はてなキーワード: 退職とは
中国資本がソーラー光開発による土地取得なんてニュースを見掛けた。
ニュースを見かけたのが自分が最近なだけでそういう話は前々から話題になっていたらしい。
正直ブラック企業で生きていくだけで精一杯でそんなニュースも知らなかった。
自分らの土地も田舎だが、この所すごい勢いで一気にソーラー設置が増えてきた。
山を崩して木を切り出してあっという間だった。
中国資本の話を知って怖いと思いつつも山を持ってても税金掛かるだけで
生きるだけで精一杯の自分が何か出来る訳でもないが
滅びるなら滅んで仕方が無い事しかして無いなというが
まあそれも仕方が無いよなと思う。
あとは残った餌を誰が大きくむしりとるかか。
何も残らない。
中国資本がソーラー光開発による土地取得なんてニュースを見掛けた。
ニュースを見かけたのが自分が最近なだけでそういう話は前々から話題になっていたらしい。
正直ブラック企業で生きていくだけで精一杯でそんなニュースも知らなかった。
自分らの土地も田舎だが、この所すごい勢いで一気にソーラー設置が増えてきた。
山を崩して木を切り出してあっという間だった。
中国資本の話を知って怖いと思いつつも山を持ってても税金掛かるだけで
生きるだけで精一杯の自分が何か出来る訳でもないが
滅びるなら滅んで仕方が無い事しかして無いなというが
まあそれも仕方が無いよなと思う。
あとは残った餌を誰が大きくむしりとるかか。
何も残らない。
中国語でも覚えるか。
### はじめに
こういう振り返り記事は書いても大した意味はないと思いつつも、自分がちゃんと生きていた印を残しておけばいつか役に立つかなと思って書きます。
### 1月
めちゃくちゃ病んでたのであまり覚えていません。初めて精神科に行って薬をもらいました。医者からバイトを辞めろと半強制的に言われました。
休職していたバイトは復帰する予定だったけど、医者の言葉&どうしても働くのが怖くて無理だったので、結局そのまま事実上退職という形になりました。
バイト先の人はとても優しかったし、ヘナチョコな自分をギリギリ現場で使える程度のコーダーに育ててもらっただけに申し訳ない気持ちはありました。
メンタルを病んでからコードを書くのも怖くて嫌だった気がします。
### 2月
所属する大学が4月からもリモート授業になることがわかりました。「リモート授業下で新入生は履修登録とかどうすんだろ、大変そうだな」と思い、何か力になりたいと思ったので、授業の口コミを共有できるWebアプリを作り始めました。あんなにコード書くのが嫌だったのになんでだろう…。多分人の役に立つことによって、自分がまだ生きてていいことを確認したかったのではないかと思います、知らんけど。
### 3月
文字通り寝る食う以外はコードを書いていました。一日10時間くらいは書いていた気がします。
250人くらいに使ってもらえて、「こういうの欲しかったんです!」とか「デザインが使いやすいです!」とか言ってもらえて、嬉しすぎて泣きました。自分でも誰かの役に立てるんだって思うことができて、すごく嬉しかったのを今でも覚えています。
### 4月
進路について考え始めました。就職する気になれなかったので大学院に行こうと思いました。志望する研究室の先生にメールを送って宿題を出してもらいました。内容はHaskellで色々やるみたいな感じで、Haskell楽しいな〜ってなりました。
一応就活もやってました。行きたいと思える企業が1つだけあったので、そこにESを出しました。それ以外は何もやってなかったです。
### 5月
大学院の先生から出される課題がむずすぎて病みました。院進も就活もうまくいかなくてやばいやばいと思っていました。
結局院進は諦めて就活することにしました。面接を受けたりしました。
### 6月
ずっと就活でした。面接が本格化してきて、面接で落とされるたびに落ち込んでました。この時はメンタルがやばくて毎日薬を飲んでいました。
面接のために学校のキャリアセンターで面接練習してもらったり、自分の年表を作ったりしてました。昔の自分がキラキラしすぎてて「この時に自殺しておけばよかったのに」と思ってました。今は思ってないですが…
### 7月
唯一行きたいと思ってESを出した企業から内定が出ました。なんで????いまだによくわかりません。でもとりあえず辛かった就活から解放されたのが心の救いでした。
### 8月
実家に帰省して毎日アニメだけ見て生活してました。この生活をずっと送られたらどれだけ幸せなのだろうと思いました。
### 9月
内定先でアルバイト(リモート)を始めました。最初は「なるほど、これがReactか…ふぅ〜ん、おもしれー技術」みたいな感じで楽しかったのですが、途中から自分でもびっくりするくらい楽しくなかったです。なんで????リモートワーク適性がないのかな〜と思ってたけど、そもそも自分には労働の適性がなかったのを思い出しました。
働き始めて2週間で「働きたくない」「早く辞めたい」と思って病みました。また薬を飲み始めました。薬は飲み続けないと意味ないよ…?
### 10月
相変わらず死んだ顔をしながらバイトしてました。この頃になるとバイト中に漫画読んだり昼寝してました。バイトサボりながら『NEW GAME!』読んでたら頑張ってるあおっちたちに申し訳なくなりました。こんなカス人材、今すぐクビにしたほうがいいですよ!御社!
最終出勤日にPCを返却して退職したときは気持ち良すぎて最高でした。退職するために働いてるみたいなところないですか…?
### 11月
バイトのストレスからずっとアニメ見て漫画読んでました。いつもなら働いてる時間に近所を散歩していたら「空ってこんなに綺麗だっけ!?」と驚きました。
### 12月
卒論がやばいので書き始めました。3週間くらいで書き終わりました。
あと知り合いのツテで業務委託でコードを書き始めました。あんなにイヤイヤいってたのに気づいたらコード書いてるのよくわかりません。趣味なら楽しいのかなぁ。
### まとめ
基本的にずーーーっと心を病んでいました。本当に辛かった。
以上が、K市の特定任期付き職員としてのキャリアの棚卸しになる。
退職の背景などを述べて結びとする。
K市を辞めることになった原因は、私をスカウトしてくれた人が市長ではなくなったからだ。政争に負けたのだ。新しく来た市長は、前市長の行っていた改革的内容のうち、いくつかを元に戻す選択をした。
特に、私達がそうだ。『私達』というのは、国や民間企業やNPOなどからK市に採用された特定任期付き職員だ。当年度の終わりでの任期満了が言い渡された。
私達はまだいい。転職先を探せるだけの時間があるのだから。副市長などは、新市長の就任から1週間でお役御免を宣告され、二か月後には議会で辞職が承認された。政治任用の悲しいところだ。
いまだに納得がいかない。私達は全員、結果を出していたからだ。地域産業の活性化を担当した人も、福祉事業の効率化を担当した人も、庁内インフラ設備の刷新(今でいうDX)を担当した人も、そして私も、全員が数字で証明できるだけの結果を出していた。
にもかかわらず、「あなたの任期は今年度限りです」と三行半を告げられた。それが許せなかった。
私は、以下の成果を確かに達成している。
・手がつけられないレベルの問題職員への退職勧奨。主にB子さんの時に登場した人事課長と二人三脚で行った。成果として、計13名の問題職員(全く仕事をしない職員、犯罪を犯した職員、度を過ぎたハラスメントを行った職員)に始末をつけた。一人頭での人件費(職員の雇用にかかる全ての費用。年収ではない)が最低でも年800万以上はかかっていたので、13名で約1.2億円のキャッシュフローを削減できたことになる。
・面接試験の構造化及び検証手法の確立。これまでは、面接時に予め決まった質問を受験者に行ったうえで、面接官と受験者がフリートークを行い、最終的に点数を決めていた。この慣習を原則廃止した(少しは残した)うえで、統計学の知見に基づき、面接時評価と採用後査定を追尾検証できるシステムを構築した。コンサルは入れていない。庁内でプロジェクトチームを立ち上げ、皆で作った成果物だ。
・新規採用職員の試用期間内分限免職の基準化。当時のK市では、新人職員が20名入ってきたとして、1~2名がどうしようもなく向いていない人間だったとしても本採用していた。その結果、問題職員や無能職員が跋扈・放置される原因となっていた。私が2年目の折、試用期間内での分限免職の基準を明確化した。その職員が所属する課に明白な責任が見られず、かつ当職員との面談において度し難いほどの悪い結果が得られた場合、分限免職ができる旨を要綱で固めた。以後、数年分の結果として、新規採用職員の約1割が本採用に至らずK市を去っている。これについても、問題職員を40年間も世話するだけの人件費(K市の場合は約3億円/人)を節減できたことになる。
さて、便宜上は『問題職員』と表してきたが、一度として私は、能力が低いことだけを理由に当人の分限免職を決めたことはない。例えば、臓器に異常があって年に5分の1は休まなければならない新人職員がいたが、退職勧奨は行っていない。
能力の高低は関係ない。人格的に救いようがないほどの諸傾向が見られた場合に限って当人を辞めさせる行動に出る。そういう者は、他の職員、特に市民や企業のために頑張っている職員に悪い影響を与えるからだ。
恨みつらみを書きはしたが、新しい市長の行いは正しい。頭ではわかっている。特に、私などは前市長のスカウト(政治任用)により採用されたわけだから、トップが交代すれば成果に関わりなく切られる。それが普通だ。
K市で〇年以上も暮らしたのだから、当然哀愁は募る。最初の頃は、都心から外れたところにあるK市を心の底で憐れむような、蔑むような、自分とは関係ない存在だと思い込むような――そんな感情があった。
庁舎の3階から中心市街地を眺めている時、家屋や工場の間にポツポツと居並ぶ田園を眺めていて、これまで東京都内のコンクリートジャングルにいた頃が懐かしくなった。
いつの間にか、この町が好きになっていた。高い品質の地元名産品はあるし、創造的な力のある子どもを何人も見ることができた。山の上にあるワンルームマンションから見える大きな河川に囲まれたK市の街並みは、今でも記憶に残っている。
さて、さんざんと人事関係の効率化を進めてはきたものの、後悔も当然ある。最後の年には、「私がやってきたのは正しいことなのか?」と考えるようになっていた。
私が採用されたのは、「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」というミッションを果たすためだった。民間企業においては標準的な考えだ。しかし、官公庁はそれでいいのだろうか。人格に難のある人や、能力が低い人や、病気などで働く事ができなくなった人を追い出していった場合、民間企業も官公庁の真似をするのではないか? つまり、要らないと判断した人間を組織から追い出すようになる。
その『要らない』が、本当に正しいのか分からないから厄介だ。仮に正しかったとしても、日本の社会全体で考えた場合に最適である保証はない。とある組織が不要な人間を切りまくるという行為は、部分最適ではあっても全体最適ではないのでは?
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
副市長がある時に言っていた。「同僚を馬鹿にする奴は市民も馬鹿にする」と。成績不良の職員のクビが簡単に切られる世界では、きっと能力の低い人間がバカにされているのだろう。すると、市役所に最後の助けを求めに来ている、社会的に恵まれていない人間もバカにするようになるのではないか? 私はそう考えた。
人材とか、人財とか、人罪などという経済的な問題ではなくて、理念なのだ。官公庁はすべての国民のためにあるのだから、様々な社会的属性を持った人を、ネガティブな特性を持った人まで含めて、多様性を意識した雇用を行っていくべきではないか。そう感じるようになっていた。
例えば、上で述べた受験者のポジティブチェック・ネガティブチェックのリストは最たるものだ。採用される職員の多様性を担保するという観点からは、あれは悪手だ。これから採用しようとする人間は有能か? という視点でしか見ていない。一公僕の恣意的な判断で、ある特定の社会的属性を有した人間を排除している。
もっと早くに気が付いたとしても、私の力では変えられなかった。市長の採用ミッションとは反対の方向に舵を切るのだから――今になって思う。A夫さんの事件の時に副市長が言ったことは正しかったのだ。
私は間違っていた。最後の最後で気が付いてしまった。馬鹿だった。愚かだった。今さら気が付いても遅い。
結論:公務員業界における身分保障という考えは正しい。法律上は免職処分にできる場合であっても、多様性の保持の観点から、可能な限り回避すべきである。
Gさんを覚えているだろうか。
市民課で働いていた女性だ。K市にいた間、毎週休日出勤をする中でほぼ必ず見かけていた人だ。どうしても、このGさんが気になっていた。彼女の残業時間は月にアベレージ70超えだった。ゴルフのスコアではない。サービス残業まで含めた残業時間だ。
難しい仕事はGさんに集中していた。ストレスチェックは毎年悪い結果で、そんな状況にあっても市民への思いやりを忘れないでいる。人材会社で転職支援をしていた人間からみると、民間でも通用するタイプの公務員だった。私は、Gさんが自らの意思で地獄から抜け出すきっかけを与えようと思った。
私が退職する5か月前、隣の市町にある社会福祉団体に声をかけた。ずっと前に、私が当団体に職員をリクルートしたことがあった。
「K市にこういう経歴の人がいるのですが、本人に希望があれば面接はできますか」
との問いかけに、社会福祉団体の事務長は乗り気だった。果たしてGさんは話に乗ってくれるだろうか、と不安になりつつも、ある土曜日の昼だった――うす暗い市民課の机の上でパソコンのモニターと向き合っていたGさんに声をかけた。
Gさんとは、あれからいろいろあって仲良くなっていた。Gさんは朗らかな笑顔で、「〇〇くん。おつかれさま。なにかあったの?」と返してくれた。件の話に入る前に、今の状況を簡単に聞き取ってから、私が年度末で辞めることと、社会福祉団体のことを伝えて、採用案内のしおりと事務長の電話番号を手渡した。
「この辛い環境であなたは十分頑張ったよ。お疲れ様でした。転職しようがすまいが、応援しているからね」
それだけ伝えて私は、残りの仕事を片付けるために人事課のある3階に向かった。
「あ~、疲れた!」
今これを書いている私は、都内にあるマンションの一室にいて、革製の書斎椅子に背中をもたれている。
当初は2万字くらいかと思ったが、ここまでになるとは思わなかった。だが、これでいい。この内容をベースにして職務経歴書を作ろう。
一応言っておくが、もし貴方が現役もしくは退職済の公務員だった場合、職場の問題点などをブログで暴露したいという欲求に駆られることがあるかもしれない。
やめておいた方がいい。その欲求は、なにか別の方法で発散するか、貴方の中で雲散霧消するのを待った方がいい。守秘義務違反だからだ。行政機関がその気になれば、運がよくて処分、運が悪ければ起訴に至る。
私の場合は、『武器』があるからこういうことができる。もし、この日記をK市の幹部が見て問題視し、「覚悟しろよ」とばかり私を攻撃する手筈を整えても、断念する可能性が極めて高い。
私は、K市の重大な法令違反の情報を握っている。それも3件。証拠付きだ。うち2件は管理職の何人かが処分を受ければ済むが、うち1件が明るみに出た場合、今の市長は退職せねばならない。前市長や、前々市長をも巻き込むことになる。そんな危険な賭けをすべきではない。だから、こうして日記を書くことができる。
さて。今はフリーランス個人で請ける仕事も面白いのだが収入が少ない。何百万かもらった退職金もそろそろ底をつく。また、会社員に戻ってみたい。この年齢で就職できるかはわからないが、挑戦してみよう。
K市で働いていた日々に想いを募らせていた私は、仕事の疲れを癒そうと思い、デリヘルを呼ぶことにした。
私のスマホは旧型のiphoneだ。通信が遅いので、いつもパソコンを使う。今時はインターネットで嬢を予約できる。便利な世の中だ。
コーヒーを伴にしながらモニター越しに嬢を選んでいる。せっかくの秋晴れの日だ。作品も完成したし、就職への挑戦の第一日目という意味を込めて、まったく知らない子を指名してみよう。
私の瞳は、画面中央にいるアスミちゃんに夢中だった。物憂げな瞳、身長は高すぎず低すぎず、顔の形は綺麗だ。ふっくらとした卵型で、唇の形が美しい。肩から下は見えないが、そこはまあ、チャレンジだ。突撃してみよう――空いている予約枠をクリックした。
背丈は160に少し届かないくらい。写真どおり物憂げな瞳で、胸は普通くらい。太ももはそれなりにある。
ぼうっと立っている姿は今にも消えてしまいそうだが、私の瞳を釘付けにするだけの強さでもってマンションの一室の前に佇んでいる。
さっそく部屋に招き入れて、プレイを始める。今日は奮発して1時間のコースだ。お店のメニュー表にある一通りのことをやってもらうことにする。自分で言うのもなんだが、この年になっても30代並みの持続力を持っているとの自負がある。
さて、肝心のプレイだったが、これがまた最高だった! 私はこのデリ店舗のメニューをソラで暗記している。計11種類のプレイを、休むことなく30分以上続けてもらった。私のモノは張り裂けそうになっている。
同時に、アスミに対して敬意を抱くようになっていた。普通であれば、「顎が痛い」と訴えるのだ。それで、大抵の嬢は後ろに下がって、私に敵意を向けながら、無料での延長を要求されない程度に休憩をする。
しかし、アスミは一心不乱に注文に応え続けている。「いや、これ絶対痛いやろ」という角度になっても、ひたむきな眼差しで私の肉体を愛撫してくれる。これでまだ半年未満のキャリアだという。驚きだ。
……心の中でひたすらに、どこかの鬼狩りのように、「うまい、うまい、うまい!」と唱え続けていた。やがて、私の柱は張り裂けてしまったが、立ち上がるまでに時間はかからなかった。私は、連続さんになっていた。連続さんは負けてない! また何度でも立ち上がるのだ。
私は今、聖なる空間にいる。
いつも夜がくると、この家に戻る。そして、書斎に入る。都会の喧騒やら何やらで汚れた毎日用の服を脱ぎ捨てて、仕事をするための部屋着を身に付ける。
物事に取り組むことに対する礼節をわきまえた格好に身を整えてから、いつもパソコンに向かっている。直近で書いていたのは、この日記だ。
私の心は当然、K市に存在している。私の心は、あの懐かしい人々のいる、あの懐かしい庁舎へと参上している。そこでは、同僚から親切に迎えられ、あの仕事、私だけのための、そのために私は生を受けた、仕事という食物を食すのだ。
そこでの私は、答えが出やすいことも、出にくいことも彼らと話して物事を決める。自分の考えを伝え、彼らの考えの理由を尋ねる。彼らも私を信頼していて、人間らしさをあらわにして応えてくれる。
いま私は、記憶の世界に全身全霊で移り棲んでいる。時間というものの退屈さを感じない。すべての苦悩はなくて、失敗も恐れなくなり、筆を進めるだけになる。
記憶の世界が終わると、どっと疲れが出る。それを癒すための神聖な存在を呼ぶと、私の心は晴れやかになる。今、私の目の前には、一流の才覚をもった天使がいる。
残り時間も少なくなったところで、私は何度か指名したお気に入りの子にするような綻んだ笑顔で問いかける。
「アスミさんはすごいな」
「なにがですか?」
「そんなことないです」
「そんなことあるって!」
「ないです」
私の物は猛々しくいきり立ち、有頂天に達しつつあった。
初めて指名するのにどうかなという想いを押さえつつ、ここは堂々とお願いしてみる。
「アスミさんは、お店じゃなくて個人のメニューはあるの? 意味、わかるかな」
「ないですけど、できます。やってみたいです」
「いくら?」
「……」
アスミは俯いた。考えている様子だ。残り時間は、あと10分ちょっと。
颯爽と、キリのいい数字を提案してみる。すると、アスミは「本当にいいんですか?」と、眼を真下にあるベッドシーツに向けて答えた。
そして、私がアスミを知り終えると、残り時間がゼロになった。思う存分にプレイをさせてもらった私は、最後にアスミを抱きしめた後、問いを投げる。
「アスミさんは、この仕事に向いているね」
「ありがとうございます。また呼んでください」
「こんなことを聞いて申し訳ないけど、この仕事が嫌になることはない? ひどい触り方をしてくる奴とかいるだろう」
「いますけど、いいんです。その人もなにか辛そうにしてるから。痛いのは痛いですけど、その人が辛くなくなるんだったら、それでいいです」
「えらいね」
「えらくないです。だってこんなの」
「立派な仕事だよ。アスミさんは、風俗がどんな仕事かわかってる?」
「そうなんですか!?」
ベッドの上でアスミは、大きく瞳を見開いて身を乗り出した。
「さて。社会福祉活動の実践とかけまして、風俗店のサービスと解きます」
「……その心は?」
「どちらも、人を立(勃)たせるための道です」
ベッドの縁に座っていたアスミがクスッと笑った。右手の親指を頬に置いている。
しばらく考えたと思われる。口を開いた。
「使命(指名)がたくさんあると大変ですね……でも、心身(ちんちん)ともにしあわせになってほしいです!」
いい子だった。また会ってみたい。
P.S
この日記の第一稿ができた後に、元副市長と飲みに行った。以下、情報交換の内容。
・元副市長は、市内の機械部品メーカーの取締役に納まったという。人望があると引く手あまただ。
・人事課長は私と同時期に定年退職した。すでに故人である。最終役職は管理監(≒部長)だった。思いやりがあって誠実な人間だったのに。惜しい人を亡くした。
・C郎さんは職場復帰した。が、専門職としての任は解かれたらしい。定年までの長い時間は厳しいものになるだろう。組織に逆らうというのはそういうことだ。
・E太さんは県の本庁への出向を打診されたが断ったという。どこまでも彼らしい。こんな働き方ができるのも地方公務員ならではだ。
・私はこの日記の推敲中に内定を取った。今度は福祉団体を人事方面からサポートする。
・A夫さんはK市を退職後、ホームセンターで働いていた。当時、人事課の必要物の買い出しに行った際、彼を見かけることがあった。ごく普通に接客や商品運搬をしている様子だった。A夫さんの見た目や行動は普通だ。一般的な50代社会人のように思える。だが、彼は万引きに手を染めてしまった。何かストレスがあったのか、それとも本来の気質なのか。人間は、よく見ないとわからない。
・B子さんは、あれから雌伏の時を経て、ほかの自治体に採用されたようだ。ある時、人事課長が部内の回覧物を持って見せてきた。自治体関係の新聞かチラシだったと思うが、その中にB子さんが政令指定都市で働いていることがわかる情報があった。人事課長は嬉しそうというか、安堵した表情だったのを覚えている。
できれば2人紹介したかったが、1人に留める。
ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。
協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から「免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。
残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元の新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。
迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。
私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。
当時は20代後半で、福祉の部署で働いていた。といっても、ケースワーカーや自立支援、福祉事業者の審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉の仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。
梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。
福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。
・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である。
今回は3点目で引っかかったようだ。
いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報も総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。
うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。
そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものだから、近くに座っていた別のお客のグループが店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。
福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。
彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西、自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式を神聖視せざるを得ないほどには、人間や組織の生き死にが間近にある生活をしていた。
ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくりと腰かけた。
初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単な挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。
「朝ご飯は食べた?」
「はい。食べました」
「どんなものを?」
「どんなカップ麺が好き?」
「特に好みはないです」
「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりとカップ麺は合うよね」
「そうですね」
「E太さんは、バイクだっけ?」
「私は……バイクではありません」
「バイクじゃないの?」
「自転車です」
「そういう意味じゃありません」
※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言や言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。
指導を目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。
雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。
「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談のきっかけ」
「……はい」
「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」
「特にいません」
「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」
「普通に、とは」
「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています」
思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。
「E太さん。せっかくの機会だから、腹を割って話そう。公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」
「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域のプロだと書いてありました」
「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人を20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」
「キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています」
「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」
「自分のやりたいことがあります。社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」
申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。
簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生の優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから、民間から公務員に転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。
肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀やマナー、人格、職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。
私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若いが福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。
ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物を確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係の始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。
・オフィスソフトの腕前は一流である。パワポもExcelもAccessも使いこなせる。文も読みやすい。
・プレゼンテーションの能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市の商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。
・事業計画立案。E太さんは広告会社の出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備・インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。
・福祉課の職員からの苦情はあるが、市民や取引業者とのトラブルの記録はない。
・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙のスタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。
私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。
私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。
さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。
E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。
とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手を不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。
E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいない。もっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。
結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民や業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。
この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。
『渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。
でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。
これまでの3つの例に比べて短めにしている。政治的な話題になるからだ。代わりに、閑話休題補完的な内容に文章を割いている。
政治というのは厄介なもので、敵と味方を二分する性質を持っている。はてな民ならお分かりだろう。ちょっと前だと、弱者男性の存在について大いに語り合っていたはずだ。本日(2021/12/20)時点だと、オタクコンテンツの表現規制だとか、M1に出ていた芸人が人の見た目を馬鹿にするネタを~みたいな話題で盛り上がっているようだ。
今から私が話すケースが好きな人はすごく好きだし、嫌いな人はすごく嫌いだろう。よって、短くまとめたい。
D乃さんは、労働組合で活発に動いているタイプの職員だった。もうすぐ定年で、K市に合併される前の海沿いの市町村で採用された。人権運動や同和教育に意欲的で、労働組合の行事や集まりには必ず顔を出していたらしい。
さて、そんな彼女がある年、泊まりがけの研修に行くことになった。公民館で講座をしたり、まちづくり活動の会合でコーディネーターをする人を養成するための、文部科学省が主催し、都道府県が運営を行うタイプの研修だった。
2日目に事件は起きた。D乃さんが県の職員と大喧嘩になったのだ。原因は、そう……『日本国旗』だった。国立の研修施設だったので、毎朝誰かがラジオ体操の時に国旗をスルスルと掲揚するのだが、それに選ばれた彼女は国旗の掲揚を拒んだ。
県の話によると、「太平洋戦争を引き起こし、部落問題を長年放置してきた人権侵害の象徴である日本政府、その国旗なんか掲げたくない」とのことだった。大騒ぎになったので、県内他市町の職員らにも知られることとなった。後日、県から正式にクレームの内容が書かれた文書が届くことになる。大恥をかかされたK市の幹部は、D乃さんに対して停職以上の厳しい処分を与えるべきという結論を下した。
さて、私は、「この類の人と面談する意味はないな」と思っていた。まさにそのとおりになった。
指導面談の場では、D乃さんは「私は悪くない」をオウムのように繰り返すばかりで、「これ以上続けるなら組合に訴え出て解決する」という。この年齢の人にありがちだが、思想的にガチガチに固まっていて、新しい価値観を受け入れることができない。
結論からいうと、D乃さんには一番軽い処分を下した。文書戒告。わかる人にはわかるだろうが、文書戒告は処分ではない。昔の人が考えた言葉のマジックであり、実質的にはただの注意だ。
この処分の一つ目の用い方は、とある職員個人やそのチームがきっちり真面目に仕事をこなしたけれども、それでも大きな失敗をしてしまい、責任の所在を示さねばならなくなった時だ。
二つ目は、この文書戒告を受けても、さらに悪行を積み重ねる救いのない者についてだ。この場合、処分内容がどんどん次のステージに上がっていく。やがては退職勧奨へと至り、それでも改善が見込まれなければ問題のある職員から不要である職員へとカテゴリが変化する。かくして、そういった人間専用の部署やポジションに異動することになる。
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(以下、脇道)
上の『二つ目』について、不要職員と判断された者について、①②③により一般的な例をひとつずつ示す。
①男性の場合は、事務から現業に職種を替えたうえで、公園、観光施設、し尿処理場や〇〇センターなどの施設管理(特に肉体労働)の部署に送る。其処では、K市きってのサイコパスが管理監督者を務めており、厳しいノルマが課される。かくして彼らは、精神的にも肉体的にも追い込まれていく。仕事をロクにしないサボりタイプの職員に多い配置パターンだ。
②女性の場合は、上下水道局のような男性が多い部署、それも自分以外すべて男性の部署に異動させる。そこでは、水道メーターの検針管理や上下水道用品の棚卸し、料金滞納者への督促や集金回りといった業務を担当する。そのうちストレス過多になり、職場に来ることができなくなって辞めていくパターンが多い。私がこの類の人事案件を担当することはなかったが、後輩へのいじめやハラスメントだとか、勤務中に大声で他人を罵倒するなどを繰り返した者に多いようである。
③男女問わず、その職員が家庭の役割を担っている(介護や家事や親の自営業など)場合、自宅からの通勤が難しい(片道2時間近くなど)僻地に異動あるいは出向させる。毎日定時に退庁できるが、だんだんと僻地の職場が嫌になり、数年以内には「異動させてほしい」と上司や人事に訴え出ることが多い。だが、人事課内部では、「更生が認められない限りは定年まで〇〇支所。決して再任用を受け入れないこと」などと引き継がれているため、希望が適う可能性はゼロだ。組織にとって終生不要だと判断したから、そういう処遇を与えている。
この3例すべてにおいて、当人が苦境から解き放たれる可能性は少ない。「改善された」と人事課に認められない限りは、ずっとそのままだ。個人的な感覚だと、こうした処遇を与えられた人間の約3割が自ら退職を選び、残りの5割はゾンビのような人間的活力に乏しい人間になる。
最後の2割は、苦境の中で自らと向き合い、努力の結果として更生を果たし、十分な実績を挙げることで――晴れて一般の部署に戻ることができている。
いま述べた行為を残酷だと思われたなら、想像してみるといい。仕事をせずにのんべんだらりとしている地方公務員に、あなたの財布からお金を渡している場面だ。あなたが払った住民税や所得税の一部が彼ら彼女らの給料になるのだ。
残念ながら、「私は最低限の仕事すらしたくない。首を切られることはないし、それが一番いい」などと心の内で考えている職員は多い。私の感覚だと、最低でも1割はそんなことを思って職場に来ている。
公務員がチート(若者言葉でズルくて強いという意味)と言われる由縁である。若手・中堅社会人向けのメディア(noteなど。後はビジネス誌のネット記事)を見ていると、『どうすれば成長できるのか』『圧倒的な価値を創造するために』『自己研鑽がなぜ大事か』といった記事が踊る中、公務員はそんなことを考えなくても経済社会を生きていける。
仕事が好きな人はとにかく働いているし、ほどほどにやりたい人は合格最低点より少し上の品質で仕事を切り上げる。家庭や個人の事情で働くことができない人間はそれに対応した長期休暇を取るし、そもそも働きたくない人間はこれ見よがしに無能アピールを行い、割り振られる仕事を減らそうとする。
上のどんな働き方を選んでも、犯罪などをしでかさない限りは首を切られることはない。まさに自由な働き方だ。給料は50代までは右肩上がりだし、有給休暇は電話一本ですぐに取れるし、年金制度は手厚いし、希望すればほぼ全員再雇用される。
(脇道ここまで)
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話を戻そう。私は経験上わかっている。D乃さんの年齢の職員が更生することがないのを。
定年も近かった。たとえ免職処分にできたところで市にとってのメリットは薄いし、このことを根に持った彼女が退職後にK市に嫌がらせをする可能性もある。
よって、D乃さんには普通に定年退職してもらった方がいいと考え、K市の幹部(繰り返すが、私の役職は部長級だが実質的な権限はない。プロパーの課長にも劣っている)に対して以下の提案をした。
「D乃さんの場合、組合内での役職や立場を考えると、厳しい処分をした後の余波が重いものと考えられます。よって、今回は文書戒告とすべきです。ご希望に沿えず申し訳ありません。その代わり、もし彼女が定年後の再任用を希望した場合、私が責任もって拒否します」
※最終的には再任用ではなく、公民館の職員になった。こっちの方がまずい気もするが……。
渋々の承認をもらった私は、「地方公務員って意外とヤバいな(※当時の日記そのまま)」と感じつつ、3階の窓から、人もまばらな夕方の駐車場を見下ろしていた。終業のチャイムが鳴ったばかりであり、何人かが駐車場をポツポツと歩いて自家用車に向かっている。
視線を移すと、市街地の住宅や商業ビルに混ざって、田んぼや畑や空き地が点々とあった。やがて、K市の役場のすぐ前にある雑木林に視線を移すと、遠くの方から、ぱたぱたと翼を羽ばたかせてメバルが飛んできた。
メバルは、たぶん小さい声でピピピ、と鳴いたのかもしれない――雑木林のクヌギかコナラの枝に止まった。周りをササッと見渡すと、ちょんちょんと枝の上を移動していく。春になると、桜の木の枝にも止まるのだが、これがまた絵になる。
「カメラを持っていればよかったなぁ」と思いながら、私はそいつをずっと見ていた。昔、実家にある柿の木の枝にトリモチを付けて、メバルを何匹も捕えたのを思い出した。適当に作ったトリモチでも、これがまたよくひっつくのだ。最大で7羽もひっついていた。やり方は祖父に教わったんだっけ。
夕焼け雲に視線を移すと、数年間に、祖父から「ひ孫の顔が見たい」と言われたのを思い出した。見せてやれなかったのは残念だったが、もうこの年で子どもは難しいだろう。精子も劣化している。なにより元気がない。風俗店を利用するのも年に数回あるかないかだ。
私がK市を退職する時点で係争中だった。判決はどうなったのだろう。もはやどうでもいい。考える価値もない。
彼は、当時40代後半の職員だった。建築系の部署で働いていた。働きぶりは有能で、能力評価ではどの項目も標準以上だった。
そんな彼が、なぜ問題職員だったかというと――性格だ。後に性格ではなく、脳機能の障害の一種であることが判明するのだが、とにかく苛烈な性格だった。
キレたい時にキレ散らかし、毒を吐きたい時に吐き、暴力を振るいたい時に振るい、不謹慎なことを言いたい時に言い、不埒なことをしたい時に埒をあけていた。かと思えば、機嫌がいい時、常識的な発言をする時、的確な助言や指示を行うこともあり、そのおかげか、これまでトラブルを起こしても小さい処分で済んでいたようだ。
ある年の春だった。
建築系の部署には珍しく、大学を出たばかりの女の子(Sさんとする)がC郎さんの部署に配属された。ただ一人の女性職員だ。そのほかは男性である。
その子の働きぶりは良好だった。10コ上の先輩(Aとする。男性。既婚)に付いて回り、仕事をひたすらに覚えていった。パワポの腕に覚えがあり、デザインセンスが抜群だと査定資料に書いてあった気がする。
精一杯頑張る子だった。愛想もいい。新人にふさわしい活発さで、気立てがよく、イベントや研修会の仕事もそつなくこなした。仲間受けも上司受けもいい。花見などの親睦行事にもよく出ていた。
……年末になる頃だった。そんな彼女の指導役だった10コ上の先輩であるAが、あろうことかSさんに手を出していたことが判明した。きっかけは人事課への匿名の投書と証拠写真(※こういう文書は大抵、職員からの密告である)で、隣の市にあるホテル街で手を繋いでうろつく2人の姿が写真に映っていた。
こうとなっては対応せざるを得ない。人事課の女性職員の付き添いとともに、Sさんを面談室に呼んで話をしたところ――Sさんとの行為に及んだのは、Aと、Aの隣の席のBと、島の奥側に座っているD係長と、Bの向かいに机が位置するC郎さんの4人に及ぶことが判明した。特に、C郎さんは(状況は省略)無理やりにSさんとの事に興じ、埒を明けていた。
さて、どうしたものか。ここまでの不倫案件は前例のない事態であるため、賞罰を扱ったことのある職員5、6人の間でも意見が割れた(賞罰の扱いが難しい案件については、人事課以外でいい意見を出せそうな職員も話に入れる)。
結論を述べると、4人ともに厳重処分(全員、3ヶ月間の減給10%。D係長はそのうえ1ヶ月の停職。Aは僻地に出向。Sさんは事務系の部署に異動。本当は免職処分にもできたが、替えの効かない専門職の部署だったので考える必要があった)となったのだが、C郎の態度があまりに酷すぎた。
何を言ったかは伏せるが、反省の色が全くなく、Sさんを無理やり行為に誘ったにもかかわらず、「Sが悪い」「なぜ俺がこんな目に」「合意の上だろう」と宣っていた。
Sさんの代わりに来た年配の女性職員がいたのだが――ミスの多さに頭にきたC郎は、彼女の頭を分厚いファイルで殴打したのだ(いわゆるキングファイル)。
周りの職員がすぐにC郎を取り押さえようとした。さらにキレて怒鳴り散らすC郎を、その階にいた市民や業者が冷たい目で見ていた……と報告書に書いてあった。
ほかにも、C郎は過去にもこうした問題行動(突然キレたり、非常識な性的発言をしたり、ふてくされたり)を起こしてきたという。
この暴力事件の指導面談の時のC郎は、上に述べた報告とはうってかわって物静かだった。やはり、その時々によって気分が変わるようだ。
「今回、C郎さんは傷害という罪を犯しました。過去に、何度も職員や企業や市民を傷つける発言をしていますね」
「必要だからやった。非常識でもなんでも、やるときはやらねばならない。嘗められたら負けである。本人を傷つけてでも、罪になることでも、組織のために必要なこともある」※私のメモには方言があったので、標準的な言葉に直している。
「嘗められようと負けようと、人として不適切な言動をしてはいけません。カチンときても我慢しないと。みんな見てるんですから。特に私達は公務員です。公務員は24時間法律を守って生きていく必要があります。水清ければ魚棲まず、といったことは組織にも当然あろうとは思いますが、今回のC郎さんはあまりにもひどい」
「わかってはいるが、現実はそういうわけにいかない。杓子定規に捉えるべきではない。後輩への指導として、やるべきことはやらないといけない」
「昔はそれでよかったかもしれないが、今は」
「どれだけ時代が変わっても同じだ。それに、私は実際に結果を出している。私が基本設計を手掛けた公共施設は5つ以上ある。十分K市に貢献している。建築の弟子だって何人も育ててきた」
「今は関係ありません」
「なぜなのか? わからない人だ」
平行線だった。埒があかない。他の職員にも聞き取ったところ、やはり若手の頃から感情的に不安定なところがあるようだ。
慎重に議論を重ねたところ、C郎に下された処分はA夫と同様の諭旨免職だった。依願退職しなければ懲戒免職処分を行う。だが、依願退職を受け入れれば年度末での退職を認め、退職金も満額出すというものだ。
C郎には、建築技師としてのキャリアがあった。民間でも使える資格を多数保持している。事務吏員の場合は、この年で辞めることになれば当然露頭に迷うが、彼の場合は再就職が可能であると元転職エージェントの視点から判断した。
C郎さんを切るべきか切らないべきか、幹部の間で幾度も話し合いの場が持たれた。が、これまでの不良行為があまりにも多すぎた。
C郎は労働組合に加入していなかったので、組合からの反発はほぼなかった。ただ形式的に、「職員に対する威圧行為であり、許容されるものではない」との文書での通知があった。
度々になるが、労働組合がここまで形骸化した組織であると知って失望することがよくあった。彼らはいつもそうだ。「当局は〇〇弾圧の意図をもって」「〇〇攻撃には屈しない」「労働者がよりよく働いていけるための権利を」などと、いつも組合の広報や定期総会で息巻いているが、実際に行動に出ることはない。
昔は知らないが、私が居た〇年間では、職員側への不利益変更(職員定数や給与の削減)を行っても強硬手段でブロックされたことはないし、彼らが出した申入書の要求事項をすべて拒否したとして、特段何も言ってくることはなかった。
繰り返しになるが、彼らはあくまで政治団体なのだ。〇〇党などの上位団体に献金を納め、メーデーといった形で政治活動への労働力を提供し、そのほか票の取りまとめを行うことで自らの政治的意図を実現するための政治的アクターである。
その機能の補完的な一部として、職員同士による互助的、連帯的な機能を有している。そのことをわかっている職員は、労働組合に加入しない意思を貫いていた。全体の2割ほどだったろうか。
さて、C郎は自分で弁護士を探してきて、法廷で決着をつける道を選んだ。私が退職する時点で未決着だった。とっくに決着は付いているだろうが興味はない。
最後に、C郎がどうしてあんなに異常な行動を取っていたのか説明する。一言で表すと、『障害』だった。彼の異常行動は『性格』に起因するものではなく、(詳細説明は避けるが)脳の一部に異常があって、脊髄反射的にその人が思ったことを即、言葉や行動に移してしまう。そんな障害があった。だから、ミスが多い女性職員の頭をキングファイルで殴るといった行動を取ってしまった。
もっと早く言ってくれればよかったのに。
法廷ではなく、せめて面談の時にそれを告白していたら、こちらとしても配慮することができたのだ。私は、能力が低いという理由だけで職員の免職処分を決めたことはない。能力があろうとなかろうと、仕事への意欲が皆無だったり、他者を傷つける言動を行ったり、組織にとって不名誉となる行為(主に犯罪)をしたり――そういった、能力よりも、もっと深いところに問題がある者に限って組織から駆逐する。それが私のポリシーだった。
(蛇足1)
どれだけいい成果を挙げたとしても、違法行為やハラスメントをしていいわけではない。当人に起因する、組織に対するプラス効果によってマイナス効果を相殺することはできないのだ。プラス3とマイナス2が併存することはあれど、相殺して1にはできない。プラスはプラス、マイナスはマイナスとして在り続ける。
われわれはすべて、誰かが眼を開けてくれなければ、目を閉じて世の中を歩き廻っている傾きがある。
さて、私が新卒で勤めていた会社は若々しい社風で知られており、よくも悪くも調子に乗った社員がそれなりにいた。すでに時効と思われるので、当時の記憶をそのまま辿ってみる。
具体的な仕事としては、飲食店や小売店に飛び込み営業をかけて自社求人誌に情報を載せてもらうのだが(追記:もうわかった人もいるだろうが、旧リクルートジョブズだ。問題のある行動が多い分社のひとつであり、近年同じく問題を起こしたリクルートキャリアとともに本社に合併された)、契約条件の交渉の時に調子のいいことを言って相手を騙したり(上司と話をさせろと言われてもブロックする)、人事関係だと、面接を受けに来た転職希望者を鼻で笑って次の質問に移る(時間がないから早く切り上げたい)。そんな連中が同期に何人も居た。
十数年後、私が営業所長に昇進した時には、そういった連中は駆逐されていた。悪行は長続きしないことを30半ばにして知った。今でも肝に銘じている。だが、彼らは別の意味で会社の役に立っていた。若手の営業所員が調子に乗った言動を取った際、その駆逐された連中の末期を語って聞かせることで、組織の癌の発生を抑止する役割を暗に果たしていた。
(蛇足2)
C郎さんの裁判の結果は見ていないが、障害を抜きにしてもK市敗訴の線が濃厚だ。明らかに能力不足や人格に異常がある職員でも免職処分にすることは原則できない。民間における解雇規制、従業員をクビにするのが「相当難しい」とすると、公務員の場合は「不可能に近い」となる。
https://www.tokyo-sports.co.jp/social/politics/452874/(東スポ)
橋本徹氏が大阪市長の頃に、勤務査定が著しく低い職員数名をクビにしたという記事だが、クビにされた職員が抗わなかったからできたことだ。職員側が何らかの事情で弱っていた、あるいは生きる力に欠けていたからできた。裁判に持ち込めば職員側が勝訴していただろう。それくらい公務員を免職させることは難しい。
ではなぜ、こちらが負ける公算が高くてもC郎に対する裁判の道を選んだのか? それは、他の問題職員をけん制するためだ。「C郎は度重なる指導にも従わず、挙句の果てには傷害事件を起こして免職処分になった。あなたも同じことをすればこうなる」というメッセージを全職員に対して発したのだ。
これにより、問題職員の側にいる連中に対して――まともな態度で勤務する姿勢がない人間の末路はこうなる、馬鹿なことをすれば相応の顛末が待っていることを伝えた。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/060600020/(日経ビジネス)
次は民間企業の例だ。数年前に㈱カネカという企業で労使の育休トラブルがあった。増田の諸兄なら覚えておられることだろう。
㈱カネカで実例のなかった男性社員による育休取得を行うことで、マイホーム購入やわが子の保育園入園など、子どもを育てる準備を整えたばかりの人がいた。その彼に対し、育休復帰直後に地方出向(※彼は断った後に退職している)を命じたカネカがネット上で袋叩きにあった事件だ。
上にあるのは、カネカが事件後に発したIRである。これを読んだハイレベル増田民の方々は、おそらくこう思われたことだろう。「これは現役社員へのメッセージでもある」と。
現役社員に対して、カネカは裏のメッセージを伝えている。「育休を取りたいなら取っていい。彼と同じ運命をたどる可能性はあるが」という、表にできない本音だ。
なお、IRの中味自体も信ぴょう性がないことに注意すべきだ。ここに書かれていることは、カネカの外部から確認できるものではない。カネカ内部の細かい部分の意思決定(男性社員への処遇の理由など)は調査を受けてもバレようがないため、IRに嘘を書いている可能性もある。いや、外部から確認できない時点で嘘ではない。『カネカにとっての真実』である。
https://president.jp/articles/-/25254(プレジデント)新卒1年目で解雇された地方公務員の主張
地方公務員の例になる。今は有料記事になっていて途中までしか読めないが、要約すると、「四国にある本山町が、社会人適性の低い職員を試用期間で解雇した」というものだ。公務員のクビを切ることは普通は不可能であり、この本山町も、「今しかない」と決死の思いで断行したのだろう。
裁判に訴えれば、この男性は免職を回避できたのではないかと感じる。試用期間においても解雇権濫用法理が適用されるからだ。困った時に誰にも相談しなかったり、相談相手を間違えたり、相手の言うことを鵜呑みにすると彼のようになる。身につまされる記事だった。
2021/1/4 これ以下(約500字)を修正
参考先としたブログを書かれた方が、当項の内容が正しくないものと認識されていることがわかったため修正します。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
この項の要約(抜粋)は次のとおり。
・〇〇商事とか、〇△重工とか、△△電工とか、誰もが知っている一流企業にあっても、上で述べた本山町のような社会的間引きを行っている。適性のない人間を採用してしまった場合、組織としての非を認め、当人に退職を促す。
・K市の採用試験では、一流企業を辞めて試験を受けに来る人を疑ってかかる慣習があった。それも当然であり、採用後のハズレ率が7割を超えているからだ。たとえ一流企業の出身であっても、社会的間引きに遭う人間が活躍できるほど公務員業界は甘くない。
市役所には魅力的な人物ももちろんいる。今これを読んでいるあなたも、人生で一度くらいは公務員に助けられることがあるだろう。
ここでは、そんな善き職員について2人ほど挙げる。脇道なので、1人につき二千字程度とする。
見た目はスラッとしていて、無表情な感じの女性だった。その実、内面は安定していて朗らかである。
この人を最初に見たのは、私が採用されて2ヵ月くらいの時だった。公用車に乗って近隣の政令市にある研修センターに行くところだった。
1階の市民課に繋がる階段を降りたところで、凄まじい怒号が聞こえた。「なんでできんのか!!」と、おそらく高齢の男性が怒号を発していた。
窓口を覗くと、やはり老人が女性職員に対して声を荒げていた。話を聞いていると、どうやら身分証明書がなくて公的書類を発行できない類のトラブルのようだ。周りの市民や職員が怪訝な顔で覗いていた。たぶん堂々巡りの話になっているのだろう。
そして、交代したGさんは、静かな様子で男性の話をひたすらに聞いていた――これが傍から見ていても、「あなたの話を聞いています」「共感しています」「申し訳ございません」という態度が伝わってくる。男性は次第に落ち着いていった。最後まで納得はできないという面持ちだったが、諦めて正面玄関の方に歩きはじめた。
傾聴は苦情対応の基本である。ここまでできる人は、市の職員では初めて見る。
「この人、どんな業界が向いているだろうか」と、昔に就いていた転職支援の仕事を思い出していた。
個人的な感覚だと、やはり福祉だろうか。受付系も悪くはないが、こういう人には攻めの傾聴というか、そんな仕事が向いている。最初に浮かんだのは、証券会社のリテール営業だった。しかし、Gさんはあの業界に蔓延る罪悪に耐えることはできないだろうなぁ、と思い直したのを覚えている。
それから数年間、Gさんのメンタルの強さ、粘り強さを発揮したのを何度か見ることになった。市民の中には、自己表現としてのクレーム――己が主張を表明するために市役所の窓口に来る人もいる。何か強いストレスを抱えていて、それを発散するために市役所まで出向く。そういうタイプの市民だ。
そんな人にもGさんは優しかった。とにかく話を聞いて、あまりに騒々しいようであれば怒鳴る市民を別のスペースに誘導し、一般市民の邪魔にならないようにして苦情の解決を図るのだ。
Gさんはこの部署が長かった。当時30才になるかならないかだったが、査定は常に5段階中の4だった。上司からも仲間からも信頼を集めていた。
が、それで万々歳とはならない。彼女はいつもそういうお客さんばかりを相手にするので、残業がとんでもない量になっていた。勤怠管理システムの記録によると、Gさんは毎月50時間以上の残業は基本であり、それに加えて、土日祝のいずれかに必ず出勤してサービス残業をしていた。
私も、なんやかんやで土日に出勤することが多かったが(もちろんサービス残業だ。管理職なので…)、Gさんを見かける確率は5割を超えていた。庁舎内の配置的に、3階にある私の職場に上がる時にGさんを見かけることになる。サービス出勤をしている職員はほかに何人もいたが、彼女が最も印象に残った。
実際、Gさんはいい子だった。料理は上手いし、家事や洗濯もばっちりだし、家では猫を飼っているのだが、これがまた人懐っこい。でも、猫カフェは嫌いらしい。なんでも、「あそこの猫はみんな苦しそう」とのことだ。私が「目の前にあるんだし、行ってみようよ」と誘っても、頑として首肯しなかったのを覚えている。ちなみに、好きな食べ物はたこ焼きだ。食べ歩きはマナーが悪いよ、と何度言っても聞いてくれなかった。
思えば、Gさんが土日出勤しているのを眺めるのが当たり前になっていて、この人を助けなければという意識が働かなかった。ある大晦日に、Gさんが煖房をつけず、明かりもなしでパソコンに向かっているのを見たことがある。コートを着て自席に腰かけ、震えながらキーボードを叩いていた。
「Gさん。それじゃ寒いでしょ。煖房つけなさい」
私が言うと、Gさんは座ったまま、ぼんやりとこちらを見詰めていた。
「すいません、これでいいです。いつもこうなんです」
「お気遣いありがとうございます。でも、わたしは寒いのがいいんです」
「そうか。お寒いのがお好き、なんだね」
Gさんは、「こいつ何言ってるの?」という顔をしていたが、意味に気が付くと、パソコンに顔を向けながら噴き出した。
若い子でも意外と通じるんだな、と感じて私は、エアコンのスイッチを押した(蛍光灯のスイッチの場所はわからなかった)。人事課に続く階段を昇り始めるところで、Gさんが職場に明かりを灯したのを認めた。
この彼女は今、市役所と近い業種の仕事をしている。もう不当な時間外勤務はしていないはずだ。直接働いている姿を見たことはないが、きっと活躍していることだろう。今も幸せであってほしい。
この人も女性だ。地域を盛り上げるような感じの名前の部署にいて、エース級の職員として知られていた。
さわやかな見た目の女の子だった。高校を出てすぐに市役所に入ったという。私が採用された年の4月時点で21才になる年だった。結論から言うと、この子はもう地方公務員ではない。その次の年に民間企業、よりによって当時の取引先に引き抜かれる形で退職した。
惜しいことをした。もしそのまま現職に留まっていれば、もっとイキイキと働ける環境があったかもしれない。今更言っても遅いのだが……。
Hさんを最初に見たのは、窓口でお客さんを見送っているタイミングだった。市役所で働く女子職員は、みんな仕事に使えそうな私服で来るのだが、Hさんは限りなくスーツに近い、パリッとした装いだった。凛とした覇気のある顔つきだったけれど、ちょっと不安げな瞳が印象的だった。
見た感じでは、大卒3年目くらいの雰囲気である。市役所には、たまにこういう人がいる。早い話、Hさんは頭の回転が早くて、見た目がシッカリしていて、礼節を弁えており、創造的な仕事もできる。そんな子だった。
『創造的な仕事』については特定のおそれがあるので述べないが、当時の公務員業界では花形とされる仕事だった。億単位の金が動く。上の人間は大枠を決めて指示をするが、Hさんにも商品企画や業者選定などの権限が与えられていた。
その仕事をやりたいと希望する職員は何十人といて、その中には数年後に昇進を控えたベテランが何人もいた。民間においては、こういう花形とされる事業や、大金が動く案件というのは――事業部長みたいなポジションの人が直接担当するか、または管理職に昇進する手前のエース社員が担当することが多い。それを、大学生ほどの年齢の子が担当している。
ほかのポジションだと、例えば市長の秘書の1人は臨時職員だった。早い話がパートさんだ。30代後半で、圧倒的清潔感の子持ちママだった。実力登用の文化がトップ層から滲み出ているところがK市の美点のひとつだと感じる。
当時の私は不思議に感じていた。なぜ、官公庁ではこんな人事ができるのだろうか。将来の利益を重視するのはわかるが、今の利益のことも考えないと――と想念した瞬間、私の脳裏にビビッ!と走るものがあった。
そうだ。新人公務員向けの研修で習っただろう。公務員は利益を追求しなくていい。だから、利益度外視で、十数年先のことを考えた配置や処遇ができる。Hさんは、すでに幹部候補としての育成が決まっていた。ならば、さっさと重要ポジションを任せられる限り任せていった方がいい。そういう判断だった。
もちろん、幹部の好みの問題でもある。当時、市長と市外の飲み屋に出かけた時、嬉しそうにHさんのことを話していたのを覚えている。なんでも、市長室でその花形事業の今後の商品展開に関する協議をしていた時、事業部長に連れられていたHさんが、副市長と侃侃諤諤の議論になった――そんな内容だったろうか。Hさんは議論になると熱くなるタイプだが、それが終わると途端にホンワカになるらしい。気さくな感じで、癒される話し方になって、市長が言うには、そのギャップがいいらしい。
その事業部長も確か、とあるイベント終わりの飲み会の時にHさんのことを誇らしげに話していた。当時、入庁1ヶ月目だったHさんの部署の飲み会の席で、会の最中に参加者にお酌をして回ったのはHさんだけだった、みたいな話だ。嬉しそうな表情で、自然にみんなに一人ずつお酌をして回って、先輩との交流を深めていたということだ。
若干18~19歳でそこまでできる子は、そうはいない。エース枠としてチャンスを与えられて当然だ。こんなことを書いていると、増田民の方々には『飲み会不要論』的な観点で攻撃を受けてしまいそうだ。しかし、これはあなたの視点に立ってみればわかりやすいのではないか。あなたが飲み会に参加していたとして、若い男の子や女の子が、「仲良くしてください!」みたいな雰囲気でお酌や会話をあなたに求めてきたら、嬉しいと思わないだろうか。可愛い奴だなと思うだろう。そういうことだ。
私はHさんと話したことは2回しかないが、わかるような気はした。頭がいいだけではなく、物事に対して本気になれる。そういう子だった。
さて。Hさんは突然退職してしまった。冒頭に述べたとおり、花形事業に関係する取引先(パートナー)に引き抜かれたからだ。晴天の霹靂だった。
Hさんが書いた退職理由書を読んだ。要約すると、「市役所のルールや職場環境がつまらなく、物足りない」とのことだった。例えば、公用文では「問合せ」を「問い合わせ」と書いてはならない。しかし、動詞になると「問い合わせて」と書かねばならない。細かいことだが、間違えたら稟議のやり直しになる。そういった文書事務に関する文化が、HさんがK市を辞めた理由のひとつだった。
若い子であれば仕方がないとも思う。確かに、公務員業界というのは地味だ。完全なる聞きかじりだが、『若手のうちは仕事の何が面白いのかわからない。それが公務員の難点だ』というのが、当時のHさんの退職理由を読んでの副市長の談だった。
まあ、過ぎたことはいい。もういいのだ。気にするだけ損というもの――Hさん個人の件に限っては。
だが、Hさんを引き抜いたクソコンサルは別だ。きっちりとリベンジしてやった。K市の入札に入れないよう指名停止(※)にしたうえで、県内他市すべてと、都内の右半分くらいの地方自治体と、県庁と、国の機関各所にもこの度の情報提供を行った。
罪状はもちろん、『取引先の従業員を引き抜いた』ことだ。許されることではない。民間企業同士でも、そんな足の引っ張り合いはまず行われない。それを、あのクソ非常識なITコンサルはやってのけたのだ。それなりの報いがあって当然だろう。
※正式な指名停止は今回の場合だとできない。条例や規則や要綱に定めがないからだ。よって、入札参加・指名業者リストにその会社の名前を残したままで、入札には呼ばないという意味での指名停止になる。
二人目のB子さんは、ある意味で私と同期だった。私がK市に採用された年に、高校を出たばかりの彼女が入庁してきた。
K市に入ってからの私というのは、せっせと新人公務員として基本的な事柄を勉強したり、各庁舎をぐるぐると見回って雰囲気を掴んだり(大抵は職員への挨拶を兼ねている)、K市が主催するイベントにスタッフとして十数回と参加したり、多くの自治体の職員が集まる研修に出席したり、ほかの幹部がまとめた人事政策に対してフィードバックを述べたり……あっという間に5ヵ月が過ぎていった。
その頃だった。B子さんについての苦情が寄せられたのは。毎年9月にある新人職員への人事面談の折に、B子さんのいる課から上がってきた。一応、直属の上司も事実であると認めた苦情ということで、今度はB子さんと面談室で話をすることになった。指導的な色合いが強い内容になる。
今でも思い出す。あの女は人生をナメていた。なめ猫なんて甘っちょろいものではない。すでに組織を蝕む害獣となりかけていた。
面談室に入ってきた彼女を見て衝撃を受けた。髪の毛は脱色しているし、恰好は女性向けファッション誌に出てくるそのものだったし、朱色のスカートの丈は相当な短さだったし、口紅は真っ赤だったし、ピアスをしていたし、首に〇〇〇〇〇もついていたし……どこから突っ込んでいいのかわからない。
私も、世間一般では活発で知られた営業会社で働いていたが、彼女ほど派手な恰好の女子社員はさすがに見たことがない。せいぜい茶髪や控えめなチークだった。多くのお客様の前に出ないといけないからだ。
A夫さんの時と同じく、面談室の両側のソファにお互いに座った。こちらには人事課長が、向こうにはB子さんの直属の上司がいる。
面談が始まった。初めに私の方から、「B子さんですね。お仕事で忙しいところすいません。まずは事実の確認ですが、今着用しているような衣服を先輩に注意されたことはありますか」と尋ねた。
以下、大まかなやりとりになる。
「その先輩には、なんて言って答えましたか」
「私の自由です、と何度言ってもわかってもらえないんで、『ハラスメントです、やめてください、気持ち悪いです。これ以上は親に話します』と伝えました」
「それは、先輩があなたのことを思って言ってくれたのではないですか?」
「違います」
「では、どんな気持ちだったと思う?」
ほかの行動、例えば自分が気に入らない職員を無視するとか、夜の窓口勤務中にチョコレートを食べながらほかの女性職員と雑談していたとか、勤務時間中に携帯をいじって過ごしていたことなど、色々と聞いていったが、終始ブスッとした調子で返答するのみだった。最後に、だるそうな口調で「何とかやってみます」とだけ告げた。
面談中、私はB子さんの履歴書や採用試験時の成績を見ていた。偏差値50くらいの公立高校を出ていて、英検や漢検の初級程度を持っていて、採用試験(筆記試験)ではほぼ満点を取っていて、性格適性検査ではやや嘘つきと出ていて、肝心の面接試験では、「明るくハキハキしていて、利発な印象を受ける」とあった――採用試験でわかることなど、この程度のものだ。
いったん話は逸れる。私が採用された背景(どんな目的を叶えたくて私を採用したのか)、当時の市長から受けた勅命を述べる。
「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」「次世代に残すべき職員を採用する」「そうした職員が辞めない環境を作る」といったものだ。
冒頭に述べたように、このK市の新規採用職員の3年以内離職率について、十数年前は1割未満だったものが、私が市長からスカウトされた年には約35%まで悪化していた。20人採用したら、3年以内に7人が辞めていることになる。3年超えになると、もう数パーセント上昇する。
辞めた者の中には、将来を嘱望される人材が何人も含まれていた。ボリュームゾーンは30才手前で、これまで将来を期待されて県庁や国の機関に出向したり、エース級の職員が配属される部署で頑張っていた職員らが退職を選んでいた。この状況を正すことが、私に課せられた任務だ。
市長の談によると、人事課が収集した退職理由の中でトップだったのが、「将来、昇進しても幸せになる未来が見えない」で、肉薄して2番目だったのが、「異常な言動を取る職員が多いうえ、上の人が彼らに何の対策もしない。働いているのがばかばかしい」というものだった。
このうち、私が解決に役立ちそうなのは二番目の課題だった。一番目の課題は、プロパーの職員が自ら考えて実行すべきことである。外部の人間である私が考えるのはお門違いだ。アドバイスはさせてもらうが……。
話を戻す。
これらを踏まえて、B子さんへの対応を考えることになる。面談を終えて、私はその場で人事課長に目配せをして問いかけた。
「B子さんを切りましょう」
「試用期間とはいえ、難しいのでは。やめておきましょう。あの子はまだ若い。立ち直るかもしれない」
ツッコミが入った。想定どおりだ。
試用期間中の分限免職処分は、K市はもちろん、県内他市町でもほとんど例がない。が、私はそれに成功した市町村のいくつかを研究していた。
「試用期間での成績が不良である場合、正式に採用しないことができます。判例を調べましたが、いくつかの市町村では実際に行われているようです」
「うん……考えるべきところではある。あの子は、ちょっとひどいとも思います。ただ、私の権限ではちょっと決めかねます」
「わかりません。市長にも副市長にも総務部長にも伺ってみないと。これは全庁的な問題なので、もっと、いろいろと議論を重ねてみるべきかと」
「市長は問題ないでしょう。ほかの人は私が説得してみます。しかし、第一には人事課長であるあなたの職分ではないですか」
「それはそうですが、職員の進退そのものを判断することはできません。それを言うなら、私さんの役職は一応は部長級なんですし、私らと違って一流の会社にいましたし、市長の元部下なんでしょう。私よりもやりやすいんじゃないですか。とにかく、私にはどうすべきかわかりません。例年であれば、あの子はそのまま正式に採用されます」
人事課長は乗り気でないようだった。
それから面談室を出て、人事課に戻って、課内の奥野須美に着席した。
私の机と椅子は人事課の奥にある。
2022/01/02 追記 奥野須美さんには着席していません。奥の隅の誤りです。
その後も何度か討論を重ねた後、B子さんへの対応が決まった――退職勧告だ。
後日、総務部長の口頭での承認を得た。市長は、「お前の好きにやれ。判は押す。証拠は絶対に固めるように」とのこと。副市長は猛反対だった。予想どおりの瞬殺だった。
そして、不安そうにする人事課の職員らに対して私は、「市長からは、現場で判断していいとの答えをもらっています。何かあれば私が責任を取ります。あなた達に迷惑はかけません。協力を求めます」と答えた。
責任など取りたいはずもない。が、ここはレイズの場面だ。攻めるのだ。戦え。今しかない。ここで勝てれば、私の信用は外部登用組の管理職(※当時、国や県や民間から計4人の出向を受け入れていた)の中でも相当に高くなる。ここは何としても取りたい。
方針が決まったとなれば、後は実行だ。
今回のメンバーは、人事課長と私だった。前回は私が面談を主導したので、今回は課長が行うことになった。こういう貴重な経験は、多くの人間でシェアすべきという考えによる。
人事課長は、不安そうな顔つきだった――この人は将来を嘱望されている。当時は50代半ばで、順当に上の人間の席が空けば総務部長にもなると言われていた。
「安心してください。上の人間は『方針』を認めています。あくまで方針だけですが。今後のK市のためにも、ぜひあなたが実施すべきです」
私が激すると、彼はしぶしぶ動き出した。
そして、いよいよ始まった面談は、思ったよりも淡々としていた。B子さんが面談室に1人で入ってきた時、人事課長がソファの中央に腰掛けていた。話の最中は、私が脇にある椅子で見守っていた。
さて、Bさんとのちょっとしたやりとりの後、人事課長は「あなたを本採用できません」と告げた。それから、理由などの説明が終わると――B子さんは顔を一瞬だけ歪ませて、また元の顔に戻ると、「わかりました」とだけ告げた。面談後は、泣きそうな表情でその場を後にした。抵抗はなかった。
あっけないほどすぐに終わった。時間にして5、6分だった。もっと抵抗されると思っていた。本人もわかっていたのではないだろうか。自分がこうなることを。
「〇〇課長、やりましたね。苦しかったでしょうが、これが新しい一歩なんですよ。踏み出せたじゃないですか」
私は、片方の拳で人事課長の脇腹を貫いた。彼はちょっと痛がるようにしてから、拳を額に当ててソファの上で態勢を沈ませる。
神妙な面持ちで、「B子さんは何とかなるんですかね。これは脅しの一種ですよね。反省すれば、クビにはならないんですよね?」と呟くように述べた。
「お前みたいな悪いお人好しが組織を腐らせるんだよ。もっと組織のために悪者になってみろ」
という言葉を飲み込んで私は、その場の片付けを始めた。
B子さんの退職の話を聞いた副市長が、再び私と総務部長を呼び出した。やはり逆鱗に触れたようだった。今回は稟議書(※B子さんの聴取記録のこと。A夫さんは犯罪の関係で市長までそれを回す必要があった)を回すほどの案件ではなかったのに、なぜわかったのだろうか。私だってB子さんの今後を考えている。分限免職だが、形式上は年度末での通常の退職という形にしていた。
副市長とは激しい議論になった。彼が退職するまで、少なくとも5回は苛烈な論戦をした思い出がある。私は何度も説明した。これから公務員業界が厳しくなっていく中で、これまでの人事政策を変えていく必要があることを。勤務成績が極端に悪い職員を追い出すことの合理性を説いた。
が、わかってもらえることはなかった。副市長は、人事課の主導で職員を辞めさせるのを避けたいようだった。最後に、こういうやり取りがあった。
「市長が「それでいい」と、どうしても言うなら私は反対しない。一番に重い責任を取るのは市長なんだから。しかし……こうした案件について私は承認しない。法令上は、市長の意思さえあれば有効な意思決定だ。やりたいなら好きにやれ。もうこういった件は私のところに持ってくるな。不愉快だ。いいね?」
「いえ、それでも副市長に話は持っていきます。ここのルールですからね」
数日後、B子さんの母親から人事課に電話がかかってきた。電話を受けたのは私だった。「B子の母です」と名乗る声を聞いた時、私はB子さんに関係する資料を手元に手繰り寄せた。
「この度は、娘が申し訳ないことをしました。本当にすいません」
開口一番がそれだった。
B子さんが本採用にならなかった理由は本人に説明したが、母親が再確認をしたかったようだ。
「理由はB子さんが述べたとおりです。公務員、いや社会人としてよくない面が多すぎました。もちろん、いきなり職場に来るなということではなく、来年3月末までは在籍できます。給料もボーナスも満額払われます。その間に、また就職活動の方をしていただいて~」
「本当にすいませんでした……お給料までお支払いいただいて。今回はご迷惑をかけましたが、何かあったらまたよろしくお願いします」
終始謝りっぱなしだった。この子にしてこの親あり、という俗諺の例外を今まさに見ていた。
「この親からあの子が育ったのか!?」とその時は何となく考えていたのだが、後日、答えのようなものが見つかった。申し訳ないが、ここで公表することはできない。一線を越えていると判断する。
その時、私の中に罪悪感のようなものが込み上げてきた。世の中には、どうしようもない事情というものがあって、それに翻弄され続ける人間も当然に存在する。B子さんも、その1人だった。
少しだけ話そう。あの後、総務部長が、「せっかくだから、もっとあの子を調べてみたら」と助言してくれた。指示されるがまま、市民課(住基ネット)や税務課(税務情報システム)や福祉課(福祉情報システム)でB子さんの情報を集めてみた。すると……。
今の私が、当時の私にアドバイスをするとしたら、「あと1年は様子を見てもいい」(地方公務員法には試用期間延長のルールがある)と告げるに違いない。
いかに私が民間企業で人事責任者をやっていたとしても、人にはその数だけ事情がある。即座にすべてを把握する力はない。結果的に、私はそれを汲み取ることができなかった。もっと、深く細かくB子さんに寄り添っていたらよかった。
ここまでの描写だと、まるで私と副市長が犬猿の仲だったように映るが、実際には違う。仕事で一緒になることがあれば、普通に冗談などを言い合っていた。
例えば、遠方にある他市町の児童福祉施設を視察していた時だった。市長、副市長と私その他は、保育の現場を見た後に自由見学していたのだが、やがて2階の大きな吹き抜けになったフロアの隅に辿り着いた。そこには、「幼児 プレイコーナー」と看板に書かれたスペースがあって、どうやら小さい子ども向けの遊び場のようだった。プラ素材の小さい滑り台から、小学校低学年向けのジャングルジムまで、様々な遊具が置いてある。
副市長は、「あの名前は気に入らない」と呟いた。文書のインデントが0.5文字ズレているだけで不機嫌になる人だ。例えば、いま私は、上の「幼児 プレイコーナー」を半角スペースとしたが、K市で働いている時なら公務員業界の慣行に従って全角スペースにしただろう。
私は、「一般的な名称だと思いますが……どこかおかしいところが?」と意見したところ、「色々ある」とだけ返ってきた。
夜になって、視察終了祝いの一次会があった。さあ次はどこで飲もうかと、市長や副市長その他と歓楽街をうろついていた。このレベルの役職の人はK市内で飲めないため、こういった視察が貴重な機会になる。
と、酔っぱらった副市長が私の襟ぐりを掴んだ。風俗街の一角を指さしている。
「幼児プレイあります」「ママに甘えたい!」「授乳もOK」などと書かれた看板やのぼりが立ち並んでいた。
「後で行ってみるか。おごるぞ」と意気込む副市長に対し、市長が「昼もやってるみたいだ。なあ副市長、視察の前に(以下自主規制)」とツッコミを入れていた。
それで私は、「もしかして、副市長はあのとき風俗のことを考えてたんですか!? あの真剣な顔で、さっき現場で見たどの先生がよかったとか? ねえ副市長」
「ふざけているのかお前はッ!! 真面目にやれ!」
副市長は激昂していた。
歓楽街の一角で怒鳴られる私を尻目に、市長とほかの幹部はどこかに行き始めていた。
「わからないです」
「法律では満1歳から就学前の子どもを幼児と言うんだろうが!! あそこには小学生も遊べる立体遊具があっただろうが!! 矛盾に気づけッ!」
「すいませんでした」
年に一度は視察などで副市長と飲む機会があったが、普段が真面目すぎるだけで、面白い顔もちゃんとある。
人間は基本的にそうだ。あなたにとって好きな面も嫌いな面も、両方ちゃんと澄んだ目で見ることができるのなら、ケンカになっても関係が壊れることはない。
あなたは、自分が嫌いな人間のことを認めることができるだろうか。人のいいところを見つけることができるだろうか? 自分でも今、何を書いているのかわからなくなってきた……。
A夫さんとの面談の日はすぐやってきた。先日と同じ面談室だった。
こちらは予定どおりの布陣で、A夫さん側は2人。今回は上司と一緒だった。「一緒に来てほしい」と上司に頼んだという。
あの時と同じく、だらしない恰好だったが、上司の指導によるものか、前回よりは綺麗だった。ネクタイはまっすぐで、謎のシミもない。
「A夫さんですね。今年から人事~~として採用されました××と申します。前回、あの端にあるソファに座っていた者です……いきなりで申し訳ありません。A夫さん、今日はどうして呼ばれたかわかりますか?」
「そうです」
※方言を標準語に直したうえで、特定のおそれのある箇所を編集している。以下、職員の会話はすべて同じ処置を行う。
会話のクッションを何度か挟んだ後、私はついに言った。
以下、主要なやり取りを抜粋する。
「単刀直入ですが、A夫さんには退職の道を選んでいただきたいと考えています」
「……ん?」
「いや、いや、それできないでしょう!」
「市としての決定です」
「労働組合は?」
「組合は関係ありません。組合に入っていようがいまいが、処分内容が変わることはありません。今回、あなたは万引き、窃盗という罪を犯しました。それだけでなく、過去に社会人としてよろしくない行為、仲間から尊敬されえない行為を繰り返している。改善の見込みもない」
私は、A4用紙にプリントされた罪状を読み上げていった。その数は20件以上にもなる。
どうしてこんなものがあるかといえば、人事課のデータベースに、職員のさまざまな問題行為が毎年追加されているからだ。三十年以上前の忌避行為であっても筒抜けというわけだ。
A夫さんは硬直していた。最初よりもはるかに緊張感に満ちている。睨むようにこちらを見つめながら、両手の指を組んでさするような手つきだった。
彼の上司は、何も言わずに片目でガラス卓の鏡面を見ていた。部下を庇う様子はない。
「なんとかなりませんか」
「なりません。しかし、総務部長とも話し合った結果、A夫さんが自ら退職願を出すのであれば、懲戒免職にはしません。通常どおりの退職となり、退職手当も満額出ます。これまで40年近くもK市のために働いてこられたんですから、この程度の寛大な措置(※諭旨免職)はあってしかるべきかと。そのうえ、今回は早期退職制度の利用を認めるので、割増退職金もつきます」
「わかりました。では、こちらがA夫さんが今回の処分に不服である場合の申し出のやり方を書いた資料になります。受け取ってください。それで、A夫さんがどうしても納得いかなければ」
「……はい」
「K市は妥協しないので、後は裁判しかありません。判決でA夫さんの主張が認められた場合は、K市に残ることになりますが、今の部署は相応しくないと判断されるため、異動を覚悟してください。今のところは、〇〇課か〇〇センター(※一般的な公務員にとって辛い労働をする部署。不要と判断した職員を、サイコパスと思しき管理監督者の元で働かせる。その管理監督者というのも、K市にとって不要な人材と判断されたため、同じく問題職員を監視するポストに就いている。いわゆる蟲毒)を予定しています」
「A夫さん。あなたは罪を犯しました。信用失墜行為です。全体の奉仕者としてふさわしくありません。繰り返しますが、本来の処分は懲戒免職です。しかし、法をそのまま適用すべきでない場面だとも判断されることから、これまでのA夫さんの功績を考慮して依願退職を認めるものです」
A夫さんは、不服申し立てに関する資料を受け取ると、そそくさと出て行った。彼の上司がその後に続く。
それからの1か月は、あっけないほど順調に進んだ。
まず、労働組合の執行委員長や書記長ほか数名が怒鳴り込んできた。彼らのスタンスはわかっている。怒鳴り声に2、3分も耐えていると、あちらも私達が本気であることがわかったのか、冷静になった。
「組合としては、A夫さんは必要な職員だというご認識ですか?」
「組合員としてA夫は仲間だと思っている」
「知ってのとおり、A夫さんは信用失墜行為を犯しています。K市としては、彼のような職員はいりません。A夫さんが、自らの意思で早期退職を選ぶのであれば問題ないですね」
「当局がA夫を脅迫しているなら話は別である。もしそうなら、仲間として守らせてもらう」
「そうでないならいいんですね?」
「当局は~」(以下略。何かあっても組合に責任はないことの確認をしていた)
さて、労働組合の本質は政治運動にある。K市の組合もそうだった。加入者の毎月の給料から約3パーセントを徴収し、その何割かを左派政党に納める。そして、プッシュした議員に労働者寄りの政策を実現してもらうのだ。
職員労働組合――職員同士の互助会であり、組合員を不当な権力から守るという本来的な意味での組合活動は、それに比べると優先順位が低い。口には出さないが、彼らはそう思っている節がある。この事件の後で、団体交渉を何度も経験した私はそう直感した。
A夫さんは、別に組合にいてもいなくてもいい。組合費が入らなくなるのは惜しいが、当局(※労働組合は経営者側をそう呼ぶ)に対して、「A夫さんをなんとかしてほしい」と交渉するまでの価値はない。とはいえ、組合員のために戦った、働いたという実績はほしいので、こうして形だけの食い下がりを続け、ほどよいところで悔しそうに退散する。それが私が見た、一市町村の労働組合の姿だ。
これ以降、私は計15人の問題職員に退職勧告を行い、そのうち13人が実際に退職した(残り1人はK市を訴えた。もう1人は更生の余地が認められたので勧告を撤回)のだが、労働組合が最後まで食い下がって助けた職員の数はゼロだ。本気で当局(私たち)を動かそうと行動に出た回数もゼロ。こうして辞めたうちの1人は、組合の元役職持ちだった。
彼らは、口酸っぱく、「当局、当局!」と騒ぎ立てるだけだ。本気で争うつもりなどない。ただ組合員に、「当局は許しがたい行いをしている」と知らせるにすぎない。
交渉のテーブルの上で、彼らはよく主張していた。「仲間をクビにするとはどういうことか」「同じ職員として恥ずかしいと思わないのか」「〇〇さんは十分市に貢献してきたはずである」と。しかし、同じ交渉の最中に、「職員組合としては、免職処分の取り消しと引き換えに、このようなことできる~」などといったバーターの提示や、「取り消さないなら現業ストライキを行うことを辞さないが~」(※公務員は労働三権の一部しか認められないが、現業職員に限ってはもう少し広く(+団体交渉権と協約締結権)認められている。なお、現業職員であってもストライキは認められないが、一部の地方自治体では事実上のストが行われることがあるという)といった、交渉者としての態度が出てくることはなかった。
彼らは、組合の利益が薄いと見るやいなや、交渉と見せかけた陳情だったり、見かけ倒しの規範論を繰り返すばかりだった。これは、まったく個人的な感情になるが――それにしても気持ちの悪い連中だった。偽善と嘘ばかりを繰り返している。ああいう男らしくない連中には虫唾が走る。
結局、A夫さんは、年度末での退職を選んだ。
何のことはない。あと数年で定年退職だったので、裁判で争うよりも、あと1年未満でいいので今の職場でゆっくりやりたいと考えたのだろう。正しい判断だと思う。
勝てるかどうかもわからない裁判を抱えて、勝ったとしても地獄のような部署で働くことになるよりは、早期退職を選んだ方が本人にとっていい。
今回の結果を受けて、副市長が激怒した。私は電話で副市長室に呼び出され、ほかの総務人事関係の幹部職員と一緒に説教を受けた。
上述のとおり、市長から退職勧告を行うことについての了解は取っていた。以後、A夫さんが退職を決めた後で正式に市長の了解を取り、文書での稟議を回していた最中の出来事だ。意思決定者の合意が先で、文書での伺いは最後。民間企業でも一般的なやり方である。
誤算の一つは、市長や他の幹部が副市長に一声かけていなかったこと、もう一つは副市長が同意しなかったことだ。主には、私がK市での仕事に慣れていなかったせいである。
・なぜ早まったことをしたのか?
・身分保障という慣行を破ってはならない。先人が決めて守ってきた大事なルールである。
といった意見をぶつけられた。副市長とA夫さんが同じ年に入庁した同期という事情もあっただろう。ちなみに人事課長も同期だ。
ほかの幹部は、申し訳なさそうにしていた。私は堂々たる姿勢で、「K市にとって不要な職員だと判断しました。罪を犯したのに反省の色もなく、最初の面談ではヘラヘラと笑っていました……切るべきかと。市長もやってみろ、と言っていました」と答えた。
これらの台詞は、当時のメモを見返しながら書いている。そこまで間違ったものではないはずだ。私は確かに、副市長に対して上記のような返答をしている。
こういう時に大事なのが『自信』だ。自らの想い、行動への信仰と言い換えてもいい――下の人間に好き放題やられた副市長からすると、自信なさげだと「悪意でやった」と思われかねない。越権行為であるからこそ、組織にとって正しいことをしたのだとアピールする必要があった。
「目的はわからなくはない。理解はする。だが、こういったことをする場合は、私に事前協議するように。私を飛ばして市長のところに行くな。今後相談しなかった場合は、決裁の判を押すつもりはない」
それが副市長のメッセージだった。その後、幾人もの問題職員が諭旨免職によりK市を辞めることになった。副市長のところには事前協議に行ったが、判を押してくれたのは2人分だけ、A夫など比較にならないほどの悪に限って決裁の判を押してくれた。
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
これは、私が要約した副市長の主張だ。
一応言っておくが、副市長の考えは正しい。ただ、私や市長の考えと合わなかっただけだ。公務員の身分保障は、行政行為を円滑に回すための全世界共通ルールである。実際、公務員に身分保障がなければ、社会制度をまともに維持できないことには私も同意する。
例えば、税務系部署にいる職員は、自らの裁量で税務情報システムにログインし、市民の課税情報を書き換えることができる。K市くらいの住民規模だと、上司もいちいち課税情報の変更をチェックできない。彼ら彼女らは、やろうと思えば不正ができる。
もし彼らの身分が保障されていない(生活できないレベルの給与水準、簡単にクビを切られる環境、権力者に脅迫されても守ってくれる存在がいない)場合、何が起こるのかを想像していただければ、副市長の言うことに理があり、私があくまで慣習への一挑戦者にすぎないことを理解いただけると思う。
2023/1/2 part5を全体的に修正。出身会社について追記。
前職を辞めて1年以上が経った。そろそろ事業会社で働いてみようと決心したところで、キャリアの棚卸しをしてみようと思った。
私は、新卒で人材広告の営業会社に入った。その次は転職支援の仕事をしていた。いずれも管理職になって、いくつかのチームをマネジメントする立場になり、二番目の会社を数年後に退職してからは個人事業主になって、ひょんなことから地方自治体(市役所)に転職した。
そこを辞めてからは、幾ばくかの退職金を元手に、フリーランスをしながら自由な毎日を送っていた。今でも個人でコンサルの仕事を請けたりする。学生時代を懐かしんで、マクドナルドのクルーに応募して働いてみたりもした。
人生の休息はたっぷり取ったし、そろそろ本気で再就職を目指そうかと考え始めたところ、職務経歴書を書かねばならないことに気が付いた次第だ。
なお、当日記のタイトルは、問題社員の正しい辞めさせ方(Amazonのページに飛びます)という本から拝借している。
名著だった。今回の日記の投稿に至ったのはキャリアの棚卸しが主な理由だが、この書籍にインスパイアされたこともある。
前職の説明をする。とある地方自治体の特定任期付き職員として、人事政策の立案と運用を担っていた。役職は部長級。人事~~と名の付く長ったらしい名前だ。
かつて個人事業主だった頃、それまでに培った人材広告の営業や、転職支援のスキルを活かして個人コンサルをしていたところを当時の市長に拾われた。この人は、私が勤めていた会社のひとつで上級管理職をしていた縁があった。
私以外にも、いろんな組織から多くの人間を市に引っ張っていた。みな幹部としての登用だった。それぞれが民間等での専門性を活かし、刷新的な業務に取り組んでいたのを覚えている。
ここに綴るのは、地方公務員の端くれとして〇年間、人事の仕事に携わった諸々の実例だ。
始めに言ってしまうと、私の仕事は政策立案の本流ではなかった。それよりも、できがよくない職員、いわゆる問題職員や無能職員と言われる者たちのトラブル処理や、彼ら彼女らへの指導――のみならず、退職勧告まで含めて担当していた。
当時の市長(私の任期の途中に退職)は、私をそのために採用したに違いないという確信がある。行政経営における中核的な人事施策は、当然ながらプロパー職員に担わせるべきだ。私は、公務員が慣れていない型の人事業務(いわゆる肩たたき系)の企画運営を行い、後の人間に引き継ぐために採用されたのだ。何か問題が起こっても、私は幹部職員で権限ある人間ということになり、責任を取ることも可能というわけだ。
前の会社においても、人事責任者として様々な人間に接してきた。その経験を当時の市長は買ったのだろう。かくして勤めることになった市町(K市とする)が抱えていた問題を解消するために動くことになった。
実際、当時のK市には労働関係の指標に問題があった。3年以内離職率だ。私が赴任する直前年度の3年以内離職率は、30%を超えていた。地方自治体は、同規模の民間企業に比べて恵まれた労働環境にあるというのに、この数字はちょっと高い印象がある。
辞めていく人間の大半が査定の低い者、トラブルを起こす者ばかりであればまだいい。だが実際には、将来のK市をしょって立つと期待された職員が半数を超えていた。特に若手だ。
せっかく、まちづくり活動に携わる職場や、霞が関や、県の本庁にある部署や、県内市町から1人ずつ出して組織される団体(〇〇合同機構や、〇〇事務処理組合など)を経験させたというのに、辞められては元も子もない。
「全くの嘘は書かない」
というものだ。どういう意味かというと、例えば「A」のことを「アルファベット」と表現することはあっても、全く別のBと言うことはない。A´みたいな表現はするかもしれない。
当日記は、胸の痛くなる描写を伴う。しかし、私自身が次の転職に向けて準備をするために行っているので、赤裸々な事実まで含めてきちんと振り返ってみようと思う。死人は出ないので安心してほしい。
次に、この日記を書いたきっかけについて。何となくお察しかもしれないが、△年前に雇止めの通告を受けた。任期はその年度の3月末までだという。
結果を出したにもかかわらず、任期を更新されないという裏切りを受けた。私はそのように感じている。
当自治体に配慮する道理はないものと考える。書いてもいいこと、書くべきことは何でも綴ってやるつもりだ。
形式的には地方公務員だったかもしれないが、本当は違う。私はあくまで民間側の人間であり、自治体の人事運営の一部をコンサルティングする立場としてアサインされた。しかし、業務委託(準委任契約)の立場ではできない(例えば職員への直接の命令や指導)ことが多いため、致し方なく特定任期付き職員として採用された。それだけのことだ。
尤もらしいことを書いたが計算もある。以前、はてな匿名ダイアリーで、元公務員である作者が、かつて勤めていた組織の内情を(おそらく)包み隠さずに綴った日記を何点か読んだことがある。その中には、当然官公庁の内部事情に関するものもあった。「それ書いたらあかんやろ、捕まるぞ」と直感的に感じたものもある。
その人の日記では死人が出ていた。当日記では誰も死なないし、たとえどんなに面白い話であろうと、亡くなった人間をネタにするつもりはない。
例の日記は、今でも増田に残っている。魚拓と比べて、投稿後に何かを隠した形跡もない。私がこれから書く内容も赤裸々なものだが、あの日記の暴露レベルをラーテルとすれば、当日記はチンチラのようなものだ。ラーテルとチンチラが戦ったとして、多くの場合はラーテルが勝つだろう。
そこまで大した内容を書くつもりはない。挑戦してみるのも悪くないと思えた。
当然ながら、職員個人については特定がされないように最大限配慮する。特定の危険があると判断した場合は該当箇所を削除する。では、以下に1章ずつ綴っていく。
初めに言っておかねばならない。この日記はとても長い。全部で5万字はあるため、気になったところだけ読んでいくやり方は大いにアリだと思う。
かなりざっくりとした目次は以下のとおりだ。
第一章 更生が期待できない問題職員について Part1の途中~3,5~6
思い出に残っている職員を1人だけ取り上げる。
結びにかえて Part10
では、さっそく第一章に入る。
この章では4人分、問題職員への対処例を述べたい。私が採用されてから退職するまでの間に接した事例になる。
A夫さんは当時、50代後半だった。まるで絵に書いたような昭和風の地方公務員であり、私が若い頃に聞いた「公務員はこんな感じ」を地で行く人物だった。今では絶滅危惧種だと言っていい。
・毎日5時になったら帰り支度を始める。朝は始業2~3分前に出勤する。たまに遅刻あり。
・主任~主査級(※民間で言うと平社員の最上位。ここまでは自動的に昇進する)。年収は8本ほど。
・仕事量は少ない。勤務時間中はのんびり過ごしている。電話や窓口には出ない。
・台風待機や他課の行事があると積極的に手を上げて参加する(時間外手当がほしい)
ここまではいい。業界的には許せる範囲だ。生産性の低い人間には違いないが、問題職員とまではいえない。
この年代になると、彼らが新人職員の頃に先輩が行っていた(よくない)行為をすっかりと踏襲している。出張の帰りに公用車で自宅に帰ったり、家のごみを市役所のごみステーションに放り込んだり、イベントで余った飲食物を箱単位で私物化したり、市の取引先の〇△メーカーから私物としての〇△を卸売価格以下(店頭価格の約4割。同種の横領の誘発を避けるため伏字)で購入したり、机の下に焼酎やウイスキーを隠し持っていたり……。
重ねて言うが、ここまではまだ許せる。働く組織によって文化や慣習は異なるものだ。彼らや彼らの先輩が今までずっとそうしてきて、それで通用してきたのであれば、それは組織の責任でもある。
それに、若い職員には年配の職員が不幸である様子は極力見せたくない。「自分たちも将来は……」という希望を持っていてほしい思いがある。ほかにも理由はあるが、当日記を読んでいるうちにご理解いただけると思う。
罪を犯したのだ。職場の飲み会の帰りに酔っぱらって気が大きくなった彼は、とある罪を犯した。現行犯逮捕されたA夫さんが翌日に暗い顔で上司に報告したのが、私が赴任してちょうど一か月の頃だった。
新年度の第一例目ということで、私は総務部や人事課の職員(特に幹部クラス)がどう対応するのか見るつもりでいた。人事課の隣にある面談室で、A夫さんと、総務系・人事系部署の役職者が何人かと、私が同席していた。みな、それぞれソファに座っている。
その時のA夫さんの印象は、以下のようだった――と書こうと思ったが、そこまでの価値もない。一言でいえばこうだ。
『反省の色がない』
夜中にコソコソと他人の所有物を盗んだにもかかわらず、ヘラヘラと笑いながら、「すいません」と首をブラブラさせるばかりだった。シャツその他の衣服はよれよれで、ネクタイは曲がっていて謎のシミがある。
面談後、私は単刀直入に人事課長ほか数名に尋ねた。「免職ですよね?」と。
それは、短い返答だった。「これから協議します。民間なら免職かもしれません」というものだ。
私は負けじと、あらかじめ調べておいた根拠を示した。人事院が発している「懲戒処分の指針について(平成12年3月31日職職―68)」というものだ。
国家公務員も地方公務員も、この通達に従って処分を決めるという。免職処分か否かで揉めて裁判になった場合も、裁判所はこれを基準として判決を下す。その中に、以下の文言がある。
(1) 放火
(2) 殺人
(3) 傷害
(中略)
A夫さんの場合は、(7)のアにあたる。免職処分にできるはずだ。だが、人事課よりも上の立場の人間(※その人は部長級で、私と同格だったが、新人だった頃の私に権限や権威などあろうはずもない)は、A夫さんを停職1ヵ月と減給で済ませるという。
ここが勝負どころだと思った。
私が最初に入った会社では、飲食店などをメインに、自社の求人広報誌に情報を載せてもらう飛び込み営業を十年近く続けた。その後に実績が認められて人事部署に異動となり、数多くの優秀な社員や問題社員と接してきた。次の会社でも、現場を経験後に人事畑に移っている。今、この経験を用いる時だ。でなければ私の立場は矮小のままである。職員からの信頼は得られない。
手を挙げた。次回のA夫さんの面談は、私が主担当となった。面談室のソファの中央に私が座り、右脇には人事課長、左脇にはそれに準ずる者がつく予定だ。後は結論と筋書を用意して、A夫さんをその方向にもっていくことになる。
その前に、市長に軽く相談したところ、「お前の好きにやってみろ。決着がついたら教えてくれ」とのこと。ならば好きにやらせてもらおうと思った。
(続く)
◆藤本宗将 Copywriter/Creative Director@fujimotors
12月末で電通を退職します。約25年にわたり社内外のみなさまには大変お世話になりありがとうございました。1月からは独立し、UltraBlackという会社をつくってやっていきます。電通との専属契約などはありませんので、これまで以上に多くの方々とお仕事できれば幸いです。よろしくお願いいたします。
https://twitter.com/fujimotors/status/1473887352691236865
この社名も気持ち悪いが、それに対する電通社員(元電通社員)の反応がまた気持ち悪い
◆藤本宗将
https://twitter.com/keitatata/status/1473887571629719556
◆栗田雅俊@kurita_ma
◆藤本宗将
https://twitter.com/kurita_ma/status/1473893208283582465
◆藤本宗将
https://twitter.com/setsukooo/status/1473921538856722433
悪い解釈をされていいことがあるのか?
100ワニやオリンピック問題で悪い解釈されていいことあったのか?
◆岡部将彦 Que / Quest/Creative Director/CM Planner@okavader
最高の社名ですねw
◆藤本宗将
https://twitter.com/okavader/status/1473900728414765059
どんな名前にしようと人が死んだら叩かれるのが当たり前だと思うが
遺族の人が見たらどう思うか?
こういう奴らがいろんな人たちが見る広告を作っていると思うと複雑になる
「人が死んでんのに自虐か知らんが、面白いと思ってるこういう馬鹿がおるからブラックなんだよな。」
誰でも見れるツイッターでこんな人格を疑われることを書くのは普通じゃない
dentsu zero コピーライター/クリエーティブディレクター。1997年、電通入社。コピーライターとして多くの企業のメッセージ開発に携わる。主な仕事は、ベルリッツ「ちゃんとした英語を。仕事ですから。」、本田技研工業「負けるもんか。」、からだすこやか茶W「おいしいものは、脂肪と糖でできている。」、トヨタ「トヨタイムズ」など。TCC最高新人賞・TCC賞・ADCグランプリ・ACCグランプリ・毎日広告デザイン賞最高賞など受賞。
電通 マーケティング・クリエーティブセンター コピーライター
1976年大阪生まれ。チベット、カシミール、アフガニスタンなど世界中を旅をして電通に入社。コピーライターとして勤務する傍ら、写真家、セルフ祭実行委員、UFOを呼ぶバンド「エンバーン」のリーダーとして活動している。『商店街ポスター展』を仕掛け、佐治敬三賞を受賞。他、東京コピーライターズクラブ最高新人賞、ゆきのまち幻想文学賞など受賞多数。また、都築響一氏編集「ROADSIDERS' weekly」でも写真家として執筆中。ツッコミたくなる風景ばかりを集めた『隙ある風景』日々更新中。
栗田雅俊(くりた・まさとし)
電通zeroクリエーティブディレクター/コピーライター/CMプランナー
1981年岐阜県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、電通入社。最近の主な仕事に、サントリー「話そう」「デカビタC・元気すぎるご当地キャラ」、宝くじビンゴ5、KINTO、Netflix「リラックマとカオルさん」、パートナーエージェント「ドロンジョとブラックジャック」、カシワバラ「大規模修繕な人々」など。
2010年電通入社。2016年度東京コピーライターズクラブ最高新人賞を受賞した長崎自動車/長崎バスのシリーズ広告は、TCC賞とのダブル受賞となった。他、毎日広告デザイン賞優秀賞、日本民間放送連盟賞ラジオCM部門最優秀賞、FCC賞、CCN賞、CCN最高賞、OCC賞、FCC最高賞、広告電通賞OOH部門最優秀賞など。山梨県出身。
岡部将彦(おかべ・まさひこ)
1978年、大阪生まれ。関西大学卒業後、2000年電通入社。 以降17年間、CMプランナー、コピーライターとして数多くの広告を手がける。 2005年東京コピーライターズクラブ最高新人賞をはじめ、広告賞を多数受賞。 東京コピーライターズクラブ賞審査員、ACCラジオ部門審査員。 主な仕事に、トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のテレビ、ラジオCM。「ほっともっと」のリブランディング「やっぱり、お弁当屋さんのおべんとうはおいしい。」プレイステーション発売20周年特別映像「みんなのゲーム愛にありがとう。」「決断を迫る山田」「山田、全力のモンハンワールドごっこ」他、各種ゲームタイトルのテレビCMを多数手がける。 近年は広告に限らず、ロックバンド マキシマム ザ ホルモン映像作品集(DVD)「Deka Vs Deka」の制作&コミュニケーションなど、コンテンツ領域でも活動。
表題のとおりです。今年のうちに書いておかないとなんか気が済まないのだが、あまりにも恨みがましい文章になり、個人ブログとかに書くとリアル知人にドン引きされそうなので、匿名でお焚き上げさせてください。
今年、前の職場にて、辞職するよう勧告されたので、転職先を探して転職しました。
なぜ辞職勧告されたのか? 端的に言えば仕事をサボりまくっていたからです。Web閲覧やTwitter等を業務中にやりまくっていました。だから辞職勧告されたこと自体には恨みはありません。当然と思います。もっとも、意訳すると
「解雇は可哀そうだから数か月待ってやる。その間に次の仕事を探せ」
という上司の言葉には(恩着せがましく言ってやがるけど、要は解雇にするために懲戒委員会とかにかけるにあたり、お前らの管理監督責任も問われるのが嫌なだけじゃねーか)と内心そうとう憤りましたが。
で、仕事をサボりまくっていた、具体的には、絶対にやらなければならない定例業務とかを除いて、イレギュラーな検討事項等についてサボって終わりを引き延ばしていました。3年?4年?くらいそんな感じでした。タイムカード切ってから2時間くらい会社でWeb閲覧してたなんてこともしょっちゅうでした。何故そうなってしまったかと言うと、あくまで私からの目線ではありますが
・基本的にイレギュラー案件のゴールラインが露骨に上司の気分で動かされる
・質問=詰める開始の合図の上司→気づけば言い訳を探すようになっていた私
・「案件が終わってないのに何故帰れる。何時まで残業してでもやるのが当然だろう」と言われたので上司より先に帰れなかった
・会議や役員に出す段階でない、上司との検討ミーティング用の資料であっても、ちょっとした誤字やフォントの修正違い等の間違いをめちゃめちゃ詰められる(誤字があるということは確認してないからだ! という主張はご尤もだと思いますけど、上司的にも進めないとまずいなと認識してると思しき案件ではあまり言われなかったので、意図的だったかどうかは知りませんが、攻撃材料だったと思っています)
・「わからないなら聞け!」→「それくらい自分で考えればわかるだろ!」のコンボはしょっちゅう
・よく言えば体育会系の気風の良い人ではあるのだが、悪く言えば恫喝パワハラ気質の上司
あたりが根本原因だったと思います。要は上司と私とが合っていなかったということですね。もっとも、その上司によって直接的に退職に追い込まれた従業員は私の他にも数名いましたけど。
強い言葉で叱責される……詰められるともう頭が真っ白になるようになってしまったので、一度だけ
「それだけ強い言葉で言われると委縮してしまって会話するのも難しくなるので、改善してもらえないか」
「俺はそういう言い方しかできない!」
と開き直られたのが、今にして思えばサボるようになった本当の直接のキッカケだったように思います。
全て、今にして思えば、ということとして、一番酷い時は鬱状態だったんじゃないかと思います。具体的な症状として、とにかく起きられませんでした。本当に今すぐ着替えて家を出ないと遅刻するくらいのタイミングまでベッドから起き上がれない。めちゃめちゃ夜更かししていたわけでもないのに、休みの日では昼くらいまで全然寝れてしまう……というか起きられなかった。一応仕事や趣味には行っていた、生活が破綻するレベルで起きられなかったわけではなかったので、当時は「なんかおかしいな? もともと朝が弱い方でもないのに最近やけに起きられないな?」くらいの認識でした。ものすごく疲れてるとかでもないのに、普段普通に起きてる人が起きられなくなったら「それはおかしい」って認識すべきだったな、というのが個人の教訓です。そんときメンタルクリニックに行っていればもうちょっと色々改善できていたような気がします(むしろ休職していた可能性もありますが、それはそれで)。
そこまで追い詰められていたけど、転職して時間も過ぎ、ある程度冷静に振り返られるようになった今でも、上司の言うこと・指示は基本的に正しかったと思っています。ただ、あまりにも言い方がキツかったのと、そこまで詰めなくてもよくない?というのと、こちらの欠点=直すべきものであり、欠点を許容しようという姿勢がまったくなかったのがしんどかったですね。
ラスト数年間では、露骨に後任の奴が異動してきたり、しょっちゅう詰められるようになっており、上司的には口清いことを言いつつ私を退職に追い込もうとしていたのは明白でした。最終的にはサボっていた証拠(Webログ等)を突き付けて辞職勧告をしてきたわけですが、後任への引継等もほぼ終わりかけの段階だったので、「こいつの利用価値はもうなくなったのでそろそろ辞めさせよう」という露骨なタイミング過ぎて笑ってしまいました。
要約すると、パワハラ気質の上司と、サボりまくりだが一応定例業務はこなし他の人にできない仕事を持っていた私との、変な共犯関係がそこにあったという構造でしたね。職歴的に、中途入社は基本上に行けない職場だったので、辞職勧告で踏ん切りがつき、真面目な転職活動をして、より大きな会社へ移れたので、私の人生のタイミング的にもよかったのかなと思っています。転職先の上司や年下の先輩たちが基本的にものすごく良い人で、「少しのミスを詰められないこと」がこんなにもストレスにならないんだと感動する日々です。5年くらい前の私に対して「その上司との関係性は結局どうにもならんしお前そのままだと腐るから転職する方がええぞ」とアドバイスしてやりたいですね。
とりとめもなく書いてきたのでまとめ
・相性の悪い上司はどうしようもないので、どうしようもないとわかった時点で転職すべき
・てゆーか詰めてくる上司はやっぱクソ
・「疲れてるわけでもないはずで、睡眠時間もそれなりに確保してるはずなのに、起きられない」のはヤバい兆候
辞めてから知ったけどな! 過去に横領まがいのことして一回辞めたことのある人間だって知ってたら、なんでそんな人間に詰められなきゃなかったんだってなおさら腹立ったわ! そんな上司を野放しにする会社も普通にクソだったわ! 転職して明らかに幸福度上がりました! ざまーみろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
ググっても出てこなかったけど、念のため特定されそうな情報はぼかしたりしてます。
当時、付き合っていた彼女(以下A)がいました。見た目は清楚系なんだけど、付き合いが長くなると本性が出てきて、DVを受けるようになりました。
具体的な内容は避けますが、顔とかにしょっちゅうアザができてました。
当時は女→男のDVなんてあまり認知されてなかったので、周囲に相談しても「男のくせに情けない」としか言われませんでした。
追い詰められる中、唯一親身になってくれたのは元カノのBでした。
Bも当時、現カレ(以下C)が嫉妬深くやや変態で困っていたらしく、他人事とは思えなかったそうです。
(Bとは別れても友達付き合いが続いていました。Aとも知り合いでした)
やましいことは一切していませんでした。
でも、AとCはそうは思わなかったようです。
Bのケータイを盗み見て私とのメールを発見したCは「浮気している」と誤解。
ここからが怖い所で、Bには何も言わず、何故かAに連絡を取りました(Bの電話帳から連絡先を見付けたようです)。
AとCが何を話したのか、それ自体は知りません。
ある日、私の勤務先に怪文書が大量に届きました。
「私とBが浮気している」という文言と共に、私とBのハ●撮り写真がプリントされていました。もちろん、コラです。
Aに撮影された私の写真と、Cの撮影したBの写真を合成したものだったようです。よく見れば不自然でしたが、インパクトは大です。
怪文書には、具体的なプレイの内容まで書いてありましたが、もちろん虚偽です。
怪文書はCの勤務先や、私とCの友人や実家にまで届けられていたそうです。
もちろん、すぐに警察に被害を訴えて対処してもらいましたが、一度植え付けられた悪いイメージはぬぐえません。
AとCとは司法の場で決着をつけることに。
その詳細は明かせませんが、一応はこちらの勝利でした。でも、被害の実態に見合う結果ではありませんでした。
というのも、AとCは同じ怪文書をネットにも公開していて、それが一部で拡散されていたのです。
画像が画像なので、アングラなブログ中心だったようですが、それでも相当に拡散されたはずです。今でも探せばあるかもしれません。
今もびくびくしながら暮らしています。沢山の人と会う仕事はできません。
昔の勤務先の一部の人は、今でも私が浮気男だと信じ込んでいるそうです。
離れていった友人もいます。私とBが元恋人同士だったという事実があるので、怪文書を信じてしまったようでした。
嘘を信じ込ませるにはひとかけらの真実を入れる……みたいな話がありますが、それを痛感しました。
一般人の私でこれでしたので、芸能人ともなればもっと酷いことになっていたのだろうな、等とも思います。
20代後半長女、手に職系の仕事。社会人経験5年目。平均身長、ブス。
仕事はだいぶ慣れてきて、めちゃくちゃできるわけではないけどぼちぼちやれる人でいたいし、人間関係は良好で時々同期先輩後輩などとご飯に行けるような関係を築きたかった。
恋愛も普通の男性と付き合ってて、しょうもないこと話して笑ったり時々喧嘩したりして後数年で結婚できるかなー?くらい思えるような生活がしたかった。
貯金もそこそこ貯まってきてて、通帳眺めてニヤニヤしたり、兄妹・友達と会って愚痴やしょうもない話や恋バナをして盛り上がって明け方まで飲み明かしたりしたかった。
ここまでが理想の話。
現実は最初の職場で人間関係拗らせて先輩からは睨まれるし、後輩に近付かないように言われたし、怒られる恐怖で学習した事はできないしミスばっか繰り返すし、挙げ句の果てにコロナ直撃で不眠過食空吐きが止まらなくなり休職。復帰しても雑用しかさせてもらえず、上司と話し合いすら取り合ってもらえず退職。
貯金は度重なるストレスで散財してばかりでここ一年でやっと少しずつ貯金できるようになったので雀の涙しかない。趣味すらままならなくなった。
転職して今の職場は人間関係こそ良好だが、仕事内容が緩すぎてやりがいを見出せず一年足らずで転職を決意。新卒の頃に落ちた会社を再度受けたら正採用をもう一度受けてもいいと言う期限付きの非常勤で働かせてもらえることになった。
恋愛は周りはどんどん彼氏ができて、結婚する人すらも出てきた。しかし私は新しい人間関係を受け入れるキャパシティがなくお誘いがあっても全て自分でシャットダウンしてしまった。恋愛したい気持ちはあったがもうなんか無理だった。
友人とは時間的な都合が合わなくなりなかなか会えなくなった。
社会に出て思い描いていた理想の人生と全然違っていた。私がメンタルをやってた時には「理解のある彼くん」はいなかったので嘔吐しながらも自分で立ち上がるしかなかったし、社会人は親に甘えないというプライドだけで立っていたし今も立っている。
現状を周りの人は「少し遠回りしてるだけだよ」と言ってくれるが遠回りどころか体感全身複雑骨折なんだが?というか兄妹は普通に最初の職場で上手くやってるじゃん!
兄妹や友人が人生のステップを確実に踏んでいっているのに対して、一人職歴はボロボロだし、彼氏もいない寂しい喪女のできあがりである。
正直若さを失い、ろくな恋愛経験もなく、特別秀でた美貌もステータスも才能もない女が今後、結婚どころか恋愛すら望めるとは思わないし、それでもそれなりに長く生きなくてはならないと思うと一人で生きる覚悟をしなくてはならないだろうが、なかなか覚悟が決まらない。
誰かに頼られることもないし、誰かに選ばれて愛されることもない。かと言って自殺する勇気もない。
隣の芝を羨んでも仕方がないのはわかっている。自分なりに一生懸命生きてきた結果が現状で、それでも届かないのも現状で。周りの人だって努力して裏で泣いたりしているのもきっとある。
ただ、現状私は何も持っていなくて、他の人は何かしら持っている。私が欲しいもの全部持っている人もいる。勝手に人と比較して隣の芝が青くて青くて仕方がなくて妬ましく思っているのは私だ。このままだと最後に私が持っている家族や友人のカードすら無くしてしまうのは時間の問題になってしまう。そんな浅ましい自分の現状が本当に嫌だ。
もうアラサーの女が何を泣き言言ってんだ、という感じだが、私は幸せになりたいだけでどんどんそこからかけ離れていっている現状が本当にしんどい。人間年を取ると持ち物が重くなるはずなのにだんだん持ち物が軽くなっている自分が辛い。ここからどうすれば起死回生できるか毎日考えてしまう。
なんで幸せになりたいだけなのに、こんなに生きるのが苦しいんだ。
離婚することを決意して家を出ました・・長野移住もジ・エンドです
https://vibrantactions.com/entry/2021/12/28/083627
なぜ
なぜ
私を欺けるの?嘘をつけるの?
裏切ることができるの?私を苦しめるの?
https://vibrantactions.com/entry/2021/06/20/204556
私はいつもそんなことしてると
と脅し?!をかけています
けっこう本気で言ってる自分・・
と書いてるんですよね。
捨てる捨てる言ってるから、捨てられただけじゃん。
ずーーーーーっと見ているだけだったけど登録しちゃった、増田ってなんだ?私も増田?使い方あってるのかな、わからぬ
私もこの蠱毒の中に飛び込んでみたくて、思っていることを書いてみたよ
ある程度社会で揉まれて、仕事に対する動機って二種類あるのかなと思った
それは【お金のために仕事する人】と【信念のために仕事をする人】のふたつ
どちらが優っているという話ではないけど、
信念サイドの人間に敵わないなという場面は多々あった。
お金サイドの人間は、幼少期からお金に困ることが多く、(家庭環境や出生出身地などが深く関わってくるだろう)貧乏を非常に怖がる。
その分貪欲さがあり、自ら考え結果を出し、自分を売り込むことに余念がない。ある程度の管理職もできるだろう。
逆に、
信念サイドの人間は、幼少期から不足ない生活を送ってきたのだろうか、金銭面の制約がなく心から自分のしたい事を選べる。
その結果それがすごーーく人に対して刺さったりするんだよね。
管理職こそならないけど、奇抜なアイデアや存在感で組織で頭ひとつ抜けている人が多いと思う。
お金サイドの人間は自分の利(給与、評価)にならない事はしないけど、
信念サイドの人間は自分の心のままに動いた結果、高い評価を受けている感じがして、しかもそれを昇進の材料として使わない。
何なら退職して手放したりする。
飄々とやってのけるそれがうらやましい!!
私は生涯お金サイドの人間として生きるだろうが、それに対して特に不満はない。