「陳腐」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 陳腐とは

2017-09-21

anond:20170921162541

おいそこの個人的問題国家間問題を同列に扱うような陳腐比喩よ。

愛してる。

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

anond:20170914164018

すげー同意

魔女宅とかハイジとか国外世界観でちゃんと成立してるもの

まったく関連性のない日本テンプレに押し込めてどうすんだと思う。

日本高校生活にしたらしたでそれなりにヒネリがあればまだ納得感出たが、

それっぽく見映えするシーンだけ作って集めましたー感がありありで

パロディとしても昇華がまったくないので余計モヤモヤする。

こういう安易な当てはめが、青春もの全般に対する

陳腐感を加速させて、全体的に食傷気味になっていくんだよ!しょうもねえ!

みんな女子高生が好きなのはわかるけど、さすがに思考停止すぎるので

元増田の憤りを全面的に支持したい

2017-09-14

結婚祝いという重荷

結婚したときにお祝いをしてもらった。

ありがたい話だ。

しかしそれが重荷のようになってのしかかっている。

結婚するときに考えていたのは「今回友人たちにお祝いなどをやってもらったら、今後負債を負うことになる」ということ。

余興も頼んだら将来友人が結婚するとき自分がやらなきゃいけなくなるので、やらない。

受付も頼んだら将来友人が結婚するとき自分がやらなきゃいけなくなるので、お金を払ってサクラを雇った。

とにかく将来負債がかからないようにした。

しかし一つだけ断りきれないものがあった。

それは勝手に友人たちがやったこと。

結婚お祝いのメッセージアルバムを私に断りなく勝手に作ってきた。

ありがたいことだったのだが、貰った数秒後にはこう思った。

あ。。。これ、将来友人が結婚するたびに私も作らなきゃいけないじゃん…

そして杞憂現実になり友が結婚するたびに写真をあつめたりメッセージ書いたりアルバムを作ったりと毎回やることになった。

正直メッセージ陳腐ものしか思いつかないし、しんどい

結婚祝いは頼んでもないのにされるからなぁ

2017-09-10

anond:20170909130213

いや普通につまんねーよ

劇場版面白いかい評価もあったが、実際みたら劇場版ですらつまんなかったわ

まあつまんないは言い過ぎで、毒にも薬にもならない凡庸さというのがふさわしいか

放送当時は「戦車道」とかいコロコロ作品あたりじゃ珍しくもなんとも無い陳腐な設定を褒め称えるにわかが凄まじく鬱陶しかった

あと終盤にチームの連中が調子こいて案の定失敗するという見え透いた展開をやってくれた時は死ぬほど萎え

anond:20170910004119

考えが甘すぎる。社会人として陳腐正義感を振りかざす姿が幼稚だ。

弱者社会の損失であり救済は歴史的に恩誼であり当然と思うのは思い上がりだ。

外国に暮らす前に母国文化背景を理解できない程度なので言及を避けるが損得勘定経済国家の糧であり死守すべき高尚な習慣となっている。

2017-09-09

anond:20170909034656

陳腐なヘッダーが気になって見てみたら、思わず、吹いたw

2017-09-07

anond:20170906195930

https://twitter.com/r_tkt/status/904693280142536704

今更ながら『逆襲のシャア』って、『復讐するは我にあり』的な倒置➕助詞「の」のファジーな運用で「言いたいことは分かるし格好いい」フレーズとして成り立ってるものの、日本語文法的にはやっぱりギリギリ変なシロモノで、だからこそ文学的には最高に美しいタイトルだったんだけど、(つづく)

https://twitter.com/r_tkt/status/904695202387968000

(つづき)結果この何十年みんながあまりに無邪気にコピーしつづけ、表現として恐ろしいほど陳腐化してしまったワケで、ちょっと可哀想だな、とは思うし、自分作品タイトルで今時『○○のナニガシ』をやるのってよっぽどの必然性か蛮勇が要求されるよなあ、とも思いつづけているうちに年老いました。

東大出のこういうとこ好き

(言ってることが本当に正しいかはさておき)

