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はてなキーワード: 震災とは

2018-12-04

ミシュランはその評価の正しさ故に参考にしたくてガイド本買う人が多くてそれで権威化したけど、

流行語大賞なんて毎年何かしら「全然流行ってない」とケチついてるくらいだしな

本当に流行ってるかどうかより無難性や授賞式に誰呼べるかで決めてる所もある

オウム事件の時のポアとかのオウム関連用語や、震災時のぽぽぽぽーんとかが

確実に流行ってたけど不謹慎からという理由で除外された件もあるし

2018-11-29

anond:20181129221048

そうは言っても、震災韓国被害国際社会でどっちがより深刻だと扱われてるかといったら韓国の方でしょ

anond:20181129220533

言っていいことと悪いことがありますよ。

実際に震災で親類が死んでる人間のがいるんですよ。

自身をお喜びしますって、嬉々として垂れ幕を下げられる

そんなの許せるか?謝罪と賠償要求する

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

anond:20181125104515

国がなかったら大震災が起きても自衛隊は出動しないし

原発事故が起きても矯正作業命令を出す権力者はおらず東電撤退するから水素爆発を防げず大爆発が起きるだけ

津波で流された人らもそのままだ

anond:20181124080115

俺は震災原発事故後に水道水とかの規制基準がどんどんゆるゆるになっていったの絶対忘れないよ

特に人体に影響もないんだろうが、日本安全とやらへの信仰なんて所詮そんなもんなんだろなと思ったよ

別に外国が優れてるとか日本が劣ってるとかそういうんじゃなくて、どれも大して変わらんというだけ

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-23

anond:20181123230509

震災で鬱になって死んだ人もいるだろ。

2018-11-17

いち男オタクトラウマ「#meetoo」

最近ツイッターを眺めるとやれ抱き枕だなんだが槍玉に上がっているのを見かける。

もう一つ見かけたのがこれ→ ( https://t.co/x2y94dcoUn?amp=1

内容は読者各位が各々読んで確かめてほしい。

この2つの事柄を並べてまず何が言いたいかというと「こういう出来事には得てして『被害感』や『トラウマ』がひっついて回ってくる」ということだ。

これが悪いことだとは全く思わない、感情が起因の諸々はしょうがないことが多い。だからこそソレを根拠物事批判要求をするのは控えるべきだ…とは思う。狡猾な手段を用いるならば「子供が〜」などと主語すり替えることもある。

この辺りのバランスは難しいものだ。

長い前置きとはなったがここで僕の個人的トラウマ被害感を聞いてほしい。

まず単刀直入に言うと僕は「腐女子」が大嫌いだ。彼女らに対してトラウマを持っている。

もっと言うならば抱き枕に対して抗議の声をあげ市場からくそうとしている人々と同じロジックで僕は腐女子達がこの世からいなくなってほしいと思っている。

そのくらいの過激嫌悪感彼女らに持っている。

キッカケとなったのは2011年3月の大震災、当時福島県に住んでいた中学生の僕はモロに被害を受けたのである。その時に「原発デマ」というものが悪い意味流行ってしまった。

その時にネット(主にツイッター)を活用し、半ば福島県在住なのを公開していた僕は主にプロフィール欄に「腐女子」「腐」と書かれている人たちから猛烈な誹謗中傷を含んだバッシングを受けた。

さらに最悪なのがその後彼女たちの「オタク被害妄想、被害感」を見てしまたことだ。人を誹謗中傷した口で被害を語るのがどうしてもダメだった。

何故彼女たちが中心になって僕を叩いたかはわからない。雑に党派性を持ってこうだから、と言うことも出来るのだろうがそれはしたくない。

それ以来僕はこの「腐女子」と言うのが苦手だ。Twitterタグを付けて発信するならば「#meetoo」となるのだろうか。

でも僕は実際にこの「腐女子」そのものに対するバッシングしたことはない。いなくなってほしいとは思うがその旨を含む発言したことはない。

少なくともそこで攻撃したら「終わり」だし超えてはいけない一線ではある。

まあ、いざ僕がこの嫌悪感を表明したところで賛同及び共感してくれる人たちは少ないだろうというのもある。

「#meetoo」の文脈に乗せて言ったところで「一緒にするな」と怒られて終わりだろう。もしくは「そもそも叩かれるような言動をとっていたに違いない」と言われるかもしれない。

だがそれを踏まえるならば、何故彼女たちの主張は(是非はともかくとして)さも正当性のあるように語られるのか。

フェミニズム文脈に乗っているからなのか、その辺りはよくわからない。

最近ではこのBL趣向を政治的正しさLGBTへの理解と結びつけて自分たちの趣向を正当化しようとしている腐女子もいると聞く。

先ほどの「一緒にするな」「そもそも叩かれるような言動をとっていたに違いない」と言われるであろう言葉に僕が「セカンドレイプ」だと批判しても正当性はあるはずだ。

何が「正しい」のか、何が「間違っている」のかよくわからない。

今でも彼女たちはまだTwitterを続けているかはわからない。

だが今更名指しで批判するつもりもない。少なくとも彼女たちにも今の生活があるだろうし多分覚えていない。……まあ、自分の加害性を鑑みてないという点からは覚えていないのであればそれはそれで怒りが湧くが……

イーストウッドはかつての大統領選で「今は軟弱な時代だ」と言いトランプ大統領支持を(消極的ニュアンスではあるが)表明した。

今思えば、彼がその時に語った話は全くその通りだと思う。

2018-11-12

anond:20181112155532

共依存でしらべような。あるいは、魚をやるより、魚の釣り方を教えろということわざとか。

困った友達の裏にヤクザとかカルト宗教とか酒飲んで殴る父親がいたらどうだ。

変なとこに金が流れてこまってるのではないか確認しよう。何も考えずにエサやるのは批判される。

ただでさえ震災処理で国民貧乏なんだから

2018-10-30

[]劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~

劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。

総評

なんと100点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。とは言え、これ、評価難しい。良いところと悪いところと混在しつつ、今の自分からこの点数なんだけど、ちょっと違う自分だったらこの点数は著しく下がっていたんじゃないかと思う。いつにもまして主観的な点数であり他の人におすすめする自信がない。

アニメとしての出来は良かった。演出音楽なんかも水準以上の仕事をしてたんだけど、キャラデザ脚本声優の3点がそれ以上の出来だった。しかそもそも企画で疑問な点も多々ある。

無茶ぶり企画

大体の話原作マンガはいからさんが通るからして相当ボリュームが大きい作品なのだTVアニメ42話やっても完結できてないのがその証拠で、その原作を100分ちょいx2の前後編にまとめるということが最初から無理難題

から素直に作れば駆け足どころかダイジェスト気味になり、点数なんて30点前後になるのが当たり前だと思うのだ。今回の劇場版は、その問題に対して、脚本とか演出技術とかをぶっこんで善戦してたことは確かなんだけど、それってつまり「ハンデを克服するための戦力投入」に他ならないわけで、100点から先に積み上げていく役に立ったかと言えば難しい。

原作ジャンルは一応ラブコメということになると思うのだけど、原作はいからさんが通る』には実は様々な要素が詰め込まれている。主人公紅緒と伊集院少尉の間のラブロマンスを中心としつつも、大正期うんちくマンガの側面、スラップスティックギャグの要素、膨大な登場人物群像劇、そして女性の自立というテーマももちろん重い。

今回の映画企画では、これを前後編で本当にうまくまとめてある。駆け足感は否めないもの違和感は感じない。このへん優れた原作映画脚本の特徴でもあって、印象は原作に忠実なものの、実を言えば改変は結構大胆にはいってる。

今回映画で例を上げれば、大震災後の炎上する廃墟をさまようのは映画では紅緒、少尉編集長という3人なのだが、原作ではさらに鬼島を入れた四人だ。三角関係描写とその解消をクライマックスの中心に持ってくる構成シンプルに伝えるため、鬼島は退場させてあり当然セリフ再構成圧縮されている。

しかし一方でそういう技術的な圧縮だけでは全く追いつかないわけで、群像劇的なキャラクターを絞り、ギャグパートほとんど捨て去って、映画で残すのは「主人公紅緒を中心とした(はっきり言っちゃえば伊集院少尉と青江編集長との三角関係ラブロマンス」と「大正ロマン期の女性の自立」というふたつの大きなテーマに絞った。その判断は正解だと思う。

正解だと思うんだけど、じゃあそのふたつが現代的な視点で見て満足な出来に達しているかといえば――この部分が評価に迷った原因だ。

ダメピープルどもと光のプラスワン

はいからさんが通る』の原作からそうなので、映画(だけ)の問題点というわけではないのだけれど、個人的見解で言うと登場人物のメインどころのうち三人がダメピープルだ。

初っ端から大戦犯のラリサ=ミハイロフ。ロシア貴族である彼女は、満州出征中に部下を救うために突出して倒れた伊集院少尉を見つけ、その命を救う。しか戦争の傷跡で記憶を失った伊集院少尉に、自分旦那(死亡済み)の面影見出し、都合よく嘘記憶刷り込みして、自分の夫として病気自分の世話をさせるのだった。

いやあ、ないでしょ。どんだけよ。しかも病弱な自分を盾にして伊集院記憶を取り戻したあとも関係強要するのだ。クズでしょ(言った)。一応言葉丸めダメピープル(女性なのでダメンズではない)と呼んでおく。

じゃあ、そのラリサの嘘の被害者たる伊集院少尉主人公紅緒の想い人)はどうなのかと言えば、彼もまたダメピープルなのだった。記憶を失っていた間はまあいいとしても、記憶を取り戻し紅緒と再会したあとも、病弱なラリサの面倒を見るために彼女のもとにとどまり続ける。命の恩人だと言えばそりゃそうなのかもしれないが、周囲の誤解をとくでもなく、未来への展望を示すのでもなく、状況に流されて、紅緒のことが大好きなくせに「他の女性を偽りとはいえ面倒見ている関係」を続ける。続けた上でそれに罪悪感を覚えて、紅緒から身を引こうとする。

それだけなら海底二千マイルゆずってもいいけれど、ラリサが死んだあとは紅緒のもとに駆けつけるあたり、手のひら返し恥知らずと言われても仕方ない罪人である(言った)。っていうか伊集院少尉ラリサ関係は明らかに共依存でしょ。カウンセリング必要だよ。

とはいえ主人公紅緒もけして潔白とはいえない。病気ラリサに遠慮をして、二人の間の愛情を誤解して別れを告げられ、告げたあと、心がフラフラしている時期に、少尉実家を助けてくれた編集長にほだされて交際宣言。他の男性伊集院少尉のこと)を心に宿したまま、編集長結婚式まで行ってしまう。それは伊集院少尉に対してもそうだけど、青江編集長に対してはより罪深い。その嘘はやっぱり問題だと言わざるをえない。

――こういう恋のダメピープルトライアングルが炸裂して、映画の前半は結構ストレスが溜まった(この辺個人差はあると思う)。このダメピープル共が。問題解決しろ

まり北川悦吏子なのだ

両思い恋人がいい雰囲気になって決定的にくっつきかけたところで、理不尽トラブルが起こり二人は引き裂かれる! どうなっちゃうの二人!? 以下次週!! で、次週になってトラブルを乗り越えて、またいい雰囲気になると今度は二人が(独りよがりの)善意から身を引くとか、ずっとお幸せにとかいい出して、誤解のすれ違い。神の見えざる手によってやっぱり二人は結ばれない!

連続ドラマのアレ。アレなのですよ(机バンバン

北川悦吏子だ!」といったけどそれは北川悦吏子女史の発明品というわけではなく、自分の中での代名詞彼女だと言うだけなのだけど。もっと言うのならば、年代的にみても北川悦吏子が『はいからさんが通る』やら『キャンディ・キャンディ』に影響を受けた可能性は高く、むしろ原点はこちらだ。イライラは軽減されないが。

そんなイライララブロマンス時空において癒やしは青江編集長である

光のプラスワンこと青江冬星はまっとうで良い人なのだ。登場時は女性アレルギー(と大正時代的な女性蔑視)があったものの、雇用主として新人編集者である主人公紅緒を導き、支え続ける。その人柄に触れて、紅緒に対する愛情自覚したなら、変にこじれぬように即座に自分の口から誤解の余地のない告白を行う。これ以上イライララブロマの炎症を防ぐその手腕。良いね

しかも「お前の心に伊集院がいるうちは土足で踏み込まない」「いつかその気になったとき思い出してくれれば良い」といって加護者の立場に戻る。見返りを求めず、高潔で、慈悲深い。癒やしのキャラだ。

読めば分かる通り自分編集長推し原作当時からだ)なので、そのへんは差し引いてほしいのだが、ダメピープルの中にあった彼が一服の清涼剤であったのは確かなのだ

この映画のおそらく二大テーマである「紅緒を中心としたラブロマンス」はダメ人間もの間違った自己犠牲イライラするし(加えて言えば、何の罪科もない編集長貧乏くじも納得し難いし)、「大正ロマン期の女性の自立」については、無邪気と言えば聞こえはいいが無軌道体当たり主義の紅緒の迷惑編集長が尻拭いし続けるという構造なので、本当に自立しているのか怪しく、どっちもそういう意味ではスカッとしない。

まりこの映画は(原作込みで)イライラする。

60点。レビュー終わり。解散!!

大正東京の迷い子

でも、そうじゃないのだ。そうじゃなかったのだ。

上映終了後、イライラ&60点だと思っていたら、意外なことに結構穏やかな満足感があったのだ。この気持ちはなんだろう? 不思議気持ちで、言語化時間がかかった。

なぜなのか考えた。

紅緒が可愛いあんだけダメな娘なのに、可愛い

やったことや構造を追いかけていく限りイライラキャラではあるはずなのに、可愛い

やばいことに原作よりも可愛い

現代的に変更したキャラクターデザインと、作画と、なによりその声が印象的なのだ

作中、紅緒は本当によく「少尉」という言葉を口にする。二言目にはそれだ。

このおてんば娘は作中のセリフの大半が「少尉!」なくらい連呼なのである伊集院少尉のいるシーンでは脳内その声でいっぱいなのだ。声の表情というか、演技が本当に良かった。

少尉の事で頭がいっぱいで、東京から満州に行き、馬賊親玉体当たりで話を聞き、少尉を探して駆け巡る。東京に戻ったあとも諦めきれず、その面影を探して、亡命ロシア貴族にまで突撃を掛ける。紅緒は、たしかに、周囲を顧みない行動主義で、無鉄砲なおてんば娘で、そこにはイライラさせられる要素があるにせよ、少尉を求めてさまよう姿は、涙を一杯にたたえた幼子のように見える。

それでようやくわかったのだけれど、結局紅緒は子供だったのだ。

少なくともこの劇場版後編において、紅緒は迷子の子供だった。

愛する伊集院少尉とはぐれて、彼を探すために声の限りにその名を呼ぶ子供だった。

それが胸を打ったし魅力的だった。スクリーンこちから彼女を助けたいと思った。

劇場版 はいからさんが通る 後編 ~花の東京大ロマン~』は迷子の紅緒をハラハラキドキしながら見守り、応援する映画なのだ

大正ロマン期の女性の自立」というテーマに対してイライラするのも当たり前だ。彼女は行動力だけは溢れていて、家を出てしまうわ、死んだ(と思いこんでいた)婚約者実家に行って支える手伝いをするわ、女性ながら出版社就職するわするのだが、どれも力が足りずに周囲に迷惑を掛けてばかりで、そういう意味では「自立」はしきれていない。むしろトラブルメーカーだ。でもそんなのは子供から当たり前なのだ

彼女はその実力不足から失敗してしまうけれど、チャレンジをするのだ。失敗はチャレンジの結果であり、チャレンジをするという一点で彼女の幼さは正しい。

前述したとおり自分推しは青江編集長なのだけれど、彼は作中、何らミスらしきことをしていない。つまり罪がない。罪がない彼が、恋愛において自分の望んだ愛を手に入れられない(紅緒は最終的に伊集院少尉とくっつく)のが納得がいかなかった。その理不尽さにたいして原作読了時は腹がたったのだけれど、今回映画を見終わってしばらく考えたあと、仕方ないのかもと、やっと思うことができた。

なぜなら紅緒は(この映画物語の期間では)未熟な子供からだ。その子である紅緒が、青江編集長という加護者とくっついてしまうと、その保護力のお陰で自立できない。青江編集長は全く悪意はなく、むしろ大きな愛情で紅緒を守るだろうし、その実力がある人だろうけれど、その愛情は空を羽ばたく紅緒にとっては重すぎる。

はいからさんが通る』は紅緒が自立していく物語ではなくて、未熟な子供である紅緒が、自立のスタートラインに立つまでの物語なのだ。だから作中で自立してないのは当たり前なのだ

無鉄砲子供で、何かあればすぐべそべそと泣き、でも次の瞬間笑顔で立ち上がり再び駆け出す紅緒は、この映画の中でとても可愛らしく魅力的だった。

その紅緒は自分の心に嘘をつくという罪を犯し、同じく自分の心に嘘をつくという罪を犯した伊集院少尉と結ばれる。伊集院少尉少女漫画約束として「頼りになる加護者」として登場したが、罪を犯して紅緒と同じ未熟者のレイヤーに降りてきた。降りてきたからこそ「これから自立するいまは不完全な紅緒の同志」としての資格を得た。

青江編集長は同志ではなくてやはり保護者だから、どんなに良い人でも、「これから一緒に成長していく同志」にはなれない。

考えてみれば、紅緒が少尉を好きになった理由は「優しい目で見てくれたから」だった。けっして「助けてくれたから」ではない。彼女にとって助けてくれる(実利)は重要ではなく、ただ単にそのとき自分を見ていてくれれば十分だったのだ。

そういう意味で、青江編集長スパダリであり、伊集院少尉スパダリから降りて結婚相手になったといえる。宮野Win。「立川オワタぁ!」とか「ちゃんちゃんちゃんちゃんか♪」とか言い出さないんで、格好いい主要キャラみたいな演技だったからな。

顔を上げて光に向かって

そういうふうに言語化が落ち着くに連れて、紅緒の親友・環がしみじみと良かったな。と思えた。

「殿方に選ぶのではなく自らが殿方を選ぶ女になるのですわ!」と女学生時代気炎を上げていた彼女大正デモクラシーにおいて「女性の自立」を掲げて紅緒とともに時を過ごした親友である彼女

でも、彼女と紅緒の間にあるのは思想共鳴なんかではなかったと思う。

女性の自立」と言葉にしてしまえばそれはどうしてもイデオロギー的な色彩を帯びざるをえないけれど、本作においてそれは、そこまで頭でっかち教条的ものでもなかったのだろう。

劇場版サブタイトル元ネタはおそらく菊池寛短編小説「花の東京から来ているのだろうけれど、そこで描かれた女性(の自立と言っていいのかなあ)も、現代フェミニズム的な意味でのそれではなかった。どちらかと言えば「どんな環境でもめげずに生き抜いてゆく」という、ただそれだけのことだった。

それはもしかしたら、現代価値観ではむしろ非難される態度かもしれない。なぜなら、男性支配的な社会で「めげずに生きる」というのは、ときその男支配社会迎合しているようにも見えて、原理主義者には利敵行為とされるかもしれないからだ。

でも人間は結局与えられた環境ベストを尽くすしか無い。まだまだ男権社会的な大正社会も、作中クライマックスで描かれる関東大震災崩壊した東京も「与えられた環境」だ。

その与えられた環境の中で酔っ払って肩を組み、愚痴を言い合いながらも諦めずに笑い合う同志として、紅緒と環のコンビ尊い

ことによると、紅緒と伊集院少尉のそれよりも確かな絆があったのではなかろうか?

いつどんなときでも、どんな環境でも、うつむかず、意気軒昂と拳を突き上げて、笑顔で生きていこう! 女学生時代無鉄砲友情のそのままに、二人は大正という時代自分人生を描いた。

女性の自立」と主語をおけば、それは成功したり失敗したりしてしまう。でも彼女たちが持っていたのは、成功したり失敗したりするようなものではない。どんな環境でもくじけうず、へこたれず、転んでも立ち上がって歌を歌いだす。それはイデオロギーではなく心意気の問題なのだ彼女たち二人のあいだにあったのはモダンガールとして時代を先駆ける思想などではない。ただ単に、お互いがかけがえのない友達で、楽しかったのだ。

女の子は元気よく未来に向かって生きる!」。紅緒が愛しく思えたのは、多分その一点だったし、伊集院少尉彼女を愛したのもその一点だった。本作では描写が欠如していた伊集院少尉も、そのテーマに沿うなら、大震災後の東京意気軒昂未来をつくるべきだ。紅緒同様「未熟者の仲間」になった彼はそれが出来るし、その義務もある(でないと編集長はほんとうの意味道化者になってしまう)。

原作を読んだ学生時代には持てなかった視点をみせてくれた。その意味合いにおいてこの映画には100点をつけたく思う。

2018-10-27

anond:20181027141205

地震津波で残った家を参考にすると、信頼できるハウスメーカーが選べる?

2018-10-26

anond:20181026103710

情報なしで幽霊が視えるっていうのなら本物か、本物のキチガイだろうけど、

有名なスポットとか、大震災があったとかで幽霊が視えるって脳が作り出してる幻想だろとしか思わないわ。

2018-10-23

震災千羽鶴嫌悪されるのは真剣さが伝わらないか

正確に厳密に鶴を折ろう

宣誓に言われ適当折り紙したのが目に見えるような出来だから避難の的になる

ゼロコンマミリ単位で丁寧に制作すれば熱意が伝わろうもの

2018-10-20

奥尻島地震

平成に入って起きた大地震奥尻島を中心に大津波が襲い、200名超の方が亡くなられました。

この地震名前言えますか?

北海道南西沖地震です。

いつ起きたか言えますか?阪神淡路大震災より前?後?

1993年平成5年。阪神淡路の2年前です。

200人超の犠牲者という大規模災害ながら、言葉を選ばずに言えば、世間で忘れられがちだったのではないか

理由複数あるのだろうが、問題提起したいのは名前曖昧さ。北海道南西沖地震奥尻島地震だったら津波の恐ろしさとともに、もう少し記憶に残せたのでは。東日本大震災被害を少しだけ減らせたのでは。

東日本大震災典型例だが、広域の被害配慮して、広域な名前がつけられる。そして記憶に残りにくい。北関東被害も忘れるべきではないが、東日本大震災はやはり東北震災だろう。

災害に、もし意味を見出すなら、記憶未来への教訓しかない。そのためにも名前大事というお話

2018-10-18

anond:20181018080648

震災ネタなんて今でも規制されてるようなもんだろ。慎重に配慮しないと扱えない。

要は被害者の数と社会的反響の大きさにより配慮する期間が変わるだけ。

精々数人の特定殺人事件の遺族と、数十万人規模でいるであろう震災被害者&遺族じゃ数が違い過ぎる。

まして性犯罪被害者なんてそれ以上の数がいるからな。

2018-10-06

オススメ漫画アニメゲーム映画を教えて欲しい

昨日退職して、しばらく暇なのである程度長いエンターテーメントが見たい。

好きなやつを羅列するから、これも好きならこれも好きなはず!みたいなのがあったら教えてくれないか

図々しいけど

★好きな漫画

ガラスの仮面

はじめの一歩

るろうに剣心(他和月漫画エンバーミングは読んでない

幽遊白書(他冨樫漫画ハンタは途中まで読んだ

天使な小生意気(他西森漫画

からくりサーカス(他藤田漫画 うしとらアニメで見た

神のみぞ知るセカイ

極黒のブリュンヒルデ

シュトヘル

げんしけん(5年生とかジゴプリも好き

ゴールデンカムイ

東京大東京トイボックス

よしながふみ全般

柴門ふみ全般

入江亜季全般

水城せとな全般

九井諒子全般

・かげきしょうじょ

渡辺ペコ全般

安野モヨコ全般

★好きなアニメ

妄想代理人

四畳半神話大系

少女革命ウテナ

SHIROBAKO

血界戦線

★好きなゲーム

ガンパレード・マーチ

・俺の屍を超えていけ

すばらしきこのせかい

アヴァロンコード

ゴーストトリック

9時間9人9の扉

テイルズ全般

・アンダーテイル

最近やったので面白かったのは

デトロイト戦場バルキュリア4

追記しました---------------------------------

暇だから追記するけどこういうのもダメだったらごめん。

アンケートなのに答えてくれてありがとう

全然いたことないこれから見る予定が無いやつがあってワクワクしている。

出してもらったやつで、やったことあるのはだいたい私が大好きなやつだったので

皆見る目がありますね。

無限時間を埋めることができそうで嬉しいです。

アンケート増田死すべし

すまん、こういうのダメだったのか。以後気を付ける。

銀河英雄

アマプラで見れるようだったので今見てます。「銀河英雄伝説 Die Neue These」

戦争物ってあんまり見ないので新鮮で面白い。時代がかったセリフ回しがよいね

十二国記とかも好きだったからさ。

アヴァロンコード

めっちゃ好き。システムストーリー世界観マッチしてるゲームが好きなんですよね。

アヴァロンコード特にかわいらしいヴィジュアルが刺さった。

これが好きならアトリエシリーズが好きなのでは?私がすきなエスカ&ロジーアトリエお勧めする。

P5も面白かったよ。きっと趣味が合うね。

ウテナからイクハラライン

まさにイクニラインは追って行っていて、ピングドラムは好きだけど思うところあり、ユリ熊は普通に好き、さらざんまいに期待という感じ

細田サマーウォーズ劇場で三回見た、おおかみこどもはまあ好き、ばけもののこは落ち着けって思った。ミライは見る気がない。

出崎統あんまり意識してなかった。キルラキルとかの演出してる人なんだね。これから意識しておく。

>嫌いなやつだせ

嫌いなやつなんか覚えてないよ…

強いて言うならグロいやつかな。多重人格探偵サイコとか古屋兎丸はいけるくらいのグロ苦手

夜明け告げるルーのうた

おお、それがあった。ただ、四畳半神話体系は行けたけど、夜は短し歩けよ乙女はいまいちだった。

明石さんと違って乙女が好きになれなかったのがネックか。

湯浅政明が好きってわけじゃないのかなあ。でもまだわからいから見るね。

>いいか運動しろ

ぐうの音も出ない

蟲師

読んだことあったけど、コメントがあったか今日読んでる。やっぱおもしれえわ。

旅する一話完結ものいいよね。キノの旅とかもそうだけど、絶望の話と希望の話がごった返してる感がよい。

小説

本好きの下剋上気になってた。

栗本薫…完結しないとか聞いたことあるけど大丈夫

>おススメを語ってる人はいっぱいる…

かに。そういうのも見てるけど、誰かにおススメされたかってん。さみしかってん。

プリンセスチュチュ

えっなにこれ面白そう!!全く知りませんでしたわありがとう

ちょっとネタばれ見ないうちに早めに見る。

ガラカメとか、かげきしょうじょを出してるので分かる人は分かると思うんだけど

舞台ものが好きなんですよね。ちょっと違うけど累とかボールルームへようこそとかも好き。

ガンダム

ガンダムGガンのみ履修した。ラーブラブ!

神戸在住

(同じ作者の)巨娘がすごく好きだったんですよね。

関西出身なので、震災関係避けてたんだけど見てみようかな。

木尾士目的なのか…。

長谷川裕一

本当!?私この人好きかな!?ロボものガンパレしか上げてなかったと思うけど

歴史もの

三国志とか、西遊記水滸伝封神演義は読んだ(訳されてるやつ)

横山光輝吉川英治北方謙三司馬遼太郎をかじった程度。

日本のやつとか史実系は全くしらないのでおすすめがあれば。

★書いてなかったけどやって(見てて)て好きなやつ

ハルヒポプテピ・この世界の片隅に蟲師・スポフラ・ローゼンメイデンキルラキル

昭和元禄落語心中ペルソナ5鬼滅の刃ガンスリンガーガールプラネテス・NEWGAME

攻殻機動隊(押尾より神山作品好き。009も東のエデンも好き。もっと活躍してほしい)

パプリカ今敏もすき。妄想代理人パーフェクトブルーパプリカゴットファーザーズ>千年女優くらいの感じで)

シリアルエクスペリメンツレイン(いいよね。ゲームがやりたいけど出回ってないんだよなあ)

まどマギ(締切間際に梶原由紀音楽を聞くのが好き)

ダンガンロンパ(何を言われようともV3が好き)

るろうに追憶編(は大昔にみて好きだった気がする・・・

凪のお暇(凪ちゃん幸せになってほしい)

押見修造作品ほとんど読んでると思うけど、血の轍は読んでなかった!)

逆転裁判1(普通に好きなんだけど2~はやってないのでやろう)

プリティーリズム(RLからキンプリキンプラは見た。押しはベル様)

ジョジョ(7部が一番好き。バディものがアツい)

映像研には手を出すな!(ものを作る仕事だったので泣きそうになった)

累(最近完結しましたね。もっかい最初から読むか)

エルフェンリート(絵の成長がおもしろいよね)

動物のお医者さん佐々木倫子作品全部好き。HEAVEN?が一番好き)

いくえみ綾あなたのことはそれほど、とかおやすみカラス好き!)

森見登美彦とそのメディア派生作品ペンギン・ハイウェイが…たまりませんでした…)

★やったけど途中で投げ出したやつ

はたらく細胞(頭が悪くてついていけなかった)

善人シボウデス(3Dがいちいち動くのでテンポがしんどかった…)

ハンタハンター(完結してからもっかい読むね)

スプラトゥーンゲーム好きだけど、人とやるゲーム苦手なんだ)

★興味あったけどやって(見て)なかったからやりたいやつ

リンダキューブ大神(持ってはいる)ニーアオートマタ

Civilization絶対好き。AoEとか好きだったな。シュミレーション時間を溶かすよね)Portal

428、シュタインズゲートlife is strenge、GRAVITY DAZE(すごく興味があるんだけど多分酔う)

タクティクスオウガSRPG好きなんで絶対好き。)ペルソナ4ゴールデン銀河英雄

市川春子宝石の国アニメはみた)、吉田秋生テレプシコーラ吉野朔実作品岡崎京子岡崎まり氷室冴子夏目友人帳

フリクリヒストリエ解体ゲンカイジキングダム寄生獣

重版出来、電脳コイル、レヴュースタァライトアクタージュ、サイコパスコードギアス

ゲームオブスローンズ、ワンス アポン ア タイム

仮面ライダーOOOダブル

★全く知らんかった絶対好き、やり(見)たい!

5等分の花嫁ダンスダンスダンスール、昴と絢爛たるグランドセーヌ、ランドリオール

アンダーザローズ、ざくざくアクターズ、カイバ

竜と勇者配達人(ヴィジュアルめっちゃ好き)大砲とスタンプ、リウーを待ちながら

プリンセスチュチュ、せんぱいせんぱいせんぱい乾杯、せんぱいサンライズ須藤真澄、A子さんの恋人

2018-09-30

iPhoneGoogleを作る朝ドラヒロイン

半分青いの珍しかったところとして主人公が「そよ風ファン」という実在する扇風機開発者になる点がある。

NHK朝ドラでは「実在する人物」の人生モデルにして今まで何作もドラマが作られてきたが、そうではなく、実在する作品商品に対して「これはドラマ登場人物たちが作りました」と言ってるのは、今までも多少はあったが、ここまであからさまなのは半分青いが初めてではないかと思う。「そよ風ファン」を作ったスズメだけでなく、くらもちふさこ作品の作者になってる秋風羽織もそうだ。

これらが許容されるのならば、もっと突っ切って「iPhoneを作ったスズメGoogleを作った律、ワンピースを描いた秋風羽織」なんて設定にしてほしかった。

いや、NHKには今後の朝ドラを作るにあたっては、ぜひともiPhoneを作ったのは日本人女性として、脚本を書かせてほしい。

さすがにGoogleを作るみたいな壮大な朝ドラヒロインは書けないかもしれないが、東日本大震災と絡めて「LINEを作った朝ドラヒロイン」なら現実味がありそうだ。

仙台で暮らす主人公震災電話が通じなかった、そうだネットを使おう!LINE作ったよ!さすがヒロイン!みたいな朝ドラにがっつりハマる脚本になる。

2018-09-29

anond:20180929195212

奨学金」って国公立行く人にだけ出るのかと思ってたんだ。

親せきが事業失敗して、うちの親にも被害があったんで

父は私が生まれときからずっとカネカカネカネ言ってたし。

4大行かせるお金がないと言いながら、パチンコで年200万くらい使ってたらしい

日記出てきて、なんかもう唖然としてる。

親を信じずに、自分もっといろいろ方法を考えればよかったのかも知れません

仰るように、親の言いなりでした。

でも10代なんて、今ならWeb情報たくさんあるけど当時はなかったもの

親がケチで4大行かせないとか、恥でしかないし。

【私が苦しんだのは、父の言動コロコロ変わったこと。すべて父の言うなりで叶えたのに、そのたび新しい苛めを繰り返したこと

高校

公立しかダメ」→「男子いかダメ」→「女子校いけ」(言われると思ってなかった)→「私立は金食い虫」(最初公立に行かせてくれてたら安かったのに)

大学

「4大進学クラスでいいじゃないか折角成績で入れたんだし」→「短大クラス?いいじゃないか4大進学クラスで」→「4大推薦もらった」「女は4大行くと生意気になる、付属短大へ行け」

毎回裏切られたのに、毎回信じる私もアホだったなと。

社会

「お前を愛してるのは親だけ、他人は人の失敗を嗤う。」「両親だけが子供を愛している」

震災とき、水を運んでくれたのは、父ではなく、会社の同僚(同年代)でした……。やさしいのは、どっちだったのか。

anond:20180929133231

からだけど何で2009年の-5%超えを抜いてるの?

リーマンショック二番底2009年3月2009年からは復調の波があること

震災復興需要で消費が一時的に膨れたこから物価を算入する実質GDP民主政権時代に有利な指標なのは明らかなのに

わざわざ2009年を抜いて提示する意味が分からない。2009年込でも相加平均では負けるけど相乗平均では勝てるよ

anond:20180928225634

文章論理を考えずに、誰が言っているか、とか、見出し単語条件反射する人が多いからじゃない?

その情勢を的確に読み取って、議論を噛み合わせず、聞こえのいい単語強気な振る舞いで、長期政権を保っているのが安倍政権のいいところ。

噛み合ない議論&同時に大量の法案パッケージで通す立法スタイルなので、時間が足りず、議論が深まらず、

ガバガバな実情にあわない法律が通りまくるのが、悪いところ。

立憲のいいところは、震災経験した枝野代表など、一番きついとき政権の中枢を担った経験のある人がいるところ

たぶん政治主導で官僚に嫌われた苦い経験も、当時よりもうまく官僚を使えるんじゃない?

立憲の悪いところは、人員がいないところ、ていうかまあ自民とか維新とか見ても人員が多いだけじゃ、ねぇという感じなんだけど。

あと代表がまともに議論できる人で、安倍総理の様にダメージ無効化出来る(何言ってんだかわかんない)を使えないので、

しかしたら短命になるかもしれない。

共産党政権とったら、いつかは社会主義というスローガン永遠に掲げ続けてくれればとか考えたけど

自衛隊違憲と言ってるし、おまえら野党でいてくれ。

公明党政権をとって、みんな創価学会に入ったら、素敵な宗教国家になる。

anond:20180928042947

安倍支持ではないんだけど、批判したいあまり

過度に無能扱いするのは違うと思うんだよね

じゃあなんでそんな無能が盤石の権力の座に君臨し続けてるのって話になり

それは国民バカからだ=この国に希望はないか国外脱出しろ

みたいな某瞑想の人の結論に達さざるを得ない

そんなものは彼が震災後に言っていた放射能デマと同じ、悲観的極論に過ぎない

勝てないからって敵を侮っていてるだけではいつまでたっても勝てないし、惨めになるだけでしょう

バカにできれば勝ちみたいなブコメははっきり言ってだせーよ

嘘つきだったり議論や答弁が苦手なことは事実としても

なんらかの政治的能力に長けていることは認めた上で高度な皮肉をかまさないと

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