はてなキーワード: 対照的とは
回避とHSPの併発って言われると、それもう回避じゃなくてNPDの過敏型が正体じゃないの?
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回避傾向を持つ群
騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な自己愛性パーソナリティ障害の人物像とは対照的に、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避ける過敏なタイプの自己愛性パーソナリティの人々がいる[48]。彼らは周囲の人が自分にどういった反応をするかに非常に敏感で、絶えず人に注意を向けている。批判的な反応にはとても過敏で、容易に侮辱されたと感じる。人に非難されたり、欠点を指摘されることを恐れ、社会的に引きこもることで葛藤を避け、自己の万能世界を築きあげようとする一群である。自分は拒絶され軽蔑されるだろうと確信しているために、スポットライトを浴びることを常に避ける。表面的には内気で抑制的に見えるが、その実、精神内界には誇大的な幻想を抱えており、自己愛的活動の大部分を空想の中で行い、それを人に知られないようにしている。彼らの内的世界の核心には、誇大的で顕示的な秘められた願望に根ざした、強い羞恥心がある。
一見すると慎み深く、ときに深く共感的に見えることもあるが、それは他者に純粋な関心があるように見せたいという彼らの願望を取り違えているだけである。彼らは自分の心的防衛の最終段階にある抑制的な行動しか目に入らず、自分のことを恥ずかしがり屋で自己主張ができない人間であり、当然受けるべきものも得られない性格だと考えていることがある。現実には持続的な人間関係を持つことが出来ず、共感性の欠如を示し、内に秘めた誇大的な自己像は慎重な面接を繰り返していくことで徐々に明らかになっていくのが、潜在型のナルシストの特徴である[48]。
アメリカ精神医学会は精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)において、自己愛性パーソナリティ障害の人物は批判や挫折に伴う傷つきに非常に敏感なため、社会的ひきこもりの人々にも見られることを報告している[49]。グレン・ギャバードは、潜在型の自己愛性パーソナリティ障害の人々は回避性パーソナリティ障害や社交恐怖と多くの点で関連していることを指摘している[50][51]。また牛島は、現代の操作的診断基準(DSM)においては顕在型の傲慢なタイプは自己愛性パーソナリティ障害と診断されるが、潜在型の過敏なタイプは回避性パーソナリティ障害(あるいはスキゾイドパーソナリティ障害)と診断されてしまうことが少なくないと述べている。これらは精神力動的には同じもので、単なる表裏の問題に過ぎず、背景にある自己愛性の問題を把握することが必要であることを指摘している[52]。また丸田は、典型的な症例は無関心型と過敏型の特徴のどちらかを示すが、臨床的にはほとんどが両者の混合型であり、ひとつの症状軸である「他者の反応に意を介さない vs 他者の反応に対して非常に敏感」を取り上げても、その反応は振り子の両極のように大きく揺れ動くのが特徴(健康な人は揺れが少ない)という点を指摘している[53]。現実の自己愛性パーソナリティ障害は、ギャバードの分類した無関心型の極から過敏型の極へと至る線上のいずれかにプロットされると考えられる。
自己愛性パーソナリティ障害は、対人関係における搾取的行動、共感性の欠如、激しい羨望・攻撃性・自己顕示欲という諸々の特徴を示す[57][58]。彼らの持つもう一つの側面は、その傷つきやすさである。意識的なレベルでは、それは無力感、空虚感、低い自尊心、羞恥心に由来するものである。それは彼らが求めたり、期待する支持が与えられない状況や、自己主張が不可能なために退避するような状況において、親しくなることを回避するという行動で表現されることがある[58]。自己愛の病理は軽症から重症まで連続的な広がりをもち、その自己表現形式も多様である。
下世話な徒然文です。
TVで、松潤の耳を齧る岡田信長を見て、ふと、ジャニー喜多川氏の墓は、高野山にあり、ジャニーズのタレントが墓参りに訪れている。ということを思い出した。
いつか、元ジャニーズの自分の推しがジャニー氏の墓参りへ行ったことをラジオで話していた。
その後、他にも名だたる元ジャニや現ジャニの人がジャニー氏の墓参りへ行っていることを何かで見知った。
ググったら、ジャニー喜多川氏の父は真言宗の僧で、かつては稚児だったとか。
ジャニー氏が倒れた時には、病床に様々なものを持ち込んで付き添っていたこともトーク番組で聞いた。
当人が性被害にあったかはわからないけど、少年期に合宿所にいたことは周知の事実で。
今現在、ジャニー氏のかつてのセクハラ、性被害を訴えている人たちは、その犯罪を責めているが、ジャニー氏自体は嫌いではない。という矛盾したコメントを発しているのが散見される。
普通、性被害を訴える人が被疑者の人格を擁護する展開はあまりないように感じる。
(自分は子どもの時、2回同じ奴から痴漢の被害にあったことがある。相手には今でも悲惨な死に方をして欲しいと思う位には、怨んだ感情をもっている)
グルーミングというやつなんだろうか。
ジャニー氏の性被害問題は、被害者とそして外部がシュプレヒコールをあげているのと対照的に、
関連メディア、事務所やタレントが先日まで恐ろしく無反応な様子だった。
真言宗、天台宗系の寺文化には、稚児にも、上稚児、中稚児、下稚児と身分があったらしい。男色の相手になるのは言わずもがな。ということは、ジャニー氏の中では、TVで活躍しているタレントを上稚児感覚で捉えていたのではないかと、下世話ながら想像してしまった。だから被害者声明が今日まで表立っていなかったのでは。
芸能というのは、想像以上に奇々怪界な世界なのだろう…。いずれにしてもそんな世界に入れようとする親はまともではない。
もちろん一番悪いのは、ノーと言えない環境を作り出して、性的行為を強要させる支配者。
私自身は、ノンケだけれども、同性カップルは全然構わない。一方、趣向で、恋愛メインのドラマに興味はなく、BLモノは生理的に受け付けない。老若男女問わず、人が上半身でも裸でTVに映っているとチャンネルを変えたくなる。裸や性的場面を公の場で見たくない。ジャニー氏の夜とか想像したくもない。
文頭の、耳を齧るシーンを見た時には、思わずチャンネルを変えてしまった。
とはいえ、それはそれ。
推しがこれからどんな事をメディアの場で言っても応援できる自信がある。
かの事務所が大嫌いで、関連商品の購入や番組は避けていたけれども、
むしろこれからは、今逆風にあっている彼らのスポンサー商品を積極的に買おうと思ってしまったくらいである。
こんな私もまた支配者層の思う壺なんだろう。
https://mainichi.jp/articles/20230513/k00/00m/040/221000c
北海道白糠町と釧路市音別町(旧音別町)の境界にある馬主来沼(パシクルトウ)西側の民有地で、大規模な太陽光発電計画が持ち上がっていることが、関係者への取材で明らかになった。一帯はアイヌ民族の伝統的生活空間「イオル」とされ、民族の伝承も残されており、近隣に暮らすアイヌ団体の幹部らからは懸念の声が上がっている。
明らかになった計画は、馬主来沼の湖畔の西側に当たる釧路市音別町の5ヘクタール強の原野。国道38号南側の海岸沿いに位置する。
不動産登記簿などによると、2021年8月、東京都港区の会社(A社)が、紋別市の会社から条件付きで買い取るとの所有権移転仮登記をした。条件は「本件土地の状態が発電事業を行うのに適切であると、買い主が判断したこと」とある。さらに今年3月、売買により、関係があるとみられる港区の別の会社(B社)に所有権が移された。
資源エネルギー庁の再生可能エネルギーの事業計画認定情報によると、この土地ではB社の名義で、発電出力1999キロワットの太陽光発電が22年3月に認定されていた。
法人登記簿によると、A、B両社はともに「太陽電池及び関連部材に関する卸・販売・輸出入業務」などを目的に設立された。社員欄には、海外の太陽光発電会社の関係者とみられる名前がある。土地購入手続きなどに携わったという日本人女性は毎日新聞の取材に計画が進んでいることを認め、「計画の見直しは難しいと思います」と答えた。
紋別市の会社の社長(78)は国道を挟んで北側の原野(約66・7ヘクタール)と山林(約330ヘクタール)も所有しており、「山林は東京都中央区の会社が太陽光発電を計画し、原野も別の複数の業者が発電用地を確保しようとしている」と明かした。
不動産登記簿によると、山林は22年11月、「売買代金完済」を条件に、東京都中央区の会社に所有権移転の仮登記が行われていた。紋別市の会社社長は「近くに送電線があり、計画は太陽光発電と聞いている」と明かした。さらに西側の丘陵地では、別の会社が設置した二つの太陽光発電が稼働しており、一帯は適地とみられる。
白糠町は馬主来沼の東半分を囲うような形で町有地284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全に努める。対照的に、西半分にあたる釧路市音別町側は保全の手は打っておらず、計画が進めば、沼の西にかけての多くがソーラーパネルで覆われる可能性がある。
白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は「寄り鯨が集落を飢餓から救った伝承のある土地で、アイヌ民族にとってはかけがえのない生活空間。守りたいのはやまやまだが、どうすればよいのか」と話す。
道東では釧路湿原国立公園の南側周縁部の原野でも、大規模な太陽光発電計画が水面下で進み、予定地には絶滅が危険視されるキタサンショウウオも生息することから、自然保護団体などから懸念の声が上がっている。【本間浩昭】
