はてなキーワード: 一貫性とは
「振り返ると、あの時代はやはり、日本の近代政治において最も暗い時期だったと思います。」
203X年、政治学者や社会評論家たちは、202X年に起こった日本共産党(JCP)の政権奪取について語る時、その口調には重い沈黙が伴う。彼らは、あの時代がどれほどの混乱と失望に満ちていたか、そしてその後遺症が今なお日本社会に影を落としていることを痛感している。
202X年、日本は長年の自民党政権が突如として崩壊し、JCPが第一党となった。この大転換の背景には、経済の長期停滞、深まる経済格差、そして自民党政権に対する国民の信頼崩壊があった。特に、若者たちは未来に希望を見出すことができず、自民党の保守的な政策が彼らの生活を改善することはなかった。就職難、住宅価格の高騰、少子化の進行、そして年金問題が絡み合い、多くの若者は「変革」しか道はないと感じていた。
「JCPが政権を取ったのは、国民が積極的に共産主義を支持したわけではなく、既存の政党に絶望した結果です。彼らは、もはや失うものがないと感じていたのです」と、ある政治学者は語る。国民の多くがJCPに託したのは希望ではなく、破壊的な変革によって何かが変わることへの淡い期待だった。しかし、それがどのような結末をもたらすか、誰も理解していなかった。
JCPが政権を取ると、直ちにその理想主義的な政策が打ち出された。最低賃金の大幅引き上げ、労働者の権利強化、累進課税の強化、大企業への規制強化が次々と施行され、政府は「労働者のための新しい時代」を謳い上げた。しかし、その影響はすぐに経済に現れた。中小企業は増大するコスト負担に耐えられず、倒産が相次ぎ、雇用が急激に縮小した。
「労働者を保護しようとする政策が、逆に労働市場全体を破壊してしまいました。企業は資本を海外に移し、失業率は急上昇。残された労働者たちは、希望があったはずの政策に失望していました」と、当時の経済学者は述懐する。失業者の増加は、JCPが掲げた「平等な社会」という理想とは程遠い現実を突きつけ、社会的な混乱が一気に広がった。
国内の経済問題に加えて、JCPの外交政策もまた重大な転換点を迎えた。日米安保条約の廃止という政策は、彼らが政権を握る前から掲げていたが、政権奪取後にそれが実現に向かって進み始めると、国内外で強い反発が生じた。アメリカ政府は日本の防衛義務を放棄するかのような動きに対し、厳しい態度を取り始め、日本は一気に国際社会から孤立し始めた。
「防衛の空白をどう埋めるのか、政府は明確な答えを持っていませんでした。非武装中立を掲げたものの、現実の脅威に対して無策であることが露呈しました」と、元防衛省高官は述べている。中国や北朝鮮の軍事的脅威が増大する中、日本は自らの安全保障を担保できなくなり、防衛力強化に急遽乗り出す必要があったが、それはJCPの理念と大きく矛盾していた。
さらに、JCP内部では早くから対立が生じていた。理想主義を貫こうとする急進派と、現実路線を模索する穏健派の間での争いが激化し、党内の団結は次第に崩壊していった。当初、改革の旗手として国民の期待を集めたJCPであったが、内部の混乱が続く中で政策は一貫性を失い、党内の一部は離党を示唆するに至った。
「党が掲げた理想が実現できず、むしろ国民生活を悪化させてしまったという自覚が、党内の若手議員たちに広がり始めました。改革が進まないどころか、全てが行き詰まっていたのです」と、元JCPの党員が当時を振り返るように、政党内部での分裂が政権運営に大きな打撃を与えた。
こうした混乱の中で、国民の間には急速に幻滅が広がった。JCP政権に期待をかけていた層は、経済の悪化と外交問題に直面し、自分たちの選択が間違っていたことに気付き始めた。特に、地方経済は完全に崩壊状態に陥り、失業率の上昇と福祉の低下が重なり、国民生活は次第に悪化していった。
「私たちはあの時、変革が希望になると信じていました。しかし、現実は違った。私たちの選択が、むしろ日本をさらに苦しめる結果になったのです」と、当時若者だった国民が述べるように、社会全体が「変革の失敗」を痛感するに至った。もはや希望はなく、政治に対する信頼も完全に失われていた。
「あの時代は、私たちがいかに無力だったかを象徴している」と、203X年の社会評論家は語る。JCPの政権運営は理想と現実の乖離によって破綻し、日本社会は深刻な分断と停滞に陥った。この経験から得た教訓は、「政治の選択がいかに国の未来を左右するか」という厳しい現実であり、今後の日本社会がこれを乗り越えるためには、あの「悲しい時代」の失敗を忘れてはならない。
「日本があの時、何を失ったのか。そして、それを取り戻すのがいかに難しいか。それを思い出すたび、私は胸が痛むのです」と、識者は静かに言葉を結んだ。
「どうすれば変えられたのか、悔やんでも悔やみきれない」
多くの識者がこのように反省の念を抱きながらも、振り返れば、それはもはや手遅れであることを知っている。あの時、何かが変わっていれば――もっと早くに、目の前の問題が見えていたならば――日本は、異なる未来を手にしていたかもしれない。だが、その「もしも」は、今となっては叶わない夢であり、選び取った結果の重さを受け入れるしかないという現実に、人々は否応なく直面している。
「私たちは無力だった。しかし、もっと無力だったのは、あの危機が目前に迫っていたにもかかわらず、誰もがそれを本気で直視しようとしなかったことです。無知や油断、そして過信が日本をあの道へと進ませたのです。」
振り返って見えるのは、自らが選び取った決断の結果であり、それを避けることができたはずだという後悔の念に駆られた国民の姿だ。もしも当時、もっと冷静に、もっと現実を見つめていたら――この反省は未来の日本に引き継がれなければならない。
識者はそう締めくくりながらも、その言葉には、深い屈辱と悔恨がにじんでいた。失われた時代に何もできなかった無力感が、未来への一歩を踏み出すべき教訓として刻み込まれた。そしてそれは、次の世代に託された希望への道標となることを願っているかのように、静かに語られていた。
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A.
その通りです。エビデンスレベルが高いということは、研究結果の信頼性や確実性が高いことを示しますが、因果関係を証明するには別の厳密なプロセスが必要となります。
医学や科学の研究において、エビデンスレベルは研究デザインや方法論の質に基づいて評価されます。例えば、ランダム化比較試験(RCT)は、参加者をランダムに介入群と対照群に割り当てることで、バイアスを最小限に抑え、高いエビデンスレベルを提供します。しかし、RCTであっても、因果関係を直接証明できるわけではありません。
因果関係を証明するには、以下のような条件を満たす必要があります:
1. 時間的先行性: 原因となる事象が結果となる事象に時間的に先行していること。
2. 関連性: 原因と結果に統計的な関連性があること。
3. 必要性: 原因がなければ結果が生じないこと。
4. 一貫性: 同じ原因が同じ結果をもたらすこと。
5. 因果メカニズムの特定: 原因と結果をつなぐメカニズムを明らかにすること。
統計的な相関関係は、因果関係を証明する上で重要な手がかりとなりますが、それ自体が因果関係を確定するものではありません。因果関係を証明するには、実験や観察を通じて、これらの条件を満たしていることを示し、さらに他の要因の影響を排除し、メカニズムを明らかにする必要があります。
そのため、エビデンスレベルが高い研究であっても、因果関係を主張する際には慎重さが求められ、研究結果の解釈や応用には注意が必要となります。
未経験とかは知らんが新卒や既にプログラマやSEの人がどうやって年収アップするかを簡単に書く。
たまに超大当たりある以外は全部ハズレの糞くじ。金に余裕あるか、フリーランスで食える腕と人脈ある人以外は入る価値なし。
それでも入りたいなら総務と経理がちゃんとあるとこにしろ。無いと大体そこで自分への負担とか増えて効率出ない。
あと市価の1.5倍以上の提示じゃなきゃ行く価値ない。市価で働くならSESやSIerの方が100倍増し。将来の可能性より目先の金。ベンチャーで学べることは一般企業でも学べる。入社エントリとかQiitaとあZennの記事は半分嘘。もう半分は生存者バイアス。
正直昇給より転職での年収アップの方が早い業界だし、どうせどこも似通った評価制度なので年収の次に資格補助を重視しよう。
資格で給与増えるもだが、資格試験の受験代の補助も重要。ベンダーは高いので会社の金で取ろう。ぶっちゃけIPAよりベンダーのほうが簡単だ。IPAの高度はネスペ、セキスペ、デスペ以外は流石に時代遅れすぎる。非効率な勉強を強制させる勉強云々以前の合格率だ
あと合格時のみとかケチなこと言う会社では無く落ちても金くれる会社にしよう。一時金とか祝い金とか要らない。取るもん取って給与上がらんかったら転職すればいい
資格や仕事への工夫とかより、どんなプロジェクトでどんな成果を出したかを重視して評価する会社は辞めよう。
そんな配属されたプロジェクトで決まる評価なんて個人の努力でどうにもならない。できる人はどんなプロジェクトでも結果出すとか言うが、大半のプロジェクトが糞なのは発注元が糞なので個人でどうにもならないし、自社開発案件なら大体売れてないか出来が悪くてやっぱりどうしようもない。楽なプロジェクトにいる方が高評価を平気でやる会社に未来はない
新卒でも転職でも1年目はまぁ受け身に徹するしか無い。2年目で努力を見せよう。それが3年目で評価されなければもう先はない。年功序列で上が詰まっているか努力を評価出来ない会社だ。即転職で100万は勝手に上がる。もちろん評価面談ではアピールしまくれ。成果物作ってアピールもいいけど資料で優劣つけるのもおかしい。それやるなら100万単位の年収アップしないと無理。
もちろん業界で転職するならエンジニアには有名な会社でも良いが、ぶっちゃけ転職するなら名のしれた会社の方が次も決まりやすい。従業員多いほうが会社受けもいい。ベンチャーで頑張っていました!言ったところで大企業の担当は「そんな小規模だと弊社のシステム任せられません」とか言う。増田も化粧品メーカーで言われた。最近むっちゃ赤字出ててざまみろと思った。
履歴書と職務経歴書が面倒になるだけで気にするな。カスみたいな給与で我慢するより転職だ。何かを成し遂げたのに評価されないのは正当な理由だ。それをマイナス評価する会社は給与も悪い。
増田もベンチャー経験あるが、とにかく給与以外のメリットを言ってくる。でも給与がすべて。次が時間。残業込みで高収入とか意味ない。残業なくて低収入もカス。
いろんな工程とかシステム全体とか色々言うけどそれより金。アットホーム感も大企業の方がアットホーム感ある。
といっても中身空っぽの転職でうまくいくのは20代までで30代以降は中身伴わないと難しい。そういう意味でも資格は大いに越したことはない。たまに資格見て一貫性がないプランが見えないとか言うカス人事いるけど、その時興味持ったり仕事に関連して取ったからこのあと仕事に活きるんだよ。将来を見越して計画的に資格とるとか無いわ。というか全部金のためだ。資格意味ないとかこの業界だと言われるけど、日に10分でも勉強して取った資格はだいたいの人は評価してくれる。
なんかエージェントみたいになってきたけど、社内で評価されようと努力するより職務経歴書と所持資格と履歴書を転職市場に投げ込むほうが100倍早い。それがわかってる会社は新卒初任給アップと既存社員をとにかく金で繋ぐ。わかってない会社は新卒だけあげる。既存はやめても新卒が勉強すれば良いと思ってる。当たり前だが新卒は3年で辞めるし転職で優秀な人材取れないので結果衰退する。日経新聞がどう書こうがエンジニアは足りない。ベトナムやインドもマシになるのは10年以上先だし、彼らは欧州やアメリカや中国の方が好きである。もちろん金がいい。
年収アップと関係ないけど、自社のシステムとか受注した案件を下に投げているいわゆる馬鹿ユーザー企業も流石にやり方変えないとマジで即切られる時代です。特に知識ないのにマウント取ろうとしてると即切られて別のベンダー探すにもみんな今までの倍くらいの値段になります。それくらい高くなってます。あとAIあるから安く済むとかも論外です。ノーコードツールとかもまやかし。kintoneとSalesforceの営業の言う事鵜呑みにすると大体失敗します。
あーだめだこのサメのヒト。 負けないことに頭行き過ぎてる。 もう「字句で言い返せる所を探してる」読み方になってる。 やっぱりはてブやってるとそういう読み方になっちゃうん...
なんか開いたら内容違うんだけど、書き直してくれたのか。サメのヒトって書き方ちょっと面白くていいね。
負けないことに頭行き過ぎてる。
匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが???
