はてなキーワード: 民意とは
男性向けのカタログは、単色背景にカメラの外形が分かるようにデザインされ、カメラの近くにスペックが書いてある
女性向けのカタログは、使用するシーンがメインでスペックは片隅に書いてあるだけ
場合によっては、巻末にまとめてあってそのページ自体にはないことも多い
さて、そこで政治について、男性ならではの感性とは何か、女性ならではの感性とは何か。
男性は感情の前にその文面や政策だけを見て決断を下すことが求められている。
自分が当事者になるから殺人罪から死刑を消そうとはほぼ言わない。
だからこそ、死刑を廃止して無期懲役や禁固刑で済ませようとするし、病気で警察病院に入っていても刑の執行が止まらないよう配慮してしまう。
故に、司法に民意が持ち込まれた裁判員裁判では死刑がほぼでなくなったように、女性ならではの感情や当事者性を政治に持ち込むことが望まれていたのではなかろうか。
でも下手と自覚してるなら自己責任でキャラの落描き書いて友人に見せてもいいよ、と自己責任性を強調して積極的に行為を勧めるのは憚られるな。実際に裁判で違法と認定されない保証などその自覚やこちらの判断にはなく、実際に裁判したら違法扱いされるものなのかもしれないから。違法とされる可能性があることを勧めるのは法治国家の主権者として最低限やるべきじゃないことだと思うわ。それって自分達の民意で築き上げたルールを否定するのと一緒だし
既遂のことに横槍入れてそれ以上やめさせようと積極敵に介入することはせんが、やっていいかお伺いを立てられたら「自己責任とか関係なくやるゔぇきではない」としか自分には言えんわ
文化の発展に寄与云々と言ってるブコメがあったが、別に条文や罰則はそういう目的に適ってると判断されたものなら適用されないという性質のものではない。(そんな例外規定条文としては存在しない)
法律の目的とか阿吽の呼吸やらを持ち出して独自理論で無許可二次創作を擁護してるのはむしろそっちサイド。
親告罪だろうが非親告罪だろうが違法は違法。親告罪は罰することを請求する権利が被害者にあるというだけとはそちらサイドも言ってることだね。罰せられない可能性もあるから自己責任でやれ、じゃないんだよ。翻案権なく無許可二次創作することという違法の構成要件を満たしうることをあえてやるなってこと。
「違法行為」だから、自己責任でやれなんて口が裂けても言えないんだよ。これは著作権者の立場以前に法治国家の主権者としてものを言っている。著作権法に問題がないとは言わないけど、悪法だから改正される前に法律を尊重しなくていいというような考え方ならそれは急進的な医療用大麻推進者で逮捕されるようなやつと同類だ。民意が反映された法律が破られようとしてるから、やるなと言う主権者としての権利を行使してるに過ぎないのだ。
多くの著作権者が黙認してるというが、そもそも「黙認」なるものは法的な権利の共有譲渡等に有効なのか?有効じゃないなら二次創作が出されないことで割を食うべきなのは黙認してる権利者たちであって、ガイドラインを出すべきだ。そして法的に有効な契約によって著作権関係の権利が与えられてない限りは「違法になり得ると知っる事はするな」の原理で控えられることは、翻っては単に許可不許可を明示してないが二次創作を発表されるのは都合が悪い人の保護にもなるだろう。ここで副次的に権利者の立場でものを言ったことになるわけで、ブコメ等は「権利者の判断は全てで外野がごちゃごちゃ言うな」と言うけど、こういうことを言ってる人自身やその人が支持してる人の考え方として「権利者は黙認してくれるはずだから二次創作していい」と自己判断を肯定してるんだからよっぽど矛盾してると思うんだが。
造語を広めた人間は更に社会的救済の批判としての意味も込めたみたいだが、有名無実化してる。
まぁ誰にでもある観念だなぁと思った。だから自己批判的に使われるのだろう。
でも僕は批判しようとすら思わない。
その中での優遇、苦労の度合いによる人助けの指標みたいのもある。
例えば、弱者と強者で結ばれた数直線があって、僕が手を差し伸べる人間を探すとしたら
それは当たり前すぎて言葉にするのも難しいくらいの倫理的な常識で、
弱い人間ほど助けを求めてるに決まってるって経験に基づく相関でしかない。
もちろん、その数直線の並びは人によって変わるから
でもそれだっておんなじことだろう。
おかしいなあ……ノンフィクションでもフィクションでもこういうの大好きなはずだよね日本人って。
「やったのが共産党だから」ってだけで大手を振って叩き回ってない?
官僚主義的な硬直した行政手続きによって未然に防げたはずの被害が実際に起きてしまいがちなのは現代社会においては事実でしょ。
そこは切り分けて考えないと駄目だよ。
脅しをかけて民主主義をぶっ壊しにきた奴も叩く。
民意がそうなってしまうレベルの金しか流してこなかった富裕層も叩く。
これを「どっちもどっち論キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」とか言ってる奴も当然叩く。
うちの近所に大きい公立植物園があるんだけど、この施設の改修を巡って議論が紛糾してる。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/500166?display=1
自分はこの地に住んで30年ほどのギリ若者の立場だけど、若者向けの店舗や飲食店、文化拠点(昔はFMラジオ局があった)が次々と撤退して寂れた住宅地になっていることにただただ寂しさがある。それで賛成派の立場で一度住民説明会に参加したことがあるが、目にするのは高齢者の強硬な反対意見ばかり。声が大きい人にアジテートされて、皆が反対しているに違いないと先鋭化しているようにすら思える。
ポスターの掲示やら署名やらのお願いが来ることもあるけど、正面から議論するのも面倒臭いのでハイハイと受け入れてる。そのことで余計に民意を得たと思わせてしまうのは癪だし、反対派の扇動的な主張を強めてしまってることには責任を感じる。説明会で槍玉に上がってる担当者をニュースで見るたびに心が痛む。
近隣の声を聞く限り、改修に賛成している人も実際のところそれなりにいる。一定数の賛成派の存在がわかれば反対派もちっとは自論への疑いが出て視座が広がるんじゃないかと思うのだけど、賛成派には反対派ほどの活動へのエネルギーもないわけで、まるで錦の御旗を得ているかのような認識のズレは未来永是正されないのだろうなと感じる。こういった状態で、いったいどうすれば建設的な議論ができるのだろうね。