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はてなキーワード: 展覧会とは

2019-10-12

展覧会という形をとることで反日行為が堂々とできると学習たから、これからどんどん増えるだろうな

今はまだ芸術をたしなむ側から擁護があるし議論最中だけどこれを後押しとしてもっと巧妙に狡猾に規模を大きくして展開していくだろう

やつらのやり方だよ

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

2019-10-11

ほんと不自由だなー

れい展覧会ね。

表現は何でも許されると思うんだ。ただ発表したら批評は受けるべき。その時代モラル作品を裁く。

批判が嫌なら出すなって考え。

芸術性はよくわからんが、今の自分物差しではかると肖像を燃やすのは違和感がある。

でも、例えば織田信長本能寺の変によって焼け落ちる中たたずむ映像があるとして、それはどうだろうか。

天下を目指すも兵どもがゆめのあとの儚さの表現とうけとるか、史実人物を数多の作品が繰り返し焼き殺すのを不憫ととらえるだろうか。

何が違うんだろう?

2019-10-09

表現不自由展』の企画者はちゃん説明すべき

表現不自由展について思うこと

表現不自由展について

昭和天皇肖像を燃やしたり慰安婦像置いたりとやりたい放題の展覧会表現不自由展その後』

「こういう表現であっても認められるべきだ!」という賛成意見と「さすがにダメじゃない?」と反対意見、日々議論が白熱している。

私は賛成でも反対でもなく、こういった状況になることが企画者の意図

まり表現』そのものに対する問題提起企画展!

……かと思って傍観していたんですけど展覧会が中止されたりかと思えば再開されたり、入場制限が行われたり市長による抗議活動などヒートアップするよくわからない状況。

これ企画者何にも考えてないパターンじゃね?

と思って色々調べていたところ、そもそも企画者の意図していたことが全然違った。ちゃん説明した方がいいよ。

まず前もって知っておいて欲しいのは『現代アート』そのものについて。

現代アート一言説明するのは難しい。

定義としては過去美術芸術に囚われない、『前衛的で新しい芸術』だろうか。

時代性を反映していることが現代アートの条件とされている場合もあるが、作家によってはそこまで意識をされていないことも多い。

最先端技術で作られた作品であったり、今までなかった発想やテーマ思想で作られたりと従来の美術芸術の枠組みに入っていなければ現代アートと呼んで問題ないと思う。

アートのくくりだからといって美しいとは限らないわけです(ここを勘違いすると現代アートのなんでもありな表現嫌悪感を覚えると思う)

で、自分が思っていた『表現不自由展』とはこういった過激作品を展示した上で、『表現自由』とはどうあるべきかを考えてみよう!

っていう問題提起のための企画展だろう、と。

で、調べた。全然違った。

これがこちらです

https://bijutsutecho.com/magazine/series/s16/19768

長い!よくわからん

っていう人もいると思うのでざっくり説明すると

アート界隈、戦後民主主義は『個(個人)の時代』だったけど今は『公の時代』!

昔の『公の時代』といえば社会の抑圧や検問が厳しかった戦前大正あたりだ!

戦前戦前美術の間には『意識の断絶』があるように感じる……

ドイツではそんなことおきていない、なぜ?

日本では『ドクメンタ』をやってないからではないか

じゃあドクメンタみたいなのをやろう!!!!!

これです。いや、わかりにくい!

この騒動で読みにきた人は『ドクメンタ』って何〜?っていう人がほとんどだと思うのでウィキを貼っときます。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ドクメンタ

あいだに出てくる『退廃芸術』も重要ワードなので貼っときます。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/退廃芸術

かいつまんで説明しますと

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戦時中ナチスドイツ模範的美術作品を設定して『大ドイツ芸術展』を開催、一方で近代美術前衛芸術を集め『退廃芸術展』を開き晒し者にした。

戦後、その晒し者にされ弾圧された『退廃芸術名誉回復しよう!と開催したのが『ドクメンタ』、1955年からスタートし今もなお毎年開催される現代アート展覧会カッセル市やヘッセン州出資によるドクメンタ有限会社企画運営している。

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まり何がこの展覧会でやりたかたかというと、

日本戦後今まで排除してきたものアートとして向き合ってないから、戦前戦後で『意識の断絶』が起きている。

から今まで排除してきたものと向き合おう!

そんでもって公的立場でやるとなおいいよね!っていう感じです。

ざっくりなので違ったらすみません。というかここまで問題になった訳ですから公的にわかやす文章を出した方がいいですよ。

この展覧会がめちゃくちゃ炎上した原因となる1番の問題点だと思うのが、

ズバリ

タイトルが悪い!!!!!

これです。

表現自由であるべきか、制限を受けるべきか。

なんて巷では議論が白熱していますけども、この展覧会がやりたかったのは『表現のもの』に対する可否ではなく、今まで向き合ってこなかったものに対して受け入れたり、考えたりしていこうよ、ということ。

表現不自由展』

こんなタイトルが付いてるから作品が『表現』そのものに対してのジャッジの道具に使われている。

本来であれば、今回問題となっている作品

表現自由からこういう作品であっても認められるべきだ!(賛成派)」「いや、こんな表現は到底受け入れられるものではない!(否定派)」

といった議論ではなく、

「今まで触れてこなかった考えを知ることができた(賛成派)」「こういうのはどうかと思うけど、どういった思想で作ったのはわかった。その上でこんな表現はいけないと思う(反対派)」

という議論がかわされるべきだ。

この展覧会擁護、または批判している者の中に、企画者の意図理解している者はどれだけいるだろう?

反射的に賛美拒絶している者がほとんどではないか

というか、こんな意図説明なしにわかる人はエスパーだと思う。

企画者の意図を考えると、『表現不自由展』というタイトルはふさわしくない。

インタビューから考えるならば、『意識の断絶』がこの展覧会企画するにあたっての1番のキーワードではないかと私は思う。

企画者の考えとして、表現不自由が起きている根本の原因は戦前戦後アート界隈での意識の断絶、と読み取れたからだ。

意識の断絶』というキーワードを元にタイトルを考え直した方がいい。少なくとも『表現不自由展』というタイトルよりは誤解を与えずにすむだろう。

表現不自由展』、企画展名のインパクトを狙いすぎたため、意図が大きくぶれてしまっているのではないか名前だけしか見てない者にも邪推をされまくっている。

この展覧会に賛成か反対かは置いといて、今からでも企画展のタイトルを変えるべきだろう。でないと作品可哀想だ。

昭和天皇を燃やすやつなんだけど(あとあいトリ2019の感想

 昭和天皇写真が燃やされて「日本国民が傷つく」とか思ってる人、実際よくわからんのだけど。

 昭和天皇写真燃やされてウケる〜とか思っちゃいかんのだろうか、そのひとたちにとっては。

 少なくとも私は昭和天皇写真燃えてるのを間近で見ると興奮すると思うので、「傷ついた日本国民」に勝手カウントしないでほしい。T田さんとかH田さんとかK村さんのことね。

 私のそういう発想が不愉快なら私のことをべつに「非国民」とか呼んでくれてもいいけど、私にとって昭和天皇写真燃えるのは、後醍醐天皇肖像画燃えるのとあんまり大差ないよ(ウケるのは昭和天皇写真燃える方だけど)。

 なんにせよ、自分所属するカルトを飛び越えて主語を大きくするのはよくないよね。ここに存分に罵倒リーをぶら下げてもいいから、「昭和天皇写真燃やされても別に不愉快でなくむしろウケる」と思うやつが標本1個ぶんいることは、その罵倒の中でさらに明らかにしていってほしい。ついでに言えば伊藤真美大塚英志JAPAN』(全3巻)とか読んでラスト昭和天皇クローンで憤死しておいてほしい。

 昭和天皇やす上でそれをアートとするかどうかは、見た上で判断たかったのだけど、その楽しみは現場享受できなかったなあ。再開しても抽選ならしょうがないもんね。まあ、最初ガソリン脅迫した奴がクソクソクソ悪いんだから、私はあくまガソリン脅迫したやつにピンポイントでF**kと言っておくよ。

 ちなみにあいトリ2019でよかったのを書いとくね。トヨタ美術館の方は行けなかったので他の人に任せた。

桝本佳子五重塔/壺 ほか」(@名古屋市美術館

:マジかっこいい。かっこいいから見にいってくれ。これだけで名古屋市美に行く元は取れる。茶碗展と動物園の両方好きなやつはいっとけ。両方が入ってるから。私はメロンカジキマグロが好き〜。

パスカレハンドロ(アレハンドロ・ホドロフスキー&パスカル・モンタンドンホドロフスキー)「サイコマジックアレハンドロ・ホドロフスキーへの手紙アレハンドロ・ホドロフスキーソーシャルサイコマジック』」(@名古屋市美)

:うさんくさーい、けどこれIbとかラヴクラフトとかSCP好きな人にはたまらない空間だと思うよ。会場に手紙抜粋があるから受け取っていくといいよ。

村山悟郎「Decoy-walking」(@愛知芸術文化センター

:これ、本来なら科学技術未来館かにあってもおかしくない展示なんだけど、そういうものも「情(報)」ということでアート展示に収められるのはこの展示会のコンセプトのいい部分だなと思います人間下半身を模した機械がなめらかに動いているのを注視させてもらうだけでコーフンしちゃう

dividual inc.「ラストワーズ/タイプトレース」(@愛知芸術文化センター

自殺する直前に書かれた遺言書タイプする映像を暗闇の中に陳列した部屋。血と肉を人体から剥ぎ取った後もなお残る死の匂いって、もしかたらこういうものかなと思った。

モニカメイヤー「The Clothesline」(@名古屋市美)&#YOurfreedom(@愛知芸文)

:行った時には表現不自由展中止にあわせて展示自体が止まっていたモニカメイヤー作品は、 「女性差別経験」を来場者に書かせるという非常に生-政治的なコンセプトなのだけど、展示が止まってしまたことによってそれらのピンクメモ自体封殺されてしまたかような風景になっていた。これについてはむしろ展示中止中もまたひとつ芸術になっていたと思う。あと、モニカメイヤーのこの手法を借用して、表現不自由展前のブースで行われていた #YOurfreedom も、女性に限らない不自由差別的待遇について来場者の一人ひとりが強烈なメモを書き残していて、重苦しい気持ちになった。我々が取り除くべき不自由はまだあるんだという決意が漲った。ただ、それを「表現不自由展」中止の再開にむけたメッセージのようにも取れるような物理的配置はちょっと狙いすぎであざといなと、(再開を期待しており、不自由批判論者をわりとバカにしている私ですら)萎えるところはあったけれど。

今村洋平「tsurugi」「peak」(@愛知芸術文化センター

:今回見たあらゆる展示の中でもっと純粋に“何がどうなってるのかわけわかんない凄み”があった。生きてる時代が同じなのに、存在自体オーパーツ、みたいなのを作るのに挑戦してくれてありがとうってかんじ。今後いろんな展覧会でもういちど見られるといいな。

加藤翼「Woodstock2017」「2679」(@愛知芸術文化センター

ロープに逆らわないとバンド演奏もできない男たち。ウケる。でも弾いている曲だったり場所だったりの文脈によって政治風刺として立ち上がる、という作品愛知芸術文化センターの地下の端っこにひっそりとあるので余計じわじわ来た。

洪松明(ソンミン・アン)&ジェイソンメイリング「本当に存在する架空ジャンル

:合計10架空音楽ジャンルが、PowerPointちょっとしたオリジナルサウンドと共に表示される。一番ウケたのが「Neo liberal Adult Contemporary」と共に表示される$¥£などの通貨表示。「ネオリベを表すパワポ芸wwwwwwww」ってなっちゃった。他のジャンルも「言われてみればありそう」という気もしないでもなかった。近過去近未来SFアート一種としてこういうやり方はもっと聴いてみたい。

弓指寛治「輝けるこども」@円頓寺商店街

クレーン車で事故死した6人のこどもの人生を追跡しながら狭い回廊を逆時計回りにめぐらせると、うざったい現代車の垂れ幕に遭遇させられ、それをくぐっている間にいつのまにかくり抜かれた穴が右側に出現し、鑑賞している自分の側が「子供を轢きうる運転手の視界」に組み込まれる……という仕掛けになっている。前半の子供の記憶を掘り起こす温かみとはまた別の角度から刺してくる、順路コミのアート展示だった。円頓寺商店街をめぐるなら優先的に行っておいたほうがいい候補の一つ。ただ、並んで歩いてたひとの多くがその車の穴に着目していたかと言うと、よくわからん誘導ないほうが嬉しいけど伝わってない可能性も高いかもね。

岩崎貴宏「町蔵」

:蔵の中に展示された圧迫感ある古物ガラクタアート感が一方の魅力でありつつ、正直言って円頓寺商店街中屈指の瞬間的デートスポットである(作者の狙いは知らんよ)。カップルは並んでいっとけ。できれば内部に明かりのある夕方がいい。

その他めし事情

あと名古屋新幹線在来線駅構内きしめんを食べてから行くべし。駅出てからきしめん屋探すくらいなら松坂屋南館10階のあつた蓬莱軒でひつまぶし食っとけ。

2019-09-28

あいちトリエンナーレについて、補助の打ち切り表現の自由に対する冒涜だという意見がある。

例えば、例えばね、挑発的な悪意のある作品が展示され続けたら、それがどんどん過激になっていったら、いつかどこかで規制されるのは当たり前だと思う。他者権利侵害してまで表現の自由保証している国なんかどこにもない。そしていちど前例ができてしまったらなかなか覆らないだろう。そう考えると、わざわざ天皇写真を焼くような過激作品を、充分な準備なしに展示した行為こそが制度に対する挑戦であり、表現の自由に対する冒涜なのではないかと思う。

過去にだれかが戦って勝ち取った表現の自由という権利を、浅薄政治批判というか個人攻撃のために失おうとしているわけだ。日本国内で一回しか使えない大技をこういう形で繰り出してしまって、結局人々に大した影響を与えることもなくお蔵入りになってしまったわけで、無駄撃ちとしか言いようがない。

美術家たちは戦う相手を間違えている。敵に踊らされて味方同士でやりあってどうするのだ。それがわからないのでは愚かと言うほかない。

そしてね、別に政治批判やあれの展示が金輪際禁じられたってわけではないのよ。文化庁積極的支援をしないだけで、誰にも罰を与えてないし、何も禁止されてないのよ。だいたいにおいて申請した期間開けなかった展覧会に満額の補助金を出させたら詐欺ではないのか。予定した期間開けなかったのは主催者の準備が足りなかったからだし、せっかくの展覧会台無しにしたのは誰なのかよく考えてみよう。

と思う頓珍漢なのだった。

2019-09-21

ポケモン一生懸命できるなら大丈夫

私の友人にポケモンゲームが大好きで、小学生ときから新作が出るたびに購入して、ゲームをただ殿堂入り?までやるだけではなく、ちゃんとその後もポケモンを厳選して育て続けたり、必死に貯めたお小遣いで(比較お金に厳しいお家であんまりお小遣いは貰えなかったそうだ)みなとみらいにあったポケモンセンターの大会に赴いて出場したり、通信大人と競いあってより強くなるといったようにゲームをやりきる子がいた。彼女と私は高校の1年生の時に知り合った。

彼女と私はお互いに勉強が苦手だった。お互いに運動も大の苦手だった。

お互い推薦入試特に努力せずに入学したこと、お互いに成績がずっと悪かったこともありなんとなく私は「こいつも私と同じで腑抜けダメ人間なんじゃないか?」という仲間意識をこっそり持っていた。

彼女イラストを描くのが好きで、ある時期から楽しそうに授業中ずーっとイラストを描きはじめた。

私は同胞だと思っていた彼女が、何かに一生懸命になれるようなものにハマったのが羨ましくて、なぜか嫉妬みたいな気持ちもあって、「私もやってやろう」と思って夜にコソコソ一人でノートイラスト描き始めた。それがキッカケで、勉強が嫌だったこともあり、「そうだ!私イラスト楽しく描いてるし美大行きたいかも」と思って、親に頼んで2年生から美大に行かせてもらうために美大予備校に通わせてもらった。

彼女は2年も3年も授業中ずーっとイラストを描いていた、彼女は私より大幅に遅れて3年の10月から美大受験対策を始めた。イラストを描きまくっていたおかげか1年以上予備校通ってた私よりもその時点での初めてのデッサンが上手かった。

私は倍率の高いグラフィックデザイン科に行きたかったが、難しそうなので3年に上がるタイミングであっさりとその進路を諦めて、推薦入試で入りやす空間デザインファッションデザイン系の学科に志望を変更して、その後推薦入試でそこそこの大学にあっさりと合格した。

彼女10月からという短いスパンで、且つ予備校等に通っていなかったにも関わらず、学校美術先生に面倒を見てもらって、必死デッサンや色彩構成をやりまくり名門美大グラフィックデザイン系の高倍率の学科合格した。

から知ったことだが、彼女高校を推薦入試ではなく一般で滑り止めとして合格していて、本当は公立もっと偏差値が高い進学校にに行きたかったらしい。なんとなく恥ずかしくて推薦入試で入ったことにしていたそうだ。

もともと腑抜けな私と違い、彼女第一志望に落ちたショックで一時的腑抜けになってただけで、目標をみつけたらそれに対してガツガツ努力できるポテンシャルの持ち主だった。

あれから3年くらい経つけど、彼女大学に入ってから同人作家デビューをしたり、趣味バイクに乗るためにバイト代を貯めて二輪の免許を取りに行ったりと精力的に動いている。

私はというと課題でそこそこの製作をするだけで、特に趣味活動等はできてない。土日はせいぜい展覧会に行くくらいで、大体は彼氏友達と遊んで終わりであるイラスト描くのもとっくにやめた。

時々、彼女のことを考えるたびに、彼女ポケモンが好きなこともセットで思い出す。同時に、「そういえば私小さい頃からポケモン殿堂入りしたらもう見向きもしなかったなぁ」ということも思い出す。

もし、「ウチの子ポケモンばっかりやってて、将来どうなるか心配」という親御さんがいるなら声を大にして言いたい。

ポケモンゲーム一生懸命できるなら大丈夫だ」

ポケモン一生懸命できる子は、将来的になんでも頑張れる人になるだろう。

逆にポケモンすらすぐに飽きる子供は、私みたいになるかもねー

2019-09-17

2011年以前の旭日旗批判まとめ

旭日旗問題2011年奇誠庸発言から新しく作られたもの」説がガチで広まっているのでそれ以前の事例をまとめておく。

旭日旗 2011年 - Twitter Search

最初に述べておくと、筆者は「旭日旗批判が激化したのは2010年代からだが問題意識はそれ以前から存在した」という考えである

2003年

//www.aya.or.jp/~marukimsn/news/n078.htm

丸木美術館美術館ニュース

ソウル在住の現代美術家・安星金(アン・ソングム)さんの展覧会が終了しました。会期中は3873人の観覧者がありました。「旧日本海軍旗」としての旭日旗現在イージス艦に掲げられるなど、海上自衛隊の中で復活している)をモチーフにした迫力あるインスタレーションが会場の半分を占めました。

(中略)

安星金から観客へのアンケート

1 日の丸の旗は国旗にふさわしいと 思いますか?

はい/154 いいえ/160

2 かつて帝国陸海軍軍旗、今は朝日新聞社マークとして知られている旭日旗の方が日の丸の旗よりもお好きですか?

はい/144 いいえ/174

2005年

//www.wowkorea.jp/news/enter/2005/0803/10002267.html

音楽キャンプ出演メンバー 以前はヒトラーTシャツを着ていた│韓国音楽K-POP│wowKora(ワウコリア)

MBC音楽キャンプ>で、RUXサポーターの“旭日昇天旗”の衣装めぐり軍国主義論争がヒートアップしている。

2007年

//birthofblues.livedoor.biz/archives/50412138.html

人気アイドルの「旭日昇天旗」入りジャンパー非難殺到

今度は人気グループBIG BANGのメンバーTOP本名チェ・スンヒョン)が、日本帝国主義シンボル旭日昇天旗」を連想させる模様が入ったジャンパーを着てテレビ番組に出演し、「親日ファッション」をめぐる論争が巻き起こっている。

//mimizun.com/log/2ch/asia/1189760638/

韓国】「日本自衛隊練習艦隊が旭日旗を掲げて入港したのは許せぬ。直ちに出て行け」

日本自尊心だとされ軍国主義象徴である旭日旗を堂々と翻して仁川港に入港した練習艦「かしま」など3隻には、実習将校180人を含め計750人の自衛隊員が乗り組んでいるという。

2008年

//yawanews.blog82.fc2.com/blog-entry-878.html

柔らかNEWS大日本帝国の再臨だ!』 洋ゲーRed Alert 3』に韓国が猛反発

Red Alert3」には「Empire of the Rising Sun」という新勢力を登場させて、日本帝国主義象徴である旭日昇天旗(旭日旗韓国ではこういってます)」を使っており、まさに日本帝国のものである

2009年

//takeshima.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240793401/

サーチナ】「挑発行為だ!」 旭日旗掲げ韓国観光名所を歩き回る日本人女性二人に非難殺到[04/27]

この映像をみた韓国ネットユーザたちの反応は様々。ブロガーのBlue2skyは「神風旭日旗を掲げて、しか文化遺跡南大門焼け跡)の前で写真までとっている。許されたものじゃない」と怒りを顕わにした。さらに、「もっと衝撃的なのは、この行動に無関心な市民の姿、抗議する人も、制止した人も誰一人いない」と続けた。ブログコメント欄には、神風旭日旗を掲げての行為への強い非難とともに、「無知な二人に神風旭日旗もつ意味ちゃんと教えるべきだった」という意見が目立っている。

//blog.livedoor.jp/toanewsplus/archives/344071.html

米国/ゴルフミシェル・ウィーが描いた‘旭日昇天旗’の絵で論難[06/05] : 東亜news+

ミシェル・ウィーは独特の感性と秀でた絵の腕前を見せたが、韓国ネチズンたちは不満だという反応を見せている。彼女が公開した絵の中に日本軍国主義象徴する‘旭日昇天旗’が含まれていたためだ。

木村幹旭日旗問題に見る韓国ナショナリズムの新側面」

http://www.research.kobe-u.ac.jp/gsics-publication/jics/27-1/kimura_27-1.pdf

旭日旗批判の経緯が詳しく解説されている。

旭日旗への批判が高まったのは2010年代である」ことを肯定しつつ「奇誠庸発言ターニングポイントではない」としている。

こちらでターニングポイントとして挙げられているのは2013年サッカー東アジアカップ日韓戦である

Googleトレンド

Googleトレンドを使って「旭日旗2011年以前には検索されていない」ということを主張する人もいるが、そこから分かるのは「その2011年ですらほとんど話題になっていない」ことと「2011年以降も旭日旗に対する関心は薄い」ということである

https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=KR&q=%EC%9A%B1%EC%9D%BC%EA%B8%B0

2010年以降に最初に山が出来ている2013年8月について検索してみると「サッカー東アジアカップ日韓戦での旭日旗問題」や「東亜日報が旭日旗ファッションの広がりに警鐘を鳴らす」などの記事が引っかかる。奇誠庸よりもこちらのほうが話題になったというわけだ。

もう一つの山は2016年8月に出来ているが、こちらは「少女時代」のメンバーSNS日の丸絵文字旭日旗デザインを掲載して炎上した、という記事が引っかかる。

ただし、たとえば「独島(독도)」や「慰安婦(위안부)」などのトレンド比較してみれば、「旭日旗」の話題性は相対的にかなり低いことが分かる。

Googleトレンドを引き合いに出すなら「2011年」がターニングポイントになったのはむしろ日本の側ではないか

https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=JP&q=%E6%97%AD%E6%97%A5%E6%97%97

結論

まとめると、

日韓問題に関心のあるネットユーザーを中心に2000年代から旭日旗問題視する風潮があった

日韓対立が深まるにつれてネットユーザーによる炎上一般にも知られるようになった

2013年ごろから社会的にも「旭日旗」に対する問題意識が形成されていった

とはいえ話題としてはそれほど大きくない

といったあたりだろうか。

日本で言えば昨今のフェミ問題に似ているかもしれない。

女性差別への問題意識は以前から存在したが、「表現狩り」的な炎上2010年代に入って急激に増加した。

先鋭化した一部の人間の行動が大きく取り上げられるものの、大多数の人間はその問題に無関心である、というような。

ともあれ「旭日旗問題2011年奇誠庸発言から作られたもの」という主張は、それ以前から批判はあったという意味でも、奇誠庸発言に影響力はなかったという意味でも、不正確な言説だと言える。

2019-09-02

anond:20190902125312

美術音楽も、展覧会演奏会ときは必ずプロフィールを出すんで、完全に学歴詐称目的っていうか学名ロンダ一種だよな。プロフィール体裁を整えるために有名大の院に進んだり海外留学するやつも多い。

2019-08-20

anond:20190820084726

今のオリンピックって、衣装や靴のメーカーファッションショーしかない。

純粋身体能力じゃなくて技術力の展覧会になってる。

そこに土建屋などの利権集団が群がって金を吸ってるだけ。

そんなもんに税金使うのがどうかしてる。

やるなら全裸で、自費でやれって思うね。

コミケ税金使いますか?おかしいと思いませんか?あなた

2019-08-19

上手にグーグル検索する工夫

ふともも、と検索するとふともも展覧会が出てくるのだが、

ニーハイ、と検索すると、良い感じの細身のふともも画像検索で出てくる。

こういう、Aというダイレクトキーワードでは無くてA’という間接的なワードを使うことで、

上手にグーグル検索する方法ってないのかな。。

2019-08-15

少女像について頼むから真面目に読んで

政治的だといえば只の少女の像だといい、批判すれば人種差別だと言われる

この少女像の現状こそ本来敵とすべき言論統制であって、言論の自由を奪ってる

これがモニュメント(記念碑慰霊碑)であるというなら話は別だ。それを批判することは慰安婦批判することなのだから批判されて然るべきだ。

しかしこの像は芸術作品(アート)として美術展覧会、それも表現の自由を訴えるに展覧会に出品された作品だ。

受け手自由迫害されることがこのまま許容されれば、

アート自由意見するけどそれに対して批判や多様な見解は許さないというとんでもない存在となってしまう。

お願いだから考え直して。この少女像はアートなんかじゃない

表現不自由

あるまとめ

https://togetter.com/li/1389648

その反応

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1389648


削除された言及

あいトリの問題については、本当に難しい。そもそももはや、こんな民度が低すぎる日本国内(あえて言っています)で「国際芸術祭」なんて開催できないということを証明してしまったようにも思う。

一言で言えば、格好悪い

政治的主張を込めた作品イベント作っておいて、それへの世間の反応について、「芸術」という殻に逃げ込むなら、創作なんぞ辞めちまえ

向いてないよ

もちろん、今回展示された作品を「作った人」は逃げてない

でも展示したアホが逃げてる

表現不自由が焦点で、それが含む主張の是非は問題にしていない、と

東はトンズラ知事責任転嫁津田涙目敗走

お前らが一番創作者に失礼だよ

けど、芸大で教えてるとかいう奴が、批判者を問題にした

な・ん・で・だ

民度が低いからどうしたよ

芸術の殻をかぶれば、人は寛大に何でも許さなきゃならんのか?


芸術行為を行うこと自体に対して、あるいは芸術作品を鑑賞することにおいて、自信を無くしたり、シニカルになったりしないでほしい

じゃねぇよ

その程度の覚悟しか無いやつが、政治的主張を絡めんじゃねぇよ

その程度の覚悟慰安婦に絡むなら、創作者が一番無礼

ズルは承知で先回りしていっておくと、この件については、私は正直ぜんぜん一貫していない(展覧会観てないせいもあるかもだけど、私自身、直接の関係者ではないけれども、やっぱり心理的不安定なのだ)ので、一貫性求めないでね。発言したこと責任は取らないということでは勿論ないけど。

いやいや、それで誰の民度批判するつもりだと・・・

tetora2氏ブコメ研究表現の自由について)

暇なので眺めていたら、面白かったので。シェアさせていただきます

b:id:tetora2

大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES

表現の自由ガーはやめといた方がいいんじゃねーかな。お前ら人工知能学会自衛隊ポスターなど、何の違法性も無いイラストを難癖つけて時に撤去謝罪させただろ。表現の自由は出し入れできるもんじゃねーぞ。2019/08/05 13:40

抗議することは表現の自由侵害

ユミソン on Twitter: "愛知では「公金が・市民が」と言っていますが、先日のドイツでの展覧会では、日本からの助成は無く市民からの苦情もなかったのですが、日本政府が抗議に来ました。"

抗議も法に則ったものであれば表現の自由範疇だろ。お前ら都合が悪い事は「わかってない」とか言って逃げを打つよな。2019/08/05 18:47

抗議することは表現の自由範疇。ん?5時間前…?

「表現の自由」不要と言うに等しい 展示中止に危惧の声 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル

表現の自由マンが噴き上がっているが、百田尚樹脅迫受けて講演会サイン会中止に追い込まれても同じように擁護しなかったよね。都合により出し入れ出来る表現の自由は便利ですなぁ。2019/08/06 11:28

都合により出し入れできる表現の自由…?んん?

貞本義行@腰痛 on Twitter: "キッタネー少女像。 天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。 かの国のプロパガンダ風習 まるパク! 現代アートに求められる 面白さ!美しさ! 驚き!心地よさ!知的刺激性 が皆無で低俗なウンザリしかない ドクメンタや瀬戸… https://t.co/3wqZGCqLzd"

作品を壊せとも展示するなとも言ってないのだが、表現の自由であれほど噴き上がった皆様が個人攻撃をしているのは何なのか?自分の都合で信条を出し入れする節操しかな?2019/08/09 21:17

発言に対する批判個人攻撃表現の自由侵害。「自分の都合で信条を出し入れする節操しかな?」

貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

アート作品に対する自由批評を許さない人が多いねえ。貞本義行人格作品にまで踏み込んで批判している奴は、表現の自由根本理解していない。2019/08/10 12:36

表現の自由根本について理解している(ドヤ)

増田はtetora2氏を応援しています

Midas先生あいちトリエンナーレ表現不自由展」を語る

どうもMidasファンです。

面白かったのでブクマをまとめました。

https://b.hatena.ne.jp/Midas/

芸術政治化」ではなく「政治芸術化」こそが問題



 もう少し左翼好意的に言っておくとこの件(「消すぐらいならやるな」と憤慨してるひとがいるように)「政治政治ちゃんとやれよ(天皇制を打倒したいなら『表現の自由w』とか言ってないで現実で打倒しろ」につきる。めざすべきはあくまでも現実世界での天皇制廃止ないしは社会改革であって展覧会で「これがボクたちの考えた芸術です」は単に『表現w』の世界へ逃げこんでるだけ(「現実では何も変えれない」敗北宣言にこれも等しい。

 このへんの不純さ、不誠実さが(右翼のみならず)いわゆるノンポリのひとたちの嫌悪感を誘ってるのは疑いないので。結局「歴史上の人物から問題ないですよね」がいまだに大失言だと気づいてないのはそういうとこ。「これは表現の自由だ」が『政治』になりうるためには当然ながらそんな2代まえなんかの肖像いくら燃やしてもアクチュアリティのかけらもないわけで(「歴史上」は「ノーカン」でしかないので)いまの天皇を燃やすべき。ところが令和の陛下が犯した悪行といえば柏原芳恵ラブレター書いたのと嫁の生理があがってオトコみたいなツラになったくらいしかないのであってその責任を問おうにもポイントがみつからない(お人柄もいいらしいし。

 「2代まえのひとだから(歴史上の人物なので」と『表現の自由』だけを切り分けようとするほど政治的には効力を失ってしまうというジレンマがある。「いいかな?」とか言ってる場合ではないのである。かんたんにいうと今回の件が決定的にダメなのは(ちまたで言われてるような)「芸術政治化(本来ニュートラルであるべき美術世界稚拙プロパガンダ芸術をもちこんだ」からではなく逆「政治美術化した」から

 政治美術化とはいうまでもなくファシズムの最も簡潔な定義なので。政治美術館での鑑賞の対象にするとは現実世界矛盾一見みんなで共有してるようでその実は単に審美的判断をくだすだけ。くり返しいっとくが政治ギャラリーでの鑑賞の対象にして「考えさせられました…」とか言ってるのは現実改革あきらめたしるししかないのである政治展覧会ネタにしてはならないとはそういうこと。



表現不自由」よりも「差別排除時代」の方が問題



 たぶんガイジンさんには今回の「表現の自由」いったいなにを争ってるのか全く理解できてないと思う。ちなみに「表現の自由がー」必死に言ってる連中もこれが極めて日本的な『どこに由来してる』か自覚してない。

 (まさかと思うかもしれないが)この『表現の自由はいわゆる『朝日的な』もの(サヨクん)ではなくルーツ雑誌ぴあ』にある。町山が「はあ…昔の『ぴあ』はよかった…」言ってたのを軽くみてはならない。日本の68年以降の文化史ではそれまで『朝日ジャーナル』を小脇にかかえて歩くのが学生さんヤングのひとたち『かっこいい(政治意識がある』と言われてた。雑誌ぴあ』はまさに『朝日ジャーナル』の次にあたる。朝日ジャーナルにかわってこんどは『ぴあ』をかかえて歩くのがかっこいいヤングの条件(ちなみに朝日ジャーナルのまえは『平凡パンチ』とか)になった。『ぴあ』がかっこよかったのはいわゆる『情報誌』だったから。

 ロードショーから場末ポルノ歌舞伎展覧会にいたるまで情報を『差別』せずフラットに扱った最初の例が雑誌ぴあ』。フラットに扱うとは『価値判断をしない』。ただしこの『価値判断をしない』がくせものであって…「町山さいきんクソサヨクなっちゃってどうしたの…(脳に毒がまわったのかな」ふしぎに思ってるひとも多いが情報コンテクストにおける『価値判断しない』は結局は「愚弄する(冷笑する。もちあげない」なので津田やあずまくんにしてみれば「まさかこんな反発くらうとわ…」なのもまあわかる。あの「歴史上だから、まいっかと思って」もホントだったら慰安婦像つくったひとにむしろ「ふざけんな!」言われてるべき態度。

 慰安婦像つくったひとは(わたしにいわせればデタラメもいいとこだが)マジで日本人よ…はんせいしろ」思って(たぶん)あれつくってるので。津田やあずまくんがやってた「表現の自由」実はそこまでの政治性はない。

 雑誌ぴあ』が今週おこってるいろんなイベントおもしろおかし無差別にとりあげれたその点において表現自由だった(ロマンポルノのとなりにハイソ演劇が並んでてよかったね自由社会で)くらいのニュアンス。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。

 高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。

 みんな(とくに憲法がくしゃとか)大いに勘違いしてるけどこれ要するにそういうことなので(どうしてこんなかんたんなことがわからんのだという感じ。なぜそうなるかというとつまるとこ『インダスリー』のもんだい。たとえばこんかいあずまくんいきなり前言ひるがえしたりして「なんなのこのひとは…(このていどのこと最初からわかれよ」思うひともたぶんたくさんいるはずだが別に彼らに一貫したものなどありはしないので、こないだまで河村disってたはずのあずまくんいきなり「津田がわるい」になるの丸山ぎいん「みなさんNHK受信料はらうのは国民のぎむ」からの「NHKぶっこわす!」入りと全くおなじ。

 インダスリー問題とはすなわち文化産業問題であり雑誌ぴあ』の「表現の自由」が成立してたのはみんなが中産階級だと思ってたから。永六輔とか旧NHKこうした平等社会の構築に焦点あわせてたしこの環境産物。こうした文化産業の仕組み(従事してるひとたちも含めまだ巨大なインフラが半ば廃墟と化しながら残ってる)いまどきこれでやってけるはずない(もう残念ながら時代おくれ)と誰もが思ってるのは確かなので。

 若干専門的な話でしめとくと(もうネットにたくさんいる情報産業のひとにとっては常識だろうが)おどかすようですまないがこれからは「情報フラットに」ではなく「差別排除」の時代なので(あれこれいってもムダ。差別排除とはゲートキーパーが誰をはじくか決めてその(誰でもゲットできるはずの)情報へのアクセス権がそのひとの社会的な地位をしめすアレ(要は「ブロックだ!」「不可視にする!」みなさん楽しそうにやってるやつ。

 表現の自由なんかよりそっちのほうがよっぽどだいもんだいじゃないの?wという感じだが世の中よくできたものホント重要なことは展覧会テーマになんかなったりはしないのである(みんなのメシの種になってるから

2019-08-13

anond:20190812185015

このエントリでいう「現代アート既存権力」について、コメントしている人たちが考える「権力=○○」が違いすぎて話かみ合ってない。

>「これはアート! わからないお前は勉強が足りない!」とか言っている人たちがいる。

素直に読めば、これは「アートをやっている人たち」を指すであろう。確かにこれはある。古参オタクがニワカの新参マウントするやつ。

ただ、その後の「権力」「カルト」というところを見ると、この増田現代アートのもの懐疑的である

コメントは当然ながら、あいちトリエンナーレ意識した書き込みが多いが、このエントリ自体もそれに触発されたものと考えるのが自然だ。

そう考えると、この増田あいちトリエンナーレをどのような視点で見て、このエントリを書いたのだろうか。

もし、作品撤去の件を肯定的に見ている場合、「あんもの芸術というなんて、頭おかしい」という意味でこのエントリを書いたのだろう。

からアートを「カルト」というし、「津田現代アートという権威を借りてヘイト展示をやったんだ」という論理が成立する。

一方で、作品撤去弾圧考える人々もいる。そうした人々にとって権力者とは政府政治家公権力あいトリに政治家発言した件)であり、

アート社会メッセージを送っただけなのに表現の自由を奪われた」となる。

また、タイトルの「醜い優越感」というキャッチーキーワードも気になる。

増田アートになんてこれっぽちも関わりなく生きてきた人間なのか、自分には理解できないものに対するひがみのようなものも感じる。

「これはアートだ、と言えば何やってもいいのか」というやっかみの気持ちもあるのだろう。

自称現代アートに詳しい人たち」は常に「アートなんて分からない人たち」を置いてきぼりにしてきた。

特に、全国各地にある公立美術館だって一般市民アート教育普及するための施設であったはずなのに、「自称アートに詳しい人たち」に私物化されてきただけであった。

からネトウヨにとっては「税金を使ってこんな展示をしてくれやがって」という気持ちになることはよくわかる。

しかし、今回の津田芸術監督はそうした「自称アートに詳しい人たち」側の人ではないのである

しろ、「自称アートに詳しい人たち」からは「素人のお前なんかにできない」と散々コケにされている側なのである

から津田さんにとっては「権威美術業界」(=アートではない)からもけなされ、ネトウヨ公権力から弾圧され、泣きっ面に蜂である

今回のあいちトリエンナーレ自分既存日本における美術業界権威に風穴を開けてくれることを期待していた。

だが、日本社会に立ち込めるネガティブ圧力を改めて浮き彫りにしてくれることとなった。

今回の件について、美術業界批評家美術史家、美術学芸員といった人たちから、まともな「批評」がなされるのだろうか。

これから日本美術業界は「自称アートに詳しい人たち」の自己満足展覧会と「クールジャパン」的な何かをやるだけの、一部の人たちの既得権益として温存されるのだろう。

自分増田とは違った意味で、「現代アートにおける批評性」がなくなっていることを危惧したい。

anond:20190813103205

現代アート関係者には批判とさえ認識されない。残念。」が連中の思い上がりを象徴している。

美大出身者の学閥やお友だちごっこ権威と名声にしか興味のない自意識過剰学芸員美術評論家公立美術館新聞社の金で動いている商業展覧会しかやらず、たまに反権力的な内容の展示をやれば検閲される。そうした業界におもねる美術メディア(ビテチョーとか)はそうした業界人を褒めたたえるばかりで、業界内での批評精神、自浄作用も失った。税金で雇われたキュレーター自分たちのことを「アートピーポー」と自称していたが、「アートピーポーであることに酔っている変わった人々と自分には見えた。

学生の頃、一生懸命アート歴史勉強していたが、大人になり、現実アート業界を知って、ただの茶番だと我に返った。特にここ数年のアートシーンの劣化具合はあまりにひどい。

元増田の「要するに《現代アート》というのはすでに既存権力になっていて、彼らはそれを無批判に持ち上げることにこそ価値見出しているわけだ。」に共感する。日本全体を見ても「権力を支持したい。体制側が正義。」という人間があまりに増えすぎている。それは美術業界でも同じだ。SNSアートやってますと言いながらネトウヨっぽいリツイートをしている人って昔はあんまり見かけなかった。アーティストなら反体制だろというわけではないけど、自分の頭で何も考えていないか体制派を無批判に受け入れるし、自分の考えと異なる意見を知ろうともしない人がアーティスト簡単になれる時代なのだなと思う。

(=自分大学勉強するか、大学勉強した人に手配してもらう必要がある)というのも「大学先生が言っていることは正しいこと」という思い込みが後ろに隠れているわけだが、大学で学んだ経験がある自分からすると、大人になってから「あの大学教員の言っていることは偏ってた、おかしかった」ということは多分にあった。何も知識のない時は師やメンターの言うことをそのまま学ぶ時期であるが、学びが終わったら、「それは本当にそうなのか?」と考えられるようにならなければならない。

「偉い人がすごいって言ってるから、この作品はすごい」って言っているうちはまだまだ子どもである。そうした子どもばかりになっているのが今の日本アート業界なんだと思う。海外のことは知らんけど。

2019-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20190810170536

1)

いや、専門家批評・論評も、素人の「このアニメつまんね」の一言も、どちらも作品に対する評価だよね、というだけの話で。

もちろん議論していただくのは構いませんし、一方で別に議論しなければならないわけでもない、プリミティブな感想で済ますだってアリでしょう?と。



2)

teebeeteeさんは「手法」「技術」「様式」あるいは「文化」のような言葉妥当である様に仰いますが、「いつものやり方」といった意味を持たせたい場合、(「手法」ではなく)「風習」という語彙の選択は、それほど無茶苦茶な事でもないでしょう。また、例えば「慣習」であればteebeeteeさん的にOKだったのだろうか?という事も気になります辞書的には、あまり意味の差はないようですが。



それと、嫌韓の人たちが使っている言葉なので、「かの国」は問題のある言葉である…の様な考え方は、とても真っ当な思考だとは言えません。完全に順序が逆転しています

恐らく、貞本氏のツイートには『“かの国のプロパガンダ風習”っておかしいよね』の意味が含まれているとは思いますが、では例えば『A氏のスキップって変ちくりんだよね』と言った時、それはA氏という人物全てを否定した事になるのでしょうか?と。



敵愾心について。その内容、またはもたらす影響力の大きさによって、思想表現が「絶対悪」にされる事こそが「価値観自由競争市場)」に反する、正に「表現不自由」ですよね。『「表現」はどの様な「影響」を与えてもよい』というのは最早、前提レベルです。

teebeeteeさんがその様にお考えかどうかは分かりませんが、『「とある表現」は悪影響がある』みたいな考え方の時点で、思考が捻転してると気付くべきです。それを「悪」と設定するのも、「別のとある思想」以上のものではないのですから。せめて『私にとって都合が悪い影響がある』と言うべきでしょう。

もちろん、あくまでteebeeteeさんの中では「悪い事」だ、という限りにおいては、特に言う事はありませんが。同様に、人道なんてものも(ぶっちゃけ武士道だの騎士道だのみたいな存在ですし)、普遍的規範として掲げず、teebeeteeさん個人それとしているに留まるならば、やはり特にこちから言う事はありません。



3)

まず貞本氏の『現代アートに求められるのは、面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!だ』という考え方があり、それに対してブコメで『貞本氏は現代アートへの理解が浅い』といった様な批判がある、というのを踏まえての話です。


まり(teebeeteeさんも貞本氏の「現代アートに求められる」の事をあまり一般的ではない、と仰っていたが)、『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』としては、むしろ貞本氏の様な理解こそが本流であって、「不自由展」のようなものの方が異端ではないの?という話です(別に異端から即、展覧会から排除せよという話ではない…もちろん不人気ゆえに淘汰される事はあると思うが)。



4)

という事は、例えば「このアニメつまんね。もっとxxxな感じだったらよかったのに。」といったものは「独善」だ、という事ですか?だとしたら、それはやはり極々正当な「独善」ですよね。

先に述べた通り、貞本氏のツイートに「潰す(中止・撤回させる)」といった意味は見受けられません。また「運動」(抗議活動)によって中止・撤回させよう!…といったものでもありません(そもそも現時点でそれをする意味はないが)。


自分の興味や許容範囲芸術祭押し付けていいのは、正規専任された芸術監督だけ”というのもおかしいです。むしろ逆に、すべての人が正当な需要の発露として“押し付け”てよいはずです。


北海道物産展別に北海道じゃなくてもいいけど)のラインナップは、確かにバイヤーさんが「キュレーション」したものかもしれませんが、だからといって客や客予備軍が『あの店は良かったし、あの店はイマイチだった、もっとこんな感じの展になって欲しい』『この程度の品揃えでは行きたくならない、xxxとかあればいいのに』と、その需要を発露してはならないなんて事はないでしょう?まぁ、あれらの場合もっとダイレクトに売上が物語ってしまますけれども。

またそれが、店頭で、あるいはSNS等で「この店は相応しくない!閉店すべし!」といった抗議活動を行う事とも全く違う、という話も理解できますよね?



-------

後、納得したというより、やはり「風習」の解釈は考えすぎだと思うが、teebeeteeさんが「風習」という言葉にそのような意味見出したため、そう感じる事になったという事については、あくまでteebeeteeさんの内側の話であり、こちから文句を言う筋合いはない、teebeeteeさんの勝手である、という話ですね。

これは、最初ブコメから一貫してそうです。

一方で、これはteebeeteeさんに向かって言うわけではないのですが、感想が「事実化」する、という現象には気を付けたほうがよいでしょう。



例えば、『貞本義行差別主義者だ(と思う)』という自身の内側で熟成された感想しかなかったものが、https://b.hatena.ne.jp/entry/4672773449994362818では既にいくつかのコメントにおいて「事実化」しており、『差別主義者が言い訳している』という見方しか出来なくなっている様子が観測できます



また、

などは、もやは「ゲスパー」としか言い様がありません。




貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

貞本さんのツイートBBC特集話題の「犬笛」表現に加え、女性蔑視ルッキズムやI have black friends論法も同時に使ってるので、差別主義者の典型表現がふんだんに詰まった文章になってるんですよね。2019/08/10 06:36

も紛うことなき「事実化」ですが、まずこの「犬笛」判定が「エスパー」と紙一重である事には注意された方がよいですし、また「犬笛」か「エスパーかに関わらず、記述されていないそれを責めるという事は、つまり内心への糾弾である…という事くらいは認識された方が賢明でしょう。

東京って文化資本多いけど、活用できてるの?

ネット東京民多いけど博物館美術館展覧会に行ってるイメージないんだけど。

2019-08-10

rag_enさんに

メタブタワー、読みました。

ひとつひとつブコメで返答するのも煩雑なので、

こちらでまとめてお返事します。

 

1) “ド直球な評価”としてはアリ

もちろん、個人の内心や言動について第三者が縛る理由基本的にはない、という意味ではアリです。

本当にダメものにはダメとだけ言うべきだ、というモラルについても、一考の価値があると思います

贅言を無制限に許していたら、進むべき議論も進まないので。

個人的には、問題作品と展示については、もっと多くの言葉が費やされるべきだろう、とは思いますが。

 

2)「風習」について

風習」という語は、ふだんは「因習」「悪習」「蛮習」などの類語と比較された上で、

より中立的意味を持たせるために選ばれる語なので、「考えすぎ」と思われるのも無理からぬことと思います

とはいえ、あの説明を一応納得していただけたようで良かった)

もちろん、より一般的な「手法」などがあの箇所で使われていれば、ツイート全体が否定されなかった、

とまでは思いません。

「かの国」の「プロパガンダ」というのも、(少なくとも現時点では)

韓国、あるいは朝鮮半島国家全体へ憎悪を向ける人が共通で用いる符丁、と言うべきですし、

なによりツイートの全体的なトーンが批判者の反応を引き出してると見るべきだからです。

 

敵愾心についてですが、

たとえば、阪神ファンヤクルトファン巨人に対して向ける敵愾心、くらいのものなら、

個人的にはあまり好きではないけどいちおう)健康的な感情範疇だと思うし、

その延長上にある、「日韓戦がやたら盛り上がる」といったものも、「悪い事」とまでは言えないと思います

(マウンドに国旗を立てるとかは、ずいぶんはしたないことをするじゃないか、と思うけど)

ただしそれは、共有する価値観によって下支えされた上で、試合(観戦)へのモチベーションを高める、

という具体的な効用を求めて維持されているものであって、

現在日本の一部論者が韓国に対して(お互い様、という見方もできますが、

私に責任があるのは日本ことなので)やっているような、

不法(とされる)振る舞いの原因を相手民族性に求めて、根源的で解決不可能な不信であり対立である

と主張し、奴らに対しては嘲笑以外の対応はありえない、といった風の「敵愾心」の煽り方は、

人道的にも生存戦略的にもきわめて危険であり、「悪い事」と言うべきだ、

というのが私の意見です。

 

3)現代アート云々について

『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』というのは、

改まってはなかなか言われないけど(地元広報誌とかでは言われてるのかな)

もちろん前提になっていると思うのですが(来場者は大事だ)、

そういう場で「表現不自由展・その後」が扱われることについて、

企画性質上「親しみやすい」ものなんて集まりっこないから)どうなの?

ということですよね。

それについては、あいちトリエンナーレ国内トップクラスの規模の国際芸術祭ですし、

社会的であったり耽美的であったり難解であったり親しみやすかったりする展示が集まる中で、

表現自由」に正面から取り組む企画が一つ通される、

というのは、まず真っ当なことのように思います

そこに、近年一定の注目を集めた「表現不自由展」を呼ぶ、というのは、

きわめてストレートな案というか、どちらかと言うと手堅い、

見方によっては平凡とさえ言われかねないキュレーションなのではないかと思います

(「他にこういう展示/作品を扱えば良かったじゃないか」という案で百家争鳴してほしいくらいです)

 

もちろん実現に至る関係者の苦労は並大抵のものではないと思いますし、

ここ数十年で最大の日韓関係の緊張だとか、ガソリン放火事件という最悪の事件が偶然重なったとはいえ

ほとんど抵抗する間もなく公開中止に追い込まれた、という現状については、

「失敗(ただし志のある)」と言うべきだろうと私は思います

さいわい会期はまだまだ残っているので、挽回余地は(再開、あるいは拡張)ありますし、

ある意味では、政治家河村市長など)が責任追及の声を挙げているという状況も、

批判のかたちをとりつつ、企画意図説明を含む主催者側の意見を改めて広く周知するという点で、

実質的には協力的な対応なのではないか……と思いました。

 

4)「展覧会の将来を悲観してみせる」について

rag_enさんのおっしゃるとおり、「あくまで期待したのは過去の貞元氏」という解釈のほうが、

より禁欲的で正確な読解と言えると思います

私の解釈は、「育つのを期待」「残念」という語の選択や、

一展示のそのまた一部を論じていたところから

とつぜん芸術祭全体の価値を断じる、という乱暴話題の転換ぶりに、

「これは芸術祭全体の失敗であり、今後の発展は期待できないし、開催されても価値はない」

というニュアンスを、過剰に嗅ぎ取ってしまったものだと思います

 

また、ドクメンタという半世紀以上も続いている有名な芸術祭を引き合いに出していることから

反転して「あいちトリエンナーレにはそんな価値継続性も無いよ」と断じる含意を感じ取ったために、

「気に入らないからって勝手に潰すな」という反発が生じました。

この点に関しては、具体的な「潰せ」とか「無くなれ」という言葉を迂回しながら暗示的に表現する手法

という印象を拭いきれません。

瀬戸内芸術祭を並べているあたり、そんな含意を意図したものではなかったのかも、とも思いますが。

 

自分が望むようなものであれば応援したい」というのは「独善的無礼」だ、ということについてですが、

rag_enさんの仰るような「自分の好みのアニメなら応援するわ」というのと同一視できるものではありません。

単一作品個人の好みで選び取る」のは、誰にも非難し得ない基本的自由ですが、

自分の選んだもの以外の価値否定する」というのは、選び取るよりも丁寧に行われるべきものですし、

芸術祭の内容を自分許容範囲のものだけにしろ、それができない芸術祭なら価値はない」と解釈しうる言明は、

独善」と呼ぶに値するものです。

(「いかれた協賛メディア排除して〜」のようなきつい偏見がついたものであれば特に

自分の興味や許容範囲芸術祭押し付けていいのは、正規専任された芸術監督だけですし、

芸術監督にしたって、すべてを「自分の好み」だけで決めるわけではなかろうと思います(たぶん)。

しろ進んで不都合ノイズを引き受け、その反響をきちんと整理する体制を整えることこそ、

特に今回のようなテーマを掲げた)国際芸術祭に求められる態度ではないかと考えます

(それほど理想通りにはいってないけど、少なくとも真っ当に試みはしている、

と私は見ています。いまのところ。)

 

anond:20190810015042

貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

というツイートに対して、

https://t.co/3wqZGCqLzd"

所詮個人の(特定集団の、というべきか)感想だし何を言おうが勝手だが、胸の悪くなるような悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪いので、人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人だな、と思った。

という罵倒ブコメを書いたところ(陰険でよくない習慣だ)、

特に胸糞悪くなる様な文章では無いと思うのだけれど、どのあたりがそうなのだろう。もちろん、胸糞悪いというのも、個人感想なら勝手だし、ブコメを書いちゃ駄目な人だとも思わなのだが。

という質問を頂いた(冷静でよい質問だ)。

私の書いたことを反復してやり返されてるあたりに煽りを感じなくもないけど、

上記ツイートを読んで胸が悪くならない人にとっては正当な疑問だと思うので、

説明を試みる。

 

1) 「キッタネ少女像

「キッタネー」なんて言うのは、論評の範囲を外れた軽蔑吐露しかないと思うが、

ここは文頭でもあるし、多少どぎつい表現で書き出して読み手を引っ掛けるのは、

穏当ではないにせよ、表現手法の一つと言っていいと思う。

ぎょっとするけど、まぁ何を言うのか読んでみるか、と思わされるところはある。

ただし問題は、後段で「キッタネー」と思う理由言語化を試みていないところにある。

あえて斟酌するなら、技術の不足や表現杜撰さによって不快を感じた、ということで、

イラストレーターの鋭敏な美的感覚からすればそういうこともあるだろうと思う。

別にイラストレーターじゃなくても言って良いんだけど)

「そんな重いもの表現するのに、そんな適当仕事でいいのか?」という方向で、

表現意図を(賛同しないにせよ)酌んだ上で、その実現における難点を、

実物に即したかたちで(つまり実際に観察した上で)言語化しているのであれば、

「キッタネー」と文頭で言うことぐらいは許されると思う。

でもそれをしないで「キッタネー」とだけ言ってるので、やはり論評とは言えない。

単に政治的文脈に対する不快感を、仮構した芸術的不備に転嫁しているように読める。

ただしこれだけなら「感想」の範囲ではあって、明確な悪意までは感じない。

単にぶっきらぼうで露悪的な言動を好む人なんだな、と思うだけ。

 

2)「かの国のプロパガンダ風習 まるパク!」

天皇写真を燃やし〜」という作品についての論評として書かれているのだが、

ここで「風習」という語を選択するところには、明確な悪意が込められている。

この文脈作品表現引用元を指摘する)で「プロパガンダ」と連結しうる語は、一般的には

手法」、次点で「技術」「様式」、あるいはちょっと意味を拡大して「文化」といったところである

しかしそれらの語を選ばず、あえて非標準的な「風習」という連結語を選ぶことの含意を分析すると、

プロパガンダ」に「風習」という語が含む土俗的、前近代的イメージを付着させ、

かつそれを、発言者揶揄対象としている(おそらく)東アジアの一民族が古来から持つ習俗

と考えていることが見て取れる。

言い換えるなら、特定民族に対して「未開人」「土人」などと呼称するのと同型の差別的認識を、

しっかり内面化し、かつ機会があれば表現するのをためらわないからこそ、

風習」という語が(「手法」や「文化」を押しのけて)ここで選択されているわけである

作品についての論評の一部(引用元の指摘は端的な論評と言える)ということで、

ギリギリ許容されうるのかもしれないが、婉曲的なヘイトスピーチである

婉曲的、は外してもいいかもしれない。

 

3)「低俗ウンザリしかない」

現代アートに求められる」もの(あまり一般的ではないようだけど)を列挙して、

それらが皆無である、という論評のあとに書かれた慨嘆である

これは個人感想であって、自由発言されるべきものだとは思う。

ウンザリしかない」で済むはずのところを、

より辛辣にすべく「低俗な」と付け足すところに、悪意の奔出が感じられるのだが、

低俗ウンザリしかない」と乱暴につなげてしまたことで、

発言者ウンザリすること」自体を「低俗下品で程度が低い)」だと言っている、

とも解釈しうるので、「(作品が)低俗なことにウンザリ」と補うべきだったと思う。

悪意が先走りすぎて言語が崩れている箇所、と言える。

揚げ足を取るみたいだけど、見てて気持ちのいいものではない。

「胸の悪くなる」とまで言ったのは、こういうところである

 

4)「育つのを期待していたんだがなぁ……」

言うまでもなく、展覧会の将来を勝手に先取りして否定して悲観してみせるのは、

現在行われている展覧会あるいは個別表現の評としては、意味のあるものではない。

気に入らないからって勝手に潰すな、ということ。

発言者としても「これは良くないな」と思ったからこそ、自己リプライ要望を書いて、

自分の望むようなものであれば応援したいのに、というポーズを見せているのだと思われる。

それはそれで独善的無礼な話だが。

あと、ドクメンタ瀬戸内芸術祭だって発言者不快に思うような

プロパガンダ解釈しうる展示がまったくないとは思えないけど(なにしろ大きいから)、

それはまた別の問題である。耳に入らなければOKなのかもしれないし。

ただし、勝手によその芸術祭権威を借りてきて論難の武器に使うようなのは

まり責任感のある言動とは言えない。虎の威を借るなんとやらに見える。

名前を出すなら、せめて一つくらいはモデルケースを挙げて論じて欲しいところである

(例えば前回のドクメンタ出展された、佐川一政を扱った

ドキュメンタリー作品……の話は余談に過ぎるのでやめよう)

 

ついでなので、上記ツイート自己リプライで書き足されている部分についても、

悪意を感じる箇所を指摘しておく(埋め込みは省略)。

 

5)「いかれた協賛メディア

別に協賛メディアが展示の内容を指示しているわけではないし、

いかれた」というのは不穏当な表現である

どのメディアを指していってるのか知らないけど。

 

6)「プロパガンダアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直

アートとしての魅力は俺には全く響かなかった」

アートとして失敗してると思うなら、プロパガンダとしても効力は薄いと予測できるわけで、

ひっそり敵失を喜んでいればいいんじゃないでしょうか。

そういうわけにもいかないのかな。

 

以上のようなわけで、拙ブコメ

「悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪い」

「人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人」

というのは不当で過剰な個人攻撃だったかも、という視点から検討してみたんだけど、

主に2)の理由によって、撤回するほどでもないな、という結論になりました。

もちろん露悪的な言い方であることは進んで認める。

今後ものを書くときには、ヘイト部分を矯めるよう気をつけたほうがいいと、

老婆心ながら心配申し上げるものである

ツイートは見ないけど作品は楽しみにしています

2019-08-09

ぶっこぬき人生

ネットデータをぶっこぬき

会議の内容をぶっこぬき

展覧会をぶっこぬき

会社収入もぶっこぬき

すごい。

anond:20190808232621

過度の興奮の末路は「イデオロギー鉄砲玉」として脅迫罪だの厳重建造物放火罪だのでお縄になるだけ

脳みそネット経由の政治ウィルスに乗っ取られてる人」を観察しつづけると

きみ自身も乗っ取られていつのまにか鉄砲玉になりたくなってしょうがなくなってるかもね

(反対勢力側のウィルスでも行き着くところは同じだよ)

相手を苛立たせあうだけの水かけ論なんかやってるひまがあったらちょっとでも家の外にでて人にあって直接してみたほうがいいんじゃない

情報源ネットだけにするから「それ(=過激)が世間の考えか!」って視野狭窄に陥るんだよ

はっきりいって迷惑なんだよな 美術館ではほかの展覧会も同時開催してたのにな

 

あと増田匿名だけあって

すでに脅迫前科ついてる人、犯罪予告する人も出入りしてるよ

まりもともとはごく普通人間だったのに

ちょっとしたきっかけで鉄砲玉を作り出すような狂った論理に迷い込んで囚われた人

今まさに発射寸前の鉄砲玉とか、発射されて世間にぶつかって自分が先に壊れたあとも鉄砲玉でいることをやめたくない人たちとかだ

 

そういう人が夜とか夏休みはよく来るって用心しておけばいちいち腹も立たないよ

自分人生を守ろうとすべてをかけて反論しようとしても

相手はもう守るものがなにもない

匿名だし気に食わなければだまって逃げて

別の話題のふりをして別のタイミングで繰り返し悪意のヘリクツを書き込むだけだよ

説得なんかされるわけがないんだ

彼らにとっては自分の身の上でさえ自分でこわしてしまったあとなんだ

人生のあまった時間をここにむかってキーボードたたいてみてるだけ

太鼓を叩きつづける猿のおもちゃみたいなもんだ

今日もよく鳴ってるね、くらいでいいんだよ

2019-08-07

表現不自由

ねこ可愛い、犬はうんこ」展をやります

「いや、犬の方が可愛いだろ」意見の表明、意見対立

「それは犬に対するヘイトです」意見の表明、意見対立

「こんな展覧会自治体が金を出すのはけしからん表現規制の間接的推奨

「こんな展覧会やめさせろ」表現規制

ようわからん

問題は犬がやめてちょうだいって言った時だなあ

2019-08-06

anond:20190806231249

ヘイト展ってなったら予算降りないもんね。表現の自由の名の下にあらゆる差別表現や、対立関係を逆なでする展覧会

あれ?面白そうだな。

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