はてなキーワード: 優越とは
衆議院で過半数をとると政権交代ができる。これは一つの党単独では無くても、いくつかの党が協力することでも可能。
参議院で過半数をとっても衆議院で過半数を取らなければ政権交代にはならない。これは衆議院の優越性が憲法で保障されていて、衆参両院が対立した場合は衆議院の決定が優越する。
日本の場合は議院内閣制なので、議員を選び、その議員が総理大臣を選ぶ。
そのままズバリ示すことはできないが、日本の歴史的に見て、戦後、政権交代が行われたのは2回あるので、それぞれ見ておこう。
いずれも「経済の失速と何らかの象徴的な事件」によって発生している。
簡単に言うと、自民党の中道保守層が自民党離れを起こし新党ができて、それが旧来の野党と合併して政権交代した。
後は興味がある人だけ読んでくれ。
自由貿易協定ウルグアイランド、リクルート事件、佐川急便事件、そしてプラザ合意→バブル崩壊などにより、政治不信となり自由民主党が大敗。自民党と当時野党第一党だった日本社会党が同時に凋落。
それを受けて、政治改革が叫ばれる。主に小選挙区制への移行、政治資金規正などを含む政治改革法案が出るものの、宮沢喜一内閣で廃案。廃案に反発した自民党議員が造反して、新党がいくつもできる。
この時点で自民党は過半数を失っており、不信任可決→解散に追い込まれ選挙。
その結果、野党が結束して政権交代が行われ、細川内閣ができた。
なお、細川内閣は政治資金疑惑で失脚。その果てに日本社会党が政権与党から離脱。その後羽田孜が予算管理内閣で急場を凌いだ後、総辞職。
その後村山富市を首相とする自由民主党、日本社会党、新党さきがけの自社さ政権が発足し、自民党が与党に復帰している。復帰時点では日本社会党の委員長である村山が首相だったが、その後の選挙で日本社会党は勢力を落とす。そして社会民主党に改名などをきっかけに社会党が変節したとして分裂(分裂した先が現在の民主党である)。結果、その次の橋本龍太郎内閣で自民党の党首が総理大臣に復帰、さらに次の小渕恵三内閣では自民党単独与党政権になっている。
簡単に言うと、小泉純一郎の人気を背景に強引に新自由主義的政策を強めたため各所に反発が燻る中景気が上向かず。ITバブルが崩壊するなどの経済情勢が見通せない中で軽度な政治的不祥事が続発。さらにリーマンショックによる急激な景気の冷え込みがトドメになって、選挙で民主党が大勝。それによって政権交代した。
後は興味がある人だけ読んでくれ。
元々、森喜朗政権では当時最悪の支持率を記録するなど、旧来の自民党政治への不信感があった。
そこで劇場型政治と言われた小泉政権ができてなんとか自民党を立て直したものの、小泉政権は敵も多く作る状態。一部の右派政治家が離反するなど、自民党の政治基盤が揺らいでいた。その中で支持率が高い首相であった小泉純一郎が政権から降りた。それを引き継ぐ形で当時若手のホープと見做されていた若き官房長官安倍晋三へと政権を交代したが、ちょうど安倍政権の後の菅政権のように噴出する問題の後始末に追われて失脚、さらに劇場型政治をやり替えされるような形で様々な問題が政争に祭り上げられ、支持率が低迷。福田→麻生と政権交代が繰り返される。
さらに、この間、衆議院解散するタイミングを逸していた。タイムリミットが近付く中、リーマンショック後の不人気麻生政権という、本来ならば解散権があるはずの自民党にとっては痛恨のタイミングで解散総選挙となった。
自民党が100議席以上失い、民主党が大勝するという結果となった。
その後、リーマンショックは比較的上手く処理できた日本だったが、2011年に東日本大震災が発生し、超円高による国内製造業の失速などから野党政権も維持できず、鳩山→菅→野田と続いた民主党政権は崩壊。再び安倍晋三が首相に登板することになる。
簡単に言うと革命期にあたるため、いろんなことがダイナミックに動きやすくなる。
そのほかにも、外交政策は特に政権交代に影響を受けやすいと言われる。日本も鳩山由紀夫による普天間基地移設合意の撤回を求める事件は、その一つだ。
外国の例では、トランプ大統領によるMAGA政策により世界の警察から降りて諸外国に軍事負担を求めると言ったものは分かりやすいし、韓国が政権交代の度に日本への政策をリセットしてきたことも分かりやすい。
また、教育政策も政権交代で変わりやすい政策の一つであると言われる。1回目の政権交代では狭義の「ゆとり教育」が導入され、2回目の政権交代ではそれが廃止されている。
また、政治の表に立つ人たちの顔ぶれも大きく変わるため、政治家にとってはまさにチャンスであると言える。
日本の場合、国会は議院内閣制で議員を選んで首相を選ぶが、地方は首長(市長や特別区の区長など)を直接選ぶと言う方式になっている。
そのため、実は政権交代みたいなどんでん返しが常に起きている場所でもあり、自分たちの暮らしに直結する。
例えば学校が統廃合されたり、水道料金が乱高下したり、若い人が出て行ってしまうようなクソ政策が繰り広げられたりする確率は地方の方が多い。
おもしろい。
信頼(しんらい)とは、相手や対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性や信頼度という。
(wikipediaには信用の項目は無し)
イマイチ要領を得ない。社会心理学の用語として載せられている。ここで調べる先を間違っていたことに気づく。
信頼(しんらい)
1. 信じて頼りにすること。
信用 (しんよう)
1. 信じて任用すること。
wiktionaryの定義によれば、信頼は一種感情的なものでさえある。しかし信用は、例えば"信用取引"などという言葉があるように、感情ではなく、どちらかと言えば"合理的な期待"に類似することが分かる。
/* だが、信用と信頼を、意識して使い分けている人が、どれほどあるのか?あるいは、ごちゃまぜに認識している人も、いるのではないか?というのも、私もイマイチ意識していなかったために、こうして調べているのだから。
例えば「そんな人のこと、信用しちゃダメだよ」この文がどちらの意味を(感情か、合理的な期待か)持って信用という語を使っているのか?それは発言及び人物の背景を見ないと分からないと感じる。
形而上の言葉というのはそういうものだろうか。(哲学初心者)*/
信頼とは裏付けも担保もなく相手を信じること。 これもアドラーの言葉です。 信用というのは条件つきで相手を信じること。(引用元)
「信用」と「信頼」では微妙に意味が違う。前者は損得を計算した上で相手を信じる行為を指すが、後者は利害を超えて相手に身を委ねる気持ちがあらわれている。違いを意識した上で英語に訳すと、「信用」は「give credit to s.b.」、「信頼」は「rely on s.b.」というのが適当かと思う。
藤田達蔵著「ガイドとの交信マニュアル」の第5章「交信のコツ」の「5自信を持つ」から以下抜粋する:
「必ず期日までに返済するならお金を貸してやろう」というのが信用です。それに対して、「きっと返済してくれると信じているからお金を貸してあげよう。もしも返してくれなくてもそれはこちらの責任。君を信頼しているから貸すよ」というのが信頼です。
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村上春樹氏は、『村上さんのところ』に収められた読者への返事に自らの考えをまとめた:
