はてなキーワード: 無意味とは
「夫婦別姓があるとお互い自由に選べて、どちらも納得できるのじゃなくて?」
「およよ、それはそうでおじゃるが、時間がな! どちらにせよ選択に伴う手続きが、およよ…想像しただけで日取りが狂ってしまうでおじゃる!」
「ふむふむ、君たちどちらかがネコの姓にすれば問題は解決だにゃ。ほら、ネコには姓も時間もいらないにゃ。呼べば来るけど来ないにゃ。」
「ちょん切りなさい!時間の問題などはあたしが解決してあげる!やはり同姓でよろしい、選ぶなど無駄の極み!」
「わがはいは茶会だけに時間を合わせておればよいが、姓にまで合わせるなど何と不便な…まて、わがはいなら『茶会帽』という姓にするぞ!」
「でもね、選べたら皆が自分のアイデンティティを保てて、無理に名前を変えなくても…そう思わない?」
「アイデンティティとはいったい何だにゃ?わたしなんぞはいつだってどこだって消える、あるときには足があってまた別のときには尾がない。姓があろうがなかろうが、ネコはネコでにゃ。」
「だからそんなたわごとを言うからすぐに混乱するのだよ!姓を選べるのならまず『お辞儀をしなさい』姓をつけて、権威を見せつけるのが先決!」
「おお!ならば『永久茶会』姓がよろしい!こうしてわがはいも世の中の姓をまたぐぞ!」
「待つでおじゃる…姓が永久というのは終わりがなくなるでおじゃる!時間の破綻で女王さまの怒りを買ってしまう…!」
「でも、どちらかの姓を取るのがいやなら、二つの姓をそのまま使えば?子供はどうするか、ですって?そうね、どっちかを一つ選べばいいじゃない。」
「二つだろうが三つだろうが関係ないにゃ!名前が二つあっても迷わないさ、どうせ誰も君を忘れないにゃ。むしろ誰も覚えていないのが一番楽しい。」
「首をはねなさい!選ばせるなど無意味である!皆が同じ名前を持てば済むことだよ!『あたしの命令を守れ』が姓でよいのだ!」
「では、わがはいは『あたしの命令を守れ』茶会と名乗ろうぞ!実に優雅でございますな、これでどんな帽子も迷わぬであろう!」
「およよ、終わりがない、時間がない、姓もない!もうどうすれば良いか、頭がぐるぐるでおじゃる!」
「…あたくし、こんな話になるくらいなら姓なんて名乗らない方がずっとましですわ。」
この問いには、宗教とオカルトの区別が難しいとする疑問と、信仰の合理性や必要性への問いかけが含まれています。これを考えるには、宗教とオカルトの定義や役割の違いを整理しつつ、不合理であるものの意味を深掘りする必要があります。
宗教とオカルトは、どちらも非科学的な領域に含まれる場合が多いですが、いくつかの重要な相違点があります。宗教は一般に、特定の歴史や教義、道徳的価値観、信者間の共同体意識を伴い、社会的に長く受け入れられてきたものです。一方、オカルトは神秘的・超常的な現象への信仰や、個人の体験や啓示に基づく要素が強く、体系的な教義や道徳的基盤がない場合が多いです 。
宗教が「不合理」だという指摘は、科学的根拠の不足や、死後の世界など検証不可能な要素に根ざしています。しかし、人間の行動や価値観には、必ずしも合理性だけが求められるわけではありません。多くの宗教は、死後の救済や幸福感、人生の目的を提供し、精神的な安らぎや共同体の絆を築くための役割を果たしてきました。こうした側面は、必ずしも科学的根拠があるからこそ価値があるのではなく、非合理的であっても人々に意義をもたらすという側面が重要です 。
不合理の必要性について
宗教が象徴的に示すような「不合理」なものの存在は、人間の心の多様なニーズに対応するものです。例えば、日本の伝統行事や信仰も、社会的な絆や儀式性を高め、文化的アイデンティティを支える役割があります。合理性に重きを置く社会でも、不合理なものが心の拠り所や心の整理の手段として機能する場合があります 。
この問いにある「人間が死ぬと無になる」という断定も、科学的に完全には証明されていません。無論、魂の存在も立証されていないため、いずれの側にも「完全な合理性」がないと言えます。また「不合理なものは不要」という前提には、感情や文化的背景を軽視する面があるかもしれません。合理性を超えた価値が、特定の社会や文化において役立つ場合も多いことを認識する必要があります。
まとめ
宗教やオカルトの価値は、必ずしも合理的な根拠の有無だけでは測れません。不合理な信仰も、精神的な拠り所や社会的な絆の構築に寄与するものであり、人間にとって「不合理」が全く無意味だとは言い切れません。
飛び込むとかそういう話じゃないよ
橋に立って、街の人にずっと手を振り続けているんだ
あ、あいつまたおる、こんなアホなことせんともっと人の役に立つことすればいいのに、だから落ちるんだよ
ずっとそんな風に思っていた
それが前回の選挙
自分はどちらかと言えば保守派で、家業も仕事も保守系から資金が回ってくるので、立民の彼より自民の候補者がいいかな、と思っていた
でも、いざ投票所に行くと、立民の彼は顔が浮かぶのに、自民の候補者は顔が浮かばない
そして落ちたら彼をまた橋に立たせることになるんだな、それはなんか可哀そうだな、って思って、名前を書く手が止まってしまった
そして開票速報で、橋の上の彼が出口調査でやや優勢も、ほぼ互角という報告がされる
お、彼優勢なんか、よかったやんと思ってしまう
俺が投票したのは彼ではないのに、だ
開票が進むと、どうやら彼は旗色が悪くなってきた
めちゃくちゃ僅差だった
あー
あ、でもそういえば比例はどうなんだろと思って調べてみると、比例候補に名前が載っていた
システムよくわかんないけど、惜敗率が高い人から選ばれるシステムらしい
おお!
よかったじゃないか
いや、橋に立って手を振るなんて、無駄で無意味で非生産的だと思うよ
でも、今回彼のことを自分がここまで気にしていたのは正直自分でも驚いた
単純接触効果というか、顔見知りの近所の人感というか、そういう気持ちがこんなに影響するんだなと
残念ながらそこまでの気持ちのあった自分ですら彼に投票しなかったわけだから、投票行動を変えるところまではいかなかったかもしれないけど、それでもああいう活動って無駄じゃないんだなと思いました。
弱者男性だが、言ってる意味はよく分かるし経験則として周りは敵だらけで敵はどこにでも潜んでると思っている
俺の人生はお前が酷いと自認してるそれと大差ないかそれ以下だろう
もちろんこれは俺の方が酷いとか可哀想とかの優劣じゃないし、客観的にも俺は弱者男性だし主観が全てであれば尚更俺もお前も弱者男性なんだよ
ここではセルフネグレクトの兆候として、全部、「~するのが面倒」で片付けられているけれど。
セルフネグレクトってそんな単純なものじゃなくない?って思う。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/72dbb25c9f68a79cc14122b7292cda95fc2542dd
私はセルフネグレクトって、「面倒」じゃなくて、「無意味」から発生するものだと思うんだよね
掃除をしても無意味、料理をしても無意味。だからモチベーションが起きない。
少子化が問題だから若いうちに子供を産めと言われ、生産性を求められるその一方で
いざ生まれてきた人間は当人にはどうにもならない生まれつきの要素で厳しく選別される。
ダブルバインドなんだよ。
今の世の中女は、小顔じゃなきゃ駄目だし、ブルベ色白じゃなきゃ駄目だし、骨格ストレートでは駄目で、この辺は美容整形でもどうにもならない。
その上、発達と診断される基準も下がり、子供の約10分の1が発達障害認定される。
小顔にしたって10年前はただ漠然と小さければいいという基準だったのが、今では17cmという数字まで出して決められている。
基準はどんどん厳しくなっているから、10年後20年後はさらに厳しくなっているに決まっている。
こんな状況では、小顔でブルベ色白で発達障害がなく、30代前半までに同スペックの男性と結婚できた完璧な女以外は産めない。なのに産まない女は同情されるどころか、当人の選択だと決め付けられて責められる。
つまり子供を産めなかった女や産めないであろう女は社会全体で「お前は要らない」と言われているも同然なんだよ。そんな状態で自分だけ丁寧な暮らしをするモチベーションが起きるか?
もうほんと生きていくモチベーションがなくなるんだよ。
部屋が綺麗でもブスはブスだし、産めない女には価値がないって言われているのに。
ダイエットをしてもお洒落をしても、イエベや骨格ストレートだと見下され、何の意味もないから自分自身に労力を使う気力もない。
セルフネグレクトがセルフケアだって意見を見たけれど、正直それはよーーく分かる。例えば汚部屋はある種の「救い」なんだよね。
普段、仕事や世間から厳しく抑圧されて完璧を求められているから、自分の部屋を思う存分散らかして好き放題にする事がある種の癒しになっている。
自分の部屋を「巣」にしないために、という記事も見掛けたけれど、そうじゃなくてまさに「巣」である事が心地良い訳で……。
女性の部屋が汚部屋になるのって、多くはこういう過程を経ての事なんじゃないだろうか。
結局、世間で行われているセルフネグレクト対策はどれもこれも表層的なもので、本質的な問題には切り込んでいないと思う
少子化を問題視する一方でルッキズムや発達障害認定で人間を厳しく選別し、生産性のない人間を攻撃する。
社会が個人を大事にしてくれないんだから、そりゃ自分を大事にしても無意味って気分になるよ。
ただ生きていていいなんて、思わせてくれる世の中じゃないから。
選挙の結果について考えることは無意味かもしれませんが、忘れられない。
疲れているときは、本当に集中すべき事柄に対処するのが難しくなります。
もしかしたら、そのようなことを考えてしまうのは疲れのせいかもしれません。
週末にしっかり休んだとしても、疲れが取れないこともあります。
この意見は、深い無力感や疎外感、また社会や政治に対する不信感を強く表現しています。以下のように、感情に配慮しつつも、意見の中に潜む問題点や矛盾点について考えてみます。
1. 共感と受容
まず、この意見を表明する背景には、投票や社会参加を通じて得られる成果や意味に対する深い失望があることが感じ取れます。多くの人が投票を重要視する中で、それを「無意味」と感じる彼の気持ちには孤立感や疎外感が含まれているため、理解しがたいと感じてもまずは共感し、理解しようとする姿勢が大切です。
2. 選挙制度に対する不満と疑問
この意見には、選挙が「完璧な制度だと信じられている」と感じていることへの違和感が表れています。確かに選挙制度は不完全で、現行の民主主義においてもさまざまな課題があります。若い世代の意見が反映されにくいことや、一票の格差、投票率の低さが問題視されていることは彼の意見を裏付ける部分でもあります。この点については、現状を認めつつも、選挙制度の改良が続いていることや、多様な意見が必要であることを伝えることで、共感と理解が生まれるかもしれません。
一方で、社会や政治に対して「どうでもいい」という姿勢は、彼が無力感を抱いている理由とも矛盾します。「どうでもいい」という考えが続けば続くほど、社会が変わる可能性はさらに低くなり、結局は自らの意見が反映されない現状に逆戻りします。この点で、「無関心」ではなく「異なる形での関わり」や「発言の場を変える」ことが一つの解決策となる可能性を示唆することも有効です。
投票に行くことが「自己満足」や「人に褒められるため」と捉えている彼に対しては、投票行為の根本的な意義を再考してもらうよう促すのも有益かもしれません。投票は、完璧な制度ではなくても、少しずつ社会に影響を与える手段の一つです。また、多数の人々が参加することで、他者に流されない個々の意見を社会に届けることが可能になります。これが必ずしも全ての不満を解決するわけではないものの、投票を通じて意見を発信する価値を伝えることも有効です。
まとめ
この意見に対しては、彼の感情を理解しつつも、現状の不満が他の参加者にとっても共有されていることを伝え、対話の中で自分の意見を発信する方法を見出せるよう促す姿勢が大切です。
多分釣りだろうし、消されちゃってるし、今更書くのもあれなんですけど。
どれだけ頑張っても出来ないこととか、かなわない人とか、普通にゴロゴロいるわけです。
それってのは耐えられるものなのかといえば、大体の人は耐えられません。
社会にいる大抵の人は与えられた領分の中で現実に折り合いをつけて生きるようになっていくわけです。
まぁそれってツマラナイことですよね。
いくら自由でも人類に意味を残すような発見なんて早々できないものです。
それにノーベル賞を取ったって別に彼らが永遠の命や無尽蔵の富を得られるわけじゃないんですから。
じゃあ、そのツマラナサに大体の人は目をつぶって生きてるんじゃないでしょうか?
家族とか趣味とか、そういうところに目を向けて、無意味さに目を背けて生きる・・・
わかりやすい意味は無いかもしれないけれど、それも悪くないなぁって最近は思ってます。
結局一人で生きては行けないぐらい世界は広いけれども、逆に言えば私なんていなくても世界は回るわけです。
だから世界中の人たちが趣味や人間付き合いにかまけてたって悪くないでしょ?