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はてなキーワード: 書き手とは

2018-10-18

嫌いな同人女がいる

嫌いな小説書き手の話を読んだ。優しい人だなと思った。

私にも嫌いな書き手がいる。人間として嫌いだ。

嫌いなやつをAとする。

わたしはAの書く作品が嫌いだ。比喩表現が多く、会話も誰が言っているのかわからない。小説として破綻していると思った。二作品読んで、読むのをやめた。

なのに少ないながらも評価されている理由がわからない。誰から評価されなければいいのにと思う。

単純に認められてるのがむかつく。

自カプでAが書きはじめたことも気にくわない。

Twitter彼女は、原作を見ていないと断言した。つまりミリしら、エアプで書いているのだ。わたしの一番嫌いなタイプだった。

リクエストで知らない作品を書くこともあるから、一度くらいなら目を瞑った。

しかしAは、依然としてミリしらのまま書き続けていた。

今後原作を見る気もなさそうだった。

そこが一番むかつく。

わたしは自カプが好きだ。原作を繰り返し見て、本気で自カプのことを考えて、時間を割いて、書いている。公式で付き合ってるわけでもないからこそ、妄想する。こういうことが起こったらいいな、を形にする。

なのになんでこんな原作すら学んでいないやつに自CPを書かれなければならないのか。なんで本気で取り組んでるわたしと同じ土俵に立とうとしてくるのか。

これは冒涜ではないだろうか。

Aの書き続けている理由が、作品応援コメントがつくかららしい。そういうところも嫌い。

かに界隈としては狭いが、コメントをするファンが多いし、応援コメントは書く気力に繋がる。

それはわかるが、それだけのために自カプで書くなと言いたいのだ。

お前の承認欲求を満たすために、自カプを使うな。自カプは道具なんかじゃないんだ。

最近コメントが減ったらしく、続かないかコメントを書け、と上から目線乞食しているのが目立つようになった。

そのまま書かなくなってしまえ、と思った。

人として最低なのはわかっているが、嫌いなもんは嫌いなのだ。一生好きになれない。早くわたしの目の前から消えてほしい。ジャンル撤退してほしい。

もう二度と、書かないでほしい。

2018-10-17

anond:20181017184832

何が怖いの?


ガイジの猪狩さんが画鋲探してるからある場所教えてやったけど聞かなくて

そうしてるときに「(正解を)教えちゃダメ」っていう同調圧力がかかったので

黙ればよかったけどわざわざ嘘の場所を教えちゃって

それを後から先生にチクられて意地悪したってことでしかられた

かに私のやったことは意地悪だけど元々猪狩さんいじめようとしてた勢力私たちじゃないやんけ理不尽

それにしても猪狩さんはなんで何言っても聞かなかったのだろう(ガイジだから)


でしょ

書き手ガイジ入ってて読みにくいだけで恐怖要素はない

2018-10-14

よくある話だけど

自分がいるマイナーカプに疲れてきたと思う。

日記というのは以降の自分相手に話すものなんだろう。お前はまだこのカップリングいるか?いてほしいと思うけど、いないだろうとも思うよ。私のことだから




私が先人というわけでもない、ある人が描いた二次創作を読んで感化されたカップリングだ。

拙いながら本も出した。所謂オタクをかれこれ20年程やってきて初めての本だった。

よくあるマイナーカプの書き手のように「一冊でも売れたら嬉しい」なんて殊勝な人間ではないので、ツイッターピクシブでしばらく投稿を続けてからイベントに行った。無名では売れるものも売れないだろう。それがド素人の初本なら尚更である

初めてのイベントで予想以上に売れた。会場で半分ほどが、そして残りの在庫の半分が通販で人の手に渡った。ざっくり75%も売れたなんて信じがたくて、今でも会場で渡された売上金を封筒にいれて保管している。

すごく楽しかったし、このために来ましたとさえ言ってくれた人もいた。驚きすぎて家に帰ってからも頭がまわらなかった。


なんで疲れたんだろう、と考えることはある。今も、これまでにも考えた。

元々人は数えられる程しかいない(と思う。ピクシブ作品も1ページ埋まらない)ジャンルだ。ROMを含めてもせいぜい、と呼べる程度だろう。

話せる仲間が欲しくてどうしてもさびしい時、作品ブックマークから相手SNSを辿りまくった。ツイッターでカプ名サーチだって何度もかけた。

ネットストーカーじみた検索は、マイナーカプと呼ばれるところにいる人はみんなやっているんだろう。私もそんな一人だ。フォロワーフォロワーを全部見たりした。


投稿に反応が欲しいならもっと大手にいけばいい。ユーザー母数が多ければ多いほど反応は増える。話せる相手も、書き手も増える。

私がメインに描いている作品のなかで一番好きなカップリングマイナーなだけで、作品自体は非常に有名でファンも多い。私はつまみ食いもする性質から、メインではないにしろ作品大手カプが好きだ。

から疲れたなら移動すればいいのにと思う。


実際自分はなんでこのカップリングが好きになったのか思い出せない。初めに好きになった作品カップリングは別のキャラクターだった。

いや、思い出せないなんて書いたが、この日記の一番最初に書いたんだった。ある人に感化されたのだ。

素敵な作品だと思った。絵柄や表現はもちろんだが、何より私になかった解釈視点で描かれていたことが新鮮に感じられた。

それなりに昔の話なので、もう記憶の中で美化されてしまたかもしれない。


あの感動がきっかけで描き始めたカップリングだけど、その作者にも作品にも執着しているわけではない。なにせ忘れていたくらいだ。

私の投稿に毎回反応をくれる人たちにも特別の人はいない。

ライバルがいると強くなれるというのは本当らしいなと最近になって思う。

この疲れは張り合いの無さなのだろうか。


人が少ないことはわかっていた。描き始めれば愛着が湧いてもっと好きになることも、そのうち別の作品に移ることもわかっていた。

反応はあれば嬉しいがなくても描くし、自分キャラクター解釈ツイートする。一人で壁打ちをして遊ぶのが気楽でいいからだ。

本を売ったとき在庫を抱えるのが嫌で売り込みをした。もっと言うなら、売れていない自分はさぞ惨めだろうと恐れたからだ。

自分でも「一人遊びならなんで本を出したんだ」と思う。同人誌を出すときはまず正気を失え、なんて言われているけど、あれも本当のことなんだろう。原稿をしている私は正気ではなかった。



日記にすれば多少考えがまとまるかと思ったが、あまり変わっていない気がする。

反応があれば嬉しい。本が売れたときは舞い上がるような心地だった。

今思い出しても嬉しいけど、もちろん喜びは掠れている。私は相変わらず今のカップリングに疲れている。

私が勝手に盛り上がって勝手に頑張って勝手に疲れているのだと思うが、だとしたらどうすればこの疲れが取れるのだろうか。

描くのをやめてゲームをしたり映画を見たり、別ジャンルを漁りまくったりもした。一向に疲れは取れず、増すことも無く、存在感だけはジリジリと不快感を残している。



ここまでだらだらぐるぐると同じことを、やけに深刻ぶって書いている。

本当に何に疲れたのかわからない。焦りや不安ではなく疲れだ。

友人に言われた「自分解釈意外を受け付けなくなって、自分作品しか読めなくなる」結末が、すぐそこまで来ている気がする。

そうなったとき、私は売れ残った本を燃やして別の作品へ移るのだろう。

感想が苦手な人間の話

はじめての投稿自分語りもどうかと思うが、全く折り合いがつけられないで数年経とうとしているので、ここらで吐き出す場所が欲しくなった。

わたしオタクであり、小説書きの端くれだ。

好きなジャンル二次創作を細々と書いている。pixivTwitter投稿して、年に1回あるかないかの頻度で本も作る。

まあpixiv投稿した作品とて、ブクマが100超えたら御の字と言うレベルだ。それを踏まえた話として見てほしい。

タイトル通りだが、私は人から感想をもらうことが苦手だ。

苦手なくせに、感想は欲しいと思っているし珍しくいただくことがあったならすごく嬉しく思う。

だが苦手なのだ

我ながら面倒くさい性格だと思うのだが、その理由が明確にひとつある。

貰える感想を信じられないということだ。

例えば親しい友人が私の作品を読んでくれて、「よかったよ」と感想をくれたとしよう。

その時は嬉し恥ずかしの気持ちでいるが、後になって思うのだ、「友達から気遣って当たり障りのない感じで感想をくれたのではないか」と。

極論、「よかったよ」「面白かったよ」くらいならば読まなくても言えるだろう。

もちろん、ちゃんと読まないとわからない作中のあれこれを織り込んだ感想をくれる方もいる。ただこれだって「気を遣って」なんとかひねり出してくれたに過ぎないのではないかと思ってしまう。

友達だと言う時点で読まなくても別に友情に亀裂など入らないのだから、無理しなくてもいいよと度々私は口にする。

そう言う面倒な思考回路が回るのだ。

冷静になって考えればそんなことはなかろう、矛盾だらけだとわかっていても。

なら匿名や友人とまでは言わない程度の付き合いの人からもらう感想はどうなのかというと、

友人の時よりは楽だがそれでもやはり疑ってしまう。

「私が欲しいっていうから」仕方なく、「相互フォローとして繋がってるから儀礼的なものとして、あるいは「おだてることでなんらかの益を得たいから」という打算、そういうものを疑ってしまう。

最初は嬉しいって心から思えるのに、1日とか時間が経つと急速にその気持ちは冷めていく。

被害妄想しかない。

わかっていながら止められない。

私程度の書き手が選り好みするなどおこがましいにもほどがあるのだが、結局、私が感想に求めていることは言葉通りの承認なのだ

「こういう作品があったっていい」、「こういう(ジャンルキャラの)愛し方があったっていい」みたいに、許して欲しいだけなのだ。多分。

普段マイナーものばかり書いてきたからそう思うのかはわからないけれど。

そういうわけで、私が人様に感想を綴る際は余程のことでなければ匿名ツールを使う。私が認知される必要性はないし、神からの返事という益を得たいわけでもないからだ。

その上で私の心が震えたところ、結果そのカプを推せるようになることもままあるのでそういうことも告げる。本当にこの作品出会えてよかったとも伝える。

ご本人からしてみれば恐怖を感じるかもしれないが、そう何回も送ったりはしないので勘弁してもらいたい。

そう言ってるあたり自分のことしか考えられなくなっている証拠だろう。創作と向き合うにはなにかしらの狂気必要だと思うが、こと私に関しては感想というもの一つでこうも簡単に落ちぶれることができてしまう。

から私は感想というものがすこぶる苦手だ。何年たっても、健全に向き合える気がしないのである

そういうことを、設置直後以来ほとんど稼働していないマシュマロを見ながら思った。

2018-10-13

anond:20181012223001

元増田だが、関東人のために解説すると、このボケ突っ込み元増田へのネイティブチェック&意見表示だ。



なにバカ関西人がイキってんの

バカ/アホ」の用法関東関西で異なるというのは、有名なネタであり、この話者自分関東圏の人間であることを「過剰に」強調している。おそらくネイティブ関東人ならこの一文に「バカ」をつける必要はないと感じられるだろう。なぜか? ネイティブ関東人にとっては「関西人」と呼ぶこと自体ナチュラル侮蔑の意がこもるからである。「なに関西人がイキってんの」だけで充分すぎる侮蔑である、と関東人は思う。ちなみに、この侮蔑ニュアンス関西人には理解しがたい(自分出身地域に対して原則引け目を感じることがないから)。しかしたとえば関東で「東北かよ」みたいに言われることにどういう意味があるかを想像すれば、関東人でない人間関東人が○○地方の人と呼ぶこと自体に、どのくらいのニュアンスがあるかは想像できるかと思う。おそらくこの書き手はそれも踏まえた上で「過剰に」関東人を演じてみせた、とここから推測される。


田舎者道頓堀だけでイキってろよ

道頓堀」というやけに具体的な地名をあげることで、話者はむしろその地域を具体的にイメージしている、と伝えてしまっているが、それがこの文の仕掛けである相手を「田舎」と非難する場合、やけに詳しい内容を言うことは本当はおかしいわけで、この発言は、一見元増田非難している風に見せかけながら、この書き込みが「ボケであることを雄弁に物語っている。突っ込んでいる風に見せながらボケているわけだ。つまり自分を「落とし」ながら、何か別のことを伝えようとしている、ということが伝わる。


これは、関西人同士なら基本に属する軽いジャブのやりとりだが、この解説で、「喧嘩しているようにしか見えない」と言われる関西ネイティブの会話の内実の一端を、関東の方にも感じとっていただけたことと思う。この増田は、このボケ突っ込みを「本当に元増田関西ネイティブだったら受けきれるはず」と信頼した上で、「こんな話を丁寧にしてもおそらく伝わらないから、さっさと店じまいした方がいいよ」という意見を、自分を「アホ」に仕立てながら(配慮)やんわりと元増田に伝えてくれているのである関西ネイティブの同士である増田には、せっかく関西人らしいハイコンテクストなやり方でご意見をいただいたのに、それを全部ネタバラシするようなことをして誠に申し訳ない。が、それがあまりにも面白かったのでついつい解説してしまった。今は反省している

2018-10-12

感想が欲しいと嘆く同人者へ

【はじめに】

感想は要らないor興味ない、という人については触れません。

タイトルの通り、全員が全員○○!と決めつけたいわけじゃないです。当てはまらない人は当てはまらない、それだけです。

どちらも経験した身からすると、一次でも二次でも、感想基本的にほぼ来ないものと思ったほうがいい。

大半の同人者がそうだと思う。

望んでも来ない。

くださいと言っても来ない。

じゃあ読む人なんておるまいと店じまいをすると、「実は好きでした」「やめないで」なんてこともある。

どこにいたんだ。

そう思いながら遅すぎた感想を眺める。


たとえば二次だとジャンル初期には比較的来やすい。

需要供給からだろう。

だけど、そのうち「その人がジャンルで描く(書く)こと」が当たり前になってくるのか、不思議だんだん来なくなる。

いて当たり前、描いて当たり前、危機感が無ければ筆は動かない。

当然と言えば当然、感想を書くにも相当のエネルギーが要るからだ。


ところで、Twitterなどではよくこんな人がいる。

感想送って!」

感想来ないからやめたい!」

感想もっとほしいの!!!!」

と叫ぶ一方で、

感想送るの苦手><

「難しいしこんな感想じゃ恥ずかしい><

と言う人達だ。

何というダブスタ

どうして自分と同じことを、相手が思ってるとは考えないんだろう?