長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下の選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。
「信用」と「信頼」、「信任」を使い分ける | Web Pages Japanese-English And English-Japanese Wiki | Fandom
木浦 幹雄 / KIURA Mikio @ANKR DESIGN
@kur
テツロー
@punpupuuuun
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返信先:
@bombombomb2017
さん
事例あります(ドヤァ)で終わること多いですよね。。。なんで?って聞くと、信頼性、コスト、納期ぐらいしか皆さん言わないですし。。。
ここで"信頼性"という語を思い出す。これは「reliability」の訳語だろうか。統計やモノ、サービスがどれほど"そうである"という期待を持てるか、というところか。この概念は信憑性、確実性とも言いかえられる。やや"信頼"からは離れた言葉のようだ。
話が逸れた。まあ、ここまでの感じを見ると、「聞いた話を元に株を買うことと、株を買うために金をそいつに預けること。」は、双方、信用した結果の行動というところか。
信用は、必ずしも信頼を必要とせず、例えば過去の実績や、業績などを理由に行うことができる。という感じだな。
モノに使う場合は、"機能を発揮することの期待"(0/1)が信用で、"可用性、もしくは妥当性を期待すること"(1が継続すること、あるいは1が1であること)が信頼かもしれないが、調べたりないし、もう飽きたのでまたいつか。
世にはたくさんの人が居ます。文字で世界を理解する人、動画で世界を理解する人、人間の会話で世界を理解する人、音楽で世界を理解する人。ほかにもたくさん。
世にはたくさんの人が居ます。力を求める人、人嫌いな人、優越を渇望する人、知識に溺れる人、孤独に苦しむ人。ほかにもたくさん。
世にはたくさんの人が居ます。争いに心を浸す人、正義を為さんとする人、鳥を観察する人、世界を研究する人、ただ遊ぶ人、ただ遊ばせる人。ほかにもたくさん。
さて、愚かな人は誰でしょうか?
私には、一つの信仰があります。マナの女神への信仰があります。
私の価値観の根幹を為すものですので、少しご説明させてください。
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かつて、世界は光でした。しかし、光だけの世界では、何も見えません。
帝国の兵士達は、不死皇帝の命を受けて、自らの意志とは無関係に争いを続けています。
どちらの罪が重いでしょうか?
私たちの胸の中に火を灯し、生きる力を与えたもうたのは、マナの女神です。
その火を消すことが罪、自らの意志に従うことが、女神の意志に従うということ。
かつて、世界は光でした。マナの女神は、自身の姿を知るために、闇を生みました。
マナの女神は、ご自身がお造りになられた一切を愛しておられます。
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私の知る限り、人と同一の人は存在しない。
私は考えを巡らせますが、他人が同じように考えるとは期待しません。
私は世に期待を持ちません。
私にできることは、そこまでです。
PCエンジンミニで天外魔境2を遊び始めたんだけど、マジでスゲーな。スーファミ程度のグラフィックなのに、よく喋るし、ムービーまで入ってやがる。
それでいて発売日は92年の頭なんだから、ドラクエ5も発売されてない頃なんだろ?今の目線で遊ぶとオーパーツ感がめっちゃあるんだけど、当時これを遊んでたガキはスーファミを遊んでたやつに対して優越感があったのか?