白糠町と釧路市音別町にまたがる周囲約4キロの海跡湖で、ヘラジカの角のような複雑な形が特徴。平均水深1・7メートルと浅く、冬には結氷する。縄文海進が約6000年前に終わり、海退の過程で砂丘が海水をせき止めて形成された。国指定特別天然記念物・タンチョウの飛来地で、環境省選定の「日本の生物多様性保全上重要な湿地」の一つ。北海道の「すぐれた自然地域」にも指定されている。
フンペ(アイヌ語で「鯨」)が漂着したことをパシクル(カラス)が教え、集落(コタン)が飢えから救われたとの言い伝えが残る道東の馬主来沼(パシクルトウ)。その西側の釧路市音別町で、大規模な太陽光発電計画が進んでいた。伝統的生活空間「イオル」の一角が侵食されかねない事態に、アイヌ民族は戸惑いを隠せない。
「寄り鯨」の伝承を裏付けるような出来事だった。昨年11月26日。沼から東に約3キロ離れた和天別川の河口近くに1頭のミンククジラが打ち上がった。死後かなり経過し、「海岸には腐臭が漂っていた」と白糠アイヌ協会の天内重樹会長(38)は語る。「数年前のフンペ祭りの前日にも打ち上がった」という。一帯は、海が急に深くなっている海底地形や海流などの影響で、古くから鯨が漂着しがちな海岸線らしい。
この地に大規模な太陽光発電が計画されていると天内さんが聞いたのは1年ほど前。いったんは計画が立ち消えになったと聞いて「ほっとしていた」が、半年ほど前から再び業者が動き始めたと知らされ、「できれば造ってほしくない」と危機感を募らせる。
白糠町は、沼の東側を囲む形で約284ヘクタールを「馬主来自然公園」として保全する。昨年には太平洋を見渡す高台に、国のアイヌ政策推進交付金を得て、鯨の恵みに感謝する古式舞踊「フンペリムセ」(鯨踊り)発祥の地として、展望台やモニュメント広場、駐車場などを整備した。毎
年9月の第1日曜日には、寄り鯨の恵みに感謝を捧げる「フンペリムセ」が奉納される。
一方、沼の西半分を占める旧音別町側は1968年、音別町立自然公園条例を制定、沼周辺を町立自然公園に指定し、国道38号沿いに駐車場や説明板、周辺展望台を兼ねた休憩舎などを整備したが、面積は0・78ヘクタールにとどまっていた。
音別町は2005年の釧路市との合併で、白糠町を間に挟む「飛び地」に。条例は新市に引き継がれず、自然公園でもなくなった。「馬主来沼の存在は重要視されなくなった」と言う住民もいた。
音別町史にはこうある。「夕日が西山に沈む頃。白糠町側の高台に立って当町方向を眺めるとき、パシクル沼の水面に映る夕映え風景は、まさに一幅の名画を見る感がある」。釧路市は15年に選定した「音別新八景」の一つに「パシクル湖畔の夕日」を選んだ。
沼周辺は、アイヌの暮らしに必要な動植物の入手に欠かせない伝統的生活空間「イオル」とも位置づけられている。類いまれな景勝地とされる一帯の景観が「メガソーラーの海」に変わる可能性がある。【本間浩昭】
bingに聞いたら「まずナス魚サラダ単品」らしい、ハンバーグの反対がサラダという発想はなかった
「うまトマチーズハンバーグ定食」の反対語は難しいですね。反対語とは、意味の上で互いに反対の関係にある語をいう1ので、食べ物の名前にはなかなか当てはまらないと思います。でも、一応考えてみました。
「うま」の反対語は「まず」1、「トマ」はトマトの略だと思うので、トマトの反対はないと思いますが、色や形で考えると「ナス」2が近いかもしれません。「チーズ」の反対もないと思いますが、チーズは乳製品なので、乳製品以外の食品で考えると「魚」2が適当でしょうか。「ハンバーグ」の反対もないと思いますが、ハンバーグは肉料理なので、肉料理以外の料理で考えると「サラダ」2が対照的です。「定食」の反対は「単品」1だと思います。
以上をまとめると、「うまトマチーズハンバーグ定食」の反対語は「まずナス魚サラダ単品」ということになりますが、これはあくまで私の勝手な解釈です。あなたはどう思いますか?
未練やら安堵やら希望やらがいりまじったなんともいえない気持ちを抱えながら、あと数ヶ月で30歳になろうとしている私には、最近できたイケメンの年下の恋人がいる。
半年前に離婚して以来、久しぶりに出来た恋人だ。彼の父親は白人系イギリス人で、母親が日本人なのだが、生まれてこの方イギリスで暮らしていたので日本語はあまり話せない。去年、24歳にして自分のルーツである日本語をちゃんと勉強したいと思い、一念発起して日本に移り住んできたのだ。
初めて彼を目にした時、私はこんなにカッコいい人を久しぶりに見たなーなんて思ったのだった。
(思えば、元夫を初めて会った時も、こんなにカッコいい人と久しぶりに会ったなと思ったんだった。)
反ルッキズムを声高らかに叫びたいが、生物的本能には逆らえない。男らしい眉毛と対照的に優しげな目元、そしてしっかりとした顎のラインがたまらなく好きだと思った。背も高く、よく鍛えられた身体をしている。低くて太い声も、正直聞いているだけで体が熱ってしまう。
彼は、自分の容姿が人より優れているということを知っている。初めて自分がカッコいいと気付いたのはいつ?と聞いたら、身長がグンと伸びた高校一年生の時、との答えが返ってきた。小学校と中学校を通して、彼はぽっちゃりとしていたそうなのだが、思春期を迎え身長がぐんぐん伸びるにつれて、体重も落ちていったのだという。そうしてある日、中学時代、学年で一番人気のあった可愛い女の子に久しぶりに街でバッタリ出くわした。出会い頭に彼女は心底驚いた顔で、「すごいカッコ良くなったね!」と言ったそうだ。その瞬間、彼はどうやら自分が人より優れた容姿を手に入れたらしいことに気がついたという。それからも色々な女の子たちから連絡先を聞かれたり、モデルや年上の美しい女性と付き合ったり、自身もモデルをしたりするうちに、その考えは確信に変わっていったと言う。
そんな彼の話を聞いていると、私は下手に外見が良いのも大変だなあと思う。外見だけに興味を持って近寄ってくるものの、中身を知った瞬間に落胆して離れていく人たちもいたという。そして、かくいう私も彼のことを知れば知るほど、ちょっとつまらないな、なんて思い始めているのである。私だって、好きでこんな失礼極まりなく、身の程知らずなことを考えたいのではない。それでもやっぱり、彼の会話とセックスからは、相手を楽しませようとする気概があまり感じられない。相手を心地よくさせたいという欲望は、やっぱりどこか、自分がありのままでは足らない存在だと感じてしまうコンプレックスから生まれるものなのだろうか。
外見を磨く方法はいくらでも思いつくのに、内面を磨く方法はイマイチ分からない。相手のことを自分の思い通りに変えたいと願ってしまうことの、傲慢極まりないことは分かっているのだけれど、想像せずにはいられない。もしかしたら、彼は私の内面は好きだけど、外見がもう少し良かったらと願っているかもしれない。
きっと長続きしないけれど、もう少し、一緒にいたい。
安倍晋三に続いて岸田文雄が殺されそうになったのは、憂鬱なニュースだった。
日本は自由な民主主義国だ。(職質の警察官を除けば)荷物検査も何もなしに色々なところに行くことができる。飛行機以外の場所で手荷物検査がされることはまずない。そしてそれは政治家の集会も同じだ。政治家は市民に選ばれるために、たとえ元首相であっても街頭に立ち、支持を訴える(菅直人がたったひとりで街頭演説する写真を嘲笑する人を見かけたことがあるが、あれは誇るべき光景だと思うのだ)。市民はそれをスルーしてもいいし、気まぐれに足を止めてもいいし、ペンライトを振って応援してもいい。俺もちょうど地元に来ていた福島瑞穂と握手したことがある。そのときの俺は見るからに不審者ルックだったが、一瞬怪訝そうな顔をしただけで愛想よく握手に応じてくれた。
アメリカ大統領が来たときの警備の物々しさとは対照的だ。アメリカのシークレットサービスは皇居にもズカズカ入り込んでこようとしたのを日本側が必死に止めたらしい。野蛮人め。品位というものを知らんのか。だが彼らにもトラウマがある。昔のアメリカの大統領はもっと市民と近かった。だが、リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、そしてJFKが暗殺され、レーガンが殺されかけたことで、アメリカは異様に厳しいセキュリティをVIPに求める国になった(※)。
安倍が殺されたとき、警察が無能だと散々言われた。それは事実かもしれないが、しかし、彼らが無能なのは政治家に対する深刻な攻撃の懸念に晒されていないからだ。警官が平和ボケして無能なのは、ある意味では、わが国で要人に対するテロを懸念する必要性が薄かったことの、つまりわが国の自由と民主主義が問題なく機能していることの証だったのだ。
だが安倍晋三は殺された。俺は去年の夏、今後日本の政治家は気軽に国民の前に立たなくなるかもしれない、と思っていた。政治家がろくな警備もつけずに街角に立ち市民に支持を訴え、市民はそれを日常風景として聞き流すような、そんな光景はもう戻ってこないかもしれない、そのような平和で自由で民主的な日本はもう失われてしまうのかもしれない、と悲観していた。あれから半年が経ち、多くの政治家が従来どおりのドブ板選挙を続けている景色を見て、よかった、杞憂だったのか、と胸を撫で下ろしていたところに、今回のニュースが飛び込んできた。ああ、今度こそ、大物政治家が気軽に街頭に立つ光景は失われるのだ、と思った。
だが、岸田文雄は遊説を続けた。暗殺未遂事件に遭ってなお、市民の前に立ち、訴えかけることをやめなかった。
岸田は、身を張ってテロには屈しないという姿勢を表明してみせた。それは一見すると単に事前のスケジュールを墨守するだけのつまらない行為かもしれないが、この状況では、それは紛れもなく自由と民主主義の側に立つという崇高な意思表示だ。
安倍が頂点にいた頃は、岸田は凡庸な後継候補のひとりに過ぎないと俺は思っていた。ソフトなイメージはあるが、安倍ほどの人を惹き付けるもの(あそこまで右派に崇拝された総理も異様なら、左派からあれほど蛇蝎のごとく嫌われたのも異様だった。正負ともに存在感のあるキャラクタだった、と思う)を持たず、強い信念もなく、自民党の伝統ある派閥を大過なく差配するだけの面白みのない男。それが岸田へのイメージだった。だが、先日のキーウとブチャへの訪問といい、今回の暗殺未遂事件といい、行動によって自由と民主主義と国際秩序を擁護するのだという強い決意を見せていることには、正直驚いた。見誤っていた。
