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はてなキーワード: 休職とは

2017-06-26

多様性と寛容

多様性ということについてみなさんも昨今様々に課題と向き合っておられるだろうとおもいます

そして寛容ということの難しさ(自分対峙する課題を口にすることすら難しいこともあるでしょう)を痛感することとなった方が少なからずいらっしゃるのではと想像します。

私の場合多様性課題はこのようにやってきました。

就業中に役場公務端末でパチスロ世間話や幼い女の子動画に魅入ることを抑制することのできない男性同僚と、同じ職・地域隣家任務遂行がどのように可能なのか(私の主な任務は赴任地域安心安全で魅力的な育児環境を有していることを広報することによって地域次世代問題対処すること)。予想しなかった(この事が課題であると感じる私の感性を過敏であると受取る方のあることを認識することも含め様々な) 事態に私なりに(本来任務邁進する傍らではありましたが)全霊で取り組んだのですけれど進捗が遅々とする中で年度末が迫りました。行政の納得のいく対応あるいは私の赴任地の変更がなければ公務を続けることはできないというのが私の考えでしたが、3月も終える間際までその方向性は見えてきませんでした(対応が形になるまでの報酬を頂かない休職提案しましたが、かないませんでした)。対応の中で私の契約形態である特別職非常勤公務員一般労働者としても公務員としても法的な枠組みから外れていて職場での公的仲裁支援を受けることが出来ないこと─それは公務員守秘義務等を記した公務員法の枠外であることでもあります─を知ることにもなりました) 。

私は新たな一年真剣公務邁進する決意表明としての首長から辞令受領を行いませんでした。

この決断公務に就くものとして(昨年8月不退転の決意で職に臨んだのではありましたが私の決意などそれほどの重力を備えてはいなかったことになります。私の職務予算特別地方交付税対象でしたので全国のみなさんの税金から報奨を頂く身でもありました) 、また地域で接してくだすっていたみなさんへの私なりの誠意の示し方でもありましたが、 その結果現在私は公の職になく、よくして頂いた地域からも既に離れ(住居も職務とセットでした)数ヶ月が経っています

私はこの課題解決したり正しく問題提起したり寛容する度量を持ち合わせていませんでしたし、現在に至ってもわかりません。

いま、私は新たな場所で、より私らしさに眼差した小さな生活を始めています

地方公務員法

昭和二十五年十二月十三法律第二百六十一号)

最終改正平成二六年六月一三日法律第六九号

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO261.html

■総 行 公 第59 号 平成26年7月4日

http://www.soumu.go.jp/main_content/000302194.pdf

2017-06-14

人生匂い、色、電車、死

夢の中ですげえダウナーポエムが爆誕したのでここに書いておく。夢の中ではラップ調だった気がする。なお、自分うつ休職中。

題: 人生匂い、色、電車、死

人生匂い色こんなだった

人生匂い色こんなだった

仕事してない時は元気だって僕は

仕事してる時はこんな匂い

そんな人生に生きる意味あるか

電車、死

(おわり)

仕事してない時はうんぬんは嫁に言われることがあるので現れたのだと思う。

2017-06-13

学生時代の友人が鬱になって人との距離のとり方がおかしくなっていた話。

先日、夜1時頃急にラインが送られてきた。迷惑なやつだ。

増田久しぶり!相変わらずタバコ吸うてんのか??笑笑

自分学生時代ヘビースモーカーだった事を差し置いても約4年、連絡すら取っていなかったのにこの下手くそ話題の振り方はなんだと思った。もしくはヘビースモーカーだった印象しか無いのかもしれない。

その友人自体学生時代の大きなグループの内の一人で、大勢で遊ぶことはあれど少人数で一緒になることは無いし2人で出かけるなんて以ての外。一緒にコンビニ行くぐらいはあったが。

それでも仲が良いかいかで言えば間違いなく良い部類に入るわけだし、学生時代と変わらないノリで返事をしたら急に電話が掛かってきた。


友「今どこで働いてるん?東京だっけ?」

増「東京だね。急にどうした」

友「そっか、そっか。東京のどこ?」

増「会社新宿だけど」

友「新宿のどこらへん?」

増「それ聞いて意味ある?笑 どうしたん?」

この時点でなんだか違和感があった。距離のとり方が下手くそすぎる。冒頭のラインも久々に連絡する一言目とは思えないので、宗教の勧誘とかアムウェイ的な話をされるのかとすごく身構えた。

自分最後卒業したのは所謂専門学校で、今振り返るとゴミの掃き溜めだった。掃き溜めの中でも意識の高いゴミが敗者復活を目指すような2年制の学校

友人は卒業後に環境省で働きだし近畿事業所だったかその辺で勤務していたが、2年後に東京本部的なところに行かされたという話は他の友人伝手で聞いた。

一方自分はまともな就職先が無くダラダラと数ヶ月送っていた後、実家から離れないと怠け癖は消えないと使命感に駆られ上京東京フリーターを1年続けた後にベンチャー正社員へ。

当時は公務員になった友人が「勝ち組」で、フリーター自分は「負け組」の図式が出来上がっていたと思う。


そんな勝ち組負け組だった自分仕事について根掘り葉掘り聞いてくるわけだ。

労働時間や月収、会社の住所や社員数まで。

流石におかしいと思ったので「どうした?この4年ぐらいで人との距離の取り方わからんようになったか?」とズバッと聞いてみた。

すると

「実はちょっと前に鬱って診断されてな。今実家帰ってきてるんや。」

理由を聞くと給料が少なすぎるという。

労働環境自体ホワイトホワイトで9時半-17時半、仕事も辛くない。辛くないが残業で稼ぐタイプなのに残業が出来るほど仕事がないそうだ。

月収に関しては手取り自分の1/3以下。飲みにも行けないし自分趣味も辞めないとやっていけないレベルだとか。

因みに増田はさっきも書いたがベンチャーでそれなりに貰っているが、毎日みなし残業で週の労働時間は60~70時間ぐらい。

ボーナスは出ないので、年収にすれば同年代より少し多いぐらいだし、バリバリ残業する奴には追いつかれる。

それを伝えると初めは月収の多さに羨ましがっていたが、労働環境で軽く引いていた。もう慣れたということもあるが、実際このぐらい世間では結構普通だと思っていた。公務員の中でも特にゆるい場で働いてきたからか辛く見えるらしい。

友「そっかーいっぱい貰ってるのな。お前アホやったのにな。」

増「今でもアホは変わらんけどな。気張るとこ気張ったからかな。」

友「で、ちょっと折り入って話があるんやけど」

増「金か。貸さないよ笑 うちの会社入っても多分きつくてやめるからおすすめしないよ。」

友「いや違う最後まで聞いて。」

増「ごめんごめん。はいどうぞ」

友「仕事復帰してまた東京戻ったら・・・ラーメン奢ってくれん?」


飯に行くのは問題なかったので適当にあしらって電話を切ったが、人との距離のとり方がおかしくなったのはマジみたいだった。鬱か原因かどうかは分からないが昔はそれなりに面白いやつだったと記憶している。

給料こそ少ないが、恐らく金に困ってるから奢ってくれとかではなくてただ会って話がしたいだけだと思うんだけれど、もっとストレートに言ってくればいいのにと思う。

電話しててもずっと退屈だったし、自分の話をするために回りくどくこちらの仕事をこれでもかと聞きまくる。まず導入が長いし不審

最終的には久々に会って話をする誘いをとんでもなく鋭角から攻めてくる。今がそんな状況なら周りから避けられてないかなあと心配すると同時に少し哀れに思う。

仕事会社人間関係楽しい収入面では楽させてもらっているので今だけでも少し勝ち組の自負はある。独立も見えだしている。

一方、安定コースを歩むかと思えば理想現実ギャップに悩み、精神的にも変わってしまった現在負け組側に片足突っ込んでる友人。

お互い20代も半ばを越え収入面での世間的な体裁も気になりだす時期だと思うが、彼はこれからどうするのだろうか。今のままだとどこにいってもやっていけなさそうだ。



7月休職から明けて東京だそうで、その時に会って話すとなると逃げ道がないので自分も鬱になりそうである

2017-06-11

婚活しまくってた10代の私

私は都内の中堅私立大学に在籍していた時、婚活をしていた。期間は途中の休止も挟んで3年くらい。

以下に当時の活動を列挙して行く。

婚活サイト

これを中心に婚活していた。大手ではyoubrid、Yahooお見合いブライダルネットあたりに入会していたと思う。あといくつか小さなところにも登録していたけどよく覚えていない。

どこのサイトもそうだが、何万人もいる会員のプロフィールを全て見ることはできないので、フィルターをかけて検索することになる。

私がかけていたフィルターは、

・25歳〜40歳

年収350万円以上

大卒以上

関東在中

とかだったと思う。

サイト意識していたことは、

・とにかくプロフィールを充実させ、話の取っ掛かりをつくる

マメ日記更新する

・フォトスジオで撮ったきちんとした写真をのせる

・1人の人とメッセージをやり取りするのは一日一往復まで。かわりに内容を濃くする

ハンドルネームをあるSF小説タイトルをもじったものにし、相手が気がついたらその話題で盛り上がり、気がつかなくても「ハンドルネーム意味はこれなんですよ〜」と言って話のネタにしたりした

検索していいなと思った相手にはメッセージを送り、何度かやり取りした後に会っていた。サイトはどこも一長一短で、合うか合わないかは人によると思う。私は街コンとか他の婚活方法よりも、メールである程度やり取りしてから相手に会える婚活サイトが一番性に合っていた。

街コン

合計10回くらい行ったかな。オタク向けのやつだと積極的男性割合が低く感じたし、そういった括りがないものの方が積極的な(暗に性的な接触を望む人含む)人が多かったと思う。

結婚相談所

サンマリエに一度相談に行ったら、ドン引きするくらいの勧誘を受けて怖くなって入会しなかった。お金なかったし。住所と電話番号を書いちゃったかDM電話死ぬほどかかってきて困った。

活動場所はこんな感じ。一番活動してた時は同時並行で10人くらいの人とやりとして、朝1人会って夕方もう1人に会うみたいなスケジュールをこなしてた。勉強してバイトして婚活するのは結構消耗した。

会った相手に必ずきかれたのが、「どうしてその年で婚活しているの?」という質問

相手によって答えを変えていたけど、端的に言うと私は、1人で生きて行く自信がなかったのです。

精神的に弱くて、実家がわりかし貧乏で、不器用で、人とも上手に関われなくて、高校中退して大検大学行って。

そんな私が、1人で生きて行くなんて到底不可能だと、それがわかっていたから、誰かに一緒に生きて欲しかったし、誰かに私と一緒に生きていきたいと思って欲しかった。

その誰かを見つけるために、より多くの選択肢がある場所で、「若い」というアビリティがある内に早く活動をしておきたかったんです。

ただ誤算は、婚活サイト出会う真面目な人はすぐ結婚したいと思っているし、私はすぐ結婚できないということだ。私は学校卒業就職というプロセス踏まないといけない。私がよく会っていた30代半ばの男性達がそんなもん待ってられんというのは当然の話であるわけだ。

(ちなみになんで大学で探さなかったのかというと、大学という「市場」で自分に優位性はないと考えたため。)

そんな中、私は婚活とは全く関係のないオフ会出会った男の人と友達になり、その人の友達とも仲良くなってよく数人で遊ぶようになった。

そのうちの1人が、今の夫だ。

夫は物静かで喜怒哀楽に乏しく、口数も少ないのでどちらかといえば苦手なタイプの人だった。ただ、なんとなーくグループで遊ぶ内に、なんとなーく2人で遊びに行くことになり、なんとなーく交際し始めた。結婚の話なんてしたことなくて、緩やかな付き合いが続いた。

就職して2年目。私は仕事である失敗をし、リカバリーするために朝から夜までぶっ通しで働き、食事を取れなくなって眠れなくなって死にたくなって救急車で運ばれた。

それでも休職はしたくなかった。一度止まってしまうと、もう働くことはできない気がしたから。

病院に毎週通いながら会社に行くのは大層しんどく、トドメADDだとか学習障害だとか診断されて、つらくてつらくて、夫(その時は結婚していない)当たり散らしてた。

夫は私が何を言っても一言も言い返したことはなかった。(あの時どんな気持ちでいたか数年後聞くと、「君が辛そうなのが本当に悲しくて、僕に何か言うことで、少しでも君が楽になれたらいいと思ってた」そうだ)

当時、狂ったように泣き叫ぶ私に夫は言った。

「つらいなら、病院に行かなくてもいい。会社に行かなくてもいい。病気でも障害があってもいい。僕は、君が生きていて、君が君であるだけでそれでいいんです」と。

夫は私の通院についてくるようになった。雨の日でも、待合室で二時間以上またされても、黙ってそばにいてくれた。

それは結婚した今でも続いている。

相変わらず生きづらいけど、しんどいけど、仕事続けながらなんとか夫と生きている。

今でもふと思う。

婚活サイトフィルターかけていたら、歳が離れていて大卒ではない夫に出会うことはなかったんだなあと。

以下の増田出会ったきっかけは?という質問があったため、馴れ初めを書いてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20170126204733

2017-06-09

嫌いだった人が亡くなった。

数年前に同じ職場だった方が、亡くなった。

少ししてから自殺だったと聞いた。

私はその人が嫌いだった。

その人は異動してきてすぐに、心の病で休職経験があると私に言った。お節介の私は、その人が早く職場に慣れるよう何かと世話を焼いていたと思う。

その頃 職場は本当に人手不足で、ほとんどの人は持ち帰り仕事をしていたし、残業会社協定ぎりぎりだった。初めはその人も早く慣れなきゃ、一人前にならなきゃと言っていた。

社会には優先順位などを判断して自律的に動ける人と、それが苦手で指示を受ける方が向いている人がいる。その人は後者なのに、リーダーを任されるはずの等級を与えられていた上、うちの職場企画業務ばかりで、不向きな業務であることは誰の目にも明らかだった。

毎月ルーチンの担当業務も全て、課の他メンバーと一緒でなければ進められなかった。その人と、その人が頼りきりのメンバー業務は玉突き的に他の人に回った。

すでに限界間際の職場さらにピリピリとしていった。

その人は自分業務に精一杯で、他のメンバーの都合を考えられないタイプだった。重要会議の始まる時間に出席メンバー相談事を始めて、周囲が声をかけても中断しないなんてことが頻発していた。残業中22時近くに業務相談を受け、数十分かけて説明したのにメモ一つ取ってもらえず、翌日完全に同じ相談をもう一度されたこともあった。

その頃、女子トイレで「あなた残業中いつも化粧崩れてるよね」と言われた。「女を武器にしてるよね」とも言われた。

誰のせいで残業が増えてるのか、甘えた声で男性仕事押し付けてるのは誰か、私の倍の年齢で倍の給料をもらいながら半分以下の仕事しかしてないのは誰か。

我慢限界だった。

私はその人が嫌いだった。

心の中で給料泥棒と見下していた。

恥ずかしいことだが、私はその人が頼りきりにしていた男性と一時期こっそり付き合っていたこともあり、女々しくて薄暗い嫉妬気持ちもあった。

その人の体調不良による休みが数日続いた後、休職になったと発表された。後ろめたい気持ちもほんの少しあったが、正直その人がいない方が仕事は早く回った。

そのまま別の職場に籍が移って、その間に部には人の出入りがたくさんあって、私も部内異動をしたある日。

その人が亡くなったことを知った。

思わぬ人から自殺だったと聞いた。

異動後も休職していたことは知っていた。

うちの職場休職した最大の要因は、業務ミスマッチだったと思うが、私の影響が無かったとは言いきれない。異動してからの数年、その人に何があって、どうしてそういう決意をしたかは分からない。

おそらく表面張力限界を超えてグラスから水が溢れるように、長年の積み重ねだったのだろう。私が棘になった日もあったのだろう。

会わないうちに赦されていたと思いたい気持ちと、あの頃に戻ったとしても、自分感情や行動は変わらなかった、正当だったという気持ちと、きっと異動してからの数年が原因なのだと思いたい気持ち

思い悩んだところで何も変わらないから考えるのをやめてしまいたいのに、毎分毎秒蘇る。

2017-06-08

年収200万で結婚人生詰みかけてる

どことは言わないがそれなりに知名度のあるweb企業年収600万ほどもらっていたのだが、上司との反りが合わなくなり、気づけば双極性障害になっていた。

休職を経て退職雇用保険受給期間が終わろうという頃に最低限の精神状態を取り戻し、web系の下請け的な個人事業主に。

初年度の年収は150万。所得税住民税も非課税国民健康保険は年間で約2.5万だけ。税金等の負担が少なくて有難いものの、ひとりの日本国民として恥ずかしい気持ちも大きかった。

そういう悔しさをバネに、次年度はなんとか年収300万台まで上昇。普通以下の年収だが、税金を払えるようになれたのはなんともいい難い充実感があったのを覚えている。

しかしその翌年は年収200万台に下がってしまったが、5年付き合っていた彼女結婚した。私の腐っていた時代も支えてくれたので、結婚に迷いは無かった。

年収200万での結婚は厳しいとわかっていたが、彼女事務職年収250万ほどあり、合計すれば普通生活は成り立つと考えていたのだ。

なんとか結婚式費用を捻出し、ささやかながら結婚式を執り行い、国内旅行だがハネムーンにも行けた。

それからしばらくし、妊活を開始。正直この世帯収入子供を持つことに抵抗が無かったわけではないのだが、出産後も仕事を続けることを嫁が宣言してくれたので、子作りを頑張った。

その後、無事に妊娠出産。自宅で仕事をしている個人事業主なので、育児にはかなり参加したほうだと思う。おっぱい授乳以外のことは何でもできる。

そして一年が過ぎ、妻が復職したのだが、会社の業績が悪化したようで、程なくしてリストラ対象となってしまった。共働きを望んでいた妻だったが、実際子供が産まれてみて、仕事より育児を優先したい気持ちが強まったようで、妻としてはなんとも都合の良いリストラだったようだ。

妻は私に再就職を勧めてくる。数社の採用面接を受けてみたが、採用までは至らない。

世帯年収200万で子供を養うのはキツい。児童手当等の補助を駆使し、節約の限りを尽くせば無理ではないだろうが、貧困家庭まっしぐらだ。こんなはずじゃなかったんだけどな・・・

無職雑記

無職になってもうすぐ1年くらいになる。社会人としてそんなのダメだとは思ってる。休職の期間を自分の中でも普通のことだと捉え始めている。こんなのはダメだとわかっている。

ももういい子ちゃんはやめてやばいあの人状態になろうと思う。

いい子ちゃんじゃない自分は、いつ休んだって少し体調が悪いくらいで早退したって罪悪感も何もないサイコパス

今までは何かにつけてやって当然でしょレベルがあったけれども、

それをもっと下の水準に下げてやれば当然エネルギーレベルに余裕が出て生きていけるのではないか

それが自分の数十年かけてやっと見つけた生存戦略なのかなあとも思った

何ににも罪悪感を持たない自分

できないことはできないんだもの

しょうがなくない?

できていた自分がすごいんだ

自分にはエネルギーの相対量が少ないのだ。

みんなよりずっとずっと少ないエネルギーでやりくりしなきゃいけないのだ。

誰かのたらればで、誰かの普通の水準で俺は生きていけないのだ

生きていけたとしてもそれは自分意識化で生存できているとは言えないのだ

今すぐにでも寝たい

怠惰自分に戻りたい

怠惰だったか

怠惰であったことは今まであったのか?

怠惰であるのか?

そもそも怠惰は罪であるのか?

からない

力がない

何に力があって何に欠損があるのか

その辺りがわからない

自分には欠損があるのか?

自分には力はあるのか?

からない

力が入らない

眠い

人に興味がない。

どうすれば生きていけるのだろうか・

2017-06-07

パキシルの恐ろしい離脱症状

うつ病で7年間服薬してきたパキシルを切って、3か月たったころ。

吐き気やふらつき、船酔いのような違和感が徐々に収まってきた一方で、

情緒不安定悪夢、不眠がひどくなってきていた。

体調不良で1日有休をもらい、ほぼ寝たきりで過ごして目を覚ました夕方

異常な不安感とのどが締め付けられるような違和感、落ち着いて着席していられないほどの焦燥感が現れた。

一人暮らしの部屋にいるのが恐怖で、実家の母に電話し、眠るまで切らないでとお願いして2時間つないだままにしてもらった。

翌日からなんとか1週間出社した。

得体の知れない不安とひどい焦燥感は日増しにひどくなった。

時間くらいしか眠れない状態が2週間近く続いていた。

頭も回っていなかった。

「あと少し、あともう少し」と言い聞かせ、何とか出勤していたが、とうとう

職場でも着席していられない症状が現れた。

限界だった。

休職して実家で療養することになった。

主治医は、離脱症状ではない、うつの再発だからと服薬の再開を強くすすめてきたが、薬をやめたい一心だった私は最低限の睡眠薬安定剤だけ飲んだ。

症状は日増しに悪化していた。片時もじっとしていられず、家じゅうをうろつき食事も着席してとれない。

夕方~夜は多少落ち着くものの、寝起きから午前中は地獄だった。

ほかにも、のどが締め付けられるような違和感ヒステリー球というらしい)。

車やバスなどの狭い空間にいると閉塞感で落ち着かず、窓を開ける。

トンネルを通るときなどは恐怖で、運転席に座る母の腕にしがみついていた。

明け方日中も一人でいられず、常に誰かのそばにいて、それでも不安と恐怖が強いときは手を握ってもらっていた。

窓とドアを開け放しておかないと閉じ込められているような閉塞感があり、真冬なのに網戸にしていた。

テレビラジオで「殺人」「強盗」などの言葉を聞くとひどく恐ろしかった。

火星に一人で取り残される宇宙飛行士映画オデッセイ」も、恐怖でまったく見られなかった。

目にするもの、耳に入るもの全てが恐怖の連想につながり、今までどうしてこんな世界で生きてこられたのだろうと思った。

今思えば、脳内不安や恐怖の感情コントロールする偏桃体が、過度に興奮した状態だったのだろう。

こんなに辛いなら死んだほうがいいと思うほど、文字通り生き地獄だった。

2017-06-06

5年くらい前、大好きな父方のばあちゃんが死んだんだけど、死に目に会えなかった。

俺が入社4年目くらいで精神的に病んで休職してる時はばあちゃんが「うちにきて、泊まっていきなさい!」って言ってくれて、食べたいものを作ってくれた。俺もういい大人なのにwと思ったけど、嬉しかった。「◯◯ちゃんなら大丈夫!がんばれ!」って言ってくれたりして。「がんばれ」ってうつ病の人には禁句だ、って言われてるけど、俺はすごく嬉しかった。それから仕事を再開して、まあまあ元気にやっていた。仕事が忙しくて1年に2回くらいしか会わないのが続いて、気づいたらばあちゃん癌になってた。

それからどんどん調子悪くなっちゃって、久々にあったら病院のベッドの上。でもまだそのとき意識もはっきりしてたから、話とかも出来た。「うちに帰りたい」って言ってた。しばらくしたら本当にやばくなって、会いに行ったら意識ない状態不思議なんだけど、俺が行ったらばあちゃんの調子が少し良くなったみたいで、母ちゃんやじいちゃんと奇跡だね、なんて話してた。しばらく落ち着いていたから、一旦俺は自宅に帰って色々していたらその間に死んでしまった。しかも運の悪いことに、色々とどうしようもない事情が重なって葬式にも行けなかった。

ところで、何が話したいのかと言うと、俺はあの日以来ばあちゃんが死んだことで一度も泣いていない。ドラマを見ても泣くしアニメを見ても小説を読んでも泣くんだけど、ばあちゃんが死んだことについては俺はまだワンワン声を上げて泣けてない。シクシクとも。1滴も涙が流れてない。思い出す度になんか引っかかった感じというか、悲しいけど胸が詰まるほど悲しくなれない。あんなに大好きだったし、ひ孫を見せてやらなくちゃ…とか思ってたのに。

冷たい人間なっちゃったのかと悩んだときもあったけど、たぶん、はっきり言ってまだ信じられないんだと思う。信じられないままここまで来た。今でも夢に当たり前にばあちゃんが出てくる。まだ死んだことが受け止めきれてないのかな。受け止めるチャンスを逃したのかもしれない。だとしたら一生、俺はばあちゃんの死を悼んであげられないのかな…。とか思うとそのことが情けない気もする。

こうして文字に起こすのは初めてで、こうすれば泣けるのかな、と思ったけどまだ駄目みたいだ。ばあちゃんに会いたい。ばあちゃんに会いたい…。

追記。ブコメの人ありがとう気持ちちょっと楽になった。今日はばあちゃんのことを思い出しながらいっしょに眠ってみよう。

2017-06-05

有給って取ってもいいんですか

とあるサービス産業の一部上場企業で働いている。先日、労働組合の人と飲む機会があったので話した内容の一部分を書く。

残業を無くす方向性はあるんですか。

残業は無くしたら困る人が多いと思う。月に2,30時間残業代を込みでみんな生計立ててるだろうから減らすつもりはないよ。超過労働問題だと思うけど。

理想は所定の労働時間(月160または168時間)に近づけるべきではないんですか。事業所ごとのコスト面で言えば時間当たりの給料が高い社員労働時間は極力減らした方が良いかと思うのですが。

実際に社員労働時間をそこまで抑えられるだけアルバイトを確保できている事業所ほとんどない。同じ地区内の人手不足のところに人を回すから社員労働時間を減らすことはできないのが現状。社員残業代必要としている人が多いから今の労働時間から減らすのは難しいかな。

アルバイト採用が全く捗っていません。アルバイト社員の時給は上げられないのでしょうか。

アルバイトの時給を上げて採用が上手くいくならそうしている。でも我が社の実績からも、同業他社の実績からもいい結果は出ていない。時給を一度上げたら下げることはできない。そして、時給を上げたら一時的採用数は上がるかもしれないけど、離職率は変わらない。人件費も育成コストも増えてなかなか思うようにいかないのが現実だよね。

有給って取ってもいいんですか。

うちの会社では有給は取れないのが現状。社員有給休暇ほとんどの人が取れていない。今の仕組みを変えていかなければいけないよね。(具体的な仕組みの話は割愛)

有給付与されてから2年経つと消滅しますよね。私は現在入社2年目の社員ですが来年には1年目に付与された有給消滅します。どうしたらいいんですか。

そのままいけば、納得できないかもしれないけど有給消滅して終わりになるね。申請すれば会社義務から取得はできるよ。ただ有給をとっている間には誰かが働かなきゃいけない、その確保ができないからみんな有給をとれない。社員全員が有給を取得すると会社が成立しなくなる。だから仕組みを変えていかなきゃいけない。実際に社員の中で労働基準監督署に飛び込む人もいるしね。

大企業として、そうした問題を抱えていながらも改善しないことには何か理由があるんですか。同業他社も同じ状況だからでしょうか。

同業他社に合わせているということは絶対にない。どうして改善しないかと聞かれると難しいけど、今後は少しずつ改善していくつもり。

ここ数年、新卒採用の数が伸び悩んでいます大丈夫ですか。

不人気産業から就職状況が良くなってる昨今は採用数の確保は難しくなってる。でも新事業の立ち上げや事業所数の拡大で人はもっと必要なのが現状。ここは今の課題だな。

なお現在増田長時間労働の過労とストレスにより休職中。

多少の記憶違いはあるかもしれないけど、内容にフェイクはない。休んでて暇だから書いた。

在宅でもできるまともな仕事って何?

病気の都合で現職(通勤してする仕事)を休職中。

このまま続けていくのは難しい。

社内に病気を抱えながら、在宅も交えスローペースでできる仕事はない。

というわけで転職したいのだけど、

体力を使ってゴリゴリ働くということをせずに、

ゆるゆる続けていける仕事

できれば在宅勤務もできるものがいいのだけど

今まで触れてこなくてどんな職があるのかわからない。

まともなっていうのはランサーズクラウドワークスじゃなくてってことです

雑な文章すみません自分でも今の状況に混乱しているみたいです。

在宅でもできるまともな仕事って何?

病気の都合で現職(通勤してする仕事)を休職中。

このまま続けていくのは難しい。

社内に病気を抱えながら、在宅も交えスローペースでできる仕事はない。

というわけで転職したいのだけど、

体力を使ってゴリゴリ働くということをせずに、

ゆるゆる続けていける仕事

できれば在宅勤務もできるものがいいのだけど

今まで触れてこなくてどんな職があるのかわからない。

まともなっていうのはランサーズクラウドワークスじゃなくてってことです

雑な文章すみません自分でも今の状況に混乱しているみたいです。

在宅でもできるまともな仕事って何?

病気の都合で現職(通勤してする仕事)を休職中。

このまま続けていくのは難しい。

社内に病気を抱えながら、在宅も交えスローペースでできる仕事はない。

というわけで転職したいのだけど、

体力を使ってゴリゴリ働くということをせずに、

ゆるゆる続けていける仕事

できれば在宅勤務もできるものがいいのだけど

今まで触れてこなくてどんな職があるのかわからない。

まともなっていうのはランサーズクラウドワークスじゃなくてってことです

雑な文章すみません自分でも今の状況に混乱しているみたいです。

2017-06-01

学校に行かないで

長くなったから、先に一番言いたいことを書く。

学校に行かない」という選択肢を、どうか選んでほしい。

ネット上で見る糞ニートは、本当に糞ニートだけど、でも自殺するよりはマシなんだよ。

タメの子の何人に嫌われても、大丈夫、生きていける。

無理して学校に行かなくても、大丈夫

私は、中2くらいかほとんど学校いかないまま卒業して、通信制高校に通った。

それでも今ちゃんと働いて、友達もいて、生きていける。

大丈夫学校に行かなくても大丈夫

悪い子じゃない。何も問題ない。

から死なないで。

------------------------------------

いじめられた子が自殺するというニュースを聞くたびに思うことがある。

【なんで「学校へ行かない」という選択肢を選べないのか?】

私の結論を言うと、「良い子」でいることを、無意識のうちに子ども自身が縛られてるんだろうと思う。

そして親も、「良い子でいろ」と無意識のうちに縛ってしまっていることに気付いてないんだろう。

私には、デキの良い姉がいて、私は「アンタはもう風邪とケガだけ気をつければいい」と言われて育った。

「良い子でいろ」と求められた事がないまま育った。

から中学いじめられた時、速攻で「行きたくない」と親に言った。

いじめと言っても、上履きを隠された程度だけど、これに耐えてたら悪化するのが目に見えてた。

お母さんからは色々将来についてグダグダ言われたけど、「死ぬよりマシでしょ」と言ったら黙ったので、それで数年間やり過ごした。

でも姉には、親も無意識で「良い子でいてほしい」と思っており、姉はそれを無意識で感じ取って生きてきたんだと思う。

姉は、学校はいじめにこそ合わなかったが、ブラック企業入社し、ストレスと過労で倒れてもなお耐え続けた。

ボッロボロできったない肌になって、頭に何個かハゲができても、休まない姉が不思議でならなかった。

会社を休むような子は良い子じゃない」って、姉の中の「小さい子」が頑なに言ってたんだろう。

何回休めって言っても姉は休まなかったので、私もキレて「バカじゃないの?そんな状態で、そんな会社に行くの頭狂ってるって」と言ってしまった。

当然、姉もキレた。

自由にさせてもらってたアンタに何が分かる!」って何回も言いながら、泣きながら、ボコスコに殴られた。顔に飛んでくるのが涙かツバかわからなかった。

仕事とは何かとか、働くことの大変さとか、じゃなくて、「親から自由に育てられたこと」を何回も言いながら姉は泣いてた。

そこで、お母さんは姉に「良い子」を無意識強要してたことに気付いたと言ってた。

お母さんが、「お姉ちゃんの元気が一番大事から。それだけで十分だから」って言ったら、姉はやっと休職手続きを取った。

休職期間の間、姉は狂ったように昼夜問わずゲームして、漫画読んで、ネットしてた。

「良い子がしないこと」を反動めっちゃしてた。煙草身体に合わなかったらしい。酒はめっちゃ飲んでた。

それでスッキリした状態で「転職しよう」と決めた時、私の知ってるお姉ちゃんに戻ってた。嬉しかった。

学校や、学歴社会が、確かに逃げ場のない教育空間を作ってるかもしれない。

でも、「行かない」って選択肢を選べない子になってる理由は、それだけじゃないかもしれない。

からは、あの時吐き出させてくれてありがとうって言われた。

姉がどんどん化け物みたいになっていてて、夜中に帰ってきた時に出くわすと心臓に悪かったから、私のためにもなった。でも殴られたのは痛かったから、ラーメンおごってもらった。

肌も髪もキレイになった姉は、新しい会社でまあ普通に働いてる。

お母さんも毎日金麦のどごし生から寝返ったらしい)飲んで、テレビアナウンサーツッコミ入れてる。

すっかり存在忘れてたけど、お父さんはコロコロで絨毯キレイにしてる。

私の知ってる、私の家の普通が戻ってきた。

「行かない」って選択肢を選ぶことで「良い子」でいることに繋がることもあるんだ。

最後に、別に子供自殺するのは親のせいだ」って責めてるわけじゃない。

悪いのはクソなことするヤツと、クソなことを看過するヤツ。

ただ、もしいじめられて悩んでる子にかける言葉で悩んでるなら、「良い子でなくていい」って言ってみてはどうかなって思っただけ。

履歴書高校名ツッコまれて、就活不利だったけど、でも死ぬよりはマシ。

2017-05-30

会社を辞めようと決心したが、考えることが多くて大変だ

発達障害持ちが退職勧奨を持ち掛けられて会社を辞めようとしているが色々不安になっているという、ただそれだけのことを書いていたら大変長くなってしまった。

 

私が新卒正社員入社した10年近く前には、ロクにルールも定まっていないチャランポランな体質だった会社が、

ちょうど入社前後から人を増やし始め、組織として真っ当なものになろうと年々変化していった。

その変化は、評価制度見直しであったり、細かなルールや社則の追加であったり、オープンオフィス化の推進であったりということだったのだが、

それらは、発達障害(ASDADHDの併発)を抱えていた私には、ものの見事に働きづらい方向へとどんどん舵が切られ続けられていくものだった。

これまで、通院やカウンセリングを利用しながら、ルールが変わって何か困ることが現れる度に日常生活改善を積み重ねてだましだましやってきたのだが、

数年前に適応障害で一度休職した頃から、年齢によるものか、ますます自身特性の出方がキツくなってきたこともあり、

この度いよいよ退職勧奨を受けるレベル会社の求める働き方をすることが困難になってしまった。

拒否するならば解雇も辞さない(前年度の有給切れによる体調不良での欠勤記録を理由にしている)という姿勢会社に対して、

どちらにせよ、年々働きづらくなる職場で今後も働き続ける未来イメージしづらいことに加え、

自身状態の変化、生活仕事バランス等の問題もあってそろそろ退職検討しようかと考えていたところに、上長から面談で説かれた

「結果よりも、みんなが同じように頑張ることがまず大切で、同じやり方をしないのは和を乱す悪しき行為だ。」

という最近定まってきたらしい社の基本方針が、私にとって大変窮屈で最後まで適応することのできなかった義務教育現場を鮮烈に思い起こさせ、

折れかけていた心を綺麗に折ってくれたため、退職勧奨に応じる方向で検討している。

はいえ、改めて考えてみると普通の人が当たり前にできることで自分にはできないことがあまりに多すぎるため、

うっかり適当転職してしまうと、これまで元チャランポラン会社という多少特殊環境だったために問題視されず表面化していなかった部分が、

より一層問題として表面化して、試用期間で即切りされるような事態も十分にありえる気がしており大変不安だ。

単純に自分地雷社員とみられる要素を考えると、比較調子良く生活して、

体調や特性を様々な工夫で割とコントロールできている現在状態でも誤魔化しきれていない要素だけでも

片頭痛持ち(気象病気味で薬が効くまで行動不能)

周囲の様子に体調が影響される(周りで他人に対して怒っている人がいるとダメージを受け、度合いによっては数日にわたって発熱下痢頭痛などを起こす、インフルエンザ流行ると高熱を出す、など)

寝坊遅刻、居眠り、忘れ物集中力の波が激しい、不注意、ミスが無くせない、数量を数える程度の軽作業的な雑務が苦手

重いモノを運ばせるとすぐ転倒したり落としたりぶつけたりする、人と長く話すと高確率で翌日発熱する

作業中に話しかけられると手と頭が完全停止して再開にかなり時間がかかるが、集中状態だと話しかけられたことに気付けない

オープンオフィスが厳しい(刺激が多すぎる)、電話が聞き取れない、ネクタイスーツ等の着用が厳しい(感覚過敏)、電車バスでの通勤が難しい

……と、こういったことが簡単に思い浮かんでしまう有様である。恐らく他にもあることだろう。

他に、よくあるコミュニケーション問題では、お世辞や冗談がそうとわからないなどということもある。

また、現在たまたま周囲との相性が良く問題になっていないが、ソリの合わない(不確定なことや不正確な内容を上から・強く・断定的に語る)相手がいると、

たとえ相手取引先や重役相手でも突っかかってしまって、後で頭を抱えてしまうという悪癖もある。

というか、恐らくこれ(こだわり、と言われたりする)が私の一番の悪癖なのだが、そういった傾向の発言連続して浴びせられると、

不確定性への言及がない事に対して頭に血が昇ってしまい、(話題主題ではないのに)そのことしか考えられなくなり、

体が震え、眉間に力が入って目が吊り上がり、瞳は潤み、気が付いたら我を失って相手発言修正するまで長時間食らいつきながら、

なかなか発言修正されない苛立ちでうめき声や奇声を発し、自分身体を殴りつけてしまうという、かなり制御不能な状態になってしまうので、それはもう大変に厄介である

(入社直後に特定の重役と何度か激しく衝突したのだが、現在はその重役とセクションが分かれて接触を断ったことで回避できている。)

例を挙げるならば、「普通に考えてAKBで一番美人なのは絶対○○だ。他を選ぶなんてありえない!」などと10回くらい連続で唱えられると、

気を付けて平静を保とうと努力しても、恐らく暴走してしまうだろう。私自身はAKBには何の興味もないのに、だ。

これらの諸問題ほとんどは、現在環境では前提から回避されているため問題になっていないか

結果的仕事量が他と遜色ないため問題になっていないか

問題視されてはいるが周囲にも似たような人(居眠り常習犯とか)が多く、多少評価を下げる程度で許されている部分になるが、

恐らくこれらの多くは「普通職場」に行くと結構確率で致命的な問題になってしまうだろう。

ちなみに、仕事量は同一でも集中力の波が激しい点と、色々な原因から体調を崩しやす休みがちな点が、今回退職勧奨を受けている原因となっている。

仕事への集中については、机に向かっている8時間ずっと作業に集中するなどというのは自分には到底不可能なので、

結果的に同一の期間で最低でも同レベルの結果を出せるように自分集中力の波を把握してコントロールするよう工夫・努力してきたのだが、

そのやり方自体を「頑張っていないように見える可能性があり、周囲に悪影響を与えかねない」と可能性の話で全否定されてしまったし、

体調不良はまだ有給が残っている程度に今年はうまく抑えられていて、調子がいいと思っていたのだけれど、他の人より多いので問題がある……らしい。

ということで、これまでは医師に上記のような困りごとを相談しても、強く困っていない(現実として会社で働けている)から投薬の必要はなく、

障害も軽度であるという判定で見送られ続けてきたわけだが、今後環境が変化するとそうも言っていられなくなるのではないかと思うのだが、そのことを相談しても医師の反応は鈍い。

しかし、再就職してから投薬開始ではコントロール面で不安が残るし、実際どの程度効果が表れるかもわからない。就職に何度も失敗してから投薬開始というのも遅すぎるだろうと思う。

そもそも再就職時に月数回の平日通院を継続できるかどうかというのも、一般応募ではかなり怪しいだろうと思われるので、病院との付き合い方も検討しなければならない。

また、上に書いた、いかにも真っ当な社会人をやるのに向いていなさそうな特徴の羅列を眺めていると、

いよいよもって障害者支援系の制度や枠組みの利用も視野に入れなければならないのか?いやしか自分程度でそれは甘えでは……などという事が頭をよぎる。

まずは相談……するにも診断書を書いてもらう必要があるようで、前回は反応が鈍く次回の予約日を早く決めたそうな医師相手にうまく切り出せず、先延ばしにしてしまった。

もし支援を受けた経験から見て、私が支援を受けた方がよさそうに思えたなら、少し背中を押してもらえると大変ありがたい。

なんにしても、(現在職場が恐らく稀有比較的恵まれ環境であると知りつつ)限界を感じて退職するという方向自体は決心したものであるので、後は時期だけの問題だと考えている。

そして退職前後の直近の問題として、無職になると恐らく部屋が借りにくくなるので、

様々な要因で現在手取りに対してかなり高い家賃を払っている部屋を、まだ職に就いている間に引き払って引っ越す必要がある。

しかし、ここ数年相対的な勤務時間の短さを理由バンバン評価給与を下げられていたので、現時点で敷金礼金はおろか引っ越し資金の捻出すらできない。

金銭的に頼れる親戚もいないので、ひとまずは夏のボーナスをもらうまで粘って引っ越し資金に投入するつもりだが、

年によっては寸志のような額になることもある中、果たして今年のボーナス支給で足りるのかどうか……足りなかったら何かで借金をするしかないのだろうか。

また、会社側の退職勧奨をボーナス支給後、引っ越し完了のメドが立つまでうまく受け流しきることができるのか。

そして引っ越し完了まで上手く漕ぎつけたとして、その後の就職生活が本当にまともに再構築できるのか。

しばらくは失業手当をもらいながら、概日リズム睡眠障害検査治療など、まとまった時間のかかる部分の対処を進めたいと考えているので、無職期間が発生するのは確定的だ。

まったくもって不安なことだらけだし、どうすればその不安が解消されるのかもよく分からないので、とりあえず書き出したり並べたりしてみるものの、

あーもう困ったなあ、あれもこれも考えないと……と御覧のように完全にテンパってしまっているのである。参った。ネコ飼いたい。

就活就職に対する恐怖感

最近就活に関するエントリが多数上がっているので自分も書いてみるとする。

当方MARCHの4年生、第一志望の企業群に順調に落選し、集中力がぷつんと切れてしまった。

どうしてこんな事になったのだろうと、グループディスカッションであったり面接であったり、現在までの就職活動問題点を振り返ってみると、自分の心の中に「長期的な就職への恐怖」「ブラック企業に対する恐怖」が漠然として存在することに気づいた。

別に「やりたいことがない」というわけではない。「他人比較してしまって焦っている」というわけでもない。

一応、「やりたい仕事」「興味のある分野」「就活の軸」というのは自分の中では決まっていて、

・「問題解決」の仕事

・「情報発信」の仕事

・「社会貢献収益方法合致している」合致している仕事

・「働きがい、働きやすさ」がある職場環境

・「若手への裁量権の多さ」

というものだ。

これらはサークル大学勉強自分営業ライター企画として参加した長期インターン(という名目バイト)での経験から得たことで、面接の場で具体的に理由説明することもできる。

しかし、上に挙げた「軸」というものは、実際に働いてみないとわからないことでもあり

自分にとって劣悪な体制を持った企業」には入りたくないという恐怖によって、就業経験もない人間のくせに、面接の場で要らぬことを言ったり聞いてしまっているのも事実だった。無意識企業をかなりより好みしていたのだ。

この恐怖は何に由来するのだろうと今一度考えてみると、親から受けたものが大きいことに気づいた。

私は幼い頃から仕事愚痴が絶えない家庭で育ってきた。両親は共働きだったが、朝は会社行きたくないといい、夜は部下と上司愚痴をいい、休日は二人共昼まで寝ていて、こどもが病気にかかると「どうして病気になった。職場迷惑がかかるだろう。」と怒るような社畜だった。

極めつけは私が小学生時代夏休み計画表のずさんさに対して母親激怒し、幼い私に実際に仕事で使っているタスクマネジメント術を叩き込んだことだ。怒られたくない一心でとにかく覚えて実践したのを記憶している。

両親がこんな社畜になってしまったのも原因はあった。職場ミスマッチだ。

両親が入社したころはまだまだ規模の小さい会社で、ベンチャーと呼べるレベルだったのだが、会社は急成長をとげ、現在では大企業と呼ばれるにまで至った。

私の両親も会社の成長と共に、役職が上がり上級管理職にまで上り詰めた。それがいけなかった。二人共向いていなかったのだ。

不向きな仕事上級職に対する社会的責任、そして子供の養育。溜まりに溜まったストレスが、子供に向かうことは必然だった。

最終的に父はうつ病寸前まで至って休職し、回復してから辞職したものの、抜けたことで職場が回らなくなったらしく会社に呼び戻されてしまった。

母は転職することに成功したものの、また向いてない管理職になってしまった。

幸い、子供一人暮らしを果たすことで、育児から開放されて趣味時間を手に入れることが出来た両親は、いくぶんか心持ちがマシになり、現在夫婦むつまじく暮らしているようだ。

私は絶対こうなりたくない。社会歯車として社会を回すのは全く構わないが、社会に振り回されたくはない。だが実際そういうもんだというのもふつふつと感じている。

ちんけなプライドだとは自覚しているものの、どうしても拭い去ることができない。また自分を殺し続けるしかないのだろうか。

2017-05-29

一番古い記憶

確実に年齢覚えてるのは4歳のとき

保育園のきりんぐみの教室いたことを覚えてる

それより古いのだとリヤカー?押し車?みたいなやつに立った状態でおしこめられて散歩にいった記憶

たぶん3歳とかかな

その次はもう5歳のぞうぐみだ

おやつに出たピーナッツを食べたら鼻血が出た記憶

6歳のくじらぐみになると一気に記憶はふえる

せんせいと結婚するといっていたこ

せんせいのお手伝いをして荷物をもって後ろからついていってるとき先生ジャージのおしりのところに1cmくらいの穴があいてて教えてあげたら先生が恥ずかしそうにしてたこと

手編みの毛糸マフラーもどきが数mくらいまでになったとき自分のひきだしにいれといたらなくなってしまったこと(当時は盗まれたとは思わずになくなっちゃったがっかりしてただけだったけど今思えば盗まれたんだなあと

道端にはえてるむかごを食べたこと

おさんぽで近くの公園にいってBB弾を拾ったこと

ぷらものランナーゴミがきみどりの透明なやつでめちゃくちゃきれいで持って帰ったこと

そんで銃の形っぽくして宝物にしてたこと

コマ回しをしたこと

あやとりが得意だったこと

折り紙で難しいやつ(ライオン)があったからみんなが順番に先生に折ってもらっていて、自分も折ってもらいたかったけど、結局卒園まで折ってもらえなかったこと

女友達の家に遊びに行ったら室内にブランコとか滑り台があって驚いたこ

動物ビスケットをもらってめちゃくちゃおいしかったこと

夕食でしいたけが出て食べたら友達の親にほめられたこと

お泊りの予定だったのにさびしくなって押入れの中で鳴いてたら親よばれて結局泊まらずに帰ったこと

お昼の休職は卵のキッシュみたいなやつが好きだったこと

おやつ動物まるぼうろが好きだったこと

冬はかんぷまさつをして上半身全裸マラソンをした

冬の散歩中にまだ熱かったバイクマフラーに足があたってふくらはぎの横にみずぶくれができた

水疱瘡ができて医者にいったらはさみで切られまくって血だらけになった

夏祭りできつねの化粧をしてソーラン節を踊った

親友まーくんと二人で焼却炉の上でいろいろ話した

友達の家にお泊りにいったときに夜寝る前にじごくのそうべえを読み聞かせてもらった

めっきらもっきらどおんどんのもちが食べたくてしょうがなかった

耳かきボイスについて語るから聞いてほしい

 休職中につき暇なので耳かきボイスについて語る。耳かきボイスが何か知らない人はとりあえず以下の動画を見て(聴いて)ほしい。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm28975957

 この動画少女は俗に炭酸ちゃんと呼ばれていて、とみみ作品の中でも随一の人気を誇っているのだがそれは置いておく。

 一度体感してもらえばわかると信じているのだが、耳かきボイスを聴くということは単なる耳かきの疑似体験では決してなく、「バイノーラル録音された耳かき振動女性男性)の囁き声による振動を脳に染み渡らせる」という唯一無二のエンターテインメントなのである

 さて、ここで俺のおすすめ耳かきボイスをいくつか紹介したい。今調べたらiTunes耳かき関連項目が1297あった。買いすぎだろ。なお今回は18禁意図的に外したのであしからず


・とみみ庵「音無奏の音フェチ研究室

http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ150001.html

 とみみという人物は上記の動画のように高クオリティ耳かきボイスを40以上もニコ動投稿している現人神のような存在なのだが、DLsiteでの販売作品複数ある。その全作品クオリティ価格共に最高レベルであり「現人神のようなというより実際に神なのではないか?」という疑いが拭い去れない。そんな作品から俺がひとつ推すとしたら本作になる。バイノーラル録音の心地良さをこれでもかと感じられることは間違いない。たっぷり1時間収録で216円という価格はもう他のサークルを殺しにかかっているとしか思えない。耳かきボイス界では有名な声優「かの仔」が珍しく少年っぽい声を演じている点も◎。なお耳かきシーンは存在しないがそんなことはどうでも良い。


・音撫屋「彼女耳かきと十二ヶ月」

http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ146114.html

 先に述べた「かの仔」が主催するサークル作品からはこれを。1月から12月までの全12トラック、それぞれ季節感のあるエピソード体験できる。ひとつひとつトラックが短めなのでとても聴きやすく、耳かきボイス初心者にはうってつけではないかと思う。驚きなのは、全トラック使用している耳かき道具が異なるというこだわり。そして注意書きには「リアルな音、リアルではないけど気持ちいいと思う音を収録しました。」の文字。これだよこれ。リアルかどうかとはあまり関係ない部分に耳かきボイスの真骨頂があると言っても過言ではない。あと音撫屋といえば耳ふー(耳に息を吹きかけるやつ)が最高オブ最高なので一度体験しろ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm31249602


彼岸花と無口少女。「あなたのお耳、癒します綾辻さんの添い寝すぺしゃる~」

http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ174597.html

 このサークルドラマCD寄りの作品が多いのだが、中でも本作はCV:浅見ゆいの癒やしパワーが全開になった傑作。それはもちろんシナリオの良さが故。綾辻さんという旅館女将のおっとりしたキャラクターが抜群で、更にいえばちょっとえっちい展開なのも最高である個人的にはやはりタイトル通り添い寝シークエンスが抜群に心地良かった。架空キャラにうっとり恋してしまいそうになる危険作品


・桃色CODE「道草屋-芹 おもいで」

http://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ180495.html

 音質の驚異的な高さという暴力リスナーを殴りつけてくるサークルといえば桃色CODEである。本作でもそれは健在で、ラムネを開けるシュワッとした音、肩たたきトントンという振動感、飲み会での盃を躱す音、全てが絶品という他ない。更にはBGM的にずっと聞こえている田舎の昼/夜らしい音、どう考えても実際に録音してきたとしか思えない。手間のかかり方が半端ではないのだ。更に本作ではなんとガチ怪談が3つも収録されている。稲川淳二よろしく語りかけるそれらは本当に背筋がゾクッとなるクオリティ。あまりに隙がなさすぎる。


カマキリ「ぐっすり眠れる耳かきボイス その3」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm28771395

 最後ニコ動投稿から。たったの7分半ながらこの破壊力はヤバすぎる。甘々な恋人どうしの空気が全編に濃厚に漂っていて打ちのめされること請け合い。俺は「フヒヒッ」って笑うところで死にました。バイノーラルの音も申し分なし。珍しく流れているBGMも良く合っている。ところで投稿者コメントによれば「個人的に頂いた音声ですが一人で聞いていると発狂しそうなので泣く泣くアップしました。」とのことで、もうさあ、もう!(発狂


 というわけで終わりだ。え? 有名所だけじゃねえかって? しかたねえだろ! 定番サークルだけでも聴ききれないくらガンガン発売されてるんだからさあ! いやほんと、すみません。他におすすめあったら教えて。

会社に行けない

私は正社員仕事をしていたけれども、仕事場環境の変化に耐えられず、体が会社に行くのを拒んだ。

頭痛嘔吐過呼吸がひどくなり休職することに。

仕事を投げ出しやがって!と思われているんじゃ無いかとか、責任を果たせないまま仕事を止めてしまう後ろめたさがあって休職しても毎日のように苦しくて布団を被って泣いてた。

病院に行ったところ適応障害と診断された。

治療はどうだったかと言うと、心療内科先生に話を聞いてもらったり、抗不安薬(私はデパスではなくエチゾラムをもらってた)や、眠れない時は睡眠薬をもらって飲んでいた。

エチゾラムは飲むと頭の中がポワーっとしてきて、考えられる深さが浅くなる感覚になる。筋肉の緊張がやわらぐ成分が入っているせいか力が抜けるので、本当に腑抜け人間になる。

睡眠薬は飲んで寝れたとしても朝の目覚めは最悪。頭が痛かったり二日酔いみたいな感覚に近いかもしれない。

薬を飲んでいても頭痛嘔吐過呼吸はすぐ良くならないし、眠りの質もとても良いものとは言えない。

こんな状態になるなら薬なんて飲まない方がいいのでは?とも思ったけど飲まないと治らない気がしてお守りのように飲んでた。

治療に関しては、心療内科先生と話して最近の状況の報告を2週間に1回くらいのペースで通院する。

ぶっちゃけ先生問題解決プロでは無い。私の場合会社環境が原因だから先生にはその根本的な問題をどうすることも出来ない。(自分でもどうしようもないのだけど。)

先生提供出来るのは体調を戻すための期間(休職診断書)と症状を和らげる薬。

結局、自分問題自分解決するしかない。気持ちの奥にある嫌なものや気にくわないもの、どうしようも出来ない問題自分でどのように捉え直さないといけないかは、ホント自分次第なのだ。誰も助けてくれない。

実は私が心療内科に行くのはこれが初めてではない。何人もの先生に会ってきたけど違う角度でものを見る方法なんて誰も教えてくれなかった。みんな時間解決してくれるよ〜といった人ばかり。

診察も「最近どうですか?」から始まるけど、体調の話をして何処か悪ければ薬を出す。

仕事復帰の話は自分で切り出さないと進まない事が多い。

特に話す事が無くても通院する期間は、薬を処方して貰えるとはいえ、ただお金を取られるために何で病院に行かなきゃ行けないんだとさえ思うこともあった。薬の処方がない時は特に。一緒に問題解決してくれる場所ではないのに。

しかしたらお坊さんと週2で話した方が考え方や心のあり方のお話が聞けて有意義かも知れない(ちなみにお坊さんとお話しした事がないのであくまイメージ)とさえ思った。

私は仕事に、復帰しないと自分アイデンティティがなくなってしまう気がして正直焦っていた。仕事だってまだやりたい事がある。もっとやれる。

から、半ば心療内科先生産業医先生を騙して「もう大丈夫です」と言って無理やり復帰した。

自分や周りを騙し騙し仕事をするのは正直しんどいけど、こんな思いをして仕事をしている同士はいないものかと興味が出たのでこんな事を書いてみた。

2017-05-24

部下からメール

http://anond.hatelabo.jp/20170427184720 の続き。

部下は心療内科に通い始め、医者ストレスの原因となるものから距離を取るようにとの指示を出した。会社は僕に対して、部下へ最低限のフォローメールでするように指示し、時々事務的メールを送るようになった。

逆に言えばメールしかできない。部下のストレスとなるものから遠ざけるのは、当然の配慮だ。

メールの文面については当初専門家がチェックし送信していた。やがて社内の者のチェックになり僕の指示、連絡が部下の状態悪化させないような文章となっているか確認されている。頑張るという文字を入れない、復帰することを期待していると書かないなど…だ。

第三者のチェックが入るためできるだけ短く、そして事務的感情を入れないような内容で送ることが多くなった。

自身も、軽い抗うつ剤精神安定剤を1か月ほど服用した。今は量を減らしている。正確には医者に行くのがめんどくさくなって薬を時々しか飲まなくなった。だいぶ客観的自分状態を見ることはできるようになったと思うが、メンタルはまだ安定はしないこともある。仕事の量が減ったことや、これから季節が夏に向かうので、さらに快方に向かうと思いたい。

僕のかかった心療内科医者は、勤務先がベンチャーだというとよくあるケースだという。よくあるのは、ワーカホリックモチベーションの塊のような創設メンバーの中、あるいはそのノリに乗れない中途採用者の誰かが倒れて初めて働き方改善が行われるという。会社は、僕と部下の鬱状態の者を2名出したことに対しては迅速に対応してくれた。

先日、たまたま僕の誕生日に部下から事務連絡の返信があった。

事務的な返信の最後に「誕生日おめでとうございます。」ではじまるいくつかの短い文章が書かれていた。今年は直接会ってお祝いできずにすまないといった意味のことが続いて書かれていた。

このメール文章を読んで、思わず涙ぐんだ。周りに誰もいなければおそらく泣いていただろう。

帰宅してから妻にこのことを話すと「今日、一番うれしいメールだったね」と言われた。元は同じ職場で部下のことも知っている妻は、今回の部下のことは僕だけのせいではないし、もし僕のことを恨んでいたらそのようなメールはくれないはずだと言う。

このメールと妻の言葉は本当に僕を楽にしてくれたと思う。

自分が快方に向かいつつある一方で、部下がまだ鬱と闘っていると思うと辛い気持ちにもなるが、早く回復してほしいと思う。

僕が部下にできることは何だろうか。部下の休職後、鬱に関する本を何冊か購入し、ネット情報も探してみたが、なかなか見つからないでいる。

ダメな人同士で集まるのはあまり良いと思えない

自分あんましにも上司に詰められてる姿を見かねて、「休職ベテラン社員さんが声をかけてくれて色々アドバイスしてくれたりした。

結局自分は、倒れてしまったため、違うチームに異動となった。今は普通に仕事ができてる。異動後すぐに色々任されて忙しいが、人間関係も良くて、それなりに楽しい

さて、異動前に少し世話になった休職ベテラン社員さんが度々飲みに誘ってくるのだが、飲みで話すことが仕事での人間関係愚痴仕事が大変だ、という話ばかり。仕事が大変で忙しいのかーと思ってたら、午後は相談する内容を文章でまとめてた(仕事相談ではない)、とか言ってきたりで「は?」と内心思ったりもした。

自分を飲みに誘うのは、同じく仕事できない匂いがして、仲間同士、傷を舐めあおうということなのかもだが、こちらは愚痴なんてない。

趣味人同士で集まるのは有意義な会話もできるだろうが、仕事できない同士で集まっても何の意味もないだよな。

あと、愚痴を聞いてもらうのに誘うんだから少しは多めに出してほしい。俺よりはずっと多めにお賃金もらってるんだし。

2017-05-22

駐在の憂鬱

とある国で駐在妻をしているが、恐ろしいほど駐在妻同士で価値観が合わなくてしんどい

大体の人が結婚旦那所属収入海外駐在可能性を考慮した上で結婚している。

悪い言い方をすれば自分人生旦那寄生して過ごしている。

そのため会話をしていても話に深みがなく薄っぺらくて辛い。

会話の大部分は誰それの奥さんがどうのとか、旦那さんがどうのとかである

あとはなぜか学歴の話も上がる。

一方で私は会社の一時休職制度を利用して駐在に帯同している。

駐在している国の第一言語の取得はもちろんのこと、キャリアプランに有利なことは全て行なう

自分の将来のキャリアプランや成し遂げたいこと、こどもの将来の道筋教育費、教育論に関するオススメの本など

こんなことを話せる人がいない。

特に女性キャリアに関しては女子大に出て商社インフラ男子を捕まえた人がすごいという価値観蔓延しているので、

もちろん私の価値観とは合わない。

どちらの話題が崇高であるとか、陳腐であるとか、人の価値観によって違うので、それはここでは問題でなく、

ただただ日本語自分が話したい話題、討論が出来ないのが辛い。

2017-05-21

発達障害者連帯できない

NHKの方に投稿しようとしたけどこんなの絶対まれないだろうから増田の方に投稿する。

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ASDADHD併発の当事者です。

**歳のとき休職した際に診断をうけ、現在障害者雇用に切り替えて就労しています

就労については理解のある上司存在もあり上手くいっているのですが、

家と職場の外の居場所を作ることが出来ません。

 

これまでいくつもの当事者団体自助会に参加したのですが、真っ当な団体存在しないのです。

大手当事者団体であるNeccoですら不正受給を行い都から処分を受けています

(http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2014/08/20o8t400.htm )

中小団体も多かれ少なかれ参加費の不正会計などの不適切行為が行われています

参加者レベルでも障害者手帳等級主治医と結託して不当に上げるような話が当たり前のようになされます

私はそのような不正行為が許される風潮に耐えることができません。

 

そもそも既存当事者団体自助会が社会に参加できない重い症状の当事者向けのものであって

自分のようになんとか働けるレベル当事者向けの団体存在していないのもあるのですが、

重く社会参加できないが故に社会寄生しても良いとする基本的思考がそうさせているのではないでしょうか。

少なくとも当事者にある社会に対する、ひいては人類に対する憎悪もその傾向に拍車をかけているのは確かだと思います

 

私も確かに人類憎悪してはいるのですが、症状が比較的軽いが故に当事者連帯できず、社会とも繋がることができません。

私はどうすれば良いのか分かりません。

適応障害会社を辞めた話

前職はそこそこのブラックだった。

サービス残業は当たり前、頻繁にある出張では移動時間は勤務時間に含まれず、出張すればするほど働かなければいけない時間が増えていく。

それでも制作として働いていた三年間は楽しかった。今思うとやり甲斐搾取ってやつだったのかもしれない。しかし同部署の先輩が二人辞め、いつの間にか案件外注してまとめる営業側に立っていた。

慣れない営業と、社内で処理したい小さな制作業務と、辞めていく人達の引継ぎに追われて、元々身体が弱かったこともあり、ある日ぽっきり折れてしまった。

不眠と動悸と頭痛と、今まで感じた事のない不安感に苛まれ心療内科に駆け込み、倒れこむように休職をもぎ取った。病名は適応障害だった。

それから傷病手当金会社で止まっていただの、退職届を出しても辞められないだの、しょうもない事で私の精神時間を消費し、病気は治る事もなく一年が過ぎた。転院したり、薬が増えたり、労基に会社をどうにかするよう頼み込んだが、労基に親に頼めと言われた事もあり、結局は親に連絡してもらってようやく辞められた。(傷病手当金会社経由で振込まれていたが、計算の合わない額が振込まれており、そこでも無駄に消耗した)

まったく休まることのなかった一年を経て、私の頭はどんどんおかしくなっていった。焦燥感不安感が常駐し、光や音に過敏になり、思考は胡乱になった。とにかく何かを作ってみようとアイディアノートに書き留めても、明日自分が引き継いでくれない。継続した日々ではなく、苦しみながら起きて安定剤を服薬し睡眠薬眠る、分断された一日を送るようになった。

最初休職してから、もう二年が経ったが、まったく良くなる気配がない。傷病手当金給付も昨年で終わり、貯金を崩しながら死んでないだけの日々を送っている。

はやく良くなりたい。

働きたい…。

2017-05-20

ジブリと他アニメ制作会社におけるアニメーター求人内容

一応すべて新卒経験で応募可能求人のはず

ちなみに出来高制は動画1枚=200~250円位が相場

新人は月に500枚かければ優秀な方なので出来高のみの場合一年目の月給は10万円以下がほとんど


ジブリ

http://www.ghibli.jp/info/011243/

職種動画

給与:月額20万円以上

   賞与年2回

   交通費全額支給(上限有り)

福利:社会保険完備

形態契約社員

休暇:週休2日制 ※ただし制作スケジュールにより変更有り。

   夏季休暇、年末年始休暇、有給休暇制度


東映アニメーション代表作:ワンピースプリキュアシリーズなど)

http://corp.toei-anim.co.jp/recruit/production_staff/index

職種演出助手アニメーター美術デザイナー(背景)、色彩設計製作進行、記録

給与:月額226,100円

   住宅手当、通勤手当 等

   賞与年2回(6月12月

   交通費全額支給(上限有り)

福利:社会保険完備(健康厚生年金雇用労災)、保養所共済制度、厚生貸付金、従業員持株会、育児介護休職制度

形態契約社員

休暇:週休2日制(土日)、祝日労働祭、会社設立記念日夏季年末年始有給(初年度10日、次年度18日、最高22日)・慶弔・特別休暇

注:めちゃくちゃホワイトに見えるが、東映アニメーターを年に一人取るか取らないかの超狭き門といわれている


OLM代表作:ポケットモンスター妖怪ウォッチなど)

https://olm.co.jp/recruit/new/sakuga/doga/

職種デジタル動画

給与出来高インセンティブ有(ただし、未経験者等は2か月間を研修期間とし、月150,000円)

   交通費支給(規程有・上限月5万円)

福利:記載なし

形態業務委託

休暇:日曜・土曜・年末年始夏季


株式会社MAPPA代表作:この世界の片隅にユーリ!!! on ICEなど)

http://www.kurihaku.jp/2018/recruitment/show/id/1085

職種動画マン

給与出来高

   入社3ヶ月間:研修費60,000円+交通費

   3ヶ月目以降:出来高動画補助20,000円(1年目のみ)+交通費

   通勤手当研修後に目標枚数に応じて、別途達成補助あり】

福利:記載なし

形態業務委託フリー

休暇:週休2日


J.C.STAFF代表作:少女革命ウテナとある魔術の禁書目録など)

http://www.jcstaff.co.jp/kyujin/sp/06_sakuga_sinsotsu.htm

職種作画

給与:最低保障制 月額 5万・8万・11万円 ( 技量による )

   正社員登用時 : 14万円~ スタート

   交通費は月額上限10000円まで支給

福利:正社員登用時加入

形態正社員登用を前提とした契約社員

休暇:日曜日 / 祝祭日 / 夏季 / 年末年始


タツノコプロ代表作:ガッチャマンプリティーリズムシリーズなど)

http://www.tatsunoko.co.jp/recruit/newgraduate2018pre

職種作画

給与最初の2ヶ月(研修期間:70,000円(源泉所得税復興税込、消費税別)+作画単価×出来高

   3ヶ月目以降(動画、二原期間):50,000円(源泉所得税復興税込、消費税別)+作画単価×出来高

   通勤定期券支給(上限あり)

福利:記載なし

形態業務委託契約

休暇:記載なし

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