はてなキーワード: ジェンダーとは
自分が抱いた嫌悪感がなにに起因するものなのかわからなく戸惑っている。
先日、小学校三年生くらいのコが5、6人、私の前を歩いていた。一人か二人が男の子で他は女の子だった。突然、左端を歩いていた女の子が隣の女の子の頬に軽くキスをした(ほっぺにチュー的な)。キスされた女の子はきゃーっと笑ったあと「口でしよう」と言った。そして女の子二人は躊躇いなく歩きながらキスしたのである。結構べったりと。
私は驚いて立ち止まり、彼女たちの背中を見送った。そのあとに嫌悪感が湧き上がった。いやなものを見たという感覚。自分の感覚に驚いた。これはなんだ?
増田は成人男子で二次作品なら百合は好物である。一般向け作品ならロリ表現も特段抵抗ない。BLもあまりエグい表現がなければ楽しめる。シスジェンダーで異性愛者だが、自覚的にはLGBTQ全般に対して寛容なほうだと思っている。私は一体何に嫌悪感を抱いたのだろう。
これが男の子と女の子だったらどうだろうと考える。「ませたガキだな!」と思っても嫌悪感には至らないと思う。
男の子同士だったらどうだろう。相当びっくりするだろうが、やはり嫌悪感には至らない気がする(ちょっとあやしいが)。
もう少し年齢が上の女の子同士(中高生くらい)だったらどうだろう。むしろ「尊い」とか「いいもの見た」という感覚になりそうだ。多分、嫌悪感はない。
となると、嫌悪感の源は「女児」+「性的ニュアンス」だろうか。いきなり三次元の児童ポルノを見せられたような嫌悪感。女児同士にキスをさせ、それを見ている成人男性である自分、みたいな。
仮にそれが嫌悪感の源だとしたら、あの光景が嫌悪感に結びつくのは普通のことだろうか。もしかしたら私のなにか認知のゆがみが嫌悪感に結びつけてしまっているのではないか。わからない。
横だけど
子持ち夫婦で仕事の時間・家事育児時間の偏りが大きいことが原因では。
もっと言うと男性の長時間労働、子供が病気の時の休みづらさ、早退のし辛さが原因ではと思う。
夫正社員・妻正社員の夫婦/夫正社員・妻非正規雇用の夫婦 共に
妻の有償労働時間が短いからといってサボっているわけではない。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-30.html
日本だけじゃなく各国でも、家事育児などの無償労働時間の合計は
日本くらいは最低限かかっているので
日本の女性が要領が悪いとか、無駄なことをしているわけではない。
どの国でも子育てや、自分+旦那+子供分の家事に手間と時間がかかるということ。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-31.html
既婚子持ち男性の場合、特に中小企業では、子供が熱を出した時など(幼児はよく風邪をひく)
仕事を休んだり、保育園に迎えに行くのに早退したりは難しい雰囲気のところが多く
育児休暇が明けた後も時短勤務や休み早退が出来るところが比較的多いし
子の病気で急な休みを取ることも可能(邪険にされる事も多いが)
(ただしそれが出来ない企業では転職するしかなくそんな人も珍しくない)
子供が小学生で学童を使っても18-19時が終わりなのでどちらかの親は働けるのが8時間ほどになるし
(帰って家事もしなければならない)
学童の雰囲気が悪く(先生が怒鳴るとか、他の子の意地悪とか)子供が行くのを嫌がれば
仕事をやめざるを得ない事も。
そういう国は夫に育休を取らせるための決まりがあるし(企業を縛る法律がある)
病児休暇も取得しやすくなっている。
給料の差も少なくなっているだけ。
アメリカでもフランスでも、子持ち女性の働く時間は日本女性と同じか、日本女性より少なく
日本女性が働かないと言うより、日本男性を長時間働かせすぎなのだと思う。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-31.html
日本で医学部に挑戦する女性のすごさは確かに認めるべきであろう
しかし仮に、日本の男尊女卑的な制度がすべてなくなったとしても、日本のジェンダーギャップ指数は改善しない予感がする
でも増田はそう感じないということだな
なるほど分かった考え直してみる
女性の学力は高いが、それは生来のものではなく、学校教育が女児に最適化されているからだと考えている
たとえば学業の始まりである小学校低学年には女性の教師が多く、また授業も精神の発達が早い女児に親和的なカリキュラムになっている
学業は積み重ねであり、最初の段階でついていけなかった男児はその後の学校生活においても苦手を意識を持ったまま学業と向き合うことになる
結果として学力(not IQ)においては女性の方が男性より秀でている(ジェンダーギャップ指数も教育面においては日本は上位)
なんならトランス女性には「チンコ切除してから女性名乗れよ!」なんてガチガチの差別発言してるからな。普段見た目で判断するな〜ジェンダーのステレオタイプが〜と言ってる癖に
ジェンダーーーーーイヤーーーーー
パートナー間のジェンダーバランスは、男女間でも似たような悩みがあって、
たとえばうちは妻がフェミニストで、苗字も別で、どちらかといえば「意識が高い系」かもしれないが、
それでも、男の自分が「伝統的な」男の仕事・役割を担っているところがある。
まず力仕事。そして、お金は基本自分が出し、妻は補助的な負担のみ。
炊事洗濯掃除は私がするけれど、学校対応は妻の方が周囲受けがいいし、
本人も楽しんでいるので、子どもが中学にあがるあたりで、自分は子どもの学校とは没交渉になってしまった。
最初は、フェミニストならお金も家事もフィフティフィフティの分割を目指すもんじゃないの? と思ったけれど、
結局、妻と夫、それぞれがひとりの人間として向いていること、できることに落ち着いた。
損をしていると思わないことはないが、妻の体力や経済力では難しいこともあるので、納得はしている。
結果として、互いにリスペクトがあり、互いに困っているときにカバーできれば、
でもそれは女の自業自得じゃないのか。
頭の中で(この人は肩がガッシリしてるし髪も短いし腕も曲がってないし背も高いから、、、女装してる男性じゃね?)って思ったとしても、確率的にはトランスジェンダーだったり古い意味での女性の可能性もあるだろ。
トイレ内で不審な行動をしてたら通報すればいい。性別ジェンダー関係なく。
見た目の女らしさで性別を判定するのをやめた方がいいんじゃないか。
それは自分自身の身に「女は女らしくあるべき」圧力として降りかかってくるだろ。
…ってか、こういう事こそ、フェミニズムが指摘する事じゃないのか。
なんだオレは、フェミニストか?
目覚めはここにあるWokeness Is Here To Stay / スラヴォイ・ジジェクSlavoj Žižek
ttps://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/
ウォークネス[ “wokeness”]は衰退しつつあると主張する人もいる。
だが実際には、それは徐々に常態化され、内心疑っている人々でさえ従い、学術機関、企業、国家機関の大多数によって実践されている。
だからこそ、ウォークネスはこれまで以上に批判されるべきであり、その反対側にある新しいポピュリズムと宗教原理主義の猥褻さと共に、批判されるべきである。
スコットランドではニコラ・スタージョン政権が覚醒主義woke-ismとLGBT運動を(ほぼ)最後まで押し進めた。
2022年12月、スコットランド議会が個人が法的に性別を変更しやすくする計画を承認し、新しい自己認識システムを16歳と17歳に拡大したことを受けて、
スコットランドは「平等にとって歴史的な日」と称賛した。基本的に、自分がどう感じているかを宣言し、自分がどうありたいかを登録する制度だ。
レイプで有罪判決を受けた生物学的に男性であるイスラ・ブライソンがスターリングの女性刑務所に送致されたとき、予想通りの問題が浮上した。
ブライソンは、強姦罪で法廷に出廷して初めて、自分はもはや男性ではないと確信した。
つまり、女性であると自認する人物が、自分のペニスを使って2人の女性を強姦したのだ。
男らしさや女らしさが身体とは何の関係もなく、すべては主観的な自己定義に関係するのなら、
ペニスを持つ強姦犯は、捕らえられた女性たちと一緒に刑務所に入れられなければならない。
[ところが]数々の抗議があった後で、ブライソンは男性刑務所に入れられた。
しかし先ほど[の決定]と同様に、この決定もスコットランドの[先ほどの]法律下で問題となる。なぜなら女性を自認する人が、男性刑務所に収監されているのだから。
Again, this is problematic under Scottish law, since we have now a self-identified woman in male prison.
スタージョン氏が辞任したのは、国民のなかで「LGBTに反対しているわけではないが、さきほどのような措置に単純に反対している人々」を疎外したためだ。
なぜなら、性的アイデンティティはそれ自体が単純なアイデンティティではなく、
矛盾や無意識の特徴に満ちた複雑な次元であり、私たちがどう感じているかを直接参照するだけでは、決して証明できないものだからだ。
いわゆる思春期ブロッカーPuberty blockersの使用をめぐる最近の論争は、この同じ複雑さの別の側面に関係している。
乳房などの性別に基づく特徴の発達を一時停止させる思春期ブロッカーの使用を、
タヴィストックは、性的アイデンティティを選択できないように見える 9 歳から 16 歳の若者にこれらの薬を投与していた。
タヴィストックの臨床医は、性的アイデンティティを決定できない若者は、環境からのプレッシャーで強いられた選択を行い、その結果、
彼らの本当の傾向 (主にトランスジェンダーであること) が抑圧される危険性があると推論した。
思春期ブロッカーは、そのような若者が思春期に入るのを遅らせ、
より成熟した年齢で決定する前に、性的アイデンティティについて熟考する時間を与えるために必要だった。
思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、「性的指向がはっきりしない」という誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、「性別の悩みを抱える子供には、時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない」のだ。
矛盾は明らかだ。
思春期ブロッカーは、若者が成熟を一時停止し、性的アイデンティティについて自由に決定できるようにするために投与されたが、
これらの薬は、他の多くの身体的および精神的病理を引き起こす可能性がある。
誰も、若者にそのような結果をもたらす薬を服用する準備ができているかどうかを尋ねることは無かった。
批判者のひとりであるヒラリー・キャス博士は、「思春期ブロッカーが意思決定の時間を稼ぐのではなく、その意思決定プロセスを混乱させる可能性があるかどうか、私たちには知る術がない。
脳の成熟が一時的あるいは永続的に阻害されるかもしれない」と書いている。
キャスの批判をさらに一歩進めて、性的アイデンティティーへの到達は、成熟した自由選択の問題であるという、非常に基本的な主張に疑問を呈すべきである。
性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない。
西側諸国の多くのジェンダークリニックでは、医師たちは「無条件の肯定的アプローチ」を取らざるを得ないと感じている。
子供たちを悩ませている、他の根本的な精神的危機にはほとんど配慮していない…と、ある批評家は指摘している。
実際のところ、プレッシャーは二重にある。
彼らは、思春期ブロッカーに対する懐疑論を、トランスジェンダーの人々が性的アイデンティティを実現することをより困難にしようとする保守的試みと解釈している。
これに金銭的な強迫観念が加わって、この状況はさらに悪化している。
例えば、タヴィストックの収入の半分以上は、若者の性的問題の治療によるものだった。
つまり、ここで起きているのは、政治的に正しいしつこい勧誘と、金銭的利益の冷酷な計算の最悪の組み合わせだ。
思春期ブロッカーの使用は、ウォーク資本主義woke capitalismのもう一つの例である。
確かに、この 2 つの論争は、少なくとも反「ウォーク」勢力に部分的勝利をもたらした。
スタージョンは辞任し、タヴィストック・クリニックは閉鎖されたのだから。
しかし現在働いている勢力は、個々の政治家の見解や、特定の機関の力学をはるかに超える勢いを持っている。
むしろ個人や機関は、上から押し付けるのではなく、常に他所から来る規制に適応しようとしている。
したがって、同様のスキャンダルが今後も増え続けることは間違いない。
(以下省略)
【※参考】
https://www.youtube.com/watch?v=i826SBcDF_I
どちらかといえばTERF寄りだよ
https://www.compactmag.com/article/wokeness-is-here-to-stay/
スコットランド政府は、ウェイク主義とLGBTの原因をほぼ極限まで推し進めました。2022年12月、スコットランドの議員たちが個人が法的に性別を変更しやすくする計画を承認し、16歳および17歳にも新しい自己認識システムを拡張した際、「平等のための歴史的な日」と称賛しました。基本的に、自分が感じる通りの性別を宣言すれば、それに基づいて登録されるというものです。予測される問題は、レイプで有罪判決を受けた生物学的男性であるイスラ・ブライソンがスターリングの女性刑務所に収監された際に発生しました。
ブライソンはレイプ容疑で裁判に出廷した後に初めて自分が男性ではなくなったと決定しました。つまり、自分を女性と認識している人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたのです。これは論理的です。もし男性性や女性性が身体とは無関係であり、すべてが主観的な自己定義に依存するのであれば、ペニスを持つレイプ犯を女性収容者と一緒に収監しなければなりません。抗議があった後、ブライソンは男性刑務所に収監されました。しかし、これもスコットランドの法律の下では問題があります。というのも、今度は自己認識した女性が男性刑務所に収監されることになるからです。
ロンドンのタビストッククリニックは、上級当局から、ホルモンを抑制して胸などの性別に基づく特徴の発達を一時停止させる思春期抑制剤の使用を制限するよう命じられました。タビストックでは、9歳から16歳の性的アイデンティティを選ぶことができないように見える若者にこれらの薬を投与していました。タビストックの臨床医は、性的アイデンティティを決定できない若者が環境の圧力の下で強制的な選択をする危険があると考え、これにより彼らの真の傾向(主にトランスであること)を抑圧してしまうと判断しました。思春期抑制剤は、そのような若者が思春期に入るのを延期し、性的アイデンティティについて成熟した年齢で決定する前に考えるための時間を与えるために必要でした。
タビストックでは、評価のために送られたほぼすべての子供に思春期抑制剤が投与されており、自閉症や問題を抱えた若者も含まれていました。これらの若者は、性的アイデンティティについて不確かであると誤診されていた可能性があります。言い換えれば、人生を変える治療が、医療的な性別移行を望んでいるかどうかを知るにはまだ若すぎる脆弱な子供たちに行われていたのです。批評家の一人は、「性別に苦しむ子供には、時間とサポートが必要であり、後で後悔するかもしれない医療的な道に進ませるべきではない」と述べました。
パラドックスは明らかです。若者が成熟を一時停止して性的アイデンティティについて自由に決定できるようにするために思春期抑制剤が投与されましたが、これらの薬は他の多くの身体的および精神的病理を引き起こす可能性があり、若者たちにこれらの結果を伴う薬を受ける準備ができているかどうか誰も尋ねませんでした。ヒラリー・キャス博士は、「決定を下すための時間を稼ぐのではなく、思春期抑制剤がその決定プロセスを妨げる可能性があるかどうかを知る方法はありません。脳の成熟が一時的または永続的に妨げられる可能性があります」と書いています。
西洋の多くのジェンダークリニックでは、医師が「疑うことのない肯定的アプローチ」を採用することを余儀なくされていると批評家の一人が指摘しています。これは、子供たちの他の基礎的な精神衛生の危機にほとんど注意を払わずに行われています。この圧力は実際には二重のものです。一つには、臨床医はトランスロビーに恐れを抱いており、思春期抑制剤に対する懐疑主義をトランス個人が性的アイデンティティを実現するのを難しくする保守的な試みと解釈します。これに経済的な強制力が加わります。例えば、タビストックの収入の半分以上は、若者の性的問題の治療から得られていました。つまり、ここにあるのは、政治的に正しい圧力と経済的利益の計算という最悪の組み合わせです。思春期抑制剤の使用は、もう一つの覚醒資本主義のケースに過ぎません。
ジジェクの韓国語コラムが微妙なのは英語版を改変してるからだと言ってる人がいたけど、英語版も微妙やんね
単に賞味期限切れだろこの人…
https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html
現在の右翼ポピュリズムの再興について最も重要な点は、この再興がその支持者によってどのように認識されているかということです。異なるバリエーションで繰り返し現れる単一の修辞的な図式が見られます。新しいポピュリストは、企業メディアや極左による暴力的な強制に対抗して穏健な正常性を擁護しています。「LGBT+イデオロギー」の絶え間ない圧力により、自分がただの普通の「シスジェンダー」の女性または男性であるだけで、何かしら罪悪感を感じるようにさせられ、「バイナリー」であること自体が抑圧の行為であるかのように感じること。過去の発言や行動が急に禁止され、どのルールが自分を責め立てるか事前にはっきりと示されないため、何か行動や発言をする際に「キャンセル」されるという絶え間ない脅威。人種差別や性差別がただの自分の特性ではなく、自分の存在そのものに刻まれているかのように絶えず自己卑下を強いられる衝動。これらすべてが、多くの周縁的で「破壊的」とされるアイデンティティを十分に享受するように促されるのとは対照的に、停滞して息苦しい雰囲気を効果的に生み出しているように見えるのです。
「目の覚めるような新鮮な空気が、窒息するようなウォーク主義の圧力に一時的に流れ込んだ極端な事例は、アメリカのハイデガー主義者であり、アレクサンドル・ドゥーギンに共感するマイケル・ミラーマンによって最近提供されました。彼は最近、YouTubeで『なぜ普通のものすべてがファシストと呼ばれるのか?』というタイトルのポッドキャストエピソードを公開しました。彼自身の立場の要約は以下の通りです。
『「私が嫌いな人はみんなヒトラー」という現象はどうしたのか?奇妙ですが、理解できないわけではありません。戦後のリベラルな熱狂(左翼の反ファシズムと結びついて)により、多くのことが「極右」としてコード化され、禁忌となりました。しかし、それらの中には、政治と人間の生活をよく理解するために必要な重要なことも含まれています。』
また、ミラーマンのポッドキャストに対する多数の反応にも注目すべきです。これらは文脈を明確にしています。『彼らが私をファシストと呼ぶなら、それは私が正しいことをしている証拠だ。』『私の友人は多様性と包摂の原則に基づいて外科医を選びました。彼女は亡くなりました。』『WW2前のすべての普通の人は「ファシスト」だった。血と土、自分のものへの愛、他者への警戒心は私たちに組み込まれたものであり、完全に健康的なものだ。』『イスラム教を公然と批判してイスラム教徒をやめたためにファシストと呼ばれた。』『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは...』『「極右」の最良の定義は、間違っていないものすべてだ。』
マリーヌ・ルペンや彼女の周囲の人々は、この論理に大いに依存していますが、彼らは自分たちがネオファシストであることを断固として否定します。彼らは、健全な常識をファシズムと混同しているのは左翼リベラルだと主張します。しかし、この論理を徹底的に追求する人もいます。『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは普通だ。』
7月4日の選挙で労働党が圧勝し、保守党をほぼ壊滅させたとき、多くのリベラルは、英国がこの傾向に対する明るい例外を示したと考えました。しかし、ナイジェル・ファラージのリフォームUK党が400万票以上を獲得したことを過小評価すべきではありません(ただし、英国の投票制度のため、これが議会議員5人に翻訳されました)。保守党が事実上弱体化する場合、その位置を占めるのは、より公然とした人種差別的でポピュリスト的な新しい右翼運動である可能性があります。
新しいポピュリズムの広範な魅力をイデオロギーのミスティフィケーションと操作に帰するのはあまりにも簡単です。事態はもっと微妙です。新しいポピュリストの台頭は、私たちリベラルな「啓蒙された」者たちが無視している不満の層が存在することを示しています。この層は、深く埋め込まれた伝統的な人種差別に還元されるものではありません。
したがって、新しいファシズムを「非自然化」または非正常化する必要がありますが、そのテーマをただ拒絶するだけではいけません。愛国心や自分自身の特定の生活様式への愛着には本質的に虚偽や「ファシスト」なものはありません。ジョージ・オーウェルの英国のパブの称賛を思い出してみてください。これは労働者階級の生活様式の具現化です。新しい右翼ポピュリズムが行っているのは、愛国心に偏執的なねじれを与えることです。自分自身のコミュニティを自信を持って楽しむのではなく、外部の脅威(外国人や「逸脱した」性的習慣)に対する嫉妬と憤りに焦点を当てています。
いわゆるTERF(トランス排除ラディカルフェミニスト)の問題は、彼らがこの多様な流動的なアイデンティティに反対する方法が、アイデンティティ政治の枠内にしっかりと根付いていることです。彼らのターゲットは、トランス女性であると主張する男性であり、TERFの見解では、女性としての密接な物質的プロセスに実際に参加することなく、女性であると主張する男性です。要するに、TERFは女性のアイデンティティを望まない侵入者から守ろうと必死になっています。
それが、新しいポピュリスト右派が一様な形成ではない理由です。彼らの愛国心は偽物であり、自信がありません。ここで最初のパラドックスに出会います。新しいポピュリスト右派は、愛国心が強すぎるのではなく、愛国心が足りないのです。これは、グローバル資本主義への抵抗の神秘化された形態であり、経済的にもイデオロギー的にも、いわゆる普通の人々の大多数がエスタブリッシュメント(国家、大企業、メディア、教育)から圧力を受けているという事実に反応しています。新しいポピュリストは、エスタブリッシュメントに対して普通の労働者の声として、自分たちを明瞭かつ卑猥に介入させています。新しいポピュリスト右派は確立された秩序に対する急進的な抵抗を装っていますが、トランプのイデオロジストであるスティーブ・バノンでさえ自分をレーニン主義者と呼んでいますが、実際にはそれには程遠いのです。多くの億万長者によって支持されているため、資本主義の基本的な構造は手つかずのままです。
しかし、新しいポピュリスト右派に抵抗する人々は、まず自分たち自身を批判的に見つめる必要があります。彼らも同様のパラドックスに陥っているからです。ウォーク主義的な左派は、実質的には支配エリートによる操作として正しく経験される、破壊的な超自我体制を押し付けています。彼らは(性的、人種的、経済的に)排除され、周縁化された人々の保護者として自分たちを提示しますが、その活動の形態自体が深く抑圧的であり、したがって彼らの公式の目標を損なっています。「キャンセル文化」に浸透しているのは「議論なしの立場」です。人や立場が排除されるだけでなく、その議論自体が排除され、排除に対する賛否両論の対立が排除されます。
ヘーゲルはここで、ラカンが呼んだ、述べられた内容と発話の基盤となる姿勢の間のギャップを動員するでしょう。多様性と包摂を主張しますが、自分たちの定義する多様性と包摂に完全に同意しないすべての人を排除することで、それを行います。結果として、常に人々や立場を排除し続けるだけです。このようにして、包摂と多様性のための闘争は、いつあなたのプライベートな発言が公の場からの排除につながるか分からないような、スタージのような疑惑と告発の雰囲気を生み出します。
ここで、最後のカニバルを食べるというジョークの極端なバージョンを見ているのではないでしょうか?「我々のグループには多様性と包摂の反対者はいません――最後の一人を除外したばかりです...」このようにして、唯一の楽しみは、自分の超自我の抑圧者に同一化することです。他の誰よりも厳しくなり、超自我の規則に従おうとすればするほど、ますます罪悪感を感じることに耐えるしかありません。「ついにやり遂げた、今はリラックスして自分らしくいられる」という瞬間は決して訪れません。
新しいポピュリスト右派の基本的な動きは、「リラックスして、自分が何者であるかに誇りを持て」と言うことです。これをはっきりと言うことで、膠着状態を打破し、状況に新鮮な空気をもたらすように見えます。しかし、ポピュリストたちは支配的な既存の生活様式を維持したいと考えていますが、今日の現実である動的な世界に対しては、強引に介入せざるを得ません。一方で、ウォーク主義的な左派は急進的な変化を提唱しますが、彼らが想定する変化は「何も実際に変わらないように、常に物事を変える」という古い知恵に完全に適合しています。
したがって、二重のパラドックスで結論を出しましょう。新しいポピュリスト右派は愛国心が足りず、ウォーク主義的な左派は急進的ではありません。新しいポピュリスト右派は公然とユーロセントリックですが、ウォーク主義的な左派もその形態自体がユーロセントリックです。彼らは特権的な層のように振る舞い、周縁化され排除された人々を保護しています。彼らは後見的な方法で行動し、被抑圧者にとって何が利益になるのかを被抑圧者よりもよく知っているふりをし、被抑圧者があるべき行動を取らないときには何の制約もなく叱責します。要するに、「政治的に正しい」ウォークの言説は、最終的には被抑圧者に対して彼らが真に何者であるかを伝え、彼らをイデオロギー的宇宙の中の適切な場所に配置することです(たとえその場所が無場所として提示されていても)。そのため、被抑圧者はヒステリックな反応を起こします。「なぜ私はあなたが言っているような人間なのか?」
このようにして、新しいポピュリスト右派とウォーク主義的な左派を結びつける深い共謀があります。彼らは同じコインの表裏であり、今日我々が直面している巨大な問題を回避する二つの方法なのです。どちらも、今日のグローバル資本主義の核心に刻まれた対立を無視しています。
まったく正しいよ
Sir Keir Starmer has said that “a woman is an adult female” as he hardened his stance on gender.
The Labour leader insisted that biological women needed single-sex spaces and ruled out introducing self-identification for changing gender.