみ方なんでしょうか。

重ねて言いますが、腐女子否定しているわけではありません。ただ気になるんです。

腐女子ってなんでこんなにたくさんいるのでしょうか。面倒くさくて、長文でごめんなさい。私にも、誰か教えてください。

[]

今回はとなりのヤングジャンプでも読める、シンマンGP2018のエントリー作品

エントリーNo.1~4までの感想

ローローリップ (シンマンGP2018 エントリーNo.1

主人公秘密は、ストーリーものに慣れている人が警戒して読めばすぐに見当がつくから、前半すぐに明かしたのは割り切ってるなあ、と思った。

プロットとしては、読み切り作品だと定番な「隠された力を持った主人公が、土壇場になって奮起する」みたいな話。

その隠された力が、敵側の力だっていうのも今日び珍しくないかな。

本作はそのことについて前半であっさりと明かされる構成から、どちらかというと主人公がそのことで葛藤するのと、取り巻く環境世界観)について楽しむ感じだろうか。

主人公葛藤については、死が怖いからというよりも、周りからプレッシャーや、自分の隠された力を使うことで人としては死ねない、といった具合にちゃんと練ってあるのは好印象。

絵に関しては、特に表情の描写で強いこだわりを感じさせる。

ただ、まあ、話の軸となっているのが主人公葛藤になっているのは良くも悪くもって感じだなあ。

結果、他の鬼殺隊の活躍する描写が皆無に近くて、妙に設定とか作りこんである分、無駄情報を羅列された印象を与える。

話の構成上、善戦させたらダメだってのは分かるし、前半で語られた背景と齟齬があるわけでもないけれども。

まあ、批評とかそういうの抜きにして、単純に今回の企画を楽しむ(期待する)上で、エントリー作品レベルの高さを見せるスタートダッシュとしては申し分ないと思う。

さばいさんインザブッシュ (シンマンGP2018 エントリーNo.2)

タイトルで察しがつくけれども、いわゆる“ナントカ女子○○さん(ちゃんタイプ”の漫画

常識人男子と、特定知識スキルに特化した非常識女子が主役ね。

プロットの都合上、絵の動きが少なくなりがちだから、主役の女子に「サバイバル」という要素を付与したのは良い判断

おかげでアクションシーンを描く理由が出来て、作者が画力をある程度見せることに成功している。

女子披露するちょっとしたウンチクとか、奇抜な言動によって発生する嬉し恥ずかしのイベントとか、コレ系の漫画の要所は抑えているし。

強いていうなら、主役の鯖井の言動がやや悪目立ち気味かなあ。

作中での主役、目立たせるのは女子のほうってのは分かるんだけれども、男子紋切り型の巻き込まれ役って感じなのもマイナスポイント

まあ、全体的な印象としては、作者の力量を見せつつ無難テーマをこなしたかなあって印象。

Guns and Valinta ガンズ アンド ヴ (シンマンGP2018 エントリーNo.3)

うーん、こういうのって判断に困るなあ。

本作がシンマンっていう、「連載権をかけた賞」という土台に乗ってなければ、もっと評価したいんだけれども。

なにせシモ・ヘイヘを題材にした漫画って時点で、話の骨組みとしての面白自体担保されているわけで。

素材が良いから、作者がよほど無能でもない限りは、そりゃ面白いだろうっていう。

本作のストーリー面白かったとしても、それは作者の手柄だとは言い切れなくなる。

もちろん表現力とか構成力とか、そういったところでの評価は出来るけれども、そこと完全に切り離すのって難しいよね。

題材選びも含めての作家の実力と割り切るなら、まあ面白かったかなあ、と。

D-ドリーミン (シンマンGP2018 エントリーNo.4)

最初読んだときはそこまで大した印象がなかった。

絵やコマ割、演出などの表現力の面では小奇麗でもそれだけって感じだし、テーマもそこまで深くないしね。

ただ、感想書くときに改めて読み直してみると、中々にあなどれないとも感じた。

話は主人公ヒロイン学生生活での表面上の関係性と、プライベートでの秘密関係を対比させつつ描いている。

で、この「プライベートでの秘密関係」というのも、学生生活とはベクトルが異なるだけで同じく表面上のもの

けれども、ここに主役同士の対立を軸にすることで、話を展開させつつ関係性が深まる理由付けをしている。

で、合間合間にちゃんと主役二人の設定や現状を説明しつつ、自分自身のポリシーや、互いのことをどう思っているか、というのも描いている。

そして最後には、二人の関係が初めの頃とは違い、少しだけだが確実に深まったことが分かる描写で終わる。

正直、ラストまでの展開は予定調和気味というか尻すぼみではあるけれども。

キャラクター関係性に説得力を持たせる上で必要ドラマを丁寧に描いている構成力は、特筆して褒めるような作家個性ではないにしろ、ここをしっかりこなしたこと個人的には評価に値すると思う。

