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はてなキーワード: 内定とは

2023-06-06

無能無気力大学院生、どうする!? 2

とりあえずカウンセリング行ってきた結果、「あなたには病名がつくかもしれません。」ということだそうで。

大学院生必要能力として、大枠のテーマを細かくタスク分けして、それをどの期間にどの程度進めるかとかあると思うんだけど、そのタスク分けしようとした時点で頭真っ白なのね。

じゃあ最初から進学するなやって感じですね。


もうこれは自分の形が社会に向いてないってことですよ。

内定いただいた会社SEなんでいろんな人のタスク管理とかの上流やると思うんだけど、自分自身すら制御できないやつができるのか?


で、指導教員から面談しましょう。って連絡いただいたんで、なんとか卒業したいです、留年してもいいか修士号欲しいですって泣きつくしかないわな。

中退したら24既卒学部同級生はもう2年目で後輩指導とかもしてる中で、なんの能力もない人間就活市場に放り出されても負けは初めから見えてるわけで。


やっていきをやるしかない。(タスクが分割できてない。)

転職で感じたこ

従業員500人程度の中小エネルギー会社 人事課長従業員1万人超のSI企業NECとかNTTとかそのへん)人事職(非管理職)に転職して一年ほど経過したのでその雑記あんまり増田で人事の転職たことないな?

自分の事

日東駒専どこかの文系卒。妻あり、子供はいない。34歳

それなりに要領がいい方だとは思うが、お世辞にも能力が高くはない。英語力も皆無。(TOEICは受けさせられて300ぐらい)

前職に入社するための就職活動転職に至るまで

氷河期と言われる2012卒だったのに加え、自分就職活動に対してやる気がなかった(4年から就活開始したあたりでお察し)が、4年時、中小企業秋採用になんとか入社。しばらく営業職として全国を転々としていたが、途中で人事に異動。

採用教育給与以外の人事業務を実施評価とか異動とか個別人事対応とか)し、30歳で人事課長に昇進。

30歳で課長というと一般的には早いのだろうが、残念ながら名ばかり管理職のため部下はおらず、残業代がなくなったため給料は減り、決裁権は1円たりともなく、業務も変わらず、ただ参加する会議が増えただけだった。

(これは余談だが、管理職に対し残業代を払わないためには、厚生労働省が開示している管理監督者定義合致している必要がある。前職では当然何一つとして合致していなかったため、名ばかり管理職に対し残業代を支払う旨の制度改定提案上司に持っていったがその後何一つ音沙汰は無かった。尚、内部通報制度使用しようにも肝心の窓口が上司の為詰んでいた)

また、パワハラ気質サービス残業特に上司からメールが来たら土日祝日であろうと24h以内に返信が必須なのがしんどかった)にうんざりしたのと、結婚に伴い全国転勤が難しくなったため転勤がない会社への転職活動を本格的に開始。

転職について

上記キャリアのため転職するなら人事職が良いだろうと考え、人事職で転職開始。転職は以下3点を軸に、エージェントを頼りながら進めていった。

・人事にもかかわらず、採用教育給与あたりの専門分野が未経験というやや特殊キャリアが活かせる事。
引っ越しを伴う転勤が発生しないこと。(そのため、制度が整っている超大手か、拠点東京しかない中小かのどちらかが多かった)
年収レベルが今(500万)より下がらない事

エージェントには管理職待遇マストかを聞かれたが、上述の通りまともなマネジメント業務実施していないため拘らず)

転職にかかった期間は半年程。エージェントは3名ほど使用転職は30社ほどエントリーして、面接は15社ほど受け1社から内定をもらい快諾。

「5社受けて3社内定もらいました!」ってレベル退職エントリが多い中比較するとひどいもんだけど、新卒就活の時の連戦連敗を考えれば無傷みたいなもんだった。

退職報告

前職に退職の報告を上司にしたところ、「転職先が決まってから退職を報告をするのはマナー違反だ」「お世話になった会社を辞めるのは人間として狂っている」などと説教を受けた(注:上司中途採用組)ため、やはり転職活動してよかったなあと思いながら適当にその場は愛想笑いで凌ぎ無事退職

転職で変わった事

年収で500万→800万ぐらいになった(賞与は50万→130万に増)

業務内容は採用退職までの一連の人事業務すべてに薄く広くかかわる感じ

・転勤原則無しの扱いになったので、戸建の購入計画を進められるように

残業時間は60h→10h程度に

・年間休日は110日→120日後半に

・在宅か出社かはどちらでも問題なく、業務に支障さえ出なければ共有スケジュールに入れるだけで在宅可能

裁量労働制のため、仕事が片付いていれば定時より早く仕事を切り上げることもしばしば。

・前職で(名ばかりとはいえ)「管理職」を経験していたためか次期管理職候補としての期待が大きく、今期の評価では最高評価を受ける。

・土日祝にメールが誰からもこない。

働いていて気づいたこ

仕事業務時間ストレスは減り、年収待遇が爆増し、社内の人間関係も良好のため、転職はこれ以上ない大成功だったと感じる。

・周囲のメンバーを見ると、前職と比較しても(ごく一部のスーパーマンを除き)そこまで能力が高いというわけではないし むしろ自分の周りを考えると前職のメンバーの方が能力は高かった。(でも給料は今の会社の同僚の方が遥かに貰ってる)

転職して一番のギャップ経営から担当者まで全員穏やかな人である事。周囲から怒号が聞こえない事の快適さを痛感。

・バックオフィス転職あるあるかもしれないが、自身能力仕事アウトプットが増えていないにもかかわらず 年収待遇が爆増した事の違和感が凄い。年収個人能力でなく所属する業界企業によって決まるのはガチだなと感じた。

結論

転職してよかったーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!


追記

諸々反応ありがとう

名ばかり管理職通報先が違うのでは?

会社提案したのは私が人事部所属だったので、「人事としてこの会社制度は変えないとあかんな?」…といった業務上の理由制度改訂提案をしていた感じです。

転職した今、仲の良い後輩・同期達には転職支援する形でサポートしてるので、残された他の人たちの事は正直知ったこっちゃなく、通報とかは考えておりません。

転職時の年収交渉について

これはネタバレなんですが弊社の経験採用では前職の収入考慮していなくて、

学歴とか経験年数とかの諸々を入力すると既定のルールに基づき年収がいくつか設定される仕組みになってるんだよね。その中で職場側の期待度によって選択するみたいな感じ。

なので俺が凄いとかエージェントが敏腕とかでなく、本当に自分場合は運が良かっただけ。あとはいくつか言及されているように、(名ばかり)管理職経験者という実態がうまく働いたのはあると思う。

氷河期の同期達

あの時皆どんよりしてたよね…

ただ、大学の同期で転職したメンツと話すと、だいたいみんな「転職新卒就活より遥かに楽」って口をそろえて言うんだよね。

100社受けて1社内定あるかないかみたいな極限状態では絶っ対ないので、転職するかしないかは別としても片手間で転職エージェントと話してみたり、転職サイト覗いてみるのはいいんじゃないかな。

これまで新卒一括採用しかしていなかった大手企業経験採用爆増してるので、自分経験と当てはまる求人さえあれば当時ではESすら通らなかった企業が割と気軽に面接してくれると思う。

>長い

ごめん!!!!!!!!!!!!!!!

2023-06-05

anond:20230605174042

パパママ属性を見て生まれる前に内定(ただし障害持ちだった場合の特約条項付き)とか

東京の名門中学生!?内定だ!入社は15でも大学行ってからでもいいよ!

スタンダードになるんだろうな

2023-06-02

数で評価される世界はよかった

地方テレビ局で働いている。クリエイティブ仕事がしたくて、なんて薄っぺらい志望理由を提げて、6年前、就活に臨んだ。サクサクっと内定をもらって、働き始めて早5年。薄っぺらい私は、番組も作らせてもらえず、寝て、起きて、その繰り返しで、クリエイティブなんて程遠い生活をしている。もう長尺のドキュメンタリー番組を作った同期もいるのに、私は回ってきた仕事をこなすだけの生活をしてきた。何をしたら、いいのか。どういう努力が正しいのか。この世界で名を残すためにどうすればいいのか、わからない。

から勉強はできたので、皆が知るようないい大学を出た。数で評価される世界簡単でよかった。物理が苦手だから強化しようとか、この勉強の仕方は点数につながらなかったとか、PDCAがわかりやすい。正しい努力の方向も、必要努力量もわかりやすい。

でも番組は違う。面白いという人もいればつまらないという人もいて、面と向かって言われるお世辞に塗れた感想など当てにならないし、今の自分に何が足りていないのかわからないまま、面白いとか面白くないとかわからないまま、5年が経ってしまった。

そんなことを気にする時点で向いていないと思う。でも辞める選択肢はない。無駄に高い学歴が生み出した、私の高いプライドがそれを許してくれない。クリエイティブ世界で認められたい。認められたい世界で、認めてもらえる方法がわからない。

面白い番組ってなんですか。

ドキュメンタリーが撮りたいです。

2023-05-29

優しい笑顔文章

先日なんとなくSNSを眺めていたら、友人の投稿が目に留まった。

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「身内です。このアカウントの持ち主は A月B日に永眠いたしました。生前のご厚誼に感謝申し上げます。」

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彼女との出会いは、200X年だった。趣味関係彼女ブログを見つけた俺は、彼女ブログコメントをした。その後コメントを返してもらったり、mixiアカウントを教えてもらったりして、コミュニケーションの頻度が上がっていった。連絡先を交換して電話もした。「おはようからおやすみ」まで、ガラケーで連絡を取り合う感じになった。

お互いの写真も交換して、会ったこともなかったのに電話告白をして付き合うようになった。お互い大学生で、相手首都圏在住、俺は地方在住だった。遠距離のもどかしさがあったけど、俺は大学卒業就職して首都圏に引っ越すつもりだった。

俺は大学4年になると、就活とか何かしらのタイミング夜行バス新幹線首都圏へ行き、彼女に会った。最初会う時は、本当に不安でいっぱいだった。思ってた感じと違うと言われたらどうしようと。彼女は、俺のスーツメガネ容姿を褒めた。それまで容姿を褒められた経験のなかった俺は、褒められたことを単純に受け入れる事ができず、嬉しさよりも恥ずかしさの方が優った。

彼女は、派手な感じのない小綺麗な人だった。背が俺より高くて175cmくらいあった。コンプレックスを感じる必要は全くないのに、「高いヒールを履きたいけど、自分の背が高いのが嫌なんだ」と言った。ネイルをしたり、コスプレをしたり、カメラマンの人に容姿を撮ってもらうことが好きみたいだった。

まり俺の意見や話に対して自分の考えを述べたりせず、基本的に良く相槌を打ち、よく笑う人だった。いわゆる聞き上手な人のように見えた。家庭問題学校問題等によって鬱病なんだと聞かされた時は、人に攻撃されないようにとか、嫌われないようにするための処世術?として聞き上手なのかもしれないと思った。

鬱病が本当に辛そうだった。体調のいい時に始めたバイトも、体調が悪くなると寝込んで欠勤が続き、辞めることになった。「パン屋バイトに受かった、楽しみだ」と言っていたが、最終的にそれも辞めることになった。大学も然り、留年中退となった。「どうして、自分はこんなに他の人ができることができないのか」と悔しがった。

俺は大学4年生の夏頃までに就職内定をもらった。でも、周りの友達ほとんど大学院に進学予定で、自分就職選択が正しいのかどうかよくわからなくなっていた。そして、大学院に進学すると遠距離恋愛をさらに2年続けることになる。彼女電話で悩みを打ち明けると「試験、頑張りなよ!」と応援してくれた。後2年待ってくれそうな気がした。大学夏休み院試勉強に充てて、試験合格をした俺は、彼女に結果を伝えた。喜んでくれた。内定していた会社には、内定辞退の謝罪をしに行った。

その年の暮れ、俺は年末年始首都圏の親戚の家で過ごさせてもらえることになり、どこかに遊びに行こうと彼女を誘った。俺はインドア派でどこかに行きたいとかはなかったから、行きたいところはないか彼女に聞いた。彼女は「109正月セールに行きたい」と言った。初めて入った109想像していたより狭かった上、外は大行列で中は大戦争だった。朝からセールにいき、昼に食事をしながら「正月セール、やべーw」と2人で笑い合った。

つのからか、「(俺が学部卒業して就職したら)もうすぐ頻繁に会えるようになるね」という話題もなくなり、二人の会話がトーンダウンし始めて、とうとう「別れよう」と言われた。院進学の判断をしたのは俺だったし、彼女は明確な意思を持って何かを話す時、結構頑なな人だったから、あまりとりつく島がなかった。そして別れることになった。

それからも俺は彼女と連絡をとった。2年間の博士前期課程を修了後、就職首都圏引っ越した時も、一緒にどこかに遊びに行った帰りに「もう一度付き合わないか?」と聞いた。でも、断られた。それから、お互いに新しいパートナーができたりして、少し疎遠になった。ご飯を食べに行こうと何度か誘ったこともあったけど「行きたいんだけど、体調が悪くて」と断られた。「流石に空気読めよ」って話だったのかもしれないし、本当に体調が悪かったのかもしれない。今から思えば体調は悪化していたのかもしれない。でも、もうわからない。

彼女は、口数が多い方ではなかった。でも、話せば沢山考えていることがわかった。人を蔑んだりすることなく、性格は優しかった。笑顔は素朴で屈託がなかった。俺は彼女の書く文章も好きだった。memorizeとかを昔やっていて、ブログとかでは読みやすくて書き慣れた感じの文章を書いた。何よりこんな俺の稚拙増田とは比較にならないくらい筆に勢いがあった。

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闘病生活お疲れ様。あの頃、俺は君に夢中だったし、手を繋いでデートできるのが本当に幸せだったよ。優しい笑顔文章ありがとう

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合掌

anond:20230529171118

理系エリート恋人がいないというだけで弱者男性を名乗り始めるぞ。

トヨタ内定してるけど恋人いない歴=年齢なので弱者男性です」とか言われて納得できるか?

2023-05-28

俺の会社の風通し

まず新卒入社する1か月前くらいに社内ポータル

4月入社予定のみなさんをご紹介します』

とか言って総務部からのお知らせがくる。

入社予定の内定者数名の生年月日・出身地学歴趣味・特技などののプロフィール顔写真付きで載っている。

例年、そのお知らせが来ると誰かがそのプロフィールを全部カラー印刷する。

で、フロア人達仕事の手を止めて内定者を肴にやいのやいの盛り上がる。

このときイケメン体育会陽キャのどの属性にも当てはまらないタイプ男性内定者は結構酷いことを言われるハメになる。

たとえば「こいつストーカーしそうだなあ笑」とか。

残念ながら、この品評会でディスられた内定者は、もうその瞬間、入社後にあまり良い会社生活が送れなくなることが確定してしまう。

ちなみに、陽キャ内定者も完全に安心できるというわけでもない。

たとえば、

社内でポンコツという悪名が轟いてる社員大学学部趣味部活なんかがドンピシャで被ってたりなんかしたら、その時点で目をつけられる。

ワンダーフォーゲル部来ましたねえ笑これは危ないですねえ笑」

かいう感じに。




で、品評会参加者それから喫煙所とか飲みの場とかで内定者の印象(勝手にこさえた悪い印象)を

「いやあなんかあの子ダメそうっすよ笑。少なくとも俺はダメだと思う笑」

とか他の社員に各々面白おかしく伝えるので、

4月1日には『可愛がられる新人』と『被差別扱いを受ける新人』の仕分けが済まされてしまう。

研修終わって配属されたら、被差別新人はもう最初から冷遇される。

一応最低限の本当に最低限の仕事は教えて貰える感じだけど、

業務中、前述の意地悪なタイプ社員たちから一挙一動を観察されて、

ちょっとキョドったり電話で変な言い回ししたりしたら、

毎日その情報が裏で共有され

あいつやっぱ変笑」

となる(基本的にうちの会社って忙しくないんだわ)。

で、

こういうカースト関係してくる情報に裏方の若い女社員は過敏だから

その新人サポートする事務仕事とかをキモがって消極的になる。

こうなるともう全部悪循環

「なんか例の人(=新人)、〇〇さんになんかしたらしい笑」

「よくわからないけど、めっちゃ怖がってた笑」

めっちゃフワッとした情報で要注意人物化される。

周りの社員新人となるべく関わらないようにしようとするから

新人仕事報連相で誰かにしかけたら周りの空気が張り詰めたり、

しかけられた人がめっちゃ冷たくあしらったりという光景がお定まりになる。

はっきり言って詰み。

周りの評価が初っ端からマイナススタートってハンデ背負ってるに等しい状況なので、

まだ仕事全然からないのも当たり前なキャリア最初期にもかかわらず、「ノーミスしか許されなくなる。

当然新人は人並みにミスする

→でも周りは必要以上に厳しい反応をする

→変なあだ名をつけられるようになる

→下っ端同士のマウント合戦など知る由もないオッサン管理職は周りの評判を真に受けて、オッサン管理職からの評判も悪くなる

こんな感じで、入社1年足らずで新人はいよいよ完全に詰む。

まあそれでも辞めはせずに勤め続けるんだけどね。

カレンダー通り休めるし、入社20年目で自動的年収700万くらい貰えるような会社から

「心当たりがないのに周りから賤民扱いを受ける」という理不尽な事例はうちの会社では日常茶飯事だ。

ちなみに俺は毎年春に繰り広げれれるこのマイルドイジメと淘汰を見て見ぬふりをしている。

罪悪感はあるが責められる筋合いはないと思ってる。

そういうカーストに追いやられた新人悪口には加担せず苦笑いを浮かべるまでにする、

挨拶無視しない、

質問とか相談されたら平等に応対する、

という自分なりの倫理を俺は守っているので……。

風通し最高の人間関係ホワイト企業を見つけ出したたった1つだけの方法

新卒入社した会社転職で移った会社、どちらもとにかく人間関係最悪なブラック企業だった。

病む人、病んでる人がとにかく多かった。

お客様には家来のようにへりくだり、その分、仲間同士でパワハラや足の引っ張り合いをする。

誰かがクソな客の愚痴を言おうものなら「お客様文句言うなんて社会人としてどうかと思うよ?」なんて、社会人としてどうかと思うような苛烈パワハラをやってる社員が芝居がかった調子でピシャリと言う。

どちらの会社もそんな社風だった。

「もうこんな会社、愛想が尽きた。給料安くても人間関係ホワイト企業転職するぞ!」

そう決心した俺は転職するための目星を付けた企業に片っ端から電話した。

面接アポを取り付けるための電話ではない。クレーム電話だ。

営業部直通の番号がわかれば営業部に、そうでなければ代表番号にかけた。

オタク会社営業がさあ、サービスエリアでぐーすか寝てたんだけどどういう教育してんの?社会人としてみっともないよ」

無論、その会社のそんな営業マンを実際に見たわけではない。それどころか、その会社社用車看板であるかどうかすら知らない。

全くのデタラメだ。

100社くらいに電話しただろうか。

どの会社にかけても相手はとても申し訳なさそうに謝罪言葉と、指導を徹底するという言葉を返してきた。

そうすると俺はさも憤懣やるかたないといった感じで「もういい!!!」と大きな失望に苛まれながら電話をぶった切るのだった。

そんなことを繰り返してるとついに引き当てた。

俺が待ち望んだ反応をしてくる会社との邂逅だ。

「あーそうでしたかあ。サービスエリアでしたよね?」

「そうだよ(怒)」

「うちの社員が車でずっと寝てて……そのせいで車を停められなかった?とか?」

「そんなこと言ってないでしょ(笑)社会人としてどうかって言うことだよ。みっともないしょうがあ。仕事中にハンカチ顔に乗せて足組んで寝るなんて、あなた社会人としておかしいと思わないんですか?」

「うーんどうですかねえ(笑)外回り営業自分判断で昼休憩とったりしまからねえ。休憩時間中はまあ昼寝してても自由ですし(笑)

「ねえ、あんたそれ本気で言ってるの?オタクをさあ、そういう会社だと思うけどいいの?」

「いやあ、まあそういう会社ということなんですかねえwwwそれに~、体調悪くなって車停めて休んでたって可能性もありますよねえ(笑)

「もういい!!!

ガチャ切りするやいなや俺はガッツポーズを繰り返した。

ホワイト見っけ!!!ホワイト見っけ!!!混じりっけのないホワイト見っけ!!!見っけっけーーーー!!!!♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪』

即興作詞作曲したオリジナルソングを激唱しながら俺はその会社への選考応募を心に決めた。

翌月俺は恋焦がれたその会社へ運良く内定をもらった。

目論見通り、そこは俺が望むとおりの、想像したとおりの社風のホワイト企業でノンストレスで働けている。

電話相手ってもしかしてこの人だったんじゃないか?」

あのとき受話器から伝わった声色とか雰囲気などの記憶からかにそう睨んでる同僚が3人くらいいるかど、確かめる術はない。

入社前のクレーム秘話カミングアウトすることは恐らくないだろう。

anond:20230528223357

甘やかすも何も経営者のやることなんて基本搾取だろ

尻尾振って靴舐めて内定取ったくせに後出し文句タラタラってさあ

どんだけ舐めてんの

anond:20230528121739

それは本人次第だと思う。工業高校には一部上場企業からも沢山求人来てて、そのうちの1社から内定もらって働いてます

ただ、当時の同級生たちは「ここは面接だけでOKから、ここに決めたぜ!」みたいな感じで零細企業就職先決めてた。(そして数年後業績悪くなって倒産

大手への就職大卒の人ほどではないけど、複数回面接筆記試験があった、これをクリアできるなら高卒でもやっていけるよ。

がんばれ!

2023-05-27

anond:20230526212234

1983年まれ(06卒)の就職内定率は95.3%

ちなみにバブル崩壊後のいわゆる氷河期世代最低値が00卒91.1、リーマンショック後最悪の数値を叩き出した11卒が91.0

あんたが就活失敗したのは氷河期だったからじゃないよ、とだけ指摘しておくわ

財閥総合商社っていつからハイスペしか入れないようになったんだろ

父親イニシャルMのとこに勤めてた。部長まで行って子会社の重役をやってる。

巷でささやかれてる総合商社社員超人ハイスペ像を伝えたら呆れてた。

「みんなそこらへんのふっつーの人達だよ」

そりゃ皆ほぼ東大一橋早慶出てるけど、早慶はどんな人間でも3年間頑張れば入れるだろ。

体育会の主力?この世にどれだけいると思ってんだよ。あと俺、運動部なんて人生でやったことないぞ。

平均睡眠時間4時間で何年も元気に働けてる?人体はそんなふうに出来てません。皆適当に工夫してどっかで寝てます

皆背が高くて顔が良くて女にモテて……いや、お父さんを見ろよ。




でも俺は信じていない。

リクルート就活を仕切るようになってリクナビのおかげで東大からFラン生まで似たような就活情報を共有するようになって激化した結果、

総合商社社員の若手社員父親が鼻で笑うようなウソっぽい超人連中ばかりが内定するようになってるんだと思ってる。

推しがいないと作品への愛がないと言われながらオタクをやってきたが

この度エンタメ業界への内定が出た

数ヶ月後には作品を世に出す側になる

一方、作品への愛がないとご高説を垂れたオタクたちは今も推しを巡ってTwitterケンカしてる

やれ、対立キャラや対抗カプへの嫌がらせ、気に食わないスタッフへの悪口解釈一致と叫びながら妄想Twitterに書き殴って何かした気になってる

ハァーーーいい気味!!

2023-05-26

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 3/3


4. 人生の敗北を味わったこ

 不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記キャプテン君が住友商事内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。

・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会部活挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。

・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。

三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。

 この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって人間関係の構築だって頑張れる人だった。

 いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。

 もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいかコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。

 今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能だってある。毎年、戦々恐々だ。

 今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、今でも試しにそれを蹴ってみることがある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。

 キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。

 第一志望の企業不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。

 春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。

 俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシート筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。

 志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。

 相手面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっとゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生アドバイスまでしてくれた。

 後日、大学パソコンログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。

 結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所引っ越している。

 この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。

 千亜子は、その年の初めから一気呵成就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子スチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。

 この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動サッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後単位を取り終えるあたりで躓いていた。

 フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。

 秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。

 もうすぐ最後インカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子キャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。

 店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。

 ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。

「千亜子さん酔うと暴走するよな笑」

「そういえばキャプテンさん、最近亜子さんにアタックしてる」

飲み会帰りにご飯に誘ってはったで。みんなが見てる前で」

「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」

 こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。

 惨めな気分だった。俺が千亜子釣り合ってないのは確かだ。内定した会社ランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。

 人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。

 千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学カフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。

 今日、そんな予感はしていた。サッカー試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。

 当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これから人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。

 当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶言葉ごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。



これで結びになる。

就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代社員もいた。

かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。

そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。

キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixi日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。

俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。

不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記ベースになってる。

俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。

就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。

・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルから就活サッカー恋愛もうまくいかなかった。

サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。

もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。

いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。

あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分否定したことになる。過去自分を裏切ってる。だからダメだ。

今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。

ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。

気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。

どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。

ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田ブックマーカーのみんなも幸せにな。

サッカーできるだけじゃ人生ダメなんだな 1/3


先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。

小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。

この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。

小学校中学高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分サッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。

高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。

それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。

大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。

俺という人間が落っこちきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダー彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。

俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学サッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。

これがまた凄かった。価値観大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社内定して、それで最後に、俺の彼女そいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。

俺がいい会社内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。

ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。

大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。

まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。

今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。

今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビサッカー試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。

それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってから体験記になる。



1. 高校大学に入ってから

 運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代全国大会活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハード練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。

 高校と違って、大学場合セレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。

 幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。

 大学回生までは順調だったかな。部活毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。

 本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカー一部リーグ活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこら学生と一緒のレベルだった。

 練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。

 勉強部活もマジメにやったつもりだ。普通大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せ大学生になったのだ。

 関西地区での試合だと、応援団チアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニング完璧だったし、要所要所で相手ドリブルカットして、俺が蹴り上げたボールセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。

 試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中チアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterLINEは当時ない。GREEmixi黎明期だった)を交換した女の子がいた。

 その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。

 体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。

 千亜子は、恋愛積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。

 交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活最後満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。



2. キャプテン君のこと

 三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大サッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちからしかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。

 それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。

 俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通アルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子マイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。

 ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。

 ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。

(注)

サッカーでどこまで相手接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカー試合を見ることがあれば意識するのも面白い

自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ

自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手接触しても反則にならない。。

ボールを狙った行為でも、真後ろからスライディングなどは危険行為とされる。

 そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカー活躍できるレベルにはないという意味だ。

 当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強サッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。

 キャプテン君の試合最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手ふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。

 レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかまししまい、さらイエローを食らって……しょっぱい試合になった。

 当時、俺はある意味キャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。

 ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。

 人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分言葉自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。

 続き

 https://anond.hatelabo.jp/20230526212235

2023-05-24

anond:20230524103906

内定ゲット(就職留年できないなら)>>高収入初任給でなく生涯年収、平均年齢×平均年収)>>雰囲気やりがい

やで。

2023-05-23

本当に藁を掴む家系だなって

叔父

世界に出てIBM勝負出来るのはうちだけだ!」

リクルーターに言われ、トヨタを強く勧めるゼミ教授の説得を振り切って富士通を選んだ叔父

【兄】

地域に密着した愛着ある商品作りをしたいから」

森永内定を蹴って雪印を選んだ兄。

【私】

間違いのない仕事を選ぼうと市役所に入ったが、職場結婚した旦那横領懲戒され離婚

私も職場を追われ、今は二交替の介護士

私は子供がいなかった事だけが救い。

もうこの不幸な家系は私で終わりにしたい。

2023-05-22

[]森永同点弾で首位神戸から貴重な勝ち点1。10試合負けなし「負ける雰囲気はなかった」来季加入内定宮崎リーグ戦デビューで好プレー連発

明治安田生命J1神戸1-1オレオレFC>◇第15節◇20日ノエスタ

オレオレFCが、首位ヴィッセル神戸引き分けた。前半26分に警戒していたFW大迫勇也に先制点を献上したが、後半22分、相手パスMF奈良田カットして、FW森永パス森永相手GKをかわし、落ち着いてゴールネットを揺らし、同点に追いついた。来季加入が内定しているMF宮崎リーグ戦デビューで安定したプレー披露。チームは10試合負けなしとなった。アウェイ3連戦最後となる次節は27日、名古屋グランパスと対戦する。

写真】後半22分、森永が同点ゴールを決める。

 同点に追いつき、森永サポーターの元へ向かって吠えた。後半22分、相手DFパスMF奈良田カットすると、すぐさま森永パス相手GKとの1対1を冷静にかわし、そのままゴールネットを揺らした。「負ける雰囲気は全くなかった。冷静に決められて良かったです」と森永試合後、今季9点目を振り返った。

 野河田彰信監督は前日「秘策を投入するよ」と話していた。その言葉通り、この日は来季加入内定MF宮崎ボランチで起用。DF一条MF村松と3ボランチ形成した。野河田監督試合後「守備的?ちゃうよ。3人でプレスかけて、カバーしながら、神戸の中盤3人を機能不全にしたかったんや」と意図説明した。

 大迫に決められた前半26分の失点は相手の早いクロス対応出来なかったが、それ以外はハイプレス神戸の中盤に仕事をさせず。大迫も前半に得点した以外は孤立し、下がって受けるシーンもあった。吉田孝行監督も「相手の術中にハマり、自分達らしさを出せなかった」と悔やんだ。

 DF岩田MFジュシエが負傷、GK松尾MF前田代表遠征中という中で宮崎デビュー戦で好プレー披露した。野河田監督は「やっぱり争わせるっていう意味でな。入ってくる隙間がないくらいのチーム状況にもならんと強くはなれへんから。また争いが激しくなっていくと信じてるよ」と競争激化に目を細める。

 戦術がハマり、チーム全体が良い立ち位置パスをつなぎゴールに迫った。しか勝ち越し点は奪えず、首位から金星は逃した。指揮官は「勝てんかったのは残念。まだまだ甘さもある」と指摘。森永も「チームの流れは良かったので、僕も含めて、勝ち切るプレーに繋げないと」と課題を口にした。

 ルヴァン清水戦を挟み、アウェイ3連戦最後となる次節は3位の名古屋と対戦。「ずっと負けている相手なので、次は勝利につながるゴールを決めたい」と森永20年以来、白星のない相手からのゴールと勝利を誓った。

MF宮崎(リーグ戦初出場に)「(スタメンは)水曜日試合後に言われた。緊張はなかったです。自分らしさを出せた時とそうじゃない時が激しかったので、(今後は)その波をなくしていけるように練習から意識していきたいです」

2023-05-21

anond:20230521151006

工業高校卒業したら就職するつもりだったけど採用試験のために愛知の某製鉄所の社員寮に泊まったら風呂場や食堂で聞こえてくる社員たちの話題風俗競馬パチスロしかなくて「ああ俺ここじゃ生きていけないわ」って悟って内定辞退した

結局専門学校を出て中小SIerしか入れなかったけどあのまま底辺ブルーカラーに組み込まれるよりは自分に合ってたと思う

[あと315日生きるフリーター日記

早稲田大学政治経済学部経済学科卒。

1年間就職浪人するも内定をもらえず現在人口30,000人の田舎町で塾講師ファミレス店員をして生計を立てているアルバイター

今日は一日休日な上に暖かいので夕方から釣りに行く。都内大手企業正社員になっていたらこんなのんびりとした生活はできないだろう。

未来と引き換えに現在ゆとりを失った友人と、現在ゆとりと引き換えに未来を失った俺のどちらが幸せなのかはわからない。

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