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はてなキーワード: 日本文化とは

2018-10-10

anond:20181010115207

受け入れられていないけど?海外でも普通に萌えエロキモいオタク扱いだよ

ただ、まったく日本の文化に馴染みのない人は、幼稚だからキモいアジアからキモい(見下し)だけど

若い世代萌えエロロリ理解した上でキモいからマイナスとはいえスゴイ話だと思う

そもそも欧米商業イラスト一般人の描くイラストドンドン日本側に寄ってきてる

たまにゲーム日本的な話作りやリスペクトヲタ映画も見る

これって日本文化に親和性の高いアジア系の活躍だけでは片付かないと思う

メインストリームにはならずとも多様な人種コンテンツ業の人に影響を与えたって事実はスゲーしてもいいと思う

プロパガンダ要素は何ひとつないがある意味日本の文化勝利では?って思う

ただそれはそれとしてキズナアイ・・・

2018-10-07

なんで刺青旭日旗で態度があべこべなの?

ラグビーWC日本では刺青を隠すようにという指示を「日本文化への尊重だ」と肯定的評価する人がかなりの確立日本以外で旭日旗を用いるのに肯定的なのはなんでなんだろう?

外国文化でどのような意味を持とうと、日本では反社会的集団メンバーであるシンボル解釈される」というのは、確かになるほどとも思える。

でもそうなら、外国などで、旭日旗使用する際も「日本ではどのような意味かは関係なく、その文化NGとされるなら使わないべき」と言えるよね?

でも「日本ではウンタラカンタラ」とか言って正当化するのはなぜ?

政府もそうだし、「広く受け入れられている」と主語不明確な言い方しかしないよね?WWII期に日本植民地だった、占領された国や地域ではどうなのか?とはぜったい答えないよね?

相手が嫌がってるのにわざと使うような差別主義者は論外としてなんでなの?

この矛盾矛盾と感じられないのはエスノセントリズムかな?

もっと言うと、旧植民地占領地の連中ごとき尊重に値しないという宗主国根性なのかな?

いや、本当に不思議なんだよね

2018-10-05

anond:20181005221949

  • 詳細---

ソースhttp://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/30/pdf/301004_zenbun_02.pdf

2.未然防止のための水際対策及び情報収集分析機能の強化  計43.37億円

国際テロ情報収集・集約体制の強化 

乗客予約記録(PNR)情報の取得に係る機器の取得等

バイオメトリクスシステム画像照合機能活用強化のための機器の取得等

破壊団体調査

情報収集機能の強化

リスク分析必要な事前情報の取得・活用輸出入・通関情報処理システム等経費)

・保安検査の高度化

3.大会運営に係るセキュリティの確保            計69.43 億円

インターネット・オシントセンターの設置

警察職員の増員等の人的基盤の強化

・小型測量船代替整備

特殊警備隊能力維持に係る武器更新

・けん銃の代替整備

災害対応体制の強化

4.警戒監視被害拡大防止対策等              計0.1  億円

・外傷外科医養成研修事業

5.NBC(核・生物化学物質テロ対策の強化         計23.66 億円

特殊災害対応車両の整備

国民保護訓練費負担金

NBC災害専門部隊教育実施

化学災害テロ対応医薬品備蓄

ワクチン対策事業

6.サイバーセキュリティ確保のための取組の推進        計0.43 億円

政府機関における高度なサイバーセキュリティ人材育成のための研修実施

サイバーセキュリティに係るリスクアセスメント支援業務

7.首都直下地震対策の強化                 計3.00 億円

・計12事業(長いし多いので省略)

9.感染症対策の推進                    計44.78 億円

風しん抗体検査事業

結核対策特別促進事業

感染症発生動向調査事業

10食中毒予防策の推進

HACCP導入推進事業

11出入国審査の円滑化                   計525.47 億円

自動化ゲートの更新増配

顔認証技術活用した自動化ゲートの導入

外国人出国手続における自動化ゲート利用の検討

・トラスティド・トラベラープログラムTTP)に係るシステム開発

・縦型審査ブース改修・設置

バイオカートの導入

14.空港アクセス等の改善                 計0.21 億円

羽田空港の深夜早朝時間帯における利用促進調査

17.多言語対応の強化                    計0.47 億円

道路案内標識英語表記改善

訪日外国人旅行者受入環境整備緊急対策事業

訪日外国人旅行者受入基盤整備事業

訪日外国人旅行者受入加速化事業

18.無料公衆無線LAN                   計16.98 億円

・計7事業(長いし多いので省略)