2018-05-28

ネットでバトルばかりしていると、マイノリティ葛藤告白も、金儲けのための芝居にしか見えなくなる

嫉妬と戦い続けて勝った話

気づくまでが遅すぎた、傷つけるまではいつも早すぎて、取り返しのつかない別れもあった、それでも私を囚え続けた、嫉妬あるいは独占欲と、泣いて怒って無理に笑って、何年も戦ってようやく勝ち取った、悟り未満のちょっとした救いの話は、少し説教臭く聞こえるかもしれないし、何を今さら当然のことをと言う人もいるかと思うのですが、要は相手精神も肉体も、過去未来現在さえも、性欲の矛先も恋の宛先も安心の拠り処も、自分はそのどれについても排他の権を持たなくて、これは幼稚でロマンチック(=小説的)な恋愛観では受け容れ難い、しかし動かぬ真実で、親の死や自分の死と同様に、いつか受け容れないといけないものなのだと、本当に今さら説教ですが、これをどうか昨日までの私へ、今もなお嫉妬に苦しんでいる人へ、つらいね、その葛藤は正しいし、トンネルは思いのほか長く、思いのほか唐突に終わり、その先はきっと、おどろくほど明るく啓けていますよ。

記 迷ったときここに帰ってくるための道標として。

2018-05-27

anond:20180527233004

ワタシはその葛藤に終止符を打つべく週末にお迎えしました。

いまとても幸せです。

2018-05-25

なんかなあ。

3月に地元先のバイトをやめて、ゴールデンウイーク明けにバイトを探して、1つとある飲食面接決定まで辿り着いたが、今週、直前になって断られた。なんかもう自暴自棄になりそう。

ツイッターフォロワー大学友達ほとんどバイトしている。自分大学講義が2年なって忙しくなったけど、下宿ということもあるから、少しでもお金でも稼ごうと探した結果これ。なんかもう、将来も真っ黒な気がしてきた。バイト募集なんて星の数あるけど、落ちたらどうしよう、人間関係でどうしようとの葛藤がある。そんなこと気にしてもしょうがないやん、とも思われるかもしれんけど。

なんか周りに合わせようと焦ってる自分が嫌になってきた。バイトもしてない大学生って何してるの?って思われてるけど自分でもわからない。

旅行ちょっとした遠出とかしたいのに、やっぱ地元先でのバイト辞めるべきじゃなかったかな。今思えばみんな優しかったし。仕事飲食多忙だったけど、給料はよかったし、復帰しようかな・・・・・・

大学3年から資格講座で地元に帰れるのは僅かになるけど、せめてもの1年だけでも、復帰できんかなあ。

効率的ではないし、帰れる日も多くはないし、まともに稼げるかはわからないけど。

でもいずれは下宿先でバイトさなければならないのはわかってる。


あああああああああああああああああああああああああああああああああああああもう、たかバイトときでなんでこんなにも悩まなきゃならあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そんな自分が大っ嫌い。お前の本業はなんだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2018-05-24

anond:20180523210828

はいえ難しいよね。

それをやりすぎると、仲良しクラブみたいになってしまったりもあるし、自社カルチャーに合う人ばっか採用していていいのかという葛藤はある。

2018-05-23

正解するカド」の俺の中の正解

12.5話の総集編見た。

https://www.youtube.com/watch?v=lAqqua14Kq8

テレビ放送1話見て震えて毎回期待して盛り上がっていたが、9話以降でずっこけて、なかった事にしたかった者としては、ひとまずうまいまとめ方にした総集編でそれなりに納得できた。

しかし、これ観て改めて自分の中でこんな風な話ならよかったのに、という妄想が再度沸き上がったのでここに書きなぐっておく。

要は幼年期の終わりをやって欲しかった、という感じ。

ワム登場と制作方法公開まではもう最高だと思ってる。

個人的にはここで物語上で数年位の時間経過が欲しかった。

エネルギー問題解決世界が大きく変貌した事を見せてほしかったなー。

テクノロジー進化と、生活の変化、人々の価値観の変化を群像劇として見せたら面白い描写山ほどできそう、

逆にワムに頼らないアーミッシュ的な団体反対運動派がいるとか、でもその運動も下火になりつつあるとかね。

で、サンサは正直この作品はいらない気もするけど、あれを出すなら、多次元自分無限選択や行動を変えてひたすら人生分岐していくシチュエーションを受け入れる世界描写して欲しかったなぁ。

カドの話の結論として、真道やザシュニナの存在や沙羅花がこの宇宙ファンであるというテーマである。「自分という存在やこの宇宙は唯一無二のもので複製や代理が利かない」という描写をするなら、サンサっていらないと思うんだよなー。

この辺の描き方のルールを厳密に決めないまま唯一無二の自分サンサの両方を出すのはSF食べ合わせとしては良くない気がする。

サンサを出すならば、いっそタイムリープものでよくある、無限選択肢を個人が選べてしかも併存させられるって描写をやってほしかった。

そうしたら、人間自体基本的心理概念とかもすんごい所に行きそうだし、異方への転換を受け入れる人間無限可能性で出てくるので、話の描写としては難しくなるかもしれないけど、

やりようはあった気がする。

たとえば、物語描写する軸としての世界では、サンサ懐疑的で進展に戸惑う世界描写すれば良いし、他の自分可能性がおぼろげにしか見えない選択肢の世界としても描写すれば良い。

で、明確に多次元自分を感じ取れる人間は、ワムを作れる位レアケースとして描写すれば、話を追う側には納得感もある、例えば品輪博士は多次元自分を感じられずに憤るけど、もともとのスペックが高いので、別の手段で何とかしちゃうとか、彼女が多次元を感じる事すら再度一般化させちゃうとか色々描きようはある。

総集編は「唯一無二の自分」をテーマに再編集されたけど、個人的にはこの概念すら覆してくれるSFテレビアニメで見たかった。

いくらでも替えが利いて選択肢は無限に広がって行く可能性をサンサで示されたら、人類はどう行動するか?

で、宇宙の外まで自らの意思で広がって行く世界と並行して、今と変わらない世界選択する世界を同時進行で進めて行く様な描写を見たかったよなぁ。

で、その辺の葛藤もある物語世界では、極めつけとしてナノミスハインが登場して、物理的な運搬や移動の制限がなくなって、これが決め手になって、結果、人類が数年で宇宙に広がって行き、テクノロジー指数関数的に進化する。

でも、唯一無二の自分大事にする徭沙羅花はカドの到来する世界を嫌い、カドの影響が最も少ない宇宙に移動して、カドの登場しない世界のんきに生活するとか、そんなんで良いとおもってる。

ましてや、子供が出てきてデウスエクスマキナで終わらせるなんてもってのほか

それをやるなら物語の中の一人でも、人類全員でもいいでので無限の彼方まで行ってしまう事を描写して物語を締めた方がなんぼかよかった気がする。

人類絹糸として収穫されるかと思ったら、その蚕に養蚕工場どころか、異方のさらに外の異方の世界まで人類に連れて行かれてしまったザシュニナが最後に悔しがるとか寂しがるとか

そういうの観たかった。

あと、個という存在も超越して欲しかった。この辺は幼年期の終わりとおんなじだけど、取り残された人類が個を超越してどっかにいってしま人類観測して欲しかったなぁ。

それこそ、視聴者があっけにとられるほど、未来へ、概念の外へ、より広い世界に超越して欲しかったなぁ。

2018-05-19

心理学ってアテにならないよな

昇華・・・

社会的に実現不可能(反社会的な)な目標葛藤や満たす事が出来ない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること

例えば、満たされない性的欲求攻撃欲求芸術スポーツ学問という形で表現することは、昇華と言える。

wikipediaより

スポーツ選手のレイプ事件なんていくらでもあるじゃん

2018-05-18

anond:20180518141149

横だけど、若い女がエロ目線に対して不快を表出するための方法の一つが、あまり良い方法ではないのは確かではあるけど「きもーい」だというのは、あるかなとは思っている。

見られて不快だと思っている側にも、我慢葛藤や遠慮や配慮や、いじめてやろう貶めてやろうという積極的意図だけではない色んな感情もあって、その上でやっぱり嫌だと思うところから選んだ言葉が「きもーい」だったりもする面もある。