いやまあ、殴ることは殴るけど、自分が他の男より優越していることを示すための暴力のときしか、表立って目立つやり方で殴らないから、女は殴らないように見えるだけだけど。
身近に言えれば、ブスだろうが美人だろうが、言いなりにするために陰で殴る。
ブスな腐女子ほど、本当に最低最悪な不良の味方をする。
自分は犯される心配ないし、あの手の連中は、レイプ以外で女には手をあげないから。
いやまあ、殴ることは殴るけど、自分が他の男より優越していることを示すための暴力のときしか、表立って目立つやり方で殴らないから、女は殴らないように見えるだけだけど。
身近に言えれば、ブスだろうが美人だろうが、言いなりにするために陰で殴る。
lainがシャバくなったという旨のツイートを見た(懐古厨なのでポストとは表記しない)
シャバくなる、という言葉に馴染みがないので「ダサくなった」とか「俗っぽくなった」とかそういう意味だと解釈したけれど、そんなことはないと思うのですこし私見を述べたい。
(当然だが)lainという作品そのものはすでに完成されていて、作品それ自体が昔に比べて劣化するということはあり得なくて、
元ツイートの意味するところとしては、コンテンツを受容する人々がダサくなった、あるいはダサいと見下していた層にもウケるようになったことに拒否感があるということなのだと理解している。
ただ、これはlainという作品の持つ、どこか難解で高尚そうなオーラみたいなものが原因だと思っている。
実際のところ、lainそのものが触れたら普通に多くの人が面白いと感じられるであろう作品であったはずなのに、
単に大衆の目に触れてこなかったのを、"大衆には理解されなかった"作品だと勘違いして、それを"理解している"ことに優越感を抱いていたんだと思う。
それがサブスクのおかげか、大衆の目にも触れたことで普通にウケてしまって、「こんなにもみんなが理解して楽しめる作品ではなかったはずなのに」と勝手に自分の中で創造していた作品の高尚さとのギャップを受け入れられず、なんかシャバくなったと腐すしかできないだけというか。
別に難解でも高尚でもなく、最初からlainは普通に触れたら普通に面白いと思える作品だったぞ、と言いたい。
作品を神格化するポーズを取りながら勝手に自らの価値も高まっているような気になってただけのクセに、それが崩れたら今度は作品を見下すようなポーズを取って、一体それで何が守られるんだ?
これへの反応を見るに
海外旅行経験あることで優越感を感じてる女ってのはけっこういるんだよね
「海外に行けてる私凄い!金もあるし行動力もあるし好奇心も旺盛!批判してるやつは海外旅行も行けない貧乏陰キャの弱男!!」って
私は一重で上まぶたがボテっと肉厚なタイプの目をしている
そういう目が昨今(少なくとも私が10代の頃〜アラサーの今に至るまで)のファッションやメイクの世界ではコンプレックス扱いされがちなことは知ってる
それでも私は自分の目に不満はないし、自分の目に愛着もあるし、二重を作るアイテム(アイプチとかメザイクとか)や整形に橋味を持ったこともなかった
ただ私の目を馬鹿にしてきたり、二重を作ることを何度も勧めてくる人はいた
たとえば「なんか増田の目って指名手配犯のポスターにいそうだよね」とヘラヘラ笑いながら言ってきたのは高校の同級生で二重の女だった。
「なんで増田は使わないの?やれば変わるよ〜」と何度も言ってきたのはこれまた高校の同級生だが、こちらは本来は一重の女で本人は毎朝アイプチで二重を作って登校していた女だった
「アンタもこういうの使えばいいじゃない。可愛くなるのに」と私が欲しがってないアイプチやらメザイクやらを一方的に買い与えてきたのはハッキリした二重の目をした母だった(私は母に似なかった)
過度な劣等感や優越感など人格や言動に何か問題があるとしても、それは目の形そのものというより目の形にこだわる価値観と自分の価値観をどこまで他人にぶつけていいと思ってるかの分別の有無に左右されるのだろうと思う
おまえ、「ソースどこ?」とほざくやつのことをわかっちゃいない。
やつらはソースをもとめているわけじゃない。ただおまえを挑発し、優越感にひたりたいだけなのだ。データを叩きつけても、やつらは目も通さず、言葉尻を捉えて揚げ足を取り、おまえを煽るだけだ。
なぜなら、やつらにとって大切なのは真実を探究することではなく、おまえを打ち負かし、自尊心を守ることなのだ。
メキシコの砂漠では、虚勢を張る弱き者がはびこっている。やつらは己の非力さを知っているがゆえに、他者を引き摺り下ろすことでしか自信を得られないのだ。
データの山を叩きつけるな。それはやつらの求めているものではない。ただ、強く生きろ。己の言葉に嘘偽りなく、まっすぐ生きるのだ。
それが、やつらに打ち勝つ唯一の方法だ。真の男として、胸を張って生きろ。
おまえにできることは、それだけだ。