はてなキーワード: 成田とは
ゼレンスキー大統領のオンライン国会演説のテーマが米では911と真珠湾だったが、日本では原爆だろうなと予想が盛り上がってる件。
第二次大戦は8/15の日本の降伏で終わったと思ってる人ばかりだがソ連に関してはそうじゃない。
時系列は
8/14 ポツダム宣言受諾、日本軍は全軍に攻撃停止命令、英米軍攻撃停止
8/15 玉音放送
8/18 占守島の戦い
8/22 三船殉難事件
と、連合国のうちでソ連軍だけが停戦せずに攻撃を続けた為に戦闘が継続し軍民に被害が発生した。
日ソ中立条約破棄は日本を降伏に追い込んで戦争を終結させる為だからまあいいとしてもだ。
だが8/15以後も攻撃を続けて避難民を殺したりしたのが是認できる訳が無い。
8/22 三船殉難事件というのは樺太(サハリン)の大泊から逃げる避難船をソ連潜水艦が留萌~増毛沖で3隻撃沈したっていう事件だ。
2隻は魚雷、もう一隻は浮上して機関砲を執拗に撃たれたものだが、この時撃たれた避難船は白旗を上げていた。でも攻撃は止まずに結局撃沈されて3隻で1700人くらいが死んでいる。
ゼレンスキー大統領が米議会で真珠湾を出したのが気に入らねぇとか言ってる奴等は馬鹿じゃねーの?アメリカじゃ卑劣な奇襲攻撃の代表格としてポピュラーだろ?という立場だが、8/15以降のソ連の行動は是認できるものじゃない。
米ソでヤルタ会談が行われ、千島列島はソ連にあげるってな密約がされたのな。
その上でソ連は釧路-留萌ライン以北の占領計画を勝手に立ててこういう行動をしていた。
占守島の戦いで膠着状態になっていた所にトルーマン大統領がスターリンに「北海道占拠するな」と釘を刺したので計画は頓挫されたが、それが無かったら北海道に上陸されて占領されていた可能性が高い。
無条件降伏した日本は第二次大戦の獲得領土だけじゃなくて明治以降の獲得領土も全部失うことになった。
でもそれに戦後納得が得られて「朝鮮台湾や青島は日本のモノだ!」みたいな意見が大きくならなかったのは連合国の方も領土を獲得しないっていう原則で戦後処理がされたからだ。
サンフランシスコ講和条約は日本の近代以降の武力や武力を背景とした干渉で得た領土を手放させ、過去の穏当で文化的な占有範囲を基準にして領土を決めている。
だがその例外が千島列島で、ここだけはヤルタ会談の密約が根拠になってるわけよ。ソ連だけがプチ帝国主義許されてる訳だ。更にそのうえで北海道ゲット計画もあったわけだ。
レーニンさん、帝国主義って資本主義の必然だったのでは?ソ連のこのざまは一体…?
SF条約に納得できても北方領土の方はおかしいと感じるのはこの為だ。SF条約の千島列島の扱い自体が領土不拡張原則に反してるからだ。
終戦後も海外領土から引揚てくる人が沢山居たのだが、地域によってその過酷さが違った。
資産は放棄せざる得なかったのだが、台湾とか米軍占領地では金銭の持ち出しは比較的緩かった。
でもソ連占領地では殆ど持ち出しが許されなかった。なので引揚船下りた後にどうしようもなくなってしまう人が多数出て、稚内とか新潟とか舞鶴とかの着地でそのままホームレス化してしまう人も沢山居た。
で、日本に土地もないので住居も農地も無く、持ち金もないスタートなので戦後復興や高度成長の流れにも乗れない人が大勢出て、高度成長期の末なのに未だ戦後を生きてる引揚者っていうのが1960年代に社会問題化したわけよ。
最終的に1967年に引揚者に対する特別交付金が支払われることになった。引揚者=苦労人の代表格だったのよ。
そんな風に引揚者への社会的同情が高くなっていた所に起こったのが成田空港建設問題ですよ。
当初の計画から変わって三里塚に決まったのだけど、その理由は満蒙開拓団引揚者の入植地で入植から日が浅いから多分おkって感じのなめた考えて、実際は満蒙開拓団引揚者入植地だから猛烈に開拓地に対する執着が強かった。戦後ゼロからやって来たわけやからな。
国が強引な舐めプで収用したもんだから新左翼が加わって国民的な引揚者への同情が高くなった直後だったので大紛糾したのはご存じの通り。
成田新幹線や接続高速道路まで頓挫したのは引揚者への同情が高くなった直後だったっていう事情ゆえで、これも新左翼のせいだと思ってる人居るが、んなわきゃない。
地主が抵抗したのが原因で千葉の広範囲の地主が左翼シンパなわきゃない。
成田新幹線用地を転用した線路を走るスカイライナー乗るとずっと住宅街の中通るが、実はあれは山林、農地を開拓したニュータウンの真ん中を通ってるのだ。ニュータウンの真ん中を成田新幹線が通るっていう一体化計画だ。
だから激不評な成田新幹線が通るとニュータウン関連の用地買収で地主が首を縦に振らなくなってしまう。なので自治体も成田新幹線計画に反対したのだな。空港本体と接続路線はちょっと事情が違う訳だ。
それもこれも引揚者の戦後困窮問題が元であって、特にソ連占領地で持ち出しを極限まで認めなかった事がルンペンプロレタリアート化の引き金になってるのだ。
だからゼレンスキー大統領とそのスピーチライターが日本の歴史良く知ってたら、多分原爆の被害と共にこういうソビエトロシアの行為を訴えるのではないかと思うのだ。
今のロシアがやってる事は満州国建設以後の日本の愚行そのもので、プーチンは変なヒッピー地政学みたいな本読む前に失敗の研究とか空気の研究読めよって感じなのだ。
その一方で戦後の時流を無視した領土拡張種主義の試みとか抑留の恐怖とか、ロシアのクソっぷりで共有できる経験がある。
…のだけど、例えば日本は悪くない史観なんかのせいで連合国の中でもソビエトロシアの為した理不尽さの線が埋もれてたり、単に忘れられていて、原爆ほどには日本人の心に刺さらないかもな、と思ったりもする。
自分と同じ境遇の人の助けに多少なったらと思い、雑文投下。(主に保険金のガメつい話だが、そこは許してほしい。)
コロナがどうのこうの、ガバ空港検疫がどうのこうののコメントがつくのは自分の意図するところではないので、そのへんはあえてスルー。
コインハイブというのは、ユーザーがサイト閲覧中にユーザーのパソコンを使って仮想通貨のマイニングをするという技術。
広告以外の収入源だ!サブスク 以外の収入源だ!と話題になっている。
これが叶うとどうなるか考えてみた。
まず、wikipediaはタダになるどころか、下手したらwikipedia編集者に金が払われる世界になるかもしれない。
広告に頼らないので、人間の恣意が入らないシステム的なお金の給付制度になるかもしれない、例えば、閲覧数の分に応じた収益のように。
そうなれば、wikipedhia編集だけで食っていく人間が出るかもしれない。
youtuberならぬ、wikipedierだ。
大事なのは、「広告に頼らない、サブスク に頼らない」ことで、「システムが透明な賃金獲得システム」が出来上がることだ。
公的な「オープンソースのプログラム」や「フリーゲーム」で下手したら商業より金が入ることすらありうるだろう。
そうなったら、本当に、企業に頼らない世界ができてしまうかもしれない。
成田先生が提唱している、「人間が政治をせずに、システムが勝手に決める社会」というのが到来するかもしれない。
物凄い技術だなあと思った。
先週アメリカ西海岸から成田空港に帰国しました。自分の記録のためと、これから帰国される方のために記したいと思います。
今回はアメリカの仕事がリモートワーク可能になり、半年ほどの予定で家族3人(私、妻、幼児の息子)で帰国しました。
出国前日、日本政府指定の検査センターに出向き、4人分のPCR検査を受け全員陰性の書類を取得。厚生労働省の質問票、所在確認のアプリ、誓約書などを用意。某記者がiPhone 6がアプリに対応していなくてレンタル料払わされたと言っていましたが、一連の書類の中に対応機種、対応していない場合の有料レンタルについてしっかり書かれていました。
出国当日、日本行きの便は乗客がかなり少ないらしく当日に飛行機の機体が変更になりました。乗機率は30%くらいで、帰国する日本人と日本を経由して他の国に移動する外国人は半々くらいでした。
飛行機が成田に着陸すると検疫から連絡が入り、まず日本が最終目的地ではない人たちから降機、それから日本に入国する人たちが降りました。成田空港のコンコースは閑散としていて、待機用のパイプ椅子が数百脚並んでいたのが印象的でした。幸い我々が到着した時は並ばなくてよかったのですが、テストを受けた後には200人くらいの列ができていました。それから一連の手続きとテストはとてもスムーズに行きました。係員の方が外国の方が多かったのが印象的でした。英語が話せる人を配置するためでしょうか、頑張れ日本の若者。
テスト結果が出るまで約1時間半。巷では抗原検査かPCR検査かと言う議論があるそうですが、私の経験では抗原検査が最適解だと思います。なぜかと言うと、同じ航空便で到着した人たちは空港検査、ホテル隔離、3日後の検査という一連の流れの中で同じグループとして扱わなければならない点。同じグループの中から1人でもオミクロン陽性者が出ると全員濃厚接触者として合計2週間ホテル隔離(当時)になるからです。私の乗っていた航空便では成田入国組は18人だったので、100人単位のPCR検査だと時間がかかりすぎるという点もあります。
空港検査では無事全員陰性で、成田空港からバスで1時間ほどの都内某所のホテル(女性社長が有名な)に移送されました。子連れで荷物が多くて大変でしたが、係員の方が手伝ってくれたのがありがたかったです。お部屋は激セマのツインルームですがここから3日間の隔離生活が始まります。
食事は一日三度、お弁当が配られました。ホテルのレストランが作っていると見られるもので、ご飯、唐揚げ、豚の生姜焼きなどのおかず、酢の物、ちょっとした野菜などが入っています。アメリカで出てくる食事に比べてレベルは高いと感じました。息子にはパックに入った離乳食が配られましたが、食べなかったので2回目以降はキャンセルさせていただきました。ちなみに、有名女性社長のカレーの本が部屋に置かれておりカレーが出るかなと期待していたのですが、出てきませんでした。気になるので自主隔離が終わったら食べに行こうと思っています。アルコールは厳禁。普段毎日ちょっとづつお酒は飲むので、大変でした。AmazonやUber Eats、家族からの差し入れは可能ですが、アルコール、常温保存不可能なものはすべて禁止でした。アルコールは係員立ち会いのもと検査されるという話でした。幸い弟が近所に住んでいるので、子供用のバナナや、コーヒーなどを差し入れてもらいました。
やることがないので、持ってきたヨガマットでトレーニングをしたり、子供とEテレを見たり、Numberの大谷特集を読んだり、ゼルダをもう一周したりして時間をやり過ごしました。アメリカ出国前は仕事が忙しくてバタバタしていたので、今回毎日10時間くらい寝られたのは良かったです。3日もするとあまりにも部屋が狭いので、子供のストレスが溜まって来ました。そして4日目の朝、運命のPCR検査です。ここで同便の18人のうち1人でもオミクロン陽性が出ると更に11日間の宿泊施設での隔離になります。幼児とこれ以上狭い部屋で待機するのは正直キツかったのでかなりドキドキしました。検査結果が出ると言われた時間から1時間半ほど待たされて、無事に全員陰性が確認され、成田空港にバスでドロップオフされ、家族に自家用車で自宅に帰りました。ちなみに我々より一週間早く入国した友人の帰国便でオミクロン陽性者が出たので、彼は2週間ホテルに缶詰でした。
今回の一連の経験を通じて思ったのは、この水際対策のオペレーションはかなりシリアスで大掛かりなものだということです。かなりの数のスタッフがどのチェックポイントにもあてがわれていて、日本政府の本気を感じました。検疫、隔離の最前線で働いてくださっている方々にはコロナ感染のリスクがあるなか、素晴らしい仕事をしていただいて本当に感謝しています。私達が日本の家族と再会することができたのはスタッフの皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。
01 アメリカで働きはじめた経緯
03 散歩中の視界に、立ちのぼる黒煙。「第二の真珠湾だ!神風だ!テロだ!」
04 真珠湾という言葉から透けて見えた米国の思惑。崩壊しないはずのビルが!?
07 被災後の日々
09 涙を浮かべる父親の姿を見て
13 日米犯罪人引渡し条約
19 生きる
20 いま伝えなければならないこと
増田の言葉からは「言われたことをちゃんとやったのに見返りがない」という受動的、奴隷的な思考を感じる。
扶養される立場の子どもや小中高の学生だったらそれが一番権力者にウケがいいけど、実社会に出たらそんな奴チャンチャラおかしいとされるじゃん、実際。
やりたい事やって周囲に迷惑をかける人間の方がまだ受け入れられる。
「言われた事やったのに社会はなんで助けてくれないんだ!」と自己憐憫に浸る引きこもりより
実家に帰る度に愚痴られるフーテンの寅さんの方がまだ社会に受け入れられる。それが現実。
上野千鶴子の言ってることは「30代の頃の水木しげる」や「成田悠輔の父親」を潰すようなもんで、それに対しては「うるせーバカ」っつってしぶとく生きればいい。
あの女の机上の話をまともに受け入れる必要はない。
先日オミクロン株が判明した男性は女性が搭乗した航空機の同乗者ではなく、女性は自宅待機期間中にもかかわらず、
8日から2日間にわたり会っていた。濃厚接触したこと間違いないね
男性はデルタ株ではないことが確認されており、オミクロン株の可能性が高いとみられる。17日にも解析結果が判明する。
男性は9、10日と職場に出勤。10日にはせきや発熱の症状が出ていた。そんな中で12日、天皇杯を観戦。
翌13日も出勤した。男性と一緒に観戦した家族3人と職場の同僚7人が濃厚接触者と認定された。
結果、全員が陽性判明オミクロン株も判明
オミクロンを持ち込んだ帰国者の女性は成田で厚労省大臣宛ての「自宅待機や他人との接触が守れなかった場合、氏名を公表する」旨の誓約書にサインしてるはず。ここにコメントしている多くの人たちに対しては、また「自粛警察」などという批判が出るかと思いますが、今回のケースは、誰がどう見ても批判される行為でしょう。
女性の方は、何のために自宅待機しているのか、理解する能力すらないのでしょうか?
男性の方も、自宅待機者に会うなんてもってのほかですし、その上、発熱があるのに、人が大勢集まるサッカー感染に行ったり、会社に行ったり、意図的にウイルスをバラ撒いていると思われても仕方のない行為をしています。
自分が感染するのは勝手ですが、頼むから、他人に感染させるような行為だけはしないようにしてもらわないと、たまったもんじゃないですよ。
父親は大工だったのですが、祖父から遺産相続した土地を売却したところ数千万の金が手に入り、
造田博が中学生になる頃には両親共に仕事を辞めてギャンブルに溺れるようになり、
岡山県立倉敷天城高等学校(偏差値57)に進学する頃には金がなくなり、
1993年11月、17歳の高校生の息子を家に一人置き去りにして、両親が失踪。
ギャンブルでできた4000万円の借金の返済を要求する借金取りは家に来続け、
高校生の造田博は食べるにも困窮し、借金取りの対応に追い詰められ、
1994年1月(高3・18歳)に高校を中退して実家から逃亡します。
元同級生の女性(親しくはなく、造田博が一方的に交際を求める手紙を送り付け、
家にも押し掛けるなどしていたが、女性の親に断られている)がシアトルに留学したので、
女性を追いかけて1996年6月(当時20歳)、200ドルしか持たずに渡米。
成田からロサンゼルスに到着後、西海岸をシアトルに向かって北上中に
ポートランドで行き倒れて錯乱状態になり、日本領事館に保護され、統合失調症と診断され帰国。
「世界中で見られる、生まれながらの精神障害者、奇形児の方々はすべて、歌舞伎町で会ったことが原因で患者になっています。だから私は日本で生まれることにしました。」
「国連のプレジデントに届けてください。世界中のプレジデントの方々に届けました。国際平和に役立ててください。強力な後押しになります。」
など、統合失調症の症状と思われる支離滅裂な内容の手紙を繰り返し送り付けます。
造田博が池袋通り魔事件を起こしたのは1999年9月8日(当時23歳)。
サンシャインシティの地下通路にあるエレベーターを上ってきた老夫婦
住吉直さん(当時71歳)と住吉和子さん(当時66歳)に襲い掛かり、
和子さんの左腹部を包丁で突き刺し、直さんの頭に金づちを数回振り下ろした上に右前腕部を包丁で刺しました。
倒れた老夫婦を確認した造田博は、東急ハンズ前で次の夫婦を狙い、
夫の高橋勝利さん(当時34歳)はパチンコ店に助けを求めました。
その後、高校生4人グループに包丁で切りかかり3人に怪我を負わせ、
ほとんど流れ弾で気の毒すぎる。
マスコミ各社も事前に同乗するために航空券を予約していたようで、機内で騒ぎになる事を避けるため、エコノミークラスに搭乗予定だった小室氏をビジネスクラスに「隔離」した。
ファーストやビジネスクラスはカーテンで仕切られており、エコノミーの客が流入してこないので隔離する際には都合が良い。
結局は航空会社都合によるインボラアップグレードであるが、何も知らないヤフコメ民やTwitter民が「JALが小室圭を特別扱いした!」と大騒ぎ。
数年以上にわたり、ラーメン評論家騒動で炎上中のはんつ遠藤氏がJALのWebマガジンに不定期で記事を執筆していた模様。
これに関しては執筆を依頼していたJALが悪い説もあるが、遠藤氏はいくつかのラーメン関連書籍を出版しており、評論家としての知名度は高かった。
http://hants.livedoor.biz/archives/52171234.html
https://twitter.com/CaptainSugie/status/1442003482152628230
杉江弘氏は元JALのパイロット。最近は羽田新ルート反対運動などで有名。
今回は秩父鉄道に侵入した共産党の撮り鉄議員こと山添氏を擁護してしまい、総叩きされている。
航空安全を説きながら、撮り鉄については「特に安全上の問題がなければ普通は警察沙汰にはしないのが常識だ」というのは通用しないだろう。
石見空港みたいな閑散空港ならランウェイに侵入していいとでも言うのだろうか。
こんな人が元JALと名乗っているのは気の毒であろう。