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はてなキーワード: 展覧会とは

2018-07-14

イグ・ノーベル賞って名誉なの?不名誉なの?

俺はてっきりダーウィン賞のような位置付けの賞だと思っていた。

受賞したが最後学会では後ろ指さされ、研究費は打ち切られ、仲間には嘲笑され、

研究者としての人生が終わるような賞。 違うの?

 

■大真面目なトンデモ研究てんこ盛り  世界初イグ・ノーベル賞公式展覧会が開催

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/13/news047.html

↑もし良い賞なら、この記事タイトル

トンデモ研究」じゃなくて「面白い研究」とか「ユニーク研究」という表現になると思うんだよね。

やっぱり恥ずかしい賞だと思っている人、それなりにいるんじゃないかなあ

2018-06-13

居心地の悪い晩だわ

中々寝付けなくて、リラックスする音楽聴いて見たりするんだけどダメ

イヤホン外してまぶたを閉じると、今日の失敗を思い出す

今日のが終わったら昨日の、一昨日の、六年前の秋の失敗

クソみたいな展覧会が瞼の裏で年中開催中って嫌になるよね

扇風機タイマーで止まる、付け直す

2018-03-16

anond:20180316000039

私男だけどゾーニングまでは普通に納得できるんだよ。

別に公の場や公共放送広告無駄性的女性蔑視的なものを垂れ流す必要はないと思ってる。

別にこれぐらいの表現・・・」と思うこともゼロではない時代の流れだし別に良い。

もう九割以上の人間が数秒でネットアクセスできる状況になってるんだから

不特定多数の目に触れる場であえて過激表現開陳して耳目を集める必要なんてないのよ。

スマホ持ってれば10秒あればドギツイ無修正ポルノも見れるし、IS首切り映像だって見れる。

全然ジャンルが違うけど、ゴア描写てんこ盛りの仮面ライダーアマゾンズとか上手くやってるよね。

これからはああ言う風に「見たい奴だけが見る」ってゾーニングを徹底すれば良いと思う。

から今回の件で言えば、展覧会の開催中止まではまあ良しとするわ。

ただ危険な流れになってきてるな、と思うのはこの増田の指摘の通り

弱者である女たちが作って消費するBLは尊ぶべき高尚なもので、

性的搾取である男性が作って消費する百合唾棄すべき俗悪なもの!」って論調が出始めてることだな。

「うるさい!弱者である自分たち差別は良い差別強者悪辣差別と違う!」ってのは流石に詭弁が過ぎる。

そういうところから無くしていかないと真の意味での平等は訪れんと思うぞ。

マジョリティ属性を持つ奴らには問答無用で投石していい、ってなったらマジョリティ内に新しい被害者が生まれるだけ。

これって平等でなく構図が180度反転して強者弱者スコーンと入れ替わっただけになっちゃうよね?

ましてやBLなんて「ゲイ性的搾取してる」という謗りを免れんジャンルの筆頭だと思うぞ。

はあちゅう童貞叩きと無反省のせいでめちゃくちゃ反感買ったのもう忘れたか

自分・身内の行動にはクソ甘い、自浄作用がない、って側面が露見してるのに

それを正そうとすらせずに開きなおるのはそれだけで説得力が大幅に減退する。

ウヨパヨの両端を見てれば分かるでしょ。発言と行動が伴わない口だけ野郎のクソ野郎だらけだ。

そこを律していかないと、やがて大地震のような揺り戻しが来て、また冬の時代に逆戻りだぞ。

2018-03-12

もも展だか百合展だかの物販半数が女という話

もも展だか百合展だかの物販において、若い女を肯定的に描いたこ展覧会写真集購入者の半数が女性だったという話の引用できるソースが見てみたい。

よく女の敵は女というが、痴漢被害者に咎がないように太もも展の描くまなざし共感する(男)女にも咎はないわけで、つまり単に若さへの嫉妬燃える何かの敵である迷惑な(男)女がいるだけということが可視化されるよな。

地元コラボ炎上するのも大抵女性絵師が参加した時だけピンポイントで狙われるんだよな。男がいくらロリエロを描いてもコラボ文脈問題になることはほとんどないのに。まあそれは力におもねって堕落していると説明できるが。

2018-03-04

anond:20180304110820

腐女子ジャンルが目立つ場所展覧会して問題になったら、腐女子が一番怒るだろうとは思う。良くも悪くも

https://anond.hatelabo.jp/20180303232654

ここ最近まで仕事マルイと関わっていたんだけど、

マルイブランディングを二路線に向けていて

都会的でファッショナブル/高級路線なモディと

サブカルに優しいデパートマルイを完全に分けている。

渋谷マルイ(モディではない)では少しオシャレなオタク女子向けの服、安いコスメ100均的な雑貨をそろえてオタク女子向けのイベントを揃えて開催している。

渋谷マルイ大通りに面しているがかなり精力的にオタクコンテンツの大型広告をだしたりしていて、109-MEN(こちらもエヴァゴジラアメコミなどサブカル系コラボが多い)→渋谷マルイTOWER RECORDSカルチャー系の大型ビルが並ぶ通りが完成した。

元々通りを挟んで向かいの旧マルイティ渋谷(現渋谷モディ)と客を食い合っていた旧マルイJAM渋谷(現渋谷マルイ)はこの戦略が功を奏し、順調な売上になっている。

よって渋谷マルイはそこそこサブカル/オタクに優しいビル認知されていたし、常設のイベントスペースでは何かしらのオタクイベントが開催されているのが普通だ。

ふともも展を渋谷マルイで開催した時に成功した(と仮定する)のは、それを否定してしまうと同じ女性であるオタク女子側にデメリットが生じてしまうからかもしれない。

ところで池袋マルイオタク女子聖地池袋にあるにも関わらず駅の反対側、しかもかなり遠方にあるためずっと集客に苦労してきた。

しか駅ビルとして競合のルミネだけでなく西武/東武という百貨店のくせに高級でない百貨店があるせいでデパートマルイまで足を伸ばしてくれる客が本当にいない。大型店舗なのに十年くらいずっと成績が悪い。

新宿マルイは目の前に伊勢丹があるが客層が違うお陰で儲かっている。なんで新宿マルイをモディって名前にしないのかは不明

池袋マルイは割と必死で様々なイベントを行っているが、一貫性が薄くうまくいってない。

こうした各店舗状態を鑑みて、今回の太ももの件

しかしたら渋谷や、新宿にもう一件あるオタク女子向けのマルイ(ここはシネコンとくっついていて上映中のアニメーション映画とがっつりコラボする戦略/ロリータなど濃いめのオタク女子向けアパレルも取り扱う)であれば、多少のクレームに屈しなかったのではないかな、と思った。中止決定をお知らせするのは広報だが、イベント実施可否自体の決定権は各店の店長になる。

勿論2016年渋谷問題なく開催できたのは、モンスターが見つからなかったせいもあるかと思うが。

とにかく良かれと思って企画したイベントを潰されるのはイベント主催場所提供側も本当につらいし、写真展覧会には何の落ち度もないとはっきりわかるので更につらい。結果的クレームに屈してしまったのもつらい。

小売に関わる者としてこの事例は深く胸に刻み、自分の客は誰なのかを逐一自分に問い質して仕事をしていこうと思った。

anond:20180303232654

見た感じセーラー服ブルマスク水の太腿をフェチっぽく撮ったロリ性癖ポルノに足突っ込んでる感じの写真だしデパート展覧会向けではない感じがした

あいうとこは女性客メインだしポスターなどで不快になる人も多かったのでは

画廊とかでサブカル向けにやればいい

2018-03-03

ゾーニングが何か分からなくなってきた

マルイ池袋の太もも展。

えーと、入場料を取る展覧会というのは一般的ゾーニングできている状態とは言わないのか?

マルイでやるからいけないのか?でも渋谷マルイではやったらしいじゃん。池袋って渋谷と比べてそんなハイソな街だったかなぁ。

ちょっと特殊で人によっては引かれるようなマイナージャンル愛好家としては何かもう恐ろしい世の中になったなと思うよ。ちょうど別の観光スポットで愛好するジャンルコラボ企画展をやってるんだけど、同じ理屈ボコボコに殴られそうだ。私のジャンル性的要素を見つけようと思えば簡単に見つかるぐらいのやつだしな。

昔は人に自分ジャンル布教をしてたけど、人目につけばつくほどつっつかれる状況を見ると布教なんてするもんじゃねーなって思えてきた。

【追記】

以前にmyジャンル池袋で何かやるってなった時には、「治安大丈夫かしら」なんて心配するファン層もちらほらいたんで、今回の「池袋マルイ)という場所文脈を考えろ」という炎上の仕方はびっくらこいたんですよね。池袋ってそんな街だったかと。

池袋よりさらハイソな街が、myジャンル普段拠点となっていますが、うちは大丈夫なのか…?と心配した次第です。

ももよりは歴史があるジャンルから許されてるのかな?はたまた見つかってないから許されているのかな?あるいは女性ジャンルからセーフなのかな?

多分後者2つなんでしょうな。

【追記2】

何故「池袋マルイで太もも展がいけないのか」を解説するブコメがたくさんあるが、myジャンルもことごとくアウトになるの本当にキツい。

うちも特殊性癖に分類されそうなものだが、基本的に全年齢でも見られるし、外に向かって宣伝もしてる。ポスターが並んでるの見ると「大丈夫かな…キモイって思われないかな」ってドキドキするよ。女性向けジャンルで、女性にとって都合のいい男性性搾取的な要素がある世界観だけど、本拠地の街には当然男性存在してるし、宣伝が目に入ることもあるだろう。もう本当に恐ろしい。

2018-02-04

これから確実に出てくる現代アート

表題: 「姫に手を差し伸べる勇敢な王子

展示物の代わりに紙: 「この作品思想上の問題があると判断され撤去されました」

こんな感じで「撤去されました」をアピールする作品が出てくると思う

あるいは、すべてが予め撤去された展覧会とか

2018-01-06

現代アート

今日美術館に行ってきたのだけど

8分間のビデオ映像というのがあって

白い水面に赤いのがポタポタ落ちて広がってく映像

なんなんだろって最後まで見ても

特にオチもなく、別に綺麗でもなんでもない動画だった。

会場にあった目録解説を見てみたら

作家自分月経の血を映像にしたものですという解説があって

あーやっぱそうなんだって感じたのと

現代アート芸術家って言われる人はアホみたいにセンスないよなぁって思ったのです。

まぁアニメみたいな絵を描いて評価される人とか、絵にNONUKEとか書いちゃう人とか、クソアニメ絵模倣とか

ネットってこうなのみたいなのよ絵とか、クソロリコン絵とか、丸尾末広模倣みたいなグロアニメとか

AKIRAパクリみたいなガラス細工とか、ビュッフェみたいな気持ち悪い虫VRとか

どっかで見たようなものばっかりで

なんていうか、これぞ現代アートというくくりのテンプレートみたいな展覧会

さびさにあーああああって感じだった。

昨今の芸術ってこういう感じが評価されるんだろうなぁって

なんかお前らもうちょっと頑張れよって思った。

レンブラントの絵を見たとき

本当に人がいると思って

びくってしたみたいな

なにか、新鮮な

おすすめ展覧会ってないですか

2018-01-04

頑張らないことは悪いことなのか①

何で頑張らないんだと怒られたことが数回だけある。

正月早々、暗いことを思い出してしまった。

これから始まるのは、私が20数年抱えているコンプレックスの話で、楽しくもなんともないし、甘えてるとか批判が来るかもしれぬが、自己承認欲求の塊が喋ることとして、許してほしい。

論理的構成もクソもない殴り書きであることを承知してほしい。

私は今大学院生である。この時期田舎では人権のない大学院生である

大学院の話について詳しくはそのうち気が向いたら書きたいと思う。

さて、私には妹がいる。妹は、ザ・下の子で、そりゃあもう家族に可愛がられ育ってきた。彼女は今でこそ社会ではそこそこ高い大学に通っているが、幼い頃は何事もあまりできるほうではなかった。一方私は、運動以外はそれなりにできた。幼稚園でも、先生に色々任されていた。

そんな姉妹の扱われ方が違うのは容易に想像がつくだろう。ここが私のコンプレックスの出発点である

エピソード1

二人とも小学校入学したあとのお話

父は、私に厳しかった。テストで5枚100点を取ろうが、1枚98点があれば、怒られた。75点でも取れば、しばらくテレビを見るのが禁止になる。

妹は、甘やかされていた。75点とったら褒められる。理不尽を感じた私は、母に思い切っていってみた。母は、妹はあなたと違うからあなたはほめるとつけあがるでしょう、と。父にも言ってみたことがあるが、ほめるとつけあがるからと言われた。(ちなみに、両親にほめられたことは記憶の限りでは高校合格したときの一回しかない。笑止。)

まぁなんというかテストに関しては理不尽は感じつつも自分100点とらないで怒られるのは嫌だったのと勉強が好きだったのであまり追求はしなかった。(これにより姉ちゃんは出来て当然という認識が作られる)まぁこテストの成績の"区別"は高校まで続いていくのだが。

エピソード2

小学校には、秋、絵画習字展覧会がある。小学校うまい人が選ばれて市内の展示会に出され、そこからまた県の展覧会に行くというあれだ。小学生にしてはそこそこ絵と習字のうまかった私は、一年生のときから市内の展覧会に出してもらえていた。この展覧会に関しては小分けエピソードが3つほどある。

まず、小1のときである。初めて賞状というものをもらった私は、るんるんで家に帰り、母に賞状を見せた。すると母は、妹が羨ましがるから、うかれるのはやめなさい。見せびらかさないの。と言った。これは私にとって非常に辛かったようで、今書いていて目が潤んでくる。

次に、小4のときである。この時は、県展に入選した。1年生の出来事学習していた私は、浮かれることはしなかった。問題展覧会に行ったときのことである。それはもう両親に作品ケチをつけられた。ここのハネがなんとかだとかバランスがどうだとか。悲しかった。しかもそのとき幼稚園の知り合いの子のことはすごい褒めたのだ、親が。これも10年以上前ことなのに書いてて泣けてきた。幼少期のダメージよくない。

最後は中1のときである。妹が絵で県展に入選した。前年、私の絵も県展に出してもらっていたのだが、落選したのである自分より絵が下手くそな妹が入選したことがショックだった。聞けば、妹は図工専門の先生に相当つきっきりで見てもらい描いたのだという。自分より能力の低い人間が、他人からの助けを得たことで自分を追い越していく現実を、この時初めて知ったのである。そしてこの現実は、今に至るまで、幾度となく降りかかる。

字数制限こわいのでこの辺で次につなげる。増田を書くのは初めてなのだがここでリンクするやつがいるのかよくわからない、、、

まぁいい。

2017-12-25

東京雑感

新宿小田急沿線に住んでるから東京に出る=新宿に行く、大分冷めたけど写真趣味だった時は西口カメラ屋街をうろうろしていた。あとみんなが出てきやすいかオフ会の街だった。

渋谷→今行くならBunkamuraで何か展覧会とか見に行くくらいかな。10代の頃ライブハウス通うのにハマって道玄坂の方とかも居たしNHKホールライブ見る事もあるし音楽の街ってイメージ。あとラブホ街があるね、幸和ってところに適当に入ってみたらたまたまヒノキ風呂の部屋で楽しかったよ。

六本木新国立美術館イメージしかない。それ以外にあまり縁が無いところ

せっかくだから他の街の印象も書いてくよ

上野美術館動物園の街、横浜に住んでた時はアプローチしにくかたっただけど上野東京ラインが出来て気分的に近くなった、しかしその後小田急沿線引っ越したのでまたアプローチしにくくなった。

秋葉原→私にとっては自作PCの街で再開発がされる前は8時くらいには目ぼしい店もしまってすぐに暗くなる街って印象だった。その後飲食店が増えて郊外のどの場所から出てきても不公平感が無いか新宿と並んでオフ会で良く使う街になった、まあリナカフェに入り浸るtwitterユーザーだったってのもある。JRの駅にほとんどくっついた様な形でRemmって言うビジネスホテルの少し良い奴みたいなのあるけどあれのレインシャワーは好き

御茶ノ水→長い付き合いの友達明大に通ってたか微妙に縁がある、椎名林檎が「リッケン620頂戴 19万も持ってない御茶ノ水」って歌ってたように楽器屋街でもある、あと定額音楽サービスに入ってからは足が遠のいてるけどジャニスって言う有名なレンタルCD店がある

銀座→各県の物産店が集中してる、個人的には高知県物産店と鹿児島県物産店(場所的には有楽町だけど)がお気に入り。あと高級ブランドショップ本店があったりするからそういう用事でも行くかなあ。個人的には八重洲のあたりと含めてもうちょっと開拓したい所。

日本橋三越高島屋本店がある。高島屋で月初めにプレミア焼酎懸賞をやってるからたまに応募しに行く(当った事は無い)、あとエレベーターガールが居たりするのと年季の入った建物がやっぱり本店って感じがする。

表参道銀座と似ているのかな、高級ブランドショップ街がある。渋谷にも銀座にもApple storeはあるけどなんとなく表参道のを使う事が多い。冬の時期だと福井県物産店で水ようかん買ってく事が多い。

新大久保→まあコリアンタウンなんだけど最近イスラム系の店が固まって出来たりその他モロモロの地域エスニック料理屋あったりと混沌としている。路地裏の変な料理屋にふらっと入ってみるとカルチャーショックを味わえる、そして時々大当りの店が見つかる。

品川アンミラがある、あのアンミラがある。実家住まいだった頃は京急東京に出る事が多くてここで降りて何かすると言うよりは乗り替えのための場所。でも東京に出る=とりあえず品川に向うだったので結構印象深い場所

書いてみると結構あれこれ上がってキリがないので山手線内だけでとりあえず打ち切る。池袋とか目黒恵比寿も入れたかったんだけどあんまり印象が無い(あそこら辺も掘り下げると楽しいんだろうけど)

これだけ細々と上げられるのは東京都外に在住してるからかもしれない、それでも9割の用事町田なり横浜なりに出れば済むんだけど…

やっぱり百貨店しろ同人誌ショップしろPCパーツ店にしろ東京特定の街にある本店に行った方が売り場が広いし探しやすいみたいなのがあるのよ。

逆に言えば普通に生活するなら家のある駅と都心を往復してるだけで大抵の用は済むんじゃないかな、東京のどのあたりに住んでるのかは解らないけど。

気が向いたら山手線外編も書く。

2017-12-15

共通趣味展覧会のお知らせを見て

一緒に行きたい!行こうよ!って言えず楽しみだねとしか言えなかった。

優しいから返信くれるだけで本当は迷惑なんじゃないかって卑屈になってるせい

2017-11-09

振られて3年、元彼の女友達を好きになった

初めて付き合った彼氏に3ヶ月で振られて、ちょうど3年が経った。

彼の名前をAとしよう。

1年めは、まるでAが私の過失による事故災害で亡くなってしまたかのように、

日々喪に服していた。

「そんなこと言って、連絡くらいきたんじゃないの?」と思うかもしれないが、

彼はそういうタイプ人間ではなかった。

Aが私の家に置いていた荷物を郵送してからLINEブロックされたし、

Aは私と会う前にすでにTwitterFacebookを退会し、ソーシャルのまじわりを断っている人間だったし、

SNSでふと流れてくるつぶやきを目にする……ということもなく、

本当に、死んだか失踪たかと信じ込むこともできなくはなかった。

そもそもAと私は、共通コミュニティ所属していたわけではなく、共通の友人もいなかった。

当時私が働いていた会社の後輩の女の子主催した合コンに行ったところ、

男性側の数合わせで連れてこられていたのが、合コンに一切興味がなく、

合コン中に翻訳小説を読み出した彼だった。

さすがにびっくりしたのだが、その本の著者は私も名前を聞いたことのある人だったので、

Aのことは気にせず盛り上がっているメンツをよそに、私はAにあれこれ質問し、

合コン後のグループLINEに参加しようとしなかった彼のLINE IDを手に入れたのだ。

合コンの間は気難しそうに見えた彼は、28歳だというのに、「本当に合コンが初めてで、どうしていいかからなかった……」

とのちに明かし、2人きりで会ったときには、不器用ながらも気さくに自分のことを話してくれた。

物言いはぶっきらぼうで露悪的だけど、根はいい人なんだなというのがすぐにわかり、

あっという間に好きになっていた。Aも、すぐにそれに応えてくれた。

そうして、交際期間がとても短かったのもあり、私はAとお互いの友人を紹介しあうことはなく、

そして彼の家の場所電話番号LINE以外の連絡先を知ることなく別れることになった。

合コンから私はAにだけ関心があって、他のメンバーに連絡することもなかったので、

もはや彼とのつながりは一切存在しなかったのだが……

彼と別れて1ヶ月後、偶然彼の親しい友人の一人と知り合うこととなる。

それがBだ。

新宿紀伊国屋書店で、新刊コーナーをうろついていたら、

彼に以前写真を見せられたことのある男性そっくり女性が、やってきたのだ。

私が「えっBさん?」と小さな声をあげると、なんとその人も「あれっ」と声をあげた。

から聞けば、彼女彼女で、私といっしょに遊びに行ったとき写真や、

2人がペアリングをしている写真などを見せられていたのだという。

書店会釈して終わりかと思ったが、彼女は私を喫茶店に誘ってくれ、

あれやこれやと話してくれた。

「◯◯がさぁ……恋人ができたっていうだけでも驚いたけど、まさか彼女ペアリング買うとは思ってなくて。本当にびっくりしたよ」

「それまでは彼女いなかったんですか?」

過去に1人いたとは聞いてるんだけどね。彼女の家庭の事情が大変で、別れることになったみたい。私もその子とは会ったことはないから、具体的なことはしれないけど。

 だから増田さんと付き合い始めた話を聞いて、すごくうれしかったんだよ。最後のほうは、いろいろ悩んでいるのも聞いていたけど……」

Bは、見せられた写真の印象だけでも、育ちが良くて笑顔かわいい上品な人だなあという印象だったけれど、

会って話せすと想像以上に気さくで、「この人に気に入ってもらいたいなあ」と思ってしまタイプだった。

正直、仲のいい男友達元カノというよくわからない存在書店で声をかけられても、けげんな顔をして立ち去る人が大半だろうに、

その日は喫茶店に誘ってくれたばかりではなく、その後2人で飲み、連絡先も交換することになったのだ。

「この前もAと会って……」や「Aは昔からそういうところがあって……」というように、Aとの仲良しエピソード披露してくるので、

もしかして……本当はAのことが好きなのかな?」「というかむしろ今つきあってるのかな?」と邪推もしたが、

聞けば、すでに3年つきあっている彼氏がいるという。

しかに、これだけかわいくて素敵なお嫁さんになりそうな人はもっと社会性のある男性を選ぶだろう。

彼が「いずれ紹介するよ」と言いながらも、結局紹介されずじまいだった相手と、

こうして偶然出会たことにはきっと何か意味があるだろうと私は思い(思い込もうとし)、

さら純粋に彼との話をとにかく吐き出せる人がほしくて、私はその後彼女を定期的に飲みに誘った。

最初は遠慮して月1〜2度にしていたのだが、彼女が本当にお酒を美味しそうに飲むし、実際ものすごくお酒が好きで、

毎日一人でもバーに行くことがわかってからは遠慮せずに誘いまくるようになり、

彼に振られて1年めには、私が彼女と飲む頻度は、週に1〜2度に増え、

さらに2年めには、土日のどちらかはかならず私の家に遊びに来るようになり、

そうして3年めを迎えようとしている。

合コン中に小説を読み出すほど読書家だったAと友人なだけあって、

Bも日々驚くくらいの時間読書にさいている。

1日あけて会えばその間に読み終えたSFの話をしてくれるし、

私が仕事で悩んでいるときには、適した分野の新書を紹介もしてくれる。

映画展覧会にもよく足を運んでいて、おもしろかったもの感想を教えてくれる。

「次は一緒に行かない?」と誘っても、「一人で行きたいから」と断られるので、

一緒に映画展覧会を鑑賞したことはないが、それぞれ見たもの感想を言い合ったりもする。

彼女は今でもAに会っているので、Aの話も全然出してくる。

Aが引っ越したとか、最近はこういう本を読んでたとか、いっしょにあの映画を観に行ったとか。

Aと仲良くしすぎて、彼氏嫉妬されたこともあるという。

頻繁に飲むようになってからは、私もそのあたりを正面からイジったりしてみて彼女の反応を見てみたが、

「え〜〜、たしかにAくんはかわいいしかっこいいけど……ほっとけない弟みたいな感じなんだよ」

と毎度否定され、そこには一切のやましさの感情がないのが見て取れる。

というか、どうやら彼女には「誰かと誰かが仲良くしていて、負の感情を感じる」

ということが、生まれてこの方ないらしい。

から、「自分の行動で、周りが負の感情を感じる」ということも全く理解できないそうだ。

しかに、もし私が彼女だったら「こんなに元カノと仲良くしていたら、Aに対して気まずいかも」と思うし、

私がAで、この状況を知ったら、こころよくは思わないだろう。

そのことを指摘したら、「あーーーーそういうものなの!」と目をパチクリしていて、

それも彼女の育ちの良さであり、育ちの良さゆえの鈍感さであり、美徳でもあるのだなあと、

なんだかおかしいやら腹立たしいやら、不思議な気分になってしまった。

それで気づいたのだ。

つの間にかAの生死とか、振られたことなんてどうでもよくなっていて、

彼女と会うことが純粋に楽しみになっていたということに。

最近は、いっしょにいても自然と手をつないでしまうし、

我が家のベッドで一緒にゴロゴロしながら映画を見る日も多い。

彼女には彼氏がいるし、相変わらず付き合っている。

彼女はとっても育ちがよくて、鈍感で、きっと私が彼女をいつのまにか好きになっていたことに気づいておらず、

しかし一方で、彼女自身もかなり私のことが好きなのだと、最近確信できてきた。

私の感情は間違いなく友情じゃなくて、彼女の裸を見たいなと思うときすらある。

でも、一体どうしたらいいんだろう。

私は彼女に甘え続けるため、まだAに振られた傷があるんだとウソをつき続けている。

2017-10-24

砕かれた鏡

(この日記は、「副業風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい・・・

ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。

あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジワンピーススニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。

午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。

僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。

最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。

地震で粉々に砕かれた鏡の上に今は別々の人生が映し出されている。ナナちゃん、元気だろうか。

2017-10-23

副業風俗レポを連載していたのだが、

諸般の事情サイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。

🌑

お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!

某月某日、夜。駅前商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。

中国式マッサージ 60分¥6000

インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数コースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。

部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじセクシーしかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。

ナナ「初めてですか?」

僕 「はい

ナナ「先にシャワー浴びますか?」

僕 「あ、はい

ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」

ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山

一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。

ナナ「うつぶせになれますか?」

僕 「あ、はい...」

ナナ「あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから

うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太もも感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!

まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来うつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだしかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡フュージョン国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアフィギュアスケーターユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。

本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。

🌑

自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社倒産させた後だったのだ。単なる地元中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部裏切り横領大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。

いよいよ金が尽きてきたので、警備員バイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員仕事高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。

件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語ジブリアニメ勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本出稼ぎに来ていたのだった。

僕も自分のことを話した。地元中小企業の二代目社長社員は26人。趣味スキーテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。

この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。

数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるもの破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。

僕 「いつごろ再開しますか?」

老婆「もうやらないよ。おしまい

僕 「・・・

老婆「みんな中国に帰ったよ」

僕 「ナナちゃんは?」

老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」

当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクション就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステ体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステ取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。

anond:20171022175706

>> 西洋美術館学芸員っていない <<

いるよ。肩書学芸員じゃなくて研究員になっているだけ。

ただ、学芸員作品研究論文を書いたり、展覧会企画構成を行ったり、展示品の管理を行ったりするのが仕事学者なんで、展示室にいることはほとんどない。

作品付近に立っている人は監視員と言って、単なるパートタイマー

2017-08-25

子供の名づけ

前提条件: 東京市部に住んでいる。糞みたいな街だ。シン・ゴジラを見たところあらゆる点で被害を受けていなった。ふざけんじゃねえぞ、たしかにこの市には何も壊して絵になるものなどない。

子供名前をつけるにあたってだいたい以下のようなことを考えた

はいえこれが全部満たすことは難しいので、画数はかなり多くなってしまった。 16+8 。自分は字を書くのが下手なので自分の子供の字を手書きでうまく書けないという事態になってしまっていてひどい話である

このようなことを考えるに至った最大のきっかけというのがあって、新宿東急ハンズエスカレーターのところで、渋谷区小学校児童にかかせた消防車の絵の展覧会というのが行われていた。そこでは小学校ごとに絵がまとめられていて、渋谷区のなかでも都市的ではない地域小学校児童名前全然読めなくて、私立小学校児童名前めっちゃ読めるみたいになっていた。故に私立小学校に行かせたい!!!とかではなくて、名前子供人生が決まるわけではないが、観測者の教養度に応じて名前の見え方が変わるようにしておけば子供人生において余計な障害が減るのではないかと思った。子供人生がどんな人生になるか分からないし、できれば全然俺が興味も関心もないようなわけわからん人生になってほしいのだけど。レゲエで天下とるとか。ただ俺の希望など子供にとってはなんの関係もないことではある。

この話のオチ

子供が生まれて三カ月経ってから気づいたけど神林長平小説主人公名前被ってた。

2017-08-13

同性の友達と付き合う夢を見た

夢の中で私はあの子といつも通りの休みを過ごしていて、あの子が好きな画家展覧会を見に行って、その後二人でご飯を食べた。ほんとうにいつも通りの過ごし方で、これといって変わったことはなかったんだけど、夢の中で私はあの子彼女だった。

夢なので今も記憶が薄れているんだけど、割合人の多い会場ではぐれないように手を繋いでいて、私より10センチくらい背の低いあの子ぼんやりしがちな私を引っ張って進んでくれて、手を恋人繋ぎに組み直してくれて、それが無性にしかったのを覚えている。

ご飯の場所も、考えてみると少しお洒落なところだった。お店を選ぶのは私のはずだから、きっと夢の中の私もデート気合を入れていたんだろう。食べたものは覚えてないけど、なんだかずっとすごくドキドキしていた気がする。

私とあの子はただの友達なのに、なんであんな夢を見たんだろうか。ただの友達なのに、なんでこんなにときめいているんだろう。

2017-07-11

https://anond.hatelabo.jp/20170711202345

それ、私です!良かったら今度おしゃれなツボが購入できる展覧会があるので一緒に見に行きませんか?

2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170624235903

トラバブコメをいただいたので、勝手ながら浮世絵を勧めてみる。

変な話だが、鑑賞と制作だったら、制作から入ったほうが鑑賞も楽しくなるように思う。

例えば、葛飾北斎富嶽三十六景の、有名なところで赤富士と言われる夜明けに朝日で赤く染まった富士山凱風快晴

グレートウェーブと呼ばれる、神奈川沖浪裏。

あれを見て、思うのだ。

あれは、北斎が描きたかった富士山じゃない。

北斎が描きたかった真の富士山なんて、この世に一枚もない。

それは、制作を齧ってみるとひしひしと感じとれること。

知っての通り、オリジナル浮世絵には原画というものが残っていない。

そもそも絵師が描くのは線画だけ。

それを版元、つまり出版社企画担当に渡して、それを板木屋、彫師という職人渡り、板に張り付けられてしまう。

板に貼りついた絵ごと、彫ってしまうので、原画は木屑と共にこの世から消えてしまってるわけ。

絵師というか、画工っていうイラストレータ地位というのはそれほど高くなくて、彫師が勝手アレンジすることだってある。

そもそも芸術家として心から沸き起こるもの表現するんじゃなくて、売れるものを描くのが至上命題

彫り終わると、それがすなわち線画のコピーが出来るわけで、そこから「ここを赤、ここを青」って具合で、絵師の指示が入る。

具体的な色を塗るとかでなく、文字で書き入れる程度。

そんで、また色の版が出来上がって、今度は摺り師と呼ばれる職人の手に渡る。

そして、絵師立ち合いで、色合わせを行って、微調整されたら出版、という流れ。

で、その手の浮世絵解説書なんてのだと、初摺りは手がかかってるけど、そのあとの後摺りは手抜きで改変されてるとかって書いてあり、実際初期ロットと後期ロットは色が違うってんだけど、いざ制作してみるとそれだけじゃないように思う。

明らかに自己主張がある。

摺り師の「俺上手いだろ?真似できないだろ?」

っていう自己主張をビンビン感じる。

いざ木版画を始めてみると、100人中99人はそれを目指す、ある種の技術方向性というのがあって、それが超絶レベルで、過剰なまでにそれに拘ってるのがよくわかる。

彫師と摺り師の自己主張だけじゃない。

時代流行ある意味で街の声さえも作品に取り込まれてるのが、ありありとわかる。

初摺りであっても、本当に北斎が描きたかった富士山じゃない。

彫師のエゴを、摺師のエゴを、江戸流行りを、それを引き算してやる。

北斎自身ねじくれた自尊心を解析する。

北斎という人はいい歳して「自分が一番!」と天狗になったり、「バカにされるのは嫌だ!」忙しくぐるぐる同じところを回っていて、とてもかわいい

少なくとも、自分にはそう感じられる。

ちょっと大胆すぎる実験的な試みも、「褒められたい!」という意識が見え隠れする。

それを差っ引いてあげて、初めて、あの絵の本当のコンセプトが見えてくる。

いつか、本当の北斎の心を、自分表現したい。

あるいは、摺師、彫師、版元、江戸空気北斎とのジャズセッションがあの作品だったとしたら、今度は自分北斎セッションが出来る。

なんて楽しいことだろう。

技術が追い付いたら、いつかそれをやりたい。

前置きが長くなってしまったが、そろそろどうやって浮世絵制作を学ぶか書いてみる。

いざ木版画を学ぼうとしても、浮世絵方式木版画を教える教室ほとんどない。

なにをもって浮世絵方式というのか難しいけれども、木版画においてかつてスタンダードだった、世界で最も優れてた技術体系と断言できる。

なんで今スタンダードじゃないか

その答えはわからない。

俺も知りたい。

で、そもそもその技術継承した人というのが少なく、浮世絵職人がやってる版画教室、あるいはその流れを汲むとする版画家の版画教室は知りうる限りで以下の通り。

作品展など、見に行って雰囲気を感じるとよいと思う。

朝香伝統木版画教室

所在地東京

現役彫師が教える版画教室

当然ながら彫りに詳しい。

第七回 朝香伝統木版画教室作品展 2017年6月26日7月2日

竹笹堂

摺師が教える版画教室京都だが、関西を中心に出張講座や通信講座もやっている。

今年の作品展情報不明

五所菊雄の主催する版画教室

五所菊雄という版画家で、摺師の内川又四郎氏(ポールジャクレー作品を摺ってた人)から学んでる。

東京近郊で複数教室を持ってる。

HP展覧会情報が載ってる。

まちだ版の会 木版画展 2017年9月12日9月17日

NHK文化センター 川越教室木版画講座・作品展 2017年8月21日8月27日

東京芸術大学

野田哲也が浮世絵の流れを汲む、とされてる。

作品を見ても全然そんな風に感じやしないんだけど。

入学すれば学べるんじゃないかなと思うけども、ちょっとハードルが高すぎる。

作品展というか、芸大卒業制作をみることは出来る。

野田哲也の師にあたる小野忠重の著書は浮世絵技法を知るうえでお勧め

実際、浮世絵制作面白い

毎年、数人は浮世絵制作沼に沈んでると想像される。

いったん情報収集を始めると、先に沈んだ先輩とつながれるので、芋づる式にオタと出会える。

有名なところだと、独学で浮世絵制作者に転身して、大学企業との共同研究までしてた元ジャズマン(最近亡くなられた)。

職もビザもなく、浮世絵への情熱だけで日本にきて、浮世絵で飯食って浮世絵で家建てて浮世絵子供育てたカナダ人

そのへんは浮世絵バカ一代の二代巨頭で、ほかにもごろごろ、まあいるわいるわ。

みんな平気で仕事を捨て、家族を捨て、学歴を捨て、浮世絵制作沼へ沈んでいく。

自分なんか、趣味範囲で、まだ片足だけだが、いつか完全に沈みそうな気がして怖い。

なにが楽しいって、楽しいんだからしかたない。

子供の頃にハンコを押すのが楽しかった経験がないだろうか?

コピー機がある今だとありがたみがないが、同じものが何回もつくれるというのは、楽しい

フォトショップ原画書いて、3Dプリンターで版木制作、色のレイヤープリンターで版木塗って印刷ってのはどうだろう

意見はごもっとも。

浮世絵というのは、つまり、人力カラー印刷にすぎない。

いまだってコンビニカラープリントが80円ってのに、当時はかけそば一杯の値段だったっていうから江戸時代印刷技術スゲーって思う。

小学校でやるようなローラーで油性インクを塗る油性木版と違って、水性の絵具で摺りあげるのだが、特徴をいくつか。

まず、ベタが綺麗に決まる。

まるで、フォトショでみたいにね。

グラデーションがかけられる。

うん、フォトショみたいにね。

色を重ねて混色が出来る。

赤の上に青を重ねると紫になる。フォトショレイヤーを乗算モードにしたのと同じ。

浮世絵の目指すところは、フォトショイラレで書いた絵。

前段のほうで書いた、誰しもが目指す技術というのは、きれいなベタ、滑らかなグラデーション計算されつくした重なり、つまりフォトショイラレ

そういうことなら、原画だってフォトショイラレでつくったほうが、出来上がりイメージはしやすいだろう。

今日はここまで。

本格的に、道具の用意、構図の学び方等々の話に入れずに力尽きてしまった。

勢いに任せて書いているので、話の構成おかしいのはご容赦いただきたい。

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