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はてなキーワード: 対話とは

2020-06-02

ジェンダー自罰他罰共依存エコーチェンバー

フェミニズムメンズリブジェンダーDV問題言及しようとしたり観察していると

他罰的な人と自罰的な人が罪悪感を通して共依存的な関係に陥ったり

他罰的な人と他罰的な人がエコーチェンバーに陥ったり

自罰的な人と自罰的な人が遠慮しあって対話できていない

そんなのばかり見てしまっている

まずは自分の罪悪感とその投影である怒りをメタ的に見ないと激しい感情の動きや感情操作しようとする人たちに飲み込まれ養分にされるだけだ

2020-05-31

はてな婚ってあるんかな

増田婚は匿名って性質上かなり難しそうだけど、はてブくらいだとありえなくはなさそう

俺は新参者からわからんけど昔はもっと色々なサービスがあったみたいだし、中にはユーザー同士のふれあいが強いやつもあったかもしれない そういうのまで含めたら大いにありうるよな

いや、でもやっぱ今にこだわりたい 

例えば増田だったら「6月13日ハチ公前で赤い帽子かぶって立ってます」みたいな書き込みによっていきなりリアルで会っちゃうことは可能なわけだ 理論上 

はてブidがあるんだからなんとでもなりそう はてブアカウントブログ連携、みたいなこともできるっぽいし一対一の対話が生まれうる機会は多い 「あれ、この人私がブクマつけたエントリにいつもファーストブクマしてる…!(トゥンク)」みたいな展開からブログコメント欄でのやり取りへ、そして…っていうのはありうる

いねえのかな はてブきっかけで知り合って結婚しましたって人

twitter議論をするという地獄

140字制限真剣対話ができるわけないだろ

2020-05-30

プログラマー傲慢というか個人主義にすぎる

プログラマー側は「集中してあれこれ考えてる時に声かけられたら崩れて効率悪くなるじゃん、わからんの?」って言うけどさ。

ほとんどの仕事でそれはその通りよ、個人レベルでは作業中に集中を妨げられない方がいいってことなんて。

それでも普通の人たちは、集中を邪魔されても我慢しあうのが当然になってる。

かいうとプログラマーみたいな人たちは我慢美徳という悪しき習慣が云々とか言い出す奴がいるわけだが、それも間違い。

互いに気楽に声かけられて色々聞き合ったりおしゃべりしてOKって風土にしておいた方が、個人の能率が妨げられるとしても、集団としての能率は上がるんだよ。

から遠慮なく話しかけていいし、自分が声をかけられたら忙しくてもできるだけ愛想よく返事しましょう、対話を重視しましょうってのが大体の職場暗黙の常識なんでしょ。

そこで個人レベルの狭い視野を振りかざしてるから傲慢ワガママ、和を乱して全体のパフォーマンスを下げるって嫌われるのよ。

しかも、俺たちは正しくて頭が良いか効率意識できるのに、周囲の奴らはバカから散漫な意識仕事して平気でいやになるね、みたいなことを言うやつまでいる。

物事がわかってないのは自分なのに、周りを馬鹿にするなよ。

協働とか、集団とか、組織とかの合理性を軽んじて、自分一人の世界に閉じこもりたがるのはなんでなんだ。

コミュニケーション下手か?

集団所属するならちゃん人間関係をやれ。

ボーナスで買ったVaioカスタムパソコン

Vaioパソコンを買った。ボーナス会社の補助と新生活キャンペーンを駆使して20万円もする物を勢いに任せて買った。

長野工場で組み立てられ、カスタムされた製品を目にするまで、箱を開くまで、私は自分が誇らしかった。

包みを開いて黒光のパソコンを手にしたとき走馬灯のように人生で初めて与えられた自分パソコンを思い出した。もう10年も会っていない父親が、当時まだ大学に入って間もない私に買い与えた最新のVaioだった。オリジナルカラー薄型モデル。安くはない。

憎たらしい子供で、素直な感謝よりも「どうしてこんなに高価な物を与えるのだろう」という疑問を先に抱いていた。どうせ使いこなせないのに。単純作業しか使わないのに、と。感謝よりも申し訳なさと、それを感じさせられることに少し怒りも覚えていた。