日々絵や小説を作ってる書き手でさえ苦手に思うんだから、無数の読み手が迷うのは当たり前。

自分に出来もしないことを、他人に易々と要求してはならない。


感想がほしいからやる、も同人目標ひとつだろうけど、そもそも来ないもの(来たら嬉しい)だと思ってないと不満だけが溜まっていく。

Twitterで「感想モチベーション上がる、だからどんどん送って」「好きな書き手がこのジャンルにいるうちに感想を送ろう」というツイート言葉を変えて何度もRTされてくるのは、いくら時間が経っても状況が何も変わっていないからだろう。

ほしい人は「ほしい!」とだけ叫んで、送りたい人は一部の書き手にだけ送って……比率は変わっていなそう。

富は富裕層に集まる。

大抵の同人者は、折り合いをつけてやっていくしかない。

2018-10-10

萌えエロスは不可分だと思っていた

少女漫画90年代以降の萌え絵の最大の違いは、少女キャラへの書き手エロい感情あるかないかだ

エロ抜きに萌えが成立するなんて不可能に決まっている。

そんなのは神を否定しつつイエスを信じるようなものだ。

anond:20181010173403

自分は良作に当たると感想送るけど正直毎回イベントで何十冊も買ってたらハズレもあるわけだし、感想遅れる書き手なんてたかがしれてる。感想貰えないのは感想を送らないロムが悪いんじゃなくて、書き手もっと自分作品に魅力がないことを理解するべき。

anond:20181010173939

それな

自分が満足したいから書いてるのに書き手はみんな感想を求めてる!みたいな同調気持ち悪い

感想不要ですって角が立つから言わないだけで感想目当てに書いてるわけじゃない奴もいるからって思う

anond:20181010173403

所詮はその人が描いてる漫画小説が好きなだけであってその書き手に興味はないんだよね。

感想が欲しいとかって言われても、で?って感じ。

さっさと黙って続き書いてて欲しいってのが正直な読み手気持ち

こんなこと表では言わないけど。

アンチってすごい

anond:20181008162057

を読んで。

この方の辛いお話に反応して書くことではないかもしれないが。

アンチがつくって、すごいなと思った。

わたしは、超大手カプに最近ハマった。ハマると愛が重いタイプなので、しばらくこの熱は冷めそうにない。最近お金を稼ぐようになったのも相まって、めちゃくちゃ課金してしまう。

話が逸れた。

そもそもわたしは今まで二次創作ネット上でした事はなく、

友達と「エンディングの後にこういうことがあったらいいよね~」くらいに盛り上がったくらいしか二次創作についての経験が無く、今回ハマって小説を書いたりしていることも本を出そうとしていることも自分では信じられないし、二次創作に興味がある訳では無いのでジャンル移動というものも今のところ起こる予定はない。(公式推しが死んだりすると話は変わるが)

からアンチに刺されるのが嫌なのでジャンル移動します、というのはよく分からないのだが、

アンチがいることは、純粋に羨ましいなと思った。

アンチファンと同じくらい彼らは対象を気にかける。もしかするとファンよりもその人のTwitterやら支部やらを監視する。

しかもわざわざジャンルを降りろとコメントまで!!

すごい。だってファンが書くコメントアンチが書くヘイト

URLを踏んで、文字を打って、確認作業の上送信完了して、という手間は同じなのだ

それをわざわざやってくれる。そのくらい、心に何かを残した。

そんな創作をされた元々の書き手さんを、すごいなと思った。うらやましいなと思った。

わたしは今のところわたしアンチにあったことはない。(この間検索をかけたらブロックされてる方は結構いるみたいだったけど)

それなりにフォロワーも増えて、焼きマシュマロだの匿名叩きだのそういうのもあるのかな?なんてちょっと思っていた。が、全くない。

その理由に、最近気づいた。

それは、私の創作に、そこまでのエネルギーが無いからではないか

良い意味でも、悪い意味でも、人の心を揺らさない。だからアンチが湧かない。

嫌われる要素の少ない、特徴のないものを書いてる自覚がある。そういうのが好きで書いてるわけだから、変えたい訳では無い。

でも、アンチがたくさん話しかけないといけないくらい、「なんとしてもコイツを潰したい」と思うくらい、エネルギーのある作品を描いていた方なんだなぁと思うと、無性にこの方の作品が読みたくなった。たとえ私の性癖と相容れないものであったとしても、

その凄さ拍手を送れる人間でありたい。

お疲れ様です。そんな素晴らしい作品を描かれる方がいなくなるのは、そのジャンルにとって大きな痛手でしょう。いつか貴方様が、アンチ貴方様のエネルギーに変えられるといいなと思います

(自分語と元記事様へのメッセージ区別がわかりにくいですね。ごめんなさい)

2018-10-08

神を探している

コミティアで本を出している。

そのなかでも忘れられない出来事があったので書いておきたい。

ふらりと現れたその方は、最近小説どころか漫画を読むにもアニメを見るにも集中力が続かなかったこと、

それでも私の本(小説)は夢中になって最後まで読みきったことを懸命に伝えてくださった。

頭を殴られたような衝撃を受けた。

ついで、その場で崩れ落ちて泣き出してしまいたくなった。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。

こんなに、書き手冥利に尽きることがあるだろうか。

だって私も身に覚えがあるのだ。

漫画アニメ小説を読んだり見たりするのに集中力が持たないというのがどういう状態なのか。

からこそ、そんな状態の方に届くものが書けたことが本当に嬉しかった。

書いていてよかったと、心から思った。

呆然としていてまともにお礼を言えたかどうかも怪しいけれど、

その方の名前は分からないし、もう顔も思い出すことも出来ない。

頂いた言葉だけしか私の元には残っていないのだ。

こんなにも嬉しかったと、励みになったとお伝えしたかった。

その気持ちだけをずっと燻らせている。

しかしたらその後のイベントでもスペースに来てくださっていたかもしれないけれど、

いかんせん人の顔を覚えるのが苦手なので分からない。

あの時お名前だけでも伺っておくべきだった。悔しくてたまらない。

2016年8月、COMITIA117にてフーシェゼリーの詰め合わせを差し入れしてくださった方。

あのとき本当にありがとうございました

頂いたお言葉、一生忘れません。

BL研究者BL作家を後ろからつのやめて

さっき途中であげちゃって消したので書き直した。だから文章違ってると思うけど言いたいことは同じ。

BL界の片隅で生息してる。好きな作家がいて、あんなふうに書きたいと思った。

最近ちょっと放置しといたら自分らの存在抹殺されそうな気配がするので書いておく。

BL研究の偉い人が「周りに配慮することは作品の質に役立つ」みたいなとんでもない発言があってこれは黙ってたらまずいと思った。

そもそもクリエーター作品を描きたい、作りたいという強い動機がどんなものか全くわかってない。

BL作家だって ある一定の人たちが毛嫌いする男のオタク絵師と何にも変わらない。

自分の見たいエロ自分の好きなように書きたい。

自分の好きな体を好きなように想像で作り上げたい。

自分の好きな話を作って好きなように登場人物を動かしたい。

どこまでいっても自分欲望なんだよ。自分が描きたいと思うもの自分が納得いくレベルで描きたい。だからみんな日夜ゴリゴリ書いては消すを繰り返す。

あくまでも自分欲求を満たすことが一番の動機から

自分が納得できる作品ができたら何よりもうれしい。

そこに他人視線他人がどう思うかを気にする余地はない。

書くという作業あくまでも利己的な欲求しか言えない。

自分欲求に忠実でありたい。だから自分が納得できるまで、もっと綺麗に見えるように、もっとかっこよく見えるように、もっとエロく見えるように必死で腕を磨く。

もちろん、エロいことだけを書きたいわけじゃない。切ない瞬間を描きたい、一番美しいストーリーを書きたいという欲求はもちろんある。だけどエロものを書きたいという欲求と同じで優劣はない。何を書きたいかという欲求は等しく書き手モチベーションから

たとえ自分が丹精込めて書いたもの評価されなくても自分が生み出したもの自分の子供みたいにどれも愛しい。

それが私が描く動機だし、程度の差こそあれ、作家なら似たような気持ちのはずだと思う。

から

これは社会配慮してる作品からいい とか

これは合意のないセックスを書いてるからだめ とか

これは触法行為が含まれてるからだめ  とか

これは子供に読ませたくないから隠せ  みたいな論調に嫌気がさす。

子供が隠れてこそこそ読みたくなるようなものを書きたいんだよ!

女の子たちがこっそりクローゼットの中に隠してとっておきたくなるようなエロものを書きたいんだよ!

そこに書き手男性からとか女性からとかの違いはない。

書き手は周囲に配慮するような気持ちで書いてない。

ただそれをどう評価されるかは評価する人に任せるしかないのは当然なことで。

そこそこ活躍するようになった作家でさえ、突然ぽっと現れた編集者一言連載中止になったり、ストーリーをかえろと言われたりする。

そういう理不尽な目にあって涙をのむ作家や、そもそも人に見てもらえるスタートにすら立てない作家はわんさかいる。

だけど、どんな目に遭っても自分の好きなものを好きなように書きたいという欲求がそれを支えてる。

だれかのために、社会のために書いてるんじゃない。自分自身のために書いてる。

そして一人ひとりの表現することの欲求を守ってくれてるのが表現自由だと思ってる。

価値観は一つじゃないし、綺麗なもの、醜いもの性的かどうかの感性も一つじゃない。

それをなんかどこかに社会のみんなが合意できる基準があるかのような考えは個人自由すら否定してる気がする。

うまく説明できてないと思うけど、こういう最近の動きを見てて、自分の好きなものを書く自由すら否定される世の中になりつつある気がしたので言いたかった。

2018-10-03

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.回答者どのみたいな怪文書を書くにはどうすればいいですか。

私は自分の書いたもの怪文書だと思ったことは一度もないが、君がそう思うことは尊重しよう。

それを踏まえた上で答えるなら、生憎だが「時間無駄」だ。

興味本位マネをするためにかける労力と、それで得られる快感は割に合わないからだ。

ここ匿名ダイアリーには様々な常連書き手がいるが、彼らの真似をすることは難しくはないだろう。

当然、私のFAQだって例外ではなく、やろうと思えば誰でも出来る。

そして、それを継続して、相応の精度で出来る根性があるかとなったとき「何でそんなことしないといけないんだ」という答えに誰もがたどり着くだろう。

今回、学ぶべき教訓は「誰でも出来ることは、誰もがやりたいことではない」といったところだ。

出来たところで何の還元もないなら尚更な。

魚が食べられない者でも、何回かは食べるときだってあるし、食べたいかもと思うこともあるだろう。

だが、そのために綺麗な魚の食べ方を学んだところで大した意味がない。

魚を食べずに生きていけるよう努められるなら、そっちのほうが遥かに良いだろう。


Q.一応、参考までにお聞かせください。

短期的な興味本位は身を滅ぼすことになるというのに、それでも知りたいのか。

まあ、勿体つけるようなノウハウは何一つないので答えよう。

私が意識しているポイントは「個々の点に関しては一定の理があるが、繋がりは抽象であること」かな。

例えば私がクリエーターだとしよう。

そして薄給だ。

そのことに不満を抱いている私は、ある日「私たちクリエーターに金が降りてこない」という告発記事を書くことにする。

その証拠として、スタッフスタジオスポンサー企業などの問題点を散りばめていくんだ。

だが、そうして出来上がったものは、ほぼ怪文書になるだろう。

なぜなら、それを書いた私は“金の流れは分からないが、流れが止まっているのだけは分かっている状態”だからだ。

にも関わらず、自分問題だと思っているものを挙げまくって、無理やり繋げ合わせる。

そこに私個人感情も上乗せして文章を書く。

当然、傍から見れば「なんか問題提訴したいのは分かるけど、とっ散らかってて漠然としすぎている」という印象を抱かれるわけだ。

だが、そういう抽象的かつ不当な内容の文章でも一定の効力はある。

何割かの人間共鳴し、大きな音を奏でてくれるだろう。

いずれ「でも問題提訴にはなったでしょう」という常套句共鳴から出てくるようになる。

そうすれば、いよいよ私も怪文書メンバーの会員だ。

2018-09-30

anond:20180301004617

自分感想を送るのが好きで、凄く好きな書き手さんが小説あげるたびに感想送ってた。

最初は喜んでくれたけど段々対応が塩になって、共通の知り合いに「たまには違う人から感想貰いたい」と愚痴ってるのを知ってしまってから心が折れた。

自分感想にはなんの価値もなかったんだろうな。

二次創作感想を送るのをやめようと思う。

もう同人誌感想を書くのをやめようと思う。

私は二次創作感想を送るのがとても好きです。

最近ツイッターにあるマシュマロなんかで気軽に感想が送れる。

それが楽しくて毎日送ったりもしていた。

けれども書いても書いても送っても送っても「感想が欲しい」「感想が来ない」「匿名は寂しい」。

書き手、描き手は大変なことだと思う。読んで欲しい、見て欲しい、感想が欲しい。それは当たり前の欲求だと思う。けれども私はなんだか疲れてしまった。

感想を送るのが好きなのに、疲れてしまった。

先日、イベントに行ってたくさん本を買ってきて漸く読み終わった。

どれもこれも描き手の熱量が伝わるような素敵なお話だった。

あそこも良いし、此処も良い。この表情は素敵だし、こんなセリフが思いつくなんて。

文章は気に入った部分を何度も何度も読んだ。私では逆立ちしたって出てこないような表現ばかりだ。

でもこの読んだ感情を、高揚を、勢いのまま絵を漫画小説写真をグッズを生み出した人に伝えようという気がまったく起きなくなってしまった。

それを少し、自分で悲しく思ってしまった。でも此処で無理に書いてもきっとまた同じことの繰り返しだと思ったのでやめておく。

本当に、自分は何かを伝えることに疲れてしまってるんだと改めて思った。

それでも。感想を今まで何百と伝えてきて良い思い出もたくさんあったので忘れないように此処に書いておこうかなって思う。その思い出話。

自己満足をだらだら書くので暇なら読んで。

まだ随分と昔、私がまだ交通費も捻出できず地元イベントしか参加出来なかった頃、支部の凄く好きな字書きさんがわざわざこちらにいらしてくれるとあった。

本当に好き過ぎて、いつか感想はお手紙で伝えたいとメッセージも送ってなかった人だった。

私は慌てて便箋を買いにいった。どの便箋もその人の作風には合わない気がして、文具屋で随分と悩んだ。

どれがあの人の作品に合うだろう、どれがこどもっぽく思われないだろう。

散々悩んで私が選んだのはなんの変哲もないクラフト便箋。そして蝋引きの封筒にした。

家に帰ってもの凄く時間を掛けて手紙を書いた。お話文章が、凄く凄く好きだと手紙を書いた。何度も作品を読み返して、そのたびに泣きそうになって、そのことも書いた。

まりにも汚い自分の字に嫌気がさしながらも、それでも手紙を書ききり、封をした。相手のお名前を書いた時、やっぱり字が汚いなと思ってしまった。

そして、当日、緊張してお手紙を渡した。

「字が汚くてすみません文章もきっとおかしいですっ」

そう言うとその人は私の書いた名前をなぞりながら

全然汚くないですよ」

と言ってくれた。それだけで嬉しくて嬉しくて、そのまま本を買って帰ろうとしたら多分サークルの方に渡す用のお菓子まで頂いてしまった。

そして私は逃げるようにそこをあとにした。

その時に買った本も凄く良くて、感想をすぐにでも伝えたいと思ったけど、この人は手紙を書きたいと思った。

そこから暫くタイミングが合わずにその人のサークルに行くことが出来なかった。本は通販

イベントで暫く、となると軽く数年経ったりする。その人はジャンルも変わってしまった。

そんなある日。

また地方イベントに行こうかな、とその人がツイートした。

「以前そこへ行った時はご飯も美味しくて感想手紙も貰って良いイメージしかない」

と。これが自分のことだとは思わなかったが、私の地元に良いイメージを持ってくれて、また来てくれるといってくれて私は嬉しかった。

改めて前に買った本の感想手紙に書いた。以前、手紙を渡した時もとても良くして貰ったと書いた。

そしてイベント当日、別ジャンルへと行って書き手の方に手紙を渡した。

ジャンルの時に出された本の感想申し訳ないんですけど。と云って渡すと私の書いた手紙を見て「あっ!」と云った。

「以前、蝋引きの茶封筒でお手紙を頂いた方ですよね!!」

そう訊かれて頷いた。その人は私の手を取って。

気持ち悪くて申し訳ないです。私、貴方から貰った手紙、嬉しくて嬉しくて何回も読み返してもう筆跡を覚えてしまってて」

そう云われた。

私は感想を書くことが好きだけれどもそれは一方的コミュニケーションだと思っていて、自分が書きたいことを書いて渡してしまったら基本其処で完結してしまっていた。相手がそれを読んだことを気にしたこともなかった。

から凄く驚いて恐縮してしまった。

そして、違うジャンルでも感想を書いて良かったと思った。

基本的に私はウェブ媒体以外では小説漫画二次創作を手にすることが多い。なので、必然的感想もその辺りになる。

けれどもある日、表紙の子と目があってしまった。本当に偶然通り掛かったサークルイラスト本。一度通り過ぎて、気になって手にしてしまった。薄い本一期一会だ。

結論、大当たりだった。

私はすぐに感想を書いた。表紙の子と目があってしまたことや、中のイラスト湿度温度を感じるような情報量。そして、描き手の熱量。とにかく圧倒されたと書いた。

イラスト集で感想なんて書いたことがなかったけど、気付いたら便箋4枚にみっちりと書いていた。

そして次のイベントにもそのサークルさんが参加されるとあったので、お手紙を渡してまた新しい本を購入させて貰った。

まぁ、勿論素敵だったので感想を書きますよねー!! 感想書くの楽しい!!! みたいな感じで書いて、また次のイベントへ。

すると、また手紙を渡した瞬間にサークル主さんから「あ、あの、此間もお手紙下さいましたよね!」と云われる。

「あ、はい迷惑でしたか???」と、焦って新刊を買って逃げようとしたらいきなりその人が泣き出したので、泣くほど酷いことを書いてしまっただろうかと私は焦った。

謝ろうかと思ったが、何を謝って良いかからなかった。思い当たる節が多過ぎる。もしかしたら手紙感想が嫌な方だったのかもしれない。そう云う方も少なくない。どうしようどうしようと思っていると。

「貰ったお手紙が凄く嬉しくて。私、漫画上手くないからいっつもイラストばっかりで、あんな風な感想貰ったことなくって」

そうサークル主さんはいった。

いやいや、でもあんなに素敵な絵ならSNS場でいっぱいコメント貰ってるんじゃなかろうか???そう思った。

「あの、ほんと大したこと書いてなくてすみません

そういうと。お手紙がどれだけ嬉しかたか時間を掛けて書いてくれて本当に有り難かった。また絵を描いて本を出したいと思った。そんなことを言われた。そして。

手紙を貰ったのが嬉しくて。手紙が大好きになって、自分手紙を書くようになりました」

どんなことでも、些細なことでも一筆書くようになったと。それを聞いて手紙を書くのが好きな私も嬉しくなった。

SNSメッセージでも良く感想を送る。手紙が一番好きだけど、メッセージはやっぱり手軽で便利。

ぽちぽち打っては推敲して送って。また、ぽちぽちする。

上でも書いた通り基本的相手からリアクションは求めてないので、送ったら一度自分の中では完結してしまう。

けれども丁寧な人はお返事をくれたりする。

そして、その中には初めて感想を貰いましたという人も少なくなかった。

また、筆を折ろうとしていた。けれども私の感想でまた描こうと思った。そんな人も結構いた。

たかが私の感想で描き手の方を大きく動かせるなんて思ってもいないし社交辞令だって分かってる。それでもこうしてわざわざメッセージが届いていることを伝えてくれている気持ちが嬉しかった。

私は何も書けないし、生み出せないし、作れない。

それが出来る人たちが凄いと思う。

その作品から受けた感動を伝えるすべが、感想しかなかった。

感想を書くのが楽しかった。好きだった。

ここに書いたこと以外にも感想を伝えていて楽しい思い出はたくさんあった。

勿論、差し入れを放り投げられたことも手紙を捨てられたことも、感想迷惑と言われたことも、感想を送った相手ブロックされたこともある。

けれどもそれは私が相手不快にする何かがあっただけかもしれない。何か粗相をしたのかもしれない。良くない言葉選びをしてしまったのかもしれない。気持ち悪かったのかも知れない。

何百と感想を書いてたらそういうこともある。

次は気を付けよう。反省をすることはあっても、感想を送るのを辞めようと思ったことはなかった。

便箋を選ぶのが好きだった。ペンインクを補充するのが好きだった。パソコンを前に本を読み返しながら言葉を選ぶのが好きだった。どう伝えるか、どうしたら伝わるか。そんなことを考えながら感想を送った。

素晴らしい作品を読んで興奮する気持ちは未だにあるのに。もう相手に伝えたいと思う気持ちがなくなってしまった。

ただ、それを楽だと感じてる自分もいて、それがなんだか凄く寂しい。

少しだけ感想を書いていた時の思い出をここに書けて良かった。

2018-09-29

新潮45を実際に読んだ人ってどれだけいるの?

ここまでヘイト扱いされてる小川杉田両氏の件について疑問を述べるとすぐ右認定されるけどみんなあれちゃんと読んだ上で批判してるの?

あの記事は「言葉遣いがひどい」以上のものではなかったぞ。

言葉遣いがかなり稚拙だったってだけで差別肯定もしていないしLGBT排除しろなんて書いてないぞ。小川氏が誤読っつってたけど主張を誤読されたのに憤ってるのはけっこう同情するものがある。あれは「差別的」であって「差別」ではないか差別主義者認定されたらそりゃ人間なら怒るのが当然だよ。

痴漢が云々はあれは書き手代替表現における「ミス」であって論旨は政治的社会的私的領域を分けて議論しようといった内容だったぞ。あれはLGBTのことを語っているようで実際的には語っていない文章だった。ようするに議論が深まったろう系の文章だったわけだ。

まぁ杉田氏のあれは制度設計を考える政治家としては最低で公共理念に反する内容だったわけだがあれも彼女なりの間違った「リアリズム」なんだろう。けっこう典型的な低次の現実感というか区別的というかまあなんにしろ褒められたものではないが。

そんなことよりこれらの記事の反応がもう絶対おまえらあれ読んでないだろって内容ばかりでなんつうかそういう文章を読まないでイデオロギー的に反射で批判する空気のほうが大問題のように見えてしまったよ。新潮45はい試金石だった。文章を読まない人が批判するその直列乾電池みたいな逡巡のない反応はやばいと思うよ。こういう立場の人にはこうこうこういう反応をするみたいなプログラム的に何かをいうそ世界のほうこそを警戒するよ。

だってあれ1万部も出てないんでしょ。ニュースになってから買おうとしても買えなかったし。メインの購読者は老齢の保守層ネット民であれをニュースから知っていたとなるとかなり少ないはず。自分ネットの反応が気持ち悪いと思って図書館で読んでみたけどそこまでしてる人もなかなかいないでしょ。

まず読んでから批判しようぜ。まぁ言葉遣いがひどいけどあの方々は文章を読むかぎり「差別主義者」ではないぞ。すくなくとも。

2018-09-25

嫌いな小説書きの話

クソみたいな自己愛のはきだめ。

とある作家ネット上でもう半年くらい追い続けている。

べつに、その作家のことが好きだから追っているわけではない。

私は同人文字書きの端くれで、わたしが追っている彼女小説を書く二次創作同人作家

私たちは同じジャンルにいるが表向きはなんの面識もなく、オンオフともに彼女は私のことを知らない。

私が一方的彼女を追いかけている。

と言うとまるでファンであるかのようだが、ファンと私では彼女に向けている思いがまるっきり違う。

私は、彼女が嫌いだ。

嫌いだから彼女のやることなすことを監視せずにいられない、アンチに似た心理彼女のことを追っている。

なぜ嫌いなのか。

理由普遍的かつ単純で、わたし彼女嫉妬しているか彼女のことが嫌いなのだ

いや精確には、彼女作品と、それを生みだす彼女の才能に嫉妬している。たぶん羨望に近い。

彼女作品は、私の作品にはない魅力で溢れている。

読み手にすらすら文章を追わせる勢いや説得力があり、個性情熱もある。

彼女の書く話にはまず真ん中に〝感情〟という揺るぎない芯がとおっていて、その感情を軸に人間というものがみずみずしくそこに描写されている。

自分なかにある感情が気付けば彼女文章呼応し、自然作品世界に入りこめる。

そういう、強く惹かれる引力みたいなものがあった。

それで、彼女にずば抜けた文章力や構成力があればすべてよかったのだ。

そうであれば私も素直に彼女作品を称賛し、彼女に心酔するファンの列に加わることが出来ていた。

彼女作品にいっさいの隙がなければ、他人作品に過剰な自意識を持ち込み嫉妬心をいだくような事にはならなかった。

けれど、彼女の綴る文章にはどうしても、『隙』があった。

これなら私のほうが、と思わせる、あら探しをさせるだけの隙が見えてしまった。

たとえば、有り体に素人くさいと感じさせる文体単語のえらび方、エピソードが矢継ぎ早に通過していく展開の強引さ、

状況説明台詞に頼りすぎるところや、メインとするモチーフのわざとらしさなんかが、読んでいて私には引っかかった。

それでも、それなのに、とにかく彼女作品は「読みやすい」の一言に尽きた。

自分文章を読み返すときに感じる堅苦しさやとっつきにくさが彼女作品にはなく、

自分文章に感じる、くどいと思う描写や言いまわしを、彼女はたった数行のかんたんな表現で読者に納得させてしまう。

私がありきたりにならないようにと頭をひねって考えたストーリーよりも、彼女のありきたりなストーリーの中で光る表現や細工のほうが私には鮮やかに感じた。

「私のほうが」と思える隙があるのに、その隙間を覗けば覗くほど、私のほうが優っている要素が見えなくなった。

彼女作品を読むたび、私は彼女よりもはるかに書けていると思える瞬間と、私は大差をつけられ彼女よりずっと下にいるのだと思う瞬間が交互にやってきて、自信と劣等感でぐちゃぐちゃになった。

そんなふうに散らかった情緒自分の力できれいに整理することは難しく、彼女のことを「嫌いだ」と疎もうとする強い感情が、私にはもっとも手近で易しい感情に思えた。

から、嫌いだ。彼女のことが。

私は彼女投稿するすべての作品ブックマークしているが、ブックマークの設定はすべて非公開にしている。

彼女作品を「好きだ」と評価すること、そしてそう評価した私の存在彼女に知られてしまうのが嫌だった。

それは彼女の才能の前にひれ伏し、負けを認めることと同等の敗北感があってただ、悔しかたから。

彼女ツイッターにしてもそうだ。わたし彼女ツイッターを非公開リストにいれて観覧している。

わたし彼女フォローして、彼女から私にフォローが返らない可能性を考えると耐えられない。先にフォローをしたほうがきっと負けになる。だから死んでもフォローはしたくなかった。

彼女ツイッター投稿する作品いいねRTで触れることもしない。いいと思ったものは黙ってローカルに保存した。

負けたくなかった。

彼女作品が好きだけど、彼女作品を好きだと感じる瞬間は嫌いだ。

キャラクターのえがき方や心情の拾い方が絶妙だと思うけど、同時に、文章力がその熱量に追いついていなくて拙いとも思った。

しかしその拙さは、言い換えれば小説をあまり読まない人から見ても読みやす文章ということでもあり、そのまま共感感情移入のしやすさでもあった。

まり彼女は、ちゃん小説が上手いのだ。技術などは関係ない。彼女小説が上手い。

書きたいドラマテーマを人に伝える才能がある。私よりも。

多分、彼女の書いた小説を読んだ瞬間に本当は、私は圧倒されていた。圧倒しきるほど完全ではないのに、それでも力押しで圧倒してきた。そんな経験は初めてで、それがとにかく悔しかった。

彼女のような作品を私の技術で書けるようになりたい。でも模倣はしたくない。彼女に影響などされたくない。彼女の書く作品とかけ離れたものを書いて、上回りたい。そう思う時点ですでに影響されている。嫌だ。負けたくない。

『負けたくない』

彼女への執着の根幹にあるこの「負けたくない」という対抗心こそが、とにかく厄介でわたしを惨めにさせる。

だって彼女のほうは、端から私と勝負なんかしていない。

私の感じている、勝ち、負け、という卑しい価値観彼女の中にはなく、そもそも彼女は私の作品など読んですらいない。

わたし彼女に負けたくないが、

彼女わたしのことを知らない。

最初から勝負になっていないのに、強すぎるプライドと折り合いをつけられずに独り相撲をしているだけの間抜けが、つまりなのだ

少し話を変える。

わたし彼女が設置している匿名感想ツールに、よくコメントを入れる。

お題箱や質問箱やマシュマロなんかの匿名ツールというのは、一人のファンの連投によって、無数の信者存在作家幻視させることが可能ツールだと私は思っている。

そして私も書き手の端くれだからアマチュア作家が言われて嬉しいこと、作家が読者から訊かれたいこと、そういうのはだいたい分かる。理想的匿名コメントというものを作り出せる自負もあった。

からわたしは、匿名メッセージから彼女純粋信者を装い何通ものコメントを送った。

あるとき彼女作品のおかげでこのジャンルCPにハマった新規ファン

あるときは昔から彼女作品を追い続けてきた古参ファンにもなった。

それから創作ルーツについての質問や、彼女作品にだけ感じる唯一無二の個性、工夫された演出や、タイトルと内容のリンク、読者に気づいてほしいであろう描写や箇所を、

すべて小出しで拾って「ちゃんと届きましたよ」と都度、読者からのアンサーを返してやった。

おおよそ作家が喜びそうな意見を私はいくつも彼女に送った。

それらすべてが私一人からの打算のコメントであることを知らずに、たくさんのファンに向けて何度も「ありがとうございます!」「そんなふうに言ってもらえて嬉しいです…」と答える彼女を見て、せめてもの優越に浸りたかった。

私は一度だけ、その匿名ツールからさりげなく小説を書くのは好きか」と彼女に訊いたことがある。

彼女は迷いなく、書くのが好きだと答えた。

うまく書けなくても、理想に届かなくて悔しくても、書くのが楽しいから書いてしまうし、きっとこれからも書き続ける。そう言った。

この模範回答にも私は打ちのめされ、嫉妬で頭が燃えそうになった。

彼女小説を愛し、小説からも愛されていることを知り、心の底から彼女を憎たらしく思った。

私はちがう。手段として書きたいと思うことはあっても、書くことが好きだと感じたことはない。むしろ書くことはつらいことだ。

書くという行為こちらに寄り添ってくることはなく、「自分は息をするようにこれから小説を書き続けるだろう」と根拠なく信じることなんかとても出来ない。

なのに彼女は書くことが好きだと言い、創作を信じ、私にはとうてい書けない小説を楽しみながら書いてみせる。まるで物語主人公だ。

大きく差が開いていく感覚を味わいながら私はまた彼女作品を読みにいって、私より劣っている要素をあげて安心しようとするけれど、

そのたび私よりも優っているところばかりに目がいって結局、コントロールできない感情けが重くなってどうしようもなくなる。

私がこれほど彼女作品を読み返しては否定と肯定に挟まれて息苦しくなっているというのに、とうの彼女は私の存在も、作品も知らない。

彼女ツイッターなどで、良いと思った作品は気軽に共有し、前向きにその感想を述べる(こういうところも、卑屈な私とはちがう)。

私の作品は一度も彼女に拾われたことがない。

私は彼女ブクマ作品も定期的にチェックするが、いつ見ても彼女ブクマ一覧に私の作品があがることはない。

彼女わたし作品を読まない。

しかすると、同じジャンルいるか名前くらいは目にしたことがあるのかもしれないけど……でも多分、彼女にとって私の名前などは、意識に留まることもないつまらない文字列にすぎないんだろう。

それでも、「私を知って!」とこちから声をあげることはできない。

だって彼女はいちども、私に「わたしを見て!」と言ったことはないから。

やっぱり心では、わたし彼女に認められたいのだ。

私を圧倒していった彼女という存在に近づきたくて、対等になりたくて、私を見つけてほしい、知ってほしい、認めてほしいという気持ち根底にある。

そして思いどおりになってくれない彼女のことを、恨めしく感じている。

……なんて言い方をしてしまうと誤解を生みそうだが、この心理は『だから本当はあなたが好きなの』と言えるような可愛いもんじゃない。

好きと嫌いは裏表だとか、そんな収まりのいいものでも決してない。

きじゃない。言い切れる。嫌いだ。大嫌い。

彼女が「スランプで書けない」と思い悩む発言をすれば私は「やった」と思うし、

逆に、今は筆がのっている、書きたかったものが書けていると満足する様子を見せられると、焦燥を感じる。

途中まで書いていた話がどうしても気に入らなくてボツにしたと嘆く彼女を見て、一歩前に出たような気になって嬉しくなった。

彼女作品ブックマーク数が増えていくのを確認するたびつまらない気持ちになって、

私以外のだれかが彼女に送った匿名メッセージの絶賛コメントを見ると、そのすべてを否定したくなって腹が立った。

創作に関するマイナス感情ネガティブ思考で落ち込んでいる彼女を知れば、いつまでもそうしていればいいと胸のすく思いがする。

これが嫌い以外の何だというのだ。嫌いでなければこんな悪意は生まれない。

いっそ、彼女作品がなくなればいいのにと思う。でも作品を消されるのは嫌だ。

彼女にどこかにいなくなってほしいとも思うが、私の追えなくなるところに消えることはしないでほしい。

もう無茶苦茶だ。

そんなに嫌なら見なければいいのに…と呆れる(あるいは唾棄する)意見一般的で、健康なのは分かっている。

だけど、こういう執着をそれでも続けてしまう人はむしろ、現状から楽になりたいからこそ、原因となるものを断ち切れないんじゃないかと私は思う。

わたし彼女の才能を認められずに、必死になって彼女を妬んでいる。それはひどく不様で惨めなことだ。自分が惨めであることを自覚しながら生きるのはつらい。

からその〝原因〟を自分の中で貶めることで、少しでも惨めさをやわらげて救われたい。貶める要素を見つけるために彼女言動を追いかける。

楽になりたくて、楽じゃない感情にせっせと薪をくべている。

ほんと馬鹿みたいだな。

分かっていてやめられないんだから救いもない。

きっと私が彼女に正面から偽りなく本心を伝えるか、彼女から好きだと告げられることが、私の思いえがく理想のゴールなんだろう。

いや、本音後者のほうか。

彼女から好きだと熱烈な告白を受け、抱擁でもされようものなら、その瞬間に私の中にわだかまっているぐちゃぐちゃが全てすがすがしいものに変わる気がする。

そのとき私を満たす思いは、『勝った』という勝利の喜びだろうか。分からない。想像がつかない。

何にせよ、そんな日はどうせ来やしない。昨日も今日明日も、彼女は私を嫌うことすらしない。

すべてがむなしいまま、なにも変わらず続いていくだけだ。

彼女は今年、とある同人イベントに出る。

めったにオフ活動をしない彼女の、それが当面の、最後になるかもしれないイベント参加なのだそうだ。

そのイベントに足を運んで、彼女の姿を一目、この目で確認してみようか。

私はずっと、それを迷っている。

2018-09-23

深夜だからといってブクマつかなすぎだろ

ブクマカは何やってんだよもう早朝だぞ

深夜に増田やってるやつなんて自己主張したいだけの書き手ばっかでブクマカ不足なんだよ

はよおきろおら

きょうが にちよう とかしるかよ

2018-09-08

anond:20180908094604

最初「左」だったものが書き換えの際に「右」ではなく「極右」に変わってる。“書き換えの時に何をどう変えるかを見ると、書き手バイアスがよくわかる。 ” という例の件で指摘されたブコメの通り。 http://b.hatena.ne.jp/entry/370600628/comment/font-da

バカはすぐ尻尾出すから面白いなあ。

2018-09-07

anond:20180907073353

font-da 元増田女性就労している話だったのに、こちらは主婦に変えられ「就職できる会社はあるのか?」と男性側に煽られることになっている。書き換えの時に何をどう変えるかを見ると、書き手バイアスがよくわかる。

ななめ読みなので気付かなかった。

女性就労している設定のままだと別に相手は不幸じゃない、ってバイアスがあるんだろうな。

元増田の方と同じ条件なだけなのに、男はそれでも不幸で、女なら不幸じゃない、ってバイアス

と言うか、女側が無職かつ育児放棄もしてる、ってなら女側は親権欲しがらないだろうし、

実際無職育児放棄実績ありじゃいくら母親でも優先されるとは限らず、普通に男側に親権押し付けられる可能性も高いよね。

元増田も「夫が子供を欲しがっている」と言う前提があるからそうなってないだけで、あれで夫も子供イラネとなったら元増田が嫌でも押し付けられていた可能性はある。

2018-09-05

削ってない長文と削った結果の長文を混同しちゃいけない

長文で人気出てる増田ブロガーいるからって「長文許された」と思っちゃいけない。

単にだらだら書いた長い文と、面白い長い文はやはり違う。

人気ある長文ってのは、推敲を重ねて、面白くわかりやすくまとめようとしてるのが大前提

その上で、どうしてもまだ長いってのが許されてるだけだ。

そういう文はむしろ人を引き込み、あっという間に先を読ませてしまうので長いとは感じない。

しろ長ければ長いほど濃密で有意義文章だと思ってもらえるだろう。

読者が「長い」と感じてしまうならば、それはただ長いだけの駄文なのだ

書き手推敲せよ。

当然「そういう人も居る」「そうじゃない人も居る」ということを分かった上で主語を大きくしてるんだよ

こういうのは結局のところ誇張法一種なんじゃないかな。

雑な断言に魂が宿ることもある。あるいは煽動意図があるときなんかは当然そういう表現になる。

文字通り解釈することしかできない人には理解できないだろうけど、たとえば主語が大きい発言を見たら、「発話者書き手)はなぜ主語を大きくしたのだろう。その意図があるはずだ」と感じて、意図や含意を理解しようと推論を働かせるものなんだよ、普通は。

それなのにきみたちときたら会話の文脈やその場の状況やお互いの人間関係立場の違いなどをすべて無視して、文字通りの情報しか理解しようとしないわけよ。きみたちのような人間自分では頭いいと思ってるんだろうけど、主語でか批判者というのは基本的に周回遅れなのよ。

文字通りの情報しかからないというのは圧倒的にコミュニケーション弱者と言える。きみたちは分析的に文字通りに理解することは得意だが、情報を集めて含意や意図などを推論することが下手すぎる。

要するにきみたちのような人間論文を読むのはうまいが、詩や小説を読むのは下手なんだよ。

人と人との対話では、厳密な論文を読むようなときとは違った読み方が求められているんだよ。

赤ちゃんじゃないならそれくらい理解すべきだと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20180905140221

2018-09-03

「○○が無い、やりなおし」

紹介記事とかランキング記事についているはてブでよく見かけるこの言い回し嫌い

自分はこんなに詳しいんだゾ」的な感じで書き手を見下したいのか、自分の好きなものが入ってなくて拗ねてるのか、あるいは他の理由なのか知らんけど

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