暴力について

悪い父親を殴っていたら遅くなった、なんかジャズのやつが中学生殴って問題になったらしいじゃん、体罰だとかいって。

お前ら暴力舐めるなよ。

暴力は罰みたいな陳腐ものなんかじゃない、暴力は一つの圧倒的なコミュニケーションだ。

陰茎を相手に挿入することが一つのコミュニケーションであるように、拳を相手にめり込ませることがコミュニケーションでなくて何なんだ。

現に俺の父は暴力によって変わった。

以前、俺の父は粗暴で、母を殴り、俺を殴り、壁を殴った。全く話にならなかった。

父に対して注意をしようとすると拳が返ってくるのだからどうしようもない。

ある日高校生になった俺はそれまでの鬱憤を晴らそうと父を階段から突き落とし、背骨が折れるまで蹴り飛ばした。

父は泣いて許しを請い、俺はそれに満足したので腕の骨と鎖骨を折ってから止めた。非常に爽快で解放された気分だった。

それから父は俺の話を聞くようになり、俺は暴力に感動した。暴力他人をわからせることができるのだ。

今でも父が生意気なことを言うと殴る、そうすると父はすぐ大人しくなる。まさにコミュニケーションである

インターネットがここまで腐ってしまったのは舐めたことを言う奴らを殴ることが出来ないかである

もし現実のように暴力がここにあればインターネットはここまで腐らなかった、やはり暴力こそコミュニケーション極北だ。

お前ら暴力舐める

2017-09-06

最近フェミニスト周りの放言がひどすぎて

masudamaster先生の一歩先を行っていてmasudamaster先生陳腐化しそう

2017-09-05

このSNS全盛期に辛口ブログ(笑)なんて絶滅たかと思ってたんだけど

まだ生き残ってた。しかグルメブログ

いやーしかし読んでみると味の表現陳腐しょうがない

化学調味料の味(もしくはそれに類似した表現)、または甘すぎるとしか言ってない

褒めている方も複雑だの味わい深いだの、輪郭のはっきりしない言葉ばかり

もちろん店に取材も行っていない。

まともな料理経験も無いらしい。

何でこんなのが生き残ったんだろう?

というか、なんで昔はこういった辛口ブログが持て囃されたんだろうね

おっさんの歪んだ承認欲求の賜物なのかなぁ

今で言うフェイスブックマウント大会みたいな感じ?(これもちょっといか

検索したらtwitterもやってるらしく、覗いてみたらおんなじような口調を垂れ流していた。

フォロワー100人強、半分は鍵垢もしくはスパム

いいねは一桁

いやーきつい

2017-09-04

就職活動を終えた

就職活動が終わった。それなのに、心が晴れない。

俺は大学4年生で、いわゆる18卒学生として就職活動を行った。そして、8月に入ったところで、ようやく内定を手に入れた。

学部単位なども概ね問題なく取得しており、卒業論文だって道筋は見えている。

まり、今の俺は客観的に見て、何の問題もなくライフステージを進めているように思える。就職活動を終えた学部4年生の夏休みなど、この世の春と言ってもいいだろう。夏なのだが。

しかし、今の俺の心には、とてもそれに見合った開放感などというもの存在していない。

この心理的モヤモヤした何か、胸のつっかえともいえるものは、どこから出てきたのだろうか。

何かを後悔しているのだろうか?例えば、内定先に満足していないとか?いや、そうではない。

8月までNNTだった俺は、何の因果かはたまたラッキーパンチか、そのような就活弱者には全く見合わないような優良企業内定を得ることができたのだ。

学部で学んできたことが活かされるものでは決してないにせよ、十分な研修を受け、全うな待遇の下で働けることはおそらく保証されていると言っていい。

恐らくそれはきっと、就職活動を通じ、「自分は何者でもない」ということを、大学の4年間の中で密かに気づきつつも目を逸らし続けたその事実を、まざまざと見せつけられてしまたかであると思う。

端的に言えば、「おつむがよろしくて真面目で一生懸命人格者で才能溢れててみんなから未来を嘱望される完成された存在であるところのボクちゃんが、実際にはゴミクズ未満の存在に過ぎない」ということが、就職活動により明白になってしまたかである

もう少し具体的に言えば、上記のような自分が、8月になるまで内定を得ることができなかった、そのことが未だに自分を縛り続けているということである

お前は社会から積極的に求められる存在ではない。寝っ転がってチ○ポをおっ勃てているだけでは、社会は跨っては来ないのである。それほどの魅力がある存在ではない。十把一絡げ・一山いくら畜群の一部に過ぎないどころか、その平均にすら追いつかない無価値無能力の極みであるような存在、それがお前、俺である

極めて陳腐な話だと思う。大学生活の中で何者かになれる人間など、そう多くはないだろう。

大学生は大抵の場合自分は何者かである、きっと特別で何か人から称賛されるような正の属性、あるいは才能のようなもの自分は持っていると考えながら大学に入るのではないだろうか。少なくとも俺はそうだった。

日本でその名を知らない人間はそうは居ないであろう大学入学できた自分は、きっと特別存在なのだろうと思っていた。ヴェルタースオリジナル状態であった。

今の自分自身にその「何者か」問題が分からなくとも、時間が経てばいずれ明らかになるであろうし、そしてそれは自明に周囲から評価されるものであると、図々しくもそう措定してしまっていたのであった。

自分よりも劣るとみなしていたような相手が、次々と内定を取っていく。自分は見下していた相手よりも実際には下の存在だったのだ。その事実のものもまあまあ辛いが、それ以上に事実認識できていなかった自分不明が憎い。

2017-09-03

なんで進撃の巨人をこんなに好きなんだろう

注目の漫画特集で知っただけのなんでもない漫画だった。


表紙はとにかく雑で、新人が書いているのがまるわかりのダサい漫画、というのが最初の印象。


だけど違った。

思えば、最初超大型巨人の登場から引きこまれていた。その登場が半歩でもずれていたらこ作品台無しになっていたと思う。

超大型巨人役割が、単に壁を壊すだけの存在だったから良かった。鎧の巨人がシガンシナ区のウォールマリアを壊すだけの存在だったから成立していた。


巨人は人を捕食する恐ろしい存在というだけでは恐怖足り得ない。1巻は、巨人日常を壊す存在でありそれは隣人や訪問者の中に潜んでいるのだと暗示していた。あの1巻には進撃の巨人面白さが全て詰まっている。


未知の生物に突如侵略される世界なんて、そんな陳腐物語なんて、この世にはゴマとある

だけど殆どゾンビ兵器と戦うだけの平凡な話か、人同士の争いにシフトしてゾンビ兵器を単なる舞台装置しか見なくなっている。


進撃が違うのは、人同士の争いであっても巨人が必ず恐怖の隣人として存在することだ。

簡単に倒せるものではない。壁内人類は負け続けている。巨人アウェーにおかず、単なる攻略対象としてもおかず、インフレも起こさない。奇跡もない。

身内同士の内輪もめが世界を変えるわけでもない。常に巨人に対抗する人類という枠組みの中で話が進んでいる。

なんで進撃をこんなに好きなんだろう。

2017-08-30

日本を支える優秀な管理職

仕事柄多くの企業人達と会う機会があり,自社を含む日本管理職たちの優秀さに感動したのでメモ代わりに気づいた点を書く.

1. 基本的に失敗しない

通常の企業運営であれば,成功するプロジェクトがあれば失敗するプロジェクト存在する.しか日本の優秀な管理者プロジェクト基本的に失敗しない.

彼らは仕事の内容ではなくコミュ力で戦う.なので,彼らにとってプロダクトの品質不足や赤字プロジェクトの失敗を意味しない.

赤字プロジェクト数字の見せ方を工夫すれば順調なプロジェクトに見えるし,事前に政治力を働かせておけば厳しい追求もない.不十分なプロダクトも同様である

順調であると報告された赤字プロジェクトには当然,引き続き投資が続けられて赤字を垂れ流すが,発覚する前には昇進か退職が待っているので彼らに失敗はない.

会社ごと吹き飛ばしかねない特大の爆弾に成長することもあるらしいが,基本的にはその前に爆発して不運な管理者子会社へ吹き飛ばすに留まる.

2. 新しいことに挑戦し続ける

経営層に次期計画説明しなければならない彼らにとって,既存業務の強化や安定化などといった停滞はなにもしないのと同義である

積極性にかけた部下の意見に流されず,常に新しく耳障りの良い新規プロジェクト提案していくことが彼らには求められている.

もし新規プロジェクトの成果が思わしくなくても,前述の通りそれらはすべて成功したプロジェクトとして扱われる.

3. 特定技術力に依存しない能力

コミュ力という全てを貫く槍,政治力という全てから身を守る盾を持つ彼らにとって,使える状況が限られすぐに陳腐化する技術など不要である

技術開発をするよりも食事に行ったほうが仕事になるし,JavaJSの違いなんて知らなくても良い.

とまあ皮肉っぽく書いたが,コミュ力政治力長所であるのは間違いないと思う.

20代ゆとりド真ん中世代の今の私には無い能力であることは間違いないので,うまく見習いつつも本質を見誤らないように成長したい.

2017-08-28

ネタバレ注意)打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

https://anond.hatelabo.jp/20170827163748

アニメではそのタイムリープを全く別の意味で使っています

〉行動を変えれば、運命は変えられる

〉凝り固まった考え方では運命は変えられない。花火は平面の場合もあれば、丸い場合もある。

〉のような、能動的なメッセージを伝えようとしているあたりが違うところですね。

この記述には私的には異論ありです。

作品では、遡りを繰り返すたびに世界が変形し(変化ではなく)、事実が歪められていっている。

その状況を、しかも決して肯定的に描いているように見えなかった。

(口にすれば陳腐だが、儚い夢を経て現実に帰る物語のように見える)

そのことからして、「行動を変えれば運命は変えられる」なんて強権的なポジティブさよりも、むしろ人生、どんな状況であれ選んだ場所真実。腹を決めてその状況を生きろ」という明るい諦念を自分は読み取った。

ロスジェネ壮年を、バブル世代中年をもがきながら手探りで生きているなかで、過ぎていく人生の夏を惜しむ気配も感じた。

そのあたりは、製作自身感情も反映しているのではと想像するし、作品選びからして、壮年中年の心の琴線に触れたいという意思を感じた。

からブコメの「キモくて金の無いおっさん向け」というコメントは、案外良い筋だと思っている。

まあ見方は人それぞれ。どれが正しいとかは無いのだけれど。

(追記)

whkrさん

誤読すまない、お恥ずかしい限り。

ただ、根底の主張は似たものを共有しているように思えて、何気に嬉しい。

コメントありがとう

プラチナエンドがつまらない

デスノートバクマン原作者作画による最新作プラチナエンド1〜6巻まで読んだ。

率直に言うとあまり面白くないし続きが気にならない。

キャラの魅力の無さが原因かな・・・

以外批判ネタバレ注意。


とくに主人公ミライがずっと偽善なのか何なのか分からないことを繰り返し呟いててイラつく。

戦いに向いてないなら裏方に回って頭脳戦重視にすれば良かった。


個人的好みだけどあのスーツ戦闘している画がSF的で好きになれない。

この作品SFじゃないのに世紀末空気を感じてしまって作品本来雰囲気から離れてる。


他のキャラからも中々魅力を感じない。

家族のためだとか愛がどうのとかどこかで見たような台詞をふわっと並べてるだけに見える。

散々聞き飽きたような陳腐理由を並び立てられるとがっかりする。感情移入なんて出来ない。

天使のナッセもピュアという設定だけど悪いところ・欠点が見えなすぎて気持ち悪い。

他のキャラもだけど悪いところや素が見えないのでみんな作られたキャラクター感ある。

ハジメやカナデも敵キャラなのに魅力があまりなくて小物臭が強い。


咲の告白は悪い面に見えない。

悪い面を後悔してるいい子ちゃんのお人形

死ぬほど後悔してます許して!→怒ってないよ!って道徳教科書みたい。

実際の人間感情ってそうじゃなくない?そんな単純じゃない。


キャラクター欠点というのはそのまま魅力にもなるしフックにもなる。

プラチナエンドはそれが欠けすぎ。

多少フックのあるキャラもいるけど愛だとか綺麗すぎるものでそれを覆ってしまってやっぱり魅力に欠ける。

魂と人間味を感じない。


肝心のストーリーキャラが弱いせいで、

誰が神になろうが興味が持てないな・・・と感じてしまう。

ミライが神になった!カナデが神になった!それで?だから何?


お綺麗で完全な球体のような印象の作品

デコボコしてた方あるいは尖っていた方が漫画面白い


7巻はもう読まないかもしれない。

絵はすごく綺麗だった。

次回作があるなら大場つぐみにはダーク面の強いキャラを描いて欲しい。

2017-08-27

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 65話

メタ的に見るなら、アグニが現状の展開について読者向けの説明をしてくれないから、ネネトがそのケツを持った感じ。

そのせいで何だか自然になっている気もするが。

いや、本作ってどうもこのあたりの運び方があまり綺麗じゃないから今さらかもしれないけれども。

語らず見せるべきことと、見せても語るべきこととの過不足について作家自身苦戦している……ってのは邪推が過ぎるか。

ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 12

今回は世界観説明というか、ヒロアカ設定資料漫画で読んでいるような心地だった。

こういった架空の設定について理詰めで説明するのはリアリティが生まれて嫌いじゃない。

本作のテーマにも繋がっている解説だし、不必要というわけではないしね。

ただ、やっぱりちょっとファン向けというか、文字フキダシの占有率が凄まじくて手放しで褒められた構成ではないけれども。

まあスピンオフって基本的原作ファンとかが読むことが多いの前提だから、まあそれでもいいのかなあって感じか。

雑感

ちょっとから始まった、読み切り&新連載ラッシュ。一つ一つ感想書く気力もなかったので、全体的な感想として。

ギャグ漫画コメディ系のは軒並みイマイチ。酷い出来ってわけではないけれども、特筆して評価できるようなところもほぼない。私は、プロットが録になくて設定したキャラだけで何とか体裁を成そうとしている漫画を「キャラ漫画」とかいうことがあるけれども、概ねそんな感じだった。

別にキャラクター描写に傾倒すること自体ダメってわけではないんだけれども、デザイン性格などの設定の羅列で終わってしまっているのがダメで。漫画キャラ大事ってよく言われるし実際その通りではあるけれども、その認識が甘いというか。本当の意味で魅力的なキャラクターってのは、テーマプロットなども包括してこそ。ドラマ言動説得力を生み、相関関係化学反応を起こし、そうしてキャラクターというものはより魅力的になる。

これといって大したことのない、何の捻りもないプロット面白そうなキャラクターを配置しても、とりあえずは読めるものになるかもしれない。でも、すぐに底が知れて陳腐になり、漫画の話含めてキャラクターにもすぐに飽きる。特に会話劇とかが中心のコメディは、作家の手癖だけで描くと冗長になりやすいから、よほど自信がない限りはプロットから作りこんだほうが良いと思う。


ストーリー系の漫画は、クオリティ的には概ね良好だと思う。それぞれ個性を出そうとしているのも窺えるし。ただ、いかんせん私的に刺さったものがないので、語れることが少ない。

あと持論だけれども、私は表面的な表現手法とかは評価に値しないと考えているんだよね。極端な例えだけど、4コマ漫画を読んで「コマ割が良い」なんて言ったら馬鹿みたいでしょ。だからそういった表現手法賞賛対象にもならないし、批判対象にもならない。どのようなテーマで、どんな構成セリフを紡いで表現するかってことがストーリー漫画においては大事なんだと思う。もちろん、表面的ではない表現手法に関しては評価に値すると思う。私個人がそれを評価できるかはともかく。


スポーツ系のもあったけれども、正直ありがちなスポーツ漫画読み切りだった。定型を何ら脱していない。王道的な構成と見ることも出来なくはないけど、私としてはもうこういうのはいいかなあ。

作品というもの絶対的評価大事だけれども、相対的評価大事比較対象が多い媒体なら尚更。既存のものばかりで構成されているのなら、より洗練されていて欲しい。それが出来ないというのなら、(クオリティの良し悪しはともかく)せめて新しいものを。どちらも出来ていないなら、語るに及ばず。

2017-08-25

なんで24回払いを選ぶんだろう。

買う側も、売る側も。

18ヶ月経つ頃には陳腐スペックになっていて、あと半年も同額のお金を払い続けることが馬鹿らしくなると思うのだけど。

https://anond.hatelabo.jp/20170825092519

3周くらい周回遅れのタイミングで100回くらい書かれたであろう糞陳腐なことを

考察」とか言って書くのってどんな気持ちなの?恥ずかしくないの?

まあ恥なんてもんを知ってるんなら広告マンなんてやってないか

2017-08-24

正確に増田知らせる電子レンジん玲凍ん出る螻蛄子出す魔に句会世(回文

毎日

野宮真貴東京の夜が7時になったことを

わりと正確に知らせてくれてて笑っちゃったわ。

おはようございます

ぴ、ぴ、ぴ、Eテレ

ってあの声小泉今日子だったのかよ!って。

わりと正確にあれも知らせてくれるわね。

でもさ、

電子レンジで温めるとき

絶対チンまで待てなくて途中で開けちゃうわよね。

でもまだその状態だとタイマーが終わってないから、

強引に手で戻してチン自分で鳴らしちゃったり。

手で回すつまみのチンって鳴る電子レンジって

どんだけ古いんだよって話よね。

まぼろしー!

