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はてなキーワード: 植民地とは

2017-09-18

とかく自称保守というのは中途半端なんだ

二言目には日本の伝統がどうとか言うが、たいていは単なる明治原理主義で、それ以前には遡らない

そこが面白くないのだ

もっとスーパー保守が出てきたっていいと思う

日本国憲法は押しつけだが、明治時代にしても、近代国家体制を整えなければ植民地にされていただろう

まり明治憲法からして外国の押しつけみたいなもの

あんなのは廃止して、もういっそ幕藩体制に戻ろう、征夷大将軍は俺だから

このくらい言うのが出てきたっていいじゃないか

2017-09-17

anond:20170915175735

別にアメリカは「日本本土上陸作戦を断念」なんかしてなかったよ。

逆に日本のほうが、米軍潜水艦機雷航空機の襲撃で南方どころか朝鮮半島北海道への航路すら絶たれそうになり、飢餓が発生することが確実視されたので抵抗を断念したんだよね。

昔、某アニラジで知り合った仲に「日米開戦回避すべきだった」ってよく言ってた奴がいた。

別に人命がー平和がーとかじゃない。

「開戦しなければ、植民地その他の権益の大部分は保持できたはずなんだ」って話で、そいつの母方の実家東京郊外三菱戦車か何かの部品を納めていて、結構羽振りが良かったらしい。

リスナー集会満鉄株券を見せてくれたときには何こいつすげぇって思ったもんだが、今にしてみればコンプレックスの表明でしかなかったんだろう。

粒度がどうとか言うから、余計な事を思い出したよ。

anond:20170916194515

マジレスするけど、

不平等条約改正、そして日本植民地化をすることを防ぐためには日本近代国家形成する必要があった。

なんだよなあ

2017-09-02

大正9年→大正12年で朝鮮人超増えてる

https://anond.hatelabo.jp/20170901172529

もしこの古賀議員の指摘や前提自体瑕疵があれば、

私よりずっとこのような事件に詳しい2氏ならば「6000人にはこんなにしっかりとした根拠がありますー! バーカバーカ!」と

嬉々としてソースを突きつけ本筋の反論をするはず。

が、それをせずに迂回した。

これはたしかにダセエ。ダセエのでブコメで端的に指摘しておいた(b:id:ss-vt)。で、ここでも書いてみる。

すでにBuzzfeedでも報じられているように、古賀議員都議会において、大正9年国勢調査をひいて関東地方朝鮮人人口の少なさを指摘している。

が、この当時朝鮮人内地への渡航は急増していたのである大正9年国勢調査では、内地朝鮮人の総人口は40,755人。いっぽう同年12月現在内務省警保局による調査統計では30,189人となっているが(多くの要因で数字に大きな差がある)、内務省統計を年次ごとに追うと大正10年38,651人、11年59,722人、震災の起きた大正12年末には80,415人に至っている。これには朝鮮植民地化に伴う小作農の貧窮化や、第一次世界大戦後の好況に伴う内地工業化都市化の進展、また大正11年末の渡航自由化大正8年以降、三・一独立運動の影響で朝鮮人内地渡航制限されていたが、企業日本人よりも安価労働力として朝鮮人を求めた)など、複数の要因が影響している。

さて古賀議員の挙げた大正9年国勢調査に立ち戻ろう。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  2,485人、

埼玉県  78人、

千葉県  40人、

神奈川県 782人、

合計3,385人。

震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家メディア民衆 / 山田昭次 / 日本史 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/society/14990

から大正12年の数字引用して、古賀議員発言形式に合わせると、以下のようになる。

国籍民籍別人口のうちの朝鮮人人口について、

東京府  8,567人、

埼玉県  311人、

千葉県  317人、

神奈川県 3,645人、

合計12,840人。

工業化都市化の進展」に伴って多くの朝鮮人労働力としてやってきたため、東京神奈川といった都市部工業地帯に集中しているわけだが(横浜での虐殺目撃証言の多さにも反映している)、少なくともこの時点で、

6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい

とは言えなくなる。

また自分が直接参照した一次資料として、国立国会図書館デジタルコレクションに所蔵されている『在京朝鮮人労働者の現状』(東京府学務部社会課、1929年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445292 には、大正12年の「在京朝鮮人労働者」は5,347人と記されており(警視庁調べ)、アジア歴史資料センター所蔵の『在京朝鮮人状況』(朝鮮総督府警務局東京出張員、1924年5月http://www.jacar.archives.go.jp/das/image/B03041602800 によれば、「八月末震災直前の見込綜数は八千人を超へ」ていたという。

繰り返しになるが、とりあえずこのあたりで「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えないことをご理解いただけるだろうか?

ちなみに6,000という数字の具体的な出所は、震災直後に在京朝鮮人迫害事実調査会が独自調査を行い、上海大韓民国臨時政府機関誌独立新聞』に12月5日付けで発表された数字6,661人。この調査10月末までの中間報告では2,613人という数字が出ていて(当時東京で催された経過報告会でも発表された)、その後さら神奈川県遺体発見できなかったおよそ1,800人などが追加されている。シノドス山田名誉教授は「追加合計数根拠今日解明することはできない」としていて、その点ではたしかに6,000人という数字根拠は薄いのだが、同時に帝国政府がマトモな調査を行わなかったことにより、これをデタラメであると断ずる根拠もまた乏しい(はからずも、秦郁彦が『当時ロクに調査せず公文書終戦時に焼きまくった以上、30万人に代わる数字日本から出すのは無理』と嘆いた南京事件と似ている)。少なくとも犠牲者数のもっとも大きな数として採用せざるを得ないわけである

内閣府ホームページで公開されている、災害教訓の継承に関する専門調査会による報告書 http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

という書き方になっているのは、そうした事情によるだろう。

追記

b:id:y-wood 8500人のうち6000人殺せるのか、すげー。『「6000人という数字は当時の関東朝鮮人人口より大きい」とは言えない』

揶揄のたぐいだとは思うけど念のため。

「6000人」というのは虐殺犠牲者の総数である東京府朝鮮人人口比較するのは不当。ついでに、古賀議員が何故か東京神奈川千葉埼玉限定しているのもいささか不当で(たとえば群馬でも、自警団警察署を襲撃して朝鮮人17人を殺害した藤岡事件などが起きている)、山田名誉教授シノドス記事によれば茨城群馬栃木を加えた関東地方1府6県の大正12朝鮮人人口は14,144人となっている。

また、山田名誉教授の著書内容の、内閣府報告書コラム殺害事件検証http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf から孫引きになるが、例の「6,661人」のベースとなった在京朝鮮人側の調査では、東京府犠牲者数はおよそ1,000〜1,400人。最終的に『独立新聞』に掲載された数は1,781人となっている。

y-wood氏の言葉を借りるなら

「8500人のうち1800人殺せるのか、すげー」

となるが、現実味は如何?

b:id:fu-wa 戦争知らないんだろうなあ。戦車でダーってやっても6000人殺すのってものすごく大変なんだよ。

ルワンダではそれこそカマとか棍棒とかのたぐいで、およそ100日で50万〜100万人が殺害されている。こうした事態と「戦争」を比較するのは不当。まして、繰り返しになるが「6000人」は関東地方1府6県の総数である。「戦争」を持ち出すなら、せめて戦域や作戦継続期間が同程度に及んだ戦闘でなければならない(それでも戦闘員vs戦闘員では不当だが)。

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822164739

経済学的な統計研究でも、その人の生涯獲得賃金に影響を与える最も大きな要素は「どこの国に生まれたか」なんだよ。ついで「どの親に産まれたか」。日本はたしかに長年経済が低迷してるし、日本社会のなかだけでその無力感に浸かっていると苛立っちゃうのも分からないではないけれど、日本の平均的な賃金や、なんだったら最低クラス賃金でさえ、地球規模でみれば上位の収入なのね。水、安全食事と言った生活の快適さにおいても、地球上でみれば上位10%に入っていると言わざるをえない。

俺は日本人に生まれたけれど、自分のことをちっともすごいとは思ってない。人類の上位10%にはい能力を持っているとも思えない。バングラディッシュの大学教授は俺より遥かに頭もいいし世界に貢献してると思う。けど、俺のほうが年収上だし、治安にも医療にも娯楽にも恵まれてる。それはひとえに日本に生まれるというラッキーに恵まれたからに過ぎない。

日本はすごいかもしれない。豊かという意味で。でも、それって俺らの凄さには何の接続もしない。俺らがすごいか日本がすごいわけじゃない。先祖が偉大だったというのすら嘘。彼らが勇気を持って勤勉だったか日本は大繁栄したってのも、年寄り武勇伝に過ぎず、マクロ的に見れば、地政学的な(そして時代的な)幸運に恵まれただけだ。

そもそも日本を含む先進国がいまコレだけの裕福さを享受できているのは1900年代後半に、経済的植民地政策をやって、発展途上国貧困を輸出して国内技術やら知財やらっていう利益を溜め込んだからだ。言ってみれば搾取だね。

増田日本人の中に労働者と、その労働者搾取する富裕層がいるみたいな視点世界を語りたいように見えるけれど、歴史的に見れば日本人全部が搾取なのだ発展途上国から搾取して(労働者を含む)日本が豊かになるのは正義だけど、日本国内労働者から資本家搾取するのは悪です……なんてのはただのダブルスタンダードにすぎない。だからそういうダブスタに俺は賛成しない。

そういう意味で「日本に生まれラッキー」。搾取側に生まれて上位10%で、地球の上では勝ち組ですよ。そういう話。

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817114301

40年後のアメリカ経済力は予想できないけど40年後のだいたいの中国日本経済力は予想できる

現在でもアメリカ潜在的な敵国として中国を捉えてます

40年後のアメリカ経済力次第では日本中国併合されるのは十分ありえるんじゃないでしょうか

併合されなくてもパワーバランス次第では戦場になってもおかしくないと思ってます

併合自治区という形を取らなくてもアフリカに対する植民地化に近いことは起きる可能性は高い気がしま

戦争リスキーだし中国はそんな方法を取らずにも侵略するノウハウ現在は蓄積できてきてる

金で企業を買って、企業を買ったら政府を抱き込んで、政府を抱き込んだら移民を流し込む

いずれにしてもアメリカ次第という感じですが

2017-08-16

受け入れって中国植民地だろ

とりあえず財産は一旦没収された上で、2等中国人になる道

2017-08-12

https://anond.hatelabo.jp/20170812223939

日本植民地になるのが「恥ずかしい」から捕虜になるのも「恥ずかしい」から、ああい戦争やってたんだよなー。

2017-08-05

https://anond.hatelabo.jp/20170805031547

近代化限界に来たので、もはや経済成長はない」

近代化」って具体的に何を指してるんだろうか

20-30はある日本より一人当たり所得が高い国々を何だと思ってるんだろう

過去植民地にして近代化を施した台湾にすら抜かれたのになあ

参考文献が知りたい

2017-07-25

https://anond.hatelabo.jp/20170725230417

それは実名でもそう言ってるの?多分、恥ずかしくて無理でしょ。実際、実名顔出しでそんなこと言ってる人、一人もいない。やっぱ匿名から適当かましてる?

もし、現代植民地があったら国連にでも訴えなきゃいけないけど、具体的に行動にうつしてる?ものの例えだみたいな日和ったこと言わないでくれよ。俺は、何が正しい政策なのか聞きたいって言ってるんであって、そんな戯言聞きたいわけじゃないからな。

2017-07-22

台湾国籍台湾籍

単に台湾籍といえば大日本帝国時代日本国籍本籍地台湾の人を指す。

戦後日本が旧植民地出身者の日本国籍者(本籍地朝鮮台湾)の人たちから

日本国籍剥奪し、生じたのが朝鮮籍台湾籍

 

その朝鮮籍台湾籍だった人たちは朝鮮韓国台湾から新たに国籍付与されたり、

自ら取得したりしなければ「朝鮮籍」「台湾籍」とは呼ばれるが実質無国籍状態

朝鮮韓国台湾としては本来外国にいる無国籍者に国籍付与する必然性はない。

 日本から理不尽国籍剥奪された血縁者に人道的に国籍付与しただけ。)

 

蓮舫さんはたまたまそういった経緯で台湾国籍をもっていて

国籍法変更により日本国籍を得ただけ。

日本出身地理由として日本国籍剥奪したりしていなければ

戦前日本人戦後日本人の人の子どもが日本国籍を生まれながらに持っているというだけの話。

 

憲法10条で日本国民要件立法裁量に任されているのも

与党法律により国籍自由にできる危険をどうにかした方がいい問題

2017-07-06

https://anond.hatelabo.jp/20170705224106

日常実用講座シリーズの中に『独立国家の築き方』という本があるので、まずはご子息に読ませるところから始められたい。

そのうえで、国家とは『国民』『(他国が所有していない)領土』『主権』が第一義に必要で、他に『他国国連承認』などがついてくる。

そうすると、現代なら紛争地帯軍閥を興すか、シーランド公国のように人造岩礁独立宣言を行う。

前出の本を参考にして『原潜国家』として潜水艦単独独立を行う。

等が目指すべき道とも思う。

個人的には、ナウル共和国あたりに乗り込んで行って、産業を興したうえで国民のほぼすべてを関係会社社員とし、そのうえで政権奪取、世界初株式会社国家設立、という道筋が見えなくもない。

ただし、子供が向かうのは未来である荒野である

そう考えるなら、人類未踏の地である宇宙への進出もあろう。

火星植民地独立させて、月面基地を奪取して、宇宙コロニー連携させて、恒星世代宇宙船を掌握して。

意外に初代国家元首というのはどうにかなるかもしれない。

2017-06-29

権利」を謳う人間はなぜあそこまで意地汚く見えてしまうのか

今回ここで、「権利概念が放ってしま暴力性の起源について一人考えてみる

人権」の普及 ーアメリカ独立宣言



1週間もすれば3億人近いトンチンカンたちがまた祝うことになる、近代社会の幕開け=アメリカ独立宣言に遡ってみよう。250年くらい前のことだ。後にアメリカ人と呼ばれる極西の田舎者黒人奴隷を足置きにしながらヨーロッパ政治哲学を読みふけっていた。そして、英国議会に「植民地のくせに生意気だぞ」と言われてしまったあの時、彼らのイギリスコンプは爆発し独立宣言してしまう。この独立戦争とその後の歴史で彼らは「国家」を生み出しその中で「所有権」というもの不可侵性を「人権」として僭称したのだった。それまでもこの考え方は常にヤバい匂いを発してきたが「独立宣言」こそが全人類脳みそ侵入し始めるウイルスになった。彼らはこう言う。「君たち、実はな、人間は生まれながらにして権利というものを持っていたのだよ」「君たち、これは自明の真理だよ」。誠に蒙が開かれるようである。実際に驚くほどたくさんの人が啓蒙されることになる。

ところで、ここで彼らが行なった欺瞞としてまずよく言われるのは足置きにしている「黒人奴隷」についてである。つまり黒人奴隷人間の方にではなく所有物propertyの方に組み込まれしまったことである。ところが、今回に限ってはそこは重要ではないと私は言いたいのだ。というよりも黒人奴隷境遇があまりに深刻な問題であるから真の問題が後景化し見えなくなってしまっている。この深刻な問題をみたとき、我々、権利至上主義者の常識的感覚からいって、100年後、200年後に黒人へ与えられたように、人間権利、あるいは公民権解決すべき(解決した)問題だと思わされてしまう。

でもこれは糞の上に城を立てただけなのだ私たちの暮らす城の中はクソの匂いが充満している。「権利」などという考え方が、奴隷制的な、暴力的支配への渇望に支えられている。私たちはクソがあるなと思ったら「あっクソだ」と言わねばならない。「あれ?この部屋なんか、うんこ匂いしない?」は常に言いづらいセリフではあるが。


 人権を「持つ」とは ー「所有」についての2つの感覚




まりどういうことか。権利を「持っている」、という発想自体にその欺瞞が現れている、と言いたいのだ。一般におそらくは「所有権を持つ」という表現すらあまり違和感をもたれないのである独立宣言の下敷きになったヴァージニアで行なわれた会議草案にもその矛盾を観れるかもしれない

That all men are by nature equally free and independent and have certain inherent rights, of which, when they enter into a state of society, they cannot, by any compact, deprive or divest their posterity; namely, the enjoyment of life and liberty, with the means of acquiring and possessing property, and pursuing and obtaining happiness and safety.

この2つ目の下線部は独立宣言では省かれるのだが「所有権を持つ」という循環した考え方を恐れたから、ではなく国家による税金徴収を困難にするという理由であった。

何が言いたいかといえば、奴隷武器砂糖三角貿易が成立して以降のヨーロッパ社会では、「権利」が「持つ」ものとして想定されねばならなかったのである。それは単純には、ある種の人々から「奪う」こと(あるいは「捨てる」こと)のできるものでなくてはならなかったからだ。つまり所有権」が守るベーシック価値は「権利概念誕生の後に、「どんな種類の権利を作ろうかなー」と考えられて作られたものではなく同時に発生しているのである。そしてそのことは隠れたのだ。独立宣言に「自明真実ではあるのだが我らは不可侵権利を持っているのだと信じる」としれっと書き込むことで。じゃあ所有の意味を含む「権利概念が発生した時に生まれていたものは何か。ここが今回の主張であるが、「支配欲求自体への承認」なのである社会の一員として我々は「ある種の激烈な支配の形」を基盤にすることで社会を成立させている。それは「所有権」だけでなく「権利全般の話である

