「植民地主義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 植民地主義とは

2024-07-26

anond:20240726165142

日本社会全体に向けられた非難については、多くの意見がある。

非難をした女性黒人ジャーナリストに対して、人種差別主義者であるという批判も寄せられている。

参考になったコメントの中に、彼女に限らず、アメリカジャーナリストは、自分たちの「正義」に基づいた物語を押しつけ、それを批判するもの人種差別主義者レッテルを貼る傾向があると説明があった。このコメント投稿者は、こうした非難の背景にあるDEIの思想のものが、現代植民地主義帝国主義に他ならないと論評していた。

2024-07-13

聖徳太子福沢諭吉渋沢栄一...なぜ日本一万円札肖像画は全て韓国への加害人物なのか

日本一万円札肖像画はこれまでに聖徳太子福沢諭吉渋沢栄一と変遷してきた。しかし、これらの人物には隠された共通点がある。それは、いずれの人物韓国に対して加害的な行動や思想を持っていたとされる事だ。

 

聖徳太子

聖徳太子日本社会では平和的な人物として広く知られているが、『日本書紀』には弟の久目皇子当麻皇子征新羅将軍に任命されていたことが記録されている。それまでの大和王権朝鮮派兵は主に大伴氏物部氏などの軍事担当氏族担当しており皇子の任命は初めてであることを勘案すれば、当時摂政を務めていた聖徳太子自身新羅現在韓国)に対して好戦的意志を持っていたことが推測できる。

 

福沢諭吉

福沢諭吉は「脱亜論」という論文を発表し、中国朝鮮蔑視する態度を示した。この思想はその後の差別的思想植民地主義正当化につながり、アジア諸国、とりわけ韓国に対する軽蔑と抑圧の態度を助長した。

 

渋沢栄一

渋沢栄一は、日本韓国支配していた日帝強占期において、独占資本家として朝鮮の富を収奪人物である。彼の活動日本経済発展寄与する一方で、韓国に対する経済的搾取と抑圧の一端を担っていたのだ。

 

~なぜ加害人物が選ばれるのか~

日本一万円札肖像画にこれらの人物採用され続ける理由には、日本歴史認識国民意識が影響している可能性がある。韓国に対する加害の歴史無視する形で、国内では偉人として称えられる人物を選び続けることで、過去行為に対する反省謝罪意識が欠如していると言えるだろう。これは、歩み寄りを図る現韓国政権との摩擦を一層深める要因ともなりかねない。

 

一万円札に描かれる人物選定が今後どのように変わるのか、またそれが日本韓国関係にどのような影響を与えるのか、注目されるところである

2024-07-11

anond:20240707062205

こいつとかか。

今どうなったんだろうな。

#MeToo犯行予告「男の家に刃物を持って押しかける」「手帳持ちだから警察は怖くない」とジェンダー法学会参加者発言

https://togetter.com/li/1296848

フェミニズム(というかポスコロ)のヤバさは、主観的ナラティブ絶対視するあまり植民地主義近代が、ナラティブをガン無視してセオリー押し付けたことへのカウンター思想からね)、この手合を止める手立てがないところ。

蓮舫勝手連的なアンチファ・反差別界隈がヤバさ極まってるのも同じ。サブカル高二病経由でポスコ思想注入された結果がアレ。

2024-07-10

anond:20240710183604

日本が追いついて抜けた後も、白人さんは植民地主義コソコソ続けとるやで

anond:20240710180451

植民地主義は良いたとえだね

日本欧米に追い付いて一等国の仲間入りしようと植民地主義を真似た

ところがその頃には欧米では時代遅れ思想になってて結果は知っての通り

その教訓を学ぶなら日本は無理に追いつくべきではない

遅れていてもいいじゃないかゆっくり行こう

追いついた頃欧米でどうなってるかわかったもんじゃいか

anond:20240710160417

白人は頭おかしいだろ

植民地主義から抜け出したと思ったら極端なカルト思想を広めはじめた

なんやこいつら

2024-06-20

anond:20240619185154

植民地主義ポリコレバンバンするのは、悪かったのは当時の植民地経営会社だけである一般の善良な白人遺憾である、と言いたいだけやろ

 

