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はてなキーワード: 対照的とは

2021-05-09

転職エージェントのRがかなり厳しそう

競合に在籍しているものです。

中の人から聞いた話。

最近めっちゃ人出てるらしく、なんか大丈夫か?とおもってここで吐き出す。

 

大まかにまとめると厳しい理由は3つくらいある。

 

1つは、サービス進化していない割に、競合が激化。

慢性的人手不足があるので、業績はクソ下がるという感じではなさそうだけど、たぶん昨対比でもだいぶ厳しそう。

差別化ができないのに競合が多くなってきていて、ジリ貧になりつつある。

人材紹介って20年前からビジネスモデルかわっていないんだって

 

副業みたいな、正社員フルタイム労働力だけではない、細かなピース必要労働力を埋める手段とか、ダイレクトリクルーティングみたいな採用パイを奪い合うサービス

雨後の筍のようにどんどん出てきているので、顧客離れが激しい。

そもそも人材紹介は価格がめちゃくちゃ高くてサービスに対しての対価が見合っていない。これはうちもおんなじ。

 

2つ目は、新しい事業への投資ができていないこと。

ずっとエージェントだけやってて、一応、HR Techみたいなシステム周りへの投資もやっているみたいだけれど、ほぼ撤退しているらしい。

今あるシステム無料ということだけが売りで、界隈では使い物にならないシステムとのことで有名。

こんなことになっている理由は、前にDNP問題やらかししまったので、新しい事業への投資がしずらくなってきているらしい。

競合にあたるPはここぞとばかりに新規事業を作りまくったりアライアンス他者と組んだりして、追い越そうと投資しかけまくっている。

うまくいってるものは徐々に増えてきている感じなので、事業単体でみると遠い将来追い越す日が来るのではないかと思ったりしている。

個人的には、データベースでの差別化しかできないから、M&Aしたりアライアンス組むのは割と筋がよいように思う。

 

ちなみに最近だと圧倒的に起業家はPのほうが多くて、Rの人が起業するってのはまじで聞かなくなってきてる。

新しい事業への投資がないから、スキルとか経験をもった人材が育たないんだろうな。

組織カルチャーの存続の難しさと、組織の儚さを感じるね。2年くらい前まではイケイケだったのに。

 

3つ目は、社員モチベーション要因、これまではかなり業績も良かったので、なんとかなってきた部分もあるようだが、

企業が欲しい人材と、応募したい候補者システムマッチングされるので、人がやっていることはごくごく一部。

 

でもやることが多いから忙しいけど、単純作業がすごいおおいので、疲弊してしまうらしい。

コアになるようなスキルとか経験も身につかなくて、このままでいいのかな、って思ってやめるらしい。

 

他の大手人材のJとかは、業績クソ伸びてるらしいけど、なんか対照的なんだよな。。。

エージェントに求められるものが変化しているのに、全然適応できていなくて、ちょっと心配になるレベル

上に挙げたもの以外でも事業とか組織レベルでも何か大きな問題が起きているようにしか思えない。

 

要は大手人材エージェントは今質がよくないから、がっつりつかうのは微妙なので、自分知識つけて応募したい求人にだけ受けさせてもらうくらいの使い方がよさそう。

それかできるだけ直接応募とか、ビズリーチとか、LinkedIn企業からスカウトしてもらうほうをがんばったほうが良さそう、という話。

2021-05-04

菅の頑張ってない感は異常

コロナ対策に失敗してるとか、五輪強行しようとしてるみたいな政策どうこうじゃなく

根本的にやる気が感じられないというか

二階の操り人形ですってのを隠そうともしてなくない?


吉村とか河野とは対照的やよね

それがいいかいかわからん

2021-05-02

anond:20210501234811

これは仕方ない面もある話だけどSFMLはIME対応をバッサリやらないとフォーラムだったか作者だったか書いてたよなあ

でもGLFWのIME対応日本人のプルリクが受け入れられてたはずで、今は日本語普通に入力できる

もちろん、中国語韓国語も同様に入力できるようになった

アルファベット圏の人たちはほんと多言語対応あんまりしたがらない

(まあ、最近ちょっと違うかもしれない。あとSFMLは余計なコードを入れずシンプルなままでいたいのだとは思う

なんだったかな、日本人がプルリク出したら却下されたんだけど、中国人強気で出してやっと採用されたような話があったはず

コミュニケーション能力というか、ゴリ押しコミュニケーションなんだよなあ

そう考えると、多人数によるプログラミングコミュニケーションのウェイトが高くなりすぎて駄目になる可能性があるわけで、

当たり前だけど、だったら一人でとぼとぼ書いてる方が気持ちは楽なんだよな、気持ち

集団やチームワークならではのパワーが発揮されなくなるけど

まあ、でもプログラミングの良い点としては分割されているというのがあると思うし、

論理的思考をしているならば正しく分割、単純化抽象化されているはずなので、

例えば閉鎖的なコミュニティーとか人種差別とかそういうのが嫌でも、そのライブラリをとりあえず使えばまず最低限動かせる

次にそのモジュール既存コードに頼らずに再実装するとか迂回して、それにそげ変えればいい

どっちかというと、こういうのはライセンスの話が多いと思うのだけれど、こういう点がプログラミングの良い所だと思う

あと、GIMP昔はゼロから比較的楽にビルドできた気がするんだけど、今のGIMP自分ビルドできそうにない

GEGLとかコンセプトはいいんだけど、なんか移行してたり移行してなかったりが混在してたり、ややこしくなった感がある

Blenderの復活劇とは対照的な気がする

というか、ほんとBlenderは化けたよなあ

BlenderPython操作してモデリングできるぐらいPythonなんだけど、Python言語として生き残ったというのもあるなあ

2021-04-11

社説余滴)普通なんてどこにもない 古谷浩一

https://www.asahi.com/articles/DA3S14867475.html

資本主義は「もう限界コロナ地球破壊、立て普通の人 https://www.asahi.com/articles/ASP1Y3DG0P1TPLBJ001.html

・「普通はこう読む」という力をつけるための学習https://www.asahi.com/edua/article/12319293

・「平凡」はいやですか? ごく普通人生に触れて気付くこと https://www.asahi.com/relife/article/13966210

ある程度の年齢になると、平凡で普通毎日を懸命に生きることこそ、価値のある人生だという考えに至るような気がします。

ミャンマー、闘う「普通若者」 未来は奪わせない https://www.asahi.com/articles/ASP465F60P45UHBI018.html

・「普通の家庭」が貧しくなった 最長政権下の7年8カ月 https://www.asahi.com/articles/ASN8065XMN8XUTFL010.html

いわゆる「普通の家庭」が貧しいと感じるようになった7年8カ月でした。対照的に、企業お金持ちの人は裕福になったと言えます

自分たち記事の中にいっぱいあるじゃん

2021-04-02

anond:20210402102122

フランス人はストを支持するというのはリベラル出羽守によるバイアスあるよね。

https://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2014_10/france_01.html

ストライキ開始後6日が経過した6月16日に行った世論調査(注4) によると、76%の国民SNCF職員ストライキに対して「反対」あるいは「どちらかというと反対」という回答を示した。逆に、ストライキに「賛成」あるいは「どちらかというと賛成」していたのは、22%に過ぎなかった(残りの2%は無回答)。これは、交通機関ストライキ国民生活への影響が大きいことや、恵まれ労働条件SNCF職員既得権益を守ろうとする姿勢に対する国民の反発がその背景にあるとされる。労働争議に対して、以前は国民の大多数の支持があったが、今日では支持されないことが多い。ほぼ同時期に実施された舞台芸術関係者(intermittents)の抗議行動に対しては、55%の国民が反対していた(Le Parisien誌)。国民の半数以上が舞台芸術関係者の抗議行動に対して批判的であったことになるが、SNCF職員のストに対する批判はそれよりも大きかった。政府対応も、舞台芸術関係者に対しては譲歩案を提示して理解を求める配慮があったのとは対照的であった(注5)。

2021-03-29

「シン・エヴァ卒業式なんですよ!」

「シン・エヴァ卒業式なんですよ!」

岡田斗司夫のchで言ってたんだけど、まぁ確かにそうだなって思った。

ちょっとタイミングが遅れたんだけど、先週末にやっとこシン・エヴァを見てきた。エヴァとの距離感って年代によって大分差があると思う。自分は30代半ばだ。30代半ばと言えばリアルタイムでも無い微妙な期間だと思う。自分スパロボとか、ムーブメントの後にやってきたタイミングから知っていたと思う。

その頃の「エヴァ」はたぶん今よりももっと一般人的には「アンタッチャブル」なものだったと思う。

エヴァを見てるようなやつ」っていうような扱いというか。オタクである事は恥ずかしいというような風潮というか。

まぁそういう世代なわけで。

その世代からするとここ20年、10年ぐらいのそういう文化大衆化ってすすんだよなーと思う。その一番分かりやすい例がエヴァンゲリオンだと思う。

今回、エヴァを見に行くにあたって5歳ほど違うパートナーと一緒に見に行った。パートナーは明確に新劇場版:序からしか見た事が無い世代だった。行くにあたって、これまでのエヴァの流れや歴史みたいなのを凄く熱く語ってたと思う。

内容もそうだけど、当時のゴタゴタ感とかそんなんをひっくるめて。

ナディア庵野監督で、新劇ではナディア音楽とかも使われてるとか、なんか全体的な雰囲気みたいなのはナディア以前のトップを狙えとかっていうOVAの頃から雰囲気とか用語とか共有かしててその辺がオタクにビンビン刺さる部分で…

的な。これは多くの人が感じると思うんだけど、エヴァ語りをしだすと自分でも感じるぐらいキモくなるんだ。

まぁ、そんなアレコレもパートナー面白いと感じてくれたらしく「じゃあ尚更今回のシン・エヴァは楽しみなんだね!世の中の騒ぎ方はそういうことなんだねー」っていうザックリ理解をしてくれた。

んで、当日作品を見たわけだが。作品自体は本当に良かったと思う。いや、正確には「よく終わった」って感じか。

色々意味わからん部分だったり、自分記憶とかが曖昧でつながらない部分とかが無い事もなかったが

そういうのひっくるめて「終わった」から「良かった」

んで、一緒に見たパートナーも「凄く良かった!」とテンション上がって感想をアレコレ言っていた。

鈴原妹のシンジに対する複雑な感情の部分とかがすごく刺さったらしい。Qはまったく意味が分からなかったけど

今回のシン・エヴァ意味が分からない事もいっぱいあったけど、わかりやすかった。楽しかった。

というような感じだったらしい。テンション上がっているパートナーは俺にも感想を求めてきたんだが

対照的自分は何故か「無」というか、凄くフラットというか。

何か「何も言いたくない」っていう感覚になってしまった。

あんだけ見に行く前は色々語ってたのに何で見た後その感じなの?!」

と聞かれたが、何か自分でもよく分からない。面白かったし、終わって良かったし、ネガティブ感情はそこには無いんだけど

何故か「何も言いたくない」

映画館から出ると、自分よりもかなり若い子達がアレはどーだったとか、アレはこうなんじゃないのかとめちゃくちゃ盛り上がってた。本来はあーなるのが普通だよなーと思ったんだが。

ここで気づいたんだけど、自分はもう30半ばなんだよなっていう事。

アニメ版の「おめでとう」から旧劇の「きもちわるい」のゴタゴタを知っている層なわけで

エヴァ」っていうコンテンツ時代時代の引っ掻き回しを見てきた層だ。

散々かき回されたし、それによってこれまで沢山あーだこーだ反応してきてしまっていた。

ももう今回ので何か終わったし、これ以上騒いでも何も出てこないっていう事に

たぶん自分フラット気持ちになってるんだなってわかった。

繰り返しになるが、今後もう何も出てこない。

2021-03-25

anond:20210325161712

メジャーは実際そういう考えが主流だしね

ホームランを打つための角度を計算して打つフラレボのせいでホームラン数が激増した

打ち上げたら駄目だから転がせ」「アッパースイングは悪」みたいな伝統が未だに続く日本とは対照的

2021-03-19

雑誌映画秘宝』の記憶(15)

今回も引き続き、雑誌映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩高橋ヨシキらが「恵まれ境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います

と言うのも、恵まれ境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。

これまでの投稿で私は「雑誌映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。

それは、同誌にアニメ作品特集記事掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています

そのメッセージとは何でしょうか?