から与えられる高価な物はいつも贖罪だった。

激しい夫婦喧嘩の後、殴られて休んでいる母を置いていつも父親子供達を連れ出した。デパートに連れて行って、欲しがる物を買い与えるために。欲しいものなどないし、いつも質素生活をしているから欲しがる知恵もない。長男けが賢くて、そのチャンスにナイキシューズとか高価な物をリクエストする。姉も私と同じで欲しがるものがなかったから、「最新鋭の商品だ」とか「流行っているんだ」とか言われてGショック時計を買い与えられていたのを覚えている。他人のものは覚えているのに、自分が買い与えられた物を覚えていない。Gショック記憶が姉だったか、私だったか。覚えていないのだから、多分大切にも扱わなかったんだろう。欲しくもなかったんだから

今はそれを申し訳なくも思う。たとえ父の完全なる自己満足で「俺はここまでやってやったんだ」と思いたいがためだけの行動であったとしても、本人はそれが本当にいい物だと思っていたのだろう。相手気持ちを察するだとか、そういう機微がない人だったから、すれ違ってすれ違って、重なり合わない会話だけを上辺で流すことになったんだろう。

ずっと疑問だったことに対して、ふとした時に答えを見つけることがある。もしかすると、本当に喜んで欲しかっただけだったんじゃないかと。不器用だけで済まされる問題でもないけれど、そこに生身の人間がいて、父なりの苦悩もあったのだと思う。Vaioパソコンは本当に高いのだ。高いけど、本当に最高で、買えるもんなら買いたいと憧れられるほどに良い物なんだ。価値も分からない小娘にポンと与えるおもちゃでは無いのだ。きっと娘を考えてオリジナルカラーカスタムしたんじゃないか、高くても軽量で薄型を選んだんじゃないか自分予算と性能を照らし合わせてカスタムしたパソコンを手にした時、あの時の父は何を考えて、あのパソコンカスタムしたのかと考えてしまった。

思い出を美化するわけでもなく、ただ単に社会に出て視野が広がり、物事価値や苦労を知ることで、もしかしたらあの時の両親はこうだったにではないかと感じることが増えた。

高価な物を買い与えられるほどに口封じのように感じられて頑なになってしまっていたけれど、そこに一切の気持ちがなかったとは言えない。冬にものすごく傷つけられた時、対話謝罪ではなく電気毛布けが送られてきたこともある。それがとても悔しくて、使わないまま放っておいた時間があった。当時の私は物ではなく言葉が欲しかった。今思えば、父は言葉のかけ方が一切分からなくなっていたんだろう。冬だから寒いから、そこで選んだ物に少しでも気持ちは入っていたのだと気づく。物でしか伝え方が分からなかったのかもしれない。

仕事でもVaioパソコンを叩いて、アメリカにもEUにもメールを書いて、今の私が結構立派に社会人をしていることを父は知らない。

もし知ったら驚くと思う。その後に喜ばれる、だなんて単純に考えてはいない。怒りとか、憎しみとか、邪魔をしてやろうとか、どんな感情を持たれるかは想像がつかない。彼の抱えているであろう孤独や沼は深いから、私はもう近づけない。

Vaioパソコンを見るたびに父を思い出す、そんなこともきっとない。ただ、今後の人生においても何かのきっかけで彼を思い出して精神対話することはあるだろう。それは教会懺悔室に似ている。何をどうすれば良かったかは分からないが、ただ祈って許されたい。

父のことを思い出す日が増えたから、父の死が近いのかな。逆に私だったら笑えるな。

最後に会ったのは10年前の名古屋神戸大学で当時付き合っていた彼氏バイク旅行したついでに父親に会ってみたのだ。彼氏名古屋繁華街にほっぽりだして、1人だけ父親ランチに行ったんだけど、今思えば本当に理解のある彼氏だったなあ。

食事が終わると父はお小遣いをくれた。そして「あの角まで彼氏が迎えにきてるから、ここで」とレストランの前でお別れを言ったのが最後だった。その後にメールで「なんであの時に、娘の彼氏に会ってみたいって言えなかったんだって、後悔している」と書かれていた。その後も家族でイザコザが続いて、一切経済的な援助も何もなくなった代わりに、父との関わりもなくなった。それ以来声も聞いていないし、メールすらない。

でも記憶には残っている。

そのうちの一つが、Vaio。いいパソコン

2020-05-28

anond:20200528012746

その顔真っ赤とか必死みたいな茶化すレスというのは、横からきた第三者が言うのならまだ分かるが、1:1の対話をしているような流れの中でその茶化しで話を止めるのは「人格攻撃しかもう返す弾がありません」というみっともない宣言なんだが、それは分かってるんだろうか?

