はてなキーワード: ヘイターとは
トランスジェンダリズム批判の中には無自覚な「発達障害」認定と差別が紛れ込んでいるのが気になる。
このポストみたいに。
「女は生理が来て嬉しいものだと思ってた(ので喜べない自分は女じゃないと思った)」ってそれ、単なる女性差別主義者じゃん。発達障害関係ないだろ。
しかも「トランスヘイター」と違って「発達障害ヘイター」とは呼ばれないのが理不尽
4時半
@430Yoji
女性自認の「私は女」または男性自認の「私は女ではない」という人の「女」の解像度の低さやっべーな…という印象があったのの答え合わせだった。
あなたが「トランスヘイトは人を殺す」と説くならば、わたしは「そしてあなたが武器商人だ」と返すだろう。
そもそも、日本のインターネット上で急速に広まりつつある「反トランス言説」の始まりは、
18世紀末に始まる女性解放運動が、SNSで結実した万民による草の根フェミニズム、
その中で芽生えた「ミサンドリー(男性憎悪)」という悪の根を、先人として指導的立場に立つべきアカデミシャンが、摘むどころか「フェミニズムの武器」として称揚したことにあるのである。
我々の社会は男に支配されており、虐げられる女がミサンドリー(男性憎悪)抱くのは当然の自己防衛だ。ミサンドリー、男性憎悪を力にかえて家父長制に抗っていこう。
これは、もう一歩抽象化すると、世界を「悪の帝国」とそれに抗う「我らレジスタンス」の2つに分ける、部族主義に基づく聖戦の喚起とまとめることができる、---しかし「ジェノサイド」を起こすのはまさにその「戦争」なのだ。
ここで、トランス排除言説とされる典型的な論理を確認しておこう。
同じ女性スペースといえど女子トイレと女子風呂では、議論にやや違った取り扱いが必要になるので、本増田ではより単純な「女子トイレ」に限定する。
なお、この論理が向けられる先はトランスジェンダーのみではない。トランス女性を非難する同じ人間が、同形の論理で男児と母親をSNSで責め立てていることも指摘しておこう。
一般に、幼い子供が外でトイレに行きたくなったとき、安全のため親は子供を一人にすることができない。確かに、母親は女子トイレを使うので、形式上は「男性が女性スペースに侵入する」ことになる。
幼い子供だって性欲や加害欲はある、女性トイレに入るなんて性加害だ。女親は男児を生むと「名誉男性」になって女の気持ちがわからなくなるんだ。
このようなツイートは平気で数千のいいねを集めてしまうのが現代日本のSNSである。
ミサンドリーとアカデミシャンと言えば、はてな村の諸賢にとって最も印象深いのは、『男性皆殺し協会マニフェスト』の紹介で知られる武蔵大学のフェミニスト北村紗衣教授であろうか。
しかし「去勢の恐怖におびえる男性」「びびるだろうね!楽しいな!」程度の発言であれば他のフェミニストにも見られるし、専門はシェイクスピアとフェミニズム批評でこの話題とはやや遠い。
この増田で本当に取り上げたいのは2人の「トランスジェンダー」「フェミニズム」双方に権威を持つ専門家
2001年『トランスフェミニズム宣言』でフェミニズムの世界史に名を残すアメリカ在住の研究者エミコヤマ、と
クィア理論の専門家で、ベストセラーのフェミニズム入門書の執筆者でもある東大教授清水晶子、である。
エミコヤマ@emigrl
清水晶子@akishmz
(世の中にこんなにミサンドリストが少ないことが)結構気になっていた。現状でミサンドリーとミソジニーは絶対に対称的に語れないはず。
(フェミニストが「私は男嫌いじゃないですよむしろ男好きです」的な主張をするくらいなら、)ミサンドリーを引き受ける方がマシだと思います。
前節で確認した「ミサンドリーがトランス排除を引き起こしている」という事実が目の前にあるのに、なぜ権威は、トランス排除との対決と、ミサンドリーへのラディカルな称揚を両立させることが出来るのだろう。
権威の答えは以下のようになる。
エミコヤマ@emigrl
ミサンドリーを口実にトランス女性を攻撃する人がいるとしたら、それはトランス女性のことを男性だと決め付けているのだろうと想像するけど、あなたはその判断に同調するの?同調しないのであれば「なんでミサンドリーが女性を排除する口実になるんだよ」で終わる話。
清水晶子@akishmz
ミサンドリーはトランス排除に繋がっているという意見について、その二つは自動的に「繋がる」のではなく、それを「繋げる」作業が進められてきたと私は理解しています。
必要なのはその回路を断ち切り、女性差別とそれを背景としたミサンドリーとをトランス排除の口実として利用させないことです。
「ミサンドリーはトランス排除に繋がるのでよろしくない」という理解は「繋げる」作業の存在を後景化させ、「トランス排除は性差別社会への反応としてのミサンドリーが呼び寄せたものだ」という形での正当化を可能にします。
特に清水教授の見解は、正直一読ではよくわからないと思うので、二人の意見を私なりにまとめよう。
あなたがトランス排除の原因としてミサンドリーを指摘したとき、
あなたは成立しないものを「繋げる」作業を行っているのであり、
つまり「女子トイレから男児を排除しようとするのはミサンドリー(男性憎悪)」「女子トイレからトランス女性を排除しようとするのはミソジニー(女性憎悪)」で全く異なるものだという理解になるのだろうか?
明らかに同じ人たちが行っている同じものであるのにも関わらず、政治的に正しくないから全く違うものなのだとであると。
アカデミシャンが配った武器「ミサンドリー」は事実として「トランス女性の尊厳を奪う」ために使われている。
アカデミシャンは自分の手が汚れていることを認めたくないだけなんじゃないですか?
清水教授はトランス排除に立ち向かう戦略として、「ノーディベート・ノープラットフォーミング」を日本に広めたことで有名である。
差別者と対話してはならない、差別者に発信の場を与えてはならない。
この後者、ノープラットフォーミングの実践の実例が、「トランス排除言説に利用される恐れのある本を焼く」、『あの子もトランスジェンダーになった 』の出版停止運動である。
しかし、『あの子もトランスジェンダーになった 』抗議運動に注目すると、ひとつ興味深い観察が得られる。
清水教授は基本的に沈黙を保っているのだ。まさか差別者KADOKAWAと対話しないという原則を貫いたのか?
実働部隊として動いたのは、テニュアを持たない大学院生、清水教授の教え子らであった。
仮にいかなる大義があろうとも「本を焼く」行為は、大きな批判を呼ぶ。本来リスクを背負うべきなのは、そのための終身雇用権テニュアをもつ教授であるはずなのに。
インターネットTV・アベマプライムが「トランスヘイター」を招き、討論番組を制作したことがあった。これをノーディベート戦略の観点から見てみよう。
【風呂トイレ】性の多様性と女性スペースどうなる?不安の解消は?女装男の暴走は?トランス女性の生きづらさとは?|アベプラ
まず見て取れるのは、清水教授はもちろんのこと、先に言及した若手研究者・文筆家を含め学術系フェミニストが参加していないことだ。
トランスを擁護する立場で参加したのは、やや所属するクラスタの異なる、ゲイの弁護士南和之のみであった。
またさらに観察を進めると、差別に抗うフェミニストはこのような議論に参加しないという、ノーディベート戦略はあまり効果的に働いていないのでは?という疑問が湧いてくる。
弁護士南和之は男であるがゆえに、フェミニズムを前提とする議論では劣勢とならざるをえないからだ。
「トランスヘイター」が女の苦しみを語るとき、南和之は「あなたの苦しみはフェミニズムよく分かる。自分は男であり虐げる側だ」と認めた。
「トランスヘイター」が「男が女性スペースに入るという恐怖」を語るとき、南和之は「トランス女性はより虐げられる側なのだ」と苦しい反論しかできない。
正しいフェミニストの女性が一人でもそこにいたら、女性として女性スペースがどうあるべきか語れたはずなのに。
そしてそれでも、SNSでは、南和之は女に対し「マンスプレイニング」しているのだと非難が飛び交った。
番組でも取り上げられている、「トランスヘイター」の日々の活動を見ると、さらに酷いことになっている。
デモにおいて、「女の風呂に男は入るな」という女の声に、覆いかぶさる「トランスヘイター帰れー」と男の声。
「あのトランスヘイターの本名は〇〇で家族構成は〜〜。どんどん個人情報を暴いていこうぜ」と語り合う男たち。
おらつき左翼男たちが「トランスヘイター」をシバいてやろうと、「トランスヘイター」と戦っているのだ。
もちろん「トランスヘイター」が返す言葉は、「女の声を聞け!」「マンスプレイニングやめろ!」だ。
はっきり言ってしまおう。左翼男とトランス排除者、どちらの側も争いの大義名分として掲げる諸概念は、アカデミシャンのフェミニストたちがもたらしたものではないのか?
そうであれば、これは、争いの両側に武器を授ける「死の商人」と言われるものではないか。
「ノーディベート」により、アカデミシャンは全面に出てこない。自らの手を「差別の穢れ」で汚さないためである。
相手が誰であろうと、個人情報を危険な場に晒そうとするような行為は不当。そんなこともわからないような愚かな男たちに攻撃されるたびに
「トランスヘイター」は自分たちは女の側でミソジニーと戦っているのだという確信を高めていく。
トランスジェンダーの生存戦略と称し、実態はジェンダー学者の保身戦略。
残念だなあ。読んで判断したかったよ。こんなこと言ったらお前はトランスヘイターと糾弾されるSNSなんで
はてな匿名ダイアリーに書いておく
いろんな人が発禁なんて独裁だのなんだの言ってるが発禁で良かったと正直思っている。
しかも発禁なんて独裁だのなんだの言ってる人の多くはトランスジェンダーの事に詳しくない人が多数を占める
これはどういうことかと言うともし発売された場合
トランスジェンダーに詳しくない人は知識が無いためどこが間違ってるか精査できない(中には調べたがる人もいるだろうけどごく少数だと思う)
トランスヘイターはこの書籍を免罪符や大義名分として界隈や個人を殴ってくる
トランスジェンダーに詳しい医師や当事者やアライは数が少ないために内容を訂正しようにも追いつかない状態になる
他の増田とか見聞きした話だと昔買ってはいけない系書籍が出版された際の対抗策が『買ってはいけない系を読むな』というタイトルの書籍を発行するだったそう
現在ならインターネットで反論することも可能だと思うが反ワクチンや陰謀論者やトランスヘイターが消えてない以上は難しいかと思う
最悪のケースとして荒れに荒れてそれを見て病んだ当事者が自殺してしまった場合
この書籍が出版されたのが原因だ!と断定するのはかなり難しいと思うし
大義名分として個人ではなく界隈を殴ってきた場合だと有象無象にいるから個人を特定することは不可能で泣き寝入りにしかならない可能性のほうが高い(この場合に事の発端の出版社を相手取って裁判できるかどうかは法律に詳しくないので誰か教えてくれ)
昔からし蓮根やかいわれ大根で食中毒があった際に関係ない企業まで風評被害にあってかいわれ大根なんか食中毒とは無関係だったのに倒産はたまた自殺者まで出してしまったので
トランスジェンダーの命を守るためと称して、トランスヘイターには対話の場を与えない、主張の発表の場も与えないという戦略を、学者や活動家たちが実践している。
しかしこれは30年前の近藤誠「トンデモ本」に対して日本の医学界が実践したことと同形であり、この前世紀に起きた「キャンセル」は、蓋を開けてみればむしろ失われる命や尊厳が増えたという悲劇に終わった。
キャンセルの力は「対話を重んずる側」に向かっており、患者を守ると称して守られたのは、「正しさ」をパターナリスティックに押し付ける権威のメンツだけだった。
そもそも「トンデモ本」が、日本屈指の高リテラシー層である編集者たちの会議を通り出版されようとするのは、学術界の市民に対するコミュニケーションに課題があることを示唆しており、
今回も、刊行停止本が問題提起した「勘違いトランス」は、多く実在し苦しんでいるのにも関わらず、社会運動上都合が悪いために目が背けられているという実情があるではないか。
我々が見習うべき模範例として、『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート』という、ただの揚げ足取り本にとどまらない優れた通史が出版される結末に終わった、『日本国記』騒動を提示する。
学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ | KADOKAWA
[B! 出版] 学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ | KADOKAWA
2023年12月5日、KADOKAWAは来年1月24日の発売を予定していた書籍『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の刊行中止を発表した。
ブコメもこの決定を「トンデモヘイト本は出版されるべきでない」と概ね支持しているようだ。
しかし、これは表現の自由を侵害するキャンセルカルチャーであるばかりか、現実に存在する問題から目を背けるという極めて問題のある対応だと私は批判する。
KADOKAWA「トランスヘイト本宣伝」の数週間前、インターネットTV・アベマプライムが「トランスヘイト」番組を作成したとのことで物議を醸したことがあった。
【風呂トイレ】性の多様性と女性スペースどうなる?不安の解消は?女装男の暴走は?トランス女性の生きづらさとは?|アベプラ
しかしここで取り上げたいのは「トランスヘイト」側の女性たちの声ではなく、彼女らに反論する役割として招かれた、性同一性障害特例法訴訟の代理人・南和之弁護士の発言である。
上の動画へのリンクは、南和之弁護士の発言から始めているので「トランスヘイト」な声が怖いという方もご心配なく再生してほしい。書き起こしは以下の通り。
性同一性障害特例法で私は多くの案件もやってますけれども、女性の体を持って生まれた人が男性の法律上の取り扱いになりたいというケースの方が私の体感としては圧倒的に多く感じますし、
またこの法律で取り扱いを変えたんだけれども、やっぱり戻したい・間違いでしたっていう方の相談も比較的多くて、
それもやはり生まれた時の体は女性だけれども、女性であることのしんどさから私は自分で性同一性障害だと私を勘違いした、だから男性って戸籍を変えたけどそれは全然違うかったというわけなんで、
つまり『あの子もトランスジェンダーになった』が問題提起する、「勘違いトランス」は明らかに実在し、そしてそれも全く珍しくないことを、実務家として現実を最もよく知る弁護士が認めているわけである。
南和之弁護士が言及する「女性」に戻りたい彼女らは、一度、女性から男性に一度戸籍を変更しているわけであるから、もちろんただの「自称男」だったわけない。
性同一性障害の診療ガイドラインに基づき、2名以上の専門医が「彼は出生時女性に割り当てられた男性なのだ」との診断で一致したはずであるし
ホルモン治療も継続して受け続け、乳房や生殖器への手術も行ったのだ。
そこまでしても「誤診」は、「比較的多く」生まれてしまうのである。
なお、このような「活動家には都合の悪い事実」が、迂闊にも「トランスヘイト番組」で発言されるという珍事が生じたのは
南和之弁護士は、活動家である以前に実務家であるという点が強く影響していると思われる。
そもそも純粋な活動家はトランスヘイターと対話を行ったりしない。これを、「ノーディベート・ノープラットフォーミング」戦略という。
この手の内を実践者として明らかにしたものとして、清水晶子東京大学教授の2022年8月講演「キャンセルカルチャーと学問の自由」が広く知られている。
文字起こし全文は、anond:20220805225632 などにあるが、要点を引用すると
ハッピーなダイバーシティの食卓で自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。
食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消すべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、そこに対話など存在しようがない。
トランス問題に関するSNSの動きを見ていると、このような思想に殉ずる活動家・学者と、現実の問題に向き合う弁護士らは、かなり質的に異なる主張をしていることがわかる。
「トランスヘイターとは議論しない」と強く対決を訴えるMtF弁護士仲岡しゅんですら、「活動家には「TERFと同じことを主張している」と見做され、私は嫌われている」と漏らすほどである。
そうはいっても、「作者の Abigail Shrier はイスラエル信者の極右だ!」とか「学術的に徹底的に否定されている!」とまで言われている本だ。
「偶然、問題提起の部分だけあってるだけだ。トンデモ本を元に現実の問題を議論してはだめだ」との声もあるだろう。
しかし、仮にそれを信用し前提とするとしても、出版停止に追い込むほどの本なのか?
本キャンセルの問題を最も鋭く突いていると私の考える、「橙⚡️@_0ranssi_」氏のツイートを紹介する。
500000000回言ってるけど、ストレートに人を殺す代替医療本が出版できるのに、たかたがアメリカ版有本香のお気持ち本が出せないの本当におかしいだろ。底が抜けた感ある。
そりゃあこの本はほとんどが客観情報でなく当事者の家族のインタビューというストーリーと少しの学術論文(大部分はすでに撤回された論文)に依拠しているけど、ジェンダー界隈で出る本としては特段エビデンスレベルで大きく劣るようなもんではないだろ。出してから批判するのではなぜいかんのだ
「いやもちろんトランス当事者の命を奪うトランスヘイト本と同様に、「ストレートに人を殺す代替医療本」もキャンセルされるべきだ。あなたが声を挙げるなら協力しよう」
「命を救うためトンデモ医療本は昔キャンセルしたんですけど、むしろ命奪われる人が増える結果に終わったんですよ。本を焼くものは人も焼くって詭弁に見えてある種の真理を突いてます、たとえトンデモ本でも対話を重んじましょう」
我々は「近藤誠」からキャンセルカルチャーへの教訓を学ばなければならない。
現在の近藤誠は、「いったいどれほどの人が彼のトンデモ医療で亡くなっただろう!」と最も強い言葉で非難されるアンチ医療の代表者であるが、彼は出版活動を始めた80年代のその当初から「トンデモ」であった。
当時の近藤誠は、誰よりも患者との対話を重んじた(患者は主治医の正しい治療をそのまま受け入れろよトンデモ医師め!)。
乳がんに対しては乳房温存する治療法を提案した(乳房全摘すれば安全じゃないか!患者を殺したいのかトンデモ医師め!!)。
そして、治療法の選択については統計データを誰よりも活用した(統計?個人と集団は違う当てにならないよトンデモ医師め!!!)。
もちろん読めば分かることであろうが、近藤誠の主張は現代の観点からすれば全くの正論である。ただ、当時の日本の医療水準からすると悲しいことに「先進すぎてトンデモ」だったのだ。
そのため、近藤誠医師は当時の医学界でハブられ、バカにされ、酷いパワハラに受け、出世の見込みのない窓際に追い込まれたとされている。今で言う「キャンセル」だ。
キャンセル・カルチャーの標的とされるのはいつも対話を重んじる側だ。権威は、パターナリスティックに「正しい」結論のみを、「命を救うため」として押し付ける。
これは現代の「ノーディベート」「ノープラットフォーミング」を唱えるジェンダー学者に通ずるものである。
その後長い時が過ぎ、医学界においてインフォームドコンセント・乳房温存療法・EBMはどれも標準治療となったが、その普及に近藤誠の寄与は大きくないものとされている。権威がトンデモと認定した近藤誠の話など誰も聞き入れはしなかったからだ。
そして、前時代の「ノーディベート・ノープラットフォーミング」の末に、近藤誠医師はどこかでぽっつりと心が折れ、真のアンチ医療・トンデモ医師に変わった。
当時の医師たちは、近藤誠をキャンセルしなければ、多くの命が失われると見做したのかもしれない。
しかし当時の医師たちが、「自分たちの医療は誤っているかもしれない」と自己批判する度量を持ち、近藤誠医師と対話を行っていれば
近藤誠医師の唱えていた先進的医療が早期に導入されただろう、不必要に乳房を失い尊厳を傷つけられた患者も減っていただろう、そして後の「トンデモ医師」の誕生が防がれていただろう。
当時の医学界の行ったキャンセルは、救命の真逆、命を奪う結果に繋がっていたのであった。
感染症の権威として知られる神戸大学医学部教授の岩田健太郎は近藤誠氏との対峙の仕方 として、こうまとめる。
だからぼくは近藤氏の本(ワクチンに関する新刊)を真摯に読んだ。そしてまじめに反論するのである。もちろん、再反論の機会は十全に保全して、である。
もはや真のトンデモに堕ちた風に見えても対話は続けなければならない。
そうでないと、命を奪う結果に終わった過去のキャンセルから、我々は何の教訓も学ばなかったことになるし、
そもそも大手出版社の編集部という日本屈指のハイリテラシー層の編集会議を通るという時点で、「真のトンデモ本」であっても現在の学術コミュニケーションの課題を示しているのだ。
キャンセルしたところで何も問題は解決しない。膨れ上がってより酷い制御できないかたちで爆発するだけである。
「命を救う」と称する権威は、トンデモキャンセルが「命を奪う」形に繋がったことが明白になっても誰も責任をとらない。むしろ責任回避のために引退まで自己正当化を続けるので、被害者は膨れ上がり続けるだろう。
私は「実はトランスジェンダーでなかった」問題はそれ自体で1つの本として取り上げられるべき大きな問題ではないか、と考える。
今は「トランスジェンダーはヘイトによって自殺する」「ヘイト本は燃やさないと命が失われる」という意見が権威だったとして、未来はわからない。
近藤誠のキャンセル事例を思えば、「あの本を契機に議論を深めれば……、不要なトランス診断・治療を行ったせいで自殺に繋がった事例が減らせたかもしれないのに」となる可能性は相当有りうるのだ。
先に引用した橙⚡️@_0ranssi_氏のツイートでは『あの子もトランスジェンダーになった』の作者を「アメリカ版有本香」と例えている。
これは、百田尚樹『日本国紀』を意識した発言ではないかと思う。有本香も編集に深く関わった『日本国紀』は多くの間違い・デマが含まれている歴史修正主義者本だと、左派リベラルから強く非難された。
先程、「真のトンデモ本」出版であっても、学術界のコミュニケーションの課題を示していると述べた。
『日本国紀』ベストセラーという結果にもそれが当てはまる。日本の歴史を統一的に通史として理解したいという読者の需要に、学術界が十分に答えられていなかったのだ。
その学術的により正統な答えとして1つの「日本国紀」の批判本、浮世博史『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート』という成果物が生まれている。
この本は、日本国紀批判本でありながら、1つの通史としても読むことのできるよう書かれた名著である。
私はこれを『日本国紀』を出版停止にできなかったリベラルの敗北ではなく、成功として見る。
左派の中で「右派の歴史修正主義者たちはこんな愚かなことを言っているwww」といった言説が出回ることがある。
これには私の経験上注意が必要だ。一度LITERAのある記事を読んで元ネタを確認したところ、「LITERA、右派の歴史修正主義者のやってること以上にひでぇ曲解してるじゃねーか」と感じられたことがある。
実際、敵対する右派だからといってそれほど愚かではないし、彼らなりのロジックはあるのだ。迂闊な左派活動家が安易に断言してしまうような根拠の微妙なところを突いてくることだってある。
もちろん、まともな歴史学者やジャーナリストは、この右派の論理を把握した上で、そのような主張は受け入れられないし歴史修正主義だと適切に反論している。
しかし結局より拡散されるのは「右派の歴史修正主義者未満」の雑々批判の方であることがあるのである。
世の中にトンデモ本は多く、すべてを自分で読んで批判することは困難ではある。
しかし、「アレはトンデモ本だ!」という指摘を読んで、SNSで拡散する前に、
その発信が、「読んから批判する」という基礎ができるという人たちなのか、見せかけに身を包んだ扇動家なのか、まず注意深く見定める必要があるのではないか。
なおさらに余談であるが、「右派とも歴史問題で対話の余地があるはずだ」と唱えた代表論客に、日本のキャンセルカルチャーの極地ともいえる共産党で「党首公選」求め除名処分を受けた松竹伸幸その人がいる。
トランスジェンダーのせいにできるとありがたいのよね。だからトランスジェンダーは変態、トランスジェンダーがトイレや風呂に入りたがっていて犯罪を助長しようとしているという論調に持っていけると嬉しいんだわ。
性犯罪は「男が悪い」ということにされてそっちに注目されると、まともな性教育を行っていないとか、親が男のヤンチャを甘くみてきたことが悪いとか、これまでの政策や教育のあり方が良くないというところにもつながる。
なぜか女性は産む機械扱いしてる右派がこぞって「女性スペース」に関してだけは女性差別!とか声高に叫んですり寄ってくるのはここ。
男は悪くない、右派の言う行き過ぎた性教育(笑)とやらを阻止したい、伝統的家族観(笑)を守りたいとか。トランスジェンダーは存在しない、すべてホルモン値かそのへんで男女の区分けはできるとか。
さらに言うと、トランスジェンダー女性という属性の人はトイレから排除して良いという実績をつくりたい。
属性によって施設利用を制限して良い、女だからここを使うな、障害者は出ていけ、外国人は出ていけ、を言いやすくなるんだよね。
あとトランスヘイターに乗っかる女の人達見ながら「やっぱ女ってバカばっかだな〜」って女性蔑視も強化してるんだと思うわ。口先では「女性の安全を守ります🥺」とか言ってるけどそんなもんよ。
性犯罪の9割以上はシス男性の犯罪で、トランスがやってる部分なんて0.1にも満たないのにシス男性の犯罪のときより大騒ぎして狂ってる女見て爆笑どころか一周回って引いてるとこすらある。
で、「女性は下方婚しない」って他責文脈でとなえまくったおまえの罪を数え終わったか? anond:20231102161600 他人のフリしてにげるなトランスヘイターミソジニストエロジジイの分際で
え、なに、これでおわりぃ? 何?今の全力の逃げ? 下方婚トランスヘイターミソジニストクソジジイはエロジジイでした 最悪 ネットに書き込む価値もないゴミ なにがマクロだ
でも現実問題そうだよね。女は妊娠させられたら育成「しなければならない」。
ところでおまえは本当に前言ひるがえしまくってはずかしくないの?蝙蝠みたいに都合のいいことばっかりいってるけど
「女性が女性と」結婚することも非難したの?同性婚は片方にとって必ず上方婚になってるけど「しない!」ってなに、無視?非難?