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はてなキーワード: 新書とは

2019-01-20

ドラえもんとかサザエさんとかワンピースじゃなくて

いわゆるアニメの中で

主観抜きにこれは傑作だと言われておるアニメを教えてください

あるいはアニメ分析した書籍文庫でも新書でも可)

2018-12-26

スカッと系まとめサイト中毒だった

姑に制裁ママ友制裁モラハラ旦那制裁、クソガキの親に制裁

制裁自体の適切/不適切は置いておいて、制裁相手となるような胸糞野郎を見すぎたこ自体が、心を疲れさせてしまったみたいだ。

胸糞野郎存在することは知っておかないと自衛ができず痛い目に遭う危険もあるだろうが、一週間前の私のように一日何時間もそういうのを読むのは度が過ぎている。

時間無駄

制裁物語から得られる快感への依存

ストレスを解消しつつ別のストレスをためている。

ほのぼの系にシフトしてからは心が穏やかになった。そして、Webサイト以外の新書とかを読む気も復活してきた。

死ぬまでに与えられた時間は限られている。これからは醜いものばかりを見つめるのではなく、美しいものに目を向ける時間を増やしたい。

2018-12-19

anond:20181219084214

それは新書版で出してもいずれ文庫版も出す可能性が大きく、

文庫版で重視されるのは携帯性(=軽さ)でしょう。小説や伝記はそうでも技術書上下まりわけないよね。

2018-12-17

anond:20181217181759

他人基準ではなく自分基準で生きるっていうのは、根本的には「自己肯定感を高める」という目的のために目指す。

どうすれば基準を変えられるかではなく、どうすれば「自己肯定感」を得られるかを模索するのが良いと思う。

基準の変化はその後についてくる結果のような気がする。

.

自己肯定感、って用語さえあれば、グーグル先生にきいても新書を買ってもそれなりに答えはでてくると思うけれど。

増田で短く紹介するとしたら、まあまずは良かった探しだよね。

鏡を見ながら自分を声にだして褒める。毎日やる。

あとは単純に精神状態ダウナーにしない。

夜ねて朝起きてバランスよい食事をして適度な運動して、演技でもなんでもよいからとにかく笑顔になったりする。

そもそも自己肯定感が低い原因を自分なりに知っておく。

子供のころ褒められなかったのか? 学校で酷い失敗をしたことがあるのか?

原因が判っていれば、それが理屈でいえば大したことではないことも判ってくる。

anond:20181217124349

見えない汚染電磁波から身を守る 古庄弘枝 講談社+α新書 講談社 2010

顔のほてりなど「12兆候」に要注意!

電子レンジIH調理器、携帯電話を疑え

携帯電話イヤホン電車内で電源を切り、家電から1メートル離れて免疫力アップを!

「アレッ、今、何をしようとしていたんだっけ」と、瞬間的に記憶喪失に陥る。「眠りが浅くて、すぐ目が覚める。子どもの寝起きも悪い」(中略)そんな、日常の「ちょっとした異変」に気づいている人は、次のことを確かめてほしい。家や職場の周りに携帯電話基地局がないかどうか。(中略)室内で使っている電話インターフォンが子機付きで、それらの近くで過ごすことが多くないだろうか。(中略)これらのことに心当たりがあるならば、ぜひ、本書を読んで、対策をとってほしい。それら「異変」の原因が、電磁波(マイクロ波)である可能性が高いからだ。電磁波は「見えない」「臭わない」。しかし、確実に生体に「悪さ」をする。そして電磁波危険性について「知った」なら、1人でも多くの人に伝えてほしい。――<「はじめに」より>

全体的にしょーもない新書多いし、こんな明らかなトンデモ本も混ざってるし

大丈夫なのか日本小児科学会

2018-12-14

[]パワーカップル

1980年代アメリカで使われはじめた言葉で、「恋愛ドラマの主役のような誰もが憧れる素晴らしいカップル」を指す。

英語では「スーパーカップル」とも呼ばれ、典型的には「セレブ同士の結婚」や「有名芸能人同士の結婚」がそうみなされることが多い。

スーパーカップルに比べるとパワーカップルのほうがやや社会的地位評価されているかもしれない。

以下は2012年芸能ニュース

スーザンさんは夫ロバート映画プロデュースを4本以上手がけており、2人はビジネスでのパートナーシップと、プライベートライフを見事に両立している、数少ないハリウッドパワーカップルだと言える。

http://japan.techinsight.jp/2012/02/07braune_robert_downey_jr_baby_bo.html

3人の養子と3人の実子を育ててきたハリウッドきっての“パワーカップル”と言われてきたブラッド・ピット(48)とアンジェリーナ・ジョリー(36)が、ついに婚約したことを今月14日に発表した。

https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120424/enn1204240720002-n1.htm

