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はてなキーワード: 神話とは

2017-10-19

創造主じぇいこんネガティブブックマークコメントが溢れる下界の有様に心を痛められてプラス評価しかできないはてなスターを造られたというのは誰もが知る神話だと思っていたが…

2017-10-16

anond:20171016172750

そういう話は増田みたいな母性神話を信じている男にウケがいいから広まるだけで、

現在でも養子制度普通に確立しているにも関わらず大多数の女が中絶を選んでるのが現実なわけだが…

2017-10-12

JK人知れずパンツの食い込みを直すとき紛れもなくスカートのプリーから入り込んだそよ風がウンスジとともにウンコの微粉を運んでいると考える時あの太ももに付着する成分のいくらかはウンコなのだ遂に我々はJK神話を打ち砕くことに成功した

2017-10-10

残酷な大便のように

中年神話になれ

蒼いエネマグラ

ケツの穴を叩いても

私だけをただ見つめて

微笑んでるあなた

そっとふれるもの

もとめることに夢中で

運命さえまだ知らない

いたいけなアヌス

だけどいつか気付くでしょう

そのバイブには

遥か未来 めざすための

イボがあること

残酷な大便のテーゼ

アヌスからやがて飛び立つ

ほとばしる熱いバイブで

思い出を裏切るなら

この尻(そら)を抱いて輝く

中年神話になれ

2017-10-05

アニメ化してほしい小説

大体アニメ化されるのは漫画ラノベで、小説はあまりない。

パッと思いつくのは

時をかける少女

ブレイブストーリー

四畳半神話体系、

有頂天家族

夜は短し歩けよ乙女

GOSICK

屍鬼

舟を編む

シャングリラ

獣の奏者エリン

ATE、

グインサーガ

精霊の守り人etc....

って結構あったわ!


えーとぉ、個人的アニメ化してほしい小説わ、

・大きな鳥にさらわれないよう

地球の長い午後

我輩は猫である(82年に一度アニメ化されているけど、それは無視☆)

老人と海

幽霊

・墨東綺譚

地球人お荷物

以上!


既に指摘を受けていますが、一般小説ライトノベルかという分類については、

ライトノベルレーベル電撃文庫、GAGAGAとか)から出版されているものライトノベル

一般出版社新潮社河出文庫とか)から出ているもの小説として考えている程度なので、

「その作品小説じゃねーよ!ラノベだよ!」とかその逆もあると思うので、ご了承の程何卒よろしくちゃん(.3.)

プログラミング文系理系もクソもない

僕はずっと「プログラミングはむしろ文系なんじゃね?」と思っていた

プログラマー必要な才能は一般的文系理系イメージからすると、むしろ文系だと思う

とにかく読み解く力と、シャレオツに済ませる力が必要

前者は読解力であり、後者ボキャブラリーとか処理能力とかサービス精神大事だと思う

プログラミングにおいては、前者は理解する力であり、後者実装をどれだけ分かりやすく簡潔にするかって事になると思う 職業プログラマーにはどちらも大事能力

でそっから色々調べるようになり、つまり文系理系もクソもないな、という事になって、結局その境って、思考をどこまで略するのか、そんな事にしか過ぎないなと思った

理系は苦手なので…っていうのは、事象を略しすぎている表現拒否反応が生まれからだろう

つるかめ算と言われると、理解しようという気が起きるが、連立方程式と言われると、知らんがなとなる

それが学問としての数学なのだと思う

最近Twitter話題の、重力波をわかりやす解説してみたみたいなのを見ていて、まぁ、よく分かんなかったんだけど、でもそれがコードの中に出てきたら僕はまだ分かる努力を最大限にするような気がする

プログラミングにおけるコード数学をむしろ退化させたような代物で、言語化されているからだ

僕は日頃、「神話は最古の中二病」と言っているが、「数学は最古のオタクなのだと思う

2017-09-26

けものフレンズという神話KADOKAWAによる神殺し

けものフレンズTVアニメ版は、神話構造を持った物語であった。

フレンズ達はヒトの叡智の残滓によって暮らしており、同時に世界ジャパリパーク)は危機さらされている。

そこにかばんちゃんという救世主が現れ、迷えるフレンズたちを救済していく。

すなわちフレンズ達は現世で苦しむ人々のメタファーであり、ヒトは神のメタファーなのだ

11話でセルリアンに取り込まれ復活するのは、

まさに一度ゴルゴダの丘で槍に貫かれ死んだイエスが復活した物語代表されるような再生物語であり、

「ヒトのフレンズ」だったかばんちゃんが取り込まれ元の「ヒト」に戻る、つまり神に成る物語に他ならない。

また、アライさんはカバンちゃんがした覚えのない「かばんさんの発言」を述べるが、

それもまるで弟子に寄って口伝され象徴化されていったキリストブッダを思い起こさせる。

神に生み出され、神に見捨てられた人々が、神から与えられた救世主によって救済され、新たな神を得る。

それがけものフレンズ物語だ。

そしてこれは、アニメの外の現実においてもそうだった。

アニメを含むオタク業界は、神を失っていた。

製作委員会によるメディアミックス一般的になり、二次創作によって誰もが創作者たる時代

宮﨑駿のような「作家」が「作品」を作るといった考え方は古いものになり、

企業」が「コンテンツ」を育成するという時代

その時代においては、1つのコンテンツには複数クリエイターがいるのが当たり前。

さながら「君はアニメフレンズなんだね!」「君は小説フレンズなんだね!」と言った具合で、

誰がそのコンテンツを生み出したのかよく分からないというそんな世界だ。

そして長らくエポックメイキング作品が生まれず、

ガンダムだとかエヴァだとか、ポケモンだとかプリキュアだとか、十年二十年前のコンテンツが未だに続いている世界

これはまさにヒトの遺物によって、フレンズ達が誰に導かれるでもなく暮らしている当初のジャパリパークのものである

しかし去年はそんな気分を吹き飛ばすように、次々と作家性の強い作品がヒットを生み出した。

新海誠君の名は。庵野秀明シン・ゴジラ片渕須直この世界の片隅に

どれもメディアミックス的な商業展開に頼らず、一人の作家依存しながらも、

同時に多くの人が参加することもまた許容する懐の深さがある作品で、

大きな広がりと作家の神性を両立しうる、新世界の訪れを感じさせる作品ばかりだった。

けものフレンズアニメ版も、その1つだったのだ。

たつきという神が君臨しながら、企業によるメディアミックスも、ファン二次創作共存しうる、新たな時代作品だ。

だが、ここに来てのKADOKAWAによるたつき降板

これはつまりKADOKAWAによる神殺しに他ならない。

フレンズたちを救い、身を捧げて戦ったかばんちゃんを殺した黒セルリアンが如き所業

なぜそんなことをしたのかはわからない。

だが少なくとも、たつき監督がいなくても他のクリエイターがやればいい、という考えを持っているのは確かである

しかし、人々はたつきを、神を求めている。既にそういう時代なのだ

確かにたつきけものフレンズというコンテンツ創造したわけでなかった。

アプリを作ったフレンズ」や「コミカライズ担当フレンズ」のごとく、

「一作目のアニメ担当したフレンズ」にしか過ぎなかったのだ。ヒトのフレンズしかなかったカバンちゃんの様に。

だが、たつきは多くの人を楽しませた。多くのフレンズの悩みに答えたかばんちゃんの様に。

からたつきは、人々の嘆きに応えて復活するはずだ。一度セルリアンに取り込まれたかばんちゃんの様に。

そしてその時、たつきは本当の神になるのだ。かばんちゃんの様に!

有名校に関する神話について

おいそれと他人にできる話ではありません。傲慢のものだとも思います

中学受験をして、目指していた進学校女子校に通うことになりました。でも、今、私は学校が好きではありません。

閉鎖的で息苦しい。

先日の文化祭で、来場なさった沢山の親子に質問を受けました。

一番多いのは、「この学校に入って良かったと思うことは何ですか?」という質問

どう答えるべきかは分かっています。私が答えてもらったのと同じようにすればいいから。

自分意志をもっている子が多いです。」

嘘。受験する学校どころか、文理選択まで親に指示を仰ぐ人も珍しくはありません。

先生方の刺激的な授業が待っています。」

これも。高学年になればなるほど授業中は塾の宿題スマホ睡眠。実際、進学実績と塾は切り離せない関係にあります

他人干渉しすぎない雰囲気があって心地良いです。」

耳障りの良い神話です。塾帰りに誰が彼氏と帰ってたとか、あの子メイクは濃すぎるとか、嫌でも耳に入ってきます

他の学校と比べてどうなのか、私には正確に知りようもありません。

そしてもちろん、私の学校の全てが悪いわけではありません。

沢山の学びを得ましたし、一生仲良くしたいと思える友人にも出会いました。

それでも小学生の大きな瞳を思い出すたびに胸が痛みます

2017-09-25

anond:20170923235802

ギャル定義次第だけど天鈿女ぐらいまで遡るんじゃない?

神話時代には既にありそう

2017-09-24

拘束時間に対してお金を払うのを終わらせるためにベーシックインカムを導入しよう

日本人が抱える労働生産性の低さを支えている要素の一つに、拘束時間に対してお金を払おうとするという悪しき風習がある。

生み出した富、付与価値に対して給料は払うべきなのである

21世紀にもなって人月神話にすがりついたまま滅びへの道を突き進むおろかしい「自称マジメ民族」こそが日本人なのだ

残業法案によってそれを解消しようという政府の取り組みがあるがあれは100%上手くいかない。

マジメに働いている多くの人達無駄仕事を増やしつつ奴らの天下り先を増やすだけで終わるだろう。

そもそも何故拘束時間に対してお金を払う必要があるのか、そこをまず議論すべきだ。

やいのやいのと無駄会議を長引かせて踊り明かすことは可能だろうが、最終的な結論はただ一つだ。

「もしも無給で拘束され続ければ資本主義社会で食っていけなくなるからである

逆を言えば、万一無給で拘束され続けても食っていけるようになれば拘束時間のものに金を払う愚かな風習は終わりを告げるのである

拘束時間ではなく生み出した物に給料を払えるようになれば、人は無駄仕事はしなくなる。

そんなことをしたら一見無駄に見えるが実は重要仕事をやらなくなると頭の悪い極論に走る阿呆は一度考えて欲しい、実は重要仕事だと分かっているのに金を惜しもうとするお前のような阿呆だらけでこの世界構成れいてると本気で信じているのかと。

○○神話って言葉

当時はそう思われていたけど、のちに間違っていたと判明したとか、基本的にあと知恵の言葉から神話なのになんで信じたんwww」とか言ってる人はちょっと知性が足らないと思う。

原発安全神話批判する者が憲法第9条神話を唱えるのはなぜか

日本原発は高度な技術が用いられているか絶対安全です。避難計画なんかいりません」

日本は憲法第9条があるから絶対安全です。自衛隊なんかいりません」

はどう違うの?

どちらも最悪の状況を想定しないとダメだよね。

2017-09-23

中韓家電が爆発や発火する本当の理由

ネトウヨ中韓家電の質が悪いと言う神話を信じているが、本当は逆で、中韓家電世界で最も質が高く信頼性があるからこそ爆発・発火事故を起こしているのである

これは一見とても直感に反することなので信じがたいことに思えるかもしれないが、工学統計リテラシーがある人には当たり前のことである

もっと安全もっとも普及しているからこそ幅広く流通し、それに従い不良品絶対数が増えることにつながり、その不良を起こしたニュースメディアを通して拡大されるのである

もともとニュースというもの特別事象からこそニュースになるのであり、中韓家電事故を起こすことは珍しいことだからこそニュースになるのであるもっと日本ではネトウヨ反韓反中感情もそれらの事故ニュース化に一役買っているわけだが)

2017-09-17

anond:20170917162526

ジャップ神話の神は認めるどころかほとんどだれも知らないから神じゃないよね

2017-09-16

anond:20170916093209

スライム実在概念だし土下座衛門も目玉と手足のキメラだが。

まったく新しいモンスターなんて神話民話まで遡らないと出てこないよ。

それでもキメラが多いけどな。ドラゴンだってコウモリの羽を持った巨大トカゲだし。

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-14

コンビニにあった珍回答の本読んでたら

ポスター看板突っ込みを入れるコーナーがあって、

その中に、可愛いといえない女性の絵の「痴漢あかん」ってポスターがあって

「誰がお前なんかに痴漢するか!説得力に欠ける」って書いてあった…

悲しくなった

「ブスは痴漢に合わない」という痴漢神話はもはや日本では浸透している常識で、いくら容姿関係ない」と言っても通じない。これを読んだ子供にもこうやって植え付けられていくのだ。

それに、説得力に欠けるとは?被害者になり得る人以外がその犯罪に反対するのはおかしいことじゃなかろうに…

2017-08-31

目トレ色トレ

パクトレ問題について、いくらなんでもいちゃもんだろうという糾弾が度々生じている。写真を見ながらイラストを描けば「目トレ(目で見てトレース)」。既存画像の色味をスポイトツールで拾いながら絵を描けば「色トレ」。模写や資料写真の参考として推奨すらされているような行為まで、著作権法違反かのようにあげつらわれることすらある。

なぜ、賛否両論パクリの指摘が絶えないのだろうか。「目トレ」や「色トレ」のように、いわゆる「なぞって書き写す」ものでない「トレース」を糾弾している人は、次のように主張しているように見える。「なぞり書きのトレースでないとしても、パクリパクリだ。他人アイディアや、創り出した魅力を剽窃する、非難すべき行為だ」。

トレパクが叩かれる背景としてはこのような、「他人の手柄を横取りする、卑劣行為」への嫌悪感がある、と思う。注意すべきは、これは著作権法において違法とされるものとの乖離が大きいということだ。著作権法は、親告罪であることを除いても、乱暴に言えば「まるっと複製」と言えるものけが違法となり、プラスアルファアレンジがあればそれはただの「新しい創作物」とされる。(企業ロゴなどの商標についてはまた別の話だが、おいておく。)

従って、「パクリだ!」に対して、「著作権法では問題なし」「荒木飛呂彦だってやってるじゃないか」という指摘は鎮火に結びつかず、「合法ならいいのか。荒木飛呂彦だって時代が違ったんだ」などと思われるだけだろう。パクリ(及び広義のトレース)を指摘する人間は、他人アイディアに乗っかって「創作物」を発表する、ずるい所業あいつはずるだと指差しているのだ。

まりにも自明でありながらも広く誤解されている神話として、「無から有が創作されることは皆無である」という真実がある。

美術史を紐解くまでもなく、文化とは古来より相互に「他人創作物を、一部真似してアイディアを貰って、創作する」ことを繰り返し積み重ねて発展をした。流行りの構図があり流行りの色の塗り方がある。流行りのドレスイラストレーションになり流行りのイラスト着物の図案になる。

流行る」とはアイディアパクリあうことであり、「流行りが廃れて新しいものが生まれる」とは、既存アイディアを踏まえた上で敢えてズラすということだ。なるほど、著作権法に触れずともパクリパクリかもしれない。他人アイディアタダ乗りする行為かもしれない。しかし同時に、それは卑劣行為ではなく当然の行為なのだ

では、言いがかりのようなパクリの指摘を減らして行くには、どうすればよいだろうか。自衛策のひとつとして、「影響を公言する」ことが有効だろう。「カラーパレットは○○をベースにいじったものです」「○○で画像検索して見ながら描いた」「この○○の描写写真家の☆☆さんの作品を参考にしています」等と絵に添える。あるいはプロフィール欄に誰を真似して描いているか公言する。重ねて、公開と同時または先行して「元ネタ」の著作者自分作品を紹介すると、潔白である旨のポージングになるだろう。

勿論、効果限定的で、「パクリだ」と指摘されることが無くなるわけでは無いだろう。糾弾者と対話するにあたって、この文章が役に立てば幸いだ。間違えてはならないのは、糾弾者は「お前の行為は法に触れる犯罪だ」と(間違った)主張をしているのではない。「お前は元ネタの魅力に乗っかっているにすぎない。調子にのるな」と言っているのだ。

2017-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20170828173633

女性神聖視する男性一定数居るのはそういう教育があるからで、その教育があるのは女性価値の上昇教育をしないと、旧来の社会にあった「男性存在価値女性存在価値」って言う構造是正できなかったからだよ。

言っちゃうとその神聖さってただの設定で実態はない。人権上の見地から女性価値を引き上げたい社会と、もう奴隷扱いされるのは嫌な女性が合同で創作した虚構だと言える。

これはいわば、女性に対して架空ブランド価値をつけてその地位底上げしようという作業だ。ブランディングによって女性地位は上がった。

女性から男性に対する神聖視はなぜ逆より少ない(ほぼない)のかといえば、それは有史以来の歴史だと、男性強者であったからだよ。狩猟採集時代から封建制にいたるまで個人の肉体能力暴力性能)は地位を守る重要な(ときには唯一の)手段で、男性女性よりこの点で優位だった。その後歴史舞台組織的社会うつっても、男性は前の時代リードを守り続けてきた(男性優位の父権社会)。つまり男性底上げをしなくても十分にその地位保証されてたから、後付の神話必要なかったんだよ。

からといって、こういった女性へのブランディング戦略が、ベストに良いものだったかって言うと、それも違う。

本来であれば「女性がその能力を十全に示して、社会において女性男性と同じように有用だと証明する」ことによって社会における女性地位向上を図るのが王道だったんだけど、それは色んな理由で当時は難しかった。さっき言ったように男性社会においては、そもそも女性には最初のチャンスが与えられないので、結果を残すことも難しかたから、証明までたどり着かなかったんだわ。いまでも完璧な受入状況を社会が作っているとは言い難い。

そこで次善の策として採用されたのが「女性という存在は尊くて素晴らしい女神のようなものなので、男性はその身命と権利を守るべし」という架空ストーリー価値観)なんだよ。封建主義社会騎士道的な世界観とでも言うべきもの。これが現在童貞力の先祖になってる。

2017-08-25

1999年SF映画、『マトリックス』とその続編についても批評家意見は一致していない。『マトリックス』は人類を救う救世主となる白人コンピューターハッカーネオキアヌ・リーブス)が主役の映画である[16]。マシュー・ヒューイは彼の著書、The White Savior Filmの中で、「コンピューターシミュレーテッドリアリティの外側の多文化的な景観に入り込んだ白人主人公が彼の恩寵を通じて、今にも起りそうな災害から白人の人々を救い始めなければならない。」と記している[17]。ハーナンとヴェラは著書、Screen Saviors: Hoiiywood Fiction of Whitenesssで『マトリックス』を人種が異なる援助者のチームを持つ白人救世主という近頃の白人救世主物語の「最新作」として分類している。彼らは、「その映画潜在的白人人種差別主義批判は、黒人キャラクターのモーフィアスやオラクル、モーフィアスの仲間のタンクやドーザーなどの白人救世主であるネオに仕える弟子たちなどの神話プロットによって否定される[18]。」 アディリフ・ナマはこれに対して、著書、Black Space: Imagining Race in Science Fiction Filmでモーフィアスとオラクル重要任務について「概して、その探求は白人救世主によってもたらされた任務よりも、黒人男性女性によってもたらされた任務のように見える。その黒人キャラクター簡単に読み解くと、ブラック・パワー運動公民権運動象徴的で文化的試金石や、それらの残余である[19]。」

