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はてなキーワード: 陳腐とは

2024-07-26

舞台装置の逆ってなんていうんだろう?

これ

六年目の浦島太郎

https://comic-days.com/episode/2550689798785618132

 

こういう作品一人称的で、主人公は内心を述べる役

そして母、恋人友達主人公を曇らせる役で、ある意味物語の進行のため、逆算的に生み出された舞台装置的なキャラと言えるかと思う

舞台装置キャラステレオタイプのような行動をして、主人公ストーリー上望ましい状態に導いていく

 

でも、妹は最後舞台装置になっていない

第二の主人公みたいなポジションになってる

こういう存在ってなんていうんだろうな

 

こういう存在

自分意思が強く、予定調和の(ステレオタイプのような)行動をしない

・意外な行動をすることで物語を動かす役

あらた視点を与える

みたいな感じ?

 

例えば、この漫画では母や恋人主人公に影響を与えてはいるが、本音がどうだとか視点を与えるようなことをしていない

そのため、最終的に主人公と妹の話になっている

 

個人的に、主人公舞台装置しか居ない作品ってのは陳腐しんどいと思っていて

舞台装置だらけになると、「作者が言いたいこと」「見せたいこと」があからさまになって妄想っぽくなるんだよね、SNSに上がってる主張系漫画に多い

この漫画の妹みたいに、一人舞台装置じゃない人を入れるだけで物語に厚みが出るのにっていつも思ってるんだけど

舞台装置じゃないソレ」に対する名前がないんだよね

ネームキャラみたいな?魂のあるキャラみたいな

 

___

 

かいこと言えば妹も舞台装置と見なせなくはないのは確か

週刊漫画とかがどうなってるかと言えば

そもそもシーンによって主役を切り替えるから一人称漫画になってない

でもそうなると、主役が今度は舞台装置化していくし、主義主張から作者の癖が透けて見えてくるとか没入感が減るとかデメリットもある

 

この漫画で気づいたけど、一人称漫画に1人イレギュラーな動きする人いると爽快感あるね、ヒーローみたいな感じ?

あ、でも普通ならそれを恋人にしちゃいそうだな、同い年になった妹にしたの上手いな、歩んだ時間の差を印象付けられるし

 

ーーーー

 

この作品上手いなと思ったのは、最初誰がソレなのか、あるいは主人公1人で解決するのかが分からなかったところ

個人的には母か恋人か、それか居ないかだと思ってたから(家族がどんどん老化していくとか)

妹が行動を起こしたのでおっと思った

よく見れば最初からフォーカスあててる

 

登場人物とも違うんだよなあ

母は登場人物だけど、「娘が死にそうになって延命する」っていう想像通りの動きをしてて、しかも敢えて母と向き合うシーンや心情の吐露もないから(妹にフォーカスするためあえてそうしたんだと思う)

2024-07-24

anond:20240724104217

陳腐スノビズムだよな。だから食通はろくでもないし嫌い

でも食は共通言語としてそこそこ通用するから社交的面している そういうところが嫌い

2024-07-23

anond:20240723111222

その数年で更新しないと陳腐化するだろ。

あとメンテ人員計算に入ってるかそれ?

 

平成の時の工業自動化はそれで頓挫したんだぜ。

いちいちライン組みなおすたびに、新しい機械買ってた工場破綻した。

人間ライン工は指示するだけでそこに行くのがいいよね。

2024-07-20

anond:20240720174803

性風俗暴力団犯罪組織が関わっているというのは、誰でもイメージつくのにネットの腐れミソジニーAV叩きを職業差別だの、女の自由意志侵害なんて陳腐擁護矮小化させたがる

金で人身売買することを恥とも犯罪とも考えない

性犯罪者片棒を喜んで担いでいる凡夫害悪

2024-07-19

anond:20240719091034

でも結局それも模倣されてしまうから「その絵で何を表現するか」が重視される芸術時代が来るのだろう

かつては文字を読み書きするのも特殊技術で、できるやつは特権を持っていた

でも誰でも読み書きできるようになって陳腐化した

一方で書道みたいな文化芸術として残ったし、言論小説SNSの発信も消えそうにない

イラスト生成もそうなっていくんだろう

リメイクして欲しいのは「あの頃の挑戦する気持ち」なのであって、当時と同じことをもう一度やられてもそれは本当に大事のものは失われたままなんだよね

たとえば『攻殻機動隊』の実写映画を見たときに一作目のアニメ映画を見たときのような未来感を感じることはなかったと思うんだよね。

「ようやく実写化できるぐらいには世界理解が追いついたか」ぐらいの感覚だと思う。

かにあいう「当時の技術では不可能だった映像化の実現」も面白いんだけど、それは当時の感動とは別物なんだよね。

つのネタで二度美味しいからいいじゃんって意見は分かるよ。

でもさ、「ビール一口目は一回しか味わえないんだから仕方ないんだよ」って言うには余りにも時間が立ちすぎていると思うんだよね。

こんなのにもいくつもの夜を超えた癖に一杯目の感覚をまた味わえないのはおかしいいと思ってしまうんだよな。

俺が思うにさ、リメイクされるような作品って当時においては画期的だったはずなんだよ。

でもリメイクするときにはそれが全部失われて陳腐化されていく。

画期的だった何か」を見せられることに何らかの共感を得て気持ちよくなれてしま人達がいるんだろうとは思う。

妖怪みたいに若作りしたベテラン俳優がなんだかんで少しずつ老けていくことに何らかの共感を得てしまファンのような心理が。

それを消費させるためにリメイクは作られていくんだろうな。

でも俺は悔しんだよな。

そこに使うリソースで出来たかも知れない挑戦の機会が、かって挑戦した誰かの姿を借りて奪っていく連中がなんだか卑怯に見えるんだよな。

単なる勝手錯覚なんだろうけどな。

2024-07-18

縞パン流行ブラウン管が廃れたのが原因だ

貧乳コンプキャラ、15年前の縞パンに似てる

https://anond.hatelabo.jp/20240718120400

上記文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラスト流行した縞パンを語りたくなったので書く。

ブラウン管が全盛期の時代1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツレースフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースパンツが好まれていたという訳でもない。CGコンピューターグラフィックスイラスト製作する側の都合が大きな理由だ。