20医療機関における外国人患者受入れ環境整備       計5.08 億円

医療機関における外国人患者受入環境整備推進事業

外国人患者受入に資する医療機関認証制度推進事業

21.外国人来訪者等への救急防災対応           計1.65 億円

119番緊急通報多様化に向けた検討 

・多言語対応全国版防災アプリの整備に向けた検討

22.国際都市にふさわしい景観創出等のための無電柱化の推進 計150.48 億円

・ 無電柱化の推進

23外国人を含む全ての大会来訪者がストレスなく楽しめる環境整備  計11.28 億円

IoT活用した新ビジネス創出推進事業

我が国経済社会情報化・サービス化に係る基盤整備

24環境配慮の推進                    計53.59 億円

ヒートアイランド現象に対する適応検討調査業務

微小粒子状物質PM2.5)等総合対策事業

大気環境システム整備事業

熱中症対策推進事業

国民公園における競技会場周辺の環境整備事業

国立公園等における外国人旅行者向けの魅力発信の強化

25.分散エネルギー資源活用によるエネルギー環境課題解決  計1885.95 億円

・計13事業(長いし多いので省略)

26.アスリート・観客の暑さ対策の推進                計373.33 億円

気象情報に係る予測精度の向上及び充実

・余剰地下水等を利用した低炭素都市創出のための調査検証事業

48.対日直接投資の拡大に向けた我が国ビジネス環境の発信      計7.98  億円

ジャパンキャンペーン事業

・対内投資地域活性化立地推進事業補助金

50.社会全体のICT化の推進                    計235.09 億円

・計12事業(長いし多いので省略)

51.大会における最新の科学技術活用の具体化           計176.24 億円

・計10事業(長いし多いので省略)          

52.自動走行技術活用した次世代都市交通システム        計8.90  億円

戦略的イノベーション創造プログラムSIP自動走行システム

53.先端ロボット技術によるユニバーサル未来社会の実現      計96.03 億円

ロボット介護機器開発・導入促進事業

57.「2020オリンピックパラリンピック」後も見据えた観光振興 計284.13 億円

地方消費者行政推進交付金

訪日プロモーション事業

ビジット・ジャパン地方連携事業

・広域観光周遊ルート形成促進事業

58.水辺環境改善                       計6.85 億円

・良好な水辺空間形成

(2)日本文化の魅力の発信                   計620.15 億円

・計37事業中32事業(長いし多いので省略)

(3)スポーツ基本法が目指すスポーツ立国の実現         計53.39 億円

・計18事業(長いし多いので省略)

(4)健康長寿ユニバーサルデザインによる共生社会の実現    計631.15 億円

・計42事業中38事業(長いし多いので省略)

286事業202事業  総計5315.19億円

2018-10-04

NHKキズナアイがそぐわないと言うなら・・・

半裸で踊ってるAKBジャニーズを潰してからにしてくれよ

あいグループ国民アイドルとして許容されてるのが

日本文化諸悪の根源なんだよ

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

2018-09-14

anond:20180914223628

若ゲのいたりor遠藤雅伸氏が叩かれる理由が、やっぱり分からん ( https://anond.hatelabo.jp/20180914223628 )の続き
最初のは言及先を間違えたと勘違いして、削除してしまいました。

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https://anond.hatelabo.jp/20180913211909

ゼビウスの人の記事なんだけど、「日本人ゲームのやり方は禅に通じる」的なところから一気に胡散臭くなる。

こういう現代事象過去日本文化と結びつけて語るのってたまにあるけどなんか名前つかないの?

飽くまで『通ずる~考え方』なので、その後に例示されているような起源論ではないような。

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あと、これに言及したり揶揄したりしてる人の中で、周辺情報を調べた上で発言してる人はどれだけいるんだろうなー。

とりあえず自分が軽く流し読みしたり、検索ワードの参考にしたページ。詳細に読み込んだりとかはしてないので、こっちも特に言及なし。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1702/02/news085.html

https://entertainmentstation.jp/164259

http://endohlab.org/

http://evezoo.net/

https://shimirubon.jp/columns/1678249

anond:20180913211909

名前付けた時点でお前も「ナラティブ」と同レベルからな?

日本人はいつも現代事象過去日本文化と結びつける!」「そうなのか~」「すごい発見!」

はーキモいキモい

2018-09-13

こういうのに名前つかないの?

田中圭一連載:ゼビウス編】ゲーム界に多大な影響をもたらした作品創造者・遠藤雅伸は、友の死を契機に研究者となった。すべては、日本ゲームのために──【若ゲのいたり】

http://news.denfaminicogamer.jp/manga/180913

ゼビウスの人の記事なんだけど、「日本人のゲームのやり方は禅に通じる」的なところから一気に胡散臭くなる。

こういう現代事象過去日本文化と結びつけて語るのってたまにあるけどなんか名前つかないの?

