はてなキーワード: 振る舞うとは
牛に鋤を引っ張らせて、田おこしをする風景は、
ここでは、「トラクター耕」。
トラクターも大半が乗用で、
出番が少ない。
いつも、
作業も大変だ。
時間もかかるし、
畑の仕上がり具合にも差が出てしまう。
ちなみに、インドネシアで牛耕(馬耕)と
それを羨ましいとは一切思っていない。
そのどちらでも僕は大変な失敗をし、
技術力だった。
日本にはある、とのこと。
技術が無いのか?と聞くと、そんなことはない。
本当???
同じくらいの値段のオートバイは、
村の中でも何軒も見受けられる。
その代り、牛に投資する人が多い。
僕が居たスラウェシの村でも、
牛は「歩く財産」と呼ばれていた。
牛は子供を産めば増えていくし、
放牧しておけば、餌の世話もあまりない。
急なもの入りの時には、売却すれば良いし、
そういって、僕に牛を自慢してくれた
インドネシアの友人も多かった。
「だから、お前も牛を買え」と強引に進められたけど。
なので、
最後に絞り出すように、
「教育」を挙げていた。
ノタマフのだ。
では、学校教育の中で、
トラクターの使い方を教えているのか?
ちなみに大学の農学部でもトラクターの使い方なんて講義は無いぞ。
もっとも忌まわしきモノだ。
そんな議論をしていた時に、
「インドネシアでトラクター耕にしたくても、畑までの農道が無いので、無理です」
と話してくれた。
そう、畦しか通れない場合、棚田が多いインドネシア(特にジャワ)では、
(アレジャン集落で無理やりトラクターをかけた話は、こちらのリンク)。
土地改良事業として、行われてきた。
牛耕からトラクター耕に変われば、農業労働者もそれほど必要なくなる。
耕作面積も牛耕では間に合わなかった分も、
耕作地の貸し付けも当然減る。
同時に無ければ、失業者が増えるだけになる。
コミュニティーを自立して維持していくことを困難にしてしまった。
つまり冬は外出すら困難になる
ただ単純に「先進的」と言って良いのかどうか、
その取り組みが、僕らの福祉(welfare)に直結しているのかどうか、
僕には疑問に思う時がある。http://tayatoru.blog62.fc2.com/blog-entry-1292.html
今回の騒動で批判派は口々に、議論に混乱をもたらす、と言っているが。
議論をスムーズに終わらせたいのなら、必要なのは事前の根回しだ。
熱心な水面下のロビー活動を通じて密かに賛同者を集めることで、自分たちの要求が通りやすくなる。
名声を得たオピニオンリーダーはフォロワーの期待を受け、彼らの信じる主義主張を先導する。
配下の信者はリーダーを後押しして力となる。代わりにリーダーは彼らを背負う重圧を負う。有形無形の守るべきものを囲う。
リーダーは自分と党派のイメージに気を配らなくてはいけない。対人論法の犠牲にならないように潔白に振る舞うのだ。
ここでは誠実さが信頼の土台になる。その先にあるのが、党派の勝利だ。
まったく逆を行うとどうなるか。
二つの仮面を着け外ししながら、クルクルと主張を変える。恥をかき棄てて、人々にどう思われるかなど気にせずに、軽薄短小に振る舞う。マッチポンプをフル稼働させて界隈をアジテートする。議論のエネルギーを供給し続ける。
論者は、頼られなくなるだろう。代わりに、論の内容が重要視されるようになる。誰についてるか、味方が何人かなどが説得力にならないから、主張の本質で勝負するしかなくなる。
正反対の二つの視点から物事を見ることで、片方からでは見えなかった何かが浮かび上がってくる。相手の話の妥当な部分を受け入れ、自分の説の弱い部分にアッサリ見切りをつける。そうして議論は深まるだろう。
激しい論戦の末に生き残った理屈は、人間にも時代性にも独立になる。あらゆる視座をくぐり抜けてきた理屈は、高い説明可能性を備える。老人にも子どもにも説明できるものになっているはずだ。
検証可能性が唯一、正しさを支える。
異常者は異常者として存在しているだけで人口あたりで考えれば確実に発生を免れないガン細胞のようなもの。
異常者としてしか生きられぬ星のもとに生まれてしまっただけだからある意味かわいそうな存在。
ただしそれに何も考えずスターをつけて回る人間達は、異常者の異常性をブーストさせておいて自分は何食わぬ顔をして正常な人間であるかのように振る舞うという意味で二重に罪深い存在。
異常者はそれを糧にしてより先鋭になっていくだけ。
単純に目立ちたがりな性格の山登りが好きな青年が、ネットの野次馬たちにおだてられて増長し無謀な挑戦を繰り返した結果として凍傷により指をひとつまたひとつと失い最後は帰らぬ人となってしまうような、そんなバッドエンドにしか辿り着かない。
今話題になっている例のアパレルブランドの火種とたわわに対して、Twitterの鍵垢でずっと色々考えていたことのアウトプットとぼやきです。人間なので矛盾してたり、破綻してるところもあるかもしれない。あくまでも自分の意見をまとめてアウトプットする形になるので、こういうこと考えとる人も居るんだろうな、くらいの気持ちで見ていただけたら幸いです。
まず、たわわの作品そのものに対しての意見は黒澤さんに概ね同意です。自分自身も時と場合、相手でそうすることがあるように、胸を自分の魅力として着飾ること、振る舞うことは"個人の自由"でもあるし、そういう女性の自己表現のかたちがあっても良いと思います。
なぜ彼女の発言があそこまで燃えたのかは、"心の中で性的だと思われることも嫌だ"という層が一定数存在することにあると思っています。
増田は、公序良俗に反さない限り、谷間が見えたり、ボディラインのはっきりした服を着ることは個人の自由ですが、「エロく見られたくて着るわけではない(服が好きできているなどの理由な)のだからエロく思うな」と他人の内心まで制限するのは非常に傲慢な行為だと思っています。同時に、心の中でエロく思うことは自由でも、他者が着ている人の意図を想像して「媚びている」「OKサイン」などとジャッジを下すことも傲慢だと思います。
現状フェミニストが「ハトクロを着る女性は男性にエロく見られたい女性だ!」と行なっている主張は、後者の傲慢さも含んでいると感じるので、(彼女たちが本当に原義的にフェミニストなのかは置いておいて)ハトクロに対しての過度な叩きは女性の身である増田からしてもかなり傲慢に映ります。
エロい服を着るのに必要なのは、エロく思われない社会ではなく、そう思っても表に出したり、相手をそういった視点からジャッジしないという社会だと思うのです。(これはエロい服に限らず、ゴスロリやパンク、どんな服装において言えると思います。)
黒澤さんは、ハトクロ着用の写真は性的な目的の写真ではないので、そう言った言葉を投げかけることは制限していますが、心の中でどう思うかまでは制限していないことが、"心の中で思われることも嫌だ"という層からしたら裏切りに感じられたのかもしれない、それが火種になったのだと考えています。
■内心と言動の話
ではなぜ心の中で思うことまで制限したい人が出てくるのか、と考えると性犯罪の認識が内心にまで及んでいて、男性の性欲に対して潔癖なのだと思います。
自分も勿論男性からのそういった行動や言葉で傷ついたり、嫌な思いをしたことはありますし、被害者としてそういったトラウマや負の感情を抱える気持ちも理解できるし、そこには同情しますが、男性の性欲が"原罪"だとは思っていません。
自分はいわゆる腐女子であり、バイセクシャルで、男性同士の恋愛に対する幻想や女性に性的な気持ちや欲求を抱いたりします。というかどういった人であれ、そのような欲求は誰しもが当たり前に持ち得るものだと考えています。
問題は、その欲求を相手に言葉や行動としてぶつけたり、相手の意図を自分の欲求をものさしに解釈してジャッジしたり、そういった行動に起こすことです。悪いのは相手の服装や仕草でも、欲求そのものでもないと考えています。
そこに対する考え方が、黒澤さんと今回ハトクロを誹謗中傷している方で違うのだな、と思いました。
ですが、国際女性機関(でしたっけ)の「あの作品は女性に対する、異性を性的魅力で応援するというシンボルの押し付けである」という意見にも同意できません。
増田はたわわが好きです。(増田が絵を描くので)絵としてのクオリティも尊敬していますし、胸の大きな女性は現実でも創作でも好きなので、毎週更新を楽しみにしています。何度も言う通り現実でたわわのような女性の自己表現があってもいいし、ああいう男女の関係性があっていいとも思っています。
黒澤さんの「自分の魅力で異性を応援したって良いのではないか?」という作品の中で起きている関係性や、女性の自己表現の自由に対する意見にも同意します。
ですが、たわわの登場人物ではなく、作者様や(自分も含め)それを楽しむ人たちによる、性癖やフェチに基づいたコンテンツの作成意図とその性的な消費が存在するのも事実だとも思っています。
たわわはあくまでも作品で、たわわに向ける印象や作品に対する言葉が女性を性的にジャッジしたり、それを基準として女性像を縛りつける社会を作る!とは思っていませんし、当たり前ですが、現実と創作は違います。もちろんそれを理解している方が大半だとは思いますし、たわわと性犯罪はイコールにはなりません。
ですが、新聞という老若男女、そう言った切り離し方ができない人まで目にする可能性がある場に、元々性的な目線を向けられたり、少なからずそういった欲求から作られている作品を載せる、というのはなかなかリスクのある行為だと思いました。
私たちは1人の人間で、そういったことを期待されるコンテンツではないことも事実です。
(ただ、女性の"シンボル"としてたわわと対局の女性が描かれるのも、またアイちゃんのような女性の自己表現を否定になり得るので本当にメディアと表現と現実の切り離しはセンシティブで難しい問題だと考えています。)
これに関しては自分が女性向けジャンルにおいて、創作物が原作やそれに関わるものに与える影響にとても敏感で、"検索避け"というのにとても気を遣っていたという増田自身のちょっと偏った考えもあるかも知れません。
創作物と現実はイコールにはなりませんが、お互いがお互いに与える影響もゼロではないと思っています。ので、増田というただの人間にはそれが良いとも、悪いとも言い切れません。
■最後になんか色々
性別や年齢、どんなことに関わらず自分以外の人間に対して、相手の立場や考えを噛み砕くことはできても、完全に理解してその立場になることは無理だと考えています。
私はあくまでも私の立場でしかものを語れないし、自身も性被害にあったことがあるので、作品と性被害の切り離しが完全に行えているかというとかなり怪しいことも自覚しています。
また、そういう人間が第三者として完全に冷静に話すことは難しい、とも思っています。
被害者や弱者が何かに対して発言する時、行き過ぎればその立場を振りかざした暴力にもなり得るので。
なるべくそういう個人的な感情は省いて考えているつもりではありますが、正直完璧に第三者視点で公正にものを考えることはかなり不可能に近いです。正直自分にできている自信はありません。
なんか話があっちこっちに行った気がするのですが、初めにお話しした通り、こういう気持ちを抱いている人もいるんだな、くらいの気持ちで捉えて頂ければ幸いです。
レモンスカッシュを3杯
初めは美味しく食べれたけど、終盤もう食べれないって気持ちがいっぱいで、でもご飯残すような人と思われたくもないから無理に食べる。
これ以上食べると吐きそうって気持ちがすごくて、でもトイレに行ったばかりだからもう一回行くのは難しいなとか考えてたり、なんとか食べて流し込んでずっと口におしぼり当ててた。
吐くことしか頭になくて、炭酸が込み上がって来たのか、咳き込むような感じで僅かに吐いた。普段ゲップとかしないから分かんないけど、ゲップでもあったのか?
ちょっと吐きかけたらすぐに体が楽になった。ただめちゃくちゃ恥ずかしくて申し訳なかった。
次の予約もういいですという話をし、予約を取らずに帰り、メンヘルに通うことをやめた
転院含め5年くらい通ったけど、自分の場合は普通の人のゴールである「真っ当な人間としての生活」、要は毎日風呂に入る、決まった時間にきちんと労働をする、清潔感のある見た目でいる、適度に人と世間話をする、社会性をもって振る舞う、みたいなことが全て苦痛なのでどうしようもないということがわかっただけだった
たどり着けるゴールはあくまで、苦痛まみれの人生を苦痛まみれだと思いながら他人にはそう感じさせないように「人生楽しいです!!!!」と言えるようになることであって、自分が本心から幸せだと思えるようになるなんてことは万に一つもないのだった
お疲れさまでした
これは有害トランスジェンダーりぽたんripo0079こと中西裕貴を安全に糾弾する方法である。
・セットアップからすべての通信は必ず街中のフリーWi-Fiを使う。
・フリーWi-Fi利用時にメアドが求められることがあるが、使い捨てメアドサービス等を使うこと。
・フリーWi-Fiは様々な店舗が提供しているが、大抵はその店に入らなくても利用できる。
・書き込み以外の通信でも契約者として特定される自宅WI-FIやSIMカードは絶対に使わないこと。
・加えてTorやOrbotを使えばより安全性は高まるが、5chのようにTor経由の書き込みを弾くサービスもあるため注意。
これでIPが開示されようと端末が特定されようと、書き込んだ人間を特定できず嫌がらせ訴訟を起こせなくなる。
開示請求1回30万〜40万だから有志みんなで100回も開示請求を空振りさせればかなりの痛手を負わせられる。
みんなで力を合わせれば1000回開示請求の無駄足を踏ませることも可能である。
これはりぽたんに限らずスザンヌみさきや三橋順子、畑野とまとなど、女性の権利を脅かす他の有害トランスジェンダーにも有効であら。
彼らが改心し、女性が脅かされることのない世の中が実現するまで安全に糾弾していこう。
有害トランスジェンダーを糾弾するにあたり、ただ糾弾する内容を記載するだけのケースが見られるがこれだけでは不十分である。
政府や自民党が世論操作として行うように、あえて有害トランスジェンダーとして振る舞う偽のアカウントを大量に作成し、有害トランスジェンダーが実際に行うような有害行為や有害発言を広く公衆の目につくように発信し、大衆の嫌悪感を喚起することで世論として有害トランスジェンダーへの圧力を高めるのも一つの方法である。
Twitterに溢れる有害トランスジェンダーによる異常表象自撮り画像をより広く公衆に知らしめるべく、タグをつけて再掲し拡散させていくなどの手段も有効だろう。
他人に対して浅い知見で物申すのってエアプど真ん中では?
例えば、yotuberのゲーム配信に対して未経験で適当な指摘するのとか、完全に「エアプ」と呼ばれる行為だよね。
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%97
エアプ
未経験者が経験者であり玄人でもあるかのように振る舞うこと、その言動、そのように振る舞う人を指す言い方。「エアプレイ(ヤー)」の略と解釈できる。この場合の「エア」は「架空の」「虚無の」「実体がない」といった意味で形容詞的に用いられる表現。ゲームやスポーツその他のアクティビティの話題において、巷で見聞きした(経験に依拠しない)情報に基づき、横やりを挟むような振る舞いを指すことが多い。
辞書的にもそんな感じだよね
結局、何かひとつの心の支えというものを見つけられなかったのだ、自分のスペシャリティというものは存在しないのかもしれない、そう思い出したのはごく最近のことだ。
それは因果関係が完全に真逆で、増田みたいな日和見なやつが「何かひとつのものを見つけた」からそれを心の支えにできているのではなく、そういうやつは最初から「何かひとつのもの」に呪われていてそれ以外の何物も拠り所にはなりえなかったというだけ。日和見してた時期が存在しない。これはたぶん生まれつき決まってるもので、増田はそうではない風見鶏やってクルクルする普通の人間に生まれたので、そういう呪われてる奴らと同じにはなれないよ。
当然、呪われてる奴らはマジで呪われてるので、社会の都合とコンフリクトしたときに空気を読んで社会の方を優先するとかできない(できたとしても地獄の苦しみを伴う)ぞ。増田はそういうとき普通に空気読んで社会に望まれてるように振る舞うだろう。その方が一般的には生きやすい。