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2018-11-07

anond:20181106201315

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F

『〈子供〉の誕生』(こどものたんじょう、フランス語:L'Enfant et la Vie familiale sous l' Ancien Regime)は、フランス歴史学者フィリップ・アリエス著作である1960年に公刊された。子供大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して、疑義を呈する書物であるフランス語原題は『アンシャレジームの子供と家族生活』という意味であり、「〈子供〉の誕生」は、日本翻訳者がつけたものである

アリエスは、中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなかった、と言う。 7〜8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた、と言う。飲酒恋愛自由とされた、と言う。なぜ大人子供の一線を7〜8歳に引いたのかと言えば、この時期に言語によるコミュニケーション可能になると考えられたためである、と言う。 7〜8歳以前の子供は動物と同じ扱いであり、大人フリスビー代わりに投げ遊び、落として死なせたこともあるという。乳幼児死亡率が高く、5歳までは頭数に入れられなかった。もっとも、乳幼児死亡率が高かった理由として、医学水準が低かったことだけではなく、両親のベッドの中で、あまりにも頻繁に窒息により非業の死を遂げる子供が多かったといった理由も挙げられている。

教会は、嬰児殺しを厳禁していた。が、両親があれは事故だったと主張してしまえば、それ以上追及する者はいなかった。

近代的な学校教育制度が現れたのは、17世紀のことである。当時の教育者たちは、古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。「純真無垢」とは何か。子供大人を引き離すこと、特に子供にとってセックス禁忌にすることだった。また、子供として保護される期間の延長も提唱した。この時期から美術子供テーマにし始めた、それ以前は美術子供テーマにすることはなかった、と述べる。

近代学校教育制度は、大人とは異なる、子供服というものを編み出した、と述べる。この傾向は特に男児に顕著で、男児の特徴的な衣装であるズボンが考案された。それに対し、女児服装の変化には無頓着であった。女児家事に専念すればいいのであって、学校教育を受ける必要性が少ないと考えられたためだ、と述べる。

これを受け、近代的な学校教育制度は、同年齢の子供を同一のクラスに編成した、と述べ、極端な場合には、寄宿舎制度を設け、子供を外部から遮断した、と述べる。

2018-11-04

anond:20181104075933

作家サイン会ってありますよね。

著作に**さんへとか書いてもらうの。

その本をどのみち買う予定だったなら、嬉しいでしょ。

あるイラストレーターさんの企画展

ご本人もいらしてて、画集は全部持ってたので、

そう言ったらそのときパンフにさいんしてもらったなぁ。

しかったですよ!

手塚治虫作品無料公開されてるから色々読んで感想を書く 2日目

https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。

 

時計仕掛けのりんご

ねとらぼの本キャンペーン記事ブクマオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシー舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄ひとつもない完成品。

他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。

 

新撰組

父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたり少年はどう生き抜くのか。

ブコメオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。

ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場キャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どもとき出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。

 

日本発狂

北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?

これもブコメからホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。

 

『紙の砦』

これもブコメより。手塚治虫自伝的な作品を集めた短編集。悲惨戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。

特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年オペラ歌手を目指す美少女出会う。

戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨ものとされているように思う。

そしてラスト特に辛い。仮に――戦争手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本漫画界はどうなっていたであろうか。

悲惨戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。

 

鳥人大系』

人類が退化し、代わりに鳥類惑星支配者になった世界を描く。その新たな世界鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンス鳥人家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。

うーーーん、あんまりきじゃないかなー。

短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。

ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンスブラックバード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。

とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。

陽だまりの樹

時は幕末世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたり腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件きっかけで出世街道上り、一方の良庵は大坂適塾を経て江戸種痘所開設に尽力する。ふたり青年と、日本未来はいかに

うーん、感想の言いにくい作品面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。

人生に思い残しがある者は死に場所しか生きた証を残せない、という話はあって、彼女名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。

お気に入りキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。

 

あとがき的な

2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)

全体的な感想を言えば、俺がおっさんからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。

大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。

短編イチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。

今回よんだ中で一番好きなのは新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。

一番好きなキャラクターは『リボンの騎士からヘケート。容姿性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹からお品さん。

それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。

 

あ、ひとつだけ忘れてたか最後に。青年向けの漫画レイプネタがやたらぶっこまれるんだけどなんでなん……。

2018-11-01

フェミニストが望む社会のあり方とは

これはダメ。あれはダメ。そういう声ばかり耳にするけど、フェミニストが考える理想的社会のあり方とは一体どんなものなのだろう?その価値観提示する事なしに問題提起されても、前提知識がない人にはフェミニストの主張がなかなか伝わりづらい部分はあるのではないか

かくいう自分ジェンダー論の大家著作に少し目を通した程度だが、いずれかの派閥の主張とも、はてなに生息するフェミニストの主張は合致しない。厳しい事を言うが、一人一派・・・の言い分は正直な所、逃げではないのか。真に一人一派であるなら、自分自分のものの主張を代表する存在ではないのか。自らの理想言語化できない思想家思想家として失格ではないのか。

恐れず、語れ。

2018-10-22

教養の有無と人生の充実

社会人になって数年。最近痛感するのが教養の有無と人生の充実の相関だ。

年収が高く役職持ちな人はみな教養持ちだ」、といった次元が低いことが言いたいのではない。

教養のある人物はなんというか、充実感に満ちており有意義に生きていて感性も見た目も若い気がする。

趣味も多いし、フットワークも軽い。何歳になっても好奇心知的探求心が衰えないのだろう。

少しでも気になった事があればその日の帰り道で専門書を買って熟読、海外だろうが平気で現地に赴いたりする。

常に勉強を欠かさないし、当人は「勉強」を苦を伴うものと思っておらず、むしろ楽しんでいるのだ。

類は友を呼ぶのか、周囲の家族や友人も相応に知的な人が多く、頽廃的だったり怠惰人間はあまり見受けられない。

当然、教養のある人はそれ相応の社会的地位についていることも多い。

社会的地位を獲得した後に付け焼き刃で教養を身に付けたのだろうか?いや違う、幼少期からの習慣の積み重ねだろう。

こういった知的な態度を有する人たちに接すると、無教養・無学な自分コンプレックスを非常に刺激される。

教養のある人達の会話はありきたりな雑談の途中で話題が予想しない箇所に飛ぶのだ。

姫路城改修から池田輝政の功績に飛んだり、クリミア半島からソルジェニーツィン著作に飛んだり。

ベラスケスやらサルトル、後期コルトレーンの話が出たこともあったが、無学な自分ではちんぷんかんぷんだ。

こちらが話題に参加できないでいると「あ、興味ないよね〜。うんちく晒してごめんごめん。」とすぐに平謝りし、

それ以降はグッと敷居を下げた会話(ワールドカップやらジブリアニメ、近所の旨いラーメン屋の話など)を展開してくれる。

こういう出来事が何度かあると、彼らはそのことを覚えているようで配慮からハードル高めな話をあまりしてこなくなる。

その「優しい配慮」が、かえって悲しいような悔しいような不思議感覚自分の中に呼び起こさせた。

上記の行動は、彼らの衒学趣味由来の嫌味や当てこすりだろうか?私にはあまりそう思えない。(ゼロではないだろうが。)

第一、こんな何処の馬の骨分からん小僧マウンティングしたところでなんの得もない。

なんというか彼らの「知」に対する基本的スタンスは、自分のそれと一から十まで

まるで異なっていて、そのほころびに自分勝手につまづいて痛がっているだけなのだろう。

痛がっている自分を見て彼らは「まずい!」と察し、ほころびを取り除くために

平易な話題シフトしてくれいているのだ。その気遣いが余計に胸に刺さった。

加えて彼らの凄いところはジャンルの垣根を設けずに、気になったら徹底的に探究する姿勢だ。

自分子供の頃から怪獣映画が好きなので彼らとの酒の席でシンゴジラ話題が出た際に、

第五福竜丸被爆事件からゴジラ誕生した、田子の浦港ヘドロ公害からヘドラが生まれ

バイオテクノロジーの隆盛からビオランテが生まれた、シンゴジラは言うまでもなく津波原発である

といったような感じで社会問題ゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列簡単に話した。

すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。

ありがとう勉強になった。もう少し調べる。」とその場でアマゾンを使い、DVD解説本の購入を済ませていた。

うーむ、この人たちには逆立ちしても敵わないなぁ、と帰りのタクシーで溜め息が漏れた。

(次に会った時には彼は初代ゴジラはもちろん、宇宙大戦争やらサンダ対ガイラまで鑑賞済だった。これには舌を巻いた。)