本当は怖いサザエさんみたいな深読み芸になっててワロタ

2017-08-22

早く日本家電業界凋落するべき

日本家電業界はもう終わりだろう。

終わりと言えば語弊があるが、日本で作って日本で売るだけの企業になるだろう。

なのに今の家電業界企業は大きすぎる。

じゃあそれで何が問題かって、優秀な人材が未だにこのオワコン業界に流れていってることだ。

子供おもちゃを買うのにオーダーメイド人間国宝宮大工に頼むようなものだ。

旧態依然の人たちはいまだに大企業神話信仰し、子供大企業にいれれば安心みたいな思考があるので、必然的にその子供も大企業に集まろうとする。

から実態ではそんな価値のないところに、必要以上に人が集中している。

この現実をなくすためには大企業信仰を改めるか、誰もが目を覚ますほどの勢いで家電業界凋落するしかない。

SONY,日立,パナソニック,三菱…優秀な人材無駄遣いしてないで早く潰れてくれ。FUCK YOU

2017-08-16

anond:20170816102537

劇場版で描かれた、春香の本懐としての「私は天海春香から」というセリフが、自分の中では決定的なものですね。

天海春香というキャラクターを、公式が「描ききった」という感覚がいまでも確かにあります

寂しいものではありましたが、物語キャラクターを強くすると考える自分としては、とても心強くもありました。

「みんなのアイドルからアイドルマスター象徴」としてクラスチェンジした、という話はかなりしっくり来ます


「デレミリが765のような確固たる形を持っていない」、「それでは継続型のアイドルたりえない」、

「765が消費型から継続型へのシフトで完成していたとしても、ソーシャル型ではキャラが多すぎて難しい」、

自分は元の日記で書いていました。

勢いで書き出してましたが、あくまで765がたどりついた完成形にこだわるという前提なら、結構的確かなーと思います


で、今度は「私は天海春香から」というセリフにデレミリアイドルがたどりつけるか? という考えをしてみました。

でも多分、そういった「キャラクターの完成」という形はたぶんソーシャル型のPは望んでいないのではないのかな、と思いました。

おそらく、より長く、劇的にアイドルとの距離が縮まったからこそ「デビューから引退まで」と言いますか。

もっと大きなスケール感というか、物語のなかだけでは留まらず、それこそ中の人事情引退するまで続くのが望まれてるのかなと。

実際に時代が変わってみないとわからないものですが、リアルにより深く溶け込ませているからこそ、今度はそれをやってほしいなとも思います

自分が765アイドルをずっと観ていたいと思うように、デレミリの方々も同じような願いを持っていると思うのですね。

きっとまた新しいアイドルは出して来るでしょうが現実的ものとして、デレミリは(765も含んでますし)ずっと続いてほしいです。


気づきかもしれませんが、自分アニメから入った遅めな人です。

ニコマス楽曲はずっと好きで、たぶん09年くらいには熱心に観ていたのですが、お金まで使うようになったのはアニメ制作された後です。

自分キャラクター以上に物語が好きで、始まりと終わりを明確に描くことで「寿命」を作ってしまうのだとしても、やはり物語に裏打ちされた強いキャラが好きです。

天海春香をカッコいいと思うようになったのも、ニコマスで転んだり閣下したりのヮのしたり、ライブをいろいろ見たからではなく、アニメを観たからこそです。

二次元アイドルに「生き様」を見出し自分としては、「消費型」から継続型」にシフトする瞬間が、自分にとって一番だったのだなと考えがまとまりました。

今までこの辺が曖昧で、日常生活のなかでずっとモヤモヤしていましたが、今後はキレイな目でデレミリを見ることができそうです。


キャラクターの軽薄さをソーシャル性で補完するにしても、新しい感覚すぎて孤独自分はついていけねえ!」とは思いますが、まぁ外巻きでもそれは楽しいかなぁと。

自分は今年で大学卒業という比較若いとこにいるはずで、世代としてはデレミリど真ん中のはずなのですが、そういった点もやや切なさ増幅要因ともなってます

アイマスの話を振られて当然のようにデレミリ前提されたとしても、自分はきっと強く生きて行けると思います。書いてよかった…。 


デレミリは本当にどうなっていくのでしょうねー。765でひとつの完成の形を見たので、何かゴールがあると思いがちではあります

そんな考えばかりの自分としては、やっぱり前述したように「ずーっと続いていく」のかなぁと。

