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はてなキーワード: クルマとは

2018-08-18

お金が嫌いだ

僕はお金が嫌いだ。

必死に働いて稼いでも、お金あの世には持っていけない。棺桶札束を詰めて燃やしてくれる家族なんていない。

預金通帳に印字された数字を眺めていても何も生まれない。財布の中に紙切れを入れててもかさばるだけ。

だったら、お金を得たら早いうちにモノや体験に換えてしまって、自分が楽しめたり成長できたりする方がいいじゃないか

人生は短いし、生命は限られている。ダラダラしてる時間もったいない。1秒でも惜しい。少しでも自分を伸ばしたい。

お金お金のまま持っておくのは無意味に思う。どうせ貯金しても金利つかないんだし、投資したって一部の人間にむしり取られるだけだし、入ってきた金を別の形に変えるのが一番だろ。

そんな考えで、欲しかたか貯金の7割をはたいてクルマを即金で買った。思い出を残したいと思ったから数十万円のカメラも買った。

どっちも1ヶ月しか続かずに、すぐに飽きて今は全く使ってないけど、後悔はしてない。だって、少なくとも、そのときの「欲しい」という気持ちは満たされたんだ。それで十分だ。

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最近、嫁とお金の使い方で大ゲンカした。

「あまりにも無計画すぎる」と泣かれた。

だけど、人間、いつ死ぬか分からない。もしかしたら、この日記を書いた30秒後に心臓が止まって死んでるかもしれない。

そんな脆い生命なのに“計画”もクソもあるか。

から今日家電量販店で新しいタブレットの箱を手にして帰ってきた。

もう、嫁は何も言わなかった。

2018-08-13

釣りに行った

 世間夏休みだが、私も今週は夏休みである取引先は夏休みで全滅、有給消化させたい上司からぜひ休みなさいといわれ休むことになった。やったぜ夏休みだ。

なんてことにならないのは、私には休日遊んでくれるような友人など絶無であり、夏休みになったところで、その先にあるのは虚無だからであるとはいえ夏休みとなったからには、一人だと分かっていても、虚無だと分かっていても、何かしたいと思うのがコレ人情である

私は釣りをしてみたくなった。はっきりいって釣りはド素人である。昨日の夕方ホームセンターに言って釣り竿と糸・ウキ・針がセットになった仕掛けを買ってきた。釣り竿は、その先端から仕掛けをつければそれでオーケーという単純極まりない代物である。900円だった。リールが着いたものも置いてあったが、使い方がよくわからないので諦めた。

 今日、朝4時に起きた。クルマ運転して30分、漁港に着いた。この北関東漁港クルマ乗り入れができる。昨日ネットで調べておいた。少し曇っていてあつすぎずいい天気だった。釣り道具と、折りたたみ椅子クルマから出して堤防に持って行った。行く途中、老人とすれ違った。真っ黒に日焼けした白髪の老人だった。完全にモーガンフリーマンだった。適当なところに、折りたたみ椅子を置いて腰掛けた。釣り竿を伸ばして仕掛けを先端に括りつけた。糸が風にまって手こずった。超熟という食パンを指で練ったものを餌として、針に付けた。竿をもって、針を海へ落とした。ウキは波に揺られていた。老人が自転車に乗ってこちらの方にやってきた。モーガンフリーマンだった。モーガンフリーマンは私の近くまで来ると、ターンをしてどこかへ行ってしまった。

 こともあろうにウキ付近に小さい魚がたくさん集まっていて驚愕した。ウキが沈んだ。心臓バクバクした。まさかパンで魚が釣れるとは思っていなかったから、釣り上げたときのことを考えず、バケツクーラーボックスは何も持ってきていなかった。というか針の外し方がまずわからない。何もできずに固まっていると10秒ほどでウキが浮いてきた。針が外れたらしい。竿をあげた。魚が食べたのか針にパンはついてなかった。すぐに釣り道具を片付けて帰ることにした。今度はバケツを持って行こうと思う。モーガンフリーマンがまた自転車で近づいてきてターンしてどこかへ行った。

 