私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています

仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。

投稿(13)でも述べましたが、雑誌映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブ可能性」を感じさせるものであることは確かです。

路線模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます

これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。

おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。

この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。

人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれ境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。

町山智浩高橋ヨシキ早稲田大学出身であることは、ファンウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。

そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽身分のお坊ちゃんたち」なのです。

ちなみに高橋ヨシキは、英語フランス語ペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫漫画登場人物であるイヤミ連想しつつ「やっぱり外国語能力人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。

柳下毅一郎東大出身者ですが、柳下ファンウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外シリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。

てらさわホークは…私はよく知りません。

恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます

もっとも、この人たちの場合自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。

しかし、切り株派の「お気楽身分」とは、結局のところ「他人負担押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。

泥水を啜る覚悟も持たず、負担他人押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。

今回は一先ずここまでにします。アーメン

2021-03-18

anond:20210318213310

文脈次第というのはありますが、元増田で言ったことで言えば、

女性頭が悪い

差別

女性すべからく頭が悪い

差別

女性頭が悪い傾向にある

差別でない(※1)

女性は筋力が低い

差別(※2)

女性すべからく筋力が低い

差別

女性は筋力が低い傾向にある

差別でない

女性議論ができない

差別

女性すべからく議論ができない

差別

女性議論ができない傾向にある

差別でない(※3)

女性テストの平均点が低い

差別でない

微妙なところには※をつけました。

※1

文脈で「頭が悪い」の内容が明確でなければ、悪意の表現とみなされ差別になることがありそうです。単文のため、もともとのひろゆき文脈では、「頭が悪い」が犯罪を犯すことや読みにくい名前をつける社会性のことを言っているのとは対照的です。

※2

これは統計ではなく一般論の形で言っているので一応差別しました。しかし、その内容は客観的かつよく知られており、統計的な傾向を言っていることがほぼ明らかなので、差別でないと判断される場合の方が多いでしょうね。

※3

これは※1とほぼ同様です。「議論ができない」というのは結構主観的で、話者がその基準統計的な傾向をある程度客観的判断していると思えるような文脈でなければ、悪意の表現であり差別だと言えそうです。

2021-03-15

シンエヴァ感想考察庵野監督が出てくる理由

もう指摘されてるみたいだけどネットを見てるとシンエヴァ感想考察には庵野監督名前がよく出てくる。

庵野監督はこう考えたに違いないとか、あと妻の安野モヨコが出てきて、監督にこう影響を与えたんだろうとか。

なんで監督名前がでてくるかの理由は俺が思うに、シンエヴァはあちこち監督意識を感じるから

全編にわたって監督のああしたい、こうしたいというのを感じる。

なんだかエヴァを完結させるためだけに逆算してキャラを配置して動かしているように俺は思った。

から話の展開とキャラの動きがちぐはぐに感じてしまう。

旧劇はすべてのキャラが生々しく描写されてそのせいで話がごちゃごちゃになったのとは対照的だ。

新劇は話は分かりやすく綺麗に収めようとして、監督交通整理している。

その動きが丸見えでものすごく気になる。

話を終わらせるためだから仕方ないという感想をちらほら見かけるけと、実際に監督もそう考えていたのではないかとおもう。

2021-03-11

庵野や頭のいい日本人の持つ「アニメ漫画子供卒業しなさい」思想の正体は複雑である

すべては「アニメ漫画政治を持ち込むな」精神が根源だと自分は考える

 

例えばアメリカなんかは、SVODのオリジナルドラマでも普通にアメコミ原作作品が多い

これは社会問題容赦なくぶち込む、真摯に考えるアメコミ性質が絡んでる

奇を衒った馬鹿馬鹿しいアメコミでも、社会問題を扱えば実写化した際、リアリティラインが高く鑑賞に堪えうるのだ

 

また、ネトフリでは普通にドキュメンタリーも(アメリカでは)ランキングに入ったりするし

視聴する作品にたいしてリテラシー要求する文脈があちらでは明確に存在する

ので大人でも普通にコミックを読む文化があり、庵野のように突き放したメッセージは少ないものだ(レディプレイヤーワンが近かったが)

 

翻って日本アニメ漫画政治を持ち込むのは否定される

あったとしても与党有利のプロパガンダ作品ばかり

これは基本的オタクは「気持ちのいい世界を壊したくない」という本能的、性欲的な動機がすべてだから

なので不快だったり、仲間同士で対立したり、現実直視させる要素は排除される

(仲間が終始裏切らない鬼滅と、政治編に入った瞬間人気を失った進撃が対照的だ ゲースロも日本では流行らなかった)

  

では結局、庵野スピルバーグは何を否定したのだろう?

それこそがまさに「オタクにとって気持ちのいい」作品なのだ

 

現実直視せず、己の欲望だけで構成されたご都合世界

デビルマン銭ゲバなどの寓話性や哲学性を持てた時代と違い、そういうもの絶対正義である今の日本漫画アニメ

深入りすればすなわち宗教と化す(実際、アニメオタクとQアノン、トランピストの親睦性は高い)

 

アニメ漫画子供卒業しなさい」というお決まり文句は決して老害戯言でなく

現実直視しないオタククラスターへのリアル警句なのだ

2021-03-09

ドジっ娘結婚するということ

フィクションに登場するドジっ娘キャラ萌える奴の為に、そういう人間結婚したらどうなるかを少しだけ書く。

(1)言い間違いが多い。

例えば、SUVUSBに、アルファードアルフォートに、と云う具合いである。殊に本来言いたい事の対照的ものや並立されるものにすり替わって言い間違えるケースが多い。「野球」の話をしていると思って聞いていたら「サッカー」の話だった(選手監督名前で気づく)とか、俺が車を運転していて次の交差点を「左折しろ助手席のお前が言ったかと思ったら、左折し終えた後になって「ゴメン『右折』だった」と言い出すとか、二人の日常生活ブービートラップだらけである

俺は何年も「言葉を口に出す前に一呼吸置け」と言って聞かせたのだが、まるで改まる気配が無い。一度など「今日テレビを観ていたらサカシタがさあ」と言うので『坂下千里子』が何かしたのかと思えば『橋下徹』の発言にムカついたと言いたかったと判明。本人の中では「ハシモト」⇒「サカモト」⇒「サカシタ」で『近い言い間違い』らしい。分かってたまるか!

