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はてなキーワード: 著作とは

2018-09-11

けものフレンズ二次的著作物 [返信4

https://anond.hatelabo.jp/20180911013512

 あ~…

1,私は、この話題騒動の際にサイトに出されたKFPの公式プレスは[イチャモン]だと思ってる。

 

2, "著作人格権保有者は好きに続編を作れ" 無い! 翻案権財産権の方だぞ。

 

1a,私は、KFPの公式プレスとして直接 ばすてき が許諾を得ていないと言及された事は無いと記憶している。

 だったが為に、スポンサーであるJRA日清プレスを出すような事態にまで大炎上してしまった。

 

1b,そのため、消去法的に ばすてき が問題視されているが、

 これはオカシイ

って言うか。超単純な話だ。

irodori (≠ヤオヨロズ)がKFPから ばすてき 制作の許諾を得ているのなら、何ら問題ない。

 許諾を得ていないのなら問題。 しかし、KFPは原著作権者として当然 削除要請する権利がある

で、ばすてき は今現在も削除されていない。≒少なくとも黙認されている。

 

 おそらく、irodoriは ばすてき 制作公開の許諾をKFPから不完全ながら得ている。

KFPは複数出資製作委員会方式なので、一部に話は通していたが、全体の合意は得ていなかった。ってところだろう。

 

(私の妄想だが、) KFPはヤオヨロズから二次著作権の全てを買い取り損ねているのでゴネているのだろう。

3Dモデルデータが買いたいにしろ、続編を作る場合の主導権を取るにしろヤオヨロズ不手際を攻めて

自分達を有利にする為に公式プレスを上げた。

しかし、結果KFP内部の不調和がそのままプレスに表れてしまって、グズグスになってしまった。

 と、私は見ている。

ばすてき権

anond:20180910232722

俺も素人だし、貰ったPDF増田の元記事矯めつ眇めつしてみても、イマイチしっくりこない。状況はかなり錯綜しているようにみえる。ばすてきの著作人格権は誰のものか。

典型的製作委員会タイプアニメの例を参考にすると、

アニメ3DCG著作人格権は、ヤオヨロズに属する」という解釈妥当っぽい。

通常、制作会社勝手に続編を作るなどという事態問題にならないのは、製作委員会がおカネを出さないと作れないからだ。しかし、たつき監督はこの点でイレギュラーだった。やってのけてしまった。著作人格権保有者は好きに続編を作れるので、誰も咎めることはできない。

他方、吉崎観音さんを原作としてみるとアニメ本編、3DCGも、ばすてきもみな二次的著作物だ。

それなら過去判例を参考にする限り、改変をコントロールする権利吉崎観音さんにあるようにみえる。製作委員会サイドの吉崎観音さんが著作人格権保有者なら、彼の許諾無しで、ばすてきを出すことは許されない。

二次的著作物は... (中略)... 原著作物の創作性依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的である

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/著作


どちらの解釈が正しいのか判らない。ただ人格権行使条項問題の核ではないと思う。

もしも、ばすてきを作ったのが「制作会社以外だったなら」例えば製作委員会以下の別の組織が作ったなら、事前に著作人格権行使条項ーーばすてきを作ってもいいよ契約、これを明記させておくことは必要だ。そうしないと人格権保持者の一存で一方的にばすてきを取り下げさせることができてしまう。しかし実際には制作会社自身が作ってしまったので、

となる。どちらでも問題はない。


ばすてきの法的問題は、著作財産権公衆送信権にあると思う。

ナイーブに考えると、製作委員会との契約で、けものフレンズに関わる全コンテンツ委員会の許諾なしでアップすることは出来ないはずだ。だからたつき監督のばすてきYoutubeアップロード違法だと解釈できる。

ただ、そこに黙示の合意があったなら話は違ってくる。たつき監督の目がキランと光って吉崎さんが冷や汗、というシーンがあったと思う。これを黙示の合意と取ることも可能かもしれない。

または、増田の説の"財産権バージョン"ーーヤオヨロズに対して「本編アニメは」勝手に公開してはダメだよ、などと限定してしまっていたなら、これは合法ということになる。著作契約がここまで込み入っている以上、このようなミスが起こってもおかしくないと俺も思う。専門家を雇うカネをケチったということはないと思うけど、そこまで気が回らないほど人員スケジュールタイトだった、ってのはありそうだ。

うう〜ん、部外者からではやはり多くは判らないので、やっぱり憶測なっちゃうね。ただ増田や別増田のお陰で俺自身著作理解更新したと思う。それはありがとうと言いたい。一応の解釈を持つことができたので、この件に関してはスッキリした気持ちで二期を待てるようになったのも良かった。

ただ、何故たつき監督が二期に乗らなかったか元増田のまとめを読んでもやはり釈然としない。増田が言ったように、著作問題はカネで解決することが可能だ。二期では、ばすてきのようなことはやりません、とか、アップする前に許可取ります、ではどうしてダメだったのか。

2018-08-25

anond:20180824221459

反体制で売れたもの1984、ソルジェニツィーンの著作体制批判的なライトものなら余華の著作などなど

2018-08-20

anond:20180820124912

そういう素朴な疑問や驚きを持つことは、何かを学ぶとき動機付けとしてとても大切なことです。

科学万能主義現代にあっては、科学歴史的に如何に今のような地位を築いてきたか分かりにくくなっているから尚更でしょうね。

個人的には、山本義隆科学史に関する著作(「熱学思想の史的展開」とかあたり)をおすすめします。

熱学思想の史的展開〈1〉熱とエントロピー (ちくま学芸文庫):Amazon.co.jp:本

進歩主義のホイッグ史観いか過去歴史を眼差す視線を曇らせるかが分かると思いますよ。

2018-08-18

会ったことがある、顔を見たことがある、話している様子を見たことがある

そこから、悪い人ではないよな と思った活動家?がいる

著作も読んだ、いい事言ってるなと購入したものもある

そういうのは否定しづらいもんなんだな

でも、あの人会ったことあるけど そんな悪い人でも無かったよ と言いたくなる

けど今 客観的には スピリチュアルで飯を食おうと手広くやってる人 以上の評価はできない

胡散臭いイメージがまた強くなってしまった

2018-08-02

音楽教室著作使用料問題JASRAC叩くのとゲームバー問題ゲームバー叩くのとはてなーの中でどうやって両立させてんの?

