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はてなキーワード: 振る舞うとは

2019-04-24

飯塚幸三または池袋暴走事故加害者は、立派なおかし日本の縮図

事故概要はもはや言うまでもない。

上級なのか一般なのか知らないが、経歴の高い爺さんが暴走車を運転して人々を轢き殺したり大怪我をさせた挙句警察はそれを放置してるという事件

自動車の欠陥なのか、爺さんの老化現象なのか、病気なのか、そんなことはどうでもいい事。

ただ、どちらにしても、

自分故意であろうと器質的障害だろうと欠陥車が原因だろうと、つまり運が悪かったそれだけのことであっても

誰かを殺したという事実に対しては、その人には責任があるということだ。

犯罪かどうかは問題ではないし、煽り運転などでなければ、多くの交通事故加害者意図的な行動でないことはわかってる。

運よく儲かったり、運よく昇進したり、運よく転職できたりするのは、大いに受け入れて喜び威風堂々とするのに、

運悪く損したり、運悪く失業したり、運悪く殺したりするときもまた、厳かに受け入れて悲しみや謝罪を表明するべきだ。

それこそが、人間としての振舞いであり、どんな人にも求められる社会の姿だ。

しかし、日本は、運がいい時や運がいい人だけを歓迎し、そうでないときは、ただ逃げるだけだ。

自分意思故意でない、どんな場合もまた、運命であり、それを受け入れて人間として振る舞うべきであり

それができない、またはできなくても、スルーしつづける日本社会こそが、立派なおかし日本のものしかない。

飯塚幸三または池袋暴走事故加害者は、公の場にでて、悲しみと謝罪を表明すべきである

2019-04-23

anond:20190423180043

人間に似た外見を持つ人工的なものがまるで人間のように振る舞う姿」

ちょっとメタ的な話になってしまうけど、VTuberってこれの逆パターンが多い気がする

anond:20190423143909

旧態依然とした男性らしさを持ちたい男性がそう振る舞うのはフェミボコられるのにか?

2019-04-18

NEW GAME! バッドエンド集考えた

https://anond.hatelabo.jp/20190419174113

涼風 青葉

持ち前の健気さと真面目さを武器努力を続ける。しかスランプに陥り、絵が描けなくなってしまう。真面目さが災いし、誰に相談することもなく、自分の力のみでスランプを乗り越えようとするも、押しつぶされてしまう。自分が今までうまくやってこれたのは、コウという師がいてくれたから。そう結論づけた青葉は、コウを追いかフランスゲーム会社に入ることを決意。コウと再び一緒に仕事をできることを夢見て、フランスに渡る。

・桜 ねね

大学4年、イーグルジャンプから内定を貰ったねねっちは調子に乗って友人に自慢する。無い内定の友人の逆鱗に触れ、人間関係悪化する。ゼミに顔を出しづらくなったことが原因で卒業要件単位を取得できずに春を迎えてしまう。やむを得ず退学して高卒イーグルジャンプ入社。頼りにしていたうみこは何故か会社におらず、しかプログラマ仕事に没頭する。青葉が会社を去った時、遂に孤独を感じてしまったねねっちは、自分のやりたいことがわからなくなり、なぜこの会社入社たかを自問する。かつて師であり指導してくれたうみこはおらず、友人も会社を去った。こんなはずではなかったと衝動のままに退職し、少しの貯金を頼りに自分探しの旅を始める。

篠田 はじめ

アニメイベントに参加しているうちにオタク仲間が徐々に増え、その仲間内で姫扱いされるようになる。慣れない女性扱いに戸惑いつつも、ちやほやされるのが気持ちよくもあり、しか増長はしないように自重することで、良い距離感オタク仲間たちと共にコミュニティを築きあげる。ひょんなことでゆんにコミュニティを紹介すると、ゆんもコミュニティを気に入り参加するようになる。はじめと違い次第に態度が尊大になっていくゆんをたしなめるも、ゆんはその態度を変えることはなく、むしろ日に日に増長するようになる。ゆんとの関係悪化し、コミュニティ内にはじめ派とゆん派の派閥ができた頃、ギスギスした雰囲気が嫌になったはじめはコミュニティを脱退する。その後、ゆんと気まずくなり、職場ではただの仕事仲間の関係になる。数年後、部署が変わったはじめは、ゆんが会社を辞めたことを同僚から聞いたとき、気まずい人間関係が終わったことに内心ほっとする。以前よりもゲームアニメを楽しめなくなり、人と距離を縮めることに小さなトラウマを持つようになるが、何を行動するでもなく、そのまま仕事を続ける。

飯島 ゆん

はじめからコミュニティを紹介され、オタク仲間と仲良くなる。はじめと同様にちやほやされ姫扱いされるのが気持ちよく、よく顔を出すようになる。はじめがコミュニティを脱退すると同時に、ゆんのコミュニティ内の地位は決定的なものになり、尊大な姫として振る舞うようになる。しかコミュニティは次第に不安定ものになり、新しく女性コミュニティに参加するたびに争いと軋轢が生まれるようになる。コミュニティは分裂を繰り返し小さくなっていき、姫の地位を失うことを恐れたゆんは、きわどいコスプレ撮影会を開催、同衾し、なんとかコミュニティ繋ぎ止めた。だが行動はさらエスカレートし、ついに自分の妹弟の写真を使って気を引く様になった時、警察通報される。コミュニティ崩壊し、会社を辞め、親に泣かれ、妹弟から避けられ、何もかもを失ったゆんだったが、いまだ姫として扱われた幻想に囚われ続けている。彼女ひきこもりながら動画配信を始める。

・滝本 ひふみ

趣味コスプレ活動を続けるうちに、ファンが付くようになる。そのうち一人の女性と仲良くなり、友達になる。ある日、コスプレ活動をした帰り道、どこからかやってきた男性ファンに強引に言い寄られてしまうが、間一髪のところで友人に助けられる。ショックで泣いているひふみを慰め、危ないからと友人宅に泊めてくれた友人は優しかった。安心しきっていたひふみだったが、その夜、友人に告白される。混乱しショックを受けたひふみは友人宅を飛び出してしまう。家に帰り布団にくるまって考える。有名になってもいいことは一つもない……そう考えたひふみは、コスプレ活動を辞め、ファンとの交流の一切を断つことを決意。新しくできた友人の連絡すらも。数年後、ひふみは平穏な日々を過ごしていた。しかしふとした時に考える。友人と縁を切る必要はあったのか? 気持ちに応られなくても、友達として関係を続けることはできなかったのか? そのような考えも今となっては……ひふみは毎日宗次郎と暮らし、いつものように変わらない日々を過ごす。

・遠山 りん

コウがフランス出会った男性婚約独身最後パーティでコウに思いの丈をぶつけるが断られる。パーティの帰り道に出会ったバンドマンと一夜を共にして付き合うことになるも、二股と金の無心を繰り返される。恋人と別れ、東京から逃げるように地方WEB制作会社転職。そこで一からキャリアを再出発し、いかんなく能力を発揮し業績を上げるも、ワンマンセクハラ上司の誘いを断ったことに逆ギレされ、社内いじめが発生。再び逃げるように派遣会社転職する。その後派遣として転々とした生活をし、キャリアを終える。

八神 コウ

フランス出会った男性結婚共働きで忙しくも仲睦まじい生活が1年続いた後、第一子を出産する。育児休業を取り子育てに専念するようになるも、仕事に戻りたいコウと、家庭に入ってほしい夫とぶつかるようになる。第二子流産きっかけに離婚し、子供と二人暮らしをはじめる。元のゲーム会社に復帰し時短勤務を始めるも、以前のような仕事を任せてもらえず、また思うように絵が描けず、フラストレーションがたまっていく。仕事と家庭の両立に疲弊しつつも、コウなりに良い母親になろうと努力する。しかし思うようにいかない家事仕事鬱憤子供にあたるようになり、ついに暴力をふるうようになってしまう。激務に倒れ、病院に運ばれた際にDVが発覚してしまう。子供は元夫が引き取るようになり仕事に専念できるようになったコウだが、良い親になれなかった自身を生涯責め続け、以前のような絵を描けなくなる。

阿波根 うみこ

休憩中にふざけて撃ったガス銃の弾が同僚の目に命中失明させてしまう。多額の賠償金を支払うことになる。イーグルジャンプはいられなくなり、会社を去る。

2019-04-15

anond:20190414091434

お前ほんとキチガイだな。もともと女性が家庭に篭っていたのに社会に出たいと言い出したのだろう。だから女性男性っぽく振る舞うケースはあってもその逆はない。つまり男性スカート云々以降は全部読む価値なし。

2019-04-14

[] #72-2「僕は学んだ」

彼の正義感異世界でも発揮され、凶暴なモンスターや悪い人間を倒して人々に慕われます

例えば第二章では海賊が山から下りてきて、近くの村を荒らしまくります

海賊たちは口が悪いし、暴力もふるうし、悪い事をするためだけに生まれてきたようなキャラです。

容赦する必要は全くない相手でした。

そんな奴に対してヴェノラは決めゼリフを言います

「俺がこらしめてやる。溜飲を下げさせてもらう」

そして「俺には正当な理由があります」と付け加えて悪党をあっという間に倒します。

このセリフがすごいのは、彼の正義感をこれ以上なく表現している点にあると思います

悪を見過ごせない心だけではなく、戦う理由も考えている。

しかも「こらしめてやる」と言うように、やりすぎるつもりもありません。

敵は悪者からちょっと位やりすぎてもいいと思うのですが、そこに正義はないからヴェノラはやらないんです。

情熱と冷静さが合わさった名セリフだと思います


第三章では、正義と力を持つ人間がどう振る舞うべきかが描かれました。

村の人々は宴を開き、ヴェノラの今までやってきた行いを評価して、彼の性格能力を褒め称えます

ヴェノラは謙遜しつつも否定しません。

自分自身客観的評価しているので、周りにもそうしてもらえるよう望んでいるからです。

僕は、これは現実にも言えることだなあと思いました。

必要以上に評価されて期待されることも嫌ですが、だからといって評価されないことも嫌です。

そのためには自分自分のことをどう思っているか考え、他人にもそう見てもらえるよう頑張ればいい。

だけどヴェノラは自分の力をひけらかして、その評価を得ようとはしません。

力は正義のために使うべきだと考えているからです。

二章で描かれた彼の正義感は三章になっても変わっていないんだなあ、と感心しました。

僕は正義のあり方を学ぶと同時に、村の人たちと一緒にヴェノラを褒め称えたい気持ちになりました。

(#72-3へ続く)

2019-04-10

映画を見るのが好きだが映画について語るのが好きなわけではない

自分趣味に求めているのは没入感であって、何を得るか考えるかではないんだと思う。

散歩は好きだがウォーキングしたいわけではない。旅先でぼんやり景色を見てる時間が好きだ。一人旅で撮った写真は、大抵、帰宅後にパソコンに保存せずネットに公開せずデジカメに入ったままになっている。

好きな作品風景もただそこにあるだけでいい。

その作品風景が好きだから、そこに自分言葉を足す必要はない。伝えたいわけではない。自分を装飾したいわけでもない。

でもそれって結局何かを享受するのみでいたいということで、ひたすら受動的で、何も生産せず、社会にとっては無価値な、未熟な態度なのだろうか。

自己表現とか、発信とか、成長とか、共有とか、趣味のつながりとか、そういう風にあらゆるもの関係の中に組み込まれ、逃れられない。答えが欲しいわけではない。見たいだけ。

映画が好き。映画を見るのが好き。映画を観た人の感想を読むのが好き。でも自分が語りたいわけではない。

映画を道具にして誰かとの繋がりを求めているわけではない。自分はいらない。

そんなことを考えていると自分もまた消えていくようで、だからせめてこうして書いているのだけど、名前を隠して文章を書いて、消えたいのか消えたくないのかよく分からない。自分ではない「誰か」になってここではないどこかに行きたい。自分探しをする年齢はずっと昔に過ぎて、どう振る舞うべきかなんて分かっていても消えないこのわだかまりを、一生引きずっていくのだろうと思いながら、そんな自分を嫌いになりきれないので、変わらず生きている。

歳をとるごとに、ストレスダイレクト身体に出るようになった

表面上つとめて冷静に振る舞うことができるようになりつつも

いつまでたっても眠れなくなる

2019-04-09

この最初の「食欲が失せた」ていって皿を突き飛ばすところ、それっぽくて好き。

2019-04-08

anond:20190408100529

乗り鉄は、乗るという自分体験=心の喜びを集めるタイプなので、まだ他人気持ち理解できる。だから迷惑を掛けないように振る舞う

一方、撮り鉄列車のものを集めたい、けれど無理だから写真に撮って写真を集めるタイプ。モノを集めることに固執するオタクは、往々にして、自分気持ちに無関心であると同時に他人気持ちにも無関心。だから平気でキレるし、他人迷惑を掛けることもなんとも思わない。気持ちに興味が無いから自制できない。

かつて、宮崎勤が6000本のビデオテープを集めたように、ひたすら集めることだけに執心してしまうのだ。

2019-04-07

前職を退職した理由

5年間勤めた前職を退職したのは自分にとってはどうしようもなかったからだ。

元々アフィリエイトの軍資金を稼ぐためだけに「半年くらい入れればいいや」と思って入った会社だったが

そこの創業者社長面白い人だったのでついつい長くいてしまった。

こんな伝説がある。

まだ創業して間もない頃、ある営業お客様を怒らせてしまたことがある。

お客様電話越しに「お前じゃ話にならん!社長をだせ!」と息を巻いたそうだ。

そこで素直に社長電話を取り次いだのだが、しばらくしたら「最初のやつに戻してくれ」と言われて結局最初営業対応したという。

まり社長が一番話が分かってないと。

年齢は若く、右翼的思想の持ち主で、他の従業員には恐れらていた社長だったが、どこか愛嬌というかいい加減なところがあり

失敗しない人間より失敗する人間評価する気質があったせいか居心地がよく、また会社も順調に成長していった。

しかしその社長自分就業してから3年ほどで退任した。

退任の理由はいろいろと聞かされたが簡単にいうと「飽きた」というのが本音なのだと思う。

どこのベンチャー企業もそうだが、会社が成長するというのは一方的にいいことばかりではない。

顧客従業員が増えれば厳密な資産運用事業計画必要になるし、そのためにはより優秀な従業員をいれなくてはいけない。

しか創業メンバーの全てが組織の巨大化に耐えられるわけは決してない。

20人規模の会社エースが必ずしも100人従業員を抱える会社取締役として勤まるとは限らない。

そういう厳しさへの自覚社長自身にもあったのかも知れない。

またオーナー社長独特の孤独さがそれに拍車をかけたのかも知れない。

結局会社類似事業を展開する大手企業に全株売却による子会社化という形になった。社長は即退任したかったようだが

1年はいてくれと言われ、結果形だけ在籍してるが実際はほとんど会社にこなくなった。

その後社長職はNo2役員が昇格する形で引き継がれたが、オーナーだった前社長とは違い100%子会社サラリーマン社長である

社長と比べればどうしても影響力に差は出てしまう。

その後2年ほど在籍したが、やはり前社長に対する面白さで続けていた身としては「大手子会社従業員」に変わることができなかった。

手続きが多くなり、前社長のようなリーダーシップが発揮される場面も少なくなり、安定の代わりに面白みがなくなってしまった。

また全株式売却以前からいた従業員に比べ、それ以降に入った従業員良かれ悪しかれ「良い子」であり、そういう意味でも

世代交代空気を感じてしまい、それが退職きっかけとなった。

社長は育てた会社を売却してお金自由を手に入れ。その怖い前社長必死についていった幹部たちは大手グループ幹部社員という肩書を手に入れ、

食い詰め浪人のような古参社員たちも収益経営基盤の安定を手に入れ、新世代の従業員たちは大手グループ企業従業員として相応しいキャリア学歴もつ若手社員たちだ。

この会社という「物語」はハッピーエンドを迎えたのだ。

そういうのに耐えられなかった。何の目的があるでもないが「良い子」として振る舞うことができなかった。

水清ければ魚住まずではないが、会社創業期や発展期の勢いを楽しんでしまうと安定期というのはどこか白々しく「劇の終わり」を感じざるを得なかった。

自分にとって安定というは、想像以上に重く不自由だった。

2019-04-05

悪夢

ゲームつながりのSNSで知り合った、いくつか上の友達。その子(以下A)はとても優しくて、困ってたら声をかけてくれるような、そんな人だった。といってもあまり普段から連絡する仲でもなく知らなかったが、いつの間にかネット上で、「交際はしてない、会ったこともないけれど」興味がある人(以下B)が現れたらしく、私は「おー、めでたいことじゃん」と声をかけた。

ところがある日、Aの様子がちょっとおかしい。つぶやきがBのことをすごく悪く言ってる内容だった。私は(え、え、どうしたの?)ってなってしまって、声をかけた。「最近まで普通に仲良さそうにしてたのにどうして?」って聞いたら、「私が嫌いな人らと仲良くしているから」とのことだった。正直今思えば、そんな理由で人を嫌うのか?って話である。私はバカから友達の話はマイルド解釈してしまったり、深入りしたりの節がややあった。要するに自分他人バランス加減がヘタクソなのだ

一応どういう流れでそうなったのか、通話で聞いた。「Bとはグループ内で知り合った人らしく、そのグループで何人かとトラブルがあり、そこを抜けることになった」「一人はしつこいぐらい嫌がらせをしてきた」「Bは抜けてないから、私かどっちか選べ」という話だった。

はいくらか思ったので、「それはBの自由だと思うけど、全くかまってくれない、避けるようになったとか?それでそうなったってこと?」と聞いたら「別にそういうわけじゃないけど、Bがそっち行ったら向こうのやつらが笑うじゃん」という理由だった。「ふーん…じゃあ一応時間は割いてくれてる様子なのね?」と言ったら「帰ってきて、向こうが2時間くらい家のやることをやって、それから5時間くらい話して、向こうがグループの方行くから電話切るっていうからさ」とのこと。「んん?なんでそんなに?依存し過ぎだと思うし充分過ぎる時間だわ」と言った。「そうなのかなぁ…」って納得したのか納得してないのかそんな様子だった。もう若干泣いてそうな声が聞こえてきて、「ごめん言いすぎた。深刻そうだね…」と返した。最後に「肝心なBの様子、というか返事はどうなの?」って聞いたら10日くらい無視されてる。らしい。

それから、Aとは「Bが遊んでくれないなら、私が遊ぼうかw」みたいな感じでよくやりとりをしていた。「あ、そういや私とBを除いてよく遊ぶ人っているの?」と聞いたら「いるよー、紹介しようか?」と言われたが、正直私は、異性が苦手(苦手というか、ついつい距離感が分からなくなってしまう。嫌いではない。)なところがあり(Aもそれは知っている)「お、男、女…?」「ああ、男だけどちょっといろいろあって女の子には興味ないような子だから、歳も離れてるだろうし」と言われそれなら大丈夫そうだと思い、遊ぶことになった。彼は(以下C)

それから3人で遊ぶようになり(誰か一人足りないときは二人だが)Cとも普通に仲良くなれた。恐らく彼がおっとりしてるのと大人なのか、ある程度間合いがあるのもそうなのだろう。落ち着いて、このまま平和にいけるだろう。そう、別に特定の人に拘る必要特にないしこうやって遊ぶのも楽しいだろう。なんて思っていた。

だがある日Aの様子がおかしくなり、Bが退会、削除をしたらしく「Bが戻ってこないなら死んでやる」と言ったり、私がちょっとした冗談をいったら本気で屈辱されたような反応をするようになった。いや、この子にとってBはなんなんだ?親か分身かなんかなのか?ていうかそんなに怒られるような冗談だったか曲解しすぎじゃね?(実際、拡大解釈というか、かなり曲がった答えが返ってきた。)って多少イライラしたが、きっと何かしらストレスが溜まっているのだろう。とまた私の悪い癖でマイルド解釈してしまった。

AはCとも段々険悪な様子になった。私の前でも普通におっぱじめるもんだから修羅場耐性が低い(喧嘩しているところに出くわすと自分まで怒られている気分になってしまうし、その喧嘩を止めようとすると返って悪化するような感じ。)

私はトイレに行くなどといって席を外していた。ほかの人が見てる前でそういう雰囲気になるのは嫌なのだろう、でもそれともこういうときは一応その場にいてしっかり話を止めるべきなのだろうか。Cからは「ちょっと気を使わせているようで申し訳ない」と言われ、少し引け目を感じた。だが、とうとうAは加減がなくなり、ついにCには「一緒に居たくねえわ」ともうこれ絶交レベルだろってことを言った。そのときは流石に席を外さずAに「最近言動言いがかりじみてるよ?なんで、そこまで言えちゃうような話かなあ」と個チャで止めようとしたが、火に油。逆ギレというか更に燃え盛るように怒り、Cは私に「俺はもう寝るよ、私にまで気を悪くさせてしまったね」って言いその日は終わった。

だが翌日、Aは普通にCに「おはよう」とチャットを送っていた。え?なんで昨日の今日で…?と思った。Cはもちろん私と同じことを思ったのかそれを指摘。だがAは全く非を認めず一方的に再び罵り始めた。それで関係破綻した。Aは私にも同じような噛みつきを見せてきて、「BもCも私を捨てたんだ!可哀そう私」とか被害者ぶるような言動をとるようになった。あとはCと同じように一方的に罵られプツンと関係は切れた。気が弱いのもあったが、私は何も言い返せなかったし、証拠のようなものも残さなかった。何より、言い返して被害者面されるのが嫌だったからだ。Cはそのあとも気にかけて私に声をかけてくれたが、あまり返せずにいた。あまり人と話したくなかったからだ。そのあとは人間不信になり、人間関係断捨離をし、悪夢をよく見るぐらいには頭に残ってしまった。誰とも話さずにいた方が楽ではあったが、返って記憶が固着してしまった原因にはなっただろう。

そのあと、偶然、嫌なタイミングではあったが、“ボーダー”という単語を耳にした。調べたら境界性人格障害のことだった。自己同一性だの診断基準みたいなページがあり、それは難しくてよくわからなかったが、具体的な症状、当事者から見れる様子が書かれており

最初は優しく、魅力的な人物に見えるが月が経てば豹変したように態度が変わる ・理想化とこき下ろし(昨日までの親しかった人物のとても悪く言う) ・吹聴をしたり、相談等を他人に持ち掛け対人関係操作する ・極端な依存をする(明日仕事があるのに深夜まで電話を付き合わされる) ・怒っているときは止まらない、そしてそのとき記憶はない ・冗談が通じなく、日常会話が成立しない ・何を言っても非を認めず縁を切られても自分はただただ捨てられたように振る舞う

ああ、これは…、とドンピシャだった。でも「統合失調症にも似た幻視幻聴の症状があり、親の刷り込みなどで捉え方が普通の人と大きく異なるからそういう行動をとるのであって、“悪意なし”に境界性人格障害を患った人間はそうしてしまうのである。」と書かれていて、すごく何とも言えない気分になった。思い出しイライラする気持ちと、この病気を知っていれば最初の段階で本人に教えて、助けてあげることができたのかもしれないという気持ちが混ざってドロドロになっていた。

私は昔から感受性が強い性格で、ストレスに弱い人だった。自分の軸があまりなく、ちょっとした抑うつの傾向になりやすいが、たぶん心療内科にかかっても「何もできないよ」と返されるような、そんな具合の希死念慮無気力感を時々抱く。恐らく多かれ少なかれみんなあるものを私は自分で「おかしい、おかしい」と自責しているのだろう。境界性人格障害は、他人を優先しがちで自分のことがよくわからない人、感受性が強かったり完璧主義な人がなりやすいと聞く。ときどき、悪夢を見た後思ってしまう。彼女のように私もあん人間になるのだろうか、と。だから日々悪夢を誤魔化すために生きている。

2019-03-28

「無かった事にする」事は良い事なのか

よく続編や派生作品ゲーム化(逆にアニメ化)がダメだった時、ヲタクは「そんなものは無かった」と自分認識改竄して精神衛生を保とうとする

〜〜のアニメ化まだー?とか、〜〜の続編はよと「無かったものから目を逸らして無邪気に振る舞うのだ

聖剣伝説4作目、ドラゴン狩りは古いと述べた戦車RPGGBA移植艦隊をこれくしょんするアレのアニメロボットに乗るアイドル、時空を越えるエンタメ決闘

最近ならのけものが結局居たフレンズとかわかりやすいか? というか、どうせこれら全てはヲタクの中には「存在しない架空作品」になってるんだっけ

でも本当にそれは良い事なのだろうか ファンであるなら失敗作や黒歴史作品も愛するべきと言う気持ちが一応俺にはある

もちろん、目を背けたいという気持ちもあるし解るんだけどね

少なくとも、俺は無いものとして扱う姿勢が少々ワガママに見えたのでここに書いた

上の「存在しない架空作品」の話題ってさ、「架空作品名前出すな!!!そんなものはない!!!!!」と一部ヲタクが怒り狂って、噛み付いてくるから

婚活女性のヤリモクバイアス非モテスパイラル理論について

(主に)男性においては非モテコミット非モテスパイラル理論というもの存在する。

要するに、1人の女性にやたら執着してしまうことによってモテなくなりさらに次の数少ない候補に執着してしまうという悪循環のことだ。

 

そしてここでは、主に女性が陥ってしま悪循環について説明しようと思う。

一応書いておくとヤリモクとはセックス目的バイアスとは先入観偏見非モテスパイラルモテない悪循環という意味とする。

 

具体的な状況をまず書く。

女性マッチングアプリなどを活用して男性出会ったとする。

そして1〜3回程度デートを重ねセックスをした後、男性からの連絡が減り、最終的にそれが途絶えてしまったとする。

ここで女性が「あいつはセックスけが目的で私といたのだろう」と判断する場合がある。

 

しかし、これは誤りである

もちろん、単なるセックス相手を探して出会いを重ねる男性がいることは事実である

しかし仮にそのような男性であったとしても、女性がめちゃくちゃ良い性格が良い絶世の美女であれば真剣交際することを考える。

まりデートセックスをした後に女性交際を求められない場合女性自身になんらかの不足があったと考えるべきなのである

 

女性側が取るべき行動として、ヤリモクだとその男性をみなし、なかった過去のように振る舞うことはあまりおすすめしない。

なぜなら、重要なのは失敗を活かし改善を重ねることだからである

失敗から目を逸らし、自分以外の対象改善を求めるような態度では状況は逆に悪化してしまう。

仮にそこからセックス後にやり取りが途絶えてしまう結果が続いた場合、「男なんてセックスのことしか考えてない…」というバイアスの持ち主となってしまい、ますます男性は遠ざかっていく。

 

似たような問題として、「相手マメじゃない」という不満にも注意が必要だ。

もちろん男性側が忙しい、いい加減な性格、という可能性もあるが、(これは男性もだが)女性が考えるべきは自分は強い関心を持たれる魅力がない、ということだ。

繰り返しになるが、自分以外に改善をもとめるような態度は不幸を招く。

 

セックスとは、女性を優位にする強力なカードではない。(むしろ、そのカードを使った後は男性側が有利になる。)

セックスとは、女性から交渉条件として差し出すものではなく、あくまで二人による前向きな合意があって行われるべきものだ。

 

駆け引きではなく、自分がしたいと思った相手幸福セックスしましょう。

そして、もし相手からアプローチがなかった場合は、自分能力不足だと素直に認め、次の素敵な出会いを探しましょう。

2019-03-24

anond:20190324125658

いや、厭なものを厭と言うことも、そう振る舞うことも、誰に何の気兼ねもいらないだろう。噛み付いてる連中が何故噛み付いてるのか分からん。手前らの欲求否定されたくないのか、手前らがそうやって拒絶された傷がうずくのか知らんけど、三歳児が他人の食ってる菓子見て欲しがって泣くみたいな行動してることも分からんのか。

2019-03-23

anond:20190322172319 これはむしろ anond:20190321231435 に言うべきなのでは

怒っている様や不機嫌を表すことで相手コントロールしようとする人は、それでうまく行かなかったときにより強く怒るしか術がない。ずっとそうやって生きてきたから。

うまく行かない時は、より強く怒るしかない。他に方法を知らないから。故に相手の行動は自分を怒らせるため、苦しめるためなどと言い、より苦しむ方を選ぶ。

相手は、ある程度のことは怒らせないために意図通り振る舞うこともできるが、言えないことは溜まっていく。要求を満たす以外の意見は、拒否と感じて怒るだけだから

子供への要求は通じないこともあるし、子供から大人への要求表現力の違いからただ受け入れるか拒絶するかしかない。

だが大人同士のコミュニケーションで、自分要求のみを通そうとしたらどうか。コミュニケーションが取れない人物として、意識外に置かれるかやり過ごされるだけだ。

どうか人間の理性と知性を以て、相手の都合に耳を傾け、妥協点をさぐり合っては。

2019-03-22

複数回線で大衆意見捏造

やったことある奴おる?

俺は大昔にどうしても気に食わない奴がいて2chで一度だけやった。

妹と母親から携帯借りてきて飛行機ビュンビュンも組み合わせることで凄まじいペースでIDを量産できた。

10人ぐらいが俺の意見に賛成してるように見せつつ、妹の携帯相手側の擁護者として振る舞う回線として固定して頭の悪い発言を繰り返させた。

これは本当に上手くいった。

特に後半部分、妹の携帯で行ったキチガイ擁護は完全に相手陣営立場を粉微塵にすることになった。

妹の携帯意味不明発言を繰り返すのを、他の回線論破し、それに対して苦しい言い訳をさせるんだけどその内容が論破されることで相手側の弱みが明るみに出るような内容にした。

すると面白いことに分かりやすい餌に赤の他人が食いついてくれるのだ。

それを何度か繰り返すと、あっという間に妹の回線は叩いてもいい回線という扱いになり、それと似た発言をしている第三者までもが軽蔑対象となっていく。

一度大きな流れが出来てしまうとこちから特に何もしないでも、最初叩きたかった相手が頭も人格崩壊したキチガイであることは明々白々のものと認められていき最後にはその界隈から永久追放されることになった(実際問題として本当にそいつは頭も人格崩壊していた奴なのでこんな事せずとも時間問題ではあったのだろうが)。

ふと思い出して感じるのは、案外皆騙されるなって事だ。

その時自分は1人だったので元々あった火種にいずれは付くような火を短時間燃え上がらせる程度のことしか出来なかった。

だが、もしもこれを組織的に、ないしは組織的犯行匹敵するほどの戦力を用意して行っていれば、火のないところから煙を立てそのまま炎上させきってしまう事すら不可能ではないだろう。

最近SNSが主流になってきているおかげで、1人の人間簡単世論捏造するのは昔よりは難しくなってきたが、たった1つのスレを発端に火の手が上がるのは今でもよくあることなのだから不可能ではないだろう。

恐ろしい。

このインターネットにある世論の何割が捏造された総意なのだろうか。

2019-03-21

組織破壊する言葉

職場組織個人主義的なメンバーが増えてしまい、助け合う風土がなくなった。

どうしてこうなったと考えていたときにこれが原因ではないかという言葉がひらめいた。

「あとはよろしく

上位職からこのように依頼される、自らも同じように振る舞う

相手不安をよそに丸投げおかまいなし。

もしそうなら言わないよう意識して行動するだけで良くなっていくのではないか

これから試してみようと思う。

そして他にもあるだろう破壊する言葉を集めてみたい。

2019-03-19

anond:20190319145451

夫も我慢してるなら、離婚すればお互いwinwinじゃね?

熟年離婚して夫だけが被害者であるかのように振る舞うのなら、

それは妻だけが我慢している結婚生活だったって事なわけで

2019-03-18

anond:20190331000659 (続き)

イエイヌはキュルルちゃんとのやり取りの中で、このおうちには「ずっと昔」何人ものヒトが居た、彼らと一緒遊んでいたと言っていた。ある日居なくなった彼らを待ってずっとお留守番していたんだと。かつての経験をなぞるように、フライングディスクを投げるさまを指示したり、紅茶をよく飲んでいた、とも言ったりした。俺は今期9話を観たとき、なるほど、イエイヌは飼い犬だったんだな、と読み取った。博士曰く、サンドスターを奪われてフレンズ化が解かれたら、再びフレンズ化しても、前にフレンズだった時の記憶は戻らない(といっても少々の例外はある。ミライさんとともにいる先代サーバルの声を聞いて涙したり、ともに旅したかばんちゃんの後ろ姿を思い出したり)。しかし、フレンズ化したときに、どうぶつ時代記憶がどうなるのかは明言されていない。飼い犬が飼い主が去ったあとにフレンズ化して、むかしを回想しているのだと、勝手にそう考えていた。だがこれはミスリードだった! 飼い犬だったならあるべきは犬小屋で、人間の手の位置にドアノブがある部屋が自室のはずがない。そのようなドアはヒトか… フレンズのためのドアだ。だから結論は明白だ。イエイヌフレンズはヒトと共に暮らしていた。「ずっと昔」と言ったが、カラカルサーバルかばちゃんと旅していた時期を「むかし」と表現している。フレンズの言う「むかし」はせいぜい10年・20年というオーダーではないか。この伏線はパークに割と最近までヒトがいたことを意味している。

三代目ペパプ結成の後にヒトがパークに来ていたとすると、どうなる? イエイヌかばちゃんを知っていたが、ヒトと再び会ったのはキュルルちゃんが初めてだったようだ。キュルルちゃんがパークに現れたときイエイヌただちに探偵派遣した。ペパプ復活後にヒトがパークに来ていたとすると、彼女イエイヌが捕捉しなかった理由はなんだ? そのときにはイエイヌの村にはまだヒトが居たのだ。満足していたなら更に求める理由はない。つまり三代目ペパプ結成 → パークへのヒトの来訪 → イエイヌの村からヒトが消える → 十数年経過? → 今、という順になる。しかしペパプ結成後に村からヒトが居なくなったとするのは無理がある。当時パークではかばちゃん率いるセルリアンハンターが巨大セルリアンを退治するという事件があって、そのとき四神サンドフィルター装置を修理したのだった。それでセルリアンの騒動は一旦は収束したはずである。ふたたび大型セルリアンが出るようになったのはかばちゃん助手博士らと共に研究するようになった、最近のはずだ。イエイヌは飼い犬ではない。考えてみてほしい。一緒に暮らしていたヒト同様の知性を持つ家族であるべきフレンズ放置して、当の飼い主だけが逃げなければならないのはどれほど切羽詰まった状況だろう。セルリアン強襲以外に考えられるのはもうひとつ、”うみのごきげん”の悪化、すなわち海底火山噴火だ。遊園地が水没するほどの大災害、逃げられる人数が限られてる、だから家族であるフレンズを置いていかざるを得ない。その判断は… かなりキツイが、ありえないとは言い切れない。しか安心してほしい。この結論おかしいからだ。リョコウバトは以前にもジャパリホテルに来たことがあると言っていた。パーク中あらゆるところを旅するリョコウバト。前回の来訪が最近であるはずがない。リョコウバトは言っていた。「これほど変わったホテルは他にない」。ジャパリホテルの変わっているところはもちろん、支配人のオオミミギツネが売りにしているように、水没した風景が美しいというところだ。すなわちリョコウバトが前回ジャパリホテルを訪れたときにはすでにホテルは水没していた。海底火山の大噴火最近ではない。飼い主だったヒトが消える理由はなくなった。すなわち前提が間違っているということだ。ヒトはパークに来ていないのだ。

しかしここで推理頓挫してしまっていた。時系列バラバラだがルート上に並んだ絵(写真?)。しかしヒトはパークに来ていない… これら矛盾して見える伏線を結びつけるラストはどのようなものなのか… 本当に可能なのか? わからない。だが信じろ木村監督信じろ


そうやってウンウンうなりながら過ごしていた休日だった。前置きが長くなったが、俺が支持する仮説はこれである。「ラッキービーストフレンズ説」。

キュルルちゃんはヒト、これが最初から仕組まれた罠だ。キュルルちゃんガイドするラッキービーストに、ヒトとして認識されている。だがラッキーさん達は何を基準にヒトを判定するのか。前期でかばちゃん初見からヒト扱いだった。かばちゃんとキュルルちゃんの見た目上の共通点はなにか。帽子である。羽をつけた帽子画像認識して、ラッキービーストはパークの客だと判断するのではないか。赤と青の羽をつけたかばんちゃんを暫定パークガイドとして認定したシーンを思い出してほしい。イエイヌはヒトを求めたが、アルマーさんによるとかばちゃんでは駄目だと言っていたらしい。かばちゃんフレンズ命令対象ではなく対等の存在として扱うからだ、というのは聞こえの良い理屈だが、しかし現状の助手博士助手博士助手の扱いはほぼほぼ従僕であるジャパリパークは実際には厳しい世界だった。パークの掟の元で自律するフレンズ達は親切ではあるがエゴイスティック振る舞うことがある。危険ビーストもいる。フレンズたちと渡り合い、パークの長を従わせるためにはある程度強い態度をとっていく必要があったのだろう。イエイヌかばちゃんの相性は良いように思われる。なぜかばちゃんでは満足できないのか。かばちゃん自分が「ヒト」そのものではなく「ヒトのフレンズ」だと公言していると思う。だがキュルルちゃん情報イエイヌの耳にどのように届いたのかを考えていて気がついた。キュルルちゃん本人は自分がヒトだとは実は一度も宣言してない。最初にそういったのはカラカルだった、カラカルは推測でそう言った。ロバはそれを聞いていた。カルガモも。うわさはパークに広がりやがてイエイヌの耳に届いただろう。パークにヒトが現れた、と。

キュルルちゃんは「おうちを探すためでなく、フレンズが好きだから絵を描いている」と言ったが、スケッチブックに元から描かれていた絵には、しかし奇妙にフレンズの姿がない。キュルルちゃん本人は楽しそうにしているフレンズを描くのが画風であるジャングルの絵の中のゴリラ背中を向けてさえいる。画風の違いは何が原因か。ラッキービースト有事でない限りフレンズ積極的にはかかわらない。ヒトをガイドする仕事や配給、各種設備保守管理以外には。「生態系の維持が原則からね」は前期最終話ラッキーさんのセリフである最初旅路での荒野の絵はなんだかわからない残像だった。残像でぶれて映るのはシャッター速度の遅いカメラの特徴であるラッキービーストは高速で接近するフレンズを察知するセンサーレーダーのようなものを備えている。メインカメラの性能に頼る必要はない。

あるラッキービーストは持ち場を離れ、ふたたび旅を始めた。かつての任地、ジャパリホテルへ向かって。風車写真を撮った、竹林公園写真を撮った、ジャングルゴリラ写真を撮った。シッポを振って歩いていくゆっくりとした旅の間に、いろいろなことが起こった。過剰に放出されたサンドスターの影響で気候が変わり、パークの荒廃が進み、海底火山噴火ホテルが沈む。ペパプが再起し、かばちゃん達が旅に出る… ようやく桟橋にたどり着くも、ホテル海水の向こうだ。ラッキービーストは足を滑らせ、海に投げ出される。やがて海底火山に至り… サンドスターの温かい光に包まれる。ラッキービーストの旅の写真ランダムに吸い上げられて、スケッチブックとして顕現した。

2019-03-17

被害者はいるし、作品に罪はあるのでは?

まともに努力している大勢の人のことを忘れていませんか?

芸能人の薬物使用ニュースを見るたび、私にはスポーツドーピングと同様に見える。「その仕事のために必要能力努力を薬物で違法に補っている」という点で。

芸能界必要な、ハードスケジュールを乗り越える体力、一般人とは違うキャラクター感性、多くの人前で堂々と振る舞うための高揚感、様々なストレスへの耐性、これを違法手段で増強しているのではないだろうか。

被害者はい

それはスポーツで言えばドーピングせずに努力したにも関わらず、ドーピングした人に機会を奪われた選手芸能界だって、まっとうな努力を続けながら薬物使用者に機会を奪われた人がいるのだ。デビューのチャンス、テレビ映画の出演、雑誌の連載、CDショップの棚など、もう一息で手に入れられた機会を奪われた人がどこかにいるのだ。その人にとって喉から手が出るような機会を。

作品に罪はある

ドーピングの記録を世界記録として認め続けて良いとは思わない。

「薬物を一時的使用しても、いい成果(演技や曲)出せれば、それはいつまでも認められる」というメッセージは「良い仕事を後世に残すためなら薬物使用オプションの1つだ(逮捕というリスクはあるが仕事の成果が消されることはない)」と認識につながる。

これはその作品が売れれば売れるほど強化されていく。

それに1つ目と重なるが、その作品が売れ続けることは、他の作品の機会を奪い続けることだ。中学生だってOLさんだっておっさんだってお小遣いは有限なのだから

価値がないとは思わないし、流通を完全に止めるべきとも思わないが、関係いから今後も全く変わらず売っていきましょう、はおかしいと私は思う。

■ 頑張っているあなたへ

もちろんこれは全て私の意見だ。あなたが賛成する必要はない。

けれど、あちこち被害者はいない、作品に罪はない、など言われているのを見てるとなんだかな、と思う。

ドーピングしないスポーツ選手応援したいように、私は薬物や違法行為を行わず努力している人を応援したい。

もしあなた芸能界にいて、薬物その他違法な誘惑に負けずに頑張っているなら、私はあなた応援していると声を大にして言いたい。

芸能界以外でも「バレなきゃ良い」「結果さえついてくれば良い」が横行する世の中で、もしあなたちゃんルールを守って日々頑張っているなら、私はあなた応援していると声を大にして言いたい。

声を大にして言いたい、と言いながら匿名ですまん。

2019-03-15

anond:20190315145612

いや、普通に西洋にはキリスト教徒じゃない人も沢山いますから

何でこの手の人って「当事者は何とも思ってないのにポリコレ脳の連中が一方的配慮した気でいる」って前提なんだろう

「非キリスト教徒は何とも思ってない」なんて一言も言ってないけど?

私は非キリスト教徒日本人として、A.D.やB.C.が世界標準になってるのは、仕方ないと思いつつもモヤモヤしたものを感じる。

でも、それをC.E.に書き換えられた方が腹立つわ。お前たちの暦法コモンじゃないって言ってるようなもんでしょ。

元号だけの話じゃないよ。世界中には他にも暦法があって、なかに複数の国・地域で使われてるものもある。それをコモンじゃないと呼ぶ方が失礼でしょ。

A.D.からC.E.に変えたことで一番「スッキリする」のは結局西洋キリスト教徒でしょって話をしてるわけ。自分たちキリスト暦を押し付けているというモヤモヤから解放される。

でもなんでそれだけのために私たちの、あるいはイスラム教徒たちの、もしくは東南アジア仏教徒たちの、ひょっとすると世界の他の人たちの暦法コモンじゃないって扱いを受けないといけないの?

キリスト暦は堂々とキリスト暦を名乗り続けるべきだ。西洋あるいは他の地域の非キリスト教徒観点からみて問題があるというなら、まったく新しい暦を新しく作るべきだ。

ハッピーホリデーも同じ。そもそもキリスト教の祝日国家休日になっている時点でそれはキリスト教と国家が深く結びついていることを意味している。ハッピーホリデーと呼んで取り繕ってはその構造が見えにくくなってしまう。

実質キリスト暦のままで名前だけコモン暦にされるより、あるいは実質キリスト教徒祝日優遇されてるのに白々しい顔で「みんなの祝日だよ!」とか言われるより、それはキリスト教の暦であり祝日なのだと常に意識し続ける方が全然マシだ。

キリスト教中心主義者ならそれを誇ればいいし、暦や祝日宗教から中立的ものであるべきだと信じるならまったく新しい暦を作ったり12月25日祝日から外したりすればいい。

とにかく、キリスト教中心主義設計された制度をまるで宗教から中立的であるかのように振る舞う欺瞞をやめろと言っている。

2019-03-12

公式設定が絶対で異見を許さな不寛容な奴が増えた!」とか主張する輩がよくTwitter上で吠えているが、不寛容から文句を言われているとう考えがそもそも間違い。


何故かこの手の輩は最近の奴らは~と言いたがるけど、その理論で言えば最近オカシクなってるのはその主張をしてる側で、以前は公式と違う面を楽しむのであれば二次創作という場で発散するのが普通だった。

例えば公式と違う設定を楽しみたければIF小説、別の要素追加したければクロスオーバーご都合主義的にイチャイチャ楽しみたければ夢小説。他にも人によっては動画作ったり、本編では有り得ないキャラ同士を絡ませたイラスト描いたり、メジャーどころで言えば同人誌作って売ったり。

そういうファン活動でもって自分も楽しみつつ仲間と交流して輪を広げ、作品の色々な楽しみ方を生み出していたのが所謂当たり前と言えば当たり前の流れだった。


それが「ぼく/わたしのかんがえたさいきょうの設定」をまるで至高の物のように持ち出して来るに留まらず、尊重すべき基盤となる対象である公式設定に殴りかかり、酷い者になれば自分の考えと違うというだけで苦情を送りつける(しかもわざわざ書き起した内容をネット晒し、宛も義の下に立ち上がった!とでも言いたげに振る舞う)のだから、そりゃあ周りで見てる人間も行動の異常さ故に文句の一つや二つ付けるというものだろう。

繰り返しになるが、殆どの人は不寛容から文句を言ってるのではない。思考・行動の異常さに文句を言ってるのである。「対立意見をぶっ潰す!」ではなく、誇大的な自己価値観の奇妙さ気味の悪さに反発を感じてるのだ。


(ウン十話に渡って友達の大切さを描いてた作品が、次回から唐突に仲間同士の殺し合い始めますかいレベルの異常展開を公式が打ち込んで来たとかなら話は変わるだろうが)


そしてもう一つ、「公式解釈違い」と言う言葉もこの手の輩はよく使うが、

根本的な話、公式は設定を創ってる側であって解釈などしていない。解釈してる時点で立ち位置が違うのである

にも関わらず、まるで自分が同じ立ち位置いるかのように語るのも、また反発を生み出す原因だろう。

ファンの反応は確かに作品を創る上での大事な要素の一つかもしれないが、決してファン創造主ではない。

気に入らない設定に不快感を覚える、こういう設定のほうが好き、そう考えるのは自由であるし、そういう気持ち妄想をぶつけて二次創作に打ち込むも、作品を見限って離れるも自由だろう。

ただ、自分立場を忘れ反社会的言動を取れば、それ相応の反応が返ってくるのは当たり前だということは思い出して欲しい。


匿名で吠えるに留まる辺り、本当は自分の行動が一般の人にバレたらヤバイという自覚はあるんだろう?

2019-03-11

anond:20190310214530

やり取りをみてて、ひとつ思ったこと。

表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。

ようするに、「快不快」によって表現流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。

そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。

振り返ってみる。

日本表現規制の有り様は、戦前エロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現対象としてきた。

そう、「健全」これこそがキーワードなんだな。たぶんね。

まり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由戦士だというふうに思える。

でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパアメリカ歴史から振り返ってみると、戦士動機づけとしてはあまりにも心もとない。

表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。

ここで、それを動機づけという視点比較してみる。

例えば、アメリカ合衆国。日本憲法がお手本とした国だ。

この国の憲法憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。

17世紀にアメリカ最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代特に、当時のヨーロッパプロテスタントに対する不寛容被害者であった。

メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会多様性の確保が原点だ。

1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決意見で述べているものがある。

当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気浄化しようとするやつが社会の敵なのだ

人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。

一方、大陸でも、表現の自由は大切な価値とされている。

しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。

そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。

しろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。

伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。

とくにフランスでは、公共空間設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。

権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要テーマだった。

それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利宣言し、他方で、政教分離という原則確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。

からイスラムスカーフ公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、

ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現したことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。



アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、

極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、

じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨経験が思い出として蘇ってくる。

その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギー再生産があり、いわば持続性がある。



翻って、日本

健全なるものとの戦い、かぁ。うーん。

不快のような勝手基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。

でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。

ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。

でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。

多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。

普段から多様性を確保しようというマインドベースにあって成り立っている社会とは全く違う。

そんな社会では、エロい表現ときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。

公共空間におけるエッチものの取扱なんて、はっきりいって、社会合意していればどっちだっていい。

じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を

表現の自由として日本憲法が参照している、と仮に想像してみる。

この場合仮想敵は、いってみれば、国家神道ファシズムかな。

(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズム視点でみると面白いらしいね。みてないけど)

「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たち戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは

定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。

でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民国家キャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、

なにも敗戦国ドイツ日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズム蔓延しかけていたのが現実

またファシズムコントロールできた国もない。その意味で、真の意味ファシズムに抗し切った国はないように思う。

表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。

流されるときは、人は流されちゃう。常在菌みたいなもの

そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、

表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか

他国の脅威に比べればファシズムのほうがマシだろ!みたいな。

このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本場合ちゃん思想として、自分たち言葉自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。

敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本憲法戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。

もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。

でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程

例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近

また、フランス公立学校でのムスリムスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから

歴史を知らないと理解できるはずがない。

それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、

日本人は雑食なもんでなんとかなっちゃうという。。。

そういうことがよくわかったという話。

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