ヴィジュアル系ルーツ歌舞伎!」とか

萌え起源浮世絵!」とか

オタク江戸町人文化継承者!」みたいなさ。

あと「金田伊功狩野派継承している!」とかさ。

似ているってだけで因果関係がまるでないし、「日本人の遺伝子には……」とか言い出すと明らかにトンデモ

しかも言っている人には「すごい発見をした」みたいな興奮が感じられてうんざり

こういう疑似科学でもない、何ていうの? 疑似人文科学? にズバリ名前をつけてほしい。

「それ○○だよ」って言っておけば終わりみたいなの。

けっこう安易に「そうだったのかー!」と受け入れる人いるのが怖いのよ。

いやいや、似ているだけだから、っていう。「英語Road道路起源でつまり日本語と英語は同祖」って言っているのと変わんないから。

どうにかしてくれ。

2018-09-11

https://anond.hatelabo.jp/20180826134800

  

https://anond.hatelabo.jp/20180825190041

なんかこれが結構まれてて焦りましたわ。

  

まぁ何が言いたかたかというと

ヨーロッパヨーロッパ言ってないで日本日常風景の美しさを見ろ

・奇妙に揃った街並みより暮らしの中でつらなって来たものが美しくあるべきだと思っている

の二点かね

 

https://anond.hatelabo.jp/20180826134800

日本景観人間なら誰でも感じ美しさの部分で既に誤りを犯してる場合が多い。ここを修正しようぜって言ってんの。

 美しさの部分の誤りってなんだ?景観修正暮らし否定しょうが

 それこそヨーロッパ化するわ

 

自然調和した庭造りや情報を削って抽象化する独特の美意識日本文化には多く見られると思うんだが。

 日本文化=電柱コンクリじゃないだろと言いたいようですが、暮らし時代とともに変化するものです。

 『今の日本暮らしの美』は今あるものです。もちろん自然調和されている地域そのままでいいし

 コンクリ景観そのままでいい。暮らしの上で不便でない限り景観のためだけに整理する必要はない

 

景観論者は日本が嫌いだから日本景観否定してると感じるみたいだが、

>むしろ日本文化のポテンシャルを生かしてない、これまでの日本文化をガン無視してる現状を改善しようぜって言ってるんだがな。

 だから、『これまでに戻ろう』ってのが暮らし否定でありヨーロッパ化だっつってんだよな。

 昔の日本文化を生かすために原住民が狭い思いするのは京都とか一部の観光地だけで十分なんだわ

  

2018-09-10

外国人にいきなりタメ口きく人なんなの問題

元増田へのトラバにも書いたけど俺の嫁さんは中国人であり、彼女と行動していると俺も中国人勘違いされることが時々ある。

その流れで、いきなり他人からタメ口をきかれることもたまにある。

なので、「外国人にいきなりタメ口問題」には多少なりとも興味がある。

ただ、この話題はいくつかの論点が混在しているように思う。

・「外国人」に対してタメ口をきくのはどうなのか

・「外国人に見える人」に対してタメ口をきくのはどうなのか

自分後者は論外だと考えているが、前者に関しては議論余地が少しはあるのかなあ?とは思う。(しかし俺の個人的な「思い」としてはかなり否定寄りである)

なぜなら

・本人が気にしていない場合がある

からである。これはその人の性格日本語日本文化への理解度によるためである

ただ、俺自身日本人なので、日本人同士の視点から言えば、いか相手日本語が覚束ないと言ってもいきなりタメ口で接するのは下品じゃないだろうかと思っている。

また、一般的には日本語学習丁寧語からであるということはもう少し広まってもいいのかもしれない。

・「日本人以外」を「外国人」と大雑把に一括りにする見方そもそもどうなのか?

誤解しないでほしいのが、制度としての線引きは当然必要である。ここで言いたいのは、個人として接する場合の話だ。

俺としては、「外国人」→「自分たち日本人とは違う」→「どう接していいかからない」というプロセスによって、外国人タメ口問題が引き起こされているように見える。国籍や見た目や言葉がどうあろうと、その人は自分たちと同じ独立した個人であるということを皆が意識して過ごせば、こういった諸々の問題も少しは解決に向かうのかもしれない。

https://anond.hatelabo.jp/20180910115018

anond:20180910120417

横だけど「外国人」というよりかは「外国人に見える人」に敬語を使わない人はどうかっていうふうに捉えてもらったほうが理解やすいかもしれない

まあ別にタメ口きかれても気にしない人もいるが、これはその人の性格プラス日本語日本文化習得具合にもよるのでなんとも言えない。ただ、日本人同士としての視点から見たら、たとえ外国人相手でもいきなりタメ口でくるやつは品が無いことは事実かと

anond:20180910090109

日本の男は」「ナイトになれ」

いや、ナイトって日本文化じゃないからさ

いきなり中世フランスを求められても困る

2018-09-05

産経も、少しは差別について学んだほうがいい

そしたらこんなコラム掲載して恥をかかなくて済む。

「「Kimonoは『人種差別主義』『帝国主義』」芸術イベント理不尽日本批判 https://www.sankei.com/west/news/180905/wst1809050009-n1.html

読めばすぐ分かることだが、ライターの方はボストン美術館に寄せられた批判に対しておっそろしく頓珍漢な反論を行っている。

事件は当時有名になったから、ご存じの方も多いと思うが、教科書なんかにも載ってるモネの「ラ・ジャポネーズ」の絵の前で着物を着せるイベント企画したら、アジア系の人からクレームがきた、というものだ。これは、当時大変盛んだった Cultural appropriation(文化の盗用/文化簒奪)やという視点に基づく批判典型である。つまり、「弱者であったアジア文化を、強者だった西欧人が真似して楽しむ、というのは、西欧アジアから簒奪してきた歴史への反省異文化に対する敬意を欠いた尊大な振る舞いである」という主張だ。日本でも、近年ようやく「ステレオタイプ異文化理解やその模倣が、異文化に対する敬意を欠いた失礼な振る舞いになる」ということにいくらコンセンサスが生まれつつあるが、自国内で異文化日常的にふれあう経験が少ないせいか、これを重要問題理解することがなかなか日本人には難しいようだ。

個人的に、この「文化の盗用」論に100%賛同するわけではない。特に、あまりにも過敏な反応は、逆に内なる差別性の表明、あるいは強者の驕りではないかと思う場合すらある。少なくとも、モネの絵の前でその真似をしたくらいで目をつり上げるほど怒る必要はないと思う。それは、「真似をする」行為リスペクト意味しもするという風に感じられるからだ。

しかしながら、「相手の真似をする」という行為は、一方で相手侮蔑したり揶揄したりするときにも行われることも考えておくべきだ。大人しく着物羽織ってる程度ならまだしも、そのまま椅子腰掛けたら? その程度なら問題ないだろうか。では、たとえば撮影した写真に滑稽なタイトルを付けてSNSにアップすることは? あるいは、その着物羽織ったままわざわざ眼鏡をかけ首からカメラをぶら下げる真似をしだしたら? どの時点からそれは「アウト」なのか。もちろん「リスペクトのない行為ダメです」とは言えるだろう。だが、残念ながら「内なるリスペクト」とやらを検証する方法はない。リスペクト言い訳にすれば何をしてもいいのか。あるいは、結局、みている日本人の「お気持ち」だけが判断規準になるのだろうか。そんな明文化できない規準を我々はいちいち振りかざすべきなのだろうか。

それよりも、単純に「少なくともそういうこと(文化の盗用と疑われること)は軽々しくやっちゃだめ。少なくともダメだと言われたらすぐやめましょう。」というあたりが、今のところ落としどころになっている。今のアメリカでの「文化の盗用論」というのは、おおむねそういう風に理解しておいたらよろしいと思う。

以上の話を踏まえれば、御年73歳のこのコラムライターの「分かっていなさ」「恥ずかしさ」がよく分かると思う。この方が引用した3人の批判者の主張はこのイベントが「アジア人に対する人種差別主義」であり、ステレオタイプが抱く「異国情緒」を楽しむ低俗イベントであり、そして「帝国主義」的であるというものだった。そして、ライターの方はこれを「日本批判」と捉えたらしいがとんでもない誤解で、明らかに事実はその反対なのである彼女らの主張は、「文化の盗用」と見えるイベント企画したボストン美術館姿勢自体に「アジア人に対する人種差別」があり、モネの絵のような「ステレオタイプ」なヨーロッパ東洋のとらえ方に基づく流行(=ジャポニズム)を今また模倣することは、かつての西欧帝国主義の無邪気な肯定にすらなっている、ということである。そこには、日本に対する一欠片の批判意図もなく、彼女らはむしろ西欧帝国主義おもちゃにされている(と彼女らが信じる)アジア日本文化尊厳」を守るべく、ボストン美術館に対して声を上げているわけだ。(かれらが掲げるプラカードも、体験する来館者に対して「あなた着物をきてキュートで異国的に見えたとしても、それは差別じゃないの。美術館イベントでなければね!(It's not racist if you look cute・exotic in it. Besides MFA support this!)」という、美術館批判趣旨言葉である。)

ネットに残る写真に写る方々が中国系アメリカ人なのか、日系なのかは知らないが、彼女らの出自などというつまらないことで邪推し、彼女らが「日本批判しているに違いない」と思い込んでヒートアップして美術館手紙まで送ったこライターの方の行為は、相当差別的で恥ずかしい。

しかしながらもっと恥ずかしいのは、「文化の盗用」のような、現代の「差別」をめぐるごく基本的ワード議論を全く知ることなく、このような稚拙な内容のコラムをそのまま掲載してしまった産経記者のあきれるような無知である。こういうところで「所詮は二流新聞」とあなどられることになる。それがイヤなら、産経好き嫌いをせず、あおり記事ばかり書かせる練習をするのでなく、記者もっときちんと勉強をさせるべきだと思う。できればライターや読者にも。

なお、参考までに、事件当時も似たような方々が大量に湧いていたらしい。こういうのなんて言うんだろう。セルフ釣り?(参考:https://togetter.com/li/845708

2018-08-27

刺青を入れた者は社会的差別を受忍する義務がある

東京地裁判決平成23年8月23日

日本文化の中では、刺青は単なるファッションではなく、一般市民の中には、反社会的勢力との関係を疑い、畏怖を感じる者も少なから存在することは明白である特にデザイン、色合い及び大きさなどに照らし、著しい畏怖感、嫌悪感を抱く者がいることが容易に想定できる。公衆浴場民営プールなどにおいて、当然のように刺青をした者の入場を制限していることからも、一般市民の中で刺青をした者は異端存在として社会的差別を受け、かつ、その社会的差別一般市民の中で許容されているのが実情である。人は生まれながらして刺青をしているわけではなく、その後の人生の中で自らの意思刺青を施すものであるから刺青をする者は、その後の人生の中で刺青をすることによりなされる社会的差別を受忍する義務があると言うべきである