2018-08-05

クルマって40年間で3396万円もカネが出ていくんだな 。マイカー持ってる奴=馬鹿

そりゃバカバカしくてクルマ離れが進むのも当然だわ。

自動車カルト時代が異常だっただけ。

まともな人間からクルマ離れしていく時代現代

2018-08-01

コムスのような1人用のクルマ

今後は、コムスのような1人用のクルマが支持されるのかなと思った。

通勤するのに使うと駐車スペースをとらない。

コンパクトから狭い道も走れる。

・遠出することはあまりないだろうから、充電回数も少なくて済みそう。

とか、思った。

2018-07-31

anond:20180730174136

もしクルマに生まれ変わるとしたら、いまのあなたは何?

日本語すげーけど、大丈夫か?

2018-07-30

anond:20180730231016

現状その「適当に」が人間が決めた枠内の「適当に」でしかないっちゅー話をしてるんだろ

人間が点数をつけてあげないと(重要度を数値化するための式をあげないと)ElasticSearchだろうがなんだろうが無視できないじゃん


例えば「一瞬で怒る方法」を聞いたら人間なら「さあ、知らんけど格闘技でも習えば?」「知らない、何で怒りたいの?」とかって返すだろうけど

AIなら「一瞬で怒りを抑えるには次の方法があります(以下検索結果)」と返すだろう

「一瞬」「怒る」から関連付けられるワードが「抑える」だから、「適当に」無視した結果「怒る方法」は無視されるわけだ


前者と後者有用度は大して違わないと言いたいんだろうが、

「分からないと回答する」と「真逆質問として答えを返す」のとで会話の成立度は同じだと思うか?

前者なら格闘技有用性とか怒る必要性かに話が進むだろうけど後者は話が一歩も前に進んでないだろう


あんたの主張って「クルマの方が人間より早く走れるんだから人間の方がクルマより劣ってる、人間神格化するな」って言ってるのと同じだよ

何度でも言うけど話が噛み合ってない、根本的に

もしクルマに生まれ変わるとしたら、いまのあなたは何?

おれはアルト(4ナンバーMT

2018-07-28

力あるもの責任があるのなら、全て神が悪い

全知全能の力があるはずなのに熱中症を救わずに見殺しにしているわけだ。

貧困飢餓戦争奇跡を起こさずに無視しているわけだ。

じゃあ全部神が悪いわけだ。

なぜそんな神を敬い従い尊ばなければいけないのか。

真夏クルマ子どもを置き去りにする親と神に何の違いがある。

神ならば救えるはずだ、全ての者を。

2018-07-24

[] もどリッチ

三井住友海上がかつて販売していた個人向け自動車保険GKクルマ保険・家庭用」の特約。

  

これは「満期精算型払戻金特約付長期契約」ともいうもので、保険間中事故件数が2件以内の場合、満期払戻金が戻ってくるというもの

3年もしくは2年契約で、毎年継続手続きをする手間も省くことが出来た。

http://www.dieting001.sakura.ne.jp/mitsuisumitomo/09.html

http://www.ms-ins.com/pdf/personal/car/20151001_kaitei.pdf

2018-07-15

anond:20180715072226

間違えてるか確かめてるのは算数問題のことか?いい大人質問ならやばいんじゃない?

避難指示が出るレベル場所で、カネ払うからって言えば、域外からでも民間業者呼んで建築に来るのか?プレハブの箱を積んだクルマ通れるのか?