(2)行動がせっかち、おっちょこちょい

ドジっ娘から当然、言い間違いだけではなく物理的な行動もそそっかしい。グラタンドリアが好きなのは構わないが、何故いつもいつも食べる度に口を火傷するのか。毎度毎度、食べる前に俺が「熱いから火傷しないように気をつけてね」と言い聞かせ、同じ物が食卓に並んで二人で一緒に食べ始めると云うタイミングで俺が目の前でフーフー冷まして食べるお手本を見せているというのに、なぜ毎回毎回それを無視して一目散にガブー!と口に運んで「アチー!火傷した!」と泣き言を言うのか。昭和ギャグ漫画か。それと、食事の時に楽しくお喋りするのは構わないのだが、周りの物に注意しないまま激しい身振り手振りを交えようとするものからしょっちゅうシャーン!とコップを倒したり皿をひっくり返したり、てんやわんやになる。てんやわんや、て。昭和ベテラン漫才師か。

夜のプロレスごっこが終わった後も、背後をよく見もしないで勢いよく布団の上にゴローンと寝転んで、ティッシュペーパーボックスの角が肋骨に当たって、痛みのあまり全裸で悶絶する。尻を隠せ。周りをよく見ろ。

(3)謎の自信

出川哲朗滝沢カレンなど芸能人たちの面白い言い間違い、ドジなエピソード等をテレビ等で見ると「信じられないwww」と自分を棚に上げて爆笑している。

信じられないのはこっちの方だ。お前だ!俺から見たお前が、まさにその状態なんだよ!何故、他人事みたいな感じになる?おまけに、夫婦間で情報伝達のミスがあって喧嘩になった時には、いつも謎の自信に満ち溢れて「アタシは絶対に○○って言った!」と主張してくるよな。よく上の(1)を読め!と言いたいところだが、残念ながら俺が増田を書いている事は妻に内緒だ。

そういえば何時だったか自分を棚に上げて他人面白ドジ話で爆笑していたら、食べていた抹茶ロールの欠片の粉が気管に入ってむせてしまい、お前は口から緑色ゲロを吐いたよな。あの時、俺は心の中で「映画エクソシスト』の悪魔払いみたいだな」と思ったよ。

(4)怖がり

漫画小説ドラマ映画は、少しでも怪奇ホラーの気配があると駄目。俺が持っているDVDの粗筋を軽く話しただけで、怖くなってトイレ風呂に行けなくなって怒る。でも、訊いてきたのはお前だろ。しかし、俺が大の苦手とするアシダカグモは平気のようだ。平気で始末する。フォークト=カンプフ・テストで「机の引き出しを開けたら大きな蜘蛛が出てきた」と言われたら「殺すわ」と即答しそうな気がする。

まあ、毎日が大体こんな感じだからドジっ子属性萌えるとか言っている奴は、よく覚悟して結婚しろよ。

ネタバレ回避のエモみオンリーポエム日和

なんかこう、みんな良かったね…良かった。監督さんも良かったね、という気持ちになって、観賞はおろかひとつネタバレも踏んでいないのに満足している。旧劇は知らないシーンが無い程だったのと対照的だ。

最近物語おしまいを見ることができなくなってしまった。切られたり引き伸ばされたりして、ただその一瞬だけ消費され、俯瞰での観賞に堪えない。共に歩むものに成り得ない。

そんなコンテンツと人との関係が変わった 20 年を経て、ちゃんと終われたんだなあ。物語になれたんだ。良かった。

「見終わったら、誰かと感想を共有したい気持ちが無くなってしまった」という発言が印象に残っている。

コンテンツと人の親密な関係。共に歩み、いずれ消化され血肉となる。物語はそういうものだったと、懐かしく思い出す。

有り様が戻ることは無さそうな気がするけれど、私とコンテンツとの間だけで成立する関係なのだから勝手にそうすれば良いのだ。また密やかに暮らし育ててみようと思った。

2021-03-08

あんなに好きだったアイドルしんどい

 二次三次男女問わず、いろんなアイドルが好きで、歌やダンスを見て元気をもらってた。通学時は音楽必須だったし、それ聴いてテンション上げて彼らの姿思い浮かべて、飽きずにかっこいいかわいい美しい…ってワクワクドキドキしてた。受験就活等苦しいときにもアイドルを心の支えに頑張った。

 しかし、最近アイドルを見てると妬み羨みの感情が生まれるようになってきている。彼らが一般人よりはるか努力して辛い思いしてきて今輝いてるのは頭では理解できる。だが、「こんなにかっこいいかわいいのずるい」「歌って踊ってステージキラキラしてて羨ましい」「ここまで努力できる環境(金銭精神的に援助してもらえる家庭だった、事務所メンバーに恵まれた、磨こうと思えるレベル容姿が生まれつきあったこととか 言いがかりに近い)」と暗い考えも浮かぶようになっていた。

 自分アイドルを目指したことがあり、挫折たから現役アイドルを妬んでる…とかではない。アイドル人間ではなく、ある意味違う存在(神的な)で、輝く彼らを見るのが楽しい、と思ってきてた。それが今になってこんなことになってて不思議だし、彼らを純粋に楽しめなくなってることでストレス発散やリフレッシュとなる手段も減り困っている。むしろストレスの素になりつつあるぐらい。

 

 それから、これは余計なお世話すぎると自覚してるのだが(一応閲覧注意)、

 

マネージャーとかメイクさんとかスタッフさんとか、アイドルを支えるいわゆる裏方の人々はどういうスタンスでいるんだろうなと考えるようになった。同じ人間で同じ性別(性別は違うこともあるが)なのに隣の存在は多くの人から愛され活躍して、一方自分は裏でサポートする。羨ましくならないのか、と疑問でもある。また、そうした人々の支えがなければステージに立てない、ただの人間しかないアイドル達が憎く思える。他の人々の頑張りの上で立ってるアイドル、同じ人間なのにアイドルだけ、アイドル王様か?そんなに偉いのか?と最低な言葉まで出てしまう。ここまで書いてて自分ほんと最悪だなほんとに一旦アイドル趣味から離れるべきだと強く感じた。

 ちなみに、アイドル好きだった時は、一人のファンとして曲聴いてライブ見てって行為が楽しかった。同時に、もし自分が彼らの立場でこのステージでこの曲歌うならこうする!とか妄想?みたいなことも楽しんでた(アイドルを目指すというより、アニメのかっこいいシーンとか見て自分もなりきる子ども的なノリ)。その行為に費やす熱量が減ってきたっぽい?うまく言えないけど。何かここまでキラキラした存在見てるうちに、対照的自分の何も無さとかブスさとかいろんな短所も見えてきて空しくなってるというか?

 とりあえずアイドル関連の物から距離を置いて、他の趣味に没頭しようと思う。このままでは彼らを嫌な目でしか見れなくなりそうだし、そんな度胸ないとは思うがツイッタークソリプするとかもやるアンチ?にもなりかねない。そんなに趣味とか無いからすぐに脱アイドルは無理そうだけど、とにかく距離を置くんだ。また彼らを応援できるような心が綺麗な人間になれたらと淡い期待を抱いている。

追記

コメントブックマークありがとうございます

自分の他にもこの気持ちがわかる人がいて、安心?した。やっぱこういうドロドロした感情ってあるよな。もちろん、そうした悪意を本人たちにぶつけるのは絶対ダメだと肝に命じておく。

あと、美しいものを作り上げることを楽しむという感覚についてもなるほどど思った。今回は相手アイドルという人間だけど、これが服、建物ぬいぐるみ(例えがなんかズレてる)とかならそもそも「こんな綺麗で羨ましい」とか思わないし純粋に綺麗と感動できるもんな。あくまで、アイドルという対象を磨き上げるという感覚なのかなと少しモヤモヤがはれた。コメくれた人の考えと違ってたらごめんなさい。

2021-03-06

売れてる漫画で絵柄と内容がミスマッチが激しい作品ってある?

世でヒットしてる漫画の大半はこの作品はこの絵柄だからこそ面白い、って感じさせるものだと思う

小畑健の絵柄は青少年頭脳戦や毒々しいファンタジー怪物描写が合ってると思うし

押切蓮介の絵は男のガキっぽさバカさやブスと対照的な掃き溜めに鶴って感じの一部の少女の美しさが輝いてると思うし

カイジの絵柄はおっさんたちのプレッシャー下で藻掻く様を手に汗握らされる

結果論、淘汰、読者層に合わせてわざと変えてる、という面はかなり大きい(というかこれが全てと言われても反論できん…)と思うけど

全く内容と画風が合ってないのになぜかヒットしてしまった…って作品はどんなのがあるんだろう

ギャグマンガは「この絵柄でギャグをしている」というだけでギャグマンガとして成立してしまうので除外)

2021-03-01

anond:20210301212919

ちゃん父ちゃん兄弟姉妹会社上司セックスコミュニケーション取ると良いと思う

なおセックスによって各種病気やガンになる模様

 

ガンはウイルス感染細菌感染きっかけでなるから

ウイルス進化論なんてのもあるがすべての変異人間にとって好ましい変異では無い

 

咽頭がんになった有名人

マイケル・ダグラス ← セックス依存

AV男優 ← 職業病

 

咽頭がん

ヒトパピローマウイルス(HPV)によって引き起こされる中咽頭扁平上皮癌は予後が良好であることと関連しているが、

腫瘍HPV感染ステータス独立した予後因子かどうかは未だ明らかでない。

 

JASTRO 日本放射線腫瘍学会医療関係者向け)| ヒトパピローマウイルス中咽頭癌患者生存

https://www.jastro.or.jp/medicalpersonnel/journal/journal-club/post-30.html

 

単純ヘルペス脳炎(脳炎っていったらコレを疑う)

日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。


感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態発症年齢によって大きく異なる。

なお、HSV世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、

性器ヘルペスから性的感染母子感染によると考えられている。

https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/516-herpes-encephalitis.html

 

セックス依存症は嗜癖障害一種

嗜癖障害とは?

・正常な楽しいはずの活動が、コントロールしがたい欲求衝動によって繰り返され、その結果、その個人他者に対して有害となっている状態

嗜癖性ありとして特定されている過剰行動には、ギャンブル摂食ポルノパソコンビデオゲームインターネットエクササイズ、買い物がある。

 

診断基準

1. ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)

2. その行動を開始し終了するまで、他の事柄は目に入らず、自らの衝動コントロールできない(impairment of control)

3. その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動から回復(行動をやめること)に時間がかかる

4. 明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける

 

報酬系回路

 行動嗜癖物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なもの脳内報酬系あるいは辺縁報酬系回路(reward system)と呼ばれるものである報酬系回路とは、食行動や性行動などの本能的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。

 

セックス依存する人は人間関係を怖がる傾向が高い

調査ではオンラインセックス売春、人前でのセックス複数人との同時セックスしたことがあるかどうかを質問した。またアルコール摂取自尊心に関する質問も行った。


この結果、セックス依存しているとした人は、人間関係を脅威と捉え、人との付き合い方が不安定で親密になることを怖がる、あるいは避ける傾向の割合が高かった。

セックス依存ではない人たちが親密さを望ましい、あるいは価値のある関係だととらえ、また人との関係安心感を覚え、自分パートナーを信頼できると考えているのとは対照的だった。

https://www.afpbb.com/articles/-/2780177

2021-02-18

左翼とかリベラルな人

なんとなくだけど左リベラルな人たちは勉強が出来る人が多い気がする。

そう思う理由は、左リベラルなひとたちのブログツイッターの内容が難しいと感じることが多いから。

難しい文章とか聞き慣れない単語とか、引用する記事も難解だっりする。

保存右翼の人たちのブログが分かりやす単純明快なのと対照的

からなのかもしれないけど、ネットで見る限り左リベラルという思想や主張は数的に劣勢だ。もっと分かりやすく主張すればいいのにと思う。

でも左リベラルなひとたちはそれで良いと思ってるフシがあるように感じる。理解されないなら仕方ない。勉強できない人とは分かり会えないみたいに思ってるのでは?と考える。

なんとなくだけど。

2021-02-17

一人のADHDコミュニティクラッシュした話

某SNSのちっさいコミュニティにいた時のこと、ふとしたメンバーの思いつきでオフ会を開催することになった。

コミュニティの内容は断定を避けるために伏せるが、「ポケGO」とか「初心者バンド」とかそれくらいの「有り体」具合を想像すると良い。

顔出しアイコンの人が一人もいなく、平均年齢も30代くらいの比較大人しめなコミュニティで、オフ会ママさんが来て手作りお菓子を振る舞ってくれたりした。

まあまあ楽しかった。みんなもそう思っていたからか、メンバーの中のいろんな人がオフ会主催するようになり、参加できる人はポツポツと4,5人で集まるようになった。

ある日のこと、コミュニティ掲示板自分ADHDだと打ち明けた人がいた。(以降、Aさんとする。)

先述の通り、比較大人しくて平均年齢も高いコミュニティだったのでそれで過剰に反応することはなかった。

言われてみればまあちょっとズレた発言をするような気はしていたが、別に気にするほどでもなかったし、Mさん投稿に乗っかってADHDを打ち明けた人(以下、Bさんとする)もいたが、その人ともそつなくやれていた。

今のなってはこの反応が良くなかったのかもしれない。Aさんのズレた発言や行動が徐々に目立ち始めた。

例えばサバゲーの話で盛り上がったとしたら、Aさんはミリオタばりの武器知識戦争の詳しい話を延々と繰り広げてしまう。

Aさんは博識だった。だけど我々はライト話題で盛り上がっていたいのだ。

かと思えば「あー、明日死ぬなら今日何したい?」などと突拍子もなければ答えに困るような話をぶっこんでくる。

まあそれでも、なんとかやり過ごせる範疇だった。

このオフ会を何度か開催していくにつれ、Aさんにとってこのコミュニティは「自分が居ていい」場所から自分が居なくてはならない」という勝手な使命感に変わっていったように思う。毎回のオフ会写真を撮っては掲示板に貼っていたから、Aさんはオフ会皆勤賞だったのだと思う。