2018-08-26

anond:20180825190041

ヨーロッパの美意識

景観論は何も日本文化をかなぐり捨ててヨーロッパの美意識に合わせろということじゃない。

美しさは人間なら誰でも感じる美しさ(ゲシュタルト心理学とか)+その文化所属する人が感じる美しさ+個人が感じる美しさに分解できる。しかし、日本景観人間なら誰でも感じ美しさの部分で既に誤りを犯してる場合が多い。ここを修正しようぜって言ってんの。

情報が削られまくって窮屈な生活になってんだろあいつら

日本国内でも景観のため看板撤去した例はたくさんあるが、結論は総じて「何も影響ない」(売り上げとか集客とか)なんだなぁ。みんな思ってるほど看板見てないのは立証済みなんだよ。

電車や車や電柱やらコンクリートやら こういうものに美を見出してこそ

景観の話をするとき伝統的な日本風景=古きよき昭和になるのはなんでなんだろうな……。縄文時代から日本の歴史のなかではコンクリだらけの景観はごく最近だし、自然調和した庭造りや情報を削って抽象化する独特の美意識日本文化には多く見られると思うんだが。

>何気ない日常風景こそが美しくあるべき

景観論でも生活景という考え方がある。ただ多くの人が使う公共の場においては、景観も共有財産であるからこそ一定ルール必要ルールに基づいて整備されるべきだ。

個人的には電柱地中化とかは公共の場を優先して住宅街とかは生活景の一部として残せばいいと思う。

景観論者は日本が嫌いだから日本景観否定してると感じるみたいだが、むしろ日本文化ポテンシャルを生かしてない、これまでの日本文化をガン無視してる現状を改善しようぜって言ってるんだがな。

今の状態を全肯定してくれなきゃイヤイヤって方がコンプレックスまみれだよなぁ。

2018-08-25

日本景観問題を、海外文化との融合とは見なせない。

Yahoo知恵袋から

なぜ和風住宅を作らない?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011051225

街並みや建築に詳しくないが、現代日本景観問題を、海外の良いところを取り入れる日本文化だという論はさすがに苦しいと考える。

下記は疑問点。

景観問題となるのは住宅等の外観である現代においてライフスタイル等がここに影響を及ぼすことは殆どないのでは。

例えば耐震技術関係ないように思う。

・仮に海外文化など良いところを取り入れた結果であるなら、日本国内でも地域ごとに住宅の外観が「合理的な形に」確定する筈ではないか。街並みに統一感がないと批判されるようになるのは辻褄が合わないと感じる。

歴史的でない現代建築風土による地域が見られるという論を私個人は聞いた記憶がないが存在するのだろうか。

「諸外国文化スタイルを巧みに取り入れ、それを自分のものとする能力他国より抜きん出ています。つまり、「混合」されて培ってきたスタイルが、まさに「和風」なのです。」が景観問題についても当てはまっているという根拠が無い。

海外の良いところを取り入れるスタイルならば、それが現代になって問題となったのは何故か。

例えば、住宅エアコンを取り付けるとか、WIFIを設置するとか、掃除ロボットが自宅にある等のように技術面の成熟だったり普及が必要だったものは分かるのだが。海外の外観を取り入れるのであればもっと早い段階に進んでいかなかったのだろうか?



それと話がそれるが、上記で扱っているのは住宅の話だけど、電柱問題説明出来るのだろうか。

2018-08-19

左叩き叩きと右叩き叩き

からいたのかもしれないが、最近とくに左叩き及び右叩きを叩いているブコメを見かける。本人は左右どちらかに偏っているようには見えない。ポリコレを悪く言う者を叩き、ポリコレ棒で殴る者も叩き、与党日本文化を過剰に揶揄する者を叩き、野党への過剰な揶揄外国人差別する者も叩く。バランスは取れているようには見えるし、そういう事をする人間が一切いないのは不健全だが、文章がやたらと皮肉っぽかったり、否定以外の意見はあまりない。どこか気持ち悪いのだが、どこがとも言い切れず、そこがまた別の意味気持ち悪い。間違ってはいないのだが、正しいとも言い切れない。誰か代わりに言語化してほしい。

2018-08-02

外国人キャラ日本文化を褒めている描写気持ち悪い

漫画とかで良くある、日本文化オタクみたいな外国人キャラ日本を褒めてるのが気持ち悪い


外国人普通に日本文化を褒めてるのは気にならない。

日本人が自分で作り出した外国人キャラ日本を褒めさせているのが、とにかく身の毛がよだつほど気持ち悪い


テレビ外国人日本を褒めさせる番組気持ち悪い


でも、そういう表現が多いってことは需要があるってことなんだよね。

それもまた気持ちが悪い

外国人に褒められて悦に浸るなよ。

2018-07-19

anond:20180719164905

少子化の原因を女どもの我儘と思っている限り対策不能だし日本人日本文化も滅びるだけ。

anond:20180719074818

空気を読むはっきり言わない日本文化アスペには高難度では

2018-07-18

anond:20180718024831

増田の方です。なかなか分かりづらい文章だと我ながら思ったけど、読んでくれてありがとう

そして元増田もこんな俺に付き合ってくれて嬉しいなと思っている。

これは、近代的自我モダニズム私小説問題だと考えたんだけど、違うか?

 ・元増田私小説家的な立場近代的自我モダニズム自明さを持てない。ゆえに自分日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)

 ・増田モダニスト哲学科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)

って感じで対立している感じ。

対立構造という程のものではないけど、元増田増田(俺)の立ち位置はご指摘の通りだと思う。

ただ、強いていうなら俺もまた元増田と同じ事を考えていたし、その色々と調べるうちに

昔とは違う立ち位置にたどり着いてしまったと思っていて、だからこの辺の文献を読んでは

どうかという主旨の発言をしているつもり。あえていやらしい言い方をすると、先輩ぶっている。

俺は、元増田立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田立場に移行するのが理想だ。

から増田がなぜモダニスト立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学科学方法で済ませられるのか、を知りたい。

日本にいると、幼い頃から身近に学者官僚芸術家がいないと、モダニズム自明ものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。

それについては明確に違うので俺の言い分を書いておきたい。

俺は日本人だが、やはり当事者自身日本文化を取り扱う事は大変に難易度が高いと思っていて、

研究に目を通す事は多々あるけれども発信はしていない。日本文化について言及する事を意図的に避けている。

レヴィ=ストロースのいう所のメタ視点自分自身とほぼ接点のない文化に対しては適用できても、

自らに適用する事はそう簡単ではない。だからはっきり言ってしまえばポピュラー音楽研究界隈が

あえて日本文化に切り込んでいくのを、民族音楽学者は指を咥えて見ているという状況が続いて久しい。

元増田が挙げる輪島さんにしても、増田さんにしても、二人ともポピュラー音楽研究界隈の人だ。

彼らは大衆流行や、何となく時代雰囲気分析する事に特化しているので遠慮なく物申せる部分がある。

だが民族音楽学者は違う。人間社会の織りなす文化はどれも等しく価値あるよねという大前提に立っている。

はいいところ探しに特化しているので、雑な意見反論はしても発信自体にとても慎重だ。

これではいかんと重い腰をあげる動きもあるのだが、全体的にフットワークは正直軽くなく、

その点についての批判真摯に受け止めなくてはならない、という程度の後ろめたさはある。

自分の手持ち武器は当該社会に深刻なダメージを与えるかもしれない、そんな畏れが心の底にある。

ただ、だからこそプロパガンダ的な、意図的文化志向を捻じ曲げて指針を示すような言説にはとても厳しい。

日本には侘び寂びの文化があるとか、礼儀作法を大切にするとか、伝統を重んじるとか、

何言ってんだこの野郎と率直に感じる。ごく一部の慣習を民族全体の伝統に置き換えるのはあまり乱暴すぎるのではないか

嘘で自分を着飾って自尊心を満たす事ほど愚かしい事はない。

もっと雑多でぐちゃぐちゃで日和見主義で、醜い部分から目をそらす事も多々あるだろと。

どんな事から目を逸らしたいのか、何を受け入れたくないと感じる美意識規範、無言の空気があるのか。

そんな部分も含めて全てを率直に受け入れつつ、肯定的評価していきたいというのが

俺や他の民族音楽学者の立ち位置だと思う。

除霊方法が聞きたいんだ。

からね。本当の事を言うと除霊は俺もできてないんだ。

自らのフィールドワーク体験からメタ視点については理解した。

でもそれを自らに適用する事はこの上なく恐ろしい事だ。

2018-07-10

Japanese Only”が「日本人以外お断り」になる理屈を知りたい

なんかまた“Japanese Only”って書いた飲食店燃えてるんだけど、

ぶっちゃけなんで“Japanese Only”っていけないの?

差別とかそういう論点じゃなくて、英語的な意味で。

私が“Japanese Only”=「日本人だけ」って知ってるのは、英語文法理解しているからじゃなくて、

過去にそういう表記英語話者を誤解させてきたという話を日本語で読んで知っているからだ。

でも、下手っぴな英語しか操れない日本語母語話者の私には、

なんで“Japanese Only”が「日本語しかないよ!」という意味解釈されないのかがわからん

過去炎上知識がなければ私も普通にJapanese Only”って書くわ。「日本語しか置いてないよ」って意味で。

いや、そりゃ浦和のみたいなやつだったらあかんけど、飲食店メニューとかだったらどっちとも取れるわけじゃん?