ある程度タイピングできる環境入力している人からすれば多少の長文は別に顔真っ赤を示す証拠にはならないし、ネットに向かって顔真っ赤で書き込む人が実在するとしたらきっとその人は罵詈雑言の短文やら絵文字やらAAやらを駆使して粘着投稿しているようなちょっと精神に異常がある人くらいだろう。実際見たことがないか想像の域をでないが2ch20年ほどの中での経験則イメージはそんな感じだ。長い文章を書いていれば論理的構造を考える必要があるわけで、頭に血が上り続けることはありえないし、長文を書く人はほとんどの場合長文を書くのが好きなだけで、その時の感情テンションとは無関係なことが多いのではないかと思う。この文章反論したいから書いているというよりはせっかく「顔真っ赤煽り」的な話題を投げてもらったからそれを考察してみたい欲につき動かされて書いているわけだ。

というわけで、長文煽りをする人をプロファイリングしてみると、長文を書く経験や習慣が一切なく、そもそも長文が書けるだけのタイピング能力タイピング環境もあるかどうか怪しいレベルなのだが、律儀に自分最後に言い返しておきたいという負けん気根性だけは人一倍つよい、情報系に疎いヤンキー気質の人ということになる。

2020-05-26

五目並べに狂うほどハマっている

 客観的に見ると、かなり素っ頓狂なタイトルだと思う。けれど私は、今五目並べに狂うほどハマっている。

 ステイホームが続いた連休。極限まで暇を持て余した私は、意味もなくスマホゲームインストールし続けていた。何をやってもつまらない。飽きては消し、飽きては消す。終いには、インストールの途中で飽きて消す。もはや何がしたいのか分からない。間違いなく、世界で一番無駄時間を過ごしていた。

 派手なゲームばかり触っていた反動だろうか。おそらく、「シンプル」を求めてだと思う。よく分からないが、私は「五目並べ」を始めていた。インストールしたのは、「五目クエスト」というアプリ。レート制でオンライン対戦ができるようになっている。しかし、UIはかなりシンプルだ。無味乾燥と言ってもよい。派手なエフェクトキャラの類は一切出てこない。ただ、五目並べをするためだけのアプリだ。

 これまでの人生五目並べに特段の思い入れはなかった。五目並べリバーシ。誰だってルールぐらいは知っているし、やってみればまあそれなりには面白いだろう。だけど、それなりはそれなり。別に、目の色を変えてまでやるものではない。そんな認識だった。

 飽きることにも飽きた。そんな虚無の精神に包まれながらパチパチと石を放つ。ルールぐらいは知っている。それと、初歩的なことぐらいなら分かる。相手の石が3つ並んだら、片方を止めないといけない。4つ並ぶと、もう五目を防げなくなってしまう。その程度のことである。虚無の中、石を放つ。弱いbotも常駐しているから、素人でも勝てる。それに、一戦が短く、テンポもよい。そこまで面白いというわけではないものの、気付けば、虚無のパチパチはだいぶ長く続いていた。しかし、繰り返す中でふとあることに気付く。ある程度レートが高い相手には、ほとんど全く勝てていなかったのである。むろん、偶然そうなっているわけではない。

 幸い、このアプリには対局を振り返ることのできる便利な機能が付いていた。そこで、敗れた対局を振り返ってみた。強い人は何を考えていたのか。振り返ると、ぼんやりとだが見えてくることがあった。なるほど、どうやっても五目が防げないように、強い人はいろいろと考えている。例えるなら、罠や伏線を張るようなイメージか。そして、強い人の手は、攻防によく効いている。私の手は、攻か防、どちらかしか考えていない。なるほど、なるほど。

(これに関しては、いろいろと定石なるものがあるようだ。少しずつ調べ始めたところなので、まだ詳細なことは書けない)

 私は、おもむろに立ち上がり、お湯を沸かしていた。熱いコーヒーをすする。頭が冴えた。よし、もう少し考えてやってみるか。気付けば、虚無の時間は終わっていた。

 試行錯誤悪戦苦闘。苦労はしたが、着実に勝率は上がっていた。強い人の思考イメージする。定石は分からないが、ここではこう指す、そんな感覚ができてくる。相手の考えが、少しずつ読めるようになる。

 もちろん、強い人は簡単には勝たせてくれない。お互いの狙いをひたすら潰し合う。神経が削られていく心理戦。一手一手が重い。ミス即死意味する。手の震えまで出てくる。いやあ、参った。

 しばらく黒星を重ねた後、ついにその時は来たはるか格上相手、長い手数の果てに、ようやく勝ちが見える。相手投了。私は思わず声を出し、拳を作ってしまった。手は汗で滲んでいた。

 何が「別に、目の色を変えてまでやるものではない」だ。気付けば目の色を変えてやっていた。五目並べに夢中になり、勝利に咆哮する男。正直、絵面としてはかなりシュールだと言わざるを得ない。しかし、これは楽しい楽しいのだから、仕方がない。外に目をやると、いつの間にかすっかり日は暮れていた。

 病的な飽きっぽさのある私だが、連休明けも「五目ライフ」は続いてしまっている。小さい頃から、考えることは好きだった。だから、ハマる土壌はあったのかもしれない。そうとはいえ最近歯磨きでもするような感覚で五目が始まっている。自分でもなんだか可笑しくなる。

 無味乾燥だといった「五目クエスト」。このアプリがまたいいのである。派手な要素は一切ない。ただただ、五目。その無骨さが、かえってクセになる。石を打つ時の「カン」という打音がまたよい。愛想も何もない無機質な音。だからこそ、勝負に集中できる。最初こそ物足りないと思ったが、本当によくできている。対戦に関するストレスはほぼ全くない。唯一挙げるとすれば、接続数が少なく、同じ人と頻繁に当たること。ようするに、過疎っているのである。地味なゲームであることは否めないけれど、過疎というのはやはり寂しい。

 突き詰めていくと、五目並べは本当に奥が深い。「棋は対話なり」、これは将棋言葉だけれど、五目並べにおいても本当にそうだと思う。対戦は声のない対話である相手性格のようなものが見えてくる。イケイドンドンな人がいれば、石橋を叩いて渡るような慎重居士もいる。そして、強い人はいつもナイフで後ろから刺してくる。目に見えない相手のことを考え、声のない対話をする。たぶん、この営みにハマっているのではないだろうか。

 長く書いてしまったが、ゲームの過疎っぷりから推察するに、五目並べに狂うほどハマっているというのはかなり希少な人種だと思う。「最近五目並べにハマっててさ」そんな話はまだ他人に言い出せていない。そんなことを言うとポカンとされてしまいそうである。それで、ここに書き連ねることになった。

 虚無の連休中に突然目覚めた私はかなり極端だと思うが、五目並べは本当に面白い。ハマる人はハマると思う。そして、やはり過疎は寂しいので、できればもう少しアプリが賑わってほしい。よかったら、遊びに来てみてください。

2020-05-25

anond:20200525122859

言いたいこと一方的に言って相手が聞くわけないじゃん。

君は偉い人間一方的に話して「知的レベルが低い奴は一方的に聞いてろ」というスタンスに見える。

だが君が知的レベルが高くて相手知的レベルが低いとかそんなのわからんし、君が間違ってることもある。

反論対話して、それで相手知的レベルを探って、話が通じなさそうなら切り上げるだと思うが。

anond:20200525121504

一方的こちらが言うのは啓蒙としては下策だと思うよ。

こちらの話したことを受けての向こうの反論(疑問含む)を受けて、照らし合わせて答えての対話だと思うわ。

こちらが間違ってることもあるのだし。

コロナ社会の分断を感じたところ

もともと分断していたもの可視化されただけな感じだけど、コロナきっかけで自分と分かり合えない人たちが多いと思うようになった

特に印象的だったのがクレベリンの件。はてなでは似非科学認定されているが未だに騙される人が多く、製品は売れまくりメーカーは最高益である。彼らに消費者庁の声や第三者検証結果は届かない

逆に自分ブクマカとの距離を感じた部分は演劇の件だ。たまに芝居を見に行くので何か話そうかと思ったが、そもそも演劇界いけすかなかったとか、文化としておかしいとかのコメントを見てると対話を諦めてしまった。多数の反対者と話すのはしんどいのだ

