はてなキーワード: 裏付けとは
ある時期に事件Aが起こったとするじゃん?
関連する事件A_1~A_nまであったとして、それを裏付ける史料B_1からB_nまであるとするよ。
で歴史家が史料B群から事件Aを求めて、これはF(B)→Aみたいに表せるわけじゃん?
で、B群っていうのはどっかの時点で確定するよね?
新しい史料が発見されたり、既存の史料の評価を改めたりするのは一定時期で終わるはず。
B群が確定すれば、F(B)→Aももはや不変で、これ以上の検討は不要だよね。
なら少なくとも事件Aは確定して、Aに関する歴史学は終了でしょ?
こんな風に過去の歴史を順次確定していけば歴史は終了するはずだけど、
いつまでやってるの?
この指摘に対して論理的に説明するためには、文脈の明確化と論理の一貫性を示すことが重要です。
私が述べたポイントは、「ある事象の存在を主張する側に証拠を示す責任がある」という一般的なルールです。このルールに基づけば、黒人奴隷制度の存在を主張する側がその証拠を示す必要があります。
2:主張の責任について
存在を主張する側:黒人奴隷制度が存在したと主張する側は、その存在を裏付ける証拠を提示する責任があります。例えば、当時の文献や記録、絵画などの具体的な証拠が必要です。
存在しなかったと主張する側:一方で、黒人奴隷制度が存在しなかったと主張する場合、その主張も同様に証拠が必要です。しかし、何かの存在を証明することは直接的な証拠を必要とするのに対し、存在しなかったことを証明するのは難しいため、その場合には存在を示す証拠の欠如や矛盾点を示すことで間接的に主張を補強します。
結論の一貫性:黒人奴隷制度が存在しなかったことを直接証明することは難しいため、春画に黒人奴隷が描かれていないことがその証拠として使えるかどうかが問題になります。春画が当時の社会全体を反映していないため、描かれていないことをもって存在しなかったとするのは不十分である、という論理です。
4:再度の結論
存在の証明:黒人奴隷制度が存在したことを証明するには、その具体的な証拠が必要です。
存在しなかったことの間接的証明:黒人奴隷制度が存在しなかったことを示すためには、春画だけではなく他の歴史的資料や記録も考慮する必要があります。春画に描かれていないことだけではその結論に至るのは不十分です。
したがって、「ある事象の存在を主張する側に証拠を示す責任がある」という原則に基づき、「黒人奴隷制度が存在しなかったという主張を補強するためには、その証拠を示す必要がある」と述べました。これは矛盾しておらず、存在を証明する側の責任と、存在しなかったことを証明するための証拠の欠如の重要性を説明しています。
https://anond.hatelabo.jp/20240721230541
ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学の学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済
ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/
私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである。
彼の著書『終焉の時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い、中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、
ジジェクの文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。
本棚に積まれた1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。
私は、ジジェクの長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分の知的価値を測るようになった(現在はほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。
それだけに、現代の政治文化に関する最近の記事で、ジジェクを非難するのは心苦しい。
しかしある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、
なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、
有利なポジションに私を置いていると感じている。
私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクのエッセイである。
そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。
ジジェクの哲学は、ヘーゲル、ラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着から、オーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。
他方で世間一般におけるジジェクのペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス的挑発者であり、象徴破壊者であるが、自分勝手なものではない。
ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。
したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。
私は、ジジェクのお気に入りのトリックのひとつである、正式な哲学的分析の範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、
喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。
(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレの特殊な構造が、
ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界の概念に対する究極の反論となっている)。
ほとんどの場合、ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さらに重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、
しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである;
そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。
トランスジェンダーの権利をめぐるスコットランドの政治的混乱から始まり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトとラカンへの言及で締めくくる。
表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。
これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;
ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダーの権利をめぐる、最近の政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、
正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。
結局のところ、ジジェクは皮相な哲学的手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。
ジジェクは、過去10年間にリベラルな知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。
ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいつもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:
「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。
その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症の若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。
言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱な子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。
批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間とサポートが必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。
この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?
ジジェクの引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。
実際、彼が引用したガーディアンの記事を読んでいれば、上で引用した段落を修正できたかもしれない。
ジジェクが引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカーは不妊の原因にはならない "と書かれている。
したがって、このスロベニア人に知的怠惰の恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険な形態である;
さらにひどいのは、ジジェクが記事の冒頭で取り上げた最初の文化的分析対象である。
『コンパクト』編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。
それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性をレイプしたことを我々は知っている"
“We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”
ジジェクが言及しているのは、アイラ・ブライソンの事件である。
この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプで有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、
トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハ・テストとなった。
ここでジジェクは、基本的な事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。
さらに問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである
(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。
ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェクが性別を間違えて表現することに固執するのは、
ジジェクがトランスのアイデンティティを尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。
ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。
しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である。
彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;
この時点でようやくジジェクが哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。
記事の次の部分はさらに長く、さらに面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事の宣伝である。
(中略)
で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?
その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。
彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。
The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.
[ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭的利益の残酷な計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」
思春期ブロッカーの使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。
ここでジジェクは、ジャニス・レイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、
製薬企業にとって重要な経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。
そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実の物質的な対立のために戦うのではなく、
資本の側、つまり極悪非道な個人の側にいる人々として捉え直すことができる。
バトラーやフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェクを盲目にさせているのだ:
[ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識のプロセスである。
それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。
作品全体と同様、これはジジェク特有の哲学的プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである。
この最終的な帰結は、英米でトランスジェンダーの物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクがお墨付きのスタンプを押したということだ。
ジジェクは、社会の変化に懐疑的なジャーナリストや知識人の瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまったかのようだ。
これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である。
過去の思想家からの豊かな引用を悪しき議論の隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。
私たちにとって悲しい日であり、多くの意味でジジェクにとっても悲しい日である。
ジジェクは豊富な理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。
このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。
[終]
平成30年9月24日にはソフト日向を利用していた可能性もあるが、仮にこの日に利用してももかが出てきた日であるとすると、9月20日に間違いなく、ラブアンドピースで、ユメと言う臭い
女が出てきて、これに対する裁判を提訴し、宮島文邦判事が、一度却下し、平成31年2月22日以降、3月25日にラウンド法廷が開催されるなど相当しつこく、高々10000円の
料金返還訴訟を継続しているため、ももかが出ていたのは、9月24日ではなく、平成31年3月25日である可能性が高い。しかしこれを自明なものとして裏付ける日記の記録も記憶もない。
平成30年9月4日に渋谷に出てきたじゅり(当時37)について、後から振り返ると悪くはなかったものの、渋谷で求められる俺のカラダの横の店である、渋谷ビンビン伝説の はづき(当時40)
が出ていたのは、平成31年1月27日、2月15日、2月24日のどれかである。しかし、裏付ける記録は何も存在していないので、証明することは不可能である。
ChatGPT(課金◯)→たまに自信満々に間違えたことを言うしソースも明示しない。雑談のネタや料理のアイディアを探すくらいならいいけどちょっと専門的な分野の裏付けは自分で取る必要がある。UIは一番使いやすい。デザインの提案もしてくれる。Youtubeの動画用のサムネのラフ案くれみたいな雑な質問にも対応してくれる。ただしノリは「閃光爆発炎上大崩壊!」みたいなB級映画が好みのようで、隙あらば光らせて爆発させたがる。ある意味人間臭い。
Perplexity(課金◯)→質問に対してまず検索し、その情報を元に返答する。参照先はある程度絞っているようで「Xでこんなことがあったような気がするけどどっかでまとめられてない?」みたいなことには答えてくれない。良くも悪くもお役人的・ロボット的なお仕事。ただそも参照先は本当に信用できるの?と言うのは一抹の不安はある(参照先が大抵日本のマスコミだし)。UIがちょっと問題で、チャット欄に直接画像を放り込めない(コピペはできる)、画像とテキストでの質問を同時に送ると、先にテキストの質問だけが送られてしまう?ようで、画像の内容を加味しないで返答をはじめたり、変なタイミングで過去の画像を参照した返答をはじめてやり取りがグダグダになることがよくある。
Gemini(無課金)→文体は一番カジュアルでフレンドリー。ただちょっと突っ込むとすぐに英語を喋りだす。あきらかに前者2つに比べて調整不足を感じる。
お気軽なネタ収集代理として使うならChatGPT、ソースがないと安心できない人はPerplexityがあうかなと言う感想。
申し訳ありませんが、あなたが述べていることは陰謀論によるものです。集団ストーカーや思考盗聴などの概念には、確固たる証拠や科学的な裏付けが存在しません。これらの主張は、疑念や不安を煽るためによく利用されるオカルト的な要素を多く含んでいます。
例えば、集団ストーカーの存在を信じることは、その背後に秘密組織や目に見えない力が働いているという未確認の主張を前提としています。しかし、こうした主張はエビデンスに基づかず、むしろ個人の心理的な状況や社会的な要因によって説明されることが多いのです。多くの研究者や専門家は、科学的に立証されない限り、このような主張は信頼するに値しないとしています。
思考盗聴も同様に、サイバースペースや超常現象に関する無根拠な理論に基づいており、信じるに足る科学的証拠は見つかっていません。むしろ、こうした考えは多くの場合、精神状態やパラノイア的な症状と関連があることが指摘されています。これらの概念は「フィラデルフィア実験」や「エリア51」などのように、人々の不安や好奇心を刺激するための物語を作り出すことが多いです。
あなたが言う「権力者の家畜」や「捏造された平穏」についても同様です。現実社会は複雑で、多くの問題がありますが、それらをすべて陰謀と結びつけることは現実的ではありません。私たちが日々直面する問題は、科学的な理解とオープンな対話によって解決していくべきです。
冷静になり、科学的根拠に基づいた情報を収集し、自分自身の視点を検証し続けることが重要です。陰謀論はあなたの理解を歪めることが多いため、できる限り客観的な事実に基づいた情報を重視してください。
銀行に15年弱いて経験があるというのは確かに大事ですけど、それだけで経済の動向に詳しいと言えるかどうかは別問題ですよね。職場でやっていたことが必ずしも経済全体の理解に直結するわけではありません。実際、銀行の業務はかなり専門性が高く、日々の業務に追われているとマクロ経済の動向まで詳しく知る機会は限られるんじゃないでしょうか。
基盤があるという主張も分かりますが、それってあくまでその人個人の経験であって、広い視野での経済政策とは必ずしも一致しないんですよ。結局のところ、知識の幅と深さが求められる場面では、個々の経験以上に理論的な背景や他分野との連携が重要なんじゃないですかね。
だから、経済政策に詳しいかどうかについても、「基盤がある」だけでは足りないと思いますよ。もっと具体的な実績や知識の裏付けがないと信用できないんじゃないでしょうか。
こだわり強いよ。昔はそんなじゃなかったけど年とるごとにどんどん謙虚さ無くなって素直にききれなくなったしい。
零細なだけあって別の事業もしてるんだが、その取り立ての際に公営団地の取り立て対象の部屋の窓がダンボールで目張りしてあったらしく、
でもオーナーが取り付けていたGPSはそのアパートの周辺数キロが信号を発し続けているから、それはないと思った。
無能は隣人にも聞いたらしく「隣人も引っ越したと言ってる」という。
オーナーはそいつは見た目が典型的な弱者おじさんなので信用されなくて嘘つかれただけではと思ったそう。
その無能は「空き家だから管理人がダンボールはったんだ」という。
オーナーの頭の中(空き家なら内見とかまたあるはずなのにダンボールなんか張るかよ…)
しかし実際アパート周囲で張り込んだら目的の人物を発見して滞納などについて交渉したそう。
ようは自分のなかの結論ありきでどんどん理屈をこねて正当化する無能なんだよ。こだわりも強い裏付けだろう。
自分の間違いを認めることになるから理屈をどんどん持ち出して認めたららないんだよな。間違いを認めたらないのはプライドが高い故。
①石油がない
③国内の市場が小さいので、製品を大量生産できずコストが上がり、競争力が弱くなる
②製品が弱いので得られるドルが少なくなり、石油の値段も上がる
っていう現象が起きてるんだよね、つまり全ての根本は少子化にあるわけ。
答えはカンタンで「高校進学率を10%、大学進学率を5%まで下げる」ことしかない。
これ聞いてドン引きしたやつも少なくないと思う、理由を下で説明しようか。
公立高校国立大学でも総額数百万はかかる。私立だったらその3倍だ、受験させたいんだったらそれに塾代も加わる。
別に金が掛かるのは学業だけじゃない。金稼がない人間を家に置いておくだけで数百万の出費になる。
国民の9割が中卒で社会に出るようなシステムを想像してほしい。そのような問題はほとんど発生しないだろ?
まず人間の出産適性年齢は15歳から30歳で、20をピークに下がり始める。
つまり人間って15から結婚を前提とした恋愛を経験して、18までに第一子を作るのが一番効率良いように出来てんだよ。
でも15ってみんな学校行ってるだろ?そんな状況で現実的な恋愛なんて出来るわけねぇよな。
しかも大学まで卒業したら既に22だ。そこから恋愛したらどう頑張っても30くらいで子供を産むことになる。
母体へのダメージもでかいし、産児のリスクも若干上がってる。良いこと無いだろ?
で、ここまで聞いてて分かったと思うが、この主張は人聞きが悪すぎる。だから誰も言えないし実現しない。
でも確実に事実だ。先進国の社会が軒並みこの症状に陥ってることもそれを裏付けてる。
みんな教育は良いものだと思い込んでる。でもどこかで規制しないと社会が持たないところまで来ているんだ。
良かったらこの主張を拡散してほしい。その議論の場を作ることが大事だと思うんだ、もちろんコメント大歓迎だ。出来るだけ返信する。
新紙幣のデザイン見て初めに思ったのが「ダサい」だった人間なんだけど、自分のがダサいと感じた理由は掲題の通りかなと思う。
紙幣に占める数字の大きさと数字自体のデザインが「今までと違うから違和感がある」のではなく「単純にダサい」んだよな。
一万円札の表と五千円札の表はマシだが、それ以外は二段ぐらいレベルが落ちる感じでダサい。
やっぱり数字がデカいのがダサさの主な要因じゃないのかな?千円札は数字そのものもダサい。
元増田にはデザイン変更の必要性を長ったらしく書いてあるが「新紙幣デザインを裏付ける理屈があればダサくない」というモノでもないので、ダサいと感じるモノはダサいのだ。
男に限らず人間はな、
①自分が直接的&リアルに他人を強姦して楽しめる奴<<<②大して楽しくはないが強姦できる奴<<<(超えられない壁)<<<③できないが内心想像したりレイプAVやマンガならオカズとして楽しめる奴<<<(超えられない壁)<<<④フィクションの強姦も無理な奴
の4つに分けられるんだ。
大半の男は③か④だ。てか女も③か④だろ。女性が女性向けレイプものAVを好むってデータがハッキリ出てるやん。
俺は科学者でも何でもないので理論的裏付けはないが、自分の実体験(すごい端的に言って「強姦しようと思えばできるしやってもほぼ確実にバレない状況」になった結果「超萎えた」ことがある)でもって、俺は③だ。
③と④は①と②のことがわからんよマジで。だから大半の男は強姦できちゃう男の認識や気持ちのホントのところはわからん。
女性でも同じ。強姦できちゃう女性の気持ちなんかわからんやろ? そこに性別差は無いと思うぜ。
弊社主力商品の情弱御用達のポータブルDVDプレイヤーがDVDロゴ使用のライセンス料を払っていなかった。
正確にはライセンス料を払っていると言う中国の工場を主張を社長が鵜呑みにし裏付けを取っていなかったけど、
結果、ライセンスの管理会社から、諸々混んで500万円の罰金を払うか、3000万円分くらいある在庫を破棄するか、
全製品からDVDロゴを消すか、それとも全部拒否して刑事告訴されるか選べと迫られているそうだ。
正規ライセンスを取っている工場で作ってるから問題ないと突っぱねろとの社長命令でその通りにしていたら、
ついに向こうが完全に切れて、強面のお兄さん3人引き連れてノーアポで直接戦力投入してきた訳だ。
社長はそれでも中国の工場の主張を根拠にお前らみたいなヤクザにはビタ一文払わんし、
商品は売り続けると宣言し、最終的に怒声を浴びせかけて罵倒し、追い帰してやったと自慢げに話していたのだが、
先週からその工場と連絡が取れなくなり、社長も全てを理解したのだった(社員は大体察してた)。
しかし社長は自分達が被害者だとして徹底的に争うつもりらしく、
法律事務所に相談しているみたいだけど、いい回答は貰えて無いようで荒れ狂っている。
会社の存続の危機だぞ!お前らも知恵を絞れ!と言われるのだが、
そのDVDプレイヤーは工場とのやり取りだけは社長がやっているけど、
輸入事務は事務のパートのおばちゃん(そんな人に任せるな)に丸投げ。
販売に関しては、社長が馴染みのところに1~2カートン収める他は、
我々営業の担当でありながら、あがった売上は全部社長の売上として扱われ、
営業の売上としては1円も計上されない理不尽の極みみたいないわくつきの商材なので、
誰も真剣に知恵を出すつもりがなかった。
代々営業間で伝わる裏テクニックとして、マイクロ偽装法人を立てて、
入手した商品はフリーランスに丸投げでマーケットプレイスで転売する「副業」をしている。
そしてその売上だけで年間目標を達成しているような猛者もいる。
一方で年間目標達成時は払われるはずの営業報奨金は過去一度も支払われたことがない。
社員も社長に負けず劣らずのクソで、さっさと潰れた方がいい会社だけど、
我々みたいなクソが高いコンプラ意識を求められる現代日本で生きていけるはずもないので、
しゃーないかーって感じで、一番上の営業が、画像加工でライセンスのロゴを消した上で、
営業個人のメルカリアカウントで売っていくことを社長に提案し即日了承された。
はー、やめたくなりますよ、本当♂
この会話を客観的に分析すると、いくつかの問題点や改善すべき点が見られます。
1. 質問に対する直接的な回答がない:質問は「iMacとMac miniのどちらが寿命が短いか」でしたが、回答はそれぞれの特徴や違いを説明するにとどまっています。質問に対してもっと明確に答える必要があります。
2. 偏った意見:回答者はAppleの製品戦略についてネガティブな見方をしており、それが回答全体に反映されています。もっとバランスの取れた視点が必要です。
3. 根拠の不足:回答者は様々な主張をしていますが、それを裏付ける具体的なデータや事例が不足しています。説得力を高めるために、根拠を示すことが大切です。
4. 冗長な表現:回答が長く、同じような内容が繰り返されている部分があります。もっと簡潔にまとめることで、読み手に伝えたい内容がより明確になります。
5. 専門用語の使用:DTMやGPUなどの専門用語が説明なしで使われており、一般の読者にはわかりにくい可能性があります。専門用語を使う場合は、簡単な説明を添えるとよいでしょう。
6. 誤字脱字:いくつかの誤字脱字が見られます。文章を見直し、修正することが大切です。
この会話から学べる点は、質問に対して明確に答えること、バランスの取れた視点を提供すること、主張を裏付ける根拠を示すこと、簡潔な表現を心がけること、専門用語を説明すること、誤字脱字に注意することなどです。これらの点に気をつけることで、より効果的なコミュニケーションが可能になります。
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志摩スペイン村の入園料5700円に「安すぎません?」広報直撃! 大盛況報道で生まれた復活イメージに“中の人”が困惑する理由 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け https://shueisha.online/articles/-/250821
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上記記事に以下のコメントを付けたら、意外と評判良かったので、色々補足しつつスペイン村について語ってみる。
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ここ10年毎年1,2回スペイン村行ってる身からすると、vtuber好きっぽい雰囲気の客が昔の1割、多くても2割体感増えた印象。USJとレゴランドの間くらいのクオリティ。スペイン村は伊勢志摩旅行とセットで良さが出る場所
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## vTuberの影響で増えてるのか?
上記コメントでもあるように、体感では以前よりも1〜2割増えた印象。
id:marilyn-yasuさんがコメントで補足してくれてる。
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id:mak_inさんが書いてることの裏付けとして過去に資料で年間入園数の推移を読んだところ1割強ほどの増加量。コラボ期間が主なので平時から1割とは言わんが無視できないくらいの人数が来てるのは間違いない感じ。
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実体感をもっと詳細に記載すると、コラボ期間に入る前から、ンゴちゃんの言及からのスペイン村ブームになった時点で既に1割くらい増えてた印象で、イベント期間に行った際は2割くらい増えてた印象。
以前から見かけた組み合わせとしては、乳児から小学生くらいまでの小さな子どもを連れた親子連れ、カップル、2-3人での女子旅、たまに大学生仲間っぽい男女、これがほとんどだった。
これがンゴちゃん言及以後、元々いた人たちの数はあまり変わっていないものの、以前はあまり見なかった組み合わせの人たちを見かけるようになった。
総じて、なんとなくオタクっぽい雰囲気に、何らかのvTuberグッズを身に着けてるのでなんとなく分かる。
中高生1人を連れた親子、2-3人男旅、ソロで来てる人(男女ともにいる。ただソロ率は女性の方が高いような……)。
大学生仲間っぽい男女も増えてて、前は比較的陽のオーラ強めの集まりが多かったが、陰のオーラ強めの人が増えてる。
これら以前見なかった属性が増えたことでだいたい1-2割増という感じ。
## なんでそんなこと詳細に体感で分かるんだ?
僕自身が遊園地苦手過ぎて、ワイフや子ども達がアトラクションに並んでいる間、乗り物に乗れない子と待ってるから。
うちは子ども4人で、一番小さい子は常に誰かベビーカーに乗ってて、誰かが乗り物に乗れない。
そうなると、待っている間、特に何もすることなく、ずっとぼーっと園内を眺めてることになる。
ただぼーっと眺めてるだけなので、自然と人間観察とかしてしまう……
## 何故そんなにスペイン村に行っているのか?
子どもが産まれてからは、ワイフの実家によった際には必ずスペイン村に行くことになっている。
これは志摩スペイン村が志摩市民向けに格安のチケットを提供してることが関係してる。
https://www.parque-net.com/ticket/isepassport/index.html
昔はチケットの購入条件が緩く、価格ももっと安かったのでこれを悪用し、スペイン村の近くのコンビニの前で、駐車場の案内みたいな雰囲気でパラレルの下、椅子に座ってるオババがダフ屋みたいなことをやっていた。
10年近く前に対策されて、受付で志摩市民だと証明しないと入場できないようになった。
今このチケットは志摩市民が年間パスポート買ってからでないと別途チケットを購入できなくなったので、子沢山だと知る義父母のご近所さんが、帰省シーズンになるとくれるようになった。
入場の際には、義父母と一緒に受付し、僕らだけ入場するようにしてる。
チケットくれるご近所さんには、こちらのお土産を持っていってる。
## スペイン村の噂: 東京ディズニーランド超えの待ち時間、園内ガラガラ、どっちが正しいのか?
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ガラガラだった志摩スペイン村が客急増でディズニーRより待ち時間長く…なぜ
https://biz-journal.jp/company/post_380711.html
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スペイン村は、単純に敷地がデカく、その割に客が少ないので、一見ガラガラなのは今も昔も変わってない。
先に書いたように増えたのは1-2割なのに、何故激混みの印象を与えるような待ち時間が長い、という話があるのか。
それは、ンゴちゃん言及以前から、スプラッシュモンセラーと氷の城は並んでいたから。
特にスプラッシュモンセラーは回転率がかなり悪い割に、人気のあるアトラクションだ。元々シーズン中は60分待ちとかは普通だった。
これは、スプラッシュモンセラーが必ず1組1台で乗せ、1台辺り2分程かかるので30組いれば1時間はかかるから。
https://www.parque-net.com/attraction/splash_montserrat.html
スペイン村、場所の広さの割に客が少ないだけで、客自体はちゃんといるので、普段からそれくらいかかる。
他は一度に何人も遊ぶので、混むことはほぼない。
ただ今回のイベントで増えた比較的若い層が、とりあえずスプラッシュモンセラーに流れたこともあり、いつもより待ち時間が長くなったように感じる。
先の言及で、ソロで来てる人が増えた、と書いたのは、スプラッシュモンセラーを待ってる間、以前はいなかった一人で乗る人を結構見かけたから。
遊園地を一人で!?と一瞬思ったが、混んでないからか、広いからか、親子が多いからか、何か分からないけど、遊園地はみんなで!みたいな集団圧力みたいなのがココには全く無いので自分の好きなまま楽しめるのは、なんかめっちゃ良いな、と思った。
ちなみにスペイン村で一番有名なアトラクション、ジェットコースターのピレネーは一度も複数人で乗れることもあり、ほぼ待ち無しで乗れる。
そもそもスペイン村に来るような層は、ピレネーはハードルが高過ぎて、スプラッシュモンセラーくらいがちょうど良く、ニーズが少ないのかもしれない。
普通に美味しい。
名古屋スペイン協会の人らと仲良かったこともあり、結構色んなスペイン料理屋には行き色々教えてもらい分かってる方だと思うが、スペイン村の料理はちゃんと作ってあり、遊園地の中であるにも関わらず、外で普通のスペイン料理店で食べるクオリティで出してくれる。
僕が遊園地苦手な理由の一つに、何も彼にも全てが高い割に、だいたいファーストフードにも満たないひどい味だ、というのがある。金払うのは良いけど、払うならちゃんとしたものが食べたい……
外だと普通のものが遊園地の中で食べられるだけで、異常に美味しく感じてしまうかもしれない。
同じ理由で、大人気、ンゴちゃんイチオシの世界一美味しいチュロスは、遊園地の中では世界一美味しいかもしれないと思わせてくれる。
ちなみにレビューとか見ると、スペイン村の中のレストランの中で、いくつか酷評されてる場所があるが、コレは価格が遊園地にしては安く、味が遊園地っぽい場所である。
お財布と好みで選んでもらうと良い。
キャラクターショーが、ドン・キホーテ、チャッキーなどのキャラがパティオの飾りを競うコンテストを行う、という内容だったのだが、バイキンマン的な立ち位置のアレハンドロが優勝して、盛り上がる内容だったこと。
娘のアンパンマン見てていつもバイキンマン可哀想だと思ってたので、何故か無駄に感動してしまった。
https://www.parque-net.com/kids/zukan/arejandoro.html
あと、フリーレンとフェルンのコスプレしてる人がおり、勇者ヒンメルになりたい息子のために一緒に写真を撮ってもらった。
息子は恥ずかしながらも目茶苦茶喜んで、あれから勇者ヒンメルごっこを良くやるようになった。
僕は遊園地が苦手でも家族の希望で連れて行かれる。コロナ明けてから両方に行った。
USJは単純に派手だし楽しめる場所だよ!!という空気感が凄かった。
ただ人気の場所だということもあり、人がとにかく多いのと、それに伴う攻略法を予習してこなしていかないとマトモに遊べないのは正直しんどかった。
一方で、沿道をまわるショーは、スペイン村も遜色ない気はした。
なんやかんや言って、長い歴史と本場スペインダンサー達のパフォーマンスが、資金力の差を埋めてる気がする。
レゴランドは、よく「子ども騙しだ」と言われることがあったが、良くも悪くも大人よりも子どもに刺さるコンテンツが多い気がした。
レゴのアニメや、マイクラ、ロブロックスのおかげで、レゴの世界観は、思った以上に子どもらに刺さったみたいで、大人の満足感の少なさの割に、子どもの満足感がかなり大きかった。
一方、スペイン村はキャラクターショーなどはちゃんとあるものの、キャラクター自身のコンテンツ力が弱いせいか、子どもらの刺さり具合は弱かった。ショーの良さや遊園地全体で挽回、という感じ。
というわけで、レゴランド以上、USJ未満、という感じで、USJでは強すぎ、レゴランドでは弱すぎ、という人にはスペイン村がちょうど良いのかもしれない。
## 実際に自分がやってるまわり方
シーズン中、もうスペイン村には行き慣れてる or 僕のように遊園地のアトラクションが得意でない人は、ムーンライトパスが良いのかもしれない。
16時以降入場だが、物販や代表的なアトラクションはだいたい17時までやってるので、ササッと目的のものだけ消化し、ナイトショーを楽しむ。
ナイトショーは、ショー自体のクオリティも高いが、花火の量も凄いので、価格の割にかなり楽しめる。
ただし、スペイン村は伊勢志摩旅行とセットで楽しむと良さが引き立つ場所であり、伊勢志摩旅行の魅力の大きな点に宿の食事が挙げられるので、スペイン村のホテルでない限り、どちらかを選ばざるを得ないことが難しいところ。
元気があったら、こんな感じで続編として経験談からの伊勢志摩旅行のポイントもまとめるかも……
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追記:
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はてな記法で書き換えたんだが、どうも上手くいかず……スマホからだとあかんのか……?微妙に間違えてる??
読みにくいのは承知してますが、仕方なく、Markdownのままにしてます。
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スペイン村だったら、フラメンコショーのことも触れてー!!あれは生で見たら素直に感動する。
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評判が目茶苦茶良いことは、噂には聞いてるのですが、常に乳児を連れてる状態だと子どもらが我慢できないので入れなくて、スペイン村20回以上行ってるのに、結局一度も観れてないです。
なので、言及できてないだけです。
逆に言えば、スペイン村の客の大多数を占める親子連れが、うちと同じく、このフラメンコショーには行けてないので、特に事情がなければさっと入れるのでオススメです。
名古屋スペイン協会繋がりで何度かプロのフラメンコショーは見に行ったことあるので、その際にはそこと対比しながらコメントできれば。