はてなキーワード: 優越とは
あーーーーーなんとなく分かった!
そういうことか!
そりゃ嫌だわ
女性は相手をどれだけ好きかっていうことで女同士で争ってしまうんだろうな
「私の方が彼のこと愛してるのに、あなたは私より愛してるってこと?いっぱいグッズ買って、自慢なのそれ?それで私より上行ってるって優越感持ってる、私には負けてないってこと?そんなグッズだけで決まらんし。どれだけ好きかって、金だけでは決まらんし。でもあなたはそういうのお構いなしに私に言ってくるよね?見せてくるよね?そういうのイラつくし、一緒にいるのも嫌。褒めまくってるのも腹立つ。誉めんな。なんなん、私の彼を取るな!なんでお前が彼女面するんだよ。私だけの彼だし、他の子が彼を思ってる姿とか一切見たくない!!」
みたいになるってことかな
女同士でバトってしまうんだろうな
とはいえ、分かった気になっただけかもしれんが
知り合いに大手企業エグゼクティブ(社費で海外MBA取得済)で都内に戸建てもってて息子は東大医学部で娘も可愛くて奥さんきれいで何もかも持ってる完璧超人に正直嫉妬してたけど、そいつが最近ハゲてきたことがわかって、なんか全部許した。なんだろう。別にハゲに対して見下げることもなんとも思ってなかったけど、自分にこういう見下し感というかハゲに対して優越感を持っていたのかと正直驚いてる。
女だけど、この女友達Aは口ではあなたに気がないフリをしていたけどあなたに好意があったように思う。じゃなきゃ頻繁に遊びに来たり泊まりに来たりしないよ。
Aにとって、友達といえど異性の家に泊まるということは特別な意味を持つ。
Aが本当にあなたをただの友達だと思っていて、泊りに行っていたならただの常識がない女だし、そんなことを日常にしているのをAの女友達が知ったら軽蔑されると思う。
あなたが淡い恋心を抱いていたように、相手も抱いていた、もしくは想われる優越感のようなもの感じて楽しんでいた、というところじゃないかな。
一度あったSEXも拒まれなかったんだよね。相手もしたかったんだと思う。
年を取っていくと「あのときしなかった後悔」が増えていく。
後々、あのときもっと強く押していればという思いが続くかもしれない。
勇気を出して、本気で付き合ってくれるように話してみてはどうかな?
やらない後悔よりもやって後悔だよ!
ちなみに自分は遠距離だし、ないなと最初思った相手から猛アタックを受けて結婚しました。男性から猛アタックされるのって女性としてすごくうれしいもんだよ。
大好きだといわれ続けたら大好きになってしまう。女も単純な生き物なんだ。
アタックするなら頑張って!!
断られたら、複雑な思いになるからと素直に告げて、もう人を紹介するのはやめたほうがいい。
人生で一番の親友が結婚式を挙げたので、彼女との話をさせてほしい。
(結婚式当日から書き始め、書き上げるまでに数日かかっているため今日が結婚式ではない)
私は口に出して「私たち親友」と宣言する人たちが心の底から嫌いなので、彼女に直接「親友」と口に出したことはないが、私は相手のことを間違いなく親友だと思っているし、私の驕りでなければ相手もきっとそう思ってくれているはずだ、というくらいの関係性の友人がいる。
私は、都会からの転入生としてAがいる小学校に、最後の1年間だけ加わった。
当時の私は、親の仕事の都合で二回目の転校で、他の児童は知るよしもないのに「またかよ」と思っており、率直に言うと、かなり冷めていた。
(少し弁明をさせてもらうと、小学校五、六年生の女子と言うのは、おそらく男性で言うと中学二年生前後にあたり、人間的にも関係性的にも非常にめんどくさい時期で、その時期に転校をする、かつ、すでに五年分も醸成された関係性の中に入り込んでいかなければならない、という二点が私を非常に憂鬱にさせた。)
女性陣であれば恐らく共感してくれるのではないかと思うが、小学校高学年の女子は、「グループ」というものを形成する。いわゆる「一軍女子」などの、「各児童の性質ごとに集まった集団」だと思ってもらえれば差し支えない。クラス内の自分が所属している「グループ」がいかに大きいか、もしくは、いかに注目を集めているか。一部の女子にとってはこれは死活問題なのである。
そんな中、ある程度の社交性を持った女子の転入生が来た、となると、注目度などが欲しい、より拡大したいニーズがあるグループは、その転入生を自分たちのグループで確保しようと躍起になる。
男性はあまりピンと来ないかもしれないが、女性陣は恐らく自らの過去を思い出して「わかる」と頷いてくれるシチュエーションではないだろうか。
当然ながら、私もこの、言わば「グループ闘争」に巻き込まれた。
私が転入したクラスは、大きく分けると3つのグループに割れていた。転入早々、各グループの恐らく一番パワーを持っているであろう女子がそれぞれ接近してきて、他のグループの悪口を、かわるがわる私に吹き込んでいった。
前提の通り、私は転校二回目である。かつ、転校前の学校はやや大人びていたようで、この「グループ闘争」は小五のうちに完全解決を迎えており、私の中では「グループ闘争」は終わったものだった。
しかし、私は再度この渦中にぶち込まれることになり、心の底から鬱陶しかった。本当に鬱陶しかった。
でも見るからに「鬱陶しいです」という態度を示すには小学校はあまりに閉鎖的な空間で、私はくだらない三国志を前に、小学校六年生ながら「最適解」は何なのか、非常に頭を悩ませた。
では、Aは三国志のどこにいたのか。
Aは、どこにも属していなかった。
第四グループ、というわけでもなく、どこでもない。孤立しているわけでもなかったように見えたので、必要にかられればどこかに属していたのだろう。どこでもあって、どこでもなかったのだと思う。
もう一人同じ状況の女の子(仮にMちゃんとする)がいて、AとMちゃんは、私の目には非常に賢く見えた。「これが最適解じゃん」と思ったのである。
ここで「なんとなく」なのは、私たちが親密になってしまうとただの第四勢力になってしまうので、私たちは「なんとなく」グループを作ることをしなかった。
ここまで考えるようになったのは後から思い返せばの話なので、当時から「第四勢力にならないために〜」などとごちゃごちゃ考えてはいなかったとは思う。
だが確実に、三人が互いに「仲はいいが一番仲が良いわけではない」という距離感だったことは覚えている(実際に班を組んだりするときは、それぞれ別の子と一緒にいた記憶がある)。
小学校を卒業して、Mちゃんは私立中学へ進学をし、Aと私は地元の公立中学へと進学をした。Aと私は、部活は同じものを選んでいたが、クラスは離れ、かつて三国志だった小学校のクラスメイトももちろんバラバラになっていき、あれはなんだったんだと思えるくらい、新たな人間関係が築かれていった。
切れてもおかしくなかった関係は、またしても「なんとなく」、切れることなく続いた。
当時の私は、学校の規則が嫌いで、何故か全ての上から来るものにイライラしているけど、そのぶつけ先がわからない、といった、尾崎豊の歌詞のような中学生だった。
要領がよかったせいで、提出物を全く出さないくせにテストの成績がいい、といった、先生からすると非常に厄介な生徒だったのではないかと思う。いわゆる「問題児」というレッテルを貼られても文句は言えないような奴だった。というか、私は元から問題児と言われる気質を持っていて、小学生のときは転校直後で隠していただけで、元来は何にでも牙を向くような性質だった。
中学一年生の私は、不要なものを学校に持ってくるわ、先生の言うことは聞かないわ、合わない子をシカトして「いじめ」と言われたら逆ギレするなど、まぁやりたい放題だった。いじめ云々の件に関しては弁明する余地しかない話なのだが今回の話では完全に蛇足なので割愛をするとして、それにしても、やりたい放題だった。
タイムマシンが使えるなら、そんなくだらないことに労力を使うなと迷わずビンタするだろう。(幸い私は救いようのないバカではなかったようで、一年生の間にこれらの行動が全て無意味であることを学んだ)
一方Aは、お父さんが高校の教員なこともあり、「真面目なメガネの図書委員」と聞いてステレオタイプの女子生徒をイメージしてもらえれば、あまり相違がないような生徒だった。
はたから見ると正反対なAと私の「なんとなく」仲がいい距離感は、なぜかずっと続いていた。
Aと私は、再度同じクラスになった。
正直細かい経緯は覚えていないが、ジワジワとそうなったのか、きっかけがあったのか、Aが私以外の友達との交流をあまりしないようになり、それを私にも強いるようになっていった。
例えば、私が他の子と話していても、間に割り込んで他の子が見えていないかのように話をし出す、などの行為をするようになっていった。
(この部分だけ書くとAが悪く見えてしまうが、本当に経緯をあまり覚えていないので、そうさせる原因を私が作った可能性は十分ある)
私たちは元々「なんとなく」仲が良く、互いが一番ではなかったので、私にも普通に友達がいたため非常に困った。当時何にでも噛み付く性質だった私が、Aの行動をしばらく我慢したあたり、私は元々結構Aのことを大切に思っていたのだと思う。
(それに、当時の私には一抹の優越感も間違いなくあった。「Aにとって、自分は特別な存在である」ということに関する、子どもじみた優越感である。)
だが、困るのを通り越して怒ってしまった私は、しばらくAと距離を置いた。喧嘩と言うより、一方的な断絶だった。
その後、一度良心の呵責に耐えかねてAと和解をしたが、やはり過去の行動が許せなくなった私が再度Aに無視するような嫌な態度を取ってAが怒る、という「そりゃそうなるだろ」的なイベントも起こったが、私たちは、結局完全に和解した。
やっぱり私は、Aのことがとてもとても大切だったのだ。どうしても彼女のことは切れなくて、大切で、代え難い存在になっていた。
中学三年生も同じクラスになり、そのときはもう、私たちは「なんとなく」仲がいいの域をとっくに越えていた。
恐らく同じクラスのメンバーは、私たちをセットで捉えていただろう。
私は、喧嘩のようなものを挟んだけど縁が切れることはなかったAとの関係性に、大きな安心感を覚えるようになった。
それによって私は、精神の安定性を高めていき、笑ってしまうくらい優等生になっていった。
今思えば荒れに荒れていた中学一年生のとき、私は心から信頼できる友人はおらず、不安だった。
これは完全に予測だが、Aが私以外との交流をあまりしていなかった時期も、私から何かしらの安心感を得たかったのかもしれない。
やや余談だが、私たちふたりは、共に父への確固たる尊敬を持っているところが似ていた。根本的な部分が似たもの同士なのかもしれない。多感な中学生のときでも、互いの父の悪い話を口にしたことは一度もない。
私の進学先が自分の父の母校と同じだと教えてくれたAは、なんだか嬉しそうに見えた。
高校進学後も私たちはやっぱり一度も縁が切れることはなく、とはいえべったりと仲がいいわけでもなく、一年に一回は必ず顔を合わせるような関係だった。
だが、ひとたび会えば昨日も一緒にいたように話し始められるAとの関係性が、私は今までもこれからもずっと好きだ。
ここで一つ、小噺程度のエピソードを披露するが、Aと共通の知り合いである男と、私が交際をしていたことがある。
転校先の小学校で同じクラスで、中学校も同じところに通っていた男だ。Aも、Aのことも、もちろんよく知っている。
一度、Aとその男とあと数人で飲んだことがあるが、私がはじめにその男に不信感を抱き始めたのはそこからだった。
Aは先述の通り、「真面目な図書委員」のようなビジュアルを想像していただければあまり相違なく、とてもではないが下ネタを話すようなタイプではないし、私も彼女に対しては品のない下ネタは一切話さなかった。
(というか相手によって話す内容を変えるのは人として当たり前の行動だと思っている)
それなのに、その男は容赦なく男友達にするような下ネタを話し始め、A以上に私のことをドン引きさせた。
そして、交際中のいつだかの冬に、中学の同窓会を企画することになった。
中学時代の、Aではない別の友人に「幹事やってよ」と言われて企画した。
生徒会長ではなかったが、クラス委員などをしてきた義務感から企画し、人を集めていったが、企画段階からやや辟易し始めているような、そんな同窓会だった。
私は人を集める段階でもちろんAにも声をかけ、Aは参加を承諾してくれた。
Aは特に、参加承諾以外は何も言わなかった。
だが当日、一番私の隣にいて、どんどん気分を害する私の顔色を見て、私のサポートに徹してくれたのはAだった。
交際していた男は自分の友人と合わせて参加するため、一時間半遅刻してやって来た。法が許せばその場で何かを刺していたかもしれない。
それだけではない。
途中遅れて来た奴が幹事である私に全く声をかけずに席についていたり、その場で別の奴に電話をして「○○来るって」と言ってくる奴がいたり、それはもう、言葉を選ばずに言うと、非常に、非常に知性の低い同窓会だった。
二次会まで足を運んだが、品の無さに耐えきれず、Aと二人で、二次会の会場を後にした。
人生において何度も思ったことがあったが、この日ほど、何があってもAのことだけは必ず大切にしようと思った日はない。
全ての女子に声を大にして言いたいが、最も信用できるものは、彼氏ではなく、友人なのである。
(当時の彼氏はその後しばらくして、もちろん別れた。別れた報告をAにしたとき、それはそうだが、全てわかっていたような優しい微笑みを浮かべられた。)
ちなみに私は、当時の彼以外の話もAに明け透けに話している。
Aは私が傷ついているときも、吹っ切れたときも、逆に恋愛に浮かされているときも、変わらないテンションでいつも静かに話を聞いてくれていて、いつでも一番気が楽になる対応をしてくれた。
いつか自分の将来を約束できるような人にAを紹介したいと思っているが、生憎まだ予定はない。
でもたとえどんな男と将来を約束しようとも、私はAのことは大切にし続けると決めている。
私は社会人になってから、かつて転校前に長く住んでいた大阪に戻っており、Aのために地元への飛行機に乗ったところで、この文章を書き始めている。
もちろん結婚までの経緯は知っていて、結婚式よりも前に、Aが紹介してくれたのでお相手とも面識を持つことができた。
Aから「お付き合いしている人がいる」と聞いたとき、私が最初に感じた感情は間違いなく『寂しさ』であった。自分も交際経験がある上、Aに散々話してきたくせによく言うが、間違いなく私は寂しかった。盗られたという感覚はなかったが、「私以外の人が、彼女の一番になったんだ」と思った。なんてガキなのだろうか。そう思った私のことを心底嫌いだと思った。
また、付き合った直後に教えてくれなかったことも、私は少し寂しく思った。とはいえただ私が特性として仲が良い子には明け透けなタイプなだけで、Aは元々そうではない。隠しているつもりも彼女にはなかっただろうし、私のただのわがままなのだが、「なんで教えてくれなかったの」という感情があったことは否めない。
幸いお相手の方は非常にいい方で、私の前で互いに話すAとAの彼氏(当時)を見て、長年Aを知っている私が、彼女との親密度を感じ取れないはずがない。
私が心配をする隙など何もないくらい素敵なふたりだったのだが、私は一抹の寂しさを抱えたまま、結婚式当日を迎えた。
挙式の際、私はご両親が座るために開けられた最前列席の真後ろという、下手したら親族に間違われそうな位置にいた。
図々しいだろうか、とヒヤヒヤしていたら、緊張した面持ちの新郎が入場して、
私はその時点でもう目が涙でいっぱいだった。あんなに綺麗なAは見たことがなかった。
早い、とツッコまれるかもしれないが、本当にその時点で感動してしまって、ずっと鼻をすすっていた。
(のちほど披露宴でAのご両親に挨拶にいき、お話ししたのだが、真後ろだったせいで挙式ですでに泣いていたことがバレていた。恥ずかしかった。)
披露宴中、お色直しのために新郎新婦が中座し、まもなく再度現れる、というときに、二人のプロフィールムービーが流れた。
恐らく結婚披露宴ではあるあるの演出だと思うが、二人の成長過程がスクリーンに映し出される。
Aのプロフィールが流れていき、当日呼ばれている友人たちの写真が映るたびに、それぞれのテーブルがリアクションをしていく。
Aと小学校・中学校からの友人として参列しているのは、私だけだった。
(私が中学の同窓会で幻滅したように、Aも他の友人には幻滅したのだろうか。そのあたりはおめでたい席でとても聞くものではなかったので、特に細かいことは聞いていない。
Aのご両親と面識があるし、別のコミュニティにAの影響で一緒に参加していたため、お知り合いの方も多く参列しており、会場でぼっちだったわけではないのでご安心いただきたい)
私ひとりに宛てられた、メッセージまで添えられていた。
他の友人たちとは一線を画す扱いへの衝撃が強すぎて、細かい文言は覚えていない。
涙が止まらなくなって、以降の内容も覚えていない。なんてダメな参列者だろうか。
彼女にとっての私は確かに唯一無二である、と、私だけでなく相手も思っている、ということを、はっきりと確認できたことで、私の感情は余すことなく全て「祝福」の方へ向かった。
そしてAから両親への手紙の中で、同棲をするまでお父さんにお相手の彼の存在を話していなかったことを聞いた。
なんだ、私だけじゃなくて、お父さんにも言ってなかったのか。
私はその、Aらしい部分に微笑んでしまった。彼女は私に隠していたわけではなく、Aがそういう性格なのだ、ということを改めて感じることができた。
少しでも寂しいとか、なんでとか思って、ごめんね。
だけど、一番はいくつあってもいいのだと、彼女の結婚式に参列して思う。
両親への手紙も愛に溢れていて、彼女にとってご家族もかけがえのない存在なんだと思ったし、他のご友人たちもみな、Aのことを微笑ましく見守っていた。
これからもきっと、ふたりは幸せに時を重ねていくのだろうと思った。
私は誇らしくなった。
自分もそんなAの唯一無二の存在のひとりであることが、とても、とても誇らしくなった。
夫婦とは、愛を誓ったとはいえ別の人間が生活を共にする。喧嘩することや意見が対立することもあるだろう。私はそのとき、何があってもひとまずAの味方となる存在でありたい。
お相手の方が正しいということもあると思うが、味方のあるなしで人の心の余裕は大きく変わる。
それを教えてくれたAに対して、私も同じ態度でありたい。
それに、残念ながらまだ予定はないが、私が逆の立場になったときも、彼女がそうであってほしいと思う。
結婚、おめでとう。
そして、私の唯一無二でいてください。
二浪している。
親族に医者がいること、プライドだけが高い最悪な性格のせいで、大した頭も努力の才能もないのにズルズルと医学部浪人している。
なんとか自分に、「私は他の人と違って粘り強く夢を追いかけているんだ、髪を派手に染めて一升瓶抱えて会場にいるやつとは違うんだ」と言い聞かせていたが、なんだか空虚だ。二浪ならそんな思いも抱えぬままに勉強するべきだし、なんならこんなダイアリーを書いていること自体間違っている。
昼頃、朝から荒れていた私を見かねて母親が昼ご飯を外食しよう、と誘ってくれた。が、行こうとしている店は、成人式の会場前の道を通るしか行き方がない。
耐えようと思った。ここで耐えられなければ二浪が廃る、ほどでは無いが、私は母に向かって調子よく、今から土砂降りになってみんなの晴れ着がドロドロになればいいんだ、などと悪態をついていた。
車に乗り込む。走り出してすぐの角を曲がった。
幼なじみのAがいた。華やかな振袖は可愛らしい彼女の雰囲気とよく合っている。祖父母に囲まれて家の前で写真を撮られていた。
Aの母親がこちらに気づく。満面の笑みで、私と私の母親に手を振った。
負けていた。
Aは近所の友達である。と言ってもしばらくは会っていない。中学受験をして中高一貫へ進学したAは、私がその高校に編入するまで連絡も取っていなかった。
中高一貫あるある(?)だそうなのだが、目標を失って燃え尽きてしまう子がたまにいるらしい。小さい頃から公文やら英検やら言われて育っていた彼女なので少し納得する。
その時、私は実のところ優越感を抱いていた。あまり勉強にとやかく言われることなく育ち、その地域なら一番くらいの中高一貫に編入できたので、教育ママとして有名だったAの母親に一矢報いてやった気持ちだった。何度か私の母親がAの母親から嫌味を言われていたこともあり、さらに誇らしかった。
高校に入った私は、如何にその誇りが井の中の蛙だったことを知ることになる。初めて赤点を取り、どこが分からないか分からなくなる状況を知った。授業は何を言っているのか分からない、個別指導の塾に行っても何を聞けばいいのか分からないし、まずどこから勉強すればいいのかも分からない。あれよあれよと時は過ぎ、進級ギリギリを掠めながら卒業し、なんとか現役で出願できた国立の薬学部は落ちた。
Aはと言うとどこかの専門学校に受かったが、また精神的に不安定になり引きこもっている、というのを又聞きで聞いていた。
そのAが、私よりも誇らしげな顔で、笑顔で晴れ着を着ていた。時間的に今から会場へ向かうのだろう。
私が全て悪い。それぐらい分かっている。ただ、最後に持っていた、持っていたかったプライドをぶっ壊されて今でも戸惑っている。私が保ちたかったものとはなんなのだろう。去年医学部に落ちた時もこれほどまでに『負けた』とは思わなかったのに。
結局自分が悪くて惨めなのだ、という事実を直視出来なくて辛いのだろうか。だとしたら、私はなんて弱くて愚かなのだろう。
Aの前を通ったあと成人式会場の前を通ると、某リベンジャーズみたいな髪型と服の新成人が拳を突き上げ笑っていた。中学や高校の同期たちも少し見えた。
惨めだ。
年末、新幹線で来る親戚を迎えに駅にいた。今までは父母がやってたのだが、もう歳だしということで今年からは私がすることになった。
到着よりかなり早くついてしまい、改札の前には前に来た新幹線に乗ってた人達や迎えの人達がいっぱいいた。
その中に高校の同級生がいた、2年間同じクラスになったことのある人で、2年もクラスが被ると話したこともそこそこあった、私は目を見開いてあっちも私に気づいたような感じだった。
その人はおしゃれな服も着ず、メイクもせず、ネイルもせず、アクセサリーもつけてない、スマホのケースすらシンプルな単色のもので、咄嗟に優位に立てると思ってしまったのだ。
あっちは少し迷惑そうな顔をしていた、私はそれを私に負けたからだと判断した、私に負けたと感じ、並びたくないのだと判断した。
クラスLINEにも学年LINEにも登録してない人はいっぱいいる、その人もそうだ。上京してたことは知ってるけど今どんな仕事をしているのか誰も知らない、高校の時に仲良くしてた人たちとも卒業後は一切連絡を取っていないからだ。
この日会ったことで、それは、惨めな自分を見せたくないからだと思った。仕事ももしかしたら大したことはしてないのかもしれない、車の免許も持ってないかもしれない、卒業以来会ってないただの同級生のあら探しするみたいに必死に考えた。
LINEの交換を申し出たら、めんどくさいからいいと即答された。私は驚いた、LINEの交換ぐらい別にいいじゃんと思ったのに、めんどくさいからいいと言い切られたことに。
私はコスメ関係の仕事をしている、だから今度コスメおすすめするよ、買いに来てよと財布に入れてるカードを取り出そうとしたところで、めんどくさいからいいともう一度言われた。私は何も言えなかった、私が黙ったからか、彼女は私を避けるようにして駅を歩いて行った。
私はなんでこんなにこの時、その人の優位に立ちたくて必死だったのか、周りの結婚ブームに乗り遅れたからだ。仲間が欲しかった、いや、見下せる人間が欲しかった。東京は未婚率が高いらしい、だから彼女も未婚だろう。高校の時に彼氏もいなかった、吹奏楽部で、漫画やアニメが好きで、そういう子たちとも仲が良くて。そんな人が結婚してるわけない、きっとバイトだ、毎月ギリギリの生活だろう、狭いワンルームの部屋に住んでいるのだ、そう思い込んだ。
会ったせいか気になってネットでその人の名前を調べてみたけど何も出てこない、本名でやるようなsnsはやってない。細々と動いているクラスLINEに、今日会ったことを放り投げた。馬鹿にする感じにならないように、めっちゃシンプルだった、と添えて。
私のコスメすすめてあげたら、と返ってきた。気分が良かった。ユニクロ行ったら会えるかもな。気分が良かった。てかこの時期オタクはコミケで忙しいんじゃないの。気分が良かった。私は清々しい気分になってその日を終えた。
でもその後、誰々が結婚した、誰々に子供が生まれた、誰々が家を買ったまたそんな話になる。そんな話があるたびに細々と動いているクラスLINEが新着のメッセージを知らせる。つまらない、聞きたくない。私も結婚したーい、という誰かのメッセージも、私にはふざけてるようにしか見えなかった。
その人の情報は何もない、どこに住んでいるのかも知らない。また駅に行けば会えるのだろうか。
...みたいな知識マウントをとって優越感に浸るのは簡単っすよねー。
でもさ、知識も重要かもしれないけど、実際のタスクや問題を解決することのほうがもっと重要って分かってる?坊や?
そこで「量子力学上のタスクをゲーム化して解いてもらうのは?」というアイデアがあるんすよ。
以下のリンクでは、実際にquantum gameをプレイすることができ、誰でも着手できます。
まずは用意されたゲームを一通りプレイすれば、直感的に回路について理解することができちゃうわけよ。
その後で、仮想実験室って機能を使うと、量子力学の本質の探求、量子コンピューティングのシミュレーション、量子暗号、直感に反する量子現象の探求、過去の実験などを再現することができて有用。
こういうゲーミフィケーションによって、例えば大学でより効果的に量子力学について教育ができるんっすけど、実際、オックスフォード大学やスタンフォード大学の量子情報コースで使用されておりまっす。