昨日はテラスハウスの件で悲しい話があった。番組の存続は不明だが、人はなかなか変わらないので同じようなことが繰り返し続いていくのだろう

2020-05-23

not for me『めぐみん楽しい独身生活!』

やる夫スレオリジナルの話。

から出た錆とも言える失恋をした主人公とその周囲の人とのコメディ

10話中9話までは、登場人物たちの考え方がしっかりと書かれていたし、

コメディとしてオチをつけるためのご都合主義的な展開があるものの、

こち亀などに見られるような「派出所が木っ端みじんに爆破されても翌週には何事もなかったかのように戻っている」

ような投げっぱなしではなく、次回以降にも続く話として書かれており、毎回次の更新が楽しみだった。

だが、最後最後主人公が一体どういう決着をつけるのかと思っていたら、

いきなり子供のころの「30歳になったら結婚しよう」という約束唐突に思い出した上に

その相手がその時、偶然にも主人公マンションを訪ねてきて、運命の再開、

結婚するという、究極のご都合主義かましてきた。

レス数だけで見ても、主人公については15レスくらいで、

その他周りの人たちが代わる代わる登場したものの合計で50レスと大きく差があり、説明不足も甚だしい。

今までのいろんな登場人物たちと主人公対話は何だったの?

そういう肩透かしも含めてのコメディと言われたらそれまでだけど。

所詮趣味でやっている創作活動に過ぎないのだから

作者は法律違反しなければ何を書いたっていいし、

読者が文句を言う筋合いはない。

だが個人的には納得できない。

最後最後で期待外れだった。

not for me。

面接結果待ち

ただの質問攻めではなく、対話ベース面接ができた。

今までの経歴や性格対応力で好印象を残せた、気がする。

しかし、人事の仕事は「いかに弊社へ好印象を持たせるか」だから、そう思わせる人事スキルのせいであ可能性は否めない。

面接終盤では、転勤(序盤や中盤に聞かれるのはただの時間稼ぎだと思う)や親、健康状態についても聞かれた。

けれど、面接相対評価基準であり、他の選考者次第なわけで、期待してはいけない。わかってる。

どうしても通過連絡が欲しい。御社、お待ちしております

2020-05-21

平田オリザ氏の失敗を日本教育の失敗みたいに主語を広げていくのは

ご遠慮頂きたいなって思ったんですがタイトル長すぎて切れましたてへぺろ

平田オリザ炎上にみる、コミュニケーション教育は「他者相互理解する能力」を害しているという現実

https://note.com/hirayama_t/n/n9ee3544db3b0





これ見て「伝える力偏重コミュニケーションはパッと見だとうまくいってるように見えるけどちょっとしたきっかけで破綻する」ってのはその通りだよなーと思いつつ、どうしてもひっかかることがあったんですよ。

そもそも日本コミュニケーション教育は伝える力偏重」ってマジなの?ってとこです。

自分職業コミュ障のくせに他者との会話が必須なので教育で得たスキルでどうにか人並みの仕事をできるようにしてるんですけど、そのコミュニケーションのための教育で教わることって「相手の話をちゃんと聞こうね」なんですね。

相手の話には適切に相槌を打つことで相手安心感を与えよう、だとか、相手の言ったことを再確認することで齟齬が起きにくくなるだけでなくて相手からも信頼してもらいやすくなるから言われたことはちゃんと「○○ですね?」って聞き返そうね、とか。

もちろんこっちからしかける時の注意として分かりやすく簡潔に、とか、伝えるためのスキルってのも教わりましたよ。でも相手の言いたいことをちゃんと把握するための技術はきちんと教わりましたし偏ってるなんて思ったことないです。

そもそもこの平田オリザって人、コミュニケーション教育ナントカ座長第一人者って言うけど今回の炎上まで名前も知らなかったんですよね。もちろん自分アンテナが狭いってのはあると思いますが、それだけ重鎮のはずの人ならそれこそテレビ御意見番とかで出てきて名前くらい聞いててもよさそうなのになーとか思ったり。




そんでちょっとググってみたんですけど、この「コミュニケーション教育推進会議」って悪名高い民主党政権時代に発足してて、しか文科省WEBサイトを見る限りでは会議自民党政権に戻った後は開かれてないっぽい(議事録が4回目までしかないしその後の活動特に掲載がないし資料も見当たらないし)感じなんですよ。いや活動継続してるなら教えて欲しいのでリンク下さい。

もちろんその2・3年ほどのせいで日本教育に深い爪痕を残したっていうのであれば理解できなくはないですけど、そういう方向の話でもなさそうだし。

日本には昔から「話し上手は聞き上手」っていうことわざだってありますし、いわゆる陰キャと呼ばれるようなタイプの間でリア充の人のコミュスキルの高さの話が出る時って「真のリア充自分らみたいなコミュ障でもうまく会話を誘導して話を聞き出して広げてくれるからすごい」って話であって「リア充の話っていつまで聞いてても飽きない」みたいな方面の話はほぼ聞かないです。自分は。

時間の都合とかスキル不足で教育が足りてないという現実はあるにせよ、コミュニケーションには自分意見を正しく伝えることも重要だけど、相手意見を引き出す能力であったりその為の傾聴能力であったりもすごく重要だよね、と思ってる人の方が多いんじゃないかなあ。少なくとも自分観測範囲だとそうです。

ネット上のコミュニケーション発言重視のコミュニケーションになってしまうのは、どちらかと言えばどうしても対多人数への発信が主になりやすく、かつ相手の反応が返ってくる(相手の反応を確認できる)のがリアルタイムではなくてタイムラグがある(ブログなどだと記事投稿⇒読んだ誰かによるコメント⇒更にそれを書いた本人が確認するための時間差がある)という対話方式構造上の問題であって、教育がどうこうじゃないと思うんですよね。

いや、そういう1対多数のコミュとか発言からレスポンスまでにタイムラグがある場合対話術とかを教育できちんとやるべきではって話であるならやった方がいいでしょうねとは思うんですけど、それって傾聴能力を軽視したかコミュニケーション教育は失敗したんだ、っていう話とは別の話じゃないですか。別の話に平田オリザを混ぜ込まれると問題点が見えなくなるのでは?っていう。





十数年前の道徳教科書には既に「英語が得意な『私』と得意でない友達がそれぞれ海外ホームステイに行ったけど、『私』はステイ先の同年代の子供と話が合わずギクシャクして、友達の方が海外の友人と仲良くなっていた」っていう話がありましてね。喋るのが得意でもそれだけでは相互理解なんてできないというのはずっと前から教育者も理解してると思います。(まあこの話の本題は自分の国に目を向ける、自国に誇りを持つことにあるっぽいですが)(ちゃん最後には仲良くなれるのでごあんしん)

でもって傾聴能力のもの教育である程度まではどうにかなります。何せ自分仕事できているので。

もちろんそこには仕事からこそ相手の話をちゃんと聞こうという意識が働いているという部分があり、相手の話を聞こうとしなければ傾聴スキルいくら磨いてもコミュニケーションできないってのはその通りです。ですが「相手の話を聞こうと思えるようになるためには何をすればいいか」についてはこれもやっぱりある程度までの話になりますけど教育で賄える部分かと思います

という横の話はおいといて、やっぱり平田オリザ氏のコミュニケーション論を軸に日本全体、あるいは主軸のコミュニケーション論が伝える力偏重であるという論調で話を進めるのはちょっと乱暴でないかなーと思うのです。

昨今の英語教育だって技能、読む、聞く、書く、話す、と受け取る能力が盛り込まれます

日本コミュニケーション論が伝える力偏重になっているのでは、という話をするならそんなごく一部かつ負けた政権人間で今は開催されてないっぽい会議議長の話を出すんじゃなくて、もっと他に今話題の方とか継続して活動を続けておられる方とか現在全国で取り組まれている試みとかを例として提示しないといけないんじゃないでしょうか。





あとググって出て来たここのページ

http://web.iec.ehime-u.ac.jp/reinelt/2018JCAcsComp/2018JCAcs3WakiTadayuki.pdf

とかを見て当時の会議資料のありかを知ったんですが、確かに2000年代初頭の資料については伝える力について主題として扱っているんですが、これはそもそも国語力とコミュニケーション能力関係性について語られているのであって主題になってるのは国語力の方では?というあたりの問題もあって一概には言えない気もするなーとか。

国語力は円滑なコミュニケーションには重要です、という話とコミュニケーション能力とは高い国語力のことです、では話が違いますよねってことです)

それにこれって「意見を発信する時には相手への尊重必要不可欠だよね!だから敬語大事にしようね!」みたいな話なので(雑すぎる要約なので詳しく知りたい方はちゃん一次資料を読んでね)相手こちらの話を聞いて貰えるようにするための警戒心を解いてもらう話術の話だと思うんですよ。

そんでもって平田オリザ氏の例の発言炎上したのってその「相手への尊重」が欠片も感じられないんですけど、ってところが起点じゃないですか。

発信する側としてのコミュニケーションスキルである相手への尊重とそれを実際に示す態度、話法というのができてない時点で「平田氏のコミュニケーション論には問題があるかもしれないけれど、そもそもとして平田自身自分の主張するコミュニケーション技法を守れていないので、今回の炎上を元に平田氏のコミュニケーション論が間違っていたかを論ずることはできないのでは?」という。平田氏のコミュニケーション論が正しいかかには別のサンプルを持ってこないと駄目なんじゃねっていう。

なんかこう、平田氏の失敗を直接的には関係ない仮想敵への攻撃に便利に使っているように見えてしまって、伝える力偏重コミュニケーション教育はよくないって主張そのものについては同意できるだけになんかむずむずするなーと思いました。

2020-05-17

ツイフェミの人と交流あったけど、あの人たちマジで反対意見にはアップデートもできない老害とでも言わんばかりに否定する、というか聞く耳もたないよ

対話自体を拒んでいる感じ

これはどちらの性別もそうだった

しかもそれを相手価値観がありえないって感じで同調圧力かけてくるから本当に呆れた

自分たちの足りてないところには本当に甘い

リアルだといい人、というか角が立つのを恐れる人が多い印象がある

2020-05-16

anond:20200516171419

元増田だけど、こういう反応があると思ってた。


自分とは異なる意見を述べた増田個人を”キチガイ”という蔑称で呼び対話さえも無意味だと自己判断する人。

勝手に一括りにされたと考える個人集団相互矛盾した状況になったとき、やはりお互いに”お前はキチガイだ”、”いやお前こそキチガイだ”となるのだろうか?


ブコメでも「だからこそシステム改悪する癌は切除しなければならんよ」とお互いに論争し選挙で争う民主主義的なものではなく

”癌は切除”という粛清テロを思い出させるような表現になるのは何故なんだろうか?

2020-05-15

anond:20200514190700

腸に不調があっても小渕さんみたいに過労死しない程度にやってる

天皇陛下とおなじで安定した世代を作るのが一番だよ

海部首相とかなにしてたのかおぼえてもない、水玉模様ネクタイ以外は

村山首相とかなにしてたのかおぼえてもない、眉毛以外は

えーと一瞬野田って人もいたっけな

そんな首相すげかえ手のひらクルー政府とは

官吏でさえまともに対話する気にならんやろどう考えても

https://www.miraichizu.jp/politics/195/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#%E6%99%82%E7%B3%BB%E5%88%97

2020-05-14

ツイフェミっていうのは、思想ではなくて、心が壊れてしまった人が撒き散らす瘴気みたいなもんだと思っているので、そういう人との対話というのはそもそも何も実現しないし、問題本質でもない。

だけど、そういう壊れた心をもたらしているのは、その人が過去に受けた性犯罪だったり、性的に歪んだ扱いだったり、家父長的なジェンダー観だったりの蓄積だと思われるので、今後、子どもたちが壊れてツイフェミ狂信的なミサンドリストになってしまわないよう、そういうものからは守られなきゃいけないと思っている。わかりやす性犯罪よりも、ジェンダー的に歪んだマイルドな扱いがきっとダメなんだろなあとも想像する。

なので、逆説的ではあるのだが、ツイフェミみたいな狂信的フェミニストを解消するのに必要なのはリベラルジェンダー観に反対することではなく、むしろ将来を担う若い人に対してリベラルジェンダー観で接することなのだ。たぶん。

まあ、とは言え、統計的に解消されるだけで、すでにそうなっちゃった人は諦めるしかないのが残念だけど。お医者さんなら治せるのかな。

anond:20200514001650

謝ったら死ぬ病」とか言ってる連中って大体頭おかし

とにかくまず謝ることが大事だと思ってる

そして何様なのか謝り方を採点したりする

自分が正しいと思うなら謝らずにまず話し合うってのは普通ことなのに

謝ったら死ぬ病」とかいって揶揄する連中ってのは人と対話する気がないだけ

クレーム処理と勘違いしてるんだと思う

2020-05-13

(社説)コロナと日韓 危機をバネに協調を

 新型コロナ禍の世界的な広がりにどう立ち向かうか。アジア代表する自由主義の主要国として、日本韓国は共同歩調に乗り出すときである

 文在寅(ムンジェイン)大統領就任から3年を迎え、今月の演説コロナ対策の成果を強調した。韓国の徹底した検査と追跡、治療体制が、国際的成功例として評価されていることを意識した。

 任期5年の韓国政権は、後半は人気が下がるのが通例だ。文政権も一時は陰りが見えたが、最近調査では7割以上の支持率へと息を吹き返した。感染症対策への国民の信頼が強い追い風になったのである

 ただ、韓国も偶然に対策を編み出したわけではない。5年前に別のコロナウイルスで起きる中東呼吸器症候群(MERS)が流行し、多くの被害を出した教訓の上に構築されたのが今の体系である

 個人情報の扱い方など、国によって考えや事情は異なる。韓国でも規制の緩和後に再び集団感染が起きるなどしており、最終的な評価はまだできない。

 だとしても、韓国経験対策が、日本を含む国際社会重要実例情報をもたらしているのは間違いない。

 ところが今の両国間では目に見える協力が乏しく、嘆かわしい状況が続いている。

 協力を阻む背景の一つは相変わらず歴史問題と、それに起因する折から対立である

 両国間には、韓国から医療物資日本に送ろうとする動きがある。だが、韓国政府は一部市民による反対運動意識せざるをえない状況だ。一方の日本政府も、韓国への支援要請に慎重な姿勢を崩さない。

 深刻な事態の中で、不毛駆け引きに陥る余裕はない。両政府は防疫問題政治化を避けねばならない。体面にとらわれず情報を共有して物資を融通し合い、危機を乗り越えるべきだ。

 文氏は今回の演説で、世界感染症対策リードする目標を示した。安倍首相も先月、東南アジア諸国連合日中韓会議で、「ASEAN感染症対策センター」の設立提案し、情報共有の大切さを強調した。

 中国感染源に近い最前線の国として、日韓両国国際貢献を誓うのは評価できる。その実現のためにも両国間で知見を高め合うために担当閣僚同士の対話を始めてはどうか。

 先の韓国総選挙圧勝した文政権は、残り任期対日政策での大胆な決断をするべきだ。安倍政権も、昨年導入した対韓貿易規制強化を直ちに取り下げ、関係を立て直す必要がある。

 この危機をむしろ日韓関係リセットの契機にする。そんな知恵を絞ってもらいたい。

安倍政権も、昨年導入した対韓貿易規制強化を直ちに取り下げ、関係を立て直す必要がある。

ほんと悪い意味でブレないよなこの新聞

2020-05-10

平田オリザが「対話のレッスン」という本を出しているようだけど、タイトルを見て、ふふって笑ってしまった

あんたにこそレッスンが必要なんじゃないの

anond:20200510173536

対話などないっていう状態から対話するのに単位をX日ってカウントするやつが多いだけ。

映画this is england感想

もう公開されて10年以上経つの

史上最高のイギリス映画と煽られていて、公開当初から気になっていたが、

見る機会がなかった。なぜか日本版映像メディアは入手困難だったりするし。

やっと観たが、感想は史上最高は煽り過ぎだろうと思った。

80年代当時のイギリス社会背景について肌感覚理解できている人、

サッチャーによる緊縮経済と、移民に向かう憎悪暴力的労働者階級右翼スキンズが持つ不満

自分知識がない訳ではないが、当時のイギリス暮らしてた訳でもないし、そこまで入れ込めなかった

逆に当時イギリス暮らしてた人とかは、凄いリアリティを感じて面白がれるのかもな

とはいえコロナ直前ぐらいの日本は、政府による緊縮政策高まる経済的苦境、貧困階級蔓延する国粋主義右翼思想への共感

移民への排斥感情と、かなーり近しいものがあるのではとも思わされた。

ストーリーリアリティがある一方で、リアリティを追求するあまり映画的には伏線の回収が甘く不満だった。

例えば、スキンズグループ良心存在のウディの扱い

彼は主人公ショーングループ引き込み母親とも面倒を見るという対話を行いながら、

コンボの行いに対して能動的なリアクションを何も行わないままフェードアウトする。結構無責任男じゃないかと思った。

またコンボ失恋のくだりも、結構あっさり引きさがってて、この設定いる?と消化不良感があった

主人公ショーンも、典型的な巻き込まれ主人公で、監督実体ベース+子供であることを考慮すると、

リアルなのかもしれんが、ウディに誘われてスキンズ入り、コンボに誘われて暴力的犯罪行為を行う、

最後コンボ暴走に傷ついて終わる。というお前勝手に周囲に振り回されとるだけやんけという不満を感じざるを得なかった。

当時のスキンズの生態をしっかり捉えたという点は褒められるのかな?自分には判断を下す自身はない。

映画的にはあんまり盛り上がらんし、ストーリーの構築感も低い。5点満点で3点てとこだな。

これで英国史上最高の青春映画は言い過ぎだと思うぞ。トレインスポッティングの方がまだ面白い。終わり。

2020-05-09

平田オリザが「対話のレッスン」という本を出しているようだけど、タイトルを見て、ふふって笑ってしまった

あんたにこそレッスンが必要なんじゃないの

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