そんなわけで、

電子レンジで温めることを

チンするって言うのはもはや陳腐だわ。

昔使ってた電子レンジ

終わったら電子メロディーが流れてくるんだけど、

なんか不協和音気持ち悪くて、

説明書見ると音が変更できると言うことで、

ただのブザーに変えたわ。

その後窓から放り投げて捨てたけど。

なにしろ電話の保留音と紛らわしいのよ。

直木賞作家説明書書いてもらったばりに

坂本龍一電子レンジの音作ってもらいましたって

それってセガサターンかよ!って

まあよく分からないけど。

夏休み実家に帰ったとき

兄の部屋を物色したらゲームボーイが出てきたので

電源入れたら付いたかビックリよ。

起動音のピキーンって音。

もうZ戦車スーパーミサイル最初から配置してある

あの最後マップが未だにクリア出来ないわ!

そんなわけで

私も正確に時を伝えたいと思うわ。

今だいたい9時前よ!


今日朝ご飯

ヒーコーで美味しいのないかと思ったけど、

いつもの缶のボトルヒーコーブラック

もう今年はブラックコーヒーに見える微糖のパッケージの缶には騙されないわっ!

そんな美味しいコーヒー

玉子とポテサラサンド

ポテサラの謎は深まるばかりよ

感染経路が未だ洗い出せてないみたいよ。

バイオハザードだわっ!

デトックスウォーター

グリーン緑茶ウォーター一点張り

当たり前だけど、

茶葉は保存が利いて助かるわ。

果物ものから野菜系もしかり、

今の時期は傷んじゃうのよね。

水出しだからフレッシュよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-08-20

言葉にする恐怖

言語化することで、「こんなもんじゃないはず」ってもの言語によって陳腐化してしまう恐怖がある。

それが言語化に躊躇いを産んでいる気がする。

そのため、言語化力が伸びず、「こんなもんじゃないはず」状態から脱することができない。

確かに実際言語化によって捨てられてしまものもある気がする。

けど、結局言語化しないとちゃんと認識できない。「こんなもんじゃない」もの意味をなさない。

から言語化をしよう。最初は色々切り捨てられるかもしれないし、歪められるかもしれない。

でも繰り返していけば、言語化が上達していけば、切り捨てる量も歪められる幅も小さくなっていくはずだから

2017-08-17

オッス!オラ小説家になるのが夢のどこにでもいる普通増田

でもここ15年で書いた小説未満の駄文は全部合わせて100行未満!

それなのにいつか小説家になれると思ったままなんだからオラワクワクすっぞ!

マジで唐突覚醒していきなり文庫本1冊分ぐらいならアッサリしあげてそのまま芥川賞GETとか思ってるのかねオレは。

流石にいい加減現実見ろよと思うんだけど、こんなくだらん妄想でも将来に対して何か明るいビジョンを持っておかないと人生が嫌になって電車ダイブかましそうだ。

俺を発狂させないためのストッパーになるからって事で、実現する気のない夢を見続けているのかも知れないな。

夢を実現させるのが目的ではなくて、夢を見ること自体目的となっているという歪な姿が俺の諦める理由はいくらでもあるのに諦めるとは到底思えないこの夢の正体なのか。

なんだそれ……

聞かせる奴によっては

アドラー心理学は本当だったんだ!」

とでもほざかれそうなレベルで滑稽な手段目的過程と結果の逆転現象が起きてやがんな。


はい

今更現実を見て現実的な夢(人生の目的目標)を探そうとした所で、何か見つかるとも思えないな。

日本百名山制覇?

山登り自体面白いとは思えないのでヤマノススメオタクにでもおまかせします。

軽く漫画練習してツイッターで白ハゲ漫画描いてチヤホヤされる?

承認欲求には飢えてますが飢えてるなりにグルメですのでそういう担がれ方はちょっとね。

グルメグルメツアー

今更頑張ってもそんなお金が稼げるとは思えませんね。

お金稼げるように頑張る?

頑張りたくない。

安くて美味いお菓子を沢山食べる?

ラーメンレビュワーみたいに体を壊すのがオチ

健康的な体づくり?

頑張りたくない。

小説家になるためにまずは本を沢山読む?

実は本はあまりきじゃない。

往年の名作ゲームの制覇?

ゲームも飽きてきた。

アニメドラマ映画ライブやその他もろもろ?

大体どれも飽きてきた。

恋?