765は00年代10年代ネット環境シンギュラリティで落ち着きましたが、今後はしばらくそういったこともないでしょうし。

キャラは成長するからこそ面白いものですが、それを曖昧にすれば、ずっと「成長(?)」を続けられますし。

早々にアニメ化したのも、ある種の「枷」を取っ払うことを意図してたのかなぁという実感もあります。前述した物語ゆえのハードルというか、そこをうまく越えたのかなと。

からこそデレミリsideMでは何をどうするのかなー、という不安もなきにしもあらずで。まあでもうまいことやってくれるでしょう。

これから先50年100年、というと本格的に神話性が増してきますが、765もデレミリsideMも、ずっと長く続いてくれることを祈っとります。


またちょっと考えることができました。トラバありがとうございましたと思います

2017-08-13

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 中編②

グーグルバイアス有害

私はジェンダー人種多様性を強く信奉している。またそのためにもっと努力すべきとも思う。しかしながら、ジェンダー人種平等な登用を達成しようと、グーグルはいくつかの差別的慣行を作り出した:

これらの慣行私たちバイアスが作り出した誤った仮定に基づくものであり、実際に人種とジェンダーの緊張関係を増加させる私たち上級管理職私たちのやっていることは道徳的にも経済的にも正しいことだと説明されてきたが、証拠なしにはグーグルにとって取り返しのつかないほど害となりうる左派イデオロギー[7]を覆い隠すものしかない。

私たちはなぜ盲目なのか

私たちは皆バイアスを持ち、私たちの内的価値に反する考えを却下するために動機付けられた推論を利用する。右派が”神>人間自然”という階層に反する科学否定するように(例えば、進化気候変動)、左派は人々の生物学差異に関する科学を否定する傾向がある(例えば、IQ[8]と性差)。感謝すべきことに、気候学者進化生物学者は普通右派ではない。不幸なことに、圧倒的多数人文学者と社会科学者は左派寄りである(およそ95%)。このことは莫大な確証バイアスを作り出し、研究されてきたことを捻じ曲げ、社会構築主義ジェンダー賃金格差のような神話を維持する[9]。グーグル左派的傾向は私たちをこのバイアスに対して盲目にし、その結果に対して無批判にさせ、また高度に政治的プログラム正当化する。

女性弱者とみなす左派との親和性に加えて、一般人間女性保護すべき対象とみるバイアスがある。前述したように、これはおそらく、男性生物学的には使い捨てであり、女性男性に比べ一般協調性があり、同調性があることから進化したものだ。私たちには広範な政府グーグルプログラム研究領域女性保護する法的、社会的規範があるが、男性男性に影響するジェンダー問題について文句を言うと、ミソジニストで泣き言を言う人間とのレッテルを貼られる[10]。ほとんど全ての男女の違いは、女性の抑圧の一形態として解釈される。人生における多くのことと同じように、ジェンダーの違いはしばしば”隣の芝生は青い”の一ケースだ。不幸なことに、納税者グーグルお金は芝生の片方だけに水をやることに費やされている。

この弱者とみなされる者に対する同じ同情が政治的正しさ[11]を作り出す。それは議論を制約し、それらの原因を増やすために暴力と恥を利用する極端に敏感なPC権威主義者自己満足であるグーグル大学でみられるような暴力的左派の抗議行動を抱えているわけではないにしても、TGIFミーティング私たち文化における頻繁な恥辱は同様の沈黙、つまり心理的安全でない環境を作り出した。

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さらに分割。

グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 後編

2017-08-11

https://anond.hatelabo.jp/20170811130315

育児するの辛いか子供保育園に預ける為に働く(それで得た金は保育代でほぼ消える)

否定するのは、育児母親にとって幸せしかいか仕事する方が辛いに違いない、と言う増田思い込みでは。

現実育児の方が辛いと考える人も多いんだよ。

育休から仕事復帰って場合も、育休中が辛すぎて早く復帰したいとか

育児が辛いので仕事している間がむしろ癒し時間、とかあるある話なのに。

育児ノイローゼだなんだと言われ始めて数十年経ってるのに、母性神話は根強いなあ。

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