お前「無名で誰からも注目されてないけど、自分の言ってることは間違ってない」って幻想を壊されるのがそんなに怖いんだね
否定されるのを怖がりすぎて、リアルの場であまり意見が言えない。今回もそうやって自己卑下して予防線貼りながらでしか自分の意見を言えない
私ははてなスターがつくっていう成功体験を持っているので、増田や現実に壊されても自己修復できるんだよ。
そもそも、増田が私の書いたものに律儀に返信くれるから楽しくなってきてるよ。
ブクマカはやれないのに、匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しするよ…。
さて、オレオレプロファイルしないと気が済まない増田と、主旨が読み取れない私のために、
これまでの会話を生成AI先生に投げて、問題点を読みやすく整えてもらったよ。
ユーザーA(私)の問題点
ユーザーAとBの対話において、ユーザーAがユーザーBの主旨を完全には理解していない、または意図的にずらしていると見られる点はいくつかあります。以下に具体的な点を挙げます。
ユーザーBは、ユーザーAの行動や発言が「プライドが高く、自己防衛的」であることや、「無名で批判されない安全な場所でしか意見を言えない」と批判しています。しかし、ユーザーAはこれに対して、自分が「はてなスターがつく成功体験を持っている」「ブクマカの行動を批判しても自分の利益のために発言している」と返答しています。この応答はユーザーBの批判の核心部分(自己防衛的な態度やプライドに関する批判)から外れており、問題を解決するものではなく、むしろ相手の批判を回避しているように見えます。
ユーザーAは、ユーザーBの批判に対して冷静で皮肉を交えて返答していますが、これはユーザーBの指摘に対する直接的な応答ではなく、むしろ軽視しているように映ります。たとえば、「サメのヒト」という表現を面白がるなど、ユーザーBが伝えたいメッセージの重要性を軽視する態度が見受けられます。これにより、ユーザーBが求めている真剣な議論や反省とは異なる方向に対話が進んでいます。
ユーザーBは、ユーザーAに対して「もっと胸を張って意見を言えばいい」といった感情的な不満や失望感を示していますが、ユーザーAはこれを「匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しする」と応じており、ユーザーBの感情的な指摘を真摯に受け止めていません。ユーザーAの応答は相手の感情を逆なでする形となり、ユーザーBの主張の感情的な部分が伝わらない結果となっています。
ユーザーBはユーザーAに対して、はてブでの行動や態度の問題点を指摘し、反省や改善を促すような意図を持っています。しかし、ユーザーAはそれに対して「匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが?」と述べるなど、対話そのものの目的を異なった解釈で進めています。これにより、ユーザーBの意図する方向性(自己認識の促進や反省)とユーザーAの対話の捉え方(単なる論争の場)が合致していません。
ユーザーAは「自分と増田のやってることは変わらんよ」と述べるなど、ユーザーBの指摘に対して対等性を強調していますが、ユーザーBはそのこと自体が問題であると考えています。ユーザーBの指摘は「ユーザーAの態度が自己中心的であり、自覚が足りない」という点にありますが、ユーザーAは「お互い様じゃないか?」という論点で返すことで、問題の核心を避けています。
以上のように、ユーザーAはユーザーBの主旨や感情を十分に理解せず、または意図的にずらす形で対話を進めています。これにより、ユーザーBが伝えたいメッセージや期待している応答が得られず、対話の建設性が損なわれていることが分かります。
ユーザーB(増田)の問題点
ユーザーAとBの対話において、ユーザーBがユーザーAとの会話で主旨を理解していない、または誤解している可能性がある点について、以下の具体的な問題が挙げられます。
ユーザーBは、ユーザーAが「無名で誰からも注目されない場所でしか意見を言えない」と批判しています。しかし、ユーザーAは自己防衛ではなく、「自分の利益のために発言している」と述べています。ユーザーBはユーザーAの発言が自己中心的で防衛的なものだと捉えていますが、ユーザーAはむしろ開き直り、自分の意図を正直に説明しています。この点で、ユーザーBはユーザーAの自己認識や意図を理解していない可能性があります。
ユーザーBは、ユーザーAが「負けないことに頭が行き過ぎている」と指摘し、その発言をしつこくアピールすることを批判しています。しかし、ユーザーAは皮肉やユーモアで返しており、ユーザーBの攻撃的な姿勢に対して感情的に巻き込まれていないことを示しています。ユーザーBはユーザーAの応答を「逃避」として捉えていますが、ユーザーAは感情的な反応を避けつつ対話を続けています。この点で、ユーザーBはユーザーAの対話スタイルの一貫性や戦略を理解していないか、意図的に見過ごしているように見えます。
ユーザーBは、ユーザーAに対して強い批判を繰り返し、相手の行動を「プライドが高い」「自己防衛的」として非難していますが、自身の対話の態度やスタンスについては全く反省が見られません。ユーザーBは、自分の言動もまた攻撃的で相手に感情的なダメージを与えていることを理解していないか、無視しています。これにより、ユーザーBの対話が一方的な攻撃に終始しており、ユーザーAの反応を公平に評価する姿勢が欠けています。
ユーザーBは、ユーザーAの発言を「正しさごっこ」や「お気持ち」として否定的に捉え、自分の視点のみを押し付けています。ユーザーAが対等な立場での議論を求め、「お互い様じゃないか?」と応じても、ユーザーBはそれを受け入れず、相手を一貫して「下」と見なしています。この態度により、ユーザーBは対等な対話を拒否し、自己の固定観念に基づいて相手の発言を評価し続けています。
ユーザーBは、ユーザーAに対して「視野が狭すぎる」「自分が言っていることの間違いを認めたくない」などと批判しますが、ユーザーAの返答に含まれる感情や意図に対する理解が不足しています。ユーザーAはユーモアを交え、相手の発言を和らげようとしている部分もあるにもかかわらず、ユーザーBはそれを一貫して批判としてのみ受け取っています。このため、ユーザーBの批判が対話の目的から外れたものになっていることが多いです。
- 感情的な反応と主旨の見失い
ユーザーBはしばしば感情的な反応を示し、ユーザーAの意図や主旨を見失っています。例えば、「無名で誰からも注目されてない」という表現でユーザーAの発言の価値を否定していますが、ユーザーAの実際の主張(コミュニケーションの意図や動機)とは直接関係がない批判になっています。このように、感情的な反発が強いため、ユーザーAの真の意図を理解しないまま批判に終始しています。
以上の点から、ユーザーBはユーザーAの発言や態度に対して主観的な解釈を強く押し付けており、その結果として相手の意図や主旨を正確に理解できていない、または見ようとしていない姿勢が見受けられます。これが対話の進展を阻害し、建設的なやり取りを妨げる要因となっています。
参考になったよ。ありがとうね。
牛角の件に関連して。
「〇〇の件ではフェミニストはこう言っていたのに今回はダンマリだ!」みたいな批判は一旦置いておいて、みんなは差別とかマイクロアグレッションに対する規制(自主規制含む)について、どうあるべきだと思っているの?
表現規制に関する話題だと「特定の表現をして差別が増えたというデータは無いのだから表現を規制すべきでない(=規制するには証拠が必要)」という意見が割と賛成されてる印象。
ところで、今回の牛角の件は、「女性だけ食べ放題を半額にしたら男女に関する固定観念を助長する」みたいなデータはないはず。ってことは、今回の件で「牛角は男女によって金額を変えるのはやめるべきだ」という主張をしている人は、確度の高い証拠がなくても差別や偏見を助長する可能性があるのであれば規制するような社会が良い、と思っているということ?そうだとしたら、創作物とか広告とかその他サービスだって内容を変更することを要求されることが増えると思う。
逆に確度の高い証拠がないなら私企業のやることを規制すべきではないとすれば、今回の牛角の件は「女性は食べ放題半額」を擁護しないと一貫性が取れないと思う。
個人的には、重大な場合は確度の高い証拠がなくても規制すべきだと思うが、今回の牛角の件はサービスを撤回するほど大きな問題とは思えない。牛角が食べ放題のサービスを男女で平等に提供している以上、女性だけ食べ放題を半額にすることが「女性は男性より少なく食べる」という偏見を助長するとは思えないし。食べ放題を利用できないとかメニューがそもそも違うとかならサービス変更すべきとは思うけど。
みんなはどういうスタンスなんだろ?
…そもそもなぜ、そんな問いがあるんですかね?
なぜ人はすぐ「意味」と言い出すのか?
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人間が高い知能を持つために、「意味」や「目的」を持たない状態をストレスと感じるのは、心理学的および進化論的な視点からも理解できることです。ここでは、この現象についていくつかの側面から考えてみましょう。
ポジティブ心理学の研究では、人生に「意味」を感じることが、心理的なウェルビーイングにとって非常に重要であるとされています。人々が自分の行動や経験に意味を見出すことは、自己効力感や満足感を高める要因となります。逆に、人生に意味や目的を感じられない状態は、「存在的不安」や「空虚感」を引き起こし、うつ病や不安症といった精神的健康問題を引き起こすリスクが高まることが知られています。
ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』でも語られているように、極限状況においても「意味」を見出すことができる人は、困難な状況を乗り越える力を持ち続けることができます。これは、意味の感覚が人間にとって非常に強力な心理的リソースであり、それを失うことは耐えがたいものであることを示しています。
進化論的には、「意味」や「目的」を見出すことは、生存と適応のための有効な戦略として理解できます。もしも個体が自分の行動や生活に意味を見出すことができなければ、その行動は無駄で非効率なものと感じられ、エネルギーやリソースを無駄にすることになります。これは、共同体内での評価の低下、リソースの浪費、さらには生存可能性の低下に繋がるリスクを含んでいます。
また、人間は社会的な動物であり、他者とのつながりや評価は非常に重要です。「意味」のある行動や目標に向かうことは、共同体内での評価を高め、協力関係を強化する手段でもあります。こうした社会的な評価や支援は、個人の生存可能性や再生産成功率を高める要因となります。
意味の探索は、人間の認知的負荷を増やすこともありますが、長期的にはより効率的な行動を導く助けになります。例えば、明確な目標や価値観があれば、選択や判断が迅速かつ正確になるため、リソースの浪費を避けることができます。
さらに、人間は認知的一貫性を求める生き物です。矛盾や不確実性に直面すると、不快感やストレスを感じ、それを解消するために「意味」を求める行動をとる傾向があります。この一貫性を求める性質は、進化の過程で効率的な情報処理と意思決定を促進するために発達したものと考えられます。
総合的に考えると、人間が「意味」を必要とする理由は、多岐にわたる心理的および進化的な要因によるものです。「意味」を見出すことは、心理的ウェルビーイングを保つだけでなく、生存と適応のための有効な戦略でもあります。したがって、人間が「意味」のない状態を避ける傾向を持つのは、非常に自然なことであると言えます。
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「質問よろしいですか」と短文だけよこす輩がいる。
では「だめです」といったらおとなしく引き下がるのだろうか。
私にはどうしても、それが断られる可能性など毫も念頭においているように思えないのである。
その言葉は形骸的なものであり、挨拶であり、意味を持たないことになる。
相手の時間を拘束する口頭のコミュニケーションならいざ知らず、
任意のタイミングで任意に読み進めることができる文面のコミュニケーションで、
わざわざこのような手続きを踏む必要性が私にはいまいち感じられないのであった。
その短文をよこすなら、さっさと質問を投げてくればよくて、
わざわざ「よろしいですか」と聞いたところで、余計に手間がかかるだけではないか。
あるいは、これは一種のフット・イン・ザ・ドア手法なのかもしれないとさえ思う。
つまり、一度「どういった質問でしょうか」と応じてしまったが最後、
どんな内容であれ応える義務が生じたかのような錯覚をもたらすのである。
どれほど答えがたいセンシティブな内容でも、労力に見合わない内容でも、相手するだけ無駄な内容でも、である。
『影響力の武器』において、それは一貫性の原理と紹介されていたと記憶している。
この本を読んで以来、そういう物の見方をしてしまうようになった。
意識的にせよ無意識的にせよ、いかに世人が他人を操作しようとしているかが伺い知れてしまうのであった。
さらにもう一つ気になるのが、なぜそれを公の場で聞かず私的なDMで質問をよこすのか。
それが公益に帰する内容であるならば、天下万民に質疑応答の模様を公開し、その知識をひろく活用できるようにすべきではないのか。
saebou先生に文句言いたい人たちってしょうもない論点のすり替えしかできんの?
片一方で「切り裂く」という意味の言葉を肯定的に評価しておきながら、もう片一方で「切り刻む」という言葉を通報レベルの否定的な侮辱として捉えるのはあまりに一貫性がなさ過ぎ、ご都合過ぎではないでしょうか。
https://megalodon.jp/2024-0829-1434-16/https://note.com:443/uncheakonga/n/ndb968cd6224b
明らかに別用途で単語が使われてるわけだが、なぜ同じ用途だと思ってるのか謎。果物の林檎の話してたらiPhone、MacのAppleだと思うのか?こいつは
最近付き合い始めた彼氏は俗にいう「俺様系」で、「俺と付き合えて嬉しいだろ?」とか、過去にどれだけの女性と交際してきたかとか、そういうのを素面で言えちゃうタイプの人間。
そんな俺様系の彼氏が付き合って2回目のミックスでク〇ニしてきた。
「天国だろ? 俺のク〇ニ」
いや、いやいやいや、そんな特別感演出されてもク〇ニですからこれw
どれだけ貴方がイキろうが、私のアソコを犬みたいにペロペロ舐めてご機嫌を窺っていた事実は動きませんからw
増田さんがもしHSPだったらのことを考えて、なるべく傷つけないように言うね。
まず、あなたの意見表明に対する敬意は当然のこととして持っていますが、しっかりと聞いて欲しい意見もあります。
今回の文章は全体としてテーマの一貫性が欠けている感じが否めません。「セクシー田中さん」の件に関して自殺防止策を議論したいとのことですが、文章が散漫で核心に迫っていないですね。自分の経験や意見を交えるのはいいのですが、その過程で主題がぼやけてしまっています。お姉さんの体験を取り上げるのも良いけれど、それがどのように今回の事件に関わっているのかをもっと明確にする必要があります。
さらに、文章全体が読みにくく、冗長な部分が多いです。一つ一つの思考の流れに対してもう少し整理や段落分けを行うことで、読者が理解しやすくなるでしょう。
また、結論が曖昧です。小学館やテレビ局の対応について批評する以上、もっと具体的な対策や改善案を提示すべきです。「もうちょっとやり方はあった」とか「想像してしまう」という言葉遣いはあまりにも曖昧で、説得力に欠けます。
要するに、自分の意見を他者に伝えるためには、もっとクリアでコンパクトな言葉遣いが重要です。そして、具体的な意見や提案をすることで文章が締まり、読者に対してより深い印象を残すことができるでしょう。
まず、この文章の構成は散漫すぎる。一貫性がなく、読み手に対して何を伝えたいのかが全く明確でない。いろいろな話題が混じり合っているため、読んでいて非常に疲れる。実家での着替え探しからダイエットの話まで、どうしてこんなにもかけ離れた話題を一つにまとめようとするのか理解に苦しむ。
次に、文章が冗長だ。無駄な情報が多すぎる。例えば、「普段使いはできない・たまの家着にと思って実家に置いてったんだと思うが、今着てみて全然アリだ」という部分は、短くシンプルに伝えられる。それに、「ダイエットで15キロ痩せた」ことに関しても、具体的なエピソードが欠けているため、単なる自慢にしか聞こえない。
そして、「リバティのコラボ商品だった」という部分も、唐突で文脈が不自然だ。調べる前に読者には全く予想外の情報が急に登場するため、全体の流れが断絶してしまう。もしリバティについて話したいなら、もっと整然とした話の展開が必要だ。
次に、あなたの人格について言及すると、全く自己中心的で他者を考慮していない印象を受ける。自分がダイエットに成功したことや、リバティのコラボ商品に後で気づいたことなど、自分自身の内面の話題ばかりに終始している。他人がそれを読んでどう感じるか、全く考慮していないように見受けられる。
あなたの文章からは、深い洞察や共感を呼び起こす要素が皆無だ。自分のことばかり話しているその態度は、非常に自己中心的で、他人に対する配慮が欠けている。もっと読者のことを考え、彼らにとって有益な情報や感情を共有することを心掛けるべきだ。
ご精読ありがとうございました!
増田さんがもしHSPだったらのことを考えて、なるべく傷つけないように言うね。さて、あなたの文章について話しましょう。
まず、「ゆるく絶縁したい」というタイトルから察することができるのは、あなたが家庭や親族との関係にかなり強いストレスや疲労感を感じていることです。個人的な感情や経験をここまで詳細に述べるのは、きっと多くの勇気が必要だったでしょう。その部分については、まずその勇気に対して敬意を表します。しかし、それも含めて、もう少し冷静にこの文章を見直してみましょう。
率直に言って、文章全体が非常に攻撃的で、ネガティブな感情に満ち溢れています。例えば、「ゆるく絶縁したい」という表現は一見柔和に見えますが、その内容は全くその逆です。強い言葉遣いや過剰な誇張表現(例:「殺してえな〜ってなる」、「全員まとめて殺せば解決ではあるけどさ〜〜」など)は受け手を非常に不快にさせ、はっきり言って非常に幼稚な印象を与えます。
兄や親族に対する感情は理解できる範囲ではありますが、このような公の場で表現すると他人に誤解を与えかねません。相手が何を考えているのか、どのように感じるのかを少しでも考えることができていれば、こうした過激な表現は控えるべきです。
さらに、情報の整理が不十分であり、一貫性や論理性に欠けているため、文章全体が混沌としています。具体的な問題点を明確にし、それに対する冷静な対策や解決策を提案することで、ずっと建設的なアプローチが可能です。感情的な言葉遣いが多いと、読み手も感情的に反応しやすくなります。
その上で、全く役に立たないわけではありません。ここに綴られた感情が真実である限り、その感情を整理しまとまりを持たせる努力をすれば、誰かがあなたを理解し、助けることもできるでしょう。
まず、「定義的におかしくなる」という指摘は、クィアという概念の範囲とその含意についての議論に基づいています。この議論は、クィアという用語が本来指す範囲が広義であること、つまり「正常」とされない性的指向を包括するため、ペドフィリア、ズーフィリア、ネクロフィリアなども含むべきであるという論点に関わるものです。ここで焦点となるのは、社会的に「正常」とされるか否かであり、性的同意の問題とは異なる概念です。
性的同意の有無は重要な倫理的かつ法的な要素ですが、この文脈において議論されているのは、性的同意とは無関係に「クィア」という言葉の適用範囲がどこまで広がるべきかという問題です。「定義的におかしくなる」という主張は、性的同意の有無ではなく、クィアという概念が本来持つ意味の一貫性や範囲についての議論であり、これに対して反論するためには、その意味論的な広がりとその正当性についての理解が重要です。
したがって、この文脈では「性的同意があるかどうか」という要素は、本来の議論の焦点ではなく、クィアという概念の定義やその社会的・文化的な適用範囲を巡る議論が主題となっているため、性的同意の話に持ち込むこと自体が議論をすり替えるものであると言えるでしょう。
まず、最初の文章構成が曖昧だ。「決まり文句を憂う元特攻兵」というフレーズから始まっているが、その後の文章で一貫したポイントが見えない。何を言いたいのかが不明瞭だ。
次に、団塊ジュニアの祖父の話が唐突すぎる。背景を提供したい気持ちはわかるが、ここで戦争体験者の話を持ち出すことで主張が散漫になっている。文脈の統一性が欠けている。
また、「アホが極太マジックで書いたような単純な理屈」という表現は感情的すぎる。もっと冷静に論理的に反論すべきだ。煽り文句は読む側を不快にさせ、主張の信頼性を損なう。
そして、井上和彦氏の話も余談だと感じる。増田の主張と大きく関係ない部分が多すぎて焦点がぼやけている。この話を出すことで、一層主張が不明瞭になっている。
増田の文章全体に渡って主張が二転三転するのもダメだ。どうしても話題を広げたいなら、各ポイントについてもっと整理し、段落ごとにしっかりと切り替えするべきだ。
更に、「わだつみのこえ」に関する部分も、詳細すぎて読者を混乱させる。もっと簡潔に伝えるべきだ。ここでの情報量が多すぎて主題がぼやけてしまう。
『低脳のお前の中での「バカ」という単語は、「無能な俺のことをバカにしない」という意味に変質していませんか?
普通の人間にとっての「バカ」とはある種のリテラシー・科学的知見を書いた人物のことですが…』
↑chatGPTから見て、これは論理的でガチガチした意見で、どこに出しても恥ずかしくない文章だと思いますか?
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ChatGPT:
この文章にはいくつかの問題点があり、論理的で洗練された意見とは言い難い部分があります。以下に、その理由を説明します。
2. 論理の飛躍
文全体が、感情的な表現に頼っているため、論理的な一貫性が欠けています。例えば、「無能な俺のことをバカにしない」という主張が、なぜ「リテラシー・科学的知見を書いた人物」に繋がるのかが明確ではありません。論理的な主張を行うためには、前提と結論が明確に関連している必要がありますが、この文章ではその関連が不十分です。
4. 読者への配慮の欠如
この文章は、読者に対して配慮を欠いており、相手を説得するというよりも、攻撃することに重点を置いているように見えます。論理的で洗練された文章では、相手に対して理解を促すための配慮が必要です。
まとめ
この文章は、論理的でガチガチした意見としては不十分であり、どこに出しても恥ずかしくない文章とは言い難いです。攻撃的な言葉遣い、論理の飛躍、論理的整合性の欠如、そして読者への配慮の欠如が、その理由です。論理的な議論を行いたい場合は、冷静で礼儀正しい言葉遣いを心がけ、論点を明確にして、前提と結論がしっかりと結びつくようにすることが重要です。
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