はてなキーワード: 投影とは
ユング心理学の概念の1つに「影(シャドウ)」というものがあります。
簡単に言うと、自分自身について認めがたい部分、その人の人生において生きてこられなかった側面を表すものとされます。それは現実にいる他者(同性)に投影されて、自分の目の前に立ち現れるときに特にはっきりとします。
たとえば、Aさんが「Bさんって人に頼ってばっかりでずるい。甘えすぎて自分でなにもしてないところが嫌いだわ!」と思う場合があるとします。それは、そう感じるAさんが普段人に甘えたい・依存したいという気持ちを抑え込んで生きているのに、現実にBさんがそのようにふるまって生きているので、自分の抑え込んでいる部分がチクチクと刺激されてどうにも気になってしまうのだというように考えるのです。
異世界なろう系 | 白人の救世主 | |
典型的なプロット | 現代の知識や能力を持った主人公が異世界で活躍。 | 白人主人公が他文化を救う物語。 |
主人公の属性 | 平凡な現代人が異世界で特別な力を持つ。 | 白人男性が非白人文化を導く。 |
文化的背景 | 日本のサブカルチャーに根ざす。 | 植民地主義や異文化介入が背景。 |
テーマ | 自己成長や冒険が中心。 | 白人の優越性や異文化救済が描かれる。 |
主人公の成長 | 力を得て異世界で成長。 | 異文化を救うが、自己成長も描かれることがある。 |
対立 | 魔王や異世界の勢力と戦う。 | 異文化の「未熟さ」と白人の指導力が対立。 |
倫理的視点 | 軽い倫理観で娯楽性重視。 | 無意識の植民地主義的視点。 |
典型的なメディア形式 | ライトノベル、アニメ、マンガ。 | 映画、文学、ドラマ。 |
成功要因 | 読者の願望充足と自己投影が容易。 | 西洋観客に受け入れられる物語構造。 |
悪いことは言わない。
平日も土日も問わず夜中までTRPGに明け暮れ、家のことはろくにやらず、ネットの向こうにいる人間には、さも真っ当な人間のように振る舞うぞ。
何よりも卓の事を最優先にして家庭を犠牲にして、自己投影したキャラでカプ作ったり、界隈で炎上するぞ。
夜中2時までやって、「まだ皆と話したい」とかぬかすぞ。
そして、朝仕事に起きれない。
マジでやめとけ。
家では常に作業通話をDiscordで繋ぎっぱにして家族のことなんてどうでもいいと思ってるし、それが異常だと気づいてない。
そして、もしこういうのを見ても「私は違う」と思ってるから。
卓の時はニコニコワイワイしてるくせに終わった瞬間すぐ切れ散らかすから本当にヤバイ。
悪いことは言わない。
平日も土日も問わず夜中までTRPGに明け暮れ、家のことはろくにやらず、ネットの向こうにいる人間には、さも真っ当な人間のように振る舞うぞ。
何よりも卓の事を最優先にして家庭を犠牲にして、自己投影したキャラでカプ作ったり、界隈で炎上するぞ。
夜中2時までやって、「まだ皆と話したい」とかぬかすぞ。
そして、朝仕事に起きれない。
マジでやめとけ。
家では常に作業通話をDiscordで繋ぎっぱにして家族のことなんてどうでもいいと思ってるし、それが異常だと気づいてない。
そして、もしこういうのを見ても「私は違う」と思ってるから。
卓の時はニコニコワイワイしてるくせに終わった瞬間すぐ切れ散らかすから本当にヤバイ。
お前がそれを不満に思うのは投影でしょ? 俺は不機嫌なのに誰も便宜を図ってくれないっていう
一連の流れを見ていて、俺のキモい自意識がどれくらいキモいのか気になったので投げつけてみる
36歳男
167cm 60kg
顔はすい星のごとく某所を席巻した新生永世名人に似ているらしい。シンプルに恐れ多い
年収850万
社交性レベル(この項目はどう評価すればいいんだ?)は社会人としてはふつう、私人としては彼女がいたことがないくらいに弱者
酒好き、タバコ嫌い
オシャレははっきり言って金ばっかりかかって嫌いだが、婚活に向け髪を切り眉を整え、ワンシーズンごとにユニクロ無印にセットアップをすがるくらいのことはしている
女友達なし。中高大に友達がいたことはあるがとっくに途切れている
男友達は10人くらいと言えばいいのか?ただ学生時代の友達ばかりで増えることはほぼない
年収850万とほかの弱者的要素を足して割ってようやく平均かそれ以下くらいという体感(伏線回収)
逆に言うと850万ぽっちでは無双できるわけでもなく、婚活を通して強く言い寄られるわけでもなく、弱者要素が相当に足を引っ張ってるのを痛感する
楽器やってたので惰性で続けてる
ただアドリブできないので積極的に人前で言うことはない。「なんか弾いて」という言葉ほど素人を殺すものはない
と挙げられるほどの趣味ではないが、低山とはいえ三月にいっぺんくらい登ってるので許してほしい
ロクに運動してないのところから限界に挑む感じが好き。あとひねくれず普通に自然が好き
マジで何でも読んでる
突撃しては死ぬほど疲れて敗退するのを繰り替えてしている。効率が悪いのは大目に見てほしい
→うち3回目デート到達数がのべ3回くらい
→うち3回目デート到達数0回。これは厳しい
→うち3回目デート到達数1回
アプリは死んでるのでそっと介錯しておいてほしいが、ほかで3回目まで行って付き合えなかったのは先に俺がギブアップしたから
ネットのナンパ師のブログを読みふけり、聞き専に回り、(ぎこちなく)褒めそやした甲斐もあり、おそらく女性の最低ラインは超えたのだとは思う。しかし俺が全く楽しくなかった
彼女たちはよく仕事でも会うような、ごく普通のいい子ばかり(歴戦を感じさせるいわゆる婚活戦士たちは、求めるハードルが高いのか切られることのほうが多い)
ただ圧倒的に受け身
元来しゃべらないとこを是とする弱者男性にとって、今後もこの寸胴の銅鐸を叩き続けなければならない運命に絶望するしかなかった
あと付け加えると皆俺に興味なさすぎ。マジで俺のこと聞いてこない
よくて、義務的にちょろっと俺の趣味を聞き、掘り下げあぐねて引っ込めるだけ
男のヒアリング能力はどこへ行ってもダメ出しの嵐というのに、この初歩にすら立ってない歴然とした差はなんだ。ここすら掘り下げやすいようにお膳立てしなきゃいけないのか?
会話に関してはギブかテイクかでいえばだいぶギブ側だった自負があり、すなわち3回戦で自滅する要因でもある
クソ疲れるとしか言いようがない。これで相手を好きになれる男とか存在するのか?
(正直ここは毎回神経をすり減らしてるところなので、キモいと言われようと全くかまわない)
ただまあこれは、俺の業の鏡写しでもあると思う
何様ってことは承知で、まず俺が順当に進められるスペックの裏返しなのが一つ
そのうえで己の努力を無意識に相手に投影してしまっているのが最悪で、婚活を長引かせている要因でもあるんだろう。盛大なブーメランだ
はっきり言ってよく分からない。この要求の仕方が一番の地雷らしいが
これに尽きる。細分化すると
こんな感じになると思う。顔だ体重だと実際のところあるとは感じているんだが、
まず前述の項目にを満たす女性が世の中に存在しないんじゃないかってくらいいないので、苦しくない程度に合うことを優先しプライオリティを下げている
俺もコレ。これまでの子とはまず話してて楽しくないので、なにがどうなると伴侶ができて人生バラ色になるのか想像がつかない
いや、当然全部バラ色に染め上げてもらうことは求めてないんだけど、どうなると、こう、お互い前を向けるくらいプラスになるのか分からない
あまりにもまったく想像がつかないので、要求項目がクリアにならないジレンマ
あとは恥ずかしいんだけど、この歳で童貞なことが相当にコンプレックス
特に結婚相談所での活動を続けた場合、俺は一生のセックスを相手に捧げることになる。自分で言っててクソみたいだがこれでハードルが上がってるところがある
じゃあなんとかこの呪縛を解消しようとしても、もちろんアプリで適当にヤリ捨てられるスペックは当然ない(アプリ女性はモテ男じゃないと許さない傾向かなりあると思う)
また風俗で捨てるのは恋愛行為ではないので、俺の中で心理的に捨てたことに多分ならない。愛される経験がしたい
やっぱ書いててキモいなーコレ。むしろ中途半端に進められがちなのがよくねーんだろな
根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。
変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。
…
ハラスメント問題とかに関して、「オープンな対話が大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。
通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)
どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。
反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手を心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない。
要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーションの定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。
…
部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。
だから最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやすい環境」とか「相談事がしやすい雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。
どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。
彼らは時に、「本心を言わず、相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。
たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーションの成功の瞬間なのだ。
…
相手がこういう人だとわかってくると、自分は最近関わることにリスクを感じてくる。
もちろん、人間のコミュニケーションってあやふやなものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。
つまり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理や責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。
でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。
…
実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから。
根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。
変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。
…
ハラスメント問題とかに関して、「オープンな対話が大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。
通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)
どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。
反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手を心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない。
要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーションの定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。
…
部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。
だから最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやすい環境」とか「相談事がしやすい雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。
どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。
彼らは時に、「本心を言わず、相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。
たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーションの成功の瞬間なのだ。
…
相手がこういう人だとわかってくると、自分は最近関わることにリスクを感じてくる。
もちろん、人間のコミュニケーションってあやふやなものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。
つまり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理や責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。
でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。
…
実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから。
根本的なところで意思の疎通が図れない人(表題)とどう付き合っていけばいいかという話。
変にリベラルぶるつもりはないので前もって明言しますが、私はこういった人たちの気持ちがわかりません。すいません。
…
ハラスメント問題とかに関して、「オープンな対話が大事ですよ」、というような話を耳にするたび、そうだよね、でもそれが通用しない相手っているよね。と思う。
通用しない相手とは何か。それが表題のような人物。「そう思っている」ということと「それを正直に表現する」ということは完全に切り離されている人。あるいは「そう思っている」という実質自体がない人。(少なくとも私にはそう見える。)
どういうことか。たとえば彼らは、人に「大丈夫?」と聞かれたら、全く大丈夫じゃなくても、必ず「大丈夫です」と答える。なぜなら、それがこのやりとりにおいて、「正解」の反応の仕方だと学習しているから。
反対に、「大丈夫じゃありません」「手伝って欲しいです」「つらいです」…本心でこのように思っていたとしても、この人が学習したコミュニケーションというゲームにおいて、それは相手を心配させ、あるいは不快にさせるかもしれない「不正解」の回答ということになっている。だから言ってはいけない。
要するに、こういった人たちにとって、根本的にコミュニケーションは「自分の思っていることを相手に伝える」ことではない。彼らにとってコミュニケーションとは、「相手の顔色のパターンを窺い、相手を怒らせず、怖がらせない反応を返す」ことである。だからこそ、そこに自分の「本心」が投影されている必要はない。コミュニケーションの定義が違うから、それは嘘ですらないのだ。
…
部下や後輩がいる人ならわかると思うが、何かあったら正直に「つらい」とか「本当はこういうふうに感じてる」と正直に打ち明けてくれるのが一番安心なわけだ。
だから最近は事前のリスクヘッジのために「話がしやすい環境」とか「相談事がしやすい雰囲気」とかっていうことを言うわけだけど、それは「彼ら」にとっては直接的には全く関係ない(私の経験則からして)。
どうしてか。それは、彼らは必ずしも「心優しいから/臆病だから言い出せない」のではないから。
彼らは時に、「本心を言わず、相手に都合のいい言葉を返し、コミュニケーションの「正解」をやりきった」ことに満足感をおぼえるし、そのように慎ましく、自己犠牲的でいた自分を誇りさえしている。
たとえ、普通に話して交渉すれば、ちっとも負わなくてもいい負担だったとしても、「素直に従った」ことを美徳として考える文化が彼らの中には(全員とは言わないが)ある。それが彼らにとってのコミュニケーションの成功の瞬間なのだ。
…
相手がこういう人だとわかってくると、自分は最近関わることにリスクを感じてくる。
もちろん、人間のコミュニケーションってあやふやなものですよ。嘘もつくし、誇張もある。適当に聞き流している時もある。でもそれはあくまで「ちゃんと聞く/話す」というモードがあることがわかっているがゆえの話で。
つまり、いつもは適当でも、いざとなれば「これに関しては嘘をついてはいけない」とか、「ここは正直に話そう」といった最低限の倫理や責任を、発言者とその発言に期待できるということが重要なんですよね。
でも、発言が、発言者本人に一切根ざしておらず、無限に「実はあの時はそう思ってなかった」と言えてしまう人なんだとすると話が違ってくるよなと思う。
…
実体験だけど、こういう人にされる謝罪とかはキツいですよ。「ああ、これは「手続き」をこなされているんだな」と感じられるから。
まず、辛いことがあったとき、自分を慰めること自体は決して悪くありません。しかし、それを終着点にしてはいけません。自分を甘やかしすぎると、問題解決の力が鈍り、同じ失敗を繰り返す可能性が高まります。感情に流されるままにしてしまうと、自分の成長を阻むことになります。今の自分に満足せず、常に改善を目指すべきです。
佐藤さんに対して「どう考えても悪い」と決めつける前に、自分自身の行動や思考を厳しく見直してみましょう。客観的に問題を分析する力がなければ、状況は好転しません。自分がどのように問題に対処すべきだったか、冷静に振り返る必要があります。そして、次に同じ状況が訪れたときにどう対応するかを具体的に考えておくべきです。
また、感情を「地球」にぶつけることは、言葉では爽快かもしれませんが、実際には無意味です。自分の苛立ちや不満を外部に投影するだけでは、問題は何一つ解決しません。大切なのは、その感情を建設的なエネルギーに変え、具体的な行動に繋げることです。現実から逃げずに、解決策を見つけ出すことが真の強さです。
幸せについても、自分が幸せかどうかを他人と比較して判断するのは浅はかです。幸福感は自分の内側から生まれるものであり、他人の状況と比べて安易に結論を出すべきではありません。今あるものに感謝するのは大事ですが、それだけでは成長しません。自分が本当に望む幸せは何か、それを達成するためにどのように行動すべきか、真剣に考えるべきです。
最後に、「誰も手を差し伸べてくれない」と感じることがありますが、その原因が自分自身にないかを冷静に考えるべきです。人は何もしていない人に手を差し伸べることはありません。自分から積極的に行動し、他人に何かを与えようとして初めて、周りからのサポートが得られるのです。自分が動かない限り、何も変わりません。明日を少しでも良くするために、今日、自分が何をすべきかを考え、それを実行に移す覚悟が必要です。覚悟がなければ、いつまでたっても状況は変わらないでしょう。
どの界隈でも多様なカップリングが存在しているけど一番人気の覇権カプはほとんどのジャンルで主人公受けで主人公受けが好きな人はだいたい総受けを兼ねている(主人公受けが最大手ではなくなったのは2016年以降のコナンくらい?)
男を叩いたり、女の自立を謳うフェミニストとどのくらい層が被ってるか分からないけど
恋愛もののドラマや漫画を楽しむ一般女性に人気があるのって結局「社会的強者のイケメンに愛されるゆるふわの主人公(=自分)」なんだよね
アンフェ界隈の誰かが「漫画アプリで人気順にソートすると、『社長』 『魔王』 『組長』 『皇子』といった肩書きがタイトルに含まれる作品がずらりと並び、そういった権威ある属性を持つ男性が主人公の女性を無条件に溺愛する作品が好まれている」みたいな話してたけど
少女漫画や恋愛ドラマの延長線上にある大人の女性向けコミックだけじゃなくて
二次創作のボーイズラブや男女カップルでもそういう傾向にあると思う
作中最強の能力を持ってる先生とか、なんとか隊のリーダーとか、何らかの肩書きを持っている強者と主人公のカップリングはどこも人気だ
主人公は原作では年頃の少年らしくむっつりスケベな一面が描かれていたり、敵を物凄い形相で睨みつけて戦ったりすることもあるけど
二次創作では何もできないか弱い美ショタとして描かれ、何もしていないのに愛され、性知識は「ふえっ!?ちんちんから白いおしっこでたぁ!?」レベルにナーフされている
男女カップルでも自立した女性や戦闘ヒロインじゃなくて弱くて普通っぽくてオタク趣味があったり暗かったり日本人女性が自己投影しやすい女の子の方が人気がある
そりゃね、百合でもそうなるよ
日韓百合のファンアートがイケメン韓国女子×ゆるふわ日本女子から始まり中国やタイといったアジア諸国にモテモテの全方位愛されシチュになっていくのは必然
主人公がみんなに愛されたり取り合いになって喧嘩が起きたり性的に求められるのを女性向けではハーレムじゃなくて「総受け」って言う
