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2019-02-16

忙しいと子供作っちゃいかんのだな(追記)

家族に捨てられた。

嫁いわく仕事にかまけて家事もせんのが嫌なんだと。

いつも通り深夜に帰ったら離婚届が置いてあったよ。

嫁は専業、帰ると起きてていつも不機嫌だった。

子供は何を吹き込まれたんだか、俺を見ると避けてた。

最初は嫁に愛情とか感謝とか口にしてたが、声をかけると怒り出すから話すこともなくなった。

忙しい大事な時期だと言っても聞きはしない。

得意先にペコペコして上司の気まぐれに付き合って部下のメンタル気にかけて調整して、家庭では家族の顔色伺い。

無理して上機嫌に振る舞えば不満、怒れば口論

正直離婚届みてホッとしたよ。

嫁の口座に貯金振り込んでそのまま離婚届提出して、次の週には引っ越した。

嫁たちは嫁の実家帰ってたし、俺はそもそも荷物らしい荷物ほとんどなかったしな。

思い出すのは子供の冷えきった表情ばっかりだ。

養育費に余りある金額だしたが、正直あんな顔してみられるなんて思うと怖い。

もう会いたくない。

良い年したおっさんがガキになにをビビる、と思うんだが心底怖いんだ。

おしめも替えたお風呂も入れた、一緒にちょっとした外食したり、母親内緒アイス食べたりもした。

でもそんな子がゴミを見るように一瞥して、部屋に戻る姿は夢に出る。

家族時間はもちろん大事だが、会社ホント重要な時期だった。

どうにも理解されなくてダメだった。

疲れたとよく言ってたが、じゃあ休んでれば良い。俺は自分のことできる。

オブラートに包んで何度も言ったし、直接的にも言った。

無駄だった。

俺が遊んで帰ってきたとでも思うのかと何度も言ったが、どうにも受け入れられないようだ。

たまの休み口論で終わるか無視されることも増えた。

疲れて深夜に帰り、嫁の愚痴を聞いてると明け方近くになり、少し仮眠とってそのまま仕事だ。

眠りたいと言ったら不機嫌で疲れた

どこから調べたのか、手紙が届いた。

先月誕生日だったんだが、そこに合わせてな。

封筒の中に、更に封のされた手紙が入ってるようた。

「パパへ」とあり、子供の字だ。

情けないと思うだろうが未だに開けないでいる。

恨み言なのか、別れの言葉なのか、元嫁に言われて金の無心かも知れない。

ホントに怖い、無理だ。

でも捨てられない。少なくとも俺は愛してたつもりだった。

久しぶりの子からアプローチなんだ。

読めないまままだ残ってる。捨てたい。

追記

こんな反応あると思わなくて慌ててる。

腹が立つのも、文を読めないバカもいるが、本人たちなりの誠意だと思っとく。

手紙を一応読んだ。

省いてたが、離婚して数年経ってる。

その間の近況報告と、誤解をして邪険に扱ったことへの謝罪があった。

誤解の具体的な内容は書いてない。

金の無心はなかった。

色々なことに謝ってた。

両親の不仲を放置したのことを繰り返し繰り返し謝ってた。

何してんだろな俺は。

連絡して、会う約束できたよ。

ありがとう

大きくなってんだろうな。

2019-01-27

酒に弱くなった

20代前半で暇な大学生やってたころなどは、

家で一人、明け方近くまでアニメ映画を見たり、音楽を聴いたりしながら、

うだうだと酒を飲み続けて意識朦朧とさせていたものだが、

最近は平日の9時18時に社畜となり、日を跨ぐ頃に床へ着くようにしているためか、

単に老化して肝臓の処理能力が下がっているためか、ちょっと酒入って深夜1時ぐらいになるともう眠たくてダメ

身体的には明らかに健康良いのであるが、

ひたすら飲み続けながら無為に過ごすあの時間は、もう取り戻せないのかと思うと少し寂しい

2019-01-22

社会人デビューしたけど向いてなかった

何年か前に新卒採用をもらってサラリーマンになったのだが、向いていなかったと判断したので今夜上司辞表を出すことを連絡しようと思う。実名ブログに赤裸々に書くと親が哀しむのでここに書く。

理由は「いい加減睡眠時間生活にケリをつけて休みたい」とか「思ったより金がない」とか「掲示板で論争がヒートアップしたあと明け方までバトルを続けられる生活に戻りたい」とかもあるのだが、根本は「生きていくのは好きだけど仕事をするために生きるのは好きじゃない」ということに尽きる。

俺は自分の部屋に閉じこもるのが好きで、子供のころから股間を掻いていた。小説だったり漫画だったり、RPGツクール製のでリョナゲーでシコったり形態は様々だ。シコり終わったらウェブを回ったり友達スカイプしたりはしていたが、特に勉強をするつもりもなく、余った時間は寝ていた。そんなある日、気まぐれに新卒採用にでも送ってみようかと考えて就活した結果、まさか内定獲得。いつの間にか社会人になっていた。

その後卒論を書いたものが幸い卒業になり、嬉しいようなものもあれば嬉しくないものもありという感じで生きてきたのだが、最近自分限界を感じるというか、会社に向かうのが本当に苦痛になってきてしまった。

社会人デビューすると、学生のように自由に生きることはできない。億り人スーパーハカーくらいの大御所になれば生きたい人生を生きたいように生きれるのかもしれないが(でも億り人市場の変動にはやきもきすると言っていたっけ)、俺クラス新卒だとそうはいかない。こちらが非常識と思ったもの強要されることもあるし、ときにはまるで違う報告書魔改造されることもある。こちらが全く誠実と思えない上司方便を入れないと判子を押さないと言われることもあるし、そうやって無理やり通したたものが無事にすめばまだいいが、本社による調査で二週間詰められたりりする。もちろん嘘を交えての問題先送りはサヴァイヴにて必要プロセスだし、正直に書いたもの承認を通らないのは俺の実力不足のせいだが、一方でこういう生活を続けていて社会人を続けていく理由がよくわからなくなってきた。

よくビジネスマン向けの自己啓発として「お前は仕事がしたいのか、給料が貰いたいのか」というものがあり、「仕事がしたい」人のほうが社会に向いていると言われるが、俺は逆だと思う。「給料をもらいたい、社会的地位を手に入れたい」という人のほうが、社会人をするにははるかに向いている。彼らは上司意見をきちんと取り入れ、報告内容を忖度し、顧客との接待飲みすらエンジョイし、貪欲に生き残り続ける。そうやっているうちに強固な人脈を持つ社会人に化けたりする。俺のように「自己実現をしたい」だけの人間はそういうモチベーションがないので、自分が正しくないと感じる方向に改竄をしてまで資料を出すという動機がない。やりたい事をやって生きていられればいいのだがこれは天才戦略で、凡人がやると居場所を失って死ぬ。そしてただの凡人だった俺は、社会人として死ぬのだ。

というわけでこれから上司順次連絡してこのエントリを見せようと思う。これからネトゲにでも一日の大半を使って、だらだら貯金を使い尽くして死のうと思う。両親には謝りたい

元ネタ

https://anond.hatelabo.jp/20190122141644

2018-12-15

これまで眠ったことのある場所について評価をまとめていく

単なる個人的感想というか、メモの端書の様なものなので悪しからず。

布団

一番スタンダード睡眠場所である。横になる分熟睡しやすい。

疲労回復観点からしてもトップクラスの寝方だと思う。

難点としては睡眠時間が伸びる、ついつい寝坊やすいということくらいか初心者向け。

椅子

少し寝るのにコツがいるが、各々スタイル確立していけば熟睡は可能

ただ首や腰に負担がかかりやすく、睡眠の質がそこまで高くはないため頭痛や気だるさも残りやすい。

足が伸ばせるか、机があるかな環境要因でも結構やすさは変わってくる。

トイレ

椅子環境的には変わらないが、適度に人が来ず寝やすトイレを探すのが困難。

やすさ云々よりも「寝れるトイレ」を探すほうが難易度が高く、そういう意味では上級者向け。

また、スマホを持ったまま寝落ちすると落とす危険性がある。(経験済)

風呂

失神のしやすから寝落ちするだけなら楽。

しかしその実、睡眠の質はそこまで高くないうえ水温が下がりやす風邪の原因となりやすい。

1~2時間の仮眠が目的ならアリかもしれない。常に死亡する危険性があるためあまりお勧めはしない。

意外と体勢が固定化されているので溺れることは少ない……はず。

ゲーセン

多少騒音がうるさい上に灰皿が飛んでくる可能性が高い。また高確率店員に起こされる。

しか場所によっては店員が来るまでの時間にムラがあるため十分仮眠はとれる。

徹夜明けでいけば騒音も気にせず寝られるので若干おススメ。

道端

フリースタイル代表格。場所特有妨害危険性があるので難易度も様々。

環境を楽しめる中上級者向けか。酔っ払いの多いアーケードだと客引きあんちゃん警察にたたき起こされやすい。

公園

難易度はぐっと下がる。ベンチなどが併設されている所が狙い目だがないなら滑り台など遊具で体を固定化させると楽。

早朝ランニングの方々に声をかけられやすくなるので、寝るなら明け方前に起きておくこと。

また、ホームレスおっちゃんが先に占有していたらおとなしく場所を変えた方が良い。

ロッカー

立ち/しゃがみ、どちらを選択しても意外と窮屈。自由度が低い分寝やすさ、睡眠の質ともに難易度が高い。

内部から衝撃を与えて横倒しにできればだいぶ改善されるが、ダメージを負うのであまり宜しくはない。広範囲の青あざで済んだがまだ良いほうかもしれない。

外の様子が分からないのでスリルを楽しみたい人向け。個人的には一日半くらいが閉じ込められる限界だと思う。




思い返せばまだあると思うので、気が向いたら書くかもしれない。

2018-12-02

我慢をしないでみた

常に我慢をしている気がした。

直行きたくもない大学へ通い、生活費を稼ぐアルバイトをして課題が出されたら適宜処理し、レポートを書いて家事をこなして眠る。時折授業の一環である実験を行い夜遅くに疲れ果てて帰宅する。

勤労を始めたら今以上に過酷生活が待っているかと思うとぞっとするという事実は置いておき、毎日全く余裕が無い。日々不安感に張り詰めて生きている気がする。

折しも女がヒステリックになる事で名高い生理という日が来た。普段にも増して日々が辛く感じて油断すると泣き出しそうな感覚に襲われる。

そうだ、この週末はやらなければならない事や採算に多少目を瞑って自分身体欲求に素直に過ごしてみよう。

ストレス等の影響などはこれといって感じていないが噂に聞くそれが解消されると何かしら変わるのかもしれない。

金曜夜、アルバイトが終わって帰宅する道すがら早速身体が欲するままにセブンイレブンの大盛りペペロンチーノストロングゼロダブルレモンロング缶を買って帰宅した。

シャワーを済ませた後、よく分からない満腹感と酩酊に満たされて就寝。

土曜日、正午に差し掛かろうかという時間に起床。

頭と下腹部の痛みに奥歯を食いしばりつつもコーヒーが飲みたいと思い付く。

個包装のドリップコーヒーは予めAmazonでまとめ買いしてあった為、淹れて煙草と共に堪能する。

飲み終わりと共に尿意を感じたのでお花摘みを済ませ、怠い身体をベッドに横たえる。そのまま眠ってしまった。

再び目が覚めたのは土曜日の日がすっかり沈んでからの事であった。

私の身体は再び酩酊を求めたので昨日二本買ってきてあったストロングゼロの残り一本を飲む。

酔いのままに再び眠りに落ちる。

日曜日明け方、次に私の身体モンスターエナジーを求めた。レッドブルじゃなくてモンスターエナジーだ。四角四面な味ではなくもっとよく分からないやつが欲しい。

コンビニまで出向いてモンスターエナジーアブソリュートゼロを購入。帰宅して飲み干す。五臓六腑が鞭打つようにヒリついてゆく感覚が心地良い。

からない、もう何も分からない。

今が暑いのか寒いのか、辛いのか幸せなのか、満たされているのか満たされていないのか何も分からない。

すっかり覚束ない足取りとなりつつ脳はとある答えを出した。

「あ、これ収拾つかないやつだ」

現在、終止符か収拾かは分からないが一先ず自分身体温度高めの風呂に沈めながら理性を呼び戻している最中である

一体自分は何をしたいのだろうか。

兎に角風呂から出たらレポートを書かなくては。

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-04

局所的に流行ゲーム

ちょっと流行ってる1時間人生おわるゲームにもう丸2ヶ月以上ハマっている

ログイン報酬とかデイリーとか一切ないどころか1時間寿命PS以外何も引き継がれないけどその潔さが好きで毎日時間やってる


このゲームアプリ版が日本で妙に人気になっていて日本鯖だけで8鯖ある(うち4鯖はビギナー鯖)

