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はてなキーワード: 甲斐とは

2018-12-14

学歴厨は俺だった

 周りの人間高学歴すぎて勝手コンプレックスを覚えていたのだが、高学歴をひけらかすようなクズは居なかったし、俺も対等に渡り合えているように思っていた。俺が大学に行かなかったのはめぐり合わせの問題であり、平均以上に稼いでいて知的な会話の楽しめる友人がいる以上、コンプレックスを持つ必要は全くないのだ。

 だが増田を見返していて驚いた。学歴に関するエントリが半数近くを占めている。大半は怨嗟だ。日常ではほとんど話題にもならないというのに、俺は一人でコンプレックスを抱えていたらしい。

 こうして他人事のように語れているのは、俺は今大学であるからだ。もちろん大した大学じゃない。文字通りに誰でも入れる通信制大学だ。対面での講義はなく、講評を得られるのはレポート試験についてのみ。だが、入ってみて良かったと思う。大学での学び、考え方とはこうしたものか、ということの何割かが知れただけでも学費を払った甲斐はあったと感じる。

 結局のところ、正体が分からいかコンプレックスを覚えていたのだと思う。恐怖や不安が湧き上がる構造と一緒だろう。

 大学生活的へのコンプレックスも持っていたのだが、学生たちの動向を観察する限り、どうやら俺は大人になってから大学生のように遊んでいる存在であるらしい。モラトリアムのような仕事をしているしな。

 正体を知ってしまったところで、今後も学業継続すべきだろうか。知らなかったことを知り、考えを巡らせ、文章にするのは楽しいしかし、俺本来の興味の方向と、ここで学べることとは少しだけズレているような気もする。まあ改めて別の大学に入り直してみたって良いだろう。4年くらい仕事を休んだところで貧乏学生よりも金はあるし、仕事に復帰することになっても困らないという自信はある。しかし、そこまでするほどにはコンプレックスは強くないんだよな。もう少し続けた上で、何かどうしても研究したいことができたら、例えば編入検討しても良いだろうし、在野のまま研究する方法も、今はきっと沢山あるだろう。

 あるいは俺は近い将来に、またどこから高学歴との違いを見出しコンプレックスを形作り始めるのかもしれない。それでも一時的にでも気持ちが開放されたこと、新しい可能性が拓けたことを、とても嬉しく思う。

2018-12-13

anond:20181213145627

から言われてる「英雄色を好む」とか「甲斐性のある男は浮気する」というよくあるパターンを「浮気するクズでも金があれば結婚できる」に変換できるのすごい

何がなんでも女が悪いということにしたがるんだな

母の事は大好きだけど、母のようになりたくなかった話。

母は専業主婦だった。

自営業の父と、父方の祖父母田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。

私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。

はいつもおやつ手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。

父はというと昭和思考典型的父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。

祖父母子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。

我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。

私が生まれて初めて焼肉店焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。

から母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。

母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母アジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。

学校友達レストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。

母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。

古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。

当然、祖父母はいい顔はしなかった。

そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所他所、家は家。というスタンスだ。

だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。

母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。

母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。

今思えば、母が自分趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。

高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。

仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。

私は母を初めてのボーナス食事に誘った。

会話は、私の仕事、近所の事、テレビの事。

話していて、ハッと気づいた。

母の世界は、こんなに狭かったのか。と。

話題が、テレビ家族と近所しかないのだ。

私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母理由に首を縦に振る事はなかった。

帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。

私は何も言えなかった。

母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。

母の生き方否定するつもりもない。その権利もない。

家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。

私は結構オタクなので、昔から買い集めたゲームマンガ小説がたくさんある。

母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。

あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。

もちろん、趣味ゲーム漫画アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。

家事は夫と半分ずつ。子供が熱を出せば交代で休む。

母とは真逆人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分趣味人生も楽しみたい。

両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。

たまには、母と二人で旅行へ行きたい。いつも断られてしまうのだが、来年こそは、旅行プレゼントしたい。

母の事は大好きだけど、母のようになりたくなかった話。

母は専業主婦だった。

自営業の父と、父方の祖父母田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。

私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。

はいつもおやつ手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。

父はというと昭和思考典型的父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。

祖父母子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。

我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。

私が生まれて初めて焼肉店焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。

から母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。

母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母アジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。

学校友達レストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。

母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。

古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。

当然、祖父母はいい顔はしなかった。

そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所他所、家は家。というスタンスだ。

だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。

母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。

母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。

今思えば、母が自分趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。

高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。

仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。

私は母を初めてのボーナス食事に誘った。

会話は、私の仕事、近所の事、テレビの事。

話していて、ハッと気づいた。

母の世界は、こんなに狭かったのか。と。

話題が、テレビ家族と近所しかないのだ。

私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母理由に首を縦に振る事はなかった。

帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。

私は何も言えなかった。

母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。

母の生き方否定するつもりもない。その権利もない。

家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。

私は結構オタクなので、昔から買い集めたゲームマンガ小説がたくさんある。

母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。

あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。

もちろん、趣味ゲーム漫画アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。

家事は夫と半分ずつ。子供が熱を出せば交代で休む。

母とは真逆人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分趣味人生も楽しみたい。

両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。

たまには、母と二人で旅行へ行きたい。いつも断られてしまうのだが、来年こそは、旅行プレゼントしたい。

2018-12-12

anond:20181212121323

シスターズ、申し訳ないがキャッツアイみたいに頼り甲斐がありそうだし、ちょっと面白いと思ってしまった。

東大君、よりは複数形からやりやすいと思う。

後輩がいると気楽だとか、自分兄弟構成と同じ状態だと指導やすいという人もいると思うけど、増田のように公私混同っぽいのを嫌う人も確かにいそうだな。

2018-12-10

甲斐もなく

年下の子を好きになって、今日はたくさん話せてかなり幸せ

途中二人きりになったけど緊張してなんもできんかった。中学生か!

家帰って洗面所で手を洗っていたら、自然笑顔になっていた。

こんなん久々。

あ〜つきあいてぇ。

一緒に夜更かしとか見て笑い合いたい!

2018-12-07

anond:20181205092941

元増田だけど、今見たらようやっと対応してくれたみたい

ブクマ数は減ってないけど、ほとんどが強制プライベートになってる感じ)

書いた甲斐があった

2018-12-06

anond:20181206142243

たとえばって、今私が女が男に経済力甲斐性を求めるのは男性差別だと批判されると書いたばかりじゃん。

文盲はどっか行け。

anond:20181206103207

いや、男性差別問題普通に炎上するよ。

今時女が男に経済力甲斐性を求めるような発言をしただけでも批判される。

2018-12-05

anond:20181203184949

女の人って、自立できてるっていう部分で自分がんばってる!って思うでしょ

もちろんがんばってて、こんな荒んだ世間のなかで、女ひとりで自立できてるってのは、誰であれ、それなりいいじゃん!なんだよ

だけど

オッサン場合は、自立できてないオッサンゴミ以下だと、世間自分も考えてるんで

金なくてキモいオッサンは、自立やっとできてますみたいなのは、がんばってるうちに入らないわけよ

男は働けて当たり前っていう世間のわけなんだから、自立できないオッサンなんて用なしよ

一般に、男に求められてるのは、自分だけじゃなく誰かを養えるくらいの仕事ができること

オッサン独身だとしても、例えば、年間何十万とどっかのNPOかなにかに寄附してるぐらいの甲斐性があって

オッサンの人としてのプライドが保てるってわけ

家事育児を男に押し付けて働きに出ればいい

しかしそう言わないのは、アッパードル以上の妻として専業主婦をやりたい本音とは違うからなんだろう。

男の「甲斐性」に寄生したいだけなのである

2018-12-01

50歳 300人程度規模企業での収入晒す

私事だが、この夏で50歳になった。

新卒時に「嫌だな〜、これから40年も働くのか」と思ったサラリーマン人生も残すところあと10年となった。

仕事のものは、予想に反して楽しく過ごさせてもらったが、収入はなんともだった。インターネットが普及してからは「平均」というものをググったりもしたけど、ピンと来なかった。