自分は内容は途中まで読んで飽きて、完結してからストーリーのネタバレだけ読んだ口。巨人が実はスパイだったというあたりで陳腐さを感じて飽きてしまった。
しかし飽きただけでそれまでは好き嫌いとかそういう気持ちはなかった。また、内容についてはほとんど詳しくない。
ただしばらくしてミーム化された進撃の巨人の語録を使う人のことを生理的に受け付けなくなった。
ネットミームを日常でドヤ顔で使う人が気持ち悪いのもあるし、バカの一つ覚えのように使っているのが印籠のひけらかしのように見えて権威主義的なところがあるなあと思うからかもしれない。
こう言うと偏見だが進撃の巨人が好きな層は現実でトラップされている人間たちが多いのではないか。
行き場のない牢獄の中で暮らしていて、何者かわからない人間たち(巨人・マーレ人)に支配されているような感覚。
壁から解放される瞬間は、陰謀論を見出した瞬間に近いはずだ。「そうか!そうだったのか」のような。
そうしたファンは、操られていた自分を主人公たちに投影して、不思議な力・眠っていたすごい力を喚び起こし世界を蹂躙するところにカタルシスを覚えていそうだ。
日常生活に大きな不満がある層に見える。物語の構造は追放系やルサンチマンなのかなと思う。
とはいえ、自分の意見が非常に偏っていることは十分承知している。
ただ今のところ進撃の巨人が好きという人間や、そのセリフを使う人間でまともな人間を見たことがない。
自分もけっこう昔はアニオタだったから多少の理解はできるが、アニメが世界のすべて・日本のすべてのように話されるとげんなりする。
排除したいとかそういうわけではないが、大人同士なら話題のチョイスとしてはちょっと勘弁してもらいたいなと思う。
おそらくこれは坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんだろうが、進撃の巨人という作品まで嫌いになってしまった。
嫌悪感がある。「進撃の巨人が好き」という人を見ると好感度がマイナススタートになる。理性で抑えているがたぶん隠しきれていない。
作者の諫山さんのこと(今始めてググって知った)は別に嫌いではないが、出身を見て「あぁ、さす九か。納得」と思うぐらいには進撃の巨人に対していい印象がない。
何かプラスの印象になるような要素があればおしえてください。
50代の主婦がアイドルに殺害予告をして書類送検されたってニュース見て、自分の母親のことかも思ってビビった。
結果的には違うんだが、うちの母親も今回捕まった人と同じアイドルのファンをやってて、どう考えても中傷だろみたいな投稿をネットで繰り返してる。親がやばい方向にアイドルにハマった場合、家族はどうしたらいいんだろうか。
母親は元々はこのアイドルのファンではなくて、脱退→新グループ結成でネットで叩かれてるのを見るうちに「かわいそうだから加勢しなきゃ!」とか思ってのめり込んでいったらしい。
一時期BTSとかにもハマってたタイプだから最近熱心にYouTube見てるな、とかは別に良かったけど、同情というか、たぶん“理不尽な目に遭ってるアイドル”に自己投影してるところからスタートだから、ライブに行って楽しい推し活!みたいな状態でもなかった。
だからアイドルそのものではなくて、メディアとか元々いた事務所とか別のアイドルを仮想敵にして、それをネットの仲間と叩くのにハマってたというか、とりあえず普通のファンの楽しみ方とは思えなかったし、アカウントを覗いてみたらネットで絶対関わりたくない失礼おばさんに仕上がってて落ちこんだ。
あと普段の会話にも「全部⚪︎⚪︎が仕組んだ!」って個人名挙げたりとか、「⚪︎⚪︎ファンに嫌がらせを受けてる!」とか、アイドルよりも陰謀論にハマる中高年って感じになっていった。
コロナワクチンの陰謀論で親族が狂った人の手記とかを読んで、映画サブスクに登録させてSNSから離してみるとか、家族の交流増やすとかの対処法はしてみたけど、たぶんうちの母親は孤独由来じゃなくて、謎の正義感と自己陶酔で攻撃性が開花しちゃってるパターンだったからほぼ無意味だった。
直接注意してももちろん聞きはしないし、ネットで実在のアイドルとそのファンボコボコにしてる以外は普段と変わらず、良い意味でも悪い意味でも普通の50代の親って感じだったので、なすすべもなかった。あと親にネットの使い方を注意するの純粋にしんどい。
無理やり取り上げたり強く叱ったりしなかったのは、この段階では誹謗中傷というより愚痴っぽい内容が多くて、好きなアイドルを持ち上げるために他を落としたり、仲間と絵文字たっぷりで嫌いなものに過度に嫌味を言う、みたいなレベルだったからだ。
ただ最近はファン仲間と一緒に先鋭化していってるのか、だんだんエスカレートしてて、目に見えて狂ってるわけでもないのに、監視してる親のアカウントには罵詈雑言とか5ちゃんみたいなレスバが並んでて怖い。ちなみにこんなにのめり込んでるのに、おそらく一度もライブに行ってないし、CDとかも買ってる気配がないところと理解できなくて怖い。
まだ脅迫とか殺害予告まではいってないはずだけど、いつやらかすかわからなくて胃が痛い。20代のアイドルターゲットにして親が逮捕とかシャレにならん。
親戚のおっさんも野球選手への中傷で開示されたって話しててドン引いたし、50オーバーの人にネットマナーとかモラルってどうやったら叩き込めるんだろう。