propertyに対しては当然そうだろう。犬猫などは黒人同様に解放が進みつつあるが根本的に我々は自分の所有する物をどれだけ傷つけても良いのである対象物に対して欲求したことは特別禁止されない限り全てぶつけることを許されている。私は自分の持っている熊の人形の腹を切り裂いてもいいしそこにペニスを突っ込んでも良い。それが所有権意味するところである。ここで、人形はなんかかわいそうだし除外しようかというのもあまり意味がない。僕が言いたいのは、我々は所有権を「propertyに対して私が欲求することならなんでもしていい力」として想像していて、思考スタート地点にそれをおいていることだ。この認識はもう一つ重要感覚を孕んでいる。それは「私が支配するもの他者が介入することは許されない」ということだ。この二つの感覚両方が「権利全般に流れ込んだのだ。そして実は我々の想像する「自由」のコアイメージでもある。自由にはこの欲望支配感覚が流れている。


 奴隷(property)の反乱 ー「権利」と「自由」に関する妥協と「身体」ー



しかしながらこの「自由」の感覚は「自由」を求める奴隷たちの反乱により一つの現実的妥協を産んだ。支配者はかつての奴隷たちと約束したのだ。我々はもはや君たちを支配しない。その代わりに我々は自分の体を支配するのだと。そして君たちもそうするのだと。人間なら誰もが己の体を支配できることにしよう。我々は平等自由じゃないか。(現実として多くの旧黒人奴隷は扱いの悪い賃金労働者として己の体を「自由」に売買した。ほぼほぼ売るだけであったが。)


上記の経路は思考実験の一つでしかなく、実際は数百年前の「権利概念議論でも既に流れていただろう。しかし、ここで誕生したのは一風変わった、世界人間に対する理解である個人他者からの介入=他者との人間的繋がりを切断できる独立した存在だという信仰なのだ。なぜなら自分の体を自由支配他者はこれに関与できないのだから。(工場で死にかけながら働く黒人労働者だって自由」に辞められると考えることはできただろう。)「権利」や「自由」というもの概念自体にこれは染みついたのだ。


奴隷製の足置きで本を読む農園主の頭の中で作られた「近代国家権利自由」は、国家軍隊というとてつもない力に囲われながら、同じ発想の知的エリート再生産し、根本思想解体は迂回しながら様々なヴァリエーションを増やしてきた。その実践形は司法行政の場から常に吐き出され、我々パンピー脳みそにも影響を及ぼしてきた。


権利概念は、「権利」とは「持つ」ものだという支配欲求肯定に支えられている、というのが基本的な今回の主張である。これが己の身体観や対人間観に影響を及ぼしてきた。実際皆が全く違和感なく自分の持つ時間労働力社長さんに売り払っている。基盤にある発想はまさに「権利」は「持つ」ものから「捨てれる(売れる)」のである。あるいは私は他人権利を「買える」のである。なぜなら私はその「権利」を「持っている」のだから。(一応断っておくが、これによって生まれる成果を否定するものではない。「支配/排除欲望」を根幹にする原理が一度は平等性/対等性 になりながらも、次の段階で一人の人間があらゆる人の時間と行動の自由支配し皆がそれに納得していることに注目したいのだ。この一人の人間も様々な人の投資で買われていてもう少し複雑だろうけれど。)

 まとめ ー「意地汚い」理由



長々書いてるのに平板な話になってるだろうか。ここに資本の燃料をぶっ込めばいくらでも非人間的な方向に暴走できるのは想像にかたくないし、読んだことないけど共産主義とかポモとかもこういう認識の型への反発からスタートしてるのでしょ。現実非人道的支配を読み取った人たちの反発からまれ社会「権」などは対抗力として機能しただろう。ただそのことに対しても言えるのは「権利」「自由」の枠組みがそのまま利用されたということだ。近代国家という装置がこの世界にセットされた1776年の7月4日あの日から人類脳みそはハックされた。今もなお屋台骨として社会を支え続けている我らが人権万歳自由万歳国家万歳


いま苦しんでいるマイノリティも、「支配欲望」の匂い漂う「権利自由概念を使って「国家よ行動しろ」と闘争せねばならない。あるいは彼らがそうでない社会活動を試みていても(例えば、他者との網の目を強化したり、国家ではなくコミュニティや人々の意識を変えるために動いていたとしても)、そのように立ち上がる姿をメディアでみた我々は、そこにまた「権利自由闘争の型を読み取っていないだろうか。「障害者が、また支配欲望を前面に出してるのか。今度は何を要求するのか。」と。そして人間の、恥を知らない無意識は、何かを奪おうとしているマイノリティを見てこう訴えてくるのではないか。我々はこいつらを「支配」し「排除」しなければならない、我々の「権利」と「自由」のために。

2017-06-08

移民はだいたい「植民地だったから」「経済的に豊かだから」のどっちかでしょ。

2017-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20170607112421

ABCD包囲網やられる前に善処しておけば

良かっただけのことじゃないの?

アジア後進国欧米植民地化してると

資源確保問題常態化しがちだったってこと?

先の大戦日本植民地解放した

先の大戦日本植民地解放した系の本が時々

出版されるけど、日本にとって植民地解放した

メリットってあるの?

ずっと植民地が続いてた方がよかったんじゃないの?

かりあげがミサイルぽこぽこ発射することもなかったろうに。

慰安婦銅像がどうたらこうたらもなかったし

メリットがあったんだとしたら何ですか?

詳しい人教えてください。

2017-06-01

日本人無宗教ではなく儒教徒である

日本の最大宗教儒教で、それは江戸時代から変わっていない。

武家は、統治のために中国儒教に倣ったからで、そしてそもそも儒教社会構造を維持するための宗教だ。日本史教科書には儒学とか朱子学とかさらっとしか書かれていないけれど、徳川治世は政教一致で、儒教社会本質を担う物凄く重要ものだった。

そして例えば、長幼の序年功序列)とか、男尊女卑とか、御先祖様がどうだとか、上座下座とか、家父長制(天皇制典型)とか、未だにある。そしてそれは道徳と称され、確信的に(加害者に悪の自覚が無く)差別が行われている。

さらにそれがとりわけタチが悪いことに、儒教教義を信奉している当人儒教徒であることの自覚が無い。それで、「日本人無宗教」という言説が定説になっている。

日中戦争太平洋戦争をした原因にも、儒教がある。儒教身分差別階級差別宗教なので、どちらが親分か、どちらが兄貴か、優劣(序列)がある。そうして、他者を蔑んだり、権威にひれ伏したりする。「大東亜共栄圏」という概念は、日本東アジア盟主親分)たらんとしたものだ。

日本では、少なくとも戦時中までは公然アイヌ人や沖縄人(「沖縄県民」)を差別してきたし、韓国人中国人は未だに事実上差別を受けている。戦前政府日本社会システム押し付けて、創氏改名を行わせた。それは韓国人に対してだけではなく、アイヌ人にも行われた。侵略され植民地化されたからには、日本論理を受け入れるしかなく、多くのアイヌ人は和人同化せざるをえなくなった。

国家神道」とかいうけれど、それも、神道の皮をかぶった儒教だ。天皇を家父長にした、身分差別階級差別宗教だ。

日本人は、正しい歴史認識をしていないし、戦争反省もしていない。なにせ、儒教徒である自覚が無いのだから戦争の原因を認識していない。だから謝罪をしても反省はしていない。しかも困ったことに、中国人韓国人儒教徒から問題本質解決する可能性がない。

正しい歴史教育だとか正しい歴史教育だとかいう以前に、日本人和人)は自分自身を知らない。

2017-05-26

[] 日本には大統領制度が必要です。

[Politics] Japan needs a president system.

 

1941年日本アメリカ攻撃を仕掛けた。

1945年アメリカ日本原子爆弾を投下した。

日本第二次世界大戦で負けた。

GHQ日本征服した。

アメリカ軍は依然として日本駐留している。

実質的に、今日本はアメリカ植民地です。

1972年沖縄県帰国しました。

沖縄県米国の州になるほうが良かったでしょう。

沖縄米国の州になった場合沖縄の人々はアメリカ人と同じ権利を得ました。

から沖縄県は失敗した。

日本も失敗した。

日本米国の州になれば、日本人アメリカ人と同じ権利を得ることができる。

アメリカ兵士日本女性強姦したとしても、日本人は彼らを逮捕することができます

米国のように日本大統領制を作りましょう。

日本人にとって有益です。

 

In 1941, Japan attacked to the USA.

In 1945, USA dropped atomic bombers to Japan.

Japan lost the World War II.

GHQ conquered Japan.

The USA army is still stationed in Japan.

Now, Japan is the colony of USA practically.

In 1972, Okinawa Prefecture returned to Japan.

It would have been better for Okinawa Prefecture to become the state of the United States.

If Okinawa became the state of the United States, people in Okinawa got the same rights as Americans.

So, Okinawa Prefecture failed.

Japan also failed.

If Japan becomes the state of the United States, the Japanese can get the same rights as Americans.

Even if the American soldiers rape Japanese women, the Japanese can arrest them.

Let's make the president system in Japan like the United States.

It will benefit for the Japanese.

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

朝鮮朝鮮王朝(李朝)の高宗31(1894)年に起こった反侵略,反封建の農民戦争東学党の乱ともいう。高宗1年,東学1世教主崔済愚が,邪教を広めたとして処刑された。第2世教主崔時亨は東学公認を求め,同 29年以降「教祖伸寃」の請願教徒大衆行動でしばしば行なった。しかし「教祖伸寃」という宗教的訴えは,かえって狡猾な地方官に農民収奪の口実を与えることになった。そこで農民たちの運動は貪官汚吏の処分など政治的要求へと変わっていった。反乱は同 312月全羅道古阜郡の民乱を契機にして始まり,一応の成果を得て解散した。その後政府派遣の按覈使(あんかくし)の不法弾圧激怒した全琫準は,全羅各地に呼びかけ,5月古阜,泰仁で本格的な闘争に立ち上がった。全羅各地で蜂起した農民軍は白山に集結,大多数が農民東学徒は少なく,指導者東学接主であった。全琫準ら指導者は,農民軍を軍隊式に編成,四大綱領を発表し,反封建,反侵略を訴えて広範な農民層の支持を得た。農民軍は黄土峴,長城で政府軍撃破し全州を占領した。閔氏政権はこれに驚き清国出兵要請する一方,農民軍の弊政改革案を受け入れた。全州和約後,農民軍の大半は解散したが,全羅道 53郡に農民軍の自治機関である執綱所が設置され,実質上の政権機関として機能した。日清戦争が起こるとまもなく,全琫準ら農民軍は再起したが,日本軍政府軍の圧倒的な軍事力の前に敗北した。

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デジタル大辞泉解説

うご‐のうみんせんそう〔カフゴノウミンセンサウ〕【甲午農民戦争

1894年朝鮮李朝末に起こった東学信徒を中心とした農民の反乱。鎮圧のため李朝政府清国派兵要請日本出兵して乱は鎮圧されたが、日清戦争を誘発する結果を招いた。東学党(とうがくとう)の乱。

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百科事典マイペディア解説

甲午農民戦争【こうごのうみんせんそう】

李朝末期の1894年(甲午の年)に朝鮮南部で起こった農民反乱。圧政に苦しむ農民の間に広まった民衆宗教東学〉は1890年代には活動公然化させるが,全羅道古阜で全【ほう】準(ぜんほうじゅん)に率いられた農民たちが同年2月郡庁を襲撃し,5月以降全羅道一帯に及ぶ蜂起に発展,閔(びん)氏政権の打倒と日本人駆逐をかかげて各地を転戦した。

→関連項目大院君|李朝朝鮮

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世界大百科事典 第2版の解説

うごのうみんせんそう【甲午農民戦争

1894年(甲午の年)に朝鮮南部でおこった農民反乱。李朝末期の朝鮮では封建的収奪に反対する民乱が続発し,とりわけ南部地方開港後の外来資本主義との接触によって矛盾が激化していた。圧政に苦しむ農民の間に広まった東学は,1890年代に入ると活動公然化するようになった。こうした情勢のもとで,94年2月全羅道古阜の農民は,規定外の税をとるなど暴政を行った郡守趙秉甲(ちようへいこう)に抗議し,全琫準を指導者として郡庁を襲撃した。

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大辞林 第三版の解説

うごのうみんせんそう【甲午農民戦争

朝鮮1894年(甲午の年)東学信徒が主導した農民戦争地方官の悪政に反対した全羅道農民が蜂起したのに始まる。朝鮮王政府鎮圧のため清しんに出兵を求め、清に対抗して日本出兵日清戦争の契機となった。東学党の乱。 → 東学

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

甲午農民戦争

うごのうみんせんそう

1894年(甲午の年)に起こった朝鮮の歴史もっとも大規模な農民蜂起(ほうき)。この戦争きっかけとして、中国、清(しん)の勢力排除朝鮮支配することをねらっていた日本政府は、公使館警護と在留邦人保護名目大軍を繰り出し、日清戦争引き起こした。

 当時、朝鮮民衆は、朝鮮政府財政危機を取り繕うための重税政策官僚たちの間での賄賂(わいろ)と不正収奪の横行、日本人の米の買占めによる米価騰貴などに苦しんでいた。それにまた、1890年代の初めには干魃(かんばつ)が続いて未曽有(みぞう)の飢饉(ききん)に悩まされていた。これに耐えかねた農民たちが、日本への米の流出の防止、腐敗した官吏罷免租税減免要求して立ち上がったのがこの戦争の始まりである指導者には、急速に教勢を拡大していた民衆宗教である東学教団の幹部であった全準(ぜんほうじゅん)や金開南らが選ばれた。そのため東学党の乱とよばれたこともあった。5月初め、全羅道古阜(こふ)郡で結成された農民軍は、全羅道配備されていた地方軍や中央から派遣された政府軍を各地で破り、5月末には道都全州を占領した。農民軍の入京を恐れた朝鮮政府清国に援軍を出してほしいと要請した。ところが、ここで予期しないことが起きた。清軍の到着と同時に日本軍が大挙して朝鮮侵入してきたのである朝鮮政府は急遽(きゅうきょ)方針を変更して農民軍と講和交渉を行い、農民たちの要求をほぼ全面的に受け入れることで停戦した(全州和約、6月10日)。

 全羅道の各郡には執綱(しっこう)所という機関が設けられ、農民たちの手による改革が始まった。農民戦争はこれで終わったかみえた。ところが、朝鮮上陸した日清両軍は、朝鮮政府のたび重なる要請にもかかわらず撤退しようとしなかった。それどころか、日本政府朝鮮の内政改革を求め、朝鮮政府にこれが拒否されるや、1894年7月23日王宮占領し、親日政府組織させた。

 清国がこうした日本の行動を批判したのを好機として始められたのが日清戦争である日本政府日清戦争と併行して朝鮮植民地化する政策を推し進めた。この日本勢力を追い出すため、朝鮮農民たちは10月かばになって再決起した。全準たちは東学組織を使って各地の蜂起を統一したものにしようとした。このとき立ち上がった農民20万人を超えたといわれる。日本軍朝鮮政府軍相手にして農民軍はよく闘った。しかし、日本軍の圧倒的な火力の前になすすべはなかった。翌年1月農民軍は壊滅し、全準は3月末、ソウル処刑された。[馬渕貞利]

[参照項目] | 日清戦争

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世界大百科事典内の甲午農民戦争言及

【崔時亨】より

92から翌年にかけて東学合法化をめざす教祖伸冤運動を展開。94年の甲午農民戦争では,東学本来非暴力的な教化主義立場から武力蜂起に消極的で,全琫準らの主戦論対立したが,のちに農民軍への合流を教徒に指示した。農民軍の敗北後,98年に江原道原州で逮捕され,ソウル処刑された。…

朝鮮】より

しかし,金玉均ら開化派が政権奪取をめざした甲申政変(1884)は内外の困難を克服しえずに挫折を強いられた。一方,民衆の反封建・反侵略変革運動は,壬午の軍人反乱(壬午軍乱,1882)を先駆として,甲午農民戦争(1894)に大きく花開いていく。甲午農民戦争こそ朝鮮社会近代への移行の決定的転換点となる可能性をはらんでいたのだが,日本侵略意図に立つ軍事力行使がこの可能性を破壊してしまったのである。…

日清戦争】より

… 朝鮮では王妃一族閔(びん)氏を中心とする親清派と国王の生父大院君派および金玉均独立派(開化派)が抗争しており,政治は乱れ,官吏不正日本商人の買占めで民衆の不満は高まっていた。1894年春,民間宗教東学を奉ずる農民分散した民衆の不満を結びつけ,朝鮮南部を中心に汚職官吏の掃滅と外国人排除を求める大規模な反乱を起こし,5月には各地で官軍が敗北するという重大な事態となった(甲午農民戦争)。朝鮮政府日本亡命中の金玉均らが農民反乱に呼応することをおそれ,上海に誘い出して暗殺した。…

※「甲午農民戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています

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2017-05-14

人間の欲の上限ってなんだよ

宇宙にまで行って植民地化したくて仕方がない人間の欲の限界って地球じゃ叶えられないだろ

2017-05-07

自国民に対して植民地民みたいな重労働課してたらそりゃ衰退するよね

2017-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20170506121907

富国強兵植民地政策ではない

 

また日本植民地欧米植民地とは同じ植民地と言う表現妥当ではないくらい違う。

有名なのはベルギー王の植民地だったコンゴ人口が6分の一に減少。

日本植民地だった、台湾朝鮮満州は全て人口が増加

人口増加が政策バロメーターだとすると日本現在少子高齢化日本が行き詰まっていることの証拠だな。

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