一撃必殺でやっつけないと反撃されるから言葉鋭利にして一つの言葉で殺しにかかるというか。

2018-05-14

38過ぎて上京した人

いたら話を聞きたい

地方住みでIT系仕事しているが、最近色々あって転職考えている(心の病気系ではなく、いたって健康である

転職先を探すなか、ぼんやりと、東京に出てみるのもいいかなあと、思い始めた。

一番の理由求人率だ。地方で38歳で再就職は気が滅入るような内容の求人ばかりだ。良いのには人が群がるし。

独身で、友人も少ない。東京みたいに人が多いとこ行けば、何か出会いあるかなーとか、そんなことも考えてる。

でも、そんな学生みたいな動機で、38歳のおっさんが動いてどうする?っていう葛藤もある。

地方には、上京した人に話聞ける場所なんてないから。歳とって上京した人いたら、どんなだったか聞きたい。

2018-05-05

大人になれない少年葛藤」ってなんだよ。ネットには「大人になれない大人」がたくさんいるのに……

2018-05-03

回転寿司で注文しかしない奴なんなの

回る皿との一期一会出会いへのトキメキ、干からびかけた皿を救うか救わないか葛藤、思いもかけぬネタが流れてきた時の喜び、それこそが回転寿司醍醐味じゃないのかよ

[]非主張的自己表現とは

非主張的自己表現とは

非主張的自己表現とは、自分意見気持ちは言わない/言いそこなう、言っても相手に伝わりにくい自己表現です。これには、曖昧表現や、人に無視されやすい自信なげな小さな声での話し方や消極的態度も含まれます。「自分ダメだ」とか「言っても分かってもらえない」など諦めの気持ちが潜んでいたりします。

非主張的自己表現は、相手から理解されにくいことがあります。また、相手を優先し、自分を後回しにするため、結果として相手の言いなりになってしまうこともあります相手意見が異なるときでも自分意見を言わないため、理解されなかったり、無視されたり、同意したと誤解されたりします。自分としては主張を抑えて譲ったつもりでも、配慮したことは伝わらず、感謝されることもないでしょう。

非主張的自己表現をした後には、「やはり分かってもらえなかった」「自分が引いて/譲ってあげたのに」「惨めだなあ」という気持ちがどこかに残ります。心から相手配慮し、尊重して同意したり、譲ったりした場合とは違うからです。

例えば、家庭の事情があっても残業を引き受けるおとなしくかつ有能な人、セクハラパワハラにあってもその辛さや不快な思いを伝えられない女性や部下などは、非主張的になっています長電話を切りたいのに言い出せない人、行きたくない誘いを断れない人なども非主張的です。

このタイプ表現をする人は反論しないために、葛藤やもめ事を回避してくれる「いい人」と思われていますが、一方で「都合のよい人」ともみなされがちです。排除されることはないのと引き換えに、本人は心理的負荷を負い、メンタルヘルス被害に陥っていくことにもなりかねません。とりわけ「攻撃自己表現」の傾向の強い人との関係では、その危険がより高くなります

一方、自分相手も非主張的自己表現の傾向が強い場合どうでしょう。話が弾まず、そのため互いに分かり合えず、苛立ちを感じながら突破口もできないまま、靴の底から足を掻いているような状態になっていくでしょう。

非主張的自己表現を続けていると

非主張的な自己表現の傾向が強い人は、相手を立て自分が遠慮することで、相手不愉快にさせまいと配慮しているつもりなのでしょう。

しかし、自分をないがしろにして、相手の言いなりになってしまうため、だんだん自分でも言いたいことが分からなくなっていきます自分で決められない、あるいは言い方が分からないと言った状態になることもあります

幼いときから命令に従うこと、譲ること、他者の言う通りにすることを当然として育てられていたりすると、自分判断することに慣れておらず、つい相手の言いなりになり、その結果、自信がなく引っ込み思案になっている人もいます

非主張的自己表現の人は、自分人権を自ら侵すようなやり取りを招くこともあります葛藤を避けようとして相手大事な決定を任せてしまうからです。また、考えを明確にしないことで、自分にも相手にも無責任になってしまうこともあります

長い間にわたってこのような非主張的な自己表現を続けていると、理解してもらえないという寂しさ、自分欲求を抑えている苦しさ、相手から大切にされていないという思いや惨めな気持ち欲求不満などが積もっていきます相手に対して「思いやりのない人だ」「鈍感だ」と心の中で恨みを募らせることにもなります

その蓄積した欲求不満や怒りは、相手や、時には関係のない人に向けられ、突然暴力的になったりすることもあります。そうなると「普段大人しくて優しい〇〇さんが、突然キレた」と言われたりします。本人にとってはそろそろ出してもいいと思っていた溜まった怒りの率直な表現のつもりでも、相手には理解されにくく、「八つ当たり」と思われることにもなります

一方で「キレる」こともなくひたすら忍耐強く自分を抑え、他者要求に応じ続ける人もいます揉め事を起こさず、相手をなだめ、その場を収める責任一定に引き受けることで、自分に「頑張れ! 頑張れ!」と言い続けるのです。周囲を立てることに必死になって、過重な負荷に耐えることにエネルギーを使い果たし、心身ともに疲れ切っていきます

その結果、頭痛肩こり胃痛などの体調不良に陥ったり、あるいは不快感やストレスの原因になりそうな場面や人に近づくことを避けたりするようになります。密かに孤独に耐え、感情が固まってしまい無表情になったり、突然うつ状態心身症になることもしばしばです。いずれの場合自分を大切にしなかった結果、相手も大切にしないということになりかねません。

どんな心理とつながっているのか

非主張的自己表現は、どのような心理と繋がっているのでしょうか。

一つは、その人自身の心の状態です。

自分の思いや考えを表現することで、相手不愉快な思いをさせ、相手から嫌われる可能性が生じたり、相手と違った意見を言うことで葛藤やもめ事が起きたりするのを避ける心理です。

そこには、穏やかな人間関係を求める心理と同様に、他者とのやり取りに自信がなく、自己表現することで起こるマイナスの結果を恐れ、相手に合わせることで安全を確保しようとする心理も働いています

また、前に「自分を大切にしなかった結果、相手も大切にしないことになる」と述べましたが、相手に合わせているつもりでも、実は相手に甘え、依存している心理も働いていることがあります

二つ目社会的文化的な影響からの心の動きです。

世の中で当たり前とみなされている習慣や常識に従うことによって自らの尊厳権利無意識否定する、という心理が働くのです。

例えば権威経験がある大人は立てる、先輩に逆らってはならない、といった常識や習慣は、未熟だとされている者の自己表現を制約しがちです。そのような常識や習慣を破る者は、集団社会から罰せられ、排除される可能性もあります。そこで、思っていることや気づいたことの表現を避けることで、相手社会に順応し、認められようとする心理が働きます

非主張的だと、こんな損をする

非主張的な自己表現をしていると、自分気持ち能力を確かめるチャンスも、自発性個性を発揮するチャンスも失ってしまいがちです。他者に合わせるあまり、気づかぬうちに自分否定否認してしまうからです。

しかし、そのような人は学校職場にとっては、どんな存在になるでしょうか。アイデアや考え方を表現することによる貢献がないので、評価もされにくいでしょう。また、所属するグループ組織にとってもその人の存在は、「宝の持ち腐れ」になっているかもしれませんし、厳しい言い方ですが、損失をもたらすものとなってしまます

相手に及ぼす迷惑

非主張的自己表現の傾向の強い人は、一見控えめで相手配慮して一歩引いているように見えるので、相手は「同意してくれた」「気持ちよく譲ってくれた」と受け取るかもしれません。ところが実は、「分かってもらえていない」「感謝が十分でない」などの不満や恨みを持たれているとしたら、相手はたまったものではありません。

また、常に遠慮されたり、自分意見を引っ込められたりするのも、相手にとっては居心地が悪いものです。フランクでない対応に、居心地の悪さだけでなく、苛立ちや優越感、時には哀れみを抱くことにもなりかねません。

2018-05-02

何故、主人公最強系が流行るのか

ストーリー王道は、友情・成長・勝利三原則とよく言われるが、今の世代にはたぶんこの三つの要素が欠如しているのではないか

悟り世代とはよく言ったもので、戦後70年。成熟社会に到達して早30年。

人生キャリアパスも、大抵の人間葛藤分析されきってしま

学校に言ってもいちいち葛藤とか迷いとか人間の弱さと向き合うなんて経験ほとんどしない。

人生で迷ったり戦ったり挫折したりする前に、既にあらゆる答えが存在していることを感覚にわかっているから、「敵にも家族がいる」だの「私たちが戦う理由」だのいちいち考えたりする必要すら感じない。

したがって、共感に伴う体験といったベースがないから、主人公の迷いや弱さを物語の中で示されても共感しづらい。むしろ滑稽に見えてしまうわけだ。

から作品の中で出てくる主人公は既に答えを知っている必要があるし、当然選ぶ選択のすべては正しく、そして主人公絶対に負けない。

負けた経験の上に勝つことで成長する、というストーリー王道に対する共感力が乏しいのがすべての原因なんじゃないのか、と思うんだが、どうだろう。

2018-04-28

ダーリン・イン・ザ・フランキスセカイ系群像劇がつぶしあってる

キルラキル好きだったんでダリフラも期待してたんすわ。

一話で違和感あったけどきっと面白くなるんだろうなって信じ続けてもう15話っすわ。

3話切りっていうけど、3話で切れる人って強いな。自分は「いや…きっと…きっと名作になるんだ…」と思い続けて視聴を続けてしまったしたぶん最終話まで特に感情を動かされることなく観てしまうだろう。ギャンブルとかやっちゃいかタイプだな。

で、まあ、タイトルなんだけど。

やっぱみなさんエウレカセブン連想するだろう。エウレカセブンも超最高だったというわけではないけど、よくできてたと思うのであれと比較をしてみた結果なんとなく自分の中で答えが出たので書き留めておく。

エウレカセブンはいわゆるセカイ系だ。ボーイミーツガール、その二人の好いた惚れたが作品内の世界のものの存亡とかあれこれに関わるやつで、国一つの存亡とヒロインに誤解されたとかそういうのが同程度の重要性を持っていて、ヒーローヒロイン以外のすべては二人を引き立てるためだけに存在している。ヒーロー葛藤するためのトリガーヒロインが惹かれるための比較対象ヒーロー挫折するため、ヒロインが奮闘するため、そういった理由で配置される。

で、まあ、ダリフラセカイ系なのかな、と思いながら1話2話あたりを見ていたが、どうもそうでもないんか?ん?となってきた。

どうも13部隊のコドモたちも同じように描写して、群像劇ジャンルにしようとしてるのか?という気配がされてきた。フトシココロミツルあたりのあれそれとか、ゾロメのお当番回とか。田舎の小中学校少年少女たちの物語、的にしようとしてるのだろうか、という気配が出てきた。あの花は未視聴だがおそらくあれもそういうあれだったのだろう。ヒロとゼロツーがメインではない回がそれなりの頻度ではさまれているし、13部隊のコドモの葛藤はヒロとゼロツーの感情を動かすものとして存在していない。

まり彼らはセカイ系用の登場人物ではない。

しかし展開はどう見てもセカイ系なのである。ヒロとゼロツーがプロットを動かすと、周囲がとたんに物分かりの良い態度を見せ始める。脇役らしくもなく、自我をもって存在しているでもない、ふしぎな存在感になってしまっている。

セカイ系群像劇は両立が難しい要素だが、どうも、ダリフラでは両方を遂行できると思っている、あるいは「ダリフラセカイ系です班」「ダリフラ群像劇です班」が衝突しあってどちらにもなれていないのでは?と感じられてきた。

セカイ系群像劇が両立していて、かつロボ的なものが出てきた作品というとアクエリオン無印ガンパレードマーチが想起される。

ただ、あの二つは周囲のキャラも負けず劣らず濃くて、なんなら全員が彼ら主役でゲームなりアニメなり一本余裕で作れそうなカルマと設定を背負っていた。全員それぞれ他作品から集まってきました、本作ではあんまり出番がないだけでみんなよそでは主人公やってるんすよと言われても「あー、あーー(わかる)」となりそうなくらいだった。

いろんなジャンルをぶっこんで、その中で今回の作品では「セカイ系」というジャンルおよびメインカメラ担当してるのが芝村と速水、アポロシルビアなんですよ、みたいな。周囲も全員主人公クラスからなりたつ、セカイ系群像劇の両立。

そんでさあ、ダリフラは、セカイ系のメイン二人を据えときながら、その群像劇要員にふつうモブ(あえてモブという)あてちゃってるんよね。13部隊に、もっと100回くらい自分クローン投入してるとか整形してるオトナとかなんとか、重めの設定全員につっこんでみたほうが群像劇としてのバランスはとれたような気がするのよね。

てかそうか、バランスか。群像になってないのか。なってないのにそういうふるまいをしてんのか。

いろいろいうけどとりあえず最後までは観るような気はしてる。

でもさあ、15話の、月相合傘っていうかラブラブ天驚拳はさあ、いいけどさあ、いいんだけどさあ。

まあ最後まで観るだろうけどさあ。ルル子のほうが楽しかったな…

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