同じ思いの人も多かろうと思い、匿名をいいことに赤裸々にしていこうと思う。

生立

財閥総合商社勤務の父の元、比較的裕福に育つ。幼いころはアトピー喘息と親には心配をかけたであろう。4人兄弟の長兄。

喘息を治す為に習った水泳はその後、特技となり、大学生の時はイントラなどのバイトをした。公立小学校公立中学私立付属高校→F欄私大文系

社歴

全国展開している学習塾系の広告代理店営業新卒営業として入社。なぜか社長に気に入られ、直轄のプロジェクトなどを担当。2年目のボーナスの少なさに腹を建てるのと、担当したプロジェクト出会ったデザイナー側になるべく、転職。なぜなら営業よりもデザイナーのがかっこよく楽しそうだったから。ちなみに新卒時に入った会社は今は整理され、もう無い。

吸収した会社は今では一部上場

その後、ベンチャー就職し、マッキントッシュ出会う。個人的には人生が変わったと思っている。Photoshopillustrator、afterEffect、directorMAYA、3Dmaxなどのソフトなどを習得する。ここでの報酬はそう悪くなかったが、デザインする内容に飽きてしまい、転職。ちなみに今、この会社は一部上場

その後、転職した会社現在に至る。組合のあるのんびりとした雰囲気過去に大きな成功体験がありそこから抜け出せていない会社。外部から来た人間という事で割と新しい事業を任されがち。たまたまそこで結果を残し、特許を取得するなどをし一定地位を得る。会社リソースは有限で発言積極的にする人間や声の大きい人間がそれを使えるんだなあと理解

収入

現在役職技術系の部署部長。得に資格手当などはなし。現在の月収は456,590円。組合が今、闘ってくれているまもなく振り込まれるであろう賞与の額は956,907円。夏は908,100円だった。去年は103万くらいだったのになあ。あ、3月給与には調整金の名目で8万円程度加算される。いわゆる期末賞与的な。

なんとなく年齢*万円を目指してきたけども、うちの会社規定ではこの年令になると難しい。新卒で入った会社最初ボーナス(夏ではなくちゃん計算になる冬)が16万円程度だったのに腹を建てて辞めたもんだが、この年令ではそのような動機で辞めてしまうと再就職が難しいので、行動に移せない。

前述の通り、これが人と比べて多いのか少ないのかはわからない。誰もはっきりと教えてくれないし、平均では実態がよくつかめないし。俺は近所の同世代くらいの野郎いくら貰ってんのかを参考にしたいのよ。

子ども手当が今年度から120,000円になったのも痛い。

ちなみに妻はパートタイマーで今年は103万をちょっと超えたくらいの収入だそうです。

家族

パートタイマーで働いてくれている嫁が1人と子供が3人いて家計が火の車なのは確かです。ってか借金地獄子供は上から私立文系大学1年生で自宅からの通学。真ん中が公立中高一貫校、下が公立中学大学は別として下2人は公立なので、世間的にはかかっていない方かと思いますが、塾!これが痛い。

また、大学生の子には奨学金を借りてもらっています。不甲斐ない父親申し訳ない。俺自身は借りなくても住んだし、一人暮らしもさせてもらったってのにごめんな。

支出

塾は月額それぞれ、25,000円くらいかかってる。子供小学生のころはスイミングなども習っていましたが、+6,000円くらいかかってしまうので、断念せざるを得ませんでした。

2人とも部活運動はやっています

ちなみに私自身も20代の頃から続けていたジム通いを断念。今は自宅での筋トレと近所を走ることにしていますジムのいいところはジャグジーとかプールとかだったのですが、モチベーションや侘しさは別として年齢なりの運動強度は得られているかと考えていますジム、行きたいけどね。時々電車の中から見えるジム光景が眩しくて泣ける。