激甚災害下で、財布なんか気にする余裕なんかより逃げるだろう?てか、だいたいなんのために役所普段集金しているんだっつう話。

2018-07-09

anond:20180709095054

東京まれ東京育ちだが。

圧倒的満員電車

中学の頃から朝夕のラッシュにもまれてた。

これがあとン十年続くかと思ったら 耐えられなかった。

「自営になる」という発想は何故かなかった。

今は北東北クルマ通勤

転居した翌年にサリンが起きた。

中野新橋使ってたから あのまま居たら モロだった。

anond:20180709102353

「納車はいつです」

=「業者クルマを持っていく」もしくは「お店に車が納車される」のはいつです。

から何もおかしくない。

「納車する」の主語業者

2018-07-05

anond:20180703210030

病院と共にFP相談したらよいと思う事がある。

数十万円の借金の人は、クルマ新車をローンで買った人に比べたら少ない額。

困らないで、落ち着いて家計チェックだ。

2018-06-29

anond:20180629155113

自分クルマオナニーしてても外の人に見られたら公然わいせつで捕まるから気をつけような

2018-06-19

スポーツカー助手席修行の場か

車高低くて屋根も低いのにシートのサイドだけはやたら高いから乗り降りが超大変、

着座位置も低いので景色を楽しもうにもガードレールしか見えないし、

他の車からは見下ろされる形になる上に「誰が乗ってるんだ?」という好奇の視線がウザいし、

ドアが大きいので開閉にいちいち気を遣うってか狭い所じゃ開けられないし、

乗り心地めっちゃ硬くてお尻どころか腰に来るし、

荷物ほとんど載せられないし、

雪降ったらまず走れないとか言うし、

エンジン大きいとか言う割に街乗りだと正直加速トロくて鈍くさいし。


これだったら中古ハッチバックの軽のほうが全然マシじゃん。

(車内が綺麗に片付いてればだけど)


てかスポーツカーは一人で乗れっつーの。

誰か乗せて自慢とか考えんじゃねーよ。


おまけ

なんか、GT-Rは上に書いた欠点がかなり解消されているって聞くけど実際どうなんだろね。

知り合いに乗ってる奴いないから知らないけど。

もっとも同乗者にとって、ロールスロイスの後ろの座席に勝るクルマなんてないと思うが。

2018-06-11

クルマも酒もタバコギャンブルも親の仇のように否定的はてな民だけど

何故か風俗には比較肯定的なの

「やっぱりちんぽには勝てなかったよ」感あるよね

2018-06-03

もともと漢字ひらがなだけどカタカナでよく表されている言葉

ミライ

カラダ

ココロ

ニオイ

クスリ

クルマ

ステキ

ヨナ

ボク

キミ

オレ

オマエ

カレ

カノジョ

ジジイ

ババア

アレ

ソレ

イイネ

ゴミ

ヘンタイ

キレイ

ヤバイ

ナミダ

カネ

anond:20180603010115

揶揄する意図のない「クルマ」「カラダ」とかのカタカナ表記はずっと前からあるけど、何の意図があるのか気になる。

2018-06-01

anond:20180601052636

黙秘」を続けるオーナー夫妻

 実家を出てからの約10年の間、2~3カ月に一度、長いとき半年に一度ほどしか実家には帰ってこなかった。麻子は帰るときは必ず母親携帯電話をかけ、「帰るわ」とだけ言って、母親仕事が終わる時間クルマで帰ってきた。晩御飯を食べがてら、両親を安心させるために顔を見せに帰ってきていたと江美子は思っている。

 見た目はあまり変わった様子はなかったが、帰ってくるたびに地元スーパーで大量の日用品や食料をカート数台分も買い込み、持たせた。日持ちのしない大量の食料を保存する冷蔵庫アパートにはないし、いったいどうするのだろうと気になったが、「冷凍にする」としか麻子は説明しなかった。

 麻子は自分アパートへ親がたずねてくるのを嫌がった。そのことが江美子はずっと気になっていた。麻子が最初に借りたアパートを、江美子と(麻子の)祖母といっしょにたずねたとき、近くから電話を入れると、ものすごい剣幕で「来んといて!」と拒まれ、近くの飲食店駐車場で待ち合わせ、食事したこともあった。また、一度だけ事前の連絡なしにアパートをたずねたこともある。そのとき、部屋の電気はついているし、クルマもあるのに居留守を使われていることがわかったため、「いるのに、何で出てこんの!?」と江美子が部屋の外で大声で呼びかけると、ようやくドアが開いたこともある。

 麻子はとにかく「B」のオーナー夫妻と両親を会わせることを極端に嫌がり、麻子が実家を出てからの10年間、両親は一度も娘の雇い主に会ったことはない。

「一度、私が『B』に電話をかけたんです。加藤麻子の母親です、と名乗りました。アルバイトらしい若い女の子が出たのですが、(オーナーの)杉本は留守だと言いました。だったら、携帯電話の番号を教えてほしいと言ったら、それはできません! とすごい剣幕で断られました。おそらく杉本私たちに接触したくなかったのでしょう」

 そう江美子は嗚咽をもらしながら、当時の出来事をふりかえる

 しかし、4~5年前に奇妙な出来事があった。たまたま安く手に入った果物を麻子が江美子の勤務先へ取りにきたことがあった。そのときメイクがいわゆる「ガングロメイク」で、母親は腰を抜かした。色白の麻子さんがまっ茶色ファンデーションを塗ぬっていた。「あんた、なに? その顔は」と聞くと、「日焼けしとる」とごまかそうとしたという。いま思えば、あれは誰かに殴られてできた痣を隠すためだったのではないか。「I」の店長証言とも符合する。

 皮肉なことに、麻子の両親と杉本夫妻との初対面の場となったのは、麻子の死体遺棄いき事件を裁く刑事法廷だった。杉本夫妻は刑事被告人、両親は被害者遺族という関係だった。杉本夫妻が加藤麻子の死体遺棄容疑で起訴されたの2013年5月12日のことであるしかし、杉本夫妻は警察の取り調べ段階初期から黙秘を続けており、麻子の両親とは目を合わせようとはしなかった。

 麻子を呼び出したのは杉本香子のほうだと、遺族は警察から情報を得ている。深夜零時ぐらいに「I」での仕事を終え、いったん自宅アパートに寄り、食事をしてから別のアルバイト先にむかおうとしていたところを、杉本夫妻が経営を始めたばかりの中川区内のラーメン店に来るように言われ、出向いたようだ。ラーメン店営業は夜11時半までなので、閉店後の店内で麻子は事件に巻き込まれ可能性が高い。

 麻子の両親が娘の身を案じてアパートで腐敗した食べ物発見したとき、すでに麻子は愛知県知多半島山間の土中に埋められたあとだったのである

 いったい、それまでに何が麻子の身に起きていたのか。死体遺棄罪でしか起訴されなかった杉本恭教と智香子は、どのように関与をしているのか。法や制度はどのように機能したのか。突然、一人娘の命が消え去ってしまたことに両親はうろたえ、悲憤を抱えて生活を送っている。いったい、どうすれば娘に何が起きていたのかを知ることができるのか。素手で土を掘るような遺族の活動が始まっていく。

(文中敬称略

(2015年『潮』12月号より転載

https://web.archive.org/web/20161114111642/http://www.usio-mg.co.jp:80/archives/1662

anond:20180601052614

腑に落ちない出来事の数々

 加藤麻子は1970年に名古屋市千種ちぐさ区(当時)の猪子石で生まれ、4歳のときに今の実家がある郊外引っ越してきた。父・義太郎と母・江美子の一人娘である地元高校卒業した後、父親の紹介で地元塗料関係商社に勤めた。

 会社で知り合った男性と20歳の若さ結婚、2年で寿退社をすることになる。新居は最初賃貸で借りていたが、麻子の実家の隣の売りに出ていた中古住宅を両親が買い取り、そこで結婚生活を送るようになった。しかし、夫が同じ職場女性浮気していることをすぐに麻子は知ることになり、ほどなくして不仲になってしまう。それが原因で、半年間にわたって家庭内別居のすえに正式離婚したのが1999年の夏のことである

 実家とは庭を通じて行き来できる構造になっているが、よもや隣家では娘夫婦家庭内別居生活を送っているとは知るよしもなかった。夫婦子どもができないため、不妊治療に通ったり、夫も生殖検査を受けるなどをしていた。麻子は地元レンタルビデオ屋でパートをやりながら主婦業を続けていたが、離婚後、外に出ることも多くなり、地元眼鏡店やホテルのバー、漫画喫茶等でアルバイトをするようになっている。その頃からアルバイト先を正確には両親には伝えていなかったが、パソコンを使えないと仕事ができないからと、パソコン教室に通っていたこともあった。

