はてなキーワード: 刑法とは
脅迫罪(刑法第222条)、名誉毀損罪(刑法第230条)、侮辱罪(刑法第231条)になるけど、
よほど常習的かつ威圧的だったりしないと本当に立件するのは多分無理なんだろうねえ
でも結局、録音してなるべくたくさんの証拠を押さえて弁護士に相談するしか一般人に出来ることは無いと思う
弁護士が何かしらの手段が取れるというなら取れるだろうし、取れないというなら取れないだろうし
馬鹿な俺に教えてくれ。どのサイト見てもいつも肝心なところではぐらかされてる気がするんだわ。
自分を肉体の性と違うな、と思うのって何を以てそう思うの?性自認ってジェンダーの話なのかセックスの話なのかどっち?トランスジェンダーというくらいだからジェンダーなのだろうが、ならジェンダーレスな世の中になったとしたらトランスジェンダーは消えるのですか?
男らしくとか女らしくとか、そういったものを良くないものだと排除していく過程にあるこの世の中で、ではその「性自認」はなんなの?男はスカート履かないものだとかセーラー服着てたら通報されるとか、そういう性別による枠組みがジェンダーレスな世の中の実現によって一切なくなるなら、それでも性自認という概念は残るの?
完全に世の中がジェンダーレスになっても、陰茎があることが許せないとか乳房が膨らむのか気持ち悪いとか、そういうのは残るの?それはあくまで世間の規範を押し付けられることで自身の性別として服装なり言動なり趣味嗜好なり役割なりが固定化されることによっての気持ち悪さとは異なるの?性嫌悪とも異なるんですよね?
なんとか言う議員が増税メガネに「そもそもトランスジェンダー女性は『多様な男性の一類系だ』などと言う人がいる」と言ってそれを否定してるけど、なぜそれがそうではないのか、性自認の根拠とは何なのか、具体的に説明をしてほしいと思うのだが。言い張れば女性になるわけではない、とは?真に女性と思っているとか、そういうこと?それって程度はないんだ?あなた程度と思いでは女性とは言えませんよとか、そういう判断があるってことですか?もちろん犯罪を犯すための詭弁として用いるのは悪いことだよね。でもそれは刑法なりで裁くべきことであって、性自認がどうとか関係ないよね?女が女盗撮しても逮捕なわけで。
ここ何年もこの疑問をハラに持ち続けて、ネットで検索したりテレビとかでそのうち明瞭な説明が来るんだろうなと思うのに、一向に出てこずただただ「配慮しましょうね」だけ。
そりゃ外ではトランスジェンダーなんて存在しない!なんて言わないし喧嘩するつもりもないよ。そういうのは社会性のない暇で頭のおかしい連中がするものだからな。俺は皆様が正しいんだぞと言うことにハイと言うだけ。
でも心の何処かではずっと納得を探しています。女らしいとか言うな!というジェンダーレスの話と性自認の話は私を今日も混乱させます。表面的に対応する限りは困らないけど、腹落ちしてないから境界に来ると困るし、実際それで衝突おきてんじゃないの?と。
消防長 永谷正男 どのような消防をするかは私が指令します。最近では、ほとんど、今夜もカレー、 昨晩は、レトルトカレー。
裁判官 小池勝雅 は、 私の知り合いで、関東の分かりにくいところに住んでいて寝ています。
刑法25条第1項
独りよがりの考えに基づく犯行で、経緯や動機に酌量の余地がないこと、インターネットという匿名性を利用した卑劣な犯行であること、無差別殺人を連想させ、折から厚生省元高官
を標的とした殺人事件発生直後であり、被害者や関係者に与えた不安や恐怖には甚大なものがあることからすると、被告人の刑責は軽視できないが、反省していること、相当期間身柄拘束され、一応の社会的制裁を受けたと評価できることなどを勘案し、刑の執行を猶予するのが相当と判断した。
犯罪にはならないがワイ的には
な?マジでDQNや基地外はこういうノリだぞ。言わんこっちゃない
DQNや基地外の見本
普通ならこれ窃盗だからね。ベビーカーだからやっていいって意識が軽いから問題なんだよ。これがイカツいおっさんのゴルフクラブとか自転車とかだったら同じことしないでしょ?業者が置いたダンボールでだってそうはしない。増田は邪魔になるからどかしたんじゃなくて、弱そうな女と子供のベビーカーだから盗んでも問題ないって言う加害的欲求でやったんだよ。だからこれ悪質。(anond:20240314101733)
第42条
※1 近い場所で「多(略)付自転車、(略)及び軽車両は、直進(右折しようとして右折する地点まで直進し、その地点において右折することを含む。青色の灯火の矢印の項を除き、以下この条において同じ。)をし、又は左折することができること。」と、「右折」語が非常に狭い意味で使われていることがわかるため
顔を見て、かっこいいとかかわいいとかその容姿を魅力に思う気持ちと、性器を見てエロいと思う気持ちって、言葉が違うだけで大差ないのではないかと思ってる。
言葉の違いが認識を変えさせてるという哲学の話じゃないが、なぜ座頭相撲とか公唱制度やってた国がここまでエロという概念をこしらえてそこに忌むべきものとしていろんなのを突っ込んで公然と言えない空気にしたかというと、
公然と水着の女やグラビアアイドルを見ていいなと思うことはよくて、海外のヌーディストビーチを裸体鑑賞目的で行ったら変態と思われることには、どうにも恣意性を感じるというか。
でこまん事件みたく性器ひっさげて表現の解放を主張するのは過激派的だとしても、刑法175条の緩和を謳うならエロ漫画テイストの性器が見える構図の裸体に性器部分だけモザイクかけたパネル貼った街宣車で選挙活動するぐらいのことはあってもいいんじゃないか。
もちろんこれすら「良識」ある人間としては抵抗を感じてなかなかするのが正しいことと思えない部分があるが、この良識感覚自体なにか誰かの都合で、サブリミナルナッジ理論そのほか無意識に作用する社会的手法を意図的に使われた刷り込みに感じる。
刑法175条は、「わいせつ」な表現は罰する、としか規定していません。
モザイクが有れば合法などということは全く関係ないです。モザイクが有ろうが無かろうが「わいせつ」ならOUTです。
モザイクが有ろうが無かろうが警察が「わいせつ」だと決め付ければ、そのままOUTになるのが現状です
モザイクをガッツりかけていても「わいせつ」だと判断された例もあるし、逆に無修正でも(芸術だから)「わいせつ」でないと判断されて無罪になった例もる。
法律で「わいせつ」とは何かが全く示されておらず、警察の恣意的に運用されてるけれど、
「わいせつとは、徒らに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」
とある。
一方、着衣の上からの無断撮影が「羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」行為で迷惑行為防止条例違反で逮捕されたりしてるから。
最近、やたらと無修正でエロ絵出してる日本人絵師めっちゃ増えたね
外人絵師がモザイク無しで公開してるのを見て真似てるのかもしれんけど
日本には刑法175条っていうのがあって、わいせつな物を不特定多数に見えるように出しちゃだめなの
それは写真だろうと絵だろうと関係ない、日本にこの法律がある限り従わなきゃいけないことなの
海苔やモザイク無しで出してる絵師はそのへんの認識がなさすぎてめっちゃ怖いわ
ここらへん理解してない絵師、だいたい若い絵師に多いんだよなぁ
同じエロ絵師としても違法なことに加担してる同業者が増えるのは困るので定期的に通報してる
先月もそれで7人ほど絵師が凍った(もしかしたら他のルール違反が原因かも知れない)けど、当然のことだと思って積極的に通報してる
凍結されて困ってる絵師がもしこの増田を見てるなら、自分の描いたものに問題がなかったか今一度読み返してほしい
ただでさえ表現規制が叫ばれてる今最低限の法律を守る気がない奴はその時点で同業者の背中を撃ってるってことを自覚してくれ
修正があることである程度規制されずに目をつけられずに自由にエロを楽しめてる事実があるんよ
アメリカとかみたいに内容規制に踏み込まれてもいいのか?良くないだろ
モザイクが嫌だ、海苔が嫌だって思う気持ちはわからんでもないけどさ
ルールに完璧に従った上で、自分の思う最高のエロを描いてこそ本当のエロ絵師といえるわけで
そういう反骨精神を持ってる若い絵師は、法で決まってる事はちゃんと従った上で、そういう最低限の規制すら利用した最高のエロを極めてほしい
自分は二次創作の漫画、イラストをお小遣い稼ぎを兼ねた趣味にしている。
個人的な好き嫌いで言えば生成イラストAIは好きではないし、自分でも使おうとは思わない。
でもSNSのおすすめタイムラインに頻繁に流れてくる生成AI規制派(以下反AI)の主張には頷けないし正直嫌いだ。
一番がこれ。端的に言って反AIの理屈は表現の自由にとって危険すぎる。
インターネットで活発に発言している反AI派は「無断」学習の禁止や固有の絵柄の保護を謳うけど、そんなことをしたらどうなるかは火を見るより明らかだろう。
自分が楽しんでいる二次創作分野も焼け野原になる可能性が高い。成人向け二次創作やってる連中はだいたい反AIだけど、生成AIは駄目でも人力のパロディはOKなんて線引きが可能だと本気で思っているのだろうか。
彼らは違法コンテンツのダウンロード規制騒動をもう忘れてしまったんでしょうか?警察が刑法175条をどのように運用しているのか知らないとでも言うのでしょうか。
そういった懸念を踏まえた上でなお生成AIを規制すべき、と主張するならわからないでもないけど、だいたいの反AIはリスクを過小評価しすぎている。
生成AI問題は純粋に経済的、労働問題として取り扱うべきだったと思っている。
著作権や著作者人格権を中心に据え、学習されない権利だの言い出した時点でオタク絵師の多い反AI派は巨大な弱点を背負ってしまったように見える。
正直言って今の反AIは負けている側だ。絵師の仲間内やオタク層の多いSNSではどうだか知らないが、行政や立法を見ると普通に負けている。
なのに反AI派は心を守るためだとか話が通じないだとか言って議論を拒否してブロックする人が多すぎる。オープンな場での議論は当事者以外のその議論を見ている人のためのものでもあるのだが。
負けている側がすべきことは味方を増やす運動であって、既に反AIとして結束している仲間内で盛り上がることではない。
現時点では生成AIを規制するべきではないと思っている人を心変わりさせなければならないのに、反AIではない人との議論、対話を拒否していたのでは先は無い。
この国は法治国家なので、損害を受けたと思ったら法的手段で回復する必要がある。
現時点で合法(もしくは指針となる判例がない)とされている、AIによるイラスト生成を行った個人や企業を泥棒呼ばわりしたりネットリンチを行う人が多すぎる。
合法的にAIイラストを楽しんでいる人を泥棒と呼んではいけません。
上にも書いた通りこの国は法治国家なので、損害を受けたと感じたら裁判を起こして判例を作る必要がある。
その結果、反AI派にとって不本意な判例が生まれたとしても、現行法では対処しきれない被害が発生していると感じるなら立法や法改正の運動に進むべきだろう。
反AI派はそうした地道な活動を拒否する人ばかりに見える。アニメ調のイラストを燃やして表現規制している人たちと何が違うんだろう。
現在違法でないものを規制したいのであればそれ相応の行動をとりましょう。
個人的には生成AI問題を現行法で対処できないという理屈が理解出来ない。
依拠性と類似性が認められると思ったら粛々と法的手段を取ればよいし、類似性が認められないのなら、そのAIイラストとあなたの作品は似ても似つかぬ別物ってことで大騒ぎすることでもないだろう。
人間だって他人のイラストと酷似したイラストを出力することは可能不可能で言えば可能だし、AIによって何らかの権利を侵害しそうなイラストが出力された場合は都度対応したら良いだけの話に思える。
学習だけでも許せない、泥棒だと呼ぶ人がたくさんいるが、学習されたところであなたは画力も絵柄も失うわけではないのに、何を盗まれたんですか?ちょっと繊細すぎやしないだろうか。
反AI派には「自分が気に入らない=悪いもの!」という思考スタイルを持つ人が非常に多い。
・嫌いだけど認めなければいけないもの
いずれもあり得る話です。
自分はこんなに嫌な思いをしたのに現行法では対処してもらえない!悪が野放しになっている!
もしかしたらあなたが受けた被害というのはそもそも悪でもなんでもなく、あなたが勝手に嫌な気分になっただけで規制の必要が無いのかもしれませんね。
有名な絵描きには信者みたいなファンがたくさんつく。その絵描きが白と言えばカラスも白くなる。
普通の人が社会活動や勉強に費やす時間を絵に投入してきた絵描きは多い。その結果得られるのは絵の能力であって、他の能力は一般人未満ということはあり得る。
我々人間のお絵描きだって、視覚的インプットを神経細胞ネットワークの構造として保存し、そこからまた出力しているだけでしょう。
性能の差があるにせよ、人間のお絵描きとAIによるイラスト生成を本質的に分ける理屈が思いつかない。本質などというものも多分無いし。
中3の頃、話の中でやたらと法律の条文を持ち出すTってやつがいた。
例えば「ノート貸して」というと、
「あ、これね。いいけどこれって契約だよね?
こういうのは民法236条によれば~」 と、何かにつけて条文持ち出してた。
ある日、この話を姉貴(当時、大学の法学部生だった)にしたところ、
Tの言ってる条文は全て間違ってるということが分かった。
正直、Tの行動をうざく思ってた俺は、どうしたらいいかと姉貴に尋ねた。
Tは「お前も法律に興味を持ってくれて嬉しい」とか何とか喜んだあと
「でもその条文は解釈が難しくて学者の間で意見が割れてるんだよ。
昭和51年の判例によれば・・・」 とか言い出したので、俺は言ってやった。
「いや、199条って殺人だろ?解釈で意見が割れるほどのもの?」
あの時のTの顔が忘れられない。
https://www.city.kawaguchi.lg.jp/soshiki/01040/020/18/5604.html
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/07131131/?all=1
社会復帰に相当な苦労をした。
助けてくれる外部の者はなかった。
自分こそテロリストだったかもしれないという自我の脆さをかかえながらなんとか
山上容疑者の生い立ちが日々明らかになるのを毎日、胸が張り裂けそうになりながら読んでいる。
「いかなる生い立ちであっても今回の凶行は絶対に許されない。」とか、
「殺人は犯罪」。そういうルールがあるのは、誰だって知っている。
しかし容疑者が殺人を犯さねばならないほど追い込んだのは、社会の側なのである。
無力な子供をこんな目にあわせるのは絶対に許されないことなのだ。
それを黙認してきたのも社会。