言語名と民族名を同じ単語で表す英語さんサイドにも問題があるのでは。

ということで、英語に詳しいはてなー諸氏には、なんで“Japanese Only”がダメなのかという理由英語的に説明してほしい。

日本語が堪能な英語母語話者でもいいけど。

ほんとこれに関しては理不尽いちゃもんつけられてる感しかしないんだよな。

追記

inherentvice 「日本語」と「日本人」のどっちの意味も成すから以上の理由があるのか。in Japaneseなら言語を指してるって分かるしThis shop is available only in Japaneseとか書いたら。自然かどうかは知らん

どっちの意味もあるなら、

「“Japanese Only”って書いてあるけど、文脈を考えると『日本語』って意味やろな」

って反応になるはずでは? 一意に「日本人のみ」とは解釈できないよね?

anond:20180711005501

「○○ ONLY」は掲示英語(「立ち入り禁止」のような特殊解釈表現)で「○○専用」という意図がある

そんなもの入り口に貼ってあったら解釈は「日本人専用」「日本語話者専用」くらいにしかならん

なるほどねえ。安易に知ってる語をつなげて作文しちゃいけんってことかな。

anond:20180710233715

英語だと1つの表現ものに2つ以上の概念を設定してしまっている日本文化ダメってことなのでは

何で民族名と言語名の区別もつかないガバガバ言語基準にして考えないといけないんだ……どう考えても改善すべきなのは向こうでしょ。

anond:20180711072332

日本語(の話者コンテンツしか用意しておりませんあらかじめご承知くださいと表現したい人は絶対にこうは書かないからだ

から語学力がなければそう書いちゃうのも仕方ないでしょという話なんだけどなんでそれが通じないの……

uunfo 元の話題https://togetter.com/li/1245418飲食店のドアに"Menu is Japanese only"と書くのもホームページに"Sorry, Japanese only"と書くのも根っこは同じで親切心のつもりなんだろうけど、はなから拒絶するという態度が差別なのだ

英語はしゃべれないんだ、ごめんね」って表示する行為のもの差別的と言われたらもう英語が下手な人間はどうやって生きてけばいいのかわからねぇな……

そもそもそうやって自分らの言語押し付けるのは差別的な行為じゃないの? と思うわけだが。

韓国台湾旅行に行って、なんだよどの店も日本語できる店員いないのかよもっと日本語しゃべれよ、とか言ったら、うわっ、って感じになると思うんだけど、

英語」になるとなぜか許しちゃうどころか賛同する人が大勢出てくる不思議

2018-07-08

三島由紀夫金閣寺」について


金閣寺』という小説が何を表しているのか、単刀直入に語るとすればどのような言い方になるだろうか? それについて敢えて率直に語る事はすまい。

 とは言え、勿論その文章の中心的な部分は割に簡単言葉で表す事ができる。つまりは「美しさ」と「地獄」という二語によってである。ただし、これだけだと余りにも簡単説明でき過ぎてしまう。実は、金閣寺はこの二語のみによって説明できる小説なのであるが、それではあまりにもざっくばらんすぎて、説明が詰まらなくなってしまいかねないのだ。その為、少しだけ読者を焦らす事にする。


 金閣寺1956年雑誌新潮』に掲載され、年内に単行本化し15万部のベストセラーとなった――また、現在に至るまで文庫を中心に300万部以上を売り上げる日本の伝統近代文学の内の一つである海外においては複数言語翻訳され、日本文化を緻密に描いた三島由紀夫文章は各地で絶賛を浴びた作品でもある。しかし、無論この小説には難しい部分がたくさんあって、一朝一夕で読み解くにはハードルが高い。

 しかし、繰り返すようにこの小説は二つのポイントをさえ押さえるならば十分に理解することができる。

 つまりは「美しさ」と「地獄である

 この言葉はあまりにもこの小説を語る際に便利過ぎる。

 金閣寺は美しさの象徴であると同時に地獄象徴であった。これが三島由紀夫がこの小説において語ろうとしていた全てである小説金閣寺』は1950年に発生した、青年僧侶による「金閣寺放火事件」を下敷きにしており、三島由紀夫はこの青年僧の犯行根底に「美への反感」があることを読み取った。そして、そのコンセプトを元に書き上げられたのが、当の大作『金閣寺』なのである


「美への反感」。

 つまり、人は美しいものを時に憎むのである。そのような感情一言に言って地獄の現出に他ならない。

 何故ならば、人は美しいものに中々なれないかである

金閣寺放火事件」の主犯となった青年は幼少より吃音の症状を呈しており、恐らくそ吃音症は彼の人生に薄すらとした重たげな影を投げかけていた。

 吃音症は美しいか否か、と語るとするならば、恐らく人は吃音症を称賛するよりも嘲笑するだろう。いや、これもまた偏見なのかもしれないが、少なくとも三島由紀夫はその吃音の症状一つ取るに、青年僧の人生に降りかかる薄すらとした影の姿をまざまざと感知したのであった。そして、青年僧は自身が美という観念からはやや隔たった存在であることを自覚すると共に、美に対する拭い難い憎しみの存在を抱え続けることになるのである。――自身の美への憧れの象徴として、自身父親から長く「美しい」と語られていた金閣寺存在を、憧れと同時に、憎悪対象とし始めるのである。やがて、青年僧は最終的に犯行に及ぶ――金閣寺放火し、その美の象徴たる美しい建造物を、焼き払ってしまうのであった。

 美に対する憧れ、そして憎しみ、そのような薄すらとした影が、青年僧の人生には降り掛かっていた――これが、この金閣寺という小説を書くに至って、著者である三島由紀夫本人が青年僧に対して抱いていたイメージ重要な箇所であるだろう。そして、もはやこれは自明のことであるとは思うのが、その薄すらとした影――つまりは「美への反感、憎しみ」――とでも言うべき影は、三島由紀夫人生のものをも固く包み込んでいたのである

 三島由紀夫本名平岡公威(ひらおかきみたけ)は1925年に父、梓。母、倭文重(しずえ)の元に生を享ける。

 幼い頃は虚弱体質であった三島が、長じてからは肉体強化のトレーニングに励んでいたことは周知の事実であろう。

 三島心中いかに「美」に対する執着と、そして同時に反感とが存在していたか推して知れることである小説仮面の告白』においても語られていた通り、三島由紀夫心中には鬱々たるものがあった。そして同時に、そこには複雑な、文章によって表現することの憚られるような感情が幾つも幾つも存在していた。恐らく、彼はそのような歪な感情存在する理由を、人生において追究していたに違いないと思われる。

 でなければ誰があん小説を書こうとするであろうか?

 ともかく、三島由紀夫はその人生において複雑な美意識を持っていたし、同時に、その美意識に対する反感を抱き、自分自身感情を飼い慣らすことに苦労していた――そこには美に対する憧れと、同時に美に対する反感、そして美を中心とした地獄があった――これはおおよその三島由紀夫研究者が抱いている彼に対するイメージであろうと思う。三島由紀夫は彼の小説において、彼の人生のものを率直に表そうとしていた。彼の人生というものは、恐らくは彼の書いた小説以上にわかやすものだったのかもしれない。


 金閣寺の作中において、柏木という名の登場人物が現れる。この人物は跛足であり、つまりは歩行に困難を抱える身体障害者であった。

 そして、小説金閣寺』においては明確にこの人物が、当小説における極めて重要な部分を語る鍵となっているのである

 作中における柏木キャラクターについてはここでは敢えて詳細に語らないが、しかし彼が主人公青年僧に対して口にしていた、『金閣寺』という小説の根幹を成す極めて重要台詞について語ることにする。それは、以下のような台詞であった。

地獄の特色は、すみずみまで明晰に見えることだ。しかも暗黒の中で!」(文庫金閣寺、p.129)

 柏木というキャラクターはいわば「地獄」に関する伝道者としての役割果たしている。「地獄とは暗闇の中で一切が明晰に見えることである」。この言葉意味曖昧模糊としている。そこには、語るまでもなく明らかな矛盾がある。暗闇の中では一切が曖昧で、決して明晰になど見えはしないのだ。しかし、このような矛盾物語の後半において一挙に解消されることとなる。そう、ここにおいて柏木の語った一節は、当小説重要テーマである金閣寺の「美的側面」、ひいては、金閣寺の「地獄としての側面」に対して、判明な解答を与える重要キーワードであるのだった。


 飛んで、物語の後半。主人公青年僧は、ついにその目的を実行に移そうとしていた。

 彼の中にある美への憧れの根源――金閣寺存在のものを一挙に焼き払おうというのであるしかし、時刻は夜であった。そこは全くの暗闇であり、暗黒であった――。しかしそれでも主人公の目には、暗闇の中にある筈の金閣寺がまざまざと視認され始めるのである

 そう、正に「暗黒の中で」「すみずみまで明晰に」金閣寺が浮かび上がったのだ。

金閣寺は雨夜の闇におぼめいており、その輪郭は定かではなかった。(p.318)

が、私の美の思い出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になった。(p.319)

ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。(同)

 そう、ここで暗闇の中で明晰に知覚できたのは、美の象徴として語られる金閣寺の姿そのものだったのである

 金閣寺はここにおいて、彼の記憶に根差した「美」の象徴として語られている。そして、同時に、かつて語られた柏木警句が浮かび上がらせるのは、金閣寺の「美」としての側面と同時に立ち上がってくる「地獄」としての側面だったのである


 小説金閣寺』は、青年僧の中に存在する「美」への屈折した感情を描き切った名作であった。そして彼はその「美」をも、「地獄」をもまた共に焼き払ったのであった。

 そこには、純粋な憧れと同時に、地獄としての大きな側面が描かれていたのである

2018-07-01

説明書読んだり丁寧に聞くと店員調子乗って舐めて返すから

https://togetter.com/li/1240941 

ひたすら分かりませんで押すのが大人クレーム術だとパソコントラブルの時に学習した 

状況をテンプレに従って書いて質問するのは5chのみ

それすらテンプレを守らないほうが回答が来るのが速くて正確な場合が多い

こっちが下手に出るとどこまでも尊大にふざけて返すのが日本文化だと思う経験則

PCなど下手に可能性や推測をいうとお宅扱いしてマウンティングするのが店員

に奴いた顔をしてお前が変な操作をしたとでも言いたげな不愉快な展開が来るからひたすら分からない動かないがベスト

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