あと、筋肉体操はかなり効く。

家は持ち家です。ローンはまだ19,259,788円残っており、月々96,404円返しています。これは金利0.857%で借り入れています

車は1台所有。来年車検頭痛の種。あと来年大学学費どうしよ。

電気代は1万4,000円/月程度、水道が1万円/月、通信費は2万円/月程度発生していますNHKは払っていない。

保険は車が65,000円/年、生保やら傷害保険やらで30万/年って感じ。

2018-11-30

仕事がたのし

ここ1ヶ月ぐらい仕事が楽しくて毎日充実した気分で過ごしてる。

その前の3ヶ月程はあんまりやり甲斐も感じられなくて、タスクもあまり無いし、おまけにチームに嫌な人が居るので会社休みがちだった。

今は任せてもらってるタスクもあるしやり甲斐もある。

嫌な人は相変わらず居るけど、仕事に没頭してるとどうでもよく思えるようになってきた。

ああ、いまの自分ファインプレーだったかも、と後から思える瞬間があって良い。

もう3年目も後半なので勝手を知ってるってのもあるんだけど、役に立てたかな、首尾よくやれたかなって場面も増えてきた。

モグラ叩きみたいに次から次と出てくるタスクを潰してく感じが好き。

どうしたら業務時間内に終わらせられるか工夫するのも好き。

頼ってもらえると嬉しい。

仕事人生のすべてだとは思わないけど、こうして居場所を持てて幸せだなーと思う。もふもふもふ。

2018-11-29

anond:20181129173432

連投の甲斐あってこないだバズってたじゃん。

まだやめねーの?

賢くなくない?

2018-11-28

anond:20181128231115

奥さん良く見てる。

私見だが新型鬱で合ってると思う。

(おなじ症状を「女性発達障害男児とちがってティーンから顕在化しているのだ」ととらえる向きもあるが、

とにかく真面目すぎるほど真面目な子に多いんだととらえてほしい)

症状としてはとても疲れる。

ほっとくと1日12時間以上寝る。マジでサボりでもなんでもなく。

毎日毎日、グーグーグーグーと飽きることなく寝ている。

当然宿題や通学が人並みにはできない。

骨折して入院してるのと同じくらい日常のことが何もできない。

起きてられないんだもん。

まあ鬱もひどくなると入院必要なんすけどね。

 

ただ、鬱にしろ発達障害しろ、はっきり区別をつける必要はない。

なにしろ医学でまともに対処ができないんだから

というのも、中学1年生の子供が飲める完全に安全抗うつ薬がまだない。

大人の薬を半分量にして使うとかしか合法範囲では存在しない。

当然、薬はまともに効かないと思ったほうがよい。

入眠困難も出ることが多いけど、睡眠薬も同じように使い方が難しい)

ので、とりあえず、ケチらないで甘やかしてやってやりすごさせて、ニートにしてやってもいいから。

進路の文系理系とかも、最初から親が決めつけずに、

友達をつくれそうなところならどこでもいいぞ、

おまえなら余裕をもって入れる学校がかならずあるぞ、

少子化なんだから。」といってやってほしい。

大人になったらちゃんとした抗うつ薬が飲めるからって本人にも親同士でもいいきかせて。

高校年齢制限あるけど通信高校も今はたくさんあるしそれでもいい。

大学なんて20代のうちにいけたらそれでいいやくらいで。

ただ、親が「うちの子ニートでいいや」と甘えてしまって孤立させると

その後がとても難しくなるので、

「とにかく起きていられるようにする、外出もさせる」

「起きている間に友達を作らせる(しかし体力の問題友達と全く同じ行動はできないと納得させる)」ことが最優先。

で、医者に行くために頻繁に体力つかってしまうとまた体力を使い果たして学校へいけなくなるので、

行ける時に行けて1箇所でなんでもしっかり教えてくれる便利系な医療機関に絞るべきなんだが、

それが「子供療育センター」かどうかはちょっと疑問だぞ。

まず、場所が遠ければそれで土日2日分の体力がゼロになってほかに行きたいところに一歩も出られなくなったりするし。

よく考えたほうが良いぞ。

とりあえず、もののわかった若い目の女医精神科医がいればそういうとこがいいよ。

 

あと、たまに本人が

自分は不甲斐ない。あれもしたかった、これもしたかった!」と欲望の大渋滞パニックになるから

体力ない人には無理だと親が整理してやれ。

自分で書いてて思ったけどクララみたいだよな・・

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

2018-11-25

anond:20181125233302

47歳童貞知識だけはありそうだし、財力には困らなそうだから、逆に遊び甲斐ありそうだから、ぜひ私でよければむしろ相手したいけどね〜

2018-11-24

anond:20181124121304

妻が夫以上の経済力甲斐性を持つようになれば、そのような振る舞いをする男はいなくなるよ。

くやしかったら、女社会を作ってみれば?

