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はてなキーワード: 優先順位とは

2019-04-17

anond:20190417103733

教育ママかつ、自分の女臭い趣味押し付ける感じがあるラインナップだなあ。普通にコロコロでも読ませろよ

隠れてToLOVEる読んでても取り上げたりすんなよ

というか今の子供の漫画優先順位いかクリエイティブな感じのyoutuberでも見せとけば

スシラーメンとかPrimitive Technologyとか

anond:20190416235757

ジャパーニーズ・ペオプレの優先順位に至っては、ダンプカーの命 > キリスト教のお寺の命 > アフリカ人間の命 だぜ?

お前ら親でもダンプカーに救われたんかと

2019-04-15

ポリコレガイドライン必要

あらかじめ優先順位を決めておかないと、こうなってからじゃ遅い

2019-04-12

anond:20190412075617

少なくとも議題の優先順位を考えてほしいと常々思う

2019-04-11

anond:20190411145615

差別だと認めて、最終的には撲滅されるべき業態だというところで合意できさえすれば優先順位別に低くてもいいですよ。

順番としては、女性お断りの撲滅、男性お断りの撲滅、の次くらいだと思うので。もっと他に優先すべき差別はあるという主張なら同意する。

2019-04-10

今時の子

入社したときは、今時の子の割にはきはきしてて、目標もあって、社交的だなという印象だった。

仕事を教えていくうちに、思いがけないようなところで躓くことが目につくようになった。

期日を設けて仕事をさせても期日通りにできない、自由にさせてみると永遠に終わらない。

からないなら声をかけてねと言っても、自分一人で悩み、しばらく様子を見てから困ってる?と声をかけると進捗の一割も進んでいない。

仕事方法も何度も説明して、メモもとらせて、なんならこちらで単純作業マニュアルを作ってあげた。

そしたら、上司に泣きついたらしい。

自分のやりたいようにやりたい、と。

やめられても困る上司は、指導役を変えた。

できなくてもいい、困ったらやってあげるというドM指導役の元、全ての仕事納期ギリギリになっているらしい。

本人は、全て顧客のせいと言っていて、最低レベル仕事しかしない。

この話で怖いところは、本人は120%の力を尽くして、最高な仕事をしているつもりだということ。

指導役は、頑張ってるね、偉いなと言うので本人もその気。

辞められるよりはマシかもしれないけど、他の上司たちは呆れてる。

偉そうに自分仕事について語って、高い目標を掲げて、顧客ニーズに応えてるつもりかもしれないけど、気付いてない。

気付かせないのが策略なのか、さっぱりわからん

ただ迷惑なのは顧客納期ギリギリに振り回される周り。

からないことを聞けない、自分のやり方しかやりたくない、

メモをとれない、読めない、期日や優先順位管理ができない、

でも、顧客や同僚のせいにして、、、

の子ってこんなのばっかりなの?

2019-04-09

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

2019-04-08

anond:20190408095215

自民党殺すために自殺ってそれ優先順位おかしいから。

日本国民自民党を嫌う理由があるとすればそれは「自国の為」なんだが、

自国のために自国を殺す」っておかしいだろ。

2019-04-07

anond:20190406235734

ジャンルは違うけど推しにやってほしかった役をイメージ違う役者にやられて

なぜか作品自体の興味も冷めたことあるから増田気持ちはわかる

若手俳優ヲタはそれの繰り返しだよ

自分優先順位推し作品なことは後ろめたくもないし別に気にしてないけどね

2019-04-06

anond:20190406105140

実際はできるケースの方が多いと思うよ。

きれいなプログラムだったらちゃんとできる。

だけど、直しづらい構造のきれいじゃないプログラムだったり開発環境に大きな制約があったりすると、新元号を直接入れなければならなかったりするし、

そういうプログラムがどこにどれだけあるかを調べて対応優先順位をつける手間も増える(新元号が早く発表されればそんななことしないでただ直せばいいから早い)ので元号は早く発表してほしかったんだと思う。

それに、仮の元号入れてテスト完了してても、本当の元号決定後に変数だけ置き換えて終了、というわけにはいかず、やっぱりそのあとでもある程度はテストもするから面倒。

2019-04-05

あーちゃんさぁ……

よく遊ぶグループにAさんという人がいる。

Aさんはまあぶっちゃけしまえば極度のメンヘラだ。

そのAさんが「誰も私と遊んでくれなくて寂しい」と言っている。

そりゃあ誰も遊んでくれなかったら寂しい。わかる。同情してしまう。

でもAさんが言う「誰も」というのは「誰でもいいかグループの誰か」ではなくBさんのことなのはもうみんなが知ってる。

Bさんは忙しい。

普通にお仕事があって忙しいというのもあるし、そのBさんという人は魅力的で一緒に遊んで楽しいからみんなが遊びたがる。

Bさんの予定は遊びもプライベートもいつもパンパンだ。

当然、そこで取捨選択が始まる。

仕事は削れないから、遊びの予定に優先順位がついていく。

そこで「Aさんと遊ぶ」という予定には低い優先順位が割り振られてしまうのだろう。

Aさんはまた「誰も(というのは建前で実際はBさんが)遊んでくれない」と言う。

でも、BさんがAさんと遊びたいと思うだろうか?

AさんはBさんに対して第三者から見えるだけでもかなり粘着している。

そして、BさんはそんなAさんに対してもうはっきりとわかるくらい辟易している。

もうすでに一緒に遊ぶとか遊ばないとかいレベルではないようにしか見えない。

Aさんはついでにメンヘラを患っているものから、「もうやめる」とか「消える」とかしょっちゅう言う。

なんならその原因にBさんを名指ししたりほのめかしたりする。

そういう人と遊びたいと思うだろうか。

もし仮にAさんのいう「みんな」がBさんのことを指しているのではなく、文字通りに「みんな」だったとしても遊んでくれる人は少ないと思う。

AさんはBさんが絡んでこない遊びは表面上楽しかったというけども、すぐ寂しいと言い始めてしまう。

仲間がよく集まってだべっているところに来たりもしない。だべっているうちに遊びの予定が立ったりするのに。

たまに来たかと思えば楽しそうな人たちに嫉妬して勝手に不機嫌になって帰る。

Bさんが遊びに誘ってくれるのをひたすらに待っているだけ。

対してBさんは一人でもいろいろと遊んでいるし、リアクションもいい。

だべっている場に来てそういうことを楽しそうに話してくれるからみんなもよく聞いている。

「今度〇〇いこうと思うんだけど誰か来ない?」みたいなぼんやりした誘いにもすぐに乗ってきてくれる。

「みんなが遊んでくれない」ってそりゃ当たり前だろって話だし、ましてやBさんとは遊べねえよっていう話なんだけど正面切って言う度胸がないんだよなぁ

anond:20190404171119

有難う。本当に有難う。少し気持ちが前向きになれた気がするよ。療養中で病んでいるにも関わらず私がFBリア充健常者(であろう)と再び人脈を温めようと思ったのは、療養中(皆私が療養中だと知らない)に友達の駒が皆無になったから。

憧れていた女友達(年上・富裕層)にドタキャンされたのが、留めの一撃だったかな…。

療養中以前から彼女以外にも1人、細々とラインしたり、数か月に1度くらいゴハン・小旅行して気分転換にもなってた子がいて。でも彼女転職活動をする事になって(あまり深入り出来ない感じ)多忙になってしまって。

そんな時に、先述した憧れていた女性に「久しぶり!何年ぶりかな、会おうよ!」と誘われて。生き返った気がした。(同窓会なんだけどね。)

でも、その同窓会幹事が私に以前、セクハラキモい事してきたりして、嫌な思いをしたことがあって。

その懸念点を添えて行きにくい旨を伝えたら…彼女が頼もしい事を言ってくれたり励ましてくれて、嬉しくなっちゃって。その後、長々とラインのやり取りをした後、勇気を出して、参加フォーム送信した。

でも、前日になっても連絡が無く。

思い切ってリマインドを兼ねてラインをしたら、彼女、忘れていたようで。

もし、私がリマインドを送らなかったら一人で現地に行って幹事の人の元、気まずい思いをしていたと思うと…。

彼女は悪びれるわけでもなく、何度もハートマークを付けて「ごめんね。また会えます様に」と。

はっきり言って、ナメられているんだな、と思った。「都合の良い女友達」みたいな…。

私がまだ元気だった時も口ばかりで、約束反故してばかりで。せっかく会えても全然楽しそうじゃあなくて。乗り気ではないんだな、私が強引だったのかな、きっと塩対応なのかもな、と思って距離を置いたんだけど…

でもこうして彼女から誘いを受けたから、私、嬉しくなっちゃって。でも、やはりドタキャンされて。私に対する優先順位彼女にとって低い事は、私だって解っていた。だから価値が低いんだなって、改めて痛感して。

そうこうしている内に、私の中の唯一のリア充な部分を断たれた感じがして…通院意外の社会隔離された事が、哀しくて。

からFBに手を出しちゃったんだ。自分は一人じゃあないって、リア充健常者との繋がりを情けない形で求めてしまったよ。。。

長々とごめん。

2019-04-04

anond:20190404163309

自分も 8080 ハンドアセンブル時代から触っているが、現代は覚えることがたくさんありすぎてあの頃のようにいかないと思ってるよ。

自身学習すべき範囲は厳選しないと、新しい技術もどんどん出るからそれらを学習したほうがより良い。

「知ってりゃベター」程度のことについて時間を割くのは優先順位を下げた方がいいと思う。

「知ってた方が良い」にはたしか同意するんだけど、決して若手には勧めない。自分業務システム屋なので。

2019-04-02

anond:20190402105233

いや、人生価値観やら優先順位が明らかに変わる。

バリキャリから結婚・家庭第一になる女性って決して珍しくないでしょ。

2019-04-01

anond:20190401191711

そもそも男養うわけでもないくせに、そんな金なんか必要なのか?

と言うと意地悪だけど、実際男に比べりゃ出世や金よりワークライフバランスの方が優先順位としては上になりがちだろ

2019-03-24

この春、浪人をすることになった人へ

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

2019-03-14

いま参院予算委員会やってるけどさ

総理!総理!総理!って喚いてるけど、総理出る必要なくね。

与党も、~を支援します、~を目指します、~に注力します。具体的に何すんだよ。お金出すの?人出すの?優先順位高くしたりするの?

誰向けなんだろうって子供部屋おじちゃんは思うんだけど、お前らはどう思うの?

2019-03-12

anond:20190311205043

自分の気に入らないコメントは全て悪口で、年齢的に無理と言われると年齢差別だと騒ぐくせに自分底辺労働などと言って職業差別するというダブスタ

そんな沸点の低さでは作業療法士だの看護師だの教職だのは無理じゃないかと指摘すれば、就職自体が無理だと言われたと勝手拡大解釈してよくわからない明後日方向への反撃。

リアルでは表面上おとなしくしていたとしても根本的にコミュニケーションが成立しない性格であることはすぐにバレるよ。

ご気性や理解力・傾聴力の乏しさをなんとかしないと、どんだけ学歴やら資格やらで自分を強化しても面接で即落ち、運良く採用されても周囲とトラブって長く続かずにやめることになりかねない。

一連のやりとりをざっくり見て、人の心は鏡だなーとしみじみ感じた。

すぐに被害者意識むき出しにして屁理屈こねて相手に言い返して稚拙な揚げ足とってドヤってるから、まともな感性の人は静かに去っていって他人を見下してドヤるブクマカばかりが残ったんだろう。

反撃コメントを書いていた時間だけ、増田さら劣化した。

ただでさえ職歴と年齢にハンデがあるのに、なんの収益にも繋がらない反撃に労力と時間を費やして、職歴なしの空白を無駄に延長している。

優先順位を考えなよ。増田で暴れてる余裕なんかないはずだ。

自分は悪くないブクマカが酷い人だらけだと書き連ねることで増田になんの益があるんだ。

残念ながら世間理不尽で不平等なんだよ。

増田職業自由選択できるが、雇う側も誰を雇うか選択できる。

基本、年齢制限性別制限を設けてはならないのは「募集」の段階の話な。

応募はできても採用されるとは限らない。

誰も増田雇用しなくてはならない義務を負わない。

表向きは容姿や年齢を理由にせず別の理由不採用にするなんてことは当たり前に行われている。

世間が悪い差別だなんだと騒いでも状況は変わらない。

みんなそれを体験してるから増田の甘っちょろさや被害者意識世間知らずが故の理想論イラッとくるんだろうよ。

増田は今、敵(世の中全般や志望先)をわかってない・誤認している、己も過大評価しているので就活が百戦危うい状態と感じる。

さっさと自分棚卸ししてアピールポイントや適性を見極めて、それを提示した上で社会ニーズ合致する仕事はないかハロワなり専門の支援団体などで聞きなよ。

参考になる情報が欲しいなら人の話をちゃんと聞いて、参考にならんと思っても口には出さずに礼を言いな。

それができないか社会性がないと言われたり絶対雇わねえと言われたりするんだよ。

と、ご忠告申し上げても、リアルではできるネットではやらないだけだとか屁理屈言うんだろうけどな。

2019-03-11

anond:20190310142121

一つ言えることは、「仕事第一結婚人生二の次」というそ思考スタイルは、ぶっちゃけ昭和のお方とかブラック企業の方のメンタルと全く変わらないので、正直結婚には向いてませんね、としか言いようがない。あなたが言ってるのは、結局「仕事邪魔にならない結婚ならしたいなあ」じゃん。

どんなに仕事が忙しくても会いたいのが恋人だし、大切にしたいのが家族であり家庭でしょ。それは、それが自分という人間の拠って立つ場所であり、生きている意味からでしょ。まず「この人と結婚したい」が先。後のことは、後。じゃないと幸せにゃならんよ。

俺も「自分仕事好き人間」だから仕事にやり甲斐生き甲斐を見出すのは全然構わんと思うけど、人生における優先順位ってものがあるでしょ。そこ間違ってると社会人として何か欠けた存在だなあと思ってしまう。

 「今楽しくて充実しているからいいじゃないですか! 何が悪いんですか」

ハイハイパチンコ競馬に金と時間人生をぶっ込んでる奴も、だいたい同じこと言うからね。あるいはアル中ジャンキーも同じこと思ってるからね。

それに対する返事も同じだね。

「もう少し大局でものを見た方がいいんじゃない? 同じ充実感を得るにしても、もう少し違った金と時間人生の使い方ってあると思うよ」

まあそゆこと。

あなたは、仕事中毒してそれが与える充実感に酔って依存してしまってはいいか

あなたが生まれとき親があなたに望んだ人生がそれなのか。

あなたが「仕事」に人生をすり潰すことで誰が儲かるのか。

あなたの今の状態は、本当に「人生を生きている」って言えるのか。

anond:20190311084133

育児の為に仕事が出来なければその分丸々収入が減る&それで顧客を失えば即失業

公的産休育休制度など存在せず手当も何もない

保育園優先順位会社員より下

ってんで会社員より遥かに子育てしにくいけど

2019-03-05

仕事を進める上で重要だと思うこと

仕事を進める上で重要なことは何か、職種シチュエーションによっていろいろ違うと思いますが、

私が研究職に近い仕事をしている中、仕事は真面目に取り組んでいるのに研究に向いていない人、効率的仕事を進められない人は、

以下を意識すれば改善されるのではないかと感じています

.

それは、

「考える」ことと「悩む」ことは別である、ということです。

.

「考える」ことは非常に良いことです。常に考えながら行動したほうが良いと思います

「悩む」ことは、時間無駄です。

.

これには反対する人も多いと思います。じっくり悩み抜いてから決断したほうが良い、と言う人もいるかもしれません。

何故時間無駄か、簡単な例で言うと、

悩み始めの状態と、悩み始めてから10分、30分、1時間、3時間後の状態では、頭の中の構想はあまり変わっていないと思います

変わらないからこそ、長時間悩んでいる状態が続くと思われます

悩み始めと、長時間悩んだあとの構想が大して変わらなければ、その間の時間無駄となります

.

10分後と3時間後では、頭の中の構想は大きく変わることもある、という人は、3時間「考える」ことができる人だと思います

あるいは、長い時間かけて悩んだら、良いアイデアを思い付くことがある、という人もいると思います

悩んでいる最中でなくても、何時間後にフッとアイデアが浮かび上がることは、私もあります

ただこれは言い換えると、頭の中で奇跡が起きるのを待っている状態とも言えます

プライベートでは良いかもしれませんが、仕事している時、今何をしているのかと聞かれた時、頭の中で奇跡が起きるのを待っています、はさすがにまずいです。

.

あるいは、時間をかけて色々調べることで新しいをアイデアを得ることもある、という人もいると思います

その通りだと思います

悩んでいる状態から考える状態に戻るためには、新しい情報必要となります

手元にある情報だけで結論を出せない場合、そこに新しい情報を加えなければ、考えを進めるのは難しいです。

ただ、やみくもに新しい情報を集めても、逆に考えがまとまらず混乱することもあります

.

ここでポイントになるのは、悩んでいる時、全く何の構想も得られない状態もありますが、

ほとんどの場合は2~3つの候補があり、そのうちどれを選ぶべきか、どれのほうが優先順位が高いか決断できない状態だと思います

そして、その優先順位を決める上で、「こんな情報があれば」「これさえ分かれば」と思うことがあるはずです。

.

この一番重要、一番大切と思われる情報を、「なにがなんでも手に入れよう」とする意識も、仕事を進める上で重要と考えています

逆に言うと、この一番重要、一番大切な情報が手に入らない限り、悩む状態永遠と続き、仕事永遠に進まない、と考えたほうが良いかもしれません。

当然、その情報が手に入りにくいから中々考えが進まないことが多く、

重要だけど手に入りにくい情報、まあまあ重要だけど少し調べるのに手間な情報、それほど重要ではないけどすぐ手に入る情報、など分類すべきですが、

仕事できる人は、困難でも一番重要情報をどうやって入手するかをまず検討していることが多いと感じています

何よりも、ずっと悩んでいる人や、一番重要と思われる情報積極的に手に入れようとしない人よりはマシです。

.

参考に、情報の入手方法として、まずは人に聞くこと、ネットで調べること、文献で調べること、などが挙げられます

上司や先輩に「何をすれば良いか」と聞くより、「これを進める上でこんな情報資料があると役立つと思うのですが、こんな資料があるか」と聞いたほうが聞きやすいですし、

答えるほうも答えやすいです。

それでも情報が手に入らない場合は、自分で生み出すしかありません。世の中に無い重要情報自分検証して生み出すのが、研究だと思っています

.

話を戻しますが、やはり最も重要だと思っていることは、

「考える」ことと「悩む」ことは別であること、

即ち、「考える」と「悩む」の境界線認識することだと思います

仕事で長時間「悩んでいる」人は、自分は「考えている」状態だと勘違いしているケースが多いと思います

最悪の場合、「悩んでいる」状態は、「スピードは非常に遅いけど真面目に仕事に取り組んでいる」状態、と認識しているかもしれません。

.

最近、真面目な人ほどこのケースに陥りやすいと感じるようになりました。悪い言い方で言うと、クソ真面目な人です。

逆に、不真面目な人、考えることが得意ではない人のほうが、このケースに陥りにくいと感じています

“考えるのめんどくせー”となった瞬間が、その人の「考える」と「悩む」の境界線になります

このような人は、あきらめが早い分、行動も早いので、方向修正必要ですが指導やすく、その積み重ねでいつの間にか一人前になっています

一方、長時間悩む真面目な人は、方向修正させられる度に傷つき、次は更に時間掛けて熟考するという悪循環を生むこともありました。

.

私も、自分で考えている状態のつもりが、実は悩んでいる状態であった、というケースは良くあります

「考える」と「悩む」の境界線は人によって違うと思いますし、私も自分の中で明確な境界線を作れていませんが、

とりあえず時間で15分ぐらいで区切るように意識し始めました。

同じことを15分以上考えていたら、一度自分が考えているのか、悩んでいるのか再認識し、悩んでいる場合は、重要情報は何か、どうやって手に入れるか、

というフェースに切り替えることを意識しています

.

ここまで読まれ奇特な方、オチを準備できず申し訳ありません。

2019-03-01

保育士は、仕事作法流儀人格に結び付きやす職業

保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事プライベートで「場」が違う。

自分のされてきた育児環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。

具体的な例として、体罰現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、

そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまバイアスがかかりやすい。

また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、

集団を律することに重点を置きすぎ、本来目的であるはずの個々を尊重する支援優先順位が下がってしまやすい。

具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、

一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子ども支援しようとしてしまう。

人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。

子ども人権を守り、尊重されるべき人格の成長過程に寄り添う人的環境として、常に研鑽を積まなくてはならない。

そのためには、保育士同士が互いの人格尊重し合うような職場でなければならない。

2019-02-28

保育士は、仕事作法流儀人格に結び付きやす職業

保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事プライベートで「場」が違う。

自分のされてきた育児環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。

具体的な例として、体罰現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、

そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまバイアスがかかりやすい。

また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、

集団を律することに重点を置きすぎ、本来目的であるはずの個々を尊重する支援優先順位が下がってしまやすい。

具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、

一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子ども支援しようとしてしまう。

人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。

子ども人権を守り、尊重されるべき人格の成長過程に寄り添う人的環境として、常に研鑽を積まなくてはならない。

そのためには、保育士同士が互いの人格尊重し合うような職場でなければならない。

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