はてなキーワード: 語学とは
田舎に戻ってこいって親が言うので
立命館大学の文系(国際法)を卒業したあと、田舎(和歌山)に戻ってきた
その後、田舎で仕事がなかったので、地元の中小企業に入社して事務職をやってる
(大学時代は語学をやってたので中国語と英語はペラペラだった(過去形)が田舎で需要がないしあってもパートとかだったのでそういった仕事につけなかった)
そんなこんなでこうなった
2ヶ月に一回、天王寺のあべちかに飲みに行くのが楽しみって感じだわ
地方の中小企業で働いてるので特に優れたスキルがあるわけでもないし、年齢も高いから転職もできない
終わりだよ俺の人生。
じゃあお前は語学に詳しくないって事じゃん
「日本での発売が待ち切れない」「出版社の対応が遅い」とか言って、ついに海外から中国語の原作を輸入してしまった。
中国語が堪能というわけじゃないのでどうしているかというと、iPhoneに入っている翻訳アプリを使って、1ページずつ撮影→翻訳された日本語を読む、という作業を繰り返している。
「そんなんで内容理解できるの?」と尋ねると「小学生が漢字の分からない本を読むような感覚。想像力の世界だよ」と。
海外から買うとか、語学を学ぶとか、アプリを使いこなすとか、これまでしてこなかったのに……なんという執念。その翻訳して読む方法もはてなブログで知ったみたい。
今日もずっとパシャって撮って、集中して読んで、満足そうにしている。ときどきページを押さえてと指示される。これが推しの力みたいなものなんだろうか。ちょっと羨ましいんだよね。
【追記】
アプリ教えてくれた人ありがとう。今は有道翻译ってのを使っているそうです。
【追記2】
この間、SNS上である議論に参加というか巻き込まれて、私含めた数人の参加者のレベル的にそれで結局答えなんか当然でなさそうな雰囲気だったので
「結局これはどっちもどっちってことなんじゃないの。こんなことしてるより別のことをしたほうがいいよ」みたいな返事をしたら
「それは悪しき相対主義だ」「相対主義の皮を被った保身でしかない」みたいなことをある人からいわれた。(「別のことをしたらいい」というのが相対主義?なのかはよくわからん)
でもそいつも全然、自分の意志があるのか怪しい話しか出来てない感じだったが。
しかし、この10年ぐらいの間に、「相対主義はとにかく悪い」という人たちの意見が目に付くようになった。
今日の晩御飯の内容から、ガンダムみたいなアニメの評論、日本とアジアの歴史問題認識の差まで。軽い話題から深刻な内容まで、一つの物差しでそれぞれの問題を計るわけにはいかないにせよ。
でも「相対主義は責任の放棄であり社会問題の根源~」みたいなことをいう人はリベラル側に結構いる。
資本主義でも社会主義でも、いじめっ子でもいじめられっ子でも、ドリフでもひょうきん族でも、連邦軍でもジオン軍でもなく、相対主義。
ほとんどの日本人は6・3・3制の学校で、まあ、社会の処世術とでもいうものを学ぶはず。日本人の「思想」「思考」が問題にされるとき、大体学校教育まで遡って批判されることが多い。
でも、私は小学校から高校まで「相対主義」なんて学んだことはない。相対性理論はあるけど。大学でも、ゼミでいろいろやったが、具体的に相対主義とは言わないにせよ「中立的」な見方・記述をするようにはいわれた。
我々もそうだったが、年に何十万人の若者が、中卒・高卒・大卒のいずれであれ社会に旅立ち、この社会を構成する。そしてほとんどの人々は、リベラル派の危機意識からすれば(どう形容していいか分からないが)、「相対主義」者ということだ。
学校で、国が定めた教育課程により(理系は一先ずおいといて)国語・社会・公民・図工美術・音楽・語学・道徳などの授業を6年間や3年間学び、家庭生活も過した人々が、学校を出る時には「相対主義」者として再生産される。
そしてそれは悪いことなのか、私にはわからない。この国は民主主義であり、自由主義であり、自分の思想を選ぶ権利があり、その上で、多くの人々は確固たろうが適当であろうが、相対主義を選択し、それで別に社会を維持できている。
少なくともこの社会のかなりの部分が、毎年再生産される「相対主義」で維持されているのは事実だ。相対主義者による虐殺であるとか強制収容であるとかも見聞きしたことがない。何がよほどの悪なのだろうか。
逆に、「相対主義」であることを徹底的に拒否する教育や生活とは何なのだろうか。
私は相対主義への批判を見るたびに、言っている人々の普段の言動と比較しても、なんだか検閲や全体主義に近しい論調だなと感じ続けている。
社会の授業で世界の国々や選挙制度について学ぶときに、ある国は素晴らしく、ある国は劣っていると教育するのだろうか。ではその上で日本の立ち位置をどう教えるのだろうか。
ベートーベンの曲を聴いたりピカソの絵を鑑賞した時に、楽譜や色調に現れる技巧は別として、徹底的に「ベートーベン」「ピカソ」の何たるかを国が定義し・教師もそれに盲目的に従い・生徒に刻み付けるのだろうか。
(よく相対主義の引き合いに出される)機動戦士ガンダムを視聴するときに、連邦軍やジオン軍のいずれかが徹底的な善であり対極は悪であると必ず親御さんが傍で「アドバイス」し続けるのだろうか。あるいは制作時まで遡って指図されるのか。(ゆうきまさみがそんな漫画描いてたな)
相対主義は決断や責任の拒否かもしれないが、では非・相対主義は決断や責任の日常的な強制にはならないのだろうか。それは反世俗主義的なカルトや閉鎖的な集団の思考(例えばエホバの証人、旧統一教会、搾取を目的とした自己啓発セミナー、戦前の日本政治など)とどう違うのか。
これらの集団が若者・二世三世信者に対してどう当っているのかも含めて。
もっと言ってしまうと、リベラル的なさまざまな批判や許容の精神は、人々に曖昧に巣食う相対主義という岩盤の上で存続できているのではないか。
長々と書いてしまったが、私としては、相対主義であると言われることは受け入れた上で、それが悪いとか変わるべきだとする思考には至らなかった。
ただ考える中で、他の問題も含めて、「教育・学制」というものはかなり意識する必要はあると思った。
毎年、「相対主義」であり、「自民党を『安易に』支持」し、「映画や音楽を『表面的』に」しか鑑賞できず、あるいは「胡散臭いやり取りを『プロレス』、くだらない文章を『ポエム』と呼ぶ」大衆が再生産されている。
そして大学の教授や活動家がいくら「再教育」しようとしても改まることはない。果してこの毎年の大衆の再生産の渦とでもいうものは「悪」「間違い」なのだろうか。
在野研究者として生きるということーお金についての真面目な話 | 磯野真穂ブログ
「在野研究者として生きるということ」を読んだので自分の経歴を振り返って感じたところを書いてみる。40代のおっさんの自分語り。
地方私立大学の理系に入学したが、単位が壊滅的に取れなかった。また理系に進学したのは就職率が良いから、というだけの理由だった。そのため元から興味のあった分野を学びたいと、卒業を待たずに地方公立大学の文系学部に転学し、言語学を学んだ。
良い師に恵まれ良い学びを得たが、地方公立大学の就職は壊滅的に悪かった。同じ学部の卒業生の就職先は地方のよく知らない会社(その地方に住んでいた親戚でも知らないようだった)か、当時有名だったブラック企業しかなかった。
これはまずいぞ、と思って大学院進学を決めた。だけど学部の新卒カードを使わない手はないと思ったので就職活動もしてみた。全国区のマスコミの二次面接とか最終面接まで進んだぐらいで、大学院進学を蹴るほど行きたい企業からの内定はもらえなかった。同級生と話したら、彼ら彼女らは全国区の企業を受けるという発想が無かったり、都市部の学生よりも明らかに就職活動開始時期が遅かった。場数を踏んだ方が有利になる、と思っていた自分はひどく驚いたのを覚えている。
就職活動で知り合った友人に『貧乏父さん金持ち父さん』を勧められて読んだ。資本家のために働くのは嫌だな、と思った。友人もそう思ったのか、彼は起業して成功し、資本家になった。
閑話休題。大学院については学部の師の退職も近かったし、そのまま上に進んでも就職は有利にならないだろうと考え、別の大学に行くことにした。なんとなくどこかには行けるだろうという気がしていたので焦らなかった。でも、旧帝国大学の大学院に受かったときはうれしかった。そこに進んだ。
そこでも良い師に出会い、厳しく指導を受けた。人文科学を学ぶ者は哲学も学ぶべし、との方針の下、マルクス『資本論』なども読んだ。やっぱり資本家のために働くのは嫌だな、と思った。『貧乏父さん金持ち父さん』は『資本論』の焼き直しだとも思った。
別の教員からは「国立大学の学生は私立大学の学費と比べたらわかる通り、毎年数十万円の補助を国からもらっている。そのお金を出すだけの価値があなたの研究にあるかどうか、考えなさい」と言われた。修士ではその言葉を肝に銘じて研究をしたつもりではある。
ある日、大学院の師から「研究者に向いていないと思う」と言われた。あっさりと、そうなのかな、と思ってしまったので、そうなのだろうと思う。アウトプットが下手な自覚はあった。研究者としては致命的である。別の教授からは夕食を奢られて「博士に進学した方がいい」と言われた。でも、就職については「運だね」とも言われたので、決意は揺るがなかった。
大学院時代の就職活動の結果、インフラ関係の会社からと、その旧帝大の事務職から内定をもらった。インプットは嫌いではなかったので、給料がそこそこよくて地方勤務のある前者より、給料は月並みでも図書館等の設備があって都市部にアクセスしやすい後者を選んだ。学部時代の経験で、地方より都市部の方が学問しやすそうな気がしていた。
アカデミアから抜けて後悔はないかと言われたら、少しは後悔はある。明らかに自分より勉強もしていないし、年間数十万の価値がある研究をしていたと思えない先輩、後輩、同級生らが大学教員になっているのを見ると、もやもやはする。彼ら研究が少なくとも私学助成金分に値するのか疑問に思うことだってある。だけど独立系大学院の悲しさか、教員としての就職状況は良くない。MARCH以上のレベルの大学に教員として採用された例はほとんど知らず、知る範囲では数十年で2人しかいない。経営状況もあまりよくなさそうな大学で語学教育とやらを看板にして語学を教えるのは大変だと思う。それでも教育や研究ができて幸せならそれでいい。好きなことを仕事にできるのは幸運だからだ。私には、そこまでの熱意はなかった。
大学院に行ってよかったかといえばよかったと答えるし、就職してよかったかと言われたらよかったと答える。大学院に行ってよかったことは、学んだ分、世の中を見るときの精度が高くなったことだ。認識論、経験論、存在論などいろんな考え方があるし、新自由主義や社会民主主義など、さまざまな主義主張がある。世の中の人たちの考え方をとらえる力はついたと思う。アカデミアに残らず、安定を取って就職したが、私の能力だと生涯賃金は今の選択肢のほうが多かったと思う。
仕事をしながらアウトプットを続けて、専門とは少し違う分野ではあるが財や研究者として、本の一章も書かせてもらった。仕事では出世コースからは外れてしまったが結婚もして子どももいる。幸せだ。アカデミアに絞らなくても幸せは手に入れられる。
教育困難校とかもみてないぞ
これってトヨタやどこぞのメーカーの足元の地域の価値観なのかな?
そういうルートであれば整った学校の生徒の方がそりゃいいだろうけど、
すべての地域に必ずしもそういう枠があるとは限らないのよ
下記で終わりなんだが?
それ以外:学歴不問
トヨタやどこぞのメーカーの足元の地域だと工学部どころか、工業高校のバックグラウンドすらない人が研究開発とかしてるみたいやね
先着順採用
豊橋の近くには、多くの大企業(トヨタ、ヤマハetc)があり、来てくれるのは正直言うと売れ残りと言われる勉強の出来ない奴ばっかり。面接に金髪や改造バイクでくる奴も多く、とても選べたもんじゃない。
でもそんな奴でも親御さんの大切なお子さんだし、どこか必ず光るものがある。改造バイクが作れる奴なら設計で大活躍、ヤンキー女子でも興味さえ持てば今や英語はペラペラ等、役割やその場さえ与えられれば力を伸ばすことができる。だから採用は人を選ぶことなく、先着順で採用している。それでここ十数年の定着率は100%を達成している。
どんな人材も受け入れて、伸ばしていける環境(集団)
生涯現役で定年なし
定年はなし。現在でも60歳以上の方が、10名働いている。それも20、30代はまだまだくちばしが黄色いひよっこ、40歳で一人前、60歳で名人になる。なのになぜ名人を辞めさせないといけないのか?とむしろ定年制に疑問を持っている。
60歳はもちろん給料も高いが、それ以上に生産性が高く合理的に動いてその何倍もの働きをしてくれる。例えば機械のほんのわずかな異音や動作不良を見逃さずに、すぐに修理してしまう。これが後になっていたら、その機械自体がダウンして作業工程の大幅な遅れや不良品の確認などで多大な被害となる。
そして働いている社員も、60過ぎても子供や家族のために働いてお金を稼ぐことが必要、そしてなによりずっと働くことが生きがいの人がたくさんいる。
高校時代、数学なんかまるでダメだった女の子(今は2児の母)が、微分・積分の数学の問題も見事に解いたり、ほとんどの社員が英語や中国語などを話し、海外の取引先と打合せをする。
高校3年間、数学はすべて最低の成績で大嫌いだったという女性がいる。しかし、入社して、コンピュータで座標を計算したり、プログラムを打ち込んだりしているうちに、すっかり数学を理解してしまった。微分や積分も、本人はそれと思わずに理解している。あるとき、おもしろ半分に、高校3年生の数Ⅲの教科書から応用問題を選び、紙に書いて彼女に渡した。加速度と微分の問題だったが、彼女はあっという間に答えを書いてしまった。おもしろがって仕事をしていると、いつのまにか苦手な数学までできてしまう。
樹研工業では、ほとんどの社員が英語や中国語ができる。あるとき営業部に所属する一人の女性社員が神妙な顔つきで著者の部屋に入ってきて、「英語が話せないのは私だけだから、ニューヨークの大学で、半年間の英語研修コースに行ってきたい」という。すぐに行きなさいと答えた。
英語を勉強したがっているな、とわかると、6、7万円の語学教材をだまって机の上に置いておく。本人は喜んで家に持って帰り、半年後には話せるようになっている。やる気を大切にすることがいちばんである。
イラストレーターのみなさんはもちろんそんなものは使わず自分で確定申告するんだよね。反AIだもんね。大変だね。僕はAIがやってくれるならやってもらうよ。
「才能の民主化」って言い方は適切じゃないけどそういうことだよね。
「取得に時間のかかるスキルがないと出来ないことが万人にできるようになる」んだからこれは間違いなく素晴らしいことなんだよね。
これに対して「努力したことのないやつがズルしようとしてるだけ」みたいな論調が多くてビックリする。
そりゃまあイラストレーターが拒否反応を示すことはわからんでもないけど、じゃあ機械翻訳はどうなのさ
「あんなズルをせずに必死に語学の勉強をしろ!だれでも勉強すれば外国語はできるようになる」とか言うわけ?そもそもその時間はなくせるならない方がいいよねって話なんだけど
完璧に守っている会社ってけっこうあるぞ。本にもなってるがな。当然ながらボスが極めて優秀
例えば、まさかの学歴国籍不問無試験の先着順の会社とか。それで工学部どころか、工業高校のバックグラウンドすらない人が研究開発とかしとるで
先着順採用
豊橋の近くには、多くの大企業(トヨタ、ヤマハetc)があり、来てくれるのは正直言うと売れ残りと言われる勉強の出来ない奴ばっかり。面接に金髪や改造バイクでくる奴も多く、とても選べたもんじゃない。
でもそんな奴でも親御さんの大切なお子さんだし、どこか必ず光るものがある。改造バイクが作れる奴なら設計で大活躍、ヤンキー女子でも興味さえ持てば今や英語はペラペラ等、役割やその場さえ与えられれば力を伸ばすことができる。だから採用は人を選ぶことなく、先着順で採用している。それでここ十数年の定着率は100%を達成している。
どんな人材も受け入れて、伸ばしていける環境(集団)
生涯現役で定年なし
定年はなし。現在でも60歳以上の方が、10名働いている。それも20、30代はまだまだくちばしが黄色いひよっこ、40歳で一人前、60歳で名人になる。なのになぜ名人を辞めさせないといけないのか?とむしろ定年制に疑問を持っている。
60歳はもちろん給料も高いが、それ以上に生産性が高く合理的に動いてその何倍もの働きをしてくれる。例えば機械のほんのわずかな異音や動作不良を見逃さずに、すぐに修理してしまう。これが後になっていたら、その機械自体がダウンして作業工程の大幅な遅れや不良品の確認などで多大な被害となる。
そして働いている社員も、60過ぎても子供や家族のために働いてお金を稼ぐことが必要、そしてなによりずっと働くことが生きがいの人がたくさんいる。
高校時代、数学なんかまるでダメだった女の子(今は2児の母)が、微分・積分の数学の問題も見事に解いたり、ほとんどの社員が英語や中国語などを話し、海外の取引先と打合せをする。
高校3年間、数学はすべて最低の成績で大嫌いだったという女性がいる。しかし、入社して、コンピュータで座標を計算したり、プログラムを打ち込んだりしているうちに、すっかり数学を理解してしまった。微分や積分も、本人はそれと思わずに理解している。あるとき、おもしろ半分に、高校3年生の数Ⅲの教科書から応用問題を選び、紙に書いて彼女に渡した。加速度と微分の問題だったが、彼女はあっという間に答えを書いてしまった。おもしろがって仕事をしていると、いつのまにか苦手な数学までできてしまう。
樹研工業では、ほとんどの社員が英語や中国語ができる。あるとき営業部に所属する一人の女性社員が神妙な顔つきで著者の部屋に入ってきて、「英語が話せないのは私だけだから、ニューヨークの大学で、半年間の英語研修コースに行ってきたい」という。すぐに行きなさいと答えた。
英語を勉強したがっているな、とわかると、6、7万円の語学教材をだまって机の上に置いておく。本人は喜んで家に持って帰り、半年後には話せるようになっている。やる気を大切にすることがいちばんである。
・父
・母
・第一子 (以下,私)
・第二子 (以下,二号)
2002年生まれの大学3年生.幼稚園から大学の学科まで私と同じ.
・第三子 (以下,三号)
大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.
・理系の,
・国公立大学に,
・予備校などには頼らず,
・現役で合格すること.
これら全てを満たせば学部を卒業するまでの生活費も学費も払ってくれるという.
私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.
同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.
が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校を中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれた環境にいるということを私は知っていた.
そして私は父の出した条件に従うことにした.
・A大学
通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・B大学
通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・C大学
通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験は得意科目の配点が大きい.
A大学にどうしても通いたかった私は,合格の可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.
私はC大生になった.
入学一週間後には,自分が大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.
シラバスを読む限り1年生の講義は高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.
1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.
やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.
私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センターの数学で65%しかとれないくらい勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.
やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義を毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.
堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.
その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京で一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人も視野に入れているという.
一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.
私は理解できなかった.親の方針って,絶対的なものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.
親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.
与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ.
はっきり言ってこれは逆効果だった.
医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.
結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.
だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善し大学へ通えるようになった.
真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.
通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語の先生に相談したら週1でレッスンをしてくれた.
特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.
進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.
その部屋には布団とトイレと監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集も勉強もできなくなった.
数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.
入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.
入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.
昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.
夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.
二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.
三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.
春からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.
自分の知ってるものだと、アル・パチーノの「カリートの道」が結構これで。
イタリア語とスペイン語はイントネーションが意外と違うので、アル・パチーノのスペイン語が本当にスペイン語に聞こえない(自分はスペイン語のリスニングは結構出来る)。
でも、これも「ラテン系だから」と一緒くたにされたんだろうな。
イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語。文法や単語は「ロマンス諸語」としてだいぶ共通してるんだけど、それが発音される段階になると不思議なくらいに、強弱をつけるタイミングが違ったり、パッと聞いてわかる差がある。