恋愛物の過剰摂取でそれも飽きた。

友達100人

人付き合いにももちろん飽きてる。

この人生は本当に何がしたいのか。

多分もう何もしたくないんだ。

一度ゆっくり休みたいんだと思う。

小説家になってチヤホヤされたいってのも、人生をやりきって1人の人間分として十分な結果を出したと自分に言い聞かせたいんだと思う。

それと一度ゆっくりしてそのまま再起不能になっても問題ない程度の金を手っ取り早く手に入れたいのだろう。

人生に疲れてるんだ。

とにかく一度休みたいんだ。

今の世の中は俺たちが想像してる異常に競争社会なんだろうな。

いつだって結果を求められる。

休んでいる間すら、何か仕事の役に立つヒントは掴めたのかと問いただされたりする。

休み方にすら有意義であること、リフレッシュしきる事、休み明けからバリバリと働けることが求められる。

とにかく疲れる。

まらない。

どこまでも休まらない。

一度冬眠したい。


もしもこれが一人プレイゲームならとっくの昔に一度セーブして別の事をやっているだろう。

レベリング疲れたRPGや、クリア後のトロフィー集めにウンザリしたゲームからそっと距離を置くように、そこから離れて別の事をやりたい衝動でウズウズする。

もしこれが本ならば一度閉じて別の事をしているだろう。

ビデオだったら一度TVごと電源を落としているはずだ。

小説家を目指してると言っておいて実際は全く書いて無い奴らしいありきたりな表現だと自分でも思うけど、表現のしかたはともかく気持ち的には本当にコレなんだ。

一度人生から丸ごと離れたい。

寝ている間は人生のことを忘れられるはずなのに、夢の中でもふとそれが夢であることに気づいた途端に自分本体現実に有り、そのハードウェア上で動くソフトウエアとして夢が存在しているという事実に気づいてしまう。