単なるダブスタ上等?

2018-07-13

多様性自由がなくても社会は発展することは隣国を見れば明らかであり、西洋の考えは社会を発展させる一つの方法に過ぎなかったのだとわかる。

西洋古典明治日本著作を読むと、この西洋思想を万能であるかのように扱うものばかりで現状の世界との相違甚だしい。数世紀前に書かれたものからその当時の認識とは合っていたのだろうが、読み進めるたびに現状の反例が思いつき、その度に読書が止まるので全くページが進まない。

このようなことがあるから古典の名著と言われるもの適当に勧めるもの自分の頭で読書をしているのかと疑問に思う。時間が有り余っている、批判的に読める、偉ぶりたい、こういう人だけにその行為は勧められる。

専門の教科書で学んだほうが何倍も早いし、その後の議論も追えるしで効率が良い。舗装された道があるならば使わない手はない。

2018-07-04

anond:20180703230324

はい

星新一先生曰く、

自分の代わりにクレームをつけてくれる人がいる。その感覚一般市民に心の平穏をもたらすのだ」

と、その著作の中で仰っていた。

2018-06-28

“ホンモノの家族”ってなんだ?

「ホンモノの親なら子供を見捨てない」

「ホンモノの親になることに憧れていたんでしょう?」

カンヌで最高の賞(パルムドール)を約20年ぶりに獲得した邦画万引き家族」では、警察によってこんな言葉が次々と主人公たちに投げかけられる。つまり主人公たちが身を寄せ合って創り上げた家族は、血縁関係を持たないゆえに“ニセモノ”であり、紐帯根底に打算的なものを含んでいるから、ちょっとした圧力ですぐに瓦解するのは当然、というわけだ。

杓子定規主人公たちを攻め立てる警察はとても憎たらしく描かれており、観客は「お前ら警察が一体何を知っているんだ」とイラッとさせられる。だが、一方で我々は日常生活において、“ホンモノの家族”という思い込みに囚われている。

実は、現代のわれわれが当たり前に持つ家族イメージ像は近代的な産物だ。例えば、E・バダンテールの著作母性という神話」では、1718世紀フランスにおいて、子供の大半が産まれてすぐに里子に出され乳母に育てられる風潮があったことが示され、“母性愛”という概念人類史において常に家族間に君臨してきたわけではないことが明らかにされる。統計によれば、同時代に毎年パリ洗礼を受ける新生児2万人のうち、約7千人が捨て子であった。日本でも一昔前の農村を思い出せば分かるだろう。子供は「小さな大人」であり、安価労働力に過ぎなかったのだ。

歴史を遡ると、「血縁関係があるのだから自分犠牲にしてでも、親は無償の愛を子供に授けて当然」という考え方は、ここ100~200年特有理念に過ぎない。ざっくばらんに言ってしまえば、家族という概念が「血の繋がりを契機として、様々な世代が身を寄せ合って互いに助け合うべき存在から、「血が繋がっている以上は、無償の愛で繋がり合うべき存在」へと変化したのである

言うまでもなく、現代に生きる以上、誰だって愛のない親より慈愛に満ちた親になりたいし、子供をこき使う親など御免こうむりたい。しかし、「打算抜きで、無償の愛で繋がり合う家族こそがホンモノだ」というとき、我々は家族に対して、実際にはありえそうもない“完璧さ”を要求している。

完璧さを家族要求する社会は、その基準を満たさない親を徹底的に許さない。さいきん東京目黒で起きた5歳女児虐待死に対する、社会のいささかヒステリックじみた反応は、その証左と言えるだろう。もちろん、こうした社会過剰反応で救われる子供もいるし、未然に防がれる悲劇もある。

しかし、そうした社会は同時に、血縁関係によって成り立っている家族こそを“ホンモノ”とするがゆえに「血の繋がった親が実の子供に愛を抱かないはずがない。なぜなら、親は無条件に子供を愛する存在からだ」という循環論法的な前提に立っている。残念ながら、これが近代特有の“神話であることは、すでに述べたとおりだ。先に挙げた目黒事件でも、日本特有親権の強さが問題になったが、「ホンモノの家族」への神聖視と親権の強さは無関係でないはずだ。

万引き家族」でもやはり、虐待から逃れニセモノの家族の元で幸せ時間を送っていた子供は、最終的に虐待を行っていた実親のもとへと返される。ホンモノの親は、ニセモノの親と違って“愛”を持っているはずだ、という社会思い込みが、結果として子供を再び悲劇に追いやるのである

さら悲劇なのは、親役を担っていた2人(リリー・フランキー安藤サクラ)だ。彼らは事あるごとに「血が繋がってないからこそ、逆に絆が強いんだ」と述べるのだが、その実“お父さん”“お母さん”と呼ばれることに固執している。一見すると「ホンモノの家族」という社会通念から自由であるように見えて、やはり彼らもまた近代家族に与えた役割を引き受けることから逃れられていない。

したがって、リリー・フランキー演じるニセの父親子供を裏切って逃げようとした理由も、血縁関係が両者の間にないことに求められる。ホンモノの父親なら子供を裏切るはずがないのだから。こうして、彼は「お父さん」と呼ばれることを諦め、単なる「おじさん」であることを自ら認めるに至る。

ニセモノは決してホンモノになれず、ホンモノにはいささかの弱さも認められない。仮にその弱さがどうしようもない貧困に由来するものだとしても、この息苦しい社会において弱さはニセモノの証なのだ