 漫画喫茶「B」で働きだしたきっかけは、離婚後、自分でさがしてきたということしか両親は知らない。当初は名古屋市緑区に麻子は通っていたが、やがて中川区へ同店が移るというので麻子もいっしょに中川区へいくと両親は聞かされた。働きだした頃は1時間半以上かけてクルマで通っていて、店は24時間営業だったこともあり、シフトについていくためにやがて麻子も中川区最初アパートを借り、のちに行方不明になったワンルームアパートへと引っ越した。実家に住んでいたのは31歳までだったから、親元を離れてから、何らかの「事件」に遭遇して行方不明になるまで10年ちかくが経過したことになる。

 その間、麻子の両親は娘の経済状況をひたすら案じ、できる限り援助をしてきた。生活費が慢性的に足りず、困窮していることだけはわかっていた。ことあるごとに、「(生活は)やっていけるの?」とたずねても、「やっていける」という返事がいつも返ってくるだけだった。

 麻子の両親はこの約10年間で物品合わせて相当額の援助をしてきたが、親が麻子のためにかけていた保険担保に数十万を借りていたことが判明したときは、江美子があわてて問いただすと、「友達のお母さんが入院しているから、その子のためにおカネが必要だった」と言い訳をした。麻子はサラ金から借金を重ねた形跡もあった。

 のちに警察から両親が得た情報によると、事件が起きる1年ほど前から「B」から給料は出ていなかったらしい。つまり、ただ働きさせられていた可能性が高い。たしかに両親はそれまで一度も給料の明細書を見たこともなかったし、勤務シフトも見たことがなかった。

 もしアルバイト代が出ており、両親が援助をしてきた額があれば十二分に生活はできたはずなのに、どうして多額の金銭調達する必要があったのだろうか。

 あるとき、「漫画喫茶営業権利を買いたい」と麻子が言い出したことがあった。「B」のオーナーである杉本恭教が売ると言っているらしい。両親は漫画喫茶なるところがどういう仕事なのかを知らなかったため、麻子が実家の近場にあるマンガ喫茶に連れて行った。

 提示されていた値段は1500万円以上だったが、そんなにするはずがないと両親は訝った。麻子は結婚生活をしていた住宅担保にしてほしいとまで言い出した。そういう多額の用立てを麻子はそれまでに何度か頼んできたことがあったが、両親はまともに取り合わなかった。

 麻子が姿を消してから、麻子にまつわる腑に落ちない出来事を両親はいくつも思い出すようになった。たとえば、事件から3年ほど前に麻子がたまたま実家に帰ってきたときゴミ袋を持ってきていた。江美子は、処分してほしいと頼まれた。分別する必要があったためゴミ袋を開けたところ、請求書サラ金の借用書が出てきた。江美子がサラ金借金に気づいたのはこのときであるガソリン代や本人以外の携帯電話請求書領収書も多かった。携帯複数契約していることを麻子に問いただすと、地方から出てきた「B」のアルバイトの子未成年のため契約できないか自分が代わりにしていると答えた。

 どうやら、「B」のオーナーに頼まれてやっているらしいとにらんだ江美子は、直接私が断りを入れてあげるから解約しなさいと言うと、なぜか麻子は頑なに拒んだ。その後も何度も口を酸っぱくして解約をするよう諭したため、いったんは解約したが、また契約をし直していた。麻子はどうして、4台もの携帯電話契約していたのだろうか。

anond:20180601052604

明かりのついた部屋にいない

 次に江美子が麻子に電話をかけたのが1週間後の4月17日。出ない。それから数日間にわたって何度も電話をかけても呼び出し音は鳴るが、出ない。今度ばかりは心配が募り、麻子のアパートを直接たずねることにした。当時住んでいたアパートは「B」からクルマで数分のところの、庄内川がわにほど近い住宅街にある。隣の民家とぴったりと付くように建っていて、麻子が住んでいた2階に上がってみると、廊下は70~80センチの幅しかなく、玄関ドアを開けると廊下がふさがれるほどだ。

 4月28日の夕刻6時すぎ、江美子が一人でアパートをたずねると、留守のようだった。ドアの新聞投函から、連絡がほしい、電話がつながらない、ということを走り書きしたメモ用紙を投げ入れた。

 しかし、連絡は返ってこない。麻子の両親の心配は募る一方だった。これまでも連絡が途絶とだえたことはあったが、今回ばかりは何か様子がおかしい。

 次にたずねたのは翌々日の4月30日。江美子と、江美子のいとこが同行した。時間帯は夜8時半ごろだった。玄関ドアの新聞投函から室内をのぞくと部屋には明かりがついていることがわかった。前々日に入れたメモはそのまま玄関の内側に落ちていることも確認できた。今度は大きめのA4ぐらいの紙に同じようなメッセージを書き、投げ入れた。近隣の住民に江美子が様子をたずねると、このところずっと部屋の明かりはついたままになっているらしかった。やはり、おかしい。何かがおかしい。麻子の身に何かが起きているのではないか

 5月1日には夫婦で午後3時すぎにアパートをたずねた。新聞投函から部屋の中をうかがうと様子は変わっていない。管理会社から鍵を借りて、中に入った。もしや麻子は倒れているのではないか。部屋に入り見渡すと、とりあえず部屋に荒らされた様子はないことはわかった。しかし、かすかな異い臭しゅうがした。その原因は放置され、腐くさった食事だった。調理途中の料理フライパンに残り、テーブルの上にも一人分の食事が用意されていた。フライパンに残っていたのは、ウインナー玉葱を炒めたものだった。テーブルの上にあった炊飯器の中に残されていた茶碗一膳ほどの白米には青色のカビが発生していた。ラッピングされた3食分ほどの炊いた白米もあった。冷凍するつもりだったのだろうか。

 そして、やはり部屋の電灯は灯ったままだった。相当の時間、ここには麻子はいなかったことがわかった。夫婦はきつねにつままれるような気持ちになりながらも、とりもなおさず腐敗した食べ物や、置いてあったペットボトルなどをゴミ袋につめこみ、クルマに運び入れた。

 その足で近くの派出所にむかうと、愛知県警中川署へ行くように促された。その途中で麻子がはたらいていた喫茶店「I」が視界に入った。すこしでも手がかりを得ようと立ち寄ると、「I」の店長から、4月13日に出勤したのを最後に連絡がとれなくなっていることを知らされる。そして、4月10日の出勤日には顔に2カ所ほど目立つ痣があり、客がいるホールには出ることをとりやめたのだという情報を得た。次のシフトは4月14日だったが、顔を出さなかった。店長が何度も携帯にかけてもつながらなかったこともわかった。

 その日の江美子と義太郎記憶は鮮明だった。江美子が言う。

「この部屋では何も争ったあとはなくて、誰かに呼び出されて、急に出て行ったままになっているのだなと思いました。フライパンに残っていたウインナー玉葱を炒めたものは、食べる寸前という感じでした。流しの三角コーナーのゴミはありませんでした。ただ、シーツや毛布、タオルがなかったんです」

 あきらかに自然生活用品のなくなり方だった。あるはずのものがない。

 娘の部屋で感じた不吉な違和感は義太郎も同じだった。

「これは何らかの事件に巻き込まれたに違いないと思い、中川署に届けたのです。そのとき、もう一度、麻子のアパートの鍵を管理会社さんから借りて部屋を見ようとしたんですが、夜になっていたせいか管理会社さんに連絡がつかなかったんです。なので、中川署の警察官が麻子の部屋のバルコニーに入り、サッシのガラスを割って施錠せじょうを外し、入ったのです。部屋の中を警察官が調べたところ、やはり、とくに荒らされたような痕こん跡せきはないということでした」

 警察行方不明者や交通事故記録等も調べたが、該当者はなかった。その当日、クルマに積み込んだままになっていた「ゴミ」を警察は地面に広げて撮影警察は鑑識チームも室内に入れた。血痕の有無など事件性がうかがえるようなものがないかも調べたのだった。

 血痕やルミノール反応はでませんでした、と両親は報告を受けた。歯ブラシや箸はDNA検査のために使う可能性があると、警察が持ち帰った。翌日、警察から夫婦アパートの部屋に立ち会ってほしいという要請があり、義太郎と江美子は麻子のアパートへと再びむかった。

漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか

漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか

「麻子がいなくなった」

 愛知県名古屋市中川区にある「B」という漫画喫茶店で長年にわたって働いていた加藤麻子(当時41)の両親が、娘の捜索願を愛知県中川警察署に出したのは、2012年5月1日のことである