ただAさんの「エアークラッシャー」ぶりを良く思わない人も出てくる訳で、最初のうちは参加していたけど参加しなくなった人や、

1回のみの参加でそれっきりの人が増えてきた。

ある日、一人のメンバー(以下、Cさんとする)がオフ会主催した時のこと、いつも通りAさんが参加表明をした。

自分もその日は空いていたので参加することにした。あとは2,3人が参加表明していた気がする。

しかし、数日後に主催のCさんが「すいません!やっぱりバイトが入りました...」と中止の連絡をしたのだ。

別にそれ自体は気にすることはなかった。20代バンド活動とかをやりながらフリーターをやってる人も何人かいて、シフトが入っちゃうみたいなことはよくあった。

じゃ、予定が無きゃ無いで別に、と思っていた矢先、Aさんから「その幹事、引き受けますよ!(=予定通り開催しましょう)」というメッセージが。

自分含め「暇なんで参加します」と返答していた手前で引くにも引けず、Aさん幹事オフ会強行開催された。

Aさんに「中止になりかけたオフ会を存続させた自分えらい!やっぱり自分はここにいるべきなんだ!」と思わせてしまったのだろう。

自己肯定感爆上がりでオタトーク炸裂状態。会場はお通夜状態なんだが気づかないんだコレが。

参加者の中でも若い女の子(以下、Dさんとする)がいて、Dさんは初対面の人がいたので「初めまして〜」などと話していた。

そこへも割って入るAさん。「DちゃんはXXっていう会社で働いている子でね、XXってサイト記事にもインタビュー掲載されているんだよ!XXっていうサービス知ってる?それの開発に関わっていてね」と言いかけたところでDさんが

「私のことは私で話しまから!」

と遮った。後から聞けば働いている会社こそ合っているものの、開発に携わっているサービスが違うのだという。しかも幾度とその誤情報をAさんが言いふらして回っているからその度に訂正しなければならなくて困っていたとのこと。

Dさんは比較的穏やかな人だったが、この時ばかりは怒っていた。

「ごめん。僕がADHDから無神経に気に障ることを言った?」

Aさんのこの言い方がまた逆撫でするような言い方だった。謝罪のつもりが、自分ADHDであることを言い訳にしている上に、

発言のどこに問題があるのかすら分かっていないという意思表明に過ぎなかった。

そう、Aさんはよく会話の中で「ADHD」を連発した。「俺がADHDからかな〜」というように、自虐で使ったり言い訳にしたり。

一方、Bさんは初めてカミングアウトして以降、一切口にしなかったあたり、AさんがADHD言い訳にする様子は対照的だった。

Dさんが怒ったオフ会以降、掲示板オフ会の開催をする人はなくなった。

当時も既にTwitterFacebookが普及していたから、コミュニティでこそ知り合うものの、それ以降のやり取りはTwitterで事足りた。だから初期のオフ会で知り合ったメンバーで今でも繋がっていて、時折会ったりしている。Bさんとも会っている。

あのコミュニティはAさんに話を合わせるためのボランティアだった訳じゃないし、プライベートでわざわざ我慢することもないからこそ言うけど、障害者から優しくされるべき理由にもならないし、誰かに嫌な思いをさせても許される理由にはならないよねーっていう。

「俺は目が見えないんだから親切にしろ!」とか白杖で叩かれたりしたら嫌じゃん。それと同じ。

障害は「ふりかざす」ものじゃないから。

2021-02-10

没後100周年のサン=サーンス10曲聴こう

anond:20210210062305

・どういう人?

フランスまれ(1835-1921。七月王政第一次大戦後)。小さいころ神童で、ピアノオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラバレエ合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年時代遅れ扱いを受けた。

普通に有名な5曲

交響曲第3番「オルガン付」

代表作。交響曲かいドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度大事フランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。

www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k

ピアノ協奏曲第2番

サン=サーンスといえば協奏曲ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的雰囲気が一度に楽しめる。

https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8

交響詩「死の舞踏

若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典大事にもするけれど、形式の堅苦しさから脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神ヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ

www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc

動物の謝肉祭

本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト

www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM

オペラサムソンとデリラ

サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)からオリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色王女」も面白い

www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk

・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲

ヴァイオリン協奏曲第1番

20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンス最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。

https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU

チェロソナタ第1番

ドイツっぽいド根性ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争ドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章かにある。

https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY

スケルツォ 作品87

ピアノ名人だったかピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅ワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い

www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA

詩人ミューズ 作品132

オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。

www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ

オーボエソナタ

そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタファゴットソナタと合わせて三部作からそっちもぜひ聴いてほしい。

www.youtube.com/watch?v=xudGml9nOO4

男性社会撤退を阻むガラスの床について

五輪の森会長発言もあり、ガラス天井という言葉一般に広く知れ渡るようになってきたと思う。

能力があるのに、女性であるというだけの理由一定以上の地位に昇進できない現象を指す言葉だ。

この現象否定できない事実だろう。

女性社会進出をするには、まだまだ見えない壁が存在する。

  

しかし、それでは男性には壁がないのだろうか?と考えてみる。

男性男性であるというだけで自由にのびのびと生きられる?

  

絶対違う。

男性にも、見えない生きづらさの壁があるはずだ。

私はこの壁のことを、仮に「ガラスの床」と名付けてみた。

  

男性の生きづらさは、女性の抱えるそれとは対照的である場合が多い。

  

女性男性から加害されることが多い。しかし、それだから被害を訴えたらちゃんと信用してもらえる。

男性女性から加害されることが少ない。しかし、それだから被害が発生したところで、声を上げても軽くあしらわれてしまう。

女性に対して加害した男性は、社会から盛大に非難を浴びて罰せられることが多い。

男性に対して加害した女性は、犯罪者として裁かれることこそあれ、社会全体の怒りを買うことは少ない。

  

今挙げたようなことが、良いことだとか悪いことだとか論じるつもりはない。

被害を信じてもらう以前に被害に遭わないことが一番だし、法の裁きを受けたはずの犯罪者はそれ以上人攻撃の的になってはいけないのだから

ただ「(時に本人の望む形とは異なるにしろ女性は大切にされるべき」という認識一般に広く浸透しているのは事実だろう。

  

男性にとって生きづらいであろう現実は、他にもある。

女性専業主婦は広く認められる傾向にあるが、男性専業主夫をしていても無職とみなされかねない。

学歴が低く収入の少ない女性であっても結婚している人は多いが、同じようなスペック男性男性にも女性にもバカにされる。

  

まり女性が「素直で従順大人しくある」ことを求められるのと同様に、男性は「強く正しく優しくある」ことを殊更に求められているのだ。

  

大人しくあるべき」女性一定以上の社会進出を阻まれている裏では、「強くあるべき」男性社会撤退を阻まれている。

社会撤退なんて言葉存在しないのだろうが、ここで私が意図しているのは「男性が従来社会における女性役割を担う」ことだ。

  

そういえば「男女平等なら、女性肉体労働をしてくれるんだね?」としたり顔で言う人がたまにいる。

微妙に違うと、私は思う。

もちろん適切な筋力さえあれば女性肉体労働をしてもいいだろう。

でもそれと同時に、男女平等とは、男性が望むなら家で仕事をしてもいい社会であるべきだ。

  

「こういう社会を作ったのは男性から男性自分で何とかしろ」?

そんなことはない。

男女平等への歩みはすでに始まっている。

過去男性が作った因習は、今を生きる人々みんなで壊していかなければ。

そうでないと、また前と同じ社会に逆戻りするか、今度は女尊男卑社会が発生するだけだ。

  

ガラス天井を壊そうとする運動は素晴らしいものだと思う。

私にできることは少ないが、変わりゆく価値観希望見出している。

でもそのとき男性を阻むガラスの床も、同じように壊されていけば良いと願っている。

  

女性解放するとき男性も同時に解放しよう。

2021-02-01

社会学は滅びるべきなのか

 以下の文章は、社会学客観性が無いか学問の体をなしていないか解体すべき、という暴論を見かけて、趣味社会学を学んでいる人間イラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫社会学方法立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹社会学方法――その歴史構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係論文などがあります。ちなみに「岩波科学科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います

 たとえば、この宇宙スパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイト発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギー社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。

 それは社会社会問題が、原子DNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレス現在社会においては色々な意味問題とされていますしかし、ホームレス人類の定住以前においては間違いなく問題概念として存在していませんでしたし、中世近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったもの存在するとみなしてしまいかねないのですね。

 しかしだからといって、今日ホームレス問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ社会社会問題は確かに存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われますしか今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学方法分析しようと考えた人々がいました。

 マックス・ウェーバーの「社会科学社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年論文がありますウェーバー社会学におけるビートルズであり、この論文イエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)

 とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネット記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。

 ウェーバー客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されていますしかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会科学的に取り扱う社会学者は価値判断認識区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学客観性について考えてみたいと思います

 たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。

 後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府ホームレスについての統計を発表していますしかし「国民税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府サイトに「ホームレス実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見物理性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府ホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園河川道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそもネットカフェ難民」をそもそも問題」とすべきかこそが、ひとつ価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。

 社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会科学的に扱うことができるでしょうか?

 もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会科学的に扱う学問社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しか人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術哲学生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学根本的な不必要性を否定するものではありません。人間ホモサピエンスは、ニュートン万有引力発見する以前からずっと世界覇者であったではないですか?それでもニュートン万有引力発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要知的欲求、こういってよければ人間特有本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術哲学科学です。そのうちの科学欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなた社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題放置して次の段落に向かいます

 さて、いか社会科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」もの数字が、ふつう科学が扱うもの数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会実在は、それを観測する人や社会価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本労働環境ネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見ニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府ホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力宇宙の始まり以来、ニュートン発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理現象生物現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。

 価値判断抜きで存在し得ない対象を、いか科学的に扱うか。それこそがウエーバー客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するもの社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会実在は――それが単なる数字統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者社会学根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会社会実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。

 そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつ価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問だってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分価値判断をわかる」ことが、本当に社会実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分ホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府問題である」とかい自分価値判断自覚していなければ、それは社会学研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会実在根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])

 と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。

2021-01-30

毛皮のマリーズ わたくし的ベスト10を紹介しま

ドレスコーズも好きですがマリーズ時代の曲もやっぱいいよね、ってことで今もよく聴いてます

あんまり周りに知ってる人(≒興味ある人)いないからここでツラツラ紹介させてください。


早速まずは第10位から

10位は「VELVET GOLD WAY」です。

イントロ&歌い出しの「甘い日々だったようだった〜〜」の一節がカッコいいので好きです。

終始勢いがあって約4分があっという間に過ぎます

勢いの中にもなんというか、抜け感みたいなものも感じられます

ファーストアルバムの中で一番好きです。


9位は「ダンデライオン」です。

次はラストアルバムから1曲。

ラストアルバムは初期の頃の曲とは対照的に優しい雰囲気の歌が多いんですが、

その中でも特に優しい雰囲気王道ラブソングな感じの曲です。

ブランネルサンズ意味を分からずずっと聴いてましたが、イギリスの町の名前みたいですね。

普段あんまり歌詞を気にして曲を聴くことがないんですが、この曲の歌詞はすぐに覚えられました。

それくらい歌詞が良い曲なんでしょうね。


8位は「センチメントがお好き?」です。

セカンドアルバムからです。

ノリが良い曲です。古いロック好きには刺さると思います

デル・シャノンの悲しき街角オマージュな間奏がメチャカッコいいです。


7位は「「ジャーニー」です。

これはEPからですね。

「Keep on 不安定 さらば安定」って歌詞マリーズらしくていいですよね。

これもロック好きなら絶対外せない1曲ですね。

シンプルロックチューンと熱い歌詞の相性が最強で泣けます


6位は「ラプソディ・イン・ザ・ムード」です。

ラストアルバムから昭和チックな曲を。

これは優しいというか、少ししんみりしたムードの曲ですね。

昭和歌謡を彷彿させるメロディと志磨さんの歌い方が相まって聴き心地がいいです。

ロックバンドの出すこういう感じのスローテンポポジションの曲って名曲多い印象です。

(毛色は違いますBlack SabbathのChangesとかいいですよね)

バンドの幅というか、可能性を感じさせる1曲でアルバムを通しで聴いていると先の展開が

楽しみになるのでこういう曲混じってるとワクワします。


5位は「悪魔も憫む歌」です。

サードアルバムから1曲。

収録順だと最後の曲でかなり落ち着いた曲で、志磨さんの優しい歌い方が好きです。

私がマリーズで一番好きなバラード曲です。

元ネタストーンズの「Sympathy For The Devil(タイトルのみオマージュ)」。

ちなみにSympathy For The Devil収録アルバムのべガーズ・バンケットも好きです。


4位は「さよならベイビーブルー」です。

5枚目のアルバムから1曲。

志磨さん曰く「物憂げ系」ラブソングとのことですが、まさにピッタリなキャッチフレーズです。

これも昭和歌謡チックなメロディが聴き心地がよくて好きです。

浅川マキさんの訃報をうけて作成された曲らしいので、なるほどなと感じられますね。

東京テーマにしたアルバムなのでどことなハイカラ雰囲気も漂ってるところもオシャレで良いです。


3位は「ジ・エンド」です。

ラストアルバム最後の曲なのでまさにマリーズの集大成位置付けの曲だと思ってます

ゆっくりした出だしから、一転してロックな感じに切り替わる瞬間がメチャ痺れます

歌詞もまさにジ・エンドって感じで、解散最後の曲にふさわしいと思います

初期の頃の荒々しさはなく、綺麗にまとまった1曲だと思います


2位は「上海姑娘」です。

これもまたラストアルバムからです。

通称聴く中華」。

(他には浪漫革命の「愛は1/2」も聴く中華かな。)

大人しい曲が多いラストアルバムの中で異彩を放つ騒がしい曲です。

何が良いか、というと何となくイメージで持ってる「中国っぽい感じ」を

しっかり音に落とし込んで曲として成立させているところが単純に凄いな、と思いました。

ただただ中国っぽい感じな曲なだけではなくて、普通にカッコいい1曲なんですよ。

ラストアルバムのしんみりムードもこの曲のおかげで暗くなり過ぎずに済んでると思います

そういった意味でもかなり貴重な1曲。


1位は「BABYDOLL」です。

4枚目のアルバムであり、メジャーデビューアルバムから1曲です。

この曲は不動の一位ですね。

これも古いロック好きにはたまらない曲だと思います

全体通して凄いキラキラしていて、凄い元気がもらえるので好きです。

楽しい気分になれるゴキゲンナンバーですね。

アイドルが歌っててもおかしくないんじゃないかと思います

メロディもかなりキャッチーで好きです。


以上、ベスト10でした。

10曲に絞るのかなり大変でした。

これで興味を持ったり、思い出したりで聴いていただけると嬉しいです。

解散後約10年経ちますが、マリーズマニア増えるといいな。

2021-01-14

anond:20210114003602

やっぱりNiziUブームラブライブデジャヴを感じるな。

二期の告知がでてからアニオタ内で「あのラブライブの2期」みたいに騒がれだして、「なんかそんなんあった気するけど流行ってたの?」って思ったもんだよ。

円盤の売上とか知らねーし。一期放送時の2013年ってまだ「みんなご存じラブライブ」って感じじゃなかったような…リアタイだとたまこまーけっとのほうが話題になってた印象がある

で、まあ「それは僕たちの奇跡」がオリコントップ3とかになって驚いた。

一期でエモい青春群像劇みせてオタコミュニティ内で盛り上がりが過熱していたところに曲を投下したら見事にスマッシュヒットしたって流れが、Nizi Projectが終わってからMake You Happy」でブーム世間に周知させたのとなんか重なる。

あのころローカルアイドル地下アイドルムーブメントを反映してアイドルを取り扱うドラマアニメ散見されてたから、ラブライブもその一つとしか思ってなかった。

アイドルが飽和してどんどん奇抜な方向に流れていた時代ラブライブ流行ったのは、シンプルな成長ドラマとそのハイライトとして歌唱シーンを使用することで楽曲物語相互作用を図った点が見ていてわかりやすかったからだと思う。

アイドルブームも今は昔で当時勢いのあったグループが続々となくなる今、真っ当にかわいくて前向きであることを前面に出すNiziUの原点回帰的なコンセプトはなんかあのころに似ている気がする。

まあバックストーリーを売りにするのはかつてのモーニング娘。AKBももクロもそうだったんだけど、「あどけない女子が一つのグループとなって活躍する」ってだけのシンプルストーリーを1クールテレビ番組としてパッケージングしちゃったってところで、これラブライブの感じに近いんじゃないかって思う。娘。AKB一筋縄じゃなかったし、ももクロ物語あくまメンバー発言ファン口コミしか存在しなかった。

でも、そう考えると生身の人間生き様をこんな風に消費しちゃっていいのかっていうリアリティショーへの疑問も当然感じるんだよね。

NiziUは古くはアクターズスクール、今でいえばTWICE等のK-popといった、ローティーン女子が主だった支持層になるタイプグループだと思う。

ダンススクール雑誌モデルに憧れる延長上にいるアイドル系譜な。

そういった方面意識し一時代を築いたE-girls2020年12月解散。またNiziUと同じく韓国芸能事務所が協賛するオーディション番組発のIZ*ONEも今年4月活動終了

ファン層が被りそうなグループ終焉デビューが重なったためにそれらのファンからの注目を集められたことがヒットを加速させたと思う。

そうはいってもNiziUは洗練されたK-popを歌い踊るのに、発展途上にある粗削りさや初々しさを売りとする極めて日本的キャラクターももっている。

八頭身美女いかついアイメイクラッパーが一瞬の隙もないパフォーマンストークをするようなのがこれまで日本話題になったK-popアイドルとすれば、それまでなかったような柔らかさをNiziUからは感じる。

その日韓エンタメハイブリッド感が新しいし、それが日本大衆にうけている一番の要因かもしれない。

個人的にはモーニング娘。とNiziUってそこまで被らないと思う。

今の娘。ベテランで洗練された9~11メンバーフォトジェニック12期~14期、新人の15期という世代間でのカラーの違いがあって、それぞれのジェネレーションの交わりが垣間見える。

そして意外と今のハロプロには隙はない。研修生上がりとそんな連中に圧倒されない子で各グループ構成されているのでデビューからタレントとして完成されている。

もはやモーニング娘。は「あのポンコツがこんな立派に成長しました」というような見方をするものではない。それは道重さゆみ卒業で終わった。

つんくが癌で一線を退いたあたりから心なしかハロプロにおけるオーディションのあり方は変わった。それがいいとも悪いとも思わないが。

芸能経験に乏しい子がスターダムを駆け上がる成長ドラマの一面があるNiziUとは対照的であるインタビューでもはにかむばかりで月並みなことしか言わないNiziUの様な初々しさは娘。にはない。

NiziUがジャイアントキリングを目指す新興クラブならモーニング娘。伝統あるスポーツ強豪校のような魅力じゃなかろうか。

毛色が違うので両者は共存する…というかハロプロ好きはかっこよさやかわいさを評価しているのではなく”ハロプロらしさ”を支持している奇特オタク共なので、いくらNiziUが魅力的でもそうは簡単になびかないと思う。岡村靖幸ファン久保田利伸フリーライドしないのと同じだ、「縄跳びダンス」程度の奇天烈さで彼らは満足しない。

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