俺は自民党に入れたことはないし、安倍が総理であることには苦々しい思いを常日頃抱いてきたが、岸田に関しては、俺はあいつに入れていないがあいつは俺の総理大臣だ、と言っていいかもしれない。とにかく、今回の事件を受けての岸田の動きは見事だった。よくやった。ありがとう。
※ 海外旅行中、壮麗な建物を見つけて、何気なくカメラで写真を撮ったところ、自動小銃を構えた警備員が飛んできて写真を消せと凄まれたことがある。実はそれはアメリカ大使館だったのだ。そしてその国はかつてアメリカによる介入を受けたことのある国だった。その話を憤慨して隣国の友人に話したところ、そりゃそうだよと呆れられたので二度驚いた。大使館は相手国との友好も目的の一つとしているため、普通の市民から反感を買うような行動はしないものだと素朴に思い込んでいた俺は衝撃を受けた。街中であんな大規模な土地を専有して、たかだかカメラを向けただけの一市民を自動小銃で威圧するのか。そんなことをあちこちでやってりゃ、そりゃ占領統治もままならんわ。俺にとっては旅行中の不愉快なエピソードにすぎないが、仮にその国に生まれ育っていたら熱心な反米活動家になっていただろう、と思った。
https://nordot.app/1014558192851402752
これについて調べました
https://www.donga.com/news/Politics/article/all/20230331/118609102/1
ChatGPTによる300字要約
最近の調査によると、東亜日報と国家報勲処が韓国とアメリカの国民を対象に行った調査において、日本に対する認識について韓国人とアメリカ人で大きな差異があることが明らかになりました。北朝鮮の核・ミサイル脅威に対応するために、韓米日の三国同盟が強化され、韓日関係改善の動きも始まっているものの、70%の韓国人が日本に対して否定的な感情を抱いています。対照的に、76.9%のアメリカ人は日本に対して好感を持っています。また、韓国人のうち1.1%しか、日本が彼らの安全保障上最も重要な国ではないと考えており、一方、アメリカ人の20.2%がそう思っています。調査は、19歳から69歳の1,037人の韓国人と、同じ年齢層の1,000人のアメリカ人を対象に行われました。今後の政策立案のための指針として活用される予定です。
・東亜日報は右翼的な新聞らしいですが、国と連携しているため変な調査ではなさそうです
・日韓、日米を比較した調査になっていて、おそらく国家安全保障的な観点の調査だったと考えられます
https://survey.gov-online.go.jp/h25/h25-gaiko/2-1.html
親しみを感じる 40.7%
親しみを感じない 58.0%
以上です
宇宙が140億年前に高温高密度の状態で始まって以来、膨張し続けているとするビッグバン仮説は、新しいジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡の画像によって矛盾していると、エリック・ラーナー氏は言う。
ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)の新しい宇宙の画像は、理論的に予測されていたものとはまったく違う、非常に驚くべきものでもあるのです。
なぜJWSTの画像は、宇宙論者の間でパニックを引き起こすのか?そして、どのような理論の予測と矛盾しているのか?JWSTの画像があからさまに、そして繰り返し矛盾している仮説は、「宇宙は140億年前に信じられないほど高温で高密度の状態で始まり、それ以来膨張し続けている」というビッグバン仮説であることは、これらの論文が報じない真実です。この仮説は、宇宙論者の大多数が疑う余地のない真実として何十年も守ってきたものであるため、新しいデータはこれらの理論家たちをパニックに陥らせているのです。
これらの小さすぎる銀河、滑らかすぎる銀河、古すぎる銀河、多すぎる銀河が、ビッグバン仮説と全く相容れない理由を説明するのは、それほど複雑ではありません。まず、「小さすぎる」から説明しましょう。宇宙が膨張しているのであれば、奇妙な目の錯覚が存在するはずです。膨張する空間にある銀河(あるいは他の物体)は、距離が長くなるにつれて小さく見え続けるということはありません。ある一定の距離を超えると、どんどん大きく見えるようになるのです。(これは、銀河の光が、私たちに近づいたときに離れていったと考えられるからです。) これは、膨張していない普通の空間では、物体が距離に比例して小さく見えるのとは対照的です。
宇宙が膨張しておらず、赤方偏移が距離に比例していると仮定すると、JWSTが映し出す銀河は、私たちの近くにある銀河と同じ大きさであることになります。
JWSTの画像は、まさに「小さく、小さく」を示しています。私たちの天の川銀河よりも光度も質量も大きい銀河でさえ、ハッブル宇宙望遠鏡(HST)で観測された同様の画像よりも2〜3倍小さく見え、新しい銀河の赤方偏移も2〜3倍大きくなっています。
しかし、ビッグバンや宇宙膨張仮説の観点からすると、これらの遠方の銀河は、目の錯覚を補うために本質的に極めて小さいものでなければならず、あり得ないほど小さい。GHz2という銀河は、天の川銀河よりもはるかに明るいのに、半径は300光年と、天の川銀河の半径の150分の1しかないことが判明した。その表面の明るさ(単位面積当たりの明るさ)は、局所宇宙で最も明るい銀河の600倍である。その密度は、現在の銀河の数万倍である。
銀河が小さく滑らかであることは、膨張がないことを意味し、ビッグバンを意味しない。
ビッグバン理論家は、HSTの画像から、彼らの仮定がこれらの小さく超高密度の「マイティ・マウス」銀河の存在を必要とすることを何年も前から知っていました。JWSTは、この問題をさらに悪化させました。同じ理論家は、この小さな銀河が互いに衝突することで現在の銀河に成長し、合体してより広がったと推測しています。例えば、全長1cmでSUVと同じ重さの不思議なおもちゃの車が、たくさんのおもちゃの車とぶつかり合って、本物のSUVに成長していくようなものです。
しかし、JWSTは、このような突飛なシナリオも射抜いたのです。また、ビッグバンの理論家たちは、衝突や合体の繰り返しで、ひどく傷ついた銀河が見られると予想していました。しかし、JWSTが実際に示したのは、現在の銀河と同じように、圧倒的に滑らかな円盤ときれいな渦巻きの形でした。滑らかな渦巻き銀河が理論が予測した数の「10倍」ほどあったというもので、「合体がごく普通のプロセスであるという我々の考えを覆すものだ」と述べています。わかりやすく言えば、このデータは合併説を完全に否定するものです。
合併がほとんどないのであれば、小さな銀河が100倍もの大きさに成長することはあり得ません。したがって、銀河はもともと小さくなかったのであり、宇宙膨張仮説が予言するような目の錯覚は存在しないのです。しかし、錯視がないことは膨張がないことを意味する。錯視は膨張からくる避けられない予測である。そのため、ビッグバン支持者の間ではパニックが起きている。銀河が小さく滑らかであることは、膨張がないことを意味し、したがってビッグバンもないことを意味します。
ビッグバン以前に生まれたものはないのだから、これらの銀河の存在はビッグバンが起こらなかったことを証明する。
古すぎる銀河と多すぎる銀河は、同じ意味です。JWSTは、さまざまなフィルターを使って赤外線の画像を撮影しています。そのため、遠くの銀河の色を見ることができるのです。若くて熱い星は青く、太陽のような古くて冷たい星は黄色や赤色をしているため、天文学者はこの色から銀河の星の年齢を推定することができます。ビッグバン理論によれば、JWSTの画像に写っている最も遠い銀河は、宇宙の起源からわずか4億年から5億年後の姿であるとされています。しかし、すでにいくつかの銀河では、10億年以上前の恒星集団が確認されています。ビッグバン以前に誕生したものはないので、これらの銀河の存在は、ビッグバンが起こらなかったことを証明するものです。
ビッグバン仮説が成立するならば、ビッグバンより古い銀河は存在しないはずなので、JWSTが宇宙を遡れば遡るほど、銀河の数は減っていき、やがて存在しない「宇宙の暗黒時代」になると理論家は考えていました。しかし、天の川銀河のような巨大な銀河が、バンと仮定された数億年後でも普通に存在することが証明されました。著者らは、新しい画像から、理論家が予測した赤方偏移10以上の銀河の少なくとも10万倍が存在することがわかったと述べている。これほど多くの銀河が、わずかな時間で生成されることはあり得ないので、やはりビッグバンではない。
ビッグバン仮説を否定するさまざまなデータが、何年も前から増え続けていたからです。宇宙論の危機が広く知られるようになったことで、ビッグバン仮説が予測した赤方偏移と距離の関係を表すハッブル定数の失敗が一般に注目されています。
発表された文献によると、現在、ビッグバンは16の間違った予測をし、正しい予測は1つしかしていません-水素の同位体である重水素の存在量です。
ビッグバンによるヘリウムの存在量の予測は2倍、リチウムの存在量の予測は20倍もずれている。より大きく、より遠くにある錯視がないことに加え、ビッグバン以降の時代に形成されたにしては大きすぎる大規模構造の存在、宇宙の物質密度の間違った予測、理論上存在しないはずの宇宙マイクロ波背景のよく知られた非対称性などがあるのです。さらに多くの矛盾がある。
なぜ今頃になってビッグバン仮説の崩壊を主要メディアで取り上げないのか、なぜ最近の多くの論文の著者がこの崩壊を指摘しないのか、不思議に思うかもしれません。その答えは、ビッグバンに疑問を持つ人がいれば、彼らは愚かで仕事に適さないというレッテルを貼られるのです。残念ながら、宇宙論の資金は、ビッグバン理論家が支配する一握りの委員会が管理する、ごく少数の政府機関から提供されているのです。これらの理論家は、ビッグバン理論を構築するために人生を費やしてきました。この理論に疑問を持つ者は、単に資金を得られないだけなのです。
現在、ビッグバンに批判的な論文をどの天文学雑誌にも掲載することはほとんど不可能になっています。
ここ数年前までは、研究者が副業として宇宙論研究を自己資金で賄うことができれば、それでも「異端」な論文を発表することができましたが、そうした論文は宇宙論のエスタブリッシュメントから無視されることが多かったです。2018年には、有力誌であるMNRAS(Monthly Notices of the Royal Astronomical Society)が、銀河の大きさが膨張宇宙の考え方と矛盾することを示す私の論文の1つを掲載した。
しかし、2019年に宇宙論の危機が明らかになると、宇宙論のエスタブリッシュメントは、今や他に防御手段がないため、この失敗した理論を検閲で守ろうと一網打尽にした。今や、どの天文誌でもビッグバンに批判的な論文を発表することはほぼ不可能になった。
このような検閲は、今も昔も、科学の進歩に不都合なものである。天体物理学、天文学、宇宙科学の研究者20数名が、arXivの指導者に抗議する書簡に署名した。宇宙論が進歩するためには、どの研究分野でもそうですが、この議論は科学雑誌と一般メディアの両方でオープンに行われなければなりません。
太陽や星々に光を与える宇宙の原動力である核融合エネルギーを利用するためには、宇宙の進化を促すプロセスを理解する必要があるのです。
このような科学的な疑問は、「今、ここ」にある問題です。ノーベル物理学賞受賞者のハネス・アルフベンをはじめとする科学者たちは、何十年にもわたって、ビッグバン仮説を捨てれば、宇宙の進化や宇宙マイクロ波背景のような現在私たちが観察している現象は、実験室で観察している物理過程、特にプラズマの電磁気過程を使って説明できることを示しました。プラズマとは、宇宙空間、星々、星と星の間の空間に存在するほぼすべての物質を構成する電気伝導性のガスである。ハッブル赤方偏移の関係だけは、光が巨大な距離を移動する際にエネルギーが失われることを説明するために、やはり何か新しい物理過程が必要である。
アルフヴェンたちが発見し、50年前から研究されてきたプラズマの重要な過程のひとつが、プラズマのフィラメント化である。これは、電流と磁場がプラズマを引き寄せ、地球大気のオーロラから太陽コロナ、銀河の渦状腕、さらには銀河団まで、宇宙のあらゆるスケールで見られるフィラメントのレースシステムにするプロセスである。重力とともに、プラズマのフィラメント化は、惑星、星、銀河、あらゆるスケールの構造物の形成における基本的なプロセスの一つである。
このプラズマのフィラメント化は、地球上で核融合エネルギーを開発するという非常に重要な取り組みの鍵にもなっています。宇宙を動かし、太陽やすべての星に光を与える力である核融合エネルギーを利用するためには、宇宙の進化を促すプロセスを理解する必要があるのです。ライト兄弟が鳥の飛行を制御する方法を研究して飛行機を開発したように、現在の私たちは、宇宙のあらゆるスケールでプラズマがどのように振る舞うかを研究して初めて、核融合反応を起こす超高温プラズマを制御できる。私たちは自然と戦うのではなく、自然を真似る必要があるのです。LPPFusionは、その知識を具体的に応用して、この10年から化石燃料を完全に置き換えることができる安価でクリーンな無限のエネルギー源を開発することを目指してきました。
多くの研究者が太陽や太陽系のスケールでこれらのプロセスを研究するために資金を得ていますが、より大きなスケールでの研究は、ビッグバン仮説という拘束具によって妨げられ、何百、何千もの有能な研究者が、失敗した理論を支えるために発明されたダークマターやダークエネルギーといった架空の存在に関する無駄な計算に振り回されています。オープンな議論は、その失敗した理論を一掃し、宇宙論を現実の現象の研究へと方向転換させ、この地球上で技術を進歩させることができます。今こそ、検閲をやめ、議論を始める時です。宇宙論は、ビッグバンが起こらなかったことが認識されれば、その危機から脱することができる。
end basketball
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連邦公開市場委員会(FOMC)の22日の政策決定を前に、スワップ市場が織り込む0.25ポイント利上げの確率は80%。対照的に、過去1年間の会合では毎回、トレーダーが少なくとも1回の0.25ポイント利上げを完全に織り込んでいた。その上、これまでの議論は利上げ幅が0.25ポイントか0.5ポイント、0.75ポイントのいずれになるかが焦点だった。
相対的に見て確信に欠ける状況は、10年超ぶりの米銀行大型破綻を受け、政策当局者が直面する問題がいかに複雑化しているかを浮き彫りにした。多くの投資家やエコノミストはここにきて、利上げを停止すれば当局はダメージや、地銀の信用収縮がどの程度経済を圧迫するかを判断する時間を確保できるとして、停止の論拠を指摘している。
MUFGセキュリティーズアメリカの米マクロ戦略責任者、ジョージ・ゴンキャルベス氏は、「FOMCは利上げして見通しについてはハト派的姿勢になる可能性もあるが、利上げを実施せず、先送りすると言って済ますかもしれない」と予想する。
同氏は米国債市場の低調な流動性が極端なボラティリティーや指標国債利回りの日々の大幅変動につながっている点に言及し、「市場機能はFOMCが一時停止を正当化する口実として何度も使われてきた。市場の不安定さを理由にした利上げ見送りを非難することはできない」と述べた。
ブルームバーグが調査したエコノミスト98人のうち11人は、FOMCが22日に利上げ見送りと発表すると予想。ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナルは0.25ポイントの利下げを予想した。
問題を複雑にしているのは、当局によるこれまでの計4.5ポイントの利上げに経済がほとんど反応していないことが最近の雇用とインフレのデータで示唆されている事実だ。銀行破綻の前には、多くの当局者が金融引き締めを継続し政策金利を少なくとも5.5%に引き上げる方向に傾いていた。
最近の市場混乱の前は、スワップ市場では米金融引き締めサイクルが9月まで続くと想定されていたが、現在では5月に金利のピークを迎えることが示唆されている。
パウエル議長は22日、銀行システムの緊張を抑え込む最近の措置に自信を示す公算が大きい一方、エコノミストや債券投資家は、地銀が新規融資を控え融資基準を引き締めると見ている。これはFOMCが政策金利を大幅に引き上げることなく景気の鈍化とインフレ圧力の緩和を実現することを示唆している。
バンガードのポートフォリオマネジャー、ジョン・マッツイレ氏は「中期的に、つまり6カ月から12カ月の間に、ターミナルレート(金利の最終到達点)は市場がこれまで考えていたような5.5%超ほど高くならないだろう。米金融当局は何かを壊す地点に近づいており、信用状況の引き締まりに伴い景気が減速するからだ」と予想した。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-03-21/RRW08RDWLU6901
夜の街を歩けば、流行のiPhoneを手にした若者たちが目につく。そんな彼らは、新しい製品にすぐ飛びついて、自分たちが消費することに満足しているように見える。
しかし、彼らが本当に必要としているものは何だろうか?多くの場合、単なる「欲しい」という気持ちや、同じものを持っている仲間たちとの競争意識が原動力になっている。彼らは消費者として、自分たちが生産するものよりも、他人が生産したものに依存している。
そんな受動的な消費者たちとは対照的に、創造性にあふれた生産者がいる。彼らは自分で何かを作り出し、社会に貢献することで生きがいを見出している。彼らはThinkPadを中古で買い、それを使って何か新しいものを生み出すことを目指している。
iPhoneを持つことがステータスとされる世界で、彼らの生き方はマイナーな存在となっているかもしれない。しかし、彼らが生み出すものが、将来の社会を変えるかもしれない。彼らこそが、社会を動かすエンジンであり、未来を切り開く存在なのだ。
彼らは資本主義社会で生きており、消費が彼らの存在意義を定義している。しかし、彼らが消費することは、単なる製品の購入以上の意味を持つ。彼らは、消費することで自己価値を認め、社会的地位を確立しようとする。
しかし、彼らが購入する製品は、大抵は単なる物質的な価値しか持たない。彼らは、より多くの財を求めるために、終わりのない欲望に取り憑かれている。彼らは、社会的に許容される消費者のイメージに合わせて、流行に合わせて、自分自身を改変する。
そのため、彼らは、受動的な消費者に成り下がることになる。彼らは、自分自身の欲望に従い、他人に支配されることになる。彼らは、単なる消費者として存在することになり、自分自身を創造的に表現することを忘れてしまう。
そこで、ThinkPadを中古で購入することが、より創造的であると言える。ThinkPadは、新しい製品を購入することに執着する人々とは異なり、古い製品を修理したり、再利用したりすることができる。それによって、彼らは自分自身をより創造的に表現することができる。
それは、消費することよりも、自分自身を創造的に表現することが重要であることを示している。消費は、自己価値を確立する方法ではあるが、それは単なる手段に過ぎない。重要なのは、自分自身を表現し、社会に貢献することである。
つまり、柴犬を買うことも、iPhoneを買うことも、消費に過ぎない。重要なのは、自分自身を創造的に表現し、社会に貢献することである。
https://anond.hatelabo.jp/20230316083855
https://anond.hatelabo.jp/20230316084129
そもそも部会での議論に関して、強姦などの直球の性犯罪の議論が重視されたためか、議事録を拝見した限りでは撮影罪については時間不足であるように感じた。もちろん被害の甚大さでいえばその通りであるが、加害者として巻き込まれることの確率でいえばその重要性は逆であることから、必ずしも撮影罪を軽視してよいということではないだろう。また、撮影罪について語る時間の少ない中で、性暴力に伴う撮影の議論が重視され、しかもその話題にはAV新法の成立に関連して強要されたAV出演と撮影罪の関係の議論も加わったことから、パンチラなどの純粋盗撮は議論が一層不十分だった印象である。そもそも盗撮ジャンルは大きなものでもパンチラ、風呂、トイレなどがあり、撮影の方法や主体がそれぞれ異なるという複雑さを備えている。例えば風呂は遠距離からの望遠もあるが、女性の外国人留学生などを勧誘して女湯に隠しカメラを持ち込ませることがあるようだし、トイレはカメラを隠すために壁などに加工(損壊)を伴うこともある。加えて、アスリート盗撮のように肉眼で見えているが撮影してはならないものも保護しようと試みて、結局アスリート盗撮は断念された。そのように、そもそも論では語れていない非性犯罪系の撮影罪の論点を残しながらも、肝心の撮影罪の議論も煮詰まっていない印象である。
いわゆる性的な盗撮と言っても職場や学校でカジュアルに盗撮して身内に拡散させるものから、商業的な意図で撮影を繰り返して大量に販売してしまうものまである。室伏広治はスポーツ庁の長官としてアスリート盗撮について何度かコメントを出しているが、その中で現役時代に自身も「アスリート盗撮」の被写体となった思いを語ったことがある。先に述べたような交通事故で意識不明の被害者やホームレス虐待、単に見た目がおもしろいだけでネットミームとなってしまっている壊死ニキ、マナーの悪い鉄オタを糾弾するための映像、醤油をぺろぺろする友人を撮影する撮影者や、災害被害者を馬鹿にする独白の撮影者など、盗撮としてそもそも議論すべきフレームが広大な中で、なぜ強姦等に伴うハードな撮影行為とセットでパンチラ等の盗撮だけを語ってしまったのか、それによって抜け落ちた部分がどこなのかについて、引き続き国会での撮影罪の議論でしっかり語ってほしいと思う。
盗撮罪が撮影に加えて頒布や取得も違法とするように構成されていることはすでに述べた。この3つは
という基本要素であるが、燃焼と同じでどれか一つを徹底的につぶせばゼロではなくとも大きく被害を低減することが可能である。
このうち撮る人は撮影罪がほぼ今の形で施行されれば大きく減らせるだろう。
流す人(≒マーケット)が壊滅すれば、撮る人事態は少数存続したとしても、お金のために膨大な人数を撮影する行為は止まることになる。すなわち自家用の程度でしか撮影しないし、膨大に複製・拡散されてしまうことでの被害を低減する効果は期待できる。
見る人はどうだろうか。マーケットが壊滅しても、残念ながら海外のサイトなどに拡散した膨大な数の盗撮映像があり、体感的にはおそらく顔・パンティがばっちり撮影された実用的な映像だけでもおそらく1万人は下回らないと見積もる。パンティのみや顔モザイクなど作品価値が高くないものも含めれば10万人ほどにも達するかもしれない。ただしパンチラファンの多くは削除された拙稿でも述べたがシチュエーションを重視している。
なおカリスマ撮り師の潜在撮影人数は、捜査関係者によるとのべ1万人程度と見込まれているとの報道があった。カリスマ撮り師がリリースした作品は500人程度であるため歩留まりは約5%くらいと見られる。カリスマ撮り師ほどのこだわりがない撮り師もいることから歩留まりを10%と仮置きし、10万人が販売されているとすれば、潜在被害者は100万人程度と言えるだろう。日本の生産年齢7000万人の半数3500万人の女性のおよそ30人に1人くらいが盗撮に遭っていると考えられる。なお年齢のスライドを考慮すべきだが、そもそも上記10万人やカリスマ撮り師の1万人という被害者数が約15年間くらいの累計であることから一定程度は考慮できていると言えよう。また、中年女性であってもパンチラにNTR的なアクセントがつくことからファンがおり、映像の結婚指輪探しなどが行われているため、若者と比べれば低率ではあるものの、必ずしも被害ターゲットから外れるわけではない。
さて本稿もほぼ終盤となってきた。見ると撮るは鶏と卵なのだろうか?書籍「盗撮をやめられない男たち」では目の前に短いスカートの人がいて手元にスマホがあったのでつい撮影してしまったというような人が一定数いることが示されている。同書は盗撮の再犯を重ねるなどして依存性が高いと判断され、塀の中でR3性犯罪再犯防止プログラムを受けたのちに医療に助けを求めた人たちへの聞き取りが収められており、500人規模のアンケート結果等が紹介されていた。その中で確かに「見たい」ので「撮った」という関係は一定数存在する。一方で市販の作品などで「見てしまった」から「撮りたくなった」というのは必ずしも多くないことが指摘されていた。そのため市販映像を徹底的につぶしたとしても、つい出来心でという自然発生的な盗撮は続くだろう。
盗撮のマーケットはカリスマ撮り師の逮捕の前から実は終わっている。マーケットに対し、おそらく警察や、国際クレジットカードブランドの決済引き上げ圧力などが行われたものと思われるが、盗撮映像に出演女性の承諾書などを添付させる規制が強化された。そのため本物らしい新作はほとんど見受けられない状況が続いており、一時的な風雨(例えば東京五輪や大阪万博)を凌いで元通りということも考えにくい。レビューブログについても影響を受けているようである。レビューブログの収益源はレビューのページビュー数と連動した広告というよりは、レビュー記事からマーケットに飛んで購入したコンバージョン広告である。そのためレビュー対象の作品の出品が取り下げられてしまうと、記事だけ残しておくモチベーションはほぼない。今のところ聞いたことがないが、レビュー記事も名誉棄損で訴えられるようなことがあれば大きなリスクとなるため、出品中止作品のレビューはすぐに削除されるというのが最近の動向である。結果、公式にはマーケットの盗撮作品やそのレビュー記事は急速に減少しつつある。
では事態は改善に向かっているか?むしろ急速に悪化している。それは海外の転載エコシステムに組み込まれてしまったためだ。報道などを機に関心を持った新規組が作品に尋ね当たろうとすると見つかるのは転載作品ばかりである。典型的な転載エコシステムは漫画や音楽などと同様であり、リンク集である「リーチサイト」とデータ本体を掲載する「Webストレージ」からなる。前者のリーチサイト自体が有料会員制である場合もあるが、多くは無料でリンク情報だけを配信しており、後者のWebストレージは1日にダウンロード可能なデータ量が会員ランクに応じて定まる。撒き餌として無料会員枠が設定され1日に1GB程度はダウンロードできるが、1か月に15USDや30USなどを払えばそのダウンロード帯域やデータ転送の総量が100倍や無制限へと緩和していく。
このエコシステムはあまり解明が進んでいないが、私の知る唯一の事例では東南アジアの某国でリーチサイトとWebストレージの両方を一体的に運営していた首謀者が摘発された事件がある(2014年4月)。その売り上げは約6億4000万円とされており、同国の平均年収が当時30万円から50万円とされていたことから2000年分に相当する。日本に例えれば年収500万円の2000年分で100億円ほどの売上になったといえるだろう。この金額を見れば、今後も著作権法の整備が十分でない発展途上国が、先進国からの支援で光ファイバーと発電所を整備し、アングラなインターネットビジネスに手を染める行為をとどめることは難しいと考えられる。捜査能力の不十分さから見ればローリスクである一方でハイリターンが見込めるからだ。(ただし捜査能力が不十分過ぎて捜査過程で不透明な死を向けるリスクもあるだろう)
また、満足な産業が発達しなかったルーマニアではソヴィエト崩壊後の国難の中で生き残りをかけてインターネット整備を進めた。そのことでブカレスト工科大学などに計算機工学の専門家が集まったが、2003年頃にハッキングは稼げる手段であることが一部の国民に知られるところなり、「サイバー犯罪の巣窟」とまで言われるようになってしまった。現状もその状況が続きつつ、ホワイトハッカー育成などセキュリティ産業でも活躍するおもしろい国家となっている。
そのように色々な事情を含みつつ、リーチサイト規制は国際クレジットカードブランドを中心に強化が進むが、ビットコインなどでの支払手段も開発されており、いたちごっこが続きそうだ。
こうした中で本邦において盗撮罪が強化されて新規供給に歯止めをかけることができたとしても、過去作品の流通を止めることは相当に難しいと考えられる。漫画や映画の転載は被害規模が桁違いに大きく、また大半の国が違法と判断できるが、それですら拡散を止めることができていない。であるのに対して盗撮は違法ではない国も多いため、国際的な刑事捜査の枠組みに協調して摘発してくれる動きは遅々としたものになるだろう。あるとすれば、安保理決議に基づく経済制裁措置の14のレジーム、いわゆる形容詞のつかない"Sanctions"の対象国が外貨獲得のために行っているとされるサイバー犯罪の一環としてこうした不法なコンテンツ流通が大規模に摘発されるという流れに期待する他ないだろう。一説によると、ごく一部の国は正義に大義が勝りどんなことでも行うが、いわゆるブラック国であっても彼らなりの正義はあるため、違法コンテンツについても線引きを行って取り扱うなどの仁義があるそうである(例えばポルノではなく映画のみを扱う、等)。そうであれば日本の店員さんのパンチラ映像は彼らの倫理に照らしてどのように裁定されるのだろうか?