それが日本では、2013年新書夫婦格差社会』によって、「高学歴・高所得共働き夫婦」を指す言葉として広まる。

「昔は夫が働けば妻は専業主婦となったが、今は夫が高収入でも妻は仕事をやめないので収入ますます増え、ウィークカップルとの貧富の差が広がっている」という趣旨で、

この時点では年収などに明確な基準はないし、「勝ち組カップルが羨ましい」というような論調でもない。

高収入共働きカップル」という定義が先にあり、その後、各自がそれぞれに「自分が思う高収入とはこのあたり」と基準を示していったわけだ。

たとえば2015年野村総研『なぜ、日本人の金融行動がこれから大きく変わるのか?』では、

20~50代の共働き夫婦で合計年収1千万円以上の「パワーカップル

2017年のニッセイ基礎研究所定義では、

夫婦ともに年収700万円超の世帯を「パワーカップル」(全体の0.5%)

2018年の三菱総合研究所定義では、

パワーカップル」は共働きで、夫の年収が600万円以上、妻が400万円以上で世帯年収が1千万円以上の夫婦を指す。(全世帯に占める割合は1%程度)

といった塩梅なので、必ずしも「徐々に基準が下がっている」というわけではないし、

年収1000万以上の共働きカップルでも1%しかいないのだから、いずれにせよ超マイノリティには違いない。

2018-12-12

anond:20181212104133

そうだな。でも増税と逆に積極財政すれば税収が増えて……とか、ユーロなんか採用するから国債じゃなくて造成する羽目になって……いう話ともからむしな。話が広くなりすぎる。

あと、イスラムじゃねーの、とかは普通に違うぞ。

もとの統計……とまではいわんでも、関連の新書ネット記事でも探してみなされ。

フランス出生率はまじでホットトピックから簡単に見つかるよ。

2018-12-10

新書面白い本を知りたい。

ビジネス書じゃなく、知らない事が知れて面白い系の本。

2018-12-09

知見を広げられる書籍を教えてください

希望



好みでは無い、求めていないもの



個人的面白かったもの

2018-12-02

えらい人が言う「本を読め」は

どのジャンルの本を指してるんだろう。

ビジネス書

人によってはそんなもん読む意味ないって言うよね。

小説新書

2018-11-21

anond:20181121204112

文庫政治経済ビジネスジャンルってほとんどないよ。

そういう時事ネタあんまり長くならない話題は主に新書で出る。

文庫は10年ぐらいそのままでも腐らないような内容の本を出すとき形式から

2018-11-17

百田尚樹の本に参考文献がないとかそういう話

はじめに書いておくと、『日本国紀』がデタラメの塊なのはかれの書くノンフィクションデタラメだらけなのを見ていれば容易に予想がつくことで、『日本国紀』がデタラメだというそ結論に異議を申し立てるつもりは毛頭ない。あんデタラメ本をわざわざ読み込んで批判されている識者の方々には心から敬意を表する。

だけど、ちょっと待ってほしい。参考文献がないという話だ。いや、参考文献が大事なのはわかる。研究書に参考文献がないのは論外だ。そして『日本国紀』にも参考文献が書かれていないということで、こんなん歴史書としてありえないとかさんざん言われている。『日本国紀』がクソなのはよくわかるのだが、参考文献リストがないからクソとか言われてしまうと非常に困惑する。

なぜなら、現に「参考文献が書かれてないけど、良い一般向けの歴史入門書」というもの存在しているからだ。

ぶっちゃけて言うと岩波新書で出た入門書の類である中公新書講談社現代新書最近「もう選書でやれよ」と言いたくなるくらいに参考文献リストを充実させており最近だと本文中での典拠明示もバッチリやっていたりするが、岩波新書は参考文献を載せていない一般向けの歴史の本というもの継続的現在に至るまで出し続けており、その内容がデタラメというならともかく出版から時間が経っても良質な入門書として評価され得るようなものだったりする。

百田批判したいあまりに「参考文献がないなんてありえない!」と言われると、過去岩波新書出版され私を現在研究分野に導いてくれた良書の数々が肩身の狭い思いをするので、もうちょっとこうなんというか、手心というか……。

参考文献は、当たり前だけどあった方がいいに決まっている。仮に知り合いが「これから一般書を書くんだけど、編集さんから参考文献は削ってって言われちゃった。どう思う?」って言い出したら「いや編集とバトルしてでも参考文献載せろよ」って言うだろう。だがもう出ちゃった本に対しては「良い本だけど、参考文献があればもっと良かった」としか言いようがなく、百田の本を叩きたいあまりに参考文献リストがないなんてありえないとか無価値だとかそんな言い方をされると、気持ちはわかるんですがそれはちょっと賛同できないっすね……とボソボソ呟くことしかできなくなってしまう感があり、あれだ、みんなもっと色んな本読もう……

本論とは違うが、ちょっとだけ言いたいこと。

参考文献は必要だが、「巻末参考文献リスト」はなくてもよい。あった方が便利なのは確かだが、本文中に典拠が明示されていれば、紙幅を気にして削ってしまってもよい。文系場合、参考文献を示すのに色々な表記方法が有り得るが(MLA styleとか)、脚注書誌情報を記すやり方もあり(具体的にはシカゴスタイル見てもらった方が早いかhttps://www.chicagomanualofstyle.org/tools_citationguide/citation-guide-1.html )、この方式場合参考文献リストは「あれば便利」という位置づけに過ぎず「必須」ではない。いやもちろんあった方が便利ですよあった方が。でも脚注だけでも「典拠を示す」という最低限の役割を果たし得る以上、紙幅が足りないねじゃあどこ削るとなったときに真っ先に参考文献リストを削るだろうなと思う。別にこれは日本語圏のみのルールではなく、英文査読誌でも脚注典拠を示させるスタイル場合は参考文献リストをつけない場合が多いんじゃないかな(author-date方式場合は当たり前だけど参考文献リスト絶対必要です)。たとえばこの雑誌https://www.tandfonline.com/action/authorSubmission?show=instructions&journalCode=fnep20脚注スタイルなので参考文献リストつけません。甚だしい場合書籍からも参考文献リストを抜くことがある。いやほんと参考文献リストをつけてほしいのだが、しかし出典表記義務はきちんと果たしているので、問題は単に「チェックしづらい」というだけだ。なのでめんどくせーと思いながらも注を丹念に辿って出典チェックをしたものです。ちなみに日本で出た一般書の話ではなくハーバード大学出版から出た英書の話なので誤解なきように。出典注とfurther readingはついてるけど引用文献リストはついてない、というのも見るな(MazowerのDark Continentとか)。

「巻末に参考文献リストを置いていない」ことと「いっさいの出典表示をしていない」は文系においてはまるっきり別の事柄であり、「参考文献がないのは駄目」という言説が後者意味で言われているならいいのだが前者の意味で言われているのならそれは明白に間違いなので勉強し直してほしい。いやだって文系研究書を乱読していれば絶対に「注で参考文献を表示しているけど、巻末に文献リストはない」本に一定数行き当たるでしょ……?(あー、社会学文化人類学のばっかり読んでたらそういう本には当たらないかも。文学とか歴史学とかだと稀によくあるんだよなー)

あと、新書とかエンタメ路線に振った本とかで注がないのは許せるのだが、ほぼ研究書並の分厚い本を書いておいて注を省くのは本当にやめてほしい自分の専門からは遠いから名指ししておくと最近出たやつだと『アイルランド革命1913-23』とか『ドイツ植民地研究』とかですね。新書とかは学識の折り詰めやエッセンスのようなものなので厳密な出典注を省いても別にいいというか対象読者が違うし……感もあるのだが、この厚みでこの内容で出典注ないのは勿体ないし価値を下げてしまっている。いやもちろん両方ともきちんと緻密な参考文献リストをつけてくれているのである程度は出典の見当がついたりするのだが、このボリューム、この内容で注なしは流石に……これなら、注をつけて文献リストを省いた方が100倍マシだと思う。だってどこを参照してるかわかんないじゃん……いちおう言っておくと英語圏でもこういう「なんで! この厚みで! この内容で! ちゃんと注をつけないの!」という本は存在するので日本文系ガラパゴスだとかそういう話を始めないようにね。でも注を省いてこのお値段なら注をつけたらいったいおいくら万円になっちゃうの……? というのも一方で思ったりするので難しいところなんだよな。ただでさえ日本語でも英語でも学術書は高いのにねえ……

2018-11-05

不倫相手の子どもが欲しい - GOOD GENES と GOOD DAD を知った話 -

まさか自分不倫をするとは思わなかった。しかもそれが2年半も続くなんて、想像もできなかった。

ニュースで、不倫が原因で仕事を干されたり、活動休止を発表する有名人の話をよく目にしますよね。そういうニュースを見ても、自分の身には関係のない、理解共感もできない話だと思っていました。

夫(当時はまだ彼氏)とのセックスに不満はあったけれど、一緒に暮らすのは楽しくて、別れるつもりはなかったし、他の人となんて考えられなかった。

でも、「その時」は簡単に訪れた。

そうなることが当然であるかのように、台本でも用意されていたのではないかと思ってしまうくらい自然に、私は他の男の人とも寝るようになった。

セフレといえばそうかもしれないけど、その呼び方はどうもしっくり来なくて

私が結婚してから不倫なのだけど、その呼び方もしっくり来なくて

人に話したことはないけれど、誰かに説明するとしたら、そういう関係と言わざるを得ない男の人が、私には3人いる。

自分がどういう心理状態なのか分からないので探してみた

からしゃべることが苦手な私は、自分気持ち言葉にするのがすごく苦手で、というか、そもそも自分がなにか感情を抱いているのかどうかも分からなくなることが、よくある。

自分のことが、分からない。

結婚して挙式や新婚旅行を終えて落ち着いた今、自分の将来をどうしたいのかが分からない自分に(今さらながら、改めて)気がついた。

彼氏(夫)以外の男性と会うようになってから、本当に自分でも驚くくらい、毎日身体も心も満たされている感覚がある。純粋恋愛を楽しんでいるような、味わったことのない感覚恍惚としていた。それは、彼氏(夫)といる時にはなかったような新鮮な刺激だった。

一方で、彼氏(夫)と暮らす毎日は、それはそれで別の次元幸せである。何が幸せかというと、「衣食住の価値観が合う」「頼れる」「かわいがってくれる」ということに集約されるような気がする。とても楽で、とてもQOLが高く、なによりも幸福を感じられる。

性的に満たされない、という部分を除いて。

このままでいいわけがないと思いつつ、このままでいたいような気もしていた。

普通じゃない道を進んでいる気もするし、よくある話のような気もした。本能的には、間違っていないような気さえしていた。

今の自分をちきんと捉えて言葉で整理しないとどんどん苦しくなる気がして怖くなった。

そこでようやく私は、自分客観的に見ようと思った。

自分言葉で考えるのが苦手な私は、世の中に溢れる情報の中に、答えを求めたのだった。

良い遺伝子(グッドジーン) と 良い父親(グッドダディ)

恋愛系のお悩み相談ブログとか、分析系の記事というのはネット上に溢れていて、そういうものをいくつか読んでみたり、専門家の本を読んでみたりした。

不倫 なぜ 」とかってひたすらググった。笑

一番しっくりきたものとしては、

「人はなぜ不倫するのか」という、様々な学問専門家インタビュー形式不倫について語ってもらうという内容の新書があり、次のような話が載っていた。

女 =メスにとっては 、 「グッドジ ーンとグッドダディ (よい遺伝子かよい父親 ) 」は両立しにくい問題です 。だからこそ 、適当な男を確保しておいて子を産み 、あとから別の男と浮気してよりよいグッドジ ーンを取り入れるメスがいるのはうなずけます本来 、女にとっては夫よりいい男との子を産むことに躊躇はないはずですから

モテる男の要素として"good genes, good dad" という考え方があるらしい。

この考え方は恋愛工学という類の書籍でも目にした。提唱者が誰なのかは分からないけれど、不倫をしている(夫がいて、夫以外にセックスするパートナーがいる)私にとって、今の自分が揺らいでいる根本的な原因を言い表しているのはこれだ、と思った。

まり、私にとって夫は圧倒的にグッドダディであり、不倫相手は圧倒的にグッドジーなのだということです。

そういうことか・・・

と納得するうちに、今の自分が何をしたいと思っているのか、分かってきた。

そしてそれはとんでもなく恐ろしいことだった。

気づいてしまった自分本音

「夫と暮らしていたい、そして不倫相手のこどもがほしい。」

グッドジーン、グッドダディの話を読む中で、自分の中でもやもやとしていた思いが言語化されていくのを感じた。

グッドジーである不倫相手の子どもがほしいという気持ち自分の中にあることを、はっきりと自覚したのだ。

しかもその子はグッドダディである夫と一緒に育てたいと思っているということにも気付いた。

自分気持ちに素直に向き合って、言語化してみると、恐ろしい本音が浮き彫りになった。

そういうことか。

なんということだ。

しかにそう思ってるかもしれないけど、

改めて言葉にするとすごいやばい

当事者同士で解決するしかない

自分気持ち、望んでいることをようやく言語化することができた。

では、どういうアクションを取るのが最適解なのだろうか…

夫に黙って不倫相手のこどもを作る?

そんなの、隠し通せる気がしない。

でも、不倫相手のこどもがほしい。

でも、離婚するのはいや。

離婚が嫌というか、夫との暮らしを手放すのが嫌だ。

結婚しなければよかったのだろうか。

この先、夫とも不倫相手ともうまく付き合っていく方法はないのだろうか。

自分客観的に整理してみた結果、

より深い迷宮

足を踏み入れることになったような気がする。

2018-11-04

anond:20181104014626

自分が読んでる本を「重厚もの」って言うの、なんか背伸びしてる感じがしてダサいわ。イキっててきついし、むしろあんま読んでないんだなって思う。

おれくらいになると貧困問題新書経済学の専門書を読んでるが普段東スポ以外で活字を読むことはありませんて言ってる。

2018-10-28

新書単著まで出してるようなのが頓珍漢なこと言ってるのをツッコミ入れたらセレクティブエネミー!て、ええー…

誰が言っても野放しにしろってことかよ…

2018-10-25

anond:20181025110954

あの人は自分で、俺は便利だから社会学者って経歴を名乗ってるだけです、って言ってるんだ。

そう前置きしてからガチ社会学者全員に話を聞きに行く新書はなかなか面白かった。

2018-10-22

教養の有無と人生の充実

社会人になって数年。最近痛感するのが教養の有無と人生の充実の相関だ。

年収が高く役職持ちな人はみな教養持ちだ」、といった次元が低いことが言いたいのではない。

教養のある人物はなんというか、充実感に満ちており有意義に生きていて感性も見た目も若い気がする。

趣味も多いし、フットワークも軽い。何歳になっても好奇心知的探求心が衰えないのだろう。

少しでも気になった事があればその日の帰り道で専門書を買って熟読、海外だろうが平気で現地に赴いたりする。

常に勉強を欠かさないし、当人は「勉強」を苦を伴うものと思っておらず、むしろ楽しんでいるのだ。

類は友を呼ぶのか、周囲の家族や友人も相応に知的な人が多く、頽廃的だったり怠惰人間はあまり見受けられない。

当然、教養のある人はそれ相応の社会的地位についていることも多い。

社会的地位を獲得した後に付け焼き刃で教養を身に付けたのだろうか?いや違う、幼少期からの習慣の積み重ねだろう。

こういった知的な態度を有する人たちに接すると、無教養・無学な自分コンプレックスを非常に刺激される。

教養のある人達の会話はありきたりな雑談の途中で話題が予想しない箇所に飛ぶのだ。

姫路城改修から池田輝政の功績に飛んだり、クリミア半島からソルジェニーツィン著作に飛んだり。

ベラスケスやらサルトル、後期コルトレーンの話が出たこともあったが、無学な自分ではちんぷんかんぷんだ。

こちらが話題に参加できないでいると「あ、興味ないよね〜。うんちく晒してごめんごめん。」とすぐに平謝りし、

それ以降はグッと敷居を下げた会話(ワールドカップやらジブリアニメ、近所の旨いラーメン屋の話など)を展開してくれる。

こういう出来事が何度かあると、彼らはそのことを覚えているようで配慮からハードル高めな話をあまりしてこなくなる。

その「優しい配慮」が、かえって悲しいような悔しいような不思議感覚自分の中に呼び起こさせた。

上記の行動は、彼らの衒学趣味由来の嫌味や当てこすりだろうか?私にはあまりそう思えない。(ゼロではないだろうが。)

