はてなキーワード: 伝統とは
浅草寺は、江戸時代に江戸城の近くに位置する浅草岳の山麓に建てられた寺院です。浅草岳は、かつては日本最古の遊園地「浅草公園」があり、その中にある険しい山のことです。浅草寺は浅草岳の麓にあるため、浅草岳と浅草寺は深い関係があります。このように、浅草寺と浅草岳は、伝統的な観光地として、長い歴史を共有しています。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230601110312
あるいは女性の社会進出に抵抗する目的で、少子化=悪を前提条件としたうえ、
少子化は、悪いのか
・移民需要増加 →多文化需要高まる →ただし司法業界の外国人の扱いは酷い
・将来の税収の減少 →ただし現政府は国庫金の運用利益で賄うつもり
・女性が専業主婦化しても多子化にはならない(雇用不安定・低賃金・学費等の高騰)
・しかし日本はアレが絶対的に劣っている →子の安全を確保するための司法対策(執行猶予判決多すぎ)
思想的に言えば立正佼成会や神社本庁、なんなら伝統的なカトリック教会のほうがズブズブなんだけど、それらは日本人の感覚として古臭くはあっても違和感ないし強引な勧誘や集金はしないから問題になりにくいだけやね。
ゼルダの多様性: 黒人のゼルダ姫の必要性
プリンセス・ゼルダは、助けを求めるお姫様から、力強い政治家、研究者、魔術師、戦士、リーダー、そして伝説へと成長した多面的なキャラクターです。その複雑さによって、ゼルダはゲームごとに性別の役割を打破する、刺激的な女性キャラクターです。シリーズ35年の歴史を通じて多くの変化がありましたが、ゼルダは常に白人であるという点は残念です。これは遺憾なことですし、有色女性に彼らが伝説的な存在になる可能性を示すための逸失した機会でもあります。
アメリカの黒人女性は現在、彼女たちが重要ではない、劣っている、尊敬に値しないといった内容や声に絶えずさらされています(社会の最高層まで)。黒人パワーの象徴は、これらの攻撃を和らげるために大いに役立ちます。そのため、黒人のプリンセス・ゼルダは、黒人女性が単なる脇役や敵対者ではなく、重要な存在であり複雑な英雄的な人物であることを伝えるメッセージとなります。
変化の必要
ゼルダとリンクが常に白人として描かれることは、白人だけが世界を守ることができ、そして正当にそれを支配しているということを暗に示唆しています。これは、任天堂のゲーム制作者たちの意図ではないかもしれませんが、制作者の間に暗黙的な偏見がある可能性を示しているかもしれません。この変化は、同じキャラクターが毎回登場するのではなく、主要な三人組が時間を超えてトライフォースの独自の具現化であるこのシリーズでは特に可能です。さらに、元の女神、勇者、邪悪の存在と血のつながりを要求する解釈であっても、これらの人物により多様な表現が排除されるわけではありません。なぜなら、血統が時間を超えて全く異なる人種間の交配を経験しないとするのは非常に不可能だからです。また、過去の存在とは異なる人種的な体を持つ同じ精神が宿ることはできないとは言い切れません。
黒人女性への影響
黒人女性は何でもできる存在であり、私たちが共有するメディアもそれを反映すべきです。『ブレス オブ ザ ワイルド』のゼルダは知識欲の旺盛な頭脳派であり、彼女に自分自身を重ねることで、黒人の女の子たちも同じように知的好奇心を持つようになるかもしれません。特に、ゼルダは家族やコミュニティに献身的であり、制度的な不平等に立ち向かおうとする多くの黒人女性と同じように、重い負担を背負っています。ゼルダの政治的な手腕も彼女のキャラクターに自己を反映させる素晴らしい要素であり、幸いなことにアメリカの政治もそれを反映し始めています。
ゼルダが一般的に超能力を持つことも重要です。黒人女性は、黒人のゼルダが光の矢を放つか、スーパースマッシュブラザーズで競争相手を圧倒する姿を見ることで、自分たちも力と魔法を駆使できる存在として感じるでしょう。そのため、プリンセス・ゼルダが黒人であれば、スピンオフ作品やカメオ出演、マンガ、ファンアートなどで彼女が黒人である可能性が出てきます。この重要なキャラクターが黒人として描かれることは、単一のゲームや単一のメディアでの表現以上の意味を持つかもしれません。
このシリーズは、最も重要なキャラクターの人種を変えることが比較的容易でありながら、ほとんど説明を必要としません。ただし、プリンセスの人種を物語の一部にすることを避けるとは思いません。彼女の性別は過去に問題になったことがあり、兄が自分自身がトライフォースの力を持つ権利があると考え、ゼルダIIでは彼女が男性のシーカーに変装しなければならなかったことがありました。したがって、ハイラルの王族の一員が黒人である場合、任天堂が人種の問題を繊細に扱うことに関して、任天堂がためらいを示すことはないと思います。
話は変わりますが、ハイラル王国を統べる王族を黒人として描くことは、黒人が王族として描かれる数の増加に貢献します(『ブラックパンサー』、ビヨンセの『Black is King』、『She-Ra and the Princesses of Power』、『ブリジャートン』など)。これらすべてが、黒人であることが特定の経験に限定されるものではなく、人々に白人によって伝統的に描かれてきた役割を占めることを許してくれるものです。
広い意味での影響
同じ質問をリンクについても簡単にできます(実際、2013年に行いました)、その分析結果も似たような結果となり、黒人男性を勇敢で決断力があり、忠実で親切で、時に愚かで善行を行う人物として描くものになるでしょう。これらの質問は特に意義深いものとなります。トライフォースを持つ唯一の非白人キャラクターが権力に飢えた敵役として描かれる場合、メディアでは人種やLGBTQ+の個人を陰謀を企てたり、非道な攻撃者として描くことがよくあります。人種の異なる人々がよりポジティブな役割で描かれることは、ステレオタイプの払拭と、それらを代表する人々の自己イメージの向上に大いなる助けとなるでしょう。
アメリカにおける黒人と白人の関係がこの文化的瞬間にどれほど困難であるかを考えると、黒人のプリンセス・ゼルダを見ることは、勇敢で優れたヒーローである黒人女性を堅く認めるものとなるでしょう。それは任天堂からの連帯の声明であり、また、ビデオゲーム業界ではしばしば十分に評価されていないコミュニティに対する、非常に目立つかつ大きな影響力を持つ肯定的な表現となるでしょう。最終的には、プレイヤーに黒人の女性キャラクターに共感し、彼女を気にかけ、彼女が重要であると認めることを促すでしょう。
「ゼルダの多様性」は、レジェンド・オブ・ゼルダが包括性に取り組むアプローチを紹介し、関連するキャラクターを重視し、マーガライズされたコミュニティのゼルダのファンと対話するシリーズです。このシリーズのインストールメントが開かれた心で受け入れられ、読者間での建設的な議論が奨励されることを望んでいます。
「NEED」を「SHOULD」と捉えてるんすか?
https://twitter.com/Unagi_Kousuke/status/1663839294572879872
うなぎはかなり古いファンタジーを読んで育った生物なので、昨今のドラゴンの扱いには少しばかり辟易する事がある('ω')
あれは「知恵ある頂点捕食者、コントロール不能な生きた災害」というのがうなぎの感覚であり、チートを見せびらかす為に簡単に狩られてしまうと些かショックを受けてしまう。
〇カドモスが戦った竜:いろいろな攻撃を試されて殺される。瞬殺されなかっただけましな方か。
〇ベオウルフが戦った竜:老境のベオウルフと相打ち。善戦した方だが相手は老人・・・。
リプ欄にはキリスト教が~というのもあるが聖ゲオルギウス以前からドラゴンは普通に噛ませということがわかる。
「神話だからあっさり片付けられるのは当然」では近現代のファンタジー作品群を見てみよう。
〇サラガヴヴェルグ(サクノスを除いては破るあたわざる堅砦):年端もいかぬ少年に鼻づらをボコボコに殴られた挙句、剣の素材となる(モンハン!)
〇イエボー(ゲド戦記):かけだしの魔術師見習いにあっさり真名を見抜かれて放逐される。
〇アイシングデス(ダークエルフ物語):ねぐらの氷柱が頭に突き刺さって即死。(環境キル)
転勤で田舎に越してきて、年に何回も伝統行事(笑)神事(笑)みたいなことやってて煩い
裸同然の男が神輿担いで、それを生きがいにしてるジジイたち、きもいよ〜
なんでその祭りに出てるだけで偉そうにできるの?
周りのババアたちもすごいわ
朝っぱらから褌と半被だけで街中うろうろすんのやめてほしいよ、不快だ
年中何かしらのお囃子とか準備してて、テレビもそればっか特集してて、気が滅入る
興味がないし生活に入ってこないでほしい
米国伝統の犬レースが消滅へ、背景にドーピング、不正な殺処分の歴史
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/20/100500047/
https://jp.reuters.com/article/macau-greyhound-idJPKBN1KD0HH
ニューサウスウェールズ(NSW)州政府が来年6月末を最後に、グレイハウンド犬を走らせて賭けるドッグレースを廃止すると発表した
https://myanimals.com/ja/saishin-nyusu/doggureesu-aruzenchin-haishi/
抑肝散が効果がある、と感じる状態であるならば、東洋医学的に解決を試みるのはどうでしょうか。
まず、あなたの状態を東洋医学の専門家で抑肝散のことがわかる人(東洋医学をきちんと勉強した医師や漢方薬局の薬剤師)に相談します。どういう状態であるか、抑肝散のどういう働きが効いていると思われるのかを解説してもらいます。
舌を見たり、手を取って脈をみたりをきちんとしてくれる人に頼りましょう。独特の用語や概念が多く、一度聞いてもわからないかもしれないので、録音させてもらうか紙に書いてもらうといいと思います。
次に、その情報を持って、東洋医学の専門家でセルフケアの指導ができる人(鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師で免許取る前も取ったあともきちんと勉強している人)に相談します。
抑肝散があなたに効いていると思われる働きは、ハリやお灸、あん摩や指圧などで同じようなことができます。
抑肝散が効いていないな、と感じたら、飲んで効いてくるまでの間それを試して、自分に合っている方法を見つけましょう。
薬だけに頼っているときよりも楽になるのではないでしょうか。
ただ……漢方や鍼灸などにも流派があったり、その流派を看板に書いてはいけない厚労省の規制があったりします。街で見つけた漢方薬局と、近所の鍼灸マッサージ院で流派が違って、細かいところの話が通じなかったりする可能性もあるのです。
私のおすすめは、「中医学」の流派です。中国で伝統医学を研究しつつ現代に応用している、中国の国家公認です。
理論が統一されているので、中医学を学んでいる医師・薬剤師・鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師で話が通じます。
(西洋医学と違って、東洋医学はそれくらい流派が違うと話が通じません……)
などのキーワードでWebサイトを検索してみましょう。相談できそうな診療所や漢方薬局、鍼灸マッサージ院が見つかることを祈っています。
私はてっきりトランスジェンダーの主張はもっぱらGID(性別違和)の人がしてるのかと思ってたんだけど、最近の増田を見てたら、最近のトランスカルトは非GID者がトランスジェンダーを主張していて、伝統あり社会的に認められつつあったGID者と対立しているらしい。
おもしれぇなぁ。
自由と個人を重んじるアングロ・サクソン系の国家で一番称賛されるのが、有名になることでも、大金持ちになることでもなく社会に奉仕することっていうの面白いな。金持ちの子供がハーバードに入っても「レガシィだろ」って陰で言われるけど、同じように金持ちの子供がコネで手に入れた議員の推薦状使ってウェストポイントやアナポリス入ると称賛の嵐。
いや、アングロ・サクソン系の国家って伝統重視とかジェンダーロールとかコミュニティ間の付き合いがめちゃくちゃ強いから、そもそも自由と個人の尊重ってのが幻想なのかも知れない。会社が所有してるサウサリート郊外の住宅に住んでた時に壁のリフォームしたら近隣住民が押し掛けて来て「なんで何も相談しないんだ」って言われたな。
(儀礼的なプレゼント、例えば中元歳暮の類を用意するのは女性の役割、それが夫の関係者へのものだろうとな)
女性は子供のうちから母親に「贈り物をする際の常識的なマナー」的なものを厳しく躾けられるし、
本人も社会で生きていくに当たってそういう知識が必要という意識があるから知識が身についている人が多く、だから女性は恋人へのプレゼントもあまり外さないが
男性は「贈り物のマナーを身につけなければならない」という文化も感覚もなくそういう事を学ぶ機会も少ないから
店選びも同じで、非常識な店選びをしたら叩かれることが多いのは女性の方だからこそ
女性はそういった常識を身に着けている(身につけなければ社会的に生きていけない)けど
男性は身につけなくてもいいとされているから非常識な店選びをしてしまう
全部逆なんだよなあ
男性は贈り物とか店選びについて社会的な責任がないから平気で女性に変なもの贈るし変な店に女性を連れていく、
(そもそも「好きな女性を口説く」時くらいしかそんな事を求められない、ってのもある)けど女性は責任があるからそうではない
以前電通だかの人の接待ノウハウがホッテントリにあったけど、男性でもああいう仕事をしている人なら知識があるし女性相手でも変な事はやらかさないだろう、
めちゃめちゃビックリした。
人間の都合で調教して人間の都合でムチ入れて人間の都合でレース走らせて人間の都合で屠殺する競技の関係者が、他人を「動物虐待」って言って責める資格あると思ってるんですね。すごいなぁ。
当たり前だけど、何千万もの募金集めてようやく十数頭の馬を救っても焼け石に水で、本当に馬の福利を考えるのであれば競馬を廃止するか、年の競走馬生産を計50頭以内に抑えるのが一番手っ取り早いからね。
ダービーの実況で「○千頭の頂点!」みたいに言われることがあるけど、それだけの馬を生産してることが動物愛護の観点からいえば異常なわけで。
20年ものあいだ、全体からみれば微々たる数の馬を救うことで満足し、競馬廃止運動などを繰り広げてこなかった団体なんだから、てっきり動物虐待に対する体系的な問題関心を持ってるわけじゃないと思ってたんだけど、見込み違いだったかな(体系的な問題関心を持ってないのは悪いことじゃないよ、念のため)。
増田は動物愛護には何の関心もないオタクなので、普通に競馬を楽しむし、ナイスネイチャバースデードネーションにも寄付したし、それと同様に上げ馬神事についても「まあ伝統の神事なんだから別にいいじゃん」と思うけど、競馬産業を放置してる団体が上げ馬神事をあげつらうのはおかしい。
たかが数頭の馬が伝統行事で酷使される程度のことに怒るならば、より身近で体系的な競馬とかいう動物虐待に対してもっと真摯に向かい合うべきだっただろう。競馬廃止の運動をするとか、競馬関係者を糾弾して社会的に非難される職業にするとか、競走馬を生産する牧場のボイコットを呼びかけるとかね。
ナイスネイチャバースデードネーションで俺も含む大勢の人が寄付したわけだし、そのパワーを競馬廃止運動や牧場ボイコット運動や騎手の吊し上げに向けてはいかが?
競馬に情熱を注ぎ込んできた人たちが大勢いるように、地域の伝統行事を大切にしてきた人たちも大勢いて、それはどちらも尊重すべき人間の文化の一部だと思う。片方を「たとえ伝統文化だとしてもダメ」と切り捨てるのであれば、当然、競馬にも同じ刃を向けるべきだし、これまで20年以上も競馬関係の業界にいながら競馬のシステムへの根本的な批判を行ってこなかった団体がいきなり伝統文化に口を出すのは、ちょっと受け入れがたいものがあるなぁ。五十歩百歩ってご存知?
ところで、動物虐待罪は悪法であり廃止されるべきである。動物は権利を享有する主体と見做されるべきではない。動物の所有者が(絶滅危惧種ではない)動物をどのように扱おうが、それは所有者の自由だ。動物虐待を行った者が友達を失くしたり近所の住民に軽蔑されたりするのは仕方ない(誰しも友達を選ぶ自由はある)けど、それは他人の権利を侵害しているわけではないのだから、刑罰を科すのは間違っている(他人の動物を虐待したら器物損壊で処罰すればよい)。
動物虐待罪の保護法益は「動物愛護の良俗」とされているが、こんなものがまかり通るなら、「天皇を敬愛するという良俗」を保護対象にして、天皇の写真を焼くアートを取り締まる立法だって許されることになってしまう。多くの善良な日本人は日の丸をあえて損壊する行為に心理的抵抗を感じるだろうが、では日の丸を損壊する行為に刑事罰を科すことは妥当だろうか? 俺は天皇の写真を焼くようなパフォーマンスをする連中とは友達になりたくないが、そいつらが逮捕されることには断固として反対する。そして、動物虐待も同じだ。
動物愛護が美徳であることは否定しない。天皇や日の丸に敬意を払うのと同じくらいには市民の美徳だろう。だがある行為が美徳であることは、それを毀損した者に刑罰が科されるべきであることを意味しない。天皇の写真を焼き日の丸を破り捨てる行為がどれだけ腹立たしくとも合法であるべきであるように、犬を殴り、猫を焼き、馬にムチを入れレースで走らせたり神事で酷使したりする行為は、それがいかに嫌悪感を催すものであろうが、合法であるべきだ。動物虐待罪は市民の自由を奪う悪法である。一刻も早く動物愛護法を改正し虐待罪を削除すべきだ。
動物愛護を本気で考えてる人が競馬を批判するならまあ理解できるが、「俺は動物愛護に反対だけどね」は醜悪だわ。動物愛護にもグラデーションはあって「そりゃそんな使い方したら死ぬだろ」っていうのはあるでしょ。
ですよねえ。数十キロの重り背負わせて高速で東京競馬場や阪神競馬場走らせたら、そりゃ死にますよねえ。「原因はわからないんじゃない、ないんだ!」って、いやいやどう考えてもそれが原因でしょっていうね。
上げ馬神事で馬死なせるのと沈黙の日曜日とで何が違う? 俺にはわからない。片方が起きるような環境を文化として擁護するならもう片方も擁護すべきだし、片方を嵩にかかって糾弾するならもう片方も追及しないとおかしい。これまで競馬に深く関わっておきながらダンマリだった連中が上げ馬神事に強い言葉で物申すのは醜悪だと思うよ。
不快なものは規制してよい論者だ! 論拠が素朴すぎて絶滅したと思ってたけどまだ生きてたんだ! すごい! 超レア! サインください!
俺も隣人が犬や猫をいたぶって遊んでたら嫌すぎるし、今後のお付き合いは考え直すだろうが、隣人が刑務所に送られたり罰金を払わされたりするのは間違ってると思うよ。