2018-11-21

大阪出張記録4日目~デリヘル編~

3日目USJ編はこちら→anond:20181121065420

前日の土曜日ホテル価格が15000円台だったことに

ご立腹だった俺はネカフェで一晩過ごした。

途中ギャル物のAVを見たりしていたが、当然こんなところで

ヌくことはできないのでムラムラが半端なかった。

漫画かぐや様は告らせたいをだらだら読んでいた。

  

そして時間がきたので出ていった。

ここは、そう、道頓堀近くのネカフェ

俺はそこからあてもなく彷徨い続けて気が付いたら大阪駅にいた。

  

11時くらいになったので、大阪駅の狭い路地のあたりで海鮮丼を食べた

大盛りで580円の海鮮丼とはリーズナブルだった。

  

そのあと、スマホバッテリーがそこそこなくなっていたので、

ヨドバシカメラソフトバンクショップの充電コーナーで充電。

だらーっとぼけーっとしていた。

  

そう、俺は疲れていた。

前日に20000歩あるき、この時点で既に11000歩歩いていたからだ。

疲れている。ただひたすらに疲れている。

そして次の日はもう地元に帰らなきゃいけないという気持ち

焦った。

  

ギャルだ。肝心のギャルと会話ができていない。

俺はここ増田でも何度も何度もギャルギャルと喚いていた。

しかし一向にギャルとの出会いはない。

俺は追い詰められた。

大阪ギャル関西弁ギャル。それと話さずして終わるのか?と。

  

そして俺は最後の手段として…

デリヘルを使うことを決意した。

だが待ってほしい。人生で一回も風俗に行ったことがないピュアな俺が

いきなりできるのか?と思って色々調べ始めた。

  

ホテルに呼び出す方法とか大阪デリヘルの店でどんな女の子にするとか

あれやこれやしているうちに時間がたつ。そして…

  

ひとまずホテルだけでも予約することにした。

当然二人分の料金で。一人だと色々問題があるみたいなので二人にした。

  

俺は煙草を吸わないのだが、ギャル喫煙率もそこそこあるようので

喫煙室で予約した。後でここで吸わなかったときのことが考えられなかった俺は

アホだったなぁと思った。

  

とりあえず、そのあと、チェックインだけ済ませてホテルでだらだらする

というか軽く寝た。

スマホを充電しながら増田で色々聞いてみる。

  

色々とアドバイスを貰い、緊張しながら恐る恐る電話をした。

すると小野坂昌也に似た声のあんちゃんが出た。

俺「あのー○○を見たんですけど」

小野坂似「はいはいありがとうございますぅ~↑」

俺「あのっ!Yちゃんをお願いしたいんですけど!」

小野坂似「あー予約でいいですか?そんならですね」

俺「えっとホテルまでOKですか?」

小野坂似「あーちょっと立て込んでまして、ホテルは無理でして」

  

ここで、お店の方に直接幾分にはいいとのことだったのだが

俺は疲弊しきっていたので諦めることにした。

俺「わ、分かりましたーどうもすいませんでしたー」

  

1件目撃沈。

  

うあああああああああああああああああああああああ

FカップギャルのYちゃんが予約できなかったあああああああああ

うあああああああああああああ超かわいいじゃんこの子!!!

うあああああああああああああああ!

ゴロンゴロンゴロンゴロンとベッドでのたうち回る。

ダルシムヨガファイアーを食らった時のような感じ。

うあああああFカップ!うあああああFカップ

  

そして俺は電話した胸をじゃなかった旨を増田に報告

「言えたじゃねえか」

なんてトラバがあったが、くそったれぃと拳を握りしめた。

  

よっしゃ二件目行ってみようと言われたがとてもじゃないが

俺は電話する気持ちになれなかった。

デリヘル電話するなんて緊張するじゃねえか!

もうなんか、ね!?わかる?俺の気持ち!?ねぇ分かる!?

みたいな感じだった。

そんでしばらくぼーっとしていたら、増田

後悔するぞ的なことを言われたので、散々迷ったあげく

5人からトラバきたら予約することにしたと宣言した。

そしたら比較的すぐにトラバがきた。

  

お前ら、そんなにデリヘルを使う俺の話が聞きたいのか。

こみあげてくるものを感じて二件目に電話した。

  

そして2件目に電話かける

  

俺「もしもし?○○を見たんですが?」

?「はいはいありがとうございますぅ~↑」

  

ま た 小 野 坂 昌 也 の 声 に 似 て い た w

ふざけるなこの野郎www

  

俺「あっあの!予約したいんですけど!Mちゃんどうですか!?

小野坂似「あーすんませせん。Mちゃんちょっとんーと23時くらいならOKですけど」

俺「それでいいです!えっと、初めてなんですけど料金って」

  

指名料と初めてのお客さんってことで色々あって18300円になるとのことだった。

  

俺「場所はここです。よろしくねがいしまああっす!(サマーウォーズ風味)」

  

そして…。そして。俺は待った。待った待った。

キドキワクワクしながら人生初のデリヘル

  

そしてついに

コンコン

  

部屋にノックの音が鳴り響いた!

はいー!扉を開ける俺!

  

ちゃん「どうも~こんばんは~」

俺「どうもー初めましてー!うわー可愛い子がきて嬉しいです!」

ちゃん「wwww」

  

ちゃん可愛いおっぱいもFカップ。そしてえええええ何よりいいい

ちゃんはあああああああああああああああああああギャル!!!!!!

可愛い問答無用

  

そこからちょっと二人でベッドの上でおしゃべりが始まったのだ!

  

念願の!悲願の!宿願の!ギャルとのお話~!

  

俺「Mちゃんタバコ吸ってもいいからね!」

ちゃん「あっ実は今禁煙していて~」

  

ちゃん禁煙しているとのことだった。そんでもって代わりに臭いがでるだけの

パイプ?だかでストレスをまぎらわしているとのことだった。

  

俺「いやーこんな可愛い子がきてくれてマジ嬉しい!」

ちゃん「ちょw恥ずかしいですよー」

俺「あははは。いやー東北からきた甲斐があった!」

ちゃん「どこからいらしたんですかー?」

  

そして俺の地元の話だとかMちゃんちょっとした私生活の話をして

15分くらいもうたっていた。はやいwwはやすぎるwww

  

ちゃん「じゃあそろそろ始めましょっかー」

と、というわけで、服を脱ぎ始める。

ちゃん下着姿になる。

  

スタイルいい!そしてええええええええええええええええええええ

  

WARNING!

A HUGE OPPAI

IS APPROACHING FAST

  

Fカップギャルがソコニイルゥゥゥ

下着とは完璧すぎた。

  

ちゃん「私だけ恥ずかしいのでそっちも脱いでください~」

俺「おっけーおっけー」

俺も脱いだ。

  

そのあとは二人でシャワーを浴びに行った。

※これもプレイ時間に入るのでデリヘルやる人は注意!

  

風呂場でMちゃんナイスバディを堪能した。

そして…そこそこちょっとおしゃべりした後

ベッドへ!!!!!!!!

  

増田クエスト4!そしてベッドへ!

※4日目なので

  

俺はMちゃんのFカップを堪能させてもらった。

ちゃんおっぱいが弱いみたいでHな声が何度も漏れた。

最高だった!!!!!!

そしてキスしたりと色々していたあとになななななんと!

人生初のパイズリをされたのだった。

だが、しかくこうかはばつぐんだったのだが、実はあまり気持ちよくなかった。

  

そのあと、Mちゃんから責められる。ローション手コキされながら

あぐあぐあぐ、気持ちいい、気持ちいい~ああー最高だー人生最高だー

ここで快楽絶頂を迎えようとした瞬間!

  

Body Feels Exit!!!!!♪」

ファッ!?

なぜか安室ちゃんBody Feels Exit脳内で流れてきた。そして

  

ちゃん気持ちいい?」

俺「うん!気持ちいい~!」

  

Body Feels Exit!!!!!♪」

  

な、なんだこれはwwwww

か、体の力が抜けていく、まるで魔人ブゥ戦でスーパーサイヤ人3でエネルギー

満タンにならなくなった孫悟空のように

  

Body Feels Exit!!!!!♪」「Body Feels Exit!!!!!♪」

Body Feels Exit!!!!!♪」「Body Feels Exit!!!!!♪」

  

あ、安室ちゃん!よして!今だけお願い!なんで脳内にかかってくんのwwwww

そして俺は‥‥。

イかずに終わったwwwwwwwwwwww

マジでwwwwww

お前ら草不可避かいうなwwwww

もうこれ草でもはやさないとやってられねーんだよwwwwww

これあの日の晩に書こうと思ったけど流石に書けなかったんだぜww

くっそwww

お前ら!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

笑えよ増田!笑えよブクマ

  

というわけで、時間がきたのでMちゃんちょっとだけだべって、

後は風邪ひかないように気を付けてねと扉の前でお別れ。

  

‥‥ちょっと悲しくなったけど。

俺「あ、ギャルと話す目的は達成できたな。おっし。まぁいけなかったけどいいわ」

  

イけなかったけど最高の気分になったのでよし。

ぐっすり寝た。

  

5日目に続く。

2018-11-20

泣き上戸な私はどうしたらいいんだ

新人1年目。良く泣いた。

涙を武器にしたいと思って泣いたわけじゃない。

自分の不甲斐なさ」「他人仕事で怒られたとき(理不尽に怒られたとき)」

自分ができない悔しさ」「自分が上手く伝えられないもどかしさ」で泣いてた。

基本、泣くのは悔し泣きだ。

目を開き、普通に会話をしつつ涙をボロボロこぼす。

恥ずかしいのでやめたいんだが、生理現象かのごとく

ボロボロボロボロ涙はこぼれる。

幼い頃、父親が顔真っ赤にして怒鳴ってきたことが数回あり、

それがトラウマになっている可能性はある。時々頭をよぎる。

泣きたくなくても泣いてしま人間はどうしたらいいんだろう。

くしゃみで声を出したくなくても、「グシッ」と言って鼻水ドバッと出るし。

(咳をすると小さくなるって言うけど、中々上手くできない)

anond:20181120003827

奨学金なあ

昨日だか奨学金返し終えた増田ホッテントリに上がってたけど、社会に生まれでた瞬間から借金抱えてるのもどうなんだろう?それなら別に高卒でも良いんじゃないか?と思ってしま自分がいた。

結局自分甲斐性に帰結してしまう。情けない。

クソ、あのとき躓いてなければ大学だって行けてたかも知れないのに。とか悔やんでも悔やみきれないな。どうにかなってた問題でもないけど。

せめて男同士でも結婚並の恩恵が受けられる互助制度とか出来ないかな。

変な話になってしまってすまぬ。

2018-11-19

買春した

ひどい気分だ。

何の気なしに出会い系サイト登録してみたのが昨日。数時間前に、近所で相手募集しているという書き込みを見つけた。プロフィールには某国出身と書いてある。連絡を取ってみると「私のところで苺」だという。まあそんなところだろうと予想していたし、苺ならそう高くもないと思ってOKした。

これが初めてではない。これまでにもいわゆる円で一人、援デリで一人を買ったことがある。しかもそのたびごとに、相手と顔を合わせたその時には、私の心はすっかり冷え切っているのが常だった。興奮しないし起たないし、肌を合わせている間はずっと罪悪感があってセックスどころではないのだ。

罪悪感があるなら買うなよ、という指摘は正しい。だが、私が罪悪感という言葉でもって、警察の世話になって社会的生活喪失することへの恐怖や警戒感を表現している、などとは思わないで欲しい。確かに、この日記をこのネカフェから投稿したことによって私が警察の世話になる可能性を思うと、それは恐ろしい。だが私が本当に恐れている事態は、私という一人の人間が、金銭という手段でもって、これまた一人の人間身体を、ひいてはこれと不可分な精神を、人格を購入することによって商品たらしめ、売春者という属性を着せる--そもそも誰かが相手を買わなければ相手は決して売春者ではないのだ--このような非人間的行為を、私という一人の人間が為せるということ、じっさい為したということなのだ。

話を戻そう。サイトでやり取りする限りにおいては、きわめて自然日本語メッセージを送ってくるので、それなりに日本慣れした人物なのだろうと予想していた。指定されたマンションの部屋に入ると、なるほど提示された写真通りの人物が現れたのであるが、なんとろくすっぽ日本語を話せない。つまりサイトで客を誘い込む仲介者がいて、その仲介者が売春者に客が来ることを連絡しているのだろう。あるいは話に聞くマントル。とても21世紀とは思えない商売が繰り広げられていたわけだ。

もっとも、当時現場にいた私はこのようなことを考えてはいなかった。上で罪悪感が云々という話をしたが、これは今の私がそう考えているというだけのことであって、当時の私はといえば、どうも話が上手すぎるので何らかの物騒な方法で金を巻き上げられるのではないか、などという不届きな警戒心を抱いていたに過ぎない。この事実がまた今の私を滅入らせる。こんな口先だけの人間が、人格だとか何だとか小難しい綺麗事ペラペラと喋っているのである。言行不一致もいいところなのだ

実際に事に及ぶ運びとなったものの、互いに気持ちのないセックスなどろくなものではない。刺激の結果として精液が出てきておしまいである。性ホルモンがどうこうなって、脳味噌反省の方向に傾いて、今この記事を書いているほうの私になる。おや、結局のところ今の私だって身体の働きの関係でこのような気分になっているだけかも知れないではないか。あるいはもっとひどくて、満足にセックスもできない自分が不甲斐ないだけかも知れないではないか。私がそのようであるという可能自体が相当に不甲斐ない、情けないものだ。

万事こうだ。何か悪いことをした、しかしもしかするとその罪悪感は一切 倫理的ないし宗教的根拠を持たないかも知れない、そしてこのこと自体が悪いことなのだが、その上さら後者の罪悪感自体がまたも何の根拠もなく、すべては純粋身体還元されてしまうのかも知れない、云々。

anond:20181119213058

すぐちんちんに手が行く男は気が小さい。よく言えば細やか。プライドを傷つけないように注意。

頼り甲斐を褒めてうまく転がそう。

2018-11-18

anond:20181118030442

そんな責める風に言わないか反論しにくい。ただやっぱ稼ぎが多い方が家での発言力が強くなるし、俺も自分の不甲斐なさに劣等感感じるからこじれてくるよ。。。

2018-11-17

仕事が楽しくなってきたのに産休取る辛さ

3年目になり、まとめ役では無いにせよチームの主力メンバーと言っても差し支えないぐらいになってきたんじゃ無いだろうか。

以前より物事をてきぱき進められるようになって、自分意見も臆せず言えることが増えてきた。

でもまだまだこれから!の時期だと思う。

まだまだ伸びれるし、まだまだ勉強することが沢山ある。

同期は再来月からリーダーなるみたい。

私は来月から産休。そして保育園は間に合わないので育休。

たぶん1年ぐらい離れることになると思う。

1年仕事したらどれだけ成長出来るだろう、1年が戻ってきた時、経験年数の1年少なくなる私は周りとどれだけ差がついてしまうんだろう。

そもそも組織変更のやたら多い会社で、帰ってきた時に今の部署があるか、今の人たちが居るかどうかわからない。

私は専門職なので、基本的には自分技術力を売りに仕事をしているわけで、1年のブランクがあったらどうなってしまうのか考えたくはない。

そこまで技術の変化が凄まじいわけじゃないけど、半年か1年あったら新しい何かが3つ4つ増えてたり、もしかしたら主力で使うツールが入れ替わってたりするかもしれない。

たぶん今が頑張り時なのに休みに入る辛さよ。

とはいえ、働きざかりに働いて、30をいくつか超えてじゃあ子どもを作ろうってなった時に作れるのかっていうとそうでない人も居るわけで、ワークライフバランスとか何とか言うけどどうなんだろう。

産休育休明けて戻ってきた人たち、やっぱり子ども第一優先で、子どもが熱を出したら早退するし、なんならお休みするし、

時短勤務に切り替えたり残業しなかったり、やっぱり母感がある。

まれたら子ども大事にしたい、大事にしたいけど今と変わらず勉強して成長してってしていきたい。

長い時間働くこと、残業することがイコール頑張ってることだとは全く思わない。

ただ、やり甲斐があるけどスケジュール進行がキツい大きな案件子どもがおらず無理の効く人に割り振ってしまおう、ってなるかもしれない。

時短で早く帰ってしまったら、定時間際に行われるような会議には出席出来ない。

案外生まれてみて、復帰したら考えも変わるのかな。

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