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はてなキーワード: 習俗とは

2024-05-13

日輪照り破る抱擁の鼓動を糊塗する、彼岸にて群青の虚構幻想を携える。

ここに於いて那由他の影響下、日本オタク達はサブカルチャー消費の禊ぎにおいて互いの環境を顧みず、巷に溢れるアニメ漫画ゲームの塵芥としての扱いに即座に昂じる。

どのようにして彼らは習俗を超越した表象再生妄信するのか、この謎多き行為が過剰なメディア波動を逸脱する過程であるかもしれない。

凡そ時に迷走を続ける文化的マンガロイド達の群れは、抗い難い現代の滑稽さを内包しつつ、何もかもが網羅されぬ間においてその間隙を狙う如くして、知覚的ジャンクフード摂取し続ける。

ただの審美的排泄物とも言うべきアイデンティティ確立が、かくも脆弱な状況の中で、一体全体、何故に彼らは絶えず塵となり得るのか?

深層に潜むメタファーの濁流が、サブカルチャー飢餓を如何にして養うか。その一切が徒花の如く儚く、しかも彼らは刹那情熱を垂れ流すことでしか現実階層を逸脱できずにいる。

審美的糜爛一種精神食と化し、幽玄なる疑問を呼び覚ます

それはオタクという存在文化的胎動を経て、如何に無為に溶け込み、そして消失していくかを模索する過程である

ゆえに、この稚拙なる祭典は途方も無い速度で進行する一方で、理解しがたい輪廻の中で彼らの行動はただの誤解と笑いを誘うだけの形而上学的な茶番劇に過ぎない。

個々の消費行動が無意識のうちに文化的遺伝子侵食していくそのさまは、まるで幽体離脱を遂げた魂が浮遊するかのような、不可解な現象に他ならない。

2024-04-13

anond:20240412233453

今日教授ルソーの「学問芸術論」を”社交界に馴染めない田舎者ルサンチマンの爆発”としつつ「art=人為/ 自然状態に人が手を加える/ 人間artは結局、圧政を飾り立てる(利己的)ものであり、習俗環境を向上させることなどできず、nature=自然堕落させる」

2024-01-16

anond:20240116212954

治安習俗の維持といった問題無視すれば、人間が生きることは確実に自然環境に負荷を与えるのだから出産育児する気が乏しい人間にそうするよう促して世界人口を更に増やすよりは既に産まれて生きている人間を迎え入れる方が合理的倫理的だと思うのだけどね

2023-12-29

anond:20231229220036

結婚式のご祝儀なら分かるが、お年玉でそんなことするのか

ただの紙幣を渡されたら本人かその親が「汚いお札なんてあり得ない」みたいな陰口叩いたりするとか、今まで知らなかった習俗だな

2023-12-23

anond:20231223221827

現地でっていうのは難しいんじゃないか

あっちの言葉習俗身につけて国際結婚視野に入れてる女性自力で探す手間かけられる?

中韓女性なら日本侵食してきてるから自分高学歴かつ子供希望してて東大早稲田入学前提ならいけんじゃね

2023-12-06

anond:20231206074857

WASP習俗を見ると、7の70倍の過ちを犯しても赦すという神の愛はどこへ行ったと思うことがある

2023-11-09

13年前の映画観たら色々ポリコレ的な部分が気になってしまった

当時はそういういじりかたしてもむしろウケたんだろうなっていう

何十年も前なら当時の習俗と思えるけど10年程度でこれじゃ作ってる側は大変だな……

今回のは初見だけど昔好きだった作品見返すのがちょっと怖い

当時は笑ってた部分に引っ掛かりを感じることが多そう

今受け入れられているもの10後見たら気持ち悪く感じるのだろう

観る側とか当時の社会問題ではあるが

2023-10-24

anond:20231024003950

縄文以前の狩猟採集民の初産が遅かったと見られるのは、文化習俗倫理問題ではなく栄養状態が悪くて初潮自体が遅かったからだけどね

そもそも妊娠できないから産めなかったというだけの話

2023-07-03

めっっちゃ久しぶりにFMラジオを聞いて驚いたのは、アニソン(ここではアニメタイアップをしている一般アーティスト楽曲のこと。つまりYOASOBIおかヒゲダンとか星野源とかの)をかけた時に、その曲がテーマ曲として使われてるアニメ作品に触れたりすること

