はてなキーワード: 幼児とは
ここ数日で見かけた小さな「子供産むべきか論争」を見てふと自分も呟きたくなったので記録したいと思う。
結論としては、子供を産んでよかったが、子供を持つことを他人にオススメは絶対できない。
私は昔から自分より年下の子供が好きで、近所のちびっ子達の親御さんに、いまだに感謝されるくらいに面倒見がよい子だった。
中高の職業体験では幼稚園を選択したし、電車で赤ちゃんを見かけたら可愛くて思わず笑いかけてしまったり、手を振ってしまったりするタイプ。
(職業体験を通じ、多くの幼児の命を預かる責任が自分には重すぎると感じて早々に見切りをつけた。保育士や幼稚園教諭には頭が上がりません。)
「いずれ子供が産みたい」と漠然とした思いを持って大人になったが、それが"女は子供を産むもの"という社会からの刷り込みによるものか、はたまた生物的本能なのか、そんなことはわからない。
中学校の保健の授業で女性の妊娠についてざっくり学ぶのだが、そこで妊娠の適齢期や高齢出産による染色体異常などのリスクについて知り得た。
身体の妊娠機能という一点にのみフォーカスするなら、早く産む方がいいのだという意識をこのころから持つようになる。授業を人一倍真面目に聞き、そして自分と関連づけて反芻するタイプの生徒だった。
中学高校と成績は優秀で旧帝大に進学。新卒で地元の企業に就職した。
職場は"産休育休が取りやすい"ことを売りにしていたのも大きなポイントとなった。この時点では産休取得は社会的にメジャーになっていた為、働きながら子育てすることにポジティブなイメージを持っていた。
私は産休育休3回取ったからね!と豪語していた女性の先輩をロールモデルに頑張ろうと働き始めた。
ママさん社員たちは時短勤務である。他の社員が早めに出勤して掃除をし、朝礼を済ませ、諸々の雑用を終わらせた頃にやってくる。そして一切の残業をせずに帰っていく。ロールモデル先輩はもう10年程この働き方を貫いていた。
子供がお熱ですと連絡があれば早退していくし、高確率で次の日も休む。運動会や卒園式などイベントも目白押しだった。
皺寄せは確実に他の社員にきていた。産休とりやすい!のカラクリは、他の社員の頑張りでしかなかったのだ。そこまでの実情は大学生の私には見抜けていなかった。
10年かけて先輩社員が子供を産み育てている間に、中堅の先輩達は結婚適齢期にさしかかりながら、デートする間もなく残業の日々だった。
私は結婚もしたいし子供も産みたいが、他人の犠牲の上に成り立つ"そっち側"にもなりたくないという思いがただひたすらに募った。
Twitter上では"他社員への負担は会社側の問題であり、ママ社員の問題ではない"という論調が目立つし、まあそうなんだけど、じゃあ実際問題どうすればいいのだろう。
常に余裕を持った人員配置をしたとて、穴を空けることにより少なくとも通常なら不要なはずの手間なり迷惑はかかるし、どうしても子供のいない人の方にばかり負担がいくことになる。
短時間勤務でもパフォーマンスさえ良ければ問題ない職種もあるだろうが、早退や欠勤がモロに損失となりうる職種もある。(ママ社員だけ取り立てて有能でなければ生き残れないというのも不公平な話だけれど)
自分が休んだとて全く問題ないなら、それはそれで最初から必要なくないか?ただの給料泥棒じゃ...という思考にも陥った。
私の場合入社後すぐに海外出張ありきの新しいプロジェクトを任されており、子供を産むとなれば確実に継続は難しかった。
26歳のときに結婚の話が出たときに、私は潔く退社を決めた。(これは夫のある程度の収入ありきの話で、一般化できる話ではないが。)
子供はいつか欲しいと双方の合意はあったし、彼の勤務地に引越すに際して私が退社することも相談して決めた。
ここまでの文章で私がまるでキャリアに興味のない女に捉えられたかもしれないが、仕事は充実していたし本当に天職だと思えていた。かといって働く為に生きているタイプでもない。
パートナーを愛していたし、結婚して家族を作りたいという私の人生は優先するとして、確実に周囲に迷惑をかける前提で仕事を続けることが、性格上できなかったのである。
時間は不可逆である。私はもう、あの教科書でみた25歳を超えていた。
結婚後は新しい土地で割とすぐに妊娠したのだが、つわりが人の倍重いタイプだった。ここで地獄を見ることになる。昼夜問わずに吐き続け、一切の水分も受け付けず、極度に痩せて入院となる。
病名は重症妊娠悪阻。食事が摂れないので点滴での栄養と水分補給となった。
そしてトラブル続きの出産となり、緊急帝王切開で出産。息子はNICUに入ることとなる。
人よりは子育てへの解像度は高いという自負があったが、それでも初めての育児は想像を絶した。
(というか、子育てで極限の状態に追いやられた時に自分がどれほどしんどいかなど完全に予想するのは不可能では?)
よく「わかってて産んだんだろ」という母親への辛辣なコメントを見かけるが
文字通り"何があっても"自分は心身共に大丈夫だし、愚痴の一つもでないと誓える人間などいるのだろうか。
我が子はとにかく睡眠が下手で、そして食べない子であった
つわりが始まったころから、そして息子が朝まで寝るようになるまでの計4年半の間、私はたった一晩たりとも朝まで眠れたことがなかった。なんの誇張もしてない、事実である。シンプルな寝不足。この一点だけでも育児はキツすぎた。
マミーブレインとも呼ぶらしいが、自覚できるほどに頭が正しく働いていなかったし、この状態で復職など私には無理だった。
睡眠、食事、お風呂、トイレなど生物として基本的な欲求が満たされないので、高次のところに欲求がいかなくなる
もう何回も擦られたフレーズだが、「社会から取り残されて子供と自分だけの世界」で、なんの金銭も生み出さずゴミのような気持ちになったりもする。
身体的に辛い時間が長かったのもあり、第二子は4歳差になった。
そんなしんどいのに第二子作るんかい!?というお声が聞こえるけど
でも子供達はどうしようもなく愛おしくて可愛くて間違いなく私の宝物なのだ。
子育てが最高にしんどいのと、子供が最高に可愛いのは両立し得る。なんの後悔もない。
ただ、どういうところがいかに辛く大変なのかはいくらでも言語化してTwitterに垂れ流すことはできるが、どういうところがプラスなのかはこのくらいフワフワした言葉でしか説明がつかない。
それくらい育児は過酷であるし、女性が妊娠出産に適した時期に結婚して子供を産み、無理なく安心して生きていける社会構造では全くない。
そして何より、産むことそのものの身体的負荷はどっちにしろ回避できない。
耐えかねる人は絶対にいる
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
当初は抱っこ紐やミルクや寝かしつけの解説系が多かったが、単なる子供自慢の動画が多くなった
結局は解説系にしても個人の主観や誤った情報にあふれているわけで、うちのこ可愛い系のほうがよほど共感できるとわかったからだ
ところで、世の中的には子供の成長動画やブログには反対派が多い
それは子供が自覚なく自身の動画を世界に発信してしまっているからで、いずれ自意識が芽生えればそういうものを嫌悪するだろうってことだ
たしかにそれは当てはまると思うから自分は子供の動画を上げていない
自分が赤ちゃんから幼児ころまでそういう動画をあげられていたら、むしろ今は良かったかもしれないと思っている
自分の子供の頃の記憶はとても曖昧で、覚えているのは小学生くらいからの奇妙奇天烈な行動ばかりだ
自分はそれ以前はどういう子供だったんだろう、どういう目線で見られていたんだろう、と子供ができてから思うようになった
母親はなくなったし当時の写真や動画、母子手帳などの資料は全部散逸している
父親は全然覚えていないので、自身の生い立ちを証言してくれる人やものがまるでない
友達らしいものもないし、あえていうなら保育園や小学校の先生くらいだろうか
生家は既に取り壊しているし、中学時代から住んでいる家はだいぶ片付けてしまった
そういう状態だから、子供の動画を見るたびに自分が被写体の立場だったらと思うとちょっとだけ羨ましい
少なくとも愛されていたんだなって
ターゲットの「タックに優しい」女性用水着に不気味な消費者:「他で買い物を」
「ひどいよ。それはまさに女性のふりをした男が着るものだ」とコメディアンのクリッシー・メイヤーはFOXニュースデジタルに語った
一部の消費者は、男性器を隠すために「タックに優しい構造」を宣伝する女性用水着を販売したターゲットを非難している。
最近、バド・ライトがトランスジェンダー活動家とのマーケティング戦略で見出しを飾ったが、ターゲットには目覚めたアイデンティティ政治の最前線に立ってきた歴史がある。同社は2016年、「トランスジェンダーのチームメンバーとゲスト」には「自分の性自認に応じたトイレや試着室施設の使用」を許可するという公式声明を発表し、ボイコットを引き起こした。
ターゲットは何年もの間、6月のプライド月間に虹とLGBTQ+のメッセージを表示したディスプレイを提供してきたが、男性器を「隠す」ために使用できる女性用の水着が追加されたことは、オンラインで多くの人々を激怒させた。店舗の特別なプライドセクションで見つけることができる製品には、「さまざまな体型や性別表現に考慮してフィットする」というラベルも貼られています。
コメディアンのクリッシー・メイヤーは、店内にあるワンピース水着の写真2枚をツイートし、「タックに優しい構造」と「股間をしっかりカバー」していることを示すタグを表示した。
「@Target のおかげで、この夏プールで女性や子供たちを驚かせるのに最適な水着を見つけました」と彼女は冗談を言った。「バドライトを飲みながら、この小さな番号に私の心を押し込むのが待ちきれません!」
https://twitter.com/ChrissieMayr/status/1658611596183126019?s=20
「本物の女性であの水着を着て死んで捕まるはずはない。ひどいものだ。まさに女性のふりをした男が着るものだ」とマイヤー氏はFOXニュースデジタルに語った。「私が財布にお金を戻して、他の場所で買い物をする唯一のこと。ターゲットからの何という不愉快な美徳信号だろう。それに、まだ6月にもなっていない。」
『ジェンダー・マッドネス』の著者オリ・ロンドンも水着を非難した。
「ターゲットは、目を覚まし、ジェンダーイデオロギーを消費者の顔に押しつけることで顧客ベースを遠ざけるという不運な決断を下した最新のブランドにすぎない」と同氏は書いた。「人口のわずか0.6%がトランスジェンダーであると認識しているのに、なぜターゲットはこれらの水着コスチュームを『タックフレンドリー』なデザインで押し出し、店舗の一等地で販売しているのでしょうか?大多数の男性とターゲットの顧客はペニスを『タック』したくないのです」女性用の水着に着替える。控えめに言っても、ほとんどの男性はこれを不快で骨抜きにすると思うだろう」
同氏はさらに、そのような製品の販売は同社に財務上の影響を与える可能性があると指摘した。
「また、ターゲットが目覚めた企業平等指数(CEI)で満点を獲得できるように、再び公然と嘲笑されている女性たちにとっても全く的外れで不快だ」とロンドンは述べた。「ターゲットが顧客からバドライトの扱いを受けることは間違いないが、その顧客の多くは、乳児や幼児向けのジェンダーイデオロギーのスローガンを掲げた服を特徴とするプライドコレクションに憤慨している。」
アンフェ界隈が「女の給料低く抑えて男の給料上げて結婚させて離婚できないようにすれば少子化解決!女に経済力いらない!反対するのは綺麗事フェミ!」とかよく言ってるけどさ。
娘が夫(実父)に性的虐待受けてて離婚したって母親のアカウント見たのよ
幼児や発達障害児含めた5人の子供抱えて離婚して、事情あって実家には頼れなくて、色々手続きも煩雑で、生活保護も受けられなくて本当に経済的にも精神的にも大変そうだった。父親は裁かれたが、示談にして金もらっていた方がよかったんじゃないかと今でも迷うほどに。
リプで「性的虐待を見て見ぬ振りする母親が多いのもわかってしまう」というのがあった。
事実、児相の調査によると性的虐待が発覚した後、実に20%の母親が見て見ぬ振りをしたり認めなかったり過小評価したらしい。
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/15797/oyadakara.pdf
やはり、経済力を握られるというのは大きい。
先程のアカウントの母親は元々働いていた。だからまだ何とかなったのだと思う。娘が打ち明ける直前まで仕事をやめたいと愚痴っていたが、これでやめてたらと思うとゾッとする。
刑罰を与えないで養育費を払ってほしいと言い、お父さんを牢屋に入れないでと娘に言わせた母親、家のローンがあるから刑罰は望まないと言った母親もいた。毒親と叩かれていたし自分もこうした母親は非難されて然るべきだと思うが、それでも「少なからぬ人がクズになってしまう土壌」があるようだ。
経済力を手放すこと、専業主婦になることがどれほどリスキーかがよくわかる。
女に経済力はいらない、離婚できないようにしろと言う人達は、このアカウント主の娘さんは犠牲になれとでも言うのだろうか。
colaboとかに逃げることも許さないようだし(親に保護したことや居場所を教えない、というcolaboの方針に「誘拐だ!」と叩いていた)
きゃつらを視界に捕らえ近づいた瞬間俺に強制スロウの術がかかる
なんなんだ?ガキどもは誓約してて俺は旅団なのか?強制的に馬力を奪われジャイロ効果を失った自転車はご自慢の腕力だけでゆるりと姿勢制御を行う
さらに俺はご子息サマの円に入らないようにやつらの周囲を迂回させられる
やつらの円に入ったが最後、いつなんどき瞬時にこちらのキルゾーンに入ってしとめられるかわからないからだ
こちらも日本人なれば専守防衛でロケットガールズ&リトルボーイをこうやって回避しているわけだが
パワー!!
が奪われる
YOUらが居なければスピードも精神力もすり減らすことなく快適にロードをースルーゴーゴーできるんだよ
マヂで俺がラオウになる前に大人たちはDNAが似た存在を我が家に隠匿したほうがいいぜ!
我が肉体にひとたび触れれば未成年など鎧袖一触。魂魄ごと消し去るだろう
俺のやさしさ埋蔵量はあとわずかです!急いで!
オランダ 即時対処の呼吸・循環器障害>6時間以内の治療(急性の問題)>経過観察(気道、呼吸、循環の問題がない)>(戦時か大量被害者発生の場合に限り)緩和ケアのみ
ドイツ 即時治療>経過観察>治療しない軽傷>治療が不可能な重症>死亡者
フランス かつては兵士が優先された(高身分者が優先だった説も)。様々な分け方がある。負傷後数分または数時間以内の死亡(被害のうち30%)を減らすことを目的とする。呼吸がない>意識がない>脈拍120以上>脈拍120未満
日本 不明(損害賠償額の他覚なる幼児や若者が優先されがちである)
年齢や性別を言ってくる医者は、理系というより弁護士(文系)だな
まず
そして
子供の機嫌を取りながら登園させなければいけない
この2つが大変。ていうか後者が大変。
子供なんて朝の機嫌めちゃめちゃ悪い
出した服が気に入らない→号泣、暴れる
諭す→号泣、暴れる
怒る→火に油
私がやるしかないよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000301186.html
年間500万がぼったくりと言わんばかりのブコメ勢だけど、東京都の0歳の保育園児にかかってる税金は月30万~50万なんだよな
全学年が500万とも書いてないし、低年齢児が500万で年齢が上がるともう少し値段が下がるとか
或いは上の年齢でもごく少人数制というのなら、税金使わないんだし保護者の自己負担額がそれくらいになるのは妥当だと思うんだが
小学生以上向けの塾なんかももっと遥かに短時間だけど毎日通えばそれなりに授業料かかるだろ
まして0~6歳なんて手間がかかる(その分人件費もかかる)年齢層の子を長時間預かったら何倍も金かかるのは当たり前だと思う
義兄は義実家(飛行機でないと通えない距離)に住んでいて普段会うことはない。
数回だけ会ったことはあるが会話はしたことはない。挨拶しても無言でスルーされる
会話できないくらいで害はなく、関わらなければまあ大丈夫かと思ったのが甘かった。
(自分の親に結婚の反対はされなかったが今となっては全力で止めて欲しかったと他力本願な後悔をしている)
____________
先日はじめて警察沙汰を起こされた。
簡単に言うと自宅を襲撃されかけて、警察指示でホテルで数日避難生活を送った(なお子持ち)
経緯を話すと
・義兄が突如実家から抜け出して行方不明になった→義両親が警察へ相談
・義兄は被害妄想持ちで私の配偶者含む自分の親兄弟を恨んでいる(会話が成り立たず年々関係悪化、罵倒の連絡がくるためブロック、着拒などしていたらしい)
・警察からは、我々が住む街・自宅まで義兄が襲撃に来る可能性が高くすぐに避難してほしいとの指示
・事前に警察が我が家に来て、襲撃があった場合の避難ルート確保などもして物々しい雰囲気
____________
そもそもフル共働き幼児アリで精神的余裕も時間的余裕も全くない状態。
子も私も一緒に襲われる(殺される)可能性はないとは言えない。これまでの人生で命を狙われた経験ないので心臓バクバクで不安な日々。
結果、ホテル代の負担も重く仕事もあるので数日で自宅へ戻った。その後義兄は他県(なぜかは不明)でうろついていたのを発見・確保され、いま強制的に施設にいる。一時的な措置なのでいずれ出てくる。
義両親に謝られたが正直許せていない自分に凹む。義両親はいい人たちではあるのだ。
____________
モヤってること1
その状況に対して配偶者の安全意識がかなり低いこと。最低オートロックなどの安全性がある環境に引っ越した方がよくないか?と話したが特に何も行動しない。お金をかけたくないのが理由だそう。
モヤってること2
義兄が施設から出てきたらどうなる?またいつか襲われるリスクに怯えながら過ごすのがかなりストレス。正直子と一緒に逃げたい。ただ残された後の配偶者が可哀想でもある。でも巻き込まれたくないと考えてる自分がいる。
____________
追記読んで、「HSPのせいでこうなんです」と何回も言い訳するのがホントムカつく。
あのね、HSPというのは「障害」じゃないんだよ。「気質」の一種。
それはHSPを最初に提唱したアーロン博士が明確にそう言ってる。
だからHSPは増田が失礼なことをする免罪符にならないの。「私は人見知りなのでドタキャンしてしまうんです」って言ってるようなもの。そんな言い訳、幼児ならまだしも、いい歳したアラサー?アラフォー?が通るわけないだろ。
どうせプロフに「HSPなのでドタキャンすることもあります」って書いてないんでしょ?書いてあったら誰も申し込まないしね。
あとね、本当のHSPなら相手のことが気になりすぎて気を使いすぎて、自分より後にお相手が来たくらいで切ったりしないから。むしろ相手が先に来ていた時の方が恐縮してしまって「印象悪くなってないかな?」ってなるのがHSPよ。
自己診断かカウンセリングか何か知らないけど、あなたHSPじゃないよ。お相手への配慮が全くない時点で絶対にHSPじゃない。ガチのHSPが身内にいる身からしたらあなたみたいなのがHSP主張するの迷惑だから。
ウチの子がとても繊細でHSPのチェックシート全て当てはまる子で担当の臨床心理士にも「そういう傾向がある」って言われてるんだけど、例えばレストランで泣く赤ちゃんがいたら「うるさいなー」じゃなくて「あの赤ちゃん、具合わるくないかな?大丈夫かな?」って心配しちゃうような子よ。
ちなみにウチの子学校に行けなくなって心理カウンセリング受けてるんだけど、原因が「先生が他の子を厳しく叱るんだけど、自分が叱られてるような気になって辛くなって教室に行けなくなる」だから。
増田は「男性に対する理想が高い」と自己分析してるけど、過去になにか男性にいじめられたとか、理不尽な扱いを受けたとかあるんじゃない?あるいは手ひどく振られたとか。
男性に警戒心や敵意を持っているのがビシビシ伝わる。
最近夢中になってる推しキャラはゲームのキャラクターなんだが、マイナーとかいうレベルじゃない。
そのゲーム自体、知ってる人がめちゃくちゃ少ない超絶マイナーゲームだ。それもそのはず。子供向けのパソコンゲームで、しかも2004年という大昔にサービスが終了している。ツイッターもスマホもyoutubeもなかった大昔だ。
しかもしかも、キャラクターの声優が示されていない。「声の出演」を見て名前をググる。ヒットしない名前がある。一部のキャラは特定できたが、肝心の推しキャラの声優が特定できない。推しの声優がわからない。こんなことってある?可愛くて愛しい声なのに。
誕生日なども設定されておらず、数少ないグッズもとうに売られていない。何もできない。
キャラデザの人の名前をググる。とうに亡くなっていた。推しを生み出してくれた感謝を伝えることもできない。
二次創作をしてみる。楽しい漫画やイラストを描いてみる。推しのエロ絵を描いてみる。同人誌を出したいと思う。それでも、反響はない。当然だ。誰も知らないのだから。ゲームを知ってる数少ない人も、推しを推していない。きっと、世界で自分だけの推しキャラだ。
とうに消えたHPの魚拓を漁る。キャラクター人気投票があって、推しキャラは一位だったり二位だったりした。推しキャラへの愛を伝えるコメントの数々。イラストコーナーも推しのイラストは多く、大人気だった。推しキャラと遊ぶ自分の絵を描いた夢女予備軍もいた。子供達を集めたゲームイベントもあった。それなのに、今は誰も知らない。あとかたもない。みんなどこへ行った。大人になってるのは確かだ。
この時代に行きたい。行って投稿したい。投稿コーナーでやり取りしたい。
誰とも語り合えない。誰も自分の発信を見てくれない。反響がない。寂しい。流行り物に乗れないのは昔からだが、こんなに寂しいジャンルもない。ジャンルとすら呼べないかも。沈みそうな離れ小島で今日も自給自足で推しの絵を描く。
幼児向けだから、推しキャラは人の姿すらしていない。擬人化キャラだ。
ところで、動物の擬人化はケモとか獣人とかいうが、植物の擬人化はなんていうんだろうね。
https://web.archive.org/web/20000930054120/http://www.justnet.ne.jp/momonga/play/chara/chara.htm