彼らは目の回る忙しさの合間を塗って絶えず教養を身に付けているのだ。多忙な彼らの何倍も時間を有している自分には教養がない。

自分も彼らのような「知」に対して極めて能動的な人間になりたいが、どうやったら彼らに少しでも追い付けるのだろう。

なんにでも興味を持つ知的探究心。古典から新書まで常に読書を怠らない継続力。そして読書で得た知見をすぐに実行してしまう行動力

自分のように怠惰で流されるままに生きているような人間では彼らの足元にも近付けそうもないが頑張ってみよう。

ソルジェニーツィン、読んでみますね。あ、ドストエフスキーすら読んだ事ないからまずはそこからか。

2018-10-20

anond:20181020104542

著作権者って一人とは限らないよ

二次創作だと元著作著作者にも二次創作著作者にも両方に権利が発生する

2018-10-12

ごくごく個人的な、キズナアイが巻き込まれ騒動のまとめ

キズナアイの件、だんだん疲れてきたので自分見解をまとめることにする。

文章化しておかないと区切りがつかなくて永遠に頭の中グルグルしそうなので。


論点は二つあった。

  1. キズナアイの格好はNHKに出せないくら性的かどうか
  2. ジェンダーロールの再生産になっていないか



1. キズナアイの格好はNHKに出せないくら性的かどうか

1. は個人的には問題ない。というか、フェミニストから批判してはいけない部分だと思ってる。




2. ジェンダーロールの再生産になっていないか

2. が今回の主戦場

年代階級普段二次元表現VR界隈に触れているかによって感覚が違っているようだとは感じた。

批判側の意見としては、男性講師役・女性が生徒役という枠組みが旧来のジェンダーロールを再現しており、女性を萎縮させるとのこと。

世の中が完全に男女平等になっていれば、たった一つの例に目くじら立てないが現実はそうなっていないという意見を見た。


なんとなく納得できそうなところと、でもなーというところとあり、未だに整理できていない。

このくらいのことで、本当に女性は萎縮してしまうのか?と思ってしまうが、それは自分があまり抑圧を受けずに育ってきたからかもしれないし。

公的性格が強い媒体ではポリコレに則って多様性配慮した表現をするべきだ、という理屈はある程度納得できなくはないんだけど、

などなど疑問点や不安な点がいっぱいある。

そもそもそういう表現公的場所から狩ろうとすることは、長い目で見るとポリコレに反する表現絶滅させることに繋がるんじゃないか?という懸念が拭えないわけで。

ポリコレに反するから隠す。存在自体が許せないのではない、悪ではないが場所をわきまえてやれ」

これが、容易に

「隠されるものは悪いもの。悪いものは細々と裏で楽しむべき→悪いものはなくなるべき」

に変わっていくんではないか?大多数の人は「存在自体が悪い訳ではない」と思ってくれるのか?

多様性配慮した表現も大好きだけど、多様性クソ食らえ!な表現も大好きなんだよ。

男性向けも女性向けも、エロも非エロも。

でも、社会の大多数に認められにくいのって後者じゃん?

ポリコレ絶対を突き詰めていく先に、多様性クソ食らえ表現が狩られる未来しか見えないんだよな。

そこまで社会の理性を信じることができない。だから怖い。

本当は楽観的でありたいんだけれども。


規制しろとは言ってない、ゾーニングだ、という人がいる。

でも、ゾーニング規制だし、ゾーニングのやり方によっては容易に表現の場が失われてしまうこともある。

からゾーニングって簡単にすることができない。


個人的理想としては、ある表現をなくして目立たなくするのではなく、自分がいいと思う表現をどんどん作ったり推したりしてそれらの存在感を上げていく方向が建設的でいいと思う。

子どもができたら「これは良くないから見るな!」って言うより、「こっちにはこういうのもあるよ」って接したい。

その上で、親が眉を顰めるようなものに触れてしまうのも当然だしそれは成長の一部だと思う。

親が全部管理なんてできやしねぇしするべきでもないし。

全部ひっくるめて子ども当人人生で、自分自分がよいと思うものを選び取れるようになってほしい。

結局は私も根拠のないお気持ちでこう主張するわけですがね。


そして今回、一番衝撃だったこと。アカデミックフェミニズム側がジェンダーロールの再生産を非常に問題視しているという点。今更なんですが。

今回、1.の論点重要視してるかどうかでフェミニズム側は分かれていたように思う。前述したようにこれをフェミニスト自称する人が問題視するのはどうかと思うので、ここでだいぶフェミニスト側を分類できた。しかし、性的だとはしない/もしくは問題視しない人々でも共通していたのは、あれが旧来のジェンダーロールの再生産であり若い女性を萎縮させる、ということだった。個人的に、アカデミックフェミニストの中で信頼がおけると思っていた人も、ここは強く問題視しているようでかなり衝撃を受けた。

かつて自分が被ってきた女性差別を生々しく思い出して重ねてしまう傾向が一定年代以上の人や女性差別が酷かった業界の人には多いということなのかもしれないが、それ以上にフェミニズムの中で長らく重要視された観点っぽい。そこまで確固たる共通見解となっていたというのが驚きというか。それを各種表現にここまで簡単に当てはめることに躊躇がないんだな、と。

個人的にはうなずける部分もあるが、女性差別のみを特に重要視して男性に対するジェンダー的な抑圧を無視する傾向がある気がするし、私が育ってきた中では幸運にもひどい女性差別を受けては来なかったこと、そして自分ジェンダーロールの再生産になりそうな作品もそうでない作品も両方楽しんで育ってきたことなどから、そこまで切迫感を持つことができない。私とそういう人たちとの間に断絶がある。

女性差別って私が想像する以上に酷いものがまだまだあると思うし解消に向けて動くべきだし動きたいんだけど、私は上記理由からこの方向の活動にはどうしても同意できないな…。この方向で頑張ることによって、そういう酷い女性差別改善していくとは思えない。


おまけ1 VR界隈について

ちなみにVtuberVR界隈に対しては、既存ジェンダー観でははかれない技術革新がもたらした今までとは違うジェンダー観が存在すると思っている。キズナアイも見た目は女性だがAIという設定で性別はない。ガワと中の人性別が違うなんてざらにあるし、自分が望めばなりたい性別セクシュアリティになれる・それを当たり前のように受け入れてもらえるという土壌がすごくいいと思っている。

まりVtuber界隈詳しくなくて今回初めていろいろ調べてみた程度なのであまり語れないんだけど。バ美肉とかは、すごい革新的すぎて興味持っている。みんなもっとチャレンジしてジェンダーの壁を軽率に越えるべき。

参考:おじさんを美少女化したテクノロジー 先端心理学が語る「VR世界

https://withnews.jp/article/f0180401000qq000000000000000W00g10701qq000017020A



おまけ2 社会学等の研究成果評価システムについて

1~2の派生で、千田氏の炎上から社会学などの研究成果評価システムにまで話が発展したのは大変興味深かった。

というあたりか。それぞれの分野に合ったシステムがあって、外野から簡単に口出せるものではないと思うが、若手の方々がより良い方向を目指して試行錯誤されているらしい、ということは分かった感じ。

参考:社会学では査読論文より著書を重視する文化でそれで学術クオリティが保たれるシステムもあるらしい?という話。

https://togetter.com/li/1274988

2018-10-11

anond:20181011040543

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作面白かったから読んでほしい.オススメ

理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。

論文数で無能認定文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.

あと歴史学文学だと,いちばん大事仕事論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角ニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族日記活字に起こして誤字脱字を訂正して単語意味解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代歴史文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……

で,引用数については問題点が2つあって,

1.どうやって数えるのか

これは技術問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.

あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10国語翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?

2.それ数えて意味があるのか

そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃう不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるとき学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋引用された数で勝負したら小林よしのり惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.

というか,文系だと「他人の書いた文章研究対象にする」というのがあるので,村上春樹研究なら当然村上春樹引用するわけで.さら学問分野によっては,「文献リストに先行研究研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本排外主義』という日本極右研究した本の文献リストには,日本欧米社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠櫻井よしこ西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用形式からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.

追記

id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するとき論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。

もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞ときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないかダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないかあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.

id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチ引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないもの査読で落とされるので

これは文系でもあるあるメジャーテーマ研究していてもつまら論文しか書いてなければ意味はないしマイナーテーマでも面白論文が書ければ就職が決まる.

id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまからまれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。

「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.

でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究ダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.

id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてます

なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.

で,文系論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的妥当だがこの部分の解釈問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分論文の意義や新規性アピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー

id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが

たくさん引用されたか価値がある研究! とかいローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいか問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正たかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界普遍的問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.

すごい大事追記

id:rci このシリーズはとても面白い。

面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田ちゃんと読んでる? このトラバリーの中で,私は何度も自分オタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリ保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由社会だよ.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みる絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.

もうちょっとだけ続くんじゃ

これ面白い。「実際は擁護・反発ツィートが多かった」オタがヒステリックにわめいていたことが可視化されました。千田さん、池内さん、森次さん、宇野ゆうかさんあたりはネットリンチ被害者といっていいよなあ

http://b.hatena.ne.jp/entry/373077720/comment/rci

理不尽言いがかりに反発したら「ヒステリックにわめいた」ことになるんだ.そんなの私が書いた増田を「なんで発狂してるの」とか「文系理系と違って感情的」とか言ってきたクソ野郎どもと同じじゃん.

キズナアイ叩きについてはオタクとして腹が立つし社会学叩きについては文系として腹が立つし,とにかくこの騒動に関わった連中全員不快だとしか思わないよ私は.つーか公共放送でへそ出しノースリーブの服着て解説して何が悪いんだか.

2018-10-10

anond:20181010211739

まりお前はグリーン先生エレン・ベーカーのみをもってしか論拠にしないと言ってるわけだけど

そうなるとお前の最初の主張で「萌え絵」という属性範囲拡張した論理矛盾するんだよね

追記か再反駁でこれまたすげー丁寧に説明してあげるわww

つかニーソとか雪女とか恒常的にエロ二次祭り状態、長期的に見ればそれ以上なものに関してはどう説明すんのかなw

本当にお前が反論たかったのなら、pepeとか著作人格権抵触するもっと切実な実例を取り上げてこの大衆社会問題本質に迫るという王道

自論の補強として、萌え絵と非萌え絵二次エロ祭り期待値とでも言うべきもの統計調査するという暇人かつ信頼性のない数字つくるっていう

糞みたいな逃げ道の二択だったんだよ

菊地秀行著作、「魔○○」率が高いな

2018-10-09

anond:20181008215814

id:wildhog 言語研究価値は直接関係ない。とはいえ世界大学ランキングに役立たないし、留学生海外研究者に対して敷居が高くなるから英語で書いた方が得じゃない?

じゃあランキング気にするのやめるか英語以外の研究も拾えるランキングしろボケ,が前段への返答で,そんならアメリカ人日本人にとって敷居の高い英語やめてくれない? 日本語論文書けよ! が後段への返答っすね.マジあいつら日本史日本社会についての論文や著書すら英語で書きますからね.それを日本人研究者がわざわざ日本語翻訳してますからね(悔しいことに面白いんだこれが).別にそれが悪いことだとはまったく思わない,というかむしろアメリカ人日本研究者が英語で書くのはそりゃ当たり前でしょって感じだけど,広い読者にわかるように日本研究者は英語で書けとか言われたらまずあいつらに日本語で書かせてから言えよくらいは言っていいですよね.日本史の読者のボリュームゾーンはまずもって日本人なわけで.アメリカ人英語日本についての論文を書いても,えー英語論文しかないのー,日本語論文書いてないとかレベル低すぎー,とアメリカアカデミアで冷遇される世界になったら日本語論文書いてる欧米研究者を冷遇してくれて一向に構わないので,そのへんどうかよろしくお願いします.

というか日本語習得して日本語論文博論書いて本も出してる留学生の方だって大勢いらっしゃるわけですよ.私はこれまで,中国人韓国人台湾人モンゴル人・ポーランド人が書いた日本語単著を読んだことがあるし,ウイグル人カザフ人エジプト人アメリカ人日本語論文書いてるひともおられる.琉球方言学とか見ると定期的に日本語論文投稿してらっしゃるニュージーランド研究者もいらっしゃいますね.日本語外国人研究者によっても使われる立派な学術言語です.