からアニメタイアップはあった。有名アーティスト楽曲提供してたりもした。それが売れてFMなどでかかりもした

しかし当時FMラジオは「オシャレ村」の領域であり、他の村の習俗であるアニメにはなるべく触らないように触らないようにという配慮が見えたんですね。なんならテレビドラマタイアップするときにはドラマ名前を出すのに、アニメタイアップときにはスルーみたいな感じで

それが一転、いまは割と普通にFMラジオDJアニメ名前をあげるし、なんならゲストで来たミュージシャンが、自分いかに工夫してアニメ作品に合わせてこの曲を作ったのかということを語ったりする

2023-03-19

anond:20230319083710

わいら40代はまだまだ「行きつけの店でしこたま飲む、だべりながら飲む」っていうのが習俗としてあったよね

わいは10年以上まえにそうゆうのは卒業させてもらったけど、いまの20台のドリンク習慣に近いな

2023-03-16

anond:20230315201641

仏教特に日本に広まった大乗仏教新興宗教と大差ない。

大乗仏教の最大の目的は「布教する」ことだ。

から勢力拡大のために仏教本来持っていた教義ガンガン変えたし、現地の習俗でも土着神でも何でも取り込んだ。信仰のためのハードルガンガン緩くしていった。

仏陀の教えと矛盾しても、禁を破っても、結果的信者を増やしさえすればそれが正義だ。

日本坊主は「神と仏は本来一緒」なんてよく言うが、これも神道寄生しやがて乗っ取るための方便にすぎない。

最近侵略宗教としてのキリスト教の暗黒面が取り上げられることが多いが、仏教だって実はあんまり変わらないよ。

2023-02-21

自民党支持層の過半数同性婚法制化に賛成

なんだってね。特に若年層が。

https://www.sankei.com/article/20230220-PQDZSMO6ORMX5GHJ5BHHAZOCGM/

同性婚法制化は和式リベラルが「ウリ」や「棍棒」にできるイシューではもはやない。

なんで自民支持の若者同性婚法制化に賛成なのか。悪い大人に騙されてふだんうっかりウケーカしてしまってるだけで本当は政治的に正しい、よい子なのか。

とりあえず思いつく理由は以下の三つ。

周りに疎まれても法の許す範囲で己を貫こうよというのではなく、後ろ指さされるリスクを取ってまで他人干渉したくないよという、空気個人主義

マイノリティ当事者社会権利上の訴えをしていく上でそれはむしろ壁になる。自分のことで他人を巻き込んで騒ぐのはどうかと思いまーす。でも天王山的なポイントを越えると追い風になるんだな。鈍重で無責任な羊の群れ。

憲法同性婚禁止していない、という以前に想定していない。

同性婚法制化は既存制度に「同性でも可」と機械的に付け加えるだけで済む話ではない。法体系の中でいろいろ軋みというかハレーションを起こす。そのいちいちにパッチしていかなければならない。

外付け拡張でとりあえずどうにかするだけじゃなくて、根本のところにも手を入れる必要がある。

「じゃあそうすればいいじゃん」というのが若い世代感覚だろう。憲法にだけは触れずにという宗教上の理由による謎ルールを共有していないので。

若い世代ほどドメスティックもの伝統習俗を疎んじる傾向というのは普遍的ものではない。大きな波がある。ざっくり言って80年代末くらいからは「伝統、むしろカッコイイ」フェイズだろう。

その流れになんとなく乗って、二人の契りをお国が裏書きしてくれる制度イニシエーションとしての価値を置いている。個人選択として生涯未婚だとしても「結婚に何の意味があるかわからない、興味がない」のではなく、いろいろ事情があった上での決断としてそうするに過ぎない。

同性婚法制化推進は、国が認める正式婚姻という枠組みを重視する点では「保守」的センスにむしろ沿っているのだ。

婚姻制度的枠組みをいじるということは「そもそも結婚ってなんだっけ」という原理的問いを前景化させることだ。「同性カップルだけ婚姻届出せなくてかわいそうだよね」「そうだね、じゃあ同性もOKにしよう」だけで話は終わらない。じゃあポリガミーは? そもそも必要もの?と続くことになる。

そもそも婚姻法律より前からある。当たり前のことだが、結婚とは原始時代からの土俗的慣習と現代法のアマルガムなのである

でもいいんだよ、そういう根本からの話は専業の学者がやれば。

生活者は忙しい。制度なんてうっかり変えてみればいいんだよ。それで人生狂う人も出るかもしれないけど、法律ってそういうものから。実社会対照実験はできない。

本質的な深い議論生活者タイム感とは別のところで専門家がじっくりやればいい。

でも本邦のブンケー学者最前列に飛び出て踊りたがる馬鹿が多いよな。役割分担ができてない集団は弱い。それが我々の不幸だ。

2023-02-11

昨今の”平等”とやらが本当にわからなくなってきた。

「こういう言い方はダメだ」とか「これは差別だ」とかそんなものいちいち規制できるわけないじゃないか

いわゆるヘイトクライム誹謗中傷が当たり前に規制される行為なのはその通りだ。

他人の生きる自由を阻害するような行為からだ。

私は「平等になってほしい」と願うのであって、「他人思想は捻じ曲がっているから誰か矯正してほしい」というのとは違う。

だがここ最近は(今の時点での)マイノリティの側に立てば何をしても言っても良いと勘違いしている事例が散見されるのではないか

我々はマイノリティ(とされる人々)に普通に接すれば良いだけで、言葉に気を遣い行動に気を遣いとするのはお門違いではないか

任意事象におけるマジョリティ/マイノリティの構図に目を向けた時、そこに社会的階級・扱いの差が生まれるならそれこそ立場が逆転するだけの差別ではないか

発言に気をつけなければならないTPOがあるのは確かだが「こういう指向の人が嫌」「こういう外見の人が好き」という様々な意見を寛容に受け入れていくのが

誰もが居られる社会であって、そうでなければ目指すところの平等って一体何なんですかね。

あと人権先進国って何なんですかね。

日本と似通った習俗がある国をモデルケースとするならまだしも、「ヨーロッパ先進的」とか「一義的多様性(何を差しているのか分からないことが多いが)において寛容」みたいな基準で主張しているのであればそれこそ他国文化理解がない立派な差別だと思うんですがね。

これだけの人間がある集団として生きている以上は、マイノリティとされる人々を受け入れられる人も受け入れられず距離をとる人もいるので

受け入れられないことを批判されることが公に許される風潮があるうちは、成熟した社会なんぞまだまだなのではないか

*筆者は性的マイノリティとされる人々や特定人種国家やその習俗に関して苦手意識はないということを宣言しておきます

2022-12-23

飲酒性的表現の取り締まり厳格化してきている

日本人もまた唯一神の教えの正しさを理解し始めたようだ。

理解したなら次は土葬習俗を解禁せよ。

2022-10-23

anond:20221022184030

シャドウBANは表向き「Twitter側は関知していないという扱い」(だからシャドウBAN)なので公式に問い合わせても、基本あまり効果がない。

例外的効果がある場合もあるが、普通はほぼないと思う)

(ちなみにシャドウBAN判定ツールも、外部の人が「俺が思うに多分シャドウBANされてんじゃない?」って「外形的に判定してるだけ」なので、ツールサイトによって結果はまちまちだったりもする)

元々シャドウBANは不当な業者を取り締まるための物らしいので、普段からRT数が多い」とシャドウBANの対象になりやすいと言われている。

業者アカウント自動RTが多いらしい)

また、不自然フォローフォロワーの増加や、ツイート内のリンクセルフRT、同一文言ツイート等も対象になりやすいらしい。

ちなみにシャドウBAN解除の方法は、「解除されるまでTwitterを利用しない」ことだけだそうだ。

(多分、すでに検索して知ってるだろうけど)

なぜなら、「公式は関知していない」から

それを早める手段などは検索すれば出てくるが、「非公式」のため、実際に早くなるのかどうかは、わからない。

シャドウBANされていた期間が長いほど、解除までの時間も長いと言われている)

最近だとパンケーキ?の画像がどうとかい方法もあった。

あとは業者に多数フォローされてると自分も同じ業者扱いされるから自分フォローしてる怪しいアカウントを全部ブロックするとかも。

また、日本エロ絵描きは常に「search suggestion ban」状態なので、そういうアカウントの絵を(エロじゃない絵でも)RTしないのも手かもしれない。

もし既に、Twitterからは「エロ関係」のアカウントと見なされた場合は、「search suggestion ban」は永久に解除されない。(らしい)

サブ垢を作っても普通に捕捉されるので、新しいアカウントも同様の措置が取られるらしい。

自分民俗学というものに詳しくはないが、雑に言えばエログロも含む世界だと思うので(人間習俗なのだから当然だ)、もしかしたら普段のそういうツイートRT関係しているのかもしれない。

芸術系の裸婦画や春画も一絡げにセンシティブ扱いされてそうではある。知らんけど)

まあ今回の件は結局、正直言って「天皇」と「障害」が原因かどうかは不明

障害」も、「システム障害」とかでよく使われる言葉イコール障害者と判定するかは微妙だし、「天皇障害者フェアにうんたらかんたら」みたいな文章対象になりそうだし。

実際に「ハッピー障害ガールズ」「天皇」を組み合わせて呟いてBANされてない人もいるし、でももしかしたら、実は「シャドウBANされた人も多数いる」のかもしれない。

そもそもシャドウBANは本人が気づきにくいし、「検索してもそのアカウント発言は出てこない」ので外部の人間は調べられないし、サブ垢までBANされた場合はBAN被害者の声は「Twitter上では確認しようがない」)

また、画像付きで文章投稿たか(欠損愛好のR18Gと判定された可能性もある)・リンク付きだったかTwitterからセンシティブと見られがちなアカウントツイート普段からRTしていたか

等の要因もありそうなので、何とも言えない。

ハッピー障害ガールズ」「天皇」を含む内容でツイートした人は、シャドウBANチェックをした方がいい、のかもしれない。

ただし、「シャドウBAN判定ツールサイト安全性保証できない」ので(もしかしたら判定ツールをうたった悪意ある業者いるかもしれない)、そこは自己責任自己判断でお願いします。

2022-10-14

anond:20221014011919

この人長文読む力なないでしょ、センター国語100未満確実。

旧来の家の習俗からの脱却について長々と語ってんだよ

2022-10-13

なぜ日本では偽物の教会結婚式をするの?と聞かれたら答えられるようにしておこう

外国から言われてみれば奇妙な日本結婚式

アメリカ人友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議結婚式に出たのよ」「それ、日本標準的結婚式です…」

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479

これはつまりブライダル業界結婚式」だが、なんでこうなったのか?。

 

イエから逃避行

今主流のこういう結婚式の始まり1970年代なんだが、その元は60年代にある。

日本のイエ制度明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフト国家有機体論の合体だ。

戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカ自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。

それで戦後時代下り生活レベルが向上すると段々と生活人生上の自由が増大化していった。

 

イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子次男以下も生き方制限された。

長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合勘当されて死ねと言われる。

次男以下は中学尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。

こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である

女子妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良であるそもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族村八分になる。

商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合い相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。

 

都会と田舎の落差と中島みゆきの『ファイト

戦後まれ団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。

でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。

例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。

なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆき深夜ラジオに送られて来たリスナーハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである

まり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。

「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。

 

それで団塊世代は色々な方法田舎因習から逃れようとした。

勉強を頑張って東京大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。

集団就職に参加する。

一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳年齢制限クリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。

 

ロマンチックラブイデオロギー

そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である

一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放テーゼだ。

人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきであるロマンチックラブイデオロギーだ。

そういう訳で沢山のフォークソング自由恋愛称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争挫折相俟って現状肯定恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。

 

有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペル結婚式を挙げよう、というもの

チャペルキリスト教会礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション大学礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求惹起する歌だ。

もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会結婚式を挙げました、という歌詞

 

こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。

ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。

でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。

 

なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式仏式でないから」だ。神式仏式にはイエの因習表象をまとっていた。

今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼ権威的なものを好むというテイストもあるだろう。

でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである

 

花嫁夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。

 

それ以前の結婚式はどうだったのか

それ以前の結婚式仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。

それは「祝言(しゅうげん)として能の演目高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である

https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU

これをこの調子仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。

これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。

 

老松という地名

ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭り町内会名や祭り神輿山車の提灯なんかで出てきたりする。

それらは長寿を願った年寄臭い地名に見えるかも知れない。

でも昔は結婚式では「必ず」高砂祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主兵庫県高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区住吉大社老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。

まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。

この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。

関東大震災下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋世田谷杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。

でもその後字面年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。

団塊結婚式に戦中戦前派は大憤慨

会場が教会だったり披露宴フォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式保守的な人らは憤慨していた。

どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴批判したり、親戚のオヤジマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。

 

定着と業界

しか芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるからブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教結婚式提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。

ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しか教会での式よりは断然高い。

 

から団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコ新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。

 

から「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味社会から消えても形式業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からサブカルチャー解放意味があるんじゃないの」と言えばよい。

 

それとは別にやっぱあの形式結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会中途半端教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。

2022-10-01

素麺の産地と風土記記述の話

素麺といえば、個人的には島原半島のものということになっている。これは単に、同地に私の知己の人がいるので、贈答品として頂戴して食べる機会が多いからに過ぎず、別に他の産地のもの品質的に劣ると思っている訳では無い。なお、頂くだけでなく、ちゃんと自腹で買うこともある。

最近では、女優満島ひかり南島原市公式PR動画に出演したことが、彼女の怪演技の甲斐もあって、ネットでも話題になっていた。ひょっとしたら、それを観たことがきっかけで島原手延べそうめんのことを知ったという人も、世の中には存在するかもしれない。

島原半島素麺作り産業については、以前に聞いた話だが、島原の乱によって人口が減少した際、江戸幕府肥前の国の外部から移住者を募り、その中に瀬戸内小豆島出身の人々がいたこから、彼らが島原半島素麺作りの技術を伝えたとのことであった。しかし、それはあくまでも民間伝承であって、確固とした史料が有る訳では無いとも聞いた。

史料の有無や民間伝承真実性は、専門家ではないか判断する由もないが、この小豆島由来説を何とは無しに信じている。それは、小豆島由来説が語られる際に、同時に「島原半島は、瀬戸内海と気候が似ているために、素麺作りに適している」と語られることにも一因があると思う。

中央部にある雲仙普賢岳高岩山(たかいわさん)、島原市のすぐそばに在る眉山(まゆやま)、これらを除けば開けた土地半島の大部分を占めるように見える。そのために、気候がカラリとしているように感じられる。これで「島原半島瀬戸内海に気候が似ている」と言われれば、一定説得力を感じて小豆島由来説も信じられる気持ちになる。特に海岸線の近くではそうである

この島原半島南部を訪れた時、島原鉄道を利用したのは、ずいぶん前のことになる。これは、諫早市半島北部東部南部を結ぶ、左右反転のC字形半島の外周沿いを走るローカル鉄道路線である。あった、と言うべきか。現在は、半島東部島原市までしか列車が走っておらず、島原市よりも南の地域は部分廃線となっている模様である

現在市町村合併によって南島原市の一部となっているが、旧名西有家町という町が半島南部には存在する。この町で島原鉄道の駅に私が降り立ったのは、別に観光などが目的という訳ではなく、不覚にも乗り物酔いになり、気分が悪くなって一休みしたかたかである

そうめんの町」という文字建物の壁に掲げられた無人駅舎のベンチに少し横になり、冷たいジュースを飲んで落ち着いたは良かったのだが、あいにく、次に乗り直す列車を一時間は待たねばならなかった。手持無沙汰の時間をつぶすため、駅の直ぐ傍にある神社へと行ってみることにした。境内へと登る階段は、文字通り駅舎の目と鼻の先にあり、その長さは数十メートル程と短かったが、勾配はかなり急であった。島原半島南側地帯には、海の近くで小高丘陵や崖になっているような場所が、幾つもある。この神社があるのも、そうした丘陵の一つであった。

別に有名な神社とかではなく、少し田舎ならば何処にでもあるような、何の変哲もないさな神社である境内へ登る階段を跨ぐ鳥居は、その神額に「天満宮」の文字があったから、主たる祭神菅原道真公で間違い無い。これは、グーグルストリートビューでも確認可能である確認した。技術革新、すごい。

よほど小さなところでない限り、神社は大抵、主祭神だけでなく配祀神も同居している。その天満宮で私は、時間だけはたっぷりあったので、主祭神配祀神のいずれの社殿にも平等に五円玉のお賽銭を捧げて「この後、乗り物酔いが酷くなりませんように」とゴニョゴニョ唱えながら参拝した。それを済ませると暇つぶしに、私以外には人の姿も無い境内を、気ままにぶらぶらしながら鳥居などを観察したりして過ごした。どの鳥居も、冠木・貫・木鼻に沢山の小石が降り積もっていた。素朴な民間習俗を今でも伝える地元民が、願い事の成就のために投げ上げたものであろう。

配祀神は、鳥居の神額に「大神」という文字があったと記憶している。「大神」は「オオミワ」と読むのであろうと思った。残念ながら、天下のグーグルストリートビューでも、この天満宮境内の中までは確認が出来ない。「大神」の社殿は、主祭神との差を感じさせない程度の大きさはあったように思う。

神社でオオミワといえば、その大元へ遡れば無論、奈良県三輪山であるが、その地は素麺との縁が有る。素麺祖先は、奈良時代に唐から伝来した食物・索餅(さくべい、見た目はチュロスに似ている)とする説が一般的である。これを模倣して作ることが、最初我が国で始められた場所が、他ならぬ三輪山の麓周辺なのだと言われている。「すべての道はローマに通ず」ならぬ、「全ての素麺三輪山へ通ず」といったところか。

それらのことを知った影響で「移住者から素麺作りの技術島原半島に伝えられたのに伴い、我が国内における素麺発祥の地・三輪山から神も一緒に来たりて、分祀されたものであろう」と考え、小豆島由来説を信じる気持ちも補強されたわけである

しかし、素麺伝来の機会や小豆島経由以外の理由でも、この地に「大神神社」が分祀される何らかの歴史的な要因があったような気がしてならなかった。結論から先に言えば、これは単なる私の勘違いだったのだが、兎も角そのような気がして記憶を手繰り寄せたところ、風土記の一つである肥前風土記』にある、次のような記述を思い出した。

景行天皇が、現在熊本県玉名の辺りに行幸した時、そこから有明海を挟んで島原半島の方を見て『あれは島か、それとも陸続きの地か』と疑問に思い、使いを送って調べさせた。すると、土着の神が、天皇の使いを出迎えて歓迎し、天皇に服属する意志を示したという。

この時に派遣された使いの名前を「大神宿禰」と、私は誤って記憶していた。この覚え間違いが、大神神社島原半島分祀される歴史的な要因があったような気になった原因であった。しか最近自分記憶を頼りに人魚の話やら南斗北斗の話やらを書き散らしたところ、ブコメ等で鋭い突っ込みを受けて大恥をかいたため、今回は手持ちの岩波書店日本古典文学大系版『風土記』を参照した。その結果、私の記憶違いに過ぎなかったことが判明したというわけである確認大事

残念ながら、天皇の使いの名前は「神大野宿禰」とあり、読み仮名も「かむおほののすくね」としてある。しかも「他に見えず系譜不明。ミワ(神)氏の支族ではあるまい」とまで注釈が付けられている。これでは、妄想を膨らませる余地も無い。

もしも「大神宿禰」という記述だったならば、その時は大変であった。きっと私は「もしかしたら、三輪山祭祀を司るミワの支族に連なる者が、古代島原半島を訪れていたのかもしれない。この縁によって、大神神社島原半島分祀されたのではないか」とか何とか、思う存分に妄想力を発揮していたことであろう。間違いを防止できたか安心しても良いはずなのだが、その気持ちよりもむしろ残念な気持ちが強い。それほど、自由妄想とは魅力的なものということである

さて、私は雲仙岳には登っていないが、その直ぐ近くの高岩山には、地元の人の案内で登ったことがある(この時は、まだ火砕流などの火山活動が沈静化したと認められておらず、雲仙岳登山が再開されていなかった)。登山ルートの途中にある樹林の中や山肌には、家屋ほどの大きさがある巨大な岩石がゴロゴロと有った。これほどの大きさの岩石群であれば、それらを見た昔の人々が、信仰の念を山や岩石に対して抱いても不思議は無いと実感した。その時の私は、或る種の神秘体験に近い精神状態にあったのかもしれない。高岩山に登って同じ光景を見た人にならば、私の実感にも同意してもらえるものと信じる。

件の神大野宿禰を出迎えたという土着の神は「高来津座(タカクツクラ)」と名乗ったと『肥前風土記』には記されている。日本古典文学大系注釈には「高来の峰(雲仙岳)を居所(座)とする神の意であろう」とある。この「クラ」というのは「イワクラ」などと同じく「カミの宿る座・場所」という意味であることに疑いは無いが、何が「クラ」であるかまでは断言されていない。しかし、高岩山への登山で巨大な岩石を見た経験から、おそらくは岩石もしくは山頂・山体そのものが、高来津座と名乗るカミの依代御神体だったのではないかと私は思う。もしそうであれば、三輪山神体山信仰類似しているので、面白いである。「タカク」に「高来」という字を当てたのは、単に高さを表現しただけでなく、天空の高みから山頂に降り来る垂直移動型のカミであったことの顕れであろうか。

このカミの名は、高来郡(たかきのこほり、たかくのこほり)の由来となり、市町村合併以前は、島原半島地名南高来郡(みなみたかきぐん)」として名残を留めていた。しかし、島原半島島原市雲仙市南島原市へと統合され、旧来の地名が無くなったことで、熱心な郷土史研究家などを除けば、いずれ遠からず名を忘れられるのかもしれない。

しかし、名は失われても、島原半島中央部の山に登山する人が絶えない限りは、高岩山に登った時の私が俄に古き神の気配を覚えたように、雲仙岳一帯の山岳や巨岩に対する素朴な信仰のものは、これからも人々の精神地下水脈として生き残っていくのではないだろうか。

【2022/10/10】続きを書いた。anond:20221010212603

2022-07-16

anond:20220716202530

無理はないよ。

入れ墨土器習俗で分かることだけど、明らかに縄文弥生日本習俗の違う集団がある一定の時期に畿内地方勢力をまして、その影響力がどんどん広がっていってることが分かっている。

2022-07-13

anond:20220713035911

現行憲法

20条3項

国及びその機関は、

宗教教育

その他いかなる宗教活動もしてはならない。


自民党改憲草案

国及び地方自治体その他の公共団体は、

特定宗教のための教育

その他の宗教活動をしてはならない。

ただし、社会的儀礼又は習俗行為範囲

超えないものについては、この限りでない。



まり政治的権力を得た統一教会が、合同結婚式社会的儀礼又は習俗行為範囲である閣議決定すれば、公的日本人女性韓国人男性に献上することも可能になるのである

anond:20220713035911

改憲案では宗教について「政治上権力行使してはならない」という文を削除してがっつり行使させる方向だから


そんで「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」の後に文を付け足して

「ただし、社会的儀礼又は習俗行為範囲を超えないものについては、この限りでない」と加える予定

範囲とか曖昧だけど学校教育にも統一理念組み込みたかったわけだ

2022-03-24

anond:20220324143200

せやで

行に線引いて御中にするのと同じような習俗やで

2022-02-16

聖書にも差別的なことはいっぱい書いてあるんだけど「それは当時の文化習俗であって教えの一部ではない」とか言って差別教義否定ちゃうのはちょっとアレだなとよく思う。

教えが誤っていた (あるいは時代にそぐわない) から改善してきたっていうなら話は分かるんだけど、古い時代には (あるいは今でも) 文化習俗宗教はほぼ一体化してて分離できるようなものではないし、現実に神の教えの名目差別は行われていた (いる)。

誤っていることもあるということを認めないと改善されないし、分離し続けていると先鋭化してしまう。

信仰定義なので決めたら誤りもクソもないんだが、何より我々は社会に生きる人間であるので社会常識矛盾したままで独立を貫くことはできんのだ。

2021-09-11

川崎のかなまら祭の危機

川崎奇祭、かなまら祭をご存じだろう。あのピンクチンコ神輿が有名なやつだ。

あのピンクちんこ奉納した会社が潰れてしまった。日本の伝統危機だ。

 

女装クラブエリザベス奉納した神輿だった

あのピンクちんこ神輿は、実は浅草橋新宿にあった女装クラブエリザベス奉納したものだった。神輿だけじゃない、それ以外の玉串料奉納して金山神社を支えていたと思われる。

このエリザベスはアント商事という会社運営していたのだがこの会社が去年廃業してしまった。

 

下着商社だった

アント商事は元々女性下着商社だったのが、どうも通販下着を買う客の中に男性が多いという事に気が付いた。つまり女装需要である。店で買うのが憚れるので通販を使っているのだと。

 

商事はこれはニッチ需要だと見抜いた。ニッチって隙間産業みたいな意味じゃないよ。生態学安定的生存圏って意味だよ。

しかもこのニッチ下着市場だけじゃない、「ドリルを求める客は穴が欲しい」のアレだ。「女装市場」を作り出す事が出来る。

そういう判断1979年エリザベス会館をオープンした。会員制で衣装を預かるロッカーを置き、女装を手ほどき、同じ趣味のお友達とも交流できるってサービスだ。そこで販売するのは当然自社の下着や服。地産地消みたいな商売やね。

 

ここはそのスジでは有名だったが、会員が年齢層結構高め。だから言っちゃ悪いがちょっと汚装っぽい方に寄っていて綺麗系じゃない(綺麗な人もちゃんといた為念)。でも年齢層高めって事は結構お金持ってる。会社で偉い人も多い訳だしな。

 

学生運動70年代から民俗学の隆盛

金山神社の方は性信仰がある神社ではあったのだが、かなり廃れてしまっていた。

んで、日本では1969年に盛り上がった学生運動が消沈した後、70年代中頃から民俗学が盛んになる。大きな物語マルクス主義が萎んだあとに小さな物語日本伝承を探求するのが流行ったわけ。自分探しの旅とか国鉄いい日旅立ちキャンペーンとかもこれに繋がるものだよ。

当時の金山神社宮司民俗学インスパイアされ、自身神社の昔の姿、江戸時代伝統的な祭り再現しようとした。特に性的信仰っていうのは明治以降国家神道の下に抑圧され、その後も恥ずかしいものとして人々から忌避されてきた。でも民俗学的にはそんな忌避ナンセンスだ。

それで大根男性器、女性器、いやそんな言葉忌避はしちゃいけないな。ちんこまんこに削ったご神体を崇め練り歩く祭を毎年開いていた。この表現民俗学表現からあしからず

 

エイズ疫病退散としてのスポンサーリング

1980年代中頃にエイズ禍が起こると、当時は同性愛者の病気と思われていたのでエリザベス界隈は肩身が狭い。客足も遠のいて経営的にも辛い。

そこで景気づけ&疫病退散の願掛けとしてこのお祭にドーンと奉納して盛り上げて来たのだな。そのスジじゃ有名なあの店が裏スジが通ったちんこ神輿寄付ってわけやね。

あの屹立するピンク怪物がいつ作られたかは良く知らない。でもあの神輿オフザケが多分に入ってるのね。どうしても客層におっさんが多かったりして綺麗でお高くとまってる感じにはなり難い。世間に言えない秘密趣味っていう暗さもある。

んだったらぶっちゃけちゃえって感じ。んだから江戸時代習俗復刻みたいな文脈からもぶっとんだピンクちんこを作ってしまった。そしたらそのぶっ飛び具合が群を抜いていて人気が出てしまった。

因みに写真見るとピンクちんこ神輿担いでるのって女装したおっさんたちじゃん。あれがエリザベス関係者です。お客ですな。

 

男の娘ブームに押される

15年ぐらい前から男の娘ブームがあるけど、そうするとメイクルームとかもあちこちに出来てくる。エリザベスの競合ですな。

しか男の娘ブームの方はレベルが高い。そうするとどうしてもエリザの方は汚装っぽく見えて見劣りがしてしまう。

因みにそういうお店の経営者にはエリザ出身者も居る。昔はエリザぐらいしか無かった訳でな。

 

そういう情況エリザベス運営会社のアント商事2020年2月廃業してしまった。コロナ最初期だ。

祭もコロナ自粛

一方、かなまら祭の方は毎年3月開催だがコロナのせいで去年から練り歩きは行われていない。境内での神事で終わりだ。警察道路使用許可出してくれないからな。

 

なので同社廃業ピンクちんこ神輿がどうなるかとか女装おっさんズ担ぎ手はどうなるかとかは不明なままなのだ。まぁ、いきなりピンクちんこが萎れたり無くなったりは無いだろうが、大手の後援者が居なくなるのは痛いかもしれん。

 

って事で、あのピンクちんこが有名な祭の外形は実は日本の伝統じゃなくてスポンサーによって作られた復刻&アレンジされた姿だったのだな。最初に言ってる事と違うな、あとでまとめて謝る。でも中身は民俗学的に線を繋いだもんで偽ものじゃない。

あと、他の男根神輿は健在だからちんこ消失に悲しまなくてもいい。是非来年は祭に来て出店のちんこキャンディーとかを頬張って欲しい。

 

最後にお詫び

なんで女装界隈詳しいのかっていえばワイがニューハーフ崩れだからだ。

最後に、はてな事務局諸兄には民俗学必要とはいえちんこ連呼した事を、またちんこ連呼で男女同権的に偏りがある文章となった事を、表題クリックバイトになった事をお詫びしたい。

どうもすいまんこ

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