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はてなキーワード: メンタルクリニックとは

2018-06-11

人に迷惑をかけないのであればとっくに実行しているのに

この世とのしがらみが増えて気持ち悪くなってきた。

人に迷惑かけないようにいろんなことを考えて生きているけど、そろそろやめたい。

でもこんな感じになると思う。

「おい、あいつが担当してたこ仕事誰がやるんだ?」

すみません、妻が死んだので忌中引を申請します」

「困るなあこの忙しい時に」

「うちの娘がご迷惑をおかけして・・・夫くんにもなんといったらいいか

結果的にこうなるような妻さんだったのだから、うちの息子も家で気苦労が絶えなかったでしょうね。そういえばあんなこともこんなことも、今思えば息子が妻さんに言わされていたような気がしていたんです」

ものすごくエネルギーを使って集中さえすれば、止めるよりも続ける方がまだ迷惑かけないでいられる。

でも、何度も「早くやっておけばよかった」って思うことが繰り返し起こるし、

いつどうでもよくなるかわからないんだよなあ。

メンタルクリニックは1ヶ月先からしか予約取れない。

人生楽しいこともある牢獄だね。

2018-06-10

優生保護法あってもいいんじゃない

優生保護法強制不妊手術させられたと問題になってるけど時と場合とか人によってはいいんではないか

障害者ヘルパーやってるんだけど訪問してる障害者夫婦がどうもおかしい。

障害者の名をかたる自称障害者と言っても過言ではない。

精神疾患だということでメンタルクリニックから診断書もらって障害認定受けてるけど疑問を感じる。

嫁は鬱でしんどくて動けなくて家事が出来ないと障害者ヘルパー派遣してもらっているが

他の多くの鬱病の人はしんどくて動けないとずっと布団で横になったままなんだがこの嫁は「しんどくて動けないんですう~」と言いながらずっとTVゲームをしている。

いや本当にしんどかったらゲームも出来ないだろう。

ただの怠け者じゃないのか!?

旦那適応障害だと言ってるが気に入らないことがあればすぐに暴れて物を壊す困ったちゃんでこれはただの怒りんぼじゃないのかと思っていたらあるときメンタルクリニック医師が君は病気じゃないと診断書書かなくて障害年金や生活保護を受け取れなくて別のメンタルクリニックに行ったらそこの医師はすぐに診断書書く人ですぐに診断書貰えた。

で、この旦那もずっと嫁とゲームをしている。

しんどくて何もできないんですう~と言っているのだが部屋の中は通販で取り寄せたアダルトグッズがあちこち転がっていてしんどい動けないと言ってるわりに夜はセッ〇スばかりしている。

働くのはできなくてセッ〇スはできるとか都合のいい病気だな。

当然次から次へと子供が出来る訳なんだが育てられなくて施設に入れている。生まれてきた子には罪がないけど可愛そうだな。

何もしなくてセッ〇スだけして生きて民間人税金障害年金と生活保護受けて自治体は何をしてるんだ!なんだけど医師精神疾患ですと診断書出してるからには本当に病気障害に耐えて障害者作業所で頑張って働いている人と同じように扱わなきゃならんらしい。育てる気もないのに自分たちの自堕落の果てに次々と子供作って税金でそれを尻ぬぐいしなくちゃいけないんだからまれてくる子供可哀想だしこういう奴らこそ強制不妊手術したらいいのに。

2018-05-31

結局、しばらく会社を休むことになった

以前、こちらの投稿をした者です。

初めてメンタルクリニックに行ってみた

https://anond.hatelabo.jp/20180525162441

今回はその後の事を書きたいと思います。結果としては、しばらく会社を休むことになりました。

受診日の翌稼働日には、同じチームのメンバーうつ病と診断されたことを伝え、たまたまこ日課長が休みだったため、具体的な対応は翌日以降、となりその日は仕事がしんどくて早退しました。

その翌日は朝からしんどくて休み、昨日に当たるその翌日は遅れての出社となりました。昼前に到着したところ、すでにチームのひとりが課長に伝えてくれていたため、早速課長との面談、人事や部長にも伝わっている旨を聞きその後すぐに人事の方との面談となりました。もし休むことになった場合手続きアドバイスを貰い、その日の夕方産業保険医との面談をする旨を聞きました。ものすごいスピード感だ。やはり大手だけあってその辺の対応は下手な感じにはならないんだなーと。

この人事の方というのが、わたし会社入社するときの一次面接での面接官の方で、入社してからバックアップもして頂いていた大変お世話になっていました。知り合いな上、とても優しく話しやすい方だったのはだいぶ安心しました。お互いに部署は変わってご無沙汰だったのに、まさかこんな事で再びお世話になろうとは…(笑)

その日の通常の業務を汗ぐっちょり、憔悴しながらこなしつつ夕方から産業保険医との面談。症状をもろもろ伝えると「業務を続けていても上向くことはまずない、産業保険医意見としては休むべき」という話を受けました。

それを聞いて腹が決まったというか、自分意志としても会社休みたい、ということで関係者にその事を伝えました。

そしてその翌日にあたる本日、家のベッドに寝転がりながらこの文を書いてる、というのが事の顛末です。

この後の流れとしては、来週に控えている二度目の診察にて診断書をもらい、会社に郵送提出することで長期の休暇の手続きとなります。いつまで休みかは診断次第。

初めて診察してからまだ一週間も経っていないところでの休み決定。ドタバタしまくっていたためろくに業務の引き継ぎなど出来ていなかったため、まだぽいぽいメールを投げなきゃなーと思っています

昨日の夜は「やったー休みなんだ、安心した」とぐっすり眠れる事はなく、寝つきが悪かった上に夜の3時くらいに目が覚め、そのままあまり眠れず朝を迎えました。自分は療養の必要がある、ということを嫌でも感じています

休み中なにをしようか、あれこれ頭の中で思いつきはするのですが今はとても行動しようという気が起きません。時の経過が事態を良くしてくれることを期待しています

2018-05-25

anond:20180525162441

メンタルクリニックができることは、

仕事を休業するための必要診断書を書いてあげることと

症状にあった対症療法的な薬を処方してあげること

しかできなくて、

生きやすいように価値観をごっそり書き換えてしまうようなカウンセリングとかなんとか療法みたいなのは

お金時間をがっつりかけないとやってもらえないので、

まぁ、しばらくは様子見しかないよね。笑

始めてメンタルクリニックに行ってみた

前回、こちらの日記を書いた者です。

初めてメンタルクリニックを予約した

https://anond.hatelabo.jp/20180522222133

無事に(?)診察を終えたので、続きの投稿になります

予約を入れたクリニックは近所で徒歩10分もかからないところなんですけど、家にいてもそわそわしてまったく落ち着かなかったので、1時間前くらいに家を出てクリニック近くのファミレスに入りドリンクバー時間をつぶすという、まったく謎の行動をしていました(笑)

予約5分前くらいにクリニックにつくと、外観で見た感じよりも思いのほか綺麗で落ち着いた雰囲気でした。「ヒーリング系音楽が流れている」というような話を聞いていたんだけど、本当に流れてるんですね。

受付で事前に書いた問診表と保険証を渡し、しばらく待つと声がかかり木のドアを開けて診察室に入ることに。ここまで心臓がばくばくしまくってまったく落ち着きませんでした。

中に入ると机を挟んで話す感じのこじんまりとした個室、女医先生でした。

まり内容は覚えていないんですけどいないんですけど、問診票に書いてあることをベース自覚している症状を伝えたところ、結果として言われたことは「うつの症状と自律神経の症状が一緒に出ているように見える」とのことでした。

「とにかく精神的におかしくなってるところから何とかしたい(腹痛とかよりも)」と伝えたところ、軽い抗うつ剤から入って様子を見よう、次の診察は2週間後、ということになりました。

診察中は、変な汗が出まくるし言葉はうまく出てこないしでなかなかリラックスできませんでした。正直、意図しているところが先生に伝わったのかがあまり自信がないです…

これから自分はどうするべきなのか、がまだもやっとしています。週明けに会社の話しやすい人から打ち明けるべきなのか、思い切って休むべきなのか。土日を使って考えたいと思います

あと、診断書の話もなんとなくされたんですけど、よく理解できないまま結局貰わないことになりました。とりあえずください、って言っといた方が今後のためにはよかったのかな。

薬局抗うつ剤とあと整腸剤ももらい、せっかくなので(?)おくすり手帳を作って本日は終わり。

だいたいネットで調べていたことと結果が一致したので、あまり驚きはないのですが、これでやっと事実を受け入れられたのかなという感じです。

まずは様子見。ちょっとずつでもいいんで明るく元気に過ごせるようになるといいなぁと思う次第です。

人殺しの息子

まさかお前、童貞じゃないよな?」

…またか

酒を飲んでご機嫌な父を横目に、俺はどうやってこの宴会から抜け出すかを思案していた

2018年正月

その時の自分の体調はすこぶる悪かった

コミュニケーションのとれない中国人パートナーとそれ以上にソリが合わない日本人プロパーに挟まれ精神的なHPはとっくに0になっていた

休日はどこにもいかず寝たきり

音に対して過敏になった為、家はシーンとしている

ぶーん、と冷蔵庫の音が聞こえる

意外と冷蔵庫もうるさいんだな、と気づく

そんな状態での正月帰省は心休まる暇もなかった

いつ結婚するんだ、

もういい歳なんだから

あん結婚する気はあるんだよね?

、と

返事をするのも面倒になり、苦笑いでやり過ごす

苦痛しか感じられない宴会を抜け、

姉の家で時間を潰し、

実家に戻ったのは21時頃だった

リビングには母ひとり

面倒な父は2階で寝ているようだ

やっと一息つける、と思ったその時母が口を開いた

「おとうさんね、刑務所に入ってたことがあるんだよ」

意味がわからなかった

大学の頃に交通事故で人を死なせている、とか

保険業営む親戚が丸く収めて遺族に謝罪もしてない、とか

そんな過去を持つのに未だに山道を時速100kmで走る父とか、

結婚前に知ってたら結婚してなかったと息子に話す母とか、

もう何もわからなかった

とりあえず分かった事はもうこの家は俺が落ち着け場所じゃない、という事

自宅への帰路の中、車を走らせながらそう思った

関節が痛む

頭痛がする

動悸が治まらない

目が霞む

耳鳴りが止まない

人殺しの息子、か

駄目押しだな、と思った

もうすぐ正月休みも終わる

多分もう限界は近いだろう

クズの息子が出来損ないってのも道理だな

乾いた笑いを浮かべながら、ハンドルを握りなおした

もうすぐ休みが、終わる




そんな状態自分でもメンタルクリニックに行って最悪の症状は改善してきているので、みなさんも我慢しないで治療を受けてください

自分に合うメンタルクリニックを見つけるまで時間がかかるかもしれませんが、根気よく探せばきっといいクリニックが見つかります

2018-05-22

初めてメンタルクリニックを予約した

都内メーカーに務める30歳のサラリーマンです。

人生で初めて、メンタルクリニックに行くことを決めました。

なんか最近変だな、と感じる事が多くなったためです。フィジカルな点と精神的な点で思いつく限りあげてみます

フィジカルな影響

・とにかくお腹調子が悪い、緩い方。正常じゃない日の方が多いのがもう1年以上は続いてる。外でかなりヤバくなってトイレに駆け込むこともしばしば。

・朝と夜に耳鳴りがする。ゴーっていう低い風切り音みたいなのが数回

最近仕事で上手く喋れないことが多い。話し相手や内容にもよるけど。喉でつっかえる感じ。もしくは喋れてても意識が遠くなってくるというか、自分第三者視点で見てるようなぼーっとした感覚になる

・たまにまぶたがピクピクする

・呼吸が浅い、深呼吸すると苦しい

・動悸がする(凄く速いわけではないが、鼓動を自分で感じる)、仕事中の多くの時間、また朝目覚めた瞬間も感じる

・寝つきは良いが、朝目覚ましが鳴るよりも大抵早く目覚める。その後の寝つきは問題ない。

気持ちの変化

・とにかく仕事にやる気が出ない、タスクが溜まってく一方で焦りだけつの

トイレや社内のコンビニに行く時間が多い

・ぼーっとすることが多い。資料や本を見てもすっと頭に入ってこない、自分で書いたメモを見返しても訳が分からなかったりする

・土日に家で空いてる時間に、何かをしようという気が起きない。映画見たりゲームしたりは本来好きなんだけど「残ってる仕事があるのに遊ぶのはダメな気がする」という謎の観念邪魔をして、結局寝たりダラダラしたりで何もせず休日が終わる

・だいたい眠い。昼食はあまり多く食べたいと思わなくなった。さっさと済ませて残った昼休み時間は寝ていたい(実際に20分くらい寝てる)

・家で夜遅くお酒を飲みたくなる(タカラ焼酎ハイボールレモンが好き)、また夜食を食べたくなる機会が増えた気がする。

改めて見るといろいろあるなぁ、という感じです(人によっては、そんなもん普通だわ、となるのもあるでしょうか)が、もしわたしがこれを他人の事として聞いたら「お前それ絶対精神やられてるよ」とアドバイスするだろうなぁ、というのがメンタルクリニックに行くことに踏み切った大きな理由です。

あと、これらの事象についてネットで調べると、だいたい「それはストレスが原因かもしれません!」とかい記事がヒットするので、そうなら確かめてやろうやんけ、というのもあります

要因としては、まあ仕事ストレスだと思ってます。何度かやらかしてまして、上長からの信用を無くしてしまったのがひしひしと伝わってきてまして、まあやりづらい。自信も無い。そのくせ何くそと頑張るという気合いも出てこないんで、できないタスクが蓄積していく一方でその事を考えると気が沈む、という悪循環に陥ってる気がします。最近はろくな成功体験ができてないですね。

ほんでネットで探したところ、近所にいくつかメンタルクリニック心療内科がある事が分かったので、なんとなくめぼしいところへ勇気を振り絞って電話してみることに。どきどきしたー(笑)

電話に出てくれたスタッフの方は、たぶん40代かばくらいの女性で、「初診だけど予約したい」と伝えたところ、ゆっくりとした口調でとても丁寧に対応してもらえました。これなら大丈夫そう。

予約を取れる時間を教えて貰い3日後の昼過ぎと決める。症状はどんなかと聞かれたので前述した中からいくつか伝え(ちゃんと話せる自信がなかったので、わざわざ紙にメモしといたのを事前に用意し、それを見ながら伝えた笑)、名前を伝え、あと問診票を事前にホームページからダウンロードして書いといてもらえるとスムーズ、とのこと。しまします。

そんなこんなで無事に予約が取れたので、診察を受けてきます。どうなることやら、どういう判断になるのか、あまり想像ができません。何かしらいい方向に進むといいなぁ。

あ、どうでもいい上にまったく関係ないことなのですが、明日わたし31歳の誕生日です。年々イベントごととしての重要さが自分の中で小さくなっていくなぁ。これが歳を食うということでしょうか。でもお祝いしてもらったり、プレゼント貰ったりはとても嬉しい気持ちになるのは変わりません、感謝感謝

以上です。続きを診察後に書こうと思います

2018-05-13

ハタチ過ぎたら大人だと思ってた

私が10代の頃に、大人たち─塾の先生、先輩、憧れていた芸能人はそう、笑って言った。

大人になれるんだと思ってたんだけどさぁ、何にも変わらないんだよね。

またまたぁ、と私は返した。実際、ハタチ過ぎれば酒もタバコも解禁されるし、専門や短大出身の人は社会人になるし、大学生も3、4年になればゼミ就活が始まる。それは10代の私からしたらとても大人なことだった。旅行が好きな私は、旅行に行く度に親の承諾書旅行代理店に出さなくていいのもとても魅力的だなぁと思っていた。

私の知っている「ハタチ過ぎても大人にはなれない」と言う人は大抵笑い話としてその話をした。でも確実に彼らは成人としての自覚を持っていたし、バーだったり、シーシャだったり、ちょっとお高いレストランだったり、私の知らない贅沢の仕方を知っていた。仕事バイトで稼いだお金を持っていて、自立しているように見えた。


21歳になった今の私はどうだろうか。

大人にはなれていない。

笑い話にも出来ない。むしろ部屋の隅で膝を抱えて泣くくらいには大人ではない。

大学にはあまり通えてなくてボロボロ単位を落とすし

そのことで親を泣かすし

もうしばらくアルバイトにも行けてない

日に日に減る預金通帳の残高を見ては焦燥感に駆られる

部屋はいつもぐちゃぐちゃで

その変にカップ麺の空き殻やペットボトルが転がっていて

ゴミの日を何度も逃すし

風呂に入るのにもとてつもない労力を必要とする

朝は目が覚めるのに起き上がることができない

今日は1日何していたのと聞かれても答えられないくらいには記憶がない

とても大人ではない。いやヒトですらないのかもしれない。

私がヒトでない間にも友達は外に出て、遊んで働いて学んで社会に出るための準備をして、着実に大人になるためのステップを踏んでいる。いつしかしんどくなってSNSを見るのもやめた。そうして部屋に引きこもって、たまにどうしても出なきゃいけない時には、マスクをして背を丸めて早足で誰にも会わないように、見られないように街中を歩いた。

こんなの、10代の私が想像していた大人じゃない。部屋の隅で何度も泣いた。幼子のように声を上げて泣きじゃくった。こんなはずじゃない。こんなはずじゃないのに。

でもしばらくすると涙も出なくなる。私一人くらいいなくたって何も変わらないよなぁと、包丁を取り出してみたり、荷造り紐を輪っかにしてみたり、岬までのルート検索をしている自分がいた。

おかしいなと思った。

高校までの私はとても綺麗好きだった。

外出前、寝る前には部屋を綺麗にすることが当たり前だった。

学校サボるなんて怖くて実行出来なかったし、

真面目だね、責任感が強いねと言われることが普通だった。

まあ、たまにネガティブになることはあるけど、こんなに死ぬことばかり考え続けたこともなかったんじゃないかな。

コドモの間でも出来ていたことがハタチ過ぎて出来なくなるってどういうことだ。

心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらいに緊張しながら、メンタルクリニック電話して、予約を取って、診察室に入った。

鬱だと診断された。

こんなに簡単に鬱だと言われるものなんだなとそわそわした。

今は薬を飲んで、劇的に何かが変わる!って訳でもないけど、家から出るのにまだまだとてつもない気力がいるけど、なんとかヒトモドキからヒトに、大人になろうとしている。

10代の私へ

あなた想像していた大人にはなれていません。タバコだって吸えないし、酒は一杯でしんどいし、お洒落な店とか知らないし、日常生活を営むことだってものすごい疲れる。想像していた、憧れていた大人には程遠いものです。でもいつかは大人になれたらいいなと思います。過度な期待はするな。

2018-04-10

精神病んだ

対策を教えてほしいです。

プリントアウトして適当メンタルクリニックGOでしょうか。

投薬は怖いですが先入観なのでプロ判断に従っておけば良いのでしょうか。より精神を止むのではないか心配です。

以下は主な症状です

・あらゆるもの(持ち物、人との関係、職、金銭、今後の人生など)を手放したくなる

恋人(唯一濃い関係を維持している)に裏切られないか異常に心配、あるいは近いうちに裏切られるに違いないと決めてつけてしまう(その苦痛から逃れるため関係を断ち切りたいと頻繁に考えるが、同時に依存しているため絶対関係を断ち切りたくない)

自分が関わる人や物の大半に迷惑をかけたり、悪い方向へ導いてしまうと思い込んでしまう。あるいは実際にそうしてしま

二度寝やだるくて動けないなどの理由から遅刻や当日欠勤を繰り返してしまう(毎年有給を使い切るが、奇跡的に欠勤はゼロ)

・緊張性頭痛が慢性化

・まぶたの痙攣が慢性化

2018-04-07

もし、メンタル異変が起こったら悩まずに病院に掛かれという話

(身バレなどを防ぐために一部フェイクが入ってます。)

前史

2012年頃、大人の発達障害者への治療薬が適用になったこと、発達障害話題となったことがありました。その当時、ネット発達障害チェックをうけると「その疑いが強い」の判断があり、

自分発達障害であるのかど強く悩み、予約不要メンタルクリニックを行くことがありました。しかし、そこの病院は大変に混雑していて、当時は相談することを断念しました。

そもそも冷静に考えてみたら当時の私にはいろいろな抵抗感がありました。

こうした経緯からその当時はそのまま放置してしまいました。

『よりもい』をみて受診決断

しかし、今年の1月末頃『宇宙よりも遠い場所』の主人公の玉木マリの「何かをしたいけど一歩踏み出せない」という人物像に共感を抱くようになり、次第に作品に嵌まるようになりました。しかし、彼女たちは南極へ行きたいという夢を実現するのに自分は余りに変わらない事に愕然として、次第に深酒をしないと眠れず、毎日耐えられない不安に襲われるようになりました。

しかし、最初うつ病を疑ったこともあり、律儀に二週間様子を見ようと思ったことと繁忙期だったこともあり実際に病院への受診決断したのはさらに一月遅れることとなり、2月20日病院電話をして、5日後に受診の予約を取り付けました。

半年前にあった伏線

こうした状況になるおよそ半年前の昨年8月に遡らなければなりません。絵を描くことが趣味だったこともあり「1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える」という経営コンサルタント大前研一の言を間に受けてSNSフォロワーをがらりと変えたことがあったのです。しかし、彼らの素晴らしい実績を裏腹に自分は何も変わることも無く、ものすごい物をインプットし続けて次第に疲れていったのか、時間けがいたずらに過ぎていく日々が過ぎ、夏コミの本を整理していると「もう半年経ったのか」という時間の経過に愕然とするようになりました。

受診

先生普通に白衣だろうと思っていたのですが、普段着だったことに驚きました。ただ、そこの病院は正直その先生の物腰は優しいのですが、しばしば話が噛み合わず「あった先生」とは言えませんでした。そこの病院先生が一人で臨床心理士が居なく発達診断の診断は出来ないので他の病院を探してくれ(おいおい紹介しないのか?)と言われる始末で、自分で今度受診する病院を探し、二ヶ月後に予約を取り付けましたが、それでも、抗不安剤睡眠薬で随分私を救ってくれました。

紹介状

今回、精神科医療における一番のハードルは親でした。すぐにキレる。お前は生きる価値がない等の暴言を繰り返す親である以上、病気への理解が全く皆無であるしか思えなかったのです。診療秘密にして自分お金だけで受診をすることを本気で検討したこともありましたが、治療費を考え断念したこともありました。先述のメンクリ先生に(親の説得材料に)「診断書出してくれ」といっても「紹介状あるんだからいいだろ」の一点張りで結局自分カミングアウトすることになり、それが一番のハードルでしたが、もともと思い当たる節があったのか、案外優しくむしろ繁忙期に病院に同行する事へのいらだちの方が多かったのです。

結局、自分だけで悩むと1年以上時間無駄にしてしまいました。生きるのは厳しいかも知れませんが、しかし手を差し伸べれば差し伸べてくれるだけの手はあるのです。もし、今後(治療方針検査など)が不安というならまず近くのメンクリ抗不安剤だけ貰うというやり方もあると思います検査は25日でまだ自分がどういう精神状態なのかが解りませんが、一人でも多くの人が救われることを願っています

2018-03-28

anond:20180327171705

彼女全力で逃げてーーー!!

元増田は一刻も早くメンタルクリニック行ってくれ、怖い

2018-03-13

ADHDだった

朝があまりに起きられなく、メンタルクリニックに行ってきたらADHDだった。

・部屋片付けられない

時間が守れない

段取りが苦手

・身だしなみがちゃんとできない

上のような特徴があるけどADHDの特徴としてあるのは知ってたし当てはまっていたけど、座ってられない等の多動の特徴がないから違うと思っていた。

疑いようもなくADHDだと言われ腹落ちしたのは多動は出ない人も多いそうだ。

・やる気がでない

・友人や彼女と長い付き合いが苦手

愛想笑いが上手く表面的な付き合いが得意

これもADHDの特徴だそうだ。

自分なりに解決しようとしてたけど、結果無理だったことが原因がわかってよかった。

明日から薬飲み解決に向かうといいけど。

2018-03-03

メンタルクリニックに予約してしまった

正直、どうなるのか予想もつかない

2018-02-24

これは何と呼ぶべき現象なのか知りたい

精神的に疲れてるときときどき起こるんだけど。

目や手指を、紙で切られそうになって身体がすごくもぞもぞする。

実際にそうされたりしているわけではなくて、そうなりそうな感触がその部位に起こって、怖くなってしまう。

(本当はこれを書くのも怖くて、書いた瞬間またしばらくもぞもぞしてからキーボード前に戻ってきた)

一度メンタルクリニックに「幻覚が見える」ということでかかったのだが、「いつからですか? おとといから。ハッ」みたいな感じで一笑にふされて相手にされなかった。

治し方も忘れ方もわからず(これは前にもあって、でもどういう状況で治ったのかが思い出せない)、単に休めということかもしれないが、どうすればいいんだろう。

大きいストレスとしては、つい数日前にペットが亡くなった。原因もなんとなくわかるんだが、とにかくこの幻覚を消したい!

いい方法があったら教えてほしい。

2018-02-13

俺、メンタルクリニックに通うのやめるってよ

半年上通っていたメンタルクリニックに行くのをやめました。

病院のせいではなく、自分心の問題で。

通院のきっかけは仕事でした。

転職した会社に馴染めず、上司の言うように行動できなくて、自分が全く使えない人間だと思い知らされとんでもなく憂鬱になり、30代のおっさんのくせして毎晩泣いたり、「死にたい」と呟くようになって、さすがにしんどいと心療内科受診を決めました。

ちなみに病院漫画でアレしたことで有名なあそこです。

待ち時間は長かったけど、話をしっかり聞いてくれてとても良い印象のところでした。

診断結果はうつ病予備軍。安心したやらがっかりやら。

薬をもらって、毎週通うことになりました。

それから薬を変えたり増やしたりしましたが、自分の症状は良くなりません。

日に日に食事飲酒の量が増え、体重10キロ増。

通勤遅刻ギリギリになり、毎日飲まないといけない薬も飲むことが億劫になって放置する始末。

突然ゾワゾワした感覚に襲われるようにもなりました。

通院の効果を全く感じず、これは病気ではないのでは、と思い始めました。

自分がただただダメなやつなだけで、薬でどうこうなるものではないんじゃないのかと。

世の中には本当にうつ病で悩んでる人がいるのに、自分会社にも行けるし、ご飯もたくさん食べられる。お酒だって記憶を失うまで飲める。元気元気!

メンタルクリニックに通うのをやめました。「治す」のは不可能だと思いました。

この先ずっとこれと付き合っていきます

心が耐えられるまで。

同じようなことで悩んでる人がいたら頑張れ。頑張ってるつもりでも頑張ってないんだよ。

まだまだ頑張れるよ。頑張れ。

2018-02-03

https://anond.hatelabo.jp/20180202134232

元増田。一部コメントへの返答的なもの

2018-01-23

私と鬱と伊瀬谷四季くん

私は今年鬱になった。

そういうと大げさに聞こえるし、実際はそんなに大げさなことではない。ただ、ちょっと薬に頼ってしまっただけ、くらいの感覚

私は今年社会人1年生だ。4月から箱詰め研修でそのあと勤務先に配属になった。がむしゃらに毎日働いた。働いて働いて、毎日失敗して、怒られて。いっぱいいっぱいだった。途中で耳が聞こえなくなったりもしたけどそれはなんとか乗り越えて、仕事に慣れてきた頃、仕事で独り立ちすることになった。

独り立ちしてからが本当に地獄のような毎日だった。

自分ではしたつもりの確認が全くできてなくて、本当に毎日ミス連続毎日毎日失敗して、その度に上司に怒られる。「ちゃんと確認しろ」分かってるのにできていなかった。そのうち自分ミスを聞くたびに泣くようになった。会社事務室で人が見てるのに涙が止まらなくて、会社に行くのが怖かった。「教わってないから知らなかった」と言うと、今度は先輩に疎まれるようになった。自分言葉選びが下手で、余計なことを言ってしまうみたいで、上司からも変な目で見られるようになってある日、社会人採用の同期に呼び出された。「仕事舐めてんの?」同期にそう言われて私の中の糸がプッツンと切れた。

その日家に帰ってから、何もせずに布団に入って泣いていた。死にたいと思うどころか何も出来ない。だって起き上がれないんだから会社たまたま休みだったから次の日は夜までずっと寝てた。ツイッターだけは出来たか死にたいって呟いてた、起き上がれないって。病院に行けと言われたのでそのまま近場のメンタルクリニックに手当たり次第電話して生まれて初めて精神科の予約を取った。

精神科の予約の日は先だったが、ふと思ったことがあった。「もしかしたら自分ADHDなのではないか?」

インターネット検索するとすぐにADHDチェックリスト発見することができた。読めば読むほど自分に近い。当てはまっている。それはすごく単純なことで、たとえば貧乏ゆすりが激しいとか、物事の順番がわからないとか、まさしく注意力の欠如だったりとか。声が大きくなったりだとか、言葉が詰まったりだとか。ああそうか、自分障害を持って産まれてきてしまったのか。それは自分にとって妙に腑に落ちるものだった。

病院では抑うつの薬を貰ったり睡眠薬を貰ったりして、まあそれなりに回復は出来たと思う。ADHDかもしれないと相談をしたらチェックをしてくれて、十中八九……みたいな反応をされた。しかし実際に治療をするには莫大な時間と金がかかるらしい。障害はいADHD個性で、特性。もちろん治療をしないという選択肢がある。自分には金も時間もなく、薬のおかげで前よりは会社に元気に行けるようになってからは心に小さなわだかまりを残しつつも、そのことは考えないようになっていた。

そんな時だったか8月くらいにアイドルマスター SideMアプリ配信が始まった。Mマスは2年くらい前にハマってたけどそのあと忙しくて放置しててそのまま、な不真面目なプロデューサーだったのだが、アプリくらいはと思いダウンロードはすることにした。推しが踊るのはすごく楽しかったのだが、夏〜秋くらいはゲームをやろうという体力もなく他のゲームもやってたりして入れて少しやって放置、していたと思う。

Mマスはアニメも始まっていたが推しユニットはセカライ組だったためいまいちやる気が出ず、録画だけして2週間くらいは貯めていた気がする。

そのくらい不真面目なPだったのだが、暇なときにふと Mステプレイしていて気が付いたことがあった。

「伊瀬谷四季くんってこんなに可愛かったっけ?」

びっくりしてしまった。もともと四季のことは好きで、ファスライsr+は1番に彼を取った。でも、こんなに可愛かったなんて気がついてはいなかった。踊るとすごく可愛かった、見たことない表情をする四季に何故だか興奮が止まらなかった。

アニメを見よう……そう決心して見始めた一話で号泣した。これは、素晴らしいアニメだ。四季くんも出るし、ちゃんと見よう、そう決めた。

ぼんやりとそんなことを考えながら生きていたある日のことだ。たまたまモバMの方にログインしたら、四季くんが上位のイベントが開催されていた。

私はそのときすぐに直感した。

「この四季くんを取らなかったら、私は絶対に後悔する」

決めてからは早かった。先輩Pに連絡して走り方を教わってカードを借りて、もうスタパの発売は終わってたかゲロまずいと言われながらもPエンパックを買った。それからはひたすら毎日プレライを殴っていたと思う。殴る間も四季くんのことを沢山考えた。がむしゃらに殴って課金してなんとかメガクマックスの四季くんを手に入れる頃にはすっかり私は四季Pだったと思う。

四季くんの笑顔は私に勇気と元気をくれた。メガクマックス四季くんが信頼度maxになると私で元気をチャージしてるという。むしろこちらの台詞だ。そもそも四季くんにしょんぼりすることなんてあるんだろうか?あったとしても一瞬で忘れちゃいそうだな。そう思ったときにふと過去雑誌四季くんを思い出す。営業の時に見た四季くんの台詞を思い出す。

「この子は意外と自分に自信のない子だ」

四季くんの過去雑誌過去イベントそれから必死で全て読み漁った。四季くんはいつも元気でまっすぐで他人迷惑をかけてしまうことはあっても、いつも一生懸命だ。眩しかった。四季くんが本当に眩しかった。何故か?それは私も自分に自信がない人間からだ。

アニメハイジョ回が放送された後の夜、次の日5時起きで出勤なのに眠れなくて、ベッドの中でずっと泣いていた。青春リミットなんて言葉、しきくんには1番似合わないのに四季くんにピッタリの言葉だ。四季くんの寂しそうな笑顔が脳裏に焼き付いて離れなくてずっと泣いてた。勝手に涙が流れてくるから。そのあとナオミの部屋で八代さんの笑顔を見てなかったら眠れなかったと思う。

四季くんのプロデューサーなんだと思って生きる毎日は本当に楽しかった。四季くんが好きで、ナンジャに行ったりアニオンに行ったりする私はいつも明るくて笑顔だった。知らないプロデューサーさんに話しかけて仲良くなったことまであった。私が四季くんになったみたいに笑顔でいられて幸せで仕方がない。

そうやって毎日四季くんのことを考えて生きていたらふと気がついたことがあった。私と四季くんって似てるかもしれないなって。

メンヘラ女に似てるって思われてる四季くんは可哀想だけれど、本当にそう思ってしまった。自分に自信がないところとか、後先考えずに突っ込んでしまうところとか、ちょっと空気が読めなそうなところとか、いきなり大声出しちゃうところとか近いものがあるかもしれないなと。でも私と四季くんは頂点に立つキレイでかっこよくてキラキラで人気者な男の子底辺メンヘラ女だから全然違う。私と四季くんの違うところはなんだろう。

そう、四季くんは私みたいに自分の自信のなさをマイナスに捉えないのだ。

どんなに自信がなくても、失敗しても頑張るぞ!って前に進むことができる。四季くんはハイパーネガティヴなのに、ギガテラMAXポジティブなのだ四季くんが私に力をくれるのは、私と同じなのに私と全く違う、私の生きる目標みたいになり始めていたからだと思う。

四季くんのことを思い始めてから、キツくて薬を飲む回数が減った。何故なら私の目標のような存在がすぐそばにいてくれるようになったから。事務所に行って四季くんの笑顔を拝むたびに、私もこんな風に笑えるように頑張ろうって踏ん張れるようになった。私のような存在四季くんと同じなんて烏滸がましいけど、それが私に何よりも勇気をくれた。毎日を進む力をくれた。どんなに辛いことがあっても、四季くんみたいにがむしゃらに前に進もうと思えるようになった。

から、この一年で気が付いたことをひとつだけ、最後に伝えさせてほしい。

鬱病にはサインバルタより四季が効く

2018-01-06

精神科病棟身体拘束された話

せっかくの経験から、伝えようと思う。

2年くらい前まで入退院を繰り返してた。

中高生時代にも子供精神科に通ってたけど、高校卒業を期に、いったん精神科卒業した。

けど大学生活のストレスで再発した。

私がお世話になった病院精神医療専門病院で、なおかつ建物が新しくなって間もなかったのは、とっても幸運

鉄格子なんてなかったし、建物ボロボロや不潔でもなかった。

大学一人暮らしをしてたある日、何故か包丁を持って外にでようとしてた。やばいと思って近所のメンタルクリニックに行ったら即病院に紹介されて、受診したその日に入院が決まった。

はじめは保護室という部屋に入れられた。

窓はなくて、トイレとベッドだけがある、施錠された個室。分厚い鉄扉についた小さなから、1時間に1回看護師さんが様子を見にきた。

部屋が真っ白で、ベッドに寝転んで天井を見上げるしかすることなかったから、いまでも白い蛍光灯は苦手。

何も持ち込めず誰とも話せず、孤独で辛かった気がする。

数日様子を観察されて、解放された。

4人部屋に移った。

入院の際にコード類や携帯没収されてるので、音楽も聴けなかった。外部を遮断できるツールが使えないこれが一番辛かった。みんな顔死んでるけど。

病棟内でも保護室エリア一般エリアは区切られてて、一般エリアは以外と静かだった。騒いだり奇声を発する患者保護室に入れられてるから

ご飯は食堂で一斉に食べた。毎回暗黙の席取り合戦がある。勝つために時間がきたら早く座ってた。

どれだけ食べたかももちろんチェックされた。

主治医許可がでて看護師さんに言えば、1日に1回だけ売店に連れていってくれた。何買ったかはもちろんチェック。甘いもの好きだけど、買いすぎると怒られた。部屋に持ち帰ってこっそり食べたりした。

辛かったのは看護学生が実習で来てたとき

私と同い年くらいなのに立派だな、と思ったし劣等感爆発した。大学に行ってたはずなのにどうして今こんなところにいるんだろうって。病室の窓から大学が見えるのが、余計に悲しかった。

入院生活は暇すぎた。

テレビ見るか、作業療法行くか、塗り絵するかくらいしかなかった。

病棟に同年代なんていなかった。

それでも主治医毎日顔を出してくれて嬉しかったのは覚えてる。

一度、持っていたタオルで首を締めることがあった。一応看護師さんに軽く報告してタオルは預かってもらった。

そしたら当直の医師に伝わってしまって、保護室連行され身体拘束された。

両手首・両足首・胴体の5箇所をベルトでベッドに固定され、ピクリとも動けなかった。

おまけに血栓防止ストッキングなるものを履かされ、めちゃくちゃ痒かった。

ぴっちぴちのメディキュットもどき

痒くても掻けない。

トイレ自由にいけない。

天井蛍光灯時計しか見るものがない。

拷問のようだった。時間が経つのが遅すぎて気が狂うかと思った。

私はまだ、見回りのタイミングベルト外してもらってトイレできたが、最悪オムツらしい。女子尊厳は守られた。

食事は胴体と手首のベルトが外され、ベッドの上で監視されて食べた。

翌日に主治医が来てくれて、もうしないことを約束して、その翌日に解放された。

あれは自分にとって紛うことな拷問だ。罰則だ。約束を守るように頑張った。

最初に入った病棟は楽しかったよ、割と。

症状の軽い人たちがいる病棟だったから、会話が楽しかった。気のいい兄ちゃんもいたし、優しい兄ちゃんもいた。

でもそれ以外の病棟は、みんな症状重くてそれどころじゃなかったなぁ。

私も病状が悪化して、ますます壊れてたし。身体拘束はこのころね。

なんだろ、そんな感じ。

まだネタはあるけど、区切るわ。

今は元気にOLしてます

んじゃ。

正月明けだから結婚ネタ毒親ネタが溢れてるので便乗。

私→30歳会社員。過干渉の親と絶縁済み。

彼氏同級生専門職母子家庭育ち→学生時代母親恋人蒸発した経験あり。

彼氏とは中学時代からの付き合いなのでもう人生の半分一緒にいる。

出会った頃から彼氏の家はハイパーごたごたしていてそれをネタに笑いをとるくらいだった。

付き合ってからも「俺は子供は作らない。変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」というのが彼の持論で

私は「そんなことないでしょ~」とたしなめるのがお決まりだった。

私は両親も揃っているしずっと普通の家庭に育っていると思っていた。

高校生の頃はゴタゴタと仲が悪かったし、大学生の時もなるべく家族と顔を合わせないように授業とバイトを調整してたし

一人暮らしを目指して就職したけれど、別に変ったことではないと思っていた。

しかし私の就職したそこそこの安定した会社でその認識は打ち砕かれた。

みんな家族めっちゃ仲がいい。

若い人は親元にめっちゃ帰るし、既婚子持ちは子供配偶者の話めっちゃするし家族に優しいし、家族に対する愛が溢れていて驚いた。

そしてそういう人達はすぐ結婚したがるし結婚を勧める。

せっかく就職して一人暮らしを始めた安住を犯され壊される感じがして、職場人間怪物に見えた。

私もいつかは結婚するし子供も作るとなんとなく思っていた。

ウエディングドレスにも奥様業にも子供にも興味はなかったが、社会で生き抜くための責務と義務だと思っていた。

と、同時に「どうにかこの役割から逃げれないかなぁ」ともぼんやり思っていた。

彼氏のことは心の底から好きだけど、結婚することで今の関係から「夫」と「妻」になり

更に子供をもうけることで「父」と「母」になることを考えると嫌悪感でいっぱいだった。

子供を捨てたり虐待する母親クズ中のクズから絶対になりたくないが、子供というだけで私を縛り付け、仕事社会生活を不利にする存在

心の底から望み喜んで誕生させ育てなければならないという事実は許せないと思っていた。

しか仕事をしながら育てるとなると両実家の協力は不可欠で、またあの実家と密にかかわりを持つのかと思うだけで憂鬱だった。

とにかく「経済的身体的自立を手放したくない」「実家と触れ合いたくない」という気持ちが強く、それが崩れるとなると泣きそうなくらい恐怖を感じた。

そんなこんなで、速攻でメンタルクリニックのお世話になった。

カウンセリングを受ける中で、私の強迫的なまでの自立への執着と家族に対する嫌悪感は生育家庭に問題があるのだな、という結論が出た。

私の両親は「こうあってほしい娘」像がすごく強固な人で、そこから外れることを許さない人だった。

どういう娘像かというと「成績優秀・スポーツ万能のオールマイティ優等生で、清楚で可愛くて、家の家事は全てこなし、家族に尽くすことを喜びとする」といった感じ。

私は運痴で地味だったので勉強家事でその穴埋めをして家に置いてもらわないといけなかった。

年々親の求める学業レベル自分の出来るレベルギャップが出来てきて、勉強家事以外のことをしていると責められた。

更に父親ナチュラル女性蔑視をかます人で、思春期以降は毎日セクハラ的なイヤミを言われ、女だから母親兄弟ケアを負わされた。

母はまさしく「社会承認されるために子供を産んだ」としか思えない人で、仕事に忙しく子供時間を割くことを本当に嫌がっていた。

勝手に進路を変えられたり入る部活課外活動を決められたリ、といった学生時代だった。

親に認められないと生きていけないと思い込んでいたか結婚出産子育てをしないといけないと思っていたけど、

親と過ごす生活自分が親になることが感覚的に耐えられないか結婚出産子育て嫌悪を感じる。

これがわかった時、彼の「変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」という言葉がスッと飲み込めた。

いわゆる変な家庭で育っても結婚出産をして立派な家庭を築いている人はいる。

いるけれども、現在の私はその段階ではない。

彼氏とはずっと一緒に居たいけど、世間の求める夫婦の型にははまりたくないし、子供も欲しくない。

それは関わった全員が不幸になることだから

このまま自分治療を進めて、結婚して子供を持ってもいいなと思えるようになったとき

もう子供を産めない身体になっていたとしても、それは仕方のないことだ。

それまで自分のことを考えて、自分幸せを追求しよう。

そう決めて、彼氏にもそう告げて、家族全員の電話メールを着信拒否した。

今は薬を飲みながら、子供の頃できなかった趣味に手を出したり、勝手に進路変えられたせいで就けなかった仕事に就くために勉強している。

とても心が穏やかです。幸せになるぞー!

2017-12-14

かつてものすごい医者不信だった

 学生生活も終わろうという頃、たまたまではあるが上手くいかないことが重なってひどい不眠や精神の衰弱に陥った。学内カウンセラーのすすめでメンタルクリニックに通うことになったのだが、自分の悩みや症状を訴えてもとりなしてもらえず、結局学校に行くことすらできなくなるまでに体調は悪化した。

 あわせて健康だった歯も、起き上がることすら出来ないような日が繰り返された結果さすがに虫歯が出来てしまい、痛みもするため、気持ちが戻ってきた頃に歯医者Aに行った。治療の際、知らん間に親知らずも生えていることを教えられ、せっかくなので抜歯して欲しいと伝え、手術の日取りまで決めたが、当日になり、やはり健康なら別に抜く必要はないと言われ、プロが言うならと素直に従い、取りやめに。

 しかしどうも噛み合わせの感じや歯に違和感があり、別の歯医者Bに行ったところ親知らずが横に伸びて歯並びを押し変えてしまっているという。比較的自信があった歯並びも失ってしまったショックもあったが、こうなった以上抜歯を決める。

 だがその歯医者Bがとにかく下手だった。さまざまな不手際があったが、中でも麻酔が切れていると訴えても「もうすぐ終わるし、効いてないはずはないから」と意に介さず手術を続行されたことが一番だった。20も後半に差し掛かっているにも関わらず、恐怖と痛みで本気で泣いた。

 最終的に遠くの大きな病院できちんと抜歯は行ってもらったのだが、とにかく結果的に上手くいったこと以上にさまざまな不都合を俺に与えた(と当時は解釈した)病院への怒りと絶望と不信が募り、すっかり医者自体を色眼鏡で見るようになってしまった。セカンドオピニオン選択肢があるほど、田舎には病院がなかったことも災いしたと言える。

 その後、年と共に、自分意思に関わらず、外科内科関係なく病院のお世話になることがなし崩し的に増え、自然病院への不信も氷解したのだが、それでも相変わらず心療内科歯科にかかろうという気は全く起きない。いまだにメンタルには問題を抱えているし、歯並びは治っていないのだが、成熟されたヘドロのような心の淀みと向き合う気力がもう沸かない年になってしまった。かつて医者不信だったなどといいつつ一部の医者への個人的偏見は一生消えないようだ。

 医者は正しい診断や治療は出来て当然、誤診や医療ミス憎悪対象になる、難儀な職業という点について一定の理解はあるつもりなのだが、俺がそうであるように、ムカついた記憶が早々風化しない事を鑑みると、どこかでいわれなくワリを食っている医者も数多いのだろう。だが個人感傷としてどうしても超えられないラインが生まれしまっている。むしろその事で損するのは俺の方だとは思うが。

2017-11-14

うちの親

うちの親、いわゆる毒親

学校いじめられたりもあって、引きこもったりメンタルクリニック通ったりする中で、カウンセリングにも通ってた。

その中でだんだん、うちの親に苦しめられている自覚が出てきて、カウンセラーさんにぶちまけたかったけど、「親」と言うことが、何か禁忌に触れるようで、先生にさえ言えず、当時は毒親なんて言葉もなかったから、苦しさと罪悪感で一杯だった。

子ども頃、何かで怒られたとき、「バカから遊戯トライアングルなんて任されるんだ」とか、今思うと意味の分からない罵倒に大泣きした。

小学校に上がれば、博物館へ行くのに無理矢理スカートをはけと怒られ、はかないなら博物館へ連れていかないとまで言われた。

どうしても嫌で下にキュロットはいてたけど、それも許されず、その日に撮った写真は全て仏頂面の苦い思い出。

まだある。

高校にあがり、寒くなったら去年のお気に入りダッフルコートを着ればいいかと思ってたある日、帰ってきた途端鬼のような顔で「ダッフルコートなんて子どもコートを着るな!買ってきたこれを着ろ!」と怒られたりもした。

全くもって意味が分からず、戸惑いつつも反抗した。不安になって、翌日友達確認したのを覚えている。

引きこもりときも、「自分のペースでやればいい」と言いながら、唐突に痺れ切らして激しく責め立てられて否定され、その度にどん底に落とされた。

「二十歳なんだから」は誕生日迎えた日からタコ

誕生日迎えた途端、昨日とは別人のように大人になれたら誰も苦労なんてしないのに。当時はそんなことにすら気づけず、ただただ自分でも自分ダメ人間だと否定していた。

そして私には兄がいる。

他の人に指摘されて気づいたけれど、母は考え方が古くて長兄を溺愛し、本人も「母親はみんな冬彦さんを育ててるんだ」とさえ公言した。

私が初めてもらった自転車はお古で、兄は新品だった。

中学生くらいまで、ずっと親と喧嘩になる度に兄をエコヒイキしている、と反抗していた。

そしていつも、私はヒステリーを起こしていた。

病院で働いてるとき感染症病気をもらってしまい、偏見と少ない知識不安に苛まれているときに「私(母)と兄はどうなるんだ!」と責め立てられたこともある。

一番不安なのは私だった。

泣きながら病気について調べ、発症しなければ感染もないことなどをメールで送ったら、三日後にケロッとした顔で「私(母)も兄もそんなの(病気)気にしないし」と言われた事が忘れられない。

かなり経ってから上記の言葉は傷ついたと伝えたら「だってそのときは本当にそう思った」と悪びれた様子もなく返事をされて、私の中で何かが壊れた。

いつも頼んでないことを自分でしては「○○してあげたのに」と見返りを求めてきたし、ただコンビニに買い物行くのにさえ「あんたも行くら行くけど」とよっかかってきて気持ち悪かった。

やっと新しいカウンセラーさんと出合い、それでも親との関係が私の考え方にかなり影響しているの気づいてもらうのに、一年以上掛かった。

それでも、20年ぶりにバッサリ短くした髪を、親が真似て同じようにずっと長かった髪を同じ長さに切ったとき嫌悪感は分かってもらえていない。

親とは家庭内別居みたいになって、一切口もきかず、自分生活自分で面倒を見出しから、私はヒステリーを起こさなくなった。

いつも感情に嵐を起こしていたのは、親と関わるからだと気づいた。

あの、スイッチが入ったように訳もなく急に込み上げてくる怒り。

自信のなさからブラック企業ばかり選んでお金貯めるどころではない、ギリギリ生活ばかりしてた。

ようやく、最近まともな仕事に就いたので、ここで踏ん張って家を出ようとしている。

何度も同じことを、わからせようと無駄努力を重ねてしまったのは、長年の憤り、親に対する分かってくれるかも知れないと言う僅かな期待があったと思う。

それが段々、距離を置いたことで不可能だと気づいた。

今はただ冷静に、スルーする力を身に付け、全力で逃げようと思う。

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