眠っている時間は休んでいる時間であり、それはつまり、休んでいる時間にしっかり休んで仕事等で結果を出すための準備の時間として扱われてしまうのだ。

夢の中にいる間すら完全に現実からは切り離されていない。

現実バリバリ頑張るために必要クールダウンに過ぎない眠りの時間は、結局は現実の一部のままなのだ

夢から醒めて現実から帰ってきたとき、再び二度寝する事も出来ないわけじゃない。

仕事場に一度電話を入れたり、そもそも休日だったりすればいいだけだ。

でもそうじゃないんだ。

二度寝して三度寝して四度寝してトイレに行って少しお腹を満たして歯を磨いて五度寝して……それを百億回繰り返してもまだ百億一度寝が出来る状態を俺は求めてるんだ。

実際に百億回二度寝がしたい訳じゃない。

無限に休んでも何ら咎められる事がない、完全に人生時間が止まった休憩時間が欲しいんだ。

でもそんなのは手に入らない。

だけど金を沢山持ってセミリタイアをしてみせたのならそれに近いことは出来る。

でもただ金を持ってるだけじゃケツ吹く紙にしかならなくなった時に困る。

からそんな時でももう一度金を作れるような力が欲しい。

それと単に沢山金を手に入れるんじゃなくてしっかり人間社会に貢献したという形で金が欲しい。

そうじゃないと何だか納得できない。

納得できない状態で何もしなくて良くなると、自分のような弱い人間はきっと自分を苛め抜いて自滅するだろう。

から正当な理由で金を手に入れたい。

たとえ金の価値が何度暴落してもそのたびに何度でも金を手にするような力が欲しい。

そんな方法として、何か自分にも出来るような物として、自分小説家で億万長者という幼稚園レベルの夢を見たのだろう。

小説文章を書くだけだからもしも俺が超天才だったなら才能が覚醒さえすれば(どんな前提だ)、億万部だって楽勝に達成できる。

から俺は小説家になりたいと思ったのだろう。

意味不明だ。

冷静に考えると意味不明過ぎる。

だけど意味不明な物に根拠のない自信を持つと逆に理屈が通ってる気がしてくる。

スポーツや絵と違って才能の無さを証明するのも難しいという事が一役買っている面もある。

とにかく俺には夢が必要だったんだ。

滅茶苦茶でもいい。

いつか思いっきり休んでも問題ない日がやってくるという夢が。

その夢に向けて歩もうとする気力すら無いけど、その消えかけの気力を夢が支えているんだ。

何がどうなってそんな事になっているのかもう分からんけど、俺の心はいつの間にかそういう構造になっていたようだ。


最初に言ったけど本当にこんな奴どこにでもいると思う。

小説家で億万長者という夢は実に陳腐だ。

とにかく休みたいという願いを持ってる奴も沢山いるだろう。

だってこの世界は余りにも心が休まらなすぎる。

天国の話に人が惹かれるのは、そこで幸せになれることよりも、そこに行けばもう頑張らなくてよくなるからなのかも知れないな。

ただ単に頑張らなくてよくなりたいだけなら死ねばいいけど、死ねば頑張らなくてよくなった自分観測出来なくなる。

それだけじゃない。

死を感じれば本能自分に頑張れ頑張れと命令してくる。

それを無理に捻じ曲げれば自分の中から出てくる言葉自分いつまでも切りつけてくるようになる。

それじゃ結局辛いから頑張るしかなくなる。

そういったシステムから脱するには、肉体を捨てた上で観測者としての意識を残して、努力不要とする世界に行く必要がある。

なるほど天国ってのは本当に理想だ。

しかしたら俺は小説家なんて目指してないで(全く書いてないくせによく言う)、神にでも祈るべきなんだろうか。

でも流石に話がうますぎるな。

よく出来ていすぎるからリアリティがない。

ご都合主義臭いがしてならない。

小説家を目指してるせいで見え見えの作り話に見えちまうぜ。

やはり現実を見るしかないな。

現実を見て、小説家を目指す夢を追い続けよう。

反戦教師ノイジーマイノリティ

もう最近の話ではないけれど、

東京メトロPRキャラクターデザイン所謂萌え絵に変わったものが発表されて

それが炎上した話があった・・・よね?

しか萌え絵なんかに対して嫌悪感を示す人は一定数いるだろう。

それを批判するつもりなんて毛頭ない。

僕が言いたいのは、

果たしてわざわざクレームを入れる必要があったのか」

という事である

著しく倫理的でないとか、

重たい心理的苦痛を与えるとか、

そんなものがあるわけでもないのになぜ排除を求める必要があったのか。

大学の頃、反戦平和講義を受けていた。

(別に興味があったわけではなく、取得単位関係)

基本的大学講義とも思えない陳腐な内容であったし、

自身サボりがちであったから、

講義の内容なんてほとんど頭に残っていないけれど、

1つだけ頭に残っている思い出がある。

その回の担当講師は、アメリカ人反戦派の男性だった。

平たく言えば人類の多くは反戦派だろうけど、

この人は世間一般に比べると強硬派だった。

講義の中で、その講師は一つのエピソードを話した。

内容としては、

サバゲーサークルのビラを撤去させた」ということだ。

反戦からどうやってビラの撤去というゴールに繋がるのかというと、

彼曰く、

『銃のような人殺し武器兵器を遊びで用いるのが許せないから』だそうだ。

確かに、PTSDという言葉が有名なように、

たとえ本当に殺傷能力が無いとしても、

ただ形を模しただけのエアガンモデルガンを見ただけで

著しい心理的苦痛が巻き起こされるような人はいる。

しかし彼にそんな症状はない。

「嫌い」というだけだ。

彼は「嫌いである」故に、

何の罪もない学生の作ったビラをわざわざ撤去させたのだ。

僕の大学では、サークルのビラは掲示板以外での掲示が許されていない。

それ故に、ビラが目に入る場所なんて決まりきった、ごく一部の場所に限られている。

それならせいぜい前を通りかかるときだけほんの少し目をつぶればいい話だ。

ビラは彼一人の意見によって撤去されたという。

一方、ビラを作成したのはとあるサークルで、複数人学生が関わっていることは明らかだ。

しかも何の落ち度もない。

彼のやったことはあまり力ずくではないだろうか。

平和主義であるのに、自分意見のみで相手を捻じ曲げるとはこれいかに。

CMだってしょっちゅう内容の変更や放送の中止がある。

もちろん一般的に見てもアウトなないようもあったとは思うけど、

その多くは、あのアメリカ人講師のような、

所謂ノイジーマイノリティに殺されたものが多いんじゃないだろうか。

世の中には思ったより多くの人間がいる。

自分が気に入らない物にも、それを好きな人はいる。

気軽に排除を求めるべきではない。

自分の好きなものがこの世から消えたらどうする?


P.S.

そういうクレームを受ける企業側としては、

やはり客商売である以上迎合する必要に迫られると思う。

からこそ僕らの方が、そういう暴力的否定排除をしないように努める必要があるんじゃないだろうか。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん