はてなキーワード: 無理解とは
オタク女界隈で社会的にその表現がどうなのよ?という話になった時に「なんであれを受け入れるの?声をあげないの?」問題にぶち当たるわけなんですけどその描写にまつわる問題が理解出来ていないという訳でなく、私が脛にデケー傷を抱えてるからに他ならず「描写の社会的な正しくなさ」を発信する時に私はいつも「自分自身の社会的な正しくなさ」にのたうち回っているうちに発言するタイミングと言葉を見失っているからです。
どういうことだよって言うとつまり、私はニ次元的なフィクションにおいて「チャイルドマレスター的な想像」を好んでいるオタクなわけですよ。
「未成年の少年」のニ次元キャラクターをバリバリに性的に搾取しているんですね。見た目が大人っぽいから大丈夫でしょなんて言い訳効きません。私は彼らが未成年であるという設定から生まれる状況に興奮しますし彼らが未成年であるということは彼らを構成する大事な部分と私は捉えています。
あまつさえその年齢の彼らの性的なフィクションを制作しているのですからどう考えてもニ次元に対して私は性倒錯者で小児性愛者と言えるでしょう。その上私は自身がヘテロセクシャルの女性であるにも関わらず同性愛者のセックスを想像して創作する搾取者でもあります(もちろん私は私の空想の中では自分を彼らと同い年の少女だったり建物の壁だったりと想像しますがそれでも現実の私は一介の成人女性であることは変わりません)
この事実は私に社会的正しさを口にする瞬間のジレンマを発生させます。
私は私自身が楽しく創作物を楽しむ時に自身の正しくなさに積極的に目をつぶっていますから、創作物の正しく無さに言及する時にその自身の正しくなさとも向き合わなければいけないし向き合っても正当化できるところなど1ミリも無いわけでそうなるとそんな創作物を愛好するのやめなよというとこにしか答えはなくなってしまうわけです。
罪のない者だけが石を投げなさいと別に誰に言われた訳でもないのに頭の中でそんな声がしたような気がします。
子供に対する性暴力、同性愛者に対する差別、トランスジェンダリズムへの無理解そういったものはあってはならないものと考えていますし現実ではそういった自体が発生すれば改善しろと働きかけていくべきと考えています(現に署名などは行っています)(しかし書きながらこの文面の言い訳めいた様本当に醜いなと我ながら引いた)
しかしこと二次元、漫画や小説のフィクションの中になると私は自身の暴力性を隠せないようなものを愛好し楽しむのです。そしてその描写の正しくなさを理解はしているので喜びと同時にこれは大丈夫なのだろうかと不安も抱えているのです。
時折ジョジョ4部における吉良吉影の人を殺さずにはいられないが静かに暮らしたいという自分勝手さに同調しそうになります。
私は彼を悪辣な人物だとよく理解しているし唾棄すべき人物だとは思いますが彼の望んでいるものは今私が望んでいるものなのかもしれないと。
まあその辺結局自分の中で乗り越え解決すべきところが見つからぬまま今を生きているのです。
しかし人間という生き物これでいいやと思って悩むのをやめてしまうのが1番正しくない生き方だと思うので変わっていく社会と社会的正しさの中で悩み正しさを模索して生きることだけが正しくない生き物である私の唯一の正しさであると信じて生きていくしかないのでしょう。
※どうでもいいような良くないようなそもそもこの文面を書こうと思った元々の話というか、今月プライド月間があってBLに関わる人は声あげてみたいな話が流れてくるのを見て、BLを愛好するヘテロセクシャル女性である私が「同性愛者もすべからく法律によって結婚が出来るようになった方がいい」を主張するまでは良いことだと考えるのですが「私はあなた達を理解し同調し連帯します」まで寄っていくとどう感じられるものなのかということはずっと悩んでいて「そうしてほしい」と望む当事者もいれば「寄ってくんなセクハラだぞ」と思う当事者もいるでしょうBLを愛好するヘテロ女性に対して嫌悪感抱く当事者はいて当然でしょうしそういった方から見ればもし自分がそういった理解者然とした態度をとる姿は家出女児に「危ないねウチくる?」ていう児童に性的悪戯を加えようとする輩のように見えているのでは無いかとずっと考えているのです。私は私の持つ私には分からない暴力性が怖い。
とDVを何の臆面もなく正当化されると、そのうちああ俺が悪いんだから、我慢するしかないかと思うようになってきてる自分自身が怖い
人生半世紀弱生きてきたけど、当然の様に何の躊躇もなく人を蹴ったり殴ったりする人間に会ったのは妻だけだわ
多分頭おかしくなって来てるんだろうけど離婚しようとすると発狂して更に攻撃されるから怖い
躊躇無く顔や後頭部の打撃と、場合によっては包丁まで持ち出すか、俺には絶対無理だわ
DV振るっても絶対に謝らないし、その癖フェミ臭いネットの記事読んでは「これだから男は、女性は差別されている!」
一体どういう心理してるのか……
でも妻みたいな女は日本には腐る程いるんだろうな
あるきっかけ。感じた怒り。それを消化というか消火できずにいると、それはやがて自分の人生上の怒り、というところまで拡大していく。そしてそれが解析困難だと、あらゆる意欲を失っていく。意欲の失い方、堕落の仕方は完璧だった。投げ出したんじゃない、先延ばしし続けたのだ。その結果、人生を諦めて放棄したように錯覚するところまで行き着いた。あまりにも自然にそこまでフェーズを移してしまった。
怒りを感じて、怒りをどうすることもできないと感じると、無力感を生じる、そうして問題と向き合うのを先延ばしするうちに無気力になっていく。
もう届かない怒りをどうするのか?
結論は?
根源の相手を探すか、他の人に八つ当たりするか、それ以外か。忘れるか。
時間が経てば忘れられる。小さくなって消えていく。だけど直後はそれが判らない。
人間全体が憎くなって、それを晴らす方法も分からない。自分は一方的に相手からやられ続けるだけだと思うようになる。
実際は、私の人格は多重複合構造であり、怒りと報復のテーマだけで動いているわけではない。
でも感じられない。どれをとっていいかわからないと感じる。どれか一つしか選べないような気持ちになる。あるいは統一できないといけない気持ちになる。
どんなフェーズでもいい、どんな精神状態でもいいから、やるべき行動を続けることを止めないんだという自分への約束は無意味なことに感じる。
もう一度そのテーマについて1から再検証するべきではないかと感じる。事実3日も4日も自分に課した義務を放棄してるのだから、今さらノコノコ元の状態に戻れない、なんの成果もなく元の生活に戻ったらただの損失でしかなくまた同じ事を繰り返すから、あと1〜2日無駄にしてもこの問題に向き合って考えるべきだと感じる。
しかし私は多重複合的な精神構造で生きてる。私の精神状態は常に揺らいでいる。その気になればいつでも問題に正しくフォーカスできるというのは幻想である。
それは存外難しく、一度機を逃すと再びそれが上手くいく確率は、実はものすごく低い。それを待っているよりできることをやったほうがはるかに実がある。わかっているのに私は動かない。4日は無駄になったと認めて損失の合計を4日間と計上するよりも、5日間の時間と引き換えに何か大きな気づきや悟りや決心やその他投じた時間に値する価値を得る、損失を取り戻すことに執着する。
それは時間が経てば経つほど困難になるほとんど不可能なギャンブルだ。なのに私はいつまでも損失を認めることができない。ただじゃ起きないと思ってる。ただで起きなければ失ったモノが戻ってくると錯覚してる。実際はただで起き上がる方がずっと賢く、失うものは取り戻すより最小限に留めるほうがずっと良いということが判らない。5日かけて何かの気づきを得たと思っても、5日を失ったことに変わりはないことが解らない。
私は精神状態さえ持ち直せれば恒久的に安定して前進を続けられると思っている。
そうした思い込みの末に今の泥沼の中にいる。
「取られるはずなのないもの」に足を取られて、「すくわれるはずのないもの」に足元をすくわれて、「怒るに価しない怒り」のせいで結果自らの人生すら破壊しようとしている。有り得ない有り得ないと喚いている、それが私だ。
私は自分で止めるしかない。自分で違う場所を目指すしかない、怒りだろうと、他のどんなネガティブな感情だろうと、ネガティブな経験だろうと同じ事で、私がそれに“やられて”しまうのを誰も助けないし誰も哀れまないし、誰も意味を与えることもない。私は独りきりだ。誰も私の現状に納得のいく説明などできないし、してくれない。私は放置されているし、見放されている。いや違う、私は関心を持たれていない。私の境遇も、私の過去も、私の努力も、私が怒りを抱えながら藻掻いたり悩み苦しんだり、そういうことに“この世”は関心が無い。少なくとも、私の場合はそうだ。他の人間の待遇は知らない。他の人間は関係ない。他の人間の待遇は違う。他人は他人、私は私のこの世での待遇に目を向けるべきだ。私は今はまだ死ねない。かといって生き続けても私の人生がよくなる保証は一切ない。私は産まれる前にありとあらゆる保険を解約したのかもしれない。他の多くの奴らが付帯させてほしいと契約したものを、私は敢えてぜんぶ外したのかもしれない。特段に人生で虐げられてきたとは思わない。特段にひどい境遇というわけじゃない。ただ、保険や保障や恩恵や共同体利益や、そういう皆と同じ輪の中で得られる福利に私は1つもチェックマークをつけなかったのかもしれない。
だから私の出す結論は何か。進み続ける、行動し続ける、それしかない。死なないのなら死ねないのなら、怒りすら捨てて、前に進まないといけないのかもしれない。これは崖なのかもしれない。ただただ登るしかないのかもしれない。わけのわからない目的のために、ただもう頂上を目指す、それだけしか残されていないのかもしれない。
怒り。許せない人間、許せない思い。
憎い、悔しい、許せない、私は訴える。
その思いを何とかしないとどこにも行けない気がする、進めない気がする。でも【それを見ているもの】は、ない。
怒りの火種で燃やされて終わってしまうのだとしたら、そんな私に、“なにか言うことはないのか”と私は何かに対して問う。
ない。
私は随時、放火される。放火魔は多くの場合、捕まらない、私は一方的に放火される。私が火を消さず怒り狂って地団駄を踏んでいたら、どうなるか?
【そのまま】になる。
私は随時一方的に放火される。放火魔はたいてい捕まえられない。もし捕まえて八つ裂きにすると、私の人生も終わる。そんな危機が何度も起こり続ける。それが私の人生で、私の生きている世界だと思う。そこで私は選ばないといけない。放火魔を八つ裂きにするのか、消火して私自身を建て直すのか。この問いを繰り返し繰り返し毎日看板に書いて掲げる必要がある。やるのは無意味かも知れないが、やらないのはそれよりも無意味に思える。無意味の中でも【より意味のあるように思える無意味】を選択する。それ以外にできることはきっとない。最善は選べない。最善を選ぶのは贅沢な行為である。贅沢は贅沢を許される人生に許されている。贅沢を許される時期に許される。私のモラトリアムは終わった。私へのそういったものの支給はもう終わった。私にできる贅沢な選択はない。私にとって最善の選択は、常に【マシな】選択である。こっちよりはこっちが、あれよりはそれが、【比較的】【若干】【ほんの少しだけ】マシに思える。そういうマシな取っかかりや手がかり、足がかりを、私は掴み続けるしかない。崖をよじ登るならそういうことなんだろう。そんな状況でわざわざ私を燃やそうとする捕まえもできないものたちを、私はどうするのか。私に捕まえられない放火犯を分析する余裕は【ない】。
私は割り切らなければいけない。
あの人間は私に火をつけて逃げた。私はショックを受ける。怒りが湧いてくる。火が燃え広がる。ショックで立ち止まったままになる。消火を怠って、延焼を放置して、5日が経った。あの人間は平然と生きている。当然だ。私はそのことを考え続ける。自分より他人のことを思いつづける。私はあの人間なのか?私の人生はあの人間の人生なのか?私が私の心を放棄するほど、私の人生はあの人間の人生なのだろうか?あの人間の人生について考える価値が私の人生以上にあると、私は本気で思い込んでいる。私が陥ったものというのは、そういうものだ。私があのとき立ち向かわなければいけなかった分岐点は、そういうものだ。
「でも、だって、この怒りは抑えられない、どうしようもないんだ」その言葉の正統性を知っているのは、私一人だ。誰も私と全く同じようにその思いを分かち合ってはくれない。他人は火を消せという。私ははそれを聞いてもっと怒り狂い、火に油を注がれたと感じる。「火をつけたやつがいるんだ!」と私は叫ぶ。他人は「わかるけど火を消せ」と言う。「何がわかるんだ!上っ面で分かったフリすんな!火をつけて逃げたやつがいるんだ!!」と私は叫ぶ。私と他人は永遠に噛み合わない。私は失い続ける。他人への怒りと不信感は膨らみ続ける。それでも誰も私を憐れんではくれない。他人は無理解である。だが私はこの世界でその他人と関わって、時に助けを借りなければいけない。それをしたって私が根っこから救われるわけじゃない。ただ、そのほうがマシだからだ。他人を一切閉め出すよりも、他人と一定関わるほうが【マシな選択肢】だからだ。私はそういう選択をし続けるしかない。消極的だろうが積極的だろうがそうやって選ばないけといけない。選ばない損失と選ぶことで得られる可能性を秤にかけて行動を起こさなければならない。私がいるのはそういう世界だ。進むしかない。上を目指して登り続けるしかない。私がそういう世界を自分で選んだのだ。
自分のジェンダーロールに馴染めないだけの発達障害者が個人輸入のホルモン剤とか雑なメンタルクリニックで診断書もらって性別移行してるのはたまに見かけるけど、たいてい予後がよくない
自己認識と社会からの認識のズレをASD特有のイチゼロ思考で全部性別のせいにしてるもんだから、性別移行してからも「ズレてるのは差別や社会の無理解のせい」ってことにして変な活動に走ったりする。
違う性別になったら移行先ジェンダーでは「生殖能力がない」「外見も悪い」という点で弱者になるのは当然なんだけど、そういう覚悟があんまりなく性別変えたら苦痛が解決すると思ってるから現実見て病む。汚いコミュ障のおっさんが女になっても汚いコミュ障の女装おじさん、うまくいって汚いコミュ障のおばさんになるだけなんだけど、女になればモテモテ美少女になれる、優しい女の子とキャッキャウフフできると思ってるんだから無理がある。粗雑で空気読めないだけの女が男になっても、ちんちくりんでポークビッツ付きの粗雑で空気読めないおっさんにしかなれず、アルファオスになるのは無理だし。
黒鉄の魚影見て「なんで灰原がメインヒロインじじゃないの、交代しろ」とのたまう映画しか見ないライト層へ
まあズバッというと
これにつきる。
①1話の時点で新一と蘭は口に出してないだけで両想い
②1話の時点でコナンとして「わたし新一がだーいすき❤️」と蘭の気持ちを聞いてしまう
③ので新一の『元の体に戻りたい』モチベはずっと蘭にある