第一、こんな何処の馬の骨分からん小僧マウンティングしたところでなんの得もない。

なんというか彼らの「知」に対する基本的スタンスは、自分のそれと一から十まで

まるで異なっていて、そのほころびに自分勝手につまづいて痛がっているだけなのだろう。

痛がっている自分を見て彼らは「まずい!」と察し、ほころびを取り除くために

平易な話題シフトしてくれいているのだ。その気遣いが余計に胸に刺さった。

加えて彼らの凄いところはジャンルの垣根を設けずに、気になったら徹底的に探究する姿勢だ。

自分子供の頃から怪獣映画が好きなので彼らとの酒の席でシンゴジラ話題が出た際に、

第五福竜丸被爆事件からゴジラ誕生した、田子の浦港ヘドロ公害からヘドラが生まれ

バイオテクノロジーの隆盛からビオランテが生まれた、シンゴジラは言うまでもなく津波原発である

といったような感じで社会問題ゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列簡単に話した。

すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。

ありがとう勉強になった。もう少し調べる。」とその場でアマゾンを使い、DVD解説本の購入を済ませていた。

うーむ、この人たちには逆立ちしても敵わないなぁ、と帰りのタクシーで溜め息が漏れた。

(次に会った時には彼は初代ゴジラはもちろん、宇宙大戦争やらサンダ対ガイラまで鑑賞済だった。これには舌を巻いた。)

彼らは目の回る忙しさの合間を塗って絶えず教養を身に付けているのだ。多忙な彼らの何倍も時間を有している自分には教養がない。

自分も彼らのような「知」に対して極めて能動的な人間になりたいが、どうやったら彼らに少しでも追い付けるのだろう。

なんにでも興味を持つ知的探究心。古典から新書まで常に読書を怠らない継続力。そして読書で得た知見をすぐに実行してしまう行動力

自分のように怠惰で流されるままに生きているような人間では彼らの足元にも近付けそうもないが頑張ってみよう。

ソルジェニーツィン、読んでみますね。あ、ドストエフスキーすら読んだ事ないからまずはそこからか。

2018-10-11

anond:20181011083926

anond:20181011083926

バトラー議論がテキトーに数行に要約されそれが正しいかのように流通

それをベースフェミキチガイかーの大合唱になって酷い惨状だが

まともに理解し、考えたいという人がいれば、それに資するように新書の参考文献を挙げておきたい

仲正昌樹 現代思想の名著30 ちくま新書

著者は金沢大学法学部思想史先生思想論点整理、まとめがうまく

啓蒙書を一杯書いており思想哲学に興味がある人には著名と思う

何故この本をあげるかというと

まず、フェミガーで溜飲さげるアホが多いようなので

普通に現代思想として思想方面で取り扱われてる議論ですよというのを示すことと

あとバトラー理解するには、フランス現代思想構造主義ポスト構造主義理解必要だが

この本では先行してそれらが解説されたあとバトラー議論が紹介されるため議論理解がしやすいこと

電子書籍があること

その三点

anond:20181011040543

ぶっちゃけ話をすると,私はこれまで「別に査読はなくてもいいだろ」という話を延々としてきたのだが,ブコメやらtwitterやらで文系擁護派の一部の人が「人文系学問査読になじまないんだ!」みたいな議論を始めてることには正直困惑している.

日本語文学関係査読つき論文とかたくさん出てるし,というか英文文学を専門にした査読誌は普通にあるし,国際的和文査読誌も存在するし,問題のおおもとになった日本社会学会には和文英文査読誌があるわけで,文学社会学論文本質的査読に馴染まないなんてわけはない(実定法学は知らん).査読できるならした方がいいだろう.学術的ではないエッセイにまで査読を求めるのは間違っているけれど,新規性のある学術論文査読制度に向いてないと言い募ることもおかしいと思う.

査読になじまない型の研究としては,たとえば史料校訂とかそういうのが挙げられるかもしれないけれど,それだってやろうと思えば外部チェックは入れられる.論集だってもし余裕があれば査読をした方が質が高まるし,選書系や新書系ではない単著査読をした方がいいだろう(このへんは出版社の体力との相談になってくる面もあるので,今すぐに査読制度を取り入れろとは言えないことがもどかしいtwitterではOxford University Press査読つき単著刊行した人が議論していたけれど,OUPと日本出版社は体力違いすぎるんで……).

私が査読なしの論文を業績として認めるべきだと主張するのは,現在査読がなくとも良質な論文や著書が多く存在しており,それらを形式的査読されていないという理由だけで無価値であるかのように扱うのは間違っていると考えるからだ.だが未来永劫査読すべきでないと主張するつもりはない.

もちろん査読という制度には様々な問題があるので,全面的な導入に慎重になるのはわからないでもない.文系分野での査読制度の拡大は止められない趨勢だろうが,一方で「査読されていないものの良質な文献」も産出され続け,全面的査読制度の導入まではかなり遠いだろう.そのあいだにじっくりと議論をすればよいと思う.査読がないか文系は無価値だ! と絶叫するのでも,文系査読はなじまない! と拳を振り上げるのでもなく.

追記

id:hogefugapiyox査読がないか文系は無価値だ! と絶叫するのでも,文系査読はなじまない! と拳を振り上げるのでもなく」ほんこれ/ 査読が実質なしという事で近年問題のpredatory journalについての考えも聞いてみたいか

英語じゃないと業績として認められない分野のことはわからないけれど,和文論文が業績として通用する分野ではpredatory journalの話はあまり聞かない.

というのは,和文査読誌を出してる主体は,学会もしくは大学研究所などの機関にほぼ限られるから

学会が出している査読誌の多くは,投稿資格を会員に限定していて,多くの学会は年数千円の会費(院生非常勤常勤では価格に差をつけている学会が多い)を払いさえすれば誰でも会員になれる(推薦者が必要場合もあるが,指導教官とか先輩とかに推薦してもらえばよほどのことがない限り会員になれる).つまり査読誌は会費で維持されており,こういう雑誌では投稿掲載ふつう無料だ(流石に抜き刷りとかは金を取ることが多いだろうが).会員は会費を払い,見返りとして論文投稿権利雑誌頒布される権利を得る(余談だが,日本学術誌のOA化にあたっての障害の1つがこの「会費で学術誌を維持する」システムだった.会員は会費を払って雑誌を受け取っているのに,会費を払っていない者にまで無料で公開するなんて何ごとだ! というわけ.今でも,CiNiiやjstageで無料公開してるのは発行から○年過ぎた号だけです,みたいな運用をしている雑誌はある.

大学研究所は言うまでもなく自分たち研究費で雑誌を維持しているので,投稿料や掲載料を取らないことが多い.それって紀要じゃ,と言われるかもしれないが,投稿資格学生教員限定していない場合があり,下手するとそのへんの学会誌よりも査読が厳しく良質な論文が載ったりするので,研究機関が出している=紀要というわけじゃない.これは外国でも割と見るんだよね.

もちろんごく稀に出版社商業で出している学術誌もあるのだが,そういう奇特出版社文系学問理解があり非常に良心的なので投稿料を取らないことが多い.少なくとも私が知ってる雑誌はそうだ.

そして,日本語アカデミアは豊かではあるが英語ほど広くないので,predatory journalが参入しようと思うほどの旨味がないし(全世界から微妙なデキの英語論文をかき集めてくるから商売になるわけでしょ?),たいてい自分レベルでも投稿できる雑誌が探せばどこかにあり,場所を選ばなければ発表できてしまうわけで,わざわざ悪徳業者にカネを払うインセンティブがないんですわ.最近学内紀要にも査読つきが増えてるから紀要に出して「査読つき論文です(キリッ」というのも可能.ただ学会誌か紀要かは下手すると雑誌タイトル見れば判別つくから,「あ,こいつ査読論文いっぱい書いてるとか言ってるけど全部紀要だわ」みたいなのはそれこそ業績リスト見るだけでわかったりする(まあ,学内紀要でもガチ査読していることはあるので,紀要からといって低く見られるのも可哀想なのだが.うちの大学では学内紀要に落ちたという悲鳴もちらほら聞こえます).

なのでpredatory journalに関しては,うちらには関係いね程度の感覚id:min2fly氏の指摘は本当にそのとおりだと思う.

(……)査読英語で“Peer review”,同じ分野の研究仲間(“Peer”)による評価を指すが,国際化が進み,大量の研究者・雑誌論文存在する状況において,果たしてある雑誌投稿者,査読者,読者が一つの研究コミュニティの「仲間」となっているのか,ということになるだろう。互いに見知ったコミュニティであれば,でっちあげられた架空研究者に査読を依頼するなどありえないし,不正査読を通過して論文掲載したところで,内容が稚拙であればむしろ評価を下げることになる。また,ある程度雑誌数が限られていれば,聞いたこともないハゲタカOA 誌に掲載された論文不審に思うはずである。(……)査読はある程度限られた規模の研究コミュニティにおいて問題なく機能する仕組みであって,現状の国際化・巨大化した研究集団の規模に適用するには限界があると言えるだろう。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jkg/66/3/66_115/_pdf

2018-10-10

anond:20181010083204

なんか新人は大変そうだなって。

年いったら年功序列が良くて若い頃は成果主義がいい、でも自分業界では年功序列会社ばっかり、みたいに思わないのかな。

私がその増田で話していたのは「著書」の話です。ふつう論文ではない。著書を出してる時点で既に何本か業績があるのは前提。

そんなん常識だろって思って文系キャリアパス説明しなかった私も悪かったと思うので詳しく説明します。分野によって違うけど、私の分野では、

院生時代査読つきも含めて論文を何本か出す→博士号取得→前後して博論を元にした著書を書く

というのが「最初単著」に至る流れです。

さて、学術書というのは分厚いですね? 基本的文系学術書というのは論文を何本も積み重ねてようやく書けるサイズのものです。というか博士論文の時点で学術書として出版できるくらいのボリューム要求されたりします(まあここは院によりますが、しかし薄い博論学位を取れたとしてもそんな論文は本として出版できないかマイナー出版から出版するほかないので、評価されるちゃんとした書籍を書こうと思ったらめっちゃ書き足す必要があったりして、要するに「書籍出版」を業績とみなすのも故なきことではないのです)。なので、実質的論文を何本も書いたことがないと単著なんて出せません(私の院では、博士論文の提出に際して既発表の論文数などは問われません。なので発表した論文ゼロ状態博士論文を提出することも理論的には可能なのですが、実質的にそんなの無理です。私の周囲の博士号取得者は何本も論文書いた上で博士号獲ってます)。

まり単著出してる時点で論文デビュー済みのことが多いわけです。

(ちなみにこの辺は国によって違ってて、日本だと博論は既発表論文を寄せ集めて書いても問題ないけど、たとえばドイツだと博論に既発表の論文を組み込まずに書き下ろす必要があり、なおかつ博士論文には出版必須なので、ドイツ最初単著を出した人のその時点での業績は日本基準では少なかったりします。そのへんの話はこちらのまとめを参照→https://togetter.com/li/9904

もちろん、最初の著書が新書です、みたいな人もいます院生時代研究成果をもとにした新書書いて、そのあと博士号取って分厚い単著しましたみたいな(『パンダ外交』)。むっちゃ分厚い修論書いてそれを単著にしちゃう猛者もいます小熊英二)。ただそういうのはレアケース。また、博士号取得→別のテーマ単著出版→その後に博論に基づいた単著出版という流れもありえます。こっちは割とよく見るかな。講談社選書メチエの『湾岸産油国』とかそうじゃなかったっけ。

んで、良い論文を何本も書いたり、単著出したりしてると、インテリ向け商業誌とか権威のある学術誌とかからお呼びがかかります。「お前、うちの出版社が出してる商業誌に書いてくんね?」とか「お前、うちの学会で今度組む特集号に書いてくんね?」って感じです。これが例のセンセが言ってた「招待論文」。「依頼論文」と呼ぶ業界もありますね。当たり前ですが、程度の低い研究ばっかりしてると呼ばれません。

査読がなくても良い論文が有り得るってのはそういう意味です。最近だと院生向けの紀要にも査読つきが増えてるけど、そういうマイナー誌の査読論文よりも商業誌に載った論文の方がよく読まれていたりする。当たり前だけど紀要の無査読論文とかよほど内容が良くない限りめったに読まれませんし参照もされません)

要するに、昔はどうだったかは知りませんが、最近では査読誌の論文新人登竜門として使われ、ある程度実績が増えると査読なしの論文を書く機会が増える、というのが私の周囲での割とよくあるキャリアパスです。それまでの実績がない若い人にも当然チャンスはあります

2018-10-07

anond:20181007163603

ほんとにトラバ議論の前提だぁ!と喚いてて草生えたwキモオタってそういう努力しないネット情報新書レベル知識教養ぶっちゃうのなんでだろうね

新書にも辞書にも百科事典にすら乗ってない造語を振りかざすアホがなんかわめいておる

2018-10-05

anond:20181005143355

社会学系の新書面白い

本を書けば実績になるけどネット上でいくら書いても実績には結びつかないか

ネット上に発信してる情報社会学者の能力判断してはいけない

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