当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性服装にはやたらとレースフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUIユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感表現できたのである

【参考】→ 『 「昔のドット絵ブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267

こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフト機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドット手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度わずか640x400しかなかったのだから

しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタ流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニック通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである

この頃にレースパンツに代わって流行したのが縞パンである

フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。

ちなみに、ラグビーユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。

レースパンツから縞パンへと、美少女イラスト流行が転換した時期は1997年だと私は考える。

美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeafアクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期であるエルフドラゴンナイトシリーズ同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart1997年)、こみっくパーティー1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツ縞パンが多かった印象にある。

1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1ゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲーム流行が「エルフPC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースパンツからLeafWindows液晶モニタアニメ調・縞パン」へと転換したこと象徴と言っても過言ではないだろう。

実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里アクアプラス所属)の作風が主流になったこから明らかなことだ。

インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツ縞パンであることが好まれるようになったのだろう。

とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列情報誌ぽよよんろっく渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことからインターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。

そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクパンツ縞パンとされた訳でもないのに、ファン勝手縞パンイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。

ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおんアニメ1期の6話である文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒ししまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンである隠喩的に表現するシーンがある。パンツのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パン認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。

【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929

2024-07-13

AIでも何でも、便利な道具があればどんどん使えばいいと思う

『もう人間絵師イラスト発注なんかしたくない!AIイラスト最高!』(anond:20240711135913)が思ったよりもバズった

イラストレーターの契約問題についてTogetterで見たのをきっかけに興味を持って、これをネタ釣り増田を書けばバズるだろうなと考えたが、まさかここまでうまくいくとは思いもしなかった

著作者人格権の不行使契約というアイデアを入れたのが、バズに大きく加担したのだろう

ちなみに私はAIイラストのことはよくわかっていない

使い方すら知らない

使えたら便利だろうけど、仕事では著作権フリー画像いらすとやイラストパワポ資料に使っているだけだ

とはいえ元増田の全部が、釣り目的創作文という訳ではない

ビジネス上のコミュニケーション普通に失礼なくやってくれというのはまさに私の本音である

私の職場テンキーをすさまじい速さでタイピングしているスキンヘッドアラフィフ中年男性がいる

しかし、テンキー以外のタイピングは遅くて他の仕事も遅く、言われたこと以外はやらないし挨拶もしないというダメな人だ

先輩社員によると電卓検定三段を保有していて昔はすごく仕事ができる人だったけど、パソコンエクセルが普及してからダメになったとのことだ

人より秀でた技能を持っていたとて、新しい技術が導入されればこのような羽目になってしまもの

イギリスからまれ産業革命では、新しい機械技術によって多くの単純労働者仕事を失う羽目になったことだろう

日本でも新技術雇用を奪ってきたことは歴史上明らかだ

例えば千歯こきが発明されると後家殺しと呼ばれて、後家未亡人)の脱穀仕事は奪われたという

労働者が自らの稼ぎを守るためには、労働の原点に立ち返らなければならない

それは労働契約によって賃金を得ることだ

すなわち賃金を払ってもらいたくなるような人であり続けることが、労働者にとっては肝心だ

からこそ、雇用主が快く賃金を払ってくれるようにコミュニケーション力を高めなければならない

これは何も雇用主に媚びろということではない

雇用主だけでなく取引先だったり上司や同僚や部下だったりと、一緒になって働く人との円滑なコミュニケーション必要ということだ

イラストレーターのように雇用されずに働く人だって取引先とのコミュニケーション必要なのだから、そこに違いはないはずだ

ちょっとやそっとの技能を持って天狗になったとて、技能陳腐化されたらすぐに使い物にならなくなるもの

陳腐化された技能を引きずっている不愛想なスキンヘッド中年男性になったら人間おしまい

2024-07-12

anond:20240712214853

多分作った人にとってあの非難は誉れじゃないか

次に同じようなものネットに出したら

もう見たとか、陳腐とかよくあるとか言われてバズりもしない

それがゲージツ

anond:20240712213505

正直元増田は「嫌いじゃないけど陳腐だなぁ…」という感想で、

他の増田増田で言ってるように、

中高の美術部や美大美術専門学校の1〜2年生の作品には掃いて捨てるほどあるコンセプトなんだよね

あの発想もあれが刺さるのも多数派だと思う

ただ、絵じゃなくて、食器にして醤油入れて撮影してSNSに流す、は思い付いても実際にやる人は少ないか話題になったんだろうけど

で「社会的に正しくない」「作るのやめろ」とかいう、作者の創作や公開の権利剥奪すべきと主張してる人ってまじで見当たらないんだよね

自分に見せるな(流れてくるな)」と主張してる人は結構いるけど

地方文化欠乏症

「いや、地方にもちゃん文化はある。君の言ってるのはエンタメ文化だ」

みたいなこと言ってるやついるけど

まずほしいのはエンタメ文化だろ、無いの認めてんじゃん

次にほしいのはアイデンティティ

せめてほしいのが遊び

 