モンゴル研究者が日本語で書いた単著の一例(査読つき)> https://www.yamakawa.co.jp/product/67381

id:parosky 論文人類の知の体系に貢献するものからみんながアクセスできる言語じゃないとダメじゃない? という意味英語なことが重要だと思ってたけど、たしかに界隈の人がみんな日本語を読めるなら日本語でもいいね

「みんなが日本語を読める」んじゃなくて,「重要日本語の先行研究がたくさんあるから頑張って日本語勉強する」んですよ……

この辺の感覚理解されてないんですかね? 文系にとって標準言語英語だけではなく,分野によってはいくつかあったりするのが普通なので,頑張っていくつかの言語勉強するんです.西洋古代史なら英語古典語の他にフランス語ドイツ語の先行研究を読む必要があるし,インドネシア近代史人類学を勉強したければ英語インドネシア語の他にオランダ語を学ぶし,中国前近代史なら英語中国語の他に日本語が読めないとね,という要求水準があって,それらの言語を知らない人は勉強する必要があるわけですよ.英語さえ読めれば研究ができるひとたちにはわからない感覚かもしれませんけど.

正直,中国研究してる欧米人が英語論文の中で日本語引用してるのを見て,「あっ,つづり間違ってるな,こいつあんまり日本語得意じゃないな」って思うことはあります.たぶんもともと中国語が専門で,日本語研究必要からいやいや読んでるんだと思いますけど,西洋研究してる日本人は同じことをドイツ語とかフランス語かに対して思ってたりするわけで,まあお互い様っすね.

id:nakex1 自国しかやってないと自国語で形成される村の思考の枠組み(そこから発生する評価の枠組み,師弟関係派閥から出られないんじゃないかという懸念はある。

師弟関係やら派閥やらはともかく、思考の枠組みとか言われても、社会学英語からの輸入学問なんだから英語圏の発想や思考バッチリ取り入れた論文書いてますよ! 英語圏の理論の本とか翻訳されまくってるし,未翻訳の本でも原語で引用してるひとは大勢ますねえ.当たり前だけど,執筆言語自国語であっても,自国語で論文書くために読まなきゃいけない言語はいくつもあるわけで……

id:kanekoshinichiro 日本語学術を述べてもいいけどガラパゴスにならない?どこかで日本人以外に読んで欲しくないのかなと思ってしまうな。もっとオープンになればいいのに。英語できるでしょ。

ドイツ語より母語話者人口が多い言語を捕まえてガラパゴスとか言われても困りますわー.日本語話者世界トップ10に入る大言語なのですが.ちなみに欧州なんかだと日本10分の1くらいの人口しかいない小国にもちゃん日本語学科が設置されて現地語で日本研究論文が書かれてたりします.日本語学習者って世界中にいるので日本語論文書いてもガラパゴスでも何でもないんですよね.日本人勉強して英語論文を読んでいるんだから日本人以外も勉強して日本語論文を読んでください.

id:nt46 ペレルマン論文ポアンカレ予想という関心分野で他の数学者がその正しさを検証たから業績になってるのであって、事実上査読は行われている。

それが査読になるなら日本語の著書や無査読紀要論文出版後に多くの同業者が読んでチェックしてるから事実上査読つきですね.ありがとうございました.

id:steel_eel 本質学問正当性を確保するためのクロスチェックがどう機能してるかであり、その点で現状ベターなのが英語使用査読でチェックを受けるシステムなわけで、それが無いなら代替の何があるのかを示さんとな。

分野によるという話をしています.たとえば日本に関する研究なら別に日本語でもいいですよね.日本史日本社会研究しているのに日本語論文を読めない研究者は三流以下なので,そんなひとに査読を頼んでも別に正確性や信頼性が向上するわけではない……というのは理解していただけますか? 日本以外の地域研究にしたって,前近代中国史を扱うならば,中国人研究者が日本語著作引用したりする世界なので,日本語で書いて査読してもらえばよくないです?

id:operator 日本語英語かではなく、国際学会のトップカンファレンスを目指して研究したこともないのに教授になれるの?というのが理系からみた驚きなんでしょ。日本古典文学研究も、英語文学分野の国際学会に出せるよね。

からなんでその「トップカンファレンス」の言語英語である必然性があるんだと小一時間.確か日本文学については日本語公用語の国際会議みたいなやつはあったはずですし,ロシア文学の国際会議ロシア語でやるはず.英語以外の言語を発表言語指定されたカンファレンスは出たことあるけどまああれはトップカンファレンスではないか.ともかく,その「トップカンファレンス公用語英語」という思い込みをまず捨てやがれください.そんなん理系や一部文系分野のローカルルールでしょ.

id:tarume バベルの塔を折りたい人。なにが"なんとも愉快な未来予想図"だか、英語コンプレックス隠せよ / 知を共有するために論文書いてんだから、まずは一人でも多くの人間が読める言語で書くのは当然でしょ。自国語訳はその後

文系バベルの塔を折りたがってるんじゃなくて,そもそも文系には共通言語がはじめからなかったという話です.なかったもの探究しろと言われても……

anond:20181009004836

論点はそこじゃない

他人著作臆面もなくパクり自分発言のように振る舞うのはどうなんだって

2018-10-08

anond:20181008195447

落としどころならオタク皆殺しという本音が言えないのはわかるけど

著作すら挙げられないのはなんなんだろうね

anond:20181008195341

でも今までネットでまともなフェミニスト著作はどれですかって聞いても答かえってきたことなかったですよ

anond:20181008195134

マジ勘弁してくれ…

まともなフェミニストを探してるなら

アカデミックフェミニスト論文著作

読みなさい勉強しなさいって流れに持って行きたかったのに…

2018-10-06

anond:20181006162956

ありがとうございますニャ。

なまえで調べたら、BLOGがあったんでみたら写真ばっかりでしたニャ。

可愛いチンチラちゃんが写ってた。

社会学はたくさん写真を撮ることなのですかニャ。

というか著作お勧めは?

2018-10-01

生きてくこととそれについて思った徒然

おととい、久しぶりにphaに会った。

それぞれ生活拠点が、東京京都なのでなんとなく会うたびに「久しぶりー」と言うが、よく考えたら一、二ヶ月ぶりくらいなので、「意外と高頻度で来てるじゃん」と、思いもした。

phaと初めて会ったのは、吉田寮で、まだ私が寮に住んでたころで。

当時片想いをしていた人の友人でなんやかんやあって友人になったような記憶がある。

当時、彼は熊野寮という、京大のもう一つの寮に住んでて、前述の私が惚れていた人がそこ界隈に出入りしていた中であったとかなんとか。まあ、そんな感じで交流が始まって何だかんだ15年近く付かず離れずしている。

私が一時期名古屋に居を構えていたころにたまにふらっと遊びに来てて、その頃くらいから今みたいな距離感になったように思うので、最初からゴリゴリに仲が良かったわけではないんじゃとかいう話をしたりもしたけど、前述の人に想いが届かずオヨヨってしてたあたりで、また別の友人が開催してくれた「合コン」に出張って来てくれたりしたところを思い出したりすると、当時からわりと仲が良かったのかもしれないとは思うが、記憶というものは、つとに曖昧なので、もちゃもちゃとお茶を濁しておく。

私の想い人(めんどくさいので以下Xと記載する)との、なんともならないあれやこれやを、共通の友人ということで一方的に話したり、何故かよくわからないインストバンドを組んだりとか、まあそんな感じで。

レイボーベルツって言う、ほんまどうでもいい名前バンドだったな。そういや。元気かな。福浦

ある日、寮の私の部屋を訪ねて来た(んだったと思うけど、それも確証はない)phaが珍しく落ち込んでて、なんでも失恋したらしく(か、なんか付き合ってた人にあまり大切にされてない、とかだったかも。これも記憶の隘路に消えてるな)、珍しく私が愚痴を聞く側になった。

なんだか当時は私にとってphaは「大人」だったので、そのことをぽつりぽつりと話しながら、最終的に私の膝の上で泣いてる彼になんて言葉をかけたらいいか混乱したのと同時に、なんだかひどく信頼されてるのかもなどと錯覚できたのが(錯覚じゃないとは思うけど、照れ隠しでね)未だに思い出すことだったりする。大人だって泣くんだ(phaは私の4つ上)って当たり前のことを知ったし、感情は吐き出しでも良いんだな、とうすらぼんやり思った記憶がある(良いように改竄されてる可能性は否めません)。

それは当時の私の居室で、壁一面が習字フライヤーで埋め尽くされた南寮2号だったはず。いわゆる「溜まり部屋」でなんだかそこにいれば退屈はしなかった。

丸二食堂に行った帰りにXとのうまくいかない恋愛phaに話しながら、吉田東通で寝転んだりしていたことは未だに私の消せない黒歴史であります若いと暴発することってある(というか当時の私は暴発してばかりでしたがね…。未だに思い出すと胃が痛い)。それから少し時間が経ってpha大阪会社に勤め始め、それから間もなく東京に行った。ここら辺は彼の著作にも、もろもろの発言にも詳しいのであらためては言わない。

別に年賀状を送り合う習慣もないし、たまに思い出すけど積極的に会おうとしたりはしなかったけど、SNS関西にいることを察知したら「こっちおるん?」「おるでー」と言って飲みに出かけたりするくらいには遊んだりしていた。「昨日友だちに連れてきてもらったけど、裏なんばが良い」つって連れ出してもらえたとき、ちょうど前のパートナーとごちゃごちゃしてて、子どもともお別れになる公算が大きかった時期で、すげえたくさん話を聞いてもらえた。いつも通り「おー」と言ってくれるpha存在がなんかすごく力になったのは今も覚えてる。

いっつもパンパンリュックを背負って、地下鉄に乗るときに前にかけ直してたの「さすが東京民は違う!」とかおもったりした。

心斎橋からなんばは一駅だから乗る必要ないっちゃなかったんだけどね。

まあ、そんなこんなで書いた通り、つかず離れず。でも最近吉田寮にいるとふらっとphaがいたりすることが多くなった気がする。私は性格が犬なので、彼の姿をみると尻尾振って飛びつくのはあんまり変わってない。

吉田寮がなかったらどんな人生を生きたんだろうとたまに思うことがある。

人生にifなんかないだろうけど、でも

だいぶ味気のない人生人間になってたんじゃないかな、とは思わなくはない。わからんけど。

私の今の生活の中心には、ここで出会えた人とのやりとりが確実に息づいていて、大切な人たちはほぼ全て、この場所出会った。

数年音信不通でも、会えば何も変わらずに楽しく居られる場所ってそうはないと思う。

大人になると新しく出会う人もいなくなるし、友だちもできなくなるよ」なんて、よく言われてるけど、おかげさまで毎年友人は増える一方だ。

全部が全部、吉田のおかげ、というと胡散臭いけど、ここがあることで大量に発生する人との出会いと、謎のパワーに、私は生かされていると思う。たくさん失敗もしたけど、この場所からたことは、突き詰めていうと「人は優しい」ってことなんだと思う。くっさいけど、本当にそう。

話をして触れて、喧嘩をして、沢山の全く違う価値観に触れること。何より大切にしたいし、ここで出会えた人人との記憶を頭のどっかに抱えたまま、生活して、死にたい

そんな場所がこれからも残り続けて行くように。

15年前の自分がここがなくなるかもしれないなんて思わなかった、読みの甘さが本当に悔やまれる。

2018-09-30

anond:20180930134615

外道

「俺は仏の教えから外れた道を行く者。名を外道坊。

俺にはお前の前世が見える。

お前の前世江戸時代狂歌師の南快楽 捨幕斎(なんかえらく すてまくさい)という人物だ。

快楽狂歌の本を執筆して生計を立てていたが、自身著作が町で高評価を得ることは無かった。

本人が宣伝をしても、売り上げは相変わらず低調だった。

そこで南快楽は知り合いのいない遠く間の地まで赴き、そこで現地の人との雑談のなかで、自分は本の筆者であるということを伏せて本の宣伝を行うことにした。」

ネット上では一見ものサービス利用者感想のようだが、提供自身が素性を隠して投稿しているのではと思われるものがあり「ステマ」「ステマくさい」と批判されることがあるが、これが由来とされている。」

映画外道坊」はオールインエンタテインメント作品です。

http://all-in-ent.com/ippan/1106/02.html

2018-09-26

LGBTと性欲とゾーニングのこと

まず、昨今のLGBTQの動きと性の多様性を認めようという動きにわたし賛同している。

休刊が発表された新潮45ではLGBTと題しながら、同性愛クローズアップされて語られた。それは、同性愛が性欲の話になるからだと思っている。

両性愛からすると恋愛を、同性しか愛せない、異性しか愛せないと語ることは、人格ではなく性別恋愛対象をふるいにかけることを肯定しろという発言性差別にも思えるある種暴力的な言説ではあるが、それでもその言説が支持されるのは、性的欲求対象個人の理性でコントロールすることは、人間もまた性的動物であり不可能であることを認められているからだ。

人間の性欲を尊重しようということだと思っている。

フランス1789年人権宣言宣言したように

第4条(自由定義権利行使限界) 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的権利行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止) 法律は、社会有害行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。

他害しない限りは自由は守られるべきことであり性欲はその人そのものに根差すものだ。だから性愛対象区別する権利、性欲を他者に抱かない権利、すべての対象に性欲を抱く権利、性欲を抱かない権利を、加害性がない限り肯定されるべきことだと思っている。

日本明治以前は同性愛に寛容だったのは性欲を悪とする価値観がなかったからだ。明治以降のキリスト教的な価値観によって性欲が恥ずべきものにされていった。

まり生産目的ではない快楽を求めるためだけのセックス道徳的によくないという価値観だ。このセックスを楽しむためだけのセックス道徳的でないといった価値観新潮45の論説に繋がる。

彼らにとって痴漢同性愛もはしたない行為であり道徳的ではないから同じなのだ

そして昨今のラノベの表紙もまた同じ問題になる。

子供性的ものを見せない配慮とは、責任を果たせない子供セックスをすることを推進しないためなのと、過激暴力描写現実ファンタジー混同やす子供には良くないといった理由であり、それは必要であると思っている。

ただ、それらを推進していない女性の体が強調されているだけの絵については、問題はないと考える。

気持ち悪いと切り捨て道徳を持ち出すことはかつて同性愛者を弾圧した言説と同じだ。

サイゼリヤボッティチェリヴィーナスの裸体のレプリカ絵が許されるように、露骨性的表現がされていない表紙も許されるべきである

性欲で誕生した我々が性欲を否定することは愚かでしかない。

日本では明治以降に抑圧された女性の性欲を漫画が勝ち取ってきた歴史がある。

ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性ポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。

今でこそ形骸化してる雑誌アンアンセックス特集最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。

気持ち悪いと道徳モラルを持ち出して性欲と性的まなざし否定し、ゾーニングを推奨する人々をわたしフェミニズムだとは思わない。

anond:20180926105206

いやだからヤオイBLとなってその創作物自体卑下する段階を抜けて、それを愛好する自分への自虐に移行していったことを言ってるので、同一視はしてない。

JUNEがまた別であることもわかっているよ。

アンアンの衝撃については鴻上尚史著作と当時の新聞評論からなので、間違ってたら申し訳ない。あとアンアンについてはポルノとは言ってない。

anond:20180926113659

24年組風と木の詩からの流れを持ったJUNE女性二次創作が爆発的に増えたキャプ翼聖闘士星矢で広がったヤオイが元々が別なのはわかっているよ。

ここらへんの知識中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の影響が強いので絶対とは言えないが、違ったことは知っている。

ただそれらがBLに吸収されるより前にまだヤオイと広く使われていた時代腐女子自虐の広がりは同時期だったと認識してる。

追記14:21

性的まなざしを通した視点性的欲求自身に齎す存在表現することを「主体性のないモノ」扱いにしていると否定規制させようとすること自体が、性的抑圧行為同意味だと思っている。

そして性的まなざしを通した表現は男女に差がなく溢れている。なぜそれが正常な状態ではないと断言できるのかその根拠がわからない。

2018-09-11

けものフレンズ二次的著作物 [返信4

https://anond.hatelabo.jp/20180911013512

 あ~…

1,私は、この話題騒動の際にサイトに出されたKFPの公式プレスは[イチャモン]だと思ってる。

 

2, "著作人格権保有者は好きに続編を作れ" 無い! 翻案権財産権の方だぞ。

 

1a,私は、KFPの公式プレスとして直接 ばすてき が許諾を得ていないと言及された事は無いと記憶している。

 だったが為に、スポンサーであるJRA日清プレスを出すような事態にまで大炎上してしまった。

 

1b,そのため、消去法的に ばすてき が問題視されているが、

 これはオカシイ

って言うか。超単純な話だ。

irodori (≠ヤオヨロズ)がKFPから ばすてき 制作の許諾を得ているのなら、何ら問題ない。

 許諾を得ていないのなら問題。 しかし、KFPは原著作権者として当然 削除要請する権利がある

で、ばすてき は今現在も削除されていない。≒少なくとも黙認されている。

 

 おそらく、irodoriは ばすてき 制作公開の許諾をKFPから不完全ながら得ている。

KFPは複数出資製作委員会方式なので、一部に話は通していたが、全体の合意は得ていなかった。ってところだろう。

 

(私の妄想だが、) KFPはヤオヨロズから二次著作権の全てを買い取り損ねているのでゴネているのだろう。

3Dモデルデータが買いたいにしろ、続編を作る場合の主導権を取るにしろヤオヨロズ不手際を攻めて

自分達を有利にする為に公式プレスを上げた。

しかし、結果KFP内部の不調和がそのままプレスに表れてしまって、グズグスになってしまった。

 と、私は見ている。

ばすてき権

anond:20180910232722

俺も素人だし、貰ったPDF増田の元記事矯めつ眇めつしてみても、イマイチしっくりこない。状況はかなり錯綜しているようにみえる。ばすてきの著作人格権は誰のものか。

典型的製作委員会タイプアニメの例を参考にすると、

アニメ3DCG著作人格権は、ヤオヨロズに属する」という解釈妥当っぽい。

通常、制作会社勝手に続編を作るなどという事態問題にならないのは、製作委員会がおカネを出さないと作れないからだ。しかし、たつき監督はこの点でイレギュラーだった。やってのけてしまった。著作人格権保有者は好きに続編を作れるので、誰も咎めることはできない。

他方、吉崎観音さんを原作としてみるとアニメ本編、3DCGも、ばすてきもみな二次的著作物だ。

それなら過去判例を参考にする限り、改変をコントロールする権利吉崎観音さんにあるようにみえる。製作委員会サイドの吉崎観音さんが著作人格権保有者なら、彼の許諾無しで、ばすてきを出すことは許されない。

二次的著作物は... (中略)... 原著作物の創作性依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的である

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/著作


どちらの解釈が正しいのか判らない。ただ人格権行使条項問題の核ではないと思う。

もしも、ばすてきを作ったのが「制作会社以外だったなら」例えば製作委員会以下の別の組織が作ったなら、事前に著作人格権行使条項ーーばすてきを作ってもいいよ契約、これを明記させておくことは必要だ。そうしないと人格権保持者の一存で一方的にばすてきを取り下げさせることができてしまう。しかし実際には制作会社自身が作ってしまったので、

となる。どちらでも問題はない。


ばすてきの法的問題は、著作財産権公衆送信権にあると思う。

ナイーブに考えると、製作委員会との契約で、けものフレンズに関わる全コンテンツ委員会の許諾なしでアップすることは出来ないはずだ。だからたつき監督のばすてきYoutubeアップロード違法だと解釈できる。

ただ、そこに黙示の合意があったなら話は違ってくる。たつき監督の目がキランと光って吉崎さんが冷や汗、というシーンがあったと思う。これを黙示の合意と取ることも可能かもしれない。

または、増田の説の"財産権バージョン"ーーヤオヨロズに対して「本編アニメは」勝手に公開してはダメだよ、などと限定してしまっていたなら、これは合法ということになる。著作契約がここまで込み入っている以上、このようなミスが起こってもおかしくないと俺も思う。専門家を雇うカネをケチったということはないと思うけど、そこまで気が回らないほど人員スケジュールタイトだった、ってのはありそうだ。

うう〜ん、部外者からではやはり多くは判らないので、やっぱり憶測なっちゃうね。ただ増田や別増田のお陰で俺自身著作理解更新したと思う。それはありがとうと言いたい。一応の解釈を持つことができたので、この件に関してはスッキリした気持ちで二期を待てるようになったのも良かった。

ただ、何故たつき監督が二期に乗らなかったか元増田のまとめを読んでもやはり釈然としない。増田が言ったように、著作問題はカネで解決することが可能だ。二期では、ばすてきのようなことはやりません、とか、アップする前に許可取ります、ではどうしてダメだったのか。

2018-08-25

anond:20180824221459

反体制で売れたもの1984、ソルジェニツィーンの著作体制批判的なライトものなら余華の著作などなど

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