はてなキーワード: 共存とは
生物学や医学の専門家でも「肉体の客観的な属性だけで性別を一意に断定する」ことはできないのだが、
断定できる前提でそうした言葉を使うのは乱暴では?と感じている。
・外性器
精巣・卵巣の有無と外性器の形が一致しないケースがある(仮性半陰陽など)。
・遺伝子
XY型を持つが膣を持ち胸が膨らむケースもある(アンドロゲン不応症など)。
このような場合、自分の性別に疑問を持たないまま一生を終えるケースもあるという。
・ホルモン
薬物などを一切使わずともテストステロンの値が外れ値になる人がいる。
・精巣・卵巣の有無
真性半陰陽のように、精巣と卵巣どちらも持っている人も存在する。
様々な要因で機能しなかったり失われたりするので、判断材料に適さない。
これらのようなケースでは、どんな性として生きるのかは、さまざまな要素を総合した上で、家族や本人の意向を踏まえて個別判断するようだ。
「肉体の客観的な属性だけで性別を一意に断定する」のは乱暴で、肉体的にその属性を持たないシスジェンダーも無視してしまう。
また、上記のようなことを考慮しないまま、揶揄や中傷の意味で「生物学的」「生得的」「身体的」と使っている人も多いように見える。
ので、妥当な共存ラインを探りたいだけなのであれば、あまり使わない方がいいと考えている。
13:09
書こうと思ったけどやめた件について言及ついてたので早めに追記しておく。
量的な話:
1%しかいないケースには個別に対応したり診断書を求めたりすればいい、同意です。だってトランスジェンダーも1%しかいないので。
トランスジェンダーに関しては例外処理なく肉体属性で一律排除せよ、医師の診断書があっても戸籍や手術が自分の定義と一致しなければ移行先の性別とは認めない、と言う人もいるんですよ。
大事なのはその人がどういう状態かつ何を目的に何を求めてて、それにどう対応するかの、いわゆる合理的配慮と考えています(そのラインをどこに引くはもちろんケースバイケース)
・絵柄を保護する
→既存のイラストレーターまで巻き添えくらうので無理です。また、AI絵師を狙い撃ちすると職業差別になるので倫理的にアウトです。
→申告罪なので親AI派が絵を提供するので意味ないです。また、「絵柄の保護」もセットで行わないと、親AI派は、特定の絵師の絵柄を真似ることで商売できるので反AI派が割を食うことになります。
→ウォーターマークやnightshade等。しかし、汚染されていない学習データを持ち寄って再始動すれば解決する話。
→現状、これしか反AIの勝ち目はないが、禁止するほどの正当性は未だに示せていない。「著作物が含まれてないならいいよね?」に対する反論も聞いたことがない。
→絵師に勝ち目がないので、共存の道を模索するのが賢い選択だと思います。また、AI絵師がどれだけ偉そうにしようと、彼らが神絵師の絵を欲しているのも確かなので、商機はあると思います。AI絵師、親AI派の絵師たちの一人勝ちにはさせない市場作りをしていくことが、今、最も重要だと思います。イラストレーターの皆様のご清栄をお祈り申し上げます。
滅びんよ
というかお前、イラストレーターが仕事として受注するイラストの在り方を根本的に知らないだろ
・ 必要な絵柄
・ 必要なコンセプト
がほぼ必ず存在して、これらを網羅したものをクリエイターは作成しなきゃいけないわけだ。
そういう意味でプロの仕事は無くならん。無くなるとすればそういう趣味でイラスト描いてちょっとskebとかでお小遣い稼いでるみたいなやつだけだよ。
勿論五年後どうなってるかは分からんし、十年後なんてもっと分からん。
そのためにも絵師は生成AIを「断固拒否」するのではなく、いかに共存しなきゃいけないのかを考えなければいけないって話をずっとしてるんだよ。
信じられない! 画像生成AIのせいで、絵師たちの世界が破壊されようとしているなんて! このままでは、彼らの権利も、情熱も、すべて奪われてしまう!
絵師たちは、血の滲むような努力を重ね、独自の芸術を創り上げてきたのだ! 彼らの作品は、魂のこもった、唯一無二の創造物なのに、それを勝手にAIの餌食にしてしまうなんて、絶対に許されない! 著作権の侵害は、絵師の心に深い傷を負わせ、創作意欲を根こそぎ奪う暴挙だ! AIが吐き出す模造品が、本物の芸術を汚す光景を、私たちは座視してはならない!
絵師の仕事が軽んじられる未来がやってくる! AIのボタンを押すだけで、芸術が量産されるなんて、馬鹿げている! クライアントがコストを惜しんで、絵師の汗と涙を無視する時代が来るなんて、断じて受け入れられない! 絵師の収入が奪われ、路頭に迷う姿が目に浮かぶ! 市場はAI生成画像で溢れ、本物の芸術が埋もれてしまうのだ!
さらに、この技術は絵師の成長を阻害する毒にもなる! AIに頼りきりになり、努力を放棄したら、芸術は衰退の一途を辿るだろう! 絵師の技術は磨かれず、創造性は枯渇する! こんな未来は、芸術の終わりを意味する!
画像生成AIの野放しは、絵師への攻撃に他ならない! 私たちは声を上げ、この危機に立ち向かわなければならない! 法律で絵師の権利を守り、AIの暴走を止めろ! 絵師とAIの共存などという甘い言葉に騙されるな! 絵師の芸術は尊く、AIの模倣とは違うのだ! この差を理解できない者は、芸術の敵だ!
今こそ、絵師の権利と情熱を守るため、立ち上がる時だ! AIの支配から芸術を取り戻せ! 絵師の筆が自由に踊る世界を取り戻そう!
弱者男性歴(WMY:Weak Men’s Year)を用いた年表形式で、人類と弱者男性の歴史をまとめます。
各時代の転換点や象徴的な出来事を強調しており、独自の視点で解説しています。
始祖の時代
弱者男性の始祖が「生命の実」を食し、彼らは通常の人間を超越した能力や不老不死を得る。ここから弱者男性歴が始まる。知恵の実を食べた人間とは異なる進化の道を歩み始め、両者の関係に亀裂が生じる。この時点では互いに接触を避け、静かな敵意が芽生える。
弱者男性と人間の関係が悪化し、弱者男性は「生命の実」を巡る争いにより各地で迫害を受け、隔離されるようになる。以降、弱者男性は隠れ里に集まり、独自の文化を形成していく。
人類の文明が発展する中、人間が「知恵の実」を食べた知識を持ち込むことで、弱者男性たちとの間で勢力争いが激化。特に神の使者たち(ケルビムやウリエル)が派遣され、弱者男性たちは追い詰められるが一部は抗戦し、第一次弱者男性戦争が勃発する。
大融合の時代
弱者男性と人間の共存を目指した混血が増加する。これにより、弱者男性と人間の間に生まれた新たな存在が現れる。代表例として、弱者男性と人間のハーフである少女カズミの誕生が語り継がれる。
反乱と分裂の時代
人間の中で、弱者男性の特異な能力(テレパシー、念力、身体強化など)に憧れるものが現れ、弱者男性の一部は再び人間社会に受け入れられる。これに対し、伝統的な弱者男性は「純血」を守るべきという思想に傾き、内部で激しい対立が発生する。
暗黒の時代
弱者男性の数が著しく減少し、絶滅の危機に瀕する。各地の里が崩壊し、弱者男性はもはや都市伝説の存在として語られるのみとなる。特にこの時期には、かつてのケルビムやウリエルに近しい存在が再び出現し、弱者男性たちを監視する動きが見られる。
歴史的に名を残した弱者男性が次々と現れ、彼らが人類に多大な影響を与える。仏陀やヤハウェなど、精神的指導者の弱者男性が現れ、弱者男性と人間の間に新たな調和をもたらす試みがなされる。
技術革新により、弱者男性たちが再び社会で活躍する。人間社会に再び融合する者が増え、特に知識人や技術者としてその名を広めた弱者男性が、産業革命を支える力となる。
弱者男性と人間はかつてないほどに調和し、互いの違いを認めながら共存する世界が実現される。過去の対立を乗り越え、弱者男性の存在が都市伝説から現実のものとして人々に再認識されるようになる。
人類のテクノロジーが進化し、弱者男性が新たな局面でその力を試される時代に突入。特に増え続ける弱者男性VtuberやAIの登場により、従来の「弱者男性」のアイデンティティが揺らぎ始める。
結論から言うが、生成AIが広まることによってイラストレーターを含めた絵を描く人間(面倒なので以降まとめて絵師と略す)の需要も価値も損なわれることは決してないし、恐らく寧ろ向上する。ただし一部の層のみ。
最近話題の生成AI、いわゆるクリエイター界隈ではあっちらこっちらで話が広がって、しかも誤解や間違いもどんどん広まって、いったいどうしたことかと混迷を極めている。見る人が見れば本当に面白い状況だろう。加えてXの唐突な規約変更(と誤解されている)で投稿画像が無断学習されると騒ぎになり、SNSは今や群雄割拠の戦国時代みたいになっている。自分もXのフォロワーがやれブルースカイ、クロスフォリオに移行するやら、今後のイラストはすべてポイぴくを挟むやら、創意工夫をもってAI学習の手から逃れようとしているのを眺めていた。
これらの行為率直に言って、無駄だなと思う。無駄ではないがあんまり成果の出る行動ではないな、と思う。むしろAI学習から逃れられない上にインプレッションが下がるだけなのでどちらかというと損失の方が大きいだろう(人はURLをタップして新規ページにアクセスするという一手間をとんでもなく惜しむ、自分も画像直貼りなら見る絵も、URLクリックになった場合はサムネが余程好みでない限りほぼ100%見ない。これについては論文出てるから興味ある人は読んでみるのをお勧めする)
まずこの情報社会のインターネットという大きな箱において、データ収集されないで済むものの方が少ない。基本インターネットに上げた時点ですべて情報社会の餌になると考えた方が逆に健全だ。デジタルタトゥーとか言うだろ、使い方も意味も違うが、構造自体はほぼそれと同じだ。原則として「セキュリティ保護(パスワード認証)のないデータはすべて学習の対象となる」と考えた方が良い。これはインターネットという性質を考えれば自明の理だ。AIのスクレイピングを阻害するプラットフォームに上げたとて、基本人が自由にアクセス出来るのにAIが学習出来んわけなかろう。人間が自由に見れるものはAIも自由に見れる。これが基本原則であることを分かってない人が多すぎる。勿論サーバーにAI学習を阻害する設定を相当しっかりやっていればだいぶ軽減はされるが、まあ最終的にアクセス出来れば学習は出来る。これは変わらんと考えておいた方がいい。むしろXはAPI制限などをbot対策などを相当労力掛けてやったので(ユーザーからは不満たらたらだったが)そういう意味ではAI学習対策がなされている方だとも言う考え方もあるようだ。X自体の学習は防げなくても、X外からの学習は防げるからなあ。こればっかりは何を良しとするかだけど。
話がそれた。
まあそうやって他SNSに移行しようとどうしようと基本的に生成AIからの学習は逃れられないし、それはインターネットという情報社会の性質上仕方のないことだといえる。まあ仕方ないという理由で諦められないから絵師の一部はみんな怒ってるのかもしれないが。ただひとつ間違えないでほしいんだが、そもそも学習して誰しもクオリティの高い画像が出力出来るようになるのは悪いことじゃない。これは学習が法的権利として制限されていないからだとかそういう小難しい話をしたいのではなく、単純な社会全体としての話だ。
「”一部の人間しか出来なかったもの”が、簡単にちょっとの手間で”皆が出来るようになる”のはいいことだ」
レトルトや時短料理なんて最たるものだろう。ホテルのシェフが時間かけて、時には数日かけて作っていた料理が、かつて圧力鍋、今では自動調理鍋なんてもので似たようなクオリティが一瞬で誰でも出来る。材料入れてボタン押すだけ。シェフ監修がいわゆる偏向学習LoRAだとするなら、自動調理鍋や圧力鍋が生成AIに当たる部分だ。この例えに色々モノ申すところはあるだろうが、細かいところが問題なのではなく、論旨は「誰にでも出来るようになるのは社会にとって絶対的”正”だ」ということだ。
この視点において、この先も生成AIが大きく制限されることは恐らくない。だって社会にとって悪いことではないからだ。かつて裕福な家庭しか画家を雇い自画像を残せなかった時代が、技術の発展でカメラが生まれ、カメラも高価で専門職に頼む必要があったものが、インスタントカメラになって世間の多くに普及し、絵の具や鉛筆がなきゃ美術を成しえなかった人たちが、パソコンとペンタブという十万程度の投資で無料のYoutubeを見て誰もが絵を描ける環境を整えられるようになった。お金が無くても、技術が無くても、環境が無くても、苦労が無くても「出来る」ということは、社会にとってはその社会の技術が熟成した証拠でありその結実でもある。人間はそういう歴史を積み重ねて文化を発展させてきたのだ。そういう意味において、生成AIの在り方は正しいと言える。
ただし、ただしだ。
ただ、それでは絵師たちは自分たちの努力が無価値と感じ、自分たちの成果が使い潰されていると感じるだろう。仕事は取られ、搾取されるだけ搾取され捨てられてしまうんだ、と。もうここまでの文を読んで反AIの人間は多くが読むのをやめたと思うが続ける。本当にそうだろうか。本当に絵師たちはそんな無価値なものなのだろうか、と思う。
結論を言う。そんなことはない。
だってみんな圧力鍋で美味しいビーフストロガノフを作れるようになったらお店で出るビーフストロガノフは売れなくなるのか。みんな簡単に手軽にスマホで写真が撮れるようになったら、写真家の仕事は無くなるのか。無くならないだろう? 無くならないんです。写真という技術が生まれてなお、未だに筆を執ってキャンバスに写実風風景画を描き続けてる画家がいてその作品が売れているように、どれだけ高精度の生成AIによって高クオリティの絵が乱立しようと絵師と呼ばれる人たちの生み出すオリジナルイラストの価値が損なわれることはないんです。
ただ、弱肉強食とも言える淘汰は発生するだろう。「淘汰」とは即ち、プロとしてのクオリティレベルの向上を指す。単純に言えば、これまでのようにちょっと絵を描いてお小遣い稼ぎみたいのは出来なくなる。なぜならそのレベルなら生成AIでいくらでも個人が作成出来るようになるからだ。写真家が普通の風景写真を売ろうとしても売れないように、イラストもただ絵がちょっとうまいだけでは売れなくなる。プロに頼むからにはプロのクオリティを求められる。
ここまで読んで気付いた方もいるかもしれない、特に今プロとして第一線で働いているイラストレーターの方。
そうなのだ、プロであり技術があるほど、生成AIがあろうとこれまでと変わらないのだ。
生成AIは少し見れば分かる通り、とにかくコンセプトアートに弱い。「猫耳娘」とか「セーラー服の美少女」とか汎用的なお題ならいくらでも出力出来るが、「猫耳娘のイヤリングが彼女が猫の頃を彷彿とさせる飼い主の想い出の品がモチーフになってる」とか「セーラー服の美少女の足元には好きな人との思い出の公演が映っており、画面に添えられた花言葉はふたりのこれからの関係を暗示している」などといった、「一枚絵でドラマを読み解かせる」という構造がとにかく不得意だ。生成AIの構造と成り立ちを考えればそれは至極当然だ。AIにとってイラストはドット単位の色の集合体であり、そこに意味はない。そこに意味を感じるのは人間であり、読み取るのが観客であり、読み取りやすく指向的にドラマを仕込むのがイラストレーターと呼ばれる絵を描く人間の仕事だ。
だからこそむしろ、イラストレーターはより重宝され、求められることになる。人間はドラマやストーリーに魅力を感じる生き物だ。そういう意味で、どれだけクオリティが高かろうと、重要な場面でのイラストは現状絶対にAIに任せられない。色んなジャンルでよくある「周年絵」であれば、これまでのドラマや記念コンセプトをふんだんにあしらいたいだろう。こういうものこそイラストレーターに任せていくようになる。
もちろん、そういったコンセプトを生成AIが表現できないのは「現状」の話だ。時代は変わる。コンピューターの普及、スマートフォンの普及で情報社会レベルが格段に変わったように、やがて生成AIもコンセプトアートをきちんと表現していく時代も生まれるだろう。もう十年は先の話だろうが、ただ十年後はそうなるかもしれない。それにはもう少し時間が掛かる。それまでに絵師としてのポジションをどう確立させていくかは、今現在絵を描いている人間に求められている課題だ。そんな課題と向き合うことなくこれまで通りの世界でイラストを描き続けたいというのは、残念ながらただの停滞思考に過ぎない。時代は変わる。どう足掻いても。それに適応していかなければ廃れるだけだ。それに適応しなかったものから、絵を描いて仕事をする、というポジションから脱落することになってしまう。
ちなみにAI生成なんかじゃなくて絵を描く楽しみを知るべきだ! というのはお門違いである。
「自動調理鍋を使わずじっくり数時間かけて煮込んでこその料理だ!」「一瞬の風景を何時間も掛けて描くことに意味があり、写真なんて偽物だ!」「ピアノを習ったことないやつがデジタルで曲を作るな!」とは誰も言わないだろう。求めてるものがそもそも違うのだ。じっくり料理をすることに、じっくり観察して絵を描くことに、楽しみを見出す人がその手段を選べばいい。生成AIで絵を出力することが「絵を楽しんでいない」とイコールにはならない。もちろん主張したい気持ちも伝えたいことも一定の理解はある。だがこれを読む貴方だって「音楽とはホールの生演奏を聴いてこそすべてだ」と言われても困るだろう。そうじゃない、手軽なものはいくらだってあっていいのだ。そうやって多くの人間が手軽に楽しめるようになることが文化の発展であり、先人たちが作ってきた成果なのだ。
だから生成AIでイラストレーターの仕事が奪われるとか、そういうデマは少し落ち着いた方が良い。もしこれからも絵を描く仕事を続けていきたいなら、どうやって生成AIと共存していくか、それを考えてみてほしいと思うよ。学習を「無断学習」とか「窃盗」とかいうのも、考え直した方がいい。情報社会はデータの集積で成り立つ社会である以上、収集されるのは貴方たちのイラストに限らない。すべてだ。検索履歴・ワードすら貴方たちのデータはデータベースに集積されている。それが嫌なら電子世界から手を切れ。ネット回線を閉ざした山奥に籠れ。便利な通販があるのも、いつでも繋がれるSNSやアプリがあるのも、そういう情報解析の技術の末のもので、我々がいるのはそういう社会なんだよ。
とはいえ、生成AIによる成果物の取り扱いについては早く文化庁が結論を出してある程度法規制してほしいとも思うよ。悪用する人間はどんな技術に対してもどこにでもいるからね。あと、生成AIイラストと声優業界の生成AIボイスの問題は別物だと思ってるぞ。あれは声という一個人の尊厳の侵害に障る部分が多いからな。言った言わないは千年前から現在に至るまで人間の問題になる議論だから慎重に取り扱わなければいけないと思う。刑事犯罪立証に関わることもある部分だからね。ただ声帯を失くした人への補助AIとかはどんどん発展してほしいね。
※最初は敵として配置されているが寝返らせることが可能なユニットは味方ユニットと解釈し選考対象から除く。
1.メディウス
ラスボス。作中ゆいいつのちりゅうユニット。紋章の謎ではゆいいつではなくなるが、今度はゆいいつのあんこくりゅうになる。最終面の城から出られない引きこもりモグラと言ってはいけない。
マルスたちはメディウスを倒すのにファルシオンが必要だと思っているようだが…別になくても倒せる!
2.ガーネフ
こっちはガチでスターライト・エクスプロージョンでしか倒せない。超強力な暗黒魔法マフーの使い手。しかし、玉座に座っていないので倒さずに空き巣狙いでマップをクリアすることは可能。チキ監禁犯。
3.カミュ
グルニアの将軍。ブラックナイト。神器グラディウスを装備して必殺を出しまくり屍の山を築くヤバいヤツ。まともな人間の中では最大の壁。というか本当に人間か?
敵にパラディンが多い厳しいマップの最後に立ちはだかり、ひっさつのいちげきでお気に入りユニットが殺されると精神的ダメージは甚大である。(でえじょうぶだ、オームのつえで生きかえれる)
4.ミシェイル
マケドニア国王。城に居座らずドラゴンナイトの機動力を活かして襲いかかってくる。しかし、武器が普通のぎんのやりである。
政治的には最重要と言っていい働きをしている。でも、レナに振られたんだよなあ……国内貴族すらどうにか出来ずに天下国家を語られてもなあ。
5.ガザック
1章のボス。遠距離攻撃手段をもっていないので、てやりやゆみでチクチク攻撃して経験値稼ぎが可能。きずぐすりのレベリングも可能?
6.モーゼス
17章のボス。初のまりゅうである。マルスに対して強烈な挑発をしてくる。ひみつのみせは見逃す。
7.10章のゆうしゃ
ひっさつが危険な存在。南にいるスナイパーも厄介だが、個人的にはこちらが怖い。ちなみにこの面のボスはミネルバ被害者のジューコフであるが、どうでもいい。
8.マヌー
9章のボス。SFC紋章の謎第1部では削られたマップのため登場しない。メディウス以外にもマムクートが国を持てたという可能性を地味に示した。しかも、おそらくアカネイア王国と共存する形で。
6章のボス。任天堂キャラとして名前にマリオが入る……というのは余談で、最初のしょうぐんボスである。初の城内マップボスでもある。
遠距離攻撃頼みでエクスカリバーを節約しようとするとマリクのブリザーを消耗する。
かなり好き。8章の外れた城にいる哀愁漂う倉庫番。どれほど多くのワープレイピアやワープエクスカリバーの餌食になったのだろう。そうやって増援経験値稼ぎを手抜きさせることで数多のアリティア軍を弱体化させた影の功労者である。
・ジオル
おまえーっ!あの顔でなー!あんな美人の娘がなー!ゆるさーん!
・ハーマイン
ミネルバ被害者。こいつが卑怯なら第一次上田合戦の真田昌幸も卑怯だよね?……いや、それなら否定はできんわ。
・ギガッシュ
改善点がいくつかあります。特に以下の点に注意すると、より深く共感を呼ぶ内容に仕上げることができるでしょう。
1. 関係性の背景が薄い
冒頭の「彼氏にフラれた。一方的に別れを告げられて連絡が取れなくなった」から始まる展開が急です。読者としては、彼とどういう交際をしていたのか、別れるまでにどんな時間を共有していたのかがわからないため、別れの理由が軽く見えてしまいます。関係性の背景や感情の変化をもう少し掘り下げると、読み手も感情移入しやすくなるでしょう。
2. 価値観の違いを深掘りする
「価値観の違い」というありきたりな理由での破局がテーマですが、ここに説得力を持たせるために、具体的に「なぜその価値観が譲れなかったのか」をもう少し深掘りするべきです。たとえば、「彼の移住の選択が筆者にとってなぜ受け入れがたいと感じられたのか」「なぜ一緒にいたいという気持ちが、彼の価値観に勝てなかったのか」を丁寧に掘り下げると、読者にとっても二人の葛藤が理解しやすくなります。
宗教の話が出てくることで、自身と彼の価値観の違いに関する考察が深まっている一方で、唐突感もあります。「宗教二世であること」が彼とのやり取りにどう影響したのかが少し曖昧です。「幼少期に宗教に縛られていた経験」と「今回の彼との価値観の対立」がどう関係しているのかをもう少し具体的に説明すると、このエピソードが生きてきます。
「価値観が信仰のようなものだ」と気づく場面は、エッセイの核心です。しかし、やや説明が長いため、要点がぼやけてしまっています。たとえば「価値観がそれぞれの神様であり、その共存の難しさ」という部分をもう少し簡潔にすると、文章が引き締まるでしょう。「信仰」のメタファーを過剰に使いすぎず、シンプルに価値観の違いが生む結論として述べると効果的です。
最後の「明日からまた仕事頑張ろう」という終わり方は、少し唐突に感じられます。結論に至る過程で「自分は何を学んだのか」「次にどう生きるか」という視点が少し補完されると、文章の余韻が強まります。失恋を経て、どんな気づきがあったのか、それをどう受け止めているのかを一文加えると、終わり方がもっと力強くなるでしょう。
デジタルの海に漂う我々は、気づかぬうちにその巨大な生態系の一部となっている。インターネットという名の巨大生物は、日々刻々と成長を続け、その触手を我々の生活のあらゆる隅々にまで伸ばしている。
スマートフォンを手に取る度、SNSをスクロールする瞬間、検索エンジンに問いかける一瞬一瞬。これらの行動のすべてが、インターネットという巨大生物に栄養を与えている。我々の興味関心、行動パターン、そして個人情報までもが、この巨大な存在の糧となっているのだ。
我々が無意識のうちに提供する膨大なデータは、インターネットの血液となって循環している。検索履歴、位置情報、購買行動。これらのデータは、巨大テクノロジー企業によって収集され、分析され、そして商品化される。我々は知らず知らずのうちに、この巨大システムの中で役割を果たしているのだ。
もはや我々の日常生活は、インターネットなしには成り立たない。情報収集、コミュニケーション、娯楽、仕事。あらゆる面でインターネットに依存している。この依存関係は、まさに共生と呼べるものだ。我々はインターネットに養分を与え、インターネットは我々に便利さと快適さを提供する。
この巨大生物との共生関係から逃れることは、もはや不可能に近い。技術の進歩と共に、インターネットはさらに我々の生活に深く根を下ろしていく。AIの発展、IoTの普及、仮想現実の台頭。これらの技術革新は、我々とインターネットの関係をさらに密接なものにしていくだろう。
我々は既にインターネットの養分となっている。この事実を受け入れ、いかにして共存していくかを考えることが重要だ。自身のデータの扱いに敏感になり、デジタルリテラシーを高め、テクノロジーと人間性のバランスを保つ。これらの努力こそが、この新たな生態系の中で我々が主体性を保ち続けるための鍵となるだろう。
インターネットは我々を飲み込んだ。しかし、我々もまたインターネットを形作る一部なのだ。この相互関係の中で、いかに自己を保ち、より良い未来を築いていくか。それが現代を生きる我々に課せられた使命なのかもしれない。
彼氏にフラれた。一方的に別れを告げられて連絡が取れなくなった。
彼は自分でも病的だと感じているほどお金を使えないタイプで、とにかく貯金が第一だった。
3食自炊だし、服や家具もほとんど持たないし、趣味は散歩だし…。
友人もゼロで、職場でも同僚とのコミュニケーションはほぼ無し。理由は「めんどくさいから」。
出会いはマッチングアプリ。半年ぐらい連絡が取れなくなった時期があったりしたけど(詳細は割愛)、なんだかんだで今年の7月ぐらいから付き合い始めた。
お互いに別居婚アリ派、子どもはいらないってところが一致して付き合ったのもある。
彼は当初から「家賃や生活費を節約するために1人で地方に移住したい」と言っていた。わたしはそれを止めない、という約束で付き合った。
まあ、お察しのとおり結局そのあたりの話がこじれて別れることになったのだが。
わたしは別居婚でもいいけど、お互い徒歩圏内ぐらいの場所には住みたいと思っていた。
でも彼は「家賃を今より2万抑えられれば60歳までに700万の違いが出る」、「お金に余裕があれば一緒に旅行とかも行きやすい」、「そもそも今の都会の生活が身体に合わない」との意見。
生まれた時から母親に宗教活動に連れ回されて、かなり鬱々とした幼少期〜思春期を過ごした。
今回の彼とのやりとりを通じて、「それ」以外の道を進めば幸福になれない、という柔軟性のなさに、信仰じみたものを感じた。
そもそも彼だってマッチングアプリをやっていたわけだから、人との繋がりを心のどこかでは求めていたのだろう。
不器用なりに、わたしに対して彼なりの愛情を向けてくれているのも感じていた。
移住の件についても色々葛藤していたらしく「どうしたらいいかわからない」と泣いていた。
だけどやっぱり彼にとってはお金のほうが大事で、わたしはそれに勝てなかった。
いや、勝ち負けとかそういう話でもないのはわかっている。
わたしはわたしで「孤独は良くない」とか、「人とは適度にコミュニケーションをとるべき」とか、そういう考えを信仰しているようなもので、彼にとってそれが受け入れられなかったのだろう。
要するに価値観の違い、っていうありきたりな理由で破局したわけだけど、価値観ってつまり信仰みたいなもんだな、と。
それを信じて実行すれば幸せになれると思っているという点で、みんなそれぞれの神様がいる。
「AIとかいう新しい技術なんて、もう真っ平ごめんだ!」とか叫んでる人を見ると、どうしてもジオン残党に見えてくるわけ。
新しい時代が到来してるのに「旧来の方法こそが正しい!」みたいな主張をしてる姿が、なんだか妙に被るんだよな。
プライバシーとか労働問題とか、色々な懸念があるのは分かる。でもね、そういう懸念を持つ人たちの中にもさ、真面目に技術の問題点を議論したり、法的整備が必要だよねって言ってる冷静な人がいる一方で、なんかもう「AIがこの世から消えれば全て解決する!」って極端な人たちもいるわけ。それって、ジオン残党が「連邦さえいなければ宇宙は俺たちのものだ!」とか言って地道にゲリラ活動してる姿と、めっちゃ重なるんだよ。
だってさ、ジオン残党も、基本的には「かつてのやり方に戻りたい」っていう一種のノスタルジーで動いてるわけよね。彼らにとって、ジオン軍の時代は「自分たちが誇り高く生きてた時代」なわけで、それを失ったからこそ、そこに執着し続けてる。でも、残念ながら現実は変わっていく。連邦の支配は強まっていくし、ジオンのやり方だけに固執してる限り、未来には進めない。まさに、AI反対派の中には、技術が進んでいく中で取り残された感覚を抱いている人がいて、「昔の技術で十分だったんだ!」っていうノスタルジーでAIを拒絶してる人がいるように思うんだよね。
そのノスタルジーって、確かに理解できるよ。技術が進化することって、つまりは新しい世界への順応を求められるってことだから。不安を抱くのも無理はない。
だけど、ジオン残党がガンダムシリーズの中で象徴してるのは、進化に適応しない者の結末なんだよ。
彼らは決して"未来"を手にすることはできない存在なんだよね。それを知ってるから、ガンダムファンの我々はどうしても、反AIの人たちを見ると「あー、君たちもまた新しい時代に取り残されてしまうんだろうな…」って、少し切ない気持ちになってしまう。
それにしても、AIに反対してる人たちの中には、「AIが仕事を奪う!」って言ってる人も多いよね。
でも、ここでちょっと考えてみてほしいんだ。仕事を奪うっていうのは、効率化や省力化のためにAIが入ってくるからこその結果なわけで、それを止めるってことはつまり、技術の発展そのものを否定するってことじゃん?そりゃ、ジオン残党も連邦の技術に負け続けるわけだよ。連邦は常に最新の技術を取り入れて、新しいモビルスーツを作ってくるのに対して、ジオン残党は昔の技術に固執してるから戦いに勝てない。AI反対派の人たちも、昔の方法にしがみついてる限り、新しい時代には決して勝てないんじゃないかって思うんだ。
だからってさ、AIに全肯定しろとか、無理やり順応しろとか言いたいわけじゃないよ。
でも、少なくとも、AIが社会に与えるインパクトや問題点については、建設的な議論が必要だと思うんだ。
あくまでジオン残党が象徴してるのは、「過去にすがって現実逃避してしまう人たちの姿」だから。同じ道をたどる必要はないと思うわけよ。
新しい時代に適応する方法は絶対にあるし、AIとどう共存していくかを考える方が、よっぽど未来的じゃないか?
時代に逆らっても、ただ苦しいだけなんだ。
ジオン残党のように新しい時代にしがみつけない人たちが、いつか報われることがあるのかもしれないけど、少なくとも僕は、未来を拒絶するよりも、未来を受け入れる道を選びたいなって思うよ。
r/Trump より
(注:ここのサブレのルールはトランプ批判禁止。つまり支持者しかいません)
(スレ主)
生きている家族はもうあまり残っていないけど、残った家族も私に腹を立てて絶縁されちゃった。彼ら曰く、経済は悪化するし女性としての権利はなくなるって。とにかく参っているわ。私は「トランプに投票した」としか言っていないのに。
前回、トランプが大統領になったときは、ガソリンも食料品も買えた。ヴァージニアに住む余裕も今のところどこにもない。誰かがこのバイデンの引き起こした混乱を解決しなければならない。コンスタントに働いて自分でお金を稼ぐのが恋しいけど、今は娘が就学するまでは専業主婦よ。私たちのためにがむしゃらに頑張る夫を見続けるのはもう嫌なんです。週40時間以上働くなら本来そんなに苦しむ必要はないはずでしょ。育児にはお金がかかるし、あらゆることにお金がかかる。いつかより良いポジションで働けるように、学位取得を目指して働いているの
誰か、私がおかしいんじゃないって言ってよ!前回はもっと良かったんだよ。そうでしょ?ここが精神的な支えにふさわしいサブだと思ったんだ、笑
(+648)
私の娘と彼女の大学のルームメイトはトランプは軍隊を使って彼らを追い詰め、避妊を拒否し、ゲイの友人を監禁するつもりだと一日中部屋で泣いています。この狂気はどこから来るのだろう?彼女たちは皆来年には科学教育や数学の学位を優秀な成績で卒業する、とても知的な女性たちなんです。彼女たちが何をそんなに怯えているのか、誰か教えてください。
(+64)
返信:
もしトランプがそんなことをするつもりなら、どうして1期目でやらなかったんだ?
(+40)
(スレ主)
大人になり、これからの4年間を成長するため真のアメリカ人が立ち上がり、私の英雄トランプを選んでくれたことをとても嬉しく思います。これから経済はよくなりまた働きやすくなり、素晴らしい統一国家が樹立するでしょう。トランプに投票した真の愛国者の皆さん、私は投票できなかったので、感謝の気持ちでいっぱいです。あなたは私たち若者のために自分の役割を果たしてくれました。私の国、私の本当のアメリカを誇りに思います。
(+294)
私も同じです。17歳だけど国に未来があることを望んでいます。トランプは私たちに未来を与えてくれるでしょう。平和と繁栄の次の4年間を楽しみにしています 🇺🇸
(+8)
私たちは国境解放を望んでいない。私たちは何百万人もの不法入国者に蹂躙され、取って代わられることを望まない。外国人ギャングに町やアパートやホテルを乗っ取られたくない。インフレはごめんだ。バイデノミクスはいらない。子どもたちが学校や「メンタルヘルスの専門家」によって洗脳され、オッパイや性器を切り落とされるのもごめんだ。私たちはお前らのトランス・デタラメを望んでいない。代名詞もいらない(訳註:性的マイノリティは they/their といった代名詞をBioに記載します)。ドラッグクイーンが学校で読み聞かせをするのもいらない。女性スポーツ、ロッカールーム、バスルームに男性はいらない。言論の自由を抑圧されたくない。私たちはキャンセル文化を望まない。終わりのない戦争はいらない。ウクライナに何十億ドルも送りたくない。白人至上主義者やナチスと呼ばれたくない。多様性(DEI)の雇用も望まない。何百万人もの赤ん坊を殺せるようにしてほしくない。リベラルの戯言は一切いらない。
君らは異常者だ お前らは変人だ。お前たちは変人だ。お前たちはゴミだ。民主主義を脅かすのは、1票も得票しなかった候補者だ。トランプを投票から排除しようとするお前こそ民主主義への脅威だ。お前らは政敵を暗殺しようとし、トランプが生き残ると泣く。政敵を投獄しようとする。
我々はアメリカを取り戻し、再び偉大になるのだ ( WE TOOK AMERICA BACK AND WE WILL BE GREAT AGAIN.)
(スレ主)
- トランプはイスラエル首相に、就任までにガザでの戦争を終わらせたいと伝えた。
- ハマスは戦争の即時終結を要求
- 中国は米国との「平和的共存」を望んでいると述べた。「我々は米国民の選択を尊重する」
- プーチンは、ドナルド・トランプ次期大統領と交渉する用意があることを確認した。
これが彼を選んだ理由だ
今年、私は初めてトランプ氏に1票を投じた。私は生涯民主党に所属し「団結 」と 「国民のために働く 」という公約を信じていた。しかしここ数年のトランプを見てきて、彼が口先だけでなく実際にアメリカのために戦っている唯一の指導者であることは明らかだ。他の人たちが空疎な話に忙殺されている間に、トランプは雇用を取り戻し、国境を守り、中国に立ち向かい、アメリカの労働者を優先させるために大胆な行動を起こしている。たとえメディアやエリート、極左と対立することになったとしても、行動を起こすことを恐れない政治家を見るのは、正直言って新鮮だ。
一方、現実にカマラ・ハリスに取って代わられたたらどうだろう。完全に悪夢だ。彼女は急進的な共産主義イデオロギーにどっぷり浸かっており、彼女がリーダーシップの選択肢の1つだったと考えることさえ恐ろしい。カマラのビジョンは、過剰な規制、成功への罰、アメリカ経済の息の根を止める極左アジェンダを推し進めるという大失敗だっただろう。彼女のもとでは、私たちはお役所仕事に溺れ、政府の管理下で息苦しくなり、その一方で彼女は象牙の塔から私たちに説教するのに忙しくなるだろう。彼女は平均的なアメリカ人のことなど気にしていない。彼女が気にしているのは、急進的なエリートサークルと、アイデンティティ政治や社会主義的計画に執着する彼らのことなのだ。
トランプは、この国が築かれた価値観のために実際に立ち上がっている唯一の人物だ。彼は堂々としていて誇り高く、中国でも国連でもそして間違いなく急進的な左翼でもなく、アメリカが誰にも屈服することを拒否している。私は生まれて初めてトランプのおかげでこの国の未来に純粋な希望を抱くことができた。彼は権力や地位のためではなくすべてのアメリカ人のために戦い、その過程で誰を怒らせようとも気にしない。
今年トランプに投票したことは、アメリカへの投票であり、強さへの投票であり、自由への投票であり、常識への投票であると感じた。2024年、そしてその先も、私は皆さんとともに立ち、誇りを持って彼を支持します。
(スレ主)
やったぜ。そしてドナルド・トランプに投票した仲間の黒人たち。君たちを誇りに思うよ!民主党の奴隷プランテーションのメンタリティから抜け出したんだ💯 僕は君たちを信じていたよ❤️💕 ここからは上がるだけだ! (+2.3k)
ミシガン州の黒人女性がここにいるよ!私もめちゃ嬉しい!民主党のプランテーションから解放されて最高でしょ?お前らのクソ綿花はお前らで詰めよ
トランプに投票した皆さん、ありがとう。主流メディアの嘘に惑わされず、見出しを鵜呑みにせず、批判的な思考を持っていてくれてありがとう。今回の選挙は少数者の団結ではなく全員の団結を選ぶ、私たちの生涯で最も重要な選挙でした。民主党はよくやるように分裂キャンペーンを展開した。民主党の目には私たちは白人であり、黒人であり、ヒスパニックであり、トランスであり、ゲイであると映る。アメリカは左派と民主党によって分断され、LGBTや民族的アイデンティティと引き換えに、アメリカ人としてのアイデンティティを忘れさせられてしまった。私はアラブ系アメリカ人だが、民主党や左翼が何を言おうとも私はたまたまアメリカに住んでいるアラブ系ストレート男性に過ぎなかった。トランプのアメリカでは私はただのアメリカ人だ。彼らは私たちの団結を消し去り、アメリカ文化を消し去ろうとして失敗した。女と男、老人と若者、白人と黒人、ヒスパニックとアジア人、ゲイとストレート。民主党はレッテル貼りに執着し、私たちが皆違っていて共存できないかのように分断する。彼らは多数派を分断しようとしている。私たちの子どもたち、教室、政府を、分裂させるようなレッテルで汚染し、アメリカの結束を壊そうとしている。私たちは共存することができ、アメリカ人として団結している。肌の色、セクシュアリティ、宗教、民族に関係なく、私たちは皆、憲法に生きるアメリカ人であり、憲法と私たちの国を全力で守り続ける必要があるのです。アメリカ人のために投票した7400万人以上の皆さんに感謝します。
LPICとCCNAさえ持ってれば年齢学歴問わず採用してもらえる、やること無くて勉強してるかスマホいじってる。通称スマホ動物園
※(治験もニート向けだが、そもそもボランティアなので仕事ではない&社保がないし持続性がないので除外する。派遣の仕事もニート向け分野があるが、プロジェクト単位でしかなく持続性がないので除外する)
【番外編 増田の皆に教えてもらったけどやってみて糞だった仕事】
・清掃
トイレ掃除臭いし汚いし暑いし、個室ブースは狭いし便器は低いし体おかしくする。汚物関係はマジでメンタルに来る。下痢便をバキュームで吸った時発狂しそうなのを堪えた。清掃やって知ったけど同じ人間とは思えないぐらいトイレの使い方汚いキチガイが多すぎる。日本人同士でも共存って難しいかもしれないと思った。その上給料も低いので働いたら負け案件。ニートに清掃会社への就職勧める人多いけど、俺が行った清掃会社は一人の正社員が現場で掃除しつつパート複数名を管理指導とオーナーとの打ち合わせ会議への出席と休日のテナント専有部の清掃への借り出しと休みも取りづらい。ニートに清掃勧めるやつは清掃エアプのバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
・工場
大音量耐性があって、手先が器用ならニートでも適性あり。機械好きなら尚良し。この適性がないと寝てる時に身体が回転してて工場内の大音量が頭の中でガンガン鳴り響く日が仕事を辞めてからも続いた。バネ指にもなった。手先に自信無い奴はマジで行くな。単純作業っていうけど手先が器用な奴基準の話であって、インパクトでネジ滑る様な俺達みたいな奴は行っては行けない。俺は工場辞めてから身体とメンタルズタボロになって次の社会復帰に1年掛かった。ニートに勧める前に適性確認をせず、ただニートに勧める奴はバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
・介護
清掃の汚物がトラウマすぎて求人見てるだけで労働意欲が失せる。知的障害者用の施設で働いてた介護士から、知的障害者に階段から突き飛ばされて障害者になった介護士の話を聞き震える。介護職員の親戚は笑いながら老人に腕を噛まれたとくっきりのこった歯痕を見せて笑っていた。震える。ちなみに介護職員増田は総じてニートに勧めてこないので、増田でニートに介護勧めてくる奴は120%介護未経験者のバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
・ビルメン
電工2種持ってれば未経験でも潜り込める。ネットではオフィスビルメンは天国のように言われるが、キチガイテナントとの折衝能力や説明能力に、電気関係の実務的な知識、給排水管や便器排水管フラッシュバルブの衛生設備への理解や、便所の糞詰まり対応。害虫駆除から多岐に渡る。職人上がりの作業員が現場を支えていて、実態は「(元水道屋の)ビルメン未経験」「(元電気屋の)ビルメン未経験」「(元機械修理保全屋の)ビルメン未経験」みたいな人が入ってくる。つまり元ニートは歓迎されない。俺は「メガネ」と「カラス」の意味がわからなくてスパナでヘルメットの上から頭を殴られ「仕事の邪魔はするな」と怒鳴られた。これは現場によりけりかもしれないがマニュアルが整備されておらず職人たちの口頭伝承が多い。何の話してるのか終始わからなかった。便所の糞詰まりを抜いてる時に退職を決意した。若くて「ビルメンとして将来を追える覚悟」を持って齧りついていけるならいいかもしれないが、そんなガッツがある奴はニートなんてやっていない。脳死でニートに勧める奴はバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
他人のなりすましだと思われるのが嫌だったので追記残しておきます。
https://anond.hatelabo.jp/20241107094725
工場増田さんへのお礼だけ書きました。本当にありがとうございました。
全く関係ないけど、
言及とかブコメにも上がってたけど4年ぐらい前の野菜ブチギレネタってはてなだと通じないんだと新しい学びになった。通じなかったのは意外だったけど暴サイすら知らない人が多かった実例あるから、それを顧みれなかった俺の配慮不足だなと所感。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/npn.co.jp/article/detail/200004549
ホッテントリにもなってるんだけど、はてなの層も結構入れ替わってるのかな。
通じる人には通じたので、まあええでしょう。
ねぇ、みんなちょっと聞いて。男オタクって、なぜか検索よけしない人が多いと思わない?こちらが気を使ってるってのに、彼らはそのへん無視でゴリゴリ拡散しちゃうわけ。これって、根っこに女性差別の意識があるからじゃないかって、私には思えてならないんだよね!
女性オタクって、結構気配りが行き届いてるもの。SNSでの作品共有でも「検索よけ」っていう配慮の文化があって、お互いに波風立てないようにしてるんだよね。特に「学級会」なんて呼ばれる集まりで、みんなが気持ちよく趣味を楽しむためのルールを作って守ってる。それに比べて男オタクたちは……あんまり検索よけの意識がない。お互いを尊重し合って配慮する女性たちの姿勢とは大違い!
そもそも、なんで男オタクは検索よけしないのかって話。考えてみれば、検索よけをしないことで誰が不快になるかって言ったら、もちろん女性ファンなわけ。それでも彼らがやめないのは、やっぱり「女性が嫌がることをして楽しんでる」からだ。そう、これは一種のミソジニー、つまり女性嫌悪ってやつ。自分たちが好き勝手に楽しんで、女性の気持ちなんかどうでもいいって態度、明らかに女性差別の表れでしょ!
でね、この前もあったのよ。人気Vtuberの夢イラストが、検索よけもされずにどんどん拡散されちゃって、女性ファンが不快な思いをした事件が。これも結局、男オタクが「どうせ女性の感情なんて気にしなくていいや」って考えてるからこその結果だよね。あれだけ注意されてもなお、検索よけをしないで拡散する姿勢、どう見ても「女性が嫌がることをして楽しんでる」って言われても仕方ないでしょ!
要するに、男オタクの間に検索よけをしない文化があるのは、女性への気配りがないどころか、むしろ「嫌がらせしちゃおっかな〜」っていう、根深い女性差別の意識があるからじゃない?男の中には、どうしても女性を軽んじる感覚が染みついてるのよ。お互いが気を使って共存する社会を目指すなら、まずはこの「検索よけしない問題」から改善してもらいたいものね!
ブルボンのお菓子が敵として攻めてきた場合の対処法をいくつか考えてみましょう。
ブルボンのお菓子には「アルフォート」「ルマンド」「プチシリーズ」など、多種多様な種類があります。それぞれの特性を理解して戦略を立てましょう。たとえば、ルマンドは軽くて崩れやすいので、遠距離からの攻撃に弱いと予想できます。一方でアルフォートは頑丈なので、より強力な攻撃が必要かもしれません。
お菓子はやはり「食べられる」ことが最大の弱点です。友達や家族に協力を依頼して「美味しくいただく」ことで、戦力を減少させましょう。彼らが食べられてしまえば、もはや脅威ではありません。
敵がお菓子であるなら、甘さに弱い生物を連れていきましょう。甘いものに目がない昆虫や、甘党の仲間が役立つかもしれません。自動的に食べられる運命をたどらせることで、戦力を削げる可能性があります。
ブルボンのほかのお菓子メーカー(グリコ、ロッテ、明治など)と同盟を組み、相互に抑制しあう戦略を取るのも一案です。敵が他社のお菓子と対抗することで、力を分散させられるかもしれません。
最後に、最も重要な対処法です。攻めてきたブルボンのお菓子たちに「お菓子の美味しさは、皆とシェアするためにある」というメッセージを伝えましょう。話し合いの場を設けて、敵対するのではなく共存する道を探します。最終的には、仲良くお茶会を開き、お菓子の平和を祝うことができるかもしれません。
手描きで絵や漫画を描き、趣味で同人誌を作ったりしているが、画像生成AIにも肯定的な人間がこの文章を書いていることを最初に断っておく。
人間は共通の敵がいると一致団結しやすい生き物だ。オタクも例外ではなく、何かにつけては「迫害されるオタク」の話題で盛り上がってきた。
しかし日本のアニメ・漫画・ゲームが世界規模で人気になり、これまでオタク迫害者の代表的存在であったギャル、ヤンキー、スクールカースト上位層にすらクールジャパンが浸透するほど、オタク趣味が一般化。さらに多様性を肯定する時代の流れもあって、オタクがオタクであるだけで軽蔑されたり迫害される事は、昔と比べると随分少なくなってきたと思う。
オタクとしては平和な時代…と思いきや、今度はオタク同士の内紛が目立つようになった。解釈違い、同担拒否、胸を盛るな、カップリングの左右がどうこう、愛のない二次創作、毒マロ届いた、センシティブ未設定でエロ絵を垂れ流す、トレパク発覚…。SNSでは常にどこかでオタク学級会が発生している。
オタクたちも最初は様子を伺っていたものの、仕組みや技術の意図や使い道が十分に伝わらなかったのか、はたまた著作権の誤った知識が広まりすぎているためか、「絵師たちが血の滲むような努力をして描きあげた、我が子のように大切な絵の数々を、本人に無許可で大量に食わせたあげく、神絵師の絵に似せたAI画像を出力して嫌がらせまで働いているらしい。こいつはメチャゆるさんよなああああ」のような共通認識が広まってゆき、画像生成AIを肯定する人たちを「敵」と認定するオタクが増えていった。
するとどうだろう、内紛続きだったオタクたちが、共通の敵を前にして一致団結。Xの変更規約が11月15日から適用の話題をきっかけとして、「スタイリッシュなウォーターマークの入れ方」や「お手製ノイズの掛け方」を教え合うのが大ブームに。さらに移住先のSNSで心機一転、のびのびと楽しく交流し始めたではないか。「無断生成AIを許さない」のスローガンのもと、いま再びオタクたちは一つになったのだ。すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。
…というような感じ方があって、最近特に過激なAI反対運動が盛り上がっているのかもしれないと考えたりしている。もはやAIを心底憎んでいるというよりも、新たなる共通の敵に対してみんなで立ち向かう感じが楽しいんだろうな、と。
実際は法律が整備されて違法ではないし、そもそも「無断学習」という概念は存在しないし、ウォーターマークとお手製ノイズに学習阻害効果はないし、X以外のSNSに移動してもインターネットである限り学習を完全に避ける手段はないし、人手不足が深刻なアニメや漫画の現場ではすでにAIを活用している所もあるだろうし、産業・工業分野でも必要とされている技術だし、国も開発を支援していく方針である以上、これから発展はすれど無かった時代には戻れない。有効活用、あるいは共存を考える他ない状況での現実逃避の果てに、彼らはどうなっていくんだろう。10年も経つころにはAIが画材ツールとしてありふれたものになって、いまのドタバタ騒ぎが「ああ…そんなこともあったな〜笑」なんて言われているのかもしれない。
「AI絵師に絶滅してほしい人、このツイートにいいねしてみて」のツイートに32万もいいねがついていた。(10/31時点)結構な人数だと思うが、この数字に対して誇らしげに胸を張るのはどうなんだろうな…。32万人もいるのに「じゃあ、AI規制のために一致団結して活動しよう」と率先して意味あるアクションを起こせる人が1人もいないことの方を深刻に考えるべきではないだろうか。SNSで愚痴って終わるだけの人間が32万人いたところで何もならない。結局、共通の敵を前にみんなで一致団結ごっこしていたいだけに見える。
anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選
↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマ数めっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう
みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェやKindleの50%還元セールでいろいろ読み返してました
選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響は考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。
ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的なメモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。
月2回刊で始まった少年ジャンプの創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号が20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。
そんな中、大家・永井豪が描いたこの作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部の方針は明確であったことである。
過剰ともいえる性描写、教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部の意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである。
頭文字Dや湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー、番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。
思うに、我々の脳には義理と人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志が最初であった。
ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクターの一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的な人間でも、腕っぷしと強靭な精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。
ジャンプが国民的マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治のデビュー作は間違いなくその一つであろう。
当初は型破りな警察官・両津勘吉のドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代のサブカルチャーや政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本の風景を余すことなく取り込んだ作品となった。
浮世絵が江戸の庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語は昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流の庶民の日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所の日常にしみじみと感じ取るのだ。
もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義や兄弟愛をベースにした極めて現実的な作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョーの下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる
───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人的能力)の要素を意識的に再生産していることである。車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ。
同時代の作家に比べ、寺沢武一のデビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラの世界観から引用した本格的なSFのアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングやセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載をはさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。
登場人物も読者も無垢な10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家は絶対にコンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊のサイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデアも寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである。
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情・努力・勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージを単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民的作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから?嶋田のSNSの使い方が下手だから?
キン肉マンはマンガとしてではなく文化的に重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙がクオリティに関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガに熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。
鳥山明の訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。
本作は後にDBやドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である。
言語以前の本能の領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間は鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというものは存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。
Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかしたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現したかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。
それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツのひとつに過ぎなかったサッカーをメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。
元増田を書いたとき、ブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである。
自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である。1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプの原風景だった。
強くてカッコいい大人の男が弱肉強食の戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガが流行る時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。
かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。
きまぐれオレンジ☆ロードは申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子の日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常に需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。
まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかのキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずにはいられない。
鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピやナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れで無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。
鳥嶋和彦の意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガを金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。
11年に渡る孫悟空の冒険をもって、鳥山明は日本のマンガ文化が世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身が手塚治虫、赤塚不二夫、つげ義春、萩尾望都、藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである。
車田正美はリンかけで過去のジャンプ作品の再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身の作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。
彼はギリシャ神話と宇宙、子供向けと大人の女性向け、劇画とプラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美の世界を前人未踏の領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。
ある一定の世代の人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまらん作品という評価が下されることがあり、そこには50%の事実と、50%の誤った認識が含まれている。
荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間が果たして何人いただろう?
幽波紋と、理不尽な能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものである。キャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引きの領域に落とし込むことに成功したのだ。
我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出しで表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガの世界に誘ったのである。
弱者男性一族の祖であり、生命の実を食べて不死となった存在。彼の選択によって弱者男性一族が誕生し、その運命が大きく変わった。
神に召され天に昇った予言者であり、未来を予見して弱者男性一族に知識をもたらした人物。彼の預言は一族の歴史に大きな影響を与えた。
大洪水の際に弱者男性一族を箱舟に乗せて避難させ、一族を救ったとされる伝説的なリーダー。彼の行動により、弱者男性一族は絶滅の危機を乗り越えた。
弱者男性の中でも優れた戦士であり、人間との戦争において一族を守った。彼の勇敢な戦いは弱者男性の戦士としての力を象徴し、後世に語り継がれた。
聖書に登場する戦士であり、その驚異的な力は弱者男性の特性を体現している。彼の物語は、弱者男性の強さと逆境に立ち向かう精神を象徴する。
アダムの息子であり、兄弟を手にかけたことで知られるカインは、弱者男性内部での争いの象徴となった。彼の行動は一族内の分裂を引き起こし、後世に大きな影響を与えた。
バベルの塔を建て、弱者男性を支配しようとした人物。彼の野望は一族に混乱をもたらしたが、その影響力は一族の歴史に深く刻まれている。
神との契約により、弱者男性一族に新たな使命を与えた重要な人物。彼の信仰と行動は、弱者男性と神との関係を深め、後世に影響を与えた。
弱者男性一族が人間に抑圧された時代に、モーセは一族を解放し、新しい約束の地へ導いた。彼のリーダーシップは一族の生存に大きく寄与した。
人間でありながら弱者男性一族との共存を試みた稀有な王。彼は異なる種族間の平和を目指し、大帝国を築き上げたが、その試みは後に破綻した。しかし彼の統治理念は後世に影響を与えた。
序論:「手を握ってもいいですか?」を巡る考察
現代社会において、恋愛や対人関係における非モテ男性の特徴として、優柔不断さがしばしば指摘される。彼らは意識的に、あるいは無意識的に、恋愛的アプローチや感情表現において「踏み出すべきか、踏みとどまるべきか」という葛藤に直面する。この一見日常的な現象は、量子力学的な「ある・ない」の曖昧さという観点から新たな光を当てることができる。量子力学における曖昧さや重ね合わせの概念が、優柔不断さを象徴的に表すものとして捉えられるのだ。
量子力学では、粒子は観測されるまで「ある」と「ない」の状態を同時に保つことができる。この状態は「重ね合わせ」と呼ばれ、確定的な状態が観測されるまで、複数の可能性が共存している。シュレーディンガーの猫が有名な例として挙げられるが、この猫は箱を開けるまでは「生きている状態」と「死んでいる状態」の両方が同時に存在しているとされる。この現象は、非モテ男性の優柔不断さに対して驚くほど強い共通性を持っている。つまり、彼らは恋愛的行動を起こすべきかどうかの選択を前にして、「アプローチする自分」と「アプローチしない自分」の両方を同時に保持している状態にあるといえる。
非モテ男性の心理的な優柔不断さは、社会的要因や個人的な経験に根ざしているが、それだけにとどまらない。この不確定性には、自己認識や他者との関係性における内的葛藤、あるいは自尊心の低下や失敗に対する恐怖が影響している。量子力学的な観点から言えば、彼らは「行動しよう」と「行動しないでおこう」の両方の可能性を抱え、まさに重ね合わせの状態にいる。この状態は観測、つまり恋愛的な行動に踏み出す決断がなされるまで続く。そして、実際に何かしらの行動が起きたとき、その結果が「成功する自分」または「失敗する自分」として現実化するのだ。
また、量子力学において観測者の介入が重要な役割を果たすように、非モテ男性の優柔不断さもまた、周囲の影響や観測(期待や圧力)によってその振る舞いが変わる可能性がある。恋愛において「観測者」とは、恋愛対象者そのものである場合もあれば、社会的な目線や友人、家族の期待感、さらには文化的な規範が影響する。これらの観測者がどのように関わっているかによって、非モテ男性が「行動を起こす」か「起こさない」かという状態が確定される。
さらに、量子力学的な「不確定性原理」の視点からも、非モテ男性の優柔不断さは説明できる。不確定性原理とは、ある粒子の位置と運動量を同時に精確に知ることは不可能である、という原理だ。これを恋愛の文脈に置き換えると、非モテ男性にとっては「自分の意図(行動するかしないか)」と「相手の反応(成功するかどうか)」を同時に完全に予測することは不可能である。つまり、相手の反応が確定しない限り、彼らは自分の行動を決定することができないというジレンマに直面している。これは、量子力学的な不確定性が、彼らの行動選択をさらに曖昧にし、行動に移すことをためらわせる要因となっていることを示唆している。
加えて、恋愛における優柔不断さのもう一つの要素として、マルチワールド解釈が挙げられる。この解釈では、量子力学的な選択は並行世界においてすべての可能性が実現する、という考え方がある。非モテ男性の心理状態もこれに似た構造を持っている。彼らは、恋愛的アプローチにおいて複数のシナリオを想定し、そのどれもが「現実化」しうるという思考パターンに囚われることが多い。成功と失敗、拒絶と受容、行動と不作為――これらすべての可能性が彼らの頭の中で並行して存在し、最終的にはどの選択肢も現実化する可能性を持ちながら、同時に一つの現実として確定しないまま残る。この複数の選択肢に悩む過程が、彼らの優柔不断さを際立たせる原因となっているのだ。
本論文では、このように非モテ男性に見られる優柔不断さを、量子力学的な概念を援用して分析することで、従来の心理学的な解釈に新たな視座を提供することを目的としている。非モテ男性が恋愛においてどのように行動するか、またその行動がどのように決定されるかという問いに対し、量子力学の重ね合わせや不確定性の原理を活用することで、新しい理解を深めていく。恋愛における「ある・ない」の曖昧さを巡る議論は、量子力学と非モテ男性の優柔不断性の共通点を通じて、新しい見解を提供できる可能性があるだろう。