エンタメ文化が無い問題

これも幾つかに分かれると思う

芸能

文化拠点

娯楽施設

観光資源

 

芸能文化拠点は正直東京とか、ごく一部の都市部しかない

100万人とか人口が居てようやく成り立つ代物ってのはあるんだ

これはあったらいいなと思うけど、無い物ねだりが過ぎる

 

娯楽施設観光資源の不足は嘆きの原因の一つだと思う

遊ぶところがない、昔はそこそこあったという現実がある

レジャーの減少や、娯楽のデジタル化・インドア化、不景気少子化などによって

老人が住む地方みたいな「つまらない街」になってる

都民は何も無い陳腐住宅街想像すると分かりやすいだろう

 

アイデンティティがない問題

ベッドタウンなんかは、そりゃ歴史祭りほとんどない

あったとしても、自分とは繋がっていない

せめて素敵な観光資源があれば誇れるんだろうけど、多くのベッドタウンにはそんなもんない

これらも、地元では繋がっていたとか、昔は名産があったとか、地域の色があったとかあっただろうけど

 

どこに言っても同じ問題

今はチェーン店時代

どこへ言っても同じだから、非常に空虚になる

これは共産主義国画一的な町並みに近いと思う

ただ生きるための施設必要最低限の建物、何も無い公園

遊びがないんだ、生きるのに必ずしも必要じゃない何かがない

それを総称して「文化」と言ってるんだと思う

 

 

まあ原因は画一化、少子化デフレだと思うけどね

東京のいいところは、個々人は薄いんだけど、人数が多いから変なやつ・変な店・変な施設がたくさんあるところだよね

あと町ごとに結構色があるのもいい

2024-07-11

あと1年ちょっとで30歳になる

夏で29歳になる。

フリーランス3年目、都内在住、貯金額1800万あるかないかくらい。

大学生の頃思い描いていたアラサーおねえさんと、重なるところもあればてんで遠いところもあるけれど、それなりに理想的暮らしをしている。

一応恋人いる、学生時代から憧れていた仕事をしている、そこそこお金にも余裕はある。

結婚願望はない。会社員の頃はあったが、自営になったことがきっかけで、「しなくてもやっていけるかも」という考えにかわった。要するに経済的な支え目的結婚がしたかったのだ。

つかずはなれずでうまくやってきたつもりだったが、昨年あるきっかけでほぼ親と絶縁した。元々、かなりど痛い毒親だったのでしょうがいかなと思っている。それもあってますます結婚には縁がないんだろうな」と思っている。

学生の時から続けているマンガ投稿は、何度か賞をかすっていて、あと何回か頑張れば手が届きそうだ。けれど、毎回、原稿に手をつけるまでは「一体何を書けばいいんだろう」」「そもそもいままでどうやって働きながら描き上げてきたんだ、、、」と頭がまっしろになる。

いまもそうだ。

創作はある程度現実に不満がないとモチベーションが湧かないものだ、とはよく言われている。陳腐だ。学生の頃は、たくさんの不満が転がっていた。

思うような可愛さの自分ではないこと。

就活がうまくいかないこと。

なんとなく周囲から下にみられて、なめられていると感じることが多いこと。

漠然とした将来への不安

周囲へのやっかみ、僻み、そねみ、妬み、羨望、皮膚が内側から爛れるほどの、ひりひりするような憧れ。

さすがにおとなになり、そこまでの不満はなくなってきた。正確には褪せてきたし、お金解決できる部分も多かったように思う。

やりたい仕事もあって、やりたい趣味もハッキリしていて、もう、失礼なことを言ってくるような知り合いは周りにいない。仲のいい友だちとだけ、つるんでいる。

でも、時々、ひまになると、「しにたいなー」と思う。大学生の頃から希死念慮が湧くのは全く変わらない。頻度が落ちない。恋愛関係メンヘラ起こさなくなったくらいだが、だからといってしにたくなくなるわけでもないらしい。特段、生活には不満がないのに。

結婚して誰かと住んでにこいちになれば、あるいは子育てをすれば、希死念慮なんて感じる暇もない、もしくは蓋をできるんだろうか。

あと1年ちょっとで30歳になる

夏で29歳になる。

フリーランス3年目、都内在住、貯金額1800万あるかないかくらい。

大学生の頃思い描いていたアラサーおねえさんと、重なるところもあればてんで遠いところもあるけれど、それなりに理想的暮らしをしている。

一応恋人いる、学生時代から憧れていた仕事をしている、そこそこお金にも余裕はある。

結婚願望はない。会社員の頃はあったが、自営になったことがきっかけで、「しなくてもやっていけるかも」という考えにかわった。要するに経済的な支え目的結婚がしたかったのだ。

つかずはなれずでうまくやってきたつもりだったが、昨年あるきっかけでほぼ親と絶縁した。元々、かなりど痛い毒親だったのでしょうがいかなと思っている。それもあってますます結婚には縁がないんだろうな」と思っている。

学生の時から続けているマンガ投稿は、何度か賞をかすっていて、あと何回か頑張れば手が届きそうだ。けれど、毎回、原稿に手をつけるまでは「一体何を書けばいいんだろう」」「そもそもいままでどうやって働きながら描き上げてきたんだ、、、」と頭がまっしろになる。

いまもそうだ。

創作はある程度現実に不満がないとモチベーションが湧かないものだ、とはよく言われている。陳腐だ。学生の頃は、たくさんの不満が転がっていた。

思うような可愛さの自分ではないこと。

就活がうまくいかないこと。

なんとなく周囲から下にみられて、なめられていると感じることが多いこと。

漠然とした将来への不安

周囲へのやっかみ、僻み、そねみ、妬み、羨望、皮膚が内側から爛れるほどの、ひりひりするような憧れ。

さすがにおとなになり、そこまでの不満はなくなってきた。正確には褪せてきたし、お金解決できる部分も多かったように思う。

やりたい仕事もあって、やりたい趣味もハッキリしていて、もう、失礼なことを言ってくるような知り合いは周りにいない。仲のいい友だちとだけ、つるんでいる。

でも、時々、ひまになると、「しにたいなー」と思う。大学生の頃から希死念慮が湧くのは全く変わらない。頻度が落ちない。恋愛関係メンヘラ起こさなくなったくらいだが、だからといってしにたくなくなるわけでもないらしい。特段、生活には不満がないのに。

結婚して誰かと住んでにこいちになれば、あるいは子育てをすれば、希死念慮なんて感じる暇もない、もしくは蓋をできるんだろうか。

2024-07-10

白物家電の黄ばみ、メーカー対策しない理由

生活家電あるやん、洗濯機とか冷蔵庫とか。

色、白いか白物家電とも呼ばれる。

白いのは清潔感出すためやろうけど、数年も経てば黄ばんで汚なくなりよる。

清潔なはずやのに汚ぁなる、どういうこっちゃ。

黄ばまんように耐性のある材質にしたり、白以外の色にしたり、他にも方法あるっちゅうのに対策講じてるの少ないやろ。

メーカー何やってんねんってと思うやろ。

あれなんでか分かるか?

あれはな、汚なぁ感じるようにして買い替えを促すためや。

普通白物家電は買ったら壊れるまで使うもんやろ。

テレビパソコンやったら、次々に性能のいい製品出して技術的に陳腐化させたり、2台目3台目の買い増し需要促したりできるけど、白物家電はそうはいかんのや。

かといって、すぐに壊れる製品作ったら評判悪なるやろ。

から、わざと対策立てんと黄ばませて汚ならしく見せるようにして買い替えを促してんねん。

関西大手家電の人が言ってはったから間違いないんやで。

anond:20240710042553

見てないし見る気も無いけどここら辺の感想見てるだけで

(ああ、いつものクソアニメだったんだな…)って悟ったわ

作画崩壊陳腐演出、低クオリティー、キャラキモい浅薄テーマ性。稀に見る駄作だったんだけど、劇場版SEEDはなんであんなに高評価されてるの?

SEED FREEDOMまらなかったなぁ。ハサウェイの後だし尚更クオリティ差を感じる

シードフリーダムは良くも悪くもシードだし、エロ暴力勧善懲悪一般人映像娯楽に求めてるものてんこ盛りでこういうので良いんだよ。さながら安くてうまくてドカ盛りの定食屋の飯みたいなもんなんだから

悪い意味20年間一切成長出来なかった作品なんだな、と

2024-07-08

anond:20240708151211

いつも陳腐分析を嬉々としてその書き込んでいるね

2024-07-07

なんとかドリーム時代によって変わる

90年代少女マンガにはロックアーチストと恋に落ちて、みたいなマンガがけっこうあったと思う

今読むと陳腐だ もうそんな時代じゃないか

今読んだマンガ主人公が服の小売業

周りの友人やら同業やら恋人やらと服の話を絡ませては人間模様のドラマと言った感じ

こんな話はどんな仕事をしていてもどこにでもある話だろうが、その舞台下北沢の服屋なところは時代的な流行りかなと

けどこれいつ頃のマンガだろう

下北沢セレクトショップ店員がオシャレだった時代 

もはやそういったことに疎くなって長いので分からないけど、この作品もまた少し前の時代のものなんだろうか

2024-07-05

暇空茜の戦略研究について

◎:序論

 結論を先に述べると、そろそろ彼自身、みずから戦略リベラル側に受け止められ模倣される時期になったのではと推察する。

 筆者は暇空茜がWBPCという攻撃目標に、攻勢の利を取れる限界が迫っており、彼がこれ以上の法廷闘争は泥沼化することを、内心で実感しているのではないだろうかと感じる。

 東京都知事選挙というスポットライトある意味で、彼がカリスマ性を維持できる最後の挑戦であり、体制に対する王手をかける最も効果的な一手なのだ

 確かに彼はナポレオンであるが、東京都知事選挙ライプツィヒの戦いである

 つまり、彼の手法陳腐化する前の最後の灯といって差し替えない。

 事実、彼は窮地に立たされている。

 だが、その窮地に立つこと含めて、彼の戦略であると筆者は考えている。

 ついては、今が政治におきようとしているパラダイムシフト理解するために、彼がとった戦略をここに考察したい。

 いうなれば、これは手品の種明かしであり、十分彼の行動が必ずしも属人性によるものではない、ポピュリズムのもとに流用可能な「手段であることの証明である

 本論は、彼の手法を流用する「攻勢策」と、彼の手法に対抗する「防衛策」に分かれている。

 防衛策に関しては、以降、noteでの有料販売を予定しているので論外とさせていただく。

 悪しからず。

◎:本論:暇空茜の攻勢策について

 結論を述べると、暇空茜の基本戦略は二つの柱で出来ている。

 筆者はこの二つを纏めて「勇者戦略」と呼称する。

 一つは「攻勢の利を活用し、組織の不平な脆弱性積極的攻撃すること」

 二つは「積極的ゲリラ戦略の活用である

 WBPCへの攻撃第一手法石丸候補への訴追や都知事選に第二の手法が用いられている。

 これら二つの柱を併用する「勇者戦略」を活用することで、彼は都知事選という一見無謀なステージに足を踏み入れることができている。

 2024年現在ポリティクスに対しては、どちらも有効戦略であることを認めたうえで、これらの手法解説をしていこう。

▼:第一手法

 第一手法である「攻勢の利を活用し、組織の不平な脆弱性積極的攻撃すること」は、本来ポリティクス側の基本的なドクトリンである

 彼は取った手法も、古典的ジャーナリズムの手管に端を発するものであり、特段解説することはない。

 本来議会マスメディアという単位で行う追求を、個人として行っているに過ぎない。

 その例外的非対称性が、攻勢策として極めて有効効果を発揮していることは事実である

 彼は交渉を行わず業績を絶え間なくアピールすることで、SNSという構造に対する優位性と属人性によらない一定支持層を両立している。

 既存政治組織マスメディアにとって、これは幾分困難が付きまとう手法であり、戦略手法としては斬新なアイディアであることを認めるべきである

 だが、戦術レベルで見ると、むしろ常識的レベルを外れることは何一つ行っていないことも補記しておきたい。

▼:第二の手法

 第二の手法である積極的ゲリラ戦略の活用」 は、第一手法と合わせて最大の効果を発揮している。

 自らのステージ相手を乗せ、攻勢の利を生かしたゲリラ戦略的な対応をとることで、彼は防御側である体制に痛撃を与えている。

 2024年現在、多くの個人政治組織は、積極的ゲリラ戦略への対策有効に取れているとは言えず、悪く言えば、大分いいようにされている。

 これは、日本における政治分野へのゲリラ戦略の適用というテーマにおいて、暇空茜はパイオニアであるゆえに、致し方ないことであるともいえるだろう。

 ここ一年半、彼を見てきて思ったことは、「彼は歴史をよく勉強している」こと、そして「大抵の人間は準備なしに他者と論戦をすることはできない」ということである

 彼が特別優れているのではない、皆が特別劣っているわけではない。

 論戦を行うことに日々を費やしていない人間というものは、直接他人口喧嘩をすると大なり小なりボロが出るのだ。

 それを知っていて、彼は直接的な論戦という形態個人を壇上に乗せ、罠にかかった幾人かの犠牲を信用に変えて、論戦に乗っても乗らなくても自身存在アピールできる状況を構築している。

▼:暇空茜のSNS戦略

 ここで政治分野における個人の「積極的ゲリラ戦略の活用」 が、如何に革新的な事であるか読者に理解してもらうためにも、暇空茜のSNS戦略について考察しておきたい。

 一昨年、風雲児として現れた彼は、初めはただジャーナリズム行使して、特定組織の過失を公言する個人であった。

 それが徐々に、個人組織へと訴訟アピールしながら、思想家クラスターへと論戦を仕掛けるインフルエンサーに転じた末に、今の都知事選候補という立場まで躍進している。

 その過程で、彼は自らのコンテンツ化を図った。

 これは、自らの支持者を囲い込み、不平の公表と訴追という、自らの目的を果たすために問った行動であり、彼が行う行動に信任する人間を増やすためには最も効率的手段であったと言えるだろう。

 結果、彼は一定の支持者を確保したうえで選挙戦を開始し、無視できないパイを確保して今に至っている。

 ここまでは周知の事実であるが、我々が凡夫が着目するべきは、何故彼がこんな手段を取ったのかを、理解することに他ならない。 

 彼は個人組織と戦うために自らの攻撃力と防御力を最大化する必要があった。

 特定思想を実行するシステムとして個の奇襲力と攻撃力を最大化し、他者のありとあらゆる攻撃から身を守る防御力を最大化を行うための施策が求められていた。

 その前提を満たすために、暇空茜がとった回答が「積極的ゲリラ戦略の活用」という個人が攻勢の利を最大に生かせるドクトリン活用であると筆者は考察する。

 だから彼は、自らの業績を公表してアピールを行い、彼が行う行動に信任する人間を増やすことで自身攻撃力を最大化した。

 だから彼は、個人への論争を積極的に行い、対象社会的ダメージを与えることで、自身攻撃する組織個人を炙り出すことで防御力を最大化した。

 だからこそ、彼は、自らが都知事選出馬した選挙戦最中であろうと、レスバをしてスペースで話し合おうと対立した思想を持つ個人と論争を繰り広げなければならない。

 なぜなら、融和的な姿勢を取ることは、彼が攻撃的な姿勢を取る以上に自らの攻撃を増加し、自らの行動の一貫性を損ねることで攻撃力の最大化への支障に繋がるからである

 ゆえに彼が都知事選への参加を決めたこ自体が「積極的ゲリラ戦略の活用」 による、既存政治組織意向に対するの攻勢的な反撃であると同時に、自らを窮地に追い込む中でSNSへとアピールを行い、思想的に自らの攻撃力を最大化する選択肢なのである

◎:結論

 かくして、暇空茜は不平的な脆弱性攻撃するために、積極的ゲリラ戦略を活用する「勇者戦略」を以って、孤独な戦いを続けている。

 だが、その攻勢策は決して彼が嘯く「自分からできる」という、完全なる属人性に基づいた内容でないことは確かである

 彼個人としての命脈が尽きるかは、日曜日選挙当日にかかっている。

 だが、彼が作り上げた無敵の人LV100のような手法自体は、今後も研究されポリティクス的な活用を見ることだろう。

 筆者は、彼が行った「勇者戦略」は以後、多くのポリティクスの場で活用され陳腐化すると断言する。

 確かに彼は、ナポレオンゲバラにたとえてもよい革新的創業者だったのかもしれない。

 重ねて、暇空茜の用いた「勇者戦略」に対する防衛策に関しては、以降、noteでの有料販売を予定しているので論外とさせていただく。

 悪しからず。

2024-07-03

「わからない」が耐えられるようになった方が楽しい

anond:20240702122142

こういう言説って、とどのつまり「世の中のことに対して"わからない"状態であることが耐えられない」ということに尽きると思う。

自分の目で確かめられないのであれば、嘘に違いない」というメンタリティ科学対峙した結果、陰謀論に走る例なんかは最近お馴染みだよね。

例えば、写真みたいに見える絵に「これこそが真のアートだ」とか、抽象画に対して「こんなの俺でも描ける」みたいなコメントが付くのをよく見かける。

結局それも「分からない状態が耐えられない」「分からないもの評価されていることが耐えられない」( = 私に分かるものこそが本物なんだ)」という心の動きの表出なんだよね。


自分理解できるものしか認められなかったり、「世の中に分からないものがある」ということを受け入れられないことは、何かを理解しようとする努力放棄すること。

それは新しい知識視点を得る可能性を捨てることだし、現在地からそれ以上進むこともできなくなってしまう。(陳腐な言い方だけど)貧しいことだよね。


何が言いたいかっていうと単純に「分からない」を楽しめる方が人生も豊かになるんじゃない?って話。

今度の休み恋人現代美術を観に行って、わけわからん作品に対して、「ああいうことかな?」「こういうことじゃない?」って意見交換してみなよ。分からなくても楽しいよ。

ま、もちろん「分からないことに耐えない」っていうのも一つの生き方だけどね。

2024-06-30

anond:20240630095710

陳腐化はITは全てするので

陳腐化しないコアのスキル(競プロかいレベルじゃないCSの幅広い分野)は極めるなんて無理だし才能もある

インフラ陳腐化の速度が遅いし、バカには出来ないけど逆に言えばバカじゃなければ努力すれば出来る

特に今ならクラウドは設定できるだけで大きく稼げる分野だよ

俺は今はSWEだけど金だけならコスパ悪い

anond:20240630090622

何を「極めたら」いいとか言うやつはクラウドAWSAzureやっとけって話

以外は同感

そんな陳腐化が激しい領域極めたってしょうがないでしょ

2024-06-29

anond:20240629172728

性的な視聴覚情報陳腐化して非常に高クオリティのものですら無料になっていってる。

生身の相手との触覚体験が、サービスを買うと高額。そして独占と「相手から選ばれ愛される」はプライスレス

2024-06-27

響け!ユーフォニアム 3期12話の原作改変に対する原作ファン達の反応

原作およびアニメ最新話のネタバレ含みます。次回のアニメで描かされそうな部分はたぶん触れてないはず)

思ったより長くなったので簡単なまとめ

・一部原作ファン界隈の反応をずっと追いながら、ユーフォ3期を見てきた

・彼らは12話よりむしろ、それ以前の話の細かな変化に対する不満を募らせていた

・ところが12話の最大規模改編(勝敗の変更)については大好評で、この一手で一気に評価が逆転する現象が起きていた



前置き

ユーフォ3期最新話の改編回りがまあまあ話題になっていたので、Twitterの一部原作ファン界隈の反応を観察し続けてきた自分の見てきた光景について、ちょっと書いてみたいなと思った。

ここで書く原作ファン界隈(以下、「原作組」表記)は、原作・作者に対する熱心なファンで、思い入れの強さが「原作>>>アニメ」ってスタンスに見える人たち。

原作既読ファンの中でも濃度や比重はそれぞれだと思うので、あくまで一部界隈に限った反応ということでよろしく

ちなみに、なんでそんな界隈の反応を観察していたかというと、

自分個人としてもアニメユーフォの2年生編(劇場版「誓いのフィナーレ」 )が原作の良さを台無ししまくった残念作品だったことで、アニメ版を見る目が以前よりも少ししらけてしまって、比較共感出来そうな層の感想摂取たかたからという経緯から

自分も、おそらく原作組もほとんどが、アニメユーフォ1期の大傑作ぶりに魅了されたのがきっかけで作品ファンになったはずだし、

自分としては今でも、1年生編の範囲に関してはアニメの方が原作より好きなくらいなのだけど、

そんな素晴らしいアニメ1期2期を作ってくれたスタッフなだけに、2年生編の劇場版ホントがっかりしたのよね・・・。

「誓いのフィナーレ」に関する個人的な不満(本題じゃないので、読み飛ばして良いところ)

まず、1~3年生編の中で、2年編が一番群像劇感強くてTVアニメ向けっぽいのに、劇場版の短い尺に押し込めたせいで構成が歪になり、大事なシーンもカットされまくったこと全体がとにかく残念だった。

それに、尺が短い中でやらなきゃいけないという前提を汲んでもなお、省略されたことや改変されたことが許容できないシーンが数点あった。

特に一番大きいのが、秀一と久美子の交際停止タイミング関西大会前に変えて、理由もなんかふわっとした感じにしちゃったこと。

原作だと、タイミングラスト関西大会敗北後。気丈に振る舞っていた優子前部長が影で涙していたことを知り、しかもその優子・夏紀から直々に次期部長を託された久美子が、部活に全てを賭ける決意の証として別れを切り出す。秀一もそれを受け入れ、”恋人”じゃなく”部長”の久美子を支える決意をする・・・というめちゃくちゃドラマチックで大好きなシーンだったので、映画改悪されたこのシーン見たとき呆然とした。

そもそも原作のこのシーンから取って「誓いのフィナーレ」ってタイトルにしたもんだと思ってたからね。

他にも、原作の2年生編は続く3年編への布石をいっぱい打っている作品で、

●久美子が下級生の指導係としてお悩み相談に奮闘→翌年部長として慕われまくり、それがかえって真由を疎外してしま根拠

集団退部の苦い経験から、部の融和を何より重んじてきた優子前部長が、その反動で部の空気が緩んだことを敗因と分析→翌年、高坂ドラムメジャーの元でスパルタ改革する理由作りに

●優子や夏紀達が身を削って最後の1年部に尽くしてきた姿を描く→それを部長として受け継いだ久美子の重みが増す

・・・等々、3年編を盛り上げたり説得力を出したりするための「つなぎの一作」として非常に優れた作品だったのに、そういう要素がアニメ2年編では省略されまくり、そのせいでアニメ3年編にもそうした文脈が引き継がれなかったのがとにかく残念だった。

そんなこんなで2年編で一気に原作アニメ評価が逆転してしまい、待望のアニメ3年編開始にも以前ほどの熱量の湧いてこず、少し冷めた目線を共有するスタンスくらいの方が心地よいかなと思った次第。

一方で、2年編と違って、3年編に関しては個人的に原作に対しても不満・消化不良に感じた点が多かったりして。実は、「そのままアニメ化するより、なんか良い具合にアレンジしてくれないかな・・・」という本音を持ち合わせてたのも面もあったりした。

ユーフォ3期 11話までの原作組の反応

原作で全編に散らばらせていた月永求のエピソードを、1話ギュッ圧縮した改変は比較的好評で、

後は、アニメで謎に求×奏の絡みが盛られまくったことなんかは面白がられていたが、

それ以外は全体的に、「ここ原作の方が良かった」みたいにチクチク言われてることの方が多かった印象。

特に、不評が一気に顕著になっていたのが、直近の10話・11話の描写

一番多かった批判としては、アニメ麗奈原作に比べてブレすぎ、ナヨナヨしすぎ、久美子に依存しすぎに見える、というものだったと思う。

かに原作麗奈は良くも悪くももっと自分を貫き通し続けて、久美子への態度もドライだったと記憶している(あんなに繰り返し「久美子とソリを吹きたい」と言うのはアニメだけ。なんなら原作麗奈は真由とも仲良くしていたりする)

他は、以下のような不満点が挙がっていたかと。

・秀一の原作での見せ場が何点かカットされている

説明不足や改変で滝先生や奏辺りが原作より頭悪そうに見える

黒江真由の不気味さ、異物感が原作より薄い

原作であった「部活コンクール音楽とは」みたいな多様な観点が薄れて、「努力して全国大会で勝つ!」みたいな単純なスポ根ものに見えちゃう

石原監督)と花田脚本家)は全然原作理解できてない


特にアニメ原作より久美子×麗奈のイチャつき重視、久美子×秀一の要素は薄め・・・というのは以前からの流れだけど、

直近ではプラスして、麗奈キャラ自体原作より変わっちゃった感があったのも相まって、1011話辺りの久美子×麗奈描写はかなり冷めた目で見られていたように感じた。

ただ、自分もその感想に全て同調していたかというとそうではなく、

なにせ根っから判官贔屓体質なので、こうも「原作の方が良かった」という小言を見ていると、「いやここはアニメの方が良くないか」という点を探しがちになっていた。

例えば、10話で久美子が部をまとめるために演説する内容、タイミング原作から変更されていたが、「北宇治の仲間に話しかけるシーン」としては、自分アニメの方が良いなと思った。

原作では名無しの3年生達も、皆名前と顔を描き続けてきたアニメからこそ、「北宇治のみんなと最高の演奏をしたい! みんななら出来る!」というアニメ演説シーンは、全然陳腐とか思わず素直にぐっときた。黒沢ともよさんの演技が最高なのは言わずもがな、それを聞いてる皆の表情で泣けるんだ。この子達にも皆、部活に全力投球してきた3年間があったんだよなあと思いをはせてしま

一番批判されていた麗奈描写も、確かに原作の方が孤高な感じでカッコいいなと思う一方で、原作麗奈スパルタ指導や滝先生への批判を精力的に取り締まる描写はやり過ぎに感じた部分もあったので、アニメの描き方もこれはこれでアリかな・・・くらいの印象だった。

そんなこんなで、多少残念な点もありつつ、2年編と違ってそんなにアニメ版が悪いとも思えなかったので、原作組に対して、「そんなに悪く言わんでも・・・」「ここからアニメ版がめちゃくちゃ凄い描写をして、ギャフンと言わせてくれないかな」みたいな反骨心をどこか抱きながら、12話の放送を迎えることになった。

12話で起きた大逆転劇

確か11話の放送が割とすぐ後くらいに、12話のあらすじと一枚絵が掲載されて、

どうやら、12話では久美子と真由がソリをかけて公開オーディションするアニオリ展開になりそうだ・・ということが分かった。

その瞬間からもう、「これはヤバいんじゃないか」という、悪い意味でザワザワした空気が漂っていた。

原作を読んでいる人からしたら、最後オーディションで久美子がソリを奪い返すという結末を当然前提に入れている。

そのうえで、部員投票の対決という舞台を使って、「皆に肩入れされる側の」久美子が勝つ・・・という展開をどうすれば納得いく形で描けるのか、非常に想像するのが難しい。

11話までの描写アニメスタッフに不信感を抱いていた層からは「これ、『1期(麗奈vs香織先輩)のオマージュやったらエモいっしょ』くらいの感覚でやってないか? 」みたいに言われてたり。正直自分も、この展開に関しては不安の方がだいぶ大きかった。

そして迎えた、12放送当日。

からリアルタイムツイートを見てみると、オーディションが始まるまでは相変わらず不満の声が多かった。

「まーた麗奈が『最後絶対久美子とソリ吹きたい』とか言ってるよ。原作と別人じゃん」とか、

「真由にとってつけたような悲しい過去付与すんなよ。原作と別人じゃん」とか。

しかしそこから

久美子が敗北するというオリジナル展開、しかも決定的な一票を投じるのが麗奈・・・という大規模改編展開に突入した瞬間、空気が一変していた。

「うおおおおお!」 「まじかあああ!」 「やりやがった!」

みたいな、ポジティブよりの興奮した反応が一気にあふれ出していたのだ。

そして放送終了直後には、

「今回は素晴らしかった」 「こういうのでいいんだよ」 「今までの改変も腑に落ちた」 「石原花田見直した。すいませんでした」

みたいな手のひらクルクル感想投稿されていて、ある意味こっちの流れもカタルシスがあった。

ではなぜ、この展開が彼ら原作から絶賛されたかというと、

単に1期のオーディション大吉山の名シーンをなぞる演出が良かったとかそういう表面的なところだけじゃなく、この方が物語説得力がある、作品に筋が通った・・・と思わせてくれる作りなっていたからだと思う。

象徴的なのが、これまで批判されていた、「麗奈が久美子にベタベタしすぎ」 「やたらと繰り返す、久美子とソリ吹きたい発言」という要素が、「それでも、『演奏の上手さが絶対』という信念や、2年前オーディションの時の久美子との誓いを貫いて、真由とのソリを選ぶ」という、原作とは違う形で麗奈の気高さを描く展開の前振りとして機能していたこと。

これがやりたかったのなら、なるほど今までの改変描写理解出来る・・・と見直されたわけだ。

というか実は、11話の放送直後くらいから、

「ここから巻き返すには、もうアニオリ展開で真由に勝たせるしかないのでは」

「これで真由に勝たせたら手のひら返すわ」

みたいな、この改変展開になったら良いんじゃないかって予言していた人もちらほらいたのだ。

まさか本当にそこまで攻めた手を打ってくるとは思ってなかっただろうけど)

原作至上主義みたいな人からもそういう発想が出てくるあたり、少なくともアニメ版は最初からこの結末を正解とする前提で、そこに向かっていろんな描写を積み上げてきていたのだと思う。原作と目指すゴールが違うから、その過程違和感が生じることにもなるよねと。

そもそも原作アニメ両方通っている人は周知のことだけど、

アニメユーフォ最初の1期が原作にないオリジナル要素盛りまくりで、

麗奈と香織が部員投票オーディションで対決するくだりも、その際に久美子と「裏切ったら殺していい」と誓い合うくだりも、久美子が上手くなりたいと叫びながら橋を疾走するくだりも、全部原作には全くないシーン。

これらのシーンがあるかないかによって、初期の時点からもう原作アニメの久美子・麗奈パーソナリティは分かれてきているのではないかと。

アニメスタッフ別に原作理解出来てないわけじゃなくて、スタートの時点から違う解釈のものを描き続けてきて、それを貫き通したんだというのが自分の印象。

アニメ版では原作よりも、中3麗奈の「悔しくて死にそう」発言が久美子の原点であると度々主張していたり、

「上手くなりたい」 「特別になりたい」という価値観を強調し続けてきた。

からこそ今回の大一番で、久美子と麗奈に徹底した上手さ至上主義を貫き通し、

最後に改めて久美子の「死ぬほど悔しい」発言で決着させたことで、

アニメ版ならこの結末が正解だ」 「アニメ版でのテーマをやり通した」と納得させて、

これまで不満を表明していた原作ファンからも、「自分はそれでも原作の方が好きだけど、アニメ解釈もこれはこれで一つの形としてアリだ」みたいな声を引き出すまでに一気に挽回できた・・・のだと思う。

あとは、単純に今、「原作改変」に向けられる目が史上かつて無いほどシビアであり、

しかアニメユーフォといえば「くみれい」 「演奏シーン」が代名詞になってる節があるのに、

最後最後で、「久美子と麗奈全国大会でソリを吹く」という、無難にやれば3期最大の見せ場になっただろうシーンを、あえて外す。

その決断力、勇気に感服したという人もいたと思う。

もちろん、同じ原作既読者の中でも、

原作通り久美子に勝って欲しかった、普通に久美子麗奈の全国ソリを見せて欲しかったって意見の人もいるだろうし、その価値観否定されるべきでは無いと思う。

ただ、少なくともアニメ版の改変はちゃん意図のある、信念に基づく行為だったと思うし、

原作ファンの中にもそれを理解している、評価している人は少なからずいるよ・・・という話でした。

個人的にも、12話の展開は凄く好みだったし、納得したし、感動した。

ユーフォの1期2期は自分の生涯No.1アニメ作品になるほど心揺さぶられた作品だったので、これ作った人たちはやっぱり凄かったんだって、改めて3期でも感じられて良かったです。

あーほんと、2年生編だけもう1回アニメリーズで作り直してくれ無いかなー。

からリセットは無理でも、せめて夏紀先輩主役のスピンオフ小説と混ぜて、なかよし視点で2年編を描き直す・・・みたいな感じとかでなんとかなりませんかね。

anond:20240627164506

トラックに轢かれて転生すると、俺ツエーできちゃった設定は、

初めて作品化した人には確実にオリジナリティがあったはずなんなんだけど、

その後、あまりにも多くの人がその設定を模倣した話を作ったせいで、すっかり陳腐化してしまった。

一方で、水をかぶる女の子なっちゃう設定は、

ほとんど真似する人が出てこなかった。

この違いがあるんじゃないかな。しらんけど。

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