今では虐殺犯罪と思うようになったものの、植民地持ってることは誇る白人種のひとびとの意識には不信感あるな(理解はできるが

 

そもそもコロンブスのいたスペイングラナダから航海術を学んだくせに、グラナダ滅ぼして新大陸進出して虐殺領地拡大したわけで

スペインから神聖ローマ帝国まで支配して、1531年証券取引所を建てて、カトリック迫害してプロテスタント革命支援したハプスブルグカール5世植民地主義元凶、今で言うDS

アメリカ大陸では先住民インディアン英蘭戦争、英仏戦争に雇われて人質合戦

産業革命できた割には弾薬がどうにも足りない、日本には硫黄があるらしい、黒船で襲撃だ、侍にミシンエロ本を与えてやろう

結局のところ植民地の混血ならどちら側の血も持っている

先祖汚名先祖の不幸のどちらもあるのが人間なのかも

から人間は罪だ

日本戦前は、コロンブスに倣えという意識だったんだよ多分(ドイツ好きだろ

2024-06-19

anond:20240619014605

アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない」


本文中にある「植民地主義はその民族アイデンティティに組み込まれている」から「寄り添えない」し、(発言してないが)「寄り添うべきではないし、寄り添ってはいけない」ってことだろう。

侵略者であるアイデンティティ」というのを「是」としたいのは承知だが、俺からすると「アイデンティティなんて(笑)バカかと(笑)」としか言えんわ。

逆に言えば「被差別者としてのアイデンティティがオマエラのルーツからオマエラは虐められてることを承認し、その過去に対して責任遡及すんな。そのままなんだよオマエラは」ってことを「是」としてるわけだ。

違うんだったらちゃんと違うように説明してみろよ、民主主義並びに自由主義国家住民よ?


作り物の話だが『ウルトラセブン最終章』を見るがいい。

あの最終回戦犯である私たちジャップランドとしては「正しい謝罪のあり方」だな、と思う。

過去過去なんだから、謝り続けさせる仕組み(この場合ポリコレ)はクソだぞ!」っていう気持ちはわかる。

オマエの本丸がそこ(戦犯であるジャップランドの「永遠謝罪」の拒否であるなら残念だったな。


俺は「お気持ち謝罪や、価値観変遷のための取り組みはOKだが、今すぐ金よこせ!(シナコリアの言い分)っていうのは絶許」っていう立ち位置だ。

過去謝罪には金は不要だよ。金を引き出すなダニ共が。

anond:20240619014605

また長いので要約すると

—————————

記事コロンブス問題について取り上げた際、現地の当事者目線を強調し、説得力のある解釈に直面した。Mrs. Green AppleMVコロンブス問題感謝祭に関する記事では、先住民視点重要性を感じさせられたが、ファクトチェックが難しく、一部は陰謀論のように感じられる部分もあった。特に感謝祭起源に関する記述には疑念が残る。感謝祭アメリカ文化経済に深く根付いており、その負の歴史直視することは容易でない。感謝祭をやめることは難しいが、少なくとも先住民立場認識する必要がある。フランス植民地主義も同様に、進歩的価値観と結びついており、正義の名のもとに歴史を再評価する動きに対する警戒が求められる。正しさのもつ危険性を認識し、多様な視点を大切にするべきだと感じた。

—————————

 

慎重な立場検証すべきという姿勢には同意するけど、結局「現地民を類人猿として描いている」ように見える時点でアウトに違いないので、それ以降はキャンセル側も批判側も重箱の隅をつついているだけなのではないのかね。

知性的判断とは、できるだけ詳細な知識による理解に基づくべきだ」「そのための学習と、当人による体験を重視すべきだ」という点は見習うべきだと思った。

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

2024-06-18

anond:20240618101303

コロンブスポリコレへの強い批評だと思うけど、

ポリコレ見直しなんか必要ない

は読み取れないな。

描写されたものすべて視聴者に見せるために描写されたものがあのMVなのだから、「歴史偉人ポリコレ見直しなんか必要ない」を見出すのは無理筋

 

歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」とわざと植民地主義を強調する作りにして世に伝える

コロンブスMV意図はこれだと思う。

 

歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」

は、ミセスMV作らなくても知られていたことだよね。だからその内容自体ポリコレなのは当然だと思う。

でもミセスMVを作って

歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」

を陳列したら、コンプライアンス至上主義者が発火した ←これもポリコレ

事実を陳列されたら、「それはそうなんだけど茶化すのは良くない」とか「陳列するのは良くない」とか、あるいは事実陳列されたと思ってない人が「差別良くない」とわめき始めてもう何がなんだか、とにかく「ミセス謝罪しろ!!!」で結束した ←これもポリコレ

まあ事実陳列というには確かに茶化してるんだけど、でもそれこそが風刺

 

セスコロンブス風刺したというより、コロンブスを使ってポリコレ風刺したんだと思う。

コロンブスを、ベートーベンを、ナポレオン偉人として讃えることをしっかり風刺してるし、偉人から茶化すのはよくないと怒り出す権威主義風刺して、偉人だけど偉人がヤベーことをしてたのも分かってるけどそれつつくと差別だ~って怒り出す外国人がうるさいから黙っとけよと言い出すポリコレ風刺して、「こんなことも分からないなんて無知だな、教養がないんだな」と言って満足する人たちも風刺対象

anond:20240617230419

コロンブスについてはSNSをかじってれば、ここ数年の間に海外ではポリコレ側が批判対象として像を撤去しようとしたりする一方、直近では、それに対して反ポリコレ側のバックラッシュの動きも盛り上がり像も記述も昔のままでいいだろ的な流れが大きくなってる、という激しい対立や変化をつかめる。

MVから後者の反ポリコレへのシンパシーを感じる。「歴史偉人ポリコレ見直しなんか必要いから明るくハッピーな未開人への教育描写を詰め込む」という気持ちを。

一方で、逆に「歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」とわざと植民地主義を強調する作りにして世に伝えるポリコレ的なMVにも見えてくる。

そういう意味で両者のバランスが取れていたMVなのかもしれない。

2024-06-17

anond:20240617230419

植民地主義への批判だろって増田散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。

アーティスト側には歴史認識風刺意図も無かったけど、MV監督歴史背景を知っていて、社会派気取りたかったのかブラックユーモアのつもりだったのか知らんけど軽い気持ち風刺入れまくって、アーティスト側には細かい意図まで説明せずに通した、が一番ありそうな線じゃない?

アーティスト社会派なんじゃなくて監督あたりの自我っぽさを感じる

それならアーティストには踏ん張る覚悟なんて無くて当たり前だしな

anond:20240617230419

ということを考えると、ナチスみたいな巨悪だという認識はなかっただろうし、虐殺とか悪いこともしたけど大航海時代英雄的な認識だったんじゃないだろうか。

私は正直今回の炎上があるまでコロンブス認識はその程度だった。みんな深く考えすぎて、カジュアル植民地主義への風刺入れてみようかね、くらいの軽いノリだったと考えるのが自然じゃないかな。議論する価値ないよ

結局コロンブスMV意図がわからない

anond:20240613203515

なぜこの「コロンブス」というタイトルの曲とMVを作ろうと思ったのかが、いまだにわからない。

想定されるのは以下3パターンだが

  1. 植民地主義奴隷制肯定で作った
  2. 歴史的文脈無知で作っちゃった(コロンブスが悪い人というイメージなし)
  3. 歴史背景は知識はある程度あったものの、それを踏まえた上で行けると思った

色々な解釈が出回ったし、少なくとも 1 はないというのは、合意が取れていると思う。ま、一般的な人気勝負メディアアンチポリコレを攻めに行く意味がない。

一般的マスコミ批判などは 2が多そうだが、はてな界隈ではロマン優光https://bunkaonline.jp/archives/5214/ や他の増田考察など猿人文明他への指摘もあり、さすがに単純に 2 もなさそうという話になっているように思う。

そうすると 3 ということになるが、それがわからない。ある程度知識があるなら、センシティブトピックだという理解はあっただろう。可燃性が高いのは理解した上であえてその題材を選ぶのだから、何らかの意図があることになる。

しかしだ、MVがなくとも、コロンブスというタイトルで曲を作るだけでハードルは高い。歌詞や各種考察を読んだが、リスク承知表現たかった何かがあるとは思えなかった。

そこにMVでの、コロンブスを含めた西欧人3人の選出と、猿人ビジュアルが加わる。元々可燃性の高いコンテンツの発火点を上げるビジュアルを突っ込んで、延焼を防ぐ仕組みとして猿人は十分な文明があるとしたのだとして、万人がストレートにそれを受け取って発火しないと現場が思っていたのだろうか。

しかも、大変勉強になったがユロックの母 https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/ によると、私の浅いレベル知識では気が付かない火薬さらに色々埋まっていたらしい。猿人の色だとか、バッファローだとか、乗馬に関する指摘とか、これは日本国内においてはWikipediaちょっとコロンブス(やナポレオン等)をかじっただけでは気がつけない人が大多数ではないか

そうした埋設された火薬に気が付かなかったことまでは責められないかもしれないが、だとしても、である

可燃性の高いコンテンツに踏み込んだ意図がまったくわからない。

少なくとも社会的に何を訴えようという意図があったと解釈するのは難しい。

例えばこれがアメリカ黒人問題であれば、普通の神経であればよっぽどの意図がなければ避けるだろう。本邦でも黒人の苦難の歴史は多かれ少なかれ認識されているが、私はBLM運動が盛んになるまで、例えば黒人という言葉アフリカの人に使っていけないという認識すらなかった。黒人という言葉は、歴史的文脈の中であえて使われているのだと。可燃性が高く、自分フィールドでもない話題に突っ込むには、相応の意思覚悟必要と思われる。

結論最初の3つのうち、3ではないか、という話もあったが、相応の意思覚悟がないということであれば限りなく 2に近いとしか思えないのだ。

小説家映画監督意図を持って議論が巻き起こるであろう主題を投げかけるような、深い主題があったのだろうか。仮にあったとしても(私はないと思うが)こんな秒単位分析されたとて https://rna.hatenadiary.jp/entry/2024/06/15/110134 明確に出てこない時点で完全に失敗していると思う。


この話を持ち出すか悩んだのだが、最近だと是枝監督の「怪物」を対比として出してみる。あの映画プロモーションの仕方を含めて、色々な議論があった。そしてその価値意味があったと思う。


コロンブス」にそれはあったか炎上してすぐ引っ込めたことも含め、私はあったというのは苦しいと思う。


であれば、コロンブス大航海時代英雄程度の認識で作った作品との違いはどこにあるのか、というのが私の問いなのだ好意的解釈をして、コロンブス現代人への風刺だったして、可燃性の高いコンテンツでそれができると思ったのはおこがましいであろうし、大した可燃性はないのだと想定したのであれば、コロンブスに対する近年の歴史的認識がなかった場合と何が違うのかがわからない。


結局アーティストMV作った人たちはリスクを冒してまで何を表現たかったの?

追記

植民地主義への批判だろって増田散見されるが、そんな社会派アーティストなんだったんだっけ、というのもあるし(社会派じゃなければ作っていけないということではないが)、繰り返しになるが、可燃性の高い素材でそれをやるなら、土俵際で踏ん張る覚悟はほしい。ナチスの軽いパロディで失敗してテヘペロ、とはいかないでしょう。

anond:20240617090243

批判派はそもそも日頃から植民地主義批判してたのかってことだよ。

それにもしそうなら、真っ先にヨーロッパから移民とその子孫を批判すべきだろうに。

その上でのコロンブスMV批判ならわかるが、単に叩きやすもの、結託しやすものを叩いて仲間意識確認しあってるだけ。

で、この波に乗らないやつは非倫理的って烙印押されるから、みんな同調圧力に負けて一緒に批判してるだけ。

anond:20240617010545

ほーん

ほな植民地主義美化は誤解だったってことでええのね?w

anond:20240617005919

日本人を猿に見立て自分達を何らかのインスパイア与える存在として描いてるっぽいよな

大森性格はたぶんそこそこ傲慢だけど植民地主義とは全然違う

結局あれを植民地主義だと言い募る根拠は表層的な連想ゲームだけ 

表層的なゲームの方がバカでも参加できるイベントから盛り上がってしま

2024-06-16

anond:20240616232440

部分的にでも美化と言えれば植民地主義美化コンテンツと言えるの!」ってコト?

その部分と無関係描写やその部分と衝突・矛盾する描写があっても?

逆に無関係描写があったら問題のあるコンテンツにならないとお前は思ってるのか?

たとえば、ナチスジェノサイドを美化したシーンがあって、それとは無関係描写も混ざっているコンテンツがあるとしたら、それは問題になりうるだろ

無関係描写問題点を打ち消すことはないからな

 

衝突・矛盾する描写については程度による

だが、お前が言ってるように「ここは美化になってない」というだけなら、俺が指摘した部分の美化を打ち消すほどの効果はないだろうよ

俺の指摘が根本的に成立しないような矛盾がないから、お前には「美化になってないところもある」という論拠だけで強引に突破しようとする以外に打ち手がないわけだ

 

全体について説明するのが無理になったから「コロンブスが何かモノをを教えてる一点で植民地美化コンテンツ!」に切り変えたわけね

おいおい、自分で持ち出したピアノのシーンすら正当化できてないくせに何言ってんだ?

自分からピンポイント論点を持ち出しておいてクリアできてない状況で、なんで全体や他の部分について説明要求できると思ってる?

 

朝鮮侵略した秀吉が快活な肯定的描写で扱われてんだからどう考えても侵略主義コンテンツだろ

秀吉朝鮮侵略を想起させるような内容が肯定的描写で扱われてたら同じように問題だろうよ

コロンブスタブーからアウトなの!」はお前が勝手に書いてるだけで俺の意見じゃないぞ?

相手の主張を取り違えてから低知能と煽ってるようでは恥の上塗りだな

anond:20240616230733

部分的にでも美化と言えれば植民地主義美化コンテンツと言えるの!」ってコト?

その部分と無関係描写やその部分と衝突・矛盾する描写があっても?

  

そっかー

全体について説明するのが無理になったから「コロンブスが何かモノをを教えてる一点で植民地美化コンテンツ!」に切り変えたわけね

君か最初からそんな判断基準だったなら猿がどうとか触れる必要すらなかったはずで、旗色悪いからまた戦線を後退したのは明白だよねw

 

そんなガバガバ基準でいいならもうアコムモビットCMだって侵略美化じゃない?朝鮮侵略した秀吉が快活な肯定的描写で扱われてんだからどう考えても侵略主義コンテンツだろ

  

よーするに統合失調連想ゲームみたいなとこまでルール閾値を下げたいわけだよね、そうじゃないと自分の主張が維持できないのとわかっちゃったたから。

   

どう考えても「コロンブスタブーからアウトなの!」とトートロジー決めてそれ以上踏み込まない他の人達の方が君よりは賢いよね

  

他の人達は賢い低知能

君は要領の悪い低知能

 

もしくは、前者は心のどこかで自分の知能が低いの自覚してる

自覚してなかった君はまだ若い人なのかもね

これからの知能低い人の長い人生を頑張ってほしいと思う

anond:20240616225319

アメリカタブーに従え!っていうのが植民地主義じゃなくてなんなんだろうな

コロンブスブラックフェイスもどんどんバラエティで扱うべき

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん