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はてなキーワード: 腰かけとは

2024-03-26

ぼっちザ・ロック

ドウェイン・ジョンソン公園ブランコ腰かけていると、そこへプロモーター伊地知虹夏が現れる

伊地知はプロレス団体「結束バンド」を自ら運営経営しており、ドウェインとの契約を申し出る

ドウェインは動画投稿サイトザ・ロックロック様と呼ばれるほど評判になる謎のプロレスラーであったが、

試合ではリング上での人前でのプロレスに慣れておらず、実力をイマイチ発揮できずに終わってしま

プロモーター伊地知に「おまえのロックを見せてみろ!ぼっちザ・ロックをよ!」と励まされるが、

ドウェインは引退を決意、俳優への転向をはかる

映画ハムナプトラスコーピオンキング成功を収めるドウェインだったが、有名ゲーム映画化したDOOM興行的にも大失敗し、本当のぼっちになってしま

その後、NHKに来訪し、ハッチぼっちステーションという企画提案するもドウェインは採用されず、グッチ採用され、企画却下されてしま

今はプロレス団体「結束バンド」へ戻り、山田リョウ(♂)とタッグを組んでいる

※ごめん、プロレスまったく知らない…

2024-03-10

anond:20240309182333

そこまで譲れないこだわり(知らん男と1:1になるのが嫌)があるなら

労働者も客も女しかいないサービスデパート美容部員ネイルリストアイリスト、美容エステ脱毛産婦人科美容皮膚科美容整形の医療事務etc)を狙えばいいのに。

収入面は腰かけってことは大して重視してないだろうし、将来性なんてどうでもよさそうだから、無残業職場を引けるまで転職すりゃいい。

それか他人とまったく関わらない在宅フリーランスでもいいけど。

2023-12-31

クラスで一番の嫌われ者だった彼が地方公務員になって無双するお話 part.3/7

前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221401

三つ目になる。飲み会のことだ。

あれは、F君が福祉課2年目の時だった。課内で飲み会があったのだ。肝心のお店だけど、和風洋風かどっちつかずの、食い倒れ的な意味で名店と呼ばれるところを予約した。課のほぼ全員が参加する、夏場の納涼飲み会だった。

あの頃の俺は……異動した先輩の跡を継いで苦戦中だったけど、ようやくマトモに業務を進めることができるようになり、調子に乗ってた。後輩にもマウント取ってたかな。まだ当時は、マウントを取るというネットスラング一般的ではなかった。

しかしまあ、俺はやはり調子に乗っていた。当時は、市内に軽く十以上はある社会福祉法人指導監査をする立場だった。会計報告も読み解かないといけない。その業務担当者になったのは、俺が史上最年少だった。

でも、仕事負担はどんどん重くなった。特に人間関係トラブルとか、犯罪性のある監査事案になると実力が追い付かなかった。年を経るごとに消耗していった。躁鬱的な症状だ。

年を経るごとに、冒頭あたりで説明したような、よくない先輩方に近づいている感覚が出てきた。

飲み会の話に戻るけど、自分と若手複数名が幹事役だった。予算を考えるとか、お店を押さえるとか、当日の司会進行とか、みんなの注文を伺うとか、二次会の手配とか、上司タクシーを呼ぶとか――増田社員のみんなもやったことがあるような飲み会仕事だ。

納涼会にはF君も参加していた。こういう会だと奥の方で大人しくしてることが多い。協調性がないキャラだったから、どの上司もF君に幹事を任せようとしなかった。彼も任されそうになると断っていた。

予約した居酒屋は、料金に比して料理がたくさん出ることで有名だった。部屋に案内されると……広い客間の中に、テーブルをいくつも合体させたうえで純白のクロスが掛けてあった。みんなゾロゾロ椅子腰かけて、料理を楽しみに待っていた。いや、サランラップがかかった刺身はすでにあったかもしれない。

食卓の見た目は洋風で、床はカーペットだったけど、部屋の造りは伝統和風スタイルだった。参加人数は、三十人ほど。

飲み会スタートから数十分後のテーブルの上には、刺身の盛り合わせとか、おしゃれな豆腐とか、唐揚げとかポテトとか天ぷらとかフランクフルトとか、なんかもういろいろと並んでいた(高そうな料理もあったが名前がわからない)。食事的な意味で皿を片付けるのも難しかった。

俺と同年代職員幹事役で手一杯だった。注文の多い上司や先輩が多かった。福祉課長もその1人だ。毎回違うお酒を注文する。飲み放題メニューにないお酒の注文は、もはや基本だった。

そのうち、飲めや歌えやの大騒ぎになった。カラオケはなかったが、大声で民謡を歌う人はけっこういた。フローリングの上に敷いてあったカーペットが柔らかかったな~。もう長らく行ってないけど、今度地元に帰った時に行ってみよう。

F君は、端の方で大人しくしていた。たまに会話に混ざったりしてたかな。俺は参加者全員の様子を見てたけど、F君は基本こぢんまりと黙食していた。お酒は飲んでなかった。烏龍茶緑茶のどっちかだ。

覚えてるのは、F君が年配の職員とか、臨時職員さんとおしゃべりしてたのと、あとは女性職員がおそるおそる彼に話しかけていたのを見た。会話の内容はわからなかったが。

F君は、隣の人の空になったビールグラスをサーバー(※樽の方だ。基幹システムの方じゃない)まで持って行って、注いであげてた。

うるさい飲み会だったけど、若いから気にならなかった。でも、嫌なことが数点あった。こういうのが、数年後に市役所を辞めたきっかけになる。

早い話、この福祉課全体の飲み会でひと悶着あった。ひとつはF君案件だ。その飲み会で片隅に座っていたF君が、近くにいた福祉課長や直属のグループリーダーその他先輩がいた席まで呼ばれた。「おい、ちょっと来い」と呼ばれてた。なんか最近、彼が失敗したことがあったらしい。

ところが、F君はストレートに断った。「行きません」だって。周りの空気が冷たくなったのを感じた。要は突っぱねたのだ。

それで、上司や先輩方と口論になった。周りは雑談してたけど、やっぱり気にしていた。俺達幹事はどうしようかって感じだった。そしたら、先輩方の態度が軟化してきて、F君のところに行って「まあ一杯飲めや」と勧めたのだ。そしたら、それも断ってしまって、また険悪な雰囲気になった。

でも、そのうち優しめの年配職員がF君の隣の席に移ってきて、「まあ飲みなよ」とお酒を注ごうとした。「グッジョブ!!」と心の中で感じたけど、F君は「帰りが~」と言っていた。聞き取れなかったけど、そんなことを言ってた。※F君は自転車バイク通勤していた。飲酒運転を気にしてたのではないか

それで、そういう態度に憤った福祉課長その他数名が、F君のところに詰め寄ってお酒を飲ませようとしていた。下は、ほぼ福祉課長セリフだ。印象的なやつだけを抜粋してる。

「帰りがバイクでもいいだろう。一杯だけでいい。飲め」

「ここは呑んでおく場面だ。呑まなかったら男じゃない」

「上の人から酒を勧められたら飲まないと。法律かい問題じゃなくて、社会常識だ」

「お前。結婚してるか、する予定があるのか……ない? だったら、増田君の方が『上』の存在だよ。婚約者いるんだからな」※当時、俺は婚約中だった。

結婚できない人間は、お前みたいに人間性に問題があるやつが多いんだよ」

といった、福祉課長その他の発言が心に残ってる。それでも断固とした態度のF君に、彼らは声を荒らげて、ついにグループリーダーがF君の胸襟のあたりを掴んだところで、「やめてください!!」と彼が拒否して……。

隣の客間にも聞こえていたと思う。はっきりいって大声だった。店員数名が「どうしました!?」と客間に入ってきたことで、それでようやく騒ぎは収まった。

かくいう自分は、どっちもどっちだと感じていた。双方とも行動に問題があった。まず、F君は協調性がない。お酒の一杯くらい飲んでもいいじゃん。限りなく透明に近い酎ハイとか作ってもらってさ。

上司や先輩方だってアルハラなる言葉はまだ世間に浸透してなかったけど、さすがに飲酒運転容認はまずいだろう。

それからも、俺にとっては歯がゆいというか、嫌な飲み会風景が続いた。大体こんなところか。これでもだいぶ端折ってる。

福祉課長柔道の技を職員にかけて転がしまくっていたこ

臨時職員パートさん達がみんなにお酌をして回っていたこ

 ※公務員原則たる身分保障が働かないから、首を切られないように気を遣ってる

女子職員キャバ嬢扱い。女の子場合、全員の席を周ってお酌は基本だった

・酔いつぶれて動けなくなった職員を店の駐車場放置して帰ったこ

・少なくとも3名の職員飲酒運転二次会に行っていたこ

低い次元の話は置いといて。飲み会の話に戻ろう。

あんなことがあったが、F君は堂々としてたよ。その後にあった余興(参加者がひとりずつ挨拶抱負を述べる。やりたい人は芸とかする)でも、超然として仕事抱負を述べていた。「自分、まだまだだけどフツーに頑張ります」みたいな感じか。

堂々としていた。自分が正常な人間みたいに振る舞っている……微妙に笑いも取っていた。それを見てる人達は「おー」みたいな雰囲気になってた。

さすがに一発芸はしなかったけど、F君には芸があった。中学生の頃、ムジナ(アナグマ)の物まねをして剣道部の先輩連中に気に入られてた。「ムジナってなんやねん!!」て感じで。ムジナが身を低めながら、スウェーバックで後ろに下がって、また出てきて、身を起こして威嚇するポーズだった。

ようつべで野生のムジナ(アナグマ)を見ることができる。「アナグマ ムジナ」で検索してみよう。

(一応、YoutubeURL)

Youtube検索:アナグマ ムジナ

別に、そこまでF君に興味があったわけじゃない。ただ、あまりに珍しいというか。学校公務員民間を通じて、これまでに見たことのない存在だった。

その飲み会でも、確かにF君は浮いてたけど、でも完全ボッチチェリというわけではなかった。年配の職員とも、中年職員とも、同年代とも、若い職員とも、数は少ないけどコミュニケーションは取ってた。料理の取り分けとか、空いたグラスや皿の片付けもやってた。もしかすると、発達障害とかパーソナリティ障害の人がする『擬態』みたいなやつかもしれないが。

飲み会が終わった後は、手配したタクシー上司や先輩を乗っけて二次会まで連れていく仕事が待っていた。帰ろうとするF君を見ると、なんと杜甫ではないか!! 今日バイクに乗ってないみたいだ。

帰り際に呼び止めて、F君とちょっと話をした。「今日は災難だったね」と言うと、「まあ、こんなもんでしょ。次に期待。料理うまかったし、無事に終わって神に感謝」という答えが返ってきた。ひどい目にあったのに他人事みたいだった。キャラクターが読めない。

それからF君は、上司や先輩から姿を隠すように、公道に出ずに駐車場フェンスを飛び越えて(笹食ってる場合じゃねぇ!のやつ)、店の裏側にあった河川管理道に躍り出ると――そそくさと帰って行った。



まあ、問題職員(モンスター社員)のことばっかり書いてるけど、実際なんであいつらは発生するんだろうな。普通イメージだと、モンスター社員採用試験で間違えて採用される、といったところだろうか。

いや、でもわからない。もしかしてモンスター社員採用試験を受ける時はまともな人間なのかもしれない。それが、組織環境に当てられることでモンスターに変化してしまう――そういう見方はできないだろうか?

こんなことを書いてたら、とある書籍記述を思い出した。書棚から引っ張り出して引用してみる。

 組織の成員を変えようとするよりも、創造革新を阻む組織内の要因を探った方がよいのではないだろうか。「現在環境で、なぜ人びとは創造したり革新したりしないのか」という問題を提起すれば、正しい方向に一歩踏み出したと言えるだろう。ここで思い出されるのが、もはや伝説存在となった著述家であり、いまなお精力的に啓蒙活動を続けるピーター・ドラッカー逸話である。彼は企業上級管理職向けの講演会で、社内に「無用の長物」を大勢抱えていると思うひとは挙手するよう求めた。多くの手が挙がったところで、ドラッカーは次のように尋ねた。「そのひとたちは、皆さんが面接を行い、採用を決定した時点から無用の長物だったのですか。それとも、入社後に無用の長物と化してしまったのですか」 P19 完全なる経営(2001) P.19 A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳)



モンスター社員が先なのか、組織文化にあてられるのが先なのか。どっちなんだろうな。

次 https://anond.hatelabo.jp/20231231221403

2023-12-19

anond:20231219220159

一説には女子結婚出産医師を辞めてしまうからと言われているね

大金と手間暇かけて医師になるための教育を施したのに腰かけ程度に医師をやられてすぐ寿退職されたらたまらいからね

2023-10-28

[]紀伊国狐憑漆掻語

谷崎潤一郎

漆掻きと云ったって都会の人は御存知ないかも知れませんが、山の中へ這入って行って漆の樹からうるしの汁をしぼるんです。いいえ、なかなか、百姓の片手間ではありません。ちゃんとそれを専門にする者があったんで、近頃はめったに見かけませんけれども、外国の安い漆が輸入されるようになったそうですから、いまどきあんなことをしても手間ばかりかかって引き合わないんでしょうな。兎に角以前には私わたしの村なんかへもよく漆かきが奈良あたりからやって来たもんです。漆鉋うるしかんなと云って、鎌のようなもので先の曲った奴を持って、腰に三四合ぐらい這入る竹の筒を提げて、漆を見つけると、その鉋で皮へ傷をつける。それがあんまり深く傷をつけ過ぎてもいけないし、浅過ぎてもいけないし、呼吸物なんで、その傷口から松脂まつやにのようにどろりと滲しみ出て来る汁を箆へらですくって竹の筒へ入れる。そんな時にうっかり下手なことをやって汁が顔へはねかかったりすると、それこそ赤く脹れ上りますから、馴れた者でないと出来ない仕事なんでして、漆にカブレないように紺の手甲を着けて、すっかり紺装束で出掛ける。まあそんなことをする人間なんで、私の村にもその商売の者が一人住んでいましてね。此の男は遠くへ出稼ぎをするのでなく、村の近所の山へ這入ってはうるしを採ってくらしていましたが、或る夏の日に、その漆かきが一と仕事してから山の中でひるねをしていますと、夕立ちが来たもんですからふっと眼をさましました。そしてそのときに、ハテな、己はひょっとすると寝ていた間に狐に憑つかれやしなかったかなと、そう思ったと云うんです。それが別にどうと云う理由があるんではないんですけれど、淋しい所をひとりで歩いているときなんぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくそういう感じがしたんでしょうな。で、まあ、家へ帰ってもそれが気になって仕方がない、どうも狐がついたようだから明神さまへお参りをして来てくれろとお袋ふくろに頼んだりして、友だちなんかにもそんなことを云っていましたが、そのうちにとうとう床について、飯も食わないようになったんです。それで先生布団をかぶって半病人のようにうつらうつらしながら、日が暮れると云うと、ああ、今夜あたりは狐が迎いに来やしないかな、今にきっと来やしないかなと、心待ちに待たれるような、妙にそれが楽しみのような気持ちでいると、案の定夜になってから友達のような男が三人ばかり表へやって来て、「さあ、行いこら」「さあ、行こら」と誘うんだそうです。尤も友達と云ったって見おぼえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらいの小男で、法被はっぴを着て、木や竹の杖をついていて、何か非常に面白そうに「行いこら行こら」と云うんですが、それを聞くと行きたくって行きたくってたまらなくなるんだそうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘われてはならないぞと思ってじっと我慢していると、友だち共は仕方がなしに帰ってしまう。するとその後ろ姿に尻尾しっぽのようなものがチラチラ見えるようなんで、ああやっぱり行かないでいい事をしたと、そのときはそう思いながら、又あくる日のゆうがたになると、今夜も誘いに来やしないかなと心待ちに待つようになる。そうするうちに果たしてやって来て「行こら行こら」と誘うんですが、それがもう、さも面白そうなんで、ついうかうかと行きたくなるんだそうですな。しかしその晩も一生懸命我慢してしまったところが、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があって、庭の下が六尺ばかりの崖がけになっていて、崖から向うは一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びていて、ちょうどその庭と畑とが同じ平面に見える。で、その畑の方へ例の小男が三人連れ立ってやって来て、「さあ行こら」「さあ行こら」と云うんだそうです。よくよく見るとその男たちの着ている法被に何か圓い紋がついていたそうですけれども、どんな紋だったか、そこんところはハッキリ覚えていないんだそうで、いつもの通りめいめいが杖をついていて、しきりにそう云って誘うもんですから、とうとうその晩は我慢しきれなくなってしまった。それでそうっと家を抜け出ようとしたとき生憎親父が小便に起きたんで、こいつはいけないと思って、「行きたいんだけれど、親父に見付かると面倒だから己は止すよ」と云うと、「なあに己たちが一緒なら大丈夫だ、こうすれば親父に見つかりはしないから、まあ附いて来い」と云って、その三人の友達が手をつなぎ合って、輪をこしらえて、その輪の中へ丑次郎―――という名だったんですが、その漆掻きの男を入れた。そして、「さあこうすれば親父が見ても見えやしないか心配するな、附いて来い/\」と云って連れて行くんで、ちょうど便所から出て来た親父とすれちがいになったそうですけれども、成る程親父には此方の姿が見えないようなあんばいだった。それからその晩は麻の畑の中で遊んで、いろいろ御馳走をしてくれたりしただけで、明け方には無事に家へ帰してくれたそうですが、四日目の夕方は日が暮れないうちから楽しみで楽しみで、早く誘いに来てくれないかなと思っていると、やはり昨夜ゆうべと同じ刻限にやって来て「行こら、行こら」と云うんです。で、又附いて行きますと、今夜はいい所へ行こうと云って、家のじき近所にガータロのいる淵があるんですが、その淵の方へ出かけたと云います。え、ガータロですか。ガータロと云うのはあれは河童かっぱのことなんです。ぜんたい私共の村は高野山の南三里ばかりの山奥にあって、私の字あざは一方が山で一方が谷になったゆるやかな傾斜面のところどころに家がチラホラ建っている。丑次郎の家というのも山と山の間にある淋しい一軒家なんでして、前に三四枚の段々畑があって、その先が今云ったガータロのいる淵なんです。別に名前のあるような淵ではないんで、村の者はトチ淵ぶちトチ淵と云っていましたが、さあ、どう云う字を書きますかな。何しろ大滝だとか赤滝だとか云って、非常に滝の多いところでしてね、その滝壺の下流が今云った谷の底を流れていて、淵になっているのはほんのわずかなところなんですが、そこにはいつも水が真っ青に澱よどんでいて、まん中に平べったい一枚岩が出ていました。ガータロはその一枚岩の上にときどき姿を現わすことがありましたから、たしかにその淵に棲んでいたには違いないんで、見た人は大勢あるんです。ええ、ええ、私も一遍たことがありますよ。なんでも夏の日ざかりに山の上を通っていると、下の方にその淵が見えて、岩の上に変な奴がすわっているんで、「ああ、ガータロが出ているな」と思ったことがありました。さあ、そうですな、遠くから見たんだからよくは分りませんでしたけれど、人間よりは小さかったようで、まあ猿ぐらいでしょうかな。姿も猿に似かよっていて、ただ斯う、頭の上に妙な白いものが喰っ着いているんで、鳥打帽子を被っているように見えましたよ。ええ、ええ、よく人間に害をする奴なんで、私の知っている人でも、ガータロに見込まれて水の中へ引きずり込まれそうになったり、ほんとうに引きずり込まれて死んでしまったのもあるんです。これは餘談になりますが、その谷川の別なところに丸木橋がかかっていましてね。或る私の友人が夕方その橋をわたろうとすると、うっかり足を蹈み外して、水の中へ片足をついたのが、岸の方の浅瀬だったんですけれど、その片足を抜こうとしても水が粘ねばり着くようになって、どうしても抜けない。しきりに抜こうともがいているうちに、次第にずるずると深みへ引っ張られそうになるんで、ハテな、ガータロに見込まれると水が粘ると云う話だが、こりゃあガータロの仕業しわざだなと気が付いたんです。ところでガータロと云う奴は鉄気かなけを嫌うもんですから、そう云う時には、何んでも構わない、鉄気のものを水の中へ投げさえすれば助かるんで、ふっとそのことを思い出して、幸い腰にさしていた鎌を川の中へ投げた。そうしたら難なくすっと足が抜けたんで、真っ青になって帰って来て、実はたった今此れ此れだったと私共に話したことがありました。もうよっぽどの歳ですけれども、未だに達者な人でして、至って正直な、うそを云うような人間ではありませんから事実そんな目に遇ったに違いないんですな。しかし此の男はそう云う訳で命を取りとめましたけれども、もう一人今のトチ淵へ篏はまって死んだ者がありました。十四五になる可愛いい女の児でしたがね。なんでも同じ村の餘所よその家へ子守りに雇われていて、めったとひとりで遊びに出るようなことはなかったのに、その日に限って、赤ん坊の寝ている間に出て行って、二三人の友達と一緒にその淵の所で鮎を釣っていたと云うんです。それが、おかしいのは、淵によどんでいる水が、ほんの一間ばかりの間岩の下をくぐって、すぐその先の方へ行くと滝のようになって流れ落ちているんですが、その女の児は淵と早瀬との境目にある岩の上にしゃがんで、瀬の方で釣ればいいものを、淵の方を向いて釣っていた。すると、友達の女の児もみんな同じ所で釣っていたのに、どう云うものか外の者には一向釣れないで、その女の児の鈎はりにばかり魚がかかる。外の女の児たちは詰まらないもんですから、此処は止そうよ、何処か別の所へ行こうよと云うんですけれども、その女の児だけは面白いように釣れるんで、夢中になっていつ迄も釣っている。そのうちにだんだん日が暮れて来ましたが、もうおそいから帰ろうと云っても聴き入れないんで、外の者はその児を置き去りにして帰ってしまった。さあそうすると、晩になっても姿が見えないもんですから、主人の家では心配をして、親元の方を尋ねさせると、其方そっちへも来ていないと云うんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、実は晝間これこれだったと云う。外の児たちは云えば叱られると思ったんで、聞かれる迄黙っていたんですな。で、早速みんながその淵のところへ行って見ると、ちゃん下駄が脱いであるんで、いよいよガータロに見込まれたんだと云うことになって、それから泳ぎの達者な者が体へ綱をつけましてね、ガータロが出たら合図をするから、そうしたら綱を引っ張って貰うように頼んで置いて、淵の底へもぐって行って、屍骸を引き上げたことがありましたよ。兎に角その女の児が鈎を垂れると、ほら釣れた、ほら釣れたと云うようにいくらでも釣れるんで、外の鈎にはちっとも寄って来なかったと云うんですから、そこが不思議なんですよ。あ、そう、そう、そう云えば、その前の日に、その女の児の親たちの家の屋根の上からその淵の方へ虹がかかっているのを、たしかに見た者があると云います。虹がそんなに近いところにある筈のものではないのに、ちょうどその家の上から出ているんで、何かあの家に変ったことでもあるんではないかと思っていたら、その明くる日にそう云うことがあったんだそうです。でまあ、そのガータロのいる淵の方へその漆かきは連れて行かれた訳なんですが、なぜだか知れないが死のうと云うことを考えて、今夜は一つあの淵へ身を投げてやろうと思いながら附いて行くと、大勢の人が提灯をつけて淵の方へぞろぞろやって来るんだそうです。それで暫く物蔭に隠れて窺がっていると、村長さんだの、伯父さんだの、伯母さんだの、親類の誰彼なんぞの顔が見えるんで、中にはもう死んでしまった人なんぞが交っているもんですからおかしいなあ、あの伯父さんは死んだ筈なのにまだ生きていたのかなあと、そんなことを考えながら待っていましたけれど、提灯の数が追い追いたくさんになって来て淵のまわりをウロウロしている。この様子じゃあとても駄目だと思ったんで、「どうも死ぬのに都合が悪いから、今夜はもう帰る」というと、「そんならもっと面白い所へ連れて行ってやるから、まあ一緒に来い」と云って、棕櫚山の方へ引っ張って行った。その辺はいったいに棕櫚が多いんでして、大概の山には、高いのになると三間ぐらい、普通二間ぐらいの棕櫚と、一丈ぐらいの薄のような草が生い茂っているんですが、その茂みの中を分けて行ったら、山の中途に大きな岩が突き出ていて、友達の連中はその岩の上へするすると身軽に登った。だが見たところ丑次郎には登れそうもないので、「己はそんな高い所へ上あがれないから止める」というと、「なあに己たちが手伝ってやるから大丈夫だよ、上って見ろ/\」と云って、三人の小男が上から引っ張ったり下から腰を押し上げたりした。お蔭でどうやら上れることは上れたけれども、上る拍子に脛を擦り剥いたんで、今度はそれが痛くってたまらない。「痛い痛い」と云うと、「よし、よし、つばきを附ければすぐに直る」と云って、つばきを附けてくれたらじきに痛みが止まった。すると又咽喉が渇かわいて来たんで、「水が飲みたい」と云うと、「じゃ、まあ、ここで休もう」と云って、道ばたに休んで、何処から持って来たのだか直ぐに水を飲ましてくれたが、なんだかその水が小便臭かったそうです。で、その山を越えると、私の家の方へ下りて来ることになるんで、ああ、そうだったな、此処はもう鈴木さんの家の近所だなと、はっとそのときに気が付いたらしくって、「もう己は帰る」と云い出したところが、「まあいいからもう少し遊ぼう」と云って、しきりに引っ張って行くんだそうです。それでも無理に帰ると云って、とうとう振り切って来たそうですが、その晩も、その前の晩も、家に戻ったのは夜中の三時ごろだったそうで、いつも夜の明ける迄には必ず帰してくれたと云います。さて五日目の晩に待っていると、又「行こら行こら」と云いながらやって来て、今夜は伊勢へ連れて行ってやると云う話で、伊勢松坂へ出かけて、何んとか云う料理屋の二階へ上ると、たいそう結構な朱塗りの高脚たかあしのお膳が出て、立派なお座敷で御馳走をたべた。それから街道を歩いて行ったら、此処はカノマツバラだと云うんで、見ると成る松原がある。けれども、その時に斯う、ぼんやりと分ったのは、私の村から有田郡ありたぐんの方へ抜ける山路にヤカンダニと云う谷があって、めったに人の通らない淋しい所なんですが、そこをその漆掻きは前に一遍あるいたことがある。で、そう云う時にもいくらかその記憶が残っていたものと見えて、カノマツバラだと云うけれども、どうも此処はヤカンダニのようだから、「ヤカンダニじゃあないか」と云うと、「なんだ、お前はヤカンダニを知っていたのか。ではもっと外の所へ行こう」と云って、又方々を歩き廻って、「さあ、どうだ、此処がカノマツバラだ」と云われて見ると、今度は覚えのない土地で、松がずうっと生えていて、たしか松原景色になっている。しかしそう云う間にもときどき正気に復かえるらしく、己は狐に欺されているんだと云う考えがふいと起ることがあって、三人の小男の様子なども、人間の姿をしているように思えながら、どうかした拍子に尻尾が見える。はっきり見えるんではなしに、チラチラと斯う、見えたり見えなかったりするような工合なんですな。要するにまあその時分からそろそろ意識回復して来たんで、ヤカンダニを通ってからも暫く何処か無茶苦茶に引っ張り廻されていたようですが、そのうちに、村にイカキ山と云って、笊いかきのような恰好をした山があるんで、そこを通った時は、此処はイカキ山だなと云うことが分ったと云いますしかしその山は松だの欅けやきだのいろいろな雑木ぞうきが生えている密林なんでして、その林のなかをぐる/\歩いているうちに、木に引っかかって、フンドシが解けた。で、「まあ、待ってくれ、フンドシが解けたから」と云うと、「そんなものは構わないから放って置け、ぐずぐずしていると夜が明けるから急がなくっちゃいけない」と云って引っ張って行くんで、「もう己は帰る」と云うと、「帰らないでもいいよ。それより何所か寝る所があったら、みんなで一緒に寝ようじゃないか」と云うんだそうです。するともう夜がしらみかかって来たもんですから、その漆かきも今更家うちへ帰りにくくなってしまって、私の家いえの近所にある阿弥陀堂の方へ行った。と云うのは、その阿弥陀堂なら四人で寝るのにちょうど都合がいい場所なので、そこへみんなを連れて行って寝ようという考えが、ちゃんとそのときに頭にあったらしいんですな。それで阿弥陀堂へ行くのには、私の家と隣りの家との間を通らなければならないんですが、隣りの家の庭に古い大きな柿の木があって、それが往来の方へ枝を出していた、その木の下を通った時分に、「ああ、此処は鈴木の家の側だから、もうすぐ其処が阿弥陀堂だ」と思ったそうです。その阿弥陀堂は草葺きのお堂なんでして、うしろの方に四尺に一間ぐらいな裏堂が附いていて、その中に村のお祭り盆踊りなんぞに使う提灯だの行燈だの莚だのが置いてあったんですが、その莚のことを覚えていて、あの裏堂で寝ようというつもりだった。ところがそこへ這入るのには屋根からでないと這入れない。今も云う通りいろいろな物が入れてあったもんですから子供なんぞがいたずらをしないように、扉を中から締めてしまって、屋根から出入りするようにしてあったんで、そのこともちゃんと覚えていて、屋根裏へ上った。尤もその時に矢張り小男の連中が上から引っ張ったり下から押し上げたりしてくれたそうで、上って見ると、そこに二尺ぐらいの幅の厚い欅の板が渡してある。これはお堂の中の品物を出し入れする時の足場に作ってあったんで、その板に腰かけて莚の上へ飛び降り料簡だったんですが、小男共は、「此処がいい、/\」と云って、草葺きですから、庇ひさしの裏の方から上ると、竹を編んだ屋根の土台が見える、その竹の棒に掴まって屋根の草の中へ体を突っ込んで、「此方へ来い、/\」と云うんだそうです。成る程その連中はみんなせいが低いんだから巧く草の中へもぐり込めますけれども、丑次郎には這入れる訳がないんで、「己は体が大きいから駄目だ、そんな所へ這入ったら足が出てしまう」と云うと、「まあ試しに這入って見ろ」と云うんで、這入って寝てみたら案の定足が出てしまった。「ほれ御覧、こんなに足が出たじゃないか」と云ったら、「では仕方がないから中へ這入ろう」と云うことになって、さっきの屋根からでなく、別な所へ穴をあけて、その穴から、一人ずつ莚の上へ飛び降りて、裏堂の中の狭い場所へ四人が並んで寝た。それから少しとろとろとしたと思うと、お堂のうしろの板が三寸四方ぐらい切り取ってある、それは以前に、泥坊が内部にしまってあるものを覗のぞこうとしてそんな穴を拵えたことがあるんで、もうすっかり夜が明けたらしく、そこから朝日がさし込んでいる。と、やがて表が騒々しくなったんで、その穴へ眼をつけて見ると、村の子供たちがお堂の前で遊んでいるので、ガヤガヤ/\云っていてとても眠れない。「どうもあの子供たちがうるさいな」と云うと、「よし、よし、己が彼奴等あいつらを追っ拂って来てやる」と云って、一人の小男が外へ出て行った様子でしたが、どんなことをしたのか知れませんけれども、兎に角その男が行ったら子供たちはいなくなってしまった。それでようよう落着いて寝ようとすると、生憎とまた小便が出たくなったんで、「一寸小便をして来る」と云ったら、「いや、出てはいけない、出てはいけない」と云って、一生懸命に止める。「出ると掴つかまるから出てはいけない。小便がしたければ此の中でしろ。さあ、己達も此処でするぞ」と云って、三人とも寝ながら小便をしてみせるんですが、丑次郎にはどうしてもそこでする気になれない。もう出たくってたまらなくなって来たんで、とうとう又その屋根の穴からお堂の外へ降りたところが、遠くに私が立っていて自分の方を見ているので、「あ、鈴木さんに見られたな」と、その時はっきりとそう感じた。そして私が近寄って行く間に、三人の小男どもは慌あわてて逃げ出してしまったのだそうです。

さあ、そうでしたね、掴まえたのは朝の九時頃でしたかね。何しろ丑次郎がいないと云うので、村では捜索隊を作って山狩りを始めていたんです。それが明神様のお告げでは丑寅うしとらの方の山手にいると云う訳なので、一間置きぐらいに人が立って、八方から山を囲んで登って行こうとしていました。私もその捜索隊に加わっていたのですが、みんな鎌だの鉈なただのを持っているのに、私は素手すでだったもんですからすこし気味が悪くなって、もう山へ登りかかっていたんですけれども、ちょっと家へ行って来ると云って、それを取りに戻って来た時に丑次郎がお堂の縁に立っているのを見たんです。なんでも斯う、縄の帯をしめて、両手をうしろへ廻して、前の晩に雨が降ったんで裾の方がびっしょり濡れた着物を着て立っていましたがね。「丑じゃないか」と云って、此方こっちも恐恐こわごわ声をかけながら近寄って行くと、急いでお堂の中へ逃げ込もうとするので、掴まえようとしたところが、えらい力で抵抗してなかなか云うことを聴きませんでしたよ。そのうちに大勢駈け付けて来て、やっとのことで押さえつけて家へ引っ張って行ったんですが、家の閾しきいを跨ぐまでは可なり元気に歩きましたね。それからそっと寝かしつけておいて、行者を呼んで御祈祷して貰ったら、一週間ぐらいですっかり正気に復かえりました。尤もっともその前から少しずつ意識が戻って来て、己はこんな目に遇ったとか、何処そこへ連れて行かれたとか、欺されていた間のことをぽつぽつしゃべり出しましたがね。ええ、そうなんです、今申し上げた話と云うのは、その時私がその本人から聞いたんですよ。後で念のためにお堂のところへ行ってみましたが、成る屋根大穴が開いているし、中には小便が垂れ流してあって、臭いと云ったらありませんでした。当人も、「そうそう、己はあの棕櫚山を上る時に怪我をした筈だが」と云って、脚を出して見ると、たしかに皮が擦り剥けている。フンドシの解けたのなんぞも、よっぽどたってからイカキ山へ芝刈りに行った女が、木の枝に引っかかっているのを見つけて、ひどく恐がって逃げて来たことがありました。その外何処でこういうことがあったと云う所を調べてみると、大体その地点に證拠が残っていたんですから、それを考えても出鱈目じゃあないんですな。縄の帯をしていたのも、歩いているうちに帯が解けたんで、無意識ながら縄を拾って締めたんでしょうな。そののちその男一年ぐらい多少ぼんやりしていましたが、今でも酔っ拂った時なんかに、「狐つきの話をしろ」と云うと、笑いながら話し出すんです。

2023-10-25

パリスInstagramシェアしたのは、現在9カ月のフェニックスを抱っこしてソファ腰かけ写真数枚。「私の大切なかわいいベイビー、フェニックスが初めてニューヨークへ」とコメントを添え、フェニックスニューヨーク訪問を伝えました。

 パリス意図に反しこの写真には、フェニックスの頭が平均より大きいと指摘する声が殺到。「彼は巨頭症だよ! 私の息子も頭が大きかったけど、彼はもっと大きい」「彼は脳炎なんでしょうか? どうしたんでしょう。失礼は承知なのだけど、普通ではないように見えます」「頭蓋骨縫合早期癒合症の一種なのかもしれない」「赤ちゃんを小児神経外科に連れて行ってあげた方がいい」など、中には具体的な病名を上げながら小児科での精密検査必要であると主張するコメントもみられました。また、「だから彼女子ども写真をあまり投稿しないのか」といったコメントや、頭を大きく膨らませられる人といった、単に容姿をやゆするような画像をあげる人も現れました。

 この出来事を、あるTikTokerが動画にまとめて批判赤ちゃんの頭が大きいとして、親切で進言しているかのように医者ではない人が勝手に診断したり、悪意を感じる嫌がらせコメントを抜き出しました。この動画に気が付いたパリスは、コメント欄で反応。「世の中には病んでる人がいるみたいね。私の大切なかわいい子は完璧健康だよ。それに、もちろん医者にも行った。彼はただ脳が大きいだけ」とフェニックス健康には全く問題がなく、病院で診察も受けたことを明かしました。

 2021年11月実業家カーターリウム結婚したパリスは、2023年1月フェニックス代理出産誕生したことを発表。小さな手がパリスの指をつかむ写真シェアし、「あなたはもう言葉では言い表せないほど愛されている」と大きな愛を伝えていました。

 今回赤ちゃん容姿コメントをする人々へ向け、「なぜ赤ちゃんいじめるんです? どうしたっていうの? 罪のない赤ちゃんでしょう」「子どもの外見についてあれこれ言うなんて、恥を知りなさい」など、怒りと悲しみを表すコメントも多数寄せられました。また、「彼はすごく賢い子どもになりそうだね」「彼は本当にかわいい。とても優しくピュアな心を持って生まれてきたように見えるよ」と赤ちゃんのかわいさだけを伝える人、「彼女は最高の医者のところへ行ってるに決まってるだろ」「何かあったとしても私たち心配することじゃない」とどんなことであろうと他人の家庭に口を出すべきではないとするコメントも書き込まれSNS上で人々が大人として振る舞うように促しました。

2023-08-04

その日もバーに行った

そこは場末バーと呼べるかもしれない。

飲み屋横丁の外れに店を構え、レンガ調の外壁は色が擦れている。

錆びた看板。溜息のような、湿気交じりの風が吹き込み、鈴の音を二度鳴らす。

狭い店内。向かって正面、カウンター席の一角

彼女の姿は既にあり、温かみのあるランタンの光が顔をうっすら照らしていた。

いつも通り隣に腰かけるとハニーウッドの香りわずかに鼻をくすぐった。

仮に彼女名前増田としよう。

増田はおそらく20代。いや、30代かもしれない。

このバーで知り合った女性で、酔った俺がいっぱい奢ったのが、こうして話すようになったきっかけだ。

増田は既にほろ酔いで、俺のことを一瞥するとすぐにグラスへ目を戻す。

端整な顔立ちの増田は言う。

「そういえば、この前に面白い話の聞いたんだけど」

へぇ、どんな?

外套を脱ぎながら尋ねると、増田はグラスを傾け、俺に見せる。

同じものを、と俺。

トランスジェンダーって知ってる?」

増田は置かれた酒をいっぱい、軽く傾け喉に流すとそう言った。

もちろん。まあ、なんとなくだけど。

わたし、誤解してたんだ」

何が?

「ほら、トランスジェンダーって、要はホモとかレズとか、そういうのでしょ?だから

から

聞き返すと増田はクスりと笑って眼を細くする。

彼女福田沙紀に似ている。

増田は言う。

ホモって男が好きってことでしょ?ってことは、そのホモっていうのは、自分のことを女だと思ってる~って思ってた」

マスターがちらりと増田を見る。

それに気づかないふりをして俺は酒をあおり、それで?と促した。

「でもほんとは違うみたい。聞いたのよ。本人に。そしたら、”男のことを好きな自分のことも男だと思ってる”だって

くく、ふふっ、と増田は体を折って笑う。

やれやれ、と俺は思う。

しかしこの表現はあまりきじゃない。

軽々しくも、”ハルキスト的”だなんて称されるのが気に食わないからだ。

そもそもやれやれ」といった表現流行させたのは村上春樹ではなく、それは寺山修司舞台青森県のせむし男』に出てくる萩村の口癖が元だ。

閑話休題

増田は「レズレズでも自分は女だって思ってるってことだよね?」と俺に問い、俺は何となく頷いた。

ただそれだけの話。

マスター流し目にちらりと俺を見る。

俺は再び、酒をあおった。

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-04

経済女神:NIKKEIの研究

あぁ〜ン❤️

ご主人様ァ〜ン❤️あはァ〜ン❤️❤️❤️

今回は2023年5月下旬6月にかけて流行した謎の流行について報告する。

前回の研究anond:20230503220637

今回の流行には前提知識必要となるのでまずそちらを紹介する。

韓国の「娘」もしくは「イチゴ女」

https://imgur.com/20ZHE40

https://namu.wiki/w/딸녀

https://nuriwiki.net/wiki/딸녀

https://www.joongang.co.kr/article/2128313#home

2002年アップロードされ2003年10月ごろ韓国流行した女性台湾イチゴ狩りでふざける画像

この女性が何者であるかは2023年現在でもわかっていないが、2003年当時日本でもこの女性富野監督にすげ替えたコラが作られていたことがわかっている。

(当時の二次裏ではあらゆる画像の顔を富野にすげ替えたコラが流行していた)

NIKKEIの誕生

上記の通り過去流行であったのだが、2023年3月韓国絵師がこれをアスナ(ブルーアーカイブ)で描き

https://www.pixiv.net/artworks/106330077

このアスナ画像2023年5月下旬

あぁ〜ン❤️

ご主人様ァ〜ン❤️あはァ〜ン❤️❤️❤️

という文章で建ったスレにおいて「ふざけてんのか」とレスされたことで真面目さをアピールするためなのか

さら日経QUICKニュースの内容を改変した文章が張られることとなった、とされている。(いつ頃定着したのかは不明)

以下は5月26日に確認されたものである

日経平均続伸、115円高の3万0916円 半導体関連に買い

半導体株の急騰が続いているぅゥン❤️

26日の日経平均株価はアドバンテスト東京エレクチオンなどの大型半導体株がけん引し続伸ンンン❤️

一時、22日につけたバブル崩壊後の高値(3万1086円)を上回る場面があったァァン❤️

米国での人工知能AI)の需要拡大などの期待感相場を押し上げる「AI祭り」が日本に波及ゥゥゥン❤️

電子部品などハイテクに幅広く物色先が広がったァ❤️

25日の米国市場では、米半導体大手エヌビディアァァン❤️が業績見通しの上振...

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25日の米市場で主要な半導体関連銘柄構成するフィラデルフィアァァァン❤️半導体指数SOX)が大幅に上昇したのを受け、東京市場でも半導体関連株に買いが入ったァァン❤️

前日に急伸したアドテストは朝安後、上昇に転じ、東エレク(チオン)は年初来高値更新したァァン❤️

日経平均の上げ幅は一時300円を超え、直近高値である22日終値(3万1086円)を上回る場面もあったァァ❤️

円相場が一時1ドル=140円台に下落し、輸出企業の採算改善への期待が高まったことも相場を支えたァァン❤️

今後のインバウンド訪日外国人需要回復期待もあり、JALJR東海が上昇したァァァン❤️

東証株価指数TOPIX)は午後に失速し、小幅に4日続落。0.31ポイント(0.01%)安の2145.84で終えたァァァン❤️

東証プライムの売買代金は概算で3兆4058億円。売買高は12億1944万株だったァ❤️東証プライム市場の値上がり銘柄数は419、値下がりは1371、変わらずは45だったァァァン❤️

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東京エレクトロンを「東京エレクチオン」に置き換える、語尾を差し替えるなどはポコマー天気予報に通ずるものがある。

なお、「すべての記事が読み放題」「有料会員が初回1カ月無料」は日経電子版の有料記事を未加入者が閲覧した時に表示されるメッセージである

これを見た者が上記画像を別のキャラで描きさらにそれを見た別の者がまた別のキャラでこのネタを描き…という形で伝搬し急速に流行した。

namuwiki(韓国アニヲタwikiのようなウェブサイト)の当該記事では今回の流行について

しか2023年5月から突然、日本双葉チャンネルスレッドの必須要素(訳注ネタ)として再び浮上した。 各種キャラクターで娘のポーズ再現した絵も少なくない。 韓国インターネット古代遺物として扱われていたチャルバン(訳注画像ネタ)が一体日本でなぜスポットライトを浴びたのかは依然不明な状況だ。

有力なエピソードとしてはタグに付いた日経で、日経株式情報スレに誰かが娘を応用したチャルバンを付けて株式情報を載せ、そのスレが有名になったと推定される。

記述されているが実態は多少異なるとされる。(今回の流行まで株式情報を扱う定時スレの類いは存在しなかったため)

なぜNIKKEIなのか

ブルアカアスナを知らずNIKKEのキャラクターだと誤認した者が存在したこと

日経平均株価について語っている(?)ということから

勝利の女神:NIKKEから転じて経済女神:NIKKEIとなったという説がある。

出現条件

日経終値が3万を超えている日に建つと言われており、

これにはイチゴ(1万5000円)が2個で30000を表しているという説もある

なお、これは後付けの条件である可能性が高い。

参考:ポコマーの現況

anond:20220803191531

今年のシーズンは珍しく5~6月に一度もポコマーの条件(平日正午までに35度を突破する)を満たさなかったため7/4現在まで正規マーチが行われていない。(ノーポコマー)

その代わりなのか最近はNIKKEIに倣い温度計と苺を持つ鹿島が出没している。

昼下がりの提督室で、俺と香取鹿島ソファに座って押し黙っていた

俺たちの対面には鼓笛隊恰好をした鹿島が微笑みながら腰かけており、

俺の横の鹿島天龍軍刀を片手に憤怒の眼光鹿島を睨んでいた

「つまり…」重たい空気を破るように香取が口を開いた

「今年から暫く休暇を取る、と」その言葉鹿島ポコリと軽快に頷く

「そうか…」もうあのマーチはお休みか、と一抹の寂しさに胸が痛んだ

いきなり鹿島が立ち上がり、「何が休暇だこの野郎ッ!」と叫んで軍刀を抜いた

「ぶっ殺してやるッ」大上段に構えた刀を鹿島の脳天へ振り下ろす

鹿島バトンで刃をカチッと受け止め、がら空きになった鹿島の胴を素早く三度突いた

吹っ飛んで床に転がった鹿島が「畜生ッ」と泣きながら海老のように背を丸めているのを見届けると、

鹿島は「よー早漏」と歌いつつ提督室を出て行った──どこか物悲しい歌声だった

すると入れ替わるように温度計と苺を持った鹿島が入ってきた

提督さァ~ン♡」体をくねらせる新たな鹿島を見て、鹿島は床に寝たまま呆然とした表情を浮かべていた

2023-07-03

寿司を食いに行ったら、追い出された話

回転すし屋に行った。

コの字型のカウンターだけの店。

入ってすぐの席に通され、腰かけた。

茶を入れて、サーモンを取り、よし醤油をさそうと思ったら、さしちょこ(しょうゆ用の皿)が無い。

店員に聞いてみると、ウチは無いんですよと言われ、一滴ずつ出る、プッシュ式の醤油さしを指さされ、これを使ってください、と言われた。

これに納得がいかず、しょうゆ用の皿をくれ!!!と言ったら、とやかく言われ、食べてた野郎食事中にサングラスしている)に、うるせーぞと、文句を言われた。

ひと悶着があり、終いには店側から、出てってくれと言われ、結局寿司は、お預けになった。

今の時代、回転すし屋はどこもそういう風にして食べるの???

教えてくれ~

2023-06-19

昼過ぎプールに行った。

腰かけたかったが、プールサイドにある水中に沈める台の腰掛けスペースはすでにジジイが座ってた。

水中に沈める台がプールサイトに立てかけてあったので座れるように動かして座ったら、

勝手に触らないでください」と監視員バイトちゃんに言われた。

「座りたいんですけど」と言うと、同じことを繰り返し言われた。

「どこに座ればいいですか」とか言ってたら、男の上位監視員が来たので、

「いいんですよね?」と聞いたら「いいですよ」みたいな事を言うので、姉ちゃんバイトを見たら、姉ちゃんなんにも言わない。

気分悪いわ。

帰りに事故りかけるし、家に帰ったら確定申告ミスってて国保の値段上がってるし。

厄日だった。

2023-06-11

迷走神経反射メモ

昨日の夜中、目が覚めると腹に違和感を感じた

うんこっぽいけど眠いので布団で目を閉じてゴロゴロするも、

だんだん腹痛に変わってきて眠れない

仕方がないので意を決してトイレに迎う

廊下を移動中に動悸がして意識が薄れていく感じがする

過去にも何度かやっているのでまた迷走神経反射が来たかと焦る

トイレに着いて便座に着くもうんこがでない

硬めの便秘うんこで詰まっているようだ

腹痛も強さを増しながら周期的に襲ってくるし、動悸は強くなり、意識も飛びかける

最悪便器腰かけたまま気を失う覚悟をするが、頑張って気絶に耐える

そうしていると段々肛門付近うんこ感覚がして、10分程度粘ったところ固形うんこが出た

うんこが出たが腹痛が治らず更に座り続けていると下痢便を噴出

とりあえず立ってケツを拭き、水を流してトイレを出る

気絶の危険は過ぎ去ったようだ

手を洗って布団に戻り横になるも腹痛が続いている

堪らずトイレに戻ると今度は水状の下痢便を噴出

また吹いて流して手を洗って布団に戻る

これを3回ぐらい繰り返してようやっと腹痛の波は引いた

前日に食べた自作肉吸いが夜中常温で出しっぱなしだったから当たってしまったのかと恐怖に怯えつつ眠りについた

今日普通に元気

2023-04-05

anond:20230405083415

昭和中期までの企業労働についてはサザエさん読むといいよ。

江戸

 企業ではなく財閥社長ではなく番頭

~~~明治維新

明治昭和初期:

 企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。

 女性大学に行くとニュースになる。教員医者作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書家事手伝いさんを雇える。

 ※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。

~~~第二次世界大戦

昭和中期:

 団塊世代。オーモーレツサザエさん企業につとめて三種の神器洗濯機冷蔵庫テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。

 家に自動車もあるとなおよい。女性大学生になる事例が増えたが都市部のみ。

 田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね実家も太いんだね)レベル

 頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。

 義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないか卒業できました)という人も田舎には多い。

昭和後期:

 労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校私立大学も増え塾もふえる。

 子供全員大学いかせないなんて正気か?

 そろそろクーラー自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」 

 パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?

~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済バブルがはじけた」か

平成前期:

 ICチップ産業コメインターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線テレホーダイからですね。

 ポケベル、ISDN、PHSなどスマホ前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。

 パソコン市販されるけどたいていの人はまだキーボードのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ

 エクセル方眼紙だろうが、「なにか」つくれれば尊敬されてた。

 ていうかワープロword機能と感熱紙プリンタけが入ってる機械ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん

平成後期:

 ご存じIT革命スマホ世代リーマンショックって平成20年だったのか

令和

 今だよ

 

さて

・過重労働 

 ↑昭和スマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能

 小学校で習ったそろばん電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの

 あとは人脈と移動力ものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。

 ※ちなみにメタル回線電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い

残業代が出ない 

 ↑そのかわり働かない。公務員教員も)は定時で帰るし。

 土曜日半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。

 まあ最初リーマン先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。

 あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。

 なんか親睦草野球大会飲み会みたいなのも多かったしな。

ハラスメント多め

 ↑ハラスメントなどという横文字言葉のもの日本企業風土にないが、

 そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。

 要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。

 今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。

 「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。

 自ら選択してなったのだからサラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。

 今はお医者しか残ってないタイプのいらん敬意だね

 

から昭和でいうブラック企業はね、

ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。

管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引からつけとどけのお中元お歳暮、お世辞がバンバンとどく。

そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。

農業だの家業手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。

まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから

それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。

 

reiwa

平成令和はやっぱインターネットオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。

荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。

昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。

 

労組

ああ、あと昭和ならではの労働事情としては、労組もあったな

学生闘争活動してた人が頭いいか背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、

何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。

そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代労災を払え」のような、

きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。

元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやす内部告発私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな

ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。

 

社員からすると労組経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさん理論なんだよな。

今は労組から管理職いける不思議労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。

労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから

労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律かいくぐることに必死になってるタイプブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)

社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。

経営陣はお客様代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。

でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間お気持ち)の味方ではないんだよ。

労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。

 

 

あとブラック企業って呼び方

個人的には「黒人企業蔑称」みたいでいやだ。

「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。

まあ昭和だと「赤=労組テロ共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。

色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。

 

追記

・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。

バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PC名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。

 もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。

 というか「バブルがはじけ、第一就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。

 俺が命名していいなら「1991バブルショック」か。

 1971が石油ショックで、

 2008がリーマンショックなら、

 およそ18-20年に一回なんかそういう失業氷河期祭りがあるんだな。

 次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。

漫画資料

理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった

 ・平成初期あたりの週刊モーニング作品

  (釣りバカ日誌クッキングパパOL進化論

 ・フジ三太郎東海林さだおコボちゃんなどのサラリーマンもの

  (絵柄が大体あの感じのやつ)

 ・YAMAZAKIっていう漫画があるんだって

 

 ※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。

  島耕作プロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。

  金と社員だけみれば現実もっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ

  一番サラリーマンの本体をしってるのは父親母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初サザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)

  俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、

  外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。

  (部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)

 ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世からの転身組漫画家の双璧だとおもいます

 

追記

・俺史上2本の指に入った

PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。

・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか

・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。

 花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。

 腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。

 というか子供からみて高校以降のママアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。

 ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。

2023-03-13

男子高校生が三人でパンを食ってた

農業用ため池のほとりにおしゃれでちょっと高めのパン屋さんがあるんだ

今日の四時くらいにその前の道を通ったらさ

岸に男子高校生が三人で腰かけて笑いあいながらパンを食ってた

時間的にまだ高校の授業が終わる時間帯じゃないか卒業した三年生とかなんだろうな

何かの用事制服を着て、もう汚れても着る機会がないから地べたに腰かけて、濁った水面見ながらうまそうにパンを頬張っていた

食ってるから当たり前だけど、マスクも外して笑いあっててさ、幸せそうだなって思って、なんか心に残っちゃったよ

2023-01-24

そこになければないですね、みたいなことを何故言うのか

うんこことなのだが、便器腰かけて用を足しているときに、まずそれなりに済ませる。そこから、どうにもまだ用便が残っている感触があるので十数分続けて問い合わせてみるのだが、肛門なのか大腸なのか所掌がよくわからないんだけれども「そこになければないですね」みたいなことを平気で言う。

客としては、いやそこの、カウンターの奥の棚に残っているだろう。そこに見えてるやつ。それを出してくれればいいんだよ、という感じなのだが、店側が「ない」というのではしかたがなく、トイレの個室をあとにする。

果たして1時間弱ほどのち、「うんこあるんですけど。出るんですけど」という通知があり、お前がないって言ったんじゃねえか、とイラ立ちながらトイレに向かう。もちろんちゃんと出る。

こんな店潰れちまえばいい、と思うのだが店のオーナーは俺なのだった。しかたなく最近は水分をよく摂るようにしている。

2022-12-07

増田♂52歳の考える居心地のいい呑み屋

(´・ω・`)「…ほっといてほしいんや」

(´・ω・`)「ワイはネットで『メシが美味い!』て評判の居酒屋に行って、」

(´・ω・`)「独りで離れた席に腰かけて、」

(´・ω・`)「ネットでとりあげられたウマいメニューをたのんで、」

(´・ω・`)「スマホ読みかけの なろう 小説を読みながら、」

(´・ω・`)「たのんだメシが到着するたびに『いただきますッ』てニコニコして、」

(´・ω・`)「奮発して注文した高い日本酒と一緒に、」

(´・ω・`)「誰にも邪魔されずに食事したいんや」

(´・ω・`)「…仕事で一日中お客さんや同僚と話してたから、」

(´・ω・`)「もう、」

(´・ω・`)「自分以外の他人に気ィ遣ってニコかに会話したりなんかしとうないんや」

そんな呑み屋、無いんだよねぇ…(´・ω・`)

2022-11-05

森の中の公園 老婆ふたり 薄っすら寒さ 秋のベンチに腰かける。

話すことは恋について。

2022-10-14

AI小説書いてくれたけどカオスだった3

おケツがかゆい。布団にダニでも湧いてるのかな?

まぁ、別にいっか。この程度なら我慢できるし。

それよりも、今は早く学校に行かないと。

「ふわぁ~……」

眠い目をこすりながら身支度を整えて家を出る。

から快晴気持ちいいなぁ……………………

「うぅ……さむっ」

朝の冷たい風が頬を撫でる。

ぶっちゃけ寒いけど、その分空気は澄んでる気がする。

今日数学の小テストがある日だ。しっかり勉強したし大丈夫だと思うけど、ちょっと緊張してるかも。

いつもより少し早めに歩いて学校に向かう。

校門が見えてきたところで、僕は立ち止まった。

(あれ?)

校門のところに人影が見える。

生徒にしてはかなり背が高い。それに、なんだか見覚えのあるシルエットだった。

おはようございます! 先輩!」

元気よく挨拶してくる女の子の声を聞いて確信に変わる。

「あ、あなたはもしや、地球を1時間後に破壊しようと企んでいると噂の女神アカネ!?

「そうです」

こうして人類生存タイムリミットが始まった。1時間以内に世界を救え!

僕の名前はゆうと。

ごく普通高校2年生だ。

今朝、登校中に謎の美少女出会いそいつ人類破滅させようとしている。

だがしかし、そんなことを信じろと言われても無理だろう。だから、僕の目の前で起こったことをありのまま話すぜ。

ライブ放送ニュースで『女神』を名乗る少女が現れたんだ。しかも空から落ちてきて、地面に激突する寸前に光に包まれて無傷になった。

まるでアニメみたいな光景だったが現実に起こった出来事だ。信じてくれ。

そして、この子出会たことがきっかけとなって、僕の人生は大きく変わっていくことになる―――

おはようございます! 先輩!」

元気いっぱいにあいさつしてきた女の子を見て驚いた。

だって彼女は―――

あなたはもしや、地球を1時間後に破壊しようと企んでいると噂の女神アカネ!?

「そうです」

「どうしてこんなところにいるんですか?」

「先輩に会いに来たんですよ」

「えっと……なんのために?」

「もちろん、先輩に会うためです!」

そう言って微笑みかけてくる彼女

とてもかわいい笑顔だけど、その言葉意味理解することはできなかった。

「んー……」

腕を組んで考え込む。

どうしようかな? ここで無視するのは簡単だけど、後々めんどくさそうな予感がするんだよなぁ。

よし、決めたぞ。

「とりあえず、しりとり勝負を決めよう」

「わかりました。では、わたしからいきますね。りんご

「ゴール」

ルビー

イスタンブール

ルール

ルービックキューブ

「ぶた」

「タール」

ルアー

「アール」

ルーレット

トーテムポール

ルビー

はいルビーは二回目。お前の負けね。」

こうして僕は世界を救った。女神に知能で勝利したのだ。

「負けてしまいました...悔しいかあなたをぶっ飛ばします。秘技、火炎双魔掌...!」

彼女が両手を突き出すと、そこから炎が出てきた。

「うわあああっ!!?

そこにあるのは屍だけだった。死んだのである。死因は焼け死。

こうして、僕の人生は終わった。享年17歳

ああ、もっと生きていたかった……。

と、その時だった。量子力学的なあらゆる法則作用して、尿意をもたらしはじめたのだ。

「はっ!?

目が覚めると、そこは教室の中。どうやら授業中に居眠りしていたらしい。

先生が呆れた顔でこちらを見ている。

「おい、起きてるならちゃんノートを取れよ」

すみません……」

恥ずかしさのあまり顔を赤くしながら頭を下げる。

「まったく……まあいい。じゃあこの問題を解いてみろ」

黒板で問題を解いている時、尿意限界に達してしまったので「まあいいや」といってそのままお漏らしした。

「うひぃ、快感!」と叫びながら射精までしてしまった。

「ふぅ~……」

一息ついてから、再び目を閉じて精神を集中させる。

目の前の難解な数式「xが1のとき、x+x=?」の?を埋めなければならない。

これは一見すると簡単問題に見えるかもしれない。

でも違うんだ。数学というのは、ある意味哲学であり、真理でもある。それを理解できない者は、数学を真に理解することはできない。

「よし、わかった」

答えはこうだ。

1 + 1 = 2

この方程式を解いて得られた結果は1+1という値。つまり1+1は2なのだ

これを証明するためにまず1と1を足す。最終的に得られる値は2になるはずだ。

さあ諸君、一緒にやってみよう!

「き、君ぃ、漏らしっぱなしで問題を解いている場合じゃないと思うんだが...」

先生は言う。凡人の発想である

「いいえ、これで合っています。なぜなら、1と1を足すと2になりますから

そう言って僕は1と1を足した。そしてその結果を紙に書き記す。

「ほぉ……」

先生はその解答を見て関心したように言った。

「素晴らしい! 正解だ! だが覚えておけ、この壇上は私の宇宙であり、君はそこに存在する塵だ。尿の臭い教室に充満し始めていることに君は気がついただろうか?」

「いえ、全然

そう言って、僕は教室から立ち去る。

「他に錯乱したい者は?」教師は何か言ったが、僕は聞いていなかった。

ここは保健室今日今日とて、僕はベッドで横になっている。

最近、僕はよくお漏らしすることがあって、こうして保健室で寝ることが多かった。

「ん?」

カーテンが揺れて誰かが入ってくる。僕は反射的にそちらに目を向けた。

こんにちは、先輩」

そこには、あの美少女がいた。

彼女は、僕の隣に腰かける。

「あれ? どうしてここに?」

「先輩に会いに来たんですよ」

「えっと……なんのために?」

「もちろん、あなたに会うためです」

「ええっ!?

「どうしまたか? そんなに驚いて」

「い、いや、なんでもないです」

「ところで、体調の方は大丈夫ですか?」

「うん、平気だよ」

本当はかなり辛かったけど、これ以上心配をかけるわけにはいかない。

「よかった。それじゃあ、早速始めましょうか」

「始めるって何を?」

「決まってるじゃないですか。核で悪の国を滅ぼすんですよ。」

問題タイミングだ。」

「そうですね。でも、もう時間がないですよ。」

「どういうことだい?」

「このままだと、先制攻撃されます。」

「何だって!」

「早くしないと間に合いませんよ。」

「分かった。それじゃあさっさと野球拳を始めよう。」

こうして僕たちは、核戦争危機回避した。僕たちがなにをしたかはお前の想像で補う部分だぞ。

ヒントを言えば、僕は「出る!核がでりゅぅぅうぅう!かはぁ....ぶっ放してしまいました」というセリフを言ったとだけ伝えておこう。

「先輩、私に何か隠していることありますよね?」

「いや、特に何もないよ。」

「嘘つかないでください! 先輩の体からは、邪悪波動を感じるんです!」

「いやいや、マジでほんとに知らないよ!」

ちょっとパンツ脱いでください」

「えぇ……」

「いいから、早く!」

はい……」

「やっぱり……! 先輩のお尻に、悪魔尻尾が生えています!」

「うん、知ってた」「え……!?

「実は僕、悪魔なんだ」

「そんな……!先輩は人間だったはず……!」

「いや、悪魔からね?」

「え……!?

悪魔だけど、君のことが好きだ。」

「ええ……!?

結婚してください」

はい……!」

数年後

「もうすぐ産まれますからね!ヒッヒッフー!はい!ヒッヒッフー!

「ピギィイイイ」

まれてきたのは、可愛らしい爬虫類だった。「可愛い……!」

「ええ……!?

名前は……そうね。ドラコしましょう」

「ええ……!?

「ピギャァアアア」

ドラコはそういって金切り声を上げ、母親を喰らう。

「そうそう、喰らわれる痛みというもの人生で一度は体験してみたかったんですよね」とアカネは言う。

「喰らわれる気分はどうですか?」と医者は言った。アカネ笑顔で答える。

「最高です!」

こうして世界は救われた。めでたしめでたし

2022-07-12

「もし二十年後に君の演奏を聴いたとしても、私はそれが君の演奏だと思い出せるだろう」


     ◇


 2019年5月モントリオール国際音楽コンクール主催するジュニア音楽家のためのコンサートが開かれた。

 その参加者の中に、一人の日本人少女の姿があった。

 名前村田夏帆、当時11である。小柄ながら卓越したヴァイオリンテクニックを有する彼女は、このコンサートでの演奏曲目をヴィヴァルディの『冬』としていた。コンサートの当日、疾走感と柔らかさを交互にもたらす複雑なメロディーは三楽章渡り、十分余り続いた。演奏が終わった時、彼女は微笑んでいた。

 熟練した室内楽オーケストラとの共演は、完全に成功を収めたのである

 演奏が終わると、司会者が壇上にやって来て、フランス語にて彼女演奏を讃えた。司会者を前に、恐らく村田夏帆フランス語を解してはいない様子ではあったが、真摯な表情で司会者言葉に向き合っていた。

 演奏を無事に終えた安心感と、そして異国の言葉で賛辞を向けられる緊張感。その二つをない交ぜに、彼女は生真面目な表情で司会者言葉に耳を傾けていた。

 そんな時である


ピエールアモイヤルがいらっしゃっています

 と司会者が口にしたのである

 オーケストラの面々の表情が瞬時にして緊張感を帯びた。


 ピエールアモイヤルは、フランスヴァイオリン界における重鎮中の重鎮である

 伝説的なヴァイオリニストの一人と言っても良い。かの魔術的なヴァイオリニストであるハイフェッツが寵愛した唯一にして最高の弟子であった。

 壇上にいた何人もの音楽家たちが慌てて居ずまいを正し、貴賓席でゆっくりと立ち上がる初老男性に向けて視線を注ぐ。「本当にアモイヤルが来ているのか?」と言わんばかりに、椅子腰かけていた数人の音楽家が僅かに腰を上げて、会場の奥へと探るような眼差しを向けた。

 ただ一人、村田夏帆けがその緊張感を共有していなかった。彼女にとって、アモイヤルは音楽界の重鎮ではなく、単にチャーミングな笑みを浮かべた初老男性の一人である。とは言え、彼女は著名な音楽家の一人からコメントを受けるとあって、程よい緊張感を含んだ表情で男性へと視線を向けた。アモイヤルは微笑んでいた。

 アモイヤルはまず、オーケストラと小さなヴァイオリニストの素晴らしい演奏を讃えた。その後、彼はゆっくりとした英語少女に向かってメッセージを紡ぎ始めた。

今日初めて君の演奏を聴いた」

 とアモイヤルは言うと、続けた。


「もし20年経って君の演奏を聴いたとしても、あの時聴いた音だとすぐに思い出せるだろう。

 それがもっとも素晴らしい徴(しるしなのだ

 過去巨匠であるハイフェッツオイストラフミルシュタインがそうだった。そのくらいあなたの『声』はとてもユニークだ」


 会場から拍手と共に微笑が漏れた。それはアモイヤルの英語がお世辞にも上手ではなかったからかもしれない。あるいは、その賛辞が、コンクールで優秀な成績を収め続けているとは言え弱冠11歳の少女に述べるには、あまりに本格的に過ぎたからかもしれない。

 いずれにせよ、村田夏帆通訳女性の声を通し、アモイヤルの賛辞を聞き届けると、微笑みを浮かべた。

 そんなこんなで、モントリオールにて開かれたジュニア演奏家のためのコンサート成功裏にて幕を閉じ、彼女日本への帰国の途に就くこととなった。彼女は、学業の傍らヴァイオリン演奏し続ける忙しい日々へと舞い戻っていくことになる。彼女ヴァイオリニストとしての物語は、2022年の現在に至ってもまだ続いている。


     ◇


 客観的に言えば、この時の村田夏帆演奏には些かの粗もあったと言えよう。

 そのような感想を抱く音楽愛好家は決して少なくはないだろう。才能があるヴァイオリニストであるとは言え、やはり彼女11歳の女の子なのであり、十分なキャリアを積んで技量に磨きを掛けてきたベテランヴァイオリニストに比べれば、見劣りする部分は(多くはないにせよ)存在する。

 しかし、それと同時にアモイヤルの言葉は間違っていなかった。

 彼女演奏は、過去偉人たちと同様、独特の『声』を持っている。そのことも同時に明らかなのだ

 弦に当てる弓を僅かに傾け、切ないまでの叫びを上げるヴァイオリン

 その響きには、明らかに音楽に対する愛と、そして、時代を超えて人の耳を捉え、心の奥底に触れる繊細なタッチが同居している。その音を聴くことができる喜びは、時代を超え、人の心を超えていく。我々はそんな彼女の『声』を耳にできることをきっと喜ぶべきなのだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=lxTc7kLBbo4

2022-07-01

エロマンガを描いて生きている 2/3


長編作品DLsite投稿した次の日だった。

サイトを眺めたところ、新着のおススメ欄に自分のやつがあった。クリックしてみると……「ランキング 24時間1位」とあった。「ファッ!?」という声が出た。無意識だった。あんな声が人間から出るのだなと素朴に感じた。

pixiv活躍している絵師です」と自分のことを紹介してくれる人がいた。嬉しかった。コメントを読んでいると、こんなに多くの人が気持ちよくなってくれたんだと思って涙が出た。自分がやったことは無駄ではなかったんだ、これでよかったんだ、と心臓の奥からじんわりとした感情が湧き出した。

マックフライヤーに真新しいオイルを入れた時の、あの澄んだ小麦色の油面脳裏に浮かんだ。生卵をそこに割って落として、ポーチドエッグを作って食べるのが当時の朝マッククルーの楽しみだった(追記 お湯に落とすのが本来ポーチドエッグです。当時の呼び方尊重しました)。

朝五時くらいの周囲がまだ暗い中、夜マックから朝マックに切り替わるまさにその時、みんなでワイワイと集まって創作料理をやっていた。自分が作るのはポーチドエッグ相場が決まっていた。皆、おいしいと言ってくれた。そんな記憶が、あのランキング1位の画面を観た時に脳裏をよぎった。

デビュー作品投稿した年だけで1000万以上も稼いだ。図に乗った自分は、また同じ系統作品を作り始めた。再び三ヶ月程度は労しただろうか。前作と同程度の執筆期間だ。

いよいよその時だ。満を持して販売開始ボタンを押した。はっきりいって二番煎じだった。濃さについては前作よりも強いつもりだ。

売れ行きは……前回とほとんどいっしょだった。24時間ランキングは1位だったし、1週間ランキングでも、1ヵ月ランキングでも一番になった。コンテンツ需要があると確信した瞬間だった。

次作はこれとは違う作品を作ってみようと思い立った。妹凌辱ものではなくて、もっと社会的健全とされるエロ分野に挑戦してみようと思った。多くの大家のページを巡っていったところ、クリムゾン先生のページに辿り着いた。販売作品ひとつずつ見ていったところ、「この人すげー安定してるな」と感嘆したのを覚えている。それでいて創作ペースも早い。

自分場合はこうはいかない。下書きの段階では絵も字も死ぬほど汚いし、ペンタブを握ってもそんなに変わらない。初稿は売り物にならないレベルで、第二稿、第三稿と繰り返すたびにちょっとずつ売れる絵になっていき、販売開始をクリックする頃には第7稿とかになっている。

クリムゾン先生の安定感は素晴らしいとは思ったけど、自分には到底真似できないことも理解した。でも、これでいいのだ。自分場合は遅筆で、年に投稿できる作品は少ないけど、その代わり、とびっきり質のいいやつを出してやろう。それで読者に喜んでもらえばいい。

それから、いろんな経験をした。

DLsiteFANZAから個別に連絡があって、「今度、このようなキャンペーンで~~」といった内容で、いわゆる商談というやつだ。あとは出版社からも連絡があった。オリジナル作品をウチで出してみないか? という提案が。乗り気ではなかったが、編集者がいい人だったので1冊だけ紙の本を出した。

社会のことをもっと勉強しておけばよかった。会社員の人って、みんなけっこうシャキンとしていて、キビキビとしていて、マナーレベルが高かったりするだろう。絵描きというのは社会経験がない人が多いので、そのあたりはルーズだ。

例えば、FANZAとかで滅茶苦茶に売れている大御所の人で、態度が凄まじく横柄な人がいる。出版社の人や、イラストレーターや、もっというと初対面の人が誰だかわかっていなくても、自分が神であるかのような傲慢な態度で望む。20代はもちろん、30代、40代の人でさえそういう行動を取る人はいる。お金があれば何をしてもいいんだ、という心が透けて見えるようで気分が悪い。

自営業にとっては自然なことだ。自分が作った世界勝負して、それでお金を稼いでいるのだから会社員みたいに礼儀マナーを身に着ける必要はない。傲慢だろうと誠実だろうと、ご飯を食べていけるならそれでいい。他者への態度は、その人が自分責任で決めることだ。



かくいう自分も失敗をした。

二作目を売りに出してから少し時間が経っていた。通帳をみると、一作目の投稿から数えて約二千万円が入金されていた。このお金で何かしてみようと思ったところ、秋葉原にあるメイドカフェで豪遊してみようと思い立った。

専門学生だった頃に、友人と2回ばかり行った経験があるのだが、そこにはいい年をしたおっさん連中がいた。メイドさん達をわが物のように扱い、ほかのお客のところに行かせないようにしていた。彼らというのは基本的に、ものすごくうるさくて、ありえないほど近い距離メイドさんに接する。心理的にも物理的にも。ああいうのは苦手だ。

対照的に、ものかに食事を嗜んでいるおじさんや若い人もいたが、少数派だった――年齢は関係ない。大人びた人というのは、大抵は子どもの頃から大人だったりする。

結局、学生だった当時は、メイドさんとロクに喋ることはできず、40分ほど滞在して割高なオムライスを食べて帰った。世知辛い思い出だ。

ある秋の日、自分は一人でその店を訪れた。当時と変わらない佇まいだった。木目調のカウンターに色とりどりの置物が飾ってある。メニューもおしゃれだ。簡素だけど、手作り感が満載の。

あの時と一緒だった。おっさん連中が三人ほどいて、お気に入りメイドさんドリンクを飲ませていた。

観察してみると、カラオケサービスを頼む際にメイドAさんの胸を人差し指タッチしたり、フロアに立っているメイドBさんの隙を探して肩を揉んだりしていた。

40を過ぎた大人が、若いの子に対してお金と引き換えにセクハラをする場――学生などお呼びではない。それが当時のメイドカフェに対する認識だった。

でも今は違う。今の自分は専門学生ではなく、pixiv発のいっぱしのプロ絵描きなのだ

入店してすぐ、メイドさんこちらに気が付いた。

「お帰りなさいませ(はぁと)。ご主人様」

紋切り型の楽しげな挨拶を受けて、カウンター椅子腰かけた。今のはメイドCさんとする。ちょっとしゃがんで、上目遣いでこちらを見上げている。猫耳を付けていた。リボン付きの首輪も。

「初めてですか?」

はい。初めてです」

こちらがメニューです~(以下、お店のシステム説明)」

了解しました。1時間で帰る予定です」

「ご注文は何にいたしましょう? ご主人様」

オムライスください」

かしこまりました。オムライスの種類がこちらになります

「『くまたんはんばーぐ☆オムライス』にします。ドリンクは『ふりふりしゃかしゃか♥オレンジじゅーちゅ』で。何分くらいで来ますか」

「お飲み物はすぐに。オムライスはお時間かかります

了解です」

オレンジジュースはすぐに来た。メイドの人がふりふりしゃかしゃかすると、魔法がかかって味が変わるらしい。「今回はいいです」と断って、その場でグラスの半分まで飲んでみた。普通にうまい。前回は、お金がなかったのでウーロン茶を頼んだはずだ。

オムライスはあと20分お待ちください。私はあちらのご主人様の方にいますので、何かあったら呼んでくださいね

「そうですか。では待っている間にシャンパンを飲みます。これをください」

メニューの一番右上にあるシャンパンを指さした。ドンペリ白だった。当時、ドンペリが何なのかわかっていなかった。とりあえず高い酒ということは知っていたが。メニューには55,000円とあった。

メイドCさんは、「えっ!?」という声にならない声を上げて、おじさん方の接客をしているメイドAさんとBさんのところに駆けていった。

一時的キッチンの中に引っ込んでの作戦会議の後に、メイドBさんとCさんが自分のところにドンペリを――おそるおそる持ってきた。今思えばけっこう揺れていたかもしれない。Aさんは接客に戻っている。

ドンペリの瓶について、ずんぐりとした形状だったのを覚えている。天井LEDに照らされた酒瓶は、生まれたてナイフのような恥じらいを帯びていた。鈍い色の光沢が煌めいてる。生涯で初めてのドンペリだ。

こちらでよろしいですか」

OKです」

「ご主人様。ご自分でお開けになりますか――?」

「開け方がわかりません」

「そうなんですか。実は私達も開けたことがなくて」

「何……だと……?」(ブリーチ

Aさんの前にいるおじさん3人がこちらを睨んでいる。メイドAさんなら開け方がわかりそうなものだが、色々と事情があったのかもしれない。

やけくそだった。なんかもう適当ねじねじとしたやつを外して、ボトルの蓋を解体していった。コルクだけになったところで携帯電話をパカッと開いて、ようつべドンペリの開け方を調べた。どうやら、ねじねじとしたやつは残しておくものらしい。

ようつべの画面に映ったバーテンが、コルクの栓を捩じりながら開けていくのを見て成功確信を得た。自分も真似してやってみよう。メイド2人が手元をまじまじと眺めている。

何十秒かそこらだったと思うが、ずっとコルクを捩じり続けていた――ポォンッ!! という音を立てて、コルク天井に突き刺さった。すごい音だった。直後、メイドBさんの方にコルクが落っこちるのを観た。

冷たい、と感じた。見れば膝にドンペリが零れているではないかテーブルの上はさらにヒドイことになっている。

やってしまった、ドンペリの瓶を揺さぶり過ぎたのだ。炭酸がこんなに強いなんて。当時の自分は知らなかった。ドンペリの四分の一くらいが零れたのを見て、さっきのおじさん達がゲラゲラと笑っていた。メイドAさんがこっちに向かってきて、BさんとCさんを悲しそうな目で見た後で、

申し訳ありませんご主人様!」

謝罪したのを覚えている。

「いいですよ。みんなでゆっくり飲みましょう」としか言いようがなかった。零れたものしょうがないのだ。これが現実なのだハム太郎)。

メイドさんとしばらく話をした。あれは楽しかった。初めての体験というのが大きい。以下に抜粋してみよう、うろ覚えだ。BさんとCさんとの会話がメインで、Aさんは傍で見ていてたまにしゃべる感じだった。半ば酔っていたので、お見苦しい発言がいくつもある。

「改めて、Cといいます。どちらから来られたんですか?」

千葉の端っこからきました」(比企谷くんの近所に住んでます

「へー! わたし千葉に住んでるんです」

もしかして家が隣かもね」(なんてね!)

「かもしれませんねー」

「このお店、やって長いんですか。この木目調のカウンターとか。古さがいい感じです」(i'm lovin' it!)

「えっと、たしか五年目ですね。前ここバーだったんです」

へぇバーですか。どおりで。照明を消したらバーになりそうですね。ところで姉さん、失礼ですが年はおいくつですか」(24とみた)

「えー、いくつに見えますか?」

「22」

「ブー、違います

「うーん、25?」

「違います!」

「27?」

「ブー、ぜんぜん違います

「参った。正解を教えてよ」

「正解は……17才です!」

「あー、そっちかー」

意味わかるんですか? おにいさ……ご主人様」

「わかるよ。有名な声優さんのやつ。で、ぶっちゃけ本当は年いくつ? 自分は26。見た目はおにいさんじゃないけどね」(おにいさんってあなたもしかして夜の店で働いてた?)

「こないだ19になりました」

若いね。ところでなんだけど。なんかさ、たばこ匂いがするよ?」(この子まじでヤニ臭いんですけど……)

「そんな匂いしません! 未成年ですから

煙草は吸わないけど、ドンペリは飲むんだ」(やりますね!)

「ご主人様だから特別ですよ。内緒にしてくださいね

(ここで一瞬、AさんとBさんが神妙な顔つきに。Bさんが話してくる)

「ご主人様って、アニメ好きな人ですか~?」

「うん。アニメ好きです。毎季いろいろ見てます!」(うえぃ、酔いが回ってきた)

「え。アニメ好きなんですね。今のだったらどんなのおススメですか? 観てみたい」

「うーん。すぐにはちょっと。頭の回転が追い付かない。Bさんは、どんな感じのがお好み?」(装甲騎兵ボトムズとか? あまり答えたくないな。恥ずかしいし)

「笑えるやつがいいです」

「どんなアニメだって笑えるじゃん」(話題よ逸れてくれ)

「泣けるのが好きかな~。わたしにもおススメ教えてくださいよ」

「うん、ちょっと考えるね」(こんちきしょうめ!)

「あー、ご主人様かわいい。頭ひねってる」

「焦らずに。ちょっと待ちなって」(お答えしますよ!)

(当時のアニメ視聴リスト。○が思い出せた)

あかねさす少女 ○

・うちのメイドがウザすぎる!

アニマエール! ○

・俺が好きなのは妹だけど妹じゃない ○

寄宿学校のジュリエット

ジョジョの奇妙な冒険黄金の風

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない ○

やがて君になる ○

ゾンビランドサガ

アニマエール一見やんちゃなようで、友情がしっかりしていて面白いんで見ることにしましたよ。やがて君になるも捨てがたいですねェ」(戸愚呂弟)

アニマエール見てないです。どのへんが面白いんですか」

「緩くて、緩くて、緩いところかな。1話を見たらわかる。それだけでいい」(語彙貧困

「ご主人様、すごいですね」

「恐縮です。Bさんのおススメはある?」(もっと褒めてもいいんですよ)

「色づく世界明日から、てゆうのが感動できます。泣きますよ~」

「素晴らしい作品を見てるんだね」(そんなの知らない!)

「ご主人様、見る目あるんですね」

「どういたしまして」(ヘヘッ!)

絶対みてくださいね

(※翌年、全話視聴してガン泣きした)

「ところで。そちらのお姉さんはベテランさんですか?」(Aさん!Aさん!)

はい……まあ。そうですね。オープンからいるんで」

「へー。オープンから!! それはそれは!! 大事役割を任されてるんですねェ。今日開店時間からずっといるんですねェ」

「そういう意味じゃありません」

「ごめんなさいwww」

(※このあたりから記憶がない。ドンペリ白をほとんど飲み干していた)

「ご主人様ってなんか。自分をお持ちのお顔ですね。アニメだけではなくてー、ほかにもいろいろ趣味が多そうな気がします」

はいイラスト描くの好きですよ」(わかってますね!)

「そーなんですね。渋のアカウント持ってます?」

「持ってますとも」

「見せてくださいよー」

「また今度ね。もっと別の、楽しい話題に移りませう」(絶対みせないでをかう……)

「ご主人様の見たいです。次は絶対見せてくださいね

「その時が来たら見せますよ! ところで、自分さっき、どの漫画キャラの真似してたかわかりました?」

アニメ版の戸愚呂弟かなって思いました」

あんたもなかなかやるねェ」(ヘ、ヘッ!)

「ご主人様は、イラスト以外にもモノマネお上手なんですね」

「戸愚呂が一番好きなんです」(へへッ!)

わたし、戸愚呂兄のモノマネが得意なんですよ。今からやってみますね!」

割愛

しばらく喋っているうちにドンペリ(3/4)をほぼ1人で飲み切り(メイドAさんとCさんが2杯ずつ飲んだ)、美味しいオムライスを食べた後、現金でお会計を済ませると、のんびり歩いて秋葉原駅まで行った。

おじさん連中には、キッチンから出てきた料理担当とおぼしきメイドさん対応していた。あの時のおじさん達のことは今でも覚えている。自分カウンターを立って会計をする時も、物笑いにするような目つきでこちらを眺めていた。

それで、実家への帰り道の途中、酩酊した状態自転車に乗っていたものから、見事に転んでコンクリート水路蓋に頭を打ちつけた――転んだ自分の目の前に、青い空が映っていた。千葉県某所の空に、みたいなタイトルが頭をよぎった。当時は若かった。今の自分飲酒運転など絶対にしない。

しかし。真の失敗は飲み方の汚さにあった。あの時以降も、グラスに注いだ高い酒をペースを考えずにグイグイと飲みまくった。どう考えても見た目が悪い。高い酒を飲むやつが偉いだろうと心の奥底で考えていた。その時点で、あのおじさん達と同じ穴の狢というわけだ。

今はそういう飲み方をすることはなくなった。世の中には優しいおじさんもいて、ある時だった。別のメイドカフェで、ピンクドンペリを直飲みでイッキして騒いでいたところ、隣にいたおじさんが言ったのだ。

「君の飲み方は汚い。もっと周りのことを考えて吞みなさい」

はっとした。そのとおりだった。自分調子に乗っていたのだ。「ごめんなさい」と謝ったら、「俺もね、あなたくらいの時にお酒で失敗してね……」といろいろ話してくれた。

お金を稼げたから、それだけで偉いなんてことはない。人間の偉さがあるのだとしたら結局、人柄とか、人格とか、行動とかで見られるんだと思う。まだ30手前だけどわかる。人生の明らかな事実だ。



次で最後です

https://anond.hatelabo.jp/20220701210746

2022-06-09

俺の理想生活

朝に目が覚めたらストレッチしてそのまま5kgランニングして、汗だくで帰ってきて玄関に用意してるプロテイン飲んでシャワー浴びて、

団地に一人で住んでるんだけど、ベランダそばに置いてる観葉植物の横の椅子腰かけて昼まで図書館で借りた本読んで、お昼になったらカット野菜サラダと、鶏胸肉にサルサソースかけたの食べて、プロテイン飲んで、軽くストレッチして、夕方になってからスーパーが少しこむ前に翌日分の買い出しにでかけて、家に帰ったら図書館で借りた本読んで、夜になったら、作っておいた温かいミネストローネと鶏胸肉焼いたの食べて、プロテイン飲んで、温かい風呂入って、21:00にはぐっすり眠る

テレビもつけなければ新聞も読まない。

こんな生活毎日したい。

って話を友人にしたら「土日のお前じゃん。っていうかその生活生活保護受けても貯金できるよな」って言われて、働くのがマジで辛いんだが働く目的を誰かオラに与えてくれ。

2022-05-23

困らないけど困る

勤め先の建物のすぐ後ろが海なんだけど、人が少ないわりに明るくて景色がいいから、学校帰りの高校生堤防脇をよく歩いている。

堤防の上にあがる階段腰かけ黄昏れてるのもまあよく見かける。

問題なのは堤防の上にあがる階段が、うちの事務所の窓の真正面だということ。

階段に座ってイチャついてる男女が、窓枠という額縁にすっぽりきれいに収まっている。

じゃれあって、抱き合って、最後はチューしてるところまでしっかり見える。

いや、見ようとしてみているのではない。窓だから。窓から見えちゃうんだから

別にいいんだけど… 彼らはこちから一部始終が丸見えなことに気づいていないのだろうか。

2022-05-21

夫の祖父相続がまだ終わっていない。

 ちょっと用事があって、町内でもあまり行かないエリアを車で通り過ぎた。その途中、住宅街から少し離れた所に、畑にまじって放棄されて荒れ果てた土地があった。夫が言うには、そこが昔、夫の祖父銀行に唆されて買った土地なのだそうだ。

 夫の祖父はもう何年も前に天寿を全うして亡くなっている。普通に病院で死亡したから、何日の何時に死亡したか白だし勿論事件性もなにもない。そんな人の相続問題がいまだに片付いていないと、夫から聞かされて驚いた。とっくの昔に相続放棄ということで決着がついたのかと思っていた。

 義父は十数年前に亡くなったので、夫の祖父相続人には代襲で夫ら義父の子供達が入っている。夫の弟妹達、全員一致で相続放棄ということになったはずだった。迂闊に相続すると何を押し付けられるかわかったもんじゃいからだ。祖父本人も性格問題ありまくりだったのもあるが、義父の兄とその妻が輪をかけた曲者で信用ならないからだった。

 夫の祖父と義父の兄の住んでいた土地は広く、そして建物は立派な古民家だった。だが、家業が多額の負債を抱えたまま倒産したので、その土地家屋は夫の祖父のものではなくなったはずだった。だが、外戚資産家の手を借りてあれこれしたらしく、家業が潰れた後も、夫の祖父一家普通にそこに住み続けている。そこら辺はおそらく相続財産のリストには入っていない。

 家業が潰れた際、夫の祖父はその全責任を義父になすり付けた。そのせいで義父は亡くなった。それで夫と弟妹達は祖父を恨んでいるし、信用しない。

 本家から夫の祖父相続話がもたらされたのは、夫の祖父が亡くなってから何ヵ月も経った後だった。義父の兄嫁がやって来て、相続財産の一覧も見せずに、書類に判子をつけと言うのだ。夫に対して、長男として遠方に住んでいる弟妹達の所へ行って実印を預かって来い、そうすればこっちで書類に捺印をしとくから。そんな事を玄関先に腰かけて、しか相続とは無関係義母にことづけた。

 そんな事を言われて夫が怒らないはずもなく、そんなに判子ついて欲しいんなら相続財産の一覧を持って直接うちに出向いて頭をさげやがれ! と言った。以来、本家とは絶縁状態だ。

 信じらんないような話だが、本当の話だ。

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