はてなキーワード: 論法とは
法学部では、 裁判官や検事がやるように事件の処理を学ぶのではなく、 実定法学の体系に関する幾何学的な内容を学ぶだけであって
判例というのは、裁判所が特定の法律の内容について意味を決定する実定法学上の一つのテクニックや論法の類であり
文学をやっているのではない。判例というのはいわば、数学でいう定理、制定法上では一度確立されて色々なところで使うことになるものである
これに対し、法科大学院ですることは、学部で学んだ、制定法の操作の仕方や仕掛けなどを踏まえた上で、事件処理の仕方を学ぶだけで
法学部では法律という数学に似たような法則的な体系がどのように発達してきたのかをみる学部であり、授業に供される判例集は、裁判所に与えられれている
概念上の操作の仕方である判例の形成と、三段論法によってそれが事案に適用されたところだけを紹介するにすぎない。
大学教授による判例評釈も幾何学的な考察がほとんどであるが、最近の学部生は、それがあえて幾何学であるという説明を法学教室なども雑誌でも一切受けておらず
すげーわかるわ
偏差値50って相当バカなのにこれが中央値ってビビるよな、げっそり
100回論破されて何回も説明されないと、もしかして○○だから○○なのか?って理解できない。頭が悪すぎて。
理解に10年かかるやつとか説明面倒だから本読んでって言っても本が読めない奴とか相手の理解力が最初からわかりきってるから時間が勿体無くて会話もしたくない。
バカは見識が狭いから、毎回新鮮なんだろうな。俺がわかる説明をしてくれない相手のせい!みたいな超次元論法をまじめに議論してるわけ
Twitterも増田もバカがよく知らないことをさも今思いついたみたいに新鮮に議論している。よく知りもしないのに妄想と想像だけで自信満々に議論できる神経がもうわからないけど。既に何度も専門家に語り尽くされてほぼ結論が出てる内容で類似事象との比較があがってたりするんだけど、バカなTwitterや増田民は影響する条件を理解できないので比較すべきものと比較せず、比較すべきでないものと比較し始める。意見と感情の区別がつかない。
勝手に目に入ってきてげんなりする
数学の問題、例えば幾何学の問題にしても、教科書も知人もいない人がいきなり初見で問題を見せられても、よほど偉くて頭がいい人でも
大体こうしたらいいということが分かるだけで、最終的な証明の完結は、幾何ではインターセクションを用いることは普通だとか点をintroduceすることも
普通ということを知らないと解けないし、いくら偉くて美しい発想をしたとしても、色々な論法、定理を知らなかったら解けないだろ。
数論の問題でも、「神が n≧16で分けろ」と指令してきたという体験はしたことがあるが、証明はテクニカル過ぎて出来なかった。
それだけ大体こうしたらいいということは分かるが、先生や知識がなければ完成させることは不可能。
今回の騒動で批判派は口々に、議論に混乱をもたらす、と言っているが。
議論をスムーズに終わらせたいのなら、必要なのは事前の根回しだ。
熱心な水面下のロビー活動を通じて密かに賛同者を集めることで、自分たちの要求が通りやすくなる。
名声を得たオピニオンリーダーはフォロワーの期待を受け、彼らの信じる主義主張を先導する。
配下の信者はリーダーを後押しして力となる。代わりにリーダーは彼らを背負う重圧を負う。有形無形の守るべきものを囲う。
リーダーは自分と党派のイメージに気を配らなくてはいけない。対人論法の犠牲にならないように潔白に振る舞うのだ。
ここでは誠実さが信頼の土台になる。その先にあるのが、党派の勝利だ。
まったく逆を行うとどうなるか。
二つの仮面を着け外ししながら、クルクルと主張を変える。恥をかき棄てて、人々にどう思われるかなど気にせずに、軽薄短小に振る舞う。マッチポンプをフル稼働させて界隈をアジテートする。議論のエネルギーを供給し続ける。
論者は、頼られなくなるだろう。代わりに、論の内容が重要視されるようになる。誰についてるか、味方が何人かなどが説得力にならないから、主張の本質で勝負するしかなくなる。
正反対の二つの視点から物事を見ることで、片方からでは見えなかった何かが浮かび上がってくる。相手の話の妥当な部分を受け入れ、自分の説の弱い部分にアッサリ見切りをつける。そうして議論は深まるだろう。
激しい論戦の末に生き残った理屈は、人間にも時代性にも独立になる。あらゆる視座をくぐり抜けてきた理屈は、高い説明可能性を備える。老人にも子どもにも説明できるものになっているはずだ。
検証可能性が唯一、正しさを支える。
数学はまず教科書で様々な重要概念を学んでから、 演習講座で先生から解き方を教わったりして次第に修行をして論法を組み立てる
技術やアイデアを実践しなければいけないので、先生も教科書もなければお前のような汚物には数学は無理
問題に対する基礎分析を行い、様々な重要概念をテクニカルに組合せ、議論が深まった暁に定理が使えるようになっているのでそういう訓練をしたことがない頭が腐ったお前に
学問は無理
「フェミニズムはナチス思想と違う」と主張するには、ナチス思想との違い、例えば自分の正当性の根拠を説明する必要がある。
でもフェミニズムは自らに対する明確な線引きから逃げてきたからね。フェミニストに対する話の通じなさは宗教原理主義者レベル。
フェミニストは攻撃力に全振りしていて防御力が全くない状態とも言える。
だから、フェミニストは、学術スキルではなく、「〜には当たらない」論やごはん論法ベースの詭弁スキルでその場を凌ぐインチキスキルばかりが伸びるんだよね。
これは平成の若者ないし単なる世間内の女子供であって平成23年に2ちゃんねるで遊んでいた者を警察が拉致して2年間も刑事施設で働かせた犯罪事案を
延岡の市民や公務員が一切理解しない極めて悪質な問題であり、特に延岡の市民に対して説明しても一切理解しないほどの悪質な問題である
更に平成24年頃から警察がそれ以前に全国的にかなりいた平成の学校に行ったことがない若者を大量に捕まえて現在、刑事施設で働かせているという
身勝手な犯行であるにもかかわらず警察によるそのような犯罪を理解しない極めて悪質な問題であり
それを理解しない者を拡声器で怒鳴りあげることはほとんど自然な技術的アイデアである。また警察は一般にパソコンやインターネットに対する嫌悪感が
あるため、モノタロウが、パソコン等に貯蔵されているデータを拡声器で流すことでもって安全用品としたことも正当である。
現在平気な面をして昼間から闊歩している変人は警察の味方と解されるためものによっては既に殺害されている者もあるが、いずれにしても、
「マックスバリューがあるから弱いものでも生きていける社会」自体が既に破綻しているし、ドブスはそれを説明しても理解するような頭をしておらず
最近では「マックスバリューがあるから問題ない」という論法すら通用しなくなっているため、拡声器という道具で怒鳴りあげたり、パソコンのデータで頭を撃ち抜くべき
ことは自然なアイデアでありそれほど思いつくのに無理はない。また、拡声器である程度技術的に問題点を明らかにしてから最後に大技をかますことも
おまえのために言ってやってるんだぞ論法では。