はてなキーワード: マインドフルネスとは
実際問題、アンガーマネージメントは、集中力や思考が散りやすい人と、自制心が強い人と、何も考えてない人にしか効かないしな
徳川家康は、短気すぎるが故に自分を律しようとし、晩年には毎日念仏を唱え書き記してた事で知られる人物ですが、
逆恨みとも言える怒りの感情は消えず、約三十年も経った後で孕石元泰を切腹させてます。
マインドフルネス・アンガーマネージメントとかの効果が期待出来るタイプは次の3つ
ただ感情を抑えようって気持ちは取り組み自体は非常に好感を持てる
職場や真剣な話し合い中に泣いても配慮しろって開き直るDQNがいる世の中だしな
▼関連増田:話し合いの途中で泣いちゃう人への対処、どうすればいいの?
https://anond.hatelabo.jp/20230426081719#
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230426081719
「寝ている間も緊張している」
なるほど。だから起きた時に体バッキバキなんすかね?(「寝るのは天国だぜー」とリラックスしているつもりでしたが)
自分は腹臥位で眠るの苦手というか無理なので、力が抜けるどころの騒ぎではありません
常に仰臥位にてほぼ寝返り無しです(これがいけないのは判る)
マインドフルネス系というか自律訓練法的なのは以前やっていて調子良いかなと思っていたのですが
ストレスが精神の平穏を奪いに来ると、寝る前のそういった儀式すら出来なくなりました
ただひたすらにASMRの力を借りて寝に入っております
寝ながら天井に小説を(プロジェクタで)投影して読んでしまいます
やめられない。これがストレス解消の一つだと思いこんでしまっているので
「頭を休めて身体を動かす」
難しいっす
ジョギングなんて高尚なことが出来ていた時ですら、走りながらブツブツ考え事をしていたので
運動に依る精神のリフレッシュも捗々しい効果を上げることが出来ませんでした
今現在は「身体を動かす為の運動」は全く出来ておりません。せめて柔軟くらいはしたい毎日です
職場が至近なので行き帰りは徒歩です。これが結構良い気分転換にはなりますが
お察しの通り反り腰な為、威風堂々と歩いているつもりで身体に負担をかけています
ストレートネックの診断は受けたことが無いですが幼少時より肩こりがあり
宿痾な為、もはや気にもならないレベルです
そして偶に首・肩が異常に痛くなる。そんな時は首に血栓でもあるのではと恐ろしくなります
本当に良い柔道整復師に診て貰って身体の歪み等を治していきたいのですが
田舎なのでなかなか難しい
しかも良いなと思うところは料金も高いし、時間的余裕も無い(通い初めの集中治療がクリア出来ない。間が空くと治療効果が無に帰す)
せっかく色々アドバイス頂いたのだから、出来ない理由を挙げ連ねるのはやめて
ありがとうございました
禅定をはじめとした瞑想でのいわゆる成功と言われる状態は意識の上に上がる事で、瞑想の種類によって「成功」状態の脳の活動はやや変わる
マインドフルネス瞑想=気付きの瞑想=随息観では外からの五感への刺激・感覚・想起される感情・思考・意識について細やかに気付く
この時眠気は無く非常に集中した状態になり、秒間30以上の自分の感覚に対する「気付き」を得る。脳波を測定するとフラットになり非常にリラックスした状態を維持している。
この瞑想を繰り返すことで集中力と知恵(知識ではなく無知無明が晴れた状態・感情や思考のバイアスがかかっていない外界と体への認知)を得、
貪欲・怒り・無明といったエゴから徐々に離れられ、最終的には第一の悟りに達する
第一の悟りは、有身見(自分は存在するという妄想)が消えることが一番大きい。
瞑想には種類が多く、他にも慈悲の瞑想(他者の幸せを願う)・ヨガ(宇宙と一体化し恍惚を得るヒンドゥー教を起源とした瞑想)・禅・死随観(死に至り死んだ後の体が腐っていくのを想像する)・マントラ瞑想(集中力を得る・宇宙と一体化する)
など色々あるがマインドフル瞑想が一番王道とされる。マインドフルネスは座って行う瞑想だけでなくゆっくりと歩いて全身の感覚を観察するバリエーションもある
心拍数が低い状態で興奮は出来ないので深呼吸して脈拍を整えようとすること自体には多少の意味はあります
肺呼吸をする動物はすべて呼吸に合わせて心拍が揺らぐし、呼吸は自律神経機能の中で唯一コントロールが出来るものです
ただし、マインドフルネスやるぞ!アンガーマネージメントやるぞ!とか意気込んでそれらの専門家()の手を借りないでも、
動かず目をつぶって深呼吸するだけで脈拍は整います
無いが?
『万人に効果があるものでもないのに万人に効果があるように称している』、
HealthDay News :Be ‘Mindful’ of the Hype
もうこの時点でマインドフルネス・アンガーマネージメントについて言及いるか?って話なんですけど
それで察することができるような人は "極端に物を考えないヤツ" じゃあ無いですよね?
心拍数が低い状態で興奮は出来ないので深呼吸して脈拍を整えようとすること自体には多少の意味はあります
肺呼吸をする動物はすべて呼吸に合わせて心拍が揺らぐし、呼吸は自律神経機能の中で唯一コントロールが出来るものです
最近、某襲撃事件の影響か、宗教の話題がホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。
そうした記事のひとつについたブックマークコメントに、「宗教のネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。
日本人の多くは実質的に無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキングな事件ばかりだ。
宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。
そこで、タイトルの通り、創価学会の学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメントや質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。
何か書いてみようかと思ったけれど、あまりに普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問を募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。
なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世か4世くらいにはなる。ここでは、生まれたときから学会に属しているという意味で2世と称します。
→特に疑問を感じたことは無いな。生まれたときからそういう環境だから「受け継ぐ」っていう感覚がそもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期は創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスもマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。
→あんまり歴史得意じゃないから一向一揆の時代に何があったのかわからないんだけど、「他者を攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会は暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者を攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分が暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね。
→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。
→選挙前に公明党に投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。
勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏(学会員に誘うことを折伏と言います)しましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘しちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメな勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。
→マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆どが学会員だろうからまだわかるけど、普通の大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブな感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。
→?どういう意味?
→葬式は形式と居心地が若干違うかな。学会員の友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体は普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀だから厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いから個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。
あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。
→良い部分もたいがい他人事だよ。自分はあんまり積極的に活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。
→自分はあんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときとかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行のマインドフルネスの一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄な時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想を毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。
→自分の年収は300万程度。まだまだ新米社会人だから薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会からも家族からも寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収は推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間で問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分は大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金で卒業させてもらえたし、金がないから必要なものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。
引きこもりだったこともあったけど、色恋とちょっとだけエッチなことが混ざっての人間トラブルだったね。
ちょっとだけエッチなことがあったから親には話せない。カウンセラーも裏切ってるんじゃないかと思ったから嘘の理由を話した。
色恋何だとしたら、相手は承認欲求を求めてたし、自分も承認欲求を求めてた。ただ、理解できたのはだいぶ後のことだったけどね。
何が原因かはわからないけど、当人が休んでなにかにケリをつけたり、理解をしないとならない。
ただまあ、だいぶ後にまたトラブったときにおくすり貰って楽になったから、余裕ができたら心療内科ぐらいはいいかも。
それから、頭を休めさせて、できれば自分の承認欲求(仏教の慢の感情)に向き合わさせるのは良いと思う。マインドフルネスや瞑想関係の本がおすすめではある。
ただし、悪いやつが弱まってるやつを騙そうとしているから、セミナーや団体に行かせることを前提とする本はダメ。
読みやすいので言えばマンガで分かる心療内科かな。18巻がマインドフルネス編。