はてなキーワード: インフラとは
インフラ系にもいるに決まってんじゃん。
https://togetter.com/li/1888386
この問題提起がそもそもだめだな、整ったインフラや家電は別に育児を助けていない。
いくつか理由を書いてみようかな
この辺のジャンルについては俺もあまり詳しくないが、いかにゲームをありうる最短時間でクリアするかというもので、ゲームプレイから一切の無駄が省かれるうえに場合によってはバグなんかも活用していく。
これの求めているところは0.1秒でも短縮しなさいだ。
それが子育てにも求められている。
親が子育てに割り振れた時間はかつてはどのくらいあっただろうか?
専業主婦のころなら仕事をしない分多かったことだろうし、保育園や幼稚園なんかも余裕をもってスケジュールすることができた。
今は共働きも一般的なので、生活の中の時間の制約を持つものが増えてしまう。
家のこと、仕事、保育園などそれぞれのタイムスケジュールは別に同調する義理はないから勝手に進んでいく。
そのうえ残業を頼まれる、子供が熱を出す、などのトラブルもあるため、時間管理がムリゲーと化していく。ここにどんなインフラや技術革新が役に立つのかといえば何も役に立たない。
これはよく言われていることだ。核家族化に伴って子育てに関われる人の数が減ったというものだ。
昭和の子育て世代は「私たちは一人で頑張った!今の親は甘えている!」とか威勢のいいことを言うが当時のアンケートでは彼女たちは専業主婦であり、彼女の姉妹や母親が頻繁に手伝いに来ていたというものがある。出典は探さないといけないのでここでは明記できないが、当時でも本当に一人でやらざるを得なかった母親たちは今と同様に地獄を見ている。
更に近所付き合いが昔ほど濃密ではないので、子育てのヘルプを依頼できるほどにお互いの信頼関係も出来上がっていないという問題もある。これについては人びとが相互不信を醸成するように社会が動いているという陰謀論をぶち上げてもいいと思うくらいにテレビやメディアでいかに隣近所に危ない奴が潜んでいるかを騒いでいる問題はあるだろう。
色々な企業が切磋琢磨して育児の合理化に鋭意努力しておりこれについては頭が上がらないが、其れとは全く別方面から子育てを非合理化してくる集団がいる。いわゆるナチュラル指向というやつだ。
彼らは育児を合理的にするあらゆるアイデアを以下の様に説明する。
などなどで、そして自分たちのよくわからないものやかつて日本が発展途上国だったころにやっていた子育て法を復活させてくる。
たとえば昭和の時代にはこういう子供はいなかったが、今は多い、その原因は紙おむつのポリマーです!という感じだ。
洗濯は手洗いが良い、母乳育児以外してはならない、紙おむつは使ってはならない、エアコンは止めるべき、洗濯石鹸じゃなくてこのせっけんを、柔軟剤じゃなくてこの粉を、牛乳はだめ、肉はだめ、電事レンジはだめ、、、
要はFUDだし、もしかしたら女性には本能的に子育て中に入る何らかのモードがあるのだろうか、すごく信じてしまう、もしくはすさまじい不安に突き落とされてしまう。
実際に合理的に育てられた子供が合理的に育てられたがゆえに問題を抱えたソースがあるのかといえば全く提示しないで、産婦人科学会みたいに母親が苦労するほど子育てはいいものになるみたいなことをなんかリフレーズしているに過ぎないのだが、こっちは信じるという矛盾すらきたしている。
これは実際に子供が学校に行き始めるとわかるが、親はやたらと学校に呼び出されるようになる。自分の親がこんなに学校に呼び出されたのかと思うが、おそらく今は過剰だろう。
子供が問題行動を起こすたびに呼び出され「親御さんがしっかり子供を見てください」とだけ言われる。つまり、学校などで発生する子供の問題が親に丸投げされる。
これはよく考えるとおかしな話だが、モンスターペアレンツという伝説上の存在によって起こるようになった。
あれによって学校は「子供の問題は(親の完全な制御外でおころうが関係なく)親に報告だけして対策はお任せします」とするようになってしまった。
私は学校が変わればいいんじゃないか、ルールでがちがちに固めて守り切れないようにしているほうに問題があるんじゃないか、成績が悪かろうが何だろうがそれは子供の責任だ、という方向に進むべきだと思っているがモンスターペアレンツのおかげで学校は全く変化しないで親に責任転嫁できるようになった。
そしてこのようにいろいろな問題が添加される原因の一つが子育て親の地位の低下だ。これは何か法制度によってできたというよりは社会に作られた雰囲気の中で自然に地位が低下している。
そのためマタニティマークを付けた女性への嫌がらせ、ベビーカート問題、などの様々な差別や攻撃となって出てくるようになった。
そういうわけでインフラや家電がいくら進化し様が以下のポイントによって子育ては昭和の時代よりもより困難になった。
更に付け加えるならば、こういった種々の問題がラディカル・フェミニズムによって男性に原因を求めるように捻じ曲げられるようになってしまったのも問題を深刻化させる一因だと思っている。
昭和って60年以上あるので一括りに比べにくいとは思いますが、40年前は夏に赤ちゃんが半日放置(日陰で風通しが良いけど)とかされてた記憶があるわ。
近くにいる誰かが適当に白湯飲ませてて、親は戻ってきたら「どうもありがとうございます!」で済ませてたり。
平成初期でさえ今と比べてかなり雑だった。事故や大きな怪我も多かったし。
子どものうちは抑えつけてでもおとなしくさせて、死なせずに大人にさえできればあとは勝手に生きていけるはず…みたいな解像度だったんじゃないかな。
親世代でも「本当はきょうだいがもう一人いたんだけど小さい頃に死んじゃって」みたいな話は結構聞いたし。
彼らの多くは現代の医療的、福祉的なケアがあれば生きていけたんだろう。
できる事が増えた分、やるべき事も増えて手が足りてないイメージ。
ネットでメディアを持つコストは下がったけど、四国に人が来るようになるとか、お金が集まるってなってない。
30歳くらいのときに全くの別畑からITの仕事に転職して10年くらいやってきましたが、当時からずっと、上司や同僚との意思疎通・調整・ホウレンソウが大の苦手。
前職はわりと個人の裁量でやれたのと、そこまでスケジュールや期限に厳しくなかったこともあってつまづかなかったのだけど、
IT業界入ってからは技術力のなさとコミュニケーション能力の低くくて仕事がまったく上手く回せない。
技術力の方は10年頑張ってきた中でなんとかなることも多くなってきたのだけど、
コミュニケーション能力の低さに起因したホウレンソウのできなさがまったく改善できず、
年も年なのでいよいよ辛い。
コミュニケーション上手な上長やリーダーが上にいるときは、それなりに活躍できる場合もあるのだが、
お客さんと話をしたり、スケジュール調整、他部署とのネゴ取りなどを自分でしなくてはならなくなると途端にダメダメになる。
報告ひとつとっても内容を簡潔にまとめるのにものすごく時間使うし、その割に、何を言っているのかわからないとよく言われる。
で、萎縮して余計に報告が過不足だらけになったりで悪循環。
リモートワークになって、いちいちテキストに起こすのがまた辛く、ホウレンソウ下手にさらに拍車がかかっている。
長くない現場経験の中で、今の自分と同じような感じの方々、いわゆる「使えないオジサン」たちを沢山見てきたが、自分がすでにその人たちの仲間入りしていることがわかる。
ああいう使えないオジサンたち、しかも改善見込めなさそうなオジサンたちは、どの現場でも長くいることはなかったが、最終的にどうなっているのだろう?
40,50歳超えて転職したりするのだろうか?
それとも定年までのあと残り10年20年を、年下に見下され同僚に煙たがられながらもふてぶてしく生きていくのだろうか?
10年治らなかった自分のコミュニケーション下手が今後改善するとは思えず、40歳を前にして今更SEを続けていく自信がなくなってきてる。
勤務時間が始まると、PCの向こうから自分に迷惑した同僚たちの声が聞こえてくるような気がして、
ちな、既婚・子持ち、家持ちです。
自分を立て直そうという気持ちと、死にたい気持ちが交互にやってくるのです。
つらい。