はてなキーワード: 不自由とは
両親は共に成功した事業家であり、ユウキに惜しみない愛情を注いでいた。
彼の家は豪邸で、庭には見事な花々が咲き乱れていた。
ユウキは、何不自由なく暮らしながらも、自分の人生があまりにも「イージーモード」すぎると感じることが多かった。
学校では常にトップの成績を収め、スポーツも万能、友人も多かった。
料理や戦闘技術においても抜群の才能を持ち、そのスキルを周囲からも称賛されていた。
しかし、ユウキは時折、そんな自分の境遇に対して違和感を覚えていた。
「俺は本当に自分の力で何かを成し遂げたことがあるのだろうか…?」
この問いが頭をよぎるたびに、彼はどこか後ろめたい思いに駆られていた。
ユウキは自分の才能を活かし、世の中に貢献する道を模索していた。
そんな彼が興味を持ったのが、高級家事代行サービス「弱者男性サービス」だった。
このサービスは、美男美女たちが様々なスキルを駆使して、クライアントの多種多様な依頼に応えていた。
彼は料理の天才としてチームに加入し、様々な依頼に対応することとなった。
最初のうちは、料理の腕を活かしてクライアントを満足させることに喜びを感じていたが、次第に彼はその職業の複雑さに気づき始める。
クライアントは有名な政治家で、彼の屋敷で開かれるパーティーでの料理を担当しつつ、その間にライバルの情報を収集してほしいというものであった。
「これはいつもの仕事とは少し違う。失敗は許されない」リーダーのタクミはチームに緊張感を持たせるように言った。
ユウキは料理の準備を整えると同時に、情報収集のために気を引き締めた。
パーティーには多くのVIPが出席する予定で、どこに危険が潜んでいるかわからない状況だった。
パーティー当日、ユウキは最高の料理を提供し、ゲストたちを魅了していた。
その中にはライバル政治家もおり、ユウキはその動向を注視していた。
サクラとリナは会場のセキュリティを担当し、ミカは情報収集にあたった。
リョウはバックエンドでシステムのサポートを行い、緊急時には迅速に対応できるようにしていた。
パーティーは順調に進行していたが、突然の停電が起こり、会場は一時的に混乱に陥った。
タクミは冷静に指示を出し、ユウキたちはすぐに行動を開始した。
ユウキはそれを見逃さず、彼の動きを追った。
「ここで失敗するわけにはいかない…」ユウキは緊張しながらも、秘書の行動を阻止しようと決意した。
その瞬間、タクミが護衛として秘書を抑え込み、ミカが情報を確保した。
全てが計画通りに進んだかのように見えたが、ユウキの心には不安が残った。
任務は無事に完了し、クライアントからの感謝の言葉がユウキたちを迎えた。
「本当にこれで良かったのだろうか…。あの書類が暴露されれば、どれだけの人が影響を受けることになるのか。」
彼は自分の行動が誰かの人生を変える可能性があることを痛感し、再び自分の人生のイージーモードについて考え始めた。
ユウキは、これまでの人生で感じたことのない複雑な感情を抱えていた。
彼の才能は確かに素晴らしいが、その結果がもたらす影響について、どこかスッキリしない気持ちを抱えていた。
「俺は本当に人を幸せにしているのか?それともただ自分の才能を満足させているだけなのか…」
ユウキは答えの出ない問いを抱えながら、再び新しい依頼に向かって歩き出した。
僕は心と頭が不自由です😟
目か耳が不自由なの?
謎増田:小学生のなりたい職業ランキング1位。中国…研究者、アメリカ…科学者、韓国…学者、日本…スポーツ選手。なんで日本ってこんな低レベルなんだ?
↓
- 学者が水俣病の頃より、謎の力学で嘘ばかりつくから。それに加えてSNSで承認欲求目的でロクでもないこと言うの増えたから
- 学者(研究者)が、働く訓練しなかったポンコツor発達ポンコツなの棚にあげて、自分が贅沢できない日本はおかしいと喚くから
- JAXA然り何をしても失敗ではない、学者(研究者)様は正義だから 。なお、日本は科学誌に不正研究を名指しされた国
- エリートではなく、技術職ならどうかというと、エンジニアもなんのすけべ心なのかKADOKAWAの件でよちよちしてる
他国の子どもたちが、研究者や起業家や技術者に憧れている横で、下記をやりたがる日本の子どもたち
- スポーツ選手 ← 嘘が入り込む隙が比較的少ない - Eスポーツプレイヤー ← 嘘が入り込む隙が比較的少ない - YouTuber ← 短期的な再生数ならともかく、長期的な再生数は嘘が入り込む隙が比較的少ない - 水商売 ← 国立大でミスコン(当然整形もある)を容認していて、風俗やりながら高等教育を美談として扱うあたおか教育者がいっぱいいる国
子ども『親の面倒なんかみたくね〜』
日本 | 米国 | 中国 | 韓国 | |
---|---|---|---|---|
親(保護者)をとても尊敬している | 37.1% | 70.9%⭐️ | 59.7% | 44.6% |
どんなことをしてでも自分で親の世話をしたい | 37.9% | 51.9% | 87.7%⭐️ | 57.2% |
親の経済的な支援をするが、世話は家族や他人に頼みたい | 21.3%⭐️ | 19.3% | 6.3% | 7.3% |
体の不自由な人、お年寄りなどの手助けをしたことがある | 53.5% | 78.7% | 78.8%⭐️ | 60.8% |
弱い者いじめやケンカをやめさせたり、注意したことがある | 27.2% | 63.2%⭐️ | 54.2% | 50.5% |
私は人並みの能力があると思う | 55.7% | 88.5% | 90.6%⭐️ | 67.8% |
自分はダメな人間だと思うことがある | 72.5%⭐️ | 45.1% | 56.4% | 35.2% |
一つ言っておくと、現状を変えたくない、新しいことは怖い、「外」は外「内」は内で暮らしたい、どちらかと言えばお気持ちが重要……そういう心性に基づく思想を保守主義と言います。
一方で、現状を変えることも厭わない、新しいことは楽しい、「外」も「内」もなくなればよくない?、どちらかと言えば理屈が重要……そういう心性に基づく思想が革新主義です。
誰もが、幾分か保守で幾分か革新です。割合は人それぞれ。どちらがいい、悪い、上か下か、そういうのはありません。これ大事です。どちらが絶対に良くてどちらが絶対に悪いということはないんです。あなたは多分、真っ当に教育を受けてきた人なんでしょう。ひょっとしたら、理屈で正しいことが正しくて、感情に振り回されるのは間違ったことで、従ってより理屈が通った新しいことは受け入れるのが正しい、受け入れられないのは狭量で間違ったことだ……みたいな考え方を内面化しているかもしれません。それはちょっとした呪縛です。あんまり気にしない方がいいです。誰でも、必要以上に努力を強いられることなく、社会の片隅で暮らし、その範囲で感じ考えたことに基づいて振る舞えばよいのです。それで社会がうまく回るような仕組みを作るべきなのであって、そうやって民主主義というのは回っていくものなのです。誰かの判断だけが正しいから、その人に従おうというのは民主主義ではありません。誰もが主人であるから、誰もが思うように振る舞ってよい、それが民主主義です。
さて、こう前置きした上で言いますが、あなたの考え方はかなり保守寄りです。憲法改正反対も「なんとなく不安だから」、金権政治に憤るのも「むかつくから」……と考えれば、それらも極めて保守的な反応と言えるでしょう。悪い意味じゃ無いですよ。ですから、あなたの自認がどうあれ、あなたはとても保守的な人間だということをまずご理解いただければと思います。そして、それは別に悪いことではないということも。別に、「なんとなく不安だから憲法改正には反対」で構いませんし、「むしろ外国が不安だからなんとなく改正したい」でも別に構やしないのです。みんなのそういう総意で創意すればそれなりにうまいこと形に落とし込むのが官僚という頭のいい人たちの仕事なので、せっかく税金払ってるんだから、投票という義務を果たしたらあとは成り行きを見守っていたらよいと思います。
じゃあなんで、長々レスを付けるのか。実は、少しだけあなたが「不安」に思った方がいいのでは……ということについて、「どちらかと言えば革新寄り」な私の見解を少しだけお伝えしたいと思ったからです。少しだけお時間いいでしょうか。まあ「革新寄り」な人間の言うことですから、話半分に聞いていただいていいのです。お茶でものみながら聞いて(読んで)ください。別にあなたを革新主義にしようとか思っちゃいません。(そもそも、そんなこと不可能です! 会ったことも無いあなたの「不安」をぱーっと解消して、新しいモノ好きの人間にするとか、そんな怪しい洗脳みたいな真似が言葉だけでできるなら、増田に書くよりよほどほかにすることがあるでしょう。)
私の思うその「不安」というのは、あなたも薄々感じているとおり、あなたの「不安」を外に出せないということと関係があります。あなたはあなたの「不安」を人と共有できない、と感じている。それはおおむね正しいです。それは、その「不安」が間違っているからではない(これは何度でも注意しておきます)。その「不安」が人を傷つける可能性があるからです。賢明なあなたは、どこかでうっすらとそのことに気付いている……あるいは、そうどこかで教わったことを内面化できている、そのおかげで、今のところはその不安を口に出さずにいる=誰かを傷つけることから免れている、というわけです。では、その不安を外に出したらどうなるでしょう。
あなたはすでに中年とのことですが、ひょっとしたら自分か親戚に子どもや甥や姪がいるかもしれませんね。親しい人、大切な人の一人や二人はいるのではないでしょうか。自分以外の誰か、目の中に入れても痛くない、あるいはその人が苦痛を負っているなら、その一部を分け持ってもいい、そう思える人の一人がいないでしょうか。あるいは、この先、そういう人が現れる可能性はないでしょうか。保護しなければいけない子、親戚でも近所でも、そんな縁がつながることがあるかもしれません。では、そのとき、その人がトランスジェンダーであったら? イスラム教徒であったら? その人が将来連れてきた伴侶がそれらの属性の人であったら?……そのとき、あなたがそんな発言を残していたら、それは確実にその「あなたの大事な人」を傷つけることになります。それはあなたにとって「不安」ではないでしょうか。
心というのは、表に出していないつもりで、結構端から洩れているものです。テレビを見ているときにちょっと眉を曇らせる、普段のちょっとした言葉や態度の端々に、あなたが考えていることは現れてくるものです。よほど厳しく自分をルールで律してでもいない限り(そういうのは革新主義の人の得意分野ですが)、あなたはおそらくあなたの内心を隠し偽ることができないでしょう。それだけに、軽々にああいった書き込みをしてしまうことには、少し慎重になられた方がよいのではないかと思うのです。ただしそれは、あなたの今感じている「不安」を押し隠すという方向である必要はなく、「不安」をそのまま剥き出しにしない……それが無闇に人を傷つけるものに成りにくいように配慮できたら、あなたの「不安」は幾分か少なくなるのではないでしょうか。
たとえば、
・トランスジェンダーを女性用スペースから排除してほしい→トランスジェンダーの生きにくさと女性の不安を共存できるようなやり方を検討してほしい
・移民を排斥したい→移民の人との間の文化的摩擦が最小となるよう十分な配慮を望む
・イスラム教徒とは共存できない→イスラム教の教義に基づき(これは実際にそう)日本社会との相互不干渉の維持に勉め日本社会への理解を促進してほしい
ね。
そもそも「異教徒ブッコロOK」というのは、愛の宗教を歌い「汝の敵を愛せ」とイエスが言った聖書を奉じるキリスト教ですら延々とやってきたことです。ユダヤ教が現にやっていることでもあります。逆に、人種、民族、身分格差は認めない、異教徒(一神教の)の信仰も認める、という教義のイスラム教が彼らより危険だというのは、少し公平性を欠いた議論であると思います。世界的に見れば、神を信仰しない日本人は相当「気持ち悪い」人々と思われていますが、それはそれで心外ですよね。うっすらとした信仰心みたいなものはあるし、それで社会がおさまってるからいいじゃん、と私たちは思っています。日本の一部で起きた過激な事件に紐付けて(たとえばオウム事件などに寄せて)キリスト教国じゃない国はこれだからダメだ、日本人とは共存できない、とか言われたら、少なくとも「それはちょっと誤解があるよ、大多数の日本人はそんなんじゃないよ」と言いたくなりますよね。それと同じです。
トランスジェンダーの多くの人は、不安がってる女性の中に飛び込んで「うぇーい」したい人ではありません。ただ、男性の中にいて感じている「居心地の悪さ」を、可能ならなんとかしたい、それだけのことです。解消する方法はなんでもよいのです。私はたとえば、もう真っ裸で入る公衆浴場というのはあきらめて、みんな水着で入るようにすれば全部解決だと思ってますが、たとえばそういうことです。みんなでちょっとずつ不自由を分担すれば、誰の「不安」も解消できるので、ナイスアイデアだと思うのですが。
それから、あなたの感じる「左派」への不安、ちょっと分かるのです。なぜなら、どうも「左派」の目立つ人々の中には、自分は「正しい」、自分は「弱者の味方だ」、自分たちは「正義の守護者だ」、自分たちに反対する人間は「悪だ」……そういう雰囲気を漂わせ、そういう言行をする人が散見されるからです。これはあまり感心できないことです。敵を「排除する」とか自分たちは正義でありこれは「変わらない」……それらは極めて「保守主義」的な言動であり、彼らが口にする革新的な主張と相容れないからです。保守主義がダメというのではなく、言行不一致で人を不安にさせるのがダメなのです。もちろん、ゴリゴリに保守主義的な左派にもそれなりの存在意義はあります(岩盤層の維持といった意味で)。ただ、彼らが主流となることはないでしょう。それに比べて、保守と名乗りつつ十分柔軟な発想ができる革新主義者、というのは、なかなか信頼がおけそうで、多数の支持を得るのも当然かもしれません。保守的な主張により保守派から、柔軟な態度や言動により革新派から、それぞれ支持を受けられるからです。後者が支持者を不安にさせないのは不思議ですが、彼らがその柔軟さによって巧みに顔を使い分けると考えれば、必ずしも不思議では無いでしょう(その点、革新の旗を掲げる保守主義者は、顔の使い分けが下手なように思います。素直な人々と言えばそうなのですが。)。左派の方々が現状で支持を得られないことには、それなりの根源的な理由があり、それはあなたが心配したり後ろめたく感じたりしなくてもよいことです。彼ら自身が考えるべきことです。あなたは先のエントリで、自分がなぜ左派に投票「できないのか」について、延々と述べているように感じました。それは、まるで「左派に投票するのが『正しいのかもしれないが』、こういう理由でできないのだ」と誰かに説明しているように見えました。でも、大丈夫です。最初に述べたとおり、たとえば投票といった場において、あなたがあなたの考えた通りに振る舞うことに、何の問題もありません。あなたは、自分が左派寄りだと思っているかもしれませんが、私から見れば十分保守寄りですし、だからといってそれがいけないということは全然無いからです。はっきり言いますが、革新主義者しかいない島があったとして、私はそんな島に住みたくはないです。もちろん、保守主義者しかいない島があったとしても同じ。これはおそらく7割から8割の人が、実際そうなんじゃないでしょうか。両方がいて、あれこれ意見を交わしながら、都度都度方針を決めて、あるときは保守的に、あるときは革新的に物事が進んでいるというのが、一番平和で適切ではないかと思います。だから、それでいいのです。
まあ、長々となりましたけど、要するに「あなたは別に今のままでOK」、ただ、「将来も後悔しないような言動ができるよう、少しだけ配慮した方がHappyじゃね?」って話なのです。軽々しく排除的な言動を、たとえ匿名でもしてしまったら、最後は自分自身だって傷つくのでは無いかなあという、ただそれだけの老婆心でした。なんだか偉そうになってごめんなさい。最後までご静聴ありがとうございました。
俺は95年生まれだが、中学時代前後の自分のネット環境を振り返ると、まだまだ制約が多かったように思う。
これは大いに個人差があると思うが、俺の場合、高2で自分のパソコンを貰えるまでネットは親と共用だった。
学校の友達の影響で中2でオタク文化に触れるようになったものの、そのような環境では厳しいものがあった。
ちなみに自分の部屋にテレビもなく深夜アニメは共用のレコーダーで録画するしかなかった(結構恥ずかしかった)。
制約された環境のなかで何を見ていたかというと、アニメの公式サイトや2chまとめサイト、youtubeやエロサイトだ。
2chまとめはアニメ系の「今日もやられやく」、youtubeは東方の音MADやおもしろフラッシュ系(スネ夫探偵事務所とか)。エロサイトは外人のヌードサイトや「裏アゲサゲ」とか見てたかな。親のいない昼間~夕方にかけてこっそり見るのが楽しみだった。
本家2chは怖いイメージがあったから近寄らなかったし、ニコニコも登録が必要だったから見なかった。エロサイトも深くは入り込まなかった。そんなだから割れやゲーム改造もやらなかった。親のパソコンということもあって、割と無難な感じのサイトしか見てなかったと思う。
俺は兄貴もいなかったし学校の友達も少なかったから同世代のオタクと比べて知識は乏しかったはずだ。
のちに自分のネット環境を手に入れて、同世代のオタクたちの姿が見えてくると、自分との情報環境の差にびっくりする。
中学生、早けりゃ小学生から2chに書き込んだり、ニコニコに動画上げたり生主やったり、割れや改造をしたりと、明らかに文化資本の差を感じた。
こういう奴らは上に兄弟がいたり、子供のころからパソコンや携帯を買い与えられていたのだろう。
今でこそ、ネットは万人が当たり前のように使っているが、俺の時代ではまだ居間や学校でしか使えない連中もいたのだ。
豊かな情報環境にいる今の小中学生たちは昔よりもオタク文化資本が豊富だと思う。
ただ、俺は制約の多かった環境で不自由をしたから今の若い奴らが羨ましく思う一方で、ネットとリアルの境界が取り払われ、常にネットの世界に身を置いていなければならない「逃げ場のない」社会で人格形成期を過ごさずに済んでよかったとも思う。
俺よりもう2,3個下になると小中学生でネットに触れるのが当たり前の世代だろうから、95年生まれの子供時代はインターネットが世界を覆う過渡期だったんじゃないか。
それならそれでいいんだけど、十分幸せなはずなのに「嫁や旦那がいて子供がいて、不自由なく健康で過ごせてるだけで十分幸せである!それを幸せと思わない人間は愚かである!」みたいなことを四六時中SNSとかでポストしてるのがそこそこいてなんだかなあと思う。
嫁や旦那がいて子供がいて、不自由なく健康で過ごせてるだけで十分幸せな人間だってゴマンと居る。
少なくともこのアラフォー無職のおばちゃんは本人的にも他人から見てもとてもじゃ無いが現状幸せじゃねーよな?
今までの30年の生き方のツケが回ってきただけなんだよ
裕福な家庭に生まれた。
港区で生まれ育ち、幼少期から何不自由なく暮らし、いくばくかの愛情も与えられた。
多少要領も良かったようで、小学校から高校までをエスカレーターで過ごしたのちに一流と言われるような大学へ進学した。
容姿や周囲の人間にも恵まれ、当時は気がつかなかったが思い返せば幸せな時間をおくってきた。
こう聞けば羨ましがられるかもしれないが、これらと引き換えに失ったものもある。
多くの人は、お金持ちになりたい、いい家に住みたい、素敵な家庭を築きたい…多かれ少なかれ何かしらの目的を原動力として学業や仕事に励んでいるだろう。
自分にはそれがない。というよりも全て達成していた。
裕福がゆえに、およそ目的となるようなあらゆる体験を幼いうちに済ませてしまっていたから。
そんな空虚な中で仕事だけは小さな動機となっていたが、それなりの才があり欲しい評価をすでに手に入れてしまった。
残った人生の動機は親孝行だったが、数ヶ月前に父が亡くなってしまった。
母は幼い頃に他界したので、自分は天涯孤独の身となったことになる。
成し遂げたい目的があれば立ち直れたのかもしれないが、そんなものは残されていなかった。
社会の中で実現したい欲求があれば良かったのだが、前段階となる自己の欲求が消失している自分に見つけられるはずもなかった。
まだ20代も半ばだが、おそらく自分の人生はすでに終わった。このまま朽ち果てていくことを薄々感じる。
だらだらと書いているうちに何が書きたいのかもわからなくなってしまった。
同じような幼少期を過ごした仲間が自分のようにならないことを祈っている。
匿名だから厨二病を発揮する権利はフル活用すべきだけど、たまには現実も思い出してね
子どもたちはちゃんと大人たちを見てるので、他国の子どもたちが、研究者や起業家や技術者に憧れている横で、下記をやりたがる日本の子どもたち
- スポーツ選手 ← 嘘が入り込む隙が比較的少ない
- Eスポーツプレイヤー ← 嘘が入り込む隙が比較的少ない
- YouTuber ← 短期的な再生数ならともかく、長期的な再生数は嘘が入り込む隙が比較的少ない
- 水商売 ← 国立大でミスコン(当然整形もある)を容認していて、風俗やりながら高等教育を美談として扱うあたおか教育者がいっぱいいる国
子ども『親の面倒なんかみたくね〜』
日本の子どもが親を尊敬しているのは調査国最下位の37%で、
親の面倒なんかみたくないし、(強いて言えば)金は出してもいいけど他人に親の面倒を看て貰いたいし、
体の不自由な人、 お年寄りなどの手助けはしないし、弱い者いじめは見なかったことにするし、
なによりも自分自身のことをダメな人間だと思っている
日本 米国 中国 韓国 親(保護者)をとても尊敬している 37.1% 70.9%⭐️ 59.7% 44.6% どんなことをしてでも自分で親の世話をしたい 37.9% 51.9% 87.7%⭐️ 57.2% 親の経済的な支援をするが、世話は家族や他人に頼みたい 21.3%⭐️ 19.3% 6.3% 7.3% 体の不自由な人、お年寄りなどの手助けをしたことがある 53.5% 78.7% 78.8%⭐️ 60.8% 弱い者いじめやケンカをやめさせたり、注意したことがある 27.2% 63.2%⭐️ 54.2% 50.5% 私は人並みの能力があると思う 55.7% 88.5% 90.6%⭐️ 67.8% 自分はダメな人間だと思うことがある 72.5%⭐️ 45.1% 56.4% 35.2%
創作にしても、こういう設定にしてしまう人って何歳なんだろう…
そろそろアラフィフな自分の世代でも短大はもう時代遅れ、4年制大学が当たり前、だったよ
普通の女子は短大で当たり前、4年制は行っても就職がない、って世代はアラフィフでも後半のアラ還暦見えてる歳じゃ?
どっちみち32歳じゃあり得ないよねえ
今でも短大行く子はいるけど、学力か金のどちらかが無い故であって
それで「行かせてもらった、不自由なく育てられた」って認識持ってる子はいなさそうだし
50代半ば以上であろう歳の人がこんな創作してるとしたら怖すぎるんだが
父親に対する感情ゼロを言う設定に無理があったので、比較的自然な形に年齢を修正しました 後ほど、別の増田で設定通りの年齢設定で修正をします anond:20240715002416
わたしが小学校へ入ったばかりの頃、他所に女を作って母とわたしを捨てた父だ。
今の父(養父)を手放しに「とても良いお父さんだった」とは正直言えない、色んな思いをしたけどそれはまぁ今は割愛。
奨学金は自分で払ったけど、短大まで行かせてくれたし、不自由なく育ててもらった。
だから、表面上は実の父に対する感情がないふりをしていた。無を装っていた。
中学生になるまで毎年誕生日にはプレゼントと手紙をもらっていたけど、何も感じていないかのように振る舞っていた。
実際は、心の奥底では父からの贈り物に喜びや複雑な思いを感じていたけど、それを表に出すことは出来なかった。
母や養父を傷つけたくない、新しい家族の和を乱したくないという思いが強くて、実の父に対する感情を押し殺していた。
養父がわたしを実の娘のように思ってくれていることに対しての気持ちもゼロじゃなくて、実の父とのつながりを示すようなことは避けていた。
そうすることで、家族の中での自分の立場を守ろうとしていたのかもしれない。
母は時々、実の父の話をしてくれたけど、私は表面上無関心を装っていた。知らない芸能人の話でも聞いてるような態度を取っていた。
実際は、話を聞くたびに胸が締め付けられるような感覚があったけど、それを悟られないように努めていた。
ただ、母の声の調子や表情から、彼女の複雑な気持ちが伝わってきて、それを見るのが辛かった。
母の心の痛みを感じ取りながらも、自分の気持ちを抑え込むのに必死だった。
わたしが結婚した時、母から実の父に、結婚式の招待状を出す?って聞かれたけど
「なんでそんなこと聞くんだろう。出すわけないじゃん」って思った。今のお父さんに悪いじゃん、って。
でも、子どもが生まれて、子育てにもすこし慣れてきた今。なぜか、実の父のことが急に気になった。
それで、色々探してSNSをみつけて、ブログがあったから読んでみた。
それから、ブログを読んでいるうちに、長年抑え込んでいた感情が一気に溢れ出した。
父の日常や趣味、考え方を知るにつれ、自分の中にある似た部分に気づき、知らなかった父の人間性に触れた。
そして、突然、今まで味わったことのない喪失感と同時に、やり直せるかもしれないという希望が湧き上がってきた。
自分でもびっくりするくらいわんわん泣いた。今まで築けなかった関係、聞けなかった話、共有できなかった時間、全てが一度に押し寄せてきて、涙が止まらなくなった。
そして、その感情の中で、すごく父に会ってみたくなった。
今までもらっていたプレゼントと手紙のお礼も、やっと素直な気持ちで伝えたくなった。
長年の沈黙を破る勇気が湧いてきて、SNS経由で連絡をしてみた。すると、思いがけずあっさりと繋がることができた。
20年以上も会ってない子どもからの突然の連絡なんて気味が悪いかな、とか、拒絶される可能性もなくはないなと思うと怖かったから、
「連絡がきて嬉しい」と言ってもらえて安心してまた泣いた。
そして今もやりとりが続いていて、過去の母との思い出の話やこれまでのお互いの話をたくさんLINEで話してる。
これからゆっくりと距離を縮めていけたらいきたいなと思う反面、複雑な気持ちもある。
母の心情を考えると、この状況を伝えるべきか、あるいは黙っておくべきなのか、悩んでしまう。
母を傷つけたくないという思いと、実の父との関係を再構築していきたい気持ちの間で揺れている。
今さらになって、父に会いたくなった理由について自分なりに考えてみた。
子どもが生まれて、自分も親になったことで、家族のことを考える機会が増えたのが大きいのかも。
それに、今の生活が落ち着いてきたってのもあると思う。
自分の中に安定感が出てきたから、過去のことと向き合える余裕ができたんだと思う。
もし父から会うことを拒否されても、今なら立ち直れる気がしたからだ。
夫に相談した時、「感動的な再会みたいなのを望んでるなら、傷付くかもしれないよ」って言われたけど、
学生のころや、結婚前は、意識的に実の父への感情を抑え込んでいたんだと思う。
子どもの頃から、母の気持ちを察して、実の父のことを口にするのを避けていた。
でも、心の中では「お母さん、私にも実の父に会う権利があるんじゃないかな」って思っていた。
実の父との関係を築くことは、新しい家族への裏切りのように感じていたのかもしれない。
でも、当時はそれが精一杯のやり方だった。
母や養父を大切に思う気持ちと、実の父への複雑な思いの間で揺れていたんだと思う。
今、自分の子どもが生まれて、新しい家族ができた喜びに満ちている。
この幸せな気持ちが、過去を見つめ直す勇気をくれたのかもしれない。
自分の人生に幸福と安定感があるからこそ、実の父との関係を考える余裕ができたんだと思う。
手放しで良い父親だったとは言えないけど、これまで育ててくれた養父への感謝の気持ちも、より深まった。
自分が親になって初めて、両方の両親の気持ちが少し分かるようになった気がする。
特に母の立場が本当に理解できるようになった。浮気で離婚して、しかも子どもを置いていったという父の行動が、母にどれほどの傷を与えたか。
もし自分がそんな目に遭ったら、立ち直るのにどれだけの時間がかかるだろう。想像するだけで胸が痛む。
だからこそ、実の父と連絡を取り始めたことが、母の気持ちを踏みにじってしまうのではないか不安がある。
また、円満とは言えない養父との関係を崩さないかという不安もある。
でも同時に、20年以上越しに実の父の存在を改めて受け入れ、複雑な感情と向き合えるようになったことは、わたしにとって大切な一歩だとも感じている。
まだ迷いはあるけれど、長年封印していた感情の蓋を開けたことで、何か大切なものを取り戻せた気がする。
これから実の父とどんな関係を築いていけるか分からないけれど、少なくとも自分の中で何かが変わり始めた。
子育ての喜びと、過去との和解の兆し。この二つが重なって、人生の新しいページを開いた感覚がある。
これからの人生で、私の子どもにも、両方の祖父の存在を伝えられたらいいな、そんな穏やかな気持ちでいる。
ただ、それを実現するには、まず母の気持ちを大切にしながら、慎重に進めていく必要があるだろう。
この複雑な感情を、どうやって家族全員に理解してもらえるだろうか。
それでも、今なら冷静に、そして思いやりを持って話し合える気がする。
そういう印象しかなかった。
今の父を手放しに「とても良いお父さんだった」とは正直言えない、色んな思いをしたけどそれはまぁ今は割愛。
奨学金は自分で払ったけど、短大まで行かせてくれたし、不自由なく育ててもらった。
成人するまで毎年誕生日にはプレゼントと手紙をもらっていたけど、なんの感情も沸いたことがない。
「ふーん。ラッキー」くらいなもん。
母は時々、実の父の話をしてくれたけど
知らない芸能人の話でも聞いてるような気分だった。
実の父に、結婚式の招待状を出す?って聞かれたけど「なんでそんなこと聞くんだろう。出すわけないじゃん」って思った。
今のお父さんに悪いじゃん、って。
でも、
なぜか、実の父のことが急に気になった。
それで、色々探してSNSをみつけて、ブログがあったから読んでみた。
そこで初めて、実の父が実在して、どんな人間かが少しだけ分かった。
ブログの内容から、今でも付き合いのある彼女が、離婚の原因になったひとなのかなということもなんとなく分かった。
母がそれをなんて思うかは分からないけど、わたしは「こういう愛もあるんだ」って納得した。
それから何故か分からないけど、自分でびっくりするくらいわんわん泣いて、すごく父に会ってみたくなった。先述のプレゼントと手紙のお礼も伝えたくなった。
SNS経由で連絡をしてみたら、あっさり繋がることができた。
30年も会ってない子どもからの突然の連絡なんて気味が悪いかな、とか、拒絶される可能性もなくはないなと思うと怖かったから、
「連絡がきて嬉しい」と言ってもらえて安心してまた泣いた。
そして今もやりとりが続いていて、過去の母との思い出の話やこれまでのお互いの話をたくさんLINEで話してる。
これからゆっくりと距離を縮めていけたらいきたいなと思う反面、やっぱり母の気持ちを考えるとあまり良いことではないのかなとも思う。
今さらになって、父に会いたくなった理由について自分なりに考えてみた。
自分が新しい家庭を持って、それが安定してきたからというのが1番の理由かなと思う。
実の父から、会いたいという気持ちをもし拒否されても、今なら自分が壊れないというタイミングだった気がする。
夫に相談した時、「感動的な再会みたいなのを望んでるなら、傷付くかもしれないよ」って言われて気付いたこと。
学生のときや、結婚前は、自分が壊れないために実の父への感情がシャットダウンされてたのかなぁと今は思う。
子どもたちはちゃんと大人たちを見てるので、他国の子どもたちが、研究者や起業家や技術者に憧れている横で、下記をやりたがる日本の子どもたち
子ども『親の面倒なんかみたくね〜』
日本 | 米国 | 中国 | 韓国 | |
---|---|---|---|---|
親(保護者)をとても尊敬している | 37.1% | 70.9%⭐️ | 59.7% | 44.6% |
どんなことをしてでも自分で親の世話をしたい | 37.9% | 51.9% | 87.7%⭐️ | 57.2% |
親の経済的な支援をするが、世話は家族や他人に頼みたい | 21.3%⭐️ | 19.3% | 6.3% | 7.3% |
体の不自由な人、お年寄りなどの手助けをしたことがある | 53.5% | 78.7% | 78.8%⭐️ | 60.8% |
弱い者いじめやケンカをやめさせたり、注意したことがある | 27.2% | 63.2%⭐️ | 54.2% | 50.5% |
私は人並みの能力があると思う | 55.7% | 88.5% | 90.6%⭐️ | 67.8% |
自分はダメな人間だと思うことがある | 72.5%⭐️ | 45.1% | 56.4% | 35.2% |
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42