各鯖の定員は200人で夕方から夜はほぼ満杯 夜中でも150人くらいずつとか余裕でいる

明け方から早朝にかけて人が減ってそこで文明が途絶えがちなので発展してない村に生まれたい人は午前中がいいかもね

日本鯖はそんなだけど他の国の鯖はそうでもなくて例えばシンガポール鯖なんかは常に人が少ないし(20人とか)なんなら中身は日本鯖の混雑に嫌気がさした日本人だったりする

とにかく日本人・日本話者が多い 他の言語圏の人がやりにくいんじゃないかってくらい


まあこのゲームはもともとPCなので英語圏ではまってる人の多くはPCでやってんのかな?とは思うんだけど

クッキークリッカーもなんだか急に日本あほみたいに流行ったのをふと思い出したので

そういう感じでなんか急に局所的に流行ったゲームが他にもあったら知りたい

日本だけじゃなくて海外で急に流行ったやつとかも

ヤギのゲームとかパンゲームとか壺おじさんとかぼんやりと思い出すけどどこで主に流行ってたのかよくわかんない

流行ってたかわかんないけど神様になって信仰心集めて地形変えて人を導くゲーム好きだったな

言語対応で考えると英語圏英語圏という単位なんだろうか?

2018-10-26

anond:20181026131952

良い増田こそが一部では?

貴方様が見ている増田はよっぽど綺麗なのかもしれませんね。

夕方から夜中、明け方増田ご存知ですか?ドロドロですよ。

そして私に言及してくる時点で貴方様も相当汚れてます。良い増田さんはスルーという武器を持っていますので。

2018-10-21

穴を卒業しま

クソみたいな気持ち成仏させるために書いたらとんでもなく長くなってしまった。便所の落書きよりひどい。









大学卒業就職して今日に至るまでの7年間、上司不倫関係にあった。ドラマ映画、巷に溢れる不倫イメージとはだいぶ違う関係だった。いや、していたことは一緒なんだけれども。とにかく今、唯一の連絡手段LINEで彼をブロック削除した。

月1、2程度セックスする関係だった。連絡が来たら私の家でセックス、2時間弱でさようなら。一番初めに一度だけ食事をしたが物は何もあげていない、貰っていない。私から連絡したことはない。LINEでのやりとりは、今から会える?→大丈夫です/今家にいませんごめんなさい/今生理中ですごめんなさい。それ以外のやりとりは0。

初めて関係を持った日の明け方、頭に叩き込んだ。何も求めない。穴だけ差し出せ、余計なことはするな。私に求められている役は、使いたい時いつでも使える無料の穴だと承知済み。だから話す時は必ず敬語名前職場と同じように◯部長と呼ぶことを徹底した。

家に来る度いつもスマホを躊躇いなくスクロールして、写真を見せながらご家族の話をしてくれた。公園でお子様の自転車練習を手伝う美しい奥様、旅先ではしゃぐかわいいお子様。

このかわいさ、親バカかもしれないけどキッズモデルになれると思わない?性格が俺に似てるんだよ、余計いじらしくて。彼氏とか絶対許さんよ(笑)一人暮らしさせるのも不安、変な虫がつかないようにしなくちゃ。大学の頃、仕送りどのくらいだった?嫁も仕事復帰してくれて教育資金貯めてるけどなかなか大変で、もっと頑張らなくちゃいけない。

嫁とは社会人2年目で結婚したよ。美人?よく言われるけど実は外見は俺の好みのタイプとは違うんだよね。結婚の決め手?性格ものの考え方、特に家族に関する考え方が俺と同じでさ、この人と一緒に生きていきたいと思ったんだよね...

写真に写るお子様はとてもかわいくて、才色兼備の奥様を心から羨ましく思った。恨み辛み妬み嫉み僻みその他負の感情は一切抱かなかった。いや、抱けなかった。勝ち負けもなかった。土俵が違った。なにもかもがダメな私とあらゆることが違いすぎた。

ないものばかりの私にないものが全てあるのは勿論、一際輝くものを沢山持っていらっしゃった。生得的なものも、努力で手に入れたものも、何もかも眩しかった。

から自分は穴でしかないと毎回確認できた。私は人間ではないのだと理解できた。

余計な口は一切聞くな。生きている穴に徹しろ。醜く貧相な顔と身体のせいで彼が萎えしまわないよう一所懸命演技をした。ごくたまに私の私生活へと話題を振られた時は、昔付き合っていた男性との話を小分けにして話した。時には友達との思い出を男性との思い出のように話した。そもそも穴の話など誰も興味はない。自分から発話する時は極力主語が"私"にならないよう心掛けた。

穴はあなたに執着していませんよ。恋愛感情なんてないですよ。形に残るものも、何もあなたに求めませんよ。誰にも話していません。誰も私みたいな奴がこんなことしていると思っていないですし。SNSにも匿名の場にも私の痕は何一つ残しません。なので、使いたい時いつでも安心して使ってください。なるべく便利な穴でいられるよう頑張ります

そういう態度を7年間取り続けた。だから7年間も続いてしまった。

しかし、彼の気持ちが私に全くなく、彼にとって私が穴でしかなくとも、そしてそのことを私が承知していても、既婚者とセックスしているので私と上司とは民法上の不倫関係にある。そんなことより何より奥様やお子様がこのことを知った時どう思うか。気持ちがないからマシだという話ではない。どんな気持ちにさせてしまうか。どれだけ傷つけるか。

家族がまだ知らないからこの愚かな行いを続けるのか?一生かけても癒えないかもしれない深い傷をつけるのか?どの口で憧れだなんてほざくのか。家族の待つ家に家に帰るのを2時間弱遅らせ、その分"お父さん"の時間を奪っているのは紛うことなきこの関係、私が自らの意思で続けている関係だ。

幼い頃、平日は父におはようしか言えないのが寂しかった。深夜お手洗いに目を覚ましてもまだ父は帰って来ていない。翌朝早起きして仕事に出る父を見送った後、お父さん昨日は2時に帰ってきたんだよ、お仕事大変だったのと母は言う。そんな職種じゃないのに。

受験のため通い始めた塾には、帰りが早くなった父が毎回迎えに来てくれていた。父は毎回必ずコンビニに車を停めて、ちょっと待ってねと私に声をかけた後聞いたことのない優しい声でどこかに電話をかける。最後には必ず、また明日と名残惜しそうに言って電話を切る。その後、お菓子アイスを買ってくれて静かな車内でそれを食べながら帰宅していた。これから家に帰るんだから母ではない。部下にはいつも詰問口調だし祖父祖母とも違う。電話相手は一体誰なのか、毎回疑問に思っていた。ただ、決して誰なのか聞いてはいけないということだけなんとなく分かっていた。

最近久しぶりに思い出して、あれは不倫だったとようやく分かった。家族での外出中、鳴り止まない携帯の着信を無視する父に母が激昂していた姿も思い出した。あの頃寂しかった私がこれ以上こんなことを続けてはだめだ。

上司仕事が出来、優しく余裕があり、仕事の話もプライベートな話もとても面白い。初めて顔を合わせて挨拶した瞬間、ああこの人のことを好きになるなぁと何の根拠もない直感が走ったが案の定、一緒に働き始めてからすぐ上司を好きになった。周りから、×さんのこと◯部長が褒めていたよと話を聞くと浮かれた。あまりにもベタパターン。私の目はハートマークを隠せていなかっただろう。思い返すと苦笑しか出てこない。だからプライベートの連絡先を聞かれて嬉しかった。一緒に食事をとっている時、これは夢なのかと思った。

ネジが外れている大馬鹿女だから、ご家族の話を聞くとますます好きになった。こんなに素敵な人だからこんなに素敵なご家族がいるんだ、いや、素敵なご家族がこんなに素敵な人を作っているんだ。そんな人が、好きな人が、身も心も醜い私の穴を使ってくれる。せめて求められた穴役だけは完璧に、穴でいいから求められていたい。気持ち悪いことを考えていた。

しかし頭の悪い私に自分コントロール出来るはずもなく、毎晩泣いていた。何もかも違いすぎる、あまりにも遠すぎる。だからこそ好きで好きで仕方がない。自分にないものを持つ上司勝手に引力を感じてしまう。上司自分の欠けた部分を埋められるような錯覚に陥ってしまう。自分馬鹿さに呆れる。穴として求められることに必死にしがみついている、惨めで哀れな救いようのない馬鹿

私が断れば終われるのに断れない。会えるのが嬉しいから。たくさん自分自分言い訳をしたが、結局自分が会いたいかっただけだ。自分卑下すれば許される訳でもないのに。自分勝手気持ちに蓋ができなくなる度、深夜汚い声でわんわん泣きながら人気のない場所まで車を飛ばした。

仕事後、その後予定もなく真っ直ぐ家に帰ってもメイクは落とさなかった。連絡が来るかもしれないから、2時までは極力起きておく。友人と出かける時もずっと携帯が気になって仕方がなかった。アロマが好きだったが炊かなくなった。万が一匂いをつけてしまってはいけないと思ったから。私に興味を持ってくれた人からの誘いを断り続け1人の世界に閉じこもった。

私がそうしているうちに、遠方の友人から恋愛相談は結婚の報告とお式への招待へとだんだん変わっていき、気付けば友人の半分以上が結婚し家庭を築いている。残りの友人も、恋人同棲をしていたり、趣味にいきいきと取り組んでいる。何も変わらず空っぽのままの自分が惨めで恥ずかしい。

両親からのいい人はできた?という質問祖父祖母からの×ちゃん花嫁姿が見たいなという言葉、全部笑って誤魔化してきた。ごめんなさい。本当にごめんなさい。7年間ずっと彼のご家族をご家族の知らないところで傷つけ、誰にも顔向けできないことを自分意思で続けてきた。加害者自分からもう目をそらしてはいけない。そして正直、毎晩泣くことに疲れた

本当は最後にもう一度だけ連絡を待って、世界一好きだったと伝えて終わらせようと今朝まで考えていた。でも、そんなことをしたら気持ち悪がらせてしまう。引き止められる可能性もまあ0%ではない。何よりこの期に及んでも自分に酔っている気持ち悪さ。

慰謝料のための貯金目標金額に達した。奥様やご家族が求める裁きをきちんと受ける準備をする、自分の罪と向き合う。

それから私なんかと関わりをもってくれている人達幸福をしっかり大切にできる、人間にならねばいけない。人間になりたい。それには私が悪行を断たなかった7年間以上の時間必要だろうと思う。

家族と一緒にどうか世界幸せになってほしいと思う。私なんかが願わずともそうなるのだろうと、いやもうとっくにそうなのだろうと分かっている。というかそもそも上司もご家族も私なんかに願われたくないだろう。我ながら気持ち悪い。それでもどうか心の中で願うことだけ許してほしい。

業務の引き継ぎに必要で、私の資料に書いてくれた直筆のメモが嬉しくて、こっそり写真に撮って時々眺めていたが、これは連絡先と一緒に消した。残ったのは私の頭の中の記憶とこの文章だけだ。話してくれたことはどんな些細な内容だって全部覚えている。忘れたくなくて何度も繰り返し思い出してしまう。これもやめなくては。

たくさんごめんなさい。世界中の誰より何より好きでした。さようなら

2018-10-15

[] 【8】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181014230426





Day 4-5



4日目・5日目 Cảm ơn bạn! I had a great days. LOVE, Ho chi ming City.


ホテル ニューワールド サイゴンで迎えるこの旅で最後の朝。

明日の早朝便でホーチミンを去るため、今夜は空港で明かす事となり、しっかり眠っておきたかったのだが、明け方に少し微睡んだだけで余り眠れなかった。

旅の緊張と自律神経の不調の前では、睡眠導入剤の一錠では頼りなかった様だ。

変な所で居眠りをして置き引きやひったくりにでもあったら事なので、少し動き方を組み立てる必要がある。

今日明日、一番でしなければならない事は、言うまでもなく「健康財産を損う事なく、無事に帰りの便に乗る事」だ。

既に損なってしまっている自律神経に関しては仕方がない、せめて悪化しない様に易しい日程を組もう。


おそらくこの旅の栄養面で一番お世話になった、ホテル ニューワールド サイゴンでの朝食を終え、サークルKお茶や水の買い出しに向かう。

そうだ、必ず通るエレベーター前の、あの暗紫色アオザイを着たエレベーターパーソン。

毎日入れ替わるのに、全員美しい。

ちょっとだけ笑顔が欲しいな。

1Fから Ground floor 行きに乗換えを案内してくれたのは、目がクリッとした愛嬌のある美人

「Oh..., What a thing, you were beautiful agein today !」

ちょっとウケた。

「Do you want to go the ground floor?」

「Yeah, have a nice day.」

自分の軽口と美女笑顔に満足して外に出た。


サークルKお茶と水を物色していると、お土産にうってつけのモノを発見した。

インスタントコーヒーコーヒーこそホーチミン象徴だ、この旅行でも何杯飲んだか分からない。

昨夜眠れなかったのもコーヒーの飲み過ぎかも知れない。

アイス用とホット用、それぞれをカゴに押し込んで、ついでにクーラーに並んでいた「恋しいミルクティダーリンすごく会いたくて」とハート満載のラベルに書かれたボトルも押し込んだ。

日本語ではあるが、あまりスイートストレート過ぎるワードセンスカラーリング日本法人ローカル商品香港製可能性もあるが、直感的に台湾製だと思った。あの人達は歌って踊って食って恋する人達だ。

店を出て裏のラベルを見たら、やはり台北市に本社を構える食品会社のモノだった。


ホテルに戻りシャワーを浴びた後、恋するミルクティーをデスクの端に置いてタスクを整理する。

忘れ物のチェックやチップの様な、何時ものチェックアウト時タスクプラスして、荷物の預かりと、チェックアウト後のラウンジでの休憩を交渉できれば良いだろう。

チェックアウトまで1時間半足らずだが、結構やる事がある。

まずは恋するミルクティーを一口

味もやはりスイートだった。


残金の計算など幾つかのタスクをこなした後、この旅行記を書いていると、チェックアウト時刻が速足で近づいて来る。急がないと。

実は初日にこの地で発生したタスクも、今しかできない事。

ベトナムカップ麺名誉回復だ。

今度こそ調味料を正しく全て入れてお湯を注ぐ。

程なく出来上がったカップ麺は、当然初日の無味とはえらい違いで、あっさりしているが食欲のない時にも食べられそうな上品な味わいだった。

この辺がホーチミン市民の味覚レンジなのだろう。


やる事が多いので、食べながら荷物を整理し、休憩交渉メモを書く。

11:50

残りのスープをかっ込んで、ついでにメモパッドにも感謝を描き込んで、チップと共にベッドに置いて部屋を出た。

海外旅行はいつもこの手のメモを残す。

「Cảm ơn bạn! I had a great days. LOVE, Ho chi ming City.」

台湾人に当てられた訳ではないが、メモパッドにはハートが踊った。

日本人からね、そこは少しだけ控えめに。


ホテル ニューワールド サイゴンフロントパーソンは、荷物の預かりも、22:00までのラウンジでの休憩も快く応じてくれた。

さすが貨幣価値の概算で1泊6〜7万円ほどのクラスホテルだ。

日本人スタッフ電話繋ぎ意味の取り違えが無いか確認する程の丁寧さ。

このホテルに泊まれた日々は、嘘や大袈裟でなくGreat days だった。


【9】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 4-5|予言 へ >>

2018-10-14

昔の彼女鬱病理由

昔の彼女の話

私は仕事で疲れているし、精神的にも参った中

寝てるのにいつもチンチン舐めてきた。そして

次第に自分性器にに私のチンチンをこすりつけ

絶頂していた。挿入もさせられ

時に嫌がる私の顔面性器をこすりつけられた。

それも毎晩。明け方までということもありました。

呆れられるかもですが、私も若かったもの

それでも射精はした。

おかげで亜鉛不足と睡眠不足でで次第に精神的にも追い打ちをかけられ鬱病になった。完治に10

もう随分前に完治したけど空白の10

私に取っては大真面目な話

2018-09-26

経歴詐称

今月で40歳になった。

24から4年間、引きニートだったけど、気づいたら外資系企業マネジャーになった。

引きニートになったのは新卒就職活動に失敗したから。

いまになって思えば職安にいってとにかく正社員になるべきだった。

学歴は悪くなかったから、若かったあのときならどこかには入れたと思う。

でも社名を知っているところじゃないとダメだって思ってた。

社名だけで選ぶバカだったし、そんなことじゃ内定とれるわけがない。

しか就職氷河期どん底2002年だったし。

業種問わず有名企業に80社ぐらいES送ったけど、面接に進めたのは3社ぐらいだったと思う。

その面接も当然落ちた。

大学4年は週1回通えばいいぐらいまで単位取っていたから、ここからほぼ引きこもりになった。

そのまま卒業して、引きニートになった。

夕方に起きてダラダラとパソコンを眺めて、明け方に寝るっていう典型的な引きニート

何度も親父に呼び出され、いつ働くんだって言われ続けた。

このままじゃいけないのは分かってたんだけど、どう動いていいかからなかった。

中学生ときから飼っていた犬が死んだ。

部屋に引きこもっている自分そばにずっといてくれた。

火葬して残った骨を見て自分が情けなくなって職安行った。

新卒とき職安なんてまともな求人なくて底辺のたまり場だと思ってた。

でも普通求人が多くてびっくりした。

若かったせいもあるはずだけど。

脱色しすぎで傷んだ金髪もどきサンダル履きやよぼよぼのおじいちゃんかいた。

気が滅入ったけど、もう職安しかなかった。

1社目はタウン誌記者になった。

名前も知らなかったけど、とにかく正社員ポジションを確保した。

引きニートの期間はフリーライター翻訳やってたことにした。

嘘がばれるのは怖かったけど、ゆるい会社だったか大丈夫だった。

初任給もらったときは泣いた。

そこを5年で辞めて編プロ正社員で入った。

本を作りたかたからだけど、お恥ずかしいことに版元と編プロの違いが分かってなかった。

編プロを3年で辞めて版元に正社員で入った。

版元に入るときは1社目を新卒で入ったことにした。

転職って現職(前職)しか見ないから、この時点で引きニート期間が消えた。

就職氷河期でも就職できて、そこで9年弱も勤めたことになった。

版元に入って3年経ってから、先に転職した版元の元同僚に引き抜かれた。

もちろん正社員だし、マネジャーとして入ったか給料はびっくりするぐらい上がった。

4社目になったけど、どこも4年間の引きニートを正直に話したら採用してくれなかったはず。

もう1回ぐらい転職することになるんじゃないかと思ってる。

そのとき編プロの3年間を版元に足して版元を6年間にするつもり。

いまの会社に何年いるかからないけど、1社目で10年弱、2社目で6年っていうことになる。

どこも大企業じゃないけど、事実よりはずいぶんとキレイな経歴になる。

自分でクソだと思う、自分が一番よく分かってる。

でも4年間の引きニートの期間を詐称しないと正社員にはなれなかったと思ってる。

働き始めてから知り合った人たちは自分が4年間も引きニートだったことを知らない。

きっとそんな時代があったことなんて想像すらできないと思う。

いまはそれぐらい普通サラリーマンだし、部下までいる。

4畳半の部屋に引きこもってみじめだったことを思い出すたびに2度と元に戻りたくないと思う。

自分は経歴の詐称成功した。

たまたま運が良かったと思うし、いまもバレることへの恐怖心がある。

いまのところは懲戒解雇になるだろうし、これまでのところから損害賠償されても何も言えない。

業務必要資格がなかったとかじゃないから損害は与えていない。

しろちゃん仕事してきたし、いまのところはそれが評価されてる。

部下には毎日頼られてる。

嘘はダメだと思う。

ただ、新卒時の一発勝負に負けたら人生終わりっていうのもどうなんだろう。

立派な人は純粋努力するんだろうけど、自分みたいな凡人が底辺から這い上がるには嘘しかないんだよ。

何にしても、もう一生、嘘をつき続けるしかないんだけど。

2018-09-15

ゆううつからエゴサする

なんだかなんにもうまくいかない一週間で

出張先のホテル風呂にも入らず倒れ込むように眠っていた。

明け方に目覚めてシャワーを浴びてつらつらネットを見て

昔バズった増田を読み返すなどしている。

ブコメトラバでは飽きたらずツイッター検索して反応を読んだりしている。

自分ブログはない。

継続して書きたいこともない。

何か考えることがあるとわーっと増田に書き散らす。

大抵はブクマひとつもつかず終わるのだけど

たまーにヒットを打てて、ブコメがたくさんついたりツイッターバズることがあり、そうなると嬉しくて何度もリアクション検索して読んでしまう。

あさましい姿ではあるが許容範囲レベルだと思いたい。

2chどっぷりの典型的00年代オタクなせいか匿名日記はみょうに落ち着く。

誰かが読んでくれていて、でも自分個人とはまず結び付かないのがいい。

風船みたいに自分の息を吹き込んで、思考感情を野に放すイメージ

時々誰かがその風船を時々捕まえて見たり遊んだ感想を言ったりしてくれると、

なんでなのか安心する。

くだらない一文にもならない錯覚なのかもしれないけど、

自分の風船に少しは、誰かが数分かけて文字を打ち込む程度には、価値があるのだと思える。

自分が完全なポンコツじゃないんだとほんの少しの埋め草になる。

なんだかなんにもうまくいかない一週間だったので、

昔のバズった増田の反応をエゴサして、

眠くなったらうとうと眠る

2018-09-12

打ち上げちんちん、上から見るか、下から見るか

anond:20180912192641

 

ものごとに行き詰まった時は別の角度から見てみるといい

ちんちん普段目線だけで見てないかい?

今の目線はどこから

から?後ろから

見てる人は誰?

自分彼女?嫁?風俗嬢医者?お母さん?

そのちんちんはいつのちんちん

何歳のちんちん

昭和ちんちん2016年ちんちん

明治まれちんちんはどこに消えた

 

そのちんちんは今どこにあるの?

お前の股間に本当にある?

交差点や駅のホームで落としてない?

明け方の街 桜木町でこんなとこにいるはずもないのに

 

cookpadに対抗してcockpad作ったらどうなるだろう?

youtintin、AirTinTinとかどうだろう?

Tingとかもいいだろう

 

書くネタがないなんてただの甘えだ!

ふざけんじゃねえ!!

それでも書けないならマスでもかいてろ!

2018-08-27

子供の頃、親に殺されかけた

最近子供時代に親に殺されかけたことを思い出した。

これを訴えて殺人未遂逮捕して欲しいのだが可能だろうか。

10.01追記 どんなことされたか

山奥に別荘を持っていたんだが、その別荘に家族で遊びに行った。

明け方に別荘がボヤを起こした。結局消火されたので大事に至らなかったが自分だけ寝てて最後まで気がつかなかった。消火は父が行って成功した。

なにかが燃えたすごい煙と臭い自分が覚えていたのは、これだけ。

から火がついて燃えたのは父のせいと聞いていた。車庫で溶接やらをやっていて火花が飛んで溶剤に着火したんだろうと。

先日、久々に弟に会った時「昔、火をつけたから逃げようと母さんが言って逃げた」と言われた。

それで思い出した。母親が弟だけ大きな声で起こして連れて行ったのを。父親が、ボヤの後「お前はかわいそうな子だ」と言ったこと。ボヤの後母と弟だけ不在で、父がいろんな人とやりとりする中1人布団をかぶっていたことを。

2018-08-21

3年寝たきりだったヤギが死んでしまった

今日明け方ペットのヤギ(オス・3歳6ヶ月)が死んだ。

辛くて辛くてどうしようもないので増田を書いている。

生後6ヶ月で足が立たない病気になり、車椅子で歩行訓練などしてみたがやっぱりダメで、仕方なく家の中で世話をしていた。

はじめのうちは前足をたたんで上半身を起こすことができたから、自分でエサの桶に顔を突っ込んで食事ができた。

でもだんだん関節が動かなくなり、横たわった状態で頭にまくらを敷いてエサの葉っぱやなんやを口に入れてやらないと食べられなくなった。

最後の1ヶ月は食欲がなくなってしまったので、オートミールおかゆを作ってシリンジで口に流し込むしかなかった。

床ずれができないように、人の介護ムートンの敷物を敷いて、1日6回寝返りをさせた。(体重が80kgもあったけれど、工夫して一人で寝返りさせられるようになった。最後まで床ずれはできなかった。)

大好きな柿の葉っぱを取るために崖を登ったり屋根に上がったり。庭に柿の苗を3本も植えたりしたけど、大きくならないうちにヤギは死んでしまった。

なきがらは家畜衛生所の職員が来て引き取って行った。「毛並みがいい。大切にされていたんですね」と職員は言った。去っていく車に手を合わせたら、涙があふれてきた。

名前を叫んで号泣したら少し楽になった。

今、部屋にはムートンマットとおしっこのついたペットシートがあるけどヤギの姿はない。このことにただ呆然としている。

クリクリした目と笑っているような口元でおいしそうにシリンジの水を吸い込む様子を見るのが好きだった。

もっともっと生きていて欲しかった。ずっと一緒に生きようねと言っていたのに。

昨日の昼、血尿が出て医師を呼んだ。点滴、抗生物質、強肝剤など気休め的な治療。そして未明に急変。苦しそうにしていた時間わず10分あまり。うろたえてただ後ろから首を抱いて腹をさすっていたらあっという間にこと切れてしまった。呼吸が静かに遠のいていったのである。いまわのきわの出来事は恐れていたほどショックじゃなかった。あっという間に、こちら側から死へともぎ取られて行ってしまった。

さて、これからどうしよう。とりあえず落ち着いたら、大型偶蹄類が足腰を痛めたとき介護のやり方をまとめてブログでも書こうかな。

増田を書いているうちに少し正気になってきた。

またうんこ徹夜してしまった

便秘がひどくて1週間くらい出ず、溜まったうんこ明け方までかけて出す。

1週間ブリブリうんこなう応援してください。

2018-08-16

皆んな誰に悩み相談してんの?

30代のおっさんです。最近不安しかたない。仕事で成果を出し続けられるだろうか、という不安漠然とした将来への不安不安明け方まで寝付けないこともある。

家族には心配かけたくないか相談できない。

Facebookをみると皆んな充実した毎日を送っているように見える。なんの不安もなく人生謳歌してるように見える。もちろんSNSはいいことしか書かないのはわかってるし、見なきゃいいのもわかってる。

かにこの不安をぶちまけられればスッキリしそうな気もする。不安気持ち言葉にして誰かに話せたら、涙流せたら気持ちが落ち着くのかもしれない。だけど相談できる相手がいない。

デリヘル呼んで何もしないで話を聞いてもらう奴がいるらしいけど、もしかしたら同じ心境なのかもな。

2018-08-10

コミケが憎い

コミケ前日ってサークル参加する人はみんな夏休み最終日の学生みたいになるんですかね?

毎回前日に明け方までCD焼いたり梱包したりを彼氏に手伝わされてイライラする。

こっちも繁忙期で死にそうになりながら仕事終わって帰ってきたのに「助けてくれぇ~」とか言われて一生懸命作業して、なんとか終わりが見えた時間が今ですよ。

明日仕事なんですけど。

しかも毎度毎度彼氏は前日に風邪ひいてる。39℃の熱出しながら売り子したぜーなんて武勇伝を語られるけど、翌日看病するの私ですよね。

それで風邪うつされて「お盆って俺も忙しいんだよねー」とかで大して面倒見てもらえずにお盆終わりの休みを療養で過ごすってのが毎度のパターンですよ。

せめて手伝ってくれてありがとう、と言ってくれれば報われるけど、これからの準備に気をとられててそういうの一切なし。ほんと人つかうの下手だなあ。

もうちょっと計画的にやっといてくれマジで。そんで私のことをタダで動員可能労働力と思わないでくれ。

って毎回口すっぱく言うけど一向に改まらないんだよなあ。

コバルトブルー

明け方の空の色がとても似合う街。鳥のさえずる声と走る車のエンジン音は閉めっぱなしの窓が遮るが、なんとなく感じる。初夏の明け方の街はコバルトブルー。優しさと淋しさが半分半分の色。だけど果てしない色。まだ私が中学生の頃、初めてこの季節の空の色を意識した。その時にどう感じたのか思い起こそうとしたが覚えていない。だけどぼんやり思うのだけれど、明け方どんよりした気分になって疲れた気持ちなる。だから早く日が昇ってしまってほしい。

当時、夕暮れの茜色は私をひとりにした。母子家庭一人っ子だった私の母の帰りは日がまわってからだったので、毎晩ひとりで夕食を済ませ風呂に入り、眠りにつく。その繰り返しはいつも夕暮れに始まる。

ある日の孤独な晩、ベッドの上で眠れない私の片方の耳からビビビと聞こえた。蚊がでたな、そう思った。何か、羽のある小さな虫が羽をこすり合せるような音。

ひとりになると私は、誰から必要とされていない気がして虫の声すら聞きたい気持ちだった。虫でもいいから話し相手になってくれないかな。私は一面の緑の中に咲く孤独な花、この空からきっと嬉しく思われている。祝福されている。虫も喜んでくれる。

眠れないので、そんな素敵な世界の中に牧場を創り、羊を数えることにした。

ちょうど私が羊を7匹数えるとビビビと虫か鳴く。42匹目でビビビ、49匹目でビビビ。その音は優しくどこか懐かしく感じて、91匹、98匹、105匹目でその音は蚊の鳴く音ではないことに気がついた。耳鳴りなのかもしれないないと思いながらも確実にやってくるビビビをいつの間にか歓迎した。何度めかのビビビを聞いて私は眠りについた。

翌日もベッドの上で私は羊を数えた。だけど今夜、ビビビは来てくれなかった。私はとってもさみしい気持ちになって涙の海を作った夢をみた。

得体の知れないさみしさが、私の周りに海のように在って、私はとてもさみしがり屋だから私の周りの海はとても広大で果てしない。たまに舟がやって来て、それが紛れることもあるけれど、舟はどこかへ行ってしまったり沈んでしまったりで、私はコバルトブルーの海に浮かぶ孤島。朝になればコバルトブルーが白く覆われて孤島の周りに島が浮かび上がる。それまでの一晩中、ビビビと鳴くのは私の体。

本当はいつもビビビって鳴っているのかもしれない。だれかといる時も、ビビビと鳴っているけど、それは聞いていないだけなのかもしれない。

ビビビと鳴るたびに、なんだか安心してしまう。

心に感じるさみしさを埋めるように、ビビビとは、自分で創った音なのかもしれない。さみしさという海を畏れ、近寄ろうとしなかったが、さみしさに寄り添いあえば、さみしさはビビビと鳴き音を立てて、私を広大なその海で包んでくれて、ほら、もうさみしくないねって、ビビビは聞こえなくなっちゃう。

「こんばんは」

深夜に母がまた違う男を連れて帰宅した。明け方コバルトブルーに包まれて私は羊を数える。

2018-08-01

ルールを守る弟

4月から東京都一人暮らしを始めた弟がいる。

弟のアパートでは、ゴミ収集日の前日に出してはいけないのだという。たぶん守ってない住人の方が多いと思うが。

はいから出してよいのかと問い合わせると、当日の6時だと言われたらしい。

朝8時のゴミ収集に間に合わない人間が、6時に起きれるはずもない。

それで燃えるゴミの前の日には徹夜しているらしい。

退屈しているのか、明け方LINEポコポコ飛ばしてくるので目が覚めてしまった。

我が弟ながら哀れなやつである

2018-07-24

理系出身の人に聞きたいんだが

研究室ってこんなにブラックなのか。

家族(大4)がいつも日付変わってから青い顔で帰ってくる。まあ2、3日ならそういう事もあるかって思ってたけど4月からずっとこの調子。聞けばなんか膨大な量の雑用与えられるしたとえ雑用を全部こなしても誰も帰らなくて4年はずっと残ってるらしい。

週6日朝8時に出てって日付変わってから帰る(下手すりゃ明け方とか)休みほぼ無し。朝から晩まで研究室缶詰

ブラック企業も真っ青だよ。せめてまともに風呂くらい入らせて、寝かせてやってほしい。パワハラ証拠とかあったら手っ取り早いんだろうけど、手出さずに上手くやって学生コキ使ってるんだとか

就活でもしたら更に膨大な仕事与えられてトドメ刺されるらしいからみんな就活してない。夏休みも取れるかどうかわからなくて、取れたとしても研究室毎日行くらしい。

休みとは…?

最近明らかに表情が乏しくなってる。マジでそのうち鬱病にでもなって心身ぶっ壊さないか心配だわ

なんか助けられる方法ない?

2018-07-19

[] 7/18 15日目

朝:えのきこんにゃくの炒め物(155kcal)

昼:焼肉ご飯(738kcal)

夜:納豆1パック、ご飯(201kcal)

夜食:チーズたっぷりパン、鳥もも肉の大葉炒め(316kcal)

ついに夜食なんか食べてしまった。今朝測ったら体重増えてましたしね。仕方なし。チーズパンは本当に悪魔みたいな食べ物

夜7時に運動出来る装いに着替えて外に出てみたものの、暑すぎて帰って来てしまった。虚弱なので暑い中慣れない運動をすると倒れる気がする。内陸の方のかなり暑くなりやすいところに住んでいるので夜でもなかなか気温が下がらないみたい。明け方に起きて運動しよう。

消費カロリーは1989kcal。食べすぎたといえど、消費カロリー摂取カロリーなので許していきたい。

あと食べなさすぎなのか生理がいつもに比べてめちゃくちゃ長い。生理が終わればジムに行くとって言ってるのに全然行けない。鉄分とか足りてないのかもしれないのでマルチビタミンサプリを買ってきた。性別のせいにするわけではないけど、やはり男性だと生理などを気にせずにジム通いとか出来るから羨ましい。

昨日のトラバ筋トレしてないのにプロテイン必要?と聞かれていたけれど、たんぱく質摂取が減ると筋肉量が落ちる、筋肉量が落ちると基礎代謝が落ちるのでリバウンドやすいと見たのでプロテインを飲むことにした。筋トレも増やせればいいけど腹筋は2日に1回してて、スクワットはやってみたら自重が重すぎたのか翌日膝がめちゃくちゃ痛くなった。関節も軟骨も有限のものなので焦らずに身体を痛めない方法を探っていきます。長くなってごめん。

anond:20180719041734

みとれなかったなー父。走ったけど、走っても走っても明け方病院が近づかなくて。

半泣きになりながら走ったのに、間に合わなかった。

24時間タクシーの番号を控えておけば良かったのに、急だったのでひたすら知ってるタクシー会社にかけて

営業時間外で、走るしかなかった。真冬三日月が出てた。

あの日から三日月が苦手。走っても間に合わないことをチェシャ猫に笑われているようで。

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