「部落」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 部落とは

2024-09-03

anond:20240903155905

西だとズバリ差別部落という意味(東でいう同和地区)になるからなぁ

東だと集落とかと同義から何が悪いのか解らないだろうし

2024-09-01

anond:20240221152929

鉄 銃 疫病 みたいなタイトルの本を書いたやつが

大人になるまでお金というもの出会たことがなかった

原始的暮らしをしていた部落の人たちに対してインタビューをしてた

ずっとお金というものを知らずにその原住民同士の小さなコミニティ暮らしてたんだけど

その地域文明化されたことで初めてお金というものに触れてその概念理解して実際に貨幣経済の中に組み込まれ生活するようになった

そういう人に話を聞くと

お金というものを知る前の自分経済的感覚というものがどういうものであったか 

最早よく思い出せないと言うんだ。

かに ずっと お金というものがない社会 で 長い間暮らしてきたんだけど

お金というものを知って 実際に使うようになって それから以後のことは

はっきりとわかるんだけど

それ以前の お金がなかった頃の

自分の中の 経済的観念というものがどういうものであったのか

それが自分でも よく理解できない

そういう何だか恐ろしい ことが書いてあった

それほど お金というものシステムは 私達人間にとって

ものすごく馴染みやすい精度で すぐに私達の心は 貨幣経済と 混じってしまうということなんだと思う

かに 私達も 小さな子供の頃は お金という概念理解できていなかったと思う

その頃の 間隔がどういうものか 確かに 説明できない

それは幼少の頃だから というのも もちろん あるけれど

それだけではない なにか 混じってしまって以後は純血を取り戻せない なにかが あるような気がする

2024-08-31

小泉進次郎総理になる日=民主主義ルッキズムに負けた日

清潔感のない不細工おっさんは有能でもリーダーにはなれません

ってことが確定するわけだけどお前らそれでいいの?

そんなマッチョ世界、俺は嫌だよ

部落出身でも、貧乏人でも、ブスでも、優秀なら選ばれてほしい

それが公正な世界だろ

2024-08-09

これって差別に関してよくある倒錯だよな

red_kawa5373 id:ancv 恋愛による選別は差別にならないなら、国籍とか、親の血筋職業とか、出身地部落地域であることを理由結婚を拒むのは、差別ではないことになるな。容姿血筋も「生まれ持った属性」という点は同じだし。

恋愛による選別なんて差別に決まってんじゃん。

あらゆる差別は許されないみたいに考えてるから逆説的に許されているもの差別じゃないってなっちゃうんだよな。

人間他人にすることはほとんどが差別だよ。

その中に現在社会的に許されている差別と許されていない差別があるってだけ。

恋愛では個々人の間でありとあらゆる差別が行われているし、学校企業所属するのに様々な差別が取り払われつつあるけど能力差別だけは厳然と存在している。

でもそれは許容されることだろう。少なくとも現代日本では。

国籍血筋職業出身地結婚を拒むのも、

家族親族がそこを嫌って口を出すのは家制度が廃れて最近は許されなくなってきてはいるけど、本人がそう思うのであればどうしようもないでしょ。

内心では嫌なのに差別が許されないから嫌な属性を持つ者と結婚するなんてちゃんちゃらおかしいやん。それをどう相手に伝えるのかは別の問題としてあるけど。

あと多分この人は「あらゆる差別が許されない」わけではなくて「生まれ持った属性や本人に選択権のないことでの差別は許されない」って考えてるのかもしれないけど、

本人が自分選択した属性でも普通に許されない差別もあるでしょ。宗教思想信条自由なんて差別排除の一丁目一番地だし。

https://anond.hatelabo.jp/20240809172354

2024-08-08

人材会社新卒にマイ就活ナンバーを発行してそれを使って就活状況をどんな大企業も見れるようにすればいい

規約に書いておけばいい

コストが圧倒的に減る

10社のみしか受け付けないようにすれば全部落ちた人はいさぎよく非正社員になってくれる

2024-08-02

国有地国交省

不動産屋が避ける元部落地や山地(頂上だけは国有地だったり)

登記簿管理法務局

登記書換命令裁判所

国道損賠に気前の良い保険会社

 

やっぱり有事名目裏金プールがあったり

平時チューチューできたりかな

有事に安く借りたいメディア

絶対に突っ込まない闇だろうなー

 

平成15年東京変電所横の国道大事故ってなんだろうなー

2024-07-31

[]

馬の骨、「古い馬の骨」の表現説明を要する。

妖狐は多くの形をとる力を持つが、男を騙す目的のため通常は可憐な女の姿をとる。

この種の魅力的な見せ掛けを造ろうとすると、古い馬の骨か牛の骨を拾い上げて口に咥える。

やがて骨は光り輝き、その回りに──遊女芸妓の形体で──女の姿の輪郭形成する……

そういう訳で、見知らぬ嫁と結婚する男への疑問について「どんな古い馬の骨を拾い上げたのか」が本当は、

「どんな尻軽女が誘惑したのか」という意味になる。

それは更に、他所者は特殊部落血筋かも知れないという疑いを含んでいる。

ある種の遊び女は、古くから主にエタや他の下層階級の娘の間から募集されてきた。

2024-07-30

部落関係で同じようなこと言ったら総括行きになりそう

2024-07-25

転職活動備忘録

この度、色々あって転職活動をすることになった。

5月から始めた転職活動が終わりそうなので、いったんここで思ったこととかやったこととかをまとめておく。

まず当方45歳である

過去6社を経験している。

それぞれ広告ゲームメディアWeb飲食補助金のやつ)、営業などの割と異業種を渡り歩いてきた。

しか転職活動は初めてだった。

というのも大学の友人のツテだったり、過去の同僚のツテだったりと紹介やお誘いで入社退社転職を繰り返してきたからだ。

ここで立ち止まって自身スキルセットを見返してみるとマジでなんもない。

強みといえば過去6社全て異業種であったこから得た経験知識である

しかしそれも次の職で活かせるのかといったら謎である

活かせる職に行けばいいのだが、何処に行ってもどうせゼロベーススタートになると思っているので、面接で何を言っていいかわからん

だがそれでもそれくらいしか武器がないので、良い感じに取り繕って面接に臨むしかない・・・と思っていた。

エージェント登録するのもこれが初めてである

登録してヒアリング面談上記を伝えたら、凄い親身になって、

「そういった内容より〇〇って言ったほうがいい」

「△△は凄い武器になるのでプッシュしていきましょう」

と教えてくれた。

エージェントには包み隠さず自分の来歴を全て伝えるのが大事だと思った。

正直めちゃくちゃ助かった。

エージェントから

「ご自身求人リストから応募されますか?それともこっちでガンガン応募しちゃっていいですか?」

と聞かれた。

正直自分で選ぶと選り好みしてしまいそうだったので、エージェントガンガン応募してもらうことにした。

最初の1か月はとにかく書類で落ちた。

そりゃそうだ。

定着しない45歳のおっさんなんてどこが取りたがるのか。

俺でも落とす。

というわけで書類だけで50社落とされた。これは盛った数字でもなくガチで50社。今数えたらピッタリ50社だった。

3社ほど物好きな会社が一次面接をしてくれるというので、今流行web面接をしてくれた。(カジュアル面談1件)

そして全部落ちる。

絶望する。

これが最初の1か月。

自己紹介

志望動機

転職理由

・苦労したこと/大変だったこ

この辺はなんとなく良い感じで話せるのだが、

キャリアビジョン/今後どうなりたいか

10年後の自分

などが非常に厳しい。

あのさあ、こちとらおっさんよ?

キャリアビジョンかいわれても、もうキャリアも終盤に差し掛かっててアンタんとこで7社目よ?ビジョンもクソもないよ・・・

というのが透けてみえるのか、ちゃんと回答は用意したのだが、

エージェントからメール

キャリアビジョン曖昧のため、お見送りとなりました」

というの理由で3社とも同じ回答で落ちた。

絶望する。

もうゼンゼロで遊んで全てを忘れよう、と思ってエレンと餅武器の両方を完凸してしまった。

30万円くらいかかった。

あ^~つえ^~

これが45歳である

草。

とはいえ自分の弱点はキャリアビジョンとハッキリと明示されたのでそこを補強すればいけるのでは?

と思って毎日ゼンゼロやりながらキャリアビジョンを考えた。

手元にノートボールペンを用意して思いついたことをちょいちょい書いた。

それを文章としてまとめた。

それを言ったら2社ほど一次面接に通った。

余裕じゃん。

と思ったら2次の現場マネージャー現場スタッフとの業務内容面談で化けの皮が剥がれ2社とも落とされた。

再び絶望する。

さすがに業務内容は取り繕えない。

ゼンゼロをしながら考えた。

言い方1つではあると思うのだが・・・

と思ってダラダラ他のとこも受けていたら

めっちゃ気が合う二次面接官と会う。

話が盛り上がって1時間があっという間に経ってしまうほどだった。

何の話かというと、なんとゼンゼロの話である。(ゼンゼロの話からまりその他ゲームのことも含め)

これマジ?

というわけでQAの現場リーダー候補としてアサインできることが決まりそう。

正社員ではあるが会社所属ではなく、プロジェクト所属らしいのでちょっと怖いけど。

どういうことなの?識者がいれば教えて欲しい。

あとは条件面と入社時期を人事と擦り合わせる・・・と言った感じである

何が言いたいかっていうと

・ゼンゼロありがとう

・どんなカスでも諦めなければ良い感じで転職できる

・結局は巡り合わせ

ってことである

みんなもゼンゼロやって転職しよう。

2024-07-21

anond:20240721104203

別の地域でも昭和の頃から団地の子と遊ぶな」「部落の子と遊ぶな」的なのはあったのう👴

2024-07-18

カンニングした理由からカンニングをやめるまで1

カンニング卑怯であり、姑息であり、やってはいけないことだ。大前提である

長いけど吐きたくなった。本当は墓場まで持って行くべきだと、ずっと思っていた。

だけどカンニングニュースを見て以来、ずっとモヤモヤしていた。過去清算をしたくなってきた。そんな年齢なのかもしれない。

.

カンニングしたことがある。小学生中学生くらいまで。

私にとってテストの点数なんかどうでもよかった。友だちと遊べて、学校行事に楽しく参加できればそれでよかった。だけど親は違う。成績が全てだった。普段は優しくて褒めてくれるのに、点数を見たときは怒ってる。だから低い点数なんか取るわけにはいかなくてカンニングした。誰にもバレない上手いカンニングをしていた。

こんなことを言えば「カンニングをするなんてクズ」「性根が腐ってる」「カンニングした奴はぶん殴れ・退学」みたいな意見が出ると思う。そうだろう。自分もそう思う。そう思っててもカンニングはやめられなかった。やめたら点数が悪くなる。そうすると親に怒られる。第三者から指さされるより、自分の母に怒られるのだけは死ぬほど嫌だった。

「なんでこんな低いの?」「なんで勉強もっとしないの?」「遊んでいるからだよね?」と責められる。

でも当時の私はそれに「はい、ごめんなさい」しか言えなかった。小学生だった当時の自分は「なんで?なんでがわからない」としかならなかった。しかし言えば「ふざけてんの?」と絶対に怒鳴る。怒鳴らなかったとしても頭悪いと思われるという事実が嫌だった。怖くて怖くて怖い。母が自分否定してくるという事は、小学生自分にとって死ぬことの次に嫌な事だった。母がキレたときの金切り声が嫌だった。

そして勉強しようと机に向かう。何もわからない。何をどうすれば覚えられるのかわからない。あ、そうだ、聞けばいい、そう思っていたのは最初だけだった。今思えばやらなければよかった。

小3くらいの時、学校先生に「これがわからない」と聞く。先生は小ばかにしたように「こんなのがわからないの?!」と大声で驚く。クラスメイトに丸聞こえ。クスクス声が聞こえた。「わかんねーから聞いてんだよボケカス」と思った。「ひたすら書けばいい」と言われた。どうしても根本的な説明が欲しくて何度も聞いたが「あー、はいはい。これは教科書のここみて」と言われただけだった。先生はそのまま1軍のグループと一緒に遊んでいた。

また塾で算数範囲簡単でどんどんレベルアップして、学校で習っていない割り算に突入した時がある。初めてみる記号でわからない。いつも親切に教えてくれる信頼していた大人休みだったので、別の人に「教えてください」と言ったら「は?!こんなのわからないの?!」と言われたのが今でも鮮明に思い出す。「えと、初めてみる記号で…」と怯えながら言うと「ぷwwww割り算なんて簡単だよ。ほら6÷2は、鉛筆6本を2人で割るんだよ」と。明らかに面倒くさそうな態度だったから「あ、はい、わかりました」と切りあげた。"割る"という概念すらわからなかった私は適当に解いて採点に出す。全部バツだった。泣きたくなった。全部バツ人生で初めてだったからだ。

中学受験期、受験用の塾に通い始めた。わからないことを塾の先生に聞いた。「この程度で質問しにくるの?こんなとこスルーしていい」と言われた。「この程度もわかんねーから聞いてんだよ」と思った。教えてくれたけど「こんなの簡単。余裕だよ。試験になんかでないよ」と言う。私にとっては本気で悩んで本気でわからなかったことだった。それは簡単なことで質問する質じゃない。自分質問することは簡単すぎて馬鹿にされる。そう思うようになった。

親に聞く。「塾(または学校)の先生に聞きなさい」と言われた。怒られるかもと思い何度もお願いした。しかし母は上から目線で「ねぇ、なんでわからないの?こんなに説明しているのに?聞いてる?」と言った。私が「どうしてそうなるの?」「なんで?」と聞きすぎたのかぶち切れた。「理由より覚えろ!」

そこからかに質問するのをやめた。

積み重ねによって、わからない→この程度もわからない・簡単と言われるだろう→自分馬鹿→なら勉強したって意味ないじゃん。といったループになってた。

解説を読んで「なるほど」と思っても、何も見ていないと何もわからない。テキストを解いても見たことある問題だなで終わってしまう。そして解説を見て「あれと同じ問題だったのに覚えていない。自分記憶力はダメなんだ。自分馬鹿なんだ」と自分が嫌になる。もっと勉強が嫌いになる。自分も嫌いになる。間違えちゃだめだと普段勉強試験並みのプレッシャーを感じていた。そしてもっと勉強が嫌いになって机に向かっても宿題に答えを写す作業だけしてた。

また、父は「遊んでこそ人生。いろいろ遊べ!」そんな人間だったので、私は父親っ子だった。それもあって母に内緒で父と一緒に出掛けたり、買い物をした。バレたときは怒られたが父はヘラヘラしていた。母が父に怒らないようにカンニングをしていたのもあった。私の点数がよければ母は怒らない。父も怒られない。兄弟に飛び火がいかない。

.

理科だけは楽しかった。星とか断層とか自然には興味があった。だから塾のテストでも理科だけは点数がよかった。全国順位も高かった。だけど一個だけ点数がよくても塾のクラスは上がらないし、母は「理科ひとつできたところでねぇ…」と言う。中学受験のメインは算数国語から特に褒められなかった。理科のみの受験なんてないからだ。

父は勉強のことを「お母さんに聞いてね」としか言わないのでテストの点数を見せても「点数なんて気にしちゃいけないよ」と言う。励ましだと思うけど当時の自分は母と父、どちらも点数を褒めてはくれなかった。

はいつも比べる。○○さんは、兄は、テレビのあの子は、同い年なのに、あんたも同じ塾通っているのに。そして仲の良かった友人を嫌がっていた。あの子のお母さん嘘つきだから、あの子貧乏で意地汚いから、あの子小学生テストすら0点だから別に仲いいなら良いけどというが、そんな言葉は嫌いだから言うのだ。

ある時、酷かった国語テストの点数を書き換えたこともある。先生と同じペンを使ってバレない程度に書き換えた。と思ったがうっすらとバレた。「こんなに間違えているのにこの点数なの?」その時の母の目を今でも覚えている。

母に疑われている。怒鳴られる。○○さんは×点なのにと比べられる。なんで?責めされる。また遊びが規制される。兄弟と比べられる。この子は頭がよくなくてと紹介される。こんな子に育てた覚えはないと言われる。塾の金が無駄だったと言われる。教えてもくれないのに勉強を傍で監視してくるようになる。趣味バカにされる。

そんなことがドッと脳内を襲ってくる。おぼれて死んでしまいそうな罪悪感と恐怖で吐き気が喉元まで来るが、飲み込む。「そ、そんなことないよ」と答える。大きなため息をされた。冷や汗が止まらなかった。塾のラウンジでみんなが帰宅だと盛り上がる中、テストを見られて責められていた。小学生の頃のある日の記憶だが、今でも思い出すと頭痛吐き気がする。

.

カンニングがひどくなる。塾で一回遠回しに指摘された。親に連絡入っていなかったが、でもやめられない。「バレない方法は」と考え、バレない方法にたどり着いた。でもカンニングには限界があって多少は点数がよくなっても多少で止まる。

でも楽だった。カンニングさえすればちょっと点数が上がる。本当は自分の実力で勝負しようと勉強を頑張った。でもわからない。わからないのにやらなきゃいけない。怒られる。怒鳴られる。金切り声が響いてしまう。頭に全く入らない。やらないといけない何かをこなしているだけだった。

勉強する→わからない→宿題が進まない→進捗を見に来た親に「これしかやっていないのか」「なんで?」と責められる→わかんないと言えば「解説をみてもう一度解くの」と言われる→解説を見たとき理解する→また自力で解くがわからない→解説をみると同じ系統問題だと気が付き自信を無くす→やる気がそがれて進まない→進捗を見に来た親に…と責められる時間自己嫌悪時間になる。

勉強なんて嫌いで仕方がなかった。答えを微妙アレンジして写すだけの日々だった。勉強時間なんて写すだけなので10分で終わる。10分で終わると親が怪しむので、父が持ってた漫画を借りてこっそり読んでいた。自分の部屋があって良かったと思う。

「私、そばで見ているから」と母が監視しながら塾の宿題したことがある。しか問題を見てもまず何をすればいいのかすらわからない。ずっと悩んでいると「寝てる?」「集中しなさい」としか言わない。怖い。責めてくる。「全然進んでない。なんで?」「なんでわからないの?」と責めてくる。私は「ごめんなさい。わからない」しか言えない。解説バンと渡される。解説が難しすぎてわからないと母に言う。「文章の通りでしょうが!」と怒ってくる。ますます頭が痛くなって解説が頭に入らない。文字が嫌になる。責められる。そして私は限界に達し「わかんない!うるさい!ババァ!」と叫ぶ。母と喧嘩をして「親になんて態度だ!」と家をつまみ出される。そして「私が悪かった」と泣きながら家のドアをたたく。「勉強しないあんたが悪い」「勉強すればこんなことにはならない」と責めながら家に入れてもらう。そんなのばっかりだ。兄は第一子だから母は優しかった。弟は末っ子だったから母は優しかった。私だけいつもこんなんだった。

でも優しいところもあるからすべてが嫌いになれなくて嫌だった。誕生日は祝ってくれるし、お年玉だってくれる。私の好きな食べ物もわかっていて「あなたが好きな食べ物よ!」と夕飯を豪勢にしてくれることだってある。「男たちには内緒ね」と高級なお菓子をくれることもある。旅行にも連れて行ってくれる。だからなおさら怒らせたくないとプレッシャーがかかった。小学生の頃、勉強の話を家でしたくなかった。みんなで楽しく生活しているのに私のせいでぶち壊れる。勉強して追い込まないとと思っても全然できない。そして誰も見ていないお風呂で泣いてた。勉強のできない自分なんて。何で覚えられないんだ!バカだ!バカ!と自分が大っ嫌いだった。枕が濡れることもよくあった。

小学生の頃には戻りたくない。社会人になった今でも思う。社会プレッシャーの方が何倍もましだ。

.

小学校テストは授業を聞いていれば簡単ですぐ解けたのでいつも満点だった。でも母は「学校のはあたりまえじゃん」と笑っていた。塾のテストだけを見て、塾のテストだけで怒っていた。

結局、中学受験面接が重視されるところに受かった。おしゃべりは得意だった。

他の筆記だけの場所は全部落ちた。筆記だけのところはカンニングしていた。でも落ちた。そんな程度の能力だ。私は。カンニングしておいて落ちる。クズバカだ。

親としては微妙ライン学校だったらしく「受かって良かった」と言う裏では明らかに嫌がっていた。反抗期がくっそ尖っていた時期に「やっぱそんな学校いれるんじゃなかった」と言われていたのを覚えている。私が大好きな学校のせいにするなと私は怒ったから覚えている。

.

中学に入っても母はテストの点数を見てきた。英語が酷くてすごく嫌な顔をしていたのを覚えている。英語は将来必要だとかどうでもいい必要性を1時間述べて、英語を教えてあげると言われたが上から目線だったので、案の定私はキレて断った。

そんな中、中学一年先生は優しかった。一年が終わる時の面談勉強が苦しいと相談した時こう言われた。

「君はどんなタイプの子でも仲良くなれる。これほどまでいろんなグループの人と仲良くなれるのは僕の教師人生40年で初めてだ。確かに成績は良くないけど、そこだけで落ち込まなくていいんだよ」そこで初めて勉強以外を褒めてくれる先生出会った気がする。

「君の友人の**って子は成績がいいから、その子相談してみたら?」と目から鱗だった。自分小学生のころから同級生と比べられていたせいで同級生に聞く=恥だと思っていた。人に質問する=恥だとも思っていた。

そこからカンニングをしなくなった。した記憶もないし、していないと断言できる。

成績は悪かったが、学校生活はとても楽しかった。先生たちは私の成績に頭を抱えていた時もあったが「まぁ、君は学校を楽しんでいるからいいか」みたいな感じで責める人はいなかった。学業以外で頼られることも多かった。追試会場でも追試仲間と一緒に先生に「授業が面白くない・わかり辛い。こうしてほしい」と相談することも増えた。そこの校風職員室がカフェのようなノリで入れるため、おしゃべりが好きだった自分先生に遠慮なく雑談を仕掛けた。そこからテストの点数が悪いぞお前→じゃあテストどうすればいい?→ここを山にして覚えればいいんだと教えられる→山なら授業のあそこがわかり辛いなどを相談する。

追々々々試くらいまでしょっちゅう行ったことがあるが、先生バカにしてきたことは一度もなかった。むしろ「君はよく逃げずに会場に来るねぇ」と感心していた。そこから追々々々試に来る、忍耐だけあるバカ共に一から丁寧に教えてくれた。ありがとう先生

そこから母への反抗期が激しくなった気がする。父方の祖母が亡くなったからのもあった。祖母戦争体験者で父と似ていて「自由笑顔であることが一番」な人だった。私はそっち派だった。母からしたら姑としていつも喧嘩していたのは覚えている。

から何を言われても「うっせぇんだよ!」で返した。小学生の頃は母に怒られたら怯えるしかなかったが、中学高校は「世の中は勉強だけで評価されるんじゃないんだ」と感じ、勉強のことしか言わない・認めない母と時には殴り合いになった。

後半→https://anond.hatelabo.jp/20240718233140

2024-07-17

部落民以外は差別者」とする部落排外主義に陥って、人権侵害の「差別糾弾闘争」、同和問題を「人権問題の中心問題であるかのように位置づけ

もう30年近い前の文章に突っ込むのも野暮かも知れんけど。この文書を書いた人が今の立憲共産とその支持者を見たら思うところはあるんだろうか…。

 

https://www.jcp.or.jp/faq_box/001/990325_faq_dowa.html

2024-07-16

anond:20240716175325

部落じゃないけど、戦後混乱期に在日朝鮮人を党の内紛と過激路線に巻き込んでおいて、よくもまあ関東大震災在日朝鮮人虐殺に触れられたなあ、とは思ったよ

2024-07-07

身の程をわきまえるのって大事

両親とも中卒の家庭に産まれて、特に学歴理由で苦労した母親の強い意向を受けて、小中高とほとんど拉致監禁に近い状態でひたすら塾通いさせられ、私も私でそれ以外の生き方を知らないか友達も作らず、遊びもせず、勉強だけをし続けた。

その結果、産近甲龍の一つに入って、それは中卒の親からすればさぞかし名誉(実際は産近甲龍なんて関西しか通じないFランしかないのだが)ではあった。

しかし入ってみたら周りは小中高とろくに勉強しなかった結果、複数本命に全部落ちて妥協妥協を重ねていやいや入学したって奴らばっかりだったし、そいつらは学生証を他の奴に渡して偽装出席して遊びに行ってろくに講義に出ないのに、試験間中に売られる講義ノートだけ見て単位をとっている。

私はと言えば、全然講義についていけず必修を2年連続で落として留年が確定し、親に土下座して退学をなんとか認めて貰って、結局最終学歴高卒工場の流れ作業員として、就職

パワハラ常態化しているきつい肉体労働職場で腰と頭を壊し、そのまま引きこもりコースにのって10年、今は親の年金寄生して生きている。

こんなことな高卒公務員試験受けるか、高卒枠で地元企業就職すればよかったと思うし、親から冗談半分でそんなことを言われたこともあったけど、もはや後の祭り

頭の良さってのは努力じゃどうにもならない上限ってのが設定されていて、それを見誤って身の程を超えたところを目指せば簡単人生破滅する。

馬鹿として産まれたなら、馬鹿として生きるべきでそれ以上を目指せば周りを巻き込んでみんな不幸になる。せめて私の失敗を踏まえて、一人でも不幸になる人間が減ることを祈っているよ。

2024-07-06

anond:20240701181944

日常会話に「中の人、外の人」って概念が平気で混ざり込んでくる、ガチの閉鎖的差別的昭和怨霊みたいな部落意識が残ってる三重に対しては何も言わないんだから、結局目立った叩きやすいところを叩く以上の意識が全くないんだよな

まー東京様にとっちゃみえなんていいとこ志摩スペイン村鳥羽水族館付属品くらいの扱いなんだろうけど

2024-07-05

なんで大学行ったんだろ

阪大生のくせに内定0持ち駒0でもうどうしたらいいかからない

最終面接に進んだ7社全部で落とされるし最近焦って出した2社は1次で落ちるしもう踏んだり蹴ったりや

就活2年目なのに

根本的に人と話すの向いてないんだろうな

他愛のない話ならできるけど将来とか目標とか頑張ってきたこととか、そういう真面目なことを聞かれると何も答えられない 結局テンプレートみたいなつまらない答えになってしまう そりゃそうだ、だってまらない人間から

なんで大学なんか行ったんだろ

なんで皆と同じように大手に入れると思っちゃったんだろう

私みたいな鈍臭い奴がちょっとした学歴なんか身につけても文系じゃやっていけないってこと、小学生ぐらいのときに教えてほしかったよ

なんで勉強なんか頑張ったんだろ

こんなことなら変に意地張らずに障害者手帳貰えばよかった

なんのために診断受けたんだ?

女でASDADHD性格暗くてユーモアがなくて数学からっきしな奴がまともな収入仕事に就けるわけないじゃん

個性を活かした仕事をしなさいって病院先生簡単に言うけど

障害者個性を活かした仕事ってエンジニアとかでしょ それ高校で文理選んだときに教えてくれよ

ほんとなんで大学行ったんだろ?

営業無理な文系なんてどこも拾ってくれない

これなら私でも、と思って新聞社出版社を受けてきたけど全部落ちた 2年目の受験なのに全部落ちた 聞いたことのない地方紙試験でも落ちた

マイナビ事務職募集探して応募する度に苦しくなる

採用実績に私の大学が載ってなくて苦しくなる

これわざわざ受験頑張らなくても入れたんじゃない?って会社しかないんだもう

もも一年頑張る?って親に言われる度にまた苦しくなる

どうせ無理なんだ、来年また同じことするだけだ

いつからこんなに駄目な人間になったんだろ

得意なこととか昔はそれなりにあって友達も沢山いたはずなのに

つの間にか全部なくなってしまった スーツ着て一人で新幹線乗るのほんと馬鹿みたい なんでこうなっちゃったんだろう

道徳差別についての授業で題材として取り入れるべきもの

部落とか在日外国人といった身近にならない可能性もある存在だけじゃなくてもっと目に入りやす存在を題材にするべきでは?そうしないと本当の差別意識というもの理解できないまま大人になってしまうし実際にそうなっている人が多すぎる。

例えばこんなのはどうだろう。

弱者男性

AV女優

極右極左

宗教信者

2024-06-08

最初期の警察24時系番組はかなり酷かった

テレ東警察24時が遂に終了との事だが、これ系の番組の初期はまぁ本当に酷かった。

1990年代の後半あたりに始まったのだが、なにぶんにも報道の訓練も体制もない部署下請けが撮るので問題だらけの映像をそのまま流してしまうというトンデモ状態

番組終了の理由撮影時間が掛かる事、時間掛けても空振りのことも多くてそれで無理をして捏造的な場面を作ってしまうなどが挙げられていたが、まぁそうだろうね。

 

悪を断罪!という図式

最初期の番組兎に角撮影側が警官と一体になりナレーターで悪を断罪」というモチーフで撮られていた。

このモチーフの元はズバリ時代劇だろう。「この紋どころが目に入らぬか!」「余の顔を見忘れたか?」「おぅ、この桜吹雪が全てお見通しなんだよ!」と悪を断罪悪人は「へへぇ!」と平伏して視聴者カタルシスを得る。

 

だが警察24時で映しているのは近代法支配する現代日本である

もう一つの問題はそんなに判り易い事件は起きないという事だ。フィクション遠山の金さん将軍様も数日~数週間に亘る地道な取材や潜入捜査の末に処断してるのに、複雑な現代社会で偶然舞い込んだ事件をその場で処断できるわきゃない。

そこでやはりというか、一番多い交通事故処理を撮影するのが専らとなる。そしてその交通事故ナレーションで「断罪!」してしまうのであった。

例えば首都高で3台ほど絡んでしまった事故処理であれば、「スピード違反が招いた悲劇である!」という風に。

地方の人や免許がない人には判りずらいだろうから説明すると、首都高というのは大部分が60キロ制限になっている。だがこの速度を守って走っている車というのは皆無なのだ制限速度が遅いのは高度成長期に低い規格で作ったためで仕方がない。道路規格によって制限速度の縛りがあるので自動的に60キロとなってしまうのだ。

それで直線区間では全部の車が速度違反して走っているという状態になっている。路線バスでさえ守っていない。

そこで事故が起きたら警察は原因の一端に速度違反を挙げるのは当然で、それが主原因とは言えないわけだ。

なのにほぼ意味のない断罪ナレーションを被せてしまう。

 

これ以外の事故でも「確認の不注意が招いた事故であった!」とナレーションが次々に断罪していくのだが、事故の原因なんて複合的で、事故処理の警官確認遺漏で後からひっくり返る事もあるし、その為に当事者はかなりの労力と時間を使う。それをその場のノリだけで断罪しまくっていた。当事者が見たら憤怒間違いなしだ。

 

警察犯罪行為善意放送

当時、日産スカイラインGT-RBNR32型)という車種を出していて、これはアウトバーンでも300キロ出る、ガチで早いスポーツカーだった。

そこで交通機動隊や各県警の高速道路交通警察隊がGT-Rパトカーを導入した、というのが車好き向け媒体のみならず一般ニュースでも取り上げられていた。「GT-Rから逃げられない、という威嚇効果も大きい。

 

そこで当然のように24時のカメラマンは高速隊のGT-Rの後部座席に乗り込む。すると通報が入り、現状へと急行するGT-R景色は飛ぶように流れ、速度計は190キロを指している。国産車ECUエンジン制御コンピュータ)のリミッターカットだ!

…という映像を流した。

 

ところで道交法上の緊急自動車最高速度というのはご存じだろうか?一般道では80キロ高速道路では120キロである。但し例外があり、速度違反者を追尾計測するパトカーはそれ以上出しても良い。そうじゃないと速度違反検挙できないからね。

この高速隊GT-Rは追尾計測中ではなくて臨場する為の緊急走行であるから190-120キロで、70キロ超過となり、赤切符+一発免停で、刑罰も6ヵ月以下の懲役又は10万円以下の罰金となる。現行犯人だ。

別に増田パトカー消防速度違反して緊急走行していても構わんのだが、証拠映像電波に乗せて流してそのままで済むわけがないな。

報道畑じゃ無い奴がカメラ持って取材の真似するといこういう事をやるというリスク典型例だし、後ろでカメラまわしてるのにマッドマックス1のインターセプターみたいだろー的にアクセル踏んでRB26DETTをぶん回してる警官もアレだし両者色々アホすぎるとしか言いようがない。

 

警察24時系の元祖モンド映画に続くショッキング映像

ドキュメンタリというのは今では真面目なものだが、昔はいい加減で捏造まみれのものだった。ディズニーが『白い荒野 』というインチキ動物ドキュメンタリ映画で、レミングスは増えすぎると入水自殺する、というインチキ映像を撮る為に崖の上からレミングをポイポイ放り投げて殺していたというのが有名だ。

60年代に『世界残酷物語』という、エログロインチキドキュメンタリ映画がヒットすると、次々に同じような映画が作られ、エスカレートしていった。世界残酷物語原題は『Mondo Cane』なので、この手の下世話なインチキ映画モンド映画と呼ばれるようになった。

最初世界習俗と題して未開部族残酷処刑残酷儀式でっち上げものを繋げていたのだが、やがて観客の「リアルな死や本物の死体が見たい」という欲求に応えて、事故暴動で実際に人が死ぬ映像を繋げたショッキング映画が作られるようになった。因みに実際の映像だけでは尺が足りないのででっち上げインチキ処刑シーンとかも紛れ込ませているのが多い。

 

やがてモンド系もショッキング系もTV番組化するようになる。モンド系のインチキ成分だけを掬ったのが『川口浩探検隊』などだ。ショッキング系は苦情が来る事を恐れ、人体が千切れる場面や脳が飛び出すシーン等はカットして直前で映像を途切れさせたり、人体破壊の瞬間だけカットして死体を映すなどの手法が取られた。番組名はそのまま「ショッキング映像100連発」等。

たこれら番組には顕著な特徴があり、必ず番組最後消防隊や救急隊の訓練シーンで終わる。基本的に下世話な欲求に答える番組であって、その後ろめたさを誤魔化す為に取ってつけた映像を入れるのだな。

 

警察24時系も必ず最後に交機の訓練映像で終わるであろう。つまりはモンド~ショッキング系の系譜に則ったフォーマットなのである正義行使カタルシス時代劇から番組ターゲットが野卑な欲求ではないかとの疑問はモンド系の〆映像フォーマットで誤魔化し。それが警察24時系の構造だった。

 

因みにこんな取ってつけたような訓練映像付加手法だが、それを見て正義だと考えるリテラシー人間ちゃんと居るのだ。今ニコ動が全部落ちていてURLを貼れないが、ニコ動には例えばアメリカ精神問題がある人間刃物を手放さず警官隊に射殺される、というようなショッキング映像があるのだが、それには映像最後に州警察の訓練風景を入れてある。単に事件現場で殺人映像が撮れただけなのだが、モンド系フォーマット最後に訓練風景を取ってつけると正しさが保証されると考えているのだ。あれを本気にする者もいるというのがモンド系ドキュメンタリ的でありますな。アメリカに赴任してて厨房の心根は侵されずと言ったところか。

 

結局モンド系が内包する問題で倒れる

警察24時系は結局モンド番組なのだが、元のモンド系が虚実入り交じりのインチキ映画だったのは製作費と製作日数の問題でもあった。真面目なドキュメンタリは撮るのに時間が掛かりすぎて一部の意識高いしかみてくれないからペイしない。だから人目を惹くエログロインチキ映像を撮る。

警察24時も最初期にかなり問題になった筈だ。同乗させてもらった警官免停とか色々だ。すると地道に長時間警察に同行するしかない。歩留まりが悪くなる。しか映像パンチが無い。

ヤクザ事務所ガサ入れとか映像的にパンチがある事件はある。でもそういうのはマジな方の報道部門が呼ばれてモンド系バラエティ取材班は呼んでもらえない。カメラ持ってても素人なんだから報道マン暴力性に負けてゴミ扱いされて追い出されてしまう。

そんな状態視聴率上げようとしたら数多のワイドショーやらかしたように捏造っぽい方向に行っちゃうのは仕方ないね

 

んでもこの手の番組培養してしまった視聴者は「報道番組がモンド系と違う」ので報道を信用しなくなり、「川口市クルド人傍若無人治安崩壊!」とか「安芸高田市市長論破!」というショート動画クリックしてモンド系の毒に身をうずめるのでした。なんつーかペニシリン必要だな。

 

警察24時の初期は無茶苦茶だったぞーという話でした。

2024-05-31

anond:20240530223155

森茉莉のことを幸福な生い立ちゆえの自己承認カンスト代表みたいに言ってる時点で

ハァ?って感じだけど。

羨ましがるには森茉莉森茉莉で親との関係にややこしいもの抱えすぎだろう。

でもどうせ誰も森茉莉なんか読んでないし、なんなら姫野カオルコも読んだことなくて知ったふうなコメントしてるのが多そうなはてな部落

nessko

2024-05-23

anond:20240523100430

でも香川県部落差別も良くないんですよ

行商香川部落産業でした。

二つ目行商への偏見についてです。当時の防犯ポスターには、「あやしい行商人」をみたら警察へ連絡せよと書くなど、 行商軽蔑する見方がありますが、果たしてそうでしょうか。

売薬行商人は 医者や薬屋もない山深い寒村にまで薬を届け、へき地の人たちから喜ばれていました。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん