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はてなキーワード: 幼児とは

2018-09-23

anond:20180923100718

その理屈だと自他の区別がつきにくい幼児には規制する必然性があるよねってことになるのでクソザコなんだよなぁ

anond:20180923094839

その理屈は頭悪いよなー未成年しか幼児が抱くショックに対しては規制すべき、だから頭の悪いザコを片っ端からぶん殴れるのに

anond:20180923091940

客観性がァ!データがなぁい!とか言ってるクソバカまだ湧いてるのか幼児が受けるショック対策として行われた規制の先例はいくらでもあるのに、現実を見れないザコ多すぎだろ笑

anond:20180923035115

客観性がァ!データがなぁい!とか言ってるクソバカまだ湧いてるのか幼児が受けるショック対策として行われた規制の先例はいくらでもあるのに、現実を見れないザコ多すぎだろ笑

anond:20180923032038

まず具体的な「先例」の提示とその基準

幼児がショックを受けているという有意客観的根拠

 

そもそも追いつめられてから口走ってる時点でその場しのぎの嘘っぱちなんだが

2018-09-21

anond:20180921124942

関係ない連中がぞろぞろ制度を利用しにくる」という事態を防ぐためにこそ、「戸籍に書き込まれる」結婚という制度を利用する意味があるとは思わないか

単に仲のいい同性の友達が同居していることに対して「結婚」と同じ社会的権益を認め優遇するというのは理に適わないが、もしその二人が真剣に互いをかけがえのないパートナーとして終生変わらぬ関係を周囲に対して誓うというなら、その証拠戸籍という形に残すことに何のためらいもないだろう。それならば、病気の際の代理人としての権利法的責任、高度障害・死亡時の介護責任財産分与を求める権利など、「戸籍」に基づき発生する諸々の権利義務をそのカップルに認めるのは理に適っている。同性「婚」というのは、愛や恋ではなく純粋にそういう話だと思っているし、それをただ「仲良く楽しく同居しているだけの二人」に認めよというのは、社会に混乱しかもたらさないのではないか。もちろん、同性婚ができれば深く考えない連中が悪用するということもなるほど起こるかもしれない。しかし、現今の結婚制度の異性間で同様に、たとえば在留資格を取るためとか名義貸しとか逃げ恥とか、そういう風に「結婚」という制度について、深く考えずにただ乗りする例はあるわけで、それでも全体としてはおおむね破綻なく運用されているところを見れば、発生する問題制度を維持する上で致命的となるほど大きな物ではないと推測できるね。「戸籍登録する」というのはそれなりに一定社会的ブレーキとして機能していることが期待できる。


そして、仮に同性婚制度として認めたことで社会認識自体が変化するとしたら、それは二次三次的な作用の方だろうし、その作用社会全体にとって利益こそあれ、不利益がどこにあるのかよく分からない。いや、「不利益がある」と主張する権利が一体どこの誰にあるのか分からない、という方が正しいか。たとえばAとBが仲良く暮らすことがCにとって「目障り」だとして、それを主張してAとBを日陰者にするのは、社会全体にとってプラスマイナスか? 普通に考えて、「Cさんにそんな口出しをする権利はありません」とするのが常識的判断だろう。そんな判断がまかり通るなら、我々は安心して暮らすこともできない。実に全く「余計なお世話」だ。仮に「おたくカップルがうちの○○ちゃん教育に悪いザンス!」とか喚いても同じだ。悪いけどあなたにそんなことを言う権利はないです、としか言いようがない。「目障りだ消えろ」というのはきわめて幼児的な心性だよ。


また、あなたの「概念破壊する改革」という主張も、残念ながら意味不明だ。あなたの「概念」とやらはたかだか10数年のずいぶん狭い観測範囲で培われた単なる「偏見」に過ぎないのではないか大正時代くらいの一般社会の「常識」は現在とはかなり違っているし、あなたの思う「概念」とやらも、実はこの10数年ですらどんどん動いているよ。あなたはその変化を捉えることができておらず(いわば「若い者についていけなくなったヒステリー」で)単なるマイルール常識概念伝統と呼び換えてごまかしているだけではないかね?

それからもう一つ付け加えると、「両性の合意のみに基いて成立」という憲法の条文を「両性は異性という意味から憲法は異性婚しか認めていない」とかいう風に奇妙にねじまげて解釈しているのは、同性婚必死否定しようとしている方々であって、護憲派リベラルではないよ。ここで「両性の合意」というのは、一般には明治憲法下における家制度否定文脈で生まれてきたと理解されているので、その成立経緯を踏まえれば単に「結婚する二人」という以上の意味ではない。(参考:明治民法第750条「家族婚姻または養子縁組なすには戸主の同意を得なければならない。」)護憲派はせいぜい「そんな解釈無理筋でしょう」と言ってるだけだろう。事実は正確に観測すべき。自分の都合良いようにねじまげてはいけない。自分の主張に説得力を持たせたいなら。

anond:20180921135031

増田A「ほらー、わんわんでちゅよ~」

幼児「(わんわんじゃなくて犬だろ)だーう!」

幼児って意外と頭が良いみたいだよ?

赤ちゃん言葉で話しかけたら馬鹿にされるからな。

気をつけろよ。

関係ないけど、俺は赤ちゃん言葉で話しかける奴は

気持ち悪いと思ってしまう。

2018-09-20

俺も、あざとい語尾嫌いだったから分かる

「まーたん(はぁと」とかやってるのとか

駅のホームでチュッチュしてんのとか

「○○だにゃ~ん」とか言うの見ていると鳥肌立ちそうなくらい気持ち悪いの良く分かる。

良く分かる……だが。

身内ネタとしてはありだと思う。

本当に信頼できる関係の1人に対しては許してほしい。

俺は上記したようなあざとさはメチャクチャ気持ち悪いと思っていたが

彼女と「おちかれー!」「んとー!」とか言って幼児化してる。

お互いにそのテンションから楽しいんだ。

友達とか知り合いには見せないか安心してくれ。

anond:20180919133727

anond:20180920141910

わたしを信用出来ないですか」と言ってくる人に時たま出くわす。

なぜか異常者ではなく、正常人なのである

つい最近だと、ほとんど初対面の営業マンの人からわたしを信用出来ないのであれば」と言われたり、はじめての歯医者インプラントを薦められて「わたしを信用できませんか」と言われたりとか、要するに押しが強い営業手法なのである

イエス・ノーで答えるとすれば「信用できません」と答えるしかないが、面と向かってそんなことは言えないので、「信用できる」と答えてしまうお人好しだっているわけである

もちろん1か0かで答えられる話ではないから、こんな阿呆な問いかけに答える必要はないし、相手キチガイではないから、こちらの沈黙理解するであろうし、「初対面の人からそんなことを言われても判断できません」と明確な言葉説明する必要もあるまい。

つまるところ、たぶん他人を信用しないのは嫌な人間という前提があり、ちょっと押しの強い人が、相手のお人好しを狙って「わたしを信用できませんか」とイエス・ノーを迫るのだが、こちらとしてはきっぱりと断れるかどうかが重要である

当然ながら断ると雰囲気が悪くなるし、こちらが悪者であるかのようだが、相手としてもそれが一種の脅しなのであるし、それがどうしたということである

ともかくこれは正常なのである

あるいは、言葉定義問題でもあるが、モラルの低さは異常性ではない。必要もないのにインプラントを薦める歯医者は決して立派ではないしモラルも低いが、正常だというしかないのである

では異常なのは何かと言うと、たとえば恋愛ストーカーであろうし、強引である点では同じであるのだが、やはり好意というのは危険すぎるのである

好意というもの実態は、土足で上がり込んでタダ飯を食らうような狙いだから幼児が親に甘えるようなもので、無償の愛を求めているのだからイノセントとも言えるのだが、端から見ればただの寄生虫である

押しの強い営業(悪意)は正常だが、恋愛ストーカー善意)は異常だと言うしかない。

押しの強い人は善意ではないから、決して褒められたものではないが、こちらが毅然と断ればそれで済む。

善意を断るのはとてもむずかしいのでかなり厄介ということなである

こうやって考えると、こちらがどれだけ断っても食いついてくるのを異常性とみなしているのかもしれない。

結婚前にちゃん家事子育てしてくれる男性探すとかムリゲー

anond:20180919003925

こういうエントリでると毎回「なんでそんな男を選んだの?」とか「最初から家事育児理解のある男性えらべよ」とかクソコメトラバが続くけど、男性として自戒を込めていうけどそんなの絶対無理です。ムリゲーです。

結婚相手に選んだ男性が本当に子育てフルスロットルで協力してくれるかは、実際に子供まれくるまわからんのです。結婚式のときの「健やかなるときも、病めるときも、支えあうことを誓いますか?」がいかに困難かを大半のカップル結婚して子供できてから思い知るわけです。

交際時にデートときに気前がいいとか、一人暮らし家事経験もあるって話と、結婚して子供できてから家族みんなの家事やったり幼児から育児に協力的かはまったく別次元なんです。

冷静に考えれば出産母乳以外は男性でもできるはずなのに、4大卒業して普段リベラルっぽい発言が多い男性でも「でも子育ては基本母親でしょ」って価値観が骨の髄までしみわたってるので驚くほど何もできない男性が大半よ。

自戒をこめてって書いたけど、実際に俺も子供できてから最初の数年はダメダメだったよ。ただうちの場合が妻が察してちゃんじゃなくて最初からガンガン「私は子供母乳と寝付かせだけで精一杯だからもっとちゃんとやって!!!!」って毎日のようにガミガミ怒鳴られてたから、3年すぎたころにはやっとまともになれたよ。

なれてくると家事の大半はルーチンワークから仕事で頭がつかれたあとでも体が動けばできちゃうもんだよ。とくにうちは共稼ぎから子供を寝付かせるまでにお互いに手が空いているほうが家事をこなすってスタイルになってやっとみんな12時前に寝れるようになった。

最初からイクメン男性なんてほぼ皆無。イクメンになった男性の大半は本人の努力の結果、いや妻や回りの愛のコーチングの結果ですよ。


id:wow64 いや、嫁さんの躾の結果では... 『イクメンになった男性の大半は本人の努力の結果よ』

・・・おっしゃる通り。最近家事育児が我ながらうまくなってきたので図に乗ってましたわ。妻のコーチングのおかげです。反省反省

id:blueboy  デート中の態度でわかりそうだけどね。荷物を持って上げたり、食事椅子を引いて上げたり、レディーファーストをやっている人なら、その延長上で、家事も手伝うでしょ。逆に夫唱婦随タイプの男もいる。区別しろ

そう単純な話でもないんだけどね。日頃精神的に余裕があるとき相手にやさしくできるのと、幼児育児夫婦タスクオーバーフロー状態睡眠時間削ってでも少しでも家事育児自分のやれる箇所をこなすって次元が違うと思うよ。

id:itinitiitinti イイ男が既婚なのは奥さんのおかげ説。個人的には夫を褒めて褒めて感謝して、キレるところは容赦なくブチギレる人は凄いと思う。

同感ですわ。大人になって独身女性陣が「いい男はたいてい結婚してる」ってケースの多くは、結婚後に奥さんに鍛え上げられたおかげだと思う。

id:zu-ra 俺も学生の時の先輩(女)に「Facebook見てるけど、zu-raがこんなに子育てするような父親になるとは全く思わなかった。」と言われた。社会人になって、子供ができる前に趣味に没頭できない状態を受け入れられたのが大きい。

俺の周りでも「結婚から子供好きそうだから大丈夫だと思ったら自分の子供の世話(面倒なパート)を全然やらない男性」とか、逆に「以前は全然子供の扱いわかってなかったのに、自分の子供は溺愛して頼まれなくても一緒にお風呂&寝付かせ&週末一緒に外遊びする男性」とかいろいろいる。あれを結婚前に見分けるとか不可能でしょ。

2018-09-19

anond:20180919181012

俺は痴漢推進派ではないが、反対派がなんでそこまで必死なのか理解できない

なんか幼児が、ここで母親命令に負けてニンジンをたった一口食ったらもう一生死ぬまでニンジンしか食わされないと言ってるみたいに見える

だって1950年代には痴漢程度でいちいち逮捕しなかったんだから、もう半世紀以上はずっと痴漢反対派の連戦連勝じゃね

まあ個々の局地的で小規模な敗北はあっても、電車の中を見る限りは

anond:20180919174639

俺は規制推進派ではないが、反対派がなんでそこまで必死なのか理解できない

なんか幼児が、ここで母親命令に負けてニンジンをたった一口食ったらもう一生死ぬまでニンジンしか食わされないと言ってるみたいに見える

だって1950年代には文学作品の「チャタレイ夫人の恋人」程度でわいせつ扱いされとったんだから、もう半世紀以上はずっと規制反対派の連戦連勝じゃね

まあ個々の局地的で小規模な敗北はあっても、本屋の棚を見る限りは

anond:20180919141828

1945~1950年まれ団塊世代が、冷戦に直面したのは物心ついてすぐ

昭和30年代にはさんざん「今すぐ米ソ核戦争!」みたいに騒がれてた

核戦争題材の映画渚にて1959年公開

フランキー堺主演の『世界大戦争1961年公開

当時の超有名作品から観てない子供でも内容は大まかには知ってたろう

このころはしょっちゅう地上や離島核実験やってたか死の灰も降ってた

公害問題視されるようになったのは1960年代後半(水俣病工場廃液説が公認されたのは1964年

そのころ団塊世代高校生から大学生

オイルショック1973年)に直面した時期に団塊世代20代前半

下手すっと就職の時期にちょうどぶち当たってる

連合赤貧だの中核革マル内ゲバだの陰惨な事件が相次いだのも団塊20代前半の時期

「それでも未来があった」とか言うんだろうけど、団塊20代1970年代には

日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』が大ベストセラーになって終末論流行

環境汚染核戦争人類の将来はヤバイヤバイ」てな言説もさんざん広まった

いっけん関係いかも知れないけど、団塊世代10代の1960年代には

幼児誘拐されて殺されてすごく騒ぎになった「吉展ちゃん事件」(1963年)とか

女子高生が殺されて冤罪疑惑が根強い「狭山事件」(1963年

在日韓国人差別にブチ切れて起こしたといわれる金嬉老事件1968年

極貧少年永山則夫による連続射殺事件1968年

などなどが起きてる

団塊が若かった頃「ひたすら明るくハッピー、暗い世相はいっさい無し」とかウソです

そもそも当時は現代比較すればGDPはずっと低い

兄弟たくさんで汚い小屋みたいな家に住んでるとかごろごろあった

団塊世代10前後で『月光仮面』の放送が始まった1958年テレビ普及率は50%以下

テレビが見られない、裕福な友人宅に頭を下げて見たなんて子がごろごろいたはず

だんだん普及していく過程では「お前ん家まだテレビねえの~」っていじめもあったろう

現代人と比較して何から何まですべて幸福だったとはとても思えんぞ

anond:20180919023638

女子大生じゃなくて幼児人殺しとるやんけ。

https://taniharamakoto.com/archives/259/

懲役20年でも十分軽いだろ。車じゃなきゃ死刑確定やぞ。

2018-09-17

anond:20180917163235

うーん、ちょっとその認識はもう古いかな。

情強情弱幼児も老人も等しくネットを使う時代突入して、ネットユーザーやネラーイコール情強とは限らなくなってる。

もうネット現実と大差ない空間だぞ。

anond:20180916222326

自分電話してこない当たりも含めて完全な老害化、いや精神大人にならないまま世間を知らないまま還暦を越えてしまったのでしょう

はたまた幼児退行までいってるのか?

今更改善はないのでまぁ世間迷惑かけないように家族で囲ってください

2018-09-15

抱っこで自転車事故対策

抱っこで自転車、悲劇生んだ 子ども死亡、母を書類送検:朝日新聞デジタル

これについて、まず母親に非は2つある。

1つは次男ヘルメットを付けてれば死ななかった可能性が高いこと。保護者は13歳以下の子供へのヘルメット着用の努力義務がある(道交法)。

もう1つは次男を抱っこしていたこと。保護者幼児座席に座らせるか、ひも等で確実に「背負う」必要がある(神奈川県道交法)。

ただ、母親自身が置かれていた状況に追い詰められ、正常な判断を欠いたとも考えられる。

今回その考えが正しいかは家庭事情透視の域を脱しない。しかし考えうる時点で一般的にそのような状況下にある人がいてもおかしくないことを意味する為、やはり行政対策をすべきであろう。

さて、具体的に何を対策すべきか。

1つ目以外は曖昧だなあ。

子供からエロを遠ざけようとする親って何なの?

コンビニ雑誌コーナーにあるエロ本排除せよ!」「ラノベの表紙がエロすぎる!子供に悪影響だ!」

自分はやることやって子供を作ったくせに(笑)

個人的には幼児のころからエロい物を見まくってセックスしまくったほうが、コミュ力とかメンタルの強さが手に入っていいと思うけどね。

私が子供を乗せた自転車ごと挟まった傘で転倒したとき

コメント書いたらいろいろ思い出した。

子供保育園に通わせてたとき、月曜はお昼寝布団セットを持っていき、週末はその重くて大きいお昼寝布団セットを持って帰らないといけなかった。雨の日はホント大変で、幼児が歩ける距離じゃないし、バスも通ってない。

幼児を前の幼児椅子に乗せて、幼稚園に持っていく毎日のセット(おむつカップ着替えなど)と、自分荷物と大きな布団セットを脇に抱えて自転車に乗り込む。

子供にはカッパ着せてたけど、座らせてる座面に雨がザーザー入ってきて雨でビショビショ。ズボンもみるみる濡れてくる。でも、大きな布団だけは絶対濡らしてはなるものかと片方の肩にかけて無理を承知で傘を前の子供と脇の布団を覆うように差し自分背中はビショビショになりながら自転車をヨロヨロと漕ぐ。

もちろん傘さし運転だめってわかってたけど、開き直りとかじゃなく、現実にそうするしかなく、多くのお父さんお母さんがそうやって送り迎えしてた。

あの頃はさすべえって明確に禁止じゃなかったから使っててるお母さんも多かったけど、あれは真上からしか差せなくて傾けられないので覆いたいとこころに傘がこない。だから結局自分で調節しながら差してた。

私は子供一人だったけどさらに二人目に小さい赤ちゃんいるお母さんは、あのニュース女性と同じように前椅子に一人、二人目を前向きに抱っこ紐でくくりつけてた。

私も子供が前椅子に座れないくらい幼い月齢ときおんぶしてたけど、雨の日は前抱っこでないと、自分自身がフード付きのカッパ着てると背中のこどもが後ろで窒息しそうになるし、おんぶだとそもそもボタンまらなくなるので、前抱っこにして抱っこ紐の背中側にカバーみたいな雨よけ被せてそれで子供自分の前も濡れるのをなんとか防いでた。

それでも膝から下はびしょ濡れになるんだけど。

で、私が転倒したときというのは、大雨の中、なんとか子供保育園に預けてそのまま自転車駅前に留めて、また夕方駅前から直行して迎えに行ったとき、そのときには雨が上がってて、行きに差してた傘のやり場がなかった。だからヒョイっとハンドルだったか手首だったかにかけた。

それで、カーブのところで傘を巻き込んで転倒しました。私の場合ゆっくり、あーれーって感じでスローモーションみたいにコケたから幸い私が打撲と擦り傷しただけで子供は無事だったけど。前の子椅子ベルトしてたから。

私はたまたまラッキーだった、それだけ。

それ以来土砂降りの日は泣く泣くタクシー呼んだり、大きめの折り畳み傘にして晴れたらカバンしまえるようにとかしてなんとか過ごしました。

周りから見たらあのひと、あん危険運転してって思われてたかもしれないけど、あのときはそれでも必死だったから、すみませんという気持ちと今はあの大変な時期がなんとか無事に過ぎ去ってくれたことを感謝するばかり。

亡くなられたお子様のご冥福をお祈りします

姓名判断ミリ信用なし

バイト先で、新人

「実はわたし結婚前まで、私さんと同姓同名だったんですよー」って言われた

その人、私より若いし、美人だし、社交的だし、ちゃんと既婚だし

申し訳ないことしきり

こんなガッカリ同姓同名で、ごめんよ…

しかし、私のフルネームネット検索すると

トップに出てくるのは、犯罪者

(新聞に載った年齢からして、今回のバイト先の彼女と同一人物ではありえない。良かった)

幼児を蹴り殺したとか、そういう系犯罪でなかったのが救いだけど

なにせサンプルが少ない

どんな人生送っているのか、あと5人くらい同姓同名の人を見てみたいわ

増田さんたち、同姓同名おもしろエピソードとか持ってます

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-09-13

道徳の授業よりも自己客観視の訓練した方がいいんじゃない

・正しさを勝手に名乗ったからといって自動的に正しくなるわけではない

自分お気持ちにはそれ単体で他者命令できるような価値はない

自分人権自分以外の人権と比べて特別に優先されるべきものではない

最低でもこの辺をきちんと理解できてない人間幼児的な全能感を満たされないからって社会に当たり散らすのと、

それに対処するコストって「社会的な無駄」の中でもかなり上位では?

対処も楽な部類だろうし

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