はてなキーワード: 異文化とは
原文
https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html
ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所(日本の国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナの文化外交の責任者。訳者の感想は最後に。
ロシアの侵略開始からわずか数日後、ウクライナの文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化的制裁」を実行し、プーチン政権やロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物・団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。
ウクライナ研究所は、国内・海外のパートナー団体や専門家のネットワークの代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米の学術団体や大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化的制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト・人権活動家・教育関係者・文化人たちが署名していて、在外のウクライナ人たちも同様のアピールを拡散している。
ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法に違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物を意図的に破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪を正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所を提供することに他ならない。ウクライナ研究所は声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化を政治的プロパガンダの手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国と植民地のヒエラルキー体制を確立してきたことを指弾した。このロシアの行為に高名な学者、キュレーター、美術史家、財団理事、美術館、フェスティバル、フィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシアの政府機関に進んで協力してカネの出所を無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシアの芸術的プロジェクトを通じて広められた有害で非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークのMoMA、ロンドンの王立芸術院、パリのグラン・パレで十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから「最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアがウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。
ウクライナに爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムのロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化をプーチンの政治や戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイ、ドストエフスキー、ショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。
全世界とウクライナとの連帯は過去に類を見ないほど広がっており、世界の文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナの文化外交に課題を投げかけた。
メトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、バイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフや歌手のネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアのアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭はロシアの代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはウクライナの戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちがコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナの難民を支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドとリトアニアの団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。
そして、西側の文化学術団体はウクライナとロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権の犠牲者」と位置付けることで、戦争の犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。
こうして、23年もの長期にわたってプーチン政権が継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会の政治的受動性、あるいは市民の抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンとカーンというロシアのオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協的施設となったバビ・ヤールのホロコースト・メモリアル・センターの芸術監督イリヤ・フルジャノフスキーはプーチンの犯罪と戦うことを要求する書簡に署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセル、ワシントン、ベルリンでは歓迎されたようだ。
これは偶然そうなったわけではない。西側はウクライナとロシアの関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自の文化もアイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシアの帝国主義とウクライナの独立は絶対に両立しない。ウクライナは武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要な最前線なのだ。
ウクライナがロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナが辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシアの文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイムの解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。
ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアがドンバスとクリミアを含むウクライナの領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナに賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれる民主的な政府、市民社会、メディアはウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会の自己批判と深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである。
もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナが今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化的辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポスト・ソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界はロシアの帝国主義や植民地主義の知識人とさらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナは自分たちの意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。
「戦後のロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史を経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点、コミュニケーションや共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。
これが現在のウクライナの文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話や和解を促進するべきではなく、ロシアの文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちのアイデンティティを守らなければならない。
訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。
ウクライナ研究所はそのブリティッシュ・カウンシルに範をとった機関として2017年に設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュ・カウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本語wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。
lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌のweb版です。
で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半からの西側批判は面白い部分かなと思います。特に文化界にありがちな既存のヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。
最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナの右翼問題に言及しておきますと。
途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンターは地元ウクライナのユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナが反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナの情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーもセルフプロモーション目的のクズ扱いされてました。まあドンバスで内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。
それと、元からウクライナのユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側のユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側でネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナのユダヤ人というのはソ連時代に反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ人意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人が建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。
なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモイスキーがユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。
よってウクライナの極右というのは、西側のネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています。靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団の役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米の学者やジャーナリストは「犯罪的組織の公然部門としての右翼団体」みたいなものが理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものにコロモイスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事的経験のある右翼のアニキが愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明で日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。
鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナの極右グループは実際にチェチェンやグルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本の暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチスの紋章がどうだとかは暴走族が旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザの盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います。
というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊は普通の大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安が悪化することを懸念してなくもないです。
いや、分かってないのはお前だよ。
その機能もない無敵で無感情な宇宙人ならタコピーの存在やあの振る舞いにSF的なスジも通る
だが実際のタコピーは殴られると傷を負うしごく自然に怯える機能もあるわけだ
それならそもそもどんな環境で過ごしてきててもとっくに痛みや怯えや暴力なんか理解してるはずだろ。
ついでに言うとタコピーは地球で普通に虫を食ってるらしいんだ。
生き物を殺して食べる発想も機能もある。それも地球で学習したの?まりな殺しで?