名探偵コナンという『江戸川コナンが工藤新一を取り戻す物語』の土台に、恋があって、蘭がいるので、そこを動かすことはできないんです。
ついでに言うなら
に対して
新一→4歳のとき保育園で笑顔に惚れて以来、13年間ずっと好きで幼馴染としてくっついて同じ学校に通い一緒に毎朝登校し続けてきたやべーやつ
という”圧倒的重さ”の差があります。
分裂とか分離しろそうしたら新蘭とコ哀が成立する!とかいう寝言については、作者が否定しているので、ないです。
新一とコナンになったところで、蘭が好きすぎるやべーやつが2人に増えてラブコメが始まるだけです。
あとですね、灰原が登場したのは18巻で(話題は2話とはいえ)物語のヒロインとしても登場が遅すぎますよね。
また灰原のほうが理解者、とか濃厚な時間を過ごしている、とかいう意見もおかしい。
現実世界で30年近く経ってるから読者感覚としては仕方ないけども、作中1年経ってないので。
ホームズとサッカーと推理で構成されたクソオタク工藤新一と13年間一緒に過ごしてきた蘭を無理解女とするのは無理があります。
1話から工藤新一はデート中にホームズの話しかしてないんですよ?よく耐えてますよね。
小さくなった後も、博士の家で泊まったりするときはあるのでしょうが、基本江戸川コナンは毛利蘭と(おっちゃんとも)暮らしています。
蘭のご飯食べて蘭に洗濯してもらって蘭とひとつ屋根の下で寝起きしてます。
濃厚な時間とは。
また工藤新一の女の好みの話になるんですが、工藤新一は推理を披露した時に「すごい!どうして!?」って驚いて聞いてほしいタイプです。
さすが(名探偵!)
(そんな専門知識)知らなかった!
(名推理)すごい!
(トリック)そうなんだー
と反応してほしいタイプ。
サクラ組の思い出読んでください。
だからクールで反応が薄く、嫌味で返したり専門知識で驚かない灰原は相性が悪い。
灰原が悪いんじゃないです、工藤新一のめんどくさいところの話です。
工藤とホームズのめんどくさいところは似ていて、ワトソンに驚いてほしい、すごいと言ってほしい。世話を焼いてほしいし、頭の中はワトソンでいっぱい。
蘭が「出たよ新一のヤな感じ」と表現する、推理で見抜く発言をして解説してドヤする流れがあるんで、ここでイヤミを言ったり先回りして答えを見抜いたら嫌なんです。
だから灰原は相性が良くない。
その点蘭は素直な性質なので、イラつきながら「なんなのよ!」と聞いても素直に解説聞いちゃうし最後には「へー」って感心しちゃうんですよね。
有能さがどうこうとかじゃないんですよ。
灰原がお礼を言わずに照れながら「バッカじゃないの!」と言ったときも、博士が灰原はツンデレだとコナンにフォローしたけども「どのへんがデレなんだよ?」がアンサー。
だから後から、同じ境遇に置かれた立場となっても、秘密を共有する仲間となっても、劇場版(基本パラレル設定なんですが)で激動のロマンスがあっても、工藤新一は1ミリもブレない。
視聴者や読者がどんなに心を動かされても、工藤新一は、恋愛という意味で心を動かされることはない。
諦めましょう。
おめでとう……
わたしも10時間開かなくてそのあとも胎盤ひっぱってくれなかったので産褥熱40度になったあげく二人目不妊になっちゃって
治しにでっかい病院いったらうち工事するから病床なくなりますなにもできないとかいわれたり
他でもたらいまわしとか旦那の協力がなかったりひっこしたり転職したり子供にふりまわされてるうちにこんな年齢
注射とか離乳食だとか二語文とかおむつ外しとかでいそがしい日々で私と全く関係ないあなたはがんばれ
あのとき破水ついたパンツもってかえったパパが洗濯すらできてなくておもいきりカビさせてたのほんと履き心地いい唯一のパンツだったのに悔しいし
そのあともたくさん病気したしちょっと背が高く骨太なだけで病気のデパートなのに
私どん底かな……はぁ……
それでもヤクザと水商売のハーフとして生まれたわりには健闘してるのではないだろうか
母はまあ、わたしにとって祖母である母の母親が当時精神分裂症と呼ばれた統合失調症を患い
精神疾患に無理解の昭和40〜50年代を生きるためには虚勢を張るほかなかったのだろうと予想する
母が生まれた家庭は一家離散となり、誰も帰ってこない実家に中学生の頃から独りで暮らし、
やがて中学を卒業すると、歳を偽り夜の世界を生きるしかなかったんだろう
辛かっただろうね、よく頑張ったと思うよ
わたしが中学に上がるまで、母は水商売を辞めたりまた働いたりを繰り返していた
父がヤクザになった経緯は知らんが、辞めた時のことならよく覚えている
恐喝の容疑で父とその舎弟がパクられた
何せ組が動かないため、母が父だけに弁護士を用意した
それが気に入らないと組と揉め、足を洗うきっかけだった
それまで住んでいた家にはガサが入り、部屋の中がぐっちゃぐちゃになった
そんなぐちゃぐちゃになったその家を、夜逃げのように捨てることになる
新しく越した先は、6畳の部屋が2つしかない2Kという間取りだった
家では不起訴処分となり釈放された父が四六時中タバコをふかしている
母は必死で仕事を探し、それまで経験のない工場勤務の職をやっと見つけてきた
家中の小銭をかき集めてATMに突っ込み、やっと残高を1000円にしてその1000円を下ろす
その1000円札を握り締め激安スーパーに行き、5食198円のインスタントラーメンを買う
ただレジ袋有料化導入前の時代でも、激安スーパーではレジ袋をもらうには10円かかった
その10円を節約するため、インスタントラーメンを抱きかかえて家まで運んだ
そんな状況で進路を考える時期を迎えたわたしは、当然進学なんて無理だった
定期代が払えずに学校に行けない日もあった
当然学校には自分の状況も話せず、先生たちからはただのやる気のないやつという扱いを受けた
それでも何とか学校だけは辞めずに済むよう、母は頑張ってやりくりしてくれた
無事高校を卒業、わたしはそれから2年間フリーターとして生きた
その頃やっと母は父と離婚
相当遅いと思うが、一家離散を経験した母は家庭を守ることに必死になっていたのだろう
わたしの方はとにかく正規雇用の職を探し、やっとの思いで事務職に就いた
ただそこは典型的なブラック企業、月280時間働かされて残業代は支給なし
それでも学歴も資格もない自分は、勤続年数が資格になるはずだとそこに身を置いた
母がステージ4の乳がんを患い、時間かお金どちらかだけでも余裕が必要となるまで、その会社で8年働いた
新しい職に就くのは結構大変だったが、今は自分のスペックに対して満足できる給与と余暇のもらえる会社にお世話になっている
ちなみに母は今でも元気に生きており、わたしは収入の半分を母に渡して一緒に暮らしている
一方母という食い扶持を失った父は、派遣で上手く社会に潜り込んだ
ただろくな生き方をしてこなかった人間なので、潜り込んだ先で問題を起こしてクビになることを繰り返し、
それでも金はあればあるだけ使う頭の悪い父なので、毎月毎月金を貸してほしいと連絡が入る
ある月は1万、ある月2万、返ってきたと思えば数日足らずでまた金を無心される
更には会社に借金もあるらしく、すぐに用立てる必要があるという
何とかならないかと娘に金をせびる父
電話を切り、泣きながらネットバンクに積み立てていた定期預金を解約した
すぐに父の口座に振り込み、一括で返せるまで連絡はよこすなと電話で告げた
この先連絡が途絶え、縁が切れることになるならそれはそれでもう構わない
誰かと笑い合う人生なんて歩めないんだろうな
「女性は声を上げてきたから権利を勝ち取ってきた。何故男は声を上げないのか?意味が分からない」
「男の事は男が助けるべき。女に頼るな!」なんて女性の意見はよく見かけるんだけど
男の場合、助けを求める声を上げても叩かれるし、何なら上げる前から叩かれて黙らせられる、
男が男を助けようとしても何故か「女を助けないのか!?女性差別だー!」って抗議されるケースが多々あると感じている。
というのも、以前から手伝っている支援活動や子ども食堂で、度々聞かされる要望とかクレームでそう思わされている。
例えば自分が関わっている所は利用者としては男女半々とはならずに男子7割、女子3割程度になる。
これは地域差も勿論あり、単純に男の方が人口多いとか、栄養的に男子の方がカロリーを必要として
そうなると貧困家庭だと満足し辛いとか、言い方悪いけど貧困家庭の男子だと「男なら多少放置しておk」みたいな感じで
決して愛情が無い訳では無いけど結果的にネグレクト状態、という家庭も少なくなくて
結果的に子ども食堂みたいな支援に辿り着いたり迎え入れたり(あるいは親に放り込まれたり)する事の方が多い、というのが自分の私見。
また別の施設だと女子(女性)の利用者の方が多くて、本当に地域差は大きい。
おかわりは一人一回までで、男子の利用者の大半はおかわりをする。勿論女子もする子はするし
そもそもその分も計算に入れて提供しているからこちらとしては問題無いし、仮におかわり禁止した所で提供数が変わる訳では無い。
まあそうなると、まず来るのが「男子は食べ過ぎだからおかわり禁止させろ」みたいな馬鹿なクレーム。
別に女子もおかわり出来るし先に書いた様におかわり厳禁にした所で提供数変わらないし、という事を説明するんだけど
・「男子が多いと女子が利用し辛い。レディースデーを設けて欲しい」
→別にラーメン屋みたいに女性入ってくんなよみたいな雰囲気は勿論無いし、客商売でも無い福祉の分野に何を望んでいるのか?
・「父子家庭らしき親子が利用するのが目につく。何故父子家庭が利用出来るのか?利用を遠慮して欲しい」
→親が来た場合は有料で提供してるんだけど、両親が来た場合でも同様の対応だし父子家庭だけをで禁止する意味が分からない。
ウチもそうだったんだけど父子家庭だからイコール余裕がある訳では無いだろうに。
・「提供数が決まっているなら女子の分を予め確保して欲しい。女子や母子家庭がもっと利用しやすい様にして欲しい」
→枠が決まっているのに、女子・母子家庭用に優先(実質専用)枠を作れって事?
男子の利用者の割合が多いにも関わらず、3~5割を女子・母子家庭の優先枠として確保しろとか正気なんだろうか?
勿論優先枠以外は男子に、なんて事は出来ないので、普通に利用出来ない男子が出てくるし、そもそも男女で差をつける意味も分からない。
「じゃあ男子には提供を制限しろって言いたいのか?」と反論した事もあるが、「そういう事を言っているのでは無い!」とすぐに否定する。
でも要望をそのまま解釈すると、女優先で男は後回し、になるのだからどうしようもなく矛盾している。
言い方は悪いけど、支援が必要な弱者に性別とかあまり関係無いと思うし、分断する意味も分からない。
以前読んだ増田で、『困窮している若い女性・子供では無い若い男性を助けるのが物凄くしんどい。
そういう事をしようとするだけで非難される事も多い』という内容のものがあったけど、そこまで酷くは無いものの
聞いててしんどくなるクレームとか要望はちょこちょこ耳に入ってくる。
さすがにそうそう受け入れる事は無い(と思うけど、団体の方針次第では分からんし、そうなったらさっさと手を引く)けど
しかしながら、自分みたいな末端ですら、こと福祉や支援の分野では「男を助ける」という事に対してはつくづく冷淡だよなーって感じる面が多々ある。
女性や子ども、子どもの中でも男子より女子が優先、男は後で良いしそもそも助ける必要あるの?という偏見が根強い。
「男は社会的に強者なんだから仕事で稼げ」なんてのは、男女平等の時代にも合っていないのに。
大げさかも知れないけど、「食事」という割と最低ラインのライフラインの支援ですら、男の事はあまり考慮しなくて良いし
後回しにしても良いでしょ?という思いが少しでも無いと、上記のクレーム・要望なんて出て来ないと思うんだよね。
どっかの馬鹿クレーマーのクレーム、なら相手にしないし笑えるんだけど、然るべき所や人からも似たような要望が来たみたいな話を聞いてしまうと、本当に笑えない。
そんな相手がフェミニズム団体とかフェミニストを自称していたりすると、フェミニズムとは男性差別思想なのか?と疑ってしまう。
自分は支援活動に色々世話になって何とか生きて来られたから、社会に恩返ししたいという思いもあって、ボランティア活動、特に貧困家庭への支援を
中心にやっているんだけど(子ども食堂の手伝いもその一つ)、自分自身の経験から、父子家庭とか男子というだけで
食事という最低限度の福祉からも爪弾きになりかねない現状は、過去の貧困だった我が身とも重ねてしまって非常に辛い。
たまたま自分は周囲に恵まれて助かったけど、そうじゃない人達はどうすんだよと、別に人間皆なりたくて貧困になってる訳でも無いんだよと
そういう家庭を知ってる人達や自身も決して経済的には恵まれていないであろう人達が、どうして助けが必要で、助けも求めていて
食事に来るという形で実際に行動を起こしている男子や男性には冷酷になれるんだろうか?本当に意味が分からないし辛い。
もっと感情的な批判、いや最早誹謗中傷とか攻撃の部類に入るクレームも無い訳では無い。
「女子が安心して利用出来ないから女子(と母親)専用にしろ!」とか
「余ってるのなら何たらかんたら支援事業に提供しろ!」「何故断るのか?○性差別だ!」みたいなものが……
もう本当に申し訳ないけど、「男を助けるぐらいならこちらに寄越せ、それも駄目なら(支援を)止めて!」みたいな
例え自分達が得をしなくても男性を支援するのが許せないというどうしようもない人達がいるんだよね。
例え声を上げても、その口を強引に黙らせる人達がいる。少なからず、確実に。
全員が女と言う訳では無いが、当然女の方が多い。男の敵は男だけじゃない。
自分は近所のおばちゃんにも世話になってたから、そういう女性(とそれに味方する騎士みたいな人達)は
本当の本当にごく一部だと思いたいんだけど、そういう「ごく一部」に限って声が大きかったり通りやすかったりするのが問題。
大声を上げてれば良いって話でも、ましてやそれが正しいって事でも無いんだけど、世の中はどんな形であれ
より目立って自分の意見を押し通す人達に有利な様に出来てるのが現実なのがげんなりする。
こんな事あまり書きたく無いんだけど、男性でもとっくに声を上げてる人は上げてるし
自分みたいな末端も含めてその声を聞いて助けようとしている人達だって普通にいるんだけど
その声が別の大声にかき消されたり、声を上げている事自体が許せなかったり、福祉とか支援は全てにおいて
『弱者』である女性を最優先すべきだと思いこんでいる様な人達や
男性を助けると自分達に回らないのではと勝手に思い込んで恐怖して、「善意で」攻撃してくる人達がいる。
「男はもっと声を上げるべき」という声は、実際に声を上げている人達や、その声を聞いて動いている自分の様な人達
そして大声を上げてせっかくの助けを妨害する様な、差別の加害者・当事者を応援する行為ですらある、と自分は思っている。
男から福祉すら「強者の権利だから」と取り上げて女に回したがる事を主張する、それを恥とも』思わない『わきまえない女』みたいなタイプには、怒りを覚える事すらある。
食事という性別関係無いであろう分野の福祉ですらこのザマだから
これが別の支援、それこそDV被害とか性的虐待被害者への視点とかだと
女性には当たり前にある支援が、男性に対しては必死に探しても無い、ぐらいに差がある。
「声を上げてない」というか、実際には「声は上がってるけど馬鹿にされたり黙らされてる」だし
「下手したら積極的に加害・攻撃されて排除されてる」とすら思う時がある。
まあみんな、分かりやすい弱者の形をしている方を救いたいよね、という諦めも感じている。
それが「女性」「子ども」であり「若い女子」「10代の少女」だったりするのだろう。
困難な生活をしている少女達が性的搾取されているとしたら、困難な生活をしている少年達は犯罪搾取されている。
ぶっちゃけ、女は男が助けを求める声を聞く必要も無いし、無関心で良いんだよね。
助けるのはこっちでやるし、それぞれ聞きたい声を聞くというのも、別に間違ってはいないと思う。
せめて非難とか邪魔とかして、声を上げた人を黙らせる事だけは止めて欲しいって、切に願っている。
それすら出来ない人間が多いのが現状なんだけど。
個人的にモヤモヤしているのが、以前ネット記事を作る時に、やたら女子や母子が食事をしている所を撮りたがるから
失礼承知で「何の意図があって女性だけ撮っているのか?」と聞いた所
「いやー女性じゃないと絵にならないし、同情されにくいでしょ?」と、さも当たり前の様に返された事があった。
その時、「あーそうですよね…」と、ちょっと納得してしまった自分が恥ずかしかった。
転売屋の口ぶりでよくあるのがこれ
理解していないならなんで転売なんて物に手を出しているんだって話
理解していなければ何をしてもいいという人間が最も危険なんだよ
無知と無理解を通せばすべてを拒絶できるとい思っているから勉強をしないし責任も追わない
徹底的に他責に頼っているし責任を取る方法すらわからないという圧倒的無敵人間
きちんと転売を悪だとわかった上でそれでも利益を優先して自己責任のもとで転売を行うならまだ理解が出来る
だってそういう人間は法のもとで裁いても一つも改善しないのだから
転売は市場に流通しているものを特定の個人や集団がかき集めて不当に釣り上げている
言ってしまえばそれだけだが、これが問題でないってことを理解しないから質が悪い
この間も上野公園でポケゴーおじさんたちが大量の端末で遊んでいたが、こういうおじさん達は自分たちが何をしているのかを理解しないまま不正を行っている
望まない妊娠をさせなければいけない。
どこで起こるかわからないレイプは防ぎようがないけど、いかにも頭が軽くて(敢えてこの表現を使う)誰とでもセックスしちゃうような女の子の支援をしなければいけない。
しかし女の子にも矜恃がある。「セックス=自分の価値」だと信じ込んでる子は大人の「自分の体を大事にしな」という言葉を異様に嫌う。刺青や根性焼きに過度なピアッシング、リストカットなどの精神状態と同じように過度なセックスにのめり込む女の子や、セックスと妊娠の因果関係が本当に理解出来ない女の子、更に家庭環境などで明瞭に発語できなかったり男性に過度に萎縮してしまう女の子なんかも危ない。
嬰児殺しや虐待で「誰かに相談出来なかったのか」と絶対出てくるんだけど、相談出来ないからそういう結果になるんだよ。すぐ男の責任とか行政の怠慢とかの話になるけど、結構それ以前で躓いているところも多くて実際に関わってみると「可哀想な被害者」というより「頭が悪くてすぐ悪口言いまくる女」という面も大きい(様々な事件の被害者が皆そうというわけではない)。まともな昼職を紹介しても「だって朝起きるとか無理じゃん」「えー何か教育係のおじさんキモくて無理(おじさんが何か悪いわけではなくおじさんを言い訳に仕事がしたくない旨を伝えている)」と仕事をすぐに辞めて結局夜職に着いたりパパ活に戻ったりとしていくわけで、そういう女の子を相手にし続けるのはものすごくエネルギーがいる。そこに取り組んでいる人たちや他に様々な支援が必要な人のために動いている人は本当に偉い。
嘆くだけなら誰でも出来る。そこでどうしなくてはいけないかを考えなければならない。その結果が被害者周辺の人物への加害行為になるなら、自分がその周辺人物になったときのことを想定してほしい。そこに理解が至らないならいっそ黙っていて欲しい。無理解による差別を糾弾する側が新たな差別を生み出しているのは見るに忍びない。
もちろん女が悪いとか男が悪いとか言いたいわけではない。ただよく知りもしない人間関係に妄想で色々言いながら自分が正義ですと言う顔していろんな属性を叩きまくってる奴はろくなもんじゃない。こういう時に使うべきが「せめて人殺しの顔をしろ 」だ。
擁護してる人に「普段からこんな感じだから」「ミリしらだから」とか言って擁護してる人がいるけども、
彼女自身のキャラクター属性と、公言している重要な情報として「私立男子校の数学と社会の非常勤教師」というのがある(副業可らしい)
公式プロフィールも「「Sっ気溢れる男子校の女性教師。酒とつまみを愛している。」
である。
要するに、中の人もVTuberの設定でも教師で一致してる人物だ。
そんな現役教員が「野球なんてボールぶつけて潰せばいいじゃん」と発言したのだ。そりゃ怒られるよ。
スポーツの経験すらなくても、教員免許を持つ人物の一般常識としてスポーツマンシップの基本は抑えてないと困る属性なのだ。
そんな属性の文脈を持つ人物が教育上でも重要な立ち位置を占めるスポーツに対する無理解を公言することがどういうことなのか、少しは考えてもらいたい。
非常勤教師の教師を公言する実名の人物が「ボールぶつけりゃいいよ」なんて言ったら
たちまち学校に苦情が殺到してクビにされておかしくないレベルの話だよね。
コイツは東証グロースに上場した企業の看板を背負う人物の一人なわけで、どうあっても処分されて当然の発言をしただけという話でしかないのだ。
何も書いてありません。そもそも正式には『視覚障害者誘導用ブロック』です。
線状誘導ブロックは沿って歩け。点状警告ブロックはここは停まって注意。それだけ
駅のホームを例にすると
となっていると思う。この場合、利用者は横に延びているブロックに沿ってホームを並行に移動し、点状ブロックで線路に近づいていることを理解する。
JIS規格や国際規格はあるけど色の決まりは無いよ。でも原則黄色となってる。
渋い顔されるけど規格内なら問題は無いよ。消火栓やAEDと同じくデザイナーや建築士の法令チキンレース。
バリアフリー新法の中にあったりして設置すると良いことがある。ただ自治体によって設置義務の規準が曖昧だったりする。
問題の根本は圧倒的無理解だから何も解決して無い。今回の場合は施設設計の人間にブロックの意味を誰一人理解していなかったのだろう。上で述べた使い方を知っていれば点状にアンパンマンの顔仕込む発想は出てこないだろう。(白杖を当てたり足で踏む場所なので)
来たら子供どかせばいいという意見は商店街とかでよく見る点字ブロックの上に自転車を悪びれも無く停めて利用者が当たって倒れると逆ギレする人と同じだ。
アンパンマンミュージアムに来ないでしょと言うのは論外。少し前に話題になったアポ無し飛行機搭乗や乙武氏の一件と違い正規の手段と施設が用意した器具を利用しているのだから何もおかしいことではないし、ぶっちゃけアンパンマンミュージアムが「視覚障碍者は来ないでほしい」と言ってくれれば今回の問題も起きなかった。見せかけのポーズだけバリアフリーが一番厄介。
手すり、スロープ、エレベーター、点字ブロックを全撤去してトイレの場所やマーク、AEDや消火栓もパン工場の中に上手に隠された足腰丈夫な健常者専用アンパンマンミュージアムがあるならとても見てみたい。
凄い無理解っぷり😅
周囲の人間もいつ裏切るか分からない様な状態にずっといたらああなるのも無理ないのかなって感じる
ていうかああいう為政者を生み出してしまうロシアの体質そのものに問題があると思う
以前のプーチンって柔道やってる姿を見せたり雪の中をわざと進んだりとか、やたらと「男性的な強さ」「男らしさ」をアピールしまくってたけど
あれもロシア国民の中にある弱者男性に対する強烈な忌避感故の行動なんだろうなって思う
民主主義国家の弱者男性でさえ生きづらいのに、独裁国家の弱者男性なんてどんな目にあってるか想像に難くない