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2022-05-21

絵柄を真似されたくないという感情

 Twitter上でたびたび話題となる『トレパク』の件について、日々さまざまな立場意見を目にする。それを追っていく中で、「落とし所を見つけておかなければいけない」と思ったこと、それが本タイトルだ。

 ※『トレパク』については考えるキッカケに過ぎないため、本文では実例には触れない。


 絵柄を真似されたくないという感情

 なぜ『感情』と書いたかというと、ひとの絵柄の真似をすることについて『善悪』で考えたところで、本当に辿り着きたいゴールには辿り着けない(平行線になる)からだ。

 そして、一次創作物の著作権知的財産権)に関わる話とは異なるステージの『悩み』として向き合うべきだとも思う。

 「嫌だ」という感情に「合法だ」と言い返しても、もとより「真似されたくない」という感情もつ人間は煮え切らない思いを抱えるだけだ。

 私が思うに、本気で違法行為だと思って喚き立てている人はほとんどいないのではないだろうか。

 ※法律に関する詳細は、専門家ではないため割愛する。

 ただ、嫌な気持ち自体が本物であるが故に、そうさせた相手悪者だと言うほか、自分を守る方法を知らないのだろうと思う。

 絵柄を真似されたくない人って、どうしたらいいんだろう。

 真似していることを咎められた時、どうしたらいいんだろう。



 絵柄。辞書意味を調べると、『工芸品・布地などの絵の模様の構図』とあるが、アニメイラストに対してネット通用されている定義の例としては

・主線の強弱

・人体のデフォルメ

・影,ハイライトの入れ方

・全体の色彩

・加工方法   etc

さらに細かく

・まつ毛の本数

・瞳の塗り方

涙袋の有無

・歯列の描き込み  etc

さらさらに細かく

・まつ毛のハイライトの有無

・瞳孔のサイズ,形,有無

・眼球のハイライトの幅,不透明度 etc

 これ、全部『絵柄』だ。イラスト構成している全ての特徴を『絵柄』の一言で表すことができるわけだ。

 それも、辞書に載っているような「絵そのものを指す言葉」ではなく、作者の「描き方の傾向・作風」という概念に対して『絵柄』と呼んでいるのが、恐らくネットアニメイラストを嗜む者の間)では当たり前の意味合いとなっている。(風景画などの絵画を嗜む方達も同じように使うのだろうか?)

 絵柄の類似に関する議論平行線になりがちなのは、中心の言葉が広義であることが、一因として割と厄介な役割を持っていると思う。

 絵柄。改めて考えると実にふわっとした言葉だ。

 私は趣味で絵を描いていて、常日頃『絵柄』が安定していないと感じているのだが、時たま「あなたの絵柄が好きだ」と言って頂ける事がある。しかも、稀にかなりの熱弁を受けることもある。

 それはそれは嬉しい。もったいない言葉だ。ありがたい。けれど、不思議だ。

 自分では自分の絵の特徴が分かっていないのに、他人からはそれが見えているらしい。

 もちろん、こだわりを持って描いている部位はあるから、そこを褒められると堪らない気持ちになるのだが、逆に全く意識していなかった部分をGOODと言われたりもするのだ。

 私が意識していなくとも、見る人にとってはそこが私の『絵柄』なのだ

 キャラクター主体アニメイラストにおいて、見る側が最も注視し、特徴を感じやすいと言われているのは、キャラクターの『顔面』。さらに言うと『目』だとの意見がある。

 「目さえ描き込んでおけば、顔の輪郭さえ整えておけば、髪などは多少線が雑でも『作品としてそれっぽく』なる」という話を聞いた事があるだろうか。それほど、目の印象はイラストの印象に大きく関与している事がわかる。

 ということは、言ってしまえば『目の描き方の特徴』に他の人との類似性があるだけで、直感的に「『絵柄』が似ている」と判断されやすいのではなかろうか。

 逆に言えば、それ以外の部分の類似はあまり気付かれにくいことになる。

 そして、この「直感」は普段、ひとの描いたイラストを「どれくらい解剖して観察しているか」によって、それぞれ見えるものが異なってくることは断言して良いだろう。

 作者がどんな『絵柄』を好み、どの部分に“意欲的に”取り入れているかは、絵を見た人に全てありありと伝わるものではない。

 また、作者の描き方自体100%意図されたものとも言えない。

 見る人によっては「目」という一つのパーツが、作者にとっては「まぶた」「まつげ」「眼球」「瞳」「瞳孔」「目頭」「目尻」の七つのパーツであったりする。(解剖とはこの事)

 私はだんだんと、「絵柄が似ている」という言葉不安定さが見えてきたようだった。

 「絵柄を真似している」の一言だけでは、意見としてあまり漠然としているのだ。

 「同じ時間に、同じ歯磨き粉を使って歯磨きをしている」という意見を「モーニングルーティンを真似している」という大きな言葉で訴えるようなものではないか

 正直、そんな主張はまったく滑稽だと思わざるを得ないところだが、きっとそれでも「嫌だ」と思う人はいるのだろう。

 『絵柄』に『流行り』がある以上、その第一人者はいたはずだ。流行りの絵柄というのは数年単位面白いほど変わる。『流行り』は『真似』で広がる。

 その第一人者が「真似されたくなかった」と思っていないとは言い切れない。自分で見つけた絵柄の組み合わせなのに、自分で見つけた表現の仕方なのに、簡単に真似しないで、という感情があったかもしれない。

 真似されたくなかったけど、我慢したのかもしれない。

 じゃあそれ、実際に言葉にしていたら、『絵柄の流行り』ってどうなっていたんだろう。

 どうして第一人者は「真似してほしくないと言わなかった」のだろう。

 自分の絵って、何に影響されて、何に感銘を受けて描いているんだろう。

 自分は“何を表現するため”に“絵を描いて”いるんだろう。


 今更だが、この日記は一つの答えを弾き出すものではなく、自分や読まれた方が、この感情を持ったり向けられたりした時にどう対処するのが「自分に合っていて」「ストレスが少ないか」を考える手がかりになればと思って書いた。

 絵は、人によっては手段であり、人によっては目的だ。

 どうしたって芸術は、誰かの真似の連鎖で生まれものだ。

 その事実を受け止めたとき、何を思うかは自由だが、『ストレスのない考え』を見つけることが、この問題のゴールになるのではないかと思う。

 ちなみに、私は知らない世界だが、ネットでは一人の絵柄を1から10まで全てコピーたかのような模倣をする人もいるらしい。そうなったらいよいよ法の出番かもしれない。


追記。私は好きなイラストの好きだと思った部分は積極的に真似している。仮に「真似しないでほしい」と言われたら、申し訳ないが私の好みが変わるまで待ってほしいと言うだろう。

はてなーはどうやってアニメ業界に金を引っ張ってくるつもりなのか?

赤松氏の「ヒットした作品税制優遇する」という施策案、

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KenAkamatsu/status/1525037167801946113

案の定はてなじゃボロクソ叩かれていて、「成果の出ていない企業も将来ヒット作を生み出すかもしれないので支援すべき」みたいな意見が主流だけど、個人的にはこういう意見実現性無視しているように感じてならないんだよな。

具体的には、どうやって国民血税アニメ業界に流すことを社会に認めさせるか? って視点がないように思う。

(元の赤松氏の漫画だと補助金じゃなくて税金優遇・還付金となっているが、結果として既存制度では国の懐に入っていた税金アニメ業界流れることには変わらないので、面倒だし「血税を流す」と表現させてもらう)

税制優遇国家に認めさせる理路は「産業価値」か「文化振興」のどちらかだ。

だけど、「産業価値」は言うまでもなく金にならなければダメだし、「文化振興だって税金を投じてまで振興するほどの価値があるのかという世の中の問いにアンサーできなければ正当性は示せない。

特に文化価値を示すというのは非常に難しい。

例えば、コロナ禍でダメージを受けた時に演劇業界補助金を求めた時だって、多くの非難の声が上がっていた。

支援に関しては、飲食店とかが補助金を貰えるならエンタメ業界だって支援を受けられて良いだろという意見も多かったが(俺もその意見には大いに賛成)、ただ「演劇は素晴らしい芸術なんだから支援を受けて当然だ!」みたいな一部界隈の意見総スカンを食らっていたでしょ。

お前がそれを素晴らしいと思ってるとか、芸術から価値があるとか、知ったこっちゃねーっていうのが世間意見であって、「文化振興」として税制優遇を受けるにはそうした意見を乗り超えて世の中に価値を認めさせる必要があるんだよ。

で、話を赤松氏の施策案に戻せば、「ヒットした作品税制優遇する」という競争性の高い案はこの問題に対して非常に有効な答えを返しているように思う。

ヒット作なら経済的価値もあるし、多くの人に愛されたという実績は文化価値証明にもなる。

なんでもかんでも支援しろって意見はこの辺りの考えが足りていないように思うんだよな。

個人的気持ちを言わせてもらえば、俺もアニメは好きだし、アニメ関係仕事している知り合いもいるから、国がアニメ会社をドンドン優遇してくれるというのなら負担とか考えず諸手を挙げて賛成するけどね。

でも、誰もが自分と同じようにアニメ税制優遇をするほどの価値を感じているとは、俺は思わないし、思えない。

鳴かず飛ばず制作会社でも支援されて当たり前という考えは、「アニメは万人が絶賛してくれている素晴らしい文化だ!」っていう勝手な前提に基づく歪な思想で、言ってしまえばただのキモオタしぐさでしかないでしょ。

あとは、はてな創作芸術は無条件で支援肯定するような人たちもいるから、オタク以外だとそういう人達赤松氏の意見批判的なのか。

単純に、オタク表現の自由が許せない、自民党に組するヤツが許せないという赤松氏に対するアンチ感情であら探ししているだけの、はてサ系の人もけっこういるように見えるけど。

まあ、どういう思想からの批難であれ、支援を受けることへの正当性実現性問題無視しての批難は空疎しか感じられないんだよなぁ。

そもそも制作会社税制優遇してそれで現場の末端のアニメーターにまで金が回るのかという問題もあるけど、それは他の施策次第だと思うので、今回は触れないでおく)

2022-05-20

anond:20220520134040

あなたがギャーギャーいうとこれまで無料で楽しんでいた好きなものもみることができなくなりますよ?いいんですか?(いいんだよな。あいつら芸術エンタメに興味も執着もないから。ついでにいうと想像力もない。野良猫が通り過ぎたから鳴き叫んでる馬鹿犬といっしょ)

修正

あなたがギャーギャーいうとこれまで無料で楽しんでいた好きなものもみることができなくなりますよ?いいんですか?(いいんだよな。あいつら芸術エンタメに興味も執着もないから。ついでにいうと想像力もない。野良猫が通り過ぎたから鳴き叫んでる馬鹿犬の鳴き声を聞いて興奮してわけもわからず鳴いている馬鹿犬の近所に住んでるもっと馬鹿な犬といっしょ)

かまいたち山内やらかし有耶無耶になってるよな。

クレームに対して無反応が1番いいし、なんかいってきたら返す刀で訴えるというカタチを使うのが企業的にも1番いいんだよな。

会社イメージは悪くなるかもしれない。でも実はそれだけなんだよね。だからイメージが悪くならないくらいひどいクレームなのでしょうがなく対処したってスタンスにするといいだけ。

半端に「お客様の声を拾う」ってのが1番ダメ

あいつら客じゃないってだいぶ浸透してるから

あいつらこれまで無料コンテンツには噛み付くってスタンスだったけど、実は、無料でも「それ」を手にしないってのが「月曜日のたわわ」で完全に露呈した。

無料のKindle1巻を読んでない

日本経済新聞広告も実物はみていない

あまつさえも本を買ったというひとのツイートに噛み付く

ん?これってどういう了見?どういう立場

シンウルトラマンも思ったより騒がれてないでしょ?無料コンテンツじゃないから。ずっとサブスクにしないといいよ。テレビ放映もしないといいよ。

無料になるとバカにみつかるってことが浸透するとこれまでの無料がなくなる。それは確実にこっちに迷惑になる。だからギャーギャーいうのやめてもらえませんか?

「許せない」ってSNSお気持ちを表明するよりあなたの両まぶたをふさいで両耳に手をあてるほうがすばやくできますよ。

セルフゾーニング。これですよ。なんでネットでやってるみたいに物理ブロックできないの?

あなたがギャーギャーいうとこれまで無料で楽しんでいた好きなものもみることができなくなりますよ?いいんですか?(いいんだよな。あいつら芸術エンタメに興味も執着もないから。ついでにいうと想像力もない。野良猫が通り過ぎたから鳴き叫んでる馬鹿犬といっしょ)

anond:20220520110906

最近ドレスじゃなくてパンツスーツ着る演奏家も増えてるし、強制ではなければいいんじゃないの?

ただ、クラシック業界も他の芸能芸術界隈同様にセクハラパワハラ普通にあるし、偉い人に気に入られたりパトロンを得るためにそういうドレス着ざるを得ない人も一部いると思う。そういうのは問題視されるようになるかも。

2022-05-19

anond:20220519153752

元増田は本人は違うと言ってるものの結局イラストレーター漫画家をごっちゃにしてるんだよな

二次元という文脈で語られるフィクトセクシャル的な漫画を是としてるだけ。漫画ルッキズムなり性の対象としてしか見てない。

からイラストに求められるものと同じ価値観で考えちゃうんだろうね

しろ二次元オタク向け漫画自体手塚治虫を萌芽として後発的に創出されたものにすぎす漫画の本流じゃないといか芸術でいうバロックルネサンス関係のようなもんにすぎないだろ

特定様式ばっか主流になると、もとい、特定様式のものばっか自分の身の周りにあるとそれらへのカウンターになるようなもの価値を置くようになるごくありがちな認識の変容過程の一途にいるだけではないか元増田にとってはたまたま高年齢向けの漫画が目だって目についた。

じゃあ俺がオチとしてオタク気持ち悪い平成ベスト音楽語りでもするか

最初に言っておくけど俺は音楽センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。

以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報系統が違いすぎて順位はつけられねえや。

・硝子ドール

アカシア

eternal reality

Love Destiny

きれいな旋律

バンバード

・Constan Moderato

In the Blue Sky

・群青

・CROSSING

・夏の記憶

Gの閃光

Kiss the Future

・硝子ドール

作詞こだまさおり

作曲編曲帆足圭吾MONACA

歌:もえ・すなお from STAR☆ANIS

データカードダスアニメアイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定からまれた『超・少女趣味耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代トラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味フィクション世界に籠もり続ける」オタク勝手自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生絶望しながら聴きたい曲。

アカシア

作詞作曲藤原基央

歌・編曲BUMP OF CHICKEN

ポケモンMV『GOTCHA!テーマソングMVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。

バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽やらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウサトシオタクオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタク一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。

eternal reality

作詞編曲八木沼悟志

作曲小室哲哉八木沼悟志

歌:fripSide

TVアニメとある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSide小室哲哉作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソング代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話大槍葦人ガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョン個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。

Love Destiny

作詞作曲伊藤千夏

編曲小林信吾

歌:堀江由衣

アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリ代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリ純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネット個人日記でどこもROラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONROシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブ最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。


きれいな旋律

作詞今野緒雪

作曲マーティ・フリードマン

編曲中沢伴行井内舞子

歌:KOTOKO

OVAマリア様がみてるEDオタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタク静謐気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるとき必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。

oblivious

作詞作曲編曲梶浦由記

歌:Kalafina

劇場版空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記名曲まみれな中でコゼットの肖像からまり.hackまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクペラペラ感受性が尖らされた挙げ句センサー無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。

バンバード

作曲:mozell

フリーゲーム遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジ存在し、その中でも『バンバードPiano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。

Constan Moderato

作曲:ミツキヨ

スマホゲームブルーアーカイブタイトルBGMタイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感デジタル羊水よ。

In the Blue Sky

作曲小山健太郎

アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベル自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置からまれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」

群青

作詞作曲編曲:Ayase

歌:YOASOBI

ブルボンアルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画ブルーピリオドイメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚手拍子コーラス表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオド世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。

CROSSING

作詞田中ロミオ

作曲:Funczion

歌:Marica

18禁ノベルゲームCROSS†CHANNELED。「絶望でよかった」から始まる歌詞自己社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルオッサンヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ

夏の記憶

作曲前口渉

編曲鈴木Daichi秀行

作詞・歌: 清浦夏実

TVアニメスケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジーまったりしたいときに聞くとちょうどいい。

Gの閃光

作詞井荻麟富野由悠季

作曲編曲菅野祐悟

歌:ハセガワダイスケ

TVアニメガンダム GのレコンギスタED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアル地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらいからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。


Kiss the Future

作詞元長柾木

作曲高瀬一矢

編曲C.G mix

歌:SHIHO

18禁ノベルゲーム未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング歌詞叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPネタバレしてたアニメゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケール作品世界根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲高瀬一矢全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術指数関数進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術オーパーツだよ。

2022-05-17

全員が全員「物の見方」を知ってる集団って怖くないか

全員が全員「相対主義の悪」を理解してたり

全員が全員「正しいモノの見方」を理解してたり

全員が全員「芸術への正しい向き合い方」を理解してたり

そんな集団って怖くないか

最近SNS見てると他人の「雑な感想」見ただけで凄い怒り出したりする人が目につくようになったんだが

単純に全員が全員大学教授神学者・高僧みたいなモノの見方をする国ってそれこそ凄く怖いと思う

2022-05-16

■俺は嫉妬を共有したい


俺は嫉妬深く、逆恨み精神が強く、いつも妬み嫉み、僻んでいる。

自らの状況を改善する努力はしないくせに、眠る前に目を閉じれば、浮かんでくるのは妬ましい奴らの妬ましい生活ばかり。

インターネット上には、妬まないためのマインドの持ち方やら、すっぱいブドウ理論で己を慰めているような奴らの文章ばかりだ。

俺はただストレートに、まっすぐにこの薄汚い嫉妬心をぶちまけたいんだ。そして聞きたいんだ他人のそれも。

俺は従兄弟が憎い。

同い年で血縁関係があるとは思えないほどちがう。

こうしんちょうこうしゅうにゅうこうがくれき。

びじんな、おくさん、かわいいむすめ。

こいつの兄貴結婚式に行ったときこう言われた。

『せっかく東京に来たんだから上野美術館や◯○大学キャンパス見学にいきなよ。俺が案内するし。あ、いや、✕✕君は埼玉鉄道博物館の方がいいかもな』

おまえはこの台詞、なんの悪意もなく言ったんだろ?

なんの悪意もなく、田舎者で頭も悪いオタクの俺は、美術館での芸術鑑賞や絶対合格したりしない大学見学なんかより、

埼玉鉄道博物館の方が楽しいかもってよお。

お前はこんな風にしゃべったことすら覚えてねぇだろうな。

俺はお前が妬ましくて毎晩この台詞を思いだしてイライラして眠れなくなる。

お前が五体不満足になって家族に捨てられてもうこんな人生嫌だ死んでしまいたいってそんなふうになる日が来ないと俺は救われない。

さな趣味幸せを見つけろだって自分人生を楽しめってか。そうできるならもうしてるさ。

できないから苦しんでるんだろ。

下々のものとしての穏やかな日常享受する才能すら」ぇよ。

俺にDEATH NOTEがあれば、お前を真っ先にむごたらしいやりかたで56したい。

理由はそう俺より幸せに生きてるから』だ。かわいそうに。

俺より幸せに生きてるからお前は死ぬんだ!そんな理不尽極まる極悪人台詞を言ってから56したいね

演奏不可能作品

演奏不可能作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏不可能、あるいは困難な音楽作品のことである

概説

クラシック音楽世界では、演奏不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易無視できない存在となっている。巨大編成の作品演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。

現代ポピュラー音楽場合には、作曲家作詞家編曲家といった独立した職能存在するものの、作品演奏との一体性が強く、コンサートライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品コンサートライブにおいて生演奏する際には、自動演奏テープなどを用いてレコーディングされた作品再現するか、生演奏可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。

歴史

バロックから古典

歴史は長く、J.S.バッハの諸作品モーツァルトオペラフィガロの結婚魔笛ベートーヴェンピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。

ロマン派

ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルト魔王交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏不可能と宣告されたブルックナー交響曲第2番、ブラームスピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品マーラー交響曲ラフマニノフピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。

近代

近代ではストラヴィンスキー春の祭典シェーンベルクピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的作曲された例としてアイヴズの歌曲義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオ演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオ演奏する者もいる。ラフマニノフピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージ身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストテクニック不自由したピアニスト左手の音をずらして演奏することが慣例化している。

現代音楽

演奏不可能作品という概念現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能概念は、今日例えばパソコンシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から人間演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食強要していると言う点で事実上演奏不可能作品である

今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモスアルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例であるクセナキス自身テレビインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。

しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単作品人間演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である

ポピュラー音楽

前述の通りポピュラー音楽クラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。

特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞作曲 桑田佳祐アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏事実上不可能となっている。ソフトウェアマスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である

演奏史上で演奏困難とみなされた曲

作曲家演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさら作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのもの今日では演奏レコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。

ベートーヴェンピアノソナタ第29番(ハンマークラヴィアのための大ソナタ)

指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽大家作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストベートーヴェン交響曲ピアノの為に編曲したもの存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタ比較的易しい。

パガニーニ24の奇想曲

超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニ作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。

リスト超絶技巧練習曲第2版

タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲であるピアノパガニーニを目指したリスト代表曲である一般演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リスト超絶技巧極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーレスリーハワードが録音を残している。

チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲

演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品しか現在では、早熟ヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。

ドヴォルザークチェロ協奏曲

第一楽章オクターヴの速い動きで事実上演奏不可能作品である解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。

プロコフィエフピアノ協奏曲第4番(左手のための)

パウルヴィトゲンシュタイン委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフ最高傑作だ」と称え、ピアノ吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。

シェーンベルクヴァイオリン協奏曲 Op.36

十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイスクラスナー独奏ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲自身生演奏を聴いていないとされる。

フォルカー・ハインの「フェッロ・カント

1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエ作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会一般公開され、色々な同僚作曲家意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。

ケージフリーマンエチュード

チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキー意見対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。

関連項目

2022-05-11

はてな民って小市民的発想しかできないの?

anond:20220511115418

この増田や、それについたトラバブクマ含めて、自分のことにお金を使う発想しか持ってない人が多すぎる。

金を自分の事にしか使えないから、金の使い道がわからないのだ。

他人公共に使えよ。

文化芸術などお金がかかることに寄付すると良い。

芸術文化振興基金みたいな規模の大きいところで感覚が掴めないなら、住んでる地域の何らかの寄付金でもいい。

あるいは保育園教育への寄付もある。盲導犬の育成への寄付もある。

昔みたいに学校橋梁への寄付は機会が少なくなったかもしれないが、ふるさと納税でそうした項目がある。

きっと小市民はてなーふるさと納税自分の限度額までしかしないだろう。

そういう発想では金は使えない。限度額とか気にせず、寄付したいだけ、寄付の成果を把握しながら継続して寄付する。

あるいはもっと直接的に芸術文化に金を落とす。

パトロンになっても良いし、公演などに定期的に足を運ぶのでも良いだろう。

何も大金持ちみたいに振る舞わなくても良い。自分のできる範囲で、金にならないところに金を落とす。

地域画家油絵を買ったらどうだろうか。書家の軸を買うのはどうだろうか。陶芸家の作った茶碗はどうだろうか。

若い人を後押しする。金を使って文化を育てる。

つの金の使い方としてこうした方法は、確かにある。

こうした他者へのお金使用違和感を持つ人もいるだろう。

そうした人は、逆説的になるが「金を使える状態」にまだ至っていないとも言える。

自分生活することで心理的にも金銭的にも精一杯なのだ

もちろんそれは悪いことではない。自分自分の身を立てているわけだから

でも「金を使う」というのは、他者のすぐに成果の出ないものや、誰かが支えないと沈下してしまいそうな文化臆面もなく金をぶっ込める状態をいうのではないか

個人的認識だがそう思っている。

2022-05-10

anond:20220510094601

芸術音楽分野だけだからエンタメ音楽に行けばええやで

Youtubeとかで演奏してる奴らの9割、芸術音楽で負けたやつばっかやで

anond:20220510093843

音楽芸術分野なんか基本p2wだぞ

高い道具使っていい先生付けていい学校行って留学してっていうのが最低限

2022-05-09

anond:20220509114450

女体が出てくれば金を払うっていう男が常に一定いるから、

芸術の収支の安定のためにとりあえず女体使っておくかみたいな保守性を感じる

2022-05-08

運動能力遺伝の影響がエグいので、運動できない子はずっとできないし才能に勝てない。

っていうのがわかってきたし、運動能力と同じぐらいエグいのが音楽の才能と数学の才能なので

認識を改めて欲しいよね

芸術の才能は遺伝が半分ぐらいだから努力でどうにかなる人もいる

2022-05-06

創作なるものをしたいのだが、絵もプログラム音楽も出来ない

文章が書けるかといえば書けないのだけど、今から絵の練習をするぐらいなら文章練習をしたほうがマシな気がする。

文章練習というと「気に入った作家のいいと思った文章を真似してみろ」なんてのが有名だけど、問題になるのは私が文章を読むのがあまりきじゃないってことだ。

自分が件の練習法を聞いて思いつくのは梶井基次郎の「桜の樹の下には 屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。」ぐらいのものだ。

梶井基次郎教科書に乗っていたから知っているだけで全文読んだことがあるのは教科書に全文載っていた檸檬ぐらいだ。

好きな作家といわれても恒川光太郎ぐらいしか思いつかないが、彼の世界観は好きだが文章が好きかと言われるとそうでもない。

練習のための資料探しに大して好きでもない本を必死に読むというのもなんだか阿呆らしい。

基本的に娯楽で本を読むとき漫画を読むし、勉強のための本は挿絵が多いものを選ぶ。

文字だけの本は苦手なのだが、文字による表現を学びたいなら文字だけの本を読んで気に入った文章を探す必要がある気がする。

私は趣味として創作がしたいので、出来ることならその行程の大部分は楽しい時間を過ごす形にしていきたい。

漫画を読むなら漫画を描けばいいという発想もあるのだが、前にそれをやって絵の練習で完全に躓いた。

とにかく手先が器用ではないので線がまともに引けなかったし、モノの輪郭や特徴の捉え方がよく分からない。

自分美術の成績は概ね「2」だったこから才能がないのは知っていたが、まさか本当にモノを見るという機能自体がここまで劣っていると思わなかった。

そもそも絵を見ていいと思ったこ自体が実はあまりなく、自分の中で絵の美味い漫画家は大暮維人荒木飛呂彦なのだが、それがどう上手いと感じるのか分析しようとしても「綺麗な線が沢山描かれてるから」ぐらいしかからない。

美術芸術を見てもピンとくることはなく、せいぜいがミュシャを見て「アニメの絵みたいで可愛い」と感じるのが精一杯なのは流石にどうかと思うがそうなのだからしょうがない。

眼高手低とはよくいったもので、こんな自分が「漫画を描いてみたい」と考えると脳裏に浮かぶのは藤本タツキのようなとんでもない作品だ。

藤本タツキがその昔新都社で描いていたよく分からない漫画ではなく、今現在描いているルックバックのような作品だ。

でも自分がアレを作ろうとするなら一生かかっても無理だろう。

もし突然神様が同じレベル技術をくれても、背景を描くのがしんどくて無理だろうし、フリー素材の張り合わせで背景を代替しようとしても選ぶのが面倒で投げ出すだろう。

自分のやる気の範囲で出来るのはせいぜい背景が真っ白で棒人間が何かを喋っているような漫画しかない。

そういったいわゆる「白ハゲ」とされるような漫画を描く場合は、たいてい世の中に訴えたい事がなければいけないと思うのだが、それがあるわけでもない。

何か作りたいものがあるのではなく「創るということをやってみたい」という気持ちけがあるのだ。

行き詰まっている。

消費するという行為に飽きが来ているので創作を始めたいというただそれだけの動機から次はどこに行けば良いのかが分からない。

キャンプ釣りなんかは試したが、あれも結局は消費活動一種であることに気づいてしまうとなんだか虚しくなって今は退屈さしか感じない。

そもそこれは鬱なのではないだろうかという気さえある。

行き詰まっている。

社会のレールに乗り切れる人、社会のレールから脱落する人、社会のレールに乗らずに自分世界ビジネスでも芸術でもなんでも)を作って生きてける人の違いってどこから来るんだろう。

2022-05-04

表現規制をする女性たちって昔は「PTA」じゃなかったっけ?

昭和フェミニスト

筒井康隆短編集「くたばれPTA」には表題作「くたばれPTA(昭和41年)」と「女権国家の繫栄と崩壊昭和45年)」がある。

女権国家の方はミサンドリーを拗らせた女性革命を起こし、女性中心の社会を作る話だ。

一方くたばれPTAの方はSF作家教育上不健全漫画ということで出版規制される話である

どちらもフェミニストPTA否定的かつ攻撃的で、インターネットが当時あったら叩かれるだろうなぁといった内容だ。(当時もバッシング受けたのかな?)

さてさて、私が気になったのは現在フェミニストの主戦場「不健全表現を控えるべき」というのはPTAの役目じゃなかったっけ?ということ。

昔のフェミニスト女性地位向上、社会進出あたりのことを主戦場にして戦っていたようである

女権国家においても権力に見栄と権力に執着する女性という書き方でフェミニスト表現していた。

筒井氏はフェミニスト当事者ではないため、認識不適切という批判は受け付ける。ただ小説としてデフォルメした際に強調した点が権力の話だったというのは一考に値する)

令和のフェミニスト

対して今のフェミニスト表現規制が主な活動のように見受けられる。

最近活動でも目立っているのは新聞広告に関する表現への批判献血でのキャラクター利用などだ。

フェミニスト昭和フェミニストより、昭和PTAの方が近いのではないか

ここで「PTA漫画ゲームといったもの全般に不健全としたが、フェミニスト女性性的搾取した媒体のみを不健全定義しているため異なる」といわれるかもしれない。

しかし、不健全定義事態によって異なる。

明治自体においては小説は不健全コンテンツであったが、昭和平成では高尚な芸術だ。

漫画ゲーム昭和には不健全だったが、受け入れられた令和では日本代表するカルチャーになっている。

そして未だに不健全の枠にとどまっているコンテンツが「エロ」または拡大解釈によってエロ解釈された「萌え」ということになる。

フェミニストPTA思想の違い

フェミニストPTAも両方女性だし、思想が似ていても当然じゃないかと言われると思うが、建前上はそうではない。

PTA家族(主に子供)の健全な営みを行うための主張として表現規制を訴えている。

近い思想青少年健全育成条例などで、こちらを支持している石原都知事右派人間だ。

まり国家社会のために不適切コンテンツ抑制するというのがPTA的な表現規制の建前である

一方フェミニズム女性社会的な抑圧から解放するための左派的な側面が強い思想だ。

どちらかというと真逆であるという思想が、いつも間にかすり替わっている。

表現規制派の活動

ややこしいので、以下では昔PTA表現規制をしていた人と現在フェミニストとして表現規制をしている人を「表現規制派」と呼ぶことにする。

まり何が言いたいのかというと、表現規制派の人たちは「健全育成」や「フェミニズム」という思想に基づいて表現規制をしているのではなく、

表現規制」という思想社会に実現するために「PTA」や「フェミニズム」といった建前を利用しているのではないだろうか。

こうすると現在表現規制派の人たちが全くフェミニストらしい活動をしていないのに説明がつく。

ウクライナでの強姦を取り上げず温泉娘に憤り、映画監督性的搾取に目を反らしつつ新聞広告を敵とする。

表現規制派にとっては表現規制が最も大切な主義であり、フェミニズムは建前を尤もらしくするための道具なのだ

というわけでフェミニズムを叩いても、論理的矛盾をついても、ゴールポストは動かされる。

表現規制派は女性のためでも社会のためでもなく、表現規制のために表現規制を行っている。

なぜ表現規制をしているのかというところまでは個人問題なので分からないが、

自分が好ましくないと思う表現があったときに、多かれ少なかれ人は不愉快になる。

その不愉快社会正義見出しバッシングするかしないかの違いである。

表現規制派がフェミニストを名乗るまで

ではなぜ表現規制派がPTAからフェミニストにかわっていったのだろうか。

これに関しては全く不明だが、おそらく「PTAになれなかった層を取り込むため」ではないだろうか。

未婚率が上昇している。昔は誰でも結婚出来た時代だが、今はそうではなくなった。

PTAになれるのは結婚し、子供がいる女性だけだ。

このハードルを越えられなかった表現規制派の女性親和性が高かったのがフェミニズムだ。

フェミニズムはもとより結婚をしない女性を救うような思想だった。

地位向上で女性が一人でも生きていければ、結婚出産もしなくても幸福になれると考えられるからだ。

そこでPTAになれなかった女性たちが表現規制を行うためにフェミニズムと結び付けた。

フェミニズムは誰でも参加可能なのでPTAよりも参加しやすい。

よって現在思想がちぐはぐのフェミニズムが生まれしまったと考えられる。


表現規制に関してはフェミニズムを叩いても仕方がない

こうして表現規制派が無理筋批判をした際、フェミニズムが叩かれるようになった。

しかし、これはあまり無意味なような気がしないでもない。

昔は悪の権化だったPTAは、今では面倒な無賃労働としてママさんからしか文句を言われていない。

このままフェミニズムの印象が悪くなって社会的な発言力を失った場合

表現規制派がフェミニズムから出ていって、また新たな宿主を乗っ取って批判を繰り返すようになる。

表現規制派は特定思想を持つ者ではないので、現在寄生している思想や団体を批判するより、

疑似科学陰謀論に対する免疫のようにリテラシーを高めて対処をしなければならない。

2022-05-02


   幾何問題とかまず普通の人は解こうと思わないし、仮に図くらいが書けても、幾何に関する修養がないのでどうやって分析していいのか

    分からない。それから幾何学には補助線を引いて点を見つける等色々な技があるますけれども、その技にしても修行しないとできるものではない

    一番難しいのはコクセタ先生から指導受けても結局は技を何回も繰り出すところにあると思うがいずれにしても初等幾何問題を一回も

     知らないような人が何も知らないで解けなどと言うことはほとんど無理だと思う。いずれにしても、パスカル定理などの有名な定理を使うとか

    他にも技が色々ありますが、どのみち芸術がなければできるようなことではない。

2022-05-01

漫画芸術ではないんだよ

芸術であれば批評もされるべきだけど、漫画芸術ではなくて読者の娯楽であって出版社にとっては商売から批評他人の楽しみに水を差し商売邪魔をする行為しかない。そんなの誰も求めてない。

そもそも批評が盛んな文学映画美術が発展したかというと、むしろ焼け野原みたいに衰退してしまってる現状。批評なんか寄生虫みたいなもんだから無い方がいいんだよ。

2022-04-30

anond:20220430105820

考えたら映ってないだけで女子供芸術されてるよね

偉そうじゃないから見逃されてた可能性もあるけど

2022-04-29

表現に関する法的根拠を真面目に解説する

1.刑法

まず、この手のもので一番強いもの刑法である

(太字強調は筆者による)

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律 第7条第6項]

児童ポルノ不特定若しくは多数の者に提供し、又は公然と陳列した者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

電気通信回線を通じて第二条第三項各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写した情報を記録した電磁的記録その他の記録を不特定又は多数の者に提供した者も、同様とする。

これらの表現たとえ大人相手しか売っていなくても有罪になる。

児童ポルノの方は基準がおおむね明確である(もちろん過激水着などボーダーラインのものはある)。

では刑法的な『わいせつ文章、図画』の基準はどこにあるかというと、現在基準は『無修正性器である。だから大人しか見ない(ことになっている)アダルトビデオエロマンガであっても日本では性器にはモザイクをかけねばならない。肛門はセーフである(はず。少なくとも2021年に発売されたアダルトビデオ無修正肛門が映っている作品複数確認している)。もちろん『修正が甘い』と判断されると違法になることはあり、以前薄消しが流行ってビデ倫関係者逮捕されたことがあるし、逆に『モザイク破壊もの制作した人も逮捕されたはずだ。

余談だが、AV女性器内を内視鏡で見るシーンなどではある程度中に進むとモザイクが外れているのでどうやら基準は外性器らしい。

もちろんこの基準医学書例外である

古典芸術(ダビデ像など)も例外であると考えられるが、ここでは一旦その是非は置いておく。

2.東京都青少年の健全な育成に関する条例

実は『18禁』に関する唯一の法的根拠はここにある。だが仕組みは分かりづらい。

条例のものは多数の都道府県にあるが、東京都条例を取り上げる理由は後述する。

この条例は『青少年に見せるには有害であるコンテンツについて規定している。『大人が見ても有害』は想定していない。

そしてこの条例では『表示図書類』についての定めがある。いわゆる『18禁である

(表示図書類の販売等の制限)

七条 図書類の発行、販売又は貸付けを業とする者並びに映画等を主催する者及び興行場(興行場法(昭和二十三法律第百三十七号)第一条の興行場をいう。以下同じ。)を経営する者は、図書類又は映画等の内容が、次の各号のいずれかに該当すると認めるときは、相互に協力し、緊密な連絡の下に、当該図書類又は映画等を青少年販売し、頒布し、若しくは貸し付け、又は観覧させないように努めなければならない。

一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年健全な成長を阻害するおそれがあるもの

二 漫画アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全判断能力形成を妨げ、青少年健全な成長を阻害するおそれがあるもの

第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。

18禁』をつけているのは誰かというと、基本的には出版社等の発行者自らもしくは自主規制団体がつけている。そのようなコンテンツ青少年に見せないようにする旨が書かれている。

それに対し、出版社18禁扱いしていないけれどこれは18禁にするべきだろ」というコンテンツは出てくる。そのようなコンテンツがいわゆる『有害指定』を受ける。

八条 知事は、次に掲げるもの青少年健全な育成を阻害するものとして指定することができる。

一 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、青少年に対し、著しく性的感情を刺激し、甚だしく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの

二 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、第七条第二号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を、著しく不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全判断能力形成を著しく妨げるものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの

そして重要な点として。東京都有害指定を受けた書籍は、取次が扱わなくなるため“事実上販売できなくなる

ではその『一般指定』と『18禁』を分ける基準であるが、実のところ『器具使用人格否定などの表現(星崎レオ氏のtweetより)』はそれほど重視されていないと考える(出版社が受けている指導として編集者経由でそのように聞いたのかもしれないが…)。

増田審議会議事録を読んだ限りで言うなら、主なポイント『性行為描写』ではなく『性器描写である

(というか、これは増田個人的意見であるが『性行為描写』を基準にする方がアホらしいと思う。まさか男性器を女性器に挿入する行為』だけをアウトにして他は野放しにもできないだろうが、『では何を広義の性的行為としてアウトにして何をセーフとするか』に基準が作れるとは思えない)

性器無修正だとそもそも刑法175条違反というのは先述したが、『性器モザイクなどの修正』だと基本は18禁になる。そこで『白抜きだけれど性器輪郭ははっきりしているか、いわゆる“謎の光”で周辺含めて飛ばしいるか』といったことが議事録には書かれている。(それがバカらしい、という点は増田同意する)

その点で言うなら、星崎レオ氏に関しては有害指定された該当書籍は分からないが、、それ以前の単行本では『男性器の輪郭が分かる白抜き』が使われており、正直かなりボーダーライン上ではある。

もっとも、女性に関しては「そもそも股間に何も描かない」という手が使いやすいのに対して男性でその手は使いづらい、というのはあるだろう。

だが一方で、男性器と女性器は平等に扱うべきであり、男性肛門女性肛門平等に扱うべきだとも思う。胸は平等ではないと思うが。


   わたくしは特に数学のような対象のことばかりを考える変質狂ではありませんし、特に幾何学のことばかり考えるなどという変な趣味もありませんので

    幾何学のような難しい問題に関して何でも解けるわけでもなく、数学の中にはとんでもないバケモノもありますのでそういう問題がお手上げということです。

    しか学生時代から整数論とか不等式は少ししておりましたのでそれに関する芸術は多少ありますがいずれにしても

      世界中でもほとんど解けないようなものはどうにもならない。

     最近東京大学京都大学問題等も色々見ておりますが、芸術観点から価値があるかどうかについて色々考えていますがあまり論評する気が起きないというのが

   現実です。

     まあ予備校先生が模範解答を作成できている以上、大した問題ではないと思う。

2022-04-28

出来る人の勝手偏見

ちんげ剃ってそう

歩くの早そう

芸術好きそう

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