そういう風には描かれてないし俺は単なる設定ガバだと思う。
んでその後も肉体的な痛み以外にはとことんとんちんかんな反応繰り返すのになんかしらんけどしずかにとりすがって泣くようになるよね。
しずかの困難や悲しみが暴力への恐怖以外なにもわからない(どういう風にわからない、どういう理由でわからない、もあやふやのガバ)
なのにそれを理解する機会もなくなんか泣く。作中になんの流れも必然性もない泣きの場面。
暴力も殺しも怯えも備わってるのに文化がないってどういう設定なの?
俺は作者がなんも深く考えてないだけだと思う。展開都合のためのまだら白痴異星人。
それで納得できるんだってことは事象として理解してるしそう書いとるやん。
誤読だ!じゃねえんだよ。おめーよりはちゃんと読んで考えとるわ。
もう答えは書いたよね。
バーーーーーーカ。
粗雑なエサみたいな作品を作るインセンティブばっか強化されるんだよな。
「文化が違うからこういう行動なんです」って説明はちゃんと架空の別文化の一本スジ通った価値観やそうなってる背景を創作して提示できたときにはじめて使えるの。
そういうのなんもなくただ変な行動や作者のやりたい展開に都合のいい行動をするだけならそれは単にレベルが低い創作が異星人や異文化を万能言い訳にしてるだけ。
それで満足納得するのはエサ食いのぶたさんだけ。
一部の昆虫には孤独相と群生相というのがあって、個体の密度が高くなると
個々の昆虫の意図に関係なく個体の外見や行動様式が変化するってのがあるけど、
人間にもそういうのがあるかもしれないよね。
人種間の外見的な特徴が均質化するだとかは、異人種間の交配を繰り返すうちにそうなっていきそうな気もする。
他にも、言語なんかも今どんどん滅びていってる状態だけど、言語が収斂されていく過程で特定の発音が明瞭になるように発声器官が変化するだとか、
生物的な特徴にまで変化をもたらしていくかもしれない。
まあ上の生物的な例はどちらかというと淘汰とか進化の話であって群生相・孤独相の話とはちょっと違うかも。
文化的な面ではどうだろう。局所的に都市部の人口密度が高い状態というのは大昔からあって、
都会っぽい行動をする人・田舎者っぽい行動なんてのはまぁ昔から言われてきたわけだけど、
地球上の集団としての人間が60憶を超えて100億を超えていくと、また違ったものが発現するかもしれないよね。
PCだとか寛容性がことさら注目・重視されるようになったのも異文化との交流や衝突の回数がそれまでに比して明らかに増えたことが原因だろうし。
人と人との距離が近く(ならざるを得なく)なっていく結果として人は他者に優しく(ならざるを得なく)なっていくのかもしれない。
外国語の固有名詞については、おおむね「標準表記」が定まっていて、政治的な事情や諸々の事情でそれを変更すると言うことは、「日本語における固有名詞のトレサービリティ」を著しく既存してしまうと言う点において、本来、外国人が口出しをすべきではなく、外国人に口出しをさせるべきではない、日本民族の固有の言語的権利である。
例えば、Reagan は「レガン」と表記するのが原音に最も近似しているが、すでに標準表記として「レーガン」が定まっているため、これは既に「レーガン」と言う固有名詞表記が日本語の一部なのである。
「日本語を勉強していまーす」と言う白人にありがちなのが、この「標準表記」を尊重しない、「マイコーが一番発音が近いですから」と言う態度である。
原音に近いがどうかにプライオリティが置かれるべきではない。日本語表記の話なのだから、重要なのはその表記それ自体の歴史性であって、共用性である。きっちり言うのであれば、マイケルは日本語だがマイコーは日本語ではないのである。そして日本語ではない表記を敢えて持ち込もうとする外国人はそのメンタリティ自体が異文化尊重からかけ離れているし、侵略的なのだ。
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。
きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。
それから早四半世紀。
2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、
高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。
どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、
かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。
スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。
この間テレビを見ていたら、
その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、
無責任と匿名の暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、
当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。
どこを見ても暴言、人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ
国営放送が有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか
真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格を否定される。
炎上は毎日のように起こり、どこかで誰かが人生を破壊されてるこのウェブ空間。
もうたくさんだ。
もううんざりだ。
商売柄ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいから日本人相手にネットでビジネスするのはもうやめよう。
そう感じて数年前からウェブは極力英語やドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。
ここどこよ?
