はてなキーワード: ポップカルチャーとは
これ言うの何度目か知らんけど、お前らが「AKIRAは画期的だった」と言ってるとき、本当にお前らが口にするべきは「童夢」の方だからな。
サイキック的な見えない力を扱うという漫画的な演出の最も原始的な部分を完成させたのが「童夢」。
ドラゴンボールのかめはめ波に代表される「古典的には『気』と呼ばれていたエネルギーを、肉体を経由することなく直接発射する」という概念が圧倒的に新しかった。
そういった「不思議な力」が一見弱々しいキャラクターの元で強く発現するというジャンルを作ったのも「童夢」だ。
「AKIRA」が洒脱さとビビッドさを織り交ぜたポップカルチャー的な造形において優れていたのは事実だが、そこに新しさがあったかというそうでもない。
多くの人が「AKIRA」に対して感じた新しさは、単に「童夢」をまだ通らず先に「AKIRA」を見てしまったことで発生したインプリンティングに過ぎない。
前衛的すぎた「童夢」を混ぜ物によって薄めて軟着陸させることでより社会に受け入れやすくしたのが「AKIRA」なわけであるからして、「童夢」を差し置いて「AKIRAが画期的である」というのは流石におかしいわけだよ。
好きなアーティストの条件は、美男子 or 美女で、恋愛の歌とか、元気が出る歌を歌ってること
好きなアニメは、美男子と美女が強い悪者を倒したり、イチャイチャシーンやお色気シーンがある奴
外食は油っこいラーメンばかり or インスタ映えする飯ばかり
「エロ」「恋愛」「見栄」 「美男美女」 「カロリーの高い飯」「派手な演出」にしか興味ないやつ
もういいよ
そういう奴らばっかじゃん世の中
どうなってんだよ
何歳までハマってんだよ
流石に20も超えたら「あれ、なんかこれ紋切り型でつまんねぇな」って気づくじゃん
そういう奴がごく一部いるなら分かるけど、世の中そういう奴が多数派な気がするんだよな
俺が間違ってんのかな…
そういうやつって、例えば仕事でなにか質問しても、回答が浅いんだよ
1発目に思いついて、すぐ試すor考えれば「あっ、これは違うな」っていうような回答が飛んでくる
逆に質問してくるときも、すぐ試すor考えれば分かるようなことを聞いてくる
そんで、そういうやつって短絡的だから、↑のような事を指摘しても、内容の正しい間違ってるに関わらず「俺を批判した!こいつは敵だ!」と(表に出さずとも) 反射で思うんだろ?
だから、指摘もできない
ほんと世の中そういうやつばっかりじゃん
いつまでガキなんだよ
いつまで浅いんだよ
俺がおかしいのか
人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教的世界観においても
この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう
どこかで発想の飛躍があったのかな
気になるねえ、ぐぐりましょうねえ
天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか
天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方
発想としては仏教の後光と同じか
まだ足りない
天使や聖人を描いた絵画→???→漫画的表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと
なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな
勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな
天使や聖人を描いた絵画のパロディで、天使を例えば政治家に差し替えた風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか
それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?
一応、英語圏のイラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……
日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画無いかな
……手塚治虫がやってる気がする
あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか
うーん、探し方が下手
wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな
英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか
うーんアメコミにもヘイローの使用あるかもだが、アメコミに詳しくない
ここまで調べたというメモ
なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ
今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果
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こういう路線で調べていくのがよさそうか
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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋
漫画の記号的表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーのアニメにも、ヨーロッパのカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。
人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー
アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーロちゃんをお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそばで翼を広げて飛んでいますよ」。
死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式の教理として教えられることはまれですが,映画やテレビの連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます。
あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使の本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書そのものが何と述べているかを調べてみましょう。
うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか
それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?
っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな
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ここら辺の本があるいは参考になるか
だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題だから、そこに期待が出来る
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英語圏の情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない
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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチのエピソードがあった気がする
プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない
やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ
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ってことは
天使や聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストやアニメ→天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた
……か?
まだ足りないぞ
キリスト教の教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう
ヘイローは聖なるものの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?
でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい
まだまだ調べないと納得できないな
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ひょっとしたら演劇やミュージカル側の文化が関係している可能性もある
死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない
一応留意して調べる事
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「池にコインを投げる風習はいつから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな
聖者の記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない
しかしあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう
あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず
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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ
②漫画的表現で死者が天使となった描写→漫画的表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート
こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで
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次にやる事
→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか
:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む
→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い
→でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教の教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって
→第一次世界大戦は1914年7月28日~1918年11月11日、ちょうど探したい年代
:キリスト教的素養がない私がヘイローの描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える
:そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる
→基礎(略
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②についてだが「ゲームのドット絵でキャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた
流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ
しかし調べるとっかかりとしては魅力的
ヘイロー関係ないけど「ゲームで戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう
また別の機会に調べよう
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「Heaven Cartoons」というジャンルの風刺画があるらしい
画像検索してみるとなるほど確かに天国で天使がなんやかんやする種類の一コマ漫画
いつ頃から描かれているかをちょっと調べてみたがなかなか難しい
Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない
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星新一がアメリカの一コマ漫画を蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入
権利関係の問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ
もっと挿絵を見たいから挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは
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やっとひとつ見つけた
ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画が1868年?1869年?に描かれた、ってところか
翼があり、ヘイローもしっかり完備
しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議だ
なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するときに天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない
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トムとジェリー以前のオールドカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体を全然見つけることができていない
ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった
オールドカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画の文脈だと思うんだけどな……
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『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ
絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ
18~19世紀の文学作品で天国を描写しているものを探すべきだな
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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説がアメリカで1868年に刊行されめちゃくちゃ売れたらしい
当時の人々の天国観に影響ありそうに見える
In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.
カルヴァン主義の伝統とは対照的に、フェルプス版天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである。
とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳)
うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする
『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文の序文あたりに19世紀半ば以降に天国ものの小説が流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする
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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイローは写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい
なので宗教美術において死者(例えば聖人、殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンのヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか
一度断絶しているのでは?という疑問を持っている
ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画やカートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている
あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな
19世紀のアメリカで人々が見ることが出来た美術や絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……
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自分が確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法』
オールドカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないからもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)
幽霊は沢山出てくるんだけどねえ
『ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいかも
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キリスト教の教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)
→19世紀半ばにスピリチュアルな小説が流行り、人々の天国観を変えた
→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった
→たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞の挿絵、風刺画、漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった
→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画、カートゥーンアニメでビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくまで天使など聖なる魂的な存在(専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧な表現)と同じ装い)
→日本でキリスト教の文脈が無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号的表現となる
……という流れだという仮説を立てることが出来た
うーん、自信ない
「18世紀以前に普通の死者も天に召されるときは天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない
印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ
探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的で教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)
また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない
しかし、とりあえず一定のレベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ
中卒ヤンキーの現役チンピラが「俺はマルチを作る!」って専門学校に行こうとして挫折したってのをソイツの友人から聞いた。
件のアニメ、本件に関しては食わず嫌いで、見ないようにしている。今でも見る気はない。
あの時代を懐かしみながら礼賛するアニメだって分かっていたから。
あの時代はヘドロなのに。
礼賛しているネットオタクの大学生共には「落ち着けソイツらは働いている人間だ」って何度思ったか。
礼賛すな。まじで。
ネタにすんな。まじで。
金にすんな。まじで。
忘れられるべきなのだよ、サブカルチャー、ポップカルチャーは。
エライ(笑)歴史の権威が「~~~だったんだよ!」って勝手なことを抜かすウォッシュされた歴史が残ってりゃいいんだよ。
ああ、あのオタクの王様を自称してる奴は駄目。DやPと同じだからね。
追記:メインを張っているヤツの尻拭いはこの世にはたくさんあるんだげど、その話は闇から闇へだからね。そのシナリオは彼は書いていない、とか、その作画は逃げたのでアニメーターが描いた、とか、金を払わないで逆に裁判し返した、とか。
https://l.pg1x.com/xf3FVYsiLCDwxuVy7
『Fate』シリーズと違って「物語の強度」が足りなかっただけでしょ。
まぁ『Fate』はキャラの強度を「伝説/神話/歴史上の人物」を流用しているインチキ=チートなので、その点は差し引いて評価すべきだけど、分離は不能だからね。
前身あっての『物語』。奈須も同じ。『月姫』を書ききっている。まぁ、まだまだ書けただろうけど。今はもう書けまい(伝聞)。
『ブギーポップ』シリーズへの愛が強すぎて「他ができたんだ、できらぁ!」って思い込み。
「(打ち切りなどの外的要因無しで)終わらせている」って作家の「以降の作品」は圧倒的な「強度」を持っている。
アニメや漫画は言わずもがなポップカルチャーとして浸透してきてる
音楽だとYOASOBIはもちろん、フィッシュマンズやシティポップも評価されてきている
小説も川上未映子や吉本ばななが売れて、東野圭吾が賞を取っている
90年代に若者だったけど、日本文化の扱いは国内でも本当に低かった
映画も音楽も小説も海外は一流、日本は二流って評価が当然のように思われていた
二流の日本のコンテンツに夢中になるのって恥ずかしいよね、大人なら海外のものしか見ないよね、って馬鹿にされていた
「小室哲哉いいよね」なんて言おうものなら「皮肉で言ってるの?」って言われる扱いだった
こんなにうれしいことはない
ITで世界と戦うのは無理だったけど、日本のクリエイターはこれからがんがん外貨を稼いで金持ちになっていくだろうな
日本人としてほんとうに誇らしい
大爆死ですわ。
「リトル・マーメイド」リメイク版が厳しい評価に耐えた後、IMDbが介入、映画のレビューシステムを変更
映画評論家のクリスチャン・トトは、レビューサイトが「左派に受け入れられた」映画を保護しているように見えることが多いと述べた
インターネット ムービー データベース (IMDb) は、新しい「リトル マーメイド」リメイク版を鑑賞している観客の間で疑われる「異常なアクティビティ」を補うために、「代替重み付け計算」を有効にしました。
『リトル・マーメイド』は、1980 年代後半から 1990 年代にかけて作られた象徴的なディズニーのアニメーション映画の数多くの実写リメイクのうちの 1 つです。
この新作映画はさまざまな観点から批判されており、もともと白人だった人物の人種的再キャストから、アジア人 女優オークワフィナのラップ曲 「ザ・スカットルバット」への批判、ニューヨーク・タイムズ紙でウェスリー・モリスが子供向け映画には 欠けていた と嘆いたことまで多岐にわたる。 「キンク」。
注目すべき要因の 1 つは、複数の国や大陸にまたがる批評家がこの映画をパンニングしたことです。これは、これがすべて 1 つの集中的なキャンペーンによって引き起こされたわけではないことを示唆している可能性があります。 英国、ブラジル、カナダ、メキシコの何千人ものユーザーが 1/10 のスコアを付けています。
ニューヨーク・タイムズ紙、新作『リトル・マーメイド』に「ねじれ」がないことを嘆く記事をリッピング:「左翼が子供を性的対象にしている」
ウェブスター辞典によると、「キンク」とは「人の異常な性的嗜好」を指す場合がある
ニューヨーク・タイムズ紙 が新作実写映画『リトル・マーメイド』のレビューを掲載し、映画には「キンク」が欠けていると不満を述べたことがネット上で話題になっている。
映画評論家のウェスリー・モリスはタイムズ紙の書評で、「新作の実写『リトル・マーメイド』は、誰も映画に望んではいけないものすべてを備えている。律儀で防御的だが、承認を切望している」と書いた。
「義務と崇高な意図の匂いがする。喜び、楽しさ、謎、危険、風味、ねじれ、それらが欠けている」と彼は書いた。
特にポップカルチャーの文脈において「人の異常な性的嗜好」を意味する「キンク」への言及は、オンラインで注目を集めた。 「リトル・マーメイド」はPG指定を受けており、子供や家族向けに販売されている。
サブカルというか、最近10~20年くらいはポップカルチャーが人類史上なかったレベルで
天下取ったような状況になってるんだよなぁ…。
サブ・カルチャーにしろ、ハイ・カルチャーにせよ、一部の濃ゆ~い人たちを中心に動いていたものが
ポピュラー (pop + ular)=一般大衆に人気なものが中心になっていけば、
古参のハードコアな人たちからタメ息が聞こえてくるのは当たり前。
「スターウォーズ・オタクたちはいつまで反乱軍に感情移入するつもりなんだ?今やお前らこそ帝国だ」
ポップカルチャーが「反抗する若者」のものでなくってしまった世界でどう生きていくのか?
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』楽しみですね
ワイ: 「めちゃめちゃ厳しい人たちが不意に見せた○○」の○○の中に単語を入れて面白い文章を作ってください
AI:「めちゃめちゃ厳しい人たちが不意に見せたカラオケスキル」
ワイ:4音で
AI:ごめんなさい、間違えました。「めちゃめちゃ厳しい人たちが不意に見せた恋愛」
ワイ:4音節で
ワイ:いいね
AI:うれしいです、気に入っていただけて!他に何か質問がありましたら、お気軽にどうぞ。
AI:あなたが指している特定の「元ネタ」は私にはわかりません。あなたの質問は、日本語のフレーズの一部を完成させる形式でしたが、それが特定のメディアやポップカルチャーから来ているとは限定されませんでした。私の知識は2021年までのもので、それ以降の情報は持っていませんので、もし最近の流行やメミーに関連しているなら、私はそれを把握していません。あなたが参照している具体的な元ネタをもう少し詳しく説明していただけますか?
AI:「微笑みの爆弾」は日本のアニメ「機動武闘伝Gガンダム」のエンディングテーマであり、その一部に「めちゃめちゃ厳しい人たちが不意に見せた微笑み」の歌詞があります。
あなたが提供してくれたコンテキストを元に、「めちゃめちゃ厳しい人たちが不意に見せた○○」というフレーズを作成するという私の理解が進みました。今回のタスクは、その歌詞を参照し、○○の部分に新たな4音節の単語を入れて面白い文章を作るというものだったのですね。
「めちゃめちゃ厳しい人たちが不意に見せたキンタマ」
欧米ではというLGBTは嘘つきです。ジョージ・ソロスの人形に過ぎない。こういう連中に被害者面されるいわれはない。
ケイリー・マケナニー:アディダスは「女性を消している」最新の企業だ
「アウトナンバード」の共同司会者ケイリー・マケナニーは、アディダスが「プライド」水着を発売するにあたり、ブランドから女性を「消去」したとしてアディダスや他の大企業を批判した。
アディダスの水着広告、「女性を消している」と反発「これはコーディネートされているように見える」
ケイリー・マセナニー:ライリー・ゲインズはあなたが女性を消していると言っていますが、それが実際に起こっていることです。女性はポップカルチャーから、社会から、コマーシャルから抹殺されつつある。しかし、私にとって驚くべきことは、それが起こっているスピードとその速度です。…バドライト、アディダス、私たちは毎日新しい会社の話題をしています。大学のスポーツ、小学校の教室、政府。そして、なぜ突然それが起こったのか知りたいです。ちょっと質問したいのですが、これを調整している中心的な非営利団体はどこかにあるのでしょうか?気候変動で見たように?ワシントン試験官、これらすべての小さな組織が 1 つの大きな組織から資金提供を受けているという爆発的な報告書はありますか? これは調和しているように見えるからです。ごめんなさい、
1980年代、我々アウシタンは巨大資本による商業汚染と戦った。
我々は虐げられた民
彼らは「法的に問題ないじゃん、そもそも正当なIP持ってるのは我々」
その通り、奴らはビジネス、コンプラ遵守、著作権を正しく取得し正統なコンテンツとして利益を得る。
我々は彼らのお情けで二次創作を黙認頂いてる身。
彼らは正しい
そんな歴史の当事者である我々アウシタンが「立花vs川上対談」をどう観たと思う?
拍手喝采どころではない。
立花孝志は隠れアウシタンに違いない、本人に自覚がなかろうが名誉アウシタンとして認定する
NHK党は瓦解寸前
どーすんの
ともかく、321対談は面白いので是非見てもらいたい。
京大卒エリート大資本が高卒チンピラにフルボッコ論破されて発狂する様子だけでも笑える
テーブル一つも準備できない
はい、中国のポップカルチャーが日本で人気となった例があります。以下はその一例です。
「ラブオン・ザ・ロックス」:2016年に放送された中国のドラマで、日本でもNetflixで配信されました。主演のジャック・マー(マアル)はアリババグループの創業者であり、日本でも彼の人気が高く、ドラマも好評でした。
「プロデュース101」:2018年に放送された中国のアイドル育成番組で、日本でも「PRODUCE 101」として知られる「PRODUCE 101 JAPAN」が放送されました。この番組で誕生したグループ「Rocket Girls 101」は日本でも知名度が高く、アイドルグループのライブイベントにも出演しました。
習近平国家主席の日本訪問:2018年に中国の習近平国家主席が日本を訪問した際に、その妻である彭麗媛さんが着用した着物が話題となり、日本の着物業界でも彼女の着こなしを参考にした商品が販売されるなど、中国のファッションや文化に対する関心が高まりました。
「青春」と言って真っ先に思い浮かぶのは、幼さ故の無根拠な全能感と大人に近づく中で未だ何者でもない焦燥感が入り混じった感情が、時の流れで脚色されたそれはそれはエモーショナルな情念。
だから「青春作品」でパッと思いつくのは『桐島〜』とか『ピンポン』とか。ナイーブだけど人生の中核を成す大切な悩みと真摯に向き合えるモラトリアムを描いた作品が好きすぎる。『スタンド・バイ・ミー』みたいな逃避のロードムービーも最高だね。
でも映画なり音楽なり、ポップカルチャーを見渡すと、(勝手なイメージが多分に含まれる気はするけど)「青春」と来れば爽やかな恋愛をしただとか、逆にできずに暗黒だったけどそれなりに楽しかったとか、それなりの楽しさすらなかったとか、とにかく恋愛を軸に二元的に語られるような気がする。恋愛こそが自分の思う「青春」を感じられる最たるなものなのかもしれないけど。
後ろ暗い青春のバイブルとして銀杏なんかはよく挙げられると思う。これも非モテ、恋愛がテーマ。まあ彼らも童貞ソングだけではないけど。暗くもエモーショナルな青春を愛するオタクくんならゴイステ/銀杏は通っておかないといけないような気がしたけど、なんだかあまり刺さらなかった。
同じくオタクくんなら愛すべき感のあるナンバガのOMOIDE IN MY HEADを今日初めて聴いてみた。歌詞が全く聴き取れんから調べてじっくり読んだら、何故だがどうしようもなく自分の思う「青春」を感じた。夜中にこっそり家を出て目的もなくフラフラ歩き回ってた個人的な経験が歌詞の断片的な要素と結びついたのかもしれない。それが当時抱いてたそのままの感情を掘り起こして、無性に心が掻き立てられたんじゃないかと思う。
モー娘。とかホワイトビスケッツとかは「そのグループがどういう集団で、どういう物語の中でこの曲を歌っているか。歌詞は何をイメージしたものか」をCD買ってるほぼ全員が理解していたレベルじゃん。
でも今チャートにいるのって、大部分がどういう連中が歌っているのか誰も知らない気がする。
ドラマや映画のテーマソングであっても「流行りそうな曲を流行ってそうな歌手に歌わせる。作品との相性は関係なく」みたいなのが一時期はやりすぎたせいで土壌が丸焼けになって、日本人の多くは「作品の何らかの場面をイメージしたもの」とは感じなくなってるように思える。
でも音楽ってのは本来「表現」なわけであって、つまりは「手段」としての側面こそが本体だったはずなんだよね。
祭りでドンガドンガ太鼓を鳴らすのは、祭りをやってますよと神様にまで伝えるためであり、その背景があるから聞いてる人達は「オラオラめっちゃ楽しいから一緒に混じって、ついでに俺たちの願いもちょっと聞いてけ」を踊りで表現したりする。
そういった文化の中で、いつからか単純に音楽そのものを楽しもうという研究が進み純粋な技術のぶつけ合いを至高とする人達も出てきたけど、それでもクラシックならオペラの劇伴であったりポップカルチャーなら時代の空気を歌うものであったりした。
CDを買うという文化が失われ、配信という超高速でチャートが入れ替わる世界が始まったことで、そういった感覚はかなり散り散りになってしまった。
誰がどこで何を歌っているのかはよく分からないけど、なんとなく歌詞に共感する気がしないでもないのレベルまで、音楽によって表現されるもの、少なくとも受け手が聞こうとするものは曖昧化していった。
そういう背景があるからこそ、「誰が歌詞や曲を書いて誰が歌っているのかを明確にフューチャーした音楽」が強烈なインパクトを持って伸びていったんじゃないだろうかと思うわけだよ。
saebou
@Cristoforou
Colabo叩きを面白がってる研究者、肉屋に投票する豚と同じだよ。次は科研費に来るに決まってるでしょ。というか既にきてるからね。
そもそも美術館女子に切れ散らかしてキャンセルしたのあんただろ。
はじまりが違う。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1613364321802944513
@usovich
いや、ちゃんとさえぼう先生は叩いてましたよ、「お母さんがカレーを作って待ってくれる暮らしを守りたい」 って言ってたSEALDsの学生を。「それは性役割固定のアベ的家庭観!」って
https://twitter.com/usovich/status/1581844366511202307
トムヤザさん
@tommTycho
返信先:
@NoKichStickHigh
さん
さえぼうさんとかもいってたけど、もともと美術館通いをする女性層(美術ファン)がかなりいるので、ポップカルチャーを取り込みたい企画で「美術館女子」って使ってしまうと、もといるファン層の反感買うし、自分たちの積み上げてきた文化をAKBで塗り替えられるって思われちゃうと思う
@kenji_kajiya
·
東京大学教養学部報11月号に「「美術館女子」は何が問題だったのか」という小文を寄せました。ウェブでも読めます。 https://c.u-tokyo.ac.jp/info/about/boo
ね、この界隈はデタラメすぎる。
よほど憲法改正したいらしい。