「B」はフランチャイズチェーンのうちの一店舗で、その年の2月いっぱいでオーナーが替わっていた。それまで経営していた杉本恭教(当時47)は経営権を手放し、別に経営していたラーメン店シフトしていた。妻の杉本香子(当時45)と長男が同区内で経営をしていた。

 麻子の母・江美子が最後に「B」をたずねて、娘に会ったのは、2012年2月25日のことだ。江美子が麻子をたずねた理由は、個人年金等の手続きについて相談をするためだった。愛知県豊田市郊外にある加藤から名古屋市西端位置する中川区の「B」まではクルマで2時間ちかくかかる。

「麻子は私たち夫婦の一人娘です。一度は結婚しましたが離婚しましたし、子どももいません。ですから彼女が将来、おカネの心配をしないですむように、毎月お金が入ってくる民間保険年金基金手続きを今のうちにしておこうと、本人の署名・捺印をもらいに行ったんです。娘が店に来てくれというものですから、私ひとりでクルマ運転して出かけて行ったんですが、あと数分で店に着く頃、麻子から電話があり、『おかあさん、今どこ?』と聞かれたんです。近所の小学校の近くだよと答えると、『じゃあ、(店で)待っとるでね』と言って電話は切れました。私は店に着いて、娘が店の横に停めていたワゴンRの隣に駐車しました

 店は幹線道路に面していて、近隣店舗と共同使用の20~30台は停めることができる駐車スペースがある。麻子は仕事中に休憩を取ったようで、店内のテーブル母親を座らせ、年金書類サインをした。

「私も食べていい?」と麻子が江美子に聞いた。ふたりスパゲティを食べた。江美子はなるべく早く国民年金手帳自分のところに持ってくるように伝え、実家から持ってきたティッシュペーパートイレットペーパー、洗剤等の日用品を娘のクルマに積み替えた。麻子が実家に帰ってくるたびに日用品を持たせていたから、その日もあたり前のように江美子はそうした。江美子はその時点では、2月いっぱいでオーナーが替わることを麻子から告げられてはいない。

 3月19日、江美子が麻子に電話をかけた。麻子が実家を出ていって一人暮らしを始めてから、10年以上にわたって、江美子は、なぜだか常に生活に困窮していた麻子に対し援助を続けてきた。「自立をしてほしい。もう援助をする余裕はない」という主旨の手紙を送ったことも幾度かある。そんなとき麻子はいじけたのか、半年ほど連絡を寄越さなかった。が、江美子は一人娘のことが心配で、経済的自立が困難なら、できるだけ早く実家に帰るように促してもきた。そのとき電話があった直後に十数万円を振り込んだのだが、江美子は店のオーナーが交替すること、そして、麻子自身もあとを追うようにして店を辞めたことを初めて告げられた。

あんた、(生活は)どうしとるの? なんでこの間、(オーナーが替わることを)しゃべらんかったの? いつ、(オーナーが替わることが)わかったの?」と江美子はたずねた。2カ月近く前からわかっていた、と麻子は答えた。店名もそのままで権利を違う人に譲るということだった。

 江美子がふりかえる

「そのとき電話で、麻子も『B』を辞めていたことを知ったんです。常日頃から言っていたことですが、縁もゆかりもない、知っている人もいない土地に娘ひとりでいるなんて、心配心配で仕方がなかったんです。『B』を辞めて、近くにある大きなスーパーマーケットと、これも近所の『I』という喫茶店で働いているとも言っていました。スーパーマーケットではそのうちに正社員にしてくれて、社会保険に入れてもらうけれど、それはもっとあとになってから、とも言っていました」

 江美子や父親加藤太郎にとって、知らない土地にある、漫画喫茶という仕事内容もよくわからないところで10年以上アルバイトを続けることは心配でならなかった。実家に帰ってくるのは数カ月に一度。一刻も早く故郷に帰ってきて、生活を立て直してほしい。そう願い続けてきたが、麻子はその話題を持ち出すと嫌がった。両親もできるだけ麻子の意思尊重したいと思い、力ずくで連れ戻すこともしなかった。口を酸すっぱくして言えば言うほど、麻子の気持ちが離れていく気がしたからだ。きっと、そのうちに何事もなかったかのように、けろっとした顔で親元に帰ってくるのではないか。そんな淡い期待を抱いていた。

 江美子は当時の麻子とのやりとりの断片をメモに残しており、それを見ながら記憶をたぐりよせる。

「『I』では従業員募集する貼り紙でも貼ってあったの? と聞いたんですが、麻子は、そこは学生アルバイトは使わないからというようなことを曖昧に答えるだけで、はっきりと『I』で働きだした理由を言わなかったんです。あとでわかったことですが、そこで以前に働いていたことがあるらしいんです。娘にはそういう不安定生活ピリオドを打って、(故郷に) 帰ってきて、(実家の)隣の家に住めばいいと、ずっと言い続けてきました。でも、そのたびに、ちゃんとしたところで働くからと言って、私たちの願いを聞かないんです。『B』で働いているときも、私が社会保険に入れてもらうように(オーナーに)言ったら? お母さんが直接言うからと言っても、(「B」のオーナーに) 会わせないように、会わせないようにするんです。そういうところも、おかしいと思っていたんです」

「I」のオーナーによれば、近所の同業者である「B」で働いていた麻子の顔は知っていたが、面接をして採用をしたという。時期ははっきりしないが、麻子が「I」で食べきれないほどの料理を一度にオーダーするなど、傍目から意味不明行為をしていたともいう。

「B」を辞めたあと、母は何度も実家に帰るように諭したが聞き入れられなかった。事件後、遺族が警察から教えられたところによると、麻子は大手スーパーで働いた形跡はなく、自宅アパート付近牛丼店で働いていたようだ。しかし、「B」を辞めたあと消息を断つまで、同じ漫画喫茶の「I」で短期間働いていたことは事実だった。

 その電話があった1週間ほどあと、今度は江美子から麻子へ「おカネ、だいじょうぶ?」と電話をかけた。大手スーパー正社員にしてもらえるという言い分に疑問を抱いていたこともあった。

「そうしたら、また、『I』と大手スーパーをかけもちでやっているか心配せんでいいと言うんです。何かあったら(親に)言わなあかんよ、と何度も念を押しました」

 麻子と電話が通じなくなったのはそれからだ。4月に入ってからは、江美子がかけても携帯電話の呼び出し音だけが鳴る日々が続いた。普段から麻子が電話に出ないことはめずらしいことではなかったが、ようやく電話に出たのは4月10日のことだった。やっと通じた電話口で娘をひたすら案じる母親に麻子は、「だいじょうぶだから」としか言わなかった。

2018-05-30

ピーターラビットとアナフィラキシーショック

ふつうに抗議受けたよ公開直後、海外ニュースにもなったし監督だか誰だかが確かコメントもしてたはずだよ

ただ、「マクレガーさんはウサギを死なせてもいいと思っている」対「ピーターマクレガーさんを死なせてもいいと思っている」の映画だということが分かってからはある程度擁護も沸いた模様


「僕ラズベリーは駄目なんだ」

→ 「あっあいラズベリー駄目なんだ食わせてやろうぜ!…えっアレルギー?いやあいつはそういう大変なのじゃないだろ口に向けてラズベリー発射ー」

→ 一粒で倒れ、昏倒寸前に自分エピペン注射意識なくす

→ 「あっ動かなくなった、クルマで運ばれて帰ってこないんだ安らかに眠れ」(左前足で木の実ぶちゅー)

ウサギたちがいなくなった数時間後に意識が戻る


という「苦手な食べ物程度だという甘い認識悪戯した結果エピペンがなければたぶん死んでた」というとこまで描いてるので、それなりに周知教育効果もあるとみなされたりもした

(なお、この映画登場人物大英帝国ジョーク判定中であれば後頭部から地面に倒れようがダイナマイトが至近距離で爆発しようが石壁の角に背中から激突しようが怪我しません

あれ見て子供相手いじめに使えると考える子供が出たとしたらそれはむしろの子の受けた教育責任かと

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