また、そもそもリーチサイトですらない拡散手法もある。ストリーミング系サイトがそれであり、何某hubとかx何某という感じのサイトである。大量の広告によって運営し、有料会員となると広告が外れたり解像度の制限が解除されるというフリーミアムモデルが多い。パンチラ映像がここに載ってしまうと、とりあえずどんな感じかがわかるレベルであれば誰でも容易にアクセスできてしまい、ダウンロードまでの手間が大きいリーチサイトと比べて被害は各段に拡大するだろう。それだけでなく、彼らはアングラであってアングラではない陽キャな側面があるため、リーチサイトと違って隠れようとする意思がない。画像検索などで見つかりやすいようにサムネイル画像にAI技術を採用し、よりクリックされやすいサムネイルを積極的に見せるといったことも行っている。一般にリーチサイトは一部のヘビーユーザーの定着を図りながら、当局からの摘発を逃れるために水面下に潜む傾向にあるのと対照的だ。
また、被害者にとっては自身のパンチラシーンがどぎついハードコアポルノと並べて表示されることも嫌悪感に繋がりそうである。加えて、同種のパンチラ映像の中でも再生回数やお気に入りの★の数で差がついてしまい、仮に自分だけ人気がなかったりすると、それはそれで嫌な要素となるかもしれない(人気があっても嫌だろうが)。
加えて、一義的なコンテンツオーナーは撮り師であるため、DMCAで削除させるには彼らの手を借りる必要がある。一般AVであれば発売元が倒産しても業界団体等を頼る手があるが、パンチラは基本的に草の根型であるため当人以外に削除の申し立て権限が分散している可能性が低い。カリスマ撮り師のように獄中に入ってしまえばアプローチし得るが、大半の撮り師は姿を消してしまっており、せめて転載コンテンツの削除活動に付き合ってほしいと願っても、居場所が分からなければ働きかけようもないのである。自分の顔を送り付け、ここに映っているのは自分なので削除してほしいと願い出ても、出演契約などがどうなっているか分からなければプラットフォーマー側からは削除等の対応を取ることは難しいだろう。DMCAの仕組みとしてもそういった変化球まで規定されているのだろうか?
削除稿での「パンチラAV女優」の表現は撮り師や掲示板等で用いられている表現を紹介したものだが、読者の方からは否定的な意見が多くある表現だった。ただし実体はそrを上回っており、ストリーミング系サイトに転載され、少々の広告を踏めば誰でも無料で見られるという状況に置かれると共に、隣り合うのは本職のAV女優たちという状況に置かれてしまっている被害者が一定数存在する。パンチラ盗撮被害者はいわばYouTuberならぬPanTuber(ぱんちゅーばー)状態であるといえるだろう。法案に目を通した限り、少なくともパンチラに関して言えばマーケットは既に縮小していて実効性がなく、PanTuber化は海外サーバの事案なので法の網がかからない。漫画リーチサイト規制ではブロッキングが議論され炎上したが、漫画家の収益よりもシビアな盗撮問題では適用が許容されるだろうか?
ちなみに冒頭で触れた福岡地裁の名誉棄損判決に至った盗撮事件であるが、風呂、トイレ、パンチラなどの各種盗撮作品を扱うマーケットおよび撮り師が一体的に摘発されたもので、10億円の被害があったとされる。この判決では
(続き)
昨年25周年のツアーsilver jubilee、俺はひとつも行けなかった。悔しいし悲しい、一緒に25周年をお祝いしたかった。もちろん最後の幕張も。
今回のbe thereもチケット1箇所当たったが、まだゼロの人もいれば複数当たっている人もいて、どうなってんだと思っている。倍率がおかしい、サブスクのおかげでファンの数がめちゃくちゃ増えているんだろうな。
藤が丸くなった、と感じることが増えた。それは曲からも伝わってくるし、最近のmcでも、藤がリスナーに慈愛を持って曲を届けてくれていることがよくわかる。藤ももう歳をとったのだと、俺は嬉しくもなる。ほとんど参加できないが、mcの内容をネットに放流してくれる人達には感謝している。ロッキンのも良かったな、文面でも熱くなった。
だからか、藤は最近よく寂しいとライブで口にする。しかもラストのライブだと余計に。
最近Netflixに登録したらBUMPのライブが入っていた、知っていたがライブを改めて見るということがあまりないため特に気にしてなかった。Blu-rayはもちろん買うがコレクションであって、うちには再生できるデバイスもないし、観ることはなかった。auroraarkは運良く大阪に参加した、仕事柄なかなか遠方に参加は難しい。俺はな、同じように仕事の都合がつかない人は医療関係者には多いのではないだろうか。
そしたら藤はアンコールで特別な演出をした、途中メロディーフラッグを口ずさんだ、俺の行った大阪ではなかった。あんなに惜しんで、メンバーやスタッフに無理を言ったアンコールを、俺は見ていない。
悲しくなった、藤たちBUMPのメンバーにとっては長いツアーのそれが最後の1日だろう、でも俺にとっては、他の人にとっても、自分が参加できたらライブが最後の1日だった。複数当たっていたらもしかしたら、でも、俺は1日しか行けなかった、俺にとってのたった1日は、複数行く人やBUMPにとってはただの通過点なんだろうか。寂しいと思ってくれないのか、俺に会えるのはその日だけなのに、と思った。
藤は、お前に歌ってるんだ、と言った。このセリフauroraarkでは全部のライブで言っていたと思うが、俺はこのセリフで、ああ藤は全部の曲を俺に、BUMPの曲に出会ったリスナーに歌ってるんだと実感した。そういう人は多かったんじゃないだろうか、でもNetflixの動画を見たら、結局惜しいのは、最後あの東京ドームにいた人たちだけなんだと、ものすごく、切なくて、悲しくて、苦しくなった。東京ドーム1日目の人は得られなくて、最後の最後の人たちだけが得られるもの。わがままなのはわかってる、でも、俺だって特別が欲しい。
藤も丸くなった、前にインタビューで寂しいなんて言うなよと言っていたのに、今は寂しいと言う。Twitterで藤はどこか悪いんじゃないか、だからあんなに恋しそうにするんじゃないかと言っていた人がいて、俺は少しドキドキした。元気そうで安心した、ずっと元気でいてくれよ、ずっと音楽してくれよ。
それでも、なあ、最後の最後、そこにいない俺たちにはもっと寂しがってくれないのかよ、惜しがってくれないのかよ、俺は通過点の中の1日にしか参加できない。
25周年の時、一緒にお祝い、となっていたけど、現地にいない俺たちは一緒にお祝いできてないことになるのか。俺たちは、silver jubileeに参加できなかった俺たちは、お祝いできてないと感じているよ。しょうがないよな、入れる人数は限られていて、BUMPがライブできる日程だって限られていて、だから当たるも当たらないも運なんだ。仕事で来られない人もいる、そもそも参加できない人もいる、それだけのことなのだ。それはしょうがない、でも、俺は、俺はただ藤たちに、BUMPに、寂しいと思って欲しいのだ。初日にしか参加できなくても、途中の1日にしか参加できなくても、藤に惜しいと思ってもらいたい。
藤が丸くなったのとは対照的に、リスナーの、特に藤たちと同い年ぐらいのリスナー、はどんどんと心が狭くなっていくし思いやりもなにもなくなっていっている。
今はもうやめてしまったがBUMPリスナーと交流する用のTwitterアカウントを持っていた。そこでは割と幅広い年齢の人たちと交流をしていて楽しかったのだが
他にも当たってない人いますし、そういうこと言うのはどうかと思います!私でも当たりましたよ!