確かにトロールと呼ばれるキチガイや粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。
「長文はバカ」と言い放つ底辺ツイカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。
「日本人の倫理意識は他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」
神と自分の関係で倫理が成立する欧米と集団の中での位置関係で倫理が成立する日本人とでは
一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。
実際彼の親世代(日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。
日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。
ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。
俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。
圧倒的大多数の人は、ウェブに憂さ晴らしと快楽、暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった
マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかないレベルの馬鹿だった。
日本語のウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。
匿名リンチの文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。
でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安を煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし
そう遠くない将来、ウェブは悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。
結局21世紀の共産主義だったんだろうな。
この間ウェブアーカイブやグーグルも含めて。日本語圏での自分に関係する情報は全部消し終えた。
さよなら日本のインターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう。
俺の日記に反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。
賛成して書き込まないヤツ、英語を勉強しろ、英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。
これね。
数年前の話になるけど映画「スカイスクレイパー」が公開されてた時に「ロック様とネーヴ・キャンベルの子役二人が黒人なのはおかしい。話の中でもこどもが養子だという説明もなかったし不自然」とかツイートしてる人がいたんよ。
あのー、ミックスレイスでも養子でも家族はただの家族ですから。家族の人種構成はストーリーとは何の関係もないんだからむしろ説明する必要がないわな、と思ったよね。
(海外)映画好きにありがちなんだけど「自分はこんなに詳しい。コレの本当の意味は......」とか言うのに夢中で「外国の物事をその国のものとは違う常識で判断している自分」に気が付かないんだよね。自分は人より詳しい、と思ってるから余計に。
だから、自分の言ってることは自分の偏見に基づいたものだ、ということが理解できない。
そりゃあ視聴者の一部には美女レズカップル好きもいるだろうし(それはたぶんアメリカだけではないしアメリカ人全部がそうではないよね)制作側にもそういう思惑はあったのかもしれない(なかったかもしれない)。でもたとえそうでも、類似の例をいくつメディアの中に見つけることが出来ても「その国では同性パートナーを公にしている人、人種の異なる家族は普通にいるし、だからドラマの中にいてもリアリティがある」のは「ちがいます。」とはならないんだよ。それは「違わない」の。
それにね、「社会の中に同性カップルが普通に見られる」ことと「進化論を否定する人がいる」「『聖書は同性愛を禁止している』という人がいる」「トランプが大統領に選出された」「黒人に平然と暴力を行う人がいる」は全部それぞれ別のことだよね。トランプ以外は日本にも(他の多くの国にも)当てはまるし。
それで「人権とか根っこの部分で、驚くくらい日本より遅れてることも多い国じゃん。」とか言われても「それってあなたの感想ですよね」としかならないよね。
だいたい元々の増田は「登場人物のカップルがたまたま同性。それだけ。あー、普通なんだ。と思った。」といってるだけで誰が誰より「人権とか」進んでるとか遅れてるとか言ってないよね。
「日本は遅れてる」と思ってるのは誰なんでしょうねえ? 誰かそんなこと言ってましたか?
自分の知らない異文化に触れる時に本当に大事なのは「自分は知らない」ということを自覚することだと思うよ。
「自分は知らない」ことを知っていれば新しいものを見た時にそれは「自分の知らないものだ」ということに気付くことが出来る。
「自分は知ってる」気になっていると新しいものを見た時にそのことに気付かない。そして知らないことを「自分の知っていること」の範囲内で理解しようとする。その結果として自分の理解が間違っていてもそのことに気づかない。
その理解する過程に「相手をどうにかして貶めたい」という感情が入り込んでいるともうどうにもならない。
もう初めからその理解が間違っていることは確定したようなものなんだけど、間違った方向に理解していくのを自分で止めることは出来ない。
あと本筋とは関係ないけど、大統領選挙は国民投票じゃないから(笑)
感情的になってあることないこと書いてると自分の偏見だけじゃなくて無知も出ちゃうよね。ポロッ、と。
くわばらくわばら
問題は100問、満点は1000、調べる時間は取れても30分程度、人名地名会社名は漏れなく、各国家の歴代指導者の名前レベルまでは押さえておきたい、600点を下回ると他教科での挽回は難しい
音声入力はひらがな固定、トップ校以外では問題ない(トップ校は漢字変換必須)、速口記は佐藤2000式も可
定番問題は何度も説明があるだろうから省く、読解のミスが一番痛いので落ち着くこと
用語説明問題は20字×5文×5段落をめやすに、数式や図表は別タブで添付、タイトルの設定は各自で行う、直近のものより廃ったものが出やすい
展望問題は論旨を明確に、白書の内容だけでは点がもらえない、答えが無いと思われがちだが事実誤認をしているなどは大幅に減点となる、自身の経験もインパクト小
群衆心理問題は過去問で十分、スピードを重視、ただしアジテーションに関するものは要注意で政治やスパイに絡めるのは誤解を招くリスクが大きい
資金調達問題は知識問題でもあるがプレゼン能力が問われている、試験なので突破の仕掛けがある、泣き落としはタブー
異文化理解問題は宗教周りがマスト、各国に特異の制度はそこまで出ない、毎年どこかの学校は逆に複数国に共通の制度や、その成り立ちの説明問題が出る
所作問題は20点、時間もかからないので肩慣らしとして一番最初に解くのがお勧め、出題者が取らせる問題、正装着用でなりきって過ごすのは1度やれば十分
序列問題は難しく考えすぎない、意味深長な動画の演出に惑わされない、倍速再生の受験生は名前の間違いが多いので注意
義務権利問題は教科書で十分だが余裕があれば判例の講義(大学)に目を通す
独占業務問題は各専門家にどこまで任せられるかをあからさまに示すと減点されない
総合問題は最後に、問題を確認したら解く前に他各小問の見直し、3ページずつ表示だと見やすい、コピペでの入力は長い単語を繰り返し使わざるを得ない場合以外は極力控える、15分は余らせておきたい
某配信アプリに入り浸ってるんだけど、何人かの配信者が同じこと言ってたのが印象的だったんだが「初見お断り設定したいな」という素直なお気持ち。わかるわ~。
ゲーテッドコミュニティというか。ゆるい線引きが欲しいよなーっての。NIMBY問題とまでは行かないが、まあ延長したら地続きではある問題かも知れないが。
そうなんだよね、見知った人だけを相手にして喋りたい。なんかマナーがなってない人間に郷に入っては郷に従えと注意するとか、「うちの配信はこうなんですよ」というマイルールを尊重してくれない一見さんが来てしまい対応に追われるリスクがある。
だってさ知らない人と喋るモードと、ある程度の知ってる人と喋るモードってどう考えても脳の警戒度というか緊張度が違うじゃん。見知った相手のほうが疲れないし。でも基本的に配信って全世界に公開されていて誰でも入って来れてしまうものじゃん、だから疲れる。
でも10年前のニコ生からそうだけど「今日テストの点数がさ~」みたいなめちゃくちゃローカルな、半径2kmみたいな話してたりするじゃん。そういうのってもうLINEとかのクローズドな場に移行していってるのかな。ツイキャスとか。
そも人間って川を越え山を越え海を越え、複数の異文化人と渡り歩けるような人間ばかりじゃないし、って言うかそんな越境人間のほうが稀有じゃないですか。基本ローカルすよね。
だから半クローズドというか、開き具合、閉じ具合をコントロールできるようにするのが、日本的?というか、ある意味全人類に普遍的な配信プラットフォームにとって必要な機能じゃね?
YouTubeにもパリコレの波がきて規制が厳しいじゃないですか、エロとかも厳しいし。その点はニコニコのが緩いというか日本人の倫理観で制御されてるぶん比較的に馴染みやすい、文化的には。某N氏が「グローバルな規制を~しないと~GAFAが」みたいなことをちょっと口走って炎上して減給処分かなんかされてましたけど、ちょっと安心しました。日本の文化防壁としてニコニコには生き延びて欲しい。
閑話休題。
もちろんトレードオフなんですよ。それは分かる。配信者も新規ファンの獲得・開拓、外貨を稼ぐ、といったムーブが必要な場面もある。しかし、お金やメジャーになりたい名声を得たいといったようなものでなく、「見知ったファンとこじんまり地下ライブハウスみたいな、場末の居酒のママみたいに客の人生相談や愚痴でも聞きながら過ごしたい」って言う需要も確かにあるんでしょよねー。採算度外視、趣味の弁当屋・喫茶店・駄菓子屋のジジババ的な余生型配信者というか、いわゆる「漁師のコピペ」みたいな状況だよね。
でも資本主義の論理と正反対にあるので、営利企業的には美味しくないのかも知れないね。あとグローバル化とも反するね。
例えばYouTubeで成り上がる手段って、ようは「もっとYouTubeを見てくれる人や時間を増やし、広告媒体としての価値を上げてくれそうな動画投稿者(YouTuber)を優遇する」というリコメンドのアルゴリズムしてるわけで。クローズドなんてもってのほかなんすよ。だって広告だし。クローズド配信する機能が解放されるのは収益化が通ってメンバーシップという会員制を敷いて課金してる人だけ、っていうね。
門を閉じたいならカネを払う必要があるし、無料でやりたいなら全世界に門戸が開いた状態でしかできない。a.k.a "全世界にお見せできる内容しかできない" わけですわ。
そうだ、キョート行こう