別に打算的だったっていいじゃない。弱い一面があったっていいじゃない。ホンモノ、ニセモノどっちだっていいじゃない。そこに幸せがあればさ。

2018-06-26

anond:20180626083728

実際百田尚樹ヘイトスピーチしまくってるのに問題とされないのは

著作が売れてる&その商売対象日本国内だけであって中国に売り込む予定がないからだしな。

これから中国に色々売り込んでいきたいアニメ業界とは事情が全く違う。

ヤフーにしたってあれで「ヤフー女性差別企業」と言う評判が広がったら困るから慌てて謝罪したわけで。

2018-06-25

Hagex氏が亡くなってしまった。なぜか泣いている。

タイトル通り。

サッカーに夢中でまったくニュースに気づかず、さっき知ったばかりで混乱している。

氏のブログはもう10年近く毎日読んでいた。

2chほっこり書き込みの選別が好きだった。まとめサイト一種であるにもかかわらず、淡々とした掲載方式に読みやすさと好感を覚えていた。

もちろん炎上関連が一番好きな記事だった。

鋭い切り込みや赤字添削など勉強になることも多かった。

ちょっとそれは、ダメでは?って角度もあったけどまっすぐに持論を展開する姿勢が好きだった。

年に1回あるかないかの、猫先生写真差し込みも楽しみにしていた。

著作も買って読んだ。

そしてセミナーにも参加した。

氏の考え方や炎上ポイントがわかりやす楽しい講座だった。

長年ブログを楽しませていただいているお礼に、ささやかお土産を渡したら

ブログでお礼を言ってくれたことで、少し親近感を覚えた。

それがほんの一ヶ月前のことだ。

信じられない。どういうことなんだよ。

ここ数年他界した祖母や親戚は、病気老衰一年上前から覚悟できていたから受け止められる死だった。

でも、Hagex氏はそうじゃないんだ!!!

ここのところLineではお疲れの様子が伺えたけど、元気だったんだよ。

これからセミナーに参加しようと思ってた。

様々なはてなーとのセッションも楽しみにしていた。

先生写真を楽しみにしていた。

毎日ブログ更新を楽しみにしていた…。

今日マイケルジャクソンの命日で朝からちょっと憂鬱な気分でもあったのだ。

そこに畳み掛けるような出来事で、友達でもないのに、一緒に仕事したことすらないのに、

氏の命が奪われたことが悲しくて仕方ない。

仕事しなきゃいけないのに涙が止まらない。

本当に悪意の刃に命を奪われてしまったの???

帰ってきてよお願いだ…

スポンジボブアイコンブコメしてよ……

2018-06-23

本田宗一郎氏の本を読んだほうがいい?

融資先のベンチャー企業に突然出向を命ぜられた銀行マンが、その会社社長から会社経営指南」をうけるという内容で、フィクションですが社長モデル本田宗一郎氏だそうです。

ニワトリを殺すな」というタイトルに目をひかれて買いましたが(意味はもちろん本書を読めば書いてあります)、とても軽いタッチで書かれている、というか、軽すぎてちょっと物足りない。

コストパフォーマンス的にも本田氏の著作(「俺の考え」とか)を文庫で読んだほうがいいように思います

 

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R3SH0X788KC9GA/

https://anond.hatelabo.jp/20180623140118

2018-06-19

沖縄お笑い米軍基地14を見てきた話

沖縄で生まれ沖縄で育ち、沖縄で働いている純ウチナーンチュである身として、一度は教養としてみておくか、と思い、宜野湾市民会館で上演された、沖縄お笑い米軍基地14を見に行った。

沖縄ローカルラジオテレビではひっぱりだこで、県内に知らない人は(たぶん)いない芸人さん、小波津正光さんことまーちゃんさんが座長として企画脚本演出を行っているコントショーが、この「お笑い米軍基地である

今回で14回目を数えるこの公演は、沖縄では非常に人気が高く、私が見に行く旨を人に話す度「あい!いいはず~感想聞かせてね~」という反応はあれど「なにそれ?」という人は誰もいなかった。実際、1200人キャパの会場はほぼ席が埋まり、私が行った公演以外にもあと何回か沖縄県内各地で上演されるということであるそもそも毎年上演し、今回で14回を数える辺り、企画側の熱量とそれを受け止めるだけの県民の人気があるんだなあと感じる。

コンセプトは「基地を笑え!」。沖縄県の面積の内およそ10パーセント以上を占めており、沖縄県について語られるときに必ず問題の一つとして触れられる米軍基地だが、ぶっちゃけ県民の(主に若者の)大半は「反対運動とかが激しいのってあれでしょ、本土から来た人とか政治団体とかそういう人たちなんじゃない?…わかんないけど…まあなんか窓とかヘリとか飛行機とか色々落ちてるし、戦闘機はうるさいからまあ、なくなるならもちろんそのほうがいいけど、わざわざ座り込みとか行くのは違うかな~左翼とか右翼とかよくわかんないし…」などと言う人がほとんどである。(あくまで私の体感ではあるが)

若者政治参加主体意識が足りない!と言われてしまうとほんとその通りではあるのだけど、恥ずかしながら私もそういったその他大勢のひとりである。正直基地がどうとか言う前に、政治してる人たちは生活に密着した問題からどうにかしてくれ、と思う。子ども貧困とか。いや、その辺とも繋がってたりするから根深いのか?よくわかっていない。

山積みになっている沖縄県の問題のど真ん中にドン居座り続けている「基地問題」。そこをどう笑いに落とし込むのか。前評判は良すぎるほど良かった。期待半分不安半分で会場に足を踏み入れた。

そして観終わった感想だが、「100点!最高!面白かった!」とは正直まったく思えなかった。

なお、細かい内容は「SNSには書かないでください」というアナウンスがあったので割愛する。

まず、全体を通して(「米軍基地」という「沖縄県民しかからないあるある」を扱っている以上、前提がそうなので当たり前ではあるのだが)めっちゃくちゃ内輪ノリがすごい。

そこがハマると面白いのかもしれないけど、沖縄県は究極の「ムラ社会」の文化なので、各地域文化の隔絶もすごい。なので県民でも「いや、わかんねーし…」が結構多く、ハマらないとむしろ見続けるのが非常にしんどくなる。最後辺りには完全に「業界内輪ネタなんだな」とわかるものだけでひとネタ作られているものもあり、関係者席らしきところから爆笑すら聞こえたが、業界人でもローカルテレビ大好きマンでも何でもない私は正直置いてけぼりだった。

沖縄県にはM-1グランプリならぬ「O-1グランプリ」という番組がある。お正月時期に放送される、名前の通り沖縄芸人の1番を決めるという番組だ。そのネタを見てもらえばわかるが、沖縄芸人は「沖縄らしさ」を前面に出したコント漫才、つまり「内輪のあるあるネタ」を組み込んだものを作ることが圧倒的に多く、またレースにおいてもそのほうが有利である。その番組にはもちろん今回の「お笑い米軍基地」に参加しているFEC(沖縄にある芸能事務所演芸集団FEC」)の芸人さんも数多く出場しているので、その流れを汲んでいるのも当然といえば当然である

そして、気になったのは「お笑いから」「俺たちはバカから」という言葉を盾にした、差別やいろんな権利侵害の嵐だった。もちろんすべては洒落であり、まじめに取り合うほうがアホであるというのはわかるのだけど、正直現代の「ボーダーレス」な風潮からは相当遅れた認識があるんだなということは感じた。

個人として特に興味があって学んだこともある界隈の問題だったのもあって、過剰反応してしまったところはあるが「いや、ダメでしょ…」と引いてしまうような描写演出が非常に多かった。

違和感の何よりの原因は、前説座長が「所詮俺たち三流芸人の言うことなのだから怒ったりしないで聞き流してほしい」という旨の発言をしていたことだったと思う。

私たち無意識差別をしてしまものだし、気づかずにだれかを傷つけてしまうのは仕方のないことではあるが「差別?いやいやネタから。何マジになってんの?」という言い訳を用意してしまうのは、ちょっと違うなあと感じた。この公演に誇りをもってやっているのなら「差別的な表現かもしれないが、より伝わると思って選択した」と言い切ってほしいな、と思った。イジりとイジメ境界線あいまいだが、「強者権力を笑うのがお笑い」だというならば、自分たちが本当に強者としての力を持っていないか?というのも常に問い続けてほしい。

また、全体を通して「左」より「右」を笑うことが多かった、というのも違和感ひとつとしてあった。どっちも滑稽な部分はあるのだからもう少し両方を笑ってくれたらよかったのかな、と思う。あと「右」を揶揄するネタの時に、笑いどころでもなく盛り上がりどころでもないセリフで「よくいった」というようなかけ声や拍手があがっていたのは驚いた。どちらでもないフラット状態で見に来たつもりなのに、いつの間にか政権批判団体集会に参加させられていた、みたいな気まずさがあった。怖い。

以上のように全体的に右寄りかつ品がなく沖縄県民県民性の悪い部分を煮詰めたような「内輪に甘い」感が強く、正直全体を通して「また行きたい!」とは全く一ミリも思わなかった。私は特にスクールカースト下層だったタイプ人間なので、沖縄芸能界蔓延する「スクールカースト上層部っぽいノリ」(ウェイ感とでも言うのか)にはついていけなかった。この辺はたぶん好みの問題なのだろうと思う。

ただ、ここまでゲロカス批判してきたが、この公演を見たあと、文句を言いながらも私は「じゃあ右や左のそれぞれの主張ってどうだったけ?」「ほんとうにこの芸人さんたちが言っていたことは正しいのか?」「自分は偏っていないのか?」ということをいつの間にか考えていた。

まーちゃんさんの著作図書館で借り、基地問題についてネット自主的に調べ、右翼左翼についても少し勉強した。

そうして、ハッと、こうして主体的に考えているこの行為自体が、この公演のねらいである「基地について、何かひっかかりを感じて考えてほしい」というところにばっちりハマってしまっていることに気が付いた。

なるほど、ならば。この公演は私にとって意味があったのだなと納得できた。してやられてしまったな、と思った。チケット代2000円もったいねえことしたわ、だったのが、安いじゃん、になった。

エンディングで歌われたFECの社歌の中に「とにかくやることを大事にしている」というような歌詞があった。沖縄県民は先ほども言った通り「内輪に甘い」。そして変化を嫌う。そんな中で新しいこと、前に進むようなことをするのは、本当に難しいことだと思う。勇気がいることだと思う。「まじめ」をバカにする風潮のある沖縄で、「まじめ」にバカをやるというのも、ほんとは難しかったんじゃないかなと思う。その勇気に敬意を表して、私はこの感想を書こうと筆をとった。「とにかくやる」そしてやることで誰かを動かす、それはほんとうにすごいことだ。と、何もできない私は思った。

でも、個人的におもしろくなかったのは事実なので、沖縄芸人さん各位にはマジでもっとがんばってほしい。笑いどころを説明してしまう癖があって全体的に冗長だと思う。言葉選びが雑。オチツッコミワード説明的で長すぎる。「金の斧銀の斧」のいさお名護支部さんのくだりと、タイワンオオカブトの幼虫のくだりは勢いがあって好きだった。

以上。お笑い米軍基地感想でした。

ネット書き込みの言うことなのだから怒ったりしないで聞き流してほしいナ♡

おしまい

来世はAZARASHIの世界観アザラシになって褒められて暮らしたい

2018-06-16

anond:20180614133405

こういう何が何でも著作権的に正しい、法的に正しい、ルールとして正しい意見はてなでよく見るけど素直な学生さん達なんだろうか?

当事者側になれば自分実益(権利)を守るために法やルールが作られたのであって、法やルール絶対的に守れば実益になるわけではない。権利者がルールを守るためにそのブログつぶして一人の読者を失い、ネットで話題にされる分量が減り、実益(権利)が減る。あるいは一人の読者やそのブログつぶれた程度の影響なんかほとんどなくとも出版社がそういうのに毎回怒ったり、内容証明書送ったりするだけの労力がマイナスでやはり実益は減る。

実益にもとづいたルールにしばられない怒らない権利、訴えない権利出版社が持っていてそのように活用できる法整備になってるのに、増田は正しい世の中にしようと一生懸命はてな出版社通報し続ける。本文でも「正しいルール」「正しい自分」「間違ったブログ」の関係しか読み取れず「権利者の利益」を一切無視している。この当事者無視した正しい意見を、はてなでよく見かける。

素直な学生さんかなと思ったのは物づくりに深く関わったことがないからこその意見にも見えるし、「ルールを守ること」が自分公平性利益担保であり、「ルールを守ってない奴」を敵視するのも公平でないことが自分の損に見えるから当事者無視なのも結局自分公平性しか見えてない。つまりルールを守ってる自分が損してると自分の事しか考えてない。全体の関係性を見てない。

俺も学生の頃はそんな考えだった。

おれとあいつの狭い関係で正しい正しくないを言い合ってた。狭い視野世界だけで考えればそれが一点のくもりもない正しさだった。自分で物を作り出すような拠り所がなかったから「正しいルールを守る」しかなかった。なぜそのルールが作られたか考えたこともなかった。だから世界ルールは生まれときからそこにあったもので、それを誰がどう作ったかも知らず、世の中の不公平に怒るという無為なことばかりしてた。

だけどいろんな本を読んで物事の深い所を知り、世界の成り立ちをマクロミクロで見ていくと、善悪ルールとは誰かの利益を守るために公平さを装って作られたものであり、誰かの利益を守るために大衆の欲(公平性安全性)を利用する仕組みに過ぎないということに気づく。増田自分公平性しか考えてないように、ルールができた成り立ちや全体の関係性を読み取らないと利用されるだけで終わる。

日本大企業HDD MP3プレイヤー作るときコピーされないようDRM付けて、壊れないよう耐衝撃性能高めて、ルールにのっとり正しい物を正しく作ったら、DRMも付けず、耐衝撃性能もないルールを守らないiPodにやられ。人力で正しいリンク集を集めたカテゴリ検索は、正しいも正しくないも全部ページランクで集め、しか勝手サイトキャッシュ取ってコンマ0000秒まで高速化した正しくないGoogleに負け。信頼性の高く壊れない正しいコンピューターサーバーを1つ作れても、やはり信頼性の低い壊れるサーバーを1000台並列で動かす正しくないGoogleに負け。なんの検閲もなしに正しくない動画をアップできるYoutubeに負けてるあたり、いか顧客や全体との関係から新しくルールを作るかではなくて、ルール盲目的に守る事を大事にしてるかわかる。(ニコニコルール破った方だけど。)

「結局悪いことをやらないとだめなんだ。ネット現実も結局そんなものルールを守っている真面目な人間が損をする。」

昔の俺にアドバイスするとしたら、顧客(読者)、開発、営業利益、欲、正義感名誉JIT、働き方、健康、など関わるもの全体の関係性を哲学レベルで深く考え、少しづ昇華していくこと。ルールとか善悪ベースで考えたら、そのときルールで正しいことを正しくやった日本企業みたいに本質を見失って大失敗する。古くなったルールや近視眼的な損得を守ることではなく、すべての関係者が結果的に損をしない、嫌な気分にならないミクロマクロを探すこと。

例えば著作権ひとつとっても、作者死後50年で切れる著作権が、ディズニーロビー活動だけで70年に引き上げられルールが変わった。そもそも誰が死後50年と決めたのか? ディズニーアメリカの都合でそのルールを書き換えていいのか?

著作権罰則概念がなかった中国ではすぐパクられるからオリジナル作品が作れず、アメリカでは著作権概念が厳しいかオリジナル作品が作れて文化が発展したという説あるがホントだろうか? 本当に中国オリジナル作品はなかったのか? 中国暴力エロ規制言論統制がどこまで作家を潰したか? 著作自由に使っていい世界があったとしたらオリジナル世界観は崩壊したり、乗っ取られたりするだろうか? では同人東方関連はどう説明するか? もしZun氏が一人で著作権守り続けたとき東方の広がりと、今の現状ではどちらのほうがZun氏にとって幸せだろうか? ゲームマンガで失敗したどうぶつフレンズが、アニメで大復活したのち、ヤオヨロズ世界観や制作方法が、原作大事にする吉崎観音からアンコントローラブルになって物別れした件はどうだろう? 原作ガッチリ守るならヤオヨロズが2期を作るべきではなく、それは幸せなことだろうか? ひとつの事を考えるだけでも文字数は足りなくなる。

から世の中ルール善悪前提で考えると道をあやまる。それが全部自分コンプレックスではないかと疑ったうえ、全体の関係性を深く考えて、ルール善悪の前提から疑い、結果みんな幸せになるところを探しにいけばよかった昔の俺は。

2018-06-14

anond:20180614180144

塩野七生著作に、

小島の行動に結びつくような記述がないから、

誰も問題にしないんだろうよ。

ローマ人の物語読んでナタ振るう奴はおらんだろうし、

そんなこと言ったら西洋史研究者は皆ナタ振るってもおかしくないって話だろ。

2018-06-07

anond:20180607152039

具体的に知りたい場合は、当該のwikipedia掲載されている人たちの著作を読んでいくといいと思いますよ。

anond:20180607003530

俺はネトウヨだけどデマでも言論の自由を守るべきだと思う

から朝日新聞吉田批判しても著作出版差し止めすべきだとは思わない

君は本当にリベラルかい

2018-06-06

anond:20180606170714

日本韓国占領してあげたので韓国近代化できた」あたりのゲスい内容は著作に書いてるし

歴史の一つの側面なのは間違いないでしょ。

実際、日本統治時代の設備を使ってたわけだし。

「俺がお前を育ててやった」っつうパワハラ典型例なんで

実際「育ててやった」のだとすれば、notハラスメント客観的事実なのでは?

そもそも「俺が」と「かつての日本が」は主語として結構意味合いが違うと思うが。

anond:20180606170113

ヘイトスピーチが嫌ならハラスメントでいいよ

日本韓国占領してあげたので韓国近代化できた」あたりのゲスい内容は著作に書いてるし

「俺がお前を育ててやった」っつうパワハラ典型例なんで

2018-06-05

anond:20180605152223

ピアジェアリエスお勧めした増田だけど、この両名の名前著作「すら」知らないみたいだけどさ、本当に知らなかったなら、正直、キミまったく、まったくお話にならないよ?

そのぐらい、子供論を語りたいなら当たり前に読んでおくべき本。

2018-05-22

anond:20180519135420

和漢の古典引用するのは戦後若者によって何か邪悪ものとして否定され、戦後若者が好んだ一部哲学者マルクス著作ヤバイ御用達イメージが付いてしまった。明治維新の時も過去教養否定されたのだろうし、保身を考えると何か過去権威を借りることは危険だとうっすら認識されていると思う。

近年のアメリカではスタートレックスターウォーズ不思議の国のアリス星の王子さまなどの引用をよく見かける気がする。自分が広めたいと思うもの引用すれば良いんだろうな。

南洲翁遺訓を挙げる時流に流されやすい人はいいか

2018-05-19

企業トップページに使う画像フリー素材って事あるのかなぁ。

https://irodori2u.co.jp/20170921-ikk00256/

電車での乗客の表情も旅行者にとっては”日本の印象”になるんだ……」と気づかせてくれた親友韓国人の何気ない質問

https://this.kiji.is/369737558743188577

47リポーター地方新聞社共同通信記者らによる署名入りコラム地方創生に絡む問題を多く取り上げ、新聞記事とは違った切り口で提供します。

どっちも「同じ写真」使ってるけどどちらにも画像著作表示がない。フリー画像なんだろうか。


調べたら

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%97%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%99%A9

ここの写真でした。 ZhongAn Online 中国企業だ。ここがOriginalっぽいと思うのは私だけ?

2018-05-04

1+1+1は2だと思う

Vtuberの登場で、やっぱり顔はいいに越したことはない、って証明されたよね」

 わたしたちコメダ珈琲新宿御苑前店で一服していた。いとうは爪で髪を掻きつつ続けた。

ドゥルーズは『千のプラトー』で顔は記号だけど同時に身体でもあるから政治的ものだ、って言ったわけじゃない? で、顔の美醜を問うのはポリティカルインコレクトだってことになった。けどこれは、まさに悪しき民主主義だよね。アリストテレスは『二コマコス倫理学』で、少なくとも顔の醜くないことを幸福の条件に挙げてるけど、古代ギリシャから現代までに民主主義記号化してるんだよね」

 他人がきけば白眼視するようなことを言う。そうした話ができるだけの知性を見積もられていることは心地いいが、いつもわたしがきき役だ。

 いとうは神経質そうな険のある顔をしているが、ひとによっては美人とみるだろう。わたし彼女の顔をみるたび、坂口安吾の『白痴』に書かれている、狂人の「風采堂々たる好男子で……常に万巻の読書疲れたような憂わしげな顔をしている」という描写を思い出す。

「ひとの顔をじっとみないでよ。たいぼくちゃん、繊細そうにみえて、そういうところ図太いよね」

 いとうは愁眉を寄せた。

「――お待たせ」

 倫理わたしたちに声をかける。黒のカットソーで、シースルーレースが首周りから両腕を覆う洒落た服だ。それを着こなすだけの顔立ちをしていた。アップにした髪型が、服と調和している。彼女ほど顔立ちが整っていると、髪はまとめた方が素の魅力を出せていいのだろう。

 倫理をみると、ときどき冷たくて薄い靄のような感情かられる。

「遅い」

「ごめん。バルトで『ラブレス』みてた」

セックスするとネコミミのとれるマンガ? 女子ゼロいいよね」

 わたしがいうと、倫理は苦笑した。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督の新作。失踪した息子を探す離婚協定中の両親のはなし。郊外舞台なんだけど、途中から延々と廃墟の場面になって、それがいいんだ」

証券って忙しい?」

 いとうが尋ねる。遅刻への当てこすりではなく、ただ気になっただけだろう。

営業そうかもしれないけど、ディーリングは定休が決まってるからそうでもないよ。うちは外資リテール部門がないしね」

 待っているあいだ、何をはなしていたか尋ねられる。いとうが説明すると、倫理は笑った。

「たしかにダナ・ハラウェイのサイボーグフェミニズムはそういう論旨だね。ただそこまでいくと、むしろチャンの『顔の美醜について』みたいに、みる側の感情操作する方が自然な気もするな。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の〈情調オルガン〉みたいにね」

 倫理はいとうのはなしをすぐ理解して、気の利いた返しをした。そのことに体内が熱くなるような感覚をおぼえた。

 店を出て、新宿御苑沿いに新宿駅に向けて歩く。二人が話しているため、わたしはその後ろをついていく形になった。他意はないとわかっていても疎外感をおぼえる。

「でも、Vtuberアンドロイドでもただのキャラクターでもないでしょ。だからナマモノと同じようにあつかわなきゃいけないわけだし」

 そう口を挟む。いとうは歩きつつふり向いた。

カントは『純粋理性批判』で対象物自体として存在していて、人間はそれを超越論的主観性において認識するのみだといった。で、ハイデガーは『存在と時間』で、そうした直観主観性にすぎないと批判して、現象学でもって実存存在者を存在させると定義しなおした。存在論的にいえば、ヴァーチャルYouTuberという架空人格存在する、あるいは存在しないというどちらの立場も幼稚すぎる。他人人格ですら、無条件に存在するとはいえないんだから。まあ、未成熟なひとは自分理想像を押しつけることで、他人人格所与のものとしてあつかうけどね。そういうひとが勝手に本人を代弁して、ナマモノダメだとか言いだすわけ」

常識範疇なら、そういう代弁もいいと思うけどね。二次エロとか。ただ本人がナマモノを解禁してるのに頑なにナマモノ禁止するひととかは、そういう主観論に陥ってるんだろうね」

「だからVtuberについていえば、Vtuberとしてした百合営業に〈中の人〉が触発されて、それがまたVtuberとしての百合営業につながるというような、循環的な重層性があるわけじゃない。実在非実在二元論じゃないでしょ。ウンベルト・エーコの『ヌメロ・ゼロ』もそういうことを主題にしてるわけでしょ? 『存在と時間』では記号をただ指示するものでなく、それ自体がもろもろの記号構造を暗示するものとしているけどね。でも、常識範疇ってなに?」

 いとうは苛立たしげに髪を掻いた。

Vtuber自然人としてあつかうとして、どうして身体属人性を与える方向にいくかなぁ……、それなら自然人の身体人格とは別個のものとする方向にいくべきでしょ。天与のものである身体人格と同一視して自然権を認めるのは、明らかに不合理じゃん。だからグレゴリーマンキューも皮肉で〈身長税〉を提唱したりするわけでしょ。……、え? マンキューくらい専門外でも知っておきなよ」

 議論めいてきて、倫理の口調も熱をおびてきた。自然わたしは無言になる。

そもそもVtuber著作物と見なした方が簡単じゃない? 〈中の人〉はVtuber演者としての著作隣接権もつわけ。二次エロには著作隣接権著作人格権に準用して対応すればいい」

「ちがうね。マッピングで体をリアルタイムに同期させてるVtuberはVRよりARの方が近い。もちろんARみたいに空間認知人格投射するわけじゃないけど、運動感覚でも同じことがいえるでしょ」

身体人格から分離するのが進歩的なのはわかったけど、テクノオプティミズムすぎるよ。こんなことをいうと、イーガンSFに出てくる保守主義者みたいかな。けど一般論として、エロが一部のひとに不快感を与えるのは事実でしょ? 前から思ってたけど、自分に関わることだとすぐ感情的になるくせに、他人には正論を押しつけるよね」

自分に関わることな感情的になるのは当りまえじゃない? 正論を曲げる理由はないよ。倫理こそ、他人配慮してるようだけど、等しく他人を見下してるだけでしょ? あと、テクノオプティミストでけっこう。わたし原発推進派だし」

 感情露出して落ちついたのか、いとうは息を吐いた。

倫理のいうこともわかるよ。でも、制作者の意見もないのに他人規制しようとするのはただの自治厨だと思うな。そういうファンは決まって創作をしない側だよね。創作ができないから、その代わりに自分ルールを考えて、それをコミュニティ強制しようとすることで存在を主張しようとするんだ。まあ、そういうファンはどこのコミュニティにもいるから、無視する以上のことはできないんだけどね」

 いいながら、いとうは自分言葉でふたたびイライラしてきたようだった。いとうは神経過敏だ。紙やすりのようだと思う。

 いとうが自家中毒めいて、自分言葉で気分を荒立てているのを察したらしく、倫理は優しくいった。

自分他人のあつかいに差があるのは当然だけど、いとうの場合、それが甚だしいってことをいったつもりだったんだけどな。あんたみたいなディスコミュニケーション女にもわかるようにいってあげると、誰もがあんたみたいにコテハン擬人化されて喜ぶ人間ばかりじゃないってことだよ」

「なるほど…」

「あ。いまのでわかるんだ」

「いとうの見方個人主義的すぎるよ。後期ヴィトゲンシュタイン言語ゲームも、そういう分析哲学に対する批判としてあるわけでしょ?」

 それから、しばらく誰も話さなかった。黙々と歩く。倫理雰囲気を変えるようにいった。

「そういえば、たいぼくってウケるんだよ。前に泊まりにいったとき料理をつくったんだけどね。カレーにするつもりで牛筋を煮込んでおいておいたら、朝にたいぼくがコンソメスープだと思って飲んでたんだよ」

 いとうは爆笑した。

「たいぼくって本当に生活力ないよねー」

 倫理に囃す。「それにしても、あんマメだよね。よっ、家父長制」

 倫理は本気で不快そうな顔をしたが、いとうは気づかなかった。

都庁って変なデザインだよね。すくなくとも都の庁舎じゃないでしょ」

 遠景に都庁みえて、なんとなくいう。

「いや、あれは自生する秩序の象徴から都市役所としてふさわしい建築だよ。エッフェル塔と同じ」

 わたしが疑問に思っていると、倫理解説した。

ロラン・バルトの『エッフェル塔』だよ。『あらゆる時代、あらゆる映像、あらゆる意味に通じる純粋表徴であり、拘束のない隠喩』ってね。具体的にどういうことかは、ルイ・マルの『地下鉄のザジ』をみればいいよ。『地下鉄のザジ』ではエッフェル塔の内外から鉄塔の無機質な幾何学模様が無限に顔をもつところが撮影されているから。『地下鉄のザジ』の原作者が『文体練習』のレーモン・クノーっていえば、わかりやすいかな」

 なんとなくおもしろくなく黙っていると、いとうがいった。

「でも、そういう意味をもたないことを意図した無機質なデザインなのに、結果として都市ランドマークになってるのは皮肉だよね。そうそう、ケヴィン・リンチは『都市イメージ』で都市認知地図における主体を〈パス〉、〈エッジ〉、〈ディストリクト〉、〈ノード〉、〈ランドマーク〉の五つに分類したけど、これはプロファイリングのGCT犯罪地理探索モデル)に利用されているんだよ。〈犯人の標的捜索行動は居住地から離れるにつれて犯行に及ぶ確率が単調減少する〉、〈居住地の近隣に犯行の行われない地域存在する〉、という二つの仮説のもとで距離独立変数とする距離減衰関数を導出するんだ。もちろん、それだとただ犯行地点の二次元的な分布の平均を求めるだけだから、ここに認知地図を当てはめるわけ。たとえばエッジに近づくと距離が縮小するとかね。平山夢明の『独白するユニバーサル横メルカトル』は、これを種本にしているんだよ」

 往来でプロファイリング平山夢明について語るいとうは完全に異常者だった。

「そういう自生する秩序の象徴をもそのうちに組みこむのが、自生する秩序なんじゃないの?」

 倫理皮肉げにいった。

そもそも新宿のもの意味をもたない記号都市なんだよ。大政奉還前は飯盛女のいる宿場戦前遊郭戦後闇市復興期は赤線地帯。七一年京王プラザ建設を皮切りに七〇年代高層ビル建設されて、九一年都庁移転するまで、ここは周縁だったんだよ。都庁にふさわしい場所でしょ? ちなみに、いわゆる〈新宿二丁目〉は二丁目の北側だけで、二丁目と三丁目は御苑大通りで隔てられてて、歩行者天国地下道もそこで途切れている。で、ご存じのとおり二丁目は都市から外れて住宅街モザイクになってる。つまり、二丁目は周縁の周縁ってわけ」

 そこまでいって、倫理は表情に翳を落とした。

「まあ、これは殊能将之が『キマイラの新しい城』で六本木についていったことを、新宿転用しただけなんだけどね。〈キマイラの新しい城〉っていうのは復元された古城と同時に、六本木ヒルズのことも指してるんだ」

「いいじゃん。ロラン・バルトによれば日本のものが『記号帝国』らしいし」

殊能将之って『波よ聞いてくれ』に引用されてたよね」

 倫理は頷いた。

「『黒い仏』だね。柔むげさんがさ、いつか『殊能将之読書日記』に感動してたじゃん。わたしはそれがわかるんだよね」

 歩きながら、倫理Kindleの端末を開いた。

「『殊能将之読書日記』ではフリッツ・ライバー長編への見方が顕著かな。殊能将之は〈ほとんどエロゲーの世界〉とか腐しながら読んでいるんだけどね……。その皮肉さがわかりやすいのが『A Spectre Is Haunting Texas』だよ。殊能将之は『幽霊テキサスに取り憑く』と訳しているけどね。月周回軌道ステーションまれ主人公が、第三次世界大戦後のアメリカにきたら〈テキサス国〉になってたってはなし。日本でいうと〈「第3次世界戦後大阪日本支配するようになった時代大阪人は全員きんきらきんの漫才師ルックで、『なんでやねん』『そんなアホな』などとしゃべっている」みたいな設定〉ってこと。テキサス国の首都テキサステキサスダラスで、街にはケネディ暗殺を記念した黄金モニュメントが建ってるの。教科書倉庫の窓から突きだす銃身とオープンカーのシャーシのやつ。で、テキサス国の政権交代大統領暗殺でおこなうのが慣例なの。爆笑じゃない? で、まあギャグ小説なんだけど〈A nation nurtured on cowboy tales and the illusion of eternal righteousness perpetual victory. カウボーイ神話永遠に正しくつねに勝利しつづけるという幻想に養われた国。〉とか書いてあって、痛烈にアメリカ批判しているわけ。だからアメリカでは出版できなくて、タイトルだけイギリス英語の〈spectre〉の綴りになってるんだけどね。ちなみに日記には追記があって、このタイトルは『共産党宣言』の〈ヨーロッパ共産主義という亡霊が徘徊している〉のパロディだと教えられたからってタイトルの仮訳を訂正してるんだけどね。教えたのは中村融なんだけど」

 倫理はひと息ついた。

世界にこういう視座をもっているひとは生きるのが辛いよね。そういうひとを理解してしまうひともね。ナボコフの『ロリータ』もそういうはなしだよね。嫌味で文学趣味スイス人が、延々とアメリカ呪いながら一人の少女を愛するはなし。柔むげさんは、そういうところに感じたんじゃないかな。で、わたしもそういうひとたちに片足を踏みこんでいるからそれがわかるんだよね。だからわたしは『程』では灯が好き」

「あ。そこにつながるんだ」

 まったく予期しない展開だったためにおどろいた。が、いとうは思うところがあったらしく、無言で前を見つめていた。

 新宿駅みえてくる。

「そういえばたいぼくちゃんお酒買った?」

キリンをまとめ買いしておいたけど。あ、あとポテチカップラーメンも買っておいた」

 そういうと、いとうは爆笑した。

大学生じゃん」

 倫理も苦笑しながら言う。

「ここの成城石井ワインチーズを買っていこう。あ、でも、それならクラッカースモークサーモンハムを買っていって、ムースをつくった方がいいな。素材の味が出るから、いいものじゃないとおいしくないんだよね」

 買物をしてからJRのコンコース階に移動する。倫理カードで決済して、わたしお金を使うことはなかった。

「ごめんね。一応、ホストなのに」

 いとうは笑って「出世払いにしなよ」といった。

 倫理は微笑していった。

「それにたいぼくちゃんからモラトリアムの気配をもらってるところがあるからね。わたしも……、わたしたちもこうして社会人鋳型にはまってるけど、それが仮初めのものだってことを思い出させてくれる」

 コンコースでは大勢のひとが行き来していた。天井からは各路線を案内する表示板が大量に下がっている。これらの記号が指示するものなかにわたしたちのいく先もあるのだな、と思った。

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