など、わざわざ個人の嘆き悲しみのツイートに対してマウントリプをしないと気が済まないのは、大抵藤たちと同い年ぐらいの40代以上のリスナーだった。それを言われて俺が嫌な気持ちになることも考えられない。これをマウントだとわからないでやってるからタチが悪い、もちろんわかってやってる人もいるだろうが、ほとんどはそんなつもりないのだ。
一方俺と同い年ぐらいか20代のリスナーは、そんなマウントを取るようなことはわざわざ言ってこない。
藤が歳をとってラストを惜しがるように、リスナーも同じような気持ちになって後がないと感じているのだろうか。それにしたってわざわざ行けない人や悲しんでる人にマンウト的なリプを送るのはどうかと思う。黙っていられないのか。
もしこの増田に批判的なことを言う人がいたら、わざわざ批判的なコメントをしないと気が済まない人がいたら、きっとあの人たちと同じような人なんだろうな。
古きよきイギリスはもはやフィクションにしか存在しない。現実世界のイギリスはアジア人によって徹底的に侵食された。アジア人が首相になったら最後である。そう遠くない将来、純粋な白人のイギリス人は存在しなくなり、全てのイギリス人がアジアの血を引くだろう。アジア系に完全に染めあげられたイギリスは、多様性のある国とは言えない。「ヨーロッパの中のアジア」だ。
フランスが、モロッコ系やアルジェリア系住民を抱えつつも、白人コミュニティをかろうじて保持しているのとは対照的だ。フランスの白人コミュニティはマグリブ系に完全には侵食されていないが、イギリスの白人コミュニティはアジア系に完全に侵食された。
魅力的なイギリス文化は、アジア人に侵食される前の、白人によって築かれた文化である。アジアに侵食されたイギリスに魅力はない。
Bingに日本におけるケモノについて聞いたら「ケモノのジャンルにはどんなものがありますか?」という質問フレーズがくっついてきた
公序良俗に反するのでこれ以上の言及はダメですとか言われるかと思いながらおそるおそる押してみた
- ファーリー (furry):西洋のケモノ文化のことで、ケモノキャラクターを描く人や好む人のことをファーリーと呼ぶ。ファーリーはケモノの中でも人間に近い姿のものを好む傾向がある。
- スケイリー (scaly):爬虫類や魚類などの鱗を持つ動物をモチーフにしたケモノキャラクターのことで、ファーリーとは対照的に人間に遠い姿のものを好む傾向がある。
- アヴィアン (avian):鳥類をモチーフにしたケモノキャラクターのことで、羽やくちばしを持つものが多い。アヴィアンはファーリーやスケイリーとは異なり、人間に近い姿と遠い姿の両方が好まれる傾向がある。
- フィーダー (feeder):昆虫や節足動物などの小動物をモチーフにしたケモノキャラクターのことで、触角や多数の足を持つものが多い。フィーダーはケモノの中でもマイナーなジャンルであり、特殊な趣向を持つ人が好む傾向がある。
通りすがりだけどBingちゃんに聞いてみた。ご飯食べながら書いたので2番目の質問を推敲する気力がなかったがわかってくれたみたいでよかった。
こんにちは、こちらはBingです。お手伝いできることがありますか?😊
ぼく 『ディズニーの「美女と野獣」に登場する「野獣」は獣人と呼ばれる半分人間、半分動物の姿をしています。最近のファンタジー作品の獣人の人気の高まりを受けて、野獣という言葉は対照的な状態を表す揶揄の表現として適切ではなくなってきていると思います。「野獣」のかわりになるような言葉があればいくつか教えてください。』
ディズニーの「美女と野獣」の野獣は、確かに獣人と呼ばれる存在ですね。獣人は、人間と動物の特徴を併せ持つ架空の生き物で、ファンタジー作品によく登場します。
野獣という言葉は、野生の動物や荒々しい人間を指すことが多いので、獣人に対しては適切ではないかもしれません。
野獣の代わりになる言葉としては、動物の種類や特徴によって変わると思いますが、例えば以下のような言葉があります。
- 狼男(おおかみおとこ): 人間と狼の特徴を併せ持つ獣人。満月の夜に狼に変身するという伝説があります。
- 猫人(ねこじん): 人間と猫の特徴を併せ持つ獣人。耳や尾などが猫のようになっています。愛らしいが気まぐれな性格が多いとされます。
- 獅子(しし): 獣人ではなく、ただの獅子ですが、王者や勇敢さの象徴として使われることがあります。美女と獅子という表現は、美女と野獣よりも尊敬や畏敬の意味が強いかもしれません。
- 熊(くま): 獣人ではなく、ただの熊ですが、力強さや温厚さの象徴として使われることがあります。美女と熊という表現は、美女と野獣よりも親しみや愛情の意味が強いかもしれません。
以上のように、野獣の代わりになる言葉は、動物のイメージやカップルの関係性によって変わります。また、動物にまつわることわざや慣用句も参考になるかもしれません。
まずいな、ブクマ10usersくらいつけば御の字だなって小ネタ、増田に書いて待つよりもBingチャットに投げたほうが心休まるのではないか…
という名のただの各話感想。
放送前は円盤を買う気満々だったが、放送を迎え無事失望。原作ファンとして手の平を返さざるを得なくなり、MAPPA、プロデューサーおよび監督に消極的NOを表明するために控えることにした。
また、直販特典の収納BOXのデザインが自称映画マニアの高校生がドヤ顔で作ったようなイタいパロディイラストだったのも失望の一因となった。この特級呪物が監督自身のアイデア(本人Twitterより)だというのだから、まったく救いがない。
正直なところ、押さて欲しいところさえ押さえてくれれば、たとえフルCGでも買っていた。しかし結果は数々のマイナス点を作画がんばり賞で補填してやっと70点のアニメという印象で、これに全ツッパしたMAPPA正気かと嘆く他ない。
というわけで以下。
山下清悟監督。本編とは監督が違うことを強調したい。今すぐ催眠術にかかって、OPアニメが本編だと信じ込みたい。縦横無尽に動き回るデンジ、壁の穴がCSMになっている遊び、外連味……見たかったのはオシャンなシネマじゃなかったことを毎話思い出させてくれる。そして米津、ただ、ありがとう。
1話 映画風エンドロールがかっこいい。映画風演出で一番ハマってたの1話のEDじゃないかな。
2話 微妙。
3話 毎週これにしろ。
4話 アニメは『テレキャスタービーボーイ』と同じ人らしい。好みの曲ではないが癖になる。フルMVはチェンソーマンとは無関係のストーリー仕立てのアニメで、そっちも面白かった。
5話 好みじゃなかった。
6話 印象に残らない。集英社公式がコミックス発売記念に出していたMADの方がマシ。
7話 EDでまでゲロキスを擦るのはスベッている。あれは一発きりだからこそパンチ力があるんだよ。一回ウケたら図に乗って同じことを何回も言うおもんない奴のようなイタさがあった。
8話 おしゃれダークっぽい雰囲気。好みではなかった。
9話 おしゃれダークっぽい雰囲気。好みではなかった。
10話 なんとなくNARUTOのED『スピード』を思い出す。あれ好きなんだよな。
12話 安定。
結論 毎週変わると全曲の印象がぼやけて何も残らない。やはりEDは一定期間固定するのがベストだ。
問題は、インフレを予測する正しい方法とは何かということです。最近の物価と賃金の測定値をパンデミックによる特異性に重点を置いたボトムアップ分析するか、経済がどれだけ上または下にあるかを示す従来のトップダウン分析です。その通常の容量。
影響力のあるスタッフを含むFRB内部の一部は、後者をより重視しており、これはより長期にわたる引き締め政策を主張するだろう. 他の人は前者を好み、より穏やかなアプローチを主張する可能性があります.
FRB は水曜日に金利を 4.5% から 4.75% の範囲に 4 分の 1 ポイント引き上げる可能性が高く、 2 回連続の会議での上昇は鈍化します。そうなれば、当局者は以前の利上げの影響を研究する時間が増えるだろう。彼らは、利上げをいつまで続けるか、そしてその高い水準をいつまで維持するかについて議論する可能性が高い.
連邦準備制度理事会と民間部門のエコノミストがインフレを予測するために使用する主力モデルは、国の財とサービスに対する総需要と、「産出ギャップ」で表される総供給を比較します。これは、実際の国内総生産と利用可能な資本に基づく潜在 GDP の差です。そして労働。また、失業率が一定の自然で持続可能な水準を下回ると、賃金と物価がより速く上昇すると予測するフィリップス曲線にも依存しています。
これらの変数を推定することは、パンデミック後やウクライナでの戦争中はもちろん、平時でも困難です。自然失業率は、物価と賃金の動きからしか推測できません。10 年前、FRB 当局者はそれを 5% から 6% の間に置いていましたが、実際の失業率が 4% を下回ったため、賃金の大幅な上昇は見られず、その後 4% 前後に下方修正されました。
ジェフリーズのチーフエコノミスト、アネタ・マルコフスカ氏は、12月の金利とインフレの予測は、自然利子率が一時的に約4.8%まで上昇したと彼らが考えていることを示唆している. 失業率が現在 3.5% であることは、労働市場が逼迫しすぎており、賃金圧力が高くなり続ける可能性が高いことを示唆しています。
先月の連邦準備制度理事会の議事録は、中央銀行のスタッフエコノミストが、仕事のマッチングが非効率なままであるため、自然利子率がゆっくりと低下する可能性があると考えていることを示しており、価格圧力が以前に考えられていたよりも長く続く可能性があることを示唆しています.
