はてなキーワード: 投影とは
内容をあまり知らないゲームやアニメなどの版権キャラでもオカズにしている事がある。
VOCALOIDやスマブラやポケモンの女キャラや艦これなど、版権物の内容は知らないけどかわいいヒロインがセックスされてる二次絵をpixivとかで漁る習慣がもう10年以上経ってる。
最近になって、何で抜いているんだろう?何が良いんだろう?とふと疑問に思って、
自分が今まで抜いてきたエロ絵の共通点とかを思い巡らしてみると、
「自分に無いカッコよさを異性に求めているから、ヒロインでオナニーしている」という事に気付いた。
ヒロインの見た目がかわいいから抜いていたと思ったが、実は「優雅なカッコよさ」が肝だったのであった。
エロ絵として描かれているヒロインがエロいことをしてても、持ち味のカッコよさはブレていない。
ヒロインの胸や局部が露出したりヒロインがセックス行為をしてても、カッコよさは持っていてヒロインに余裕があるように描かれているから魅力的。欲している醜さよりもカッコよさが上回って完全には快楽に溺れていないから上品さが残ってる。
アイドルが凋落してAVに堕ちる例ではないが、もし性根が腐ってしまっているのをヒロインが体現していて(顔とかのデザインに表れてて)普段からクールさが抜けてるようだったら、その女がセックス行為をしてても下品で惨めな娼婦に過ぎないような魅力や期待の無さになる。
「いや、その女がかわいいからオカズにしているんだろ」という指摘があるかもしれないが、それは自分の好意や親近感があるから副次的で「かわいい」と思ってるので、それで錯覚して「かわいい」をオカズにする理由にしてしまっているという事なんだと思う。
それをオカズにする理由が「かわいい」だったら、他の二次絵もかわいい物ばかりだからそれもオカズにしてないとおかしいので。
(または、自分がカッコいい物を得たトレードで、ヒロインに自分の好意を投影してヒロインをかわいいと思っている可能性。)
「『カッコよさ』の感じにピンと来ない。例えばどんなカッコよさなの?」と指摘されるかもしれないが、
例えばマリオというキャラは、「カワイイ」のではなく「カッコいいおじさん」であるというのを近藤浩治さんが言っている例が類推できる。
自分が小さい頃から何かと不細工とか劣等感を感じていたりしてか、自分に無いカッコよさを何気に求めているのかもしれないと。(フロイト的には無意識(夢)は願望であるというので。)
それを性によって支配する事で性欲だけでなくカッコよさも充足をしているのではないかという理屈に至った。
結局、ヒロインを愛でてるようで自分を愛でてる事に思えてしまった。
(余談: 異世界系の物語が働き盛り以降の世代に割と人気があるという事を聞いたが、社会でうだつが上がらず活躍していなかったら、異世界で活躍している主人公に自分の願望を重ねても不自然ではないと思った。)
そもそもなんで二次絵で抜いているか?という疑問については分からないが、斎藤環先生の「アニメの絵で自慰が出来るかどうかがオタクの基準」にヒントがあると思われる。
コイツはそういうのがコンプレックスなんだろうなあと思って不快感を和らげる程度の余裕はある。
チー牛とか弱者男性とかも効かない。
ネットの流行り文句を適宜鳴き声に取り入れるチンパンジーだなと思う。
自分はそこまで気にしてもいないし、おれを知っているはずもない奴がネットの向こうで適当に言ってるだけだから。
「効いてるw」みたいな言い返しても言い返さなくても有効判定されるダブルバインドあるけど、それも効かない。
ゴキブリに付き纏われたような不快感はあっても効いてはいない。
自分を見せようともしないで自分を分かってもらおうとしてる。それで作られた自分に対するイメージに対してほんのりと勝手にイラついてる。
全力出した事ない癖に「天才と秀才」みたいな物語の秀才側に自分を投影してる。
人間関係なんて社会性をまとえばいいだけの事だろ、自分はそれが出来てる。とか思ってるけど、傍から見てあんまり出来てない。やってないんじゃなくて出来てない。
自分は何もやってない割に高みの見物気取って、周りの挑戦の失敗を願ってる。別にそこで勝負してないし、とか思って余裕こいてたら本当に差をつけられたくない部分でも周りに差をつけられてる。
とか言われたら割と効くと思う。
でもまだ本当の本当の本当に「効く」ことはあると思う。囮の弱みを差し出して、敢えて見せた「隙」に飛びつくチンパンジーをあしらって真の弱点は隠す。そういう小賢しい生き方だけどそれなりには楽しい。
物心ついた頃からアニメや漫画の世界にもしも自分がいて、好きなキャラと仲良くなってあわよくば恋人になれたら…という妄想をしていた。にもかかわらず、約四半世紀生きてきて人と付き合ったことはおろか恋愛感情を抱いたことがない。
傍から見ればただのイタいオタクだし、自虐でそう言ってしまうこともあるのだが、最近この心理について言語化できてきたので思考整理も兼ねて少し真面目に書いてみる。
しかし私は推しを好きになればなるほど、えも言われぬ不安が膨らんでいくのを感じていた。そしてそれは推しが現実に生きている人間だからだと気付いた。
彼はアイドルとしてカメラの前では自分自身をプロデュースしていて、そうでない時は当然ひとりの人間として生きている。しかしマスコミはそんな彼らのアイドルらしからぬ面、カメラの向こうに見せようとしていない姿を白日の下に晒そうとする。もしも推しのそんな面が露呈してしまったとき、私は変わらず推しを好きでいられる自信がない。内容によっては嫌いになってしまう可能性すらある。それが嫌。
二次元のキャラクターはカメラに写っていない部分は無に等しく、作中で描かれていること以外は空白。その部分を想像して描いた二次創作は人によって解釈の違いはあれど全て妄想で真実ではない。
自分の頭の中でだけは100%自分に都合のいい推しを愛することができるのだ。好きな気持ちは自分の中で永続する。つまりは偶像化。
私はこれを生きている人間相手にするのが苦手なんだなと思った。自分と全く違う人生を持つ他人に理想の恋人を投影できない。どんなに初対面の印象が良くても関係を深めるうちに好きになれない、受け入れられない部分があるのは当たり前だ。そんな部分をコミュニケーションによってお互いにどう折り合いをつけるか探っていけるのが健全な人間関係だと思う。恋人という特別な関係であるならば尚更。
ただ、私にとってそれは恋ではないのである。
二次元キャラに対する恋は永遠に一方通行で、相手が実在しないからこそ自分の好き勝手な偶像を押し付けることができる。だから楽しくて、心にささやかな潤いをもたらしてくれるのだ。
(妄想を表に出すなら公式や見たくない人に見せない配慮は必要)
三次元の人間を好きになって、相手から同じ感情が返ってくることはどんなに嬉しいのだろうとたまに考える。おそらく恋人という関係を長く続けられている人たちは相手を偶像化した恋愛感情を取っかかりにして、偶像とは違う相手の嫌な部分にも折り合いをつける関係性にうまくシフトしていけているのではと思う。そうして人生のパートナーとして共に生きることを選ぶ場合もあるだろう。
感情の熱量で言えば燃え上がる炎のような恋愛を経て、蝋燭の小さな灯が揺れる穏やかな愛へ、といった感じだろうか。
冒頭でも書いた通り私は20代半ばなので同級生が結婚した、という話題もしばしば耳に挟むようになった。惚れた腫れただけの恋愛はほとんどの人が終わらせて、恋人をつくるならその先を考える年齢になってしまった。
そして私自身も、今から惚れた腫れたをしようとするには心を燃え上がらせる燃料、精神的な若さみたいなものを失ってしまったように思う。生身の人間相手の恋愛を経験し損ねてしまったのかもしれない、ということが少しだけ惜しくなる。
恋してみたいなー。
https://www.nintendo.com/jp/switch/amjja/index.html
2024年3月22日、『プリンセスピーチ Showtime!』が発売された。
ピーチ姫が妖精ステラと共に、「グレープ団」に脅かされた劇場を取り戻していくアクションRPGである。
予告映像では剣士、パティシエ、探偵…など魅力的な姿に変身するピーチがピックアップされた。
華やかな劇場と剣戟を披露する姫、かわいらしくも細やかなディティールの背景。
それだけで「今すぐにこれを買わせてくれ!」という気分になってからあっという間にその日は来た。
実際プレイした感想を読んでいただく前に、前提として知ってもらいたい事がある。
私は少女のうちに「女の子らしい事」ができず、心の中のお姫様が成仏していないまま成人してしまった。
典型的な女の子らしい事を大っぴらに楽しめる年齢をすぎてもなお、未練を残している。
その原因には周囲のからかいも大きかったが、言われるがまま「可愛い」を恥じてしまった事が大きい。
かといって、リボンの騎士やギュアブラックのようなカッコいい女の子になるには迫力も勇気も足りなかった。
憧れをめいいっぱい抱えているのに、地味な事しか自分に許せなかった人はたくさんいるのではないだろうか。
可愛いへの未練を残したまま大人になると、ファンシーに対してタガが外れてしまう。
これでも社会人を続けていると、自分を守るために表向きファンシーを封じられるようにはなるが、家に帰ったら即姫君である。
『プリンセスピーチ Showtime!』はそんな可愛いものに飢えた心を満たしてくれる。
お城のセットを駆け回りたい。
可愛くてカッコいい王子様になって剣を振り回したい。
煌びやかなクッキーをたくさん焼きたい。
大きなホイップを抱えるパティシエになって自分よりデカいケーキをデコりたい。
そんな夢も叶えてくれるのだ。
ここからはネタバレになるので控えるが、なんと体験版の時点でこんなに叶うのだ。
そして、『プリンセスピーチ Showtime!』が満たしてくれるのは心のお姫様だけではない。
そうなると、心の中にお姫様人格を持ちながら「姫の成長を見守る侍女」の人格が芽生えてくる。
『プリンセスピーチ Showtime!』をプレイすると、ピーチに自己投影してお姫様になりつつ、
剣で敵をなぎ払いながら
「姫様…!逞しゅうなられましたね…!」
「お菓子作りってとっても難しいのね。いつもばあや(私)が作ってくれてるから分からなかったわ」
「姫様…!私のためにご苦労をなさって…!ここからはばあやにお任せくださいまし!」
最高である。
現実では私が一人でゲームをプレイしつつ弁当の下拵えしたり洗濯したりしてる。大人なのでゲームも生活も自分一人で守らなければならない。
それでも心だけは姫様であり、彼女を見守る侍女として可愛らしい劇場を冒険しているのだ。
『プリンセスピーチ Showtime!』は子どもの私も大人の私も救ってくれた。
本当にありがとう。
そして私のように少女趣味に未練を残した人、あるいは、恥ずかしくて楽しめていない女の子や男の子、どちらでもない子も興味がなるならぜひプレイしてみてほしい。
隠したっていい。一番大切なものは、明かさないことで守られる事だってある。
老若男女問わず、可愛いものが好きな人はぜひプレイしてください。
ここまで読んでくれてありがとう。
最近、グランドシネマサンシャインの「デューン砂の惑星2」のIMAX上映でスマホを光らせたとか話し声がうるさいとかでXの映画界隈が盛り上がっている。
映画ファンの端くれとして、どうしてそんなに映画ファンがキレるのかということについて話してみる。
劇場の構造やスクリーンの規格についても説明するがわかりにくい要素は省くのでその辺はご承知頂きたい。
グランドシネマサンシャインは池袋に2019年にできたシネコン(映画館)である。大小様々なスクリーンを備えていてさまざまな作品を上映しているところだと
考えてもらえればいい。この映画館にはレーザーIMAXシアターという特殊な上映室が存在する。簡単に言えば通常のスクリーンよりも大きいスクリーンを設置し、スピーカーも
それに合わせて高音質でサラウンドが効いている上映室だと思って欲しい。豪勢な設備な分通常の料金(2000円)より特別料金(800円、3Dの場合は1300円)が加算される。
また、ここのレーザーIMAXシアターは他の映画館にもあるIMAXシアターと違い、通常の画面サイズよりも縦に長く映画もその縦長なスクリーンに合わせた撮影をした映像が流れるため、普通の映画館よりも
見えない部分が見る事ができるようになっている。この設備は日本ではここ以外には大阪のエキスポシティにしか存在しないためこのIMAXで映画を見ることは映画ファンにとって
普段よりも高い金を払っている代わりに超特大(しかもここでしか見れない)映像と音響で鑑賞できる贅沢な環境とされている。
今回マナー違反で映画ファンがキレていたのは「デューン砂の惑星2」というSF映画の上映中にこういうマナー違反があったからだそうである。
映画は本編が始まると部屋が暗くなり目の前のスクリーンにだけ光が投影される状態になるのでスマホ以外でも光源を出すと隠していていても非常に目立つのと
何より映像が霞む場合があるので映画ファンから非常に嫌われるマナー違反だったりする。私も一回何処かでスマホが光ると画面に対する集中力が削がれてしまうので
そういうのを気にしている人が多いというのはよくわかる。映画ファンの思考からすると、映画館の中でも特に映画に浸る事ができるスペックの設備でやらかされているので
文句の一つでも言ってやりたくなるのだが、仮に怒鳴ったらその時点で自分自身もうるさい私語を放つことになるジレンマに陥るので対処するのに躊躇いが出てしまい
上映後にXで晒して注意喚起の名目で憂さを晴らすしかなくなる。その結果、グランドシネマサンシャインは映画ファンの中で「最高の設備があるのにクソな客をつかまされるシネコン」
と認知されつつある状況になっている。同じような理由で本編上映開始後の入場は映画ファンにとってはご法度で「間に合わないなら行かない選択をすべき」と宣う奴までいるほどだ。
映画ファンの視点からだとマナー違反に対していそうなるのだが、このシネコンには構造的な問題があるのでその点にも触れておく。
都心のシネコンなため、ビルに映画館が詰まっているような構造になっている。映画を見る場合、まず1階から4階までエスカレーターを登ってシネコンの入り口に行き
チケットを買うなり引き換えるなりしてコンセ(売店)を物色してIMAXに行こうとすると更にエレベーターで12階まで向かわなければならない。エスカレーターで向かっても
いいのだが他のシアターに向かう客に阻まれて間違いなく時間を喰ってしまう。おまけにIMAX階まで行くエレベーターが2機しかないので上映間近になるとエレベーターを待つ人で
行列ができてしまうほどだ。何も知らない人からすれば上映開始間際についたとしても1階から12階まで移動するのに無駄に時間を消費してしまう。そうして間に合っていたのに
上映時間に間に合わないなんてことが起こり得る。しかも、このIMAX上映室は入り口は場内の一番下に設置されているので仮に一番上の席を予約してた場合、どの列か把握するのは
暗闇の中では困難だろう。おまけに階段をずーっと上がっていく羽目になるので見ている側としてはうろうろしている変な奴がいるふうに見えてしまうからタチが悪い。
上映時間の20分前には劇場の入り口にいることをお勧めする。なんか買いたいなら見た後で。
スマホは電源を切ってみたくなる誘惑を完全に断ち切る他ない。それすらできないならどうしようもないだろう。
あるコミュニティで冗談めかして何かをdisりあう状態が発生する
私もそれに参加する
私にストーキングする男は何かをdisる私に自己投影し、私が心の底から他人を卑下してるのだと勘違いする
無論それはただのノリに過ぎないのだが、その男はアスペルガーも併発しているので、それが冗談であることが理解できないでいる。
意味のない無駄なコミュニケーションを行ってることはそこにいる全員が理解しているのに、その男だけはそれが冗談を含んだ時間潰しであることを理解できないらしい
私を自己愛性パーソナリティだと印象付けるためにありとあらゆる嫌がらせもする
私は美大出身で厳しい講評会も経験してきたし批判も重要なものだとして受け入れてきた。