はてなキーワード: 尊厳とは
性犯罪の被害に遭ったけど男だから救われなかったみたいな体験談に対して
「女への憎しみを募らせてる。さぞかしモテなかったんだろう」
男性に対して異常なぐらい加害敵な女性に対しては、同情的な反応が結構見られるんだよね。
過去に男性からセクハラ等を受けたり、酷い男に酷い事された事が原因で
だから厳しい態度を取っても仕方ない……みたいなね。
勿論、そういう女性は同情に値するし、何らかの救済が必要だと思うんだけど、
これが男女逆になると途端に
「モテないからって女を恨むのは男らしくない」と、逆恨み扱いされてしまう。
『加害者は男で被害者は女』という固定観念が根付いてるように感じる。
主観では普通に過ごしていただけなのに、いきなり「キモい」「キモい男」みたいな扱いを受ける。
初めは無視していてもどんどん酷くなる。
その内、仲良くしてくれていた筈の同性の友人も離れていく。
いい加減我慢出来なくなって文句を言ったら、被害者ぶられて、自分が加害者扱いされる。
「お前がキモいから悪いんだ」と、自分自身ですら思う様になり、自己嫌悪が酷くなり、
まともな対人関係が築けなくなる。
自分はこれで、何年も苦しんだし、自サツ未遂も何度も発作的に起こしている。
骨折して入院して痛い目にあって迷惑もかけて正気には戻るけど、
それでも死にたいという願望が完全に消え去る事は無かった。
もう10年以上も前に、とても優しい女性に出会ったことで、昔よりはだいぶ回復したものの、
今でも夜中に「もしかしてこの隣で寝ている人は、俺を馬鹿にするために一緒にいるんじゃないか」
普通に考えれば、特別な財産をもってるわけでもない自分を騙すためだけに、
結婚し、一緒に暮らし、子供を産み育てまでするわけないってわかってるにも関わらずに。
以前、「女だけの街で暮らしたい」というツイートが炎上してたけど
自分も長らく、女性に怯えなくていい男だけの街で暮らしたいと思っていたからだ。
女性が嫌いとか苦手とか、ではなく「怖い」「恐怖」があったから。
自分からすれば、特に交流も無かった女性達からの、主観的で感情的な言動が原因で、
心に深い傷を負い、人間としての尊厳を傷つけられ、女性不信に陥って何年も苦しんだ。
ここまで書いて思ったけど、そんな被害に対して同情されるどころか、
「そんな大した事気にするな、男らしくない」と被害を無かった事にされたり
「女性の方がもっと色んな辛い目にあっている」と自分には関係無い話をされて被害をあやふやにされたり
「お前が女性を怒らせるような事をしたんだろ」と被害者なのに加害者呼ばわりされたり
「キモいお前が悪いんだ」と被害者なのに、加害者に加害行為をさせた自分が悪いと言われる。
見ず知らずの共感も出来ないどっかの酷い男がやった事が悪いからいけないんだと、
実際にされた事と同等か、それ以上に、こうしたセカンド○イプに絶望していたのかも知れない。
そしてこんな愚痴も、「お前が悪い」「女性の方がもっと辛い」と、切り捨てられて終わる。
自分の場合は、主に女性から率先してセカンド○イプをされてきた訳だけど、
全く信用されずにお前が悪いからと言われて終わる。
最近の風潮を考えればこうなるだろうって諦めもある。
自分の被害者感情が心から癒される事は死ぬまで無いというのは仕方ないんだけど、
こうなった原因は自分が男だからか?とか、女だったら救われたのかな?
とか思っちゃうのは、仕方ないのだろうか。
何かしらのネガティブ要素とは。
https://twitter.com/newjk225/status/1522515024085876736
人間の性的自己決定権や性的自由権は人権の中心的要素だから、その人自身が積極的に望まない限り、性が外部要素によって差し出すことを求められる構造や性的決定権の軽視は暴力である当たり前の事実がわからない
AVとエロ漫画とホモソでは女性を凌辱してばかりだから女性は性的に扱われて喜ぶと勘違いしてるよね
積極的ってのは、性産業しなくても豊かに生きていける社会の中で安全を担保されて、性産業をしなくてもいい人が、気軽に断ったりやめたりできる精神的な安全性のある状況で、事前知識や教育を与えられて、あえて性産業に対して自分で信念を持って選ぶような状況のことで
生活保護の代わりに性を差し出さざるを得ないのは積極的選択の自由ではない
AVで頭壊れたクソゴミオスたちが、女性は男性に性を差し出すべきという搾取思考に甘すぎてお金で買うとか踏み躙ることの罪がこの国だとめちゃくちゃ軽いだけ
性だけでないよ
ゴミ掃除とか望まない汚い仕事を無理やりさせるのは奴隷に対する対応なのは理解できるでしょ
望まない相手と無理やりセックスさせられるのも人間の尊厳を踏み躙ってるのはわかるでしょ
他人に自分の職業選択の自由や性的決定権の自由を奪われる実態の放置は人権の守られた社会とは絶対言えないけどな
人に性を売らせることが積極的自己決定に基づかないなら奴隷に対する扱いと同じ。
女性は、DV被害をきっかけに夫と離婚した後、知的障害を持つ5歳の子供と暮らしている。仕事を探してはいたものの、保育園に子供を入れることができずに困り果て、大阪市に生活保護を申請することにした。
ところが、申請してもうまくいかず、結局5回も断られたという。その際に、対応した市の職員から、「ソープランドへ行け」と言われたというのだ。
これはひどすぎる。
知的障害の子のお母さんは、一生をかけて子どもの世話をする人生が待っている。
まぁ増田くんには、アイデンティティの尊重とか、人間の尊厳とか、(困難を抱えた方の)自立の在り方なんてのは難し過ぎる話だよな
増田くんのお気持ちに寄り添って、『生活保護』『きれいなアパート』『海外旅行』だけに絞った話をするなら、
本でも書けば?
『ハリー・ポッター』の原作者として有名なJ・K・ローリングさん。
いまでは総資産1210億円の大富豪。英国内に3億〜4億円クラスの豪邸を5軒も所有しているとか・・・
彼女は有名になる前は、非常に貧しいシングルマザー。貧困のあまりうつ病を発症し、一時は自殺を考えるほどだったようです。
しかし、生活保護を受けながら『ハリー・ポッターと賢者の石』を完成させたのです。
いいえ、単純なTPOの話です。TPOが理解出来ているので本音を使い分けるんです
何度でも繰り返すけど、
深刻な人は、障害者手帳>精神障害者保健福祉手帳ではなく、
療育手帳(愛の手帳)、知的障害があると判定された方に交付される手帳が出る
なので単なる事実ってヤツです。そして単なる事実に基づく区別です
あと、『本音では保護者が必要な人だと思ってる』って開き直ってるのは、
『人間の尊厳と自立の在り方』もしくは『アイデンティティの尊重と人間の尊厳』の話なので
人間に向き合い常に心砕いている徳の高い人を前にしたら時なら、自分が恥ずかしくて黙るかもね
あるいは言い訳をするかも
男性の髪の少なさをイジるのは、女性の胸の大きさに言及するのと同じようにセクハラらしい。
女性よりも男性の方がより髪が少ない傾向がある、と裁判所は言っていた。
この不均衡がある状況で男性の髪の少なさに言及するのは、彼の尊厳を侵害し、品位を傷つけ、屈辱を与える行為に他ならない。気軽にハゲ、などと悪口を言うことは、男性にとって威圧的な環境を作り出す。
コメントも賞賛の意見が集まっていた。身体的特徴を揶揄するのは男女関係なく失礼な行為だと、多くの日本人が認識してるようだ。
俺も、当然だと思う。
昔からまるでベジータみたいに生え際が高かった。だから小学校、中学校と、教室で何度かハゲ、ハゲ、と笑われてきたけれど、それをイジメとして問題視してくれる人は教師も含めて、いなかった。
「どうしてこんな気持ちにならなくちゃいけないんだろう?」
鏡を前に下ろした髪をかきあげて、幼い俺は嘆いた。
でも結局、増田少年は、世界には避けられない理不尽は沢山あるんだ、と自分を納得させた。芸人のようにクラスに笑いを提供できるのだから、オレ自身が悲しまなければ、誰もソンをしないんだ、と。ニッコリ笑っていれば、受け取り方次第で、なんだって幸せに変わるんだ、と。
もし金曜日のヅララ なる漫画の広告が、クオリティペーパーを自称する新聞に、広告として載っていたら? もし新社会人にハゲた男性を笑い飛ばすことで、元気になってほしい、と編集部がコメントしていたら?
俺は許せないどころか、言論の自由を全力で行使して普通に暴れると思う。恥も外聞もブチまけて、手当たり次第、残ってる友だちに連絡して、一緒に殴ってもらう。連投だろうと、なりすましだろうと、合法な限りできうる限り手段を選ばずに燃やし尽くてやる。なにが元気だ。単なる負の性欲じゃないか。
俺は実は、いわゆる表現の自由の戦士だ。はっきり名乗ったことは無いが、オタクとしての社会的発言をまとめてジョブ判定してもらうと、表現の自由の戦士(Lv.1)になるだろう。
界隈に精通してる人たちは知ってると思うけど、最近「誠実さ」を問われる事件があったんだ。あれは同じ立場の人間として、考えさせられる出来事だった。
だから俺も誠実に、本音を隠さずに、いまの考えを述べる。俺はこう思っている。女性は、ひょっとしてこんな気持ちだったのか。と。
それらの
が表現の自由を制限するに当たるのかは、案件次第、表現次第だよね。
「不快感」「人格の尊厳(の侵害)」「平穏な心情で生活する自由(の侵害)」ってのは言ったもん勝ちじゃなくて、それ自体が表現の自由と照らし合わせて、議論の対象となるんだよ。
全然違う
ちゃんと読んで
いじめは人の尊厳を侵すし、内容によっては刑法に引っかかるからダメ。という部分は否定してない
ただ、それはそれとして
つまり、いじめられても死ぬか死なないかは個人の資質に依るというところは否定できないよね?
そのフィクションが原因で犯罪を起こしたとしてもそれは個人の資質の問題であるとすべきだ、
という主張をするのであれば
いじめが原因で自殺をしたとしてもそれは個人の資質の問題であるとすべきだ、
と主張する必要がある
つまり、いじめによる窃盗や暴力、誹謗中傷にたいしていじめは明らかに問題があると言えるが
そのいじめによって引き起こされた「自殺」という結果に関しては個人の資質の問題であって
いじめ自体が責任を持つ必要はないという主張で良いんだよねという話
もちろん明確に「相手を自殺させることを目的とした」上でいじめ行為を行った場合は相応の責任を持つべき
それは「みんな!女子高生のおっぱいガン見しようぜ!」と作者が主張していたなら、その作品は「そういう目的のもとに作られた」という誹りを免れないのと同じ
思考実験と言いつつ、タイトルによりそういった弱者男性を想起させることは加害性が含まれると思うかもしれない。
しかし、それは自身の顔を公開するということの想像力の足りなさを吐露しているだけである。
そして同時にその指摘は正しい。
具体的にいこう。
街中で男性に顔を「見られる」ということは、その男性が帰ってからあなたを性的なおかずとして消費しているかもという可能性を排除できない。
しかし、その男性からあなたに対して、「あなたをおかずにしました。性的に」という申告がダイレクトに来ない限りは本人にはわからない。
本人にはわからないのに、自分がキモいと思うおっさんに一瞥されただけでその行為を想像してしまう。
内心の自由は世間的な道徳に憚れたり違法な趣味を持っている者たちのものだけではない。(たぶんここは具体的にロリコンとか言わないと通じないんだろうなぁ…)
内心の自由があるからこそ、客観的な物に頼らない一方的な決めつけができるのだ。
ここでいう客観的なものとは「見られる」という行為であり、まさしく「どんな風に見られたか」となる
そして、見られた側としてはそこに主観的な要素が入り込んでくる。
それは本人の過去の経験が変数として存在し、誰に、どんな風に見られたかが、快(というよりは何も感じない)or不快を判定材料となる。
そしてその内心の自由故に生まれた感情が多数の支持を得ると、その主観的な判定が客観的な価値観へアップデートされる。つまり基準となる。
これを繰り返していくことで世の中が良くなっていっているはずなのだが、ことジェンダー問題になると女性と男性で過去に受ける経験が違いすぎてすれ違いが起きる。
最近のたわわ問題が絶対に分かり合えていない状況になっているのは、極論、痴漢の経験があるかないかの違いでしかない。(あってもたわわ広告に賛成している人は一旦置いておきます)
痴漢っていうのは本当に性的な消費ももちろんだが、一番キレたくなるのは後から「人として舐めてきやがったなこのクズが…」ってなること。
人権の蹂躙なんですよね。自分の尊厳を守るためにたかが痴漢してきた奴を殺したくなるくらいには。
そしてそれを経験したことが「ない」男性の経験をわからないバカな女ととも、想像力不足なんですよね
そしてだいたいの人はバカなんでもう無理なんですよねぇ。