スタッフはまた、労働力の伸びが鈍いため、潜在的な生産量の見積もりを下方修正し、実際の生産量は持続可能なレベルをさらに上回った. スタッフは、この産出ギャップが 2024 年末まで続くことを確認しました。これは、わずか数週間前の予測よりも 1 年長くなります。
ジュネーブで経済コンサルティング会社を経営する元FRBのエコノミスト、リッカルド・トレッツィ氏は「これは大きな動きだった」と語った。「スタッフは委員会に、『今あきらめてはならない。そうすれば、中期的にインフレ率は2%を大幅に上回ったままになるだろう』と言っている」と述べた。
それでも、FRB当局者は、GDPギャップとフィリップス曲線に過度に固執することに慎重です。過熱した労働市場は賃金に最初に現れる可能性が高いため、多くの当局者は、それらを潜在的なインフレ圧力のより良い指標と見なしています。賃金は、雇用主が物価や生産性を通じて回復できると考えているものと、労働者が自分の生活費を考慮して何を期待しているかを明らかにします。
賃金が最近の 5% から 5.5% のペースで上昇し続ければ、生産性が年間約 1% から 1.5% 上昇すると仮定すると、インフレ率は FRB の 2% のインフレ目標をはるかに上回ります。
これが、FRB の政策担当者が先月、今年のインフレ予測を上方修正した理由です。より高い賃金上昇は総所得を押し上げ、より高い価格を維持できる消費力を提供します。当局者は、1970 年代に起こったように、労働市場が逼迫しているため、賃金が物価に連動して上昇する可能性があると懸念している。
先月の会合以降、臨時雇用や労働時間の減少など、労働需要が軟化した可能性を示す証拠が増えている。賃金の伸びが 4% に落ち込んだ場合、インフレ率を 2% にすることはより簡単になります。
労働者の供給が増えれば、賃金の不安は和らぐだろう。UBS の米国チーフ エコノミスト、ジョナサン ピングル氏は、移民が回復するにつれて労働力不足が緩和される可能性があると考えています。先月、国勢調査局は、2017 年以来初めて、6 月までの 12 か月間の純移民が 100 万人を超えたことを示す見積もりを発表しました。
FRB 当局者は雇用コスト指数を注意深く見守っています。第 4 四半期の数字は火曜日に発表される予定です。
食品とエネルギーを除く個人消費支出の物価指数の 12 か月間の変化で測定されるインフレ率は、9 月の 5.2% から先月は 4.4% に低下しました。FRB の 2% の目標をまだ上回っていますが、過去 3 か月で年率 2.9% まで緩やかになりました。
商品の価格が下落しているため、インフレは鈍化しています。住宅費の大幅な上昇は鈍化しているが、まだ公式の価格計には反映されていない. その結果、FRB議長のジェローム・パウエルと数人の同僚は最近、食料、エネルギー、住居、商品の価格を除外することで、労働集約的なサービスのより狭いサブセットに注意を向けました.
パウエル氏は、12月に前年比4%上昇したこのカテゴリーの物価は、消費者物価に波及する高い賃金コストの最良の尺度を提供すると述べた。
今月のスピーチで、FRB副議長のラエル・ブレイナードは、その見解をより楽観的に再評価し、賃金と住宅以外のサービス価格との関連性が弱まる可能性がある理由を強調しました。
彼女は、賃金の伸びとは対照的に、現在反転している最近の世界的な混乱の波及効果を反映している場合、物価上昇が緩やかになる見通しを指摘しました。たとえば、レストランの食事、自動車保険、航空運賃の価格は、主に食品価格、自動車価格、燃料価格の上昇がそれぞれの原因である場合、緩和される可能性があります。
UBSのピングル氏は、「賃金圧力が自然に緩和している場合、賃金と価格のスパイラルが進行することを本当に心配するという話をするのは難しくなる」と述べた。
連邦準備銀行の元エコノミスト、ジョン・ロバーツ氏は、サービス・インフレへの圧力を緩和するために、賃金以外のコストを削減する余地があると見ている. 「しかし、中期的には、ここでパウエルの議論に頼らなければならない. 「もし賃金の伸びがこれまでと同じように高水準にとどまるなら、彼らは依然としてインフレの問題を抱えることになるでしょう。」
同類とかキモイとかエモいとかもうなんでもいいけどその言葉で言うのはOKなのかどうかって話なんだけど
なんとても言ってイイよ
好きな単語を使うといい
おなじ「使う」じゃん人にむけようがつぶやこうが同じでしょとか言うじゃん?
違うからね
使ってるコト自体は同じでもその話をしてるわけじゃないのは解るよね
口で説明してわからないのだからそれ以外で説明するしかないんだもん
「包丁で刺してもいい?」ってもちろん刺してもいいよ
そうでなきゃ刺身はつくれない
だけど「あなたにむけて」刺してもいいかっていわれたらそりゃだめでしょ
「同じ刺すなのに?」ってはっきりいってもう口で説明しても無理ってわかるじゃん
いい意味でとか悪い意味でとかってのを小出しにあとから「もとは同じですよね」で上乗せしていくのは「もとが同じ」ではないから
出発点が同じなだけでおなじ場所から出発して目的地にたどりつく速さを競ったらみんな同時に着くと思う?
思わないよね
キモイとかエモいとかピチョいとかポニョいとかグロいとかテロいとかなんとでも好きな表現でその気持ちの高ぶりを表していいよ
それ表現するってことは「だれかにその意図を伝えるため」にしてるわけだよね
その解説の内容によるってコト
伝えたい内容はどんなのかってことが問題でその情報を自分の中だけにとどめておかずに他の人に伝達することの目的とか意義とかが問題だってこと
その単語が他の人がどう受け取るかだいたい予想しながら使ってるわけでしょ
どういう印象をもつか考えながらほかの人の印象を操作しようとおもって通常らしからぬ形容表現にして自分の独自の思考方法をたどらせようとしてるわけでしょ
たとえばね
「びっくりする」わけじゃん
それが
「死ぬほどびっくりした」っておまえしぬんかーいみたいなのとか
「キモすぎヤバかった」ってカエルか状況か動きかそういう偶然性について自分のその瞬間が通常でない比喩になる特別性を持たせたわけじゃん
箱もカエルも跳び出すも関係なくその状況にある自分についてのみ語り始めてるわけじゃん
そんなの事実でもなんでもないよね
説明しただけでもない
その自分も含めて当然にあるべき通常の普通を特別にするために「特別ヤバい」とか「特別キモい」とか対照的に落とすか自分を神だと高めるかくらいしかできないよね
みんな何かに似てるとしたり描写を具象にしたり文学みたいなのはそういう手段を学んできたわけだけど
そんなまどろっこしくておくゆかしいものよりガツンとダイレクトにインパクトがほしいんだよね
運動したり美容をしたり勉強したりずっと続けていたりして努力して唯一無二になった視野を淡々と語るだけでも特別になるよ
そうじゃない場合はほかの何かが唯一無二の特別性をもった「酷い・悪い・程度が低い・迷惑・残念・キモい・エグい」なんて貶めてその横にいる自分は普通なのに「比べればすごい」と引き上げる方法はよろしくないよね
その基準を公にしてみんなにシェアして印象を変化させる結果になる言動でその欲を他人からうけて満たそうとしてはいけないってコトだよ
自分の中だけで「全員バカでサイテー。クズでキモいから自分は最高で素敵」と思う分には問題ないよ
それを口にだしてシェアして「あなたは最高ですね」といわれたいがために他のだれかを最低であるとする根拠をもってこようとするのはダメってコト
ただの真実を言ってるだけとかいう手をつかって自分の中だけにある自分独自の基準をシェアしようとするのもダメってこと
そこで
馬みたいに足がはやいですねっていうのはアリですか?って質問したとするじゃん
「アリです」っていわれたとするじゃん
「じゃあ豚みたいにかわいいですね」って言うのもアリですよねってつづけようとする人がいたとするじゃん
それはダメだよ
馬と豚はちがうよね
同じだと思ってるのはどこか壊れてるんじゃないかな
同じに見える?同じじゃないよね?
そしたら「そういう意味じゃない」って言うよね
じゃあどういう意味なの?
その意味付けをしている自分の視点を共有しようとしてきてるよね
違うっていってるのに同じに見える視野から見ろって言ってきてるわけだよね
そうじゃないしそうはならないって言ってるのに
馬と豚が同じに見える視点は持ってていいよ
ただそれを人にむけたりするのはよくないってコト
人にむけちゃいけない価値観やバランス、思考みたいなのをだれしも持ってるって理解をするのが大事だよね
その上でみんな違うし同じなところもあるだろうし状況とかタイミングでもかわるかもしれない
それを知るためにはまず最低限同じ基準で違いを理解する必要があるんじゃない?
いきなりキモいとかエグいとかスゴいとか使っていいかってコトより先にそれがどういう意味とか方向性で使われるかって前提をおいてから共有しないとトラブルの元だよね
ふつうにありえないつながりで表現してるからみんなそれを珍しいと感じてそれがどういう事なのか理解しようと注目するけどその注目ほしさにおかしな行動することあるじゃん?
いわゆるギャグとかそういうのやとんちとかユニークさとかそういうの
「おいしすぎて頭がエグれてブチぎれそうにハッピーでクソ最高」とか通常ではありえない言葉をつなぐわけじゃん
その状況が通常ではないから通常どおりの理解をしようとするためにはそれに付帯する情報を得ようとするわけだよね
いわゆる注目を浴びてるような状況
羨望だろうが蔑みだろうが冷たかろうが暑かろうが「注目」にはかわらないよねっていうのが炎上商法だったりするとこあるよね
その意味わかんないビジネスマナーとか社会人の知識とかで注目を得ようとしてるのってけっこう見るよね
そうあんなの
ローンチって言うとかソリューションだとかエモーショナルとかストラテジーとか言うのもそんなかんじ
意味わからせないようにして注目されようとしてる時点で説明に魅力がないのバレちゃうよ
音の感じとかなんとなく他の印象につられるように名前をつけたり形容したりしてるよね
でもそれは、それを共有できる仲間とだけだよ
まず前提として自分が比喩しようとしてるそれらについての印象とか見解を話した上で理解されてから印象の比較をだして、並べた理由はその先に話がつながるために必要だったのなら使うのは問題ないよ
まず前提がない状態で特別なとりあわせを提示して、そこに説明が必要になる状況においた上で自分の説明を語らせる自分語りの導入のために不明な表現は理解度の高くない相手にいきなりすべきではないよ
ぶっころすとか
キモいとか
組み合わせだけで自分語りの導入のためにインパクトを持たせる目的で学校でならってないような表現を出すのはよろしくないよってことだよ