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はてなキーワード: 著作とは

2021-04-30

anond:20210429224659

医の神アポロンアスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。

の子孫を自身兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。

著作講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。

自身能力判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。

依頼されても人を殺す薬を与えない。

同様に婦人流産させる道具を与えない。

生涯を純粋神聖を貫き、医術を行う。

どんな家を訪れる時もそこの自由人奴隷の相違を問わず不正を犯すことなく、医術を行う。

医に関するか否かに関わらず、他人生活についての秘密を遵守する。

この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!

しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。

2021-04-20

マイケル・サンデル 『実力も運のうち 能力主義正義か?』

発売日に買って読んだ。素晴らしかった。

興味深いのは、日本ツイッター論壇との共時性だ。

dada、エタ風、白饅頭、わかり手、パンナコッタソといった叩き上げツイッタラーの発信内容との共通点を少なくない人が感じたのではないだろうか。

一方、日本アカデミズム真逆の方向に進みつつあるのが興味深い。

例えば「対話する力」の能力開発研究標榜する大阪大学の戸谷洋志特任教授は、棋士副会長を務める糸谷哲郎八段との対談本『棋士哲学者』の発売記念講演として行われた哲学カフェの冒頭で「ご来場の皆さん、この場所では、野蛮で、未熟な、偏差値が低い発言はしないように」と呼びかけたという。イベントは宮台真治の妻が企画したものだったそうだ。

機を見るに敏な日本社会学者哲学者は、このサンデル著作を読んで「転向」できるだろうか?それとも不都合な真実から目を背けるだろうか?はたまた「『実力も運のうち』であっても、偏差値の低い人間は野蛮だ」と自らの主張との折り合いをつけるだろうか?

YouTubeテレビ凌駕したように「ネット論壇が日本の論壇を凌駕する」とすれば、本書はその発火点となるだろう。

革命的な1冊。

2021-04-13

情報求】エチオピアボラナ族について

広島市立大学国際学部卒業生です。

前田川玄教授エチオピア部族ボラナの研究者)の講義(おそらく比較文化論、6~8年前)を受けていたのですが、その際先生が話されていたエピソードで印象に残っているものがあります

ボラナ族の女性精霊に取りつかれる。

女性は「ベポポパー」「ベポパー」などと話しており、周りの現地住民曰く「白人の霊に取りつかれ」「白人言葉を話している」らしい。

住民女性に「白人恰好探検隊服装)」をさせどうにか話を聞こうとする。 ❞

かい違いはあると思いますがとにかくボラナ人が精霊に取りつかれベポポパーは覚えています

田川先生講義を覚えている方がいたら詳細を書いていただけたらと思います

もしくは先生著作に該当フィールドワークの詳細が書かれているという情報でも構いません。(ちなみにネットに上がっている無料論文と『セックス人類学』は既読です。)

ベポポパーについての情報をお待ちしております

2021-04-11

いわゆる「自己責任論」に関して

 新自由主義批判していることで知られる、英国の著名な人文地理学者David Harveyは、彼の著書の中で「『個人自由』を至上の価値に戴く個人集団は、容易に新自由主義に乗っ取られる」と云う箴言を記しています

 福澤諭吉は、おそらく最も本邦のネットウヨクに人気がある思想家です。福澤諭吉は神仏の類いを一切信じず「人間の在り様は全て『個人努力』のみによって決定される」と考えるような「近代日本における『自己責任論者』のパイオニア」でした。ですから、巷間よく言われる「ネットウヨクは『保守』ではない」と云う言葉は、正しいと言えると思います。(四書五経日本儒学者著作仏典古事記日本書紀・万葉集古今和歌集などの国文学等に親しんでいるネットウヨクなどは、ゼロではないしょうが多数派でもないでしょう。)

 その福澤諭吉は、彼の自宅を訪れる人間が貧しかったり地位が低ければ「そいつがそんな状態に在るのは、努力を怠っているそいつ自身自己責任なのだからそいつぞんざいに扱っても構わない」という態度で、わざわざ安物の茶を出すなど対応の仕方を変えていたと伝えられています

 我が国におけるアジア諸国に対する蔑視感情も、福澤諭吉系譜に連なる「日本努力して脱亜入欧を果たした。しかし、彼奴等の国は努力をしなかった。だから、オレたちが彼奴等を見下しても彼奴等の自己責任だ」という考えに帰着します。

 さて、現在はてな界隈では「不寛容な(例えば、人権意識が低い)人間に対しては、こちらも不寛容な態度に出ても構わない」とする考え方が主流のようです。

 そこで、私個人の考えていることは、

(1) 寛容性は、教育学習により身につく知的財産である

(2)_a 格差社会が深刻化すれば教育学習格差も拡大して、貧しい教育しか受けられない人間が発生する。

(2)_b 仮に経済的に貧しい家庭ではなくとも、保護者問題があって、教育ネグレクト洗脳状態に置かれれば、学習機会を得られない人間が発生する。

(3) そうして教育学習の機会が貧しくなり、寛容性を身につけられなかった人間が発生する虞がある。

ということです。なお、(2)_bの教育ネグレクト洗脳被害者に対するセーフティネットも、格差社会が深刻化すれば、貧弱なものになると予測されます

 それを踏まえて、ここで私が問いたいのは、我々が不寛容人間に遭遇した時に「それは、そいつが『不寛容人間』にならないように努力することを怠った結果なのだから、我々もそいつ不寛容な態度をとっても構わないのだ」とすることが許されるのか?と云う点についてです。

 ある人は言うでしょう。「教育学習の機会が貧しくても、そういう人間の全てが『不寛容』になるわけではない。だからそいつ不寛容なのは、やはり、そいつ自身責任なのだ。したがって、こちらも不寛容な態度をとっても構わない」と。

 あるいは「こちらが不寛容な態度をとることによって、奴らに目を覚まさせるのだ」と。

 かつて生活保護バッシングが起きた時(と言うか今でも現在進行形で起きているのですが)に、決り文句のように言われた/言われるのが「貧しい人間の全てが、生活保護に頼っているわけではない。条件に拘らずに働き口を探せば、生活保護を受けるような貧困状態に陥るはずがない。生活保護を受けるような人間は、そいつ怠惰からなのだ」とか「生活保護に頼らざるを得ないような、不健康状態にまで身体を壊したのは、そいつ努力を怠って不節制生活を送っていたからだ」といった言葉です。

 はてな界隈では、リベラル左派の方が多いので、経済的な貧しさ、疾患・障害などの肉体的な貧しさ等に関しては『自己責任』論者が批判される傾向にある一方で、知的な貧しさに関しては『自己責任』論者となる人が屢々見られるので、私は不思議に感じてます

 以前は「攻撃や争いよりも対話教育を」という姿勢の方も多数見かけたような気もしますが、最近では「彼奴等は、あんな奴らだから、関わったり対話を試みるのは徒労だ」として、対話努力放棄たかのような人も増えたように見えます

 はてな界隈は、個人自由を重んじる人が多いので、D. Harveyの言うように新自由主義に乗っ取られてしまい、結果として「自己責任論者」が主流となったのでしょうか?

 もしも、この文を読んで気が向かれた方は、ご自分のお考えを書いていただければと思います。 

2021-04-05

雑誌映画秘宝』の記憶(42)

旧体制映画秘宝』と「女性(を含めた他者)との関係構築」の話】

 枕から始めますが、世の中には「勝ち負け」を付けたがり、その基準として「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉を持った異性の人数(の多寡)」を持ち出したがるタイプ男性存在します。

 一つの例を挙げます

 某男性お笑い芸人は、過去に「オレのことを批判したり嫌ったりしている人間よりも、オレの方がいっぱい女たちを抱いとるねん!」という主旨のことを著書に書いていました。つまり、これを言うことによって「オレよりも異性との性交渉経験人数が少ない奴には、オレを批判する資格が無い!」と彼は言いたかったわけです。他にも似たような物言いで「オレを批判する人間は、オレよりも金稼いどるんか?」等も有りましたね。そのように言いながらも、彼とは段違いと言っても過言ではない『才能が有って、しか興行収入の実績も有る映画監督』のことを「この監督は『映画の基本』が分かってませんねえ」と批判していたのだから面白いものです。5本目の映画は撮らないのでしょうか?

 ところで、その某お笑い芸人は、自身が司会を務めていた音楽番組の場で、番組ゲストミュージシャンたちから以下のような暴露トークをされて、全国放送電波で流されました。

 曰く「後輩芸人たちがセッティングした合コンの場で、その某お笑い芸人が『お持ち帰り』の対象として狙いを定めた合コン参加者女性を、後輩芸人たちが複数人で囲んで『✕✕さんに抱かれたいと思ってんのやろ?!』『✕✕さんに抱かれたいて言え!』と囃し立てる」(※飲食店で、その某お笑い芸人合コン現場を目撃したと云う、番組ゲスト男性ミュージシャン)

 曰く「劇場出待ちをする女性ファンたちの間では『中学生ぐらいがストライクゾーン』と云う噂が共有されていたから、自分(=音楽番組ゲスト女性ミュージシャン)も中学生の頃に、その某お笑い芸人からナンパされるのを狙って劇場出待ちに行った」(※番組ゲスト女性ミュージシャン)

 そういえば、その某お笑い芸人番組に度々ゲスト出演していた梅宮辰夫が、若い頃の話として「狙っている女性がいた時は、自分の所有するプレジャーボートに乗るように誘い、逃げられない沖合の海に連れ出してから行為に及んだ」と語っていましたね。梅宮辰夫は「面白おかしい話」として語っていたようですが、私は「身の毛もよだつ、おぞましい話」と思いました。

 こういう「異性との性交渉経験(の有無)」や「性交渉の人数(の多寡)」を矢鱈と持ち出したり、面白おかしく語りたがり、自慢したがる人間には、警戒した方が良いと思います。それは兎も角。

 この手の男性は「『経験人数』や『経験場所』や『風俗店遊んだ話』などを自慢したがる一方で『紳士的な方法で異性と距離を縮めていった過程』を話さない/話せない」と云う特徴があります

 彼らが何故それを話さない/話せないのかを考えるに、彼らが「女性と『対等な関係』の下で『一対一で向き合う』ことを怖れている/避けている」もしくは「女性と対等な関係になることは『男としての恥/屈辱である」と云う考えの持ち主であることが理由ではなかろうかと、私は推測しています。おそらく「上下関係」や「力関係」が介在しない場では、彼らは自力女性口説くことも満足にできないのではないでしょうか?相手が「弁えない女性」の場合には特に

 さて、長い枕から本題に移ります

 はてな匿名ダイアリー引用するために『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』その他を読み返し始めたところ、町山智浩らが話す「女性に関する話題」に関する『或ること』に改めて気づきました。

 曰く「ラムちゃんみたいに、奥さんの方から転がり込んで来た」

 曰く「高橋ヨシキが『自分女性パートナーの胸を揉んでいい』と言うから、揉ませてもらってキスもした」 

 曰く「女性から聞かされた話を(聞かされたことも忘れて)、その女性当人に対して上から目線で教えようとした」

 曰く「どこそこの風俗店が云々」

 曰く「誰それのオコボレを目当てに、後から着いて行って云々」etc.

 このように、町山智浩らの周囲から出る「女性に関する話題」には「『対等な関係』として『一対一』で女性と向き合った話」が乏しいことに気づきます。聞かれてもいないのに、わざわざ自分の方から女性に関する話題」を持ち出しているのにも関わらず、明らかに乏しいのです。「奥さんが転がり込んで来た」という話も、要するに「棚ボタ」なのであって、決して「自ら主体的能動的に動いた話」ではないことにも注目して下さい。

 おそらく、町山智浩自身にも「自分たちは『きちんと一対一で対等に女性と向き合った』と云う経験に乏しい」という自覚と、それに伴う「劣等感」が有るのではないでしょうか。そのことが、目下の者や読者に対して頻りに「オレたち『大人の男』ってのはさあ」という『説教』をかまそうとする町山智浩らの動機になったように思えます

 しかし、いくら説教をかまそうとしたところで「経験していないこと」や「体現できていないこと」を語るのは土台不可能なわけですから、いずれどこかで無理が生じます

 一時期の町山智浩は、頻りに「恋愛論」を語っていました。あれだけ『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』等で自ら何度も「若い頃はモテなかった!モテなかった!」と書いていたのに「今さら正気か?」と私は感じたものです。それでも町山智浩は、自分に都合が良いように捏造/美化した記憶を語って流布させることで「過去を上書き改変すること」が出来ると考えていたのでしょう。

 しかし、某地方映画関係者などから情報漏れ出した途端、町山智浩は「恋愛論」を語るのを止めたようです。おそらく、自分実像を知る人間から情報暴露をされたら、薄っぺらい「恋愛論」による目眩ましなど一溜まりもないことを理解たからだと考えられます

 例の騒動の時には「女性から教えてもらったことを、その女性に教えようとする『マンスプレイニング』の気質の持ち主である」ことをも示唆されていましたが、このマンスプレイニング気質も、根本に「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」という気持ちが有ることの顕れだと思います

 この「女性(を含めた他者)との『対等な関係』を構築することができないのではないか?」という疑いは、高橋ヨシキてらさわホークについても同様に向けることができます

 現在高橋ヨシキてらさわホークは、自分たちよりも年齢の若い女性アメコミ翻訳家ヒップホップミュージシャン等とばかりつるんで配信に勤しんだり、あるいは、自分たちよりも知識が乏しい人間が集う『共感シアター』など「上から安心してマンスプレイニングすることができる場」に閉じ籠もってばかりいますが、これは何故でしょうか?

 私はこれも、結局は彼らが「女性(を含めた他者)との『対等な関係』に堪えられない」ことの顕れだと推測しています

 対等な関係に堪えられないから、自分理解できないコンテンツ/ジャンル自分女性パートナーが楽しむ姿に我慢ならず、その価値観否定したり、馬鹿呼ばわりしたりするのです。

 そんな高橋ヨシキ著作悪魔が憐れむ歌――暗黒映画入門』が、ちくま文庫から目出度く再刊されました。同書に田野辺尚人が寄せた解説を読むと、高橋ヨシキは「魂の自由を重んじている人間」とのことです。

 そんな「魂の自由を重んじている」人間が、自分女性パートナーの肉体を町山智浩に献上したところを見ると、高橋ヨシキは「女性には魂が無い。したがって、女性の魂には自由が無い」と考えていると見ても、さほど間違いではなさそうです。

 よかったら皆さんも一度、高橋ヨシキの本を読んでみて下さい。

 長くなったので、とりあえず今回はここまでにします。

 ヘイル・サタン

2021-04-02

Vと炎上腐女子著作権と私

とあるVがBL同人誌タイトルを9割がた読み上げてしまたことによる炎上について。

それ自体については正直どちらにも悪意がなかった不幸な事故であるという見解なのだけど、あまりにも外野vs外野状態が続いていて、見ていてなんだか思う所もあったので文章にしておく。

私自身は男性向けも女性向けも見る、時には執筆者側(女性向け・男性向け問わず)にも回るいちオタク。(Vも見る)

腐女子ローカルルールというのもおおよそ理解しているし、だからこそ「タイトル読み上げちゃったのはまずいよなぁ」って最初は思った。

でもそれって、よくよく考えたら腐女子ローカルルールであって、外の世界の人にわかるはずないよねっていう。だからこんな争いがおこる。

もう、腐女子の「ローカルルール」というのはやめた方が良いと思う。

はっきり言って、現実に即していない。もう、「ローカル」が「ローカル」ではなくなっている。

同人認知度も10年前とは全然違う。企業側が二次創作/動画配信に関するガイドラインを出したり、2次創作者が公式ゲストイラストレーターとして参加したり、このような認知度の状態で「私たちは隠れている存在なんです」というのは正直無理がある。

あくまで推測なのだけど、女性ルールを守る真面目な方が多い。このローカルルールってそれがめちゃくちゃ裏目に出てる案件だと思うんですよね。腐女子として界隈に入ろうとすると、先輩の腐女子からルールを教え込まれる。真面目な女性は、それをちゃんと守って、また後輩の腐女子にはそれを伝えていくし、守ってない腐女子がいたら「ルールは守って」と言ってしま・・・でも、そもそもルールが変わろうとしている中で、それが裏目に出ている。という印象です)

あとBL不快に思う人が多いから、というのもも時代が変わっている。

もちろんゾーニング必要だけど、それは垂れ幕1枚あればもう十分なんです。

過剰に隠れる(振りをする)のはもうやめて、これからは堂々と活動していくためのことを考えた方がいいと思うんですよね。

(念のため、エロコンテンツ捏造カップリングなんかを堂々とおっぴろげにしていいって言ってるのではないです)

そして、多くの著作側の方々にお願いしたいのは、2次創作ガイドラインを出していただくこと。

これに関してまだまだ多くの腐女子が「藪蛇をつつくようなことはやめろ」と思っているのかもしれませんが、それでだめだといわれたらダメですよ。普通に

かに一定ジャンル数、活動できなくなる方々はいると思います。私だってその可能性は十分あります

でも、時代が変わればできなくなることもあるし、またできるようになることもあるはずです。

少なくともいち同人作家として、訴訟におびえながら活動するのは、私はイヤです。

そして、著作側が本当は嫌がってるのに、2次創作をするのも本意ではありません。著作側が嫌だというならそのジャンル活動スッパリ辞めます

どーーーーしても2次創作がしたいジャンルなら、それこそ個人サイト作成し、パスワード型にして、信頼できる人にだけパスワードを教えます

公式ガイドライン作成することは、少なくとも同人作家側においてメリットの方が大きいはずなのに、なぜ藪蛇扱いになっているのがよくわかりません。

「これまではそれでうまくいっていたんだ」というのは、日本人特有事なかれ主義ってやつです。時代が変わっていて、今までローカルだったものローカルではなくなっているのだから、これまで通りうまくいくんだと思うのはあまりにも楽観的すぎるのではないでしょうか。

実際に今回のVの案件海外も含めとてつもなくたくさんの人に認知されてしまったわけです。

ネット社会で、ネット上に作品を上げている以上、界隈外の人に見られてしま可能性がどんどん上がっているんですよ。

そしてその人たちは界隈特有ローカルルールなんてわかるわけありません。

2021-03-31

雑誌映画秘宝』の記憶(33)

【「これはキャンセルカルチャーなのか?」について】

 鷲と獅子合成獣の人に、まとめの手間を取らせてしまって申し訳ありませんが、まだまだ投稿は終えられそうにありません。

 これまで私がはてな匿名ダイアリー投稿した一連の文章において、過去町山智浩高橋ヨシキらが残した「差別的/セクハラ的な言動」を批判していることに対して、他のhatenaユーザーの方からキャンセルカルチャー典型である」と見なす声を頂戴しました。

 そこで今回の投稿では、これについて返答したいと思います

 結論から先に言いますが、私自身は「これはキャンセルカルチャーではない」と考えています

 そのように答える訳を、以下で述べます

 端的に言えば、町山智浩らが自分たち思想/意見/姿勢の「変化」―――或いは、もしも変化していないのであれば「変化していないこと」―――について、明確に自分の口/筆を用いて『説明』をすれば済むだけの話です。何故ならば、町山智浩らは「言論人」なのですから

 仮に町山智浩らが説明をするとすれば、様々な選択肢があり得ます。「元々の自分たち差別的人間である。したがって、これからも変わらず自分たちは、差別発言セクハラも続けていくつもりだ。文句あるか」、「著作物に記録された自分たち過去言動は、差別セクハラにはあたらない。したがって批判を受ける謂れは無い」、「過去自分たち著作には、明らかな差別発言セクハラも含まれる。けれども、それを補って余りある価値が、これらの著作物には有る。その価値とは斯く斯く然々のものである」、「昔の自分たちは、確かに差別的だった。けれども、いついつ頃、斯く斯く然々の経緯があって、反省して自分を改めた。同じ過ちを繰り返さないように、斯く斯く然々のことに気をつける。また、当時の発言で傷つけた人たちに対しても、斯く斯く然々と謝罪する」等々。

 どのような説明を採択するのか、それとも説明放棄して頬被りを決め込むのか、それは町山智浩高橋ヨシキ自身選択であって、それによって他者から納得を得られるのか、新たな批判を招くのか、それも彼らの責任と言えるでしょう。

 現代の我々が入手・閲覧することができるような、過去の何者かによって執筆された様々な書籍出版物の中には、執筆された時代社会的趨勢の影響から逃れ得ず―――したがって、不可避的に―――、今日の我々の目から見れば「差別的表現」と捉えられかねない箇所を含むものが少なからず有ります。それらの書籍出版物が、そういった部分を含むのにも関わらず、何らかの現代的な価値を見出されて現在出版継続されているのは何故でしょうか?

 それは、これらの書籍出版物が、現代人の目や考えに基づく批判プロセスから『逃げずに』それを引き受けると云う洗礼を経ているからです。決して、現代である我々が「批判の手を控えている」から、これらの出版継続されているという訳ではありません。

 もちろん、執筆者が既に故人となってしまって本人が執筆意図などを説明することが叶わない、つまり『逃げようが無い』と云う書籍出版物存在します。しかし、それらについても結局は、執筆者が込めた意図を見抜いたり、或いは、執筆自身執筆の時点では思いも寄らなかった現代的な意義を見出したりする人間たちが存在し、これらの人間執筆者の代理人となって書籍出版物価値や意義の「説明」を行うことで、やはり批判プロセスを経ているのです。

 これに引き換え、町山智浩高橋ヨシキらは存命なのですから自分たち著作物の意義や価値について「説明」することは、弁明の機会も与えてもらえない故人となった執筆者に比べれば、遥かに容易であり、恵まれ境遇にあると言っても過言ではないと私は考えます

 であるならば、はてな匿名ダイアリーに私が投稿することを「キャンセルカルチャーだ」と評して喰い止めようとするよりも、むしろ町山智浩らに対して「沈黙を止めよ。批判から逃げずに説明せよ」と言うべきなのです。

 それとも、私の投稿を止めようと試みる人たちは「町山智浩高橋ヨシキには『説明』の能力が無いのだから批判するのはカワイソウだ」とでも言いたいのでしょうか?しかし、それでは余りにも町山智浩高橋ヨシキらを馬鹿にし過ぎではありませんか?

 なお、2020年出版された高橋ヨシキてらさわホークの共著には「Me Too運動による『過去の悪行』を追求する動きに『行き過ぎ』は無い」「臭いものに蓋をするのは良くない」「被害者しぐさをするのは良くない」と云う主旨の、素晴らしい言葉が記してあります。皆さんも買って読んでみて下さい。

 高橋ヨシキてらさわホークには、是非とも言行一致を求めたいものです。くれぐれも「世間の厳しいバッシングに曝される、カワイソウなオレたち」などといった『被害者しぐさ』に逃げるのだけは、絶対に止めて欲しいものです。

 もしも、言論人としての矜持も持たず、自力での説明も無しで、なし崩し的に「暴言セクハラ差別を行うのが大好きな人間」から社会不正義や不公正と戦う正義人間」へと変節することを、町山智浩高橋ヨシキらが画策するのであれば、これを座視するべきではないと私は考えます

 喩えて言えば、ナチス戦犯たちが、戦時中の罪を償わないまま、顔や名前を変えて戦後の追求を逃れて名士に成り上がろうとしているのに似ています

 また、元・女性パートナー発言奈良さんが被害者となったパワハラ事件などを見れば「かなり昔の話」ではなく「比較最近現在の話」として、彼らは女性立場が弱い人間に対して威圧的な態度を取り、抑圧者となっている疑惑も有ります

 これを喩えて言えば、カトリック司祭説教壇の上で立派な説教をしながら、裏では平信徒女性児童に対して性的強要搾取をしているのに似ています

 貴方ならば、それを黙って見逃しますか?

 過去の行いにしても最近の話にしてもそれらを「反省」して「償う」と云うプロセスを経ずして、町山智浩高橋ヨシキらが「良い人」を偽装することを、見逃したり許したりするつもりは私には有りません。

 結論を言えば、私の行動は「キャンセルカルチャー」ではなく「発掘」なのであって、あまり人に知られずに埋もれていた町山智浩高橋ヨシキらの蛮行を「表から消し去る」ことではなく「世間に知らしめて人々の記憶と記録に残す」ことが目的なのです。

 これで「私の投稿は、キャンセルカルチャーではない」ということを理解していただければ幸いです。ただし、評価については読まれた方にお任せします。

 この投稿は、以上です。アーメン

2021-03-29

anond:20210329221539

しか二次創作自体著作権侵害だけど過去二次創作同人誌著作が認められた例があるから、そこを裁くのは法に任せるしかないので一般人大義名分を得て叩くのは違うのでは。

だったらVを裁くのも法であって、無関係同人作家たちがVを叩くのは違うのでは?

それにそもそもから何も生み出すことができず他人創作物寄生することでしか生きられないVが作品晒すこと自体おこがましい。

これ二次創作作家自己紹介

0から何も生み出すことができず、ってまさに二次創作作家じゃん。

特に二次創作腐女子。この間話題になってたけど、二次創作腐女子商業BLを「知らない人同士の恋愛なんて興味ない!」ってディスってたの見たよ。

どこまでが性的でR18かというガイドライン一般向けの企業が出すとは思えないし一律アウトになると思う。

それはなくない?

二次創作ガイドラインを出している企業もあるけど、公序良俗に反する内容は禁止と言ってるところが多いよ。

https://www.happyelements.co.jp/contents-guideline/

https://www.hololive.tv/terms

例のVチューバー同人誌晒しだけどBLじゃなくても擁護したの?

V側を擁護している人の言い分が謎過ぎる。

しか二次創作自体著作権侵害だけど過去二次創作同人誌著作が認められた例があるから、そこを裁くのは法に任せるしかないので一般人大義名分を得て叩くのは違うのでは。

そもそもBLのR18作品だったから余計になのかも知れないが別のもので置き換えて考えられないのかなぁ

盲目的すぎる

BLじゃなくてGLNLだった場合は、同じようにVに味方したのか?

BL二次創作著作権侵害から叩き潰すことでBLけが駆逐されると思ってないか?まじで。

もし版元の会社が出ざるを得なくなった場合、さいあく全部駄目になると思う。

どこまでが性的でR18かというガイドライン一般向けの企業が出すとは思えないし一律アウトになると思う。

それが二次創作界隈全体に普及しかねない。

それにそもそもから何も生み出すことができず他人創作物寄生することでしか生きられないVが作品晒すこと自体おこがましい。

こいつらは何か1つでも業界還元したことあるのか?

自分に影響力があるというなら、自慢の信者共に買わせて業界に貢献してみろよ

それに追従するしかなく養分しかないユーザー自分のいる所がオウム真理教と変わらないことを自覚しろ

2021-03-28

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第13-14場

anond:20210314223160

ネタバレ

第13場実況

A 雪原〜雪のシンフォニー

雪組だけに?

これ一幕ものでよかった、と思う。

雪原?ロシアロシアナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。

ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。

ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」

ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」

人間はあらゆるもの発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。

ベートーヴェン平和の、敵、ブオナパルテ」

出生名

ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」

わらった。

ナポレオンヨーロッパの国々を、ひとつ連合にする」

!!ナポレオンEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!

ナポレオン世界が豊かになる方法は、人と、モノと、情報自由に遠くまで運ばれ、優れたものが交換されることだ」

おやリカード比較優位論、貿易大原理。1817年か。

音楽数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。

再び勝利

ナポレオン勉強は好きか」

「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」

ベートーヴェン所蔵のカント『実践理性批判』

ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」

ナポレオンって銃弾に倒れたわけではないやんな。

B 彼女名前

ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11ウィーン会議ロッシーニいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。

謎の女「かつて地上にあった人間のすべての苦しみ それがわたし

ベートーヴェン「おまえは、人類の、不幸」

謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」

ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。

謎の女「死は、救いなの」

ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」

ベートーヴェン「強くてきれいな人類の不幸。おまえの名前がやっとわかった」「運命」

あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。

「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」

ベートーヴェン「生きることが苦しみでも、おれは、おまえという運命を、愛するよ」

上田氏の京大講演会経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快ものなら、当然、それがなくなることはない」

第13場まとめ

第14場 最後シンフォニー 実況

智天使ケルブ「この世界に別れを告げる時間だ」

1827年

ベートーヴェン「どうすれば音にできるだろう、この祈りを」

運命「これはいつくしまれた不幸の、よろこびの歌」

ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手オーボエパート、望海の左手クラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。

ヘンデルあいつ、なんと…」

モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」

シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつ出典では『自由賛歌』がシラー作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作都市伝説の元なのかな。

東西ドイツ統一式典では「自由バージョンで歌われた。

ベートーヴェン「あー」(A4)

運命「あー」(A5)

爆笑超音波なの?すごすぎ。

ベートーヴェン「苦悩を突き抜け、歓喜に至れ!」

1815年の手紙から日本語訳がピッタリこないけどドイツ語からいから2つの英訳

"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."

"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."

智天使ケルブ「まあいいだ〜ろう♪」

よかったね天国行きだよ!

歓喜のその歌 ともに歌うとき あなたわたしも」ベートーヴェン父・メッテルニヒ「ゆるしーあーえーるーだろー」

あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。

  • 舞台後方真ん中でひとり手を広げて立つケルブ様

und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.

ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害天国/楽園行きを阻むもの自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。

今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?

コーダ⁈やば。3人の強きものfたち。

そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。

リズム隊が醸す歌謡曲感。

ベートーヴェンアンコール!」

きたー

ベートーヴェン人生幸せだったー!」

諸君拍手を!喜劇は終わった」

キンキラキンのすごい背景ー笑、衣装は白いし。

ベートーヴェン葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。

世界果てなく 祈り 響かせ

うたえ 生きとし生けるもののうた

なんかここのベートーヴェン推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。

第14場まとめ

全体総括

ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)

耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。

予習の段階で目を通したこの通りの内容。第九誕生物語

お見事。

配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトル意味しかり。

重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンイメージシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。

おまけ:ミュージカルシンフォニア

第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。

*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオンゲーテが左右におり、謎の女もいるので。


うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。

2021-03-25

anond:20210325124420

漫画絶版ドットコムがあるように古書にもあるべきだったけど法律邪魔して孤児著作がずっと孤児だった件ね

俺がパブコメにいろいろ教えてやったから進んでるんだろうな

ありがたく思え

2021-03-24

anond:20210323153614

同性愛が苦手」でもいいと思う。

ただ一方で、文章読むとその原因は「価値観としてそう教えられてきたから」という点に帰結しているように見えた。

もっと言うと「保守的価値観」といってもいいかもしれない。

その点では、「教えられた価値観に束縛されない、もっと自由人生を歩むといい」と思う。

あなたの教えられた価値観なんて、絶対的な真理とは言えない、移ろいの中の途中経過のものしかないと思う。

同性愛について歴史を通して見るてみると、日本では中世から近世まで同性愛は今ほどのタブーではなかった事実が厳然としてある。(稚児とか衆道とか)

海外に目を転じても、古代ギリシャでは「少年愛義務」だったりする。プラトン著作とか読むとわかるけど。

同性愛タブーになったのは、キリスト教禁忌とし、かつ西洋文化支配的になったからに過ぎないとも言える。(イスラム教でも禁忌か)

日本価値観に絞って考えたとして、ここ百年やそこらの「俄か」の価値観に縛られる必要ない、と言っても言い過ぎではないと思う。

価値観なんて、もっと多面的に考えればいいんじゃないのかな。

2021-03-20

JASRAC著作任せないようになんか他の団体があるといいのにな。

中身は全然違うし的外れなんだけども、漫画家赤松健が作った『「マンガ図書館Z」は、漫画家権利者・出版社の方々の許諾、ご好意によって「往年の懐かしいマンガ」や「惜しくも単行本化されなかったマンガ」、「新しく生み出されたマンガ」などが、全巻、いつでも無料で読める、電子書籍サイト』みたいな、そういうのがあったら変わるのかなって。

2021-03-19

anond:20210319163515

そうか、不幸な名前で一生を送ることになった子供はいなかったんや...!

(ワイはときどき、「水木しげる著作主人公から採ったヒーローネームだったんかね?」とかおもってたやで)

2021-03-18

anond:20210318201103

ただし、redundancyの尺度フランス語ドイツ語にもあるのでは?

ラテン語古代ギリシア語ではどうなのだろう。

哲学著作では、どのようになっているのだろう。

2021-03-13

雑誌映画秘宝』の記憶(9)

今回は、セクハラ性犯罪被害者に対するセカンドレイプについての話です。

以下に示すのは、町山智浩柳下毅一郎の共著『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』から引用です。引用文中の「ウェイン」が町山智浩の、「ガース」が柳下毅一郎の各々の発言です。以下の引用は、同書のp113からです。

引用ここから

ウェイン:ロマン・ポランスキー十三歳の少女との淫行事件でやっぱり授賞式には来れないの?

ガース:保釈中に海外逃亡だから自動的逮捕されちゃうんですよ。逃亡期間は時効も停止してるし。

ウェイン:でも、ポランスキー少女レイプしたわけじゃないし。

ガース:合意の上なのに相手未成年から強姦扱い。そもそもあの娘は札付きだったしね。

ウェイン:ポランスキー、ハメられたな。ハマったというか(笑)

ガース:ロブ・ロウと3Pして隠し撮りしたビデオを売った少女とか、みんなもういい年だと思うけど、何してるのかな?全員集めて同窓会をやってほしいな。

ウェイン:この手の地雷女はいろんなところに隠れてるからな。あ、この場合地雷少女か。

ガース:地雷少女オタクアニメヒロインみたいッスね(笑)

引用ここまで=

これを読んで、伊藤詩織さんが被害者となった事件に対して近年の町山智浩が行った批判的な言動比較してみると、随分と違いますね。しか果たして、その違いは年月の経過による考え方の変化だけが理由でしょうか?私は、そうではないと思います

そもそも現在の彼らの考え方(後述)そのものが、上に引用した発言の頃(雑誌映画秘宝』掲載2003年、本にまとめて出版したのが2004年)から変化してはいないのです。

松江哲明映画童貞プロデュース。』撮影現場で起こした性的強要事件が発覚した際、町山智浩ら『映画秘宝』がどのような態度を取ったのか、この文章をお読みになっている方々の中で御記憶の方もいらっしゃることでしょう。あの時、町山智浩は「被害者一方的証言だけでは判断できない」と言い、あたか客観的で冷静な態度を取るように見せかけて誤魔化そうとしました。しかし、被害者が「被害者である自分の話を、町山智浩が聞こうとした事は一度も無い」と暴露したことから町山智浩ら『映画秘宝』の欺瞞が明らかになったのです。

上の引用から見て取れる「町山智浩らの考え方」とは、どのようなものでしょうか?それは「偉大な『才能』を持つ人間、大きな『功績』を残した人間自分たち(=町山智浩ら)の『仲間側』の人間は、たとえ人道を踏み外す行為をしても見逃されるべきである」と云うものです。

伊藤詩織さんの事件加害者町山智浩らにとって『仲間側』ではないので、町山智浩らも心置き無く批判できます

しかし、松江哲明は『仲間側』だから町山智浩らも批判を控えます。一方で被害者は、町山智浩らの「仲間で楽しくやっている雰囲気を壊す『異人』」なので、『映画秘宝』に話を聞かれることも無く無視されて放置されます。あの後、町山智浩らが被害者証言を聞いて、何か具体的な行動を起こしたでしょうか?寡聞にして私は知りません。

ロマン・ポランスキーは、彼本人は町山智浩らの存在言動など知りもしないでしょうが映画好きにとっては当然「偉大な才能+大きな功績+仲間側」なので見逃され、その為に被害者悪者にされることになります。これは、被害者女性がおそらく日本語メディア町山智浩らに何を言われているかを知る由も無い、従って反論もできないでしょうから町山智浩から見て『弱そう(=力を持たない)』ように見える人間相手ならばヤンチャに振る舞う」と云う、既にお馴染みとなった『映画秘宝』の行動パターンにも当てはまります

高橋ヨシキ自分パートナー女性の胸を町山智浩に揉ませたのも、雑誌映画秘宝』内部での上下関係からすれば「当たり前」のことであり、「女性という『他者』」は『映画秘宝』内部のホモソーシャル集団における『仲間側』の人間ではないので、女性自身意志尊厳が顧みられることはありませんでした。女性ツイッタラーへの恫喝DM事件編集者奈良さんへのパワハラ事件も、この延長線上に起きたことです。

近年、ハリウッドの大物ハーヴェイ・ワインスタインが犯したセクハラ性的暴行事件が、勇気ある告発者たちの手によって明らかにされました。その後、ワインスタイン効果によって、他の大物たちの悪行も次々と明るみになりました。映画ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーシリーズ監督ジェームズ・ガンもその一人で、過去言動槍玉に挙がって一旦は同シリーズに関わる仕事から追われました。しかし程なくして、ジェームズ・ガンシリーズに復帰すると報道されました。洋の東西を問わず『仲間側』の人間には甘くなると云う傾向は、残念ながら大差が無いようです。ハーヴェイ・ワインスタインの悪行にしても、それが長年に渡って看過され続けてきたのはワインスタインが「米国民主党の大物支援者」と云う「ハリウッド映画人にとっての『仲間側』の人間」だったことが理由と言われています町山智浩ら『映画秘宝』もハリウッド映画を見ることで、海の向こうの遣り口を学んだのでしょうか?残念ながら町山智浩らは、海の向こうの勇気ある告発者とその支援者たちの姿勢は学ばなかったようです。

町山智浩らの盲目的な信奉者たちは、今もなお町山らの行動を模倣する振る舞いを続けています。「被害者にも問題が有る」「被害者胡散臭い」「パートナー男性から『町山さんに胸を揉ませろ』と言われた女性本人が、必ずしも嫌がっていたとは決めつけられない」「一方的証言だけではセクハラパワハラ判断できない。自分には詳しい事が分からないし部外者なので判断は保留にして、これ以上は何も言わない」といった有様です。彼らにとっては、これが「理性的」な振る舞いなのでしょう。

しかし、もしも「分からなくて判断できない」と言うのであれば、いっそ町山智浩らに直に質問してみては如何でしょうか?「吉田豪インタビューは実際に行われたものなのか?」「インタビューで語った行為を実際にしたのか?」と。あるいは自力で『映画秘宝』のバックナンバー過去著作で、彼らの言動を洗ってみるのも良いかも知れませんね。

私は「町山智浩らの考え方は、引用発言がなされた頃から変化していない」と記しました。近年の町山智浩らが盛んにポリコレ的な言動を発信していたのも、彼らのビジネス上の必要性から生じた単なる上辺だけのものに過ぎないと、私は考えています。今回の様に、いざという時に化けの皮が剥がれるのは、上辺だけのものからです。

映画ブレードランナー』の主人公デッカードが、レプリカント(人造人間)を見分ける為に行うフォークト=カンプフ・テストは「被験対象他者苦痛に『共感』する能力を持つか否か」を見極めるものでした。もしも、デッカードが、町山智浩高橋ヨシキや彼らの信奉者たちに「君のパートナーが目上の人間の機嫌を取るために『君の身体自由にさせろ』と言い出したら、君はどうする?」と質問したら、町山智浩らは上辺だけは「良くないことだ!許せない!」と答えるかも知れませんね。しかし、凄腕のブレードランナーであるデッカードならば、その反応が「単に『人間らしさ』を模倣したものに過ぎない」と判定するのではないでしょうか。タイレル社の会長人間であり高名な科学者でもありましたが、レプリカントロイたちの抱く苦悩に対して終に理解共感を示すことはありませんでした。

この文章を読んだ貴方にも、貴方自身に対してフォークト=カンプフ・テスト実施してみることを私は勧めます。「町山智浩高橋ヨシキしたことについて、君はどう思う?」と、貴方自身質問してみて下さい。

気が向いたら、また何か書きますね。アーメン

ダンジョン飯 ワールドガイド 冒険者バイブルことなんだけど、

チルチャックがハーフフット種族名のことを語る漫画があるじゃないですか。

あれの意味がわからないという人のための解説です。

わかっている人はスキップしてね。

 

もともとチルチャックみたいなハーフフットとかハーフリングとか呼ばれる、

背が低くてすばしこくて手先が器用でという種族元ネタトールキンホビットなんです。

から本当はあういう種族総称ホビットになるはずなのです。

 

ところがトールキン著作権利を管理しているトールキン財団みたいなところが割と権利関係にはうるさいところで、

昔、テーブルトークロールプレイングゲーム元祖であるD&Dホビットという種族名を使ったところを、勝手に使うな!と物言いがついたのです。

そこから、色々と派生して、どうもホビットという種族名を使うのは駄目らしいということになってホビットという統一名称は使われない世界線となったのです。

雰囲気としてはディズニーとか任天堂著作に対してのネタみたいな感じ。

 

付け加えると、エルフとかドワーフトールキン著作から生み出されたと言っても過言ではないのですが、

エルフドワーフは元々の単語として存在していたものトールキン創作ではないので物言いをつけることが出来なかったので普通に使われて現在に至るわけです。

 

場合によってはホビットという名称エルフドワーフみたいにもっとメジャーになっていたこともあり得るのですが、

もしそうなっていたらホビットいうイメージも今の我々が感じるイメージとずいぶんと違うものになっていたかもしれません。

そういう意味ではトールキン財団判断賢明だったと言えるかもしれないけれど、そうでもなかった可能性もある。

2021-03-08

マルクス主義フェミニズムのことも知らずに上野千鶴子DISってたってマジ?

https://togetter.com/li/1678496

今まであれだけ上野千鶴子についてわかったような口をきいてたのにマルクス主義フェミニズムのことも知らなかったってマジっすか!

上野千鶴子Wikipediaにはっきりと載ってるし代表的著作マルクス主義フェミニズムって名前書いてるのに。

マルクス主義フェミニズムのことすら知らんと、今まで上野千鶴子の何をしったつもりになってDISってたん?

https://twitter.com/search?q=from%3Atm2501%20%20%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90&src=typed_query

まりにもマヌケすぎでは?


黙ってれば知ったかぶりできたのに、「マルクス主義フェミニズム」知った喜びが抑えきれなかったんやな。

人の話を聞かないくせに自分王様のように勘違いしているマヌケ

おだてながら偽りの外套かぶせると全裸大通りを歩くかのような愚行。

2021-03-07

anond:20210306111306

私町山氏の熱心なファンなので結構著作も追ってますが、町山氏の得意の60-70年代映画の本でもやべえな・・・と思われる描写結構沢山あります

映画見方がわかる本の戦場にかける橋のところとか。

たぶん日本兵にこき使われたとかの描写海外ソースではないんじゃないかなあ。

FBBの映画欠席裁判は与太話としてはまあおもしろいのだけど、それにしてもアカンだろ的なところも一杯あります

マイケル・ジャクソン関係含めて同性愛嫌悪なのはかなり多いですね。

MJのちんこしろくろまだら!とか書いてあるんですけど、いまだとたぶん爆発炎上ですよね。

2021-02-23

anond:20210223225823

まあそうはいってもな、一見ムダな贅沢やバカ騒ぎに金を落として、いろんなところに金が回ってる状態が「景気がいい」ってことだから

高校時代人間関係だとかで色々病んで精神追い詰められて劣等感で苦しんでも、無頓着

周囲の大人赤ん坊をあやすみたいにケアしてくれないからといって、10代の悩みを10年近く引きづってるとしたら、それは成長してないとしかいいようがない

本を読め

先人も同様に悩み、文学やら心理学やらの著作現代に伝えてくれている

2021-02-08

めっっっっっっちゃ好きな作家ができた

設定も、オチ方向性ジャンルもツボすぎて著作を買いまくった

気付けば未読の本はあと3冊(そして自分の好みにフィットしそうなのはたった1冊)

作家さんはわりと遅筆な方で、かつ彼の若いころの無茶苦茶荒唐無稽な感じが好きなので今後「好き!!!!!!!!!!!!!!」と思える本が出るとは思えない

未読の本、今日届くんだけど……やっぱもったいなくて読めない気がしてきた……

2021-02-05

anond:20210205135230

鈴木大介氏の著作を思い出した。

車に乗ったら車を必ず洗わなくてはならないという習慣がある家に育ったら、頻繁に車を洗うのが普通だけれど、そうじゃない家の人にとって見れば理不尽まりないという話。

背景の価値観が違うのに自分一方的に正しいと思い込んで相手咎め続